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2025 (64)
2024 (69)
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会話における発話末の「から」と「ので」の意味機能について -「から」と「ので」に対応する韓国語の表現の分析を中心に -
한국일본학회 일본학보 제62권 2005.02 pp.1-20
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5,500원
本稿は日・韓対訳小説の会話文をデータベース化した資料を用い、発話末で使われる「から」と「ので」の意 味機能及び特徴を考察したものである。まず、今回使ったデータに限っての結果ではあるが、「から」と「ので」 の数量的分析から、「ので」に比べ「から」が圧倒的に多く使用されることが確認できた。そして今回の分析の対 象となった「から」と「ので」の例文数にはかなりの差があることから対等には扱えないが、「から」と「ので」を 別々に捉えて待遇の上下関係、聞き手と話し手との親・疎関係、場(公的・私的)からの分析を行った。 また、発話末で理由や理由以外の話者の心的態度を表している「から」に対応する韓国語の表現は、多様に 表われた。「から」に対応する韓国語の表現を「直接対応」、「間接対応」、「無対応」の三つのタイプに分 類した結果、理由の意を表わしている連結語尾などに対応している「直接対応」が約46%、「から」に前接する 用言または後接する終助詞が付く形に対応している「間接対応」が13%、「から」に対応する言語的要素がない「無対応」が41%であった。このように「無対応」が多いこと、「から」に対応している韓国語の表現が多様であ ることが発話末の「から」のニュアンスを掴みにくい原因の一つであり、学習の困難点でもあると考えられる。 また、意味機能の考察からみると、発話末で使われる「から」と「ので」が主に本来の理由の意を表す場合よ り、本来の意が薄くなり、話者の意思や決意を示したり、相手への配慮を示すなどの働きをするものが多かった。 そして話者の感情表出を強める働きは「から」だけがもっている独自の機能であることが特徴としてあげられる。 韓国人学習者の場合、「から」と「ので」といえば理由・原因の意を表わす連結語尾「-니까」と「-어서」を 連想しがちで発話末で本来の理由の意が薄く、他の意味機能をも表しているときの「から」と「ので」にも「-니 까」と「-어서」をあてはめて不自然な訳になる恐れがあるので、注意が必要である。
4,600원
ある程度日本語能力を身につけた中級以上の学習者への作文指導は、日本語能力の向上だけでなく、作文 の技巧力、文章構成能力、内容的によりよいものを書く文章能力を高めることが必要である。本稿は、中級日本 語学習者の文章能力を高めることを目的に、内容・構成面に焦点を当てた作文授業と作文フィードバックを行った 実践の報告である。学習者の書いた意見文に二度のフィードバックを与え、書き直しを求めたところ、多くの場 合、学習者はフィードバックを参考に自らの力で修正できることが明らかになった。学習者が取り入れやすいフィー ドバックは具体例・経験要求、論の展開の修正要求、説明要求などであった、取り入れにくいフィードバックは抽 象度の高い説明要求、考え・意見要求であった。こうしたフィードバックは学習者の能力に応じて、具体的なコメン トを加えたり、口頭でアドバイスをするなどの対策が求められるだろう。 学習者は、内容・構成面に焦点を当てた授業、フィードバックを受けての作文推敲を経て、自己の日本語表現 の問題点、作文の構成や内容の重要性、推敲の意義などを見いだしていた。また、作文を書く際の困難点として 作文を書く前のアイデアの整理をあげていた。分析の結果、より効果的な中級日本語学習者の文章能力を高める 作文指導には、取り入れやすい作文フィードバックの方法や作文を書く前のアイデア整理の指導法を探っていく必 要があることがわかった。
4,900원
この論文では木村理右衛門の著書『朝鮮物語』巻五の「朝鮮の国語」を中心に、『繪入異國旅硯』の「朝 鮮の詞」,『和漢三才圖會』第十三の「異國人物」に載っている「朝鮮國語」など、當時に刊行された文獻資 料に見られる朝鮮語と比較分析しながら『朝鮮物語』の「朝鮮の國語」はどの資料に依據して書かれたか檢討 し、また朝鮮語表記について考察してみた。『朝鮮物語』の「朝鮮の國語」は三つの資料の檢討結果『朝鮮 物語』の語彙298語がすべてこの二つの資料に表記されていて、『繪入異國旅硯』にない單語は必ず『和漢三 才図繪』に載っているのを發見した。また『朝鮮物語』にある單語の順番を見る時、1(日本)-24(嶋)、57(樹)-68 (館)、73(戶)-78(冬)、79(東)-82(北)、84(黃)-120(孫)、204(鶴)-兎(216)など全部で194語が『絵入異国旅硯』 と、その配列順序まで一致している。『和漢三才図絵』とは、28(雪)-34(海)、36(水)ー56(薬)まで28語が配列順 序が一致している。このような結果から見て、筆者は『朝鮮物語』巻五は『絵入異国旅硯』と『和漢三才図 絵』の二つの資料に依拠して『朝鮮物語』の「朝鮮の国語」ができたものと判断する。そして朝鮮語表記に関し て検討してみた結果『朝鮮物語』でも「お․ほ․を」の三つの仮名は文節中で同一語の表記で用いられているのが 見られるし、「お․を」は文節頭でも用いられている。「お․ほ․を」の音韻変化と一致していることがわかった。[ふ (ぶ)]は朝鮮語で語頭と語中では[ㅍ,ㅂ,ㅁ], 語末では[ㅂ]に対応することがわかる。[ふ(ぶ)]は朝鮮語「수플, 푸 르다」では[ㅍ],「부텨, 블」では[ㅂ]に「물」では[ㅁ]に対応している。「집, 갑옷, 납, 닐굽」では終声[ㅂ] で表記されていたことがわかる。
5,200원
日本語の「甘い」は本来、「味覚」を表す語であるが、それ以外にも「甘いマスク」、「甘い考え」など、 さまざまな領域に派生して用いられる「多義語」である。しかし、「多義語」であるということを母語話者は特に意 識することはない。それは外国語に触れるときにはじめて、「甘い」という本来味覚をあらわす語がそれ以外の領 域で使われていることを知ることになるだろう。では韓国語について考えるとき、類似点が多く指摘されるために単 なる「単語の置き換え」で文章が成り立つことがあるために多義語表現までもが同様に成り立つという錯覚からの 誤用が多くみられる。特に日韓両言語は類似点が多いと言われるがゆえに、かえって短絡化しやすい危険が潜ん でいるといえるのではないだろうか。また、両言語それぞれの多義語の構造が十分に把握されていないということ ではないだろうか。そこで本稿では日本語の味覚形容詞詞「甘い」「辛い」とそれに対応する韓国語の形容詞「달다」「맵다」との意味上の対応関係について分析を試みている。初めに対象語が基本意味から派生するそ れぞれの多義的意味を分類、さらに共感覚的表現、語感の評価性に注目しながら両言語を対象比較することによ り、その共通点、相違点を具体的に明示している。
4,600원
本稿は、漢語の廃語化現象とその要因を考察することによって、19世紀末からの漢語の変化の一側面を明らか にしたい。まず、考察の手順として、1882年の『時事新報』の各10号分の社説から2字以上の全ての漢語を取り 出し、この漢語を『新明解』、『例解』、『岩波』、『学研』の国語辞書の立項をもって「A類」、「B 類」、「C類」、「D類」、「E類」、「F類」、「G類」に分類できる。その結果、現代まで用いられつづ けていると判断される「D類」(1.6%)と「E類」(80.4%)の漢語は約82%を占めていた。また、何らかの要因 によって衰退化あるいは廃語化していると見なされる「A類」(10.2%)、「B類」(1.4%)、「C類」(1.3%) の漢語は合わせて約12.9%を占めている。さらに、「F類」の漢語は0.2%、「G類」の漢語は4.9%の割合を示し ている。 次に、「A類」、「B類」、「C類」に分類した漢語について、「消滅」、「新語」、「統合」、「文字 転倒」、「同音の置き換え」、「漢語体の崩壊」、「その他」の7つの要因項目をもって分類を行った。このよ うな分類によって、「A類」、「B類」、「C類」と見なした171語のうち、「漢語体の崩壊」による漢語が63語 で約36.8%を占めていることが明らかになった。そのつぎは、「統合」(27.5%)、「同音の置き換え」(13. 4%)、「新語」(12.3%)、「文字転倒」(4.7%)、「消滅」(4.1%)、その他(1.2%)などの順に並べら れる。 つまり、程度の差はあるものの、19世紀末に用いられていた漢語の約12.9%は、現代日本語において廃語化 が行われている。また、漢語の廃語化の最も大きな要因としては、当時は漢語で表していた概念が現代日本語で は和語あるいは書き下し文やカタカナ語などに代って表現される現象(漢語体の崩壊)が挙げられる。
4,300원
本稿では近代日本語から現代日本語への定着過程にみられる近代日本語の特徴を、『国定読本』の語彙を 通じて近代明治訳語の現代使われている一般生活用語としての定着という視点から考察した。研究方法としては『百科全書』の理科系3巻をまず分析し、その現存する漢語が『国定読本』にどれぐらい見られるかを考察し た。また明治の漢語が普通教育の日常漢語へ転換する過程において、どのような漢語がどの程度現存し、今日 の日常生活語にどれぐらい反映しているか把握するために、出版頻度数、専門分野別、明治漢語の根源別に分 析した結果は次の通りである。 1.『国定読本』の2字の漢語は計6158語で、そのうち2字漢語は6159語中期別推移をみると国定1期593語、 国定2期2822 語、国定3期2549語、国定4期2825語、国定5期2976語、国定6期1299語である。 2.『百科全書』のうち、理科系の資料からの漢語は全部で1332語で、このうち天文学は345語、物理学は404 語、化学からは587語の漢語が把握された。 3.『百科全書』の理科系列の漢語と『国定読本』の漢語の期別一致の場合の漢語を出現頻度数別、分野 別、根源別に分析した。明治の専門漢語が普通教育の日常漢語へ転換する過程において、『国定読本』の漢 語で現存し、今日の 日常生活語に反映していることが把握された。
語素코드를 이용한 韓日 比較 語彙 - 초등학교 국어 교과서 어휘의 비교를 통해서 -
한국일본학회 일본학보 제62권 2005.02 pp.95-108
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総体としての語彙を分析するには、語彙の持つ二つの面、数量的側面と意味的側面を同時に生かす方法が必 要である。それを可能にしたのが『意味分野別構造分析法』である。 本稿では語彙総体論の立場で語素コードによる『意味分野別構造分析法』を用いて、韓日比較語彙研究を 試みた。比較対象語彙は韓日小学校の国語教科書である。それは国語の教科書は他の教科書より基本的といえ る語が含まれているからである。本稿では、一語に付ける単語コードでは語彙を詳細に分析できないので、単語 の構成要素ごとに与える語素コードを用いて考察した。〈.131〉の項目では可能動詞の作り方の違いによる差が 見られた。そして〈.195〉と〈17.195〉の項目では、「~枚、~人、~個、~台、~着、~通、~歳」などの ように助数詞が付いた場合、韓国語では固有語の数詞が用いられる。しかし日本語の場合は、「よ、よん、な な」以外は漢語系の数詞が用いられるため有意差が生じたと思われる。〈.312〉の項目では「言い表す」のよう に「言い」という語が前項に来る複合動詞が韓国語より日本語のほうが多いのが分かった。〈.502〉の項目では 日本語の場合は「赤色、黄色、黒色」の「色」という字を訓読しているが、韓国語の場合は音読している。語 種の差がみられる。このように語素コードを用いると詳細な語構成が分かる。
4,500원
本稿は、日本の朝鮮總督府がとった言語政策の理論的、思想的背景についてヨーロッパ列强の言語政策とも 比較しながら、その特徵や、本質を考察するのが目的である。 イギリスは「自治主義」․「間接統治型」、フランスは「同化主義」․「直接統治型」、ドイツは「同化主義」․ 「直接統治型」というように整理できよう。フランスとドイツとは同じ形であるが、フランスの方がドイツより強力なや りかたで植民地支配をしたと言える。それには常にフランス最高主義の理念が付きまとっていたからである。 一方、日本は韓国において被植民国の言語にとってもっとも厳しい結果をもたらす類型の言語政策を採択․施行 した。フランスと同じ「同化主義」․「直接統治型」であるが、その程度はフランスの比ではなかった。
5,400원
本稿は韓国の開化期の飜訳漢語の成立において、日本及び中国の飜訳漢語の韓国への受容を考察するため の基礎的研究として、日本, 中國で造られた飜譯漢字語が実際に韓國に受け入れられた時期と過程を近代の資 料を通じて推定したものである。 本稿では、『大漢和辞典』、『日本国語大辞典』、『三国史記』、『三国遺事』、『高麗史』、『明心 宝鑑』、『西遊見聞』、『西洋事情』、『世界国尽』、『漢語外来詞詞典』、『明治のことば辞典』、 『韓国漢字語辞典』、15世紀から19世紀までの主な韓国資料など、 韓中日の主要資料から、その用例の有無 を確めることに依り、韓国に入った外来飜訳漢語を確認し、韓国への受容の過程を明らかにした。 研究の結果は以下のようである。 1. 開化期以前の韓國において、 ‘建築’は使用されなかった。1880年代後半ごろ、朝鮮修信使に依り、‘建 築’という翻訳漢語が韓國に紹介されたが、1890年代までは一般化されなかった。韓国で‘建築’が一般化 されたのは、1910年以後に至ってからである。 2. ‘寫眞’という言葉は、開化期以前から“ありのままの姿を描く”という意味で使用されていた。近代的意味の ‘寫眞’という漢語が韓國に紹介されたのは、1880年代の朝鮮修信使に依るものである。 1890年代に入っ ては韓國語に完全に定着するようになった。 3. ‘新聞’は開化期以前の韓国で、‘新しい便り’という意味で使用されていた。‘newspaper’の翻訳語として使 われていた‘新聞紙’という漢語が、1876年朝鮮修信使に依って、韓國に紹介され、1880年代まで、‘新聞 紙’は‘newspaper’の翻訳語として使われていた。1890年代中盤から ‘新聞’と‘新聞紙’は‘newspaper’の翻 訳語で使われ始めた。このような現象は1930年代まで続いた。
4,600원
本研究は、学習者が自ら脚本を書き、観客の前でそれを演じるというドラマ作り活動においてどのような日本語 学習の場を提供できるかを考察したものである。ドラマ作り活動には、言語の4技能の学習が含まれており、文脈 に即した日本語表現や談話技能の育成など総合的な日本語学習が期待できる。この活動は学習者のグループを 核に行われるが、ドラマ作りの過程における学習者間のインターアクションやピア․ラーニングもまた日本語学習に有 効である。学習者を「学びの主体」と位置付け、教師は語学的指導を行いながら、その学習活動を支援してい く。 今回の実践では、22人の学習者が4グループでドラマ作りに取り組み、約2ヶ月をかけて作品を完成させた。 学習者は樂しみながら協力してドラマを作り上げ、同時に様々な日本語表現を学んだ。この間の授業記錄や学生 のフィードバックをもとに、その学習過程や成果を分析し、日本語学習としての有効性を検証した。
6,100원
韓国文学が日本に紹介され100年を越えた。この時点において、韓国文学は日本にどう紹介され、どう受容さ れてきたのか、体系的で専門的な研究の必要性が求められる。韓国文学の日本語翻訳・紹介は大きく解放前と解 放後に分けて考えられる。解放前までの韓国文学の日本語翻訳は古典文学が主になっており、日本の韓国支配 と深く関係していた。解放後は朝鮮戦争、分断、軍事独裁、民主化など韓国内の歴史的・政治的な背景を反映 した文学が日本に紹介された。2002年12月を基準にすると、日本に紹介された韓国文学は、単行本571種、個 別作品9031種に上る。これは、中国語やフランス語よりも多い数である。それにもかかわらず、韓国文学は日本 では「売れない」というレッテルが貼られ、東アジアの一地域文化として消極的な評価を受けてきた。本研究はこ のような状況を顧慮し、日本の出版の現状、大型出版社の韓国文学に対する関心度、新聞や雑誌などの韓国文 学に関する記事を調査し、日本における韓国文学の受容状況を分析して韓国文学の日本紹介の問題点と対応策 を提示した。
4,000원
『平家物語』における建礼門院という登場人物は平家一門の歴史を背負って物語の結びを飾る、その特別な役 割で語られる登場人物の一人である。特に、延慶本『平家物語』においては、この女院自らの波瀾万丈な生涯 が六道という回路を通じて説かれており、それによって一門への許しと鎮魂という宗教的な次元に導いていく物語の 機能は注目に値する。 本稿は、物語に挿話として叙述されているように、かつて「玄弉三蔵」、「日蔵上人」ほどの人物にのみそ の可能性が開かれていた六道体験が女人である建礼門院の生涯を説く構図として成り立つ意義を考えながら、物 語の構成を考察してみたものである。 軍記物であると同時に、歴史に根を持つ叙事的な物語の特性上、この『平家物語』が大まかな部分で同時代 の公家日記等の資料と相応するのは周知のことだが、にもかかわらず、六道語りの構図における女院の生涯関連 の叙述と歴史的な資料の不一致はあまりにも目立つ。それに関しては、他諸本と異なる、この延慶本『平家物 語』の編著者の作為を考えざるをえない。それゆえ、本稿は歴史的な資料と女院の六道語りを対照しながら、そ こにみえる異動を意図的な作為と看做し、その背景と考えられる時代的な意味を吟味して考察を進める。
4,200원
韓国はかつてのない日本文学ブームの最中にある。にもかかわらず、古典文学は苦戦している。大学での教 育や研究の領域でも忌避されている。そのような現状の意味をおもく受け取って、本稿は韓国内での日本古典文 学研究の問題点を究明し、今の現状を打破できる道を模索しようと目論んだ。 まず、古典文学忌避の一つの原因を文化としての文学の歴史における古典文学研究の領域から探ってみた。 すなわち植民地としての経験を持つ韓国で、日本文学研究は日本帝国主義文学として出発していることの意味に 注目したのである。韓国の研究者の無意識の内部に巣くっている、日本語․日本古典を権威とする、植民性を認 識するに到った。その植民性から脱皮することで古典文学忌避の現象をも打破できる。 植民性から脱皮するためには日本のナショナリズム構築の有効な方法として,近代国民国家創設時に作られた日 本語、古典という権威を解体しなければならない。しかも権威としての古典の位相が日本国内に限ったものでなく 海外にも利殖されているがために、日本古典文学の韓国語翻訳がなされ、研究の領域で取り扱われるようにすべ きであると提案した。たとえば、『源氏物語』を古典原文で研究すべきだという発想の転換が必要である。欧米 での源氏研究における源氏翻訳の役割を参照すべきであろう。翻訳の活性化で韓国国内での諸文学研究者、そ して日本、外国研究者との研究交流や連帯が可能になり、固有性を保ちながら普遍性を志向する多文化多文学 の共存の道が開けられるであろう。
4,500원
明治初期の日本では、「キリシタン禁制高札」が閉止されるまで「居留地」内の外国人以外にはキリスト教が 禁止されていた。「内村鑑三不敬事件」以降キリスト教は日本の国体と相容れないという通念が流布して苦境に 立たされた時期もあった。 明治初期にキリスト教を信じ、中心的な働きをした人々の特徴に「バンド」の形成があったが、そのなかでも有 名だった横浜バンド、熊本バンド、札幌バンドなどの構成員は大体が武士家出身である。 武士はなぜキリスト教に入信したのであろうか。武士の生きる価値は、主君のために生きるということにあった が、幕府の没落とともに生きる価値であった主君が消滅し、職業も失った。武士は英学を学び立身出世しようとし て入った英語塾からキリスト教と接し、武士道と合い通じる物がある、新しい価値観をキリスト教から見つけ出すよう になる。
4,500원
本稿は昭和十七年の「花の町」という作品が戦時下での井伏鱒二のアジア占領に対す精一杯の抵抗小説で あったことを検証するために、作品に現れている言語観に注目して考察した。すでに昭和十二年発表された「『槌ツァ』と『九郎治ツァン』は喧嘩して私は用語について煩悶すること」という作品に、日本の国内での「文 化帝国主義」的な言語政策をモチーフにし、遺憾を表わしていたことが確認できた。「花の町」ではこういった井 伏の言語観がその間変わっていない事、いやむしろ「文化帝国主義」的な言語政策への不信感が募っている事 が明らかになった。「『槌ツァ』と『九郎治ツァン』は喧嘩して私は用語について煩悶すること」では、農村の封 建的な差別的言辞と、都会語と方言との差別を通して、言語のヒエラルキーに潜む暴力性を描き、「花の町」で は植民地での日本語の強制的普及による現地語に対する日本語と、英語に振り回されている日本語というヒエラル キーを描いているのである。但し、両作品においての語り手の立場は違ってきて、「『槌ツァ』と『九郎治ツァ ン』は喧嘩して私は用語について煩悶すること」では、語り手「私」は攻められる側にあるが、「花の町」は主 人公木山が攻める側に属している。 「『槌ツァ』と『九郎治ツァン』は喧嘩して私は用語について煩悶すること」で郷里のことばにはその人々の アイデンティティと深く結びついてたやすく崩壊するものではないという言語観を持っていた井伏は、標準語が話せ る山形弁の神田という人物を設定し、日本語を強制的に余所の国で押し付けることに反感を覚えていたであろう。 即ち日本の占領政策の風刺を、検閲を通過できるように配慮しながら、戦時下での井伏の精一杯の抵抗小説とし て読めるように井伏の捻りがあった作品である。
청년지식인 근대체험의 두 양상 -나쓰메 소세키(夏目漱石)의 『三四郞』와 廉想涉의 『萬歲前』의 비교-
한국일본학회 일본학보 제62권 2005.02 pp.231-250
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夏目漱石の『三四郎』と廉想渉の『万歳前』を通じて知識人青年の近代体験の様相を比較して見た。 先ず、近代体験の内の青年知識人の様相を考察したが、それによると『三四郎』での三四郎には近代化を象 徴する汽車を通じて上京する道が未来に対しての希望とときめきで満たされていたが『万歳前』の李仁和の汽車 を通じての旅路は死と暗闇が待っていることを表しているように結局互いに対照的なイメージで近代化の象徴である 蒸気機関車にのっていることが分った。 次に、二つの作品を三つの観点、すなわち‘東京の意味、青年におけるの女性の意味、それから近代知識人 の周辺’に分けて比較して見た。考察によって確認できたことは、『三四郎』と『万歳前』に見る青年知識人の 様相は対照的なイメージだということであった。三四郎の生は知識人青年の非常に正常な生の姿として見ることが できたが、李仁和の生は植民地の国民の歪曲していてゆがんだ自画像を見せているという点から個人の生は決し て国家と遊離しては考えることができず、時代精神から逃れることができないという事実をもう一度教え悟らせてい る。 二人の青年はどちらも絶望を味わう。三四郎の苦痛が失恋によっての個人的苦痛だとしたら李仁和のそれは時 代と正体性の苦痛である。両方とも個人にとっては大切なことである。しかし、これら青年知識人の苦痛は自意識 の成長する段階で感じられる健康な苦痛のように判断できる。 二回にかけて『三四郎』を読んだ廉想渉は暗欝な時代の青年知識人の自画像を、決して『三四郎』のように 浪漫的に描くことができなかった。かえってその正反対の様子が韓国の青年知識人の情緒を表していると考え当時 の韓国の現実を『万歳前』を通じて表現したと思われる。
1920年代植民地期 朝鮮における隣保館事業の設立と動向 -京城府を中心として-
한국일본학회 일본학보 제62권 2005.02 pp.251-266
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本稿は1920年代植民地期朝鮮における隣保館事業の設立と動向について考察した論文である。まず隣保館と は何か?その定義を調べた上で隣保館事業の設立と動向を社会事業行政の成立、行政連絡統制機関と関連させ ながら施設史中心の視点から調べてみた。又は隣保館事業並び社会事業の財源がどこからどのようにして分類さ れ、分配されていたっのか、その性格を当時の新聞(東亜日報․京城日報)、雑誌(朝鮮社会事業)等の記事を通し て分析してみた。 隣保館事業とは日本、米国、英国等世界的に流行したSettlement Workの訳語で、朝鮮でも1920年代に入る と時勢の要求により社会事業施設と共に京城府だけでなく全国的に次々と設立されていった。隣保館事業の意味 は植民地․開拓地等の貧民街․零細街で住民生活に接触しながら生活向上を指導する事業、調査、施設、機関の ことをいう。その意義は同化事業、植民事業のことをさす。その意義と価値を知っていた当局は後に統治目的の 一環として官民一体となって全国隅々に民心融和のために隣保館やその他の社会事業施設設立に尽力していく。
4,900원
本稿は外国人留学生の設問調査結果を踏まえて理工系分野外国人留学生のための予備教育と予備専門教育 の必要性について強調し、韓国の留学生教育現状について国立大学と私立大学を中心に調べた。また、1980年 代から留学生誘致政策を実行して体系的な留学生教育を行っている日本の実践的事例を考察して、留学生予備 教育に関する必要性の認識とこれらを行うための専門施設の確保および予備(専門)教育プログラムの充実など これから韓国における留学生教育研究に役に立つ示唆点が得られた。外国人留学生を対象に実際に行った予備 教育の実践事例を紹介した。また、留学生予備教育の現実的な実践方案として大学のカリキュラムを提示しこれら の具体的な教科目を提案した。
5,200원
本稿は、戦後占領期の日本映画がどんな時代性を持って展開されたかを考察し、また戦後日本映画全盛期に どのように繋がったかを考察することに目的がある。敗戦により日本映画界は戦前の戦争に対する責任性のため緊 張したが、政府の強力な映画統制をのりこえ、自由な主題、素材、製作 等を期待する希望をもつことになった。 しかしながら、占領軍に依る映画統制が行われ、占領軍の想定した時代精神、哲学、政治的意図 等を反映しな ければならない、映画検閲時代に入った。当時、映画統制は日本の時代性を反映する同時にアメリカの時代性を 反映する二重性をもった特徴がある。時代性を作った外部的力は、日本敗戦, 占領軍、国際情勢としての冷戦, 映画人、日本国民、西欧思想 等であり、時代性は 啓蒙性、反日本性, 反社会性, 反政治性 等として表われ た。映画の時代性は日本で生じられたものだはなく、アメリカの一方的な力で形成された他意的な時代性に他なら ない。特に、伝統に対する強制的な抛棄は伝統に対する郷愁と生され、新しい思想に対する強制的獎励は新し い思想と専門性と繋がり、日本映画は全盛期に向うこととなった。
5,700원
日本地方政府の國際化政策の性格は(ア)對象地域がアジア地域へ変わっていること(イ)內容及び方法の 面で單純な交流と人的交流から國境を越えて地域で共同對応しなければならない環境などの分野に廣がっている こと(ウ)國際化の主体が地方政府から市民が參加する市民參加型に変わっていることがわかった。 このような変化は特に韓國と中國を對象にする國際化政策でより明確である。日本の地方政府は世界のどの地 域より韓國と中國と姉妹關係を結ぶ事例が急增しておりこれから交流協力希望地域として韓國と中國を含む東アジ ア地域を希望している地方政府がもっとも多かった。また韓國と中國との姉妹關係を結ぶ主体の変化も明らかで地 方政府主導型から市民參加型に変わっている。そして國際交流の內容も單純な交流から相好協力に変化してい る。 卽ち日本地方団体の國際化政策において韓國と中國の重要性は增加しておりこのような現像は韓國、中國、 日本が抱えている歷史的な経驗による中央政府間の交流の限界を克服する道でもある。
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本稿では1990年代後半以降日本で行われている国家と市民社会観の関係変化が起きた動因は何かということと、そういう変化は伝統的に理解されてきた「強い国家」日本を根本チェキに変えさせることができるか、このような国家・市場・市民社会の関係変化を一般的に理解できるモデルは何かについて論じている。また、1990年代後半以降、日本でNPOが急増する現象が意味するところは何かにういても明らかにしようとした。 世界的に国家が相対的に衰退し非国家アクターが台頭するようになった原動力は冷戦の崩壊と情報通信技術の発展にある。国家と市場と市民の力学関係委が再配置されており、各国政府は非政府組織(NPO)と呼ばれる新団体と権力を共有しなければならない立場に置かれている。日本も例外ではない。但し、日本ではそういう統合空間の調整がより劇的に表れた。大地震という目に見える地殻変動と、55年体制の崩壊と経済的景気沈滞、高齢化という政治掲示的地殻変動がほぼ同時進行されながら、他の先進工業国に比べて政府・企業・市民の統合空間の調整が目に見える形で行われたのである。日本の経済成長を支えてきた日本型システムが動揺しており、それを代替または補足できるような新しい力の移動が行われていると言える。
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幼児期は社会道徳性が形成される基礎の時期である。現在い、多くの国で教育問題や社会問題が発生している。そして多くの国で幼児期の社会道徳性の発達に関心を持っている。日本も幼児期の社会道徳性の発達に関して力を入れているところである。本稿では最近、日本で行われている幼児期の社会道徳性の発達に関する研究の動向を連投してみた。その結果、はじめに、日本で行われている幼児期の社会道徳性の発達に関する研究は共感と事故調節能力を変数にする研究が負いとのことである。二番目に、研究の内容が文化や社会の文脈的な視点を入れている研究が多いとのことである。三番目に、研究方法論の多様化で新しい研究方法を試図し、今まで明らかにすることが難しかった具体的な幼児の発達を明らかにしていることである。 本稿ではこのように日本で行われている幼児期の社会道徳性の発達に関する研究の動向を、親社会的な行動および共感の発達、社会的な葛藤の場面での相互作用に分けて検討してみる。
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한국에서 나쓰메 소세키(夏目漱石) 문학 연구성과와 과제 조명 -번역본과 단행본 출판을 중심으로-
한국일본학회 일본학보 제62권 2005.02 pp.359-374
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한국에서의 일본 중세 극문학 연구의 성과와 전망 -특히 노(能),교겐(狂言) 연구의 과제 제시에 초점을 맞추어-
한국일본학회 일본학보 제62권 2005.02 pp.389-398
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