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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제51권 (36건)
No
1

現代日本語における平敍文での「だろう」の意味

金良宣

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.1-14

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4,600원

「だろう」は平敍文で推量性の度合により次の5つの意味を表わす。 ①「推量表現6=想像」 ②「推量表現5=基本表現」 ③「推量表現2=基本表現+妥当性(主張的推量/確信的推量)」 ④「推量表現1=基本表現+事実性(回想/反事実的条件)」 ⑤「推量表現0=再確認(婉曲)/例示」 そして、書き言葉で使われる「だろう」の意味と話し言葉での意味が必ずしも一致いているのではない。たとえば話し 言葉では、話し言葉の特性上、「推量表現2」の連体修飾的な表現と「推量表現1」の「回想」が表われにくいし、 「推量表現0」の「再確認」が「婉曲」として使われやすいのである。

2

서법부사의 서법성 고찰

金恩希

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.15-26

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4,300원

This paper aims to study sentence adverbs. Sentence adverbs are adverbs which have following conditions: Syntactically, they have effect scopes for the whole sentence; Semantically, they represent the subjectivity of a speaker ; Morphologically, they are free forms, not adverbial ones. Sentence adverbs can be classified into concord adverbs, evaluation adverbs and modality adverbs. Classification criterion is the correlation with modality. Concord adverbs are adverbs which correlate with specified elements of the sentence and do not have effect scopes for the whole sentence. Evaluation adverbs are adverbs which have effect scopes for the whole sentence. They represent the evaluation of a speaker for a state of things and are used only in declarative sentences. Modality adverbs are adverbs which correlate with modality. Modality adverbs represent the same modalities as those of the sentences without any relations with forms of the predicates. That is, modality adverbs must have semantic compatibilities which do not contradict the modalities of the sentences

3

近世․近代における中国俗話「動詞重ね型」の受容

羅工洙

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.27-46

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5,500원

本研究は、近世․近代に於ける中国俗語の受容の問題について考察したものである。近世․近代は、中国の俗 文学(白話文学)を多く読まれ、所謂唐話学がかなり広がっていた。漢学者の大部分は唐話学にも通じていた。問題は、 中国俗文学を多く読むことにより、伝統的に伝われてきた漢字や漢語とは異なったものに接したことである。つまり、中国 の俗語を身に付けたわけで、当時の知識人は文章を書くとき、中国の俗語を用いることは、十分予想されるのである。 中国の俗語の受容の問題を扱うとき、指標となるものは色々あるだろうが、本稿では、「動詞重ね型」という用法の 受け入れについて考察した。「動詞重ね型」を中国語学では「V一V」と簡単に表している。「V一V」というのは、 同じ動作性漢字の間に漢数字「一」を入れたもので、基本的には「ちょっと~をする」の意味を有している。このよう な用法は伝統的な日本の文章では見られないものであるが、近世․近代の文学作品に結構用いられている。主な出 典は、近世の読本、日本人作の白話小説、近世․近代にかけての繁昌記、近代は種々の文学作品に現れている。明 治二○年代を境目として段々用いられなくなる。とにかく、中国俗語の存在を無視することができないことが分かった。こ れからも中国俗語の受容の問題を、言語交流史の面で、一つ一つ解決していきたい。

4

4,600원

本稿は日・韓対訳小説資料を用い、発話末に現れる「が」と「けど」文の会話文で占める割合の数量的な分 析及び韓国語語尾との対応を通して、その特徴を考察したものである。数量的な分析からは、「が」で終わる文は全 会話文の0.66%、「けど」で終わる文は1.34%で、「けど」の出現頻度が2倍以上高いこと、年齢及び待遇の上下 関係では、両方とも同等の関係でよく使われているが、「が」は疎の関係と公的な場で、「けど」は親の関係と私的 な場でよく使われることを確認した。 談話上の機能面の特徴としては、「が」は自分の意見表明、「けど」は自己発言の補強の機能でよく使われる ことがあげられる。「が」と「けど」に対応する韓国語語尾の分析から見ると、「が」と「けど」両方とも使用割合 の差はあるものの、「는데」と「지만」に対応するものが多く、その他少数ではあるが、「잖아」「텐데」「거든」 等にも間接対応している。反面、無対応の割合が「が」では4割、「けど」では2割以上であること、また韓国語原文 の日本語訳本の場合の無対応の割合が多いことは「が」と「けど」が好んで使われ、婉曲な表現を通し相手に判 断を委ねる場合が多いという、日本語の特徴を表わしていると言える。 発話末の「が」と「けど」の適切な使用のためには、談話上の例文を通して、対応する韓国語語尾との説明を 加え、両言語の文末表現の特性を理解させた上での教育が必要であると考えられる。

5

『社會百面相』における一․二人称代名詞 -待遇表現の観点から-

房極哲

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.61-72

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4,300원

本稿は、明治30年代の資料『社會百面相』(内田魯庵著、明治35年博文館刊行)を対象に、社会階層と性 差との関わりを中心として、一․二人称代名詞を取り上げ、待遇表現体系の一部を考察したものである。考察の結果、 男性の場合は一人称代名詞の使用において、社会階層との強い相関性が認められる。すなわち、「わし」「僕」 「我輩」「拙者」などは社会階層と密接な関係があるが、現代日本語で一般的に使用されている「わたくし」「 おれ」などは社会階層との大きな相関性はなく、相手や場面によって使い分けられることが分かった。一方、女性の場 合は、「わたくし」「わたし」の両語に偏り、社会階層との相関性は男性より稀薄であることが分かった。 なお、二人称代名詞「あなた」の場合は男女ともに若い世代から年配の人まで多く使用された。だが、「おまへさ ん」「おまいさん」は、「あなた」を使用するような上層の婦人層では使用が見られず、年齢の高い古めかしい言い 方をする人に使用が限られており、他の二人称代名詞に比べて廃れていく傾向が観察される。また、待遇価値の低い と思われる「きみ」「きこう」「きさま」「そこ」「そくか」「てめえ」などが一部の社会階層の男性同士の対話で 依然として使われており、当時男性の方が女性より社会階層と強い相関性を保持し、個性豊かに多くの一․二人称 代名詞を使い分けていたことが指摘できる。

6

日韓の国語教科書を通して見た接尾辞「的」

孫在賢

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.73-83

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4,200원

本調査は、日本語から入って來た接尾辞「的」が、国語に害を及ぼすという点から、「的」の使用を控えようとし た動きがあったにも関わらず、日本語の教科書の使用頻度数に比べものにならないほど、頻繁に使われていることに着 目して行われたものである。具体的にわかった点は、高校の国語教科書では1ページに3回以上使用されていると言え るほど、使用頻度数が多いことと、また、日本語では形容動詞としての資格を付与する漢語接尾辞として使われている 反面、韓国語では、先行語基を連体修飾語にするというよりも、名詞化する傾向があるということである。すなわち、韓国 語で「的」は、連体修飾語を作る役割から、次第に名詞化されて使われ、名詞の役割に移行していると考えられる。 このような役割の変化が「的」の使用増加とつながっていると思われる。

7

4,600원

訓点本と抄物は、漢文訓読の過程で作成された書物であり、当該漢文の注釈書としての性格を有する。しかし、抄 物は、講義を介して作られた講者のノート(手控)、あるいは、受講者のノート(聞書)であり、その中には、該当部分に関 する詳細な内容が記載されることが許される。それに対して、訓点本は、漢文上の漢字の両側に一つや二つの訓を記 入するに限る。このように漢籍や仏典、あるいは一部の国書の漢文を対象として作成された両書物は、その根本的な性 格では一致しているが、実際は体裁から多くの相違を有する。 そこで本稿では、訓点本と抄物を、中国側注釈書の取り入れという側面から比較し、漢文訓読における両書物の 役割について考えてみた。考察対象としたのは、経学の研究に携わっていた明経博士家、清原家の大学者である清 原宣賢のもので、清原家の四書テキスト整備の過程で作られた永正九年論語集解本と、論語集解の講義のため作 成された論語聴塵である。 考察の結果、永正本は全体的に古注を中心とする加点であるのに対して、聴塵は永正本の注釈書の採用に新注 やほかの注釈を付加するような形になっていることが分かる。これは両書物本來の体裁の相違に起因するものと考える こともできるが、それだけでなく、宣賢の論語の訓読と実際の論語の理解との間のずれを示すものと考えられる。 訓読の固定が進むにつれて、訓点本上の加点は固定された家点や家説を伝えるものとしての役目を与えられるよう になる。しかし、新しい学問の伝來とともに、加点の背景である、あるいは訓点本上の加点内容とは別に存在していた当 該漢籍の実際の理解内容を伝える必要が生じる。このような必要性から生まれたのが抄物であると思われる。抄物は 訓読の背景である論語の理解を示すべき書物として、また、新しい学問の摂取の様子をそのままうつしだすことの許され た書物として、訓点本とはその役割を異にするものであったと考えられる。 このように、論語の訓点本と抄物は、論語訓読において一種の役割分担を有していたと考えられるのである。従って 、両資料を日本語学の資料として用いる際には、この点を十分に考慮すべきである。

8

アンケート調査を通した「~始める」形と「~出す」形の置き換え

吳鍾烈

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.99-113

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4,800원

本稿では、局面動詞「~始める」形と「~出す」形の置き換えが可能な場合がある一方で、そうでない場合も あると考えられることから、韓国に日本語教師として滞在する日本語を母語とする20人にアンケート調査を実施してみ た。アンケート調査の結果から、局面動詞「~始める」形と「~出す」形の置き換えが必ずしも可能ではなく、話者 の様々な判断が折り重なることによって成されていることがわかった。 話者が開始時の視点に注目することによって、動作事象の初期段階の開始の局面を一つの点で捉えるか、或い は、それ以後の継続の局面(終りまでを予測した一つの線(過程)として捉える)」かというような違いが、「~始める」 形と「~出す」形の違いとして確認できた。そのことによって人称の違いを始めとし、「~そうだ」「~ている」或いは、 思考動詞、感覚動詞などが影響して、「~始める」形と「~出す」形の置き換えが可能となるか否かが決定される と思われる。また、その基準も明確ではなく、日本語母語話者であっても、その視点や領域(範囲)の微妙な違いから正 確な判断をし損なうことも有り得ることが確認された。

9

日本 字音語의 敬語性에 관한 一考察

李京珪

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.115-124

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4,000원

字音語 研究에 있어서, 敬語性 接辞를 중심으로 다루는 従来의 見解에서는 字音語의 基幹部分과 附加部分을 나누게 된다. 그러나 従来의 研究에서는 敬語性 字音語에 관해 字音語의 주된 語義를 나타내는 基幹部分과 敬意를 나타내는 附加部分 사이에 어떠한 관계가 있는지 명확히 제시하지 못하고 있다. 字音語 중에서 敬意를 内包하는 語―즉, 敬語性 字音語―는 語彙 研究와 敬語 研究의 두 視点에서 취급되어야 한다고 생각한다. 本稿는 이와 같은 立場에서 考察한 것이다. 敬意를 内包하는 두자로 구성된 字音語를 語 構成의 観点에서 「主成分」과 「副次成分」으로 나누어 考察을 시도해 보았다. 그 결과 尊敬의 뜻을 나타내는 字音語는 모두 「副次成分」이 敬意를 나타내는 役割 을 하고 있는데 반해, 謙譲의 뜻을 가지는 字音語는 「主成分」에도 敬意를 나타내는 用 法이 있음을 확인하였다. 이와 같은 결과는 語構成上의 観点에서 보면 尊敬語와 謙譲語 와는 構成 方式이 다름을 나타내는 것이라 생각할 수 있다. 本稿에서는 従来의 字音語 研究에서의 問題点을 살펴보고 語彙 研究와 敬語 研究의 두 視点을 동시에 고려해서 実 際 使用例를 중심으로 検討․考察하였다.

10

일본어와 한국어 자발 구문의 비교문법론적 연구

千昊載

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.125-138

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4,600원

日本語の自発動詞は特定の形態をもたない. そして自発動詞は可能動詞, 自動詞などと同一の音声形をとると 知られている[cf. 千昊載(1996, 1998a,b, 1999a,b)]. 本研究では韓国語との比較․対照を通して, 日本語にみら れるこれらの言語現象が韓国語にも存在することを主張している. このことは韓国語でV-i-形のみならず, V-ci-形 にも自発の意味が実現されること, V-i-形から自発の以外の解釈が許容されることから立証される. 具体的にいえ ば, V-i-形とV-ci-形の兩方の動詞形と外部行為者の関与を示唆する表現,行為者指向の副詞,目的節,自発副 詞(句)などとの共起可能性の有無を観察することによって説明できる.これらの議論から,韓国語では,V-i-形とV-ci- 形の相補関係によって自発の意味が形態的に実現されていることが明らかになる.

11

5,100원

本稿は韓国の開化期の飜訳漢語の成立において、日本及び中国の飜訳漢語の韓国への流入及び受容を考察 するための基礎的研究として実際、開化期の韓国で書かれた新小説の血の淚(1906)を通じ、日本及び中国の飜 訳漢語の韓国への流入, 受容の過程を考察したものである。 本稿では血の淚で使用している漢語を抽出し、大漢和辞典 日本国語大辞典 三国史記 三国遺 事 高麗史 明心宝鑑 西遊見聞 西洋事情 世界国尽 漢語外来詞詞典 明治のことば辞典 韓国漢字語辞典 15世紀から19世紀までの主な韓国資料、 韓中日の開化期の主要資料等から、その典拠の有 無を探すことに依り、韓国への流入及び受容を判断した。 調査の結果は以下のようである。 1. 血の淚で使用した漢語は全部で730語である。 2. 韓国でつくられたと判断される飜訳漢語としては「逓伝夫」「病傷兵」等がある。 3. 日本か中国でつくられた飜訳漢語として、開化期以前の韓国では、全く使用されたことのない漢語は「火輪船」 「汽車」 「時間」 「新聞」 「勧工場」「病院」「停車場」「洋服」等がある。 4. 日本か中国でつくられた飜訳漢語であるが、開化期以前の韓国で既に、その形態が存在し,使用されていた漢 語は 「地動」 「卒業」 「記事」 等がある。

12

中期忠臣蔵もの黄表紙の展開史攷

康志賢

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.157-178

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5,800원

江戸時代の黄表紙における忠臣蔵ものの展開史を考察するという課題を達成するために, 忠臣蔵ものが集中して 書かれていた寛政八年(1796年)から寛政十年(1798年)までを中期とし, 本稿では中期の忠臣蔵もの展開史につい て論じた。 築地善交の一作, 十返舎一九の七作, 曲亭馬琴の二作を詳論した結果, 中期忠臣蔵もの黄表紙につ いて次のようにまとめられる。 寛政八․九年においての忠臣蔵ものはやはり先行作有ればこそという趣向の踏襲を見せながら、一九の新登場 によって活気づけられた時期である。京伝の作品は築地善交․一九․馬琴に多大な影響力を発揮し、殊に何々尽 しという手法を三人全員に受け継がせる。それは唐物尽しだったり、世帯道具尽しだったり、薬方尽しだったりする。また 一傾向として判然としたのは、この何々尽しという手法を真似ている三人の忠臣蔵ものの場合、筋を忠実に追いながら 翻案の妙を競うという安永八年朋誠堂喜三二が打ち立てて以來の忠臣蔵ものの基本テクニックを真面目に守ってい るというのも、共通点であるという事実である。更に一九は京伝の見立ての細かい技法、唐來參和の趣向の立て方等 を倣ったり、馬琴は喜三二の二重構成法を用いたりしながら、その中でも忠臣蔵後日譚という形式に目覚め、確立させ る程の作品数を短期間にものにしたのは一九であった。特にこの後日譚という形を使った一九の忠臣蔵ものは、原作の 人名と事件の動機のみを借りては、ストーリーを自由に遊ばせたことから、今までの忠臣蔵ものとは一線を画する滑稽 性を生み、主に権威を卑俗化するのが黄表紙だとしても、それを越える卑俗性と猥雑さ․スカトロジーという一九のお手 の物の手法を見せ付けた忠臣蔵ものになっている。 寛政十年にはかなり独特な性質の忠臣蔵ものが色々書かれている。一九は自分の草双紙表現方法として考えて いた洒落․無駄․地口すら用いない忠臣蔵もの黄表紙三作を刊行している。前年度の二種の後日譚忠臣蔵もので 見せていた言語遊戯による滑稽性ではなく、寛政十年の作品では一括して意想外な事件の故事付けから滑稽性を 求めていた。しかしこの手法は繋がることなく,以降ものにする忠臣蔵ものには一九得意の言語遊戯がまた生き返って充 満するようになり、それが滑稽本の形式を借りた忠臣蔵ものへまで受け継がれるのである。一方、今までの忠臣蔵もの にも少々は見られていた教訓性を全面的に表に出しながらも、台詞で洒落のめすことで忠臣蔵もの黄表紙で教訓を 述べようとする時の最も効果的、且つ適切な模範を示した作品を唐來參和が発表している。また、馬琴は得意の教訓 すら口を出せないような絵解き黄表紙の忠臣蔵ものを戯作界で初めて出すに至っている。

13

4,900원

今回「夏目漱石の目に映ったソウルの南山の松」について分析․点検したことを要約すると、次の三点にまとめ られる。 第一に、松は、韓国では「節義․志操․意志․不滅性」を象徴し、日本では「長寿․節操․めでたいこと」を 象徴する木である。 第二に、夏目漱石がソウルに來て最も印象深く見た自然風景は、「南山の松」であり、「秘苑の韓国式庭園と 松」であった。 第三に、夏目漱石が特に「南山の松」に愛着と関心を持った理由を考察した。考えられる理由としては、当時南 山に大きな松が多かったこと、彼が幼少時代から身につけていた漢詩․漢学についての教養の影響、ソウルと東京の 地理的環境や自然景観の違い等が挙げられる。

14

韓・日神話속의 三機能構造考

金東秀

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.195-213

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5,400원

韓日両国神話の構造をフランス神話学者の Dumezilの研究方法論である三機能体系に基づき、照らし合わせ てみることが本稿の目的である。 昔からインドやヨーロッパの古い歴史を維持してきた国における神界の共通した原理、および最も理想的な古代社 会構造は第一機能主権、二機能戦士、三機能生産などの三機能体系から成ることが主張されている。 韓日神話の中で北方大陸系的な要素が最も強く表れている点は、騎馬民族の影響だと考えられている。このよう に見ていくと、両国神話においてもインド、ヨーロッパやイラン遊牧民族の神話と全く無関係ではないことがわかり、ある 共通した影響関係があるのではないかと推測できる。 このような観点から両国神話構造を三機能体系に照らし合わせてみた結果、「主権機能、戦士機能、生産機能」 という構造により成り立っていることが明らかに表れている。これは、西側の印․欧語族の神話が内陸アジアのアルタイ 系牧畜民を媒介として、東アジアの韓国を経由し、日本に流入した可能性が大きいという日本人学者、大林太良説と も一致することを示していると言える。

15

吉本ばなな『キッチン』論

金碩子

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.215-229

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4,800원

作品『キッチン』は、現実の「台所」に対する主人公みかげの愛着の表明から始って、彼女が「夢のキッチン」 に到達したところで幕を閉じる物語である。この物語の分析の結果、みかげと祖母との二人だけの生活は、夫婦の対 立や親からの圧迫といった、「<父ー母ー子>という濃密な3角形をなす」「核家族」にありがちな、家族間の葛藤 を生み出さないようなものであることがわかった。実際に、みかげの家族には娘を管理しようとする強権的な親は存在しな かった。いるのは「外泊でも何でも、言えば怒らない大らかな祖母」だけである。みかげは血綠関係の兄弟や夫婦の 闘争にも悩まされず、経済的には恵まれた環境の中で育ったのである。だが祖母の死後、みかげは「恵まれたモラトリ アム状態」から、厳しい「現実」のただ中に放り出される。「現実」はみかげに否応なく大人として「成長」すること を迫ってくるのである。 このように作品『キッチン』は、主人公のみかげが、祖母という防波堤を失い、人生の一つの転換点に立たされたと ころから始まる。そして、押し寄せてくる「現実」を前にして「絶望してごろごろ寝て」ばかりいたみかげのところに、「奇 跡」のように現れたのが、田辺雄一とえり子という一風変わった親子である。みかげは、このどこか自分と同じような心性 を持つ田辺親子との共同生活を通して、徐々に生きる活力を取り戻していくのである。みかげにとって田辺家は、「現 実」から自分を守ってくれるだけの避難場所と言う以上に、「現実」に立ち向かうための新たな出発点としての場で あった。このようにして新たな出発点を見つけたみかげの未來への希望を象徴するのが、「夢のキッチン」という言葉 である。「台所」は、みかげにとって、祖母との思いでという、もう二度と取り戻せない過去の記憶に繁がるもの、またはそ の象徴であり、過ぎ去った過去の思いでの保管場所、あるいはみかげの「少女」性を保管してくれる場所である。そ れに対して「夢のキッチン」は未來への希望を象徴するものとして、漠然とした未來への希望を表しているという以上に、 制度や社会といった「大きな物語」が提示してくる恋人像や家族像に捕われない、新たな人間関係のあり方を模索 するという、みかげの具体的な目標が含まれている。こうして「夢にキッチン」を夢想したみかげは、それに向けて新たな 一歩を踏み出すのである。このように考えてみると、作品『キッチン』は、みかげが、家族というもののあり方を通じて、「小 さな物語」という閉域の中で遊ぶ「閉ざした少女」から、「大きな物語」を視野に入れつつも、またそれとは別の道を 模索する「開いた少女」へと「成長」する物語であるとまとめることが出來る。

16

4,900원

본고에서는 사이드의 ‘오리엔탈리즘’ 비평 시각에서 1890년대의「일본문학사」가 ‘진보사관’의 영 향 아래에서 자국을 ‘문명국=제국’으로 자리 매김 하는 데에 있어서 어떤 역할을 하였는지 그 의의 를 살피고, 「일본문학사」서술에 드러나는 ‘타자’ 서양에 대한 인식 변화 양상이 갖는 의미와 함께, 서양의 존재가 일본의 내셔널 아이덴티티 구축에 어떤 방향으로 작용하는지 고찰함으로써, 서양을 대립항으로 한 일본 ‘국민국가’와 ‘국민’의 특성을 확인하고자 하였다. 고찰 결과, 「문학사」서술은 시대의 사상을 반영하며 역사적 상황에 따라 기능을 달리하는 것임 을 확인할 수 있었다. 특히 1890년대에 간행된 「일본문학사」들은 ‘문명국=제국’의 표상으로서의 ‘문명사’로서 역할을 수행함으로써 일본을 서양제국과 대등한 ‘문명국’으로서의 면모를 갖추게 하는 데 이바지한다. 그리고 다른 한편으로는 ‘국민문학’ 계보로서의 역할을 수행함으로써 ‘국민국가’의 이상 실현이라는 환상과 함께 잠재적 국민으로 하여금 ‘일언어․일인종․일국가’라는 ‘상상의 공동 체’를 심상체험하게 함으로써 ‘국민’ 의식 형성과 그 실체화에 기여하였음을 확인할 수 있었다. 한편 이들 문학사는 ‘국민문학’의 이념으로서 근대국가의 기본이념인 ‘사민평등사상’을 상정함으로써 ‘국 민국가’에 대한 ‘천황제국가’, ‘국민’에 대한 ‘신민’의 도식을 정당화하는 이념적 근거를 마련하고, 이 로써 천황제 국가체제의 ‘정통성’을 확보하고자 한다. 또한 이를 대동아공영권의 이상이라는 ‘포용 론’을 앞세운 ‘일본적 제국’ 건설의 정당성을 확보하는 근거로 확대 해석하고자 하였음을 확인할 수 있었다. 그리고 이러한 고찰 과정을 통해 일본의 근대화=문명화 과정은 곧 서양제국의 상속으로부 터 서양제국으로의 ‘전이’, 다시 말해서 일본적 제국으로 이행하는 단계를 밟고 있음을 확인할 수 있었다. 이때 일본을 ‘문명국’으로 자리 매김하고 사민평등사상을 천황제국가의 이데올로기로 전이 시킴으로써 이를 ‘일본적 제국’ 건설의 정당성 확보를 가능케 하는 데는 일본문학사 서술의 기저를 이루는 ‘진보사관’의 역할을 확인할 수 있었다. 서양의 상속이라고 할 수 있는 ‘진보사관’은 문학은 곧 문명의 진수이며 문학사야말로 ‘문명사’의 최대부분이라는 인식을 갖게 하고, 역사를 진보의 발 전적 단계로 파악하게 함으로써 문명국 달성의 당위성을 확보하고, 또 다른 한편으로는 ‘자연도 태’․‘약육강식’에 지배되는 ‘진화론’을 제국주의 팽창시대에 있어서의 제국 건설의 정당성 논리로 파악하게 함으로써, 서양 제국의 상속으로부터 일본적 제국으로 전이해 가는 정당성의 근거로서 수 용되고 있음을 확인할 수 있었다. 한편, 1890년대 일본문학사들의 서술을 통해 일본의 문명화 과정에 있어서 서양은 모방의 대상에 서 대등한 대상, 극복하고자 하는 대상으로 바뀌어감을 확인할 수 있었다. 서양에 대한 이러한 인 식 변화는 곧 서양을 타자로 경계짓고 일본의 ‘자기정체성 찾기’를 의미하는 것으로서, 타자 서양은 일본의 ‘자기정체성 찾기’의 반사적 에너지로 작용하며, 이와 동시에 ‘자기정체성’의 구성적 대립항 으로 작용함을 확인할 수 있었다. 즉 일본은 서양제국의 상속 과정에서 형성된 ‘서양 대 일본’이라 는 ‘이분법적 세계관’을 바탕으로 ‘자기정체성’ 다시 말해서 일본의 ‘내셔널 아이덴티티’를 구축하고 자 하는데, 이때 타자 서양으로부터 투사된 일본의 자기상으로서의 ‘우미’(優美)는 그 속에 담겨진 타자적 부정성을 문명국으로서의 ‘우월감’, 천황에 절대 복종하는 ‘신민’의 상으로 긍정화함으로서 내셔널 아이덴티티의 기반을 확보하고, 나아가서는 열등국을 포용하는 ‘제국’의 표상으로 전환시키 는 일본의 문학사적 담론을 확인할 수 있었다.

17

『釈迦出世本懐伝記』의 雪山童子譚 考

金泰光

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.247-257

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4,200원

本論文は、日本中世仏伝物語の母胎の位置を占める『釈迦出世本懐伝記』を考察対象とし、その冒頭の雪山 童子譚の形成背景を中心に考察したものである。『釈迦出世本懐伝記』は雪山童子本生譚をもって仏伝冒頭を飾 り、他国には見られない日本独自の仏伝文学を作りあげている。 検討してみた結果,その背景としては、当時における法身の釈尊観の発達と本地垂迹説等の日本中世文化思想 の影響で、龋えば菩薩の修行階位にたいする意識の稀薄と、そして何よりも別々の話であったはずの雪山童子と儒童 菩薩(善慧仙人)のイメージの統合が主な原因であることがわかった。

18

「흐린 강」論 ―페미니즘비평의 입장에서 ―

盧美林

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.257-276

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「にごりえ」は樋口一葉が1895年脱稿して、同年発表した短編小説である。銘酒屋のお力は十九位で随一若い けれど、客を呼ぶに妙ありて、この店の一枚看板として知られている。彼女にはあかさかからの情夫、源七がいるが、お 力に入れあげられて今は土方の手伝いをしながら貧しく暮らしている。ある雨の日、お力は通りかかる三十代男を客に呼 び入れて以来、親ゆずり、ものぐるいを告白するなど、親しい仲になり、泊りをもさせる。新しい戀敵の出現に狂お しくなった源七はお力を寺の山に誘引し、いっしょに心中するというストリーである。見るには銘酒屋でのありふれた心中の 話を取り扱った、平面描写法による写実主義的作品のようであるが、実は主人公お力の三代につたわる親ゆずり、 ものぐるいは作家のみずからの不幸な業の表われとして、作家の心境をうきよの中の「にごりえ」という一観 点において描写した、一元描写法による私小説的傾向の強い、花流小説である。アウトサイダー的人間を主人公に 設定したという点と、相手を切って、自分も割腹するというその情熱的な構成は、若い『文学界』の作家達のロマン主 義の影響によるものである。

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『古今集』恋歌의 〈他者〉

盧仙淑

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.277-290

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本稿では『古今集』恋歌における他者、すなわち「~人」表現を中心に、「人」を修飾する表現の類型とその 様相について分析を行う。「人」という表現は平安時代の和歌や物語などで、「我」に対する相手の意味として用 いられている。もともと「人」とは人間一般をさす第三人称であるが、本稿では恋歌における恋人のことをさす第二人 称を考察対象とする。 『古今集』恋歌は、ひそかに人を思う初恋の歌に始まり、逢った後のいっそうの恋しさ、相手の心変わりを恐れる気 持、失った恋の悲しみとあきらめなどを詠った歌が、恋愛の進行の順序を追って配列されている。それぞれの恋の進行 段階で描かれる他者表現にはどのようなものがあって、どのような傾向と様相をみせるかについて調べた。 その結果、まず契りを結ぶまでの、逢わずして慕う恋の歌が収められている恋一(巻十一)と恋二(巻十二)に見える 「他者」は、「つれなき人」(5例)や「見ぬ人」(3例)という表現が目立っている。 妻問い婚の結婚生活のなか で、逢ったこともない人、すなわち「見ぬ人」を慕う恋と、逢ってくれない「つれなき人」に対する恨みの歌が入集され ている。 つぎに、契りを結んでなお慕い思う恋が詠われている恋三(巻十三)と恋四(巻十四)では、前段階でみられる「つ れなき人」というような恨みの表現よりは、「思ひそめてむ人」や「わが思ふ人」、「恋しき人」のように、愛に満ちた 肯定的な語彙で描かれている。なお、その恋人に対し「恋ふ」․「偲ぶ」․「頼む」のように、自分の恋情をすな おに表わしており、恋の最初の段階にみえるような恋人に対する恨みや嘆きの表現は見つからない。 最後に、恋五(巻十五)の他者規定においては、恋の最初の段階に用いられた「つれなき人」という表現がまたも や増えてくる。しかし、この恋五では、恋一と恋二に見られたような、恋人に対するいちずな恋心を詠いあげるよりは恋人 を待ち焦がれる自分のみすぼらしさ(「我ぞはかなき」)や恋のはかなさが浮彫りになっていて好対照を見せている。

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『発心集』第50과 『女人愛執心在異錄』 - 과장되는 근세 뱀 이미지 -

田阪正則

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.291-304

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불교 설화에서 인간이 집심(執心)으로 인해 뱀이 되는 이야기는 많아 하나의 유형을 형성한다. 중세 설화집『発心集』제50도 그 중 하나이다. 전남편과의 딸을 지금의 남편과 부부로 하여 내세를 위해 은거한 여자의 이야기이다. 『発心集』제50은 이 여자의 엄지손가락이 딸에 대한 질투로 뱀이 되는 이야기로서 그 문학성을 높이 평가 받는 일편이다. 그리고 『発心集』에서부터 반세기가 지나 서 간행 된 근세 중기 설화집『女人愛執忄在異錄』하권「嫉妬愛欲の心ふかき故指蛇と成て額に角生たる 事」는 이 이야기를 원화(原話)로 한다. 본고는 두 이야기의 본문 비교를 통하여 『発心集』제50의 문학적 매력을 재고, 질투로 인해 생 기는 신체적 이변 - 『発心集』에서 두 개 엄지가 뱀이 되는 것, 『女人愛執忄在異錄』에서 열 손가 락 모두가 뱀이 되어 이마에 뿔이 난 ‘도죠지(道成寺)의 가면’과 같은 얼굴이 되는 것 - 에 관한 묘 사의 의미를 생각하여 뱀이 근세 작품에 과장되게 묘사 되는 것을 본다. 『女人愛執忄在異錄』은 때와 장소 그리고 등장인물의 나이를 구체적으로 설정하여 사실성의 강조 를 도모하여 독자의 흥미를 유발하려 하였다. 그러나 등장인물들의 인간 관계 설정과 여자의 심리 묘사, 그리고 여자의 신체 변화 묘사에서 현실성을 잃었다. 『女人愛執忄在異錄』은 흥미 의주의 묘 사로 인해 현실성을 잃어 『発心集』제50의 문학성을 여러 면에서 손상한 것이다. 또 뱀은 근세에서도 여자의 질투심의 표상이다. 『女人愛執忄在異錄』에서 뱀 묘사는 能『道成 寺』 공연에 사용하는 가면과 융합하여 보다 과장된 것으로 되어 있다.

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明治初의 戱作變化樣相

徐泰順

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.305-323

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『아바시리(網走)까지』론 -사실의 은폐와 작가의 전략-

尹福姬

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.325-338

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『右大臣實朝』에 나타난 사네토모(實朝)의 인물 분석

李賢珍

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.339-356

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金素雲譯『朝鮮詩集』再考 -脫植民主義文學 觀点에서-

林容澤

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.357-369

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일반서민의 謠本을 통한 謠의 애호와 能의 復興

황석주

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.371-385

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일본의 선거제도 개혁과 양당제

高選圭

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.387-402

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일본에 있어서 지역사회의 국제화 - 찌바현 우라야스시를 중심으로 -

具見書

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.403-420

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福澤諭吉と甲申政變 -『 時事新報 』 朝鮮關連社說을 中心으로-

高城幸一

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.421-437

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교육칙어체제의 지속과 한국교육의 실패

朴均燮

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.439-454

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首相公選制와 리더십

申敬愛

한국일본학회 일본학보 제51권 2002.06 pp.455-475

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