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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제56권 (24건)
No
1

日本語形容動詞の一問題 -「永遠han」と「永遠の」․「永遠な」の対照的考察-

李成圭, 權善和

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.1-17

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5,100원

本稿は、「永遠han」の対訳語として「永遠の」と「永遠な」の混同が見られることに注目し、その対応関係等 について考察を行ったものである。この問題は、韓国人のただの誤用として解釈できる側面がある一方で、日本語の形 容動詞の内部問題として捉えることもできる。前者の立場からは、日本語母語話者の「永遠」に対する捉え方を知ら ない韓国人が、「永遠だ(形容動詞)=永遠hada(形容詞)」という一般化に支えられて、「永遠han=永遠な」という 誤った対応関係を導いたこととして処理できる。つまり、日本語として非文法的で、その意味で誤用とせざるをえない。 ところで、日本語形容動詞の連体形の現れ方から、また漢語系形容動詞とそれに対応する韓国語の形容詞間に 見られる類似点からすると、日本語においても「永遠な」という形があってもおかしくはない。そして意味的には、「永 遠」は、ときが無限につづく状態を表わしている点から、形容動詞と同じ意味内容をもっているから、「永遠」を名詞と 認定する立場からは「永遠な」は明らかに誤用になるが、「永遠だ」を形容動詞と認定する立場からは「永遠な」 は形容動詞の連体形として位置づけられ、何の問題も生じないわけである。実際の用例に当たってみると、芥川賞全 集と聖書からは「永遠な」という用例は見つからなかったものの、その他では「永遠だ」の連体形としての「永遠な」 が少なからず発見できた。そして「永遠だ」の連用形「永遠に」は「永遠な」に比べてたくさん用いられている。こ のことについて、本稿では、「永遠の」がすでに存在していて、それで十分用が足りるはずの意味分野において、新た に「永遠な」という形が潜在的な存在から顕現化するようになったと解釈した。ただし、「永遠な」という形が歴とした 市民権を獲得したと言っているのではなくて、もはや誤用とは言えなくなったのではないかという程度の主張である。

2

4,600원

When Seoul-dialect speakers attempt to learn Japanese language, "end focus" affects to syntactic structure, information sturcture, and speech discourse. "End focus" is identified by pitch changes and segmental lengthening at the end of the Perceptual Sense Unit(PSU). Ten Seoul-dialect speakers were chosen for the research on speech discourse. The results showed that "end focus" is classified as, the grammatical form at the end of postposition in speech discourse. Mostly, "end focus" is identified as meaning of reason postposition 「te(de)A」, meaning of adversative conjunction 「keredomo」, meaning of order postposition 「te(de)」, meaning of reason postposition 「node·kara」, and meaning of theme postposition 「wa」. Also, "end focus" has two discourse functions they are, one, a speech continuance marker, and two. an emphatic marker in speech discourse.

3

現代韓国語の語末語尾の形態分析 -日本語の連体形の用法からー

李泓馥

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.33-43

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4,200원

韓國語において,いわゆる時間性との關係をもつ先語末語尾の分類をめぐる從來の議論は樣??であるが,一般的には,從來の,述語の意味層に時制と敍法という二つの次元をもうけてそのどちらかに振り分けるという方法で先語末語尾を整理しているといえるだろう.しかし,これらの形態は時制と敍法として分けられる性質のものかなど疑問は多い. 本稿では,これら先語末語尾と冠形詞形との對應關係を形態と音を重視して形態上のみの分類を試みる.なお,先語末語尾と冠形詞形との對應關係を日本語の動詞·助動詞にみられる「活用」相當のものとみて,それぞれ一つの語の「終止形」と「連體形」としう「活用」ととらえるという視点を導入する.そして,連體形に關して,古代日本語の連體形が連體修??をする連體法の他にも,句的體言を構成する準體法 (連體形終止法) もあるという点にならって,韓國語の冠形詞形 (連體形)の用法も連體修??に限られないと考える.その上で,疑問·感歎の語末語尾をみると,その中に連體形が含まれているとみなすことができ,語末語尾について,「連體形+終結語尾」と分析できるということを主張する.

4

한국에 있어서의 일본어의 위상

임영철

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.45-54

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4,000원

本稿では,韓國における日本語の位相を明らかにするため,まず,最近の韓國の日本語敎育における一連の動向を槪說する.そして,マスコミや企業を對象とした調査,さらには最近の韓國人の言語意識の推移に關するアンケ-ト調査によって得られた結果に基づぃて,適宜中國·中國語と比較しながら言語の市場價値という經濟言語學の視座から考察を試みることにする.その上で,中國語に押され氣味にある韓國における日本語敎育の將來に向けて,機つかの提言を行う.今回,得られた知見をまとめると以下のようになる. まず,日本と中國を扱った總記事數から見ると,1997年,2002年を合計すると,中國より日本を扱った記事が多い.次に,各分野別の記事數の割合が5年間でとう變化したかを見ると,特徵として,中國を偏った視点から捉えるのではなく,バランスを取りをがら包括的に眺望しようとする姿勢が窺える.さらに,現在韓國の企業において最も重要視されている外國語は「英語」で,次いで大企業では「中國語」が,中小企業では「日本語」と「中國語」がほぼ同等視されていることが讀み取れる.最後に,卽戰力としての日本語,實用的な日本語という從來の學習傾向から敎養のための日本語へという變化が見られた.他方中國語の場合は,知識としての中國語から實用のための中國語へという變化がみられ,それそれ學習理由が變化したといえそうである. 今後,韓國において日本語學習者が增えるかとうか,中國語學習者が增えるかどうかは,それぞれの國の經濟の展開によって大きく左右されそうである.

5

5,500원

小稿は,日本語オノマトべの音韻的を特徵としてよくいわれている淸·濁の對立における,形態的對應と意味的對應との相關關係そ明tかにすることを目的とするものである.そのため,中世語と現代語のオノマトペを淸·濁の對立樣相によって分類を行い,比較·分析したものである. 考察の結果,中世語の場合は,ハ行を除いては,か行·サ行·タ行が全例意味的な對應をなしているということがわかる.これに對して,現代語の場合は,用例數も增加しており,意味的に對應をなしていない用例數も增加している.まず,カ行の場合は,最も多くの用例數を持っており,意味上對應をなしていない用例は各段において均等的に現れる.また,サ行の場合は,意味適に對應ををしていない用例の方が,意味的對應をなしている用例より二倍くらいである.すなわち,<ス:ズ><ソ:ゾ>の場合は,淸·濁の對立をなしている全例が意味的對應をなしていない,さらに,タ行の場合は,用例數も少なく,全例が意味的な對應をなしていることが明らかになった. 一方,ハ行の場合は,中世語には<ハ行:バ行>の對立であったハ行音の淸·濁の對立が現代語においては<バ行:パ行>の對立に變化した.このような變化の動因は[p]>[??]>[h]というハ行の變遷から求められる.中世のハ行はまだ[??]であり,この時期のハ行とバ行は兩??音という共通点に支えられて有·無聲の對立をなしているが,ハ行音が[h]になった現在にはそのような對立が崩れてしまった.しかし,オノマトぺにおいては一般語とは違って[p]の音價が維持されたので,現在の[b]に對する無聲音としての位置を占めることが可能であったのである.この場合,オノマトべの內部においては,ウ段の<フ:ブ>の對立は,中世語と同樣に<ハ行:バ行>の對立であるが,ウ段以外は<バ行:パ行>の對立が優勢であることが明らかにをった.

6

「ノ」와 「ガ」의 尊卑에 대하여

전형식

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.75-88

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4,600원

本稿は「大藏虎明本狂言集」に用いられている格助詞「ノ」と「ガ」の用例を分析し,先學の硏究で多く論じらきた尊卑の觀點から論を進めようとするものである. 日本語の格助詞「ノ」と「ガ」は本來互いに構文適機能が重なりながらも指示する待遇表現價値を異にする表現であったが,次第に兩方の構文的機能が分化していき,同時に待遇的を表現價値も消滅して現代に至っている. 歷史的にみると,「ノ」と「ガ」の兩助詞は連體格·主格兩樣に用いられ,その用法が極めてよく類似している.か近代になるといわゆる連文節中の主格用法「ノ」を除けば,主格用法は專ら「ガ」が連體格用法は「ノ」が持つようになり,このように機能分??が大きく變化する.しかし,初期の機能分??が變化する以前の「ノ」と「が」は同じ連體格·主格の用法を持っていて,兩助詞が竝行して用いられた以上,兩助詞の間には何かの違いがあるはずである.また,變化の過渡期においては少なくとも一般の口語では格助詞「ノ」と「が」の使用區分の基準が??味に進行していき,その使用實態は相當混亂に用いられたと考えられる.室町末期から江戶初期にかけて見られる口語資料にはどのようを變化が見られるかを考察すると,用例を分析した結果にの時期にはすでに兩者の尊卑の差はなくなってきて文法的に職能分化が起こり,連體格「か」は次第に衰え,「ノ」に吸收されてくる.

7

4,300원

本稿では,「??解新語」における日本語本文とハングル音注配置について調査·考察を行った結果,日本語本文に對するハンダルによる音注,音注配置が朝鮮語母語話者のための日本語學習に效果的あったことが指摘できる.まず,??音,促音,舌內入聲音(t入聲),??音などの場合には「ずらし表記」として??名文字に對してハンダル音注が規範的に二對一,または三對一の相對で示される.また,長音の場合には??名表記「~う」と「~お」に,ハンダル音注「~우」と「~오」が一對一相對の形式を規範としている「眞橫表記」が用いられる.特に,長音の場合は語形のゆれや??名遺いの誤りを犯しても,??名文字に對してハングル音注が一對一相對を固く守っているのが一般的である.これは,「??解新語」が朝鮮人の手になる朝鮮人のための日本語學習書という性格から,日本語の拍の實態把握に苦心しながらも,朝鮮語の音韻體系及びハングルの表記原理になじんだ朝鮮人學習者に日本語をより效果的に學習させようと,可能な限りの規範性·統一性に基づく??名表記及びハングル音注,音注配置を用いたものと解釋される.

8

開化期 外来飜訳漢字語의 受用(4) - 雉岳山(1908)를 중심으로 ―

최경옥

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.101-113

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4,500원

本稿は韓國の開化期の飜譯漢語の成立において,日本及び中國の飜譯漢語の韓國への受用を考察すちための基礎的硏究として實際,開化期の韓國で書かれた新小說の『雉岳山』(1908)を通じ, 日本及び中國の飜譯漢語の韓國への受用の過程を考察したものである. 本稿では『雉岳山』で使用している漢語を抽出し『大漢和辭典』,『日本國語大辭典』,『三國史記』,『三國遺事』,『高麗史』,『明心寶鑑』,『西遊見聞』,『西洋事情』,『世界國??』,『漢語外來詞詞典』,『明治のことば辭典』,『韓國漢字語辭典』,15世紀から19世紀までの主な韓國資料など,韓中日の主要資料から,その用例の有無を確めることに依り,韓國に入った外來飜譯漢語を確認し,韓國への受用の過程を明らかにした.硏究の結果は以下のようである. 1. 『雉岳山』で使用した漢語は全部で645語である. 2. 日本か中國でつくられた飜譯漢語として,開化期以前の韓國では,全く使用されたことのない漢語は『活動寫眞』『野??』等がある. 3. 日本か中國でつくられた飜譯漢語であるが,開化期以前の韓國で??に,その形態が存在し,使用されていた漢語は「自由」「天然」「平日」等がある.

9

4,300원

仮定条件を表す「と」形式には文末制限のために用いられない形式があるが、その中でも例外的な文の存在が 指摘されている。しかしこれらの文がなぜ成立するのかという問題には言及されていない。 本稿ではこれら例外的な文が成立する理由について、これらの共通点を明確にし、仮定条件を表す「と」の特徴、 つまり後件には当然起こるべき事柄が來るという点と関連させて述べる。 更に文末制限には挙げられていないが、推量の表現も文によって後接できるものとできないものとが存在する。この 違いは推量表現を取り除いた文がどのような文であるかということに起因する。また仮定条件を表せる文でも、後接する 推量形式によって表す意味が異ってくる。そこで、まず推量表現を取り除いた文を仮定条件の文、反复․習慣の文、 反复․習慣から派生した文の三つに分類する。更に推量形式も「だろう」型と「ようだ」型に分類をする。「だろう」 型が後接した場合は全て仮定条件文になるが、「ようだ」型が後接した場合は文の種類によって仮定条件文と恒常 的なものとして捉えた文(非仮定条件文)との二つの文に分かれる。

10

後期洒落本における構成法の一考察 ー場所の変化を中心にー

康志賢

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.127-137

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4,200원

酒落本に描かれた「場所の變化」は,『遊子方言』以來の酒落本の傳統的構成法<出會→道中→宴席→床→後朝>に沿った行爲の變化とかみ合うものである.從って,この構成法と共に,その行爲が行きわれている場所について,後期酒落本の三大作者,十返舍一九(全15種)·振?亭(全10種の中で8種)·式亭三馬(全5種)の酒落本を相互對照という方法を通して具體的に揭げていくことにっする.それによって,後期酒落本の構成法における前期酒落本との相違点や類似點,及び後期酒落本の三大作者,各 の個性をも괵むことを目的とした. 後期酒落本界では,振?亭の寬政期活躍が終わる頃,寬政末に式亭三馬が登場し,彼が休息の享和年間は十返舍一九が代役を立派に果たして筆を置くやいなや,再度,式亭三馬が文化初め頃に活躍を開始する. 十返舍一九が酒落本は,全く傳統的構成法に從って場面を展開していったものもあれば,樣 な變革を企てたものもあって,除いたり,伸ばしたり,重ねたりしながら變化を求めているのが分かった.また,一九は山東京傳に次ぐ吉原비?者らしく,彼の酒落本の舞臺背景は全て吉原になっているという点が,振?亭·三馬との差でもある.猶,一九は殆ど大見世らしき所を撰んでいた.天明期の酒落本と,十返舍一九を大表とする後期酒落本との差は,妓?の名前を背景として出しているかいないかというレベルの問題ではないようである.京傳は遊女が所?した妓?により,言葉遺いまで分けて記していた.しかし,一九の全酒落本中の半分余りには妓?名が言及されているのにもかかわらず,兄,吉原の大見せという普遍的性質を以て描かれるのみなので,舞臺背景として妓?の名前は京傳のそれ程意味待たなかった.それは寬政末·享和期の吉原という時代的特性に基因するところが多いためと思われる. 振?亭の場合は,最初,吉原を舞臺にしていたが,徐 に深川も描くようになり,後になると專ら深川のみを對象にするようになった.構成法としては,一貫したものと,オムニパス式のものがあり,一九のように傳統的構成法に沿った分け方をするには大變因惑を覺える程,<宴席>と<床>の場面に偏っている.そして,オムニパス式,或いはエピソ-ド風の構想が全作品の四割方を占めているという事實は,一九·三馬との大きい相違点である.式亭三馬酒落本の構想上の特色としては,物語性が拳げられる.それは一九の傳統的構成法に細かく沿う方式とも違えば,振??亭の,オムニパス式構成法とも違う.三馬は同一人物を以て三種もの作品に連續して登場させることからスト-リ-性を待たせているが,その代わり場所は一貫して居らず,段 遊里を離れて庶民の生活の場入り입もうとしているのが分かる.舞臺は主として深川になっている. 結果的に構成法に於いては,十返舍一九のものが一番傳統的酒落本に近いと言えよう.黃表紙·滑?本ではあれ程田舍を好んでモチ-ブにした彼が,酒落本では吉原に拘り續けた事實もそれを傍證している.以上の三人は,大きく吉原,苦しくは深川といった漠然とした背景の中で場所の變化だけを描]き分けていないということは事實であって,それは寬政享和期には,卽に吉原·深川等という程度の區別しか付かなくかっていた時代の故であろう.

11

七夕歌と「少名毘古那神」小考

高龍煥

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.139-157

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5,400원

人麻呂の歌集の略體歌に記載される「少御神」に就いて,筆者は人?呂の歌集歌の七夕を視座に入れながら關連の紀記の敍述を綿密に分析し,且つそこに隱されている宇宙な神秘と國ツ神としてのこの少名毘古那神そのものの內性と職能の究明を謀り,同神の實態の肥?に挑みたいとした. 周知のように『萬葉集』の七夕傳說には,すでに漢詩文の七夕詩をはじめ,紀記の神話にも見られるように相愛の男女(牽牛·織女)が互いに天の河を中に兩性の隔ての構造をもって始原の神話が語られている. さて,スクナビコナ神が乘るこの「天の羅摩船」はなんであったかを深るに,「かがいも」の實を?つたものを船に見立てたことがわかる.また, この「芽草」という語を借りて人間を蒼生する言葉に置き換えられたであろうことが察せられる.さらに,この「靑人草」の表現を借りてみると,人が大地から誕生した(萌え出た)草だという神話への始原話の展開をみることができ,そういった場合, 人は草のような存在打というより,草そのものだったのであったこと,またその背後には「人草」「蒼生」という字を借りて人間の起源神話をも抱え입むような幻想と語りの展開の樣子を見せる敍述であろうことが窺える. そして人?呂の七夕歌(二○一三番)における「月の船」とは「水陰(水氣=太陰⇒水陰」と書かれたことにより,宇宙の再生を司る靈格として了解されてくるばかりか,且つ月が「天の使い」であったことの特別な意味を宇宙の生成力の根本をなす存在態として神話的な要素の中?にある表現であろうことが推察される. 引き續き,七夕歌のぱウンダリ-と 連携し[ぇこのスクナピコナ神の屬性を解體しようとした時,まず『出雲風土記』に登場する「飯石鄕(多 の鄕)」の條に載る地名起源說話の例が主要であったこと,またその他に同神と交涉をもつ周邊の神 との동き掛けと行動樣式等を宇宙論的な內容の性格をもって究明してみるならば,神話の觀念體としての同紙の神性と生成原理は自然に み得られると思われる. 要するに,國づくりの過程の中でこのスクナビコナ神の實態とは,地主神にふさわしい農耕の神であったことが證明でき,さらに突き結めればスクナビコナ神は?種子を象徵としての神格を具備し,神話の中に語られているものと察せられる.詰まるところ,七夕歌と少名毘古那神の構想]とは,農耕儀禮的な性格を要として創出された神格であったことが窺い知られる.

12

『다이코키』(太閤記)의 임진왜란 기사에 대한 고찰

金時德

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.159-174

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4,900원

本考では,『太閤記』卷13-16收錄の壬辰倭亂關聯記事を分析し,「反復敍述技法」·「敗勝構圖」·能樂上演記事の日子改變,の三つの結果を得た.まず「反復敍述技法」は,『太閤記』の成立唐詩,日本國內に壬辰倭亂關聯資料が不足したためになされた敍述方法であったと思われる.これは,一つの事件を述べる記事が,各 相異った事件を述べた二つの記事と結合した形で,卷13-16內に二度登場し,結果的に一つの事件が本文內で反復去れたいることを指す.次に「敗勝構圖」とは,いくつかの戰いを,(日本軍の立場に立って)「敗一勝」の構圖をもって配置したことを指す. 一時的には日本軍が朝鮮軍·明軍に負けたことがあっても,そのすぐ後に勝利を獲得し,そんな「敗一勝」の重なりによって,日本軍が壬辰倭亂の全體的な戰況を有利にリ-ドする構圖になることを指す.こんな戰況の末に,7年戰爭の「分目の合戰」であると作者が主張する碧蹄館の戰いで日本軍が勝利することによって,日本は明國との和議交涉で優位を占め,壬辰倭亂は「日本が勝利した戰爭」でありえた,という構圖が完成されるのである.また,能樂上演記事の場合, 能樂上演記事及びその前後の記事の配置は史實とズレていて,作者の創作意圖が作り上げたこのズレによって,能樂上演記事藻もまた,「日本が勝利した戰爭」としての壬辰倭亂觀の創出に一助している. 『太閤記』の壬辰倭亂記事は,「日本が勝利した戰爭」としての壬辰倭亂,という槪念を創出しようとした作者小瀨甫庵の意圖を基として緻密に記述されている.そして,その記述の思想的な背景とは『太閤記』卷1-16の根幹をなす.「天下統一三段階論」である.『太閤記』のなかで,秀吉の「天下統一」過程は三段階をなしていて,その三段階論で壬辰倭亂は,三段階中のクライマックスなしている.『太閤記』で提示された,「日本が勝利した戰爭」としての壬辰倭亂という槪念は, 『太閤記』以降に作られた壬辰倭亂關聯作品群,ひいでは,壬辰倭亂の江戶文化への影響を硏究するときに,必ず考慮すべきであると思う.

13

4,200원

作品は〈一〉の晝の〈蜃氣?〉見物を前提に,〈ニ〉の夜に〈僕〉の心境を交えた簡潔な文章になっている.が,作品全體に漂うのは作者の不氣味な思いや不安である.たとえば,金婚式が〈いつになるかな〉などどいう未確定であるために不安になる思いはテキストに所 に使われている.〈ゆうべの夢〉で或文化住宅の前に會ったトラック自動車の運轉手が,顔は女であるが,實際は男の人だったという錯覺がそれである.〈何だか意識の?の外にもいろんなものがあるような氣〉がしたり,〈アッチへ火をつけで見ると,いろんなものが見えるよう〉であるが,僕等の顔だけははっきり見えでも,星明りさえ見えないのである.また,パタ-だけが?き,ソ-セ-ジ-が?いていないというのもそれである.そして,作品の底流れているのは〈僕〉の神經を尖らす不氣味さと不安である.作者は〈蜃氣?〉というぼやけている,不氣味な自然現象を素材にして,自分の經驗した未確認で不安な心境を表しているのである.

14

4,800원

本論では『古事記』の須在之男命の誕生,分治조を取り上げ,これらが『古事記』上卷の文脈においてどのように描かれ,『古事記』の中でどのような意味をもつかについて『日本書紀』の記事をも視野に入れつつ檢討を加えた.ことに伊耶那岐神による須在之男命の第一の追放に注目し,その原因を『古事記』の構想の問題として促え直した.その結果,從來高天原での第二の追放とともに大불 嘗祭との關連で說かれてきた須在之男命の第一の追放の意味を問い直すことで,第一の追放が須在之男命神話の展開を推し進めて行く契機となる核であり,須在之男命が追放されたのは,從來言われているように彼が惡神須在之男命や罪の化身だからではなく,伊耶那岐神から統治の「コトヨサシ」を受けている「貴子」であったためであることを明らかにした.

15

4,500원

古代における內廷での婚姻形態は天皇を中心とした父兄近親婚をとり,閉鎖的な血緣集團を形成していた.また,妻問婚的であったことから異母兄弟姉妹間の近親的意識の弱さをその基底に持っていた. このような內廷での「ニ男一女」の戀は卷一「雜歌」では同母兄弟である天智·天武天皇による妻爭いとして詩的素材化された.更に,卷二「相聞」においては題詞に「?」を用いつつ,石川郞女をめぐる大津皇子と日병皇子,단馬皇女をめぐる高市皇子と혜積皇子の戀の??として描かれている. なお,大津皇子歌群での「占い」,단馬皇女歌群での「人言」の取り入れは,これらが記紀の輕太子と同母妹の禁忌侵犯の戀の露顯に用いられていたこととも類緣性を待つと考えられる.また,?かな戀において隱れていた戀が「あらはれる」こと,つまり人に知られるということは當事者をして新たなる決斷,行動へと導くものであった.

16

芥川龍之介における<クリストの一生>の意味

林薰植

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.217-226

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4,000원

Akutagawa Ryunosuke is one of the leading authors in the Taisho era of Japan. He wrote a book titled Saihonohito, (The Westerner) described the life of Christ, which he in fact reflected his own thought and feeling through the life of Christ and there is an extraordinary statement in his writing. He wrote of the ladder that was mercilessly broken which was meant to use for ascending from Heaven to Earth in the chapter 36 of `The Life of Christ`. The sentence was so absurd that it has been the focus of debate in the study of his work if it was simply an error. The purpose of this study is to search his intention of using the particular expression and true meaning of it. According to the Bible Jesus had a victorious life through the series of happenings such as His nativiw, fulfillment of His mission on earth, death on the cross, resurrection, and ascension to Heaven. However, Akutagawa regardd the life of Jesus as a failure. It is because he looked at the life of Christ through his own point of view for life as an artist-for-art in principle with regret and sorrow. Seemingly, Akutagawa developed his unique skill by employment of the dual expressionism with the intent to symbolize his own footstep and wish and derived the statement. Therefore, The Life of Christ is ultimately the life of Akutagawa Ryunosuke which is a from of confession as an artist to reflect his own idea tracing the footstep of Jesus Christ.

17

4,800원

本論文は,「きりしとほろ上人傳」に입められた芥川獨自の思想を確認するため,特に,本作品に描かれている神と惡魔の特性に注目し,その意味を分析することにより,芥川獨自の善惡觀を究明してみようとしたものである. 本作品は,基督敎聖人傳を典據に,その形式を借用しているが,本作品に提示されている善と惡は,人間の自我を中心に,それに對する肯定と否定の力として分れており,神の戒律を中心に,それに對する順守と違反によって分れる正統的基督敎の善惡とは異なる.正統キリスト敎における善と本作品においてそれが一致する部分は人間愛だけに限られでおり,本作品には,神の榮光のため神の戒律に從うととにより神に歸依刷ることを良しとする善と槪念は全く排除されている. 芥川は,文明の價値體系を內面化できず,ただありのままの自我の實現ために生き得た〈れぷろぼす〉の,强く純?でかつ美しい一生を通じ,人間本來の自我の自由なる發現が卽ち神が人間に求める善であるとし,反對に人間本來の自我とその發現を害する〈力〉こそが惡であると主張するのである. 芥川のそうした獨自の善惡觀から,芥川が人間本來の自我を善なるものとして信賴する近代自我思想に基盤し,それを抑壓し歪曲,奢損させる,文明社會のあらゆる權威的體制に反發していたことを?い知ることができる.

18

1910년 전후 서울에서 활동한 일본인 연극과 극장

洪善英

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.243-252

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4,000원

本稿は一九一○年前後のソウルにおける日本人劇團の演劇活動にかんする考察である.とくに劇團,興行主,劇場,舞臺裝置,興行システム,上演形態などにかんする基礎的な調査を行い,演劇をめぐる物質的な基盤と受容する側のあり方の多樣な要素と流動的な形態の部分に視點を据えて考察した.一九一○年代の韓國において日本文學および演劇の 案が行われる以前から,ソウルの劇場では日本人劇團による演劇活動が行われていた.ソウルの日本語新聞「京城新報」(一九○七年∼一九一一年)の演藝欄とソウルで出版された日本語文獻を中心に基礎的調査を行った結果, 一九一○年前後にソウルの南部地域を中心に形成された日本人街には,劇場一○ケ 所,寄席ニケ所,活動寫眞館三ケ所など舞臺上演施設が設けられ,そこでは新派劇,歌舞伎,淨瑠璃,浪花節,活動寫眞,大道藝というさまざまなジャンルの公演が行われていた. 一九一○年前後にソウルへ渡った日本人劇團による演劇活動に注目시,ソウルの 日本語新聞「京城新報」の演藝欄とソウルで發刊された日本語文獻を中心に基礎的な調査を行った. そしてそれらの事實を通して,これらは當時のソウルにおいて日·韓の文化の相互交涉の産物であったこと,また人 と文化の越境に伴い, 「高級」「低級」,「高尙」「通俗」といった境界を曖昧にする流動的な性格のものであったことを指摘した.また,日露戰爭前後にソウルの南部を中心に形成された日本人街にかんする調査の結果,劇場一○ケ所,寄席ニケ所,活動寫眞館三ケ所などの上演施設が急速に增え,新派劇,歌舞伎,淨瑠璃,浪花節,活動寫眞,大道藝というさまざまなジャンルの舞臺公演が行われていたことがわかっ. 一九一○年代の韓國における日本文學および演劇の 案が行われる以前に,ソウルの劇場で日本人」劇團による演劇活動が行われていたのである.演劇の內容は,シエイクスピアの 案劇をはじめ,「パトリ-」のような戰爭劇,探偵劇,家庭劇を特徵とする演目が多く上演され,多數の觀客に娛樂と慰安を여えつつ,祖國愛,夫婦愛,孝行などの共通の道德や倫理,それに階級意識などを涵養する內容を입むもの多く含まれていた.また,本論文は日露戰爭前後から一九一○年前後にかけてソウルをはじめ,東アジアの地域を移動したがら演劇活動をしていた日本人劇團の存在を取り上げ,大衆文化の一部を단ってきた日本人劇團の活動を日本の近代演劇史のなかに改めて位置づけようとしたものでもある.

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일본의 경제민족주의

具見書

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.253-269

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本稿の目的は平成の經濟民族主義がどんな內容をもち, どんな目的と問題點をもっているのかなどを學問的に考察し,その實體を明かにすることにある.平成の經濟民族主義は,昭和後期にいたるまでかがやく展開された日本經濟が21世紀にはいり,國際社會のなかで力を失ない,不況の長期化,成長限界,日本國民の自尊心と自信感の喪失などによって生じられたものである.他方で經濟的な豊かさを讀きながら國際社會のなかで經濟大國の地位を確保し,21世紀日本經濟の發展を求めるために行われものでもある. 平成の經濟民族主義は日本型發展モデル-の落後性と經濟敗北論に基づき,新日本型發展モデル-の形成,官産學複合體と未來産業の構築, 日本經濟圈戰略の推進, 21世紀總合モデル-の實踐などとして行われている.この經濟民族主義は經濟不況と成長限界を乘り越える政策として日本型發展モデル-の抛棄, 官主導經濟政策から民間主導的 經濟政策への轉換, 協力經濟から競爭經濟への轉換, ジャパン不敗經濟の認識,穩健社會から過激社會への轉換 などを推進している特徵がある.

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東아시아의 同化와 共生 ー在日 韓人의 家族生活을 中心으로*ー

文玉杓

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.271-285

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"East Asia" is the term that has recently come to attract considerable attention both in the media and at various academic meetings. At an ideological level, it comprises various attempts to construct an alternative discourse about the East and the West by questioning the universal validity of the languages and the frames of knowledge originated from the West, and by recovering in the East (East Asia) what has been lost, muted, under-represented or distorted in the dominant representations. At a more practical level, the emergent discourses include an urge for the countries in East Asia to overcome separate national interests and to form a political and economic community as a concrete reality, and thereby to become one of the major leading forces of the world history in the 21st century. One of the common features of these attempts is the fact that they invariably presuppose substantial cultural similarities among the East Asian countries and endeavor to develop these commonalities as the bases for constructing East Asia as an integrated political and economic community. Through the detailed case studies of a number of Japan-resident Korean families, this paper will analyse the realities of this concept of "East Asia as a community". The lives of Japan-resident Koreans provide us a critical space in which we can examine the nature of cultural heterogeneity encompassed by the term East Asia as well as the extent to which one national community is able to incorporate different ethnic and cultural elements and yet to live together in peace without much discrimination, oppression or violation of human rights. While it is true that various forms of discrimination against the Korean residents in Japan persist even today, the discourses of internationalization and multiculturalism emerging in the mainstream society enable some of the younger generation Koreans in Japan to manipulate the politics of identity in their attempt to tight against the pressures of assimilation and to demand to be accepted as full members of the society as ethnically Korean residents.

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本硏究は明治·大正期の修身敎科書を對象にして日本近代の`子供形成`に關して論じることを目標とする.特に日本が新しい`國民養成システム`として提示する「均質の空間」で表象される子供に關して, 修身敎育と修身敎科書を通して考察している.修身授業のとき語られる物語を通して子供は,自ら天皇の子供であることを自覺し,日本のために?身した偉人や傑士を學ぼうとする. そして物語と子供を繁いでいる敎師は子供の自我形成において重要な役割をはたしている.そして修身を敎えるためにはまず敎師自身が修身されていなければならない.ちょうど修身敎科書の登場と同じ時期に社會的な現像として修養プ-ムが起こった.そして修身授業の核心となる「よい人」「よい日本人」に關する敎育は,子供を學校という「均質の空間」に`日本國民`として再配置することに荷단している.修身敎科書の子供敎育は,子供個個人の特性は下位價値におき,學校,授業 ,生徒,先生という媒介を通して「均質の國民」を養成している.義務敎育である子供の修身敎育は子たちに,自分,家族,友だち,村,社會,國家が一つになっていて,それが大きい共同體を作っていることを自覺させている. このように〈裝置〉は日本の國民國家の形成の過程で子供という存在を〈記號化〉してしまうのである.

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일본에서의 외국인 노동자사이 정책의 정치역학

明石純一

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.303-320

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1980年代の景氣の上昇,通貨の高勝,中小企業の人手不足などが誘引となり,近年,日本への外國人勞動者の流入壓力が急速に高まっている.そして,この現像をめぐる主要な議論は,外國人勞動者の受け入れを自明なこととし,その經濟的利害や社會·文化的次元における諸影響の分析に取り組んでいる.しかしながら,勞動力の國際的な移動が加速·廣大している現代においてさえ,または,そうした時代背景ゆえに,外國人勞動者を,どこから,どの規模で,いかなる條件のもとで受け入れるかを決定するプロセスには,極めて强い政治的要因が作用している. 産業界からの要請を恒常的に受けている日本政府は,外國人勞動者受け入れの方向性を「政治的」に操作し,受け入れの廣大を可能とする 組みの變更を試みる. 一方で,行政側の關係各省廳は,このような政治的介入に對して時に否定的に振舞いながら 卽在の權限の保待あるいは組織目的にかなった政策の廣張をめざす. 日本において,外國人勞動者受け入れ政策が公的に形成されていないまま, 彼(女)らが現實に就勞しているという點が多く指摘されるが,このことは,政策形成過程における政治と行政的立場の半ば對立する二元性と無關係ではない. 本稿は,受け入れのメリットとデメリットに敏感に反應する組織やセクタ-間の錯 した利害關係に着目し,「政策アクタ-」(間の摩擦,交涉,妥協のプロセス) およぴ 「セクショナリズム」という觀點から,この政治力學の構造を明らかにしている.

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東아시아 地域의 都市政府間 競爭과 協力시스템

禹東琪

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.321-331

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There is no alternative to cities. Cities have no choice but to live with and to catch up with others that are already way ahead. However, the phenomenal growth of urban population in east asia poses its own blessings and grave challenges. The process of urbanization must be understood as a basic condition for as a functional consequences of economic, social and technological development. But rapidity that surpass an absorptive capacity, and mega-city phenomenon and its offspring of urban corridors have rendered promises as well as challenges. The First is the international impact of urbanization in East Asian countries. As economic growth becomes more interdependent among nation, cities in national systems begin to articulate across national boundaries with specific functional complementarities. Secondly, excessive Concentration of population and economic activities has brought with serious environmental problems. Questions arise on the sustainability of urbanizing East Asian continent. Environmental problems are also becoming transnational. The third issue is that the emergence of urban corridors have accentuated the on-going disparities at international, nation and interurban levels.

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1624년 明淸交替期의 日本使行

鄭章植

한국일본학회 일본학보 제56권 2003.09 pp.333-350

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1616年滿州で後金が勃興し,1618年釜山で倭館が增改築され,委]館には對馬人の往來が頻繁になり,これによって接待と貿易に樣 な弊害が生じた.對馬人は,戰後の日本の武威をがさに着いて,狐假虎威する「余威」で朝鮮협かし,自分らの利益を欲しいままにしたが,朝鮮は北邊が不安なので,彼らを對日本外交のてこに利用しようと,ある程度の弊害は我慢した.實利的な外交で朝鮮の安全を保とうとした光海君が反對派により廢位され, 1623年には仁祖が 「 向明排金」政策に變えたため,北邊は益 不安になり,朝鮮は「北虜南倭」の狀況に直面した.そんな折,幕府から使臣派邊の要請があり,1624年朝鮮は? 「回答兼刷還使」を幕府に派違した.使臣は日本を「島夷」だと考えていたが,日本での庶民の秩序や國の經濟力に多少の驚きを感じた.たが,日本が朝鮮の學問に深い關心を寄せているのを見て,日本の武に對する劣等感を挽回刷ることができた. 使臣が探索した日本の國情は,家光將軍の治世に不安があったが,朝鮮を再侵する恐れはなかった.今回の使臣の報告により,朝鮮は日本に警戒心を緩め,北邊の防備に萬進することができた.1624年の使行を境に,朝鮮は「南倭」の心配を忘れて,日本と交流關係を待つことが出來るようなった故にこの使行が「通信使」外交へ轉換點だと言えよう.

 
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