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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제68권 (24건)
No
1

4,000원

述語動詞が目的格補語に「名詞」「名詞ノコト」をとる様相を分析する研究の一環として、本稿では思考活動を表す述語動詞「考える」「思う」の場合、「コト」の付加の可否と動詞の表わす意味的な特徴を関係づけて分析することを目的とする。 文中での目的格補語の位置に現れる名詞の形は「コト」の有無によって「名詞」と「名詞ノコト」形が挙げられる。ところで、「名詞ノコト」形においては「コト」が実質的な意味を持つ場合とそうではない場合がある。前者は「コト」が必須の要素であり、後者は「コト」の表わす意味を把握することが難しいだけでなく、「コト」の付加の可否自体が決めがたい。本稿は後者の場合を研究の対象とする。 従来の研究では、思考活動を表わす動詞が目的格補語に「コト」の付加を要求する場合、その名詞は具体名詞であると指摘されてきた。しかし、「コト」が必ず付加される名詞は具体名詞だけとは限らず、また、具体名詞であっても「コト」の付加が随意的な場合もある。本稿では思考活動を表わす動詞のうち「考える」「思う」を対象としてその意味的な特徴から「コト」の付加の如何を説明した。 「考える」の意味的な特徴は「思考過程」を含むかどうかによって大別される。本稿では各々の場合を〔+思考過程〕と〔-思考過程〕と名付けた。前者は純粋に思考作用を表わすもので「思考する」という意味を表わす。後者は「思考する」という意味を表わさないもの、例えば、「念頭におく」「考慮する」「理解する」のような意味を表わす場合を一括したものである。 「考える」が〔+思考過程〕を表わす場合には「コト」の付加が必須であり、〔-思考過程〕を表わす場合には「コト」の付加が随意的であるか、または許されない。したがって、「コト」の付加が必須となるのは目的格補語に具体名詞が立つ場合だけではない。具体名詞ではない場合も「考える」の意味が〔+思考過程〕であれば、同様に「コト」が必ず付加されなければならない。 また、目的格補語が具体名詞であっても、「考える」が〔-思考過程〕の意味を表わす場合、「コト」の付加は随意的である。一方、「コト」の付加が許されない場合もある。目的格補語が具体名詞ではなく、「考える」が〔-思考過程〕を表わす場合である。 一方、「思う」には[+思考過程]という意味的な特徴はなく、[-思考過程]だけに限られ、「コト」の付加が随意的である。これは[+思考過程]を表し、「コト」の付加が必須である「考える」を「思う」に置き換えることができないことからもわかる。 以上のことから思考活動を表す動詞が具体名詞を取る時、必ず「コト」を要求するという従来の説とは異なり、思考活動を表す動詞であっても「コト」の付加の可否が異なることがわかる。

2

「の」の正誤判別にみられる韓國語母語話者の中間言語不確定性

金玄珠

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.15-26

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4,300원

第二言語学習者の「誤り」は,往々にして母語からの転移の結果として捉えられてきたが,近年は複合的な要因の作用可能性が検討されつつあり,その中でも認知心理学的な視座から中間言語知識の不確定性(indeterminacy)が一つの要因として注目されている。中間言語知識の不確定性に関しては,実証的な研究の蓄積が見当たらず,特に第二言語としての日本語の習得過程においてどのように現れるかについては未だ明らかではない。 本研究では,そういった研究の流れや現状を踏まえて,韓国人日本語学習者の格助詞使用における問題点のうち,これまで筆者が実証的に進めてきた連体格助詞「の」の脱落の問題(*「中学校φとき」*「友達からφ手紙で…」)に焦点を絞って,中間言語における不確定性の存在や意味を実証的に検討した。これまで連体格助詞「の」は学習の比較的早い段階で習得される項目として扱われてきたが,本研究では,「の」の使用において不確定性の諸要素の作用が検証され,今回対象とした韓国人中上級学習者のうち多くの対象者が「の」の脱落と正用の即時的な弁別ができず,潜在的に大きな困難を示すことや特定の環境において不確定性が顕著に高くなる傾向にあることが示された。結果から言語転移の可能性は統計的に認められなかったが,これについては様々な方法で解明すべく,今後韓国人日本語学習者の「の」の習得と日本人韓国語学習者の[ɯi]の習得を視野に入れて言語の双方向性(bi-directionality)から体系的に検討してゆきたい。

3

4,600원

This study aims to investigate how aware Japanese teachers are about the use of the denial polite form masen and naidesu. The subjects in this study were 20 native-Korean Japanese language high school teachers (KT) and 20 native-Japanese high school teachers (JT). Two surveys were conducted to assess the awareness among the teachers about masen and naidesu. In the first survey, the subjects were asked to correct journals written in conversational style Japanese. This survey indicated that KT, compared to JT, do not recognize naidesu as the form which is used in conversations. In the second survey, a questionnaire which examines how teachers teach masen and naidesu in the classroom, was conducted. The results clarified that most JT consider the difference between masen and naidesu to be a difference of writing style and conversation style. However, most KT consider it a difference in politeness, so it is indicated that there is a difference of awareness of the denial polite form between KT and JT. In high school textbooks, there are no detailed explanations about the two forms, so the possibility pointed out that it influences the difference of awareness between KT and JT. According to the Post 7thCurriculum, it is presumed that the tendency to value the acquisition of natural conversation ability does not change, but it was suggested that it is also important for teachers to stress the difference between masen and naidesu. Finally, this paper emphasizes the necessity to explain about the difference of usage of the two forms in textbooks and teacher's guide books.

4

4,600원

本稿の目的は言語変化の観点から日本語の可能表現、そのなかでも形態的な変化を考察することにある。現代日本語における可能の意味を表す文法的形式は①可能の助動詞「レル・ラレル」、②可能動詞がある。五段活用以外の動詞の「ら抜き言葉」はくだけた場面での会話的な表現として多く用いられている。本稿ではこのような現在の状況をより正確に把握するために、①可能の助動詞「レル・ラレル」及び②可能動詞を対象として、両者が明治以降どのような変化を見せているかを調べてみた。その結果、今日の「ら抜き言葉」は五段活用動詞の「-eru可能動詞」への推移・変化に引き続く一連の変化であることを明らかにした。なお、具体的な検討を行うにあたり、動詞別・ジャンル別に分けて、その変化の様相及び要因を考えてみた。

5

4,600원

虎明本狂言集では、名乗りの場面で推量・意志の助動詞「ウ」とともに「ウと存ずる」が多く用いられている。本稿では、虎明本で用いられる推量・意志の助動詞「ウ」と、「と思う」のついた「ウと思う」との間にどのような意味的、機能的相違があるのかについて考察する。 意味的な面からみると、「ウと思う」は「ウ」よりせまい外延をもつ。   (1)「ウと思う」は「ウ」と同じく推量・意志の意味に使われる。 (2)「ウと思う」は「ウ」とは異なり、勧誘の意味をもつことはできない。 (3)「ウと思う」は独り言に使われない。必ず聞き手を意識する場面で使われる。狂言台本の名乗りや独白に 「ウと思う」が使われるのは、観客を公然に意識する狂言の特徴によるものである。観客を聞き手としながら 「ウと思う」を用いるため、名乗りや独白の「ウと思う」は常に「ウと存ずる」の形をとる。 「ウと思う」は、機能的な面では「ウ」を補っている。 (4)「ウ」は不変化助動詞で、活用形や時制などををもつことができない。これを「ウと思う」が補う。 (5) 虎明本のホドニ、ニヨッテなどの接続形式と関連して、「ウ」はニヨッテ句の述部にくることができないという制約があるが、「ウと思う」はこのような制約がない。また、「ウ」はニヨッテ句の帰結句にくることが難しいという制約があるが、「ウと思う」にはそのような制約がない。

6

使役受動의 語形에 대한 일고찰

李成圭

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.69-80

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4,300원

本稿は日本語の使役受動のもつ語形上の特徴や使用の実態などについて実例を中心として考察したものである。本稿の目的は、使役受動の語形において短縮形と定形とがどのように使い分けられているのかを明らかにするところにあるわけではなく、実際の作品資料における使用実態の検討結果をもって、使役受動の語形が現在どういう位置に置かれているのかを提示することにある。 使役受動形は動詞の種類によって、現在、たとえば「飲ませられる」のような定形と「飲まされる」のような短縮形との共存・競合が生じているが、この異形態間の語形の問題に関しては先行研究が見当たらず、ただ口語体では短縮形が一般化しているという概略的な指摘に止まっているのが現状である。 本稿では、『青空文庫』で公表している作家の作品についての検討を通じて、従来のような文体のみをもっての説明では不十分で、文体のみならず、待遇表現や話体などといった要素も考慮の対象にしなければならないということを主張した。つまり、何らかの原則をそこに一律的に適用するとか、ある特定の基準をもって全体を一般化するのは無理であるということを述べているわけである。そして、スラーリングといった要素も異形態の共存・競合に強く影響しているということも明らかにした。

7

5,200원

本稿は、明治25年(1892)に赤峯瀬一郎によって作成された韓国語学習書『日韓英三国対話』の日本語及び韓国語について考えるとともに、参考にしたと思われる明治16年本『交隣須知』との関係を明らかにしようとしたものである。日本語については、はじめに人称代名詞について述べ、続いて原因、理由を表す助詞「から」について言及した。続いて終助詞「よ」と「を」について触れ、文末表現「です」「である」などについても述べた。また、韓国語については、音韻、表記、語彙、文法について述べた。。以上の調査を通して、『日韓英三国対話』は、明治16年本『交隣須知』を参考にして作成されたが、日本語については、明治16年本『交隣須知』の日本語より少し新しいものになっており、韓国語については、明治16年本『交隣須知』と似てはいるが異っている部分もみられ、当時の混沌とした様相を呈していることを明らかにすることができた。

8

景清の娘、「人丸」伝承をめぐって

金京欄

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.99-110

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4,300원

本稿は浄瑠璃の世界で広げられる「人丸」と、もう一つの、望夫石説話につながる人丸伝承とを取り上げ、悲劇的な英雄景清の娘人丸が、愛する人(父親や夫)のために殉じる女性として形象化されていく過程を考察したものである。景清を扱った一連の作品群(「景清物」)は、大体大仏供養の場で頼朝を狙う景清が中心に描かれる「大仏供養系」と、盲目になって日向に下った後の景清に焦点があわせられる「日向系」の二つの系列に分けられるが、この中で人丸が主要人物として登場するのは日向系景清物においてである。この系統における「盲目の父親のために身売りする娘」人丸は、説経浄瑠璃『まつら長じや』などにみられる、生け贄系統のさよ姫に似通った人物といえる。 ところで、日向系景清物の中で身売りする娘として登場する人丸は、恋人と関連した伝承のなかでは望夫石説話と結びつくことになる。聖藩文庫蔵『曽我物語』や流布本『承久記』には、模範的な武士とされる畠山重忠の息子で頼朝の死因にかかわっているという伝承も持つ、畠山六郎重安の妻として人丸が登場し、『九穴の貝』や『頼朝之最期の記』『はたけ山』などにおいては龍宮伝承と関わりを持つようになる。さらに近世初期の紀行集『金兼藁』には、龍宮行き夫の帰りを待っていた人丸は望夫石となったとある。室町物語の時点においては、頼朝の死に関わるとされる畠山重安と、頼朝を殺そうとする景清とが、人丸という女性を通じて結びつくことになるのである。

9

영화 『천년의 사랑 Genji』

김수희

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.111-124

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4,600원

紫式部が『源氏物語』を執筆し始めてからちょうど千年といわれる二○○一年、東映創立五十周年記念作品として誕生したのが映画『千年の恋 ひかる源氏物語』(堀川とんこう監督・早坂暁脚本)である。延べ300着にも及び、その半数を1着500万円ほどの女房装束が占める煌びやかな衣裳や「源氏」美術の集大成を目指して3億円が費やされた絢爛豪華な建築美術など、総製作費14億円をつぎ込んだ大作である。 空前の源氏ブームの真っ只中で制作・公開されたこの映画は、紫式部を吉永小百合が、光源氏を元宝塚の男役・天海祐希が演じ、その他にも紫の上役に常磐貴子、藤原道長役に渡辺謙、この映画オリジナルの創作人物「揚げ羽の君」役に松田聖子が出演するなど、豪華キャストでも話題になった。しかし、客観的な成績がよくなかったのみならず、古典原文からかけ離れた内容や、歴史的に全く裏付けのない展開などで研究者たちの非難を受ける結果となった。端的な一例として、六条御息所の車が源氏の車に突撃しようとする「車争い」の場面や、水中出産する明石の君の場面、海賊に殺される紫式部の夫宣孝の場面などが挙げられよう。 本稿では、映画『千年の恋 ひかる源氏物語』を生み出す土台となった源氏ブームや、今まで映画化されたその他の『源氏物語』についてまず検討し、さらに古典原文と映画の内容を比較しながら、映画の人物設定や筋の変更の問題を中心として、映画の様々な問題について考えてみることにする。

10

4,600원

『霊異記』中8話と中12話は蟹報恩譚という同じ素材を持った類話として12話が時期的に先に形成されたのである。主人公の名も漠然とした「ある女」と明記された12話に比べ、8話の主人公は当時行基の弟子と推測される人物である点において12話が早期のものである。また蛇の來訪と戦いの構造が8話がより劇的で、重層的な構造を有している点でも、12話が早期のものである。また、12話にだけ記述されている父母の登場と嘆きは『古事記』の古代伝承の流れをもっている点からも8話が先に形成されたと考えられる。また両説話には巫女と蛇神との聖婚モチ-フが内在された古代伝承の流れを有してはいるが、蛇が神子という神話的思維は最初から存在しない。神話伝承での蛇は人間界の豊穣を保証する水神の職能を有していたが、仏教説話での蛇はただ殺生を繰り返す邪悪な動物に転落され、因果応報の原理により排除されるべき存在に変容される。また女も超自然的な秩序に順応する存在ではなく、慈悲行を実践し、仏法をまじめに守る仏教徒で、当時民衆から救世主に称えられた行基の教えにより、邪悪な蛇性を退く。すなわち中8話と中12話の民話の流れをもっている動物報恩譚と古代神話伝承の流れを有している異類婚姻譚は徹底的に因果応報の観念に従う話として強調されている。 そして両説話に高僧として登場する行基ももともとは蟹報恩譚とは無関の人で、各地に伝播された蟹報恩譚の形成の以後追加された話である。行基は畿内を中心に仏法を説法する場で、仏教の因果応報の原理を「蟹報恩譚」または「蛙報恩譚」などの話を例話にあげ説法したが、そこで行基の説法を聞いた聴衆は例話にあげた動物報恩譚の中にまた行基の霊験譚を混って多様の形の報恩譚を派生させる。結局行基が法会で引用した伝承が持っている奇異さと、行基の神通力が結び付いて蟹報恩譚のなかに行基が登場する結果となった。景戒が『霊異記』を編集する際はすでに蟹報恩譚と行基の布教活動の拡大によるいろいろな要素か結び付き数多くの類話が形成されたとみえ、中8話と中12話の中に登場する行基はこのような経路を経て『霊異記』に記述されたと思われる。

11

志賀直哉の『焚火』の倫理 ―血縁共同体と共鳴現象―

金青均

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.139-152

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4,600원

『焚火』は1920(大正9)年4月、雑誌『改造』に発表された。この作品は志賀直哉の代表作の一つとして高く評価されてきた。日本の伝統的な美学を受け継いだ作品として、心境小説として、また、神秘感が漂う小説として、様々な観点から研究されてきた。しかし、その神秘的な世界の中核をなす「Kさんのエピソード」の神秘性の本質はいまだに十分に解明されていない。 本論文では「Kさんのエピソード」に向かっていく作品の展開は異世界へ向かっていく機能を果たしているということを明らかにし、その上で、作品に漂う神秘性は親子関係の不思議な一体感の話へと移っていくことを解明した。このような分析を通して、『焚火』が1917(大正6)年以降の志賀の後期作品群の中で示す位置を再解釈した。『焚火』は、志賀において自然との共鳴現象(合一現象)と、血縁との共鳴現象(合一現象)が同一レベルで考えられていることを示した唯一の作品である。志賀の父との和解は、ただ単に家族との繋がりの重要性に気付いたことや血縁の崇高さ(例えば、出産の場面)に気付いたことなどによってだけ、可能になったのではない。自己または個人と、自然または宇宙との共鳴、そのものが、もっとも身近の人間関係、つまり家族関係においても、存在することに気付くことによって、志賀は「自己中心主義」を捨て、宇宙との合一を経験した。その当然の成り行きとして父との和解に至ったのである。このような哲学的、心理学的、倫理的、宗教的裏付けによって、志賀は自然との合一と血縁との合一が同一レベルであると確信するように変わっていく。このような事情を示す小説、『和解』と後期作品群の他の小説との接点を示す小説が『焚火』だと位置づけた。

12

6,100원

本稿は、谷崎潤一郎の映画における「モンタージュ」認識と、それに伴う「文学への借用」を考察したものである。谷崎は映画制作経験を通じて、映画文法である「モンタージュ」に多大な関心を示し、これを自身の文学作品に借用した。谷崎が認識した「モンタージュ」とは、映画の連結方式である「組み合わせ」「合成」「挿入」であり、全く別個の場面と場面、または関連のある場面を連結させることにより、完成したイメージを得るものである。映画は場面を使用して話を連結させる。谷崎はこれを文学に借用する際に、文字という特徴を利用し、ひとつのエピソードをひとつの場面とみなした上で連結したり、内容と全く関係のない異質な状況や絵を挿入して主人公のイメージを変化させ、内容を補完・説明した。そして観念的なイメージを視覚化し、形象化するのに使用した。また、作品の内容を「組み合わせ」たり、「合成」することにより、「構造的美観」や「建築的美観」を引き出し、芸術的で抽象的なイメージになりがちな小説を視覚的に具現化した。 谷崎は、文学と映画というジャンルを自由に行き来しながら、シナリオ作成法、映画制作の実体を通して、<読者の眼と耳とに訴へるあらゆる要素を利用して、表現の不足を補つて差支へない>という谷崎ならではの文学的な書き方を確立した。映画と文学の境界を崩し、文学に映画の要素を取り入れて、文学の中における映画化を試みたのである。

13

金史良의 『太白山脈』과 민족독립의 꿈

金鶴童

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.177-194

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5,200원

金史良の『太白山脈』は、日帝植民地末期に朝鮮総督府の機関誌としての役割を担っていた、当時朝鮮にいくつしか残っていない文芸雑誌の一つであった『国民文学』に連載された。『国民文学』の目指すところは、朝鮮人民の皇国臣民化を促すための宣伝にあっただけに、それに載った作品のすべては日本帝国の政策に迎合し、協力するものと看做されていたのも事実である。ところが、金史良の『太白山脈』の場合はこういった考え方とは掛け離れた、かえって植民地化された朝鮮民族の暗澹とした現実を基調としながらも、その中からどうしようもなく込み上げてくる朝鮮民族としての矜持と、民族独立への希望を緻密な計画のもとで描き込んだ作品であると云った方が正しい評価のように思われる。 それでは、当時の言論․出版に対する厳しい弾圧の下で、如何にしてこういった小説の創作が可能であったのかが疑問に残る。それは厳しい現実になぞらえる歴史的事実から題材をとり、迂回的表現を用いることで実現されているものと見られている。本稿では作品の中に描かれている朝鮮的なものと歴史的事実がどんなものであるかを明らかにし、また作者の身代わりとなって動き回る主人公達の心境などをも分析して行くことをその目標としている。そして、朝鮮の独立をめかけて朝鮮民衆をそそのかすものとも受け取られかねない作品を、いかにして親日協力の先鋒に立っていた『国民文学』に載せ得たのか、それを可能にしたものと考えられるところも探っていくことにしている。

14

4,600원

本稿では近代韓日における「母性」と「国家」との問題を考察している。まず、羅蕙錫の母性論を取り上げ、考察した。羅蕙錫は子供を夫婦間の「愛の創造」であると定義しながら、子供が女性にとって「個人的発展上において大きな障害物」になると主張した。また前近代的「孝」の思想が子供の主体性を否定しており、子供は親の私有物として取り扱われていたと批判し、子供の価値を見直そうとした。それから、母性愛とは「本能的ではない」、後天的な愛情であるとし、母性愛が自然な愛情であるという近代の母性愛観に反対した。しかも羅蕙錫の母性論では性欲と生殖とが分離して論議されており、所謂妊娠・出産を女性の転職、義務と言ったり、女性の「性」を母性愛に吸収しようとする側面は見受けられない。このような羅蕙錫の母性論は、彼女に大きな影響を与えたらいてうの母性論から逸脱している。上記の羅蕙錫の母性論と同様に、らいてうも子供は夫婦間の「愛の証」であると定義し、母性愛とは母と子供との関係から生まれる愛情であるとした。しかし、らいてうの場合、母の仕事は「婦人の天職」であり、女性は母の役割を通じて国家・社会に貢献すると言い、国家による母の保護を要請した。しかも生殖行為を国法によって制限することを強調した。このようならいてうの母性論は羅蕙錫の母性論と大きく食い違っていた。 植民地支配下の女性にとって、国家による母性の保護は植民地支配を認めることにつながる恐れがあったと思われる。民族の自立を考えていた羅蕙錫の母性論において、国家による母性保護が見当たらないのもそのためであろう。

15

4,600원

現実とへだたった異界ではなく、現実との境界に接している異界を確認することで宮沢賢治の童話と時代との関連性を明確にすることに本稿の意義がある。異界は日常生活の外側にある世界であるが、同時にそれがどんな形で現われても、その境界に接している現実世界を反映する現実のもう一つの世界でもある。これは賢治童話でも同じで、鏡が事物をうつるように現実世界を反映する場合がこれにあてはまる。このような現実世界の鏡としての異界を扱った作品で「茨海小学校」をあげることができる。この作品を通じて異界という鏡に映られた現実世界の姿とともに、茨海小学校が見せてくれる近代的なものと前近代的なものの具体的な姿を検討する。宮沢賢治の童話は、同時代の社会の理想的な要素を利用して作品の中で異界を作り出し、その結果として矛盾が生ずるのではなく作られた世界自体が元々矛盾で満ちていることとして構想されている。「茨海小学校」は、狐の世界という異界を通じて近代化を追い求めて行く過程で起きるしかない過渡期的で境界的な姿を見せてくれる。これは天皇の修身教育指針によって教育をしながらも自分は西欧の文物を追い掛けている先生の姿、伝統を守ることもできなくて近代的でもない境界的な先生の姿などによく現われている。賢治は「茨海小学校」で単純に狐の世界を通じての人間世界の現実を描くよりは、そこに現われた否定的な姿と矛盾を強調する。狐の世界で人間世界を反映することで他の存在の目で見た矛盾も見逃していない。これはすなわち、人間世界の矛盾、つまり前近代から近代へ自然に移行することができずに混在されたまま不調和だった時期を見せてくれると言える。

16

사타 이네코(佐多稲子)의 朝鮮人像(-)

朴愛淑

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.223-236

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本稿では、プロレタリア女性作家である佐多稲子のプロレタリア詩「朝鮮の少女一, ニ」と、小説の中に描かれている朝鮮関連部分を抜粋して、朝鮮人のイメージについて考察した結果、次のような結論を導出することができた。 まず「朝鮮の少女一」では、被支配民族の哀歓がよく描写されている。祖国で土地を強制的に奪われた朝鮮民族は仕事を探して東京まで移住するようになった。その原因を知らないはずの無邪気な朝鮮の少女は「白い上衣」を着て寒い夜風と白い埃に吹き晒されて、時には人に追い立てられ「飴」を売る。このような朝鮮の少女を通して、朝鮮民族の悲哀を描いている。また「朝鮮の少女ニ」では、力動的な電車に喩えて前衛を表している。走る電車の中で「飴」を売る無邪気な朝鮮の少女がゴム毬を追う姿に注目する必要がある。その背中には編んだ髪の先に布が揺れているイメージと一緒に、走る電車のように朝鮮民衆を扇動している作家の被支配民族に対する連帯感が潜んでいる。 次は、1934年プロレタリア文学運動が官憲の弾圧によって崩壊された状況の中で、もう佐多稲子は組織を離れて独自的に軍国主義の波に抵抗するようになった。佐多稲子は『一袋の駄菓子』,『くれない』,『樹々新緑』,『素足の娘』などの小説の中で、朝鮮の労働者が大工場の周辺で生活している姿、労働者の街で買い物をしている朝鮮婦人、山を開墾(かいこん)する朝鮮の人夫が歌う優しい朝鮮の歌を聞いて離れなれないほど、朝鮮人に対する深い愛情を乙女の純情に喩えている。官憲の検閲にも拘わらず、佐多稲子は小説の中で、朝鮮民衆に対する熱い連帯感とヒューマニズム(Humanism)を表していると思う。

17

萩原朔太郎の詩における音楽的効果

李英姫

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.237-248

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4,300원

本論文は、萩原朔太郎の詩における音楽性についての考察である。萩原朔太郎は「音楽の詩人」などと呼ばれているが、彼の詩の音楽性に関する研究は少ない。代表的なのは、伊藤信吉と三好達治の研究であるが゙、彼らのものもその著書のなかで語られてはいるものの、朔太郎と音楽との関わりついて限定的である。幅広く、また専門的に論じられているのは那珂太郎ぐらいである。本稿では、これらの先行研究を踏まえながら、朔太郎が自分の詩に音楽性を生かすために採用した技法などについて、さらに詳しく、綜合的に、四つにわけて分析を行い、音楽的特徴を究明しようとした。 その四つでは、①母音の重複、②同語もしくは類音の反復、③オノマトピアの使用、④詩的素材との関連、などをあげ、さらに、朔太郎の全詩作の中からそれに相応すると思われる詩を取り出し、筆者の分析を裏付ける論を展開した。 以上の研究により、朔太郎が、実作においてのみならず詩論エッセイにおいても、詩の音楽性を重んじ、詩とは「言葉の音楽」にほかならないと一貫して主張したいたことについて、あらためて認識できるものである。なお、後に萩原朔太郎の詩における音楽的特性に関する研究へと繋がることが期待される。

18

근현대일본에서 임진왜란의 문학화

최관

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.249-258

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4,000원

通史的に壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に関する日本文学の展開様相を考察してみると、近世日本だけではなく近現代日本でも持続的に創作されてきたのがわかる。そして近現代日本の壬辰倭乱関連文学は近世日本とは異なるいくつかの特徴が指摘できるが、結論的にその特徴を提示すると次のようである。まず日本帝国主義の時期で壬辰倭乱は日本作家たちに重要な分野として認められず、芥川竜之介のような例外はあるものの、主に政治・軍事的な側面からとらえられてきたといえよう。しかし敗戦後、特に韓日国交正常化により両国民の交流が活発となり、壬辰倭乱を描いた文学作品が持続的に現れている。それらは形式においては短編小説から長編小説へと変わっていき、内容においては壬辰倭乱をそのまま歴史小説化したり、あるいは加藤清正のような日本武将の武勲を取り扱ったりするのではなく、両国の間で象徴的な意味のある人物、すなわち薩摩焼の「沈寿官」、「沙也加(金忠善)」、「おたあ・ジュウリア」のような人物に焦点を当てている。また作家層も他分野に比べ在日韓国人や韓国と縁のある人が多く、重要な作品は韓国でも翻訳出版される傾向がある。それに作家の歴史認識が表に現れて、秀吉の侵略戦争に対する批判が露骨的に提示されている作品が多い。最近には忍者などが登場するなど、ファンタスティックな要素が加えられた異色作も見られるようになった。

19

다자이 오사무(太宰治) 문학에 나타난 물의 유형

하정민

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.259-270

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本稿では太宰治の文学に現れた水の類型について分析する。作家の生まれ育った環境と文学風土は水と密接な関係があると思われる。これまでの先行研究は主に一般的な人間の問題を扱っており、物質の想像力を通じて、内面の問題を扱ったものはあまりないと考えられる。物質的想像力はイメージと無意識的な思い出に対する夢想との緊密性を正当化するのである。そこで水の本質をもとにして水の類型を分析してみると、水によって表象される表現様相が作家と文学世界へ及ぼした影響が明らかになると考えられる。  特に、母親不在の状況から始まり、作中人物らが生の苦しみとして表現される太宰文学において、水は死と再生を繰り返す象徴である。まず、生理現象からみた「涙」は太宰の生い立ちに起因する幼児性の姿から繊細な女性的性格の「涙」へと変化を遂げる。次に、生活の苦悩の中で表現される悲しい涙で心を浄化しようとする。さらに、気象現象(「雲、雨、雪」)、地質現象(「泉、温泉」)など様々な素材から、太宰治におけるそれぞれの象徴的意味を類推してみたい。 以上の分析から、太宰治の作品に現れた水の多用な類型を通じて次第に母性という形態が描かれ、その中で新たな回帰が期待されるということである。

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일본 외교정책의 독자성과 한계 - 대북정책을 중심으로-

강태훈

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.271-280

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Japanese foreign policy was based on the Yoshida Doctrine under which Japan concentrated on economic affairs relying national security on the United States. Therefore Japanese foreign policy could not be independent from American influence during the Cold War era. As there appeared detente structures of international relation in the early 1970s and the interdependent Japan-Amerian relationships emerged in terms of economic development, Japan could enjoy a relative autonomy from America. Through this policy change, Japan invented a new foreign policy which was independent from or sometimes conflicting with American interest. Japan sought independent interest in a various policy issue areas such as economy and national security. Japan also led independent foreign policy in the Middle East, the South East Asia and South Africa. Through the Nixon shock and Oil shock, Japan prepared a diplomacy for natural resource and responsive diplomacy, and engaged in a diplomacy in all direction. Japan also strengthened the separation of politics and economics. Based on the separation of politics and economics, Japanese policy to North Korea focused on economic exchange as well as followed the East Asian policy of the United States. As the Cold War was over, Japan strengthened diplomatic autonomy and was able to initiate a negotiation of diplomatic relationship with North Korea. Therefore, Japanese North Koran policy was dual sided with oppression and negotiation. While the Bush Administration employed a hard line policy toward North Korea, Koizumi Administration held the Japan-North Korea Summit twice emphasizing dialogue with North Korea. Nevertheless, Japanese autonomy was only possible only under the limitation that the Japan-American alliance was not damaged.

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日本의 選擧放送과 政治廣告

高選圭

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.281-294

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글로벌화와 일본민족주의

곽진오

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.295-310

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This article aims to analyze the understanding of the postwar Japanese nationalistic movement greatly involving the Yatsuguni Shrine, and the criticism by Korea, China and Asian countries. The Yatsuguni Shrine turned into an international issue from 15th August 1985, when the Japanese Prime Minister Yatsuhiro Nakasone formally visited the Shrine. After Nakasone's visit however, the Japanese government stopped visiting the Shrine to respect the neighboring countries. On 29th July 1996, after eleven years, Rutaro Hashimoto formally visited the Yatsuguni Shrine again, and this lead to a tradition in Japan. After Hashimoto's visit to the Yatsuguni Shrine, the Korean and Chinese governments blamed the Japanese for their non-reflection of the war. However, the Japanese Primer Junichiro Koizumi insists that there are a variety of issues that Korea, Japan and China should cooperate, which is a contrary opinion to the Yatsuguni issue that other countries are still angry about. Therefore, this article mentions the limits of solutions to the tangle among the Northeast Asian countries with Japan. And it also mentions why the Yatsuguni Shrine issue was expanded into an international issue.

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中東鐵道 매각 문제와 동아시아 외교관계

金英淑

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.311-324

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ロシアが清から敷設権を得て建設した中東鐵道は、ロシアの帝国主義的性格から生まれ、日露戦争の結果、長春の南部は満鉄に割譲された。満州事変によって満州国が建国されると、中東鐵道は満州国の中心を走りながら、日ソ間紛争の可能性を抱えていた。当時、5ヶ年計画を進行していたソ連は国内の経済的建設のために燐国との軍事的衝突は望まなかった。それゆえ、日本に中東鐵道の売却を提案し、満州国の完成を試みる日本はこの提案に応じた。満州国が中東鐵道を買収するころにし、日本がこれを仲介する形で譲渡会談が行われたが、中東鐵道の商業的価値を強調するソ連と現在の経済的価値を主張する満州国および日本との立場はあまりにも差が大きっかた。 会談は決裂状態で中止されたが、結局政治的な妥協によって、譲渡価格は妥結された。ソ連が満州国に中東鐵道を売却したのは事実上の満州国承認を意味し、日本外交として重要な意味を持つことになるが、中国は激しく抗議した。 中東鐵道の買収を主導した日本外務省は満州地域の武力衝突を防ぐ一方、ソ連との外交交渉の進行を得たと言える。ソ連としては国交を回復したばかりの中国との関係を損なうことになったが、経済的資金を確保し政治的紛争を除去する意味で実利を求めた。

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아시아ㆍ태평양전쟁기 일본에서의 「자유주의」

남상호

한국일본학회 일본학보 제68권 2006.08 pp.325-336

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鳩山一郎派は、議会政治と自由主義とを同一視している。そしてその議会政治は政党政治によるべきであると認識している。従って、鳩山一郎派は、反対が存在する複数政党制を維持しようとし、政党は下からの意思伝達機能を重視すべきたと主張していた。また、内閣における首相の権限強化の動きや新体制運動に反対するなど、権力の集中を国民の自由を奪うことだとして反対している。しかし、彼らの主張は帝国憲法に定められた議会の権限をどうしても維持しようとするものであった。すなわち、立憲政治=議会政治=政党政治の論理から、立憲政治=議会政治の論理へと後退していた。彼らは自由一点張りではなっかたし、国権論者でもあった。しかし、当時は、鳩山一郎派が「自由主義」「現状維持」派として批判されるほど超国家主義時代であったのである。

 
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