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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제47권 (37건)
No
1

現代日本語における「ようだ」の多義

金良宣

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.1-18

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5,200원

本稿で考察した內容は次の4つのことで要約できる. 第一,「ようだ」には推量性の高低を基準として,次の6つの意味を表わす. ①「推量表現4=基本表現」 ②「准量表現3=基本表現+直喩性(直喩の典型(誇張)/程度)」 ③「推量表現2=基本表現+樣態性(單純樣態/複合樣態)」 ④「推量表現1=基本表現+事實性(傳聞/間接話法化/準引用)」 ⑤「權量責現0=婉曲(責任回避)/直喩の慣用化/目的/裁量/實質化/指示」 ⑥「その他の表現=ネガイ{願望/命令(勸誘)/祈願}」 第二,テクストでの「ようだ」は必ずしも書き言葉と話し言葉で同じ比率で使われるのではない. 第三,「ようだ」は推量性の高い表現である「推量表現4」「推量表現3」の「話題の人物視点のモダリティ體係」の場合は,その「話題の人物」が必ずしも主語とは限らず,目的語の場合もある.しかし,推量性か低くなるにつれ,「話題の人物視点のモダリティ體系」での「話題の人物」が必ず主語に限られるし,「話題の人物視点のモダリティ體系」での用例も見當らない場合が多い.これは,准量性の高低を基準とし分析してきた 本稿についての-つの立證根據にもなれるだろう.ただし,「推量表現0」に屬させた「目的,裁量,實質化,指示」は推量性が無くなった表現ではなく,最初から推量表現とは全く關連のないものとして判斷すべきではないか,という課題も殘してくれる.

2

局面動詞「しはじめる」の機能- 「時」という観点から -

朴敏瑛

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.19-30

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4,300원

本稿では「時」の觀点から局面動詞「しはじめる」のテキストにおける機能について考察した.まず.「しはじめる」に見られる數數の時間の表現は,「始まるさま」を限定するか,あるいは「始まるとき」を限定するかで,人きく二つのタイブに分類することができる.そして局面動詞「しはじめる」の第一の機能は,特定の運動が始まる「開始時間」を强調することにあり,このような機能は,特定の構文的條件の下で具現される一方で,單純に個別的な運動における開始時間を示すよりは,複數の出來事間の有機的な關係(原因一結果や接觸時点の具體化など)の中でより强調されることをも確認した.次に,局面動詞「しはじめる」の第二の機能は,出來事間の「時間關係」を强調することである.この場合においても「時間關係」そのものがより强調されるのは,單純に先行一後續の時間關係を捉える時よりは,二つの出來事が原因一結果で結ばれている場合であって,「しはじめる」の持つ機能は,いずれも,特定の運動をほかの出來事へと結び付ける中で生まれてきており,特定の運動の始動の局面をとりだすことによって,結果的には,そうした出來事間の時間關係をより具體化し,强調することになると言うことができる.

3

『交隣須知』の日本語の地域性について

斉藤明美

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.31-46

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4,900원

「交隣須知」の日本語の特徵を問題にする場合,「日本語の地域性」の問題を拔きにしては考えられない.そこで,本稿では「交隣須知」諸本のうち,京都大學本,アストン本·白水本,ソウル大學本,明治14年本等に見られる九州方言について調査してみた.次に同樣の資料を對象として對馬方言の使用狀況について檢討した.また,文法については,九州方言と特にかかわりがあると思われる,二段動詞の一段化,「見る」の命令形,形容詞のカリ活用,カ行漢字音の拗音表記について調査した.このような作業を通して「交隣須知」の日本語の地域性に關する何らかの特徵が認められる可能性が期待できると思われたからである. その結果,「交隣須知」の日本語には,九州方言の中でも特に九州北部,對馬方言に屬する語彙が比較的多く用いられていることが明らかになった.次に,二段動詞の一段化の狀況は京都大學本より增補本系資料と明治14年本の方がより進んでいることも明らかになった.しかし,「見る」の命令形,形容詞のカリ活用,カ行漢字音の拗音表記についての調査からは,日本語の地域性を決定付ける要因として充分であると言えるような結果を得ることができなかった.この問題については,今後より詳細な調査が必要であると思われるが,現段階においては「交隣須知の日本語は,九州方言であると斷定することは困難であると思われる.

4

日本語の間接受動の意味的特徵 - 「 持ち主の受身の再考 」-

李応寿, 李成圭, 神谷健児

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.47-57

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本稿は,日本語における間接受動のうち,いわゆる持ち主の受身を對象として,とりわけ「持ち主」と「持ち物」との關係に焦点をあて,その意味的特徵について先行硏究に對する批判を出發点として,再考察を試みたものである. 從來の先行硏究では,持ち主の受身の基本的な意味を被害的なものとして規定することが多い.しかし,李成圭·神谷健兒(1999)でも言及したように,それが必ずしも被害の意味だけを表すものではなく,中立ないし場合によっては利益·恩惠を表すものとして解釋されることを確認した.また間接受動の-つとして持ち主の受身を直接受動と별수で捉えるのではなく,兩たとも一つのカテゴリ一のなかに位置するものとして捉える必要性も指摘した. 本稿での再考の結果,目的語が「(持ち主)の(持ち物)」という形をとる能動文に對應する受動文は,從來から言われているように「持ち物」が「具體的モノ名詞」か「抽象的モノ名詞』かによって受動文の主語にたつものが規定されるのではなく,「持ち主」の「持ち物」に對する捉え方,また捉える度合いにより文の構造が「直接受動」にも「間接受動」にもなることが明らかとなった.また「持ち主」と「持ち物」が分離しても兩者の關係が崩れない場合はともかくとして,分離した場合に兩者の關係が不明確になる時はあえて分難はしないといったことも受動文の構文に關係していることがわかった. 本稿における再考の結果から得た見解は,間接受動を直接受動と별수で捉えるのではなく,同一のカテゴリ一內に位置付けして捉える必要性があることも然ることながら,從來からの受動文の「直接受動」,「間接受動」とに二分する規定では整合性がとれないばかりか,矛盾までも生じさせてしまうという受動文全體に關わる大きな問題が浮彫りになったということである.これは受動文はか,また「直接受動」,「間接受動」とは何かという,その規定の根本的な見直しの時期にきているという結論に導く.

5

5,200원

「∼始める」形と「∼出す」形をアスぺクト硏究から分離し,新しい角度から硏究し始めたのは,ごく最近のことであり,從來,局面動詞を扱った論考としては,小田(1986「局面動詞「∼しはじめる」について」),桑原(1998「變化の局面を表す「∼はじめる」」),山崎(1995「開始の局面を取り立てる局面動詞について-「∼始める」「∼出す」の用法の比較一」)などが擧げられる.一方,開始の局面を表す「∼始める」形と「∼出す」形は文中において,文法的な役割は類似するが,同じ文脈の中では自然な場合もあるが,不自然に感じられる場合もいろいろある.卽ち,「∼出す」形と「∼始める」形との置き換えが可能な場合(自然な場合)と,不可能な場合(不自然な場合)があるということである.特に,「∼出す」形を「∼始める」形に置き換える時,置き換えが自然な場合も多い.これは「∼始める」形と「∼出す」形の開始の仕方に密接な關わりを侍つことを意味する. 本橋では,上記のような諸硏究を十分踏まえた上で,局面動詞の總合的な硏究の-環として,これまでさほど問題視されていなかった局面動詞「∼始める」形と「∼出す」形との開始の仕方に關する兩形の意味·構文的な差を明らかにすることが目的である.その際,開始の局面を表す「∼始める」形と「∼出す」形を對象として,これらと結合する前項動詞の意味特徵と文中からの用いられ方を比較すると共に,それぞれの意味·構文的な特徵を考察したものである.

6

韓国人の対日観と日本語学習動機の検討 - 大学生群と成人群の世代間比較 -

櫻坂英子, 奥山洋子

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.77-91

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4,800원

本硏究は,日本語を專攻している大學生とその兩親の對日觀,日本語學習動機について檢討する目的で,調査を行った.對日觀を明確にす尺度として,「日本(人)に對する認知」,「自國と日本との差異の認知」,「日本語學習に對する大學生の目的とその兩親の期待を測る尺度として「日本語學習動機」を,それぞれ統計的手續きを經たうえで構成した.先行硏究(吳,1991;金·吳,1982;續賣新聞社世論調査,1995)では,先進國として日本が評價されているが,親しみの持てない,信賴できない日本イメ-ジも報告されている.高麗大學調査(1989;1996)や金·吳(1982)の硏究結果では,若年層で高學歷,都市部ほど對日觀か否定的であることが報告されていたが,本報告ではおおむね對日觀は肯定的であった.本硏究における調査對象者が日本語專攻大學生とその兩親という特殊なサンブルであることから,成人群も大學生群も日本に對しての認知が肯定的であった可能性も高い.したし,先行硏究の報告と同樣に本調査においても韓國人サンプルは日本の先進性に對する認知の度合いが高く,「先進性」に比較すると,「親和性」や「信賴性』の認知の度合は低かった.韓日間における個人の價値基準には高い差異を認知していないが,日常生活を中心とした社會的狀況では,韓日兩國の差異を顯著に認知していた.日本語學習では,成人群は子女の日本語學習に對して肯定的であり,子女が大學敎育のなかで外國語としての日本語を習得することを期待している.それに對して,大學生群が日本語を學習する動機は,異文化としての日本の理解,日本人との交流が目的であり,語學習得の수にとどまらず日本(人)との接觸を前提とした行動レべルの學習に發展することを望んでいる.又,日本に關する情報源を金·吳(1982)の結果と比較すると,20年前には新聞や書籍,敎料書が主たる情報源であったのに對して,成人群·大學生群とも,テレビを第1位にあげ,大學生群ではインタ-ネットの利用率が高いことが特徵的で,日本に對する大量の情報を迅速かつ選擇的に大學生が活用している狀況や日本語を學習する環境の變化も明らかになった.

7

韓国語と日本語における二重対格標示について - 成立条件を中心に -

尹亭仁

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.93-108

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4,900원

韓國語と日本語において構文的特徵そ決めるのは格助詞であリ.その中でも 對格助詞の役割は大きい.-つの文の中でニつの名詞句が同じように對格助詞によって標示される二重對格表示は.韓國語では大きな構文約特徵として捉えられているのに對して.日本語では主に「二重對格制約」の觀点で捉えられている.兩語におけるこのようを相違には.對格助詞「를」と「ヲ」の振る舞いの相違が反映されている.同じく對格助詞と稱されても.「를」は「ヲ」と違って與格標示機能も備えていて.しかも格標示においてヲ格より制約が緩い.韓國語に「對格標示交替型」と「對格標示實現型」の二重對格標示が成り立つのはこのためである.

8

近代日本語の受身表現における過渡期的樣相 - 韓國語との比較考察 -

尹鎬淑

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.109-123

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言語は生成,變化.消滅の性格を有している.このような言語の生成.變化.消滅は歷史約.社會的變動に大きく影響される.言語の歷史的.社會的變動には自國內の事情のほか.外國の文化に接することにより.外國語がその要因として作用する場合が多い.日·韓兩語も古くは漠字文化圈の中で漢語の影響を受けてきたが.近代以降門戶開放とともに西歐諸國との交流により西歐語の影響を受けるようになる. 日·韓兩語の受身表現も,近代以降.著しく變化したが.特に近代には西歐的受身表現が兩語の中に定着するまでの過渡的樣相が多數見られる.但し.日本語は西歐的表現を近代西歐文物の流入とともに直接的に受け入れているのに對して.韓國語は.日本の植民地下で日本語を通じて間接的に受け入れているため.日本語の影響が大きく,過渡期的樣相も日本語に比べて多樣である. つまり.日本語では.受身表現の過渡的樣相として「られてある」や視點一致等が見られたが韓國語の場合.代表的な過渡的樣相として視點一致や自動詞の受身表現.二重受身表現等が擧げられる.この他.程度の差こそあれ.兩語ともに動作主のマ-カ-や形態においても過渡期的樣相があらゆるジャンルに見出される.

9

吳音과 韓國 漢字音의 關連에 대하여

趙大夏

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.125-144

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5,500원

吳音은 傳來時期 및 地域에 따라 新蓄의 層이 存在하는 複層的인構造를 가지고 있다. 吳音의中核層은六朝時代의中開 東南部音인데, 이는 韓半島 南部를 거쳐 日本에 傳來되었다고 보여져, 吳音의 形成에는 韓國 漢字音이 상당히 影響을 미쳤음에 틀림없다고 생각된다. 따라서 本稿에서는 吳音의 複層的 構造중에서 韓國 漢字音과 關連이있다고 보여지는 漢字音의 韻類의 音形과 尤韻를 中心으로 그 異同을 考察해 보았다. 그 結果,먼저 音形面에서보아,例를 들어 侯韻과 尤韻을 辨別하지 않고 吳音「ウ」,中期 朝鮮 漢字音「우」로 轉寫된 例는 侯韻·尤韻·幽韻이 合流한 六朝時代의 音韻狀態를 反映하는 字音이라 보여진다. 또한,陰聲韻尾/-u/를 버리고 單母音化하여 轉寫된 例는 韓國漢字音에서는 一般的으로 보이는 現象이므로, 이 單母音化는 韓國 漢字音의 影響이 있었다고 보여진다. 그리고 聲調 體系에서 보아, 韻書 上·去聲의 合流는 中期 朝鮮 漢字音에도 보이는데, 이는 中國語의 四聲과 다른 聲調 體系를 갖는 當時의 韓國人이 中國語를 聽取했을 때 混亂을 일으켜 上·去聲의 區別이 없어졌으며, 이것이 日本 吳音에 基層音으로서 받아 들어졌다고 보여진다. 또한 調値面에서 보아 中期 朝鮮 漢字音 聲調의 調値와 慶尙道 方言 漢字音 聲調의 調値는 그 高低 關係가 相反된다. 中期 朝鮮 漢字音 聲調의 調値는 漢音 聲調의 調値와 같이 中國 中古音의 聲調를 反映하는데 반해, 漢音의 調値와 相反되는 吳音 聲調는 慶尙道 方言 漢字音의 聲調와 類似한것이다. 法華經讀誦音의 聲調와 慶尙道 方言 漢字音의 聲調를 韻書(廣韻)의 聲調와 對應시켜보면, 韻書의 調値에 相反하며 그 相反되는 漢字의 一致率이 매우 높다(平均75.1%).따라서 兩者의 聲調 關係는 결코 無視할 수 없다.

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4,900원

본고에서는 千昊載(2000)에서 논의된 일본어 疑似中間可能構文의 제 특징(形態的 特徵, 名詞句移動, 外部 行爲者의 含蓄, 主語와 述語와의 意味關係, 狀態性)을 영어에 적용하면 지금까지 검토된 적이 없는 疑似中間構文이라고 하는 改別文法을 도출해낼 수 있다고 하는 사실을 논의하고 있다. 따라서 일본어의 疑似中間可能構文的 表現方法은 개별언어에만 국한된 우발적인 것이 아니라 人問言語에 존재하는 普遍的 表現方法의 하나임을 주장하고 있다. 그러나 `借用` 을 고려하면, 가령 언어간에 공통되는 점이 발견되었다고 해서 곧바로 언어의 普遍的 特徵을 주장하는 데에는 신중을 기하여야 한다고 설명하고 있다.

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朝鮮語研究(1910~1945) - 小倉進平の音韻硏究を中心として -

崔聖玉

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.161-174

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4,600원

近代における朝鮮人硏究者のな任務はハングル正書法の問題が中心であった.とりわけ文字に對して民族的な問題が集中していた.現實的な要請がそこにあったのである.そのような現實的な要請から始まった啓蒙的な朝鮮語硏究が.科學的な言語硏究手法をもって硏究されるようになるまでには.かなりの時間がかかつた.近代的な硏究に천り着くまで朝鮮人硏究者は一體どのよぅな方法でもって硏究を行っていたのであろうか.その過程を追っていく中で大きく浮き彫りになったのは.近代朝鮮語學の基礎をつくった小倉進平ではないかということである. 本稿では韓國の代表的な朝鮮語硏究史の硏究書をいくつか取り上げて,そこで各硏究者.また各論文がどのように取り扱われているのか.またその中に小倉はどのように取り扱われているのかということに焦点をしぼって考えてみた.便宜的に五つの部門ぐらいに分けて考えていきたいが.今回はとりわけ音韻の方に焦点をしぼった.最近における韓國國語學界の動向は變わりつつあるものの.本稿で確認したように韓國では日帝時代における朝鮮語硏究への考察か甚だ不十分だということが明らかになった.さらに小倉進平やその周邊の硏究者の論文をより具體的に分析し.彼とその他の硏究者たちとの硏究史的な位置づけをしていくのは今後の課題である.

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「オノマトペの語基+接尾語」の一考察 - 「めく, つく」型を中心に -

黃圭三

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.175-187

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4,500원

本稿では.オノマトぺに結び付いて派生動詞を産み出す接尾語である「-めく」と「-つく」と に注目し.兩型に先行するオノマトペを分類し.それぞれの型との結び付きによってそこに意味の分化か認められるか否かについて考察しようとするものである.その結果.次のよぅに主な点を明らかにする. 「めく」型のオノマトペについては次のようにまとめるニとかできる. ①一音節·一音節の繰り返しの場合,語基が全て擬音語であり.「めく」型は擬音語と結合力が强いとも言える. ②語頭音が淸音である「ォノマトペ+めく」型はプラス的な意味を表す傾向が强い. ③「めく]型の語はもっとい形で中古時代まで遡らる傳統的な響きを持つ語葉として史性を持っている.また.「つく」型のオノマトぺについては次のようにまとめることができる. ①「イラつく」「ムカつく」のように主體的な感情·感賞を表すオノマトぺので擬情語とも言える語に非常に多い. ②「めく」型とは異なって.語頭音が濁音である「オノマトペ+つく」型はマイメス的な意味を表す傾向が認められる 上記のよぅに「擬音語·擬態語と接尾語」との關係は互いに根强いものであり.オノマトぺ語基に「めく」·「っく」という接尾語が種種のオノマトペと結び付いて本來の意味はそのまま生がしながら整然たる의미분단の機能をきちんと行っていることが分かる.

13

黃表紙における〈作者の戯画化〉趣向の展開史攷

康志賢

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.189-200

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安永四年(1806)から文化三年(1806)まで出版された草雙紙二千余種の總稱として「黃表紙」がある.これは武家作者らによって開拓されるが,その後新しく活躍期を迎える町人作者を代表したのが「山東京傳」である.彼が生涯ものにした黃表紙約百ニ十余部のうち,本稿では僅か十二部のみテキストとして取り上げることになるが,總體的「黃表紙における$lt;作者の$gt;趣向の展開史」をまとめる,という今後の課題の一步というところに意義を置きたい.$lt;作者の희화화$gt;とは作者らしき肖像畵を卷頭·卷尾に出したり,本文中に作者の面影を持つ人物を登場させることによって,作者自身を희화화する趣向を指す. 山東京傳の黃表紙を前期と中期.それから寬政改革を境にして後期というふうに分けると,次のような山東京傳黃表紙における$lt;作者の희화화$gt;趣向の展開史をまとめることができる. 前期 ;天明二年から五年に渡って,京傳は畵工から黃表紙作者へと比重を移す姿を,口上で見せてくれる.自晝像を太郎冠者姿に假託して現れては,自己紹介したり,作品の創作動機を戱れたりする. 中期 ;改革の嵐が吹き始めた時,京傳は作品の卷頭に自分と妹を描き入れたり,獅子鼻で作中に登場しながら,あくまでもスト-リ-を導いていく案內人,そして見物客の役割をさせたりしていたのだが,寬政改革の眞っ直中に置かれる頃は,作者の失敗譚という形を借りて,自分を徹底的に茶にする手法に目覺@め,主役として事件の當事者にもなる.或いは,再び롱姿にをって「ぉ子樣方」という言葉を口上で强調したりする.そして,사자비の京傳か講釋師の姿を借りて冒頭に登場したり,讀者を代表して酒落過きる風潮を諫められる脇役に廻ったりする. 後期 ;寬政末期になると,殊更敎訓を意識するようになった京傳は,獅子鼻で自分の肖像を희화にしてはいるが,至極眞面目な言辭を卷頭卷尾で述べる作品を著す.しかし,いよいよ享和四年,「作者胎內十月圖」で團子鼻の京傳が妊婦姿で描かれ,희화の種を産み落とすまでの苦心ぶりを描寫して作者の희화화の手法の項点を極める.

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韓ㆍ日神話속의 山嶽降臨에 대한 비교고찰

김동수

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.201-212

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韓·日 兩國의 고대신화 속의 天神들이 天上界에서 地上界로 下降할 때, 降臨地로서 山峰을 선택하는 이유가 무엇인가를 살펴보고자 한다. 기존의 연구에서는 단순히 高山이나 高木이 하늘에서 가깝기 때문에 일단 천상계와 지상계와의 통로의 수단으로 이용되었다고 보고 있다. 그러나 그보다는 신화 속의 고대인들에게 山嶽崇拜에 대한 어떠한 신앙 및 속성이 잠재해 있었음을 다음과 같이 알 수 있다. 첫째, 고대인에게는 홍수나 맹수들의 害의 두려움과, 적의 침범 및 수호차원에서 높고 험준한 산봉이 좋은 住居地라는 관념이 존재했다. 왜냐하면 일단 높은 山頂에 거주하면서 아래쪽의 지형과 지세를 전망하고 살피면서 보다 좋은 移住地를 선택한다는 장점이 있었던 것이다. 둘째, 이러한 산악이 좋은 거주지와 전망을 제공한다는 관념이 점차 산악을 神靈視하고 神格化하여 숭배하는 방향으로 변화하였다. 산악에 대한 숭배관념은 원시적인 자연숭배의 한 형태이다. 특히 韓·日 두 나라는 산악국이므로 산악의 신격화 내지는 聖域化에 의한 신앙이 그 주류를 이루고 있다. 또한 산악은 산신이 사는 靈地 또는 天王이나 天神이 하강하는 聖地로서 숭배의 대상이 되어 開國始祖의 出生降誕地와 결부되었다. 셋째, 천상계에서 산정에 하강한 天神은 곧 山神이며, 산신은 또한 農業神이며 祖上神이기도 하다. 그리고 산신은 산밑 마을공동체의 길흉화복은 물론 인간세상의 모든 문제 전반에 걸쳐 관계하는 전능한 신이기 때문에 고대인의 山神 및 山嶽崇拜가 마을신앙의 중심을 이루고 있다.

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시이나의 작품 세계는 회심한 1951년을 기점으로 구분된다. 일반적으로 시이나가 세례 받기 전에 쓴 초기 작품들에는 신에 대한 반항과 거부가, 세례 이후의 중기 및 후기 작품들에는 신에 대한 긍정적인 시각이 드러나 있다고 평해진다. 평자들은 시이나가 1947년 2월에 발표한 데뷔작「심야의 주연」을 비롯하여,「무거운 흐름 속에」,「후카오 마사하루의 수기」등의 초기 작품들에 대해 `일상성의 절망과 허무감`, `신을 향한 증오`, `죽음의 공포와 불행이라는 모티프` 등으로 평가하고 있다. 그러나 이들 초기 작품들에도 시이나의 신에 대한 동경이나 긍정적인 시각을 발견 할 수 있다. 본 연구의 분석 대상이 된「후카오 마사하루의 수기」역시, 표출되어 있는 사상적 비판이나 신에 대한 부정적인 표현 이면에는 훗날 시이나의 부활 신앙을 뒷받침 해 줄 수 있을 만한 요소들이 내재되어 있음을 알 수 있다. 본고에서는 이들 요소 중 특히 `고향`과 `쥬지로`가 상징하는 바를 중심으로 살펴보았다. 「후카오 마사하루의 수기」에 상징되어 있는 `고향`은 `자살의 장소` `죽음의 장소`로 평가되어 왔으나, 본 연구에서는 지상에서의 고향이 아닌 죽고 난 후에 돌아가야 할 피안의 세계인 `본향`으로 파악해 보았다. 또한 이 작품의 등장 인물인 `쥬지로`는 `신`이나, `니힐리스트`, `신 살해의 공범자`라는 상반된 견해로 나누어지고 있으나, 본고에서는 그와는 달리 인간을 무력하게 만드는 `죽음`을 상징하는 것으로 분석하였다. 이러한 분석을 통해서 보았을 때, 시이나는「심야의 주연」이나「무거운 흐름 속에」의 연장선상에서 절망을 표면에 부각시켜「후카오 마사하루의 수기」를 진행했으나, 이는 신에 대한 동경과 피안의 세계에 대한 흠모를 드러내지 않고자 시도한 시이나의 의도된 작품 구성으로 이해될 수 있을 것이라고 생각한다.

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4,900원

다니자키 쥰이치로의「여뀌 먹는 벌레」는 1928년 12월부터 1929년 6월까지「오사카매일신문」석간과「도쿄일일신문」의 석간에 부정기적으로 연재되었다. 지금까지「여뀌 먹는 벌레」는 작가 다니자키의 분신으로 알려져 있는 가나메를 중심으로 다니자키와 지요코부인의 이혼을 연관시켜 해석이 이루어졌다. 물론 이 작품은 이혼을 결심한 가나메부부의 이야기를 중심으로 전개되고 있다. 하지만 노인과 오히사라는 존재도 중요한 부분을 차지하고 있다는 사실을 간과해서는 안된다. 더구나 다니자키가 문학을 통하여 끊임없이 노인의 性의 문제를 추구해 왔다는 면에서도 이 작품을 노인의 性이라는 시각으로 재조명해 볼 필요가 있다. 또한 프랑스의 철학자 시몬 드 보부와르는「노년」에서 다니자키의 말기 작품을 거론하면서 강렬한 노년의 性에 대해 논한 바가 있다. 물론 다니자키의 말년에 발표된 작품에는 죽음도 두려워하지 않는 강렬한 노년의 性이 묘사되고 있기는 하지만 다니자키가 노년의 性을 표현할때 처음부터 그러한 태도를 취했던 것은 아니었다. 말하자면 말년에 그러한 작품을 집필하기까지 노년의 性에 대한 시각도 많은 변화를 겪었다고 할 수 있다.「여뀌 먹는 벌레」는 그러한 변화의 과정에 놓여 있는 작품으로 다니자키가 말년에 그린 노년의 性과는 다른 양상을 보이고 있다. 「여뀌 먹는 벌레」는 性的 부조화로 인해 이혼을 결심한 부부의 이야기를 다루고 있으면서도 노인의 性은 은밀한 표현양식을 통하여 그려지고 있다. 그 이유는 일찍부터 노인에게 모든 욕망을 초월한 현자의 모습을 기대했던 동양사회의 분위기와도 관련이 깊다고 할 수 있다. 말하자면「여뀌 먹는 벌레」에서는 공개적으로 거론해도 좋을 性(가나메부부의 性)과 감추어져야 하는 性(노인의 性)이 존재하고 있는 셈이다. 작품에서 노인과 오히사의 관계는 흡사 닌교죠루리(人形淨琉璃)에 비유할 수 있다. 닌교와 닌교즈카이는 일체를 이루었을 때 관능적인 美를 구현할 수 있듯이, 닌교죠루리에 흠뻑 심취되어 있는 노인은 자신은 닌교즈카이(人形使い)로, 오히사는 닌교(人形)로 설정하여 性的 욕망을 성취했다. 또한 노인은 오히사와의 관계에 긴장감을 부여할 他者로서 가나메가 가장 적합하다고 판단했기 때문에 가나메를 등장 시킨 결과, 노인·오히사·가나메라는 삼각구도가 성립되었다. 그런데 노인과 오히사의 관계는 외부와 차단된 공간에서만 유지될 수 있었으며 아와지(淡路)라는 열린 공간과 가나메라는 인물의 등장으로 그 관계는 결국 흔들리고 만다. 즉 아와지여행 이후 가나메는 他者에서 主體로, 오히사는 닌교에서 욕망하는 여성으로, 노인은 主體에서 소외된 他者로 위치가 전환된 셈이다. 말하자면 아와지여행은 사회적인 모든 금기를 초월하여 性이라는 관점에서 인간관계를 재정립하는 전기가 되었던 것이다. 그 과정에서 노인의 性은 소외당하고, 그 위치마저도 상실당한다. 작품 마지막 부분에서 가나메와 오히사의 모기장안으로 들어가지 못하는 한 마리의 청개구리의 모습은 노인의 性 그 자체를 상징한다고 할 수 있다.

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아베코오보의 “수중도시”에 나타난 변신과 시간

김현희

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.241-256

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4,900원

아베 코오보오의「水中都市」는 1952년 6월「文學界」에 발표된 것으로, 그 제목이 시사하는 바와 같이 수중세계와 관련된 물고기로의 변신이 묘사되어 있다.「水中部市」는 일단 변신 모티프로 시작되고 있지만 보다 심층적인 구조에 있어서는 아베 문학이 추구하는 인간의 존재에 관한 문제와 연결되어 있다. 아베에게 있어서는 인간은 한 마디로 모순덩이리라고 할 수 있다. 태어나는 것에서부터 죽음에 이르기까지 <왜>라는 물음은 생의 일부이며 기정사실인 것이다. 그럼 아베는 무엇을 통해서 인간의 모순을 해결하려고 한 것일까. 거기에는 분명히 아베 특유의 게임의 법칙이 숨어 있다. 본고에서는 그것을 변신과 관련해서 주인공인 나의 분열이라는 시각에서 등장인물간의 이중간계를 고찰하고, 그 속에 숨어 있는 주제에 다가가려고 한다 아베 문학에 있어서 형식상의 문제는 결국 주제를 드러내기 위한 방법이라는 점을 감안하여 가능한 작품의 분석에 초점을 맞추었다. 우선 본 작품의 등장인물인 나와 아버지, 그리고 마키의 관계를 중심으로 고찰해 보았다. 그 결과, 나는 현실의 나와 그 현실의 나를 바라보는 또 하나의 나라는 의미에서 나와「나」의 이중관계를 이루고 있고, 아버지의 경우, 현실의 나가 나와「나」로 분열되는 것의 단서를 제공하고 있다. 즉, 현실의 나가 나라는 것을 증명하기 위해서는 나와 아버지의 관계가 확실하지 않으면 안된다. 그러나 그것은 아버지 쪽에서의 일방적인 착각일 뿐, 나 쪽에서는 그를 아버지라고 부를 만한 아무런 증거도 갖고 있지 않다. 또한 마키와의 관계에 있어서는 아버지와의 관계에서 드러난 나의 현실에 대한 불연속을 마키 자신도 함께 공감함으로써 강한 변혁의지를 창출한다. 이와 같이 이 두 사람은 서로 상대방으로부터 자신의 모순을 자각하는 것으로 문제해결의 실마리를 찾고, 또 거기서 새로운 모순을 발견해 가는 생성의 모델을 제시하고 있다. 무엇보다도 본 작품의 단서를 제공하는 또 한 가지는 마키의 그림이라고 할 수 있는데, 마키는 그림을 통해서 현실의 불연속을 드러내 보여준다. 그리고 나는 그 그림을 바라보는 것이다. 마키의 그림을 보는 나와 그림을 보는「나」를 바라보는 마키의 관계는 서로 다르면서 같다는 결론이 나온다. 그림을 보는「나」라는 것은 이미 그림 속에 들어간「나」라고 할 수 있다. 물론 그것은 물고기이다. 여기서 나와 마키의 관계는「나」와 마키의 관계라는 이중관계가 성립한다. 그 이중구조를 통해서 양자간의 모순의 발견과 지양이라는 변증법적 논리를 읽을 수 있는 것이다. 그럼 그림 속의 물고기는 무엇을 상징하는 것인가. 물고기는 물, 즉 바다를 상징한다. 바다 속에서는 시간이 정지하고, 모든 것은 그 관계를 단절해 버린다. 인간이 물고기로 변하는 것은 나와 마키가 공감한「현실은 불연속」이라는 것을 증명하기 위한 우발적인 사건이라고 할 수 있다. 본 작품에서 말하는 물고기로의 변신은 인간과 물질의 관계를 물과 물고기의 관계를 통해서 그 역전된 관계를 보여 주고 있는 것이다. 일반적으로 시간은 물처럼 하향하는 것이지만, 물의 흐름에 거슬러서 역류하는 물고기의 강한 생명력에서 아베는 인간의 시간을 뛰어넘는 그 무엇인가를 간파했음에 틀림없다. 물고기는 알에서 태어난다. 알은 아무런 기관도 조직도 없는 생명 그 자체이다. 생명은 알에 의해 존재하며 각 기관에 의해 결정된 유기물들은 일시적·잠정적으로밖에 존재하지 않는다. 바로 여기에 시간의 문제가 있는 것이다. 기본적으로 아베는 인간과 물질의 관계를 인간의 주관에 의한 것으로 보고, 인간의 주관으로부터 독립된 객관적인 세계로서 작품의 모티프를 상정하고 있는 것이다.

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『怪談御伽桜』について

朴蓮淑

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.257-270

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4,600원

かつて行った「怪談御伽櫻」の번각に次いで,本稿では刊行と作者の問題,素材とその用法,そして本書の特質について具體的に考察した. 刊行は從來の指摘を再確認すると同時に「黑船頭巾」言葉の當時流行のことを檢討した結果.上限を享保三年から下限を元文二年秋項までにと推定される.作者都廛舍は延寶六年から寬延元年十二月十八日までに生存した雲鼓門の俳であり.雜俳点者として活躍したことを知る.作品には雜俳關係の編著書の多數と,本書及び「渡世傳授車」の町人物系統の浮世草子がある.「怪談御伽櫻」は作者において浮世草者また怪異小說に始めて手をかけたものであって.それにはそれなりの作者の怪異に對する見解と創作の熱意がこもっている.素材は中古.中世の說話集や隨筆.詞章及び近世の怪異小說.紀行文,奇談雜話物.また昔話をどの諸分野に取っているのでわる.そして.複數の典據を組み合わせて一章の世界を定めている.この典據を複合·再編する創作方法は.元祿·寶永期頃期項の浮世草子系怪異小說が行った典據の利用法を受け繼いだものと見ていい.しかし.素材を作品化する時には從來の怪異小說に底流する敎訓を後退し.反面滑稽や諧謔の要素を加味した笑話的な娛樂怪談を志向した.この点に作者の怪異に對する見解がうかがえ.本書の特異性がある.「怪談御伽櫻」はそれ以後の怪異小說界が怪異の享樂を追求する讀本へ移行していく過渡期で自らの一方向を模索した点で評價すべき作品でわり,近世怪異小說の變遷を解明するには不可欠の硏究の對象と言いうる.

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4,900원

定型短詩というジャンル上の共通点を有する時調と短歌は各各傳統的な文學形態として近代文學に移植され.今日まで受け繼がれている.その發展課程を見ると.近代文學として定着する過程に.その形態の持つ制約をめぐって否定論が擡頭している.それにより.革新のための激しい內的變化をかさねてきたことも兩方に共通している.從って.1890年代からの日本の短歌革新運動と.1920年代半ば.韓國で起きた時調復興運動という兩國の文學史約な局面は.この二つの詩型間の關聯性を論ずる焦点になり得ると思う. 中でも.正岡子規と李秉岐は.各國の詩歌の革新過程の中で,實作と共に徹底した理論をも提示し.中心的な役割を단った人物である.二人の詩歌論及び作品を比較して見た結果.李秉岐の時調革新において,子規の方法的な側面が受容されていることが分がる.卽ち,二人の革新の方向は.古典の批判や再解釋をその出發点としており.豊富な素材そ活用して陳腐した技巧の戱れから脫しなければならないという主張として同樣に見られる. また,最も重要な要旨と言える寫生論の主張が.同じ論調で展開されており,主觀と容觀とが調和した抒情的寫生の實踐が實際の作品においても共通的に現れている.子規と李秉岐の成功的な寫生詩歌では.客觀描寫という形で切除されてはいるが.對象との含致によって現れる作家の精神を感じ取ることができる.二の精神は子規に於ては$lt;誠$gt;の理念に.李秉岐においては$lt;悟道$gt;という境地として理解できると思ぅ.$lt;誠$gt;と$lt;悟道$gt;とは兩國の傳統の再解釋から新し$lt;發見された美意識であり.その根源的を情緖ま異なるといえとも,對象と作者との內部精神の照應によって生命の感賞を捕捉するという点では同樣であると言える.このことは時調と短歌が,兩方とも主觀的は抒情を詠むにふさわしい文學形態であることにも起因する.從って,子規と李秉岐の詩歌革新は,このような本質の發見と,近代性としての個人の自我による新しい自然を獲得したと理解することができる.

20

4,900원

본 연구는 이인직과 일본과의 관계, 그 중에서도 특히 이인직의 연극개량 의지와 「은세계」에 미친 일본연극의 영향에 관해 살핀 것이다. 이인적은 그가 유학했던 동경정치학교와 신문 사업을 견습한 「미야코신문」을 통해 일본의 연극개량 운동 및 신가부키 운동을 간접적으로 경험, 그것으로부터 연극개량 의지를 얻었다고 보여진다. 그러나 실제적인 활동에 있어서는 일본연극과는 그 영향관계를 논할 수 없는 계몽성이 강한 작품을 창작, 공연했는데, 이러한 사실들을 통해 볼 때 이인직은 일본을 통해 연극개량 의지 및 「은세계」 창작에 관한 동기를 얻었음에도 불구하고 그 활동에 있어서는 국내의 상황을 고려, 우리 실정에 맞는 작품을 창작, 공연했다고 보여진다. 이러한 사실은 우리의 개화기 및 근대 연극사에 있어 매우 중요한 의미를 갖는데, 이인직의 연극활동이 갖는 가장 큰 의미 또한 바로 이 점에 있다고 하겠다.

21

4,300원

有島武郎ほ「借みなく愛は寨ぶ」の中で,自己の內發的衝動を規範とする本能的生活を,人が至りうる至上の生活として提言した.そしてその本能的「生」の表出を求めて「或る女」の葉子という「急進的な女性」を造形していったのである.その葉子は$lt;本能$gt;に突き動かされて,倉地との愛に猛進していったわけだが.結局は自らの間違いを確認する結果とをってしまった.人生の可能性を求めて創作していった結果が自滅の途であることを確認した有島は.そこで新たを課題を단わされることになったのでわる.こうした課題は「三部作」に引き繼がれていくのであり.それは前二戱曲を踏まえながら第三の戱曲「聖餐」において檢討されるのである.そして葉子において表出され得をかった有島の理想の原型は.「聖餐」のマリヤにおいて可能となったのでわり,それを可能にしたのは絶對的な愛に對する信賴であった.

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輿謝蕉村의 '牧丹' 의 이미지

유옥희

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.329-346

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5,200원

この硏究は,與謝蕪村の26句に上る牡丹の佳句が印象鮮明で特殊を美を發散していることに着目したものである.牡丹という詩材は俳句が新たに開拓したもので,傳統詩歌の`もののあはれ`という哀愁を帶びた感性の美學とは掛離れた特色を持っている.櫻や草花などとは異る華麗な色彩感と豊饒な量感において日本の文人にとっては扱いにくい素材であった.ところが,蕪村は漢詩(特に詠物詩)の秦養と畵家としての資質を發揮して獨自の俳境を作り出した.もちろん,當時牡丹が園藝花として廣く普及していたことにもよる. 蕪村の牡丹の句は,牡丹獨自の色彩と量感を生かして絶項の美學と華麗な凋落を繪畵的な具象で描き出したものである.また,排句の短さを最大限に生かし,刹那的に强烈な印象を讀者に與える.これは蕪村か畵家だったから可能な境地であったが,彼は牡丹冷自體を實際畵幅に描くことはしなカった.牡丹は彼の描いた山水畵や經いタッチのが俳畵とは相容れない畵材だったので,畵幅よりは排句という空間に牡丹を描き,繪以上の效果を狙ったものと見られる. 和歌の自然は`移り變わり`に虛無の美學を發見することか一般的で,和歌的傳統を重んじた芭蕪は,時問の推移にともなう色あせた閑寂枯淡さにわび,さびの美學を追求した.つまり,內的な奧ゆかしさと余韻を追求し,陰影の深さを描こうとしたが,蕪村は意圖的にその陰影を無視し,鮮明な色彩とくっもりとした輪郭を通して絶頂の華美そあたかも寫眞のな技法で捉えたのである.もちろん.絶項の華美と紙一枚の華麗な凋落に伴う虛脫感と憂愁を見逃さなかった.蕪村は哲學においては芭蕪に及ばないか,藝術的な具象性においては芭蕪を越えると言われる所以がここにあると言える.印象を重んじる技法から芭蕪より早く蕪村がヨ-ロッパのイミジズム(Imagism)詩運動に影響を及ぼしたのである.단적で哲學的な詩として知られている韓國のハ俳句硏究において,牡丹の句で見るような鮮明を印象を重んじるイミヅズム的な側面の硏究も急がなければならをい課題であると思われる.

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『今昔物語集』 本朝部における宗派性の問題

李市埈

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.347-362

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4,900원

「今昔物語集」(以下「今昔」と略稱する)の作者と成立事情などは今の硏究段階では.明らかにされておらず.宗論や分派.對立·抗爭を語らないという作品の特徵のため,その宗派的立場を論じるのは極めて困難である.現在の硏究狀況は編者論を意識的に避けているが,本稿の目的はある特定の宗派に肩入れしない「今昔」の宗派意識を明らかにすることにある.內部證據が極めてすくないのでこの点を立證するのは困難ではあったが,以下の三つの考察の對象は格好の手がかりとなった.第一に,제내파개저역の敍述についてであるが「今昔」は客觀的に各宗の敎理を肯定的に淡淡と語표り.その개저を賞贊し.今も(編纂當時の院政期)宗が衷えず榮えていると宣言しており,特定宗派に肩を人れず客觀的であることが確認できた.第二に,良源像であるが.良源に對する「僧兵の指導者」「靈」「天狗」としての「今昔」の記述はあまり好意的ではなかったようで.良源像からみる「今昔」の宗派意識は一宗一派を稱揚する主張するものではない点が確認された.第三に,寺院間の確執說話においては,從來比叡山の宣場のためといわれた卷三一·23話·24話の意圖は必ずしも比叡山の宣揚のためではないことが分かった.「今昔」は特定の一宗派に肩を入れることもなければ.特定の一信仰を特に强調することもないのでかる.

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나카지마 아츠시 (中島敦) 의 초기작품과 조선

李元熙

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.363-377

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4,800원

나카지마 아츠시는 33년이라는 비교적 짧은 생애 동안에, 6년 간(1920-1926)을 당시 일본의 식민지였던 조선의 경성에서 생활했고, 그 경험을 토대로「순사가 있는 풍경-1923년의 하나의 스케치(巡査の居る風景-一九二三年の一つのスケシチ一) 」 ,「수영장 옆에서(ブゥルの傍で)」,「호랑이 사냥(虎狩)」이라는 세 편의 단편소설을 남기고 있다. 「순사가 있는 풍경-1923년의 하나의 스케치」는,`하나의 스케치`라는 부제로 당시 조선의 상황을 있는 그대로 묘사하는 수법을 택하고는 있지만, 조교영이라는 한 인물을 통하여 식민지 조선의 처참한 상황과 조선인들의 심리적인 고뇌를 표현하고자 하는 명확한 의도에서 집필된 작품이라고 생각되며,「수영장 옆에서」는 자신의 존재 그 자체가 식민주의자로서의 구조적 모순임을 자각하고, 그것을 속죄하는 기분에서 이 소설을 쓴 것이라고 필자는 보고 싶다. 또「호랑이 사냥」은, 식민지조선의 한 젊은이의 인간적인 고뇌를 표현한 작품으로, 조선인 친구 조대환의 고뇌를 통해, 타인으로서의 그를 재인식하고, 일본인에게 있어서 영원히 타인일 수밖에 없는 조선인의 존재를 확인한 소설이라고 생각된다. 따라서 이들 초기 세 작품은 나카지마 아츠시 문학세계의 출발점일 뿐만 아니라, 이후의 작품으로 이어져 가는 나카지마 문학의 원형질을 이루고 있는 작품이라고 할 수 있다.

25

4,600원

太宰治の轉換期の文學と戰時下の女性向けの雜誌メディアとの關連を追求しながら.そこに見られる太宰文學の變貌を明らかにすることを本稿の目的とする.この時期には太宰の得意とされる女の獨白形式を用いて.女性の織細な心を描く方法が成立しはじめたことにも注目をしなければならをい.特に「若草」という若い女佳をタ-ゲフトにした雜誌メディアと太宰との接点は.「讀者によろこばれるため」という讀者を意識した上での創作活動をもたらしたきっかけとなったと言える.したがって.太宰治の轉換期における文學の變貌を論じる際,女性向けの雜誌メディアとの關連は重要なキ-ワ-ドにならなければをらない.

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六条御息所の物の怪の暗躍

林仁淑

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.393-406

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4,600원

「源氏物語」の上に作者の描き出した物の怪は樣樣に形象化され,多樣の現象となって表わされるが,それらの物の怪の中で.六條御息所の生靈·死靈は物語における日常有限的時間·空間を超越して,物語上に暗躍し,登場人物の內面深くに强い影響を與えるのみでをく,物語の構造にさまざまを變化をもたらす.そういう意味で六條御息所の物の怪は「源氏物語」の中でもきわめて特異な役柄を단っていると思われる. 本稿では,本文の御息所の生靈·死靈の暗躍ぶりの描寫を錦密に分析していくことによって.御息所が次次と物の怪に化していく經緯を考察してみた.その結果.御息所の生靈·死靈となる原因は何よりも源氏の御息所への冷たい態度によるのであ,.御息所の生靈·死靈事件は源氏に對する抑制された感情の表出のために起ったことだったということが分かった.奧ゆかしくて優雅な御息所にとっては,物の怪という手段に賴るしか自分の愛執の念や內面の苦惱を,怨恨の念を源氏に傳えることができなかったのであろう. しかし源氏はそのような御息所の本意を見拔いていをかった.御息所の物の怪そ前にして,ひたすら女の愛執のおぞましさ.醜さを身にしみて感じるだけで,決して彼女の苦惱を理解し.慰めようとしないのである.結局.源氏から自分の氣持を理解してもらえないまま御息所は.斷ち切れない源氏への愛執のため次次と物の怪にならざるを得なかった.そして物の怪になり續け.その靈力によって自らの苦惱を余すところなく源氏に傳えた御息所はやっと源氏から解放されることができる. 六條御息所の物の怪は外見華やかに見える平安貴族女性の苦惱の象徵であり,男のあり方によって女の運命が左右される一夫多妻制下でただ自らの自我を抑制し.穩やかに男に從う生き方から脫皮しようとする女性たちの强い自主性への希求の表出であると思われる.

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『野ざらし紀行』における「秋風」

全英美

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.407-417

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4,200원

芭蕉の「わび」そ考える上で重要な作品として注目される「野ざらし紀行(1684~1685)の前半部において强い印象を與えている「秋風」の表現に注目し,「秋風」を文學傳統の上に把握しつつ,本紀行における「秋風」のイメ-ジを檢證していくことで.「野さらし紀行」の「わび」を新たに捉え直したい. 心が極限的を暗い狀熊をくぐり拔けたときこそ.最高に窮まったま命感や生の本質を强く意識することが出來るという芭蕉の「わび」のイメ-ジは.古典の中に育まれてきた.悲哀と救いをともにもたらす「秋風」の兩面的なイメ-ジが前提になっている. 和歌においてほ「万葉集」時代かう「古今集」の時代に至り,「秋風」の語に悲哀や哀愁のイメ-ジが定着してゆくが.一方.平安末期の連歌では.時代思潮の變化の中で佛敎的な無常觀が加えられ.「秋風」に宇宙の根本を見ようとする意識が生じてくるようになる. また「秋」は陰陽五行說で「西」に配されることから「秋風」は西方淨土への連想を誘い.謠曲では不安を取り除き.救いを與えるものとしてイメ-ジされるようになってくる. こうした傳統の上に「秋風」は.芭蕉の心境を託した重要をキ-ワ-ドになり.「わび」の世界を表現するための素材として巧みに用いられたのである.

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『太平記』에 나타난 勝者像 - 足利尊氏를 중심으로 -

최문정

한국일본학회 일본학보 제47권 2001.06 pp.419-437

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5,400원

足利尊氏は歷史上二度も反逆を起こした人物である.最初は鎌倉幕府の執權家の北條氏に叛逆を起し.二度日は後醍호天皇と對決して勝利を收めることによって室町幕府を開き將軍となったが.『太平記』の第一部では北條高時を惡人化することによって天皇に加勢し鎌倉幕府に反旗を번した尊氏の名分を强調しており,第二部では尊氏は朝敵になることを大層恐れて天皇との對決を極力避けようとしたこと,そして戰亂が勃發してからも北朝の持明院統を奉ったからこそ足利尊氏の勝利が可能であったというように『太平記』は慮構を仕組んで敍述している.『太平記』の敍述者は王法佛法相依の世界を尊重し.その存續を圖ろうとする立場にあったので後醍호天皇に眞っ正面に對抗しその勢力を奪い取った實存人物の尊氏を事實通り措寫せず.慮構を使って王法佛法を尊崇する尊氏像を作り出さなければならなかったと判斷される. 『太平記』の歷史敍述の基本方向は, 冥顯の二元的構圖として治亂興亡の歷史の推移を說明しようとするのが日立つ特徵である.いわゆる政道觀や神託,瑞相,故事,妖兆,怪異譚,怨靈譚,朝儀,佛供養,落書等の非戰鬪記事がそれ以降の戰鬪の經緯と結果を予告,暗示し,暗示の通り戰鬪の結果が決まるというような敍述方法をとっていて.歷史の推移が完全に天の意であったということを言い表そうとしている.そのような敍述の論調は比叡山の天治宗の座主であった慈円の冥顯論と相通じるものであり,そのような敍述論調には新しく權力を握った武家の正當性と執權名分を認.め.それを强調してはいるが.從來支配イデオロギ-として位置してきた王法佛法相依の理念を存續していこうとする意圖が强く反映されていると判斷される.

29

5,100원

漱石는 1910년 8월 24일 생사를 넘나드는 혹독한 삶의 갈림길에서 30분간의 가사상태를 경험하게 된다. 이 修善寺 大患에서 생사를 넘나드는 운명의 체험은 漱石의 심상 깊은 곳에 각인되어 지나온 삶을 반추해 보고 어떠한 삶이 바람직한 삶이며, 어떠한 문학이 진정으로 자신을 위한 문학인지에 대한 자성을 하게 된다. 당시까지 漱石는 안정된 대학교수직을 버리고 신문전업작가 기자로서 우여곡절은 있었다 하나 그 정도는 일반인들도 누구나 겪을 수 있는 보편적인 일들이다. 하지만 修善寺 대환의 경험은 생의 유한성에 대한 문제인 만큼 漱石에게는 커다란 충격임과 동시에 자신의 지나온 길을 반추해 보고 앞으로의 삶을 설계할 수 있는 기회 또한 주어진 것이 사실이다. 본고에서는 修善寺 大患 전후의 내적인 갈등과 번민 그리고 앞으로의 삶의 자세에 관하여 집요하게 체험의 의미를 분석하고 기록한『생각나는 것들』(33편)을 중심으로 생의 근저에 자리잡고 있는 동양적 심성의 超俗閑適의 風流心에 대하여 살펴보고자 한다. 漱石는 修善寺 대환을 겪기 이전『草沈』에서 동양과 서양의 미학과 시학의 대립 속에서 결국은 동양적인 세계에 보다 친밀감을 느끼고 있으며, 소설 전체가 동양적인 세계를 그린 陶淵明의 桃源境의 경지를 추구하고 있다. 이는 人情의 세계보다는 非人情의 세계인 동양 세계의 문학 즉 한시와 俳諧, 俳句 등 전통문학에 대한 동경을 그리고 있다. 이는 어린 시절부터 그의 한학에 대한 소양이 밑바탕에 놓여 있었기 때문에 가능한 일이지만, 漱石의 실제 삶은 매일 신문연재의 글을 써야하는 압박감과 독자의 반응에 대한 초조감은 그가 지향하고자 하는 삶과는 너무나 유리된 것이었다. 머릿속으로의 閑適과 桃源境의 경지를 추구하고 있지만 현실은 이와 유리된 俗化된 삶이었다. 이 속화에서 벗어나고자 한 것이 俳句며 漢詩의 세계이다. 이러한 속화로부터의 탈출이 생사의 갈림길에서 죽음의 체험이 가져온 선물이며, 俗化를 超越하여 沈潛의 세계인 閑適에서 생계를 위한 글쓰기를 극복하고 생을 관조하고 달관의 경지로 인도하게 한 것이 대환 때문이다.

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4,200원

무라카미 하루키는『1973년의 핀볼』을 발표하고 난 후 풀타임 전업작가로서 활동을 시작했다. 하루키 자신의 말에 의하면,『1973년의 핀볼』를 집필하는 과정에서 소설 만들기에 대한 자신감을 가질 수 있었기 때문이라고 한다. 본 논문은 하루키로 하여금 전업작가로 뛰어 들 수 있도록 자신감을 갖게 한「1973년의 핀볼」을 중심축에 놓고 그에 앞서 발표된『바람의 노래를 들어라』와 그 뒤에 발표된『양을 들러싼 모험』사이에서 엿볼 수 있는 소설 만들기 변화를 고찰한 것이다. 고찰 결과, 세 작품 사이에서 엿볼 수 있었던 하루키의 소설 만들기 방법들에는, `이야기성`을 더욱 역동적으로 담을 수 있는 쪽으로 지속적으로 변화가 있었음을 확인할 수 있었다. 그리고 그러한 변화를 가능하게 한 것은,『1973년의 핀볼』의 집필을 계기로 하여 하루키가 자신의 메세지를 사실 중심의 이야기를 통해 그 진실된 내용을 전달하고자 하는 태도에서 가치 중심의 이야기, 즉 당위성을 지닌 허구 세계를 통해 그 진실된 내용을 전달하는 쪽으로 소설 만들기 방법을 바꾸었기 때문이라는 것을 알 수 있었다. 또한 하루키가 가치 중심의 이야기, 즉 당위성을 지닌 허구 세계를 만들어가는 방법에 있어서도 작자의 문학적 상상력을 더욱 자유롭게 발휘할 수 있는 쪽으로 지속적으로 지향해 갔다는 사실을 알 수 있었다. 결론적으로 하루키는 초기 3부작을 통하여 표현이 더욱 자유로운 `로망스`적 양식에 삶의 진실이라고 하는 `소설`적 주제를 담는 쪽으로 소설 만들기 방법은 바꿔갔다고 필자는 판단한다.

 
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