2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
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2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
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2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
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1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
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1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
한ㆍ일 양국어에 있어서의 사역구문의 대조연구 - 사역구문의 연구 패러미터를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제38권 1997.05 pp.15-29
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本論文は.韓國語と日本語の使役構文を對照するにおいて.單に兩言語の形式を對應させる方法から脫し.言認普遍性と言語類型論の硏究における使役構文の普遍性と使役構文の硏究に關するパラメ-タを通じて考察したものである.ここで扱った使役構文の硏究に關するパラメ-タは形式的パラメ-タと意味的パラメ-タであり,このらち.意味的パラメ-タについては,その中の-つである眞性使役と許容の區別を中心に論じた.要約すると,韓國語には使役形式として,分析的使役,形態的便役,語彙的使役の三つのタイプが存在し,分析的使役の形式には眞性使役と許容の二つの意味を同時に表わす形式とニつの意味をそれぞれ別別に表わす形式が兩方存在する.一方,日本語には使役形式として,形態的使役,語彙的使役の二つのタイプが存在し,このらち,生産的な形態的使役の形式が眞性使役と許容の二つの意味を同時に表わしている.これ以外に,使役構文の意味に關する硏究には,直接便役と間接使役の區別.被便役者の保持する制御の程度といらパラメ-タもあるが,本論文では紙面の都合で扱えなかった.これらの問題については.これからの課題としておきたい.
日本語의 直接使役과 間接使役 - 直接使役의 파생과 動詞의 再歸性과의 연관성을 中心으로 -
한국일본학회 일본학보 제38권 1997.05 pp.31-45
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本稿は「サセル」形で表現される日本語の使役が問接使役の意味の他に直接使役の意味をもあらわすことができ,特に,直接使役の意味は再歸性をおびる動詞から限定されて現われ,また,規則的に派生するといらことを論證したものである.ま,直接使役は「サセル」形の他に「セル·サス」形の使役動詞の派生も可能であることを檢證した. 再歸性をおびる動詞から生産的に派生した直接使役文(=使役動詞文)は.他動記文と間接使役文との中問的な性貿をもつものであることが檢證された.まず,意味的な相違においては.使役文の二つの有生の參與者である使役主のはたらきかけの性質と被使役者の動作の性賃という二つの側面から考察した.直接使役文の使役主は間接使投文の使役主とは異なり.直接的な動作を行ら.この点で他動詞文と類似性をもつ.被使役者の動作の性質においても,直接使役文の被使役者には最小限の動作性のみが認められる.卽ち.使役主のたらきかけを拒否しないといら消極的な意味の動作性なのである.このことは,間接催役文の被使役者が自分の意志によって動作を行う動作主であることとは明らかに違らものである. 統語的な特徵においては再歸代名論「自分」の同一指示關係における相違と副詞句の解釋上の相違といら点から直接使役文と間接使役文とが相違をみせた.他の言語でも觀察されるように,日本語にも直接使役文と問接使役支が意味的に區別されて存在し.直接使役文は形態的にも別の形熊をとっていることが檢證された.なお,直接使役文は他動詞と間接使役文の中間的な存在であり.形態的·意味的な連續性をもっていることが證明された.
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「시제」는, 상태 혹은 동작이나 변화의 성립표현에 이용되는 형식과 의미가 결정되는 과정을 이해함으로써, 그 체계를 분명히 할 수 있다. 동작이나 변화의 성립이 문제가 되지 않고, 어떤 시점에 존재하는 상태로부터 파악되는 상태의 표현은, 상태가 존재하는 시점이「시제」에 관계되므로, 그 형식의 의미는「상태의 존재시」에 의해 결정된다. 이에 대하여 시간축선상에 성립하는 시점이 문제가 되는 동작이나 변화의 성립표현은, 동작이나 변화의 성립시가「시제」에 관계되므로, 그 형식의 의미는「동작이나 변화의 성립시」에 의해 결정된다. 「시제」는 「タ」형과「ル」형이라고 하는 대립하는 형식으로 나타난다. 이 대립하는 형식은, 표현대상이 상태를 나다내는 경우, 과거와 현재를, 표현대상이 동작이나 변화의 성립을 나타내는 경우, 과거와 미래를 나타낸다. 문이 나타내는「시제」형식의 의미는, 그 대상이 시간축상에 어떻게 나타나는가, 하는 것에 결정된다. 「시제」는 그것을 담당하는 술어의 형식에 의해 화자가 그 대상을 어떻게 인식하는가를 나타내는 것이므로,「시제」형식은 어느 일정한 의미를 갖고 있지 않으면, 화자가 어떻게 인식하는가 하는 것을 분별할 수 없다.「시제」란, 표현대상과 그것을 파악하는 화자의 인식방법과의 조합을 나타내는 규칙과 같은 것이라 할 수 있다. 따라서,「시제」는, 처음부터 시간축과 표현대상과 화자라고 하는 세 요소의 관계에서 분석해야 한다.
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日本書紀三十卷は720年 撰進された 日本最初の 歷史書として純粹な漢文體で書かれている.ところが,この史書は他の漢文文とは異なり,それは朝廷で公に日本書紀講讀が傳統約に行われてきた.10世紀ごろには日本書紀本文の詳細の部分まで訓讀していたことが現存する諸古寫本及び「日本紀私記」などで知られる.日本書紀硏は鎌倉時代以前までは.明經道·紀傳道などの博士家によって行われたが.鎌倉時代にはいっては神道說と關連が深いト部家が擔當することになる. 日本書紀諸古寫本に現れる訓法は,系統的に大きく二種類に分けることができるが.-つは古本系古寫本であり.もら-つは中世の日本書紀硏究を擔當するよらになったト部家系統の諸寫本である.ト部家の日本書紀硏究は.「日本紀私記」などによる書紀古訓及びト部家特有の新訓を傳えており,鎌倉時代以後の日本書紀硏究に大きな影響を及ぼしいる.特に初期ト部家の訓法を表す釋日本紀は,鎌倉時代以後の多くのト部家の寫本に影響を與えた.現在にいたっても釋 日本紀の訓法は.日本書紀硏九の基礎的な資料として用いられており,古註釋書でありながらその價値は少なくない,ト部系釋日本紀の訓法は,その以前の古本系諸古寫本の訓法を傳えてはいるが.しかし.多くの部分は古訓法とは異なる訓法を表していることが指摘されている.最も大きな特徵として擧げられる釋日本紀の訓法は,その以前の古本系諸古寫本の多樣な古訓法をト部系の傳統的な學習により單純化したことが擧げられる.その單純化された訓法の內容を日本書紀訓法の特性と知られる敬語の使用.古代韓國語の表記.漠字音でない和訓による訓法を古本系諸古寫本より重視したものとして現れる. 從來には書紀硏究において日本書紀諸古寫本とト部家釋日本紀の訓法を漠然とした推測と個別的に說明しようとする傾向が必しもないとは言えない.このような立場にたって,この論文はト部家初期訓法の幾つかの特徵を提した.
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本稿は松ヶ岡文庫藏『無門關抄』に見える諸文法要素のうち, いわゆる東國語的要素についての考察である. すでに, 書誌學的な面の硏究から東國語脈を反映している文獻という報告はあったものの各各の特徵と要素がどの程度現われているかまではまだはっきりされていない. そこで, 記述文法の側面からその特徵と要素がどの程度現われているか調べることにする. その結果, 本書には次のよらな4つの現象が東國語的要素として代表的に現われていることが分かった. まず, 文末指定辭からは「ナリ」と「ゾ」が860例·441例ずつ現われていて, 基本的に「ナリ·ゾ」形式と言ぇる. しかし, 1例しか見えない關西系の「ヂャ」に對し, 東國系抄物で多く使われていた「ダ」が11例見えていることから, 單に「ナリ·ゾ」形式の文獻というよりは東國系の文末指定辭「ダ」を多く含んでいる「ナリ·ゾ」形式の文獻という表現が適切であろう. ニ番目は, ハ行四段動詞連用形において, 少ない用例ではあるが, 東國系の特徵の促音化現象が當時の中央語の特徵のウ音便ほど現われている. ここでは兩言語系の樣相が混在されているのである. 三番目は, 形容詞連用形の接續の場合で, 東國系の特徵の原形「ク」形が90パ一セント以上現われている. 最後に, 順接假定條件の意の條件句を作る時, 當時の中央語で一般的に使われていた接續助詞「バ」ほど東國系の「ゥニハ」が使われている. 以上の諸現象から, 本書は東國系の假名抄物といら旣存の分類と呼稱より東國語的な言語要素が多く含まれている假名抄物という呼稱がもっと適切であると思う.
4,300원
日本語 韻律 敎育 敎材 및 敎授法 開發의 基礎資料를 얻기 위한 目的으로 日本語 學習者를 對象으로 「東京語 악센트 廳取 테스트」를 實施하였다. 특히, 本 硏究는 서울 出身의 日本語 學習者가 東京語 악센트의 피치 下降을 어떻게 知覺하고 있는가를 알아 보기 위해 日本語를 專攻으로하는 1, 2, 3學年의 大學生 108名을 對象으로 聽取實驗을 實施하였다. 聽取 테스트는 3部로 이루어져 있고, 各各의 테스트는 3, 4, 5拍語의 서로 다른 악센트型으로 24項目씩 構成되어 있다. 聽取테스트는 學年別, 成績群別, 테스트別, 刺激語의 拍數別, 악센트型別로 分析한 結果, 서울 出身의 日本語 學習者인 경우, 頭高型 피치패턴을 제대로 知覺할 수 있는가 하는 점이 全體의 正答率에 큰 影響을 미치고 있음을 알 수 있었다. 또한 學年別보다는 成績群別로 봤을때의 差異가 큰 것으로 보아, 個人差에 의한 習得度가 크다는 것을 알 수 있었으며, 具體的으로는 다음과 같은 事項을 알 수 있었다. 1) 東京語 악센트의 聽取에 있어서 1,2學年에 비해 3學年이 頭高型 악센트의 聽取力이 뛰어나다. 2) 單獨語 刺激을 使用한 테스트 1이 가장 正答率이 높으며, 拍數別로는 拍數가 적은쪽의 成績이 가장 높다. 3) 中斷 인터네이션과 疑問 인터네이션에서는 疑問인터네이션이 使用된 경우의 正答率이 높다. 4) 聽取 테스트에서 成績이 그다지 좋지 않은 被驗者는 平板, 尾高型의 聽取는 比較的 쉬운 편이나 頭高型 악센트의 聽取는 어려운 傾向이 있으며, 成績이 좋은 被驗者는 頭高型 악센트가 平板, 尾高型 악센트와 함께 成績이 좋은 편이다. 5) 成績이 좋은 被驗者라도 5拍語의 3拍째에 악센트가 있는 刺激語인 경우는 正答率이 낮은 것이 觀察되었다. 이것은 刺激語의 構造가 (尾高型의 3拍語 名詞) + (2拍語 助詞)인 것에 起因하고 있다는 可能性이 있다고 본다.
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言語というものは, 人間の內部の領域である意識の世界を表現する手段であるので, 外來語に關する言語生活を硏究するためには, 外來語の實態調査も重要であるが, それとともに言語意識の問題にもっと接近する必要があると思う. 小稿は外來文化および外來語硏究に對する見解を異にしてきた韓國と日本を對象として, アンケ一ト調査を通じて, 外來語の受容を比較·考察し, 自國の外來語の位置付けをあきらかにすることにその目的がある. 具體的には, 外來語のイメ-ジとその使用についての見解, そして外來語の增減に對する認識度と理解度を調べた. 先ず, 韓國は外來語のイメ一ジでは外來語の發音と理解の難しさを高く擧げているが, 外來語の使用問題においては, 自國語の傳統性のせいか, 外來語の使用は好ましくないという立場を强く表している. 一方, 日本は外來語の機能的な面と感覺的な面を高く評價していて, 外來語のイメ一ジとその使用を肯定的に認めている. 次に外來語の認識度では, 兩國とも外來語の增加を認めているが, 外來語に對する異質感と敏感性のせいか, 外來語がもっと多く使われている日本より韓國のほらがやや高い割合を表している. 割合がやや高かった. そして外來語の理解度では, 外來語を多用している日本のほうが, 外來語の意味がわかりにくくて困ったという經驗が韓國より多かった.
日本語談話에 있어서 沈默의 類型과 그 機能에 관한 硏究 - 매체별 침묵의 유형 분석을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제38권 1997.05 pp.115-132
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日本社會において言語文化の側面から日本語使用の狀況を觀察してみると, 日本は「語らぬ文化, もの言わぬ文化」ということが-つの大きな特微を成している國であるよらに思われる. 言雲思想に基づく言語慣習は, ことばを愼む, 人に迷惑をかけない, 思いやりや遠慮などによって益益沈默することの多い言語文化を育んできたような感がある. 本硏究では, 日本語による日常のコミュニケ-ションにおいて頻繁に出現する「沈默」について日本語談話における沈默の類型とその機能を明らかにすることを目標とし, まずその基礎的な硏究として媒體別(TV對談3種類, 日本語敎育用ビデオ敎材の中の會話文, 小說の會話文)を中心に分析·考察を行なった. その結果, 媒體別談話における沈默の類型とその機能の特性が具體的に分析され示された. 沈默は① 肯定の間接的·消極的表現機能 ② 否定的表現の際の相手配慮の機能 ③ 心理露出によるマィナスの面を避ける自己配慮機能 ④ コミュニケ-ションの間接的拒否機能 ⑤ 無視, 蔑視, 否定などの强力な攻擊的機能を持っているものと分析された. 今硏究では「沈默」が行なわれる狀況や文脈などのコンテキストがある程度一貫, 繼續しているということから沈默の出現狀況や出現傾向がつかめやすい媒體別談話を分析資料としたが, 今後の課題としては, 自然に行なわれた實際の談話を分析·考察し, 日本語談話における沈默の類型とその機能をより一般化したものとして明らかにしていかなければと思っている.
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本考は韓國の開化期における日本語敎育を槪觀し, 韓國の學校敎育に使われた最初の日本語敎科書である『日語讀本』について檢討したものである. 韓國の開化期には日本語の敎育が行なわれて日本語の重要性が增大しつつあった. そこで韓國における日本語の敎育の歷史を調べるためにまず當時の敎科書を檢討すべきであろうと思う. 韓國で日本語の敎育がどのよらに出發したのかを調べるのは日本語の敎育の發展過程を見るのにも必要でおり, 將來の日本語の敎育發展のためにも重要なことになると思うのである. この開化期の日本語敎育の時期を分けて槪觀すると次のようである. 第1期は1891年日語學堂の開設から1894年禮曹を廢し學務衙門を設置するまで約3年間をいう. 第2期は1895年漢城に外國語學校(日語·英語)を開說し, 日語學堂が正式に日語學校なり, 1895年7月小學校令と1900年9月中學校令で日本語が유의과목として一般學校で日本語を敎育しはじめた時から1906年6月京城學堂が官立漢城第二日語學校になるまでの約11年間をいう. 第3期は統監府の學務行政で1906年8月諸學校令りより, すべての學校で日本語を必須科目に指定し敎育しはじめ, またいままでの外國語學校の所屬から官立漢城日語學校·官立日語仁川學校として獨立する時から1911年11月いわゆる第1次朝鮮敎育令の公布まで約5年間をいう. このよらな敎育が行われている時期に日本語敎科書が存在したことは言うまでもない. しかし1891年日語學堂が設立され日本語の敎育が行われた時の敎料書についての記錄はいまだに知られていない. その後, 韓國で正式に日本語敎科書が編纂されたのは1907年2月『日本讀本』がはじめてである. この『日本續本』は當時日本で1904年から刊行しはじめた『尋常小學讀本』(全8卷)と卷數と體系が同じく,『日語讀本』はこれに基づいて編纂したのがわかる. この『日語讀本』が日本語敎科書として使われ, 敎育を受ける子供だちに多大な影響を與えたことを考えると韓國での最初の日本語敎科書を當時社會敎育にはよい面を持っていなかったのが分かる. この『日語讀本』は多くの不備なところがあって, 諸學校の敎授要目には充足できない敎料書であったが, 文字言語の素材を持って日本語の文章理解のための敎材として使用されたのでる. この『日語續本』と『尋常小學讀本』との影響關係および語彙などの對照硏究は今後の課題としたい.
4,600원
종래의 淨琉璃 연구는 近松門左衛門의 작품을 중심으로 하는 경향이 있어, 近松 歿後의 작품은 등한시 되어 왔던 것이 사실이다.『大佛殿萬代石礎』도 그러한 경향하에 있었던 작품이라 할 수 있다. 이에, 본 논문은『大佛殿代石礎』에 나타난 景淸의 인물상을 중심으로 살펴봄으로써, 近世 淨琉璃에 있어서의『大佛殿萬代石礎』의 의미를 再考하고자 한 것이다.『大佛殿萬代石礎』는 선행 작품인『蓬來源氏』,『鎌倉袖日記』와 구성 요소 면에서 유사한 점이 많아, 각 작품과의 영향관계가 상정된다. 그러나 이 작품은 선행 작품의 모티브를 취하면서도, 중세「語り物」的성격은 배제함으로써 景淸의 인물상을 보다 극적으로 묘사하고 있음을 알 수 있다. 주제면에서는「서사시에서 드라마」로 近世 悲劇을 성립시켰다고 인정받기에 이른, 近松의『出世景淸』에 가까운 작품이라 할 수 있다.
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日本近代文學を言及するにおいて多くの場合, 西歐文學あるいは文化と切れない關係にあるキリスト敎の思想との關係を論じられない. キリスト敎思想は日本の近代精神史, 思想史に大きな足跡を殘した. 日本の近代文學にも大きな影響を與えたことは言うまでもない. 明治期靑年たちの信仰指導者になった人は內村鑑三だった. 內村が數多くの文學者の靑春期に影響を與え, ほとんど例外なく彼等に背かれたことは廣く知られている. しかし彼らの作家たちが自分の文學を確立することができたのは, 內村からはなれ, キリスト敎からはなれることによってであったのである. 一時期に內村に心醉し, 師事した作家たちが何故に內材から去って行ったのかについては, 各各の作家によって異なっているが, 共通的に指摘されていることは內村の獨善的な文學觀と嚴格な倫理主義である. 白樺の同人で, 理想主義の文學を標 し, 私小說の作家として知られいる志賀直哉(以下, 志賀にする)もゆはり背敎の道を步いて行った作家の中の一人であった. 志賀は自分の精神的自立と作家への道を求めてごく自然に內村から離れているのである. 本論文では志賀において內村鑑三の影響という側面から彼の實生活面と文學作品に表われているキリスト敎的な影響を中心に考察した. そして內村の影響について『內村鑑三先生の憶ひ出』で,「その人の人間が私の人間に影響したといふ意味で, 若しその人との接觸がなかったら, 自分はもっと生涯で無馱な廻り道をしてるたかも知れない」と書いたあとで, 彼は先生にとって餘いい弟子ではなかった事を認め, 第一に正しきものを憧れ, 不正虛僞を憎む氣持を先生によって引き出されたこと, 第二に二十才前後の最も誘惑の多い時代を大過なくすごすことの出來たこと, そして第三に渡良瀨川の鑛毒事件などがあったにもかかわらず, 社會主義にもかぶれなかったことと三つの点で內村に感謝していると明確に話している. 內村との交涉によって作家として自我の內實を滿した志賀はその師との別れによって,「白樺」を通じた個性的で新たな作品活動による第二の靑春の誕生を迎えた. 志賀は內村から去ったが, 內村を尊敬し續けていた. 內村を去った1907年以後にも彼の影響は志賀の心の中で續け, 生涯にかかって彼の精神に大きな影響を與えたと考えられる. そして志賀の作品の中にはキリスト敎の作家とは異なって, 作品の中には神とか聖書を引用した直接的なことは言及されていないが, その主題や素材面でキリスト敎的な影響が充分に見られる. そして內村から敎えを受けた7年餘の間において彼を最も苦しめ, 考えさせた問題は姦淫の罪の問題であった. それについては『濁った頭』『大津順吉』などの作品に觸れている. これらの作品は自然の生態である性を尊重する日本文化とキスト敎的な思考の差から來たことで後に內村をはなれる契機になった作品である.
가이코 겐의 『패닉』론 - 작품의 주제사적 위치에 대한 고찰을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제38권 1997.05 pp.177-189
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本作品か提示する以上のよらな主題とは, 現代日本小說の主題史的側面において, どのように位置づけられるのであるか. 近代以降における日本文學の主題は近代以後の西歐文化を受け入れる過程を通して形成·展開して行った. この場合における日本の文學の主題は日本人が西歐化をいかなる態度で受け入れたかによって二系列あるいは三系別に大列することができた. 近代以後の日本の小說は, 資本主義思想を土台とした自我の確立を主題とする小說類と, 社會主義思想を背景とし, 社會的正義の實現を主題とする小說類に大別されるのである. 本作品は戰後の日本文學を形成していた各系列特性が解體し, 新たなる文學的特性が要望された, まさにその時期にあたる1957年に手懸けられた作品である. 本作品が戰後における社會主義文學の擔い手であった雜誌「日本文學」を通じて發表されたこと, 官僚たちの不正腐敗を素材とした作品であること, ならびに資本主義體制そのものを批判していること, また作家自身の執筆に到るまでの社會的經驗等を考える時, 本作品は社會主義の系列の作品であるということは言うまでもない. 本作品は社會の問題を自然と關連づけて扱い, また社會的問題を自我意識と連結させ扱っている点が注目される. このような点を考慮する時, 本作品の主題史的位置とは, 近代以後三系列を成してきた日本文學の各各の特性が解體し, それらの特性による總合化の過程を通じて, 新たなる文學的特性が模索されて行く時点にあるものと考察される. そして, これは1955年以後の日本の近·現代文學における以上のような轉換とその時点を起点とする近代西歐の資本主義思想の限界性に對する自覺, 共産主義思想をはじめとする社會主義思想の退潮, 永續革命思想を中核とする新左翼思想の台頭等の政治的·社會的·文化的現象との關係の中で生じたものとして把握されるのである.
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이즈미시키부 和歌는 현대를 살아가는 우리들이 읽어도 共感할만한 요소를 많이 가지고 있는데, 그녀가 生存해 있었던 平安時代나 中世시대에도 그녀의 和歌는 상당히 주목받고 있었다. 이러한 사실은 勅撰集에 採錄되어 있는 歌數와 그 時代의 文獻을 보아도 충분히 짐작할 수 있다. 本稿에서는 그녀가 생존했던 시기에 가까운 平安 中世時代 文獻을 中心으로 評價된 이즈미시키부의 和歌의 특징에 관하여 考察하여 보았다. 그 결과 동 문헌들에서는 1. 當時에 패턴화 되어 있었던 形式에 구애받지 않고 自由自在로 읊고 있는 점(紫式部目記) 2. 發想이 斬新한 점(枕草子, 俊賴髓腦) 3. 옛 句를 인용하여 심금을 울리는 감명깊은 노래를 읊고 있는 점(古來風體抄, 無名草子) 등을 특징으로 들고 있음을 알 수 있었다. 3의 경우, 옛 노래에 관한 知識이 부족하다고 한 무라사키시키부의 批評과는 相反되는 점이 있지만 이는 한 마디로 斷言할 수 없는 이즈미시키부 노래의 一面을 나타낸 것이다. 지금까지 이즈미시키부의 노래에 대한 평가가 너무 무가사키시키부의 批評을 좇고 있는 듯한 傾向이 있는데, 이즈미시키부의 옛 노래를 인용한 작품이나 實驗的인 형식을 도입한 連作을 보면 그녀가 단손히 흥미위주로 和歌를 제작한 것이 아니라 프로작가로서의 自覺을 가지고 활동했었음을 알 수 있다.
4,900원
私小說というイメ-ジは日本近代文學の主要なジャンルの-つとして常存してきたと言える. この論文の目的は,「私」という認識形態と私小說論の諸論を調べてみて, 觀念化された私小說論の批評的限界と模糊性を指摘した批評の資料などを調べるともに, 最近, 試圖されてきた私小說論の硏究方向と見解などを照明しながら, 初期の私小說論の批評要素が最近の硏究成果にどんな樣相として受容されたかというのを檢討することにある. 特に, 伊藤整の「伊藤理論」や平野謙の「平野公式」を比較しながら, 二人の批評的見解によって形成された「逃亡奴隸と假面紳士」,「私小說の二律背反」,「破滅型私小說」,「調和型私小說」というキ-ワ-ドが意味している私小說論の類型における文學史的意義などを硏究してみた. 初期の私小說は自然主義文學の理論と形式から派生されたジャソルだったと言えるが, その底流に內在している意識は客觀的な描寫限界に止まり, したがって初期の私小說は自然主義文學の範疇にはいった. 私小說は1935年頃から本格に硏究されはじめたが, その代表的な理論定立の硏究家は小林秀雄である. 彼の批評的理念は「社會化された私」であるが, これは『私小說論』(1935)のキ-ワ-ドでもあった. 小林秀雄ガ私小說の批評家として古典的な位置におかれていると言えば, 私小說論の確立期である昭和20年代の本格的な私小說論の3大理論家は, 中村光夫·伊藤整·平野謙』あると言える. 伊藤整の「逃亡奴隸」は.西歐の文學家を意味する「假面紳士」と對照的な槪念として, 彼は『小說の方法』を執筆しているか,その本で彼は現世を放棄した日本作家たちの存在形態は現世の自分の立場を無に近いこととして批判するが, これは非常に强力な日本の方法であると指摘している. 平野謙の私小說論の硏究の成果は私小說の兩大類型分類にあり, 私小說の遠因の根據と言える自然主義の人間觀の關心にもある. 特に,『芸術と實生活』と「私小說」の二律背反」と言う理論構築はすぐれた作家論でありながら私小說論の主要な評語でもあった.
4,200원
日本農民文學の代表的作家である伊藤永之介は, 1931年7月2日, 中國の吉林省の萬寶山地域で起きた朝·中農民たちの間の紛爭である(萬寶山事件)を題材とした小說「萬寶山」を執筆する.「萬寶山」は, 故鄕を追い立てられ, 滿洲を彷徨する在滿朝鮮人たちの悲慘な生を描いた作品だ. 1930年を前後に日本は-層ファッショ化していく過程で, 中國大陸に對する侵略準備に狂奔, すでに植民地化した朝鮮を中國侵略戰爭の兵站基地とした. また, 朝鮮人はその侵略劇の道具とし, 水利のまったくない土地の開拓に從事される. 不毛の地を開拓して收穫をあげようとすると, 今度は, 中國の官憲にその土地を奪い取られる. 結局, 朝鮮農民たちは また果てしない流浪を續ける.「萬寶山」は, 朝鮮人が日本政府と中國政府のはざまで, 利用彈壓される姿とその複雜な政治·經濟的背景を明らかにした力作として高く評價できるのである.
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『타인의 얼굴』(1962)은『모래의 여자』(1962),『불타버린 지도』(1967)와 함께 아베코보(安部公房)의 3부작 중의 하나이다. 이 3부작이 모두 영화로 제작되어 영화론도 평판이 좋을 뿐만 아니라, 영어를 비롯하여 약 26개국어로 번역되어 세계적으로도 알려져 있는 작품이다. 최근의 아베코보의 연구 경향을 보면,「영상과 문학」이라하여 <영화>와 함께 논하려 하고 있다. 본 논문에서는「영상과 문학」이라고 하는 테마는 앞으로의 과제로 삼기로 하고, 활자화된 작품을 텍스트로 삼고 분석하였다. 그 이유 중의 하나는, 필자가 지금까지 연구해 온 <변신> 모티브에 대한 고찰의 연장선상에서『타인의 얼굴』을 보고자 했기 때문이다.『타인의 얼굴』은 일종의 <가면>에 의한 변신담으로도 될 수가 있다. 본 논문의 초점은, 먼저,「얼굴이 자기 자신과 타인과의 관계를 맺게 해주는 통로인가」라고 하는 작품 속의 쟁점 중의 하나이다. 둘째로는, <얼굴>과 <가면>과의 관계이며, 셋째로는 왜 작가가 1960년대 초에 <얼굴>을 변형시키려 했는가, 즉, <안면 상실>을 통해 <또 하나의 얼굴>을 왜 만들려고 했는가, 라고 하는 점이라 하겠다. 이와 같은 쟁점을 결론부터 말하자면, <도시>, <도시 속의인관관계> 등과 깊은 관계가 있다고 하는 것이다.『타인의 얼굴』이 발표된 1960년대 초기라고 하면, 핵가족화, 획일화된 집단 주거 환경, 대량 소비사회의 진행, 교통=정보=미디어의 확대 등으로 인해, 도시 생활에 있어서 인간 상호 관계성이 종래와는 다르게 변해버린 것이다. 즉, 인간이 주체가 되어 <세계>와 <물질>들을 보는 것이 아니라, <세계>와 <물질>들에 의해 인간존재가 좌우되는 가치전환의 시기였다. <얼굴>의 변형, <얼굴>의 가공이야말로 이 시기를 잘 대변해구는 아베코보다운 표현이라 하겠다. 이러한 <얼굴>의 변형 가공의 시대를 거쳐, 1970년대 초기에 인간의 신체에서 <얼굴>을 없애버린 『箱男』(1973)의 출현은 결코 우연이라 할 수 없을 것이다.
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본 논문은 定家의 注釋書인 僻案抄(古今集, 後撰集, 拾遺集)와 古今集의 注釋書인 頭注密勘를 비교 연구한 것이다. 비교 연구의 대상은 古今集로서 頭注密勘에 나타난 定家의 註釋내용과 僻案抄의 古今集의 주석 내용의 차이점 내지는 영향관계에 초점을 맞추었다. 먼저 定家는 僻案抄의 奧書, 그리고 歌注에 나타난 것 같이 顯昭의 說과「奧義抄」에 많은 관심을 가지고 있음을 알 수 있다. 이런 관심이 顯注密勘의 많은 부분을 인용하게 한 것이다. 일부분을 인용하는 것은 물론 그 인용을 반론의 자료로 삼기도 하였다. 歌語의 해석인 경우, 특히 顯注密勘의「∼一同」「同」「以下一同」라고 注를 한 부분은 僻案抄에도 그대로 인용되어 歌語의 해석에 있어서는 顯昭의 說을 그대로 따르고 있음을 보여 주었다. 그리고 [先人說]를 많이 인용함으로써 자기의 說보다는 家系의 說을, 형식에 있어서도「奧義抄」의 형식을 답습하고 있어 定家의 독창성을 발견하기가 힘들다고 말할 수 있을 정도이다. 그러나 顯注密勘에서부터 僻案抄의 집필 과정을 통해 定家의 說이 싹트고 있음을 알 수 있는데, 소수이긴 하지만 先人의 說을 자신의 것으로 소화하여 해석한다든지 顯注密脚에 없는 노래를 삽입하여 해석한다든지 하는 시도가 엿보인다. 僻案抄의 집필 목적이 후손에게 家系의 해석을 전수한다는 것이므로(僻案抄의 奧書에 의거) 되도록이면 家系의 說을 그리고 검증된 顯昭의 說을 많이 인용했다고 볼 수 있다. 그런 가운데에서도 定家의 일관된 思想이 나타나 있는데 그것은 다름아닌 古歌을 사랑하고 崇拜한다는 점이다. 그의 가론서 또는 노래의 註釋書에도 빠짐없이 古典崇拜에 관해 언급한다는 것은 定家가 얼마나 고전에 대해 많은 애착을 가지고 있으며 고전을 통해 자신의 노래세계를 확립해 나가고자 하는 의도를 보여준 것이라고 생각한다. 一平生에 걸쳐 추구해온 목적이 고전에 있으며 노래의 도달점이 고전을 통해서만 이루어짐을 보여준 定家의 일관된 思想이 나타난 것이라고 말할 수 있다.
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아베코오보오(安部公房)의『타버린 지도』(1967)에는 크게 두 개의 세계가 나타난다. 그 하나는 주인공이 실종된 사람을 찾아내는 조사원으로서 헤매어 다니는 세계이고, 또 하나는 주인공이 기존의 세계에서 빠져나와 만들어내는 새로운 그만의 세계이다. (이것들은 작품 속에서 두 개의 지도로 나타나며 전자를 기성(旣成)의「지도」, 후자를 주인공의「지도」라고 하겠다.) 기성의「지도」는 또 두 세계로 나누어 생각할 수 있다. 하나는 장소와 목적지를 표시하는 가장 일반적인 지리를 위한「지도」와, 다른 하나는 인간이 서로 교류할 때 인간관계의 통로로 구성되는 인간관계의「지도」이다. 지리의「지도」가 치밀하고 명확하게 묘사되어 있는 것과 대조적으로, 인간간계의「지도」는 매우 희미하고 유동적으로 묘사되어 있다. 지리의「지도」는 우리가 살고 있는 세계의 현실적인 사물이나 어떠한 건물, 이름으로 구성된 현실생활의 틀을 나타내고, 인간관계의「지도」는 인간이 만들어내는 미로를 의미하고 있다고 볼 수가 있다. 주인공은 이러한 기성의「지도」에서 빠져나옴으로써, 아베의 독특한 초현실적인 방법을 통해 주인공만의 새로운「지도」를 만들어낸다. 본고에서는 우선 기성의「지도」를 분석함으로써, 주인공이 결국에는 새로운「지도」에 도달하게 되는 결과의 필연성을 찾은 후 새로운「지도」를 보다 깊이 인식함으로써 작품의 주제에 접근하는 것에 그 목적을 둔다. 주인공이 만들어내는 새로운「지도」는 기성의「지도」로부터의 도망욕구를 구체화시킨 세계를 의미하며, 기성의「지도」가 지니고 있던 고정과 한정을 배제시킨 세계라고 볼 수 있다. 그리고 이러한 기성의「지도」로부터 도망쳐 나와 새로운「지도」를 만들어내는 시도는 현재의 위치로부터 미래에 있어야 할 곳으로 가려 하는 모색으로 표현될 수 있다. 요컨대 작가 아베는 주인공의 새로운「지도」를 통해 현실세계에서 일단 밖으로 빠져나와 그 기성의 지도를 재파악할 수 있는 전환의 계기를 우리에게 마련해 주고 있는 것이다.
한국과 일본의 초 , 중학교 도덕교육에 관한 고찰 - 효(孝)중심도덕과 도덕교재를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제38권 1997.05 pp.291-303
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韓國と日本にはそれぞれの傳統道德が存在している. また兩國の傳統道德は儒敎思想を理論の基盤にしている. 儒敎思想は周知の通り, 孔子の思想を中心に人間性に內在している仁しという道德性を完成しようとする敎えてある. 仁道德性は君主にする忠道德と, 親に對する孝道德及び他人に對する恕道德で構成された構造であり, 仁道德性が內容(content)であれば忠孝恕道德は形式(form)である. 1.韓國の道德:韓國の場合, 儒敎が傳わってきたつはとても昔のことである. しかし儒敎思想が韓國の傳統道德の理論として定着したのは, 朝鮮時代に至って敎が國敎になってである. 朝鮮は君主に對して忠誠をつくす忠道德と父母に孝誠をつくす孝道德を縱的道德にし, 池人に對しては自分の望まないことは人にもしむけないこと という恕道德を橫的道德にした道德理論を組み立てたのである. 忠臣とか忠僕, 孝子とか孝子門等の言葉は, 當時の忠道德と孝道德に對する最大の評價を意味した. また, 恕道德は年寄りの人がよく實踐する道德なので, 大人氣があるという意味の`젊잖다`という言葉で高く評價されている. 特に, 恕道德は`易地思之`という言葉で實踐されている. しかし, 朝鮮の傳統道德には孝道德を何より大切にする傾向が强い. だから儒敎思想を以って以上つように道德理論を組み立てても, 孝道德を大切にする傾向が强いし, これは現在まで續いているのである. 2.日本の道德:日本も儒敎思想が朝鮮半島を通して傳えられたのは昔のことである. しかし, 儒敎思想の影響が强かってたのは戶時代である. その當時の朝鮮は, 儒敎思想に關する硏究が非常に活潑で, 李退溪等の硏究が廣く知られていた. しかし, 日本において儒敎思想が國民道德の理論として定着したのは, 何より明治維新をきってかけに, 敎育勅語が頒布され實踐された明治時代のことであった. 敎育勅語は, 神に忠誠をつくす忠道德と親に孝誠をつくす孝道德及び皆のを-つにする億兆一心の恕道德を, 臣民の道德とする天皇の言葉である. 日本神話における建國神を始め現在の天皇に至るまでの萬世一系の神に對して, 日本國民は忠道德をつくさなければならない當爲性を持つだろう. ところが, この當爲性からもう-の當爲性が生まれてくる. つまり, 神に忠道德をつくせばつくすほど國民への神の愛情を感じるし, 神の愛情を感じれば感じるほど, 國民はお互いに思いやりの心を持って, 恕道德を實踐しなければならない當爲性を持つことになる. ところが, 日本には, 旣に神に忠誠をつくす心と互いに思いやる心が傳統道德として存在していたので, 儒敎思想はこれに理論をあたえたのである. だから現在も忠道德と恕道德が强く現われている. このような韓國と日本の道德の現狀と方向を孝道德を中心に見た場合, 兩國の初中等學校の道德敎育ではどうなっているかを道德資料を參考に考察したものが本硏究の槪要であろう.
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본 연구는 신체문화에 관한 이론적 고찰위에 한국과 일본에서 1996년 1월부터 12월까지 출판된 여성잡지에 게재된 화장품 광고를 대상으로 실증적인 조사 분석을 통해 이루어졌다. 이 연구에서 얻어진 성과는 다음의 3가지로 분류할 수 있다. 1. 화장에 관한 신체문화 구조와 화장의 행위:개인의 화장행위는 사회의 신체문화로 광고의 상징적 세계문화 속에서 사회화된 것이다. 각각의 사회는 화장에 관하여 임의적인 특정한 신체문화가 정통화 되어 있으며 개인에게 상징적 권력을 휘두르게 된다. 그리고 화장품 광고는 신체문화의 특정한 요소를 선택하여 여기에 새로운 의미를 부여함으로서 광고내에 상징적 세계를 창출해 간다. 일본의 화장품 광고에서는 맨살(素肌)의 아름다움을 강조한다. 또한 타인에게 호감을 갖고 매력있게 보이는 얼굴로서 유혹하는 얼굴, 신선한 얼굴을 광고모델로 등장시킨다. 이에 비해 한국의 화장품 광고에서는 섹시한 아름다움을 강조하며, 유혹하는 얼굴, 도전적인 얼굴, 귀여운 얼굴을 연출하는 모델을 등장시킨다. 2. 화장의 문화구조와 소비 시스템에 있어서의 경쟁:한국과 일본에 있어서 국내의 화장품회사 판매시장에 외국의 화장품 회사가 진출했을때 이들 사이의 경쟁은 경제적인 장(場, champ)에 그치지않으며 문화적인 장에까지 확산되어 간다. 여기에서 외국의 화장품 회사는 국내회사가 창출한 상징적 신체 문화에 동화 또는 차이화하는 문화전략을 구사하게 된다. 3. 화장품 광고와 소비행위:화장품 광고는 소비자에게 계속 상품을 소비시키기위해 개인을 구속하고 관리한다. 일본의 경우는 피부를 자연이라고 가정하고 피부관리를 자연에 대한 배려(오모이야리)라고 인식시킨다. 따라서 화장품을 통한 피부관리를 게을리하는 사람은 따뜻하지 못한(아사시구나이)사람으로 부정적 아이덴티티를 심어준다. 이에 비해 한국의 경우는 섹시이미지를 강조하며 여성이라고 하는 사실을 강하게 주입시킨다. 따라서 화장품 소비에 의해 매력적인 여성으로 변신하지 않는 경우에는 여성으로서의 아이덴티티를 의심하고 부정하도록 강요한다. 이것은 사회에서 문화적으로 형성된 성(性) 즉 젠더의 차원을 넘어 생물학적인 여성의 성까지를 부정적으로 인식하게하는 아이덴티티의 주입인 것이다.
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