2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,500원
本稿では、韓国語と日本語の結果構文を対象にその分類の問題について考察し、先行研究での二分法的な分類では捉えきれない現象があり、この現象を説明するためには結果構文の段階性を認めた上での分析が必要であることを主張した。まず、英語の多様なタイプの結果構文と比較し、どういうタイプの結果構文が韓国語と日本語で許容されるのかを明らかにした。また、鷲尾(1996), Washio(1997a,b), 影山(2006)を中心とした先行研究を検討し、先行研究での二分法的な分類(‘強い(strong)/弱い(weak)結果構文’, ‘本来的/派生的結果構文’など)では適切に説明しにくいタイプの結果構文が存在し、このようなタイプの結果構文は中間的な性格の結果構文であることを明らかにした。こういった考察を通して結果構文の分類やタイプの分析において、影山(2006)の分析のような結果構文の段階性を認めることの重要性を主張した。なお、対応する両言語の結果構文において、結果句の意味的制約が異なることを確認し、これは動詞の‘目的役割の慣習化の範囲の差’によるものと分析した。最後に、‘彼はケーキをおいしく焼いた’、‘그는 케이크를 맛있게 구웠다’のような結果構文を、結果構文ではないとする先行研究について考察し、このようなタイプの結果構文は真正の結果構文であることを明らかにした。
공공사이트의 ‘리더빌리티’에 관한 일고찰 ― 한-일 번역 사이트를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제86권 2011.02 pp.15-24
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4,000원
国際化や情報化、'多文化社会'などの現象が進む中、最近、韓国では公共機関が運営するインターネット․サイトで外国語サービスを行うケースが増えつつある。それらのサイトにアクセスし、韓-日の翻訳が行われたコンテンツを読むのは、主に韓国に何らかの関心を持っている日本人である。また、日本語サイトを運営する目的は、単に情報を提供するためという場合もあるが、日本からの観光客や投資の誘致といった、実質的な目的を伴う場合も少なくない。本稿では、韓国の'公共サイト'の日本語の文章が、日本の読者にとって分りやすく作成されているか、リーダビリティーの観点から、4つの要因について実態を調査、分析した。全般的に、ひらがなの比率が相対的に少なく、文当りの文字数が多い(文が長い)ことが確認された。公共サイトは情報伝達が狙いのテクストであるため、これを翻訳する際には、似たジャンルの日本語の文章の規範を尊重し、文ができるだけ長くならないようにするなどのストラテジーが求められる。
4,300원
本稿は、江戸幕府末期から明治期にかけて活躍した国学者で神道家として知られる落合直澄に注目し、その著『日本古代文字考』の構成および主張内容について吟味したものである。とりわけ「神代文字」の存在を主張する本書に韓語が提示された理由や落合の韓語理解の方法等を明らかにしようと試みた。落合は『文字考』を通じて平田篤胤の『神字日文伝』に支えられつつ、<日本固有の文字が太古から存在した>とする見解、すなわち日本にかつて「神代文字」が存在しており、12種の字体が現存すると主張する。その一つが「阿比留字」である。落合は「阿比留字」は音節文字の日本語の仮名では表すことのできない「字父母」すなわち子音․母音が分離できるとしているが、その字体がハングルと類似していることから韓語についての議論を強いられたものと考えられる。一方、落合は「朝鮮諺文」と題する章で「諺文ハ日本ヨリ伝フ」とする主張と「阿比留字ハ諺文ノ前ニアリ」という主張を繰り広げるが、「阿比留字」とは平田が示した「日文」を五十音図の枠の中に配置したものに過ぎず、その前提はやはり子音と母音を分離して座標として提示できるという考え方にあった。つまり、五十音図のシステムの中で韓語を理解しようとしていたわけである。さらに、落合はハングルを仮名に置き換える手法を取り入れているが、これは江戸後期漢字音研究者たちのやり方をそのまま踏襲したものと見受けられ、その際には平田同様『訓蒙字会』が利用されている。結局、「明治以後の存在説最高の文献」と評価されている『文字考』であるが、その主張するところは平田および先行する研究者たちの祖述の域を越えておらず、韓語についての理解も当代の研究水準とは掛け離れているということ等を考え合わせると、『文字考』は、「神代文字」存在論の学問的な限界を露呈した「愛国談」の一つとして位置付けられると考えられる。
4,800원
本論文は、中古の文章『枕草子』における混種語と同時代の作品『源氏物語』における混種語を取り上げ、その実態について対照分析し、考察を加えたものである。まず、作品に用いられている総語彙数は、『枕草子』より『源氏物語』のほうが2倍以上も多いが、それぞれの作品に含まれている混種語の割合は、『枕草子』には178語(3.4%)、『源氏物語』には418語(3.7%)で、ほぼ同じであった。各々の作品で占める漢語の割合に比べては多くの混種語が存在していることに気づいた。次に、両作品の混種語を品詞によって分類してみると、両作品ともに他を壓して名詞と動詞とが顯著であり、全体の約90%を占めていた。そして、両作品において混種語の大部分を占める名詞と動詞の語例を語構成によって分類し、それらを対照してみると、混種語名詞の場合は、『枕草子』の場合は7種類、『源氏物語』の場合は8種類に分類された。そのなかで両作品ともに「漢語+和語」「和語+漢語」の語例が多く見られた。混種語動詞の場合は、その語構成が『枕草子』より『源氏物語』のほうがもっと多様であり、『源氏物語』においては三次的に結合している混種語も存在した。一次的混種語動詞の場合は、両作品ともに「漢語サ変動詞」のものが多数を占めており、複次的混種語動詞においても、漢語サ変動詞が構成要素として主に活躍して多くの混種語を生産していた。それから、『枕草子』も『源氏物語』も中古の女房によって書かれたものであるが、その語彙の使用には個人的片寄りが相当あった。また、『枕草子』にも『源氏物語』にも多く登場する混種語は、名詞の場合、官職名または人を表す語が多く、動詞の場合は、漢語サ変動詞がほとんどであった。それらは中古中期の女房たちがごく一般的に使っていたものであるといえるであろう。
4,600원
本稿は新語․流行語としての「族語」の変遷過程を通じて日本の時代流れの推移を考察しようとしたものである。族語は一つの時代において特定の部類を表す場合が多く、主に若者の行動様式を反映する傾向が強い。しかしながら、その当時の社会状況を忠実に反映しているものも少なからずあり、その中では今や辞書の見出語として定着しているものも存在する。1940年代に「斜陽族」から始まった族語は1950年代から世相を写し出す一つの社会現象として定着しつつ、世相語の一角を成す。1960年代から1970年代にかけては、高度經濟成長期に差し掛かった時代を背景に若者の自由奔放な行動パターンを表す族語が目立ち、ファッション関係の族語が多いのも特徴的である。1980年代はテレビを中心とする大衆媒體の発達による社会文化の形成が主を成す。個人主義によるコミュニケーションの欠如と共に強力化しつつある女性パワーもこの時代を飾っている。1990年代は、今までの意味深い族語とはやや性格を異にし、どこにでも「族」をつける傾向が見られる。無論、その中には職場関係および若者の行動様式を中心とする意味深長な族語も存在する。2000年代に入ってからは「族語」よりも「系語」や「ラー語」で若者の行動パターンを表す傾向にあるものの、IT関係およびアイドルの低年齢化に伴うローティンの行動様式を中心に族語も健在である。その他、家族などを表す用語も調べた。このような各時代の社会像を反映した世相語としての族語の変遷過程を通じて我々は各時代の移り変わっていく変貌の様子を読み取ることができる。
4,500원
本稿は複数音節の接尾語と1音節接尾語の語構成の相違を確かめるため、接尾語「カ」が作る「カ型語幹」形容動詞の内部構造を考察したものである。そこで「カ型語幹」形容動詞の語基の拍数と末尾母音の種類と品詞的な性格を中心に検討してみた。結果は次のとおりである。まず、拍数は2拍より3拍のものが多いのであるが、2拍のものはほとんど早い時期に派生され、「カ型語幹」の古さを考えさせられる。次に末尾の母音は、ア列音とオ列音のものは同じく22.8%を占め、なおイ列音とウ列音のものも同じく20%で、特定の母音に対する偏りは見られないのである。特にア列音とオ列音、ウ列音の語基は被覆形を形成するもので、「カ型語幹」の情態的な性向を表している。また、語基の品詞的な性格は、「語根的なもの」が一番多く、動詞と関連するものは35%であるが、殆んど四段動詞、上二段動詞、下二段動詞のもので、平安中期以降に派生され、特に動詞の連用形との結合は新しい構成法であると見られる。このように、「カ型語幹」の語基になるものは、語根的なもの、動詞、形容詞、副詞と深く関わっていることが分かる。その中でも「語根的なもの」の比率の高さは「カ型語幹」の古さとの関連性を表わしていると考えられる。結論的に語基の拍数と末尾母音と構成方式との関連性は見られないし、/e/音以外の四つの母音は平均的な比率で、特定の音に対する趣きは見られないのである。ヤカ型とラカ型とは異なり、形容動詞語幹を語基とするものは皆無で、さらにケシ型形容詞語幹を語基とすることがわかる。このような「カ型語幹」は文献時代以前のものと推定されるものも多くあって接尾語としての分析が難しいものも多いのである。つまり、一拍の接尾語「カ」は複合接尾語「ヤカ」と「ラカ」に比べ、形容動詞を作る接尾語としての意識が薄れてゆき、だんだんその語根に溶け込まれつつあり、内部要素即ち、造語成分的なものになり、複数音節の接尾語とは異なる特性を取っていることが考えられる。
4,000원
本稿は、[和語名詞+和語名詞]型複合名詞について、構成素間における意味関係に注目して語構成分析を行ったものである。『学研国語大辞典』の立項語から検出した2116語を調査対象として整理した結果、両項の間には「前項+連用格助詞+述語性の認められる、動詞その他+後項」型といった共通する構成形態を有するものが多く、該当語は1736語(82.1%)に及んだ。なかでも、連用格助詞が「ニ」であるものが最も多く、707語(33.4%)であり、「ヲ」であるものが375語(17.7%)である。他に、「ガ」「デ」「カラ」「トシテ」「ゴトニ」が連用格としてを想定され、それぞれに見合った用言と組み合わされて前項と後項とが結び付いているのである。さらに、比喩を表す「ノヨウニ」と、それを受ける用言によって結び付いているものも見られた。並立関係を示す「ト」によって結び付いているものは71語(3.3%)であり、意味関係の最も多様な格助詞「ノ」によって結び付いているものは228語(10.8%)である。また、前項と後項だけでなく、その外にある意味が内蔵されて構成されているものがあり、コト․モノ(物)․方角に分けて捉えられるが、併せて81語(3.8%)という結果となったのである。
4,000원
本稿は、1897年、韓国人のための日本語学習書として作られた『日語独学』の具体的な内容を学界に紹介し、言語資料として本書の持つ意味を考えてみようとしたものである。日本語学習書として本書が注目されるのは、春園李光洙が、少年時代、日本留学を前にして本書を日本語学習に用いるなど、韓国における近代草創期の代表的な日本語教科書であったからである。調査の結果、本書の日本語は、全体的に近代東京語の言語現実を反映しているものであり、部分的には関東方言の痕跡も見受けられ、近代日本語の資料として資し得る性格のものであることが分かった。また、本書の日本語のハングル表記には、二重母音に関わる現象など、日本語と韓国語の音韻史研究に活用できる事象が散見されており、今後のより細密な検討が必要であるように思われる。なお、本書に収録されている韓国語は、近代韓国語の語彙史的な側面から興味深い資料的情報を提供し得るものであることが確認できた。
4,000원
本研究は、遠隔地(日本)の日本語母語話者教授者(以下,JT)が韓国の高等教育の日本語授業にインターネットによる画像参加を試み、現地の日本語非母語話者教授者(以下,KT)とティーム․ティーチング(以下,T․T)を実施した実践授業を報告するものである。具体的には,韓国の大学における初級レベルの講読授業にJTが画像で参加し,T․T授業が実施された。受講した学習者の質問紙調査によると,JTの役割としては会話及び発音(矯正)分野で必要性が高く,T․T授業は単独授業よりも全分野で有用だという結果になった。また,講読授業ではT․T,KTのみ,JTのみの順で効果的だと回答しており,JTの役割として単語及び本文音読の満足度が高かった。今回の画像参加型日本語講読T․T授業では,一般の講読授業では学習できない発音やアクセント及び書き言葉の音読に関しても学習でき,学習者の日本語の「読む」技能に加え「話す」「聞く」技能の向上に貢献できたと考えられる。
4,200원
2005年から現在まで本大学の日本語科の学生40人に毎年の夏季休みを利用して日本研修を行っている。本稿ではこの研修についてまとめたもので、この研修は、学生たちの専攻に対する動機付与、現場感覚を身につけると同時に専攻である日本語力を向上させ、グローバル時代に敵した能力と実戦感覚を併せ持つ、社会が求める人材を育つのがその目的であった。 この研修の成果として、日本という異文化に対する理解や日本語や日本人に対する恐怖心の解消、専攻授業に対する自信感などが挙げられる。即ち、研修に参加した学生には研修に参加できなかった学生に比べ、授業中や学内生活の中で積極的な姿勢をみせたり、日本人の先生により多くの会話をしたがる学生が増えたのが目に見えるほどだった。 本大学の研修は長年のノーハウを生かしてより限られた時間により効率的な研修を目指していろいろな工夫をしてきたが、その一環として事前の「Wab會議」における相互交流と「サバイバルミッションゲーム」を通した学生の参加を実現していることである。姉妹校との交流を活性化させ、研修の効果を極大化させるためには、まず、両校の学生同士の距離感を無くし、積極的に交流に望むことなのだから、Wab會議を通して友だちになれるように働きかけたのが研修を成功させた理由の一つであった。もう一つは、過去の研修で、学生たちはグループ活動のとき、自ら積極的に動かず、日本語が上手な学生に頼ってしまう傾向をみせたので、これを何とか解決しなければ、せっかくの研修が日本人と話すチャンスもなく終わってしまうことであった。それを極服するためにサバイバルミッションゲームをし、語学力が足りなくても一人で課題を遂行していけば、人に頼らずに、日本人と対話ができ、自信感を持つだろうと思って行ったが、研修が終わってからいちばん効果のあるプログラムとして選ばれた。研修には学校からの多くの支援がなければならない。これからも多くの学生が参加してより効果的な研修を作って行きたい。
ナル형 경어와 レル형 경어의 사용상의 기준― 복수의 존경어 형식이 혼용되고 있는 예를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제86권 2011.02 pp.121-141
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5,700원
本稿では日本聖書協会刊行による新約聖書(新共同訳)の4福音書を言語資料として、ナル型敬語とレル型敬語が混用されている例の中から、6つの動詞を対象に、これらの形式が果して如何なる基準によって使い分けられているかという使用実態を具体的に検討することにより、両者の使用上の基準を考察した。本稿で考察した内容を整理すると、以下の通りである。[1] [ルカによる福音書]では、奇跡を行う<イエス>の行為に対しては、甚大で抽象度の高い事項として把握し、このような<イエス>を<神>と同格と見なし「お帰しになる」が使われており、<イエス>による行為であっても行為の対象が特定されており、個別的で具体的な事件として把握される場合には「帰される」が使われている。[2] [マタイによる福音書][マルコによる福音書]では、<イエス>の行為が甚大で抽象度の高い事項として把握される場合には「お教えになる」を使用しており、<イエス>の行為が個別的で具体的な事件として認識される場合にはレル型敬語「教えられる」を使用している。[3] [ヨハネによる福音書]では、<神=父=あなた>の行為については「お与えになる」を使用しており、<イエス>の行為に対しても、イエスの神的な存在を強調するためにナル型敬語が使われていることが確認される。一方、同じ<イエス>の行為であっても当該行為が具体的で個別的な事件を意味する場合には、相対的に敬意度の低い「与えられる」が使われている。[4] [ヨハネによる福音書]では、<父=神>の行為に対し、[マタイによる福音書][マルコによる福音書][ルカによる福音書]では奇跡を行う<イエス>の行為に対して「お命じになる」が使われている。一方、<父=神>に関する事項であっても当該行為が神の絶対的権能を積極的に意味しない場合に、[ヨハネによる福音書]では敬意度の低いレル型敬語を使用している。また、[マタイによる福音書][マルコによる福音書]では<イエス>の行為に対し、行為対象が特定されており、当該行為が個別的で具体的な事件を意味する場合には「命じられる」が使われている。同様に[ルカによる福音書]では<イエス>の行為の中で奇跡のように<神>の絶対的権能に属する事項である場合でも、当該行為が個別的で具体的な事件として把握される場合にはレル型敬語が使われている。[5] [マタイによる福音書][マルコによる福音書]では、<神>の行為に対して「お造りになる」が使われている。一方、[ルカによる福音書]では、同一文において<神>の行為に対して「お造りになる」と「造られる」が混用されているが、本稿では文末で強い反問を提起するために短形のレル型より長形のナル型に否定表現を接続した方がより相応しいと判断してナル型敬語が選択され、これによってその前に来る連体修飾節では短形のレル型敬語が使われたと解釈する。[6] [マタイによる福音書]と[ルカによる福音書]では<父>の行為に対し「お示しになる」が、そして[マルコによる福音書]では<人間イエス>としてではなく、絶対的権能を備えた<神>と同格と見なす場合、<主=イエス>の行為に対し「お示しになる」が使われており、[ヨハネによる福音書]では<独り子である神>に対して、その上位に位置する<神>に対する敬語的配慮からナル型敬語ではないレル型敬語が使われている。一方、<父=神>の行為に対して同一文においてナル型敬語とレル型敬語が混用されている例もあるが、同一なる<神>と関連した事項であっても行為内容の範疇的な違いに基づいて個別的で具体的な事件を意味する場合にはレル型敬語が、包括的で抽象度の高い<神>の絶対的権能に属した事項を意味する場合にはナル型敬語が選択的に使われているという行為内容における異同が指摘される。以上のように本稿で考察対象とした6つの動詞のナル型敬語とレル型敬語の使い分けにおいては、1)<神=父=あなた(父)=主(イエス)>又は<イエス>であるか、その他であるかという敬意主体の区別、2)当該行為が甚大で抽象度の高い事項であるか、若しくは個別的で具体的な事件であるかという行為内容の範疇的差異、3)地の文であるか対話文であるかという文体上の差異など様々な要因が個別的かつ多重的に関与している。そしてこのようなナル型敬語とレル型敬語の混用は、単に表現上の技巧を目的とした同一敬語形式の反復を避けるためのものではなく、飜訳者の立場から - 高度に選択された(意図された) - 同一動詞に複数の尊敬語形式が存在する場合、その余剰性を日本語聖書における敬意主体の区別に反映させている。以上、複数の尊敬語形式が混用されている6つの動詞から観察される使用上の基準は、李成圭(2010a)で「おっしゃる」と「言われる」を対象に行った使用上の基準、李成圭(2010b)で「おいでになる」と「行かれる․来られる」を対象に行った使用上の基準、李成圭(2010c)で「なさる」と「される」を対象に行った使用上の基準と概ね一致する。
4,200원
本研究では、日本語の定型的な行為要求表現の肯定疑問形とその否定表現について、主観的判断の丁寧さ(以下、丁寧度)を測定し、定量化を行う。そして、日本語の行為要求表現の否定疑問形は、果たして肯定疑問形より丁寧度が高くなるのかどうかを実証的に検証することを目的とする。具体的には、日本語の定型的な行為要求表現に対する丁寧度と、その否定表現の相互間の丁寧度についての違いを定量的に検討した。また行為要求表現の肯定疑問形と否定疑問形の丁寧度は動詞の種類によって異なるかどうかを検討した。回帰木の分析の結果、5種類の定型的な行為要求表現の肯定疑問形とその否定疑問形の丁寧度は、1「~てくれる?/~てくれない?」<2「~てもらえる?/~てもらえない?」<3「~てもらえますか?/~てもらえませんか?」<4「~てくださいますか?/~てくださいませんか?」<5「~ていただけますか?/~ていただけませんか?」の順に高く、先行研究の指摘と一致することが明らかになった。(2)しかし、否定疑問形の丁寧度が肯定疑問形より高くなるかについては、「~くださいますか?」と「~ていただけますか?」のみに有意な差が認められた。つまり、敬度の高い肯定表現をさらに否定する場合にのみ当てはまることが分かった。(3)動詞の種類による丁寧度の違いは認められなかった。
付帯状況を表す「~タママ」と「~ナガラ」節について― [維持]というアスペクト的性質の観点から ―
한국일본학회 일본학보 제86권 2011.02 pp.155-165
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4,200원
付帯状況を表す「~タママ」節が「~ナガラ」節と交替可能な場合、不可能な場合について、三宅(1995)を根拠として考察を行い、次のような結果が得られた。まず、[維持]の局面を持つ「~タママ」節と、[過程/維持]の局面を持つ「~タママ」節を対象として、「~ナガラ」節との交替テストを行ってみた。この交替テストによって、付帯状況を表す「~タママ」節と「~ナガラ」節との交替に関する成立条件においては、「過程」というアスペクト性質よりも「維持」というアスペクト性質が重要であることが分かった。次に、[維持]の局面を持つ「~タママ」節は、「~ナガラ」節との交替が可能である。当然、「~タママ」節は<変化の結果=状態>という語彙的な条件を満たさないといけないので、「~タママ」節と「~ナガラ」節との交替が可能であるということは、付帯状況を表す場合は、「状態+タママ」であるか、「状態+ナガラ」であるかということになる。この「状態+ナガラ」節は、<逆接>を表すのが普通であるが、<逆接>ではなく付帯状況として用いられる場合もあることが分かった。また、「シテイル+ナガラ」節も、「状態+ナガラ」であるため、当然<逆接>を表すべきであるが、付帯状況として用いられる場合がある。このことから、アスペクトにおいて動作か状態かという二分類ではなく、<ある状態を主体の意思によって、維持する>といった中間的な意味を持つ[維持]という性質も重要であると思われる。
전후 재일 코리언 문학의 변용과 특징― 오사카 이쿠노(大阪生野) 지역의 소설을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제86권 2011.02 pp.167-181
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戦後在日コリアン文学は民族的/脱民族的グルスギを経て、最近の現実主義的な世界観を見せるまで多様な文学的変容を重ねてきた。大阪(生野)は歴史的、文化的に戦後在日コリアン文学の変容において重要な空間であった。それは生野に内在化された済州道(済州4·3事件)、家父長的思考、日常化されたマイノリティ文化が戦後在日コリアン文学に具体的に形象化されたからである。特に済州道は伝統·生活文化と代弁される宗教意識、済州4·3事件、済州女性の強い生活力などが文学的に形象化されたし(金石範、金泰生、金重明、金吉浩などの小説)、男性中心の家父長的思考は結婚式、法事(祭祀)、男尊女卑思想などの形で描かれた(梁石日、宗秋月、金蒼生などの小説). そして日常化されたマイノリティ文化は生野の日常的文化と生活を中心に形象化される(玄月、元秀一、金吉浩などの小説). このように戦後在日コリアン文学は生野に内在化された在日コリアンたちの喜怒哀楽を歴史的、観念的な思考に解きほぐしながらも、生活周辺の地域的な環境、文化、日常から形成され拡張される水平的で根元的な人間本然の自意識を穿鑿する。言わば戦後在日コリアン文学は激動期の近現近史の中で理念、世代、国家間の対立と葛藤の形で点綴してきた大阪(生野)を叙事化することによって、彼らなりの文学的独創性を確保し文化的アイデンティティを維持·継承したのである。
4,500원
後藤明生は、1932年に朝鮮の永興で生まれ育ち、敗戦を向かえて引揚げていった作家である。後藤は少年期の植民地と引揚げ体験を多くの作品で書いているが、中でも短編連作『夢かたり』は植民地主義を考える際貴重な示唆を与えてくれる作品である。そこには植民地における人種化とともにさまざまな混交の様相が描かれ、植民地の入り組んだ構造を示す数少ない作品のひとつとなった。とくに注目すべきは、植民地における支配者と加害者間の境界にいた子供たちの存在であり、わけても植民地主義に荷担しつつも常にその立ち位置をずらしていた植民者の子供の視線は多くの可能性を作品にもたらしている。植民者による表現活動は加害や被害の二項対立的な認識に基づいて書かれたものが多く、その後の植民地理解を大きく限定した。しかし『夢かたり』をはじめとする後藤の作品群はそのような限界を越えていて、植民地主義の記憶が風化されていく今日改めての再評価が待たれる。
4,300원
漱石は英国留学の時期、意思疎通の劣等感と英文学との葛藤の中で憂鬱な日々を過ごした。留学期間中、彼は大学の講義を投げ出して家庭教師をやっているクレイグ先生の所に行くことになった。彼がクレイグ先生を選んだのはいろいろな事情があった。はじめ、英国に来た以上、円滑な意思疎通のため、努力しなければならなかったからである。次に大学での講義が‘形式’に偏っていた点が挙げられる。彼は大学の形式的な講義が自らの思想への‘自由’を束縛するような強迫観念が迫ってきてそこから抜け出そうとする意志を見せ始めた。結局、彼は言語に対する問題も解決できるし、思想の‘自由’が許されることで家庭教師であるクレイグ先生を適任者だと思った。彼は教習を受けることによってクレイグ先生との思想の同一性を発見すると共に先生の実用主義に基づく人柄すなわち、人間的な側面にも同化された。したがって、漱石はクレイグ先生によって見慣れていない英国社会を敵対視した感情構造から‘西欧文化の理解’への転換が可能となった。本論文では東洋人の漱石が英国の個人主義と実用主義を追い求める空間でクレイグ先生に出逢うことによって、思考への‘自由’と‘人間本位’の先生像にどう変化していくかを調べた。
다자이 오사무의 후기작품에 나타난 여성상― 『비용의 처(ヴィヨンの妻)』와 『오상(おさん)』을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제86권 2011.02 pp.209-218
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4,000원
太宰治の後期作品に当たる『ヴィヨンの妻』と『おさん』の時代的な背景は敗戰直後の混亂な狀態で政治、經濟、文化など 各方面で過渡期的な現状が見られている。この二つの作品は妻の観点で挫折して無能力な夫を語っている敗戰後の屈折された社會を描いた作品である。敗戰直後の時代的な背景はこの作品を読み取る重要なキーワードになっている。その当時の日本には各種の改革や変化があっだが一般庶民たちはあまり関係なく一日一日を生存していくのが精一杯であった。それは知識人や社會上層と一般庶民たちの間の隔たりを作品の中から読み取ることができた。この二つの作品は時代に同化されない夫の代わりに家庭を守り、子供を育てながら厳しい世の中を逞しく生きている女性が主人公である。『ヴィヨンの妻』の妻は無能力で不真面目な夫を一度も非難しない純朴な妻であるがだんだん苛酷な現實を経験し、社會の惡と妥協しながら“人非人でも生きてさえいればいい〃と冷徹に對應する強い生活人に變貌していく。『おさん』の妻は始終一貫して優しい夫の関心と家族団らんを求めている。そのためには夫の不倫まで我慢するが、夫がほかの女性と自殺すると今までと違って夫に対して厳しい批判をするように変わっていく。太宰はこの二つの作品を通じて幸福や不幸に関係されず逞しく母、妻として生きていく女性の生命力に敬意を表し、一方では男の苦惱を理解出来ない人物として女性を形象化している。
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本研究は朝鮮で<南洋>を素材とした日本語詩の南洋表象の問題、体制に協力的な朝鮮人知識人の<南洋>言説、また当時朝鮮半島で政治的·経済的·学問的イデオロギー生産に中心的役割を担当していた在朝日本人により刊行された日本語雑誌の<南洋>言説を分析したものである。それで従来取り扱われて来なかった在朝日本人と植民地朝鮮の知識人の言説の流通過程と<南洋>を巡った共通の認識を明らかにし植民地文学研究の新しい項目の設定を試みようとした。日中戦争を経て太平洋戦争が勃発し大東亜共栄圏建設、内鮮一体のスローガンが広まる中で、この国策に照応する形で朝鮮人の日本語文学が大量創作される。特に当時国策プロパガンダの役割を果した詩ジャンルでは戦争の当為性を主張する多様な内容の作品が書かれる。この時期<南洋>を画いた詩もこのような内容を内面化しながらも<南洋>の「原住民」に対する差別的な表象をとおして彼等を他者化しており、<南洋>の資源に対する高い関心が中心テーマとなっている。このような朝鮮の<南洋>詩や<南洋>言説を見ると当時<南洋>表象の特徴は、国策に協力的な朝鮮人作家·知識人が被植民地人でありながらも新たな植民地に対する位階的秩序の構築をとおしてもう一つの植民地を夢見たという点である。この夢を<南洋>に限って言えば、<南洋>の植民地的開拓の主体となる熱望であったが、これによって帝国の主体を夢見ていたといえる。この言説は在朝日本人(経済人·言論人)たちが抱いていた経済的利害関係、または政策的要素によって要請される現実的、経済的必要性がその言説(朝鮮は日本の次位または一体、朝鮮は指導者·推進者)を造り出したという事実である。この事実は彼らが<南洋>に対して抱いていた不安や警戒心理を見てもよく分かる。従って、当時朝鮮人作家や知識人の<南洋>言説は在朝日本人と共謀した言説であり、互い交渉し合った産物であると言える。
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三好正慶、つまり奴の小万の戯作化は上田秋成(1734-1809)以降、繰り返し行われて来たが、未だこれらに関する具体的な論考は多くない。したがって、本稿では奴の小万の戯作化の形跡を辿り、その意味するところを考察しようと思う。滝沢馬琴の紀行文『羇旅漫禄』(1802)の記述によると奴の小万は富豪の養女として育てられ文も筆跡も良かったが、事情あって結婚を拒み女傑として生きていったとされる。また柳里恭(柳沢淇園:1704-1758)との交流もあったとされる。このような奴の小万が最初に戯作化されるのは上田秋成の『諸道聴耳世間猿』(1766)3の1である。考察の結果、ここでは町人奴の小万を通して女性の気質発現と無力な武士階級の一面が暗示されていた。次に奴の小万が登場する柳亭種彦(1783-1842)の読本『奴の小まん』(1807)を確認したが、ここでは愛する男性「しのぶ」のために復讐する姿が描かれていた。したがって復讐のために武芸を見せ付ける、武士的義理を発現する女性像が提示されたと理解できた。第三に鶴屋南北(1755-1829)の合巻『裾模様沖津白浪』(1828)を確認したが、ここでは奴の小万が芸子として浜島幸兵衛の子を孕み、愛する幸兵衛のために盗賊因幡幸蔵になったり、三味線の師匠になったりするダイナミックな女性として描かれていた。これらは皆、愛する男性のために一身を犠牲にする女性像、つまり愛のために義理を見せ付ける女性像を描くためと見受けられた。最後に明治期の村上浪六(1865-1944)の描いた『奴の小万』(1892)を分析した。ここで描かれる奴の小万は他人に対する慈しみを見せ、また親に対する義理立てをしたが、男性への積極的愛情を露にはしない女性像であった。したがって、この奴の小万は人間に対し広く義理を見せ付ける倫理的人間像であったと言える。以上の考察により、随筆など記録により「女傑」のイメージを持つ奴の小万が作家それぞれの主題意識によって脚色されたと判断できた。秋成は奴の小万を通して気質、つまり「個性」の発現と武士階級の無力さという既存価値の転倒を提示し、種彦は武士的義理を奴の小万に投影した。また南北は芸子の絶対的愛と義理を、浪六は広く人間に対する義理を奴の小万を通して描いた。したがって、小万は種彦以降「義理」を有する女性像としてそのイメージを確かなものにしていったと思われる。つまり秋成は小万を気質を見せ付ける一人の非普遍的女性像として認識していた反面、種彦以降の作家は皆小万を「義理」の類型の中で再生産していったと言える。ここに奴の小万を「個性」を有する一人間として描いた秋成と浮世草子の意義を確認できた。このような傾向は多く作家の傾向とジャンルに拠るところもあろうが、種彦以降の作家は小万を「個性」を有する一人間としてではなく「義理」という肯定的価値の中で類型的に美化しようとしたと見受けられる。それは人間を個人ではなく類型の中で意識していった戯作の傾向とも釣り合うものと思われる。ただし、奴の小万の「義理」の性格が武士的価値観から男性への愛、人間への義理へと変化を成し遂げていったことも事実である。
제주에 표착한 일본인 세류두우수는 누구인가 ― 윤행임『석재고』를 통해 보는, 조선시대의 일본 임진왜란 담론 수용양상 ―
한국일본학회 일본학보 제86권 2011.02 pp.249-258
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第三章では、朝鮮時代後期の政治家․尹行恁の『碩齋稿』巻九「海東外史․朴延」条所収の一節、「昔有蝦夷国松前人世琉兜宇須者。漂留耽羅二十余年。至万暦壬辰。為倭嚮導」(昔、蝦夷国の松前の世琉兜宇須という人がいた。耽羅に漂着して二〇年後の万暦壬辰年(一五九二)に至り、倭の嚮導となった)といった謎の文章の起源を追跡する。その結果、日本の壬辰戦争文献群、特に、加藤清正文献群において形成された、「加藤清正が「セルトウス」という武将を生け捕った後、「せいしう(さいしう/済州)」というところに至って、松前から漂流してきた後藤二郎を通訳に任命し、富士山を見渡した」という言説が、一八世紀はじめに成立した『和漢三才図会』のなかで変容された形で朝鮮国に紹介されたことが確認される。それによって、壬辰戦争の際の朝鮮軍の武将․韓克諴(はんぐっかん)がモデルとなったと思われるセルトウスが、松前から耽羅=済州島に漂流してきて、一五九二年に日本軍の手先となった、という皮肉な記述が、『碩齋稿』に載せられることとなったのである。
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本稿の目的は、能『忠度』に描かれている主人公の執心の有り様を分析して見るところにある。その方法としては先ず、本説世界における平忠度の人物像を探って見た上で、それが如何なるかたちで作品の中に描かれているいるのかに焦点をしぼって分析して見るかたちを取る。次には、作品の中で描かれている主人公の人物像と本説世界における人物像との比較を試みる。このような方法に基づいた分析を通して明らかになったことは、能『忠度』の主人公には環境的な欝気と執心に基づいた人物像造形が窺われ、それが作者世阿弥の作意による意図的な脚色の結果と見られるということである。このような脚色の結果は作者世阿弥みずから『三道』において「平家の物語のままに書くべし」と主張したところからもさしてはみ出していないものであった。
모쿠아미(黙阿弥) 잔기리물(散切物)의 등장인물에 관한 일고찰―『만니주넨무스코카가미(満二十年息子鑑)』의 사족(士族)을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제86권 2011.02 pp.271-282
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幕末から明治中期まで活躍し、江戸(東京)歌舞伎を代表する歌舞伎作者河竹黙阿弥(1816-1893)は、明治維新以後、激変する社会の中で西洋の戯曲を翻案して上演するなど従来にない様々な歌舞伎を試み、成果をあげている。特に散切物は明治の際物として、新聞ネタなどの情報を積極的に吸収し、明治中期までの新風俗を上演することによって当時の現代劇としての機能をはたしていた。散切物の題材はさまざまな形で現れているが、これらの劇の中でも黙阿弥が好んで登場させていた人物の類型として、士族あげることができる。本稿では明治17年(1884)東京新富座で初演された、『満二十年息子鑑』に表れる士族の分析を試み、士族と当時の世相の視覚化について考察を行った。『満二十年』は主人公、士族松太が徴兵令について反抗しそしてこれを説得しようとする人々との対立が描かれることによって、明治期における士族に対する視線と士族としての意識が具体化され、士族を通して明治の世相が浮彫りにされていると考えられる。
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其角は蕉門隨一の高弟で、芭蕉も推重し蕪村も畏敬した。しかし、その評価は必ずしも一樣ではない。芭蕉にとって其角は自己の作風を拓いていく上での、一つの標識であったのであって、其角はその句作活動の初期から、芭蕉に拮抗する感性であったのである。芭蕉と其角とを比較すると、確かに、片や漂泊の詩人、片や定住の詩人であり、また一方は素朴な田園趣味に多く詩材をとり、他方は生粹の江戶っ子らしく、「鐘一つ賣れぬ日はなし江戶の春」に代表されるように華やかな都會趣味の句に生彩を放ったのであった。芭蕉が推敲に推敲を重ねて少しでも高い詩境を目指そうとするのに對し、其角は卽興吟を得意とし、当意卽妙の機知をもって同席する人たちを感心させるのであった。また、師が高点を競う遊戱的な点取俳諧を嫌って自在な生き方に徹したのに對し、弟子は江戶俳壇にあって堂々点取宗匠として君臨したのであった。結局、蕉門の門弟の中で最高のレベルの高弟とも評された其角は、このように、師匠との俳諧に對する見解の差と樂しみ方の違いによって、芭蕉とは異なる俳諧世界を求め步むことになったのである。芭蕉にとっては、門弟のだれよりも俳諧に秀れた才能をもっており、理解をみせた其角との不和は大変殘念な出來事に違いなかったであろう。そして芭蕉と其角のわかれは、芭蕉の死後、蕉風俳諧の分裂を始め、蕉風の確立と發展にも妨げのひとつの原因にもなったのではなかろうかと思う。
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본고는 대만 선주민족의 역사경험, 특히 일본 식민주의(colonialism)의 역사경험을 중심으로, 나카무라 마사루(中村勝)의『포수(捕囚)』(2009)가 제기한 수동적 실천과 주체적 자연의 개념을 검토하여 대만 선주민족의 피식민과 식민의 역사경험 분유(分有)에 대해 탐구한다. 대만 선주민족의 피식민 역사경험을 해석하는 개념으로 제시된「수동적 실천」은 대만 선주민족의 역사경험을 말하고, 그것이 들리고 읽히는 운동과 겹쳐, 현존재의 공유로서 제시된「분유」개념의 의식화와 그 의식화의 말하기 실천으로 이해할 수 있다. 형태를 바꿔가며 계속되는 식민주의 체제의 바깥으로 나가려 하는 기술(記述)의 수동적 실천은 타인의 일로 구분짓는 것이 아닌, 자신이 그 관계자가 된다는 의미의 당사자 입장에서의 역사경험 기술이다. 식민주의의 불의(不義)의 역사경험 - 식민폭력에서「남은 것들(残りのもの)」을 분유하는 기술과 읽기의 실천 안에서 식민통치의 책임을 질 수 있다.
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本稿は王政復古以後の国体論(尊皇論)を分析したものである。2章は、明治初期の国体論の分析。3章は、政教分離․信教の自由論の展開により、神社非宗教路線を標榜した以後の国体論と敬神崇祖論の分析。2章と3章の間に論調の変化が見られるというのが私の主張である。4章は、1930年代の「国体の本義」を分析した。
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2009年9月、日本民主党は総選挙で圧勝し、水平的な政権交代に成功した。この論文は日本民主党の成功要因として政策供給に焦点を当てている。すなわち、日本民主党が政策理念の違う政党との連合を通じて、政党規模を拡大し、包括政党化を成し遂げることによって政権を握ることができたのである。その過程のなかで政策イデオロギーの多様化、政権政党になるための中道指向、不安な政治的共存の起源と軌跡をたどり、民主党の可能性と限界を同時にさぐることが本稿の目的である。日本民主党はリベラル政党から出発し、2003年9月小沢自由堂との合同のあと、小さな政府と市民社会を重視する傾向が目立った。しかし、2005年郵政選挙で惨敗することによって民主党内の多様な理念は構造改革反対と生活重視へと収斂されるようになった。民主党の包括政党化により、相対得票率が自民党を勝り政権獲得に成功したのである。しかし、多様な政治理念の不安な共存は民主党の持続可能性に疑問を投げ掛けている。
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1926年は地方制度改正は普通選挙の実施と政党政治の発達という大正デモクラシ-と呼ばれる時代的な背景をもっている。したがって各政党は地方制度の改正に当たって自分の立場を反映した意見を活発表明した。本稿は1926年の地方制度の改正において政党はどのような意見をもっており、その背景と意味はいかなるもとであったかについて分析すろことを目的としている。会議録の内容を中心に分析した結果、当時野党である立憲政友会と政友本党は中央政府と地方自治団体を分離して選挙の際に時野党が不利にならないよう、また中央の政治的な影響力が地方に及ぼさないように心掛けた。府県知事の公選と市町村長の公選の主張がその代表的な例である。しかし与党である憲政会は政府の改正案を支持つつも野党の意向を退けた。そして地方自治団体の問題は自治体内部で解決することが原則であることを主張した。ところが実際に改正された地方制度の内容は議会で論議された主張とは距離があった。政府は政党特に野党の主張に慎重な立場に立っており、答弁は非常に儀礼的であった。結局改正に反映された内容は普通選挙実施の伴うものであったり、郡制廃止に伴うものであり、あるいは複雑な行政の単純化を意図したものであった。
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1429年 尚巴志が琉球王国を統一し、中国に朝貢し、冊封体制に入った。1609年薩摩藩の侵攻を受け、日本の幕藩体制に組み込まれたが、中国の朝貢も継続した。その後、1879年明治政府が王国を解体し、沖縄県を設置する琉球処分を断行し、中国との臣従関係は終わった。琉球王国について通常このように説明されている。琉球には頻繁に異国船が来航しており、それに対応する方針を決めていた。本稿ではペリーの上陸に限定して<両属>問題がどのように現れるかを究明し、琉球王国とペリーとの対応を調べる過程での薩摩藩との報告体系や、架空の国トカラを検討する。琉球王国の特別な事情、諸外国に対してあくまでも薩摩藩との関係を隠し独立国と見せかける「両属」のひとつの実態を浮き彫りにしたい。
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映画「男はつらいよ」に出ている空間は単なる場所としての空間のみを意味するのではなく、空間の中に蓄積されてきた記憶と人間関係を通じて再構成されるものである。このように再構成された記憶はまた映画を通じて観客に共有される。特に毎年お盆とお正月に公開されたこの映画は一つのイメージとしての機能を果たしている。また映画の中の空間は単なる空間のみではなく、記憶というものの故郷、家族、愛、人情などの純粋記憶と習慣と同じく反復によって獲得できる習慣記憶に分けることができる。まさに映画の中の空間は習慣として繰り返すことによって一つの純粋記憶として位置づけられる。映画を通じて類似家族と類似故郷を設定することで、映画の観客には新たなる記憶の場所を作り上げることになる。このような反復される習慣記憶は日本の映画観客に一つの新しい純粋記憶としての役割を果たしている。
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