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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제74권 1호 (22건)
No
1

新聞權誘に對する「斷り」表現 ー日・韓両大学生を対象にー

権英秀

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.1-14

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4,600원

This paper discusses “Refusal” expressions of Japanese university students and Korean university students. The results of my Discourse Role Tests show: 1. The Japanese and Korean used “Direct”, “Reason”, “Apology” refusals mostly. 2. Japanese students use many reason expressions to express the nonnecessity of the newspaper or to show no interest in it. In contrast, Korean students use many reason expressions to make their option or to refer to their affordability. 3. Japanese university students use “Minor sentence” involving conjunctions (kara, node, te) that are considered to be “Direct refusals”. This tendency is stronger when women decline the request. 4. Korean university students use “Minor sentence” involving conjunctions (keredomo, ga) and refuse the request more carefully than the Japanese. This tendency is also stronger when women decline the request.

2

5,800원

本稿では、日本語学習者に必須的な語彙であるため、日本語の漢字語の中で最も高い占有率を示している 二字漢字語の動詞である「VNする」を国際交流基金(2002)の『日本語能力試験出題基準(改訂版)』の中から 1,242語を抽出し、韓国語「VN-hada」「VN-doeda」の両方に対応する「VNする」の場合(Aグループ)だけを 研究対象とした。Aグループの特徴を通語的(外的)かつ意味的(内的)側面で明らかにする一方、とくに韓国語母 語学習者の誤用の目立つ29語(A-29グループ)の特徴をも探ることを目指す。今後「VN-hada」だけに対応する「VNする」の場合や「VN-doeda」だけに対応する「VNする」の場合などとの適切な比較根拠になり、日本語 母語学習者や韓国語母語学習者の学習に役に立つことができればと思う。また、意味上、類似している「VNす る」の類義分析研究の基礎材料として活用できることをも願う。本稿の結果を次の三つにまとめる。 第一、まずAグループの全般的特徴は次の要約できよう。①Aグループは主に「〜かもしくは」「〜うちに」 「〜かあるいは」とは共起しにくい。②Aグループは「たら」条件表現より「と」「ば」条件表現の方の使用頻 度が低い。③Aグループは有生物を動作主や主語にとりやすい(689/706=97.6%)。④Aグループの「VN」には「~化」をとる。⑤Aグループには、自他動詞を除くと他動詞が60%、自動詞が24%を占めるため、基本的に「2ㆍ3項動詞(省略含む」)の場合が多数であると言えるが、仁田義雄(2002)の無意志動詞が17.9%をも占めるの で、必ずしも「2ㆍ3項動詞」とは規定できない。⑥Aグループは瞬間動詞が53.76%(379/706)である。 第に、Aー29グループの全般的特徴は次の要約できよう。①A-29グループは「される」「~うち」とは共起し にくい。②A-29グループは受け身「される」と「動作主なし受身(agentless passive)」の「によって」とは相互矛 盾関係である。③Aー29グループは自動詞が86%を、自他動詞が14%を占めるが、他動詞はゼロである。④ Aー29グループは仁田義雄(2002)の無意志動詞が26.7%をも占める。⑤Aー29グループは瞬間動詞が41.3%であ る。 第三、以上のAグループとA-29グループとを比べた結果、韓国語母語学習者の誤用が目立つA-29グループ は①自動詞、②受け身の「される」と共起しにくい、という特徴が分かった。従って、この結果に基づき、本稿 ではA-29グループ韓国語母語学習者のための誤用防止案を次のように提案した。①まず、文の主語や述語動 詞、動作主、受け身の基本性質の有無などを把握する(±人称主語/±動作主/±名詞修飾/±直接受け身など)。② 「+名詞(事物)修飾」の場合はどちらでもいい。③「+動作主」のある場合(省略の場合包含)だけ「VNされ る」をとる。④「+人称主語、+動作主」の場合は「VNされる」「VNする」両方を使えるが、述語の動作を 受ける対象(主語)がその動作に何の関わりや力を及ぼすことのできない場合(対象者の領域外)は「VNされる」を 選択する傾向がある。

3

4,000원

助詞習得は初級日本語学習者の大きな障害となっているが、無助詞の話し言葉は多い。本稿では学習者と母語 話者の無助詞文に対する意識と使用の現状を比較するため、中国人日本語学習者、日本語母語話者両方を対 象に質問紙調査を行った。学習者については、主に無助詞文にどのような使用傾向が見られるか、どんな意識 を持って使用しているかをはかり、母語話者については、主に助詞の有無によって聞き手の印象に差が出るかを はかった。両者共通の項目としては、属性による差や、話す相手の親疎関係によって助詞選択が影響するかを 見た。その結果、学習者と母語話者の意識と使用の両方に差があることが明らかとなった。具体的には、母語話 者より学習者の方が無助詞文の使用が少なく、母語話者は学習者が無助詞文よりも使用優位であった有助詞文 に対してマイナスの印象を持っていた。

4

4,600원

本稿は、朝鮮総督府が朝鮮で発行した日本語教科書と日本文部省の国定教科書との実質的な比較検討を通 じて、両教科書における表記上の特徴を明らかにし、そして日本語が整備されて行く過程、つまり現代日本語が 確立していくなかで、このような特徴がどういう意味をもつのかなどについて考察したものである。 日本では議論の域を出ることのなかった<表音式仮名遣い>の採用およびその改善が朝鮮で可能だったの は、外国人にたいする日本語教育といった特殊な状況が、既存の言語観から自由ならしめるきっかけを付与した ためではないかと考える。もともと外来のものを日本語化する過程において<表音的表記>の試みはかなり以前 からあった。それを踏まえると、朝鮮での日本語の<表音的表記>は日本語を外来のものとして認識する立場か ら出発したものであると見るのが妥当であろうし、「内鮮一致」の強化で象徴されるように、政治のパラダイムが変 化すれば、直ちに「歴史的仮名遣い」に回帰するのも当然の結果であったと言ってよかろう。さらに、日本の敗 戦後、現実発音を重視する「現代かなづかい」が採用されたのも、やはり日本および日本語を捉える認識の変 化に起因するものと考えられる。なお、朝鮮でのいわば実験が「現代かなづかい」の採用において何らかの形 で影響を及ぼした蓋然性が強い。すなわち、植民地での日本語教授上の試みから得た成果に支えられて、戦後 日本の日本語政策が築かれて行ったのではないかと考えるのである。

5

學習者の心理類型に關する硏究の必要性

申恩淨

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.61-70

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4,000원

今まで外国語習得分野では、同じ学習環境の中で同一のインプット資料が与えられても学習結果に異なりが出 ることについて多く研究がなされてきた。しかし、このような学習者要因に関する研究が学習動機や学習目的など のように同じ属性を持っているグループ間の特性として捉えてきたので、学習結果や外国語を習得していく過程の 特性が学習者によって「どのように」異なっているかについてはあまり多く論じられていない。(林さと子、2006) また、学習者の個別性の問題が主に認知的な側面から扱われてきたので、学習者の内在的な特性がわかる理論 的な土台が備わっていない実情である。しかし、教育現場での応用のために認知的な要因の分析だけではな く、情意的な要因の分析も重要である。 従って、本稿では、外国語学習と関連のある学習者要因の中で、学習者の性格的な要因を心理類型論的な 観点から考察してみた。その結果、授業への動機付けや学習スタイル、学習ストラテジーの使用傾向などが学習 者の心理類型的な特性と非常に関連していることが分かった。それゆえ、日本語学習のための効果的な方法を 論ずる際、まず、学習者ごとに内在的な特性による主な学習方法が存在していることを理解する必要があると思わ れる。また、このような理解に基づいて学習者が自分の心的機能と対極にある学習ストラテジーをよく使えるように 教師は授業を計画する段階から学習者の多様性を考慮すべきである。

6

韓國人大學生日本語學習者の4技能における自信とSPOTとの關係に關する硏究

奥山洋子, 水口里香

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.71-82

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4,300원

本研究では、韓国人大学生日本語学習者自身が考える自信とSPOT点数には何らかの関連性があるのか、ま た、自信に関して何らかの傾向が見られるのか、について明らかにするために、韓国人大学生日本語学習者101 人を対象に2006年に調査を実施し、4技能における自信の順位づけとSPOT点数との関係、及び自信に関する傾 向について分析考察を試みた。 その結果、①リスニングに一番自信がある者はリーディング及びライティングに一番自信があるとした者よりも SPOT点数が上回るという関連性が示された。②リスニングとスピーキング、リーディングとライティングを各々一まと まりにして、自信のある上位二つの技能と、自信のない下位二つの技能として、4技能をオーラルスキルとリテラ シー能力の二つのまとまりとしてとらえている者が最も多く(66人)、全体の65.3%にも達しており、このうち38人が平 均点以上だった。③産出と受容に注目し分析した結果、産出より受容を先行させている、つまり、リスニングがス ピーキングより先行し、なおかつ、リーディングがライティングより先行している者は②の66人についで多く、101人 中57人(56.4%)に達しており、このうち33人が平均点以上だった。 以上の結果から、SPOT点数と自信との関係は密接な関係にあることなどが示唆されたと言えよう。

7

「だけ」の多義性

李埈瑞

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.83-94

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4,300원

The Japanese focus particle dake(only) has the particular feature. When dake focuses a word, it denies the other existences which come up with the focused word in mind. meaning uselessness of the other existence on the other hand. So far, thess two functional and semantic meanings have been receiving careful study. Also, these two meanings have been regarded to be continuous. But, we have to acknowledge that the two meaning of dake, exclusiveness and uselessness is contradictory to each other in a logical sense. In this paper, I present the meaning of uselessness should be explored as a different sense of meaning. Dake can be assumed to introduce a scalar presupposition very similar to sae.(even). When this kind of scale is presupposed from dake's context, another meaning can be implied easily. From only the context, the meaning of uselessness or the least wanted can be explained. But the meaning is just implied indirectly not directly.

8

4,900원

日ㆍ韓両言語において、もっとも基本的と考えられる述語形式は、「スル」形と「hanta」形であろう。しか し、両形式は、時間的な意味に注目すると、「未来」対「現在」と大きな食い違いが生じる。 本稿では、最も基本的な述語形式は、述語的意味が最も消極的であり、単に事態を構成するだけの形式、 概念構成形式であるという考えに立ち、「スル」形を事態の「概念構成」形式と把握する尾上圭介氏の理論を 參考に、「hanta」形の意味ㆍ用法との対照を通じて、「hanta」形も「スル」形と同様、「概念構成」形式と 主張する。 「スル」形と「hanta」形を消極的な述語形式であると把握することで、①「未来」あるいは「現在」以外の 意味、用法を実は多様に持ちうることを説明することができる。②「スル」形と「hanta」形がおびる時間性のず れについては、形式の消極性ゆえに、それが表す意味は、他の助動詞との張り合いの結果によって決まるもので あるからだという解釈を与えることができる。

9

교겐집(狂言集)의 「ホドニ」의 중단 발화(言いさし)적 사용에 대하여

千葉小百合

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.111-120

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4,000원

本稿では、現代日本語の「言いさし」を史的変遷という観点から分析することで、言いさしの形式として 多く使用される接続助詞の用法を時代別に把握することを目的に、まず、中世語での使用が顕著となった 接続助詞「ホドニ」について調査した。中世の代表的口語資料とされる『天理本狂言六義』と『大蔵虎明 本狂言集』を対象に、「ホドニ」が会話の結び形式として用いられている発話を分析し、二つの異本にお ける言いさしを比較検討した。その結果、虎明本における「ホドニ」の言いさしには現代語の言いさしと同 様多様なニュアンスが認められたのに対し、天理本では口調を整えて軽く強調するといった一用法しか見ら れなかった。これは、舞台で上演された台詞をそのまま記録した虎明本と台詞内容の詳しい記述に重点を 置いた天理本の資料上の性格ゆえの結果と考えられる。また、ジャンル別に見ると天理本の場合、女狂言 之類に「ホドニ」による言いさしが多く見られたという点が注目に値する。

10

知覚ㆍ認識動詞と実現系可能

韓静妍

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.121-130

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4,000원

本稿では、一般的な可能文の特徴とは違う様相を見せる知覚・認識動詞の可能文に注目し、これらの動詞の 実現系可能文は、「恒常性」という条件の付与によって潜在系可能文に移行すると分析する。 こういう分析を基にして、一般的な可能文の場合においても、実現系可能文に恒常性という条件が付与されて はじめて潜在系可能文に移行し、従来の研究で言われているように可能の形式自体が本来状態性を帯びるので はなく、状態性は恒常性の付与によって生じるものである可能性を検討する。 このように考えることによって、実現系可能文と潜在系可能文のみならず、自発文と可能文の連続性および可 能文と同じ形式を用いる他の構文との統一性をも捉えることができるのではないかと思われる。

11

4,300원

ムード的な意味の「タ」は動きが発話時以後であっても用いられるが、これは話者の認識時や発見時が発 話時以前であるからだろう。最近の先行研究でもこのような点に注目しているようであるが、本稿で挙げてい る「発見」「決定」「未来の状況に対する確信」などの「タ」の使用条件についてはいまだに明らかにされていない ところがあると思われる。本稿では、この三つのパターンの「タ」の使用条件を見極めつつ、韓国語の「었」と の対照を行った。 まず、「発見」の場合、話者が発見した状態が認識内で「想定していた」状態か否かにより、「タ」と「었」の 許容度の差があり、「었」は発見した状態が認識内で「想定していた」状態と一致するような文脈においては「タ」 に比べて用いられにくい。一方、発見状態と認識状態との食い違いが生じるような文脈になると、「었」の許 容度が上がるようである。 また、「決定」の場合、聞き手の存在有無により、「タ」の許容度の違いが生じ、聞き手のいない場面では 「タ」が用いられない。その上、聞き手が存在しても宣言と同時に行為が開始しないと許容度が落ちてしま う。一方、「었」はこの「決定」の用法には馴染まない。 さらに、「未来の状況に対する確信」の場合、「タ」は「行為者=話し手」という前提条件を満たさないと、 許容度がかなり落ちるが、「었」の使用にはこの前提条件は不可欠なものではない。本稿では、「었」が一種 の状態化形式として機能しており、動き動詞の過去形が「発見」の用法に用いられる要因であると考える。

12

4,300원

志賀直哉は『暗夜行路』の主人公時任謙作を通して作家が追求する理想的な夫婦像をあらわしている。本 稿では謙作と妻直子が調和のある夫婦になるまでの過程を中心として考察してみたい。 主人公謙作は人に対して距離感というものを持っていた。それは、昔から家族からさえも愛されていなかった事 から起因する。それは成長するにつれ友人に対しても周りの人間に対しても持つようになる。 直子との結婚で距離感に対する恐れが治まったように感じたが、直子の不貞により距離感の問題が再び擡げて くるのである。自分の罪を認めたのに謙作に赦して貰えなかったので、それに対応する積極的な直子の姿を見る ことができる。謙作はそんな直子との緊張しきった生活の中で段々疲れて行く。しかし、この危機を乗り越え夫婦 の距離感を以前よりもしっかりして行きたいと夫婦は切に願うのである。 一人の時はある問題にあたったとき、直子との関係のようにしつこく問題に取りかかる姿はなかった。二人の間 で遠退いていく距離感に対して直子の能動的で強い態度があったからこそ、謙作も動かされ解決策を求め大山に 向かったのである。直子との相互的関係から夫婦の距離感が新しい方向に向かうようになるのである。大山で再 会した二人はこれから安定した距離感の、調和のある夫婦に成って行くことに違いない。

13

재일 디아스포라 문학의 형성과 분화

김환기

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.155-174

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5,500원

本稿では在日デイアスポラ文学の形成過程とその分化を多様性と普遍性の側面から考察してみた。その過程 で、先ず在日デイアスポラ文学の形成には植民地期の留学派文人たちの存在性と張赫宙、金史良文学の協力/ 非協力的書き方(グルスギ)が重要であることが確認される。そして解放以後の在日デイアスポラ文学には植民地期 に対する清算の意味とともに、在日1世代の民族的書き方が“玄海灘を往来しながら理念と生存に揺れるしかな かった個人事をもとに民族の傷痕を形象化”したのがわかる。言わば、金石範,、金達寿,、金時鐘などの文学に 見られる植民地期の協力/非協力、解放祖国の政治混乱、帰還出来なかった者たちの望郷、民族的アイデンテイ テイへのこだわり、朝総聯と民団の理念的葛藤など祖国と民族を巡る多様な敍事詩がそれである。また、在日中 間世代(2,3世代)の文学には境界人思考と異邦人意識が澎湃するが、特に金鶴泳、李恢成,、李良枝などの文学 から見られる不遇性の形象化(内外向的な昇華)は“最も‘在日朝鮮人文学らしい文学”として位置づけられる。そし て最後に最近在日文学の多様性と普遍性次元の脱民族的書き方(柳美里、玄月など)、解体された‘在日性’((鷺 沢萠、伊集院静など)、エンターテイメント小説(梁石日、金城一紀など)、ニューカマーの文学活動(金吉浩など) は在日の位置を正確に表すという意味と絶えず変容するという意味を現す。結局、こういう在日文学の多様性と変 容が多文化的世界観をもとにしている限り、より一層世界文学としての価値を高めるとともに、普遍的価値を拡張 させる契機になるだろうと思われる。

14

4,000원

「セヴンティーン」「政治少年死す」は一九六〇年十月に起った十七才の山口二矢の社会党委員長刺殺事 件を素材とした作品である。一九六〇年代の所謂〈政治の季節〉に出た「セヴンティーン」二部作は『風 流夢譚』と共にテロルの季節の記憶を喚起させる。「セヴンティーン」二部作は、大江健三郎の回想によれ ば、右翼と左翼両側から非難を受けた作品であり、第二部の「政治少年死す」は今でも活字化されない状 況である。大江健三郎はなぜこのようなラジカルな問題を抱えている「おれ」を描いたのか。大江は山口二 矢の行動から何を見て取ったのか。 「おれ」は失禁、失神という身体の欠陥を持っている。「おれ」のこのような身体性は、アイデンティ ティーを喪失した者の自意識過剰の心理作用によると言える。「おれ」のアイデンティティー喪失は作品に 「おれ」の名前が明記されていないことと関わる。「名付け」は存在にかぶせる単なる記号ではなく、存 在そのものの意味を付与する行為なのである。「おれ」の名が明記されていないことは社会において「お れ」の位置づけ、すなわちアイデンティティーが不明確であることの裏付けであるが、その原因の一つに 「重要な他者」の不在が挙げられる。本稿は「セヴンティーン」二部作の研究の第一部として、まず「お れ」という一人称をめぐって考察する論文であるが、大江の一九六〇年代に対する時代認識は、「おれ」 の行動が単ある「甘え」によるものではないことを物語る。

15

4,900원

現代の日本の社会が抱えている矛盾をすべてさらけだしているとの評を受けている村上龍の作品には自分の言 葉を持ったなくて悲鳴を上げているアウトサイダーが登場する。このアウトサイダーのほとんどが壊れた家庭によるト ラウマを持っていることで村上龍は社会の病理現象と壊れた家庭の相関性に注目する。村上龍は日本の近代社 会が完成したあと,その目標を失った日本の喪失感を社会のアウトサイダーを通じて小説化する作家である。それ で村上龍が生い育った米軍の基地村だけでなく壊れた家族も村上龍の文学的想像力のベースになる。アウトサイ ダーを防げる理想的な家族像として村上龍が追求しているのは日本の近代を支えてきた日本的共同体を脫皮した 家族像である。村上龍は日本的共同体を家父長制度とその属性である甘えとして認識している。つまり支配􀂂被支 配の家父長制度が解体され、日本的共同体の属性である甘えを克服した家族像だが、これは利己的な自己中心 から脫して相手を尊ぶことができる自立的人間に生まれ変わることである。甘えとは精神的かつ経済的に自立でき ないことだけでなく、他人の犠牲なしには生存出来ない引きこもりのこと、自分の欲求のために児童に加虐を加え てトラウマにさせる行為、また制御できない行為すべてが甘えである。こんな甘えを克服した個人で構成された家 族が村上龍の理想的な家族である。またこんな個人の集まりである社会は社会病理からもまた日本的共同体が持 つ集団的な甘えの弊害からも自由になりうる。

16

도손의 시연구 ― 구약성서 「창세기」투영을 중심으로 ―

최순육

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.201-216

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This study is aimed for the research on Shimazaki Toson's Literature, in terms of analysing his Japanese modern poetry focused on the reception aspect of the Western European Literature. For the past survey on Toson's Literature has been biased toward his novel, but not his modern poetry, and the comparative literature study on Toson's Literature as well. This thesis is emphasized on the analysis of the transfigurations of words, expressions, and thoughts in the Western European literature ,including the Bible, in the course of reception and modification of them in Japanese cultural climate to create new poetry appeared in his poetry volume Hitohabune〔쪽배〕Natsukusa 〔여름풀〕Rakubaisyu〔낙매집〕, beginning with Toson's first volume, Wakanasyu〔새싹집〕. As a concrete research measure, at first, it was to pursue the Bible, especially, Genesis traces, secondly, to clear the traces origin from whose and what works. So as to do those analyses, it was to turn efforts toward Toson's autobiography novel, Sakura no mi no jukusuru toki〔버찌가 읽을 무렵〕 and Haru〔봄〕which Toson's been infatuated in his youth as a text, to select his favorite writer and works, to compare Toson's poetry with the Bible and their literatures, and to find out parallels and similar plot and frame of poem among them, and the distinct relationship between modern way of thinking in Japanese Meiji Period. As the method of criticism, the Text-criticism, but not Form-criticism was chosen, which was to deal with the Western European writers and their literatures in lines and to compare with Toson's poems. Toson was a strange mixture of the Japanese spirit and the Western European way of thinking. As a result of that, in Toson's poetry, the thoughtful and philosophical language of the Bible turned into the natural native Japanese beyond the limit of the characteristic of emotional Japanese language.

17

兼家の人物像 ー『蜻蛉日記』を中心としてー

李一淑

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.217-228

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4,300원

兼家は、よく傲慢で、傍若無人な人として評価されているが、それは、兼家を否定的に描いた『大鏡』と『蜻蛉日記』に起因するところが大きい。『大鏡』では、道長の栄華と功績を絶対化するために否定的に描か れ、『蜻蛉日記』では、道綱母の自己中心的な考え方により、兼家を悪い夫として仕立てている。しかし、一夫 多妻制の社会を生きた兼家にしてみれば、複数の妻を持つのは普通であり、夫を独占しようとした道綱母に問題 があったのである。日記などから見る兼家は、和歌のわかる風流者であり、よく涙ぐみ、ユーモアも備えている素 的な人物だった。兼家に対する従来の評価は再考されなければならない所以である。

18

二条の自己矛盾と執着 ―『とはずがたり』 後篇を中心に―

林瑛姝

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.229-244

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御所から追放された二条は、『巻3』で突然「尼」の姿で登場している。二条は自分の出家の見出しとして 仏教的な無常観を唱えてはいるものの、彼女の生活は仏教的な無常観とは掛け離れたものであった。つまり、彼 女は自分の出家に対し「煩悩を与えた俗世から逃避するため都から遠く離れてきた」という回想に耽っている が、実際には出家とはいいがたい矛盾─何かに託つけて頻りに世人との交わりの契機を作り出すなど、俗世との 繋がりを維持しようとした─を犯していたのである。このような矛盾の始発は涙と恨を伴う都への「懐かしさ」であ り、この「懐かしさ」の中心には自分を御所から追い出した後深草院がいた。二条は「表面的」には修行生活 を営為しながらも「場所的」に過去である「都」と「人」としての過去である「後深草院」から走り抜けられな かった。そしてそのような二条の生き方は「自己矛盾」と「執着」といった表現で集約できるとも言えよう。本稿 は二条の「自己矛盾」と「執着」の具体的な様相とともに「自己矛盾」と「執着」が究極的に何を意味してい るのかを明らかに探ろうとしている。二条の「自己矛盾」と「執着」は、常に「尼」である身分を念に置きながら も後深草院に向けた妄執だけは取り払えなかったことを告白する経路である一方、一つの方便であったのであ る。

19

외무성 통상국장 하라 다카시(原敬)의 조선 출장과 외교활동

金英淑

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.245-258

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原敬は日本の政党政治を主導した代表的な政治家である。彼は1892年10月に外務省通商局長として朝鮮に 出張し、1896年には朝鮮公使として赴任した。本稿では1892年の出張を中心に彼の朝鮮認識と政策を検討す る。 原は短い出張期間ではあるが、朝鮮にいる外国人外交官、日本人たちと頻繁に接触し、親交を深めた。釜 山と仁川の居留地の発展に関しても詳しく日記に記録した。その一方で、済州島漁業禁止問題に関しては、済 州島の代わりに大同江地域を開港することに反対し、済州島の一部における日本人の活動を制限する代わりに他 の地域において操業させることを提案した。 防穀令交渉においては、原は強硬な姿勢で朝鮮政府に回答を迫った。彼は帰国後、対策として軍艦を派遣 することすら主張したが、大石正巳が妥結を得た際にはむしろ彼の外交上の非礼を非難した。大石の交渉姿勢は 原の強硬方針と差がなく、ただ朝鮮との協商が長引いた結果、それが大石の功績になってしまったことに対する 不満だと思われる。 原の朝鮮に対する交渉姿勢は、互いに交渉しつつ妥結を得る方法ではなく、強硬な姿勢で日本側の主張を 押し通すというものであった。本稿が言及している済州島漁業禁止問題と防穀令における交渉を通して原の強硬 な朝鮮政策を窺うことができる。

20

급속히 확대되는 중국-ASEAN 경제협력과 일본의 통상전략

閔庚植

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.259-274

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中国は、WTO加盟以降、その対外経済政策の変化が見られる。それは、既存の貿易振興策、直接投資の 誘致に加えて東アジア域内ネットワークにより積極的に参加していることである。また、域内国家とのFTA締結をひ とつの手段として活用している。これにともない中国-ASEAN経済関係も急激に拡大している。中国の対外経済自 由化が本格的に始まった90年代においては、ASEANの中では、中国脅威論が浮上したが、この中国 -ASEANFTA締結を契機に中国を新しいマーケットとして見なし始めた。  一方、日本の場合、WTOを主軸に捉えながらも、多角的自由化を補完得るFTA締結を模索する重層的通 商政策を積極的に展開している。最近、FTA競争に出遅れた日本は、東アジア地域を中心にFTA戦略を展開し ているが、やはり農業などセンシティブな分野の交渉が障害となっている。日本は、韓国、中国を含め東アジア 経済圏構想の中、それを実現する形を整えつつこの地域にけるリーダとしての役割を果たすのが大きな目標であ ろう。

21

다도의 정신 일고찰 ― 와비를 중심으로 ―

趙容蘭

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.275-288

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It is said that knowing the Dado would be the key to understanding the Japanese culture. Dado involves serving guests with one's mental attitude as a once-in-a-life time experience and with respect, and to decorate arrangement with seasonal touch. Although currently existing Dado group has varying Demae, Senrikue is the most followed and respected. Therefore, it would be meaningful to look over Nambangrok intergrating the root of the Senrikue. Dado can also be said as an 'art of purposeful gathering'. It pursues mind interaction through quietness rather than splendidness. Wabi is feeling the sense of beauty through natural, simple, unbalanced, imperfect Dashil and Dado tools, and therefore Dado is called Wabicha. Wabi before Wabi tea could not establish its meaning by itself. It is only used as expressing feelings of loss and disappointment. However, the meaning got extended to Japanese beauty expressing the mood of entrusting oneself into nature and adapting to imperfection and inadequateness. Wabi is not a set meaning but it emphasizes natural beauty, not disobeying reasonableness, or sometimes, it also means liveliness, depending on the situation. I believe Dado is a training to find beauty in the imperfection of everyday life. Wabi in Dado is the core mental state of Japanese, who perceives restraining one's feelings to be the best possible beauty. One does Dado in hopes of becoming honest, thoughtful and not arrogant. This is the very purpose of Wabi and through this thirstiness of body as well as soul is satisfied. As Samurai purified his mind with tea during the war, we living in the present also need 'tea' as purification.

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한국과 일본 부모의 양육태도와 유아의 사회도덕성과의 관계

崔順子

한국일본학회 일본학보 제74권 1호 2008.02 pp.289-300

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The purpose of this study is to find out difference in attitude of bringing up children by parents of Korea and Japan and difference in sociomorality of children in different cultural background and also to identify relationship between such attitude of bringing up children by parents in both countries and sociomorality of children. To conclude in this study through in-depth interview survey it was shown that the most influential factors in the attitude of bringing up children by Korean parents were intervention ofacademic aspect of their children and demand of obedience from them and it is presumed such result stems from authoritarian attitude of Korean parents who regard their face as important factor whereas such attitude is almost unknown with Japanese counterparts.

 
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