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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제81권 (23건)
No
1

4,500원

This paper discusses “reason expressions” which appear in refusal expressions of Japanese university students and Korean university students. The results of Role Play Tests show: 1. Both Japanese and Korean mostly use mutual face of the refuser's positive face and the requester's positive face, together with accompanying reason expressions which state the their situations. 2. If the requester is older than the refuser, Korean university students mostly use reason expressions which mention things unrelated to the participants for refusing. 3. Both Japanese and Korean mostly use reason expressions involving conjunctions (kara, node, te) or ones without conjunctions. 4. Japanese university students use reason expressions involving conjunctions (kara, node, te). This tendency is stronger when the requester is older than the refuser. 5. Korean university students use reason expressions, with conjunction (kedo), which mention things unrelated to the participants. The combination of this kind of reason and conjunction is not found in Japanese.

2

「漢語する」に対応する韓国語の漢語動詞の体系

金庚洙

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.15-30

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4,900원

日本語では「漢語する」という形式で統一される述語形式が存在するのに対し、韓国語では「漢語하다」と「漢語되다」及び「漢語가다」という3つの類型で構成される述語形式が存在する。しかし、従来の研究では、このような構成関係を成している漢語動詞の対応関係に対して、韓国語の場合、主に「漢語하다」と「漢語되다」の場合に限って分析し、分析に対しても各々独自の原理を提案しているが、いずれも説明しきれない問題を残している。そこで本稿では、「되다」形の受動から自動詞への拡張という新たな原理を導入することにより、従来の研究の問題点を一括して説明することと、また韓国語の「漢語하다」と「漢語되다」の関係の他、「漢語가다」も射程に入れて、日本語と韓国語の漢語動詞の対応関係を明らかになる。より具体的に言えば、中世から近代初期までの韓国語では「漢語하다」という統一された形式が使われていたが、19世紀末から「漢語되다」という形式が現れ始め、20世紀からは「漢語되다」の用法が増加する現象をみせる。このような「하다」と「되다」の変化は非常に漸進的なことであるが、その変化は一回限りで完結した現象ではなく、連続的なものである。つまり、「하다」の機能が縮小化(narrowing)され、やがて新たな≪漢語形式≫を導入するに至る。それが「漢語가다」であることを示すこととする。

3

現代日本語における「した」「もと」の意味と機能

方允炯

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.31-40

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4,000원

本稿は現代日本語における「した」「もと」の意味と機能について分析․考察したものである。本稿では「した」「もと」の全体像を捉えるために、名詞接続の場合と動詞接続の場合に分けて記述を行った。その結果をまとめると以下のようになる。 現代日本語における「した」と「もと」は、「空間を表す」という〈形式名詞〉としてのはたらきが本来的にあるが、「もと」には〈後置詞〉化したものや〈接続助辞〉化したものも見られる。 第一に、「した」は名詞接続―空間性がある場合のみを持っている。この場合は格関係が揃っており、〈形式名詞〉といえるが、原則的にゼロ格は用いられない。そして、基本的には具体的な空間を表す。また、モノ名詞を《空間化》し、空間性を持たせることがある。 第二に、「もと」は、①名詞接続の場合―空間性がある場合、②名詞接続の場合―空間性がない場合、③動詞接続の場合の3つに分けることができる。 まず、①は〈形式名詞〉と位置づけられるが、とりうる格はいくぶん限られる(ニ格・デ格・ヲ格・ヘ格のみが見られた)。そして、基本的には人․組織の存在する抽象的空間を表す。 次に、②は〈後置詞〉化したものとして位置づけられる。そして、形が限定される(「~のもとに」「~のもとで」「~のもと」)。「~のもとに」は条件․理由․根拠などの論理的な関係性を表す。「~のもとで」は状況を表す。特に《社会的状況》を表す場合が多く見られる。 最後に、③は〈接続助辞〉化したものとして位置づけられる。形が限定され、現段階では「~もとで」の用例しか出現していない。

4

4,000원

本研究は従来の研究ではほとんど考慮されることのなかった相互行為の観点から文末スタイルシフト(同一会話内における基本スタイルからの一時的な逸脱や復帰)を捉えたものである。 本研究では申(2007)で指摘した「同調」、つまり相手の文末スタイルシフトに連動し同一方向へシフトが起こる現象に着目し、その生起環境を考察した。その結果、「同調」は、話題を変えるための先行話者の質問や自己開示に対する答えや反応、確認のための質問に対する答え、「詳細説明」に対する「反応」、意見や結論に対する賛同を示す際に頻繁に観察された。つまり、直前の発話と形式的あるいは意味的に関連がある場合に「同調」が起こりやすいことが明らかになった。 また、「同調」の方向を決める先行シフトにおいては、「話題の展開」、「話題の移行」と文末スタイルシフトの方向が連動している可能性を指摘した。

5

4,000원

韓国語を母語とする学習者に対し、現代日本語の「シテイル」について教育する際は、本論文の中でまとめたような<一般化Ⅱ>及び<一般化Ⅲ>に基づいて行われるのが最も一般的であろう。しかし、本論文では、例(2)などの存在を鑑みた場合、その教育内容は次のように修正すべきであることを主張した。 ●「シテイル」の意味․機能については、基本的には、日韓両言語における<一般化Ⅱ>及び<一般化Ⅲ>の対応関係を考慮にいれて教育を行う。 ● (2)(3)(4), 及び(6)~(9)のような文は、場所的な意味を表す名詞句が、主語に主題化した構文であり、文全体的には、主題化した名詞句に対する屬性․特性を表す意味となる。 ●「場所(相当)名詞句」が主題化した文は、主題化と同時に、動作主の背景化といった派生過程も伴われるので、「受動文」とかなり類似した構文的特徴をもつ。したがって、韓国語に訳する場合は、「受動文」的な特徴を十分考慮しなければならない。

6

蟹攝 3等甲類 祭韻의 吳音形에 대하여

이경철, 송재한

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.59-70

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4,300원

蟹攝3等甲類の祭韻は、漢音では一括して-ei形に現れるので、他の韻の場合と同じように、吳音でも同一の-ei形に現れると予想されるが、實際、吳音の場合は、-ei形以外に、-ai形と-e形が混在して、三つの字音形が出現する。本稿では、蟹攝3等甲類の祭韻に現れる吳音の三つの字音形について考察した結果、次のような結論に至った。 1)-ei形は、中古音-iaiが二つのi母音の間で主母音が前舌化した[jei][jɛi]を反映した表記で、実際は、-jeiとして反映したものであると考えられる。 2)-ai形は、主母音を反映しながらも、二拍表記を維持するために、拗介音iを捨象して二拍の直音表記に置き換えた結果であると考えられる。 3)一拍の-e形は、(1)古音の影響による一拍表記と(2)i韻尾脫落乃至、弱化方言の影響という二つの要因が考えられるが、(1)が主な原因になり、(2)の影響も加わった可能性があると考えられる。 従って、三つの字音形のなかで、古音に影響された-e形が一番古層で、次に、-ai形、-ei形に次がれると見られる。但し、それには、母胎音の時代的變化が大きかったわけではなく、これを日本人がどう受け入れるかという日本人の受容態度がもっと作用された結果であると考えられる。

7

日本語のスタイル切換え項目の習得順序に関わる要因

李吉鎔

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.71-85

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4,800원

日本語学習者が日本語母語話者とのコミュニケーションの中で円満な人間関係を築き、維持するためにも、ことばの適切な運用を捉えた社会言語能力の習得は緊急を要する。本稿は、日本語習得研究においてこれまであまり注目されることのなかった学習者のスタイル切換えという社会言語能力の習得に焦点を当てた事例研究である。本稿の目的は、学習者がスタイルとして認識し切換える言語項目の全体像を究明し、スタイル切換え項目の習得順序において母語と目標言語の果たす役割を明らかにすることである。日本語学習者を対象として横断的․縦断的に収集した談話資料を用いて、音韻․語彙․文法․文体項目など、個別項目において明らかになってきた一連の成果を統合し、考察を行った。その結果、学習者のスタイル切換え項目の習得順序は、まず、母語と目標言語の重なるところで行われ(応答詞)、次に、母語の社会言語的規範を参照しつつ(丁寧形式と普通形式、逆接表現、など)、目標言語形式を材料にして習得していく(方言形式、終助詞、など)というプロセスであることが明らかになった。こうした切換え項目の習得順序には、次のような言語外的要因が関与すると考えられる。 (1)学習者のスタイル切換えに対する強い欲求による過剰意識の表出:これにより、習得が早まるが、日本語における場のフォーマリティの捉え方を拡大し、発達途上の過剰般化を起こすこともある (2)学習者の自己アイデンティティー表出欲求の反映:したがって、個々人のパーソナリティにより習得の度合いが異なり得る 以上の結果は、日本語と韓国語との構文論的類似性や両言語ともに複雑な敬語体系を有している点、ことばの運用上の規範の近似性などによって示されたものと理解される。

8

4,500원

本稿は準備の意味を表すといわれる日本語の「してある」「しておく」と韓国語の「해 놓다」「해 두다」に関する対照研究である。この4形式は準備という共通性があるものの、詳細は異なる性質を有しており、その違いを捉えるのは簡単でないようである。本稿では、主として動き自体が発話時以前に成立しているような場合を中心に論じているが、これはこのような文脈における4形式の使い分けが問題になってくるからである。本稿の主張は次のようにまとめられる。 まず、本動詞から補助動詞へ変化が捉えられるが、「しておく」と「해 놓다」「해 두다」は本動詞「置く」「놓다」「두다」の意味を保持している。 また、意図性と関連して、この4形式は動作主体が何らかの目的をもって行う行為に用いられるが、「해 놓다」は他の3形式と異なり、非意図的行為にも用いられる。 さらに、日本語の「してある」「しておく」には人称制限が働いており、1人称主語に限られるが、韓国語の「해 놓다」「해 두다」には人称制限が働かない。この人称制限は韓国語の「해 놓다」「해 두다」が「してある」「しておく」ではなく、他の言語形式に訳される要因になっている。 最後に、日本語は単なる状態変化もしくは状態維持には「しておく」の過去形が「してある」より用いられやすい。 本稿は日・韓対照の観点から「してある」「しておく」と「해 놓다」「해 두다」の違いを捉えているが、本稿の成果は日本語教育の現場で応用できるのではないだろうかと思われる。

9

中古における「うつくし」の意味に関する一考察

黄龍夏

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.101-110

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4,000원

本稿は、古代語感情形容詞「をかし」とその類義語の意味․用法の全体的総合的な研究の一環として、また全体的な史的推移の傾向と意味体系の記述の糸口として、中古における「うつくし」の意味を中心にその詳細な意味領域を考察した。上代と中古における「うつくし」の意味領域を調査․考察した結果、次のようなことが「うつくし」の意味特徴として明らかになったと思われる。 第一、上代の『万葉集』における「うつくし」の意味は、全用例のすべてが①「可愛い、いとしい、愛らしい」の意味領域として解釈されることと、その用法と共にごく限定された意味․用法に用いられていることが明らかになった。 第二に、中古における「うつくし」の意味分析では以下のことがまとめられる。 ①上代の「うつくし」の意味として用いられた「可愛い」類の意味領域が第一の意味として八割以上を占めるが、新しく「きれいだ」類と「見事だ」類の意味が加わり、中古からは「うつくし」の意味拡張が見られる。 ②「きれいだ」類は「人間活動の主体」と「人間活動」に関する対象について多く見られ、「人間活動」においては人の様子を形容する場合が特に多いこと、「見事だ」類の意味領域は「人間活動の主体」を除いたすべての項目に見られることである。 ③平安時代を前期と後期に分けて考えると、平安前期の『落窪物語』当りからすでに意味変化の兆しが見られ、『宇津保物語』からは「見事だ」類の意味領域までに新しい意味拡張がおこる。さらに、これは用法の変化とも関係する。 しかし、「うつくし」から派生した複合形容詞「心愛し」とか、複合名詞、同じ語幹を持っている名詞や動詞などのような派生語までも取り入れたより幅広い考察が求められるが、今後の課題として残されている。

10

4,000원

As follows is the summary of what the writer has analyzed. First, although the uneasy images expressed in the two works, 「The Eighth Night」in 『Ten Nights of Dream』 and 『Kusamakura』, are different in each, Nastume Soseki wrote the work through a medium of Dream, showing the barbershop is the place where a barber shaves parts around his customers' chins with a razor, which means the barbershop in the Meiji era was a space that gave fear to people and made them nervous. Second, I think that 「The Eighth Night」in 『Ten Nights of Dream』showed strong yearnings for Bean curd sellers, who sold bean curd walking along the streets in the Edo era, and great pities and emptiness about vanishing tradition. Third, it cannot be wrong that we see the reason why there aren't any hulled millet cake sellers in Winter in 「The Eighth Night」in 『Ten Nights of Dream』is that Nastume Soseki wanted to express a great pity about vanishing tradition and yearning for memories of childhood. As follows is the summary of what the writer has analyzed. First, although the uneasy images expressed in the two works, 「The Eighth Night」in 『Ten Nights of Dream』 and 『Kusamakura』, are different in each, Nastume Soseki wrote the work through a medium of Dream, showing the barbershop is the place where a barber shaves parts around his customers' chins with a razor, which means the barbershop in the Meiji era was a space that gave fear to people and made them nervous. Second, I think that 「The Eighth Night」in 『Ten Nights of Dream』showed strong yearnings for Bean curd sellers, who sold bean curd walking along the streets in the Edo era, and great pities and emptiness about vanishing tradition. Third, it cannot be wrong that we see the reason why there aren't any hulled millet cake sellers in Winter in 「The Eighth Night」in 『Ten Nights of Dream』is that Nastume Soseki wanted to express a great pity about vanishing tradition and yearning for memories of childhood.

11

引揚げ文学論序説-戦後文学のわすれもの

朴裕河

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.121-131

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4,200원

一九六〇年代半ばから七〇年代の半ばまでのおよそ十年間のあいだ、日本では、敗戦直前まで満州国や朝鮮で少年期を過ごし、敗戦をかの地で迎えて辛酸な体験をして引揚げた体験を持つ人たちが大挙作家として登場している。彼らの書いたものは「引揚げ文学」として考えられるべき要素を持っていながら、これまではそのような視点から考察されることはなかった。彼らの一部は「内向の世代」とみなされるようになるが、そのような枠組みだけでは語れないものを含んでいる。戦後日本がどのように帝国主義的心情と向き合っていたか(あるいは向き合ってこなかったか)を考察する上でもこれらの作品群は示唆するものが多く、もっと注目されるべきである。にもかかわらずこれまでそのような視点が出されなかったのは、「引揚げ」という未曾有の体験の複雑さを示している。本論は「引揚げ文学」という概念を提示し、戦後日本を考えるひとつの軸としていこうとするものである。

12

4,800원

本稿で筆者は戦後思想系文化物とは何かを説明し、1959年の『私は貝になりたい』と2008年のそれとを比較分析した。その中で2000年代に入ってなぜBC級戦犯裁判が大衆文化の領域で扱われるのか、その映画の内容はどのような具体的な歴史的事実と相違を見せるのか、その中で排除されるものとは何か、そしてそれはどのような記憶として再生産されるのかなどの「記憶の選択、操作、忘却、神話」について考察した。結論として1959年の映画は「厭戦意識」と「軍部批判」を認識のベクトルにもつものとするなら、2008年の映画は「自国防衛」と「戦争責任を受け持つこと」を狙いとするものであることを明らかにした。しかしこのような戦争責任についての認識はアメリカと日本に限られる「自閉的な認識」に過ぎず、高橋哲哉が加藤典洋の『敗戦後論』を批判して主張した「応答可能性としての戦後責任」ではないことを説明した。筆者はその結果を持って、日、韓、中などの東アジアでは「記憶」をめぐるイデオロギーのせめぎあいが進行中であることを論じ、これからの「和解」の可能性を模索した。

13

森田草平の告白文学の形成

呉聖淑

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.149-163

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4,800원

本論文は、西洋から受容された告白文学がどのように日本に広がっていったのか、そして、その後文学青年である森田草平にどのような影響をあたえ、彼の創作へと発展していったのかを考察したものである。特に、大きな影響を与えた夏目漱石との影響関係を視野に入れて考察した。 明治四○年前後、日本において、すでに形成されていた告白という文学形式は、ルソーの『懺悔録』に影響、そして自然主義文学者の代表者である島崎藤村と田山花袋などの告白に対する認識などによって支配されていた。こうした告白文学は、単なる「懺悔」ではなく、利己と弁護を目的とした、平凡な自己(個人)の心理現象の白状であると認識するようになった。このような認識から、自己表現としての「コンフェション」の文学という文学ジャンルが、形成されていったと思われる。こうした告白文学は、当時、文学を目指す文学青年森田草平を大きく刺激したのである。 特に、文学志望青年であった森田草平は、漱石から「コンフェション」(告白)と「コンフェションの文学」(告白文学)なるものに対する認識を深めるとともに、「コンフェションの文学」を作家当事者の自己表現や自己救済策として認めるようになった。それと同時に、自然主義の代表者である島崎藤村の『破戒』と田山花袋の『蒲団』の告白文学の成功を目にした森田は、創作方法として告白文学を目指すようになり、煤煙事件の体験による告白を『煤煙』に実行し、当時告白文学の最高峰といわれるようになったのである。こうした森田草平の告白文学は、西欧の影響や大文豪などの導き、そして煤煙事件の特殊性によって明治四二年の一時期を風靡したものとなっていたのである。

14

4,500원

本稿では「旧主人」に現れた主題意識を<近代>の精神を中心に考察した。まず<近代>への視線が<地方>と<都市>、<前近代>と<近代>の対比的構図によってどのように形象化されたかを探り、さらにその背後にある天皇制の問題について考察してみた。作者藤村は、語り手のお定の言説を通して、作品の随所にこうした対比的構図のための仕掛けを意図的に設けていると思う。 藤村は「姦通」という素材を通して人間の本能を描き、それによって夫婦関係の破綻や家の崩壊に至る過程を描く一方で、天皇制を中心にした日本の近代化の抱える矛盾を同一線上で描出することにより、日本の近代化の基盤の危うさを比喩的に表そうとしたと思う。 本稿での考察を通して、日本の近代化や都市化の虚構性を暴き出すことにより、結果的には日本の近代の矛盾を形象化しようとした作家精神を見いだすことができる。こうした視線の獲得こそ、近代的精神に基づいて社会的矛盾を暴いた自然主義の傑作『破戒』を産み出す原動力になったと考えられる。

15

4,800원

本論文は、日本植民地時代の初期李光洙と安廓の朝鮮文学(史)論を対象にし、この文学(史)論に一貫している「漢文学」や「中国思想」に対する対応論理を<日本文学史>や日本のコロニアル․ディスクールとの関わりの中から考察したものである。それによって、この朝鮮文学(史)論は中国思想や西洋の新思想をいかに表象しているのか、そのコンテキストともいえる<日本文学史>及び日本のコロニアル․ディスクールとの差はどこにあるのかを明らかにしようとした。 近代国民国家の形成期における<文学史>の編纂は近代国民国家のイデオロギーに照応しナショナル․アイデンティティの構築という役割を果たそうとした。日本の場合は一八九〇年代の前半には西洋(文学)や漢字、漢文学に対して排除の戦略をとおして自国文明の優秀性を論理化しようとしたが、1890年代後半に至るとこの西洋(文学)や漢字、漢文学を包容する立場を取るようになる。 しかし、韓国の場合は文学史をとおして「民族精神」「民族思想」を鼓吹しようとしたのだが、その方法論においては主に中国思想や漢文の崇拝という「事大主義」に対する自己批判に集中されていたといえる。ここで注目されるのはこのような認識が結局日本で作り出された<日本文学史>、あるいは否定的な<朝鮮人像>の言説と錯綜する形で胚胎されたという点である。 このような意味で一九一〇年代と二〇年代初め頃の朝鮮文学(史)論は、朝鮮内の文学的環境に基づきながらも植民地宗主国の文学史やコロニアル․ディスクールとも直接․間接相関しており、そのように錯綜した空間の中で様々な論理の矛盾と可能性を含みながら胚胎されたのである。このような錯綜はまさに一九一〇、二〇年代日帝強占期という植民地空間の桎梏と矛盾をも反映するものに他ならないといえる。

16

4,200원

「反予期ㆍスカトロジーㆍ卑猥」というレトリックをキーワードにして後期洒落本と『春香伝』を対比研究することで、日韓近世大衆小説様式の比較研究の意義が見極められる。『膝栗毛』ㆍ『興甫伝』をも視座にいれつつ考察していけば、「反予期ㆍ見当違い」による笑いは、いわゆる行為․事件的滑稽の一つ、「猥褻ㆍスカトロジー」による笑いは、いわゆる言説的滑稽の一つと言えよう。期待したものが実際に現れたものとの間に大きな開きがある時に起こる「反予期ㆍ見当違い」の滑稽性は、両国の比較対象作品に同様に想定でき、主人公たちは予期せぬ災難や失敗に遭遇することで笑いをもよおす。列挙の最後に予期しなかった落ちが来る、即ち、反復から持続されていた期待感を見事に裏切ることで笑わせる『春香伝』や『興甫伝』のレトリックは「反予期の滑稽」の一種なのでる。一方、後期洒落本․『春香伝』に共通して見受けられる滑稽表現であっても、作品に占める割合が違ってくる場合がある。後期洒落本、就中一九作洒落本には趣向化する程数多く用いられている「反予期ㆍ見当違い」による失敗譚が、『春香伝』には茶番風話の中に一カ所存するのみである。そして『春香伝』ㆍ『興甫伝』ではドタバタの茶番劇の後半部は、糞尿尽くし、つまり排泄物のことを露骨に語るスカトロジー技法を用いたりする。人間の排泄物を誇張して描写することによって、既成世界を否定․破壊しようとする、民衆諧謔的世界観を露呈する場面といえよう。尾籠な言葉による卑近な笑いを狙っているのである。しかし、一九は滑稽本『膝栗毛』ではあれほど積極的に性ㆍ食․排泄による笑いを狙っていたにも拘わらず、洒落本ではスカトロジー技法を使っていないのは、彼のジャンル認識を伺わせる。また、下ネタの笑いを狙って一九得意のエロチックなくすぐりを含んだ文章が洒落本には散在する。猥雑な好色な表現は滑稽性を生みやすいし、性にまつわる笑い話は世界共通して好まれただろうが、表立って性的話題を取り上げるのを憚っていた朝鮮時代に、パンソリ系小説には公然と使われている。『春香伝』は『興甫伝』とも違って恋物語であるだけにその性的笑いは更に際どい。かくの如く言語文化のもつ性質から、後期洒落本と『春香伝』にはどのような独特のユーモラスな修辞法が生まれているのかを考察しようとした。その為に比較研究の視野の中に日韓滑稽文学を引き出す方法を取ったが、その結果、「反予期ㆍ見当違い」及び、「スカトロジー․猥褻」というレトリックを媒介に、笑いを誘うための類似した共通の表現法が厳存している事実を確認した。しかしながら、日本語と韓国語は漢字ㆍ国文の両用のみならず、音節構造の類似性などの理由から同修辞法もあるが、「諷刺」と「啖呵」のように民衆文化の在り方の差による際立った相違点も見られる。時代相の違い、社会的条件の違いによって滑稽化の方法も異なってきたのである。

17

<まつらさよひめ>と説経節<松浦長者 上方版>の比較研究

吉岡浩人

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.207-221

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4,800원

奈良絵本<まつらさよひめ>に関する先行研究は説経節<松浦長者 上方版>の諸本とストリーの違いを対比する過程で<まつらさよひめ>に対して部分的に論ずる程度で、<まつらさよひめ>に関する本格的研究は行なわれず、その作品自体にあまり関心が持たれなかった。そのような問題意識を持ちながら本稿では説経節的特性がより濃厚な<上方版>を比較の基準とし、説経節的特性、悲嘆感の誘発と登場人物について<まつらさよひめ>と<上方版>を中心に比較分析を試み、必要に応じて<まつらさよひめ>と他の諸本(<さよひめのさうし>、<さよひめ>、<江戸版>)とも比較分析を試みた。 その結果、<まつらさよひめ>の冒頭部に「本地語り」がないことと、やかうやむらの里までの「道中の路程」がないことより<まつらさよひめ>は説経節から距離がある作品だとわかった。さらに説経節的要素(「漂泊民への賎視意識」、「悲嘆感誘発」)において<まつらさよひめ>が<上方版>より、その強まりの度合いが弱かったことから、<まつらさよひめ>が説経節からある程度の距離を持った作品であると判断した。特に「悲嘆感誘発(『心の痛みの表現』、『悲嘆の場面』)」が時が流れても不変な説経節的性質であることを確認した。ところで「悲嘆感誘発(『心の痛みの表現』、『悲嘆の場面』)」において、<まつらさよひめ>が<上方版>より、その強まりの度合いが相当弱かった。以上の事実から<まつらさよひめ>は説経節からずいぶん距離のある作品だと理解できた。 <まつらさよひめ>の五つの広本の中での位置を整理していえば、商人・太夫・大夫の悪人的行動が全くなく、そして女房・女達・女房と一緒にいた人々が登場しなく、さらにはさよひめと母が深い情関係の間柄の描写を通して読者に親子の離別に対する悲嘆感を強く与えていないのは<まつらさよひめ>だけであった。また<まつらさよひめ>の作者には五つの広本の中の作者層・作者に比べて悲嘆感をなくそうという意識が発見できた。さらに<まつらさよひめ>の作者が悲嘆感の誘発を試みなかった結果、大夫の非悪人化と母とさよひめとの深い情関係無描写が生じたことは、さよひめが供物として死ぬ立場から生き残った時と、またさよひめと母との再会の時に、読者に劇的で感動を与える効果が減少したと考えられた。これ等の特徴は<まつらさよひめ>が五つの広本の中でも、特異な存在だということを物語っている。

18

왕조의 始祖와 海宮― 해궁에서의 결혼 및 주물획득의 의미 ―

이예안

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.223-235

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日本の彦火火出見尊説話と韓国の作帝建説話は王朝起源伝承を物語っている。これらの説話にみられる竜宮(海宮)を訪ねるきっかけは異なるが、海神の案内で竜宮を訪ねるという内容と、天孫が竜宮を訪ねるという内容が共通している。竜宮は彦火火出見尊伝説では海底まで舟に乗って行くという風に地上から遠い所にあるのに比べ、作帝建説話では海にあるが海底ではなく歩いていける所にある。 当時の人々は彦火火出見尊説話と作帝建説話にでてくる竜宮という所を王朝の始祖がそこを訪ねて妻を娶り呪物を得るということで王室の神聖さと当為性、権力基盤を固めて戻る場所としてとらえている。また竜宮は天孫が海神の助けをかりて行ける場所ではあるが、永遠に行き来できる所ではなく断絶する場所として解釈している。彦火火出見尊が竜宮でもらった珠は水を制する宝物であることから海人族と関係のある伝承で、作帝建が竜宮でもらった呪物は遊牧民族と関係のある伝承である。以上のことからこれらの説話において竜宮に対する意識の差がわかる。

19

『近代秀歌』의 恋歌특징― 「有心」과 관련하여 ―

林瓚洙

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.237-251

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中世の歌人定家の歌学思想のパックボーンとして働くものは有心という美意識である。歌の形式の中に恋歌と述懐歌が有心を表すにもっとも適当なものだと提示した人も定家である。従って、この研究では、定家の秀歌撰の中でも恋歌に限り、有心の意味を把握してみた。 まず、艶と深い関わりがあるといえる。「艶にをかしく」と評された恋歌がいくつか見つかる。例えば  なとり川瀬ゞのむもれ木あらはればいかにせむとかあひみそめけむ(古今集 恋三 650 読人不知) の歌は「艶にをかしく」と評された。「あらはれば」という仮定条件に染み込んでいるもどかしさ、つれない気持が次の句「いかにせむと」結ばれて、我慢できなくなる、途方にくれている様子を醸し出す面影に「艶」を感じたのであろう。次は説話が元になった歌、伝承された話を利用して「待恋」を描いた歌などに「有心」が働いたとも言える。 さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらん宇治のはしひめ(古今集 恋四 689 読人不知)という歌によって、さびしく待ち続けている「橋姫」のイメージが定着され、『新古今和歌集』にも「橋姫」という歌語を使用した歌が四首あるが、すべて「待恋」を表現している。即ち、「橋姫」のイメージ自体が「艶」の表象となっているのがわかる。 定家は『京極中納言相語』に 恋の歌を詠むには凡骨の身を捨て、業平のふるまひけん事を思出て、我身を皆業平になして詠む。地形を読むにはかかる柴垣のもとなどを離れて、玉の砌、山川の景気などを観じて、よき歌は出来物なり。 と記しているように、ある物事に集中して客体と一体化することによって、真の恋歌が出来上がると思っていた。『毎月抄』の「一境に入りふす」という句と通じる。主情を強調した文句のように見えるが、古典(『源氏物語』『白氏文集』など)を媒介にした芸術的な虚構の世界に自分自身を移転しろという文章が続いていることから、観照的な姿勢を提示したと思われる。従って、定家の有心は感情没入が行われ、共感が明らかに現れた歌、具体的には恋人を待つもどかしい心を「艶」という美意識として表現し、これを有心の働きとして考えたのではないかと思われる。

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芭蕉에게 있어서 深川庵과 幻住庵이 갖는 의미에 관한 고찰

許坤

한국일본학회 일본학보 제81권 2009.11 pp.253-264

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芭蕉において深川庵を始めとするあちこちの庵子での生活は、彼の俳諧世界が当時の俳壇の矛盾するところを克復し、改革していくための跳躍のきっかけをつくる役割をしたと評価でき、それは芭蕉の俳人人生においても掛け替えのない大事な時間であると言わざるをえない。そして芭蕉には庵子での生活が經濟的には滿足できない環境であったにもかかわらず、自分が選択し、決定した庵子での生活に充実しながら自分の究極的目標を成し遂げるために邁進していく芭蕉のすがたを通して彼の俳諧にたいする情熱と努力がうかがえるのである。 特に深川庵と幻住庵での生活は他の庵での暮らしとは確然と異る。深川庵は俳人芭蕉の現実での暮らしの場として用いられたし、幻住庵は芭蕉の精神的な世界の安住の場として用いられたのである。このように芭蕉において庵子での生活は庵子が単に彼の体の安息處で使われることに止まったのではなく自分の俳諧を改革したり、精製していく過程のの前哨基地として使われたり、場合によっては世に厭症を感じてそこから離れたい時には、彼岸するところとして使われたりもしたのである。このように芭蕉において庵子の役割は、自分の俳諧世界を改革し、発展させていく過程において見逃せない大事な役割を果たしたと評価できるのではないかと思われる。

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After the World War, Korea has been notified of the Japanese claims over Dokdo through many official and official ways. Korea has been disregarding these notifications on the grounds of Korea's practical control over Dokdo, and the fact that Dokdo has been Korea's native territory. In the post cold war era, however, Japan's claim over Dokdo is mostly from local governments and the right wing, not from the state government. In Korea also, the response to Japan's claims are mostly from the public, making the whole Dokdo issue an emotional conflict between the citizens of the two countries. The author of this paper analyzes in which ways the Japanese parliament and government handled the Dokdo issue right after the World War. After the World War, the Japanese parliament and government tried to maintain their preferable stance on the Dodko issue. However, these efforts were not rewarded, due to a lack of evidence to support Japan's claim. So overall, this paper analyzes the grounds for Japan developing a new logic to support its claim over Japan, after realizing that the former evidences were not sufficient.

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4,300원

本稿はいわゆる'芦田修正'が'芦田解釈'の意図の下で憲法改正小委員会において行われたという芦田均の主張が虚構であるということを証明することを目的とする。朝鮮戦争の勃発によって日本の安全保障に対する危機感を募らせていた芦田はついに再軍備を主張する'芦田意見書'を発表するが、その再軍備を現憲法においても行うことができるという論理として発表されたのが'芦田解釈'である。ただそもそも'芦田解釈'の意図を持って自ら行ったと芦田が主張する'芦田修正'がいつか再軍備をする時それを正当化するためのものであったとするのであれば、当の本人が再軍備を主張する'芦田意見書'においてそのような主張をしていなかったことはどのような論理を動員しても説明できない。この辻褄の合わない芦田の行動に対する唯一の説明は、そもそも'芦田解釈'の意図を持って行われた'芦田修正'なるものは存在しなかったということである。これで'芦田修正'は1951年'芦田解釈'の論理を作り出した芦田によって作られた虚構であるというこが明らかになったのである。

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4,600원

本稿は16世紀半ば日本茶道の形成期に活躍した茶人の武野紹鴎が當時の重要な文化要素である和歌と連歌の文学理念、また能の美意識や一座を運営する方式などを茶道に借用、あるいは応用する過程を論じたものである。こそれのよって當時の茶人が追求する精神的目標を把握しようとした。 紹鴎は和歌と連歌を志し、富裕な経済力を背景で著名人を近付いて文学的素養を磨いたが、この方面にはこれと言うほどの成果は残さなかった。それは文学的材質の限界を感じたであろう。しかし文学的素養はすでに心酔した茶の湯の方面で実を結んだ。紹鴎の文学的素養は生かされて新しい茶の湯の方式を案出する際の原動力になる。 彼は連歌の美意識の中でも特に、事物の窮極的な美しさを追い求めて物事の裝飾的な要素を排除して冷徹に本質に近付こうとする精神に引かれた。冷たこと、萎んだこと、枯れたさま、季節に言うと冬の美しさなどを大事にする「冷え․枯れ」の概念に注目した。このような美意識は當時、豪華に飾った広い部屋で騷然と進行する茶会の情緒とは対極的なものであった。このような茶の湯に紹鴎は和歌と連歌の精神世界を取り入れて新しい精神秩序を成立させ、そのような精神が反映された茶会を開催して茶人に新しい茶の湯の方式を提示したのだ。 紹鴎は連歌の精神世界だけではなく、一座を構成して連歌会を開く方式にも注目した。連歌の先学が提示した理想的な連歌会の空間、時間、秩序などに関する見解の中で茶の湯にも適用できる事項を発見して茶会の理想的な方式を応用した。また、能役者の家で早くから論議された概念である一座建立の精神も茶会に適用させようとした。 紹鴎が多くの先行の文化要素のうち、もっとも注目したのは和歌や連歌の創作原理のひとつの温故知新だった。先学の作品を広く読み真意を悟ることに止まらず、それを土台に新しい自分の世界を構築しなければならないという創意性を重視した。藤原定家が『詠歌大概』の序に記した精神を茶の湯に積極的に受容したのである。 ただ茶をがぶ飲みしては喉の渇きという生理的な欲求は解消できるかも知れないが、より深みのある楽しさを享受しながらお茶を飲もうとする人々にはそれに関する意味や格式の体系がある必要だったのである。その必要性とは社会的欲求であると同時に紹鴎個人の欲求でもあったと考えられる。紹鴎は茶の湯の体系を構築する際、全然存在しなかった理念や形式を案出したのではなく、當時の茶人が理解しようとすれば理解できる範囲の文化要素を茶の湯に借用して茶の湯の世界を豊かにしたことが分かる。 紹鴎が新しい領域を案出したように、以後の茶人にも創意的精神の大事さを強調した。先学を追従するだけの教條的な茶道にならないようにとした紹鴎の意志は以後日本の茶道文化の多様性に繋がっていると思われる。

 
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