2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,600원
本稿は,他動詞文の形を備えながら,典型的な他動詞文とは異なる「太郎は自分を刺した」「太郎は紺の背広を着ていた」「彼は毎朝,ヒゲを剃る」「ころんで,足を折った」「私たちは,空襲で家財道具をみんな焼いてしまった」「方々に思い切って切られた傷口が口を開けている」「光が明るさを増した」のような一連の文に連続性・共通点が見られることに注目し,これらの文をすべて再帰構文と見なした上で,統一的に捉えようとしたものである。 日本語の再帰構文は,ガ格名詞句とヲ格名詞句が「全体部分」の関係を成していること,対応する受身文を持たないこと,主体の働きかけが希薄化していることなどの連続性・共通点が見られる。本稿では,このような連続性・共通点が日本語の再帰構文に見られるのは,通言語的に再帰構文・再帰中間構文に見られる「働きかけの部分が徐々に希薄化し,状態変化の部分のみを表すようになる」という意味拡張が日本語の再帰構文にも起きるためであるということを主張した。また,日本語の再帰構文に関する部分的な分析にとどまっている先行研究を検討し,その問題点や本稿との違いを明らかにした。
6,100원
本稿は、助動詞ツ・ヌの表す意味・用法はどう違い、どのように区別されるべきかについて、先行研究の業績を参照しながら上接語を中心として考察したものである。まず、先行研究のうち、上接動詞に関するものにおける流れを把握・検討した。それから、ツ・ヌの上接語はどのように使い分けられていたのかを、①自・他動詞との親疎性、②意志的・無意志的な意味を表す動詞との親疎性、③アスペクト的意味との関係、④動詞以外の上接語、の四つの項目に分け、考究した。 その結果、ツ・ヌは本来相違した意味を表すものであったこと、接続形式には一定の規則と定まった語法があること、しかし、その規則に外れる例外が多く、同じ語(動詞及びあり類)にツとヌがともに続く場合があって、ツ・ヌの文法性を統一的に説明するのが容易でないことは確認できたと思う。このうち、は特に異論のないことなので問題ないが、については意志的・作為的な意味を表す動詞にはツが、無意志的・自然推移的な意味を表す動詞にはヌが接続するという説をもって十分説明できることを提案した。又、まだ定説化されていないに関しては、もっと多くの用例を精査・検討する必要があろうが、ツ・ヌの持っている意味をもとにして把握できることを提案した。そして、ツ・ヌの表す意味は山田説を受け継いで、話し手の認識態度によって使い分けた小路氏の説(確認の助動詞=「動作または作用・状態等に関して、その実現または実現すると思われることを確認する」意を表すもの)が穏当であることを提案した。
4,300원
行動主義言語習得観を理論的根拠とした対照言語分析時代には、言語間の差異が大きければそれだけ学習が困難になるという仮説に基づき、難易度階層において言語間「一致」は「不一致」より「易」しいという予測が立てられた。本稿は、「の」と「의」に関する日韓双方向的な実証研究により、対照言語分析におけるこの「一致」>「不一致」の仮説を再考し、言語転移の原理を探ることを試みたものである。調査ではOPI上級のL2学習者の中で、韓国語を母語とする日本語学習者(L1韓L2日)10名と日本語を母語とする韓国語学習者(L1日L2韓)8名を対象に「即時的処理を求める文法性判断テスト」と「時間制限のない文法性判断及び判断訂正テスト」の結果を分析した。その結果、言語間「一致」といっても名詞修飾句のような、用法が分かれていて、被験者の母語に比べて目標言語の統語論的解釈が明快ではない場合は、難易度階層モデルの「一致」が「易」しいとする仮説が当てはまりにくいということが明らかになった。特に、名詞と被修飾部間の「의」の用法は、動詞と被修飾部間の「の」と「의」の用法と名詞と被修飾部間の「の」の用法に比べて複雑で、かつ統語論的解釈が明快ではないことにより言語転移(正の転移/負の転移)が作用しにくくなる可能性が高い。また、韓国語からの負の転移による「の」の脱落傾向と日本語からの負の転移による「의」の過剰使用傾向は必ずしも表裏一致するとは言えないことが明らかになり、言語転移の複雑性と従来の対照言語分析仮説の予測を見直す必要性が示唆された。
4,600원
本稿では、「シテクル」の意味について接続する動詞をもとに分析し、動詞の種類によって「シテクル」の意味が異なってくることを見た。「シテクル」が主体動作・客体変化動詞や主体動作動詞と接続した場合、「過去のある時点において発生した動作が現在まで続いている」という「継続(現在パーフェクト)」の意味を表すことが多く、主体変化動詞と接続した場合、「過去のある時点において発生した変化が現在まで続いている」という「継続(現在パーフェクト)」と「開始(現在パーフェクト)」の意味を表すことを述べた。また、内的情態動詞の場合は思考動詞、感情動詞においては「過去からの思考や感情が継続している(現在パーフェクト)」ことを表し、知覚動詞、感覚動詞においては「開始(現在パーフェクト)」を表す。静態動詞の場合は「過去のある時点において発生した状態の継続(現在パーフェクト)」を表すことを述べた。以上において、「シテクル」は常に現在パーフェクトを表す「タ」と結合して「シテキタ」の形で用いられるが、ここで「継続」の意味は「シテクル」における「クル」の本来の語彙的意味である「移動」が文法化するにあたって「継続」の意味に転じているものであり、過去からの動作や変化を「現在」と関連づけているのは現在パーフェクトを表す「タ」であることを述べた。さらに、「シテキテイル」が持つ「継続(現在パーフェクト)」と「継続(進行)」の意味について述べ、「シテキタ」と「シテキテイル」が表す「継続(現在パーフェクト)」について考察し、その意味的違いを明らかにした。つまり、「シテキタ」は過去のある時点において始った動作や変化が現在の時点で完了したことを表し、「シテキテイル」は過去のある時点において始った動作や変化が現在の時点でも続いていることを表すという特徴を持つ。
4,600원
本稿では、意思疎通能力の育成を目的とした高校の日本語授業において、どのような内容を扱うべきかについて検討するために、韓国と日本の高校生が実際に文通という交流場面において交わした話題と語彙について調査した。日本語で交換した120通の手紙を対象とし分析した結果、話題は14のカテゴリーに分類され、最も多く展開されていた話題は芸能人、映画、趣味など「好きなもの/人」であることがわかった。さらに名詞、動詞、形容詞に関して使用語彙について、それぞれ述べ語数、異なり語数、使用頻度の高い上位10語、日本語能力試験の出題基準における単語の難易度について調査した結果、韓国人高校生と日本人高校生の間で使用語彙の傾向に大きな差はなく、名詞に関しては「好きなもの/人」に関して述べるときに芸能人やスポーツ選手の名前などの固有名詞、動詞に関しては「待つ、ある、見る」などの初級レベルの基本的な動詞の他、「感動する、愛する」などの感情を表現するための動詞、形容詞に関しては「好き、うれしい」など感情形容詞が全体の6割近く使用されていることなどが明らかになった。話題と語彙は密接に関わっており、生徒はまず伝えたい話題があって、その後必要な語彙を探すという思考の流れがあること、さらにそれぞれの話題において生徒たちは自分がどう感じているかという感情を相手に伝えることを大切に考えていることなどがわかった。これらの結果から最後に意思疎通能力を育成する日本語授業のために、項目積み上げ式の教授法から脱却し「話題ベースのシラバスを作成し、授業で実践すること」と「感情を伝えることを重視した日本語授業を実施すること」の2点を提案し、初級段階であっても生徒にとって身近な話題を取り上げ、その中で自分が感じていることをどう表現するかを学ぶ授業の工夫の必要性を述べた。
4,900원
「ゲ型形容動詞」は中古初期から現われ、中古中期に向かいその語彙数を急にふやし、『源氏物語』で頂点を向かえた。接尾語「ゲ」は形容詞を形容動詞化し、「様子や気配」という意味を加えるものである。接尾語「ゲ」と形容詞との結合関係についての先行研究では、「ゲ」はシク活用形容詞に結び付きやすいということと色彩․明暗を表すような比較的にはっきりした判断を表す形容詞には結び付けないということを明らかにしている。また音節数とか内部構造とはあまり関連性がないといっているがはたしてそうなのだろうか。 本稿ではこのような先行研究の結果について実際のデータをもって、「ゲ」の下接する形容詞と下接しない形容詞との特徴的な違いと、どのような形容詞と結び付きやすいかについて、形容詞の活用種類と音節数、内部構造と意味を中心として考察してみた。資料は『源氏物語索引』から採集し、「ゲ」の接合した「ゲ型形容動詞」249語中、形容詞を上位語としているもの183語と「ゲ」を下接しない形容詞233語を対象とした。 その結果、「ゲ型形容動詞」を作る形容詞の特徴は形態的には3音節語、内部構造は「単一語基+シ」と合成型の中にも比較的単純な「接頭語+形容詞」のもの、「ゲ」を下接しない形容詞は4音節語、合成型の「名詞(動詞連用形)+形容詞(なし)」「重複形」の構造が一番多かった。活用種類にてはシク活用の形容詞が「ゲ」との接合語数が多かった。次に意味的には「ゲ型形容動詞」を作る形容詞には感情形容詞が一番多く現れ、作らない形容詞には評価形容詞のものが多くみられるが、中にも人の性格を評価する形容詞は「ゲ」の接合したのが多かった。状態形容詞の場合は「ゲ型形容動詞」を作るものと、作らないものの両方の比率が対等に現れ、感情形容詞に接合しやすいことが分かる。 一方、「ゲ」の接合しにくい形容詞としては、特に状態を表すものの中にも眼に判然と見定められる色名や明暗と濃淡を表す語と客観的に判断できる程度分量を表す語があげられる。これは情意的な意味の語を状態的な意味の語へと変え、客観性の強い状態的意味を表す形容動詞を作る接尾語「ゲ」の用法を裏付けられることとも考えられる。
4,300원
本稿は、1910年に日本で刊行された韓国語学習書『日韓言語集』の内容を学界に紹介し、同時に言語資料としての性格を考えてみようとしたものである。特に『日韓言語集』が刊行された1910年はいわゆる韓日合併が行われた時点であり、本書の成立背景を調べてみるのは近代史の方面からも示唆を得るところが少くないように思われる。 本書は三巻からなり、その内訳は、「日韓言語集」(上巻、日本人の韓国語学習用)、「韓日言語集」(中巻、韓国人の日本語学習用)、両国語の文法解説(下巻)の三部の構成になっている。著者は、井田勤衛(日本側)と趙義淵(韓国側)の合著、本の冒頭に大隈重信の序文を、末尾には「韓国事情一斑」を附録として附す。このような構成から考えると、本書は韓国語学習を兼ねた当時の韓国に対する総合案内書的な面貌を備えていたと思われる。 本書の本文には、ハングルや仮名の音節構造と発音に関する簡単な解説を収録し、韓国語本文に対しては片仮名でその発音を標示するなど、この時期の他の韓国語学習書と共通した特徴が見受けられる。また、日本語の場合、用言の活用形や可能表現に関わる形式などには、新旧の形式が混在しているが、これは当時の過渡期的な言語現実を反映した現象として説明出来るのではないかと思う。 なお、本書に内在する韓国語は、近代語彙史研究に資し得る性質のものであり、中でも用言の変化法、八品詞などは韓国語の文法学史的な立場から注目し得る記述であることを指摘出来た。
4,600원
本稿では、「必ず、きまって、大抵、大概、普通」のような類のものを「確率」というカテゴリーを用いて範疇化し、副詞研究における「確率」というカテゴリーの有効性およびそれに属する副詞の意味․特徴について分析した。このような分析に基づいて、「いつも、常に、よく」などの「頻度副詞」と称されるものとの意味ㆍ文法的な違いを確認し、「確率」と「頻度」という概念の違いについても分析を行った。 本稿の結論をまとめると、第一に、「必ず」は「大抵」「大概」「きまって」「普通」のような副詞と「確率の度合い」という点で連続的な関係にある。したがって、これらの類の副詞は「確率」というカテゴリーとしてグループ化できる。第二に、「必ず」の共起条件に関しては、従来の状態性や変化性といった述語レベルの分析だけでは不十分であり、「反復の事態」という概念を導入することによって、統一的な記述が可能である。なお、「反復の事態」とは「必ず」の単独の副詞研究に限った概念ではなく、確率の副詞群というより幅広く、一般性の高いものである。第三に、「確率」を表す副詞群は前件の条件句あるいは文の主体や対象の複数性によって生じる「反復的な事態」を要求する一方、「頻度副詞」は「一定の時間軸に繰り返して起こる多回的なあり方」を要求するという違いがある。第四に、「確率」は「事態の生起ㆍ存在する度合い」という広義「蓋然性(probability)」に関わる概念であり、「頻度」は「事態の生起ㆍ存在の多回的なあり方」という「命題(proposition)」に関わる概念である。
4,300원
句読点の打ち方は、はっきり決まったものがないし、またそのせいか日本人のそれぞれの個性がよく現われているものでもある。そのゆえ日本語学習者にとって句読点の打ち方は非常に難しい。だからといって、おろそかにしては文の意味がよく伝えられないことがよくある。本稿は、日本語母語話者と比較を通して、韓国人日本語学習者が作成した作文データを対象に句読点の実態を明らかにしたものである。本稿で明らかにしたこととして以下のことがある。 1)1文の読点数は、日本人より韓国人学習者のほうが半分以下であり、1読点あたりの文節数は、日本人より韓国人学習者のほうが2倍ぐらい多い。 2)韓国人学習者は、学習の程度によって、読点数の増加と文節数の減少がみられ、日本人のそれに近くなる傾向がある。 3)読点の用法については、「限定や条件を表す語句の後」の用法が一番多いのは日韓同じであるが、日本人は「叙述の主題」と「文の中止」の用法がそれに次ぐ反面、韓国人学習者は、「語句を並べる場合」と「文頭の接続詞や副詞」の用法がその次であるという相違点がみられる。 4)「限定や条件を表す語句の後」の言語形式の違いとしては、日本人が「が」「て」順であり、韓国人は「て」「が」順という相違がある。一方、韓国人学習者にかなり多い「文頭の接続詞や副詞」のほうでは、「しかし」「また」が多いのは日韓同じであるが、「そして」「もちろん」などは韓国人学習者に多く見られる特徴的な言語形式である。
4,600원
本稿では、日本語のヴォイスの体系およびその下位類型の設定をより有意義なものにするため、下位類型の設定に必要な形態、統語、意味の面からの認定基準に基づき、広い意味でのヴォイスの下位類型を設定し、これらの下位類型の間に見られる意味的あるいは統語的な類似性および相対性などの繋がり(相関関係)についての考察を目的とする。 まず日本語のヴォイスを表わす文末表現形式の形態の違いによって単一的形態のヴォイスと複合的形態のヴォイスの二種に分け、下位類型間の対立について述べる。単一的形態同士の対立としては、受動と使役、受動と自動、使役と他動、受動とテモラウ、テモラウと使役、受動と自発、自発と可能、自発と自動などがあり、このうち、受動とテモラウは、従来の受動の分け方とテモラウ表現のプラス・マイナス性に基づいて直接受動・持ち主の受動とプラス的テモラウ、直接受動・持ち主の受動とマイナス的テモラウ、間接受動とマイナス的テモラウの三つに細分して考察を行う。また複合的形態のヴォイスである「サセラレル」と「サセテモラウ」表現の場合は、両表現とお互いに意味的な相関関係を持つ単一的形態のものとの繋がりについて述べ、その上意味的に相対的な対立を見せる複合的形態である両表現の間に見られる相対性および類似性などの繋がりについて述べる。このような考察を通じて、本稿では文法範疇の一タイプであるヴォイスの下位類型の間に存在する体系および意味的な繋がりをより明らかにする。
4,300원
「近代日本」は、朝鮮に対し「欠如」や「野蛮」といったイメージを与えることで、自らの文化的優越を確認し、また、その進歩の度合を測ろうとした。たとえば、夏目漱石、柳宗悦、靖田与重郎等は朝鮮を通して「日本」を再発見すると同時に、朝鮮に対し「欠如」、「女性性」、「過去」、「失敗」等のマイナス・イメージを与えたりもしている。張赫宙等の朝鮮人作家がこれに荷担し、日本が朝鮮に与えたマイナス・イメージは大部分の朝鮮人に浸透して内面化されたかのように見えた。しかしその一方で、李孝石、李箕永、金山が描いた滿州という空間にはそれとは違った朝鮮人の自己像が投影されている。彼らは中国人より優位に立つ朝鮮人を指向し、「政治的想像力」の中に存在する民族的自尊心の回復を表象する空間として滿州を記述した。 金史良の作品は、植民地の宗主国を模倣し、自らを同一化させようとする階層を植民主義の犧牲者として把握しながらも、その同一化の努力がいつも食い違うのを表すことで、植民地が持つ両義性を捕捉していると評価されるが、それは初期の作品(『光の中に』時期)に限る評価であり、中期の作品(『故鄕』時期) 、つまり滿州を空間的背景とする小説「鄕愁」以降は故鄕=朝鮮と捉える作品が主になり、ここからはナショナルなエモーションが放出される。 この論文は、植民地期の表象が単に利殖されるのではなく、新しい政治的想像力により二元化されるということを探っている。
4,300원
本稿は龍胆寺雄の「魔子」に表れる女性身体への〈解剖〉と〈建築〉のまなざしが龍胆寺だけにとどまるのではなく、『新潮』、『文学時代』、『近代生活』という連関する三誌の座談会や特集記事を分析することで広く〈新興〉芸術派に共有されたまなざしであったことを明らかにする。そのような姿勢は単なる尖端的な都市文化の描写(=反映)としての軽薄な都市表象などではなく、科学や機械の論理を〈アナロジー〉として文学に適用することで明るい未来を〈建築〉しようとした彼らの強烈な指向性があったからこそ可能だった。しかし「科学」に絶対的な根拠を認めることで未来を想像し、〈美〉を表現しようとした彼らの表現者としてのスタンスはその「科学」自体が内包する政治的イデオロギー性までには認識が及ばなかったため、もろくも国家の支配イデオロギーにからめとられてしまうその論理を明らかにする。
4,300원
「『死』を畏れぬ男」は今までほとんど研究の対象となっていない作品である。主人公の一人語りでストーリーが展開されるという風変わりな形式で書かれたこの作品は、目新しさはあるが、主人公の男の饒舌と皮肉な言い回しだけが目立つのみでその真意がわかりにくい。単なる風刺、嫌味に終わってしまっている感じがする。 しかし、作品の最後で「あの「死」をも畏れない勇敢な男はその時戦場に向かつて驀直に駆けさせてゐたのだ」と記述がなされており、何かを暗示するような終りかたになっている。果たしてこれは何を意味しているのだろうか。普通の読みではその意味が理解されてこない。そこで本稿ではこの作品を有島の社会批判が暗示されていると見て、作品の再検討を行うことにした。 有島は「一番嫌ひな男の典型を丸彫りにし」、その男に「うんと皮肉をあびせて」やるために、主人公を造形した。表面上では、ただ単に風刺・嫌味を言って終わっているようであるが、実際はそうではない。有島は主人公の相場師を成金に見立てて語っているのである。そして、その饒舌を通して社会批判を行っていった。有島がこの男を戦争景気で生まれた成金として表現したとすれば、この作品の最後の「あの「死」をも畏れない勇敢な男は・・・」は、この成金が「戦場に向かつて驀直に駆けさせていた」という意味になる。成金は天皇制権力者と結託して戦争を金儲けの機会とした者であり、彼らが日本という国あるいは国民を「戦場に向かつて驀直に駆けさせて」いる、と読むことができる。有島はこの作品で「正直な勇敢な男」を表現したのではない。「勇敢な男」ではなく「人の死を敬い尊ぶ心を持たない、そうした価値を知らない男」を描き、その男が国・国民を戦争に向わせていると暗に警告しているのである。 有島は直接的な言説で批判をする勇気を持ち合わせず、皮肉を言うことで間接的に社会批判を試みたと見ることができる。「大逆事件」以降、言論の統制が厳しくなっ社会状況にあって、これが有島の精一杯の自己主張であった。
4,900원
『和解』(1917․10)は、長い間父親との不和・対立を経て深刻な状況に追い込まれた主人公が様々な内的・外的な訓練を受けた後、ついに父親との和解を達成する内容の小説である。外見では小説の題名が象徴するように父と子、当事者だけの和解を扱った作品として理解しがちであるが、実は家族構成員全体の関係回復を盛り込んだ小説として読むことができる。またその背後にはより根元的な意味としての「回復」という主題を内包している。 本稿では『和解』の「回復」という主題の背後に主人公・順吉の「自己回復」という主題が隠れていると見て、それのもつ意味とその波及効果としての必然的な結末 -父と子の「和解」と「創作」の完成- について考察してみた。 また主人公が何度も試みたが失敗してしまった夢である「夢想家」の執筆をめぐる事情について「長編」との関係を視野にいれて考察し、それが失敗した表面の理由と背後のいくつかの理由についても考察した。主人公の内面において「夢想家」が他の作品として生まれ変わるまではことばで言い表せない苦難の過程があった。結局は夢で終わってしまったが、この「夢想家」執筆をめぐる苦難の過程は「回復」という真の主題とも深くかかわるもうひとつの主題であると思う。 結論からいえば、「夢想家」は失敗したのではなく、題名を変えてすばらしく再誕生すると言えると思う。というのも「父との和解を書く事に」決めた瞬間、順吉の「夢想」は結局現実として現れたから。だとしたら、新しい作品の題名は何になるのだろうか。「夢想家」であっていけないこともないだろうが、すでに夢が達成されているのにそれ以上、「夢想」にこだわる必要があるだろうか。どのような題名の小説が出来上がるのかは言うまでもなく明らかである。
4,300원
本論文では、「ヘリオトロープ(heliotrope)」というキーワードを中心にして、漱石の書いた諸作品と関連作品及び同時代作家達の作品を検討しながら、『三四郎』における「ヘリオトロープ」の効果とその役割について考察してみた。 まず北原白秋と横光利一は若さを象徴しまた想起させる素材として自然の香りを持つ「ヘリオトロープ」を描いている一方、小栗風葉は近代志向的な女性を描き出す素材として明治以降欧米文化とともに日本にはじめて入ってきた香水を使っている。新しい明治の世を象徴する高級香であった「ヘリオトロープ」は当時流行っていたハイカラな香水であったが、『青春』のヒロイン繁はこの香水を使っている。よって近代の新しい女である繁のイメージが強くなり、若い女性の誘惑的な面も一層覗かれる。そして「ヘリオトロープ」に関する神話を参考にすると、悲しくて不幸な愛の結末をも予測できる。 また漱石が高く評価しているズーデルマン(Hermann Sudermann; 1857~1928)の『消えぬ過去;The Undying Past 原題 Es war』に香水または「ヘリオトロープ」に関する件が見えることが注目される。結局美禰子は男を虜にするフェリシタスの誘惑的な面と不幸な結婚生活を送ったヨハンナのイメージに、繁のような新しい女として造形されたと言えよう。そして偶然三四郎が選んでくれた香水である「ヘリオトロープ」を最後の別れの時美禰子が三四郎に嗅がせるシーンがある。美禰子には三四郎がこの香りによって自分と過ごした青春の日々を忘れられないようにしたい願望があったと見えるが、この香りを嗅いだ三四郎は戸惑い、美禰子への謎は濃い「ヘリオトロープ」の香に包まれ最後まで解けない。このように最初から最後まですれ違う三四郎と美禰子の姿に哀愁の念を感じさせる作品が『三四郎』であろう
4,900원
『破戒』の主人公丑松の内面の葛藤は、出自の告白と隠蔽をめぐった零落と堕落の二項対立の構図の中で読み解くことができる。こうした内面の葛藤によって、作中で丑松は絶えず<怯え>るのであるが、その心理分析にあたり、感覚表現の視点を取り入れるのは大変有意義なことと思われる。 <社会的な死>を恐れず告白を敢行した丑松は、大日向の手助けによって再生への道を歩き出すのであるが、死から再生への転回を成し遂げた丑松の内面の推移は、蓮華寺の鐘の音に注目してその変化を追っていくと、もっと明らかになる筈である。蓮華寺の鐘の音は、告白を決意する前までは<負>のイメージを喚起する要素として働いているのに比べ、精神の自由を求め、自分の出自を告白した後は、「一生のあけぼの」を象徴するものとして描かれている。 以上のように、本稿では『破戒』の中で感覚表現が意図的に構成され、登場人物の内面を象徴的に表しているということを突き止めてみたい。
4,300원
日本の近代詩人の金子光晴は、明治から大正時代にかけて活躍した作家である。初期はフランスの象徴主義の詩を書き、戦争の前後は戦争に関わる詩の作品を発表する。60年代以後は、ジャーナルリストとして多くの評論を出す一方、恋愛詩と叙情詩も残している。このように、光晴は多様な方面で執筆活動をしていたために、彼の明確な文学ジャンルは、はっきり区分していない。でも、今日のところ、光晴の文学的位置は「反戦詩人」や「抵抗詩人」に限られている。一般の大衆に彼の反戦詩のイメージが強く与えられているからだと思う。光晴の代表的な反戦詩集で知られている『鮫』と『落下傘』は、第二次世界大戦の前後に書かれた。当時には稀であった海外旅行をよくしていた光晴は、戦争の様子を客観的に見つめることができていて、『鮫』を通して<戦争の残酷さ><天皇制の批判><日本人の封建制>などのメッセージを伝えている。この後、戦後の1948年に書かれた『落下傘』は、「反戦」という同じ主題を持っているにも関わらず、全体的な詩のイメージは変わっていた。直接的で強烈な言語で現実の状況を批判している『鮫』に比べて、『落下傘』には、戦争で苦労している民衆の模様と、敗戦で衰えていく祖国の日本に対する作家の愛憎がみられる。この詩集の詩には、「さくら」「もののあわれ」「歌枕」「茶道」などの、日本の伝統の古典的な文化に関する言葉がたくさん出ている。光晴は「日本の封建制を避難したかった」と言っているのに、これらの言葉は、近代の日本の現実とは合っていないし、戦争とも直接的な関連のないものである。特に、以前のフランスの象徴主義の影響を受けて書いた詩では、美しい日本の様子を描くために、同じ言葉を使っていたのである。光晴は戦争の以前の祖国を懐かしがり、敗戦で墜落している国家に対しての哀れを「落下傘」に比喩していると思う。自分が「日本人」ではないのを強調しつづけているほど、帝国主義の日本を憎悪していた光晴といっても、祖国に向いた「愛憎」は隠せなかった。金子光晴の詩を、抵抗詩人の「反戦詩」に限らず、もっと広い視線で見つめると、微妙に変わっていく詩人の内面心理がわかる。作品の中の勇ましい光晴と、現実での弱い彼の姿が、明らかな反対を見せているように、彼の詩の世界も多様な意味を持っていると思われる。
4,300원
『好色五人女』は井原西鶴の五番目の浮世草子として世に出て、その内容は女性達の愛にまつわる実話を脚色したものとして有名である。このため、本作に関する先行研究は実話との関連性、脚色の方法等を中心に行われ、作品全体を覆うモチーフと女性像の関連性についてはまだ言及されていなかった。一方、本作は江戸中期の気質物の流行後である1740-1750年代に『当世女容気』という改題で再度世に出る。これは、本作が当時気質物の流れの上で理解されたことを示し、本作を気質物との関連性という側面でも研究する必要があると思われる。このため本稿では『好色五人女』の女性像を分析し、主な類型性と作品のモチーフの関連性を追求することにした。その結果、本作の女性は大きく二つの類型に分かれた。一つ、極端な感情の変化を現す類型、二つ、愛のために己れを犠牲にする類型がそれである。前者は作中でその結末を否定的に評価され、後者は比較的に美化され、また同情されたりもする。このような類型人物に対する評価の差異は、当時の社会倫理に全く一致するとは言いかねる。当時の儒学者貝原益軒撰の『和俗童子訓』の5巻には「教女子法」があるが、ここに出てくる女性の慎むべき具体的事項は『好色五人女』の女性の姿にほとんど当てはまる。にもかかわらず『好色五人女』で女性達は類型別に評価されているのである。つまり女性が「愛する男に対して犠牲的であるかどうか」という独自の基準によって女性達は造形されているのである。ここに本作の一種のモチーフとも言うべきものが現れ、同時に西鶴が類型人物の対比により作品作りをしたという側面で後続する気質物の原型を『好色五人女』から垣間見ることができると言えよう。
4,900원
紅梅巻の冒頭では「七間」という大納言の寝殿の規模や具体的な登場人物の配置が提示されている。石田穰二氏はこのような異質的な表現をこの巻が紫式部作でない根拠の一つとして取り上げる。しかし、『源氏物語』の中で寝殿の規模が数字で示された例は当該個所のみであり、ここでの空間描写が以後の物語内容と密着していることを考えると、今まで看過されてきたこれらの記述こそ、この巻の物語世界を的確に把握するための重要なポイントになるのではなかろうか。本稿は、このような観点から、紅梅巻の物語世界を把握する独自な方法の一つとして、本文に描かれた建築物と登場人物の居所に注目し、物語展開と関わらせて検討してみることとする。 まず「七間」という当時の邸宅と比べられる具体的な数字を提示することによって、源氏と対抗すべき藤原摂関家の当主たる大納言の位境が表現されていることを指摘した。又、大島本の本文では、紅梅大納言を娘たちと一緖に寝殿に配置するという『源氏物語』において稀な空間配置をしていた。そのような大納言の位置は、大君の入内後、宮の御方に接近しやすいトポスと変わり、寝殿の性格も家族空間から大納言の色好みの場と変わっていくことを検討した。このように、紅梅巻における建築空間を分析することによって、物語が発する様々な情報を汲み上げると共に、物語世界がより総体的に把握できると思われる。 以上のように、本稿は、本文の中に描かれた紅梅大納言の邸宅と登場人物の居所を読み解く作業を通して、その建築空間の性格を的確に把握し、物語世界を総体的に捉えようと志したものである。
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『源氏物語』において賀茂神は、都を去らなければならない切迫した状況で光源氏が無実を訴える対象として描かれている。都を去らなければならい窮地に追い込まれた源氏は、「ただすの神=賀茂神」に無実の罪を晴らしてくれるよう訴えるが、このように源氏が須磨に退居せざるをえない状況において頼った賀茂神は、単に罪の有無を糾してくれる神としてのみならず、王権の守護神としても重要であったのである。それは、賀茂神遥拝後故院(桐壺院)の御陵参拝が行われ、王権の守護神たる賀茂神と先帝の祖霊的働きによって源氏が都へ召還され、冷泉帝即位と明石姫君の入内によって源氏の栄華が築かれていくからである。このように賀茂神は、源氏を栄華へ導く神として機能し、物語展開に大きな役割を果たしているのである。
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芭蕉がもっていた宗教観をかいまみると、芭蕉は常に人生とは、川の流れのように流転する旅のようなものであると思っていたに違いない。そして芭蕉は、人間は命を大事にし、生きている間は積極的に人生を生き、自然から与えられた命を十分に樂しむべきだという考え方をその作品のなかで示している。芭蕉のそのような考え方の根底には、まず、芭蕉が俳人生活の初期から傾倒していた荘子の思想があげられる。そして当時の俳壇を強打した荘子の思想からでた禅の影響も見逃せない事実である。また古くから日本の伝統文学に影響を与えてきた仏教と日本人の伝統的な信仰である神社にまつわる宗教観などがあげられるのである。このような宗教的な影響の跡は彼の作品のあちこちで散見出來るのである。 俳諧師としての人生を歩んでいくにおいて常に、命あるすべてのものには、生きているうちは一刻も油断しない、この一刻は、一度去ったら永遠に帰って來ないのだから、一刻一刻を自然に従い、造化従順しようとした芭蕉の人生観は、まさにそのような宗教観が大きなささえになっていたからこそ可能であったといえるのではないか思うのである。
일본 지방자치단체의 커뮤니티 비즈니스 지원 사업에 대한 일고찰 ― 가나가와현 즈시시(神奈川県逗子市) 사례를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제73권 2007.11 pp.297-308
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近年、日本の多くの地方自治体では「地域に眠っている資源や人材を活かし、地域の課題を住民自らがビジネス手段を使って解決する活動」であるコミュニティ・ビジネスに注目し、多くの地方自治体で支援事業が行われているが、自治体の支援事業を詳細に分析した研究はまだ限られている。そこで、先行研究で論じられたことのない神奈川県逗子市の支援事業を分析したところ、行政自らの判断で支援事業が開始され、市の直接支援から間接支援への移行が生じていることが分かった。ただ、間接支援と言っても、実際には市中心の事業展開である点に変化はなく、コミュニティ・ビジネスの育成・支援について、市民の行政に対する依存が大きいことも判明した。 コミュニティ・ビジネスについて「新しい公共性」の視点から分析すると、コミュニティ・ビジネスは「政府の公」「民の公共」「私的領域」のうち「民の公共」に属するものであると言える。逗子市の事例を通じて、市民から要望が出る前に、「政府の公」たる地方自治体が「民の公共」たるコミュニティ・ビジネスを育成しようと積極的に乗り出すことは、結局は「政府の公」中心で事業を開始し展開することになり、かえって「民の公共」の自立を阻害してしまうという逆効果が生じうることを指摘した。 韓国においても、今後、コミュニティ・ビジネス支援事業が展開される可能性があるが、日本の地方自治体の事例分析は貴重な示唆を含むものであると考えられる。
아시아·태평양전쟁 말기 식민지 참정권의 전개 - 1943년 조선 지방의회의 「추천선거」를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제73권 2007.11 pp.309-326
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1943年植民地朝鮮で実施された地方議会の推薦選挙で日本帝国主義は、推薦母体議員及び議会議員候補者の選定において協力的人物に限定し、朝鮮人と日本人を厳しく分け議会内で日本人の優位を確保した。また、選挙運動と投票過程などを厳しく統制した. しかし、それにもかかわらず、一部の議会議員候補者及び有権者は総督府の政策にそのまま応じたわけではない。自由立候補者の出現、低い投票率、非推薦候補者の当選などがそれである。このように、アジア・太平洋戦争末期に植民地朝鮮の地方議会で行われた推薦選挙は、日本帝国主義が掲げた同化主義支配イデオロギーを自ら否定し、同化の進んでない状況のなかで戦時動員をしなげればならなかった日本帝国主義の悩みと矛盾を見せてくれる。日本帝国主義が植民地朝鮮で同化を成し遂げ、朝鮮人の自発的協力を引き出し、安定した支配を続けるのは簡単なことではなかった。アジア・太平洋戦争が長引くなかで朝鮮で同化政策が極限化し、広汎な強制的動員が行われたのは、このためであったのでる。
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本論文では、第一に韓国の育児政策が幼稚園と保育施設の二元体制によって発生されてある多様な制度上の問題点などを検討して指摘してみることにする。第二は、幼児教育法と乳幼児保育法に明示されてある法律の範囲内で一部の私立․民間施設設立者の意志に従い、幼稚園と保育施設を同じ場所に設立․運営している物理的 幼․保一元化施設の出現 背景と事例、現況等について検討してみる。第三は、最近日本で本格的に論議されている政策的幼․保一元化施設である「認定 こども園」の推進背景とその運営事例について検討し、その結果を韓国の物理的幼․保一元化施設との比較分析を通して韓国の育児政策のいくべき方向について整理してみる。研究方法は、文献研究、現場観察及び面談等を通して行われた。.
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日本は、1990年代に入り史上最低の投票率を記録した。持続的に低下する投票率を食い止める様々な制度改正が行われてきた。有権者に対する投票利便性の提供と投票方法の多様化のため、投票時間の2時間延長、期日前投票制度の導入、在外国民への参政権拡大、洋上投票等が導入された。このような制度的な工夫に伴い、1998年の参議院選挙から投票率の低下が弱くなり、2000年代に入ってからは増加する傾向が現れている。 従来、日本の投票時間は午後の6時まであったが、2時間延長によって夜8時までとなった。投票時間の延長によって10ー15%の有権者が延長された時間に投票するのが明らかになっている。また、2003年から期日前の投票制度が導入され、2004年参議院選挙、2005年衆議院選挙、2007年参議院選挙では著しい増加傾向が現れている。2007年参議院選挙では、投票へ参加した有権者の17%が期日前投票をしている。これ以外にも在外投票、洋上投票制度が実施されている。 本稿での分析結果によると、日本の投票率増加は1990年後半から新しく導入されている投票方法の多様化の影響が大きいと思われる。最近、韓国でも投票率は低下している。同じ問題を抱えている韓国の場合でも、日本が導入した制度改革のような試みが必要である。
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日本では、中日戦争の長期化にともない、総力戦体制を構築する動きが加速化した。この総力戦の時期には、「前線」と「銃後」の区別は消滅し,感情や身体,文化などさまざまな領域が動員され、今まで私的領域にとどまっていた日常生活の中にも戦争が侵入してくる.本稿は、組織と個人から構成される社会がどのように総力戦にかかわっていたのか、日本国民にとって総力戦はどのような意味をもっていたのか、を問い直すものである。
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茶道にかぎらず古今東西を問わず心の思いのままに行動してはいけないという教えはたくさんある。宗教の世界はもちろん多くの文学作品の中にも、家庭における子供のしつけにも感情を押さえて心を治めるように教える。 日本茶道が闘茶という一種の遊びとして流行った時期に、書院を豪華に構えて高価な茶道具を誇って威勢を誇る茶の湯が流行するが、そのような方式の茶の湯では深い楽しみや慰みを得ることができなかった。 村田珠光は修道僧として禅を行う求道者で、当時の文学である連歌を習い、舞台芸術である能を理解しそれらの美意識に共感した。これらの美意識すなわち禅的要素を含む冷え、枯れ、痩せなどの美的理念に高い価値を置いて茶の湯の世界にそのような理念を取り入れたが、それがわび茶であった。 珠光のわび茶の姿は「心の文」によく現われているだけではなく、彼を尊敬した後世の茶人山上宗二の文の中にも残っている。特に山上宗二は珠光のわび茶を詳しく紹介しながら彼の精神を高く評価して彼が主導した茶席を理想的な姿として記録で残した。 珠光のわび茶の精神の中、特に注目される点は和製の茶道具と中国製の茶道具の調和を楽しむことを勧めた。すなわちある一つだけが良いという偏見を乗り越え、調和の美を求めたのである。初心者は初心者なりに上手い人は上手い人なりに茶道具を欲しがった。このような状況で自立的な美意識を取り揃える、わびを感じることの大事さを強調し新しい次元の美意識を提案した。 珠光の「心の文」は茶道の美意識を提案しながら、これを実行するための禅の精神世界と調和の美、旨く発揮させることによって創造の原動力になる我慢と我執の精神を提示して、今日の日本茶道精神を構成する際の重要な基礎を築いたのである。
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