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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제72권 (26건)
No
1

日本語長母音と短母音の知覚習得過程 -韓国人日本語学習者の場合-

木下直子

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.1-12

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4,300원

This paper reports research which investigates the processes by which Korean learners of Japanese acquire the perception of long and short vowels. It investigates the progress of seven Japanese-major university students over a period of two years. Perception was measured with a listening test consisting of 32 non-words of 3 to 6 mora long of varying pitch, mora position and rhythm type. The same test was conducted three times, over the two years. Factors explaining variance in the responses were determined using a stepwise multiple regression analysis and then, the data were compared using linear repeated measures ANOVAs. The results demonstrated the following: 1) The test scores of the participants in their third year were higher than those in their first year. 2) Pitch, rhythm type, mora position and vowel length were all factors determining accuracy, but there was individual variation between the participants. 3) The length of vowel determined variance in responses for learners of lower proficiency. 4) For learners of higher proficiency, variance in response was determined by pitch, mora position and rhythm type. 5) Finally, the participants identified the long vowels significantly more accurately in the third year than they did in the first two years.

2

4,600원

「ぬ」「つ」が推量の助動詞「らむ」に接続して「ぬらむ」「つらむ」となる場合、「ぬらむ」は「~ているだろう」と解釈されることが多く、「つらむ」は「~ただろう」と解釈されることが多い。即ち、「ぬらむ」は「らむ」と同じように解釈され、「つらむ」は「けむ」と同じように解釈されているのである。そして、「にけむ」「てけむ」も「~ただろう」と訳される例が多く、「つらむ」「けむ」「にけむ」「てけむ」の意味の差が明確でない。助動詞「らむ」と「けむ」、「ぬ」と「つ」が使われていない現代において、これらの助動詞を同じ意味で訳するのは仕方がないことかも知れない。そうだとしてもこれらの助動詞を古代日本人が同じ意味で使っていたとは考えられないことである。これらの助動詞の意味の差を明らかにするためには推量の助動詞「らむ」と「けむ」の意味、完了の助動詞「ぬ」と「つ」の意味を明確にする必要がある。 本稿は「らむ」と「けむ」というのは時制と関係のないものであることを用例をもって証明した。そしてその意味について、助動詞「らむ」はある状態が持続すると話し手が判断した場合用いられた推量表現であり、助動詞「けむ」はある事態が成立したと思いながらも、話し手の確信を推量という手法を通じて緩和・中和して表現したものであると定義した。また、完了の助動詞「ぬ」「つ」は話し手の認識態度を表したものであり、「ぬ」は「自然推移的な認識態度」を、「つ」は「自然推移的でない認識態度」を表したものと定義した。 そして、このような研究結果を用いて、完了形に助動詞「けむ」が接続した「にけむ」「てけむ」の意味を考え、「けむ」との意味の違いを究明した。なお「ぬらむ」「つらむ」との意味の差も説明した。

3

4,600원

本稿は、明治期に翻訳・出版された若松しづ子訳『小公子』に現われる「お~なさる」と「お~になる」の二つの尊敬語形式について調べたものである。この時期は、社会的変化の余波を受けつつも言文一致体という〈書き言葉〉と〈話し言葉〉の歩みよりが試みられており、それまでの文語体から「です」「ます」に代表される口語体への採用が主張されかつ実践された時期でもあった。特に、待遇表現自体も、それまでの武家社会から民主主義社会という新しい体制の変化に伴い様々な影響をうけた。実際に、それまで封建社会秩序の中で使われてきた待遇表現形式が体制崩壊と共に不必要になり使用されなくなる反面、現代待遇表現の基礎となる形式が芽生え育まれる時期でもあった。 そのような時代的背景の下、バーネット作『小公子』は、若松しず子により言文一致体つまり、新しい文体である口語体で翻訳され当時の注目を浴びた。この言文一致体と言えば、文末表現を中心とする研究は多くなされているが、『小公子』を調査する際には、文末表現以外にも上記した待遇表現の変化だけではなく、江戸時代から明治期を通じて変りつつあった〈話し言葉〉の推移も重要な内容であり、見逃せない要因であると考えられる。以上の観点から、『小公子』の文章中に多く現われる尊敬語形式「お~なさる」と現代日本語待遇表現の一般的形式である「お~になる」形式、この二つの混在・混用に関して、言文一致体という社会的な変容を視野に入れつつ、その原因と『小公子』に見られる待遇表現の体系の変化・実態について考察した。 その結果、『小公子』での二つの尊敬形式の混在・混用さらには、〈話し言葉〉の推移の過程に於いて現われる様々な異形態の混用が、時代に伴う待遇意識の変化が待遇表現形式そのものの変化と一致しないことを示し、また同時にそれは、言文一致体のずれから生じる問題点が「です・ます調」の導入の成功の影に潜んでいることを意味することも分かった。

4

5,200원

本稿は日英の連体修飾構造を対照しながら、認知言語学的な観点を用い、日本語の連体修飾構造の特徴を明らかにしたものである。連体修飾節を用いた連体修飾にしても、of/ノを用いた連体修飾にしても、英語の場合には、空間的、論理的、文法的な意味での本質的関係(intrinsic relationship)が求められるのに対し、日本語の場合にはそのような用法のほかに、その場のコンテクストに支えられた語用論的推論に依存した用法も発達していることが明らかになった。 ここで明らかになった知見は日本語教育における連体修飾の指導に生かしていくことができる。具体的には、英語などにはあまり見られない、語用論的推論による連体修飾節やノの連体修飾用法の習得が困難であると予想されることから、それらが重点的に教えられることになる。例をあげれば、①連体修飾節では、英語であれば関係節で表される「補足語修飾節」やthat節や関係副詞節で表される「内容節」だけでなく、「語用論的推論による連体修飾節」や「相対名詞修飾節」も日本語では連体修飾節になりうることを具体例とともに教える、②ノの用法でも所有、所属、包含、格関係、同格といった本質的な関係だけでなく、語用論的推論に基づく連体修飾用法があることを示すことが有効であろう。 また、原材料や手段・媒体、時や場所、様態、特徴・属性などのより親密な関係でも、ノをつけて連体修飾語を作ることができることも示す必要がある。

5

1942年頃朝鮮における日本語教科書問題について

閔丙燦

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.59-70

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本稿は、日帝強占下朝鮮において日本語の国語としての徹底普及が図られる時局の中で、改定が繰り返されていた日本語教科書が実際にはどういうふうに受け止められており、そして日本語教科書をめぐる議論はどういう展開を呈していたのかなどについて検討してみたものである。 日帝強占期を通じて、国語つまり日本語は「国民思想統一」における要として認識されており、日本語の普及はそれを実現するための手段であった。このような背景に鑑みると、音声重視の方向へ教科書が改定されていったことそのものは、実用性の重視、すなわち日本語の常用化を目指す上では必然の帰結であったと言っていい。しかし、本当の意味での実用性を重視したであろう実務レベルでは、従来の教科書にたいする不満や不信から各地方ごとに能力や職業に合った新しい教科書の作製に乗り出すなど、矛盾を孕んでいたこと、そして一般民衆レベルでは日本語普及がほとんど進んでいない状況にあったことなどを確認することができた。要するに、朝鮮総督府側では、精力的に教科書の改定を繰り返していたものの、実際の現場では、実用性に欠けると受け止められ、能力別・職業別の教科書が求められ製作されていたのである。しかしながら、その一方で、「国民思想統一」を最終目標として掲げている以上、教科書の統一を阻害することへの反省も噴出し、全体的に見ると、動きのとれない状況にあったものと見受けられる。

6

OPIのロールプレイに見る韓国人日本語学習者の断り方

櫻井恵子, 斎藤麻子

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.71-84

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この研究は韓国語母語話者と日本語母語話者の断り方における違いと韓国人学習者の日本語の断り方におけるレベルの上昇と共に現れる変化の過程をOPIのロールプレイの部分を使って検証する。研究方法としてはACTFLの開発したOPIを韓国人日本語学習者20人に実施した。また、比較対照として、日本語母語話者5人、韓国語母語話者5人にも各々の母語によるロールプレイを実施し、テープを文字化した資料を用いた。分析の枠組みはBeebe等の「断りを構成する意味公式の分類」を基に、直接的断り、間接的断り、付属表現、緩和表現に大別される33項目の分類を用いた。 親しい関係の依頼場面における断り(ロールプレイ1)では日本語母語話者は理由、緩衝語句、条件、詳細、韓国語母語話者は代案、批判、自己防衛などの意味公式を使用していた。親疎の上下関係における誘いの場合の断り(ロールプレイ2)では、両者共に理由、感謝,好意的反応などの公式を用いていたが、韓国人は日本人より頻繁にこれらを用いている。また、韓国人学習者の緩和表現の使用はレベルが上がるほど使用回数が増えているが、超級になっても日本人の用いない当惑、批判、驚きを含むマーカーを使用するなど韓国語からのトランスファーが見られた。

7

한ㆍ영ㆍ일 의학 전문용어의 특징

송영빈

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.85-96

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4,300원

漢字の造語力が優れていることは一般的常識である。しかし、このような常識は、漢語と固有語(和語)との比較を前提にするものであり、表音文字(ハングル・かな)と表語文字(漢字)との比較から生まれたものではない。語彙は文字によって支えられている面が濃厚であり、語彙から文字を眺めるのもある程度は妥当である。しかし、文字から語彙を眺めることによってより鮮明に表語文字と表音文字との比較も可能であると筆者は考えている。専門用語の場合、日常語とは異なり、特に、漢字による造語が活発であり、それだけ文字の役割が日常語に比べ強く用語に影響を及ぼし、文字から語彙を眺め、表音文字を用いる言語と表語文字を用いる言語とを比較することは、漢字の造語力を客観的にとらえるために大変重要である。 本稿で対象とした言語は、韓国語、英語という表音文字を用いる言語と表語文字を用いる日本語の三ヶ国語である。それぞれの言語の医学用語を比較することにより、表音文字と表語文字の専門用語における語構成要素の生産性および基本語の含有率を調べる。このことによって韓国語における固有語による専門用語造りの現在までの評価と今後の在り方について考える。結論として、一般的に言われる漢字の造語力とは裏腹に専門用語における生産性および理解度において表語文字は表音文字を用いる韓国語や英語に比べ限界があることを証明する。もちろん、言語は習慣によって実現される側面が強く、本稿での結論を通じて言語の優劣を格付けしようとするものではない。ただし、情報化が進み、一般の用語への理解度が重要な社会的意味を持つようになった現在、今後の専門用語および文字において、表音文字の重要性はより強く求められることと考えられる。

8

4,900원

本稿では、日韓両言語における「存在型アスペクト形式」の意味・用法をめぐって対照を行い、次の三点について明らかにした。 (1)現代韓国語の場合、従来「パーフェクト」と「単純状態」を表す形式は「hay-ss-ta(했다)」形式(日本語の「タ」に相当する)であるとされてきたが、その一部の表現は、「hay-ss-ta」形式で表せなくなって「存在型アスペクト形式」(具体的には、「hako-iss-ta(하고 있다)」/hay-iss-ta(해 있다)」)で表すように移りつつあるといった文法化過程にある。 (2)「継続性」を表す「han-ta(한다)」と「hako-iss-ta(하고 있다)」の両形式の使い分けを調べるため、小説やシナリオを利用して「sai(-ey)」節について調査を行った。日本語の場合は、主に「シテイル+うち(に)」形式が用いられるのに対し、韓国語の場合は、「ha-nun+sai(-ey)」形式が 「hako-iss-nun+sai(-ey)」形式より多く用いられるという偏りがあった。「ha-nun sai(-ey)」形式もしくは「hako-iss-nun sai(-ey)」形式として用いられる動詞の意味的な特徴について分析してみた結果、「ha-nun sai(-ey)」形式には具体的な動きを伴う動詞が多く用いられるのに対し、「hako-iss-nun sai(-ey)」形式には、動きを伴わない動作(静止動作)を表す動詞が多く用いられるということが分かった。この事実から、「han-ta」形式が典型的な「継続性」を表す形式であることが言えよう。 (3)(1)と(2)の現象は、2節で述べたように、日本語と韓国語の存在型アスペクト形式を構成する存在動詞に関する文法化の度合いの差によって生じる現象である。

9

4,600원

本稿では開花期から日帝強点期に渡る約80年間に日本人が行った韓国語研究の動向に関し調査・分析を行った。本調査を通して、新規資料の形式・性格やその内容の概要が把握でき、また、当時韓国語研究を行った研究者の動向についても窺い知ることができた。以上のような調査を通じて得た結果を以下にまとめる。 単行本の場合、先行研究と同じく新規資料においても著者の偏りが見られるという点が特徴と言える。特に小倉進平と金沢庄三郎を中心とした朝鮮語研究がほとんどであり、会話書においてのみ新しく島井浩と小林京太郎という研究者を確認することができた。 次に雑誌の場合、単行本とは異なり、多様な方面の朝鮮語研究が活発に進められていたが、特にこれまで知られていなかった雑誌と論文を新しく多量に収集することができた。調査を通じて新しく見つかった雑誌は主に韓国で刊行されたものと日本で刊行されたものに分けられるが、発行された国によって雑誌の特徴に一定の傾向が見られるということがわかった。朝鮮で刊行された雑誌の場合、主に朝鮮方言、朝鮮語の音声学的研究など純粋に朝鮮語学に係わる研究が主であるという特徴を持つのに対し、日本で刊行された雑誌の場合、日本語と朝鮮語との類似性及び古代日本の古語と朝鮮語の類似性、諺文の起源など両国の類似性を強調した論文が多く見られるという点が特徴である。これは、内鮮一体の思想が朝鮮語研究にも現われていることを示唆するものであると言える。 今後は上記資料以外の新規資料発掘に向けた調査を進めると共に、≪日本人の韓国語研究資料集≫における新規資料をデータベース化すべく資料の収集並びに詳細内容の調査を継続して行う予定である。

10

문말 「もの(もん)」의 번역례 연구

정하준

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.127-138

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韓国語の「것」や「사람」に対応していると言われる日本語の「もの(もん)」は文末で使われるとき、「것」、「사람」ではなく、色々な表現の韓国語で翻訳されている。 小論はそのような文末の「もの(もん)」が韓国語の翻訳でどのように翻訳されているのかを調べ、その特徴について論じたものである。調査対象はすべて会話文の文末で使われた「もの(もん)」に限られており、その調査の主な結果は次のようである。 ① 文末の「もの(もん)」の翻訳語として一番多く使われているのは「原因、理由(26.8%)」、「省略(19.2%)」、「柔  らかい主張、詠嘆(17.8%))」、「同意、意見要求(10.3%)」、「甘えの言い方(9.4%)」、「親しみ(6.6%)」などを表す翻訳類型の順である。 ② 一般的に「もの」に対応すると言われる韓国語の「것」と関係のある翻訳類型は「것이다(0.5%)」があるが、ほと  んど使われていない。 ③ 「もの(もん)ね」の場合、現れる翻訳類型は「もの(もん)」の場合とほぼ同じであるが、特徴的なのは「親しみ」が一番多く使われているということである。これは「ね」の意味的な特徴が韓国語の翻訳にも反映されたものと思われる。  ④ 「もの(もん)よ」は「もの(もん)だよ」の女性語として「だ」が省略された形で使われているものと言える。言い替えれば、他の表現形式とは違って「もの(もん)よ」には「ものだ」の意味と機能が一番たくさん残っているのである。

11

나쓰메 소세키의 『그 후(それから)』 고찰 - 다이스케의 불안한 삶의 원인 분석 -

權赫建, 申允珠

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.139-150

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The question resolves itself into the following three points. First, Taisuke could have come by a proper job if he had wanted to but he spent his time doing nothing. That is why we can say that he was not an unemplyed intellectual in Meji Era but a creative one, Soseki wrote. Second, considering that he rushed out into the street to get a job only after his family stopped offering the financial help, he seemed to consider himself as a noble person and so he didn't want to find his vocation. That made him feel anxious. Third, there were some changes in Taisuke's mind and behaviour after Hiraoke and Michio got married. He let them meet and get married three years ago because of the obligation as a friend and chivalry. That caused him to feel some uneasiness. Through this study I can make clear why Taisuke was under some uneasiness. In a word, he regarded himself as a noble person, which made him lazy and he made Michio, he loved, get married to Hiraoka. These two things are the main reasons for his anxiety.

12

김길호(金吉浩) 문학을 통해 본 재일문학의 변용

김환기

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.151-164

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本稿では金吉浩文学の韓国語表現(クルスギ)を含め、在日の日常への穿鑿、特に現実主義的な視角と共生哲学の持つ文学的意味を在日文学の多様性と変容の視点で考察してみた。彼の文学は日本に‘定住者’として生活している“在日同胞の箇々人の正体性”を求めながらも、人間の普遍的価値を開かれた視座で形象化するという点で、既存の在日文学とは明らかに差別化される。またニューカマーの立場で“体験した日常的な身邊事を素材”にして独創的な共生論理を披瀝したという点で新たな在日的価値の創出と開かれた世界観を見せてくれた。このような越境的な形の作家的視線は在日文学の変容と新たな在日的価値の追求という点で注目する必要がある。しかし故事成語と諺の頻繁な引用、人物相互間の事務的な対話体、鋭い葛藤構造の不在から齎される緩んだ緊張感と劇的效果の半減はこれから彼の文学が解決するべき課題とも言える。

13

『흐르는 별은 살아있다』와 여자의 전쟁체험

노영희

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.165-178

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4,600원

女性の戦争体験、敗戦国の女性の藤原ていの苦難の帰郷記録はさまざまな特徴を持つ注目すべき作品である。数少ない女性の戦争体験記という特徴とともに女性が書いたその旅行記の体験が満洲から朝鮮を経て日本の故郷に続くという点でそれは東アジアにかかっている。男性でない女性が経験した戦争体験の実話でありながら、特に戦争の敗者となった状況で、植民地であった朝鮮の土地を通る旅行の体験が中心となる点で注目すべきである。 次に女性の帰郷,いわば‘旅行の記録’という点で、その主な旅行地として朝鮮の宣川の如き地方の文学地理がきわめて大事な意味を持つ。旅行地で覚えた一調べの歌が苦痛の土地で生きられる力の源泉となり、路資として持ったロンジン時計にかかわる逸話で創造的主体として女性の旅行が持つ重要な意味が明らかになるであろう。 故郷の日本の長野県諏訪に帰って、ほぼ死にかかった病魔の中で記憶で再構された口述史的な性格の文章という点も重要な意味を持つであろう。作者自ら遺書として書いた文章といった告白のようにまれなこの女性の戦争体験が日本人のスタデーセーラとなった説得力が理解される。それは人間性に対する信頼が消えた戦争の中で見出すヒュ-マニズムの勝利であろう。

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사타 이네코(佐多稻子)의 朝鮮人像(二) -『순백과 자주』를 중심으로-

朴愛淑

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.179-192

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本稿では、佐多稲子の『白と紫』に描き出されている朝鮮人像について検討して見た。この研究は馬海松が「白」と「紫」と嘆く口調で言ったことから作品の題名を付けたので、馬海松と関連があるという疑問から出発した。 1940年、1941年佐多稲子は朝鮮を旅行した後、随筆「朝鮮印象記」の中で朝鮮の風景のイメージが灰色と描写したが、戦後の作品『白と紫』の中にはその理由が何処から起因するのかについて追求している。『白と紫』には、日本の女性である大沢芳子と朝鮮の女性である田貞熙という二人の女性が尖鋭な葛藤・対立構造を通じて、民族的な差別を受けている朝鮮人の抑圧された憤怒と苦痛を導出している。芳子は佐多稲子をモデルにした人物であれば、民族性の強い田貞熙は馬海松をモデルにした人物だと言えるだろう。 佐多稲子はプロレタリア作家として民衆の現実を直視することができず、戦争と共に時流に流れていた。『白と紫』の中では芳子を通じて朝鮮で驕慢な態度を取った事実に対して自省する。当時朝鮮で日本人が朝鮮人にむかって自己の支えのように優越と侮蔑を示すようになったのは、根深い抵抗を意図的に隠そうとする計算的な行動から始まったと強調する。芳子は日本人が朝鮮の景勝に対して自分たちの物のように、朝鮮人の悲壮な願いを引用している現実は朝鮮人にあまりにも不当で残忍な事だと打ち明ける。特に日本人のみの総督府編集室で唯一の朝鮮人だった田貞熙が血戦をする場面は、平素文章は人だという信念を持っていた馬海松のイメージを連想させていると思う。 つまり、佐多稲子は『白と紫』で美しい朝鮮の風景を灰色に卑下して見ようとしたことを反省し、朝鮮で日本人が持っていた変形された優越主義を批判すると同時に、田貞熙の「うわごと」を通じて主権と言語を奪われてしまった朝鮮の知識人の悲哀と怒りを形象化している。

15

가와바타 야스나리(川端康成) 『천 마리 학』 고찰

李在聖

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.193-208

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4,900원

本稿は川端康成の小説『千羽鶴』における性的な接触のパターンと特徴について考察したものであり、次のようなことを論じている。 第一、この作品には二代にわたってこんがらかる不倫の関係が点綴している。  第二、このような不倫の関係は、死者による生者への呪縛と分身関係を中心にして生じている。  第三、このような不倫が可能になるのは、彼らがこの世でない異空間としての「他の世界」に吸い込まれる時である。  第四、その「他の世界」とは、人間が作り出した倫理や道徳が存在する前の原初的な世界、父と息子の区分も母と娘の区分も年齢の区分もなく、専ら、根源的で本質的な男と女の性が、時間や空間や倫理などの制約とは無関係に、自由に疎通する純粋リビドの世界である。  第五、このような「他の世界」は、まさに川端康成流の<魔界>の一断面である。  第六、この小説が個別的な男女の性より時空を超越した根源的・本質的な性を描いているということを認めるとすれば、その延長線上で、菊治の父と文子の関係からも微妙な接点を見つけることができる。

16

5,200원

島崎藤村の初期短編集『緑葉集』は、従来作家の生活史的側面からの研究が主流をなしており、性欲描写という視点から作品を評価してきた嫌いがある。しかし、夢の喪失や愛の喪失という主題意識に注目してこの作品集を読み解く場合、新たな作品分析の可能性が見いだされる。その際、<世間>という視点に立ち、女性へのまなざしに焦点を絞ると、また別の意味で『緑葉集』を一つの有機的な作品として読み直すことができると思う。 「老嬢」は、精神の自由を求め、仕事のために独身の道を選んだ新しい女性夏子の破滅的人生を描くことにより、当時の知識人女性に対する普遍的な社会認識を反映するとともに、限界も露呈している小説である。それに比べ、「水彩画家」は、<新しい生涯>に対する幻想に生きる主人公伝吉が、家庭と社会の悲観的現実の中で次第に<世間>の視線を意識し、<世間>の論理に挫折していく過程を描いている。伝吉をめぐる女性たちとの関係を中心に読み解いていくと、弱者としての女性の政治性が見いだされ、女性を中心にする<世間>の論理が確認できる。 以上のように、本稿では「老嬢」と「水彩画家」に描かれている女性に対するまなざしに着目し、<世間>の論理に左右される人生の断面について考察することによって、『緑葉集』の持つ独自的な意義について論じたいと思う。

17

일본 근대문학ㆍ예술 논쟁 연구(3) -인생상섭논쟁과 공리주의-

鄭炳浩

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.225-236

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4,300원

本論文は、北村透谷と山路愛山を中心に展開された「人生相渉論争」における文学と功利主義の問題を考察したものである。「人生相渉論争」は、多様な論点をめぐって活発な論争が交わされた明治20年代の文学論争の大尾を飾った論争である。この論争の主な内容は、愛山の功利主義や目的論と透谷の純文学の対立、愛山の実際(現実)主義と透谷の浪漫主義の対立であったと評価されるように、明治20年代に行われた一連の文学論争の問題意識とその論点を継承している。 「人生相渉論争」をめぐった先行研究では、「功利主義」そのものを近代文学から排斥されるべき要素と見做し、北村透谷と山路愛山の文学論に対する価値判断もこの「功利主義」の解釈によってなされてきた。厳密に言えば、愛山が主張する「人生」と「世」に益する「文章」という概念も今日の「文学」と同様の概念とは言えない。なぜならば、愛山が「頼襄を論ず」という評論で提示した「文章」とは「詩․小説․戯曲」等の「軟文学」を意味したのではなく、「歴史、人物評、論文、批評」、すなわち「史論」を中心とする「硬文学」を意味していたからである。取り分け、愛山の文学論を俗物主義で近代的でないと批判する研究も、そうではないと肯定する研究も、彼の提示した功利主義に対して否定的な認識を共有している。「人生相渉論争」に対するこのような認識は、20世紀の文学主義の立場を遡及し愛山の文学論の価値を判断し裁断してしまう行為といえる。また「人生相渉論争」における文学と功利主義の問題は、ただ明治20年代の文学論争に登場したことではなく、近代的芸術概念と文学概念が形成された明治期全体の文学․芸術の議論と関わるテーマである。

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『去来抄』에 나타나 있는 芭蕉의 「웃음」에 관한 고찰

許坤

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.237-254

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5,200원

芭蕉の俳諧文学の中にあらわれている「笑い」は、俳諧文學を大衆化し、維持発展させるにおいて大変重要な役割を果たしたと言えるのである。それは中世の連歌以降に発生した俳諧の初期の形成期の特徴といえる、形式的で言語遊戱的な貞門俳諧から始まり、形式からの脱皮と奇拔な着想と比喩を中心とする談林俳諧はもちろんのこと、近世俳諧の全盛期ともいえる蕉門の、閑寂な中での自然的な美の追求を世界にいたるまで俳諧を普及させ、一般化させることにおいて欠かせない俳諧文學の表現様式として存在したのである。 『去来抄』にみられる芭蕉の「笑い」は、単なる感情の表出する一つの方法・手段ではなかったことがわかる。それは芭蕉が俳諧の改革を維持し、推進していく過程で要求される大事な教育の方法・手段として理解できるし、一方では「座の文学」ともいわれる俳諧を正しく認識させ、効果的に俳諧文学を改革していこうとする過程の中であらわれた、芭蕉の俳諧文学に対する愛着の表出の一つの材料としても理解できるのである。 このように一連の芭蕉の俳諧文学の中にみられる様々な「笑い」は、冷徹で閑寂で諧謔的な芭蕉ならではの俳諧精神を作り上げ、芭蕉の俳諧をより高いレベルまで引き上げることにおいて一躍を担ったといえるのである。そしてそれは蕉門俳諧が当時の近世俳壇の一つの軸を成す絶対的な存在として評価できるようにその土台をつくったのではないかと思うのである。

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韓國에서 日本政治硏究의 現況과 課題

高選圭

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.255-266

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4,300원

戦後韓国における日本政治研究は、量的のみならず、質的にも大きな成長をはたしてきた。歴史的にみると、1965年韓国・日本の国交正常化以前には日本政治研究に対する体系的な研究は殆んどなかったが、その理由としては植民地経験に伴う感情的な排除と日本社会、日本政治に関する実体験に基づいた知識と情報を持っていたからである。また、日本政治を学問の対象として研究する現実的な余裕がなかったからでもある。この時期、日本、日本政治は、「排除の対象」、「克服の対象」としての意味しか持たなかったのである。  しかし、1980年代以後、日本、日本政治は「模倣の対象」、「分析の対象」として変化していく。その理由は、高度経済成長と国際的な地位の向上があげられる。特に、自民党の長期政権にもかかわらず、日本政治が制度的に安定し、政策的な効率性を維持してきた国内外的な環境を分析する必要性が台頭したからである。この時期以後、韓国における日本政治研究は活発的に研究が行われることになる。  日本政治研究における時期設定としては、1945ー1965年 空白期、1966ー1980年 インフラの構築期、1981ー1990年半ば 成長期、1998ー2003年 発展期、2004ー現在、専門分業化時期に区分できる。特に、専門分業化時期には投票行動、社会福祉、地方政府の政策決定、代案教育、介護保険、国会運営、NPO, NGO等へ研究テーマが細分化している。  韓国における日本政治研究のテーマを量的に分類してみると、外交政策が25.2%として一番多い。その次は政治史・政治思想17.0%、政治システム12.2%、政治過程9.8%である。分析方法では、実証分析20.3%、試論的分析37.5%、比較研究6.3%である。実証分析と比較分析の研究は多くない。  今後の課題としては、韓日関係の争点に対する研究、方法論の精緻化、日本における日本政治の研究動向との連動などが必要である。

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국제화기 일본 아니메에 나타난 사상 -1991년부터 2000년까지-

具見書

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.267-284

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5,200원

本稿は、1990年代日本アニメの黄金期を構築した作品に含まれている思想を考察することに目的がある。1990年代は情報社会の到来とともにディジタルが各種社会領域に適用され、ディジタル時代と呼ばれるようになった。情報と関連される技術の発展はアニメの事実性と成熟度をも増大させ芸術性を高めたし、ディジタルアニメが成立されるのに原動力として働いたのである。この時期においてのアニメは内容中心的な商品として作られ、以前とくらべれると、国籍性と民族性から離れ、文化的国籍を必要としない無国籍作品という特徴があった。1990年代アニメ作品に表われている思想は女性中心主義, 性獣主義, メカ主義 などであると言える。女性中心主義は、近未来社会は男性が作った制度や価値観から脱し、新しい主体性を持つ女性が導びく社会となりうるというような予言的な特徴がある。性獣主義は近代的な男女間の性概念から脱し、性の解放よりもはるかに強い性の自由化を主唱するという特徴がある。メカ主義は人間の身体的な限界を超越して存在する機械社会に対する警告と希望を提示している特徴がある。このように1990年代日本アニメは人間が導いている世界を不安と安定,希望と絶望という構想に基づきその思想を表したのである。

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共同體企業의 事例(토요타) -進化하는 自律的 兵營企業-

金鍾杰

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.285-298

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トヨタの企業風土を一言で定義すると「進化する自律的兵営企業」である。ここで「自律的」とは現場の労働者に相当の権限が託されていることを、「兵営」とは設備および労働者が何の「ムだ」もなく有機的に結び付いていることを、また「進化する」とは以上のようなシステムが状況に合わせて絶えず発展していくことを強調したものである。それを可能にした労働・人事制度の基盤は、長い間続いた正規職労働者に対する雇用保証の歴史、同一業界の他企業に比べ高い賃金、そして徹底した対話主義である。そのような仕組みが、人事制度の改革を無理なく可能にし、また労働者の労働に対する没入と自己機能の向上に努力していく基盤となろう。

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韓國의 「日本就業IT人力」 送出의 現況과 課題

김필동

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.299-310

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90年代に入って、IT環境の後進性を認識しはじめた日本政府は、1990年代の半ば頃からこれを克服するため本格的に対応した。2000年の11月、IT国家としての基本規範ともいえる「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」を制定してから、2001年の「e-Japan戦略」2005年の「u-Japan構想」に至るまで、国家的次元でIT政策の段階的な対応方案を発表してきた。日本政府の国家的な次元での対応は、自国のIT環境の改善だけではなく、自国での成功モデルを蓄積して、そのコンセプトを世界に発信していくことを狙っているし、究極的にはそれによって21世紀の国際協調と国際貢献を、日本が主導的に推進していくという意志を反映したものでもあった。 一方、韓国は80年代から「情報化基盤助成」「情報化本格推進」「知識情報化全面化」という、3段階の国家情報化政策を推進しながら、現在は「ITA」体制の構築を汎国家的な次元で推進している。韓国のIT産業の飛躍的な発展は、日本をして韓国との経済・文化交流の方向性を一段階レベルアップさせながら、21世紀の両国の関係をより緊密な形に進まなければならないということを改めて認識させている。この流れを踏まえて、現在両国ではIT分野での多様な交流が活発に行われているし、中でも韓国から日本へのIT人力派遣のような事業は、両国の共栄と共生を象徴する事業として注目を浴びている。本稿では、現在IT分野を通じて深まっている両国の経済交流の中で、特に韓国での日本へのIT人力派遣、つまり韓国での「日本就業IT人力」送出が注目を浴びるようになった背景と現況、その意義、そして今後の展望と課題などについて分析しようとする。

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일본 1940년대 총력전하의 농촌생활

南相虎

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.311-322

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日本では、中日戦争の長期化にともない、総力戦体制を構築する動きが加速化した。この総力戦の時期には、「前線」と「銃後」の区別は消滅し,感情や身体,文化などさまざまな領域が動員され、今まで私的領域にとどまっていた日常生活の中にも戦争が侵入してくる.本稿は、組織と個人から構成される社会がどのように総力戦にかかわっていたのか、日本国民にとって総力戦はどのような意味をもっていたのか、を問い直すものである。

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신란의 파장:아미타불신앙의 변모와 식민교육

박균섭

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.333-348

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鎌倉時代の六人の祖師による仏教宗派としては法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗などがある。その中でも、親鸞の浄土真宗は、その仏教思想の構造と性格、そして宗教と教育の問題に関する論点を持っている点で注目すべきである。仏教は日本に入って以来、国家権力の保護を背景にして栄えてきた。しかし、親鸞はこのような仏教のあり方を、一切拒否する。親鸞は、一切の衆生は自力で救済されるのではなく、救済を本願とするアミダ仏(弥陀、阿弥陀、阿弥陀仏)の力によって救済されると教えた。そして、「悪人こそ往生の正因なり」という悪人正機説を主張した。親鸞の浄土真宗(主に、本願寺派と大谷派)の場合、1877年、本願寺派の奥村圓心が釜山に別院を設立した以来、元山、仁川、京城、木浦等に本願寺の別院が設置された。これは日本仏教の韓国浸透、そして日本仏教による植民体制の固着化と植民教育の強化を意味する。浄土真宗は、親鸞の真諦(アミダ仏至上主義)を捨てて、神々と仏たちの連合によって作られていた日本の体制的信仰の道を選択して歩いた。当然ながら、浄土真宗は、国家と天皇の繁栄を願うための魔術となった。浄土真宗の体制的信仰の特徴的な姿は、神道は先祖を崇尚する道であり、宗教ではないという、神道非宗教論に変貌された。明治のはじめ、天皇政府は狂信的な神道主義の立場から、排仏主義を強行した。そのとき、浄土真宗は「アミダ仏のように天皇を信仰しよう」という運動を起こした。そして、戦争中に作られた靖国神社などに抵抗することもしなかった。彼らは、神社参拝に対し、非宗教性を強調しているものの、これは非論理的で教育に反する要素を持っている。これは教育引退という学校教育の破滅を招くことになった。このような浄土真宗教団は親鸞の真意から離れて、国家と天皇の繁栄を願うための魔術となった。

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4,300원

韓国の近代は断絶と激変の連続という様相を呈しながら、一方、近代それ自体の要求に応じる伝統の創造という姿を持っている。韓国の近代文化のなかには韓国という共同体の維持、革新、発展のために伝統創りの作業が度々発見される。そのなかで代表的なものが本稿で扱った「新羅」表象の創出作業だ。例えば、宗教的․美術的に最高の境地を示す石窟庵, 繊細さを極める佛國寺の女性的な多寶塔、一千年の春風と秋雨を耐えて立っている釋迦塔などがそれである。21世紀に住んでいる現在の韓国の人々にはこのような「新羅」表象はあまりにも親密で明白なものでそれの歴史的起源は疑う必要のないものとして感じられている。 ところが、このように親密な「新羅」表象は実は近代の発明品であった。それは新羅表象が構築され始めた植民地時期に日本によって発明された新羅表象が我らを構成する重要な拠点を与えてくれた。同時に新羅表象は植民地時期を背景に「主体ー他者ー伝統」が力動的に創り出す近代的主体構成の複雑な脈絡を分析できる核心的なコードである。本稿では柳宗悦を中心に植民地時期の日本人が発見した新羅について検討する。例えば、柳宗悦の「石仏寺の彫刻について」(1919年)には、新羅の芸術的な完成度の高い遺産が東洋文化の重要な記念碑として発見されている。そこには博物館としての新羅(慶州)が東洋の古代を代表する美術として保存されている。彼は植民地朝鮮が持っている意味ある過去のなかで新羅を呼び出して、それを東洋の主体として構成する企画をするようになり、そのなかで帝国ー植民地ー伝統のダイナミックな関係の網が構造化される。それは世界に通用する新羅という、新羅に関わるコスモポリタニズ厶の理想が胚胎される可能性を開いてくれたのである。 太平洋戦争が始まる1940年代に入ると、朝鮮は帝国日本の或地方として統合されてゆき、朝鮮文化は帝国文化の一部として位置付けられるように求められる。この時期に新羅の表象も日本という他者と区分された朝鮮の自己構成に必要な伝統ではなく、日本と朝鮮の同質的な根源を示す事例として脈絡化されてしまう。日本の武士道精神を説明しながら新羅の花郞徒が喚起されて、古代日本と新羅の関係が再構成され、新羅という日本帝国の拡張された同一者として位置付けられるのである。

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北東アジアにおける多国間安全保障協力体制の模索と日本の対応

河世憲

한국일본학회 일본학보 제72권 2007.08 pp.361-371

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After the collapse of ‘cold war’, the formation of new international regime which is based on ‘multilateral security cooperation’, has been groped especially Europe. Although the cold war was finished, the Northeast Asia has been still tormented by security instability. There are mainly three reasons why the Northeast Asian Nations has been felt the security uncertainty : the territorial struggle, the development or expansion of nuclear weapon, and the armament race among Northeast nations. Japan has taken up more positive attitude since mid 1990s for the formation of the new regime of multilateral security cooperation in the Northeast Asia, compared to the negative point of view in cold war era. The main reason why Japan has changed her position, is basically caused by the instability of the Northeast Asian situation and the relative decrease of American power in this area.

 
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