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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제97권 (25건)
No
1

4,800원

本研究は、近世前期の有力な上方語資料である万治~享保期(1658~1735)の版本狂言記4種(『狂言記』(1660) 『続狂言記』(1700) 『狂言記外五十番』(1700) 『狂言記拾遺』(1730))を對象にして、日本語敬語の変遷史において重要な変化の一つである丁寧の助動詞 「-まする」 ⟶ 「-ます」の変化について考察したものである。特に、当時の代表的な上方語資料である世話浄瑠璃及び噺本と比較しながら 「まする」 → 「ます」の変化過程の中で現われる全体的傾向、つまり終止․連体形 「-まする」 ⟶ 「-ます」と命令形 「-ませい」 → 「-ませ」、敬語接続の命令形(敬語 + 「-ませ」)と普通語接続の命令形(普通語 + 「-ませ」)、男性語と女性語間の遅速差を検討しながら変化時期も推定してみた。その結果、幾つかの特徴的事実を指摘できたが、これをまとめると大略次の通りである。① 活用形から見ると、終止․連体形 「-まする」 → 「-ます」の変化は命令形 「-ませい」 → 「-ませ」 の変化より速い。② 命令形の場合、敬語接続の命令形(敬語 + 「-ませ」)の変化は普通語接続の命令形(普通語 + 「-ませ」)の変化より速い。③ 位相的な面から見ると、女性語における終止․連体形 「-まする」 → 「-ます」の変化及び、命令形 「-ませい」 → 「-ませ」の変化は男性語より速い。④ 終止․連体形 「-まする」 ⟶ 「-ます」の変化は元禄期には併用期の様相を見せながら、享保期に完了したものと推定される。⑤ 命令形 「-ませい」 → 「-ませ」の変化は元禄期~享保期に併用期の様相を見せる。要するに、このような考察を通して版本狂言記に現れる助動詞 「-まする」 → 「-ます」の変化は活用形と位相、それから敬語接続の命令形と普通語接続の命令形間によって遅速差が見られるということが判明された。更に終止․連体形 「-まする」 → 「-ます」の変化は元禄期に併用期の様相を見せながら享保期に完了したということと、命令形 「-ませい」 → 「-ませ」の変化は元禄期~享保期に併用期の様相を見せるということも判明された。特に、この中で敬語接続の命令形と普通語接続の命令形間に遅速差が見られるということと、終止․連体形 「-まする」 → 「-ます」の変化が享保期に完了したということは従来の研究で具体的に指摘されなかったもので、本研究を通して新しく明らかになったという点から注目に値すると言えよう。

2

5,800원

本稿では2011年3月に起きた東日本大震災によって日本社会において以前より目立つようになった外国人住民とのコミュニケーション問題を克服するために,既存のバリアーフリー(Barrier Free)或いはユニバサル․デザイン(Universal Design)という概念を言語にも応用して,言語におけるバリアーをなくすか和らげる「言語バリアーフリー․Language barrier free」という概念を取り入れた。そして,その具体的な対策として公的部門の日本語テキストにおける「やさしい日本語」或いは「日本語テキストにおける可読性判断」の可能性に関して模索してみた。その結果,次のような結論が得られた。1) 日本社会․コミュニティーにおいて,外国人住民を対象とする「公的情報提供」における「言語バリアーフリー」を考慮しなければならない時期は大きく「平常時」と「災害時」と二つに分けられるが,さらに前者は「平常時①―平常時」と「平常時②―災害復旧․復興」に,そして後者は「災害時①―災害当時․直後」と「災害時②―非難後」に分けられる。2) 日本の厚生労働省が発した「公的情報提供」のためのテキストを,学年別教育漢字と日本語能力試験のレベル別漢字データベースをもって検討した結果,外国人住民が「バリアー」を大きく感じるほど多数の漢字が使われている上,使用された漢字のレベルもまた高いことが分かった。つまり,これから積極的に「やさしい日本語」に対応していく必要性があることを示唆することである。3) 調査対象になったテキストを「やさしい日本語」に対応させるために,次のような方法が必要とされることが確認できた。3󰠏1) 漢字使用の抑制及び振り仮名の表記,そして難しい語彙や表現におけるやさしい表現への変換が必要とされる。3󰠏2) 高いレベルの漢字が使用された「動詞及びその他」を中心に「やさしい日本語」に対応させる必要があって,順次に「医学及び身体用語」にも対象を拡大していく必要がある。3󰠏3)「固有名詞」と「医学及び身体用語」の漢字の場合,無条件的な漢字の排除ではなく,振り仮名の表記,理解を助けるための注釈などの配慮を通じて「やさしい日本語」に対応させていく必要がある。しかし,このような結果は漢字に限った検討であって,これからは文法․語彙など,より多様な側面における総合的な検討が必要とされると思われる。また,今後には「災害時」やあらゆるコミュニケーション媒体における「言語バリアーフリー」や「やさしい日本語」の拡大のために更なる考察を行いたいと思う。

3

4,900원

本稿では、韓国語の「어 놓다」「어 두다」と、日本語の「てある」と「ておく」の4形式を、中心․周辺的な意味に着目し、それらの対応関係を考察した。中心的な意味機能においては、4形式のうち、「어 두다」と「ておく」が対応関係にある。「어 놓다」に対応する補助動詞は、位置変化動詞の語彙的な意味と関係し、日本語には存在しない。「てある」に対応するのは「어 놓다」でも「어 두다」でもなく、「어 있다」である。文脈に依存する周辺的な意味においては、その4形式の対応関係が部分的に認められた。このように、「어 두다」/「ておく」と「어 놓다」と「てある」では、その本動詞(「두다」/「おく」と「놓다」と「ある」)の意味特徴が微妙に異なり、それぞれの言語のアスペクト体系、モダリティ体系をはじめ、前置動詞の語彙的な意味と関わりながら、独自の方向へと意味抽象(拡張)化が起こっていると考えられる。その反面、4形式は、その本動詞がいずれも空間位置表現と関わる語彙であり、かつその前置動詞が基本的に意志動詞だという共通点から、ある文脈や構文の条件下では近似さや関連性が窺えるのである。

4

3.11以降の韓国の日本語教育の現状と課題

李美淑

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.55-69

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4,800원

韓国の日本語教育は、1961年に大学で初めて韓国外国語大学に日本語科が設置されて以来、約20年にわたる低迷の時代を経ているが、2012年現在、関連学科が100を超えるほど50年余りの間に驚くべき拡張を見せている。ところが、2007年末から始まった世界金融危機により、世界的に経済の悪化が続き、特に日本の長期不況や中国の経済の台頭などにより日本語の需要が急落し、それに伴い、韓国政府や教育機関の政策の変化が行われた。そのような中で、2011年3.11東日本大震災が起き、また福島の放射能漏れも相まって、日本語教育は打撃を受け、その結果、国際交流基金の2012年の調査結果速報によるとこれまで世界一の学習者数だったのが、中国․インドネシアに次いで3位に下がっている。その根底には2014年から大学入試で「第二外国語」が必修科目ではなくなったことも大きい。本稿は各教育段階別に日本語の受講生、選択者など、今の段階での現状や課題を探ったものである。特に、最近5年間の変化に注目してみたところ、(特に中国語関連学科に比べて)大学の定員や志願率․関連学科の数․就職率においても優位にあるとは言えないものがある。それによる教育現場での問題点、大学のシステムの変化やカリキュラムの不均等についても触れた。さいわい、従来の日本語研究の不在がある程度改善しつつあり、日本語教育において質的な研究成果があり、多様な分野においての研究が行われている現状も取り上げた。今後、国家レベルで教育課程改訂において専門家を確保し、何より第二外国語教育の目的は言語能力向上ではなく学習者の自己肯定、他者理解を果たすことであるという確固たる意志が必要だ。EUから発信している、いわゆる複言語主義(plurilingual)も代案になりうると考えられる。第二外国語関係者同士․教育段階間․学問分野間の連携が必要である。改善されつつある日本語教育研究において今後多用な学問分野との融合․連携が期待される。

5

日本語動詞派生名詞에 대한 文法的 接近

채성식

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.71-82

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4,300원

本稿は、日本語における代表的な動詞派生名詞の一つとされる連用形名詞を対象に、その文法的振る舞いについて構文論的․意味論的観点から考察を試みたものである。一般に連用形名詞とは、動詞の連用形(俗に「ます」形とも呼ばれるが、本稿では「動詞連用形」とする)がそのまま名詞へと転化したものをいい、形の上では動詞連用形との区別がつかず、単独での使用や格助詞との共起などを通じて普通名詞のごとく振る舞うことをその主な特徴とする。ところが、元となる動詞(本稿では「元動詞」と称する)から連用形名詞への名詞化の過程において、元動詞の本来有する意味素性(いわば、「動詞+こと」の意味)の消失が見られ、名詞化されたあとの連用形名詞が、動作や状態そのものの意味ではなく、その様態の意味に転じたり(e.g.歩き→歩き方)、または、元動詞の意味からは大きくかけはなれた、全く別の意味を表したり(e.g.踏み切る→(鉄道の)踏み切り)するといった現象がしばしば観察される。このように名詞化されたあとの意味機能的転化により連用形名詞は、構文内における文法的な振る舞いに相当な制約を受けることとなり、とりわけ他動詞派生の連用形名詞の一部においては、他の構文要素の助けを借りて新たな構文論的手続き(e.g.集め→資金集め(複合語化))を踏まない限り、大概の場合、単独および連体修飾節での使用(e.g.*集めがいい, *資金の集めが難航している)は許されないのである。本稿では、こうした連用形名詞の意味機能的転化による構文論․意味論的な特殊性を、動詞連用形の非自立性にもとめることとする。周知の通り、動詞連用形は、実際の使用の場面で、用言をはじめとする他の構文要素との共起が前提とされ(e.g.「お見えになる」「受けに行く」)、ごく一部の例外(e.g.読んでみ→命令形)を除けば、単独での使用は許容されない。活用形であるがゆえに抱えざるを得ない、こうした動詞連用形の動詞としての不備(i.e.非自立性、不完全性、限界性)は、名詞化にも如実に反映され、その結果、連用形名詞の構文内での振る舞いに上述のような様々な制約が加わるわけである。

6

6,100원

本研究は「ようだ․みたいだ․らしい․そうだ」を対象にL2学習者がそれらをどのように習得していくのか、その出現や接続、競合など習得の諸相を明らかにし、その傾向を日本語母語話者の使用傾向と比較することによりL2学習者の習得における諸特徴を明らかにすることを目的とした。その結果、L2学習者の「ようだ․みたいだ․らしい․そうだ」の使用からは、①「ようだ․みたいだ․らしい․そうだ」が置かれる位置によって使い分けされる可能性、②接続する品詞によって「ようだ․みたいだ․そうだ」が使い分けされる可能性、③「らしい」からは意味機能的な習得傾向が使い分けの基準になっている可能性、④①、②、③の傾向には学習者の母語要因は働いてない可能性、⑤会話相手との親密度に因らない使用傾向があることが分かった。そして、⑥それらの傾向は日本語母語話者と概ね一致することも分かった。この結果は、L2学習者の使用に日本語母語話者の使用が影響している可能性が高いこと、学習者の母語要因はL2学習者の習得にそれほど影響していない可能性を示唆してくれるものとして注目できる。この結果により、日本語学習者は文法的な意味合いが類似した項目であっても、L2学習者にとっては別のものとして認識され、それぞれ異なる習得ルートを辿る可能性が示されたと考えられる。本研究は、(1)L2学習者は自らのストラテジーを用いて各文法項目を使い分けしていることを明確にしたこと、(2)類似した文法項目の習得プロセスには、文法項目の意味用法だけでなく、文に置かれる位置、接続する品詞といった形式的な要素も関与していることを明らかにしたことに意義があると考えられる。更に、このような学習者の中間言語の存在は、今後の習得研究の在り方を再認識する必要性を示してくれるものであると考えられる。

7

5,100원

本稿では1960年代初期ベストセラー、中でも日本小説の翻訳物の具体的なテキスト分析を通して、日本の小説がどのような期待条件を有しているのか、そこから韓国の読者がどのように満たされてきたかを解釈している。それに、日本の小説と一緒にベストセラー目録に加わっていた朴景利の小説を論議の対象に含めることで、共通的に読者の期待を投影するベストセラーの傾向と日本小説との関係を確認していく。日本小説の主な読者層であった大学生、その中でも大部分が女子大生であったことを考えると、恋愛を主導し、自分の愛を選択していく女性像は魅力溢れる、韓国の読者が欲求する主体でもあった。また、家庭という枠の在り方に疑問を投げかける意味において『挽歌』と『陽のあたる坂道』は共に既存の価値観と異なる生の形を提示している。日常的であるより社会的な規範から離れた状況、偶然の連続を通過した地点が究極的に新しい生の形態を示している点などにおいて、この二つの小説の内容は韓国読者の期待や欲望と重なっている。一方で1960年代初期に同じく流行した朴景利の小説は日本の小説と近似した点が多い。何らかの形で朴景利が日本の小説に影響されたことは否めない。ところが、重要なのは韓国の読者にこのような内容が受け入れられたこと、言い換えれば、読者が欲し作家が答える関係、あるいは読者の欲望と作家の応答が重なり合う時代だったという事実にある。

8

森鷗外『普請中』における近代化の内実― その暴力の様相を中心に ―

김영롱

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.125-135

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4,200원

森鴎外の『普請中』は、近代化の途上にある日本を理由に男が昔交際していた西洋の女を拒否する物語を描いている。本稿では、既存の研究が日本男性対西洋女性という二項対立的な図式を繰り返すことで見過ごしてきた作品の細部を、作品が発表された1910年前後という日露戦争後のコンテクストから読み直し、『普請中』における近代化の内実、その暴力の様相を明らかにする。まず、男が女に会うまで眺めていた風景から女を拒絶する論理=「普請中」の「日本」を導いく過程を分析する。そこで暴力的に排除されたものを復元し、日露戦争後、膨張する帝国主義の一面を読み取る。そして、国内的にも「個」に対する「国」の介入が激化した1910年日本において物語を位置づけることで『普請中』の批評性を考察する。

9

패전 후의 요코미쓰 리이치 문학 ─ 「미소(微笑)」라는 탈구축 ─

김태경

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.137-153

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5,100원

戦時期の横光利一は小説『旅愁』において、排中律に代表される二項対立を止揚し調和させる装置として、古神道なるものを考案したことがある。本稿はかかる試みそのものの意義は認めるものの、しかしながら古神道もが結局は排中律的な二項対立の世界に閉じ込められていたという点で、失敗した企画であったと規定する。それでは、横光文学の臨界点はここまでだったのか。かかる考察の延長線上において横光利一の遺作「微笑」を検討したのは、自ら閉じ込められていた二分法的な枠組みから抜け出す可能性を、他ならぬこの短編小説がわれわれに提示しているからである。小説「微笑」を特徴づけているのは、この物語が始終に決定不可能性の言説で埋め尽くされているという点である。本稿は戦時期の横光文学において難題として放棄されていた排中律的な二項対立と、戦後発表された小説「微笑」に借用された二項対立とがその機能と意味を異にするものであることを、ジャック․デリダによる決定不可能性と脱構築の概念を援用することで明らかにすることができた。ここで発案された「0.5」の世界こそは、言語論的転回やモダニズムの実験的で挑発的な精神が生きていた場であったはずである。戦前構想され、戦後完成された「微笑」は、戰前的なものと戰後的なものが混在した作品で、敗戦後の横光文学の行方と可能性を見定めるべき重要な小説だといえよう。

10

5,500원

植民地時代に朝鮮半島における「日本語文学」に関する研究は最近盛況であるが、その中でも日本の短詩型文学に関する研究はあまりなされていない。本稿は今まで本格的な研究の対象になったことのない、1941年国民詩歌連盟により創刊された詩歌雑誌『国民詩歌』 の短歌を分析したものである。『国民詩歌』 の現存本は1941年9月から1942年11月までの6號が確認されるが、その中の短歌を戦争短歌、銃後の生活を描いた短歌、朝鮮的な題材を詠んだ短歌などの側面から捉えた。まず、『国民詩歌』 は国策に応える目的で創刊した雑誌であったため、戦争を支持し日本の戦勝を詠んだものが多い。しかし、短歌という古典ジャンルは、古代の天皇たちの神話的な逸話を引くことで、目下遂行している戦争を皇軍の征戦として正当化する図式に形象化する特徴がある。なお、銃後の生活を描いた短歌には、国策により戦争を後付けすることに重きが置かれたが、様々な現実的な悩みが反映され、抑圧された状況下の個人的な孤立と現実と理想の乖離が反映され、かえって国策に反する性格の短歌まで現れている。最後に、『国民詩歌』 が朝鮮半島で刊行された雑誌であるからには、朝鮮の歴史や朝鮮の人に対する認識を度外視することはできなかったのが確められた。当時、百済の都であった扶餘に神宮が造営されたことでわかるように、百済は芸術的な高さをもった朝鮮の古代国家として注目された。しかし、これを認識する在朝日本人の目線で、百済は古代飛鳥時代の日本とつながり、それから滅んで埋められた敗北のあわれな朝鮮の歴史を象徴する対象として認識された。このように、『国民詩歌』を通し、1940年代初めに朝鮮半島で創作された「日本語文学」の中で、伝統詩歌ジャンルである短歌の特徴を追究することで、小説をはじめとした散文に偏っていた当時の植民地朝鮮における「日本語文学」のもう一つの軸である詩歌文学の解明を試みられたと思われる。

11

4,000원

本論文では「道楽と職業」、そして朝日新聞社に入社してから書かれた小説に登場する人物の職業様相を通して、職業における「自己本位」の実像と虚像について考察してみた。漱石は1911年の演説で「自己本位」に立脚した職業観を持つように力説しているが、本人を含め演説を聞いていた対象は特定階層に属する人たちであった。大衆性を認識せざるをえない新聞小説に登場する彼の小説の中の人物を見ると、大学出の若者が多く登場するが、「自己本位」よりは他人本位の職業を持っている人が圧倒的に多い。そして他人本位の職業を持っている人たちは現実と悪戦苦闘しながら生きている。漱石が「自己本位」の職業だと言った芸術家、科学者、哲学者そして文学者などは演説以前の作品群にしばしば登場するが、彼らは職業において自己本位的な信念をもっておらず他人本位の職業群と同じく家計を維持するために忙しく生きている。一方、経済的に余裕のある高等遊民さえ信念ある行動をせずただ遊んでいる。つまり、「自己本位」の職業や自分が好きなことを選んだ人々は経済力がなくて悪戦苦闘し、経済力と学閥があっても親の財産で無為徒食する人物が描かれているのである。漱石は日本対西洋の関係の中で悩み葛藤したが、「自己本位」という言葉を見つけて強くなったと言っており、特定階層を對象にした演説で自分の主張を強く披露した。よって今まで漱石の職業觀は「自己本位」という言葉で象徴されてきた。しかし小説の中の人物を分析してみた結果、どのケースも職業において「自己本位」を実践できない人物だけ描いていることが分かった。すなわち、「自己本位」は漱石の理想であって、職業において「自己本位」は不可能だということを漱石は認識し、彼の現実認識はここにあったかもしれない。

12

4,300원

ウルトラマンメビウスはウルトラマンシリーズの誕生40周年を記念して制作された特殊撮影物のドラマである。特に、本稿で考察する第32話「怪獣使いの遺産」は、1971年に放映された前編「怪獣使いと少年」の続編として制作されたものであり、地球の風土と気候を調査するためにメイツ星から来た宇宙人を地求人の集団的な無意識の暴走により殺してしまったため、30数年後、その息子が父親の補償問題を交渉するために地球に来る話である。ウルトラマンシリーズは初期の段階から「東アジア/日本/アメリカ」のメタファ─として論じられることが多く、本論文では2005年に企画段階に入った『ウルトラマンメビウス』を同時代に「過去の清算」をめぐって鋭く対立する日韓の補償問題の文脈において分析を試みた。前編の中で日本人孤児の少年は、日本人の差別のためにビオの父親と一緒にメイツ星に行くことを決心する。つまり、国籍自体をメイツ星に変更することを意味しており、これは1970年前後の在日朝鮮人の国籍変更問題を比喩的に描いたものでもある。しかし、続編においては少年に対する日本人の加害責任を忘却したまま、当時の少年の国籍を基準にし、「日本人」へと包摂してしまう。そして、少年とビオの父親との友情を強調することにより、両国の友好を結ぼうとする。 しかし、こうしたプロセスによる地求とメイツ星との交渉はうまくいかず、結局、どちらとも超越的な第三者であるウルトラマンメビウスに頼ってしまうことになる。そして、このような展開をメタファ─的な視点から考えれば、日韓の植民地支配に対する戦後補償の根っこにはアメリカの介入があり、特に請求権の範囲を深いところまで制限していたことを比喩的に描いていることが分かる。また、アメリカの介入により作られた日本の法律体系は、戦前は韓国人も日本人であったものの、戦後は日本人ではなくなったことを理由に徴用者補償金と遺族援護法から韓国人を除外しており、これはドラマの中で少年の国籍を基準に排除と包摂を繰り返す場面と一致しているとも言える。本論文は日韓の植民地支配に対する補償問題を両国だけの問題として矮小化し反日感情を扇ることなく、アメリカを含めもう少し重層的な関係から請求権をめぐる対立の根本的な原因とその解決のための糸口を模索したものである。

13

『철완 아톰(鉄腕アトム)』에 나타난 1960년대 일본의 가족주의

홍윤표

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.197-207

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4,200원

本論文は1963年に放映され、爆発的な人気を得た、日本最初のテレビ․アニメーションである 『鉄腕アトム』のメタファーの分析と、時代背景の分析をとおして、 『鉄腕アトム』の読み直しを試みたものである。 『鉄腕アトム』の基本的なストーリは次の通りである、交通事故で息子を亡くした天馬博士が息子そっくりのロボット、アトムを作るが、人間とは違って背が伸びないことにがっかりし、アトムをサーカス団に売ってしまう。アトムはサーカス団で苦労するが、お茶の水博士の助けによってサーカス団から脱出することになる。以上の内容の 『鉄腕アトム』から注目すべきところは、頑固で冷徹な天馬博士から、優しいお茶の水博士へ、親のイメージが変わるということである。それは、戦前の昭和天皇から、戦後の昭和天皇への交替を意味すると考えられる。アトムは本当の親を無くし、寂しさを感じるが、そこで、お茶の水博士に頼んで、父のロボットと母のロボットを作ってもらうことになる。そして、後に、妹ロボットのウランも作ってもらい、兄ロボットのコバルトとも一緒に5人家族で暮すことになる。また、アトム家族の家は郊外の一戸建てを連想させる家である。これはまさに戦後日本の理想的な家族の姿である。そこには、1960年代の「核家族化現象」、「個人主義の拡大」が投影されているが、「皇太子結婚」を通して形成された理想的な「天皇家」のイメージなどを考えあわせてみると、一方では、アトムの家族から「天皇」を頂点とする戦後の新しい家制度を連想することもできるだろう。1960年代の日本は、ナショナリズムが昂揚していた時期であった。こういう雰囲気の中では、どんなテーマも、日本主義として受け入れられた可能性がある。「アトム」も「強い日本」を象徴するものだと考えることができる。そして、 『アトム』の最終のエピソードは、アトムがミサイルとともに自爆して、地球を救うという内容である。自らの犠牲で人類を救うという内容であるが、ここでは、「全体のための個人の犠牲」、「日本の再生」などのイメージが浮かび上がる。以上のことからわかるように、 『鉄腕アトム』からは全体主義的な要素を垣間見ることもできるのである。

14

初代との関係を通してみる二代目岳亭小攷

康志賢

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.209-219

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4,200원

享年や作品など二代目岳亭と混同されている初代との関係を通して、二人の師弟関係をはじめ、初代の没年時期について、晩年の作品にポイントを当て推察、報告した。先ず、初代岳亭の名前が挙がる具体的な作例からして、嘉永五(1852)年までは生存しており、まだ画稿を直間接的に描いていたことを確認した。それから、二代目作『釈迦御一代記』四編の、安政五(1858)年十月二十四日魯文序、及び内題下に、「岳亭大人」「岳亭梁左」と記されることからして、初代岳亭は安政五年十月二十四日以前には亡くなっていたことを確認した。一方、二代目岳亭が初代の戯号や印記に倣った例が慶応期(1866年)以降みえることから、特に晩年に至って初代との繋がりを強く意識すると同時に、師匠の戯号や印記を使用する自負も垣間見た次第である。

15

4,600원

本研究は近世期日本と韓国の両国における女性認識の成立に文学がその一端を担ったと見て、殊に文学に描かれる下層女性を鑑みるところに目的がある。この作業を通して今後、近現代の日韓両国における女性認識とその文学化の歴史を理解できると思うからである。その前段階の作業として、まず文学に描かれた下層の女性を代弁できると思われる近世期日本の奉公人と韓国の婢を比較考察し、その社会文化的意義を究明した。比較研究の結果、近世期日本の文学と韓国の文学で下層の女性は愛欲の対象として認識され、描かれつつあった。ただし、日本の場合は、物欲に満ちた存在として描かれる一方で、親の物欲を満たすために、性労働の主体として養育されていった可能性をも見せ付ける。このような物欲に満ちた存在、愛欲の対象、そして性労働の提供者としての下層の奉公人女性は以後の近代的価値からして、当時大変非倫理的な類型として認識された可能性が高い。これに比して、韓国の場合、婢は支配層のための忠節と男性のための貞節を守り、物欲さえ持たない完璧な人格体として描かれ、彼らの存在は近代韓国の倫理観からして何の問題もなかったろうと思われる。韓国における婢は、その愛が成就せず、家庭にも編入され難いという点から、かえって同情の対象として認識されていた感もある。それにもかかわらず植民地期韓国における下層の女性(乳母、家事お手伝い、下女など)に対する他者化が行われたという事実は何を意味するのだろうか。むろん、前近代の婢に対する身分的差別認識がその他者化に作動したのかもしれないが、植民地期の下層女性に対する差別と排除の論争を鑑みると、その認識はむしろ近世期日本の文学における物欲の主体であり、家庭に編入される可能性のある下層の女性、所謂家庭を破壊し夫婦の間を別つ、非倫理的存在としての奉公人への認識が反映されたのではないかと考えられる。したがって、韓国における前近代と現代の境界で確認される下層女性に対する差別認識は、近世期日本文学の影響をも考慮すべきではなかろうかと思われる。この点、今後韓国の近代の文学の中で描かれる下層女性との比較により、具体的に究明して行きたい。

16

4,000원

本稿は、和歌の修辞を翻訳するにあたり、何を失い、どのような限界があるのかについて、枕詞․序詞․掛詞を中心に考えてみたものである。枕詞は、一次的には意味に対する明確な指示性を持っていないように見受けられるが、吟誦されることによって意味が表出される場合がある。このような枕詞にしかない 「語音で喚起される語義の実在性」は翻訳の過程で失われることになる。枕詞の方法を受け継いだ序詞は、原作において二つの文脈をつないでいる一語が翻訳文においては説明する形に変えられるしかない、という限界がある。つまり、語感やリズムが文法的に認知される以前に享受され、それによって事物․現象が話者の心情へと転移するといった文脈が、翻訳文においてはくずれてしまう場合が多い。そして序詞は、物象を提示し心象を表す発想形式の一つといえるが、翻訳ではその発想形式としての機能を認識することができない。掛詞は、いわば隠蔽的表現構造を作るものであるが、翻訳においてはこの構造がくずれ、原作なら吟誦の中でおのずと重層の意味が現われるといった美的快感は得られない。和歌はいわば 「意味の詩」というより 「修辞の詩」といえるほど、極めて多様な修辞が用いられ、大勢の歌人は歌の内容よりはむしろその修辞に多大な関心を寄せてきたのである。それは、歌人の力量と独創性がそういった修辞をどのように用いるかといった点に求められることからも分かる。和歌がそのように言葉と言葉が呼応しながら作り出す語感や効果を重視しているがゆえに、外国語に翻訳される過程で失われるものが多い。従って、和歌の翻訳において前提的に求めれるのは、修辞の機能および他の詩歌との修辞的差異に対する正確な理解であるといえよう。このような和歌の修辞の翻訳が抱えている限界を具体的に理解することによって、より原作の詩世界に近い翻訳が可能になると考えられる。

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일본 근세문학과 왕인전승

정태욱

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.245-257

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4,500원

『古事記』、『日本書紀』から始めて登場し、およそ二百年に渡って今伝えられる形態となった王仁伝承は様々な時代を通しながら多様な論議と文学化の対象となり、従って伝承の内容もまた変っていったり、一層固まったりしてきた。王仁伝承は特に文学化の過程で大きく変化されったが、これは想像力と虚構化を基本要素とする文学の特徴から見ればもっとものことであった。中世と近代の間に位置し、両方の要素を備えていた近世にも王仁伝承は様々な文学作品の種となった。韻文文学では『古今若衆序』や『私可多咄』、『狂歌活玉集』に収められた作品のように、和歌伝承を素材とした作品が多かった。そして漢籍伝承と和歌伝承を合わせて総体的な王仁のイメージを提示した戯作『芋太郎屁日記噺』のような散文作品も存在した。『芋太郎屁日記噺』は自分の意志によって日本へ渡ってきた王仁の姿を描き出し、古代の王仁伝承で見られる王仁のイメージと違う新しい王仁像を提示し、また王仁を屁の達者として描くなど元々の伝承の持つ権威に拘らずにそれを戯画化したという点で破格的であった。もちろんこれは近世の韻文作品も同様であった。このように前時代の作品や伝承の持つ権威や様式から離れた自由な創作というものこそ近世文学の特徴と云えるし、近世の王仁伝承の文学化はこのような近世文学の特徴をよく示している。また、伝承に対するこういった接近方式の違いは伝承に対する盲信から脱し、その事実有無を確かめようとした近世の思想家達の考察とも一脈相通するところがある。

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4,800원

本稿は、大杉栄の労働運動にかかわる文章を検討し、その特徴を考察した。その過程で彼の議会制民主主義や「科学的社会主義」に対する批判の論拠を確かめた。さらに、「自治の連合制度」としての新たな政治的領域の可能性や自己獲得運動として実践に基づいた「新社会主義」であるサンジカリズム運動の展望を確認できた。大杉栄を「反政治」的として裁断する傾向があるが、それは「政治」を議会や行政府の権力をめぐる問題と限定づけたためである。ところが、大杉がとっていた闘争は議会を中心とする、いわゆる「政治の場」ではなく、「労働者の作業場」という新しい空間で展開された。大杉が「自己獲得運動」や「人格運動」と呼んだこの方法を制度的な面で積極的に解釈するなら「産業自治論」や「労働者自主管理」といった形が想定できよう。また、大杉栄は「代議制」の問題点にも注目し、被選挙権者と選挙権者との間隔がより密着できる新たな「代議制」を提案した。特定な目的に関連して代表とピッタリ接触できる機能的な参加民主主義を志向したと言えよう。大杉栄は労働運動を重視したが、経済決定論的な立場には批判的であった。既存の「科学的社会主義」を、外部に存在する自然の法則の作動に任せる理論だと批判した。大杉において重要だったのは、労働者が実行の中で社会の全構造を理解し、諸種の社会的傾向と内的な憧憬を合致させる自発的な意志による運動であったのである。その意味において、サンジカリズム運動は新時代の建設のための「政治的な理想」であり、「自己獲得運動」であった。

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大正時代における朝鮮語会話書の特徴―日本人の朝鮮語学習の意味―

成玧妸

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.275-288

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4,600원

1910年の「韓国ノ併合ニ関する条約」により「大韓帝国」が廃止され「朝鮮」となり、翌年には「日本語」が国語になる。これにより日本内地における朝鮮語教育の必要性は薄れてきたものの、当時統治する側にある在朝日本人にも意思疏通や職務の遂行および同化の目的で朝鮮語会話書を活用したものとみられる。本稿は明治期における朝鮮語会話書の調査の続きとして大正期における朝鮮語会話書にどのようなものがあるかを調べ、そのリストおよび書誌を示し、内容․目的、構成、出版地、書名の特徴および変化が持つ意味について考察を行った。大正期の会話書の目的および内容的特徴としては、在朝日本人の円滑な職務遂行のため、内鮮一体․同化のため、朝鮮語奨励試験への備え日本語が普及されるまでの過渡的手段として活用されている。明治期に比し分量は増加し、サイズも増大の傾向を見せるが、その分、構成や題材、学習の方法などが多様に提示され、用例や文法事項も豊富、充実になり学習効果および学習者の便宜を図っているものが多い。また、出版地が東京、大阪から京城でのものが増えていることから、学習の対象が日本内地の日本人から在朝日本人へ移行したことを物語っている。これは、朝鮮語を外国語として学ぶ必要性を感じない日本内地の朝鮮語学習に対する認識とは裏側に朝鮮で働く日本人には円滑な業務のため、朝鮮語学習が必要であったともいえる。なお、「韓(語))」から「朝鮮(語)」「鮮(語)」といった朝鮮語会話書名の変化からは朝鮮に対する日本や日本人の意識の変化とともに、朝鮮語会話書の目的が「燐国との交際」から「兵用」へ、そして「意思疏通」や「内鮮一体․同化」への推移が読み取れる。

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延烏郞·細烏女 전승을 통해 본 新羅와 倭

延敏洙

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.289-304

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4,900원

The tradition of Yeonohrang, Seohnyeo has conveyed the historical facts called “Ieeju(immigration)” of the local power in Silla state formative era and the dominant groups in Youngilhyeon Geungikook (勤耆國) to the Japanese archipelago. In the end of two century, it was the result of the Saro country's entry into the East Coast. Geungikook group which had Yeonohrang as the head of group was a culture complex with various technical cultures and then it landed and lived in the Japanese archipelago as a new world. Cheonilchang(天日槍), the tradition of the Japanese appeared frequently jade, glass, knife in old stories in various goods, in the Japanese archipelago mounds of excavated artifacts and it was a symbol of Prince (王者). In Pohang okseongri, the origin of Yeonohrang group, the excavated jade, pottery, iron, etc. were telling the realism of the tradition Cheonilchang. But not related to the tradition cheonilchang, the singong hwangwho (神功 皇后) was combined with the lineage. This seemed that the memory of lost tradition of the home of their progenitor’s mainland was overlapping with the negative perception of Silla in the real Japanese kingdom.

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日本人大学生の韓国人イメージに関する尺度の開発

呉正培

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.305-319

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4,800원

本稿は、日本人がもつ韓国人という集団に対するイメージが韓国人との接触場面で先入観として働く側面に注目し、韓国人に対する先入観の実態を具体化するための道具を開発するものである。日本人大学生を対象に3段階の質問紙調査(内容調査,構造調査,尺度抽出調査)を実施し、内容中心の韓国人イメージ尺度を導き出した。尺度は「気さくな隣人」「熱い表現者」「想い強き者」「反日家」「有能な勤勉者」の5つの領域で構成されており、このような認識が韓国人に対する先入観として存在することを確認した。次に、尺度を用いて調査の時点におけるイメージの実態を分析し、1)「想い強き者」「熱い表現者」といった認識が強く抱かれ先入観として用いられやすいこと、2)韓国人に対する認識が多面的かつ複合的であることを明らかにした。最後に、韓国人イメージと直接経験及び韓国語学習との関連性を検討し、直接経験のある人、学習経験のある人(特に韓国語能力の高い人)が「気さくな隣人」という認識をもちやすく、「反日家」という認識をもちにくいことを浮き彫りにした。本稿で作成した尺度は、韓国語教育や異文化教育の現場で韓国人に対する先入観を内省․自覚するツールとして用いられる。また、日本人がもつ韓国人に対する認識の変化を研究するツールとしても活用できる。

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縁海警固と「九世紀」の黎明

鄭 淳 一

한국일본학회 일본학보 제97권 2013.11 pp.321-346

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6,400원

本稿では、宝亀十一年七月、縁海諸国に対して二回にわたり警固命令が勅の形で下された背景について考察した。まず、北陸道への警固命令は、宝亀年間に入ってから渤海使が大規模化(人数․船数両面)するにつれ、日本側は外交文書形式․内容の充実化、「北路」来航禁止(大宰府への入港)を求め続けるが、結局、貫徹されず、従来の方針を転換する過程で出されたものと理解した。大規模な渤海使の来航を受容する代わりに厳重警固を通じて「賊船」到来の可能性に対応したのであり、その時、出羽地域においての蝦夷の動向も意識されたと推察した。ついで、山陰道の因幡․伯耆․出雲․石見、山陽道の安芸․周防․長門、また大宰(西海道)に縁海警固が命じられた背景としては、「流来新羅人」のような不特定多数の来航者の増加、新羅使に対する来航資格審査強化の必要性増大をあげた。最後に、宝亀年間における縁海警固の背景、すなわち、日本列島の「北」と「西」で同時多発的に現れ始めた来航の新局面は、異国人の殺到とそれに対する危機意識の表出、という特質をもつ九世紀の時代像(特に辺境状況)と同質性ないし連続性が認められることから、宝亀年間を「長い九世紀」の起点と評価できるだろうと展望した。

23

4,800원

本研究では、日本のドラマ“ビューティフル․ライフ”にあらわれた障害者、そのなかでも、肢体障害者の障害アイデンティティについて探求することで、一般大衆の否定的な障害認識の改善に有用な示唆を得ることを目的とした。本研究の目的を達成するためのプロセスで、まず肢体障害者に関する法律として障害者基本法と身体障害者福祉法上の障害概念を中心に分析した。その結果、両法律ともに肢体障害の概念規定が狭い医療的観点にとどまっており、個別モデル的シーンを中心としていた価値観の混乱が予測された。続いてPrestley(1998)の障害概念の多重パラダイムを障害アイデンティティと関連づけて障害アイデンティティ形成における保守的反応は正常化に、進歩的反応は障害プライドとしえ捉えようとした。これに基いてドラマの中心人物を中心に調べた結果、主に個別モデル的な視点を示す杏子と、主に社会モデル的な視点を示す柊二との対照があらわれたが、最終的には社会モデル的発想による肯定的な障害アイデンティティの形成につながることが確認された。こうした障害アイデンティティの歪曲と構築は、障害者個人の側面だけでなく、彼らを取り巻く社会環境面からの複雑な文脈の中で行われるものであった。このことから、障害者問題のパラダイム的属性と、それに伴う社会的責務の志向について提言した。

24

4,200원

日本近世小説の通称である戯作は、次から次へと本を貸す貸本屋の「継本」のシステムの中で消費されていた。人情本も例外ではなかったので、為永春水は「文続」のために様々な工夫を凝らしていた。春水が「段取」と呼んでいる、各登場人物の物語を順に並べるのではなく、少なくとも一つの編で一回以上は違う人物を中心とした「段」に交代する手法をとったのも、そのためであった。この「段取」は、構成の一貫性を妨げてはいるが、春水にとっては、小説構成の一貫性よりも、読者の興味を作品の最後まで引き付けておけるか否かが重要であったので、構成の不統一を甘んじて受け入れ、春水流の「段取」を貫き通した。また、当時の戯作は現代のテレビドラマや映画のように、人気作は続編の刊行は当然であった。春水人情本の刊行当時を描く「流行体」を使っていたので他の戯作のように一代記的な構成をとる続編は難しかった。その代わりに春水は、本編に描かれている「段」の前後の話を続編として綴る「抜書」という手法をとった。「抜書」で綴る続編は、いくら冊数が増えても、作中時間が本編から大きく前後しない場面を描くことが可能になり、同時代の流行を描こうとする春水にとっては、打って付けの方法であった。この「抜書」という方法が最初に使われていたのが 『春色梅暦』 とその続編の 『春色辰巳園』 である。この二つの作品を考察することで、春水人情本の構成は、他の作者の人情本のより一貫性のないものではなく、当時の出版と本の流通システムに適応して進化した結果であることを述べる。

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4,500원

本研究の目的は、外国籍の乳幼児保育において保護者が提起している保育問題は何であり、それに対して保育現場ではいかに対応しているのかを明らかにすることである。本研究の目的を達成するために外国籍の子どもの保護者4名に対しては非構造的な対面調査を行い、保育教師と園長に対しては非構造的な対面調査と保育日誌の検討を行った。これらの方法を通して親から提起された保育問題とそれに対する保育者らの対応の内容を明らかにし見出された事例を中心に分析を行った。事例分析の結果、外国籍の子どもの保護者たちは保育現場の保育方式に対して部分的に問題を感じてはいるものの、全体的には日本の保育に対して肯定的に評価し、それに保育所に対する信頼度も高かった。その理由としては、親たちの話をよく聞く保育者の姿勢や問題解決のために絶えず努力する姿が肯定的な評価や保育所への信頼に影響を与えたのではないかと考えられる。このような保育者の姿勢は、我が国の多文化家庭の子どもの保育問題の解決策を考える際に示唆するところが多いと思われる。

 
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