2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,000원
Non-native speakers of Japanese feel that Japanese tokushuhaku (long vowels /R/, geminates /Q/, and syllabic nasals /N/) syllables are difficult. This study investigates the acquisition of Japanese tokushuhaku production by 11 Korean learners of Japanese. Kashima (2001) and Yang (2004) show that Korean learners of Japanese have difficulty with rhythmic type 212 (ex. ei /ga / kan,kiQ / sa / ten etc.). This study used 42 words consisting of 10 rhythmic types, type 11, type 12, type 21, type 22, type 111, type 121, type 122, type 212, type 221, and type 222). The words were presented to participants in the carrier sentence ‘korewa ~ desu (This is ~)’ which they read aloud. Their production was recorded. Data was taken twice with a year interval between recordings. There are three main results: 1) The rhythmic types were acquired in the following order 12 → 111 222 → 22 → 11 → 21 → 221 → 212 → 121 → 122. This order demonstrates a tendency to acquire simple rhythmic types before complex types. 2) The more mora in the word, the more difficult it is to acquire (p<.001). 3) There was not any significant improvement over the year of this study observed.
5,200원
本稿は格助詞ヲ、ニのカテゴリー構造と習得との関係を実証的に明らかにすることを目的とする。 ヲには「対格」、「場所」、「状況」、「時」の4つの下位カテゴリーが存在し、プロトタイプは「対格」であった。またニには「移動先」、「動作の相手」、「存在の位置」、「経験主」の4つの下位カテゴリーが存在し、プロトタイプは「移動先」であった。これにより、認知言語学的観点からの格助詞の意味構造分析は妥当性が確認されたが、同時にこれまで不足がちであった実証的研究の必要性も確認された。 ヲの習得については、韓国人学習者(KJL)、中国人学習者(CJL)とも日本語母語話者(JNS)のカテゴリーとは若干異なっていた。またニについては、下位カテゴリーの境界が曖昧であり、一部で母語の影響も見られた。いずれにしてもJNSのカテゴリーにかなり近づいてはいるものの、一致するところにまでは至っていなかった。 最後に習得とプロトタイプとの関係については、ヲでは「対格」、ニでは「移動先」の習得が進んでおり、第二言語習得においてもプロトタイプの習得が早いということは確認できた。但しプロトタイプとカテゴリー形成との関係についてはさらに考察が必要であろう。
日韓両学習者にみられる助詞の捉え方の相違をめぐって -「ばかり・だけ・のみ」と「만man」の対照を通して-
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.29-43
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4,800원
When the Japanese particles “bakari”, “dake”, “nomi” and the Korean particle “man” appear in a sentence, there are cases with Japanese native speakers learning Korean and Korean native speakers learning Japanese, in spite of the same circumstances being established, where sometimes in these expressions differences are being found. In this paper, in order to examine the reasons for these differences, translations from Korean sentences into Japanese sentences have been carried out by both learner groups. The results of the translation analysis, due to the character of “bakari”, “dake”, “nomi” and “man” being particles originally with an ambiguity of the action areas, helps to understand what creates the differences, as far as the learners' different understanding of the particles is concerned, despite of both learner groups translating the same situations. As a task from now on, in order to lessen such differences a little, for Korean native speakers, concentrating even more on the Japanese particles “bakari”, “dake”, “nomi” coming from their actual usage in situation examples, it will be advisable to guide the practical learning in order to broaden the understanding not only in terms of grammar but also pragmatics.
4,200원
本研究は、日本語と韓国語の「触覚」を表す擬態語を下位区分した「かたさ」「やわらかさ」「なめらかさ」「粘り気」「湿り気・水分」を表す擬態語の意味領域を考察するものである。 意味領域の考察では、語彙的優位性、各感覚における語彙のカバーする領域、その意味領域全体をカバーする語の存在の有無、そして特殊な意味領域について見ていき、その結果、日本語は示差的特徴によって語が細かく区分される傾向があり、韓国語は全体的に抽象的なものまでカバーする意味領域の広い語が目立つことがわかった。
4,600원
本稿は、韓日の国会討論を修辞学的に分析し、両国における説得の戦略の違いを考察したものである。韓国では不安がパトスの主な感情であり、立論形式では因果関係が主に現れる。また、討論の相手を尊重することによって自分をよく見せようとする方向からエートスが用いられている。一方、日本では怒りが最も特徴的な感情であり、定義が主な立論形式となる。また、エートスでは、相手を非難することによって自分をよく見せようとする方向が選ばれている。このような両国における説得の戦略の違いは、討論の主体が、自分をどのように認識しているかということと、討論を行う際、誰を聞き手として想定しているかによって異なっている。韓国では討論の主体は常に「私」という個人であり、聞き手はその場の国会議員を想定している。そのため、相手議員への非難を控え、面子を考慮する形で討論が行われる。しかし、討論の主体が個人ではなく「私ども」、「私たち」あるいは自分の所属している政党名であり、また、聞き手もその場に集まっている国会議員より国民の方を想定した日本の場合は、相手議員を直接非難するなど、怒りを露にする討論が行われている。
韓日高校生の非言語行動における頭の縦ふりに関する一考察 ― ロールプレイにおける単数回と複数回を中心にー
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.71-83
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4,500원
日本語を学習する韓国の高校生に、非言語行動としての頭の縦ふりの重要性及び日韓の差異について示唆するための基礎的な項目を選出する目的で、2005年12月ソウル及びソウル近郊、2006年2月岡山にて、韓国人日本人ともに男女各2名ずつ合計8名を対象にOPIを実施した。その結果、聞き手としての役割を担ったOPI中のロールプレイにおける頭の縦ふりの頻度は日本人の方が韓国人より高かった。また、言語形式を伴わない頭の縦ふりのみの単数回と複数回間においてそれほど大きな差が見られない日本人側に対し、韓国人側は全員が単数回より複数回を多くおこなっていた。さらに、韓日とも大きな個人差があることが明らかになった。日本語教育に応用できる可能性のある項目として、①韓国人側もすでに多用している頭の縦ふりのみ複数回を文中及び文末でより多く使用すること、②日本人側が多用している頭の縦ふりのみ単数回の重要性に気づくこと、などを提唱した。
4,300원
日本語学習において、漢字は大きな難点とされる。日本語教育における漢字学習の目標は常用漢字1945字 と言えるが、日本の小学校で学習する教育漢字1006字は、相対的に使用頻度の高い漢字で構成されている。本 稿では、漢字の効率的な教育と学習のために、教育漢字を新聞の使用頻度と照らし合わせて体系化を試みた。 体系化は、形態別と使用頻度別に分けてなされた。形態別体系化は、いわゆる部首別分類で、漢字それぞれ の意味的な共通点をもとにしており、意味別体系化とも言える。使用頻度別の体系化は、形態別に分けた結果に 使用頻度というファクターを加えて分類したものである。この体系化は、一定の期間に使用頻度の高い漢字から学 習することを可能にするとともに、漢字の意味的な共通点をもとに連想ができるようグループ化されているので、日 本語の教育と学習において活用が可能である。
5,400원
李成圭(2007b)では<お/ご~くださる>系列の依頼表現の序列化及び使用可能性を検討するに当たって <て くださる>系列の諸形式の序列化及び成立可能性、その意味․用法を検討した。(pp.95-98)その結果に基づいて 李成圭(2007c)では<てくださる>系列の依頼表現について、<てくださる><てくださるか><てくださらない><てくださ らないか><てください><てくださいます(か)><てくださいません(か)><てくださらないでしょうか><てくださいますで しょう><てくださいませんでしょうか>の順に内部の系列化を行い、成立可能性とその意味․用法についての見解を 提示した。(pp.157-238) しかるに、<てくださるか><てくださらないか>の使用可能性に関連して、李成圭(2007b)と李成圭(2007c)で提 出した内容の中には、十分な議論を踏まずに記述したものが含まれており、これに関する再検討が必要とされ る。 本稿では紙面を考慮し、取合えず<てくださるか>が依頼表現として成立するための使用上の条件について再 検討した。その結果、<てくださるか>が依頼表現として認められるためには、話し手は<権威意識を持っている年 輩の男性>で、聞き手は女性の可能性を排除できないものの、通常<若い男性か中年の男性>であること、それに 加えて両者の間にはいわゆる<上下関係>などの用件を満たさなければならないということが確認された。このような 使用上の制約により、<てくださるか>が<てくださる>系列の他形式に比べ使用頻度が低い。かといって、<てくだ さるか>が日本語の依頼表現の一つの形式をなすことは否めないということを主張する。
4,200원
It is commonly acknowledged that a continuous understanding of sae in a normal sentence and a conditional sentence is impossible. But, since both have the same form, there must be a possibility that there is a way we can find a continuity. It is too soon to give up all trials to find any continuity and to regard the sae of conditional sentence as a very different one from normal sentence. In this paper, with the result which has already been acquired somehow in LEE(2004), there will be a trial to do more compound understanding about the polysemy of sae in a view of continuity among word's meanings and to explore the distinctive feature of sae conditional sentence more profoundly. And all of these trials are going to provide a chance to contemplate on what is sae's real basic meaning and function and how the basic meaning and function links its polysemy. Also, this basic meaning and fucntion of sae which will be acquired in this paper links between sae in a normal sentence and sae in a conditional sentence.
「~(する)代わりに」と「~(しない)代わりに」が交替可能な構文の成立条件について
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.129-141
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本稿は、例文(1)のように、「~(する)代わりに」構文の表す意味と、「~(しない)代わりに」構文の表す意味とが同様である「~(する)代わりに」構文の成立条件について考察を行った。 その結果、「~(する)代わりに」構文に前接する述語は動詞、特に動詞のなかでも実質的な動きを表す動態動詞であることが分かった。それは、動態述語は「する」形式で非過去(未来)を表すため、未実現の事態を表すことになる。従って「~(しない)代わりに」構文で表される否定の意味が、後続文にその影響を及ぼす可能性がある。一方、状態述語の場合は「する」形式で、現在の状態を表すため、基本的に既に実現した事態(既実現事態)を表す。故に「~(しない)代わりに」構文で表される否定の意味が、後続文にその影響を及ぼす可能性がないからであると言える。 そして、「~(する)代わりに」構文に前接する述語が「動態述語」でなければならないという条件がみたされても、次のような語用論的な条件では例外になる。 第一に、「~(する)代わりに」構文に前接するのが「動態述語」であっても、文の中の主題(主格)成分に対する属性解釈を受ける場合は「~(しない)代わりに」構文に替えられると同じ意味として解釈されない。 第二に、取り立て詞の「ハ」(対照)や「モ」などが用いられている場合は「~(しない)代わりに」構文に替えられると、同じ意味としての解釈ができない。
科学技術の受容過程と学術用語制定に関する韓日対照研究 -機械工学用語の借用形態を中心に-
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.143-156
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近代の科学技術の受容において、日本の場合、科学技術の流入先がいろいろな西洋の国であったのと比べ、韓国の場合はほとんど日本が科学技術の流入先となっていた。そのため、韓国の科学技術用語は、日本で制定した用語をほとんどそのまま借用するといった形になっている。最初は日本語の音形がそのまま使われていたが、国語純化運動の一環として変えなければならなくなってきた。その後も必要に応じて修正が行なわれ、現在の用語が制定されるようになった。 新しい概念を受け入れ、その概念に名前を付ける時、単純借用・翻訳借用・混種借用の方法が使われる。共時的な観点から両言語の機械工学分野の用語を比較してみると、一般的に次のような傾向があることが分かる。 日本の用語が単純借用されている場合、韓国でも単純借用されている。翻訳借用されている場合は韓国語で三つに分かれるが、多くは翻訳借用されている。混種借用されている場合も三つに分かれるが、翻訳借用されることはほとんどなく、混種借用される場合が多い。 日本の用語の中で、外来語が使われている部分は、外来語をそのまま韓国の外来語表記に変えている。漢字語が使われている部分は、二字以上の漢字語の場合は、その漢字を韓国語読みに変えているが、一字漢字語の場合は韓国語読みに変えるよりは、外来語(原語)表記に変えている。固有語が使われている部分は、動詞の場合、二字漢字語に還元できるものはそれを韓国語読みに変え、還元できない場合は一般的に原語を外来語表記している。これは韓日の固有語、特に動詞が持っている造語力の違いによるものと考えられる。
『당세서생기질(當世書生氣質)』의 인물조형에 관한 일고찰 ― 근세 가타기모노(気質物)와의 관련을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.157-169
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本稿は坪内逍遥の最初の小説『当世書生気質』の研究が作者の文学理論書『小説神髄』の理論に捕らわ れつつ進められている点に疑問を抱き、作品論を進める上で軽んじられてきた類型人物の意義を解明するところ に目的を置く。具体的には『当世書生気質』の類型人物を近世の気質物のそれと比較し、その異相を探ること にした。 『当世書生気質』の類型人物を分析する前に、その序文と第一章の導入部に於ける言説に注目し、その作意 が近世の気質物と大差ないことを見極めた。類型人物描写による人情世態批判を行い、読者に教訓を与える 事、これは『当世書生気質』と近世気質物の共通する作意である。つまり、『当世書生気質』がリアリズムの実 践として類型人物を模写したのとは別の次元で、その作意は近世気質物と相違ないのである。 『当世書生気質』の作意がどのように実践されたか、具体的に見てみた。主人公小町田を始めとする書生類 型の姿は作中の言説や会話から把握できたが、その姿は反理想的、非倫理的気質からは程遠いものであった。 書生達は酒を飲みに行ったり、芸妓と遊んだりと一時的に反理想的、非倫理的気質たるものを備えてはいたもの の、彼らは皆その気質を反省し後悔するといった体であった。むしろ『当世書生気質』の書生類型は皆理性的 で模範的な理想と倫理を追求していたと言っても過言ではない。このため『当世書生気質』では作家自らが跋文 で言及しているように「兄妹再会」に重きが置かれ書生個人の個性は浮かび上がらなかった。このため、近世気 質物では現代のキーワードと言える「個性」が描かれた反面、明治初期に執筆された『当世書生気質』にはこ れと言った「個性」が描かれなかったと言える。これは序論で言及したように『当世書生気質』の類型人物が近 世の気質物の類型人物に比しより速くかつ多様な変化を経験すると予測された点と関係あると言える。つまり『当 世書生気質』では「兄妹再会」ということに重きが置かれたのと同時に、書生類型は速くて多様な変化を経験す る運命共同体であったため、個人の「個性」は描かれ難かったと思われる。 最後に書生類型という明治初期の人物群が追求した理想と倫理は「学業」、「模範」、「品位」などと陳腐 で図式的な価値であったという点は、明治初期の硬直した社会像を示唆するものと考えられる。このような明治初 期の人情世態を模写するに当たり、いまだ近世気質物の人物造形が試みられたという点は、明治初期の社会の 根元をなす「理想」と「倫理」の性格がまだ近世のそれと大差ないことを示唆するとも言えよう。
나쓰메 소세키(夏目漱石)의 『나는 고양이로소이다』에 나타난 고양이 이미지 고찰
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.171-179
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Firstly, there is a certain image of cats that are fierce and revengeful animals in Korea. Compared to other countries, Japanese people like cats. The dominant image of cats is that they are cute, gentle, obedient and friendly animals in Japan. Secondly, the cat which appears in the work of ‘I Am a Cat’ is depicted romantic in some ways. The cat gets drunk in a water barrel and then greets the moon. In other ways, it is described as the psychologically weak cat. The cat tries to have peace of mind by using death, and cannot even catch rats. The cat as a ’protagonist’ enjoys superior food culture, having rice soup and beers. The cat spies on people’s conversation and then criticizes and satirizes people as arrogant snobs. This is an insolent image of the cat.
나혜석의 『나부』와 후지시마 다케지(藤島武二)의『花籠』의 비교분석 ― 모델의 시선의 문제를 통하여 ―
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.181-190
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『裸婦』に断髪や垂れ下がる乳房で女性のありのままの姿を表現した羅蕙錫は、凛凛しいモデルの顔の表情 とは異なって、斜めの視線を描いていた。そこで『裸婦』のモデルの視線の問題を1930年代という時代に焦点を 合わせて検証してみた。 朝鮮の1930年代は支配国日本の軍事政策によって、朝鮮の土地が利用され、荒廃していく時期であった。こ のような植民地朝鮮を羅蕙錫は文章の中で「荒蕪地」「砂漠」に喩えており、植民地化されて「砂漠」化して いく「朝鮮」をあらわそうとした。もはや羅蕙錫は自分の身体は自分だけのものではなく、「朝鮮」を背負ってい るものであると考えていた。いわば、羅蕙錫は女性の裸体を描くことで、自分を投影し、ひいては自分をとりまく 社会的・歴史的背景を反映している。 朝鮮の男性画家は裸婦を描く際、女体を官能的に描いており、モデルの視線を逸らすことで女体を自由に観 賞することができ、男性の性的欲望を露呈している。これに対して羅蕙錫は断髪や垂れている乳房を描き、男性 側による官能的意味を転倒させている。そして『裸婦』のモデルが視線を逸らしているのは、男性画家が描くモ デルの斜めの視線と相違する。それは朝鮮の社会的・歴史的背景をそのモデルが背負っているためである。裸体 画における支配国=見る側=男性画家と、被支配国=見られる側=女性モデルという二項対立的図式が存在す るのに対して、『裸婦』には「見る側」と「見られる側」の視線が画布の上で複雑に交差している。
김달수의 초창기 문학 연구 ― 일제강점기의 일본어 글쓰기에 대한 모색 ―
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.191-202
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日帝強占期の金達寿文学の意味は大きく二つの側面に分けて考えることができる。まず、日本語グルスギ(物 書き)に関する問題である。金達寿の日本語グルスギでは母国語そのものに対する限界、‘朝鮮人’の惨めな生活 を“日本人たちの人間的な真実に訴え”ながらそれらを外部世界に知らせるための手段、先輩作家である金史良の 存在や当時の‘朝鮮人’作家の存在性に対する自覚に依ったものだと言える。特に金史良の存在は、彼にとって は単純な‘朝鮮人’作家ではなく、人生のテキストとして、また尊敬する民族的な作家として‘羨望の対象’として刻 印されたという点で注目される。もう一つは、日帝強占期の金達寿文学の小説的な特徴からみると、解放以後の 強力な協力民族主義的なグルスギがみられるということだ。彼の初期小説は大概に仲間との友情や家族愛を中心 とした人間主義的な情緒(「汽車弁」、「位置」、「おやじ」、「雑草の如く」、「祖母の思い出」)、在日‘朝鮮 人’の艱難と克服とを中心とした不屈の生命力(「塵芥」、「雑草のごとく」、「族譜」), 日本․日本人を見る視線 (「位置」、「塵芥」)、日帝末期の時代精神に対する形象化(「塵芥」、「雑草の如く」、「族譜」)などを取り 扱っている。このような小説は主題が限定されていて内容上の流れが単調であるということ、登場人物の消極的な 現実認識と激浪の時代精神に微溫的に応じるという点から文學的限界性が指摘される。それにも拘らず、この初 期小説は当時の作家精神が読まれる重要なテキストでありながら、解放以後に本格化となる思想中心的なグルス ギの方向を提示したという点に大きな意義がある。
4,500원
本稿は、「植民地朝鮮を見る三好達治の観点」という題の下、特に植民地朝鮮の近代化と教育現実についての三好の観点を考察したものである。主に「南鮮雑観」「秋日記」の中に見られる三好の観点を朝鮮の近代化と教育現実という側面から考察してみた。まず、朝鮮の近代化について、三好が持っていた観点というのは、第一に、「文化教養の観点」であった。文化教養があるというのは、生活への理解があるということであり、これが、近代化されている証拠であると三好は見ていた。第二は、「効用性の観点」を挙げることができる。特に光化門の撤去への見解からも確認できるように三好は、朝鮮の近代化のためには、伝統と文化の象徴さえも犠牲にしていいという立場であった。第三は、「瀬惰な朝鮮民族へのイメージ」である。ある程度近代化されていても、朝鮮民族の特性及び性質はなかなか改善されにくいものであるという認識があったように思われる。次に朝鮮の教育現実についての三好の観点である。第一は、「教育成果の観点」であり、第二は、「教育の日本化の観点」である。朝鮮の近代化を見ている観点と同様に、教育についても、朝鮮の教育伝統に配慮する態度は見られなかった。植民地朝鮮を見る以上の三好の観点は、帝国日本の支配論理と完全に一致していると言える。
나가이 가후의「스미다가와」에 나타나는 공간 표상 ―작품 속에 나타나는 공간 표상을 중심으로―
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.219-226
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『すみだ川』は明治42年12月の『新小說』誌上に発表された永井荷風の代表作である。この作品が隅田 川両岸を舞台とした風土色の濃い小說であったことはよく知られている。また、作家が主人公である長吉に自分の 感情を移入した靑春、敎養小說として作品を研究する方法も一般的であったが、最近になっては、この作品の中 で歷史-地政學的動態を読もうとする試みも見られる。このように荷風の 作品の中の空間についての研究が増えて いくのは作品内の空間と作家精神との間に密接な関わりがあるからである。しかし、大抵の場合、作家の實際經 驗と作品内の空間を結び付けている。本稿では作品内の空間が何を表象しているかを究明していこうとしている。 それぞれの空間ー隅田川、學校と劇場、浅草ーの表象する意味を通して近代の規律と制度、それに基づいた文 化への同化を拒否した荷風像が浮かび上がるのである。明治42年、荷風にとって日本の俗惡な近代化は批判 せざるをえない對象であったのは自明なことである。永井荷風は『すみだ川』で'機械體操'で代表されながら 人間の性情を抹殺する學校、無差別的な開發で阿修羅場になってしまった隅田川辺など、具體的空間をもって 自分の批判意識を形象化しているのである。
과학과 문학의 ‘아날로지’ ―모던걸을 그리는 川端康成, 伊籐整, 슈르리얼리즘 회화―
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.227-240
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本稿は竜胆寺雄をはじめとする新興芸術派と川端康成、伊籐整、シュールレアリスム絵画が共有する眼差しを 「モダンガール」の描写の上で追究する。当時は顕微鏡の一例で示されるように科学や機械文明の発達によっ て新たな都市文化が華開いた時代であって、彼らはそれに見合う新たな美意識を女性の身体に焦点化することで 表現しようとした。このような科学指向がプロレタリア文芸とモダニズム文学が共有した時代認識であり、彼らは科 学の論理を文学領域に<アナロジー>として導入することで、結果的に文学を他文化領域、広く社会の方へ開こう とした。今まで<新興芸術>とは文学という狭い領域で考察されてきたが、科学に絶対的な根拠を与えることで未来 を創造し、新たな美意識を表現しようとした多様な領域の芸術的探求を当時においては<新興芸術>と言い慣わし たのであり、その文化コンテクストにおいて<新興芸術>の文学も再考されるべきである。
시마자키 도손의 『바다로(海へ)』고찰 ― ‘바다’의 상징적 의미를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.241-255
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島崎藤村の『海へ』は単なる旅行記ではなく、所謂「新生事件」と言われる作者自身の人間的苦悩を乗り越 え、父との邂逅と日本の近代化という重要なテーマを有するテキストである。 本稿では主に詩的な含意を持つ<海>の意味とともに、エトランゼエの存在、父との邂逅や日本の近代化に 対する再発見という課題について探り、『海へ』の持つ独自的な意義を再評価したいと思う。まず、<海>の意 味の分析においては、死と再生のイメージに注目し、それを日本での伝統的な意味との関わりの中で捉えた。次 にエトランゼエの存在については、<私>の分身として造型されており、日本を相対化して見る異邦人の視線を代 表しているものとして捉え、次第にその視線が内面化していく過程に注目して考察した。最後には、父との邂逅を 通して近代日本への視座を獲得していく作者自身の精神史の変貌について探ってみた。
4,000원
〈物語〉という言葉の定義は日本文学研究における難解な論点の一つなのだが、近世文学の分野に限っていえば、しばしば簡単な答えのように紹介される定義づけがある。『囃物語(はなしものがたり)』(1680)の序文がそれであり、当時の〈咄〉と〈物語〉の概念を明確に区別した言説として多くの論攷に引用され、近世散文をめぐる様々な立論に利用されてきた。しかしそれらの論攷における解釈の中には、二つのキーワードである「出書」と「出所」の混同が見られるものもあり、定義は本来のものからは離れた曖昧なものとなってしまっている傾向が否めない。 先ず問われなければならなかったのは、序文に見られる平将門のエピソードに関して、その出典が明記されなかったことのもつ意味である。その検討からは、『囃物語』の筆者が〈物語〉の条件として意識していたのは、〈でどころ〉の存在などではなく、エピソード自体の信憑性であったことがわかる。さらに本文に〈物語〉として載せられているエピソード群の出典の色合いを探ってみれば、やはりその内容の信憑性に重きをおく選択であったことが確認できる。 これらの検討から導かれるのは、〈史実〉という概念に収斂される〈物語〉の定義であり、さらには『囃物語』を引用・利用する場合の「出書正しき事」と「出所有事」の明確な使い分けの必要性である。
4,800원
怪奇の構造の再考という問題を取り上げたのは『雨月物語』と『春雨物語』という両作品の時間・内容的に大きなずれが生じたという背景を前提にしている。そこで『雨月物語』から『春雨物語』への怪奇の構造の変化を捉えることにした。しかし、「目ひとつの神」では怪奇の構造の崩れというのはみられるが、人間に対しての秋成の捉え方さえも変えさせたのである。また、本作品では今まで秋成の構造分析の一つの枠組という中国白話小説の影をみることができなかった。それに関してのさまざまな理由があった。約三十年という期間と国学者としての秋成の意識の変化は、中国白話小説に関心を持たせなくなった。そのため「目ひとつの神」の怪奇は消失していったのであった。このような影響で崩れていく怪奇は、『春雨物語』の各編にほとんどみえなくなったのである。ここで秋成の怪奇の構造はとらえる意味はなくなったかのようにみえた。しかし、そこに「目ひとつの神」の怪奇の構造を再考する重要な意味があったのである。怪奇の構造の消滅は中国白話小説と怪奇の物語の逸脱をもたらすようになった。もはや『雨月物語』の人間の性情を怪奇の構造からみる視覚はともに失われたのではないかと思われる。つまり、このような流れで秋成の持つ人間に対する眼差しも変わり、ふたたび人間の世界に目をむかわせるようになったと考えられる。結局この構造は怪奇の構造の変化によってからこそ、「目ひとつの神」は成り立つことができたと考えられる。そこで本稿で考察した「目ひとつの神」の怪奇の構造への再考の意義があったといえよう。
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説経節<松浦長者>には二つの諸本(寛文元年版, 江戸版)が存在する。先行研究では江戸版の文学的特質に対して作品論的観点で本格的に研究した論文がほとんど見当たらない。本稿では両板(江戸版、寛文元年版)にあらわれる説経節的要素、さよひめの神性的要素に違いがあることに問題意識を持ちながら、作品論的観点で説経節的要素とさよひめの神性的要素を中心に論議を展開し、江戸版の文学的特質を具体的に明らかにした。本稿では次のように論議を進めた。まず最初に両板で発見できる説経節的要素(「漂泊民への賎視意識」、「漂泊民だった者の復讐」)の相違点をみた。次に両板で認められるさよひめの神性的要素(「孝心」、「怨讐を怨もうとしない心」、「救済力」)の差違を調べた。最後に両板で探し出された説経節的要素・さよひめの神性的要素の相違点が、生じた理由と、その相違点が文学的に何を意味しているかを探求した。 その結果、両板において説経節的要素(「漂泊民への賎視意識」、「漂泊民だった者の復讐」)と神性的要素(「孝心」、「怨讐を怨もうとしない心」、「救済力」)に関して、江戸版は寛文元年版に比べて強まりの度合が弱くあらわれてた。ところで江戸版にあらわれた説経節的要素(「漂泊民への賎視意識」、「漂泊民だった者の復讐」)とさよひめの神性的要素(「怨讐を怨もうとしない心」、「救済力」)の強まりの度合が弱まった理由は、成熟した都市社会に住み近世の現世的思想の影響を受けた観客層が、中世ほど漂泊賎民に関連する要素と信仰的要素を望まなくなり、彼等に合わせて作品が変貌したからであろう。また江戸版では寛文元年版より「孝心」の強まりの度合が弱化していたが、その理由として寛文元年版は元禄時代の前に刊行されたので、その観客層・読者層は近世の現世的思想の影響をあまり受けなかったのに対し、江戸版の観客層・読者層は現世的思想に強く影響を受けた為に、彼等が共感しないものを語り手層・作者層が省いた結果、江戸版では「孝心」の強まりの度合が弱化したと推測できた。 一方、説経節はジャンル的側面で時代にとり残され衰退の方向に進んでいた。また個別作品的側面で両板を比較分析した結果、43年間で起きた江戸版の説経節的要素と神性的要素の変貌は大きくなく、その変貌は説経節<松浦長者>の作品的生命力にプラスになるものでなかった。さらに本稿で論議しなかった43年間で起きたそれ以外の江戸版の変貌も説経節<松浦長者>の作品的生命力にプラスにならなかったと考えられた。むしろマイナス的な面も探し出された。それは江戸版は論理的に疑問を抱かせられる作品であると同時に、作品的に不完全な部分が見受けられることであった。そういう訳で説経節<松浦長者>の作品的生命力の限界性を発見できた。やや逆説的な言い方になるが、両板の比較分析で以上のことが見付けられたという点で、寛文元年版に比べてあまり作品論的観点で研究がなされなかった、江戸版の文学史的な価値を改めて浮き彫りにできたと考えられる。
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芭蕉は常に自然を句の素材として取り扱い、芭蕉の文学世界の精神的な栖として存在していた自然の役割は、実に大きいものであったといわざるを得ない。芭蕉の作品の中からは、時代の推移を反映するかのように様々なパタンで登場しており、晩年には芭蕉の俳文学の核ともいえる中心的存在として彼の作品のあちこちで描かれていることが散見出來る。世からは自然詩人とも、旅詩人ともいわれている芭蕉の文学の出発点はまさに自然であったのであり、その終着点も自然であったといえそうだ。 そして芭蕉に大きな影響を与えた荘子の思想世界にあらわれている「自然」の概念の多くは、当然中国の伝統的な「自然」の概念からきたものであり、それは『荘子』の寓話のあちこちから散見出來る。しかし中国の伝統的な「自然」の意味と『荘子』の寓話にあらわれている「自然」の意味を比較してみる時、両方の「自然」の意味が必ずしも一致しているとはいいがたいのである。 芭蕉の作品のなかの「自然」を中心に、彼の自然観の変化と成立の過程を調べ、更に芭蕉の俳文学のなかにあらわれている「造化」と「自然」との関係を明らかにし、芭蕉の俳諧に於ける「自然」と「造化」の役割とその位置づけを考察し、荘子の思想の根底を成している「自然」に注目し、時々「自然」のかわりに用いられた「天」が荘子の思想世界では、どのような意味をもっているのか、またその役割に関して考察したのである
Japan-ROK Economic Relations ― Focusing on the Japan’s early stage Park Chung-hee era ―
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.313-325
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1961年5月、軍事政府を樹立した、パクㆍジョンヒは日本の技術力と資本が必要であり、日本からの助力が彼 の政権を安定させられると確信した。それで、パクㆍジョンヒは日本との国交正常化を急き立てるようになった。 1965年、韓ㆍ日国交正常化は日本との急速な貿易の取引増加を齎し、パクジョンヒの政府が政治的で、そして経 済的で変化しているという実感を感じられるもっとも大きな要因であった。そのため、この論文はパクㆍジョンヒ政 府の初期、日本政府のどのような対韓政策がパクㆍジョンヒ政府の批判的な対日観に影響を及ぼしたかという問題 を分析することである。そのため、一つ、日本の対韓援助と投資政策を分析、二つ、日本の対韓経済協力とパ クㆍジョンヒ政府の韓ㆍ日間の腐敗構造の分析、三つ、韓ㆍ日間の対韓経済協力の分析を通じ、パクㆍジョンヒ 政府の初期の韓ㆍ日関係において日本の韓国での経済的優位を批判的な観点で分析する。
일본에 있어서의 집단적 자위권 문제에 관한 연구 ― 일본정부의 논리를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제76권 2008.08 pp.327-337
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日本政府は冷戦期において自衛隊が海外で活動する事態を想定していなかった。しかし冷戦が終焉を告げた 後、それまで日本政府が想定していなかった自衛隊の海外における活動は活発になり、それに伴い集団的自衛 権をめぐる議論が盛んに行われるようになったのである。日本政府は現在でも公式的には日本が集団的自衛権を 持ってはいるが、憲法9条の制約の下で行使できないという立場を堅持していると言っている。しかし、実際には 様々な論理を駆使して部分的に集団的自衛権を行使している。それらは、武器の使用は武力の行使に当たらな いという論理、後方地域或いは非戦闘地域における補給活動等は兵站活動ではないから、他の武力との一体化 に当たらないという論理、国又は国に準ずる組織でない集団の武力に対抗することは武力行使に当たらないという 論理である。ただ日米同盟の更なる強化とともに現在の論理でも対処しきれない領域があることから、安倍政権は 去年有識者による懇談会を設けて新しい論理を検討していた。2007年7月の参議院選挙の惨敗に続いて安倍政 権は崩壊したが、日米同盟の強化という構造的要因が変わらない限り、この懇談会で議論されていた論理はいず れ再び現実政治の場に姿を表すであろう。
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Japanese Prime Minister Fukuda Yasuo repeatedly expressed his willingness to develop relations with Asian countries while simultaneously pursue a strengthened Japan-U.S. alliance, so called, synergy diplomacy. Fukuda has maintained that the U.S.-Japan alliance will remain the lynchpin of Japan‘s foreign policy and that a strong relationship with Washington will serve as the basis for Japan's active diplomacy vis-a-vis Asia, particularly China and South Korea. Asian countries including China and South Korea welcome Fukuda's approach. Fukuda regime needs to maintain good relations with its neighbers, including China, to improve its international standings. In particular, Japan needs China's support to join the U.N. Security Council and to resolve the North Korea issues. In realpolitik terms, Japanese government is seeking better ties with China in a changing strategic environment in East Asia. China's rapprochement with Japan in recent is an attempt to draw a wedge between Washington and Tokyo. China realizes that forcing Asian countries to choose between Washington and Beijing can be counterproductive. Beijing continues to work toward a multipolar world less dominated by the U.S. It is in the interest of the U.S. and Japan to induce China and North korea, which strive to change the status quo, to take a multilateral diplomacy. Integrating those nations into the regional or global order has been a long standing goal of the U.S. and Japan. For those reasons, Fukuda's synergy diplomacy is expected to advance successfully.
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本論文は, 占領改革の一環として始まり女性の地位向上と男女平等を掲げ, 民主化のシンボルとされた日本の 女性政策が, なぜ女性保護中心に推進されてきたのかを考察したものである. 考察に際して政策アイデアと政策 ネットワークに着目した. 政策過程における占領当局の「保護」アイデアの重視とともに,「保護」アイデアを支持 するアクター間のネットワーク形成が可能で, 政策ネットワーク内では, 女性は男性とは異なる母性機能を有し, 母 性機能故に女性は家事, 育児, 介護の家族的責任を担うとする性別役割分業意識を共有していた. 戦前戦後の 劣悪な労働環境を背景に女性の保護が政策課題として認識され, 母性機能を有する女性保護を政策目標に女性 保護規定が法制化された. 女性保護を推進する機構として労働省に婦人少年局が設置されたことで女性政策は 女性保護に収斂したのである.
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日本の地方分権化においては'補完性の原理'が原則として取り上げられている。日本ではこれを地方分権 の原則と目標にして地方分権を推進し、これを実現するために'市町村'の重要性と'市町村'への権限委任を 強調していると見られる。ところで実際地方分権政策の案には'補完性の原理'を実現するための'市町村'の 重要性はどれほど反映されているのであろうか。地方分権推進委員会と地方分権改革推進会議の意見書を見れ ば、'補完性の原理'と'市町村'の重要性を強調してはいるが、具体的な対策としてまでは出されていないの が分かる。むしろ市町村の行政能力の確保と効率的な行政運営の向上が優先的に解決されなければならない課 題として取り上げている。しかし'補完性の原理'という観点からみれば、地方分権改革推進会議は地方分権推 進委員会より多少進んだ内容も見える。政策の性格によっては中央政府も市町村の重要性を強調して権限の委任 を積極的に提案している。また都道府県の知事たちも都道府県の権限を市町村に委任することに同意している。 この様な分析の結果は日本で出された地方分権政策はまだ地方自治の究極的な目的である'補完性の原理' を実現するのには充分ではないがその方向を向かって進んでいると思われる。そしてそれを達成するまで持続的な 改革が行われるし、'市町村'への権限委任に関する内容は重要な焦点になるだろう。
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