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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제87권 (19건)
No
1

4,300원

イベントが行われる際のイベント参与者(主語/目的語)の状態を表す状態記述二次述部(deciptive secondary predicates;DSP)に関して日本語と韓国語では(1a)(1b)のような対立を示すことが指摘されてきた。つまり、日本語では(1a)のような形容詞はDSPとして成立しない(竹沢2001)のに対して韓国語では(1b)のように形容詞DSPが成立するということである(竹沢․金․金2003)。(1) a.* 太郎が料理をしょっぱく食べた。b. suni-ga eumsig-eul jja-ge meog-ess-da. 花子が 食べ物を しょっぱ-ge 食-Past-Decl しかし、(1b)のような文の「形容詞-ge形(jja-ge)」の性質に関しては、それがDSPではなく、「形容詞-ge形+して」から「して」が削除されたものであるとする見解もあり得る。本稿では、このような問題に対して、(1b)のような文がDSPであることを「hae-seo」削除分析をもって検証する。具体的には、「形容詞-ge形」と「形容詞-ge形+して」は時間副詞の介入可能性と意味的な性質において異なることを示す。次に、韓国語の形容詞DSPが成立する条件として形容詞の意味的な性質を取り上げる。形容詞には、その意味的な性質から、段階レベル述語(stage-level predicates)と個体レベル(individual-level predicates)述語に分類することができるが、この違いが韓国語の形容詞DSPの成立にかかわっていることを述べる。最後に、日本語には形容詞DSPが成立しないことがこれまで指摘されてきたが、形容詞DSPと捉えることができる例も見られることを示す。

2

일본어동사활용의 성립에 대하여

김원기

한국일본학회 일본학보 제87권 2011.05 pp.13-25

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4,500원

本稿は、動詞の活用の種類と活用形の成立について先行研究を踏まえて私見を述べたものである。動詞活用の成立は、日本語の成立の過程の中で考えなければならないので、まず、文献以前における日本語の音韻組織․音韻体系の把握、つまり、前日本語の段階における閉音節の存在及び古代日本語における母音調和の痕跡、そして上代の文献にみえる母音構造․音節結合の規則․母音子音の脱落と挿入などの実体を把握整理を行った。それをもとに考察した結果、動詞活用の種類は子音終止語幹の四段․母音終止語幹の二段․中性母音を持つ上一段、そして一部の動詞による変格活用に分けられた。活用形は、母音交替と形態素(接辞)の付着、また、先に成立した活用の類推によって成立されるが、まず被覆形として未然形と露出形として連用形が成立し、他の活用形は連用形によって表された各用法をさらに明確にするために発生されたものと推定した。終止形はおそらく連用形に次ぐ露出形として成立し、連体形は終止形により分化し、命令形は連用形から分化したものと推定したが、已然形については論理的に推定することが不可能なため判断を保留した。

3

「XニトッテAハB」に関する考察

吉田玲子

한국일본학회 일본학보 제87권 2011.05 pp.27-38

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4,300원

本稿は「XニトッテAハB」という文を研究対象とし,その基本的意味と典型的なかたちを提示したうえで,日本語学習者が混同しやすいニトッテ(ハ)とニ(ハ)について,その置き換え可能な条件や,両者の差異について考察した。基本的意味は,(a)Xは「AハB」という判断が特に当てはまる当事者である,(b)AをXと関係づけたうえで,Aについて,Bと規定している,(c)Bは(Xと関係づけられた)Aの質を評価的に示している,とした。そして,ニトッテがニに変換可能なケースはBが本来ニと結びついて述語をなす形容詞である場合であるが,その例はごく少ない。また,その場合でもXとBが離れると不自然さが生じ得る。一方,ニハはBが形容詞でも名詞でも多くの場合変換可能であるが,ニトッテが特立性を有するのに対し,ニハはハによる対比性がある点で異なること,さらに,ニトッテがX․A․Bの関係を明示的にあらわすのに対し,ニハにはそこまでの関係表示力がないことを述べた。 

4

4,600원

本稿では日本聖書協会刊行による新約聖書(新共同訳)の4福音書を言語資料として、ナル型敬語とレル型敬語が混用されている例の中から、特に[話体的要因]が使用上の基準として関与している動詞を対象として、2つの尊敬語形式の使用実態を具体的に検討することにより、ナル型敬語とレル型敬語の使い分けに関わる多種多様な使用上の基準が、実際どのように関与しているかについて考察した。本稿で考察した内容をまとめると、以下の通りである。[1] [ヨハネによる福音書]では「{神․父․わたしの父․イエス}が栄光を受ける」が受ける「栄光」に対して「お受けになる」が使われており、[マルコによる福音書]と[ルカによる福音書]では<イエス>に対して「イエスが{洗礼․誘惑․尊敬}を受ける」のように行為対象が特定されており、当該行為が個別的で具体的な事件と認められる場合「受けられる」が使われている。[マルコによる福音書]の「イエスが栄光をお受けになる[とき]」と[ヨハネによる福音書]の「イエスが栄光が受けられた[とき]」は、福音書間に現れる単なる異同の問題ではなく、対話文であるか地の文であるかという文体的な違い、敬意主体としての<イエス>の身分的な違いを区別して、これを敬語形式に積極的に反映したものと解釈される。一方、<イエス>に対して[マルコによる福音書]の「お受けにならなかった」のようにナル型敬語が使われた例があるが、これに対しては神的な存在としての<イエス>という[行為主体の特性]を表すためのものであるという解釈も出来、又は[話体的な違い]に基づいて文全体に荘重な雰囲気を与えるためのものであるという解釈も成り立つ。もう一方において、文意を伝えるという側面から、不可能と誤読する可能性があり、これを排除するために多分に意図的にナル型敬語を選択したという解釈も否定し難い。[ルカによる福音書]で<敬愛するテオフィロさま>に対して、ナル型敬語を使っているが、これは上位者を高めるという敬語使用時の一般的な規則が適用されたものである。[2] [マタイによる福音書][マルコによる福音書][ヨハネによる福音書]では[主の降臨]を表す地の文で<イエス=王=方>を<神的なイエス>と見なして「お乗りになる」が使われており、[マルコによる福音書]では<イエス>の行為が個別的で具体的な事件として認識され「乗られる」が使われている。又、改まり度といった話体的な要因は、一般的に「お乗りになった」のようにナル型敬語が文末終止に使われる場合には改まり度が高くなり、「乗られると」のようにレル型敬語が既定条件を表す条件節に使われる場合にはナル型敬語より改まり度が低くなる。しかし、ナル型敬語も条件節に使われる場合があり、レル型敬語も文末終止の形で使われる場合があるため、文末終止、条件節、接続詞等、文の外形的な構造にのみ注目するのではなく、それと同様に前後の文脈や状況を十分考慮し、前後2文の意味関係を正確に理解することも重要であるといえよう。[3] [ヨハネによる福音書]では、奇跡を行う直前の<イエス>の行為に対しては荘重さという話体的な特徴を敬語に優先的に反映して「お座りになる」が使われており、[ルカによる福音書]では特別な改まり度が感じられない<イエス>の行為に対してはナル型敬語より相対的に敬意度の低いレル型敬語「座られる」が使われている。又、文脈や状況によって前後2文が継起的な動作として把握される場合には接続助詞「~と」や接続詞のような形式をあえて伴わずとも、そのような意味関係が成り立つという点から、文末終止による休止機能と条件節による動作の連続性は荘重さという話体的な要因を反映するための絶対的な基準ではないということが分かる。以上の考察内容は、李成圭(2011a)で複数の尊敬語形式が混用されている「お帰しになる․帰される」「お教えになる․教えられる」「お与えになる․与えられる」「お命じになる․命じられる」「お造りになる․造られる」「お示しになる․示される」を対象に行った使用上の基準が有効であるということを立証する。

5

日韓語の形容詞語幹について―「語幹の自立性」という観点から―

李忠奎

한국일본학회 일본학보 제87권 2011.05 pp.53-68

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4,900원

本稿は、日韓語の形容詞語幹の用法を整理し、自立性という観点から見た場合、どのような指摘が可能であるかについて考察を試みたものである。具体的には、日韓語の形容詞語幹の用法を、1)単独で用いる場合、2)合成語の後項要素として用いる場合、3)合成語の前項要素として用いる場合に分けて整理し、合成語の前項要素として用いる場合(①名詞の後続、②動詞の後続、③形容詞の後続、④形容詞語幹の後続、⑤接尾辞の後続)は、形容詞語幹の用法が両言語間で同じであるが、合成語の前項要素として用いる場合でも動詞語幹が後続する場合と単独で用いる場合、また、合成語の後項要素として用いる場合(①名詞の先行、②動詞語幹の先行)は両言語間で相違が見られることを確認した。そして、この考察結果を「日本語の形容詞は語幹の自立性が高いのに対して、韓国語の形容詞は語幹の自立性が相対的に低い」とまとめた後、これは李忠奎(2010)の日韓語の動詞語幹の自立性に関する考察結果とも合致することを指摘した。結論として、日本語の用言語幹が韓国語の用言語幹より自立性が高いことになり、この結論は両言語の複合語の数に大きな差があることを理解するのに役に立つ。

6

4,300원

日本語の外来語は,ほとんどが英語からの借用である。英語をL2とし,韓国語を母語(L1)とする日本語(L3)学習者にとって,外来語を多く含むテキストの聴解には英語(L2)の語彙知識が影響していると考えられる。しかし,単語レベルにおいてL2の英語とL3の日本語には音韻構造に大きな違いがある。そこで,本研究では,第3言語(L3)としての学習目標言語に借用された単語の音声から第2言語(L2)の書字へ適切に対応させる能力が,テキストレベルの聴解にどのように影響するかを検討した。第1に,音声と書字の対応関係に関する能力が外来語を多く含んだテキストの聴解に影響する因果関係モデルを想定した。その結果,英語の語彙知識は英語とカタカナの書字能力を介して日本語の語彙知識に影響し,それがさらに聴解能力に影響するという因果関係が見出された。第2に,聴解能力を基準として英語とカタカナでの表記の正答率に対してクラスタ分析を行ったところ,4つの分類が見出された。さらに分類された語の誤答のパターンから,L3外来語の表記には,L2だけではなく,L1の音韻․書字知識による影響も見られた。

7

4,500원

村上春樹の話題の新作『1Q84』に対する解釈は実に様々であり、文学的な評価もまた極端に分かれている。それは、この作品に象徴と比喩が多く、ストーリーの構成が多様な要素から成り立っているからだと思われる。したがって、作品の世界を理解するためには、その中に散在しているパズルを組み立てること、その象徴と比喩の意味を探ること、登場人物間の関連性を探ることが肝要であろう。本稿では、このような観点から、天吾と青豆、ふかえり、宗教集団「さきがけ」のリーダー、牛河などの人物の関連を考察し、作品を分析した。この作品には宇宙論的な性格の世界観がみられる。宇宙は人間の認知能力を超える「均衡」の原理により作動しており、宇宙論的な見地から善悪は判断しがたいという世界観が根底にある。同時に「引き寄せ」の原理によって形成された関係、それこそが宇宙であるという世界観がこの作品の基底にあるといえる。小説『1Q84』の中の時間的な背景である1Q84年の世界は、このような世界観が展開される世界なのである。このような世界観と関連し、青豆、天吾、リーダー、ふかえり、牛河など様々な人物が造型された。この作品のリーダーは青豆に「均衡」の原理と「引き寄せ」の原理を示唆し、青豆の世界観の変化を導く。また、ふかえりは天吾に「引き寄せ」の原理を認識させる役割をはたす。そして牛河は、互いに引き寄せている青豆と天吾の出会いを導く人物として造型された。このような人物群の造型を通して、青豆と天吾という二人の男女の愛は宇宙論的次元に昇華されるのである。

8

4,800원

植民地朝鮮に付与された「植民性」が社会進化論に基づいた発展史観を裏付る資料や機制として機能したことは周知の通りだが、一方、それが発展主義的な思考を懐疑させ、棄てさせる動因であった可能性も存在するのではないだろうか。本稿では、植民地朝鮮出身の作家․金史良(1914-?)の日本語小説「光の中に」(1939)を参照項にし、宗主国日本の作家․横光利一(1898-1947)の後期代表作『旅愁』(1937-46)が露にする帝国主義的な欲望から脱走する契機として、その中に括られた「植民性」の内破する力に注目した。興味深いことに、「南」と「マラソン」が隣接する(日章旗抹消事件)物語時間や場面に限って、主人公格である矢代の「競争嫌い」が集中的に描かれる。このように植民地朝鮮に関する表象と発展史観への危惧が同伴するということは、発展段階説的な「競争」に対する異議申し立てを可能にする他者として、彼ら植民地「朝鮮」の人々が佇んでいたことを意味していよう。戦後、戦争協力者として指弾された横光利一の『旅愁』と戦前の日本が歩み得た別の可能性は、単純ながら他者の他者性を自覚することにあったのである。 本稿は、可能性のトポスとして「朝鮮」を問い直すものであり、存在し得たかも知れない可能態としての『旅愁』を現前させる試みである。

9

4,200원

佐多稲子のはじめての朝鮮旅行は1940年、朝鮮総督府鉄道局の招請によるものである。6月16日に東京を出発し、下関から連絡船で釜山に渡って京城、開城、平壤、それから金剛山を含め慶州を回り、6月28日に帰国する。翌年1941年、満州日日新聞社の招待で満州を旅行し、帰り道で再び朝鮮を訪問する。二回の旅行を「朝鮮の子とその他」、「朝鮮印象期」、「金剛山にて」、「朝鮮のあれこれ」などのエッセイに残している。それでは作家はこれらのエッセイを通して何を描こうとしていたのか、また朝鮮をどう認識していたのか。プロレタリア作家時代反戦的な姿勢を堅持していた佐多稲子は、戦時期には国策に積極的に協力し、徵用作家として活動する。そして戦後には作品を通して戦争協力の原因を追求しながら自己批判をしている。このような一連の作家の思想的な変化は朝鮮に対する認識と並行に進行している。朝鮮少女を通して、また朝鮮女性を通して、階級的な連帶意識から植民地の現実に対する無意識を假裝した傲慢へ、以後にはまた小説を通して自己反省へ推移していったのである。佐多は朝鮮体験を通して言語の問題に注目する。朝鮮を二言語状況と認識していたのである。「あなたたちは朝鮮語を覚える必要がないんです」という全貞姬の<私>への発言は、同じ二言語の状況でも日本から移動してきた植民者の日本人と被植民者の朝鮮人には違う現実であることを物語っている。また朝鮮女性の創作での言葉の問題を取り上げている。朝鮮の女性は日本語でも韓国語でも自分の文章を完璧な作り出せない言葉の分裂状態に悩んでいる。作家は植民地末期の二重語創作の問題を、作家志望生の朝鮮女性を通して顯在化させている。日本語を排斥せず、朝鮮語にも執着しない。「人間の微妙な心理」が書ける作家になりたいという個人の問題なのである。これまで、植民地末期朝鮮人作家の日本語創作活動は、いわゆる「親日文学」の範疇で論じられ、文学研究から解除されてきた。しかし作品の中の全貞姬を見る限り植民地個人において日本語創作は、親日や反日など政治論理からでは説明できない面を呈している。小説の中に描かれている朝鮮の二言語状態は、二重語の創作をめぐる多様な側面や可能性を示していると思う。

10

4,600원

1920年代の日本文壇は久米正雄が提唱した「私小説」を含め、現実を再現したものとして小説を認識する陣営とそうでない陣営に分かれていた。そしてその重心は久米正雄、菊池寛、プロ陣営の一部など、当時の重要な文学論争を担っていた文学担当者たちによって〈現実の再現としての小説観〉に置かれていた。こうした1920年代の文学担当者たちの認識の枠組みを支配していたライティング(writing)のパラダイム、即ち〈現実の再現としての小説観〉の延長線上に「文章」を置いた際、それは同時代のパラダイムに反するテキストであると言えよう。何故ならば「文章」は芥川龍之介が実際発表した「きりしとほろ上人伝」を連想させる「何とかほろ上人と云ふ小説」という文句を挿入、読者をして〈登場人物=語り手=芥川龍之介〉に讀むよう仕向け、実際作者の私的な問題を携わっているテキストであるかのように装いながら「今日」を「七八年たつた」時点に設定し、作者の私的な前歴とは不一致を引き起こし、作品の世界が虚構であることを明らかに見せているからである。要するに「文章」は同時代のライティングのパラダイムに挑戦するテキストである。

11

4,500원

川端康成の代表作の一つとして数えられる小説『千羽鶴』は普通では考えられない愛の物語である。主人公である菊治を中心として繋がる愛情の関係は、社会的に許されない関係だからである。本稿ではこのような話である『千羽鶴』がどのような過程を経て文学的な価値を獲得して来たかを、川端康成のよく使う「魔界」と「形代」という文学的なモチーフを中心に探ってみた。この小説は、茶室を背景にして整然とした日本の伝統芸道の色を醸し出しており、また描写においても川端特有の簡潔で含蓄的な表現を駆使して猥褻的な感じを大きく軽減している。そして「魔界」と「形代」という文学的モチーフを巧みに組み入れて、醜悪な感じどころか、却ってうっとりした愛の美しさまで感じさせてしまう。「魔界」とは世の中の価値観や倫理などが何の意味も持たない世界であり、人間が作り出した倫理や道徳が存在する以前の、原初的な男と女が通じあう純粋リビドの世界である。川端はこれを小説のなかでは「別の世界」と表現している。「萬物一如」、つまり万物はすべてが互いにつながっている一つであるという「文学的」世界観が、この小説の背景と茶道具と人間関係のすべてをつなぐ根本原理として作用している。

12

5,200원

本論文は、韓半島の <日本語文学>研究の中でもっとも不毛地といえる1910年代の日本語文学の特称を考察したものである。この時期、韓半島で発表された日本語作品を『朝鮮及満州』(京城 : 朝鮮雑誌社, 1912.1-)の文芸欄を中心に考察し、1910年代日本語文学の論理とその内容的変容を検討することで1910年代韓半島における日本語文学の全貌を明らかにしようとした。 1910年代『朝鮮及満州』を中心として考察した日本語文学の特徴は次の通りである。(1)文学に対する真摯な評論が試みられており、文学を始めとして植民地朝鮮におけるあらゆる文化芸術分野の定着と展開過程、現況などを纏めている。(2)韓国文学のありのままの紹介。(3)植民地朝鮮を具体的に形像化し現地の在朝日本人たちを描いた作品の創作が主張されており、文芸欄もこの動きを反映し朝鮮そのものを素材とした多くの作品が書かれている。(4)この作品は当時幅広く議論された堕落した在朝日本人像をテーマとした場合が多い。また雑誌名の変更とともに在満州の作家や満州を背景とした作品も増えているのが確認できた。このような側面から1910年代『朝鮮及満州』の文芸は、1900初年代の日本語文学ともその様相を異にしており、1920年代の日本語文学へと移るべく新しい類型と多様な可能性を見せていたといえる。

13

4,500원

「十三夜」の先行研究では、テキストの二段構成が注目されてきた。つまり結婚七年目にして原田勇という明治の官僚の夫に虐げられて我慢の限界に達し、出奔同然のような形で実家に帰り、両親に離婚を懇願する(上)と、結局お関の願いが成就できないまま婚家へと帰る途中に偶然、初恋の相手である録之助と再会する場面が描かれる(下)との関係を対照的に捉えてきた。しかし本稿では、むしろ(上)(下)を対照的に捉えずに、それを貫くモチーフを明確にすることを試みたうえで、テキストの末尾をどう解釈するかという点に焦点をあわせた。離婚を望む娘に対する父親の言葉に注目してみると、父親は彼女に同情や理解を示すものの、離婚は許可しない。それは没落した士族の社会的な身分․階層への深い認識にほかならない。ここで注目すべきは、自分の七年間の結婚生活の中での夫原田への不満を語る場面において、語り手の介入がなく、お関側から一方的に語る設定になっている点である。先行研究では、これをお関の自我の欠如や自分を顧みない人間的な未熟さとして批判的に捉えてきたが、まさにこれは、お関の社会的な身分․階層に対する意識の希薄さの表れであろう。また離婚の願望が成就できないまま、婚家に帰るために人力車に乗ったお関は、その車夫が初恋の相手であったことに気づくわけであるが、そこには自らの放蕩によって家族や家財をすべて失い、生きる気力さえも持ちえずに、木賃宿暮らしの社会下層に転落した録之助の姿が示されている。このふたりの再会場面で注目すべきなのは、お関が最後の別れの場面において録之助に金を渡す行動である。つまりこれは、録之助と自分との社会的な身分․階層の隔たりへの深い認識を表すともに、明治の新時代の体現者である夫原田の奥様として生きていく事へのお関の決心として捉えよう。勿論それは我慢、辛抱といった自己抑制にほかならない。

14

4,500원

本稿で取り上げる「景清」は、曲舞『景清』において平家残党の集約体として登場しているという点に異見はないようである。しかし、平家の一人の侍に始まり、後に平家残党の集約体を象徴する人物として登場するという、景清の描かれ方の変化についての疑問は、景清に関する多くの研究を生み出した。その中で北川忠彦、星野貴志は『平家物語』に描かれている景清を通して、景清を平家残党の集約体を象徴する人物として見ている。だが、これらの研究は『平家物語』「当道係」である語り物系だけを考察したり、「当道係」である語り物系と「非当道係」である読み本系で見られる景清を大まかにまとめて記述するにとどまるといった問題点を抱えていた。これに関して拙稿「景清の一考察-『平家物語』を中心として-」で、景清を描いている『平家物語』だけを通してでは、平家残党の集約体として景清を想定するのは無理があると論じた。このような観点で拙者は景清が平家残党の集約体として描かれている曲舞『景清』に表われたエピソード、すなわち平家の復讐․源頼朝の暗殺試み、側近および情人の裏切り、牢破り、観音の身代り、源頼朝の赦免、景清の両眼抉り等に関する史料を考察する必要性があると考えた。だが、本稿で景清関連のエピソードすべてを取り上げるのには無理があるため、『平家物語』の景清と平家残党関連のエピソードである、平家の復讐․源頼朝の暗殺試み、側近および情人の裏切り、観音の身代りの中で「平家の復讐․源頼朝の暗殺試み」について考察する。景清が源頼朝暗殺の試みをしたというエピソードは、景清物の中で、能『大仏供養』、曲舞『景清』、浄瑠璃『景清』『出世景清』の中心内容である。だが、『平家物語』で頼朝を暗殺しようとした人物に、景清という名前を探し出すことはできず、頼朝暗殺を試みようとする人物は『平家物語』各伝本によって、異なって登場する。したがって、本稿では『平家物語』を語り物系と読み本系とに分類して調べ、鎌倉․室町時代の歴史書、日記のうち『平家物語』伝本と平家の復讐․源頼朝の暗殺試みと一致する書籍を中心に考察する。このような研究は、平家残党の集約体を象徴する人物として登場した景清に関する一面を把握する契機になるであろうと考える。

15

芭蕉와 杜国의 교류에 관한 고찰

許坤

한국일본학회 일본학보 제87권 2011.05 pp.195-206

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4,300원

杜国は尾張蕉門開拓の當時から蕉門の中心人として活躍した芭蕉の代表的な門人の一人である。越人の紹介で芭蕉の門下に入るようになり、1688年には吉野, 高野, 須磨, 明石などを巡禮した『笈の小文』紀行の中での吉野, 高野での日程などで芭蕉と同行した。芭蕉と杜国の關係に関しては支考が「杜国は故翁の愛弟」と言うほど師弟の付き合いは大変深かったと知られている。杜国は、蕉門の代表的な俳諧選集である俳諧七部集の第一巻の『冬の日』を構成するにおいて野水․荷兮․重五․杜国․正平などと共に五歌仙として活躍し、蕉門俳諧の中興期においてもとても大事な役割を果たしたと言える。このような事実から推測出来るのは、芭蕉と杜国は俳諧世界の中でもかなり深い交流があったと言えるのである。芭蕉は多くの門弟の中でだれよりも深い愛情をもって杜国と交流をつづけていたのである。そして芭蕉は自分の作品の中で杜国についてあまりにも人間的に姿を見せている。芭蕉が晩年の約十年間を紀行をしながら自分の俳諧の改革を追求するにおいても杜国は頼もしい柱になって芭蕉を見守ってくれた人物であると言えるのである。

16

4,500원

After the Dokdo stamp was issued, and after Korean post to Japan included Dokdo stamps, the Japanese media, local governments, and the Japanese Diet all tried to stop this. At that time, there was no formal Korea-Japan diplomatic relation formed, and since the Korean-Japanese conference came to a halt due to Kubota's statement, Japan's response was limited from the start. The response of the Japanese Diet, however, was strong. There are two possible reasons to this. First, the Japanese Diet was under burden of the Korean Peace Line proclamation and Japanese media that was critical of its government. Second, at this period, Japan withdrawed the ICJ lawsuit regarding Korea's lighthouse establishment in Dokdo, due to opposition from Korea and a split of opinions within the Japanese Diet. Concerning these two situations, the Japanese Diet took a strong line towards Korea. Thus, this paper aims to anaylze how the Japanese Diet dealt with Korean mail with Dokdo stamps on them, and examine the Diet's limits regarding its response.

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네오국제화기의 일본애니메이션에 나타난 사상

具見書

한국일본학회 일본학보 제87권 2011.05 pp.221-234

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4,600원

ネオ國際化(neo-internationalization)は、單純に國境を超える現象だけではなくお互いに共有する現象も含む概念として國際化という概念よりも進展されている概念である。その概念を日本と関連して考えてみると、日本的なものの国際化とそれの国際的に共有すると言うことを意味している。ネオ國際化期においてそのような現象となった日本アニメは、既存のような地域性や民族性を乗り越えると同時に、デジタルアニメ化, アニメ伝達媒体の国際化、國際的ネットワーク化、內容と主題の国際化などによりダイナミックに交流及び共有されたし、また世界各地に文化消費市場が出来、巨大な日本アニメ文化世界を築くことになった。そのグロバル化とされている日本アニメは、重要な成長産業の一つとして認識される文化産業革命、附加價値を得られるものとされた經濟文化革命、國家と民族を超え共有できる文化と認識される世界文化革命を引き起こし新しい文化的位相を構築している。他方では、日本アニメは世界的市場、世界的消費者、専門的アニメ会社、専用の伝達媒体などにより発展しながら普遍的で国際的な価値観や思想を作り出しているのである。結論から言うと、ネオ國際化期の日本アニメに含まれている思想は、時代參與主義、地球平和主義、生活ユーモア主義、成功型成長主義、ネオ日本主義 などであると言える。

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17세기 후기 일본사회와 사치금령

具兌勳

한국일본학회 일본학보 제87권 2011.05 pp.235-256

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5,800원

この論文は、17世紀後期に江戸幕府が発令した奢侈禁令の内容、そのような禁令が下された社会経済的背景、そして奢侈禁令の原則と論理などについて実証的に検討したものである。即ち、元禄時代に江戸幕府の町人の生活規制の実態はどうだったのか、元禄時代の奢侈風潮の実像はどうであったのか、江戸幕府の奢侈禁令は、どのような原則と論理を内包していたのか、などについて分析したものである。奢侈という流行現象を禁令や暴力で抑圧するということはそもそも不可能なことであったかもしれない。江戸時代の為政者たちはすでにそれを知っていた。それでは、江戸幕府はなぜ奢侈という「幽霊」と勝ち目のない戦いをしたのだろうか。いや、戦わなければならなっかたのだろうか。日本近世社会は、倹約の精神を祖法とし、分限思想を身分制原理とする封建社会であった。ところが、商業資本の活動に武士経済と農民経済が破綻した。これに比べて都市の町人は、経済力を背景に贅沢な生活をした。武家社会と農村社会の破綻は、幕藩体制の危機であった。そして、「士農工商」の最下位に位置した町人の奢侈は、封建的身分秩序の根本を揺るがすことだった。幕藩権力は町人を対象に奢侈禁令を出して、彼らに身分にふさわしい生活を強要した。この時、身分差別の最も重要な指標となったのは服装であった。町人を対象とした奢侈禁令は、元禄時代に最も多く発令された。奢侈禁止の方針は、単に高級品の需要を抑制することが目的ではなかった。それは乱れた身分秩序の根本を正し、政治体制の基盤を安定させることを目的としていたのである。

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4,600원

In the early 2000s, new local economic growth strategies have operated under very different models in different regions of Japan, although all new local programs have been introduced under the banner of public-private partnership. New partnership programs in the local economic policy arena in the 2000s have moved toward the market model, in which local authorities pursue growth by attracting private business resources, in the major metropolitan areas around Tokyo, Osaka, and Nagoya, whereas they have moved toward the community model, in which local authorities pursue growth by mobilizing local organizational resources, in the rest of Japan. The market model is embedded in market reform for deregulation that makes large private corporations' freer activities easy, whereas the community model is an attempt to strengthen the structure of endogenous networks among local authorities and local economic and social elites. New local partnership programs, which have been introduced under the leadership of Koizumi Junichiro, made the disturbance of the Japanese way of balancing market powers and local interests in the postwar period.

 
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