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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제95권 (21건)
No
1

『日文譯法』의 일한번역 양상에 대하여

閔丙燦, 李知彦

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.1-12

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4,300원

本稿は、日本語を使いこなせる能力を有しているということが韓国内で誇りとなっていた時代に、日本語の文語文にたいする「訳法」の提示を一つの目的として著された『日文訳法』を取り上げ、そのなかに見られる日韓翻訳の在り方について検討してみたものである。とりわけ、その著者である林圭が「字義․用法이本国과異한者」といって傍点を附しておいたものや、その他の漢字語彙を中心として考察した。その結果、まず、日本語の漢字語彙を韓国語の固有語に訳したものは極わずかしかなく、それを漢字語に訳する際も、日本の漢字語をそのまま取り入れるのではなく、漢字を交替させるケースが少なくないということを確認することができた。次に、日本語の和語にたいしては、それを漢字語に訳したものが圧倒的に多く、日本語の動詞に当てられている漢字の場合も、対訳の段階でその交替が行われていることを確認した。以上の調査結果を踏まえると、『日文訳法』における日韓翻訳は、日本語をいかに漢字語の形で置き換えるかに集約されており、「凡例」や解説などに見られる「国漢文混用体」への翻訳を心掛けていたものと言ってよい。なお、その漢字語化の際に発生した漢字の交替を「韓国語の抵抗」と捉えると、交替の在り方およびその理由等についての考察が今後の課題となろう。

2

5,100원

本稿では、合口3等の甲乙の区別を有する仙韻、鍾韻、諄韻、祭韻、支韻、脂韻の6カ韻について、日韓漢字音の比較分韻表を作成して、呉音․漢音との比較を中心に韓国漢字音の合口3等韻における反映について考察した。一番基本的な反映を見せている牙音字を中心にその字音形を提示すると、次のようである。上の例から韓国漢字音における共通的な反映を引き出してみると、乙類は拗音性を省略してu․oをもって合口性のみを反映しており、甲類は合口性を省略してをjをもって拗音性のみを反映していることがわかる。また、仙韻乙類の-uən/l形と甲類の-jən/l形を通じて、韓国漢字音においては、合口3等韻の区別を基本的に、乙類はuをもって合口性を、甲類はjをもって拗音性を反映しているのみで、後部要素は同じであることがわかる。従って、鍾韻乙類の-oŋ/k形は、甲類の-joŋ/k形と比較してみると、韓国語の音韻体系上、-uoŋ/k形が成立しないので変わった形式として成立した字音形であることがわかる。また、支․脂韻甲類の-ju形も乙類の-ui形と比較してみると、韓国語の音韻體上、-jui形が成立しがたいので変わった形式として成立した字音形であることがわかる。また、祭韻乙類は、甲類の-jəi形と比較してみると、その対応形は-uəi形が望まれるので、-ui形はその母胎の異なる字音形であることがわかる。同じように、諄韻乙類も、甲類の-jun/l形と比較してみると、その対応形は-un/l形が望まれるので、-ol形はその母胎の異なる字音形であることがわかる。

3

4,800원

本稿は韓国や日本の小学校国語教科書を対象に揷畵に現れた社会․文化的な価値観を分析するのにその目的がある。社会․文化的な価値観は教科書の本文(Texts)や語彙、そして挿絵(Illustration)などを通して現れるが、本稿ではこの中で「挿絵」に注目する。挿絵の量的な比較はもちろん内容分析を通して、両国の国語教科書の社会․文化的な特徴を研究しようとする。分析においては学年群別に構成された韓国のカリキュラムに準じて低․中․高学年に分け、国語科や教科書の位相を段階的に細分化して挿絵の分析結果と連携し、その変化に注目する。小学校6年間の国語教科書(読み)の「挿絵」に現れた主人公、登場人物の性、男女の職業と親としての役割分担の違いによる性差と性固定観念、特定人物(偉人)の紹介、家族の登場類型と主人公の兄弟の順、伝統および異文化関連挿絵を通じた国家イデオロギーの実体がどうなのかを分析した。その結果、次のような特徴が明らかになった。1) 国語科に割愛した時間配当や比重は日本が多いが、高学年に上がるにつれ格差が少なくなった。反面、国語教科書の量は韓国が圧倒的に多く、高学年に上がるにつれ格差がもっと大きくなっている。2) ページ当りの挿絵の比重は韓国が高い。韓国は学習内容と関係のない挿絵や装飾効果のための挿絵を多く使っている特徴が見られる。3) 挿絵に現れた主人公を見てみると韓国は人物中心であり、日本は動物中心である。ただ、韓国は人と動物が一緒に登場する伝来の童話が多いせいか、そのような挿絵が多い。ちなみに、日本は自然物․説明資料の比重が高く、高学年に上がるにつれ、もっと高くなっている。4) 挿絵に登場する人物は両方とも男性が多く、成人においてよりひどい。職業を持つ人物を見ると韓国は男性が女性の5倍、日本は3.3倍に及んでおり、両方とも管理職や専門職など、ほとんどの領域において男性の偏りが激しい。5) 韓国は家族が登場する挿絵が多く、中には教科書の内容と直接関係のない例も少なくなかった。全体的に日本の3.5倍に及び、2․3世代家族の登場においても3.1倍に及んでいる。なお、主人公は長男(長女)である例が多く、これは子供たちに責任感を持たせようとする意図として感じ取られる。一方、日本はそのような特徴が見られなかった。6) 韓国は49名もの特定の人物(偉人)の紹介があり、その多くが政治․軍事․独立運動など、いわゆる「忠」に関わる国家イデオロギーが露になっているが、日本は人数も少なく(6名)、そのような特徴がない。7) 日․韓共に伝統と関わる挿絵の比重は高いが、異文化関連の挿絵は両国とも低く、課題として残っている。

4

4,800원

本稿では、李成圭(2012)の考察結果に基づいて、<ないでくださる>系列の普通体である<ないでくださる?><ないでくださらない?>を対象とし、これらの形式が使用される際の、話者の性別․聴者の性別․待遇表現上の人間関係․親疎関係を記述し、その使用実態および使用可能性について検討することにより、これらの形式が否定の依頼表現を担当する条件を具備しているかを考察した。同時に<ないでくださる?>と<ないでくださらない?>が実現する表現価値についても考察を加えた。考察結果をまとめると、以下のようである。1. <ないでくださる?>は、女性的な雰囲気を完全に排除しきれないが、言語的には男女ともに使用可能であるという点から、男女共用形式として位置づけられる。<ないでくれる?>の尊敬表現である<ないでくださる?>は普通体であるため、親しい間柄、あるいは親しい間柄であっても、聴者との一定の距離を維持しながら話者自身の品位を表出しようとするのに使用される。それから、<ないでくださる?>は同等あるいは目下に使用するという点から、<ないでくれる>系列の普通体より相対的に丁寧であるが、<ないでくださる>系列の諸形式の中で実現する表現価値は低い。2. <ないでくださらない?>は、文末に否定の形態を取っているため、肯定の<ないでくださる?>に比べ、聴者の権限が強く看取される。こういう点から<ないでくださらない?>は<ないでくださる?>に比べ相対的に女性的な雰囲気をより一層含意する。しかしながら、男性の使用可能性を積極的に排除できないという面において、<ないでくださらない?>も男女共用形式として規定されうる。<ないでくれない?>の尊敬表現である<ないでくださらない?>は普通体であるため、親しい間柄の同等あるいは目下に使用される。<ないでくださらない?>により実現される表現価値は、肯定の<ないでくださる?>に比べ相対的に高いが、<ないでくださる>系列の丁寧体表現である<ないでくださいますか․ないでくださいます?․ないでくださいませんか․ないでくださいません?>に比べては低いと解される。

5

日本語のガ格対象語構文研究 ― 非対格性の仮説の適用 ―

韓靜硏

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.63-74

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4,300원

本稿は、対格言語である日本語においては例外的な現象であるガ格対象語構文が、非対格性の仮説に基づいて分析できることについて検討する。ガ格対象語構文を構成する述語は、すべてが非対格述語として規定できるのであるが、非対格述語は主語がコントロールできない事柄を表すという点において共通している。コントロール性を持たない主語は、動作主になることができず、動作主でない主語は外項になれない。ところが、外項を持たない述語は対格を与えることができず、一般的には対格を与えられる対象を表す名詞句は、非対格述語を述語とする場合は対格を与えられることができない。このため、非対格述語における対象を表す名詞句は、格を与えられることのできる位置へ移動しなければならず、移動することによって主格を与えられるようになる。このように非対格性にはコントロール性が深く関わっているのであるが、コントロール性の程度の違いによっていくつかのバリエーションが作られる。ガ格主語とニ格主語の交替、ガ格対象語とヲ格対象語の交替などがそれであり、これらのバリエーションはコントロール性の程度の違いによって説明することができる。

6

4,900원

本稿は日本近代における言文一致体小説の開祖と称される二葉亭四迷の『浮雲』 を対象にして言葉の表記について考察したものである。特に、『浮雲』は言文一致の実現への試みとして俗語本位に書こうとした二葉亭が、俗語としての性格を傾向的に強くもつ語彙であるオノマトペはどのような表記法を選んだのかに着目し、その表記様相を考察した。まず、全体的に漢字表記率が徐々に減少の傾向であり、実際に漢字使用の制限として言文一致を実現しようとする作家の試みが分かった。しかし、オノマトペの漢字表記率はわずかであるが、増加を見せ、原因として登場人物の心情表現のため積極的に用いたと考えられる。第二に、仮名表記において第一編では、平仮名と片仮名両方で表記、第二編では片仮名で、第三篇では平仮名だけで表記された。「擬音語は片仮名で、擬態語は平仮名で表記するのが基本」という原則とは関係せず、明治期にはこのような使い分けの認識は無かったのを表す。第三に、中国語の造語法に起因する漢語オノマトペと振り仮名との関係は一様ではなく、殆んどが物の状態や生物の動作なのを言語音で描写する擬態語である。また、振り仮名を通じて朗読すると同時に視覚的には漢字を通じ、実質的な内容を把握できるよう工夫を凝らしてのである。第四に、「-然」「-々」型の漢語オノマトペに字音語の振り仮名をつけた用例は、『浮雲』以後の作品でも字音語で用いる方が優勢ということで、これは二葉亭四迷の言文一致の規則である「日本語としての資格を得ている漢語」であり、従って固定化する傾向であると言える。第五に、漢字と仮名、両表記で現われた用例をみると、今はオノマトペとしての認識が薄れた「ふ(と)」「ちょい(と)」「ちっ(と)」などは漢字の音を借りた表記であって、こういう場合は仮名表記を多く用いた。

7

번안에서 창작으로― 구로이와 루이코의 『무참』 ―

김계자

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.91-100

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4,000원

In the late 19th century, Japanese government towed the modernization of Japan by translating enormous amount of European books to accept the advanced products of Western civilization. As a result, in the 1880's, the trend of pragmatism spread out over almost parts of literature. European detective novels regarding science and realism were highly translated and introduced into Japanese society. The person who became the spearhead of this trend was Kuroiwa Ruiko. He was a journalist, so his translation aimed the readability of Japanese, rather than the accurate translation of text. So, he adapted the original text. His attitude of adaption brought the creation of the first creative detective novel of Japan in the train, Miserable. Of course, there were translators in contrast with Kuroiwa Ruiko. For example, Aeba Koson pursued concise interest by shortening the original text, and Morita Shiken aimed the pursuit of accurate translation of original text. Likewise, there were different styles of translation. However, these seemed the variations of acceptance and transformation of advanced Western civilization. The narrative of Kuroiwa Ruiko's novel Miserable shows one aspect of characteristics of modern Japanese literature which imitated and accepted Western civilization.

8

夏目漱石の国家主義に対する態度についての一考察(1)

夫伯

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.101-121

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5,700원

列強対等の一等国を目指す日本の近代化は、多量かつ自我の弱い低廉な労働力と精強な軍隊を必須とする富国強兵を核心的な国策とし、君主国体の法体制․忠君愛国精神の涵養教育․家の制度の温存化などによる天皇制の強化を通じて、個人を過度に抑圧し没我に向かわしめていた。 日本の近代化の始まりとその誕生をほぼ等しくし、国家による個人への抑圧と葛藤と弾圧の時代を生きた夏目漱石は、英国留学の時期に国家主義の現実的具現である富国強兵政策と対峙する厭戦的かつ反資本主義的な認識を深め、英国留学から帰国後した後に、主に創作活動を通じて、その実践的な言動を取っている。要するに、漱石は国家主義に対して反発的な考え方を持つ作家であったと言えるのだが、しかしながら、その態度は慎重かつ巧妙すなわち韜晦的でもあり、『三四郎』と『それから』が創作される1908․9年頃を軸に転換の様相を示すものと理解される。本研究はこの時期を中軸にして前期と後期に分かれ、本稿では前期における国家主義に対する彼による態度が変化していく事象を考察し検証ている。

9

4,900원

本稿は「メロドラマ」というジャンルの生命力と再生力の本質を探るため、そのケース・スタディとして菊池寛の『東京行進曲』を選択した。菊池寛は昭和初年代の新聞、映画、婦人雑誌などのメディア拡張の環境のなかで、それぞれのメディアの特性に合わせて通俗小説を発表することで大衆の欲望を描き続けた。『東京行進曲』の小説と映画とではその結末において差異がみられる。映画は道代を視点人物に据えることで家父長制の桎梏で犠牲を強いられながらも貞操を失わない「新派」的人物を描く反面、小説は早百合と道代の人物像を対比的に交差叙述することで「封建」と「近代」との価値観の対立を明確に描いている。それによって、小説では早百合は女性の主体性を獲得していく「モダンガール」として描かれていく。どころが、小説と映画、また音楽はすべて封建と近代の時代的拮抗のなかで葛藤する女性の生き方を描く点においては共通点があり、それは本質的に「メロドラマ」の特性に収斂される性質のものである。このような菊池寛の通俗小説世界は昭和初年代の日本社会に限られることではなく、家父長制的道徳律が残り続ける現在の韓国社会においても当てはまる話であり、ここに菊池寛文学の生命力があるのである。

10

소세키 문학 속의 다문화 양상― 『산시로(三四郞)』를 중심으로 ―

윤혜영

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.139-148

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4,000원

本論文では 『三四郎』に描かれている田舎と都市、日本的なものと西洋的なものが共存する東京を舞台にして、当時の日本社会の様相を検討し、このような様々な文化の中で生きている人物に注目し、考察してみた。まずイギリスでの漱石の文化ショックが三四郎にそのまま投影されているという観点で考察してみた。熊本出身の初心な青年三四郎は上京する汽車の中で田舎、田舎人とは異なる西洋人と東京人に出会って驚く。そして東京では都会の激しい動きと変化ぶりに期待を持つというよりも、ただ驚きと不安を感じる。結局三四郎は新しい文化に適応することができず彷徨するだけであった。また当時は日本政府の 「富国強兵」と 「殖産興業」政策下で多くの西洋人が日本に滞在していた時期であり、 『三四郎』にはそのような現実が反映されている。作品中に登場する西洋人は話の自然な流れを誘導する役割を果たしており、漱石の人種的な劣等感と英語に対する劣等感及び関心が西洋人の登場の際、歴々と披瀝されている。こうした社会的な雰囲気の中で野々宮と美禰子は西洋志向的な人物として描写されている。野々宮は西洋でも名が知られている科学者であるが彼の現在と未来には孤独という暗い影がさしている。また美禰子は外面的には近代的な面貌を備えているが、そのスピードに追いつくことのできない内面の問題が彼女の突然の結婚を通して提起されていると言える。すなわち、田舎と都市、日本と西洋という様々な文化が共存する社会の中で自分の進むべき道を失い、アイデンティティの混乱を引き起こす人間群像が 『三四郎』の中に凝集されているのである。

11

李良枝『由熙』考─在日同胞の抱える矛盾と葛藤を中心に─

李在聖, 金潤純

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.149-159

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4,200원

李良枝の『由煕』は、在日同胞女性の由熙が韓国に留学し、自分のアイデンティティーを求めてもがく姿を韓国人女性オンニの視点から描いた小説であるが、本稿では、由煕がアジュモニに日本語を教えることを拒否したことに注目して、彼女にとっての日本語とは何であったかについて考察し、作者の李良枝が、在日同胞が母国に対して持つ一種の優越感にまで切り込んだ点に注目した。母国に憧れ、一歩でも近づこうと努力する一方で、母国に優越感や不満を感じてしまう在日同胞の内面の矛盾と葛藤は、単に李良枝個人に限るものではないということを、李良枝は確信していたという。李良枝は、由煕が体験した危機と挫折を冷静に観察し、分析することにより、それらの問題を乗り越えようとした。また、李良枝は、本国生まれの人物であるオンニの目で在日同胞の姿を描くことに挑戦したが、本国人の気持ちや立場を多少なりとも理解できるようになったことにより、自分自身を客観化することができたことは、李良枝にとっては小説技法上の問題を越えた重要な分岐点、転換点を意味していた。李良枝は『由熙』の主題を、あらゆる立場の人々に共通の人間の実存の問題にまで普遍化しようとしたと言うが、困難に遭遇してもそれを正面から見つめて乗り越えていこうとする彼女の姿は、まさにあらゆる人間にとって生きていく上で必要な共通の姿勢なのかもしれない。小説『由煕』は、在日同胞である李良枝が手探りでその生き方を模索した軌跡であり、また理想と現実の間でその乖離を克服していこうとするひとりの人間としての苦悩の軌跡である。

12

4,600원

本論文は日本文学史の枠組みから大作家や主要作品として認められている文学作品の中で朝鮮へと移動する日本人の様相がどのように描かれているのかを分析し、既存の<明治文学史>という境界を越境․拡散させるべき論理を辿ったものである。20世紀の初め頃、朝鮮で刊行された<日本語文学>の大きなテーマの一つは「内地」日本から「外地」朝鮮への移動に関する物語である。しかし、日本で創作された、所謂<日本文学史>の「正典」に当たる作品では「内地」から植民地に向かう当時の時勢をいち早く描いてはいても実際そこに渡った日本人の生涯は全く再現されていない。実際、朝鮮や満州に渡った「内地」日本人の物語はこのように<日本文学史>では抹消されているが、当時韓国で発行された様々な日本語新聞と雑誌に掲載している文学作品にその全貌が記録されている。この意味で朝鮮に渡るプロセスやその以後の生活は朝鮮で刊行された<日本語文学>を読まないと、その真相の基本的な情報さえもわかることはできないだから<日本文学史>における「渡韓」物語は断絶․分節化されており、植民地主義に伴う「渡韓」する日本人という歴史/物語の全貌は知り尽くすことができない。この時期<渡韓>物語の全貌を探るためにも「内地」で刊行された正典だけではなく、日本の外で刊行されたものも<文学史>の一領域として位置づけるべきである。それは既存の日本の<明治文学史>を乗り越える新しい<日本語文学史>という領域の構築に当たるであろう。また、本論文では1912年まで朝鮮で刊行された日本語雑誌の中で日本語文学が載せられている雑誌の数もすでに知られている数よりももっと多いことを提示している。

13

4,800원

二代目岳亭関連著編述書目年表稿構築の一環として、書誌学的研究方法を以て岳亭梁左期の切附本創作歴を考察した。具体的には、安政期である1858年から1860年まで刊行された四種を主軸として、刊年不明にて書誌的課題が残る切附本三種『執讐海士漁船』、『日向景清一代咄』、『伊達黒白鑑』の刊行時期を推考した。その結果、切附本『釈迦御一代記』の合作者としての岳亭、鈍亭魯文作袋入本『報讐信太森』․『忠勇景清全傳』․『英雄成生功記』の序者としての岳亭の面貌を浮き彫りにすることで、戯作者としての登壇間もなかった岳亭はこの草創期において魯文の力を借りて成長したことが窺えた。且つ又、切附本『執讐海士漁船』․『日向景清一代咄』․『伊達黒白鑑前傳』の刊行時期を推定するにあたって、戯号や改印、序文年記、奥付広告、奥付喉をヒントにすることで、これらは少なくとも安政五(1858)年以降、文久三(1863)年までの刊行範囲に収まるであろうということを具体的な証例を挙げて推察した次第である。

14

『日本書紀』の中の任那― 任那という国号をめぐって ―

金靜希

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.191-199

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4,000원

『日本書紀』の任那記事を取り扱う際に、もっとも多く表れる用語は「虚構」という二文字である。「虚構」と言ってしまうのは簡単であるが、ほとんどの場合、なぜその「虚構」を作ったのか、テキスト全体からテキストに遍在する論理を説明しようとしない。本稿は『紀』が「正しくない」と言うものでもなければ、「正しい」と言うものでもない。史実を問い、その真偽を問いただす前の、いわば前提となる<テキストそのものの意図する論理>を明らかにする立場だということである。特に本稿は、任那の国号を取り出して、任那の記事がなぜそう語られたのかという語りの所以を『紀』全体の世界観の中で究明しようとしたものである。『古事記』は天皇治下の世界の起源と関わる韓を語ろうとしているのに対して、『紀』の関心はいかに天皇の支配秩序に朝鮮諸国が収まるのか、それにあったと思われる。その中でも『紀』は任那を天皇の名を負う天皇直属の民として、天皇への調役を担うところとして位置づける。そのため他の朝鮮諸国とは違って、任那の国号の所以と、意富加羅国(ミマナ)の王子の帰化が国の最初の支配者と呼ばれる崇神と結び付けられ、任那の滅亡より任那の官家の滅亡が重んじられ、名代の廃止のある孝徳紀に任那の調が廃止されるのである。『紀』はこのように国号をもって最初に日本と任那という国の関係ではなく、天皇と属民の関係であることを打ち出しているのである。

15

바쇼(芭蕉)와 도호(土芳)의 하이카이문학을 통한 교류에 관한 고찰

許坤

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.201-213

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4,500원

土芳は伊賀蕉門開拓の當時から蕉門の中心人として活躍した芭蕉の代表的な門人の一人である。芭蕉の蕉門俳諧での土芳の功績と言えるのは師匠である芭蕉の俳諧の継承と発展と言えるのである。大体の蕉門の弟子たちは芭蕉の死後、自分の生活のため蕉門から別れていたが、土芳は独身生活をしながら俳諧世界だけを追求し、師匠の俳諧を発達させるため邁進したのである。彼のまじめな性格は、ひたすら一道を追求しつつあった芭蕉のように一生を俳諧とともにしたのである。そのように俳諧師としての道を歩むにやまなかった土芳は結局、蕉風の眞髓を理論的に整理させて芭蕉の晩年の俳諧観と主張が充実に反映させていることによって芭蕉の俳諧觀を研究するにおいて『去來抄』とともに絶対的な価値を認められている俳論書である『三冊子』を編纂するにいたったのである。そして芭蕉の俳諧の大事な美的理念である「不易流行」と「軽み」を継承発達させるにおいても大事な役割を果たすようにしたのである。芭蕉は多くの門弟の中でだれよりも深い愛情をもって土芳と交流を続けていたのである。そして芭蕉は自分の作品の中で土芳について大変愛情を込めて人間的な姿で描写している。土芳もそのような芭蕉の人間的な信頼を背負って芭蕉の生前は言うまでもなく芭蕉が死んだ後も最後まで残って師匠の道を見守りながら俳諧師としての道を歩み続けたのである。

16

해방이후 한국의 독도정책― 일본 의회 독도 속기록을 중심으로 ―

곽진오

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.215-226

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4,300원

This paper analyzes Korea's past Dokdo-related policies. After the Korea War, from Rhee Seungman to Lee Myungbak, 10 presidents took power. This paper deals with the Dokdo-related policies of Rhee Seungman, Park Chunghee, and Roh Moohyun administrations. It is because during these three periods, many references to Dokdo were found in the Japan Diet's stenographic records. This paper analyzes how Korea's Dokdo-related policies have been dealt with in Japan Diet's stenographic records. According to the Diet's stenographic records, Japan has aimed to strengthen its claim over Dokdo through the abolishment of the Peace Line during the Rhee Seungman administration, through normalization of diplomatic relations and bringing suit to the ICJ during the Park Chunghee administration, and through internationalization of the Dokdo dispute during the Roh Moohyun administration. On the other hand, Korea has continued to regard the Dokdo issue as a historical issue not a dispute, and has ignored Japan's claims over Dokdo. Thus, Korea's Dokdo-related policies have been focused on domestic publicizing and claims based on historical evidence, while Japan's policies have been focused of international publicization through bringing the case to the ICJ.

17

일본의 전략적 ODA 정책변화 분석― 과학기술분야를 중심으로 ―

김영근

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.227-244

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5,200원

Recently, the international aid communities have been actively discussing the broader aspects of the effectiveness of aid by improving the quality of development effectiveness. Especially after Korea joined the OEDC DAC (2009-11), developing countries have increasingly sought the know-how of Korea's science and technology policy. As such, establishing the policy, including the expansion of the ODA in the arenas of science and technology, is necessary. Therefore, it is useful to examine the implications for Korea by studying the successful and failed cases of science and technology ODA of Japan, one of the major advanced countries. After analyzing the trend of Japan's aid policy in the area of science and technology, it was understood that Japan is examining the allocation of aid, and re-examining the functional aspect of the aid for the effectiveness of its operation. Based on these facts, implications for Korea's ODA business strategy can be drawn from Japan's ODA business status analysis. Firstly, examining Japan's economic growth (or economic cooperation with Asia) illustrates that aid systems should be constructed to follow an open regional cooperation systems, instead of export-led aid systems. Secondly, mutually beneficial system (model) construction is urgently needed. Thirdly, the effectiveness of ODA diplomacy should be maximized by developing a program that will train human resources, who will lead the ODA diplomacy in the area of science and technology. Lastly, the development of science and technology in ODA target countries (such as North Korea, which has been neglected) is also necessary.

18

도쿄만 매립지의 경관과 표상― 1980-90년대 집합의식의 양가성 ―

김은혜

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.245-256

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4,300원

この論文は、1980-90年代、バブルから長期不況への転換する中、「東京湾・埋立地」の景観と表象を通じて、日本社会が持つ集合意識の両価性を分析した。東京の人々は、埋立地を通称して、「夢の島」と呼んできた。東京湾・埋立地は、歴史や記憶が蓄積された空間として、「近代性のナラティブの系譜とアレゴリー」を持っている。80年代バブル時代、都市再開発ブームは、都心と東京湾に沿って、超高層ビル群を建設してきた。90年代初、バブルが弾けた後、一時的に開発を省察する政治的局面が出現した。しかし、開発による新しい景観は、メディアと一体化して、人々に慣れてきた。都心と臨海副都心(「お台場」)を連結する「レインボーブリッジ」は、新しい眺望を作り出したが、歴史的な眺望地点を隠してしまった。当時、建設中だった臨海副都心を走る無人電車「ゆりかもめ」は、巨大な「遊び乗り場」のように軽く消費された。「FujiTV本社」の建立以降、「お台場」を背景に制作されたドラマや映画などは、不況と改革時代であった90年代の大衆の感性と結合され、大きな人気を集めた。その結果、長期的な展望が不在した開発の再検討過程は、人々にとって、諦念を与えて、むしろ政治的雰囲気の保守化をもたらした。80年代から始まった「メディア・アートと結合する開発手法」が定着して、現在の東京都心の姿を作り出した。現在、2020年、東京オリンピック誘致計画の主要会長である東京湾・埋立地は、新しい建設ブームが予告されている。今後とも、東京湾・埋立地の景観と表象が持つ集合意識の行方は、政治的・文化的な観点で注目するべきことである。

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4,300원

80年代の日本の外交は、対外的には、軍事的な側面でアメリカとの同盟国としての日本の役割再検討をはじめ、国際関係における「誠」を尽くす外交路線の持続、文化的․知的に国際社会に貢献する国づくりの政策方向設定、政治․外交的側面におけるグローバル․リーダーシップ追求、対内的には日本精神と国家意識の涵養など、対内外的に「強い日本」の「国際化」戦略を強力に推進した。新たな日本の外交戦略は、国際社会で着実に成果を上げていた。対米外交を軸に先進諸国との連帯と協調路線強化を通じた影響力増大、アジア․太平洋外交における政治的役割強化と日韓、日中関係の再定立、その延長線上でAPEC成立に至るまで、主導的役割と援助大国の地位獲得、そして前川レポートの発表と東京サミットの成功などは、日本が「国際国家」としての影響力拡大を現実化した象徴する出来事であった。80年代にはいって繰り広げられた「自主的」で「積極的」な外交活動とその成果は、日本に大きな自信感をもたせ、明治維新に次ぐ「第二の開国」を日本社会に叫ぶほどであった。以上を踏まえ、本稿(前編)ではポスト冷戦時代の文化外交の推移と特徴を把握するための時代的背景(90年代の日本の文化外交が日本をめぐる国際情勢の変化にいかに対応していくのか)として、まず、冷戦の終焉を前後にして展開された日本の外交戦略が、国際情勢の構造的変化によっていかに屈折されてしまったのか、その過程で文化外交を強化すべき背景はいかなる形で表れるのかなどを具体的に分析した。

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일제강점기 조선인의 가라후토 이주― 1920년대를 중심으로 ―

鄭夏美

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.269-281

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樺太の韓国人人口は多様な経路と動機によって増加してきた。その具体的な数字は樺太庁の統計資料や行政資料によって短編的に知られていたが、本稿はそれらを網羅し、移動の傾向と変化の様子を明らかにした。具体的な資料に基づいた研究が乏しい中、基礎資料として提示し、活用可能にしたことに研究の第一義的意義があると思われる。また、その結果1920年代にひとつの転機があることを確認し、そこにみられる時期的特徴や変化の転機について、多様な資料を使い、動機と経路を明らかにしようと試みた。とりわけ朝鮮総督府が関係機関に送付した行政文書の中に問題の端緒があることを指摘しその文書を解読することで実像を把握しようとした。

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식민지 조선의 초등산술교육― 소학교 설치시기를 중심으로 ―

홍진곤, 박삼헌

한국일본학회 일본학보 제95권 2013.05 pp.283-295

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本稿では植民地朝鮮の初等教育の中で、算術教育がもつ教育学的な意味を分析した。分析対象は、1938年第三次朝鮮教育令によって植民地朝鮮に「内地」と同じく「小学校」が設置された時期の算術教科書である。分析結果、この時期の初等算術の教科書は、当時の「修身書」や「国史(日本史を意味する)」等が「帝国日本」の「臣民」として持つべきの「道德」を学習させる科目であれば、算術は、植民地朝鮮人が「臣民」だけではなく「公民」としてももつべきの基礎的な素養を学習させる科目であった.そして、こうした意味で、初等教育における算術こそ、「同一と差別」という日本の植民主義を明確に表す科目であったと評価できるのである。

 
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