2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,900원
本稿はこれまでの東アジア歴史研究において支配的なパラダイムであった西欧中心史観とその亜流である日本中心史観を批判し、それに代わる新たなパラダイムを模索しようとするものである。その新たなパラダイムの中心的な概念は儒教的近代というものである。儒教的近代は、朱熹の思想を近代思想としてとらえるとともに、明清代の中国社会を儒教的近代として把握すべきことを主張するものである。そして、儒教的近代の影響を深く受けた韓国やヴェトナムなど諸地域の「伝統社会」も儒教的近代との関連の中で把握すべきことを論じる。
4,800원
日本の右翼は大阪事件の挫折からはじまり、黒龍会を組織する道程をたどる。その中間過程で媒介する団体が天佑侠である。天佑侠は朝鮮で東学党を助けて、朝鮮を清国から独立させるという目的で朝鮮で活動した。本稿では天佑侠の会員で黒龍会の組織に関係する内田良平と吉倉汪聖の朝鮮改革運動との関わりを検討する。そして日本の初期右翼は他国のナショナリズムを正面から受け止める要素をもっていたを論証する。
4,800원
本稿は「国民帝国」という作業概念を通して、東アジアにおける帝国と植民地をめぐる方法と課題を探ってみようとしたものである。そのため、本稿では、異法域結合と差異の序列化の問題を軸にし、国民帝国•日本のあり方の本質を追求し、その今日的な意味を考えてみたい。
4,300원
1、日露戦争の性格は「祖国防衛戦争」ではなく、韓国の保護国化を狙った「植民地戦争」である。2、戦争責任は、ロシア側でなく日本側にある。3、日露戦争の戦略目標は満州(ハルビン)にあるロシア軍の打倒であり韓国制圧ではない。4、日露戦争終結後、日本の韓国駐劄軍が韓国人弾圧のための軍隊に変貌した。
7,000원
本稿は、内地人・朝鮮人官僚の両者の存在に着目しながら、朝鮮総督府のなかに刻み込まれた民族矛盾に焦点を当てて検討する。第1章で官僚組織を貫く身分秩序と民族構成、第2章で任用制度について文官任用令と朝鮮人特別任用令、第3章で俸給制度について本俸と植民地在勤加俸を分析対象とする。その際には、「内地延長主義」型制度と「特別統治主義」型の制度とに分類しながら、その適用法域・民族に着目して検討し、両者の併用がもたらす作用を考察する。また、本国および台湾との関連をも視野に入れながら検討することで、他地域との共通点と朝鮮固有の問題点を照射する。
4,300원
本稿は日本が貧弱な国力でありながら日中戦争から8年間も戦争を続けることができた理由を、金融政策の側面から探る。日本は日本銀行を中心にして、周辺に朝鮮銀行と台湾銀行、さらには満州中央銀行といった植民地発券銀行を支配して障壁として利用したことの構造を持っている。また日本の中国や南方の占領地では、現地通貨を発行することによって、物資調達などの軍事支出や開発投資、経営費用を賄う金融機構を作った。日本は植民地·占領地の通貨を増発することで、日銀券の増発を抑えて内地経済の崩壊を防ぎ、貧弱な国力にも8年間戦争を続けることができたのである。
4,300원
本稿は、植民地時代の朝鮮で行われた教育政策の歴史的な経緯を記述するとともに、1996年、韓国大邱地域で行った聞き取り調査に基づいて当時の教育現場の実態を改めて考えてみようとしたものである。実態調査は、当時の初等教育(普通学校)や中等教育の経験者、官立大邱師範学校の卒業生などを対象に行われたものである。
4,300원
学習者の特性を考慮したグループ編成の基で協働学習を行ったらグループワーク過程でどのような相互作用がもたらされるのか、また、認知的・情意的側面に、どのような影響を及ぼすのかを質的調査結果を基に詳細に分析することが本研究の目的である。本論では、対人関係調査結果と学習日誌(ポートフォリオ)、さらに振り返りシートの5段階評定結果を基に考察をした。その結果、各学習者の特性である学習レベル、性格、友人関係、親和動機、アイデンティティ・ステイタスの全てにおいてグループワークの中で影響を及ぼすことがわかった。特に、親和動機では、動機が高い学習者は、メンバーとの心理的距離を縮めるのに時間がかからない傾向があった。アイデンティティ・ステイタスでは、上位の学習者であるほど対人関係に問題が発生しないという先行研究があるように、本調査のグループ編成でも、アイデンティティ・ステイタスが高い学習者は、グループワークでグループを引っ張る存在であったり、メンバーへの配慮が見られたり、グループ方法や学習と自己について振り返りをするなどの特徴が見られた。本論では、学習日誌と振り返りシートの5段階評価資料を基に各学習者への影響についてを考察することにとどまり、親和動機の各側面のうち有意差があったものを細かく分析することができなかった。今後の課題として、グループワーク過程において学習者の特性にどのように影響を及ぼすのかについて、授業日誌を基にグループ単位で見る必要がある。そうすることで、本論の調査結果が明確になり、さらに詳細な分析ができると思われる。
4,300원
日本語においては「漢語する」「漢語させる」で構成される漢語動詞の他動表現と使役表現を、韓国語では「漢語하다」が他動表現を「漢語시키다」で使役表現の関係を担っている。このように形態的に区別されている両言語の他動表現と使役表現が、ある事態を叙述するのに他動表現と使役表現の両方が同様な意味を表す場合と、他動表現と使役表現が違う意味を表す場合があることについて指摘し、なぜ、このような違いが生じるかを韓国語の使役表現の歴史的な変遷に注目して考察を行った。その結果、他動詞文と使役文の境界域に対しては、日本語と韓国語は基本的に共通した特徴を持つが、ある一部の漢語に関しては両言語間に違いが見られることが分かる。すなわち「更新、減点、変更、掲載」などの漢語に対しては、日本語では、「漢語する」と「漢語させる」が完全な独立性を有しているが、韓国語ではそうではない。そして、このような違いが生じる要因として、韓国語の「시키다」の歴史的な変遷についても指摘する。従来の韓国語の「하다」動詞に存在した「하이다」という「이、히、리、기」形から派生した使役表現が、現代韓国語では無くなり、その「이、히、리、기」形の意味機能を「시키다」形が引き継いだと考えられる。しかし、従来の韓国語では「이、히、리、기」形から派生した使役表現が現代韓国語より生産性が高かったため、現代韓国語には「이、히、리、기」形から派生した語彙でも使役性が表せない場合があることが分かる。このような「이、히、리、기」形からの派生現象が「시키다」にもその影響がある可能性を示唆した。
4,500원
本稿では、日本語と韓国語の状態記述二次述部(depictive secondary predicate:以下、DSP)に関して考察し、その異同を明らかにした。DSPとは、主動詞の担う時制辞が指し示す時点においてその参与者が有する状態を表す要素であり、日本語では(1a)のような「で」句が用いられる。なお、DSPには一時的な性質を表す段階レベル(stage-level)の述語のみ用いられるという意味制限があり、(1a)に対して(1b)のような恒常的な性質を表す「で」句はDSPに用いられない。 (1) a. 太郎が鮭を塩焼で食べた。 b. * 太郎が鮭をチリ産で食べた。一方、韓国語では日本語の「で」句に対して「lo」句が用いられるが、日本語では成立しない(1b)に対して(2b)が成立し、日韓語はDSPの成立に関して違いが見られる。 (2) a. yeoneo-leul sogeumgui-lo meog-eoss-da. 鮭を 塩焼き-lo 食べ(る)-Past-Decl. b. yeoneo-leul chillisan-eulo meog-eoss-da. 鮭を チリ産-lo 食べ(る)-Past-Decl このような(1b)と(2b)の対立に関して、本稿では、「で」句と「lo」句に現れる名詞句の意味的な性質に焦点を当てて考察を行い、次のような結論が得られた。「で」句と「lo」句はDSPの機能である叙述機能に関しては共通しているが、韓国語の「lo」句は、叙述機能のほかに指示機能をもつという点で「で」句とは異なり、そのような違いのため、(1b)と(2b)の対立が生じるということである。つまり、(1a)の「で」句と(2a)の「lo」句は同じDSPであるが、(2b)の「lo」句は指示機能をもつ要素であり、DSPとは違う性質をもつ。
文法化理論を応用した日韓語の文末形式に関する対照研究― 「のだ」と「것이다」の意味変化の対比を中心に ―
한국일본학회 일본학보 제84권 2010.08 pp.153-164
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4,300원
本研究では日本語の自然な会話において頻出、多用される文末形式「のだ」とそれに該当する韓国語の形式「것이다」について対照分析を行った。具体的には従来の日韓対照研究における両形式の研究成果を踏まえて、文法化(grammaticalization)研究における意味変化の概念を応用して、両者の類似点と相違点の考察を行った。その結果、「のだ」と「것이다」はTraugott(2003)によって提唱された「主観化(subjectification)」から「間主観化(intersubjectification)」への意味変化の過程を体現している点で共通する。しかし、「のだ」は両方の過程に偏りなく意味変化が進んでいるのに対して、「것이다」は「主観化」「間主観化」それぞれの過程において、「のだ」に比べて意味変化の進度に制約と偏りが見られることが分かった。 本研究を通して、同じ膠着言語型に属し、形態․統語的に類似しているように見える両形式の、文法化の進度の度合いにおいて微妙な差が見られることが確認できた。この点は両形式の類似点と相違点に関する指摘に留まっていた従来の日韓対照研究に対して、新たな理論的考察を与えることができた点で意義があると考える。
話しことばにおける韓日の「呼びかけ」表現の対照的考察― 相手を指し示す表現を中心に ―
한국일본학회 일본학보 제84권 2010.08 pp.165-181
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5,100원
本稿では、韓国と日本の小説と映画、それらの対訳などを用い、話しことばにおける名前などの呼びかけおよび共起する表現を調査し、どのような状況や発話内容において、韓日それぞれの呼びかけの特徴が見られるかについて分析を行った。小説資料の項では、原作に忠実に訳されることの多い翻訳作品の発話のうち、日韓で特に違いが見られた呼びかけの用例を抜き出し、原作と翻訳を対照的に提示、分析した。使用言語別の用例件数は、日本語(原作および訳)が韓国語(原作および訳)に比べわずかに多く、韓国語と日本語の呼びかけ使用の差異が、その訳出に影響していることが確認できた。まず、小説資料において、日本語の原作にある呼びかけが韓国語に訳出されていない例では、日本語で非難や不満の意を表すときの「おまえ」、待遇性の低い発話と共に出現する「あなた」や「先生」などが、韓国語に訳出されていなかった。この傾向は、韓日の呼びかけの用法の差と、等級(敬語の観点からの)に関する差によるものと考えられる。また、韓国語の原作にはない呼びかけが、日本語訳に追加されている用例の多くは、展開中の話題を遮ったり、話の流れを変えたりする働きを持つものであった。それらの呼びかけにより、聞き手を自己の側へ強く引き寄せ、伝達しようとする内容や訴えようとする内容について、確実な認識と理解を促そうとするような状況で見られた。また、それらの多くは、すべて話し始めに訳出が加えられていた。映画資料の分析の項では、韓日の呼びかけの出現位置および頻度において、それぞれの傾向が確認できた。韓国語の発話では、前方、後方のいずれの位置においても、呼びかけが用いられる傾向が見られた。日本語の発話では、全体として話し始めに呼びかけることが多く、また、あえて呼びかけることなく話を進める場面も見られた。話し始め以外の位置で呼びかけが認められる場合、感情の起伏が伴う傾向が見られた。
4,600원
本稿は、いわゆる「神代文字」の存在を主張した代表的な人物の一人である平田篤胤が、『神字日文伝』を執筆した理由およびその内容、そして本書に『訓蒙字会』が掲載されるようになった経緯等について探ってみたものである。その結果分かったことは以下の通りである。まず、『神字日文伝』は、『古史徴』をもって「神代文字」の存在を明らかにしたにもかかわらず、それを信じない人が少なくなかったこと、そして以降「神代文字」の実物だとして発見され蒐集したものがあまりにもハングルと類似していることなどから、ハングルと「神代文字」を「肥人書」との関係の中で議論し直す必要に迫られた結果作成されたものと見受けられる。次に、篤胤は、これが「神代文字」の実物だとして『神国神字弁論』を通じて初めて世に披露した諦忍にたいして、その典拠とした文献の真偽を問題にして彼を批判しつつも、「神代文字」の存在を主張した諦忍の考えそのものに関しては容認する立場をとっている。また、新井白石にたいする批判等を含めて、ハングルが「肥人書」の偽作であるとする考えをもっていた篤胤は、行智の紹介をきっかけとして『訓蒙字会』と接したが、字体の異同の問題に執着した彼は『訓蒙字会』の一部を補う等の方法と、「五十音図」の枠の中にハングルをあてはめようとする試みなどを通じて、『訓蒙字会』までも自らの主張を裏付ける典拠として利用しようとした。最後に、篤胤は漢字使用の問題点を述べ、かつ表音文字こそ有用であるとの認識を示すわけであるが、これは後、漢字の廃止を主張した前島密につながるもので、篤胤の『神字日文伝』における業績は、「無稽」な「神代文字」存在説にあるのではなく、漢字音問題の解明に偏ってきた従来の言語研究の流れを、文字にたいする関心へと旋回させ、漢字使用を含めた表記法の問題を提起することによって、明治以降のいわゆる「国語国字問題」の先駆けとしての役割を果たしたという点から捉え直す必要があるのではないかと考えられる。
4,300원
Since the study of 「-tehoshii」 has been dealt mainly in the contemporary grammar and dialect, this thesis was done in a way different from the previous studies by using resources written during the Meiji period such as hanashibon, novels, Yomiuri newspaper and Taiyo journal. As a result, the first recorded appearance of 「-tehoshii」 in Japanese literature was in a book called Kinouwakyounomonogatari around year 1624. It was first used in kamigata region compared with other regions. Thus, it was mainly used in Kansai dialect. In my research, 「-tehoshii」 was often used in hanashibon and Yomiuri newspaper during the Meiji period. 「-tehoshii」 was considered as a spoken language. In particular, 「-tehoshii」often appeared in readers’columnin newspapers during this period. I think it was because a readers’ column reflects a relatively easy spoken language to target women and young persons as main readers, which is the characteristic of kosinbun. Kosinbun use simple and straight forward expressions that are easy to understand which is preferred by women and young persons. In contemporary grammar, the common negative forms of 「-tehoshii」 are 「-tehoshikunai」and 「-naidehoshii」. But in my research, it was found out that aside from those two mentioned, the expression 「-nai(nu)youni-tehoshii」was also used. In frequency of usage, 「-nai(nu)youni-tehoshii」was more popular than 「-naidehoshii」. It means that the softer expression 「-nai(nu)youni-tehoshii」 was preferred over 「-naidehoshii」 at that time. I think this is the reason for the delay of the popularity in the usage of 「-naidehoshii」 just like what is stated in previous researches and studies. However, during the Showa period,「-nai(nu)youni-tehoshii」 was non-existent. It means that 「-nai(nu)youni-tehoshii」 was not established as a compound auxiliary verb. Instead, the expressions 「-tehoshikunai」and 「-naidehoshii」 were later commonly used.
잉여적 선택성에 기초한「なさる」와 「される」의 사용상의 기준― 신약성서(신공동역)의 4복음서를 대상으로 하여 ―
한국일본학회 일본학보 제84권 2010.08 pp.209-225
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5,100원
本稿では日本聖書協会発行の新約聖書(新共同訳)四福音書を対象として「する」の尊敬語形式である「なさる」と「される」の使用実態を分析することにより、両者の使用上の基準に関して検討した。本稿で考察した内容を整理すると、以下の通りである。1. 四福音書から「なさる」には、次のような使用上の基準が認められる。[1] 地文において<神>の行為に関しては、行為主体が絶対的な存在として認められ、当該行為が <神>の関与する包括的で甚大な事柄、または「証し」や「裁き」のように、聖書では神の領域に属す絶対的な権能と見做される事柄については「なさる」が使われている。これに対し<イエス>の行為に関しては、当該行為が個別的で具体的なものでなく、規模が大きく抽象度の高い神の領域に属す事柄と見做される時、これを四福音書では<神>の行為と同格に扱って「なさる」が使われている。[2] 一方、対話文では待遇表現上の一般的な規則が適用された例を除くと、全て<イエス>を高め るのに「なさる」が使われている。この時<イエス>の行為に関しては、それが個別的で具体的なものであるか、規模が大きく抽象的な事柄であるかという区分は適用されない。2. 尚「される」には、次のような使用上の基準が認められる。[3] 地文において<神>の行為に関しては、該当行為が個別的で具体的なものの場合に限って「さ れる」が使われており、また、<イエス>の行為に関しても、当該行為が個別的で具体的なものであることを表すのに「される」が使われている。[4]「される」は対話文では<ヨハネの弟子>が<ヨハネ>を高めたり、または対話文に相当する文章で は<ヨハネ>が<イエス>の行為を高めるのに使われている。 以上のように四福音書では、従来の敬語教育や日本語教育次元で述べている規範意識上の敬語使用規則とは異なり、「なさる」と「される」の敬意度の違いを、1)<神>または<イエス>であるか、その他であるかといった敬意主体の区別と、2)当該行為が包括的で抽象的な事柄であるか、或いは個別的で具体的なものであるかという行為対象の範疇的な違い、3)そして地文または対話文であるかという文体上の違いの区分に反映させている。そしてこのような「なさる」と「される」の併用は単に敬語表現の混用ではなく、飜訳者の立場から - 高度に意図された - 同一動詞の尊敬語形式に表れる剰余的選択性を積極的に活用し、日本語聖書の本文を正確に理解させるために、使用上の基準によって運用されていると解釈される。このような「なさる」と「される」における使用上の基準は、李成圭(2010a)で「おっしゃる」と「言われる」を対象に行った使用上の基準、李成圭(2010b)で「おいでになる」と「行かれる․来られる」を対象に行った使用上の基準と原則的に一致する。
日本語母語話者のターン交替における語用論的特徴について― 機能的分類による定量的分析と会話教育への示唆 ―
한국일본학회 일본학보 제84권 2010.08 pp.227-240
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4,600원
磯野(2010b)では、会話の中でインタラクションの特徴が最も顕著に現れると考えられる「ターン交替」について、日本語母語場面における統制された大規模なデータを、形式的分類から定量的に分析した。この継続調査として本研究では、磯野(2010b)で調査された形式的分類(表現形式)が会話の中でどのような語用論的な特徴や相対的な機能あるのか、という観点から機能的分類(「応答」「確認」「直接的な発話」)による定量的分析をして、調査・分析を行った。この結果、日本語母語話者のターン交替の特徴として、「応答」からターンを開始することが多いこと、そしてそれはコミュニケーションを円滑に進めるための役割を担っていると考えられること、の2点が明らかになった。また形式的分類と機能的分類を対応させることにより、一つの表現形式が持つ語用論的特徴、及び相対的効果が一様ではないことも確認できた。このような実際の会話データから得られた知見は、より自然なコミュニケーションを日本語教育に取り入れるにあたり、有効な材料となり、会話教育への具体的な示唆となることが確認された。
일본어 동경방언과 한국어 대구방언의 음조에 대한 악센트론적 고찰― 악센트체계와 출현빈도, 유형론 ―
한국일본학회 일본학보 제84권 2010.08 pp.253-262
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4,000원
本稿の目的は、日本語東京方言と韓国語大邱方言の名詞の音調をアクセント論の観点から照射し、両者の共通点を明らかにするところにある。先行研究と言語事実に立脚し、音韻論的なレベルである<アクセント体系>やアクセント型の<出現頻度>などといった観点から詳細な分析を加えた結果、両言語において、次の5つの点が共通していることが明らかとなった: ①下げ核を有するピッチアクセント言語である。 ②n+1個のアクセント型の対立がある(n:音節数․モーラ数)。 ③非均衡アクセント言語である。 ④次末アクセントを基本(default)とする(次末アクセント規則を持つ)。 ⑤アクセントを置きにくい、音韻論的に「弱」の環境が存在する。 つまり、日本語東京方言と韓国語大邱方言の音調は音声的には大きく異なるが、アクセント論的には極めて類似したタイプの言語と言いうる。また、④の次末アクセント規則は言語類型論的にも注目すべき特徴である。何となれば、次末アクセント規則は、ラテン語やラテン語と系統的、歴史的に関連のある諸言語をはじめ、世界の多くのアクセント言語に共通して観察されるもので、アクセント規則として一般性が高いからである。こうした一連の言語事実は、今後の日韓両言語のアクセント研究のみならず、大邱方言話者に対する日本語教育にも裨益するところがあろう。
4,000원
芭蕉と荘子のかかわりについては、既に先学が指摘しているところであり、周知の通り堀信夫․仁枝忠․広田二郎の三氏の他、多くの先学により諸説が提示されている。それらによれば、芭蕉と荘子との出会いは、俳人としての芭蕉の生活を大きく揺さぶったことに間違いない。芭蕉と荘子とのかかわりに関する諸説のなかには、上述した先学による秀れた学説も提示されているが、石橋筑紫男氏の『ノ-ト芭蕉の中の『荘子』』の他、従来の諸説の多くが、やや文献的な研究にとどまる傾向が強かったことを指摘したい。芭蕉にとって荘子との出会いは、芭蕉の文学に大きな転換点となったといえよう。特に『荘子』からの影響の中でもっとも大きかったのは、思想関係であったといえよう。本稿では芭蕉に思想世界に影響した荘子の思想の中でも「生死観」にしぼって考察する。人間の生と死に関しては、生まれてから死ぬ時まで人間の誰もが関心を持ち、一生抱えて解こうとする問題でもある。天地が永遠でありうるのは、自分で長く生きようとする計らいをもたないこと、言い換えれば無為自然であるためである。亂世に生まれた荘子にとっても人間が安全に生き長らえるということと、人間の死ということには無関心ではあり得なかった。そこで荘子は、人間の生死の問題に対する答えを自然のなかから探そうと試みたようである。一方の芭蕉の生死観は、あくまでも現実にとどまりながら、今現在の生活の中で、生死を乗り越えようとするいかにも現実的な生死観として理解出來るといえるのである。二人の生死観は上述のように若干異なるところはあるものの、芭蕉と荘子は、人間が生活する大きな部屋のような自然のなかで、「生」と「死」による自分自身の人生が、自然の一瞬の移り変わりであることを認知しながら、その一瞬の移り変わりのような人生の道を歩んだのである思うのである。芭蕉はこのような道をたどり、常に志向した世界に入りこむことが出來、そして、そこで成し得た達成によって蕉風俳諧が築き上げられた。続く貞享年間の蕉風展開、確立に対応して逍遥遊、自得の境地が更に深く読みとられた。このように独自の道を歩めるまでには、日本の古典と漢文学からの影響があったことは周知の通りで、なかでも『荘子』は、芭蕉の俳諧文学の精神的世界に大きな影響をあたえている。それは、芭蕉の俳諧の根幹を成している自然観と、芭蕉文学の完成ともいわれる紀行文学にも、『荘子』とのかかわりがうかがえるからである。
韓國人에 의한 日本 近現代文學 硏究의 過去․現在․未來 照明― 나쓰메 소세키(夏目漱石)를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제84권 2010.08 pp.263-279
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5,100원
最初に、2000年1月から2009年12月までの最近10年間に、韓国を代表すると思われる六学会の学会誌に韓国人による漱石関連論文は85編掲載されており、韓国と日本で刊行された単行本や著書は12冊に及んでいる。そのことから考えると、この10年間韓国人による研究が充実しており、多様に進められていることがわかる。第二に、日本近現代文学研究の発展のためには、日帝時代に朝鮮と満洲で発行された『朝鮮及満洲』等の新聞や雑誌の文芸欄に載せられた日本語の作品を発掘、収集、分析し、研究する必要性がある。また、韓·日·中の近現代文学を比較研究する必要性を強く提言したい。そして「近現代文学と映画芸術との椄木」などをはじめとする創造的な融合研究が活性化されることを望んでいる。第三に、最近韓国内で爆発的な人気を誇っている村上春樹や吉本ばなな、根強い人気で飜訳本が出刊され続けている桐野夏生ら日本作家と、韓国の李文烈、崔仁浩、韓水山らの作品に対する比較研究はもちろん、彼らの生存中に、直接訪問したりして、研究の基礎となる資料を集めておく必要があることを提言する。
4,900원
日本語雑誌『朝鮮』は1908年3月から1911年11月まで発行された総合雑誌である。本稿は、この中で1908年刊行された『朝鮮』の文芸欄収録作品のうち、韓国の歴史と関連した歴史物を中心に作品にあらわれた韓国のイメージと当時の日本人が韓国をみる視線に焦点をあてて考察した。まず、日本は「群山の夜泊」にあらわれるように清に対抗する善の勢力と自らを仮装し、韓国への侵略を正当化したことを分析した。また、「首陽大君」にみられるように韓国の政争を私的な欲望の争奪戦と貶していることを把握した。さらに、「南大門」、「清涼里に訪れて」、「大院君の墓前にたちて」などの作品から、日本が韓国史を虚無主義と宿命論をとおして見ていたことを把握した。結局、『朝鮮』の文芸欄にあらわれたものは日本の美化、韓国侵略の正当化であり、同時に、韓国の歴史を私的な欲望、虚無主義、宿命論と結びつけた韓国停滞論である。これは韓日併合を前後とした時期の日本の政治的目的に軌を一にするものであったと考えられる。
4,500원
内村鑑三(1861-1930)の天然観は、たとえば『空ノ鳥ト野ノ百合花』(1883)に見えるように、初期には目に見える「天然の美」を賛美する表面的なものであった。そしてまもなく「天然物は心霊の示現である、心の物に顕はれたものが天然である」とした初期の天然観は『近代における科学的思想の変遷』(1910)における「喜的宇宙観」に要約される。すなわち、希望的宇宙観であり、天然観であるといえる。その後、最愛の娘、ルツ子の死に直面してから内村の天然観は次第に天然の裏面ないしは内面を見る方向に転換するようになり、そのような彼の変化を示してくれるのが『二つの神』(1912)、『神と天然』(1912)、『万物の復興』(1918)などの作品である。特に『万物の復興』では、彼の天然観が「全人類全宇宙と運命を共にする」運命共同体としての宇宙観、天然観、宗教観に到達したことを語ってくれる。そして晩年の『羅馬書の研究』(1924)に至って、内村はついに天然の呻きに耳を傾け天然との話し合いに成功する。この話し合いを越えてさらに最晩年の『人と天然』(1929)においては、天然を徹底的に相対化、客観化してそれを超越する境地に達する。その過程のなかで「天然に対して採る態度」ー「之に服従すべき乎、之を征服すべき乎、之と妥協すべき乎」に悩んだすえ、征服することを決心する。内村の選んだ「征服」とは他ではなく、「肉と其情とを十字架に釘けて、此身に在りて大天然を征服する事」、つまり自分を捨てて天然に自らの身と心を委ねることであった。偶然なのか『人と天然』を書いて3ヶ月後、内村鑑三はこの世を去っている。内村の天然征服の真の成敗は、日頃心より待望してやまなかった自分自身の復活の日、果たしてイエス․キリストの例のように証明されることになるだろうか。
무라카미 하루키(村上春樹)의 『노르웨이의 숲(ノルウェイの森)』연구― 여성 동성애를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제84권 2010.08 pp.311-322
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A 13-year-old lesbian girl comes into the novel, Norwegian Woods by Murakami Haruki. She has a physically beautiful appearance as well as an intellectual excellence, which has the other negative side and the destructive evil spirit that threatens other people's daily life in order to satisfy her own desires. Haruki intends to show the porno graphy itself through the character he describes. The punishment taken to the girl is a homosexual that her sexuality is toward females. The author does not consider the girl's fundamental problems just because he attaches importance to the homosexual love. When we take a close look at her homosexual experiences with Leiko's confession, so far from trying to share her agony with 'I(boku)', she assorts the lesbian girl and herself into dichotomy; a homosexual and a heterosexual, and allows the visualization of discrimination on lesbians blatantly by expressing the feeling of relief assorted to heterosexual through the sexual bargaining with 'I'. Moreover, as the lesbian girl is characterized to the abnormal and deviant images, he expresses the prejudice that lesbian means abnormality and his aversion against a homosexual love itself. In conclusion, he couldn't depart from the classical representation that negates a homosexual love but pursues a heterosexual love. Also, when it comes to Leiko, that she goes back to the reality with her own big hurts and has four time sex with 'I' like a ritual ceremony, standing her own feet and regenerating through the 'I's penis, makes us feel that the novel is based on the male-centered phallicism.
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本稿は、田宮虎彦「異端の子」を取り上げ、占領末期における「共同体の記憶」の形成において、戦前․戦時中の国民国家の〈記憶〉が取り込まれていくプロセスを分析した。「異端の子」では、戦前․戦時中の国民国家の〈記憶〉が〈共同体〉の内なる〈他者〉を排除する原理としてその正当性を確保しつつ強化される様相が浮き彫りにされていた。このような〈記憶〉の保持と〈他者〉の排除が可能であった事情の背後には、冷戦構造の深化と、それにともなうアメリカによる占領政策の方向転換が大きく作用していた。つまり、1950年6月、朝鮮戦争の勃発とともに加速化した冷戦構造のなかで、占領者側のアメリカは日本の国民国家の〈記憶〉の復活を黙認したのである。それゆえ、朝鮮戦争を契機に日本の「再軍備問題」は表面化し、1950年8月には警察予備隊が創設された。なお、警察予備隊は占領終結の年に保安隊へと変わり、さらなる軍備増強を行っていった。戦前․戦時中の国民国家の〈記憶〉は、〈冷戦〉という政治パラダイムの庇護のもとに消えることなく、むしろ喚起されていき、占領末期における「共同体の記憶」として社会に定着していったのである。「異端の子」は、このような占領末期の社会像を〈記憶〉のメカニズムというレンズを通してとらえたのである。
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「物」は芭蕉と莊子とのかかわりに關して論じる時、先ず欠かせない大事な言葉の中の一つである。勿論、芭蕉と莊子の文章の中にも例外なく樣々な形で登場している。しかし本稿で注目したいのは、「物」がもつ多くの意味の中で、ふだんはあまり使わない「物」の特別な意味を芭蕉と莊子は彼らの文章の中で大事な意味をもたせて用いているところである。莊子において「物」は汎神論的に考えられ、造化の作用が、人間の意識にとらえられるように現象化したものが「物」である。「物」は、それ故單なる物質、物体だけを指すのではなくて、人間の意識、心情を含めた物的精神的なあらゆる存在するものをさし、そしてあらゆる存在するものを存在せしめている宇宙の物体的生命の現象的顯現であるとみられる。芭蕉の俳諧世界での「物」は、より美しいうたを求めようとする詩人の魂と、新しい詩の境地を求めている詩人の心と意識世界などをあらわしている。芭蕉の作品からうかがえる「物」は、大変特徵ある存在であるといわざるを得ない。これは自然という環境にかこまれながら步み切った芭蕉の旅の人生こそ彼の新しい俳諧の世界を求める求道者のような心境を現實化する實踐への過程であったといえる。『莊子』の「物」は、人間の精神的世界と意識、心情、魂などをあらわしており、芭蕉の「物」は、人間の內面世界に於ける精神世界、より究極的なうたの世界を求める詩人の魂、詩心などを意味している。このような「物」の意味を芭蕉がはっきり定立するまでには、禪の影響や伝統的な日本文学からの影響、そして芭蕉が当時かなり心醉していた『莊子』からも甚大な影響があったことは搖るがない事實であるといえるであろう。
에도후기 메이쇼에(名所絵)에 담긴 종교적 표상의 의미― 히로시게 명소에도백경 ―
한국일본학회 일본학보 제84권 2010.08 pp.351-365
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Considering the contents and characteristic of amusement culture reflected in the MeishoEdoHyakkei published in the latter period of Edo, this article analyzed ‘Meisho-e’, a genre of the Ukiyo-e, in the view of visual medium which had been produced and consumed within certain social context. and the actual meaning and function of the works are interpreted in new way. As a result of consideration, the motif and objective of city commoner’s enjoyment in the latter period of Edo are closely related to the religion, and the forms of the enjoyment fall into two large category which are ‘Symbol of worship’, ‘Shouzinake(精進明け) after worship’. From this conclusion, Meisho Edo Hyakkei is construed to have performed the essential role in a person’s religious life who couldn’t participate in the worship travel, not only by helping them experience ‘virtual experiences of worship’ and ‘the joy and sorrow of the characters in the picture as if they were themselves’, but also by being ‘Meisho-e’ genre.
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現在幅広く進行されている韓日文化交流は、両国の友好関係増進と東北アジアの繁栄と平和に寄与できる土台になると思われる。両国の関係は、今後領土問題や歴史認識のギャップ等によって、一時的な衝撃は予想されるが、交流協力関係の強化によって東アジアの文化共同体構築に貢献したいという価値観は崩さないと思う。従って両国は、今後も交流活性化を図るため多様な制度的な支援とシステムの構築を通じて相互理解の増進と文化融合․生成の土台づくりに努力するはずである。その道程が、両国の文化交流基盤強化のもつもう一つの歴史的意味であることをを踏まえ本稿では、まず韓日文化交流拡大の時代的意味などを検討するとともに、新しい韓日文化交流基盤の拠点として「韓日センター」の設立、そして、同センターが追求すべき時代的課題(制度的側面と価値的側面を含めて)と、それを実践することによって両国が追求すべきアジア․アイデンティティの意味は何であろうか、などを総合的に分析した。
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