2026 (39)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,900원
本稿では、江戸中期以後(延享~弘化期)の上方語に現われる敬語ラ行下二段活用(��「おつしやるる」「くださるる」「しやるる」「なさるる」「めさるる」)の四段化現象について考察して見た。特に、全体的傾向を中心に当時の上方語資料47種(上方洒落本類37種、上方歌舞伎脚本類3種、浄瑠璃類6種、道話類1種)の四段化の実態の分析結果に基づいて、中期上方語(元禄~享保期)の傾向と比較しながら、遅速差の原因についても検討して見た。その結果、幾つかの特徴的事実が明らかにされたが、四段化の全体的傾向を中心にまとめると、大略次のようである。①上方語資料の内部間による四段化の遅速差が認められて、上方洒落本類の四段化は他種資料の四段化より進んでいる。②単語別に見ると、「おつしやるる」․��「しやるる」、「くださるる」、「めさるる」、「なさるる」の順に四段化が進んでいる。③活用形別に見ると、命令形、終止․��連体形、連用形、未然形の順に四段化が進んでいる。④文体的な面から見ると、会話文の四段化は地文の四段化より早い。⑤位相的な面から見ると、男性語と女性語間による四段化の遅速差は見られない。⑥中期以後の上方語(延享~弘化期)の四段化は中期上方語(元禄~享保期)の四段化より早い。 要するに、このような考察を通してラ行下二段活用の四段化は資料、単語、活用形、文体、時期によって様々な遅速差を見せながら進んだということと、位相による遅速差が見られないということが確認できた。さらに、このような結果を通して中期上方語の傾向との共通点と相違点及び、特に資料、文体、時期による遅速差が見られるという新しい事実も確認できた。
4,000원
本稿では、『五国対照兵語字書』及び仏和軍隊用語辞典が後続の英和軍隊用語辞典に与えた影響を明らかにした。その結果をまとめると、以下の通りである。 『五国対照兵語字書』、『仏和対訳兵語字類』、『仏和陸海軍術語字彙』の刊行時期をみると『五国対照兵語字書』は明治14年、『仏和対訳兵語字類』及び『仏和陸海軍術語字彙』は明治20年8月で、同時期に刊行された辞書である。にもかかわらず、『五国対照兵語字書』及び『仏和対訳兵語字類』は、影響を与えた訳語数が同じぐらいであるが、『仏和陸海軍術語字彙』の場合は、両書に比べて一致訳語数が遥かに多い。つまり、『仏和陸海軍術語字彙』の場合は、独自の訳語の採用が多く、これらの訳語は後続の仏和軍隊用語辞典のみではなく、後続の英和軍隊用語辞典へも大きな影響を与えていることが分かる。 『改正兵語辞書․仏和対訳の部第一』は、A部に限っていえば、ほかの先行辞書に比べて後続の英和軍隊用語辞典へ与えた影響が非常に大きいほうである。『五国対照兵語字書』には載っていない、改正された訳語を多数採用しており、これらの訳語が後続の英和軍隊用語辞典に影響を与えているものとみられる。 英和軍隊用語辞典が『五国対照兵語字書』など、先行する軍隊用語辞典から受けた影響を、影響の大きさによって分けてみると、『英和陸海軍兵語辞典』と残りの5種の辞典とに分けることができる。『英和陸海軍兵語辞典』は先行する辞典から受けた影響が大きいほうであり、残りの5種の辞典は『英和陸海軍兵語辞典』に比べて相対的に影響が少ないほうである。つまり『英和陸海軍兵語辞典』と『英和兵語辞典』の場合は、軍隊用語辞典からの影響が一般対訳辞典からの影響より少ないほうである。 『英和陸海軍兵語辞典』は訳語の選定において非常に開放的な面を見せており、先行する一般対訳辞典はもちろんのこと、軍隊用語辞典の訳語も積極的に採用していることが分かる。
日本の国語政策と教育認識の変化について ─ 朝鮮総督府編修官森田梧郎を中心として ─
한국일본학회 일본학보 제71권 2007.05 pp.25-38
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本研究は、朝鮮総督府の国語(日本語)教育思想の忠実な実行者であり宣伝者として知られる森田梧郎に注目し、森田の言語観および教育観の変化・展開過程についての検討を通じて、日帝強占期朝鮮での言語問題の一面を眺望してみた。 日帝強占期を通じて朝鮮における日本語は大きく分けて三つの意味として変化していったものと考えられる。まず最初の段階では韓日合併以後朝鮮語の教育と併行して日本語を常用語として位置づけようと試みていた。次の段階では朝鮮語を排除し、もっぱら日本語だけの使用が強制された。そして最後には「内鮮一体」の鞏固化を背景に母語としての日本語教育が主張されるに至った。 このような流れのなかで森田の論理を追ってみると、彼は「皇国臣民」としての「国民精神」を涵養するがために日本語を教授するとはいえ、実際には朝鮮人にとって日本語はあくまでも外国語としての色合いが濃いので、学校教育のみならず一般人を対象とした様々な努力にもかかわらず満足のいく結果を得られずにおり、その一方では、既存の国語(日本語)教育理論だけでは論理的な限界に直面しているということを、日本語教育の政策実務担当者として認識していたものと見受けられる。 この限界を乗り越えるために、森田は朝鮮語の干渉による誤謬の問題を取り上げつつ、恩師である時枝誠記の論理を積極的に取り入れるわけであるが、皇国臣民としての朝鮮人が朝鮮語を捨てることを合理化し、進んでは日本人としての朝鮮人の言語生活、つまり母語としての日本語について言及するようになったのである。 森田の言語観の展開過程は、<外国語としての日本語教育>から、<国語としての日本語教育>へ、さらに最終的には<母語としての日本語教育>へと変わっていったのであり、そしてこのような展開における論理の提供者は時枝をはじめとするいわゆる国語学者たちで、このような流れを編修官の森田は忠実に遂行していたものと考えられる。
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本研究では、「聞く」と「言われる」の特徴を考察し、相違点を明らかにすることを目的とする。「聞く」と「言われる」は、「話をスル側」の「言う」と違って、「話をサレル側」の視点に立つ表現である点で似ているが、だからといってこれら「聞く」「言われる」の客観的事実までも同じわけではなく、次のように、文脈に応じてそれぞれ使い分けされていることが分かる。 まず、「聞く」は、ニュース一般として耳でとらえる場合、音連続としての名詞や文をただ聴覚刺激として一瞬に受け止めるような場合、あることを聞いて知ったというような場合にそれぞれ使われるものであり、特に、ニュース一般を耳でとらえる場合の「聞く」は、自分から積極的に働き掛ける動作だというイメージが強く、勧誘や命令などの表現が可能である。「聞く」は、1人称主語の語であると同時に、話をスル側のニ格が現れない場合、特定人は確かに存在しているにも関わらず、漠然としていて特にそれを問題としないということが言える。その話題内容は、主語に限らず誰にでも関心が持てるような刺激物、言わばみんなの関心事であり、場合によっては主語とは無関係の事柄であったりもする。 そして、「言われる」は、不特定多数からの判断․評価や、前後の節․文の主語を一致させる場合をも含めて特定人からの打ち明け․警告などというような、「言う」では表せない独特のニュアンスが加わって使われるものである。大体において「言われる」の主語は1人称または1人称寄りの人物であり、このときの話題内容は主語個人に関わる事柄である。ただ、このような「言われる」は、構文や意味の上で「言う」の能動文との置き換えができないなど、「言う」の能動文を特に想定しない、単独動詞の役割を果たしているもののように思われはするが、形態上受身という成立背景を持っているからか、無防備に働き掛けを受けるという意味合いが強く感じられるし、話をスル側のニ格が示されないとしてもその存在は強く意識され、省略されているだけで特定されているものと扱われる。
高校生の日本文化のとらえ方と異文化適応度 -韓国・オーストラリア・日本の調査結果をもとに-
한국일본학회 일본학보 제71권 2007.05 pp.53-66
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4,600원
本稿は、日本語教育においてCALL(Computer Assisted Language Learning:コンピュータ支援による言語学習)コースウェアが研究開発され、利用されているにもかかわらず、その品質や評価尺度に関しては、多くの議論がなされていないことから、尹(2006)における学習者用評価項目の研究を踏まえ、学習支援者(教師・研究者・開発者)の視点から日本語教育用のコースウェアの評価のあり方を明確にすることを目的とした。 教育・外国語教育・日本語教育における先行研究を概観した上で、先行研究の評価項目を参考に89の評価項目を作成した。この評価項目を用いて学習支援者を対象に意識調査を行い、有効回答者18名のデータが得られた。このデータを用いて信頼性分析を行い、作成した評価項目の信頼性を検証した。信頼性が検証されたデータをもとに因子分析を行い、「教授・学習」においては、「教育理論性」「興味誘発性」「教育理念性」、「言語」においては、「学習多様性」「学習支援性」、「技術」においては、「マルチメディア性」「多機能性」「許容性」という日本語CALLに対する学習支援者の潜在的な意識が明らかになった。次にデータをもとに重要度の高低を分析し、重要度の高い項目と低い項目を抽出した結果、尹(2006)の学習者の意識とで隔たりがあることがわかった。 本研究においては、学習支援者用の評価項目を作成し、学習支援者の意識を探ることによって日本語CALL評価のあり方を考察した。本研究を通して、第一に日本語CALLに関わる学習支援者用の信頼性のある評価項目を提示することができ、第二に統計的な手法を用いて日本語CALLに対する学習支援者の意識が明らかになり、第三に学習支援者と学習者の間で意識の隔たりがあることがわかり、今後の日本語CALL教材の開発・評価における新たな留意点が明らかになったことである。 以上のように本研究では、従来の手法では明確ではなかったことを、統計的な手法を取り入れることにより、日本語CALLに関わる新たな研究の視点を示した。本研究において作成した評価項目は、今後教師が日本語CALL教材を評価する時の視点として利用することができると思われる。
4,300원
本稿は、日本語教育においてCALL(Computer Assisted Language Learning:コンピュータ支援による言語学習)コースウェアが研究開発され、利用されているにもかかわらず、その品質や評価尺度に関しては、多くの議論がなされていないことから、尹(2006)における学習者用評価項目の研究を踏まえ、学習支援者(教師・研究者・開発者)の視点から日本語教育用のコースウェアの評価のあり方を明確にすることを目的とした。 教育・外国語教育・日本語教育における先行研究を概観した上で、先行研究の評価項目を参考に89の評価項目を作成した。この評価項目を用いて学習支援者を対象に意識調査を行い、有効回答者18名のデータが得られた。このデータを用いて信頼性分析を行い、作成した評価項目の信頼性を検証した。信頼性が検証されたデータをもとに因子分析を行い、「教授・学習」においては、「教育理論性」「興味誘発性」「教育理念性」、「言語」においては、「学習多様性」「学習支援性」、「技術」においては、「マルチメディア性」「多機能性」「許容性」という日本語CALLに対する学習支援者の潜在的な意識が明らかになった。次にデータをもとに重要度の高低を分析し、重要度の高い項目と低い項目を抽出した結果、尹(2006)の学習者の意識とで隔たりがあることがわかった。 本研究においては、学習支援者用の評価項目を作成し、学習支援者の意識を探ることによって日本語CALL評価のあり方を考察した。本研究を通して、第一に日本語CALLに関わる学習支援者用の信頼性のある評価項目を提示することができ、第二に統計的な手法を用いて日本語CALLに対する学習支援者の意識が明らかになり、第三に学習支援者と学習者の間で意識の隔たりがあることがわかり、今後の日本語CALL教材の開発・評価における新たな留意点が明らかになったことである。 以上のように本研究では、従来の手法では明確ではなかったことを、統計的な手法を取り入れることにより、日本語CALLに関わる新たな研究の視点を示した。本研究において作成した評価項目は、今後教師が日本語CALL教材を評価する時の視点として利用することができると思われる。
4,600원
本稿は、1902年(明治35年)日本で刊行された韓国語学習書『実用韓語学』の言語資料としての性格を究明すると同時に、明治期に刊行された一連の韓国語学習書の中での位置づけを試みようとしたものである。特に、本書の著者である島井浩は、開港初期の釜山に居住しながら直接韓国語教育に携わった人物であり、その点、本書を通して当時の日本人による韓国語教育の実状を垣間見ることが出来るのではないかと思う。 本書の内容と構成は、『交隣須知』のような伝統的な韓国語学習書よりは『日韓通話』(1893)のような新しいスタイルの学習書からの影響が強く、特に本書の附録に見える意味分類による部門配列には、「鉄道」「貿易品」のような前時期の学習書には見られなかった新しい部門名が登場し、注目される。 また、本書の日本語には動詞の促音音便、2段動詞の1段化などにおいて新旧両形が見受けられ、当時の他の韓国語学習書と同じような様相を呈していることが確認できた。特に、可能表現としては、「可能動詞」「れる․られる」「~ことが出来る」「~得る」のような四つの形式が混用され、中でも5段動詞の「れる․られる」形が多用されているのは明治期日本語の過渡期的な言語現実を反映したものと判断される。 なお、本書の韓国語は、明治期に作られた翻訳漢字語の韓国語への定着過程を考える上で貴重な情報を提供し得る性質のものであることが確認できた。
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本稿では、<お/ご~くださる>系列が依頼表現として専用される場合、実際どの形式まで成立可能かということを、普通体や丁寧な言い方、そして否定と肯定とに分けて検討してみた。 その結果、これらのうち、命令形で終わる<お/ご~ください>が最も使用頻度が高く、それ以外は多少の差は認められるが、ネイティブスピーカーの判定によると実際の言語生活における使用頻度は低いということが分かった。そして、これは、もしその使用が可能であるとすると、といった前提から出発したもので、使用者本人は、実際には<お/ご~ください>よりは<~ていただける>系列か、<お/ご~いただける>の方を好むということが明らかになった。 この結果だけを見る限り、<お/ご~くださる>系列の場合、命令形による依頼表現が安定して使われており、他の形式は当該形式が取り立てて要求される場合を除いては排除されるという結論に導かれる。その理由についてはいろいろな角度から解釈できるであろうが、その一つとして、本稿では、<お/ご~くださる>の持つ文法的な意味、なかんずく依頼表現という範疇の中での意味分野が、謙譲表現から派生した<~ていただける>および<お/ご~いただける>系列と、一方では共存し、また一方では排除しているためであるとする立場に立つ。 ある発話を実現する際、多様な言語形式が共存している場合、言語主体は文脈や状況に最もあったものを選択するものである。敬意度の高い形式であっても、当該形式の表現価値が必要以上丁寧であるか、複雑な派生過程を求めるものであれば、それより簡便な形式の方を取る。これは、それぞれの文法形式が表す意味の問題、そして待遇表現上の敬意度、丁寧度が互いに複雑に関わっている依頼表現の場合、各系列に属する形式間の序列化は理論上は可能であろうが、実際その序列化が直ちに現実世界に反映されるわけではないということを物語っている。
4,600원
ともに漢字文化圏に属してきた日本と韓国において、韻書は常にその漢字文化の中心にに置かれてきた。両国では、中国製韻書が使われただけでなく、それを土台として新たなものも作られた。さらには日韓両国音訓の付いた漢和・漢韓辞典的なものまで作られた。そして、今日では後者はその音訓付きという性格から、日本語史及び韓国語史研究資料として使われている。このような日韓両国における韻書の歴史を顧みると、両国韻書の比較研究は、一つ両国韻書史の比較研究ということだけでなく、両国の漢字文化史や両国言語史などの比較対照研究にも及ぶものであることが理解される。ここから本稿は、将来的には韻書に関わる日韓両国語の対照研究を目指しつつ、日韓文化史研究の一環として、日本の『聚分韻略』と韓国の『三韻通考』との比較研究を行う。すなわち、両国韻書史において画期的な位置をしめる両書の比較対照を通じて、15世紀、薩摩において『三韻通考』の三重韻形式を取り入れた『聚分韻略』が刊行され、以後この形式が日本全国に広がったことを論じる。
部分と全体における対格性とメトニミー ─他動・使役が受身を意味する場合を中心に─
한국일본학회 일본학보 제71권 2007.05 pp.125-142
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5,200원
ある事象を叙述するにあたって,他動詞による表現と使役動詞による表現,そして受身動詞による表現が,互いに類似した意味合いをもつために,自由に交代できる場面が,日本語ではしばしば観察される.下記の(1a-c)は,実際の使用場面による若干のニュアンスの差こそあれ,主語であるものにとって望ましくない事柄が生じ,それによって,その主語たるものが何らかの被害を被ったことを描写しているという点では共通しているとみてよかろう. (1) a. 私たちは,空襲で家財道具を焼いた. b. 私たちは,空襲で家財道具を焼かれた. c. 私たちは,(空襲で)家財道具を焼かせた. 従来,この問題に対しては,個別には(たとえば,(1a)と(1b)の対比,(1b)と(1c)の対比)いくつかの研究が行われ,各々発展的かつ具体的な研究成果が提供されてきたと思われる.しかし,くしくもこれらの問題に対して,有機的かつ包括的な観点からその解決に取り組んだ試みは未だかつて類をみない.そこで本稿では,この種の構文が,どのようなプロセスを経て,類似した意味合いを有するものとして, 話者の頭の中で認識・処理されていくのかを解きほどくべく,一見してお互いに何の接点も持たないようにみえる,「(非)対格性((un)accusativity)」と「メトニミー(metonymy)」の概念を分析に取り入れ,この二つの原理に端を発した「部分としての分析」と「全体としての分析」が同時に成り立ってはじめて,この現象の諸相が明らかになることを示すこととする.
5,200원
本稿は、古事記․日本書紀(以下、記․書紀)における同一家族間の人名に含まれた一音節形態素のあり様について考察したものである。以下、考察の結果をまとめると次のようである。 まず、記․書紀の人名における一音節形態素による対比的命名法は、命名のパターンが籍帳の人名におけるそれとたいへん類似していることが指摘できる。人名で行われたこのような対比的命名法のもつ意義は、もちろん個体識別にある。二者を識別するため、片方あるいは両方に一音節形態素を付加(削除)あるいは改変することで、個体間識別の顕著化を図ったものと見られる。 籍帳と記․書紀とでは、資料の性格を異にしており、記録当時の実状をありのまま伝えている籍帳と違って、記․書紀においては、伝承上の違いによる異伝の問題を始めとして、政治的意図による作為性の問題や、後代の竄入による改竄の問題、さらに書写時に起こる単純な誤謬の問題に至るまで様々な要因が絡んでいて複雑な様相を呈している。それにも拘らず、資料的性格の異なる両文献における命名様相に類似性が認められることは、記․書紀における固有名詞の書記形態が、籍帳に表されているような命名法─当時の一般庶民における人名で通用されていた命名法─と軌を一にしていることを物語っている。 一方、一般語彙においても人名と同様な形式のものが観察される。たとえば、同音異義語「あ」から複音節語化した「あし(足)~あぜ(畔)~あみ(網)~あれ(吾)」間に見られるように、単音節語による意味上の混同を避ける手段として上代以降行われた多音節語化にその傾向が見られる。また、助数詞「つ」が、一桁、すなわち一から九までの場合と、十との間において、また、一桁と二桁間において、「つ─◯」「つ─ち」のように対応しているのは、桁ごとの数詞群において行われた一種の弁別指標と見られる。これは、人名における一音節形態素の有無による対比的命名法(A類型)と、両者の異なる一音節形態素による対比的命名法(B類型)と全く同様な形式で、人名で一音節形態素が個体間の識別指標として用いられたのとたいへん類似するものであろう。
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本稿は従来包括的にしか受け止められなかった日帝時代の小倉の歴史文法研究を、同時代の朝鮮人研究者達の研究とを具体的に比較分析したものである。まず、郷歌に表われる「叱」についての小倉、梁柱東の両者の文法的解釈に注目し、比較分析をおこなった。また、中世朝鮮語の謙譲法の接尾詞の「」について、小倉と梁柱東、小倉と金亨奎の研究につき比較分析をおこなった。その結果をまとめるとつぎのようである。 第一に、梁柱東を代表とする朝鮮人研究者達の郷歌の「叱」にたいする解釈を検討した結果、郷歌の「叱」を持格の助詞の「사이시옷(ㅅ)」として捉えている小倉の解釈をそのまま受け継いだことが確認された。 第二に、謙譲法接尾辞の「」については、まず、梁(1942)の場合、郷歌での「」を連綴と母音調和を考慮して表記している点は小倉から進一歩した成果として認められる。ただし、「」を謙譲法の接尾辞として解釈している点は小倉の論をそのまま受け継いだことが確認された。 また、金亨奎(1947)の場合も、謙譲法接尾辞「」の比較において、小倉が独立の接尾辞として設定した「」を接尾辞の「」の変遷過程で現われる形態素として編入させたこと、そして謙譲法の接尾辞の変遷過程の時代区分をはっきり示している点は成果として認められるものの、謙譲法の接尾辞の変遷の枠組みが小倉とほとんど一致していることも確認された。 つまり、本稿で考察した日帝時代の小倉と朝鮮人研究者達の中世朝鮮語文法研究に限って言えば、小倉の研究により土台が築かれ、後学者たちはこれを踏み台にし発展していったことが具体的に確認されたものと言えよう。とりわけ、梁柱東や金亨奎の活躍をも具体的に浮き彫りになってきたことは注目に値する。
韓国高年層に残存する旧植民地日本語からみた第二言語の維持・摩滅 ―可能表現を中心に―
한국일본학회 일본학보 제71권 2007.05 pp.175-188
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本稿は韓国高年層に残存する旧植民地日本語に対する調査(および他地域の旧植民地日本語との比較)から、可能表現の使用実態を中心に第二言語の維持・摩滅のありかたについて記述したものである。8名のインフォーマントの談話資料のなかに現れた可能表現を分析した結果、日本語(L2)の維持・摩滅のプロセスには、次のような特徴があることを見出した。 (a)五段動詞に可能動詞、一段動詞にラレル、サ変動詞にデキルという使用パタンが基本だが、「五段動詞+助動詞レル(多)」「一段動詞の可能動詞化(少)」「派生動詞形の過剰一般化」という非標準形も見られること (b)スルコトガデキルの出現が少なく、格バタンにおいて「Nヲデキル」の使用が見られない一方、動詞基本形による代用、デキルの汎用、VNデキルの使用が目立つこと (c)副詞ヨク(ヨー)構文のような母語の統語構造の影響を受けた可能表現が見られること (d)台湾・南洋群島に残存する旧植民地日本語とは、おおよそ(a)(b)で共通点、(c)で相違点が見られること (e)非常に暫定的ではあるが、<➊-デキル ⇄ ➋格デキル ⇄ ➌五段可能動詞 ⇄ ➍VNデキル ⇄ ➎五段動詞レル ⇄ ➏五段動詞以外のラレル=スルコトガデキル ⇄ ➐五段以外の可能動詞>のような習得(→)や維持․摩滅(←)の過程が考えられること
4,000원
本稿は、横光利一の小説『旅愁』における「愛国心」=ナショナリズムをめぐる議論において、高有明が問いかけるものとは何かを問う。つまり、矢代と久慈によって対立的に提示されたかにみえる「愛国心」論議に切り込む第三項として中国人の高有明の存在をとりあげる。『旅愁』に多々ある論争はしばしば、矢代と久慈による二項対立的な構図に回収されがちなのだが、この二人の議論の前提を鋭く問い、対立の構図を攪乱する高有明の言葉の批評性に注目したい。 小説『旅愁』の主要作中人物である矢代と久慈の「愛国心」をめぐる主張は、つぎのようなものであった。まず、久慈は「フランス」「近代の愛国心」を「合理の愛国心」として、「新しい心の対象となるべき精神」として担いでいる。彼の修辞法は、「フランス」革命ではじめてつくりあげた「近代」国民国家こそ、すべて正しい「合理」的な存在であり、それに向かう「愛国心」を「心の対象となるべき精神」として肯定することを含意する。一方、矢代は「愛国心」を、「合理の愛国心だの非合理の愛国心だのって区別」などする必要のない普遍的なものとして、かつ「古いも新しいもあるものか。あるからあるのだ」というように、「自然な」没歴史的なものとして把握していた。 これに対し、高有明は、ナショナリズムの問題を戦争との関連で把握する。ナショナリズムという現象が、矢代のいうように「あるからある」普遍的かつ没歴史的なものではないことを中国の現状から指摘すると同時に、久慈の考えとは逆に、近代国民国家の戦争という「非合理」をともなわない限り現れることのないものであることを、高有明の「愛国心」論は明示している。つまり、矢代と久慈の二人の議論の前提──普遍と合理としてのナショナリズム──を鋭く問うていたのである。『旅愁』における矢代と久慈の相互補完的な関係の一端が確認できたと思われるが、このような視点・分析をとおして、矢代と久慈の対立として『旅愁』を読んできた従来のナショナリズムの枠組みそのものが再審にかけられることをも期待したい。 また本稿は、「アルサス」という地名、「ナポレオン」という固有名が挿入された場面に注目することをとおし、『旅愁』というテクストが「愛国心」=ナショナリズムの問題にどこまで迫ることができたのか、その到達点と不/可能性の射程を明らかにする。これらの地名や固有名が、高有明という存在とともに、『旅愁』のなかに刻まれ、くりかえし記憶に呼び起こされているということは、『旅愁』という言説を単にファナティックなナショナリズムとして切り捨てるのを、われわれに留保させることとなる。
4,600원
田中英光の初期作品『時々刻々』は、日本の「新興芸術派」がモダン都市東京を表現したように、都市「京城」を描いた作品である。方法的には、まとまりのある物語を提示することなく、断片的な印象や想念をつなぎ合わせる手法により構成されている。 韓国人の「皇国」への同化を象徴する朝鮮神宮の場面は、断片的なカフェの頽廃的な風景の間に挟まれることで、相対化されていた。まとまりのある物語を解体し、断片の集積に還元するモダニズム的な手法はここで、「内鮮同化」という物語に対する懐疑を提示する上で、効果的に利用されている。 カフェの場面でも女給は、「朝鮮の小さい女」なのに「愛子」と日本名で呼ばれる矛盾を帯びた存在として登場する。こうした表現は、東京を描く場合とは異なり、京城の「現実」が民族間の不幸な関係により構成されていることを想起させる。こうして「内鮮同化」の孕む歪みが書きとめられている。 このあと、田中の作品から歪みや軋みが消え、「現実」は「内鮮同化」の物語により、安定感を与えられていく。これに対し、安定した「現実」の像が提示されることなく、植民地都市に内包される断層が表現されている点に、『時々刻々』という作品の特徴がある。
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1938年、雑誌『文体』に発表された「閑山」は坂口安吾の説話形式の小説として初めての試みの作品だといえる。本稿ではこの作品が安吾の文学活動における新しい方法の転換からできたものとして、彼の美意識を表現するためにどのような役割をしているかについて考察していきたい。 長編「吹雪物語」が失敗作と呼ばれるようになったゆえんのため、激しいスランプに陥っていた安吾にとっては新しい文学方法は絶実な課題であり、不可欠なものだったので、それを模索するしかなかった。このようにその初めての試みの完成がこの「閑山」である。執筆当時、古典と仏教に至大な興味を持っていた安吾はこの作品の以外の説話形式の小説でも仏教に関わる要素を採っていく。この作品は説話形式の出発という性格と、以前の彼の文学の性格の一つであるファルス的な様相が強く共存している作品である。この点から、これはファルスから説話形式に経過していく安吾の文学活動の過渡期の作品だといえよう。仏教への興味と会得によって、自然への畏敬と自然摂理を悟るようになる安吾は自分の文学の中に次第に美への畏敬からできた自分なりの美意識を表現していく。これは畏敬を表現するために荒唐無稽が許される説話という空間を装置するという文学方法に至る。以後、続く安吾の説話形式は残虐と無残さを強く帯びながら美への畏敬を強調することになる。 主人公の狸は閑山寺の徳望高い老僧である六袋和尚の寫經を妨げ、六袋和尚は自分のことを邪魔するなという意味で狸の掌に朱筆で<花>という字を書き付ける。この一の字のため狸は団九郎とい人間に変身し、これから彼の人性は一変する。六袋和尚の遷化以後、団九郎は自ら呑火和尚になるが、村の久次というしれもののいたずらのため、絶え間なく放屁するはめに逢う。動物である狸の人間への変身と謹厳なはずの和尚の放屁という設定から、まだは新しい文学方法の試しの中で以前のファルス的な雰囲気が濃厚に残っていることを呈している。この以後の説話形式の上に安吾は自分の美意識を披瀝していくため、第一に「閑山」では、美の象徴である<花>という素材を提示する。畏敬が含めるちょうどいいスケールは自然だとする時、その自然の代表としてここでは<花>が登場しているのだ。 これまで考察してわかるように、このような文学方法は彼にとって、一つの新しい文学方法の転換とともに、これからの美意識を描くためにも不可欠の試みであった。現実的な論証、科学性なくても物語の展開が可能な説話形式は安吾自分の美意識を籠めるにも適切な空間である。美への慎みという姿勢が安吾の美意識だとするところ、荒唐無稽とともに美への畏敬が共存できる説話形式は美への慎みのための一つの装置であり、説話形式であってこそ、その真価が浮き彫りにされるといえる。 なにより「閑山」は安吾の説話形式の第一の試みであるだけ、ファルスから説話形式への過渡期であり、自分の文学的な実験精神を具現した結実である点からも重要な位置を占めている。また、後に続く彼の説話形式の作品に礎となる点からも、この作品の文学上の意義があると評価できよう。
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大江健三郎の「性的人間」は、異常性欲者(性的倒錯者)を通じて戰後日本社会の混亂に陥った様相を提示していると評價されている。従来の先行硏究では倒錯的な性が自閉的で、政治的に行動できないという意味で停滯的だと評價された。しかし、性というものは他者との関係が前提になるため「自閉的」に成り得るのだろうか。また、性は政治に対立するものだろうか、という疑問を提起したい。本稿では、「性的人間」における性が日常的(正常)な性ではなく、非日常(正常、異常)的であるという点に着目し、異常な性が示唆していることとその機能を明らかにしたいと思う。異常(非正常的)なものは社会から惡として認識され、社会構成員の他者の積極的な介入を引き起し、性が社会から監視と處罰をうけている点を浮彫りにさせている。従って、性は個人的なものではなく、社會的なものであることを「性的人間」は如実に見せていると言える。また、倒錯的な性のサド・マゾヒズム的な特徵は、權力関係の基に成り立っているので、政治的な屬性を含んでいる点も見逃せないのである。「性的人間」に描かれている倒錯的な性は、社會性と政治性を內包していると言える。
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本稿では、堀辰雄の「鳥料理 A Parody」の作品分析を試みた。堀の習作期や初期の作品で多く用いられた夢が、中期以後の作品である「鳥料理」で再び用いられている点に注目した。副題に「A Parody」と付されているところから、従来この作品は堀辰雄自身をパロディしている作品と捉えられてきた。しかし、作中で窺える「私」の夢認識が堀のそれと明確にずれているところから、作中の「私」=堀辰雄という短絡的な図式には首肯しがたい。むしろ、この作品は、創作方法として夢を用いることや夢を意識的創作より優れていると堀が見做していたシュルレアリストをパロディしていると捉えられる。従って、この作品で見られる堀の批評は、まず大正初期に始ったシュルレアリスム受容が、1930年以後本格化し、それに伴って量産されていく夢に纏る言説に向かったと言える。そして、このような批評性は、シュルレアリスムとは異る形で創作において積極的に夢を用いていた初期の堀自身の創作法にも向けられていたとも言える。「鳥料理」以後、夢を扱った作品を書いていないところからも、この作品が堀において夢という手法との訣別を表明していると捉えられる。初期から中期への移行において、堀は夢のトリックという創作方法を捨て、現実の重層的な認識に対応しうる創作方法に移行していったのである。
다자이 오사무(太宰治)의 『직소(駆込み訴え)』론 - 착란(錯亂)하는 유다의 독백 -
한국일본학회 일본학보 제71권 2007.05 pp.247-262
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駆込み訴え』は、ユダがキリストを裏切る聖書の物語をパロディーした作品である。この文章が全文を通して口述筆記によって書かれたことは有名な話で、ユダがお旦那さまにキリストを訴える独白体で書かれた作品である。太宰は1936年から『駆込み訴え』を書くまで多くの聖書との関わりのある作品を発表した。太宰の鎌倉縊死未遂事件を作品化した『狂言の神』では主人公である<私>をキリストとして描いて、『二十世紀旗手』では、<罪>と<罰>を描いた。そして、『HUMAN LOST』で“銅貨の復讐”をキリストを裏切ったユダの銀三十に、“タンポポ一輪の信頼”をユダに対するキリストの信頼と結び付けられたら、『駆込み訴え』は『HUMAN LOST』を書く当時から構想されたと思われる。その後、太宰は自分をキリストからユダへ徐々に移し、『姥捨』では、ユダの反立法(アンチテーゼ)を語る。それは、『駆込み訴え』でユダの独白でもっと明らかに現れる。商人であるユダがキリストを訴える原因は三つであった。一つは、キリストとマリヤに対するユダのジェラシーだった。二つは、聖書とはちがう信仰の問題ではなくキリストの個人の倫理の問題、三つは、キリストから蔑視されたというユダの気持のためであった。太宰の分身だといえるユダの内面心理は、ユダの悪徳と美しい理想家のキリストとの両面価値(ambivalence)を同時に持っているから、ユダのキリストに対する恋はすなわち自分に対する恋であり、これは太宰が言った反立法の倫理として受け入れられる。
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本研究は、古事記․日本書紀の王権神話をテーマとして制作された神話美術を分析し、日本古代神話の世界が明治時代以降の国家意識の意図性(国民国家イデオロギー)によってどのような形として表現され、その図像表現がどのように文字神話と異なるテキストを形成したのかを考察したものである。用いるテキストは『肇国創業絵巻』であるが、これを分析の対象としたのは、この絵巻が満州事変の後、対外的な意識が強くなった戦争期の1939年に当時の代表的な画家を総動員して制作され、国民統合と皇国精神の発揚の手段として利用された代表的な国策の美術テキストであるからである。 この絵巻が制作される当時は日中戦争が泥沼の様相を呈していたため、その戦争を理想として揚げるのに、神武の東征神話を中心としている本絵巻は都合のよい作品であった。つまり、絵巻は、戦時イデオロギーを神話美術の形で宣伝するための道具であった。例えば、神武東征の物語の絵において、天皇軍に従わない敵対者は「平定」され、血みどろの戦闘は最後の段にいたっても描かれない。殺戮の場面は詞書のみに語られている。神武天皇軍の東征は皇化に従わぬ蝦夷平定であり、それは当時の戦争中の皇軍と重ねられている。このように、絵巻は神話美術の作品であるが、戦争時のイデオロギーを強く打ち立てる生きた歴史のテキストであり、皇国精神の発揚と国民統合のために積極的に作り出された天皇神話テキストであるといえる。 日本が戦争によって軍事的・政治的な役割を拡大しようとしたとき、新しいナショナリズムや国家重視などといったことを強調するようになり、そこには「皇統の神聖=国体の護持」といった確信が必要であった。明治天皇のイメージが近代国家の必要性に合わせて新しく形成されたように、戦争期という危機において神武天皇も国民統合のシンボルとして作り替えられざるを得なかったのである。天皇崇拝思想を国民に据え付けようとした当時において、この絵巻は国体の独自性と戦争の聖性を教え込むための手段として用いられる神話テキストであったと考えられる。
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『徒然草』の注釈の歴史は長く、量的にも厖大であるが、それは主に典拠の指摘でとどまったり、単語の意味を辞書的に解いたりするのであった。だが、作品の中で機能するイメージや趣きを理解するには、文体に対する考察が必要だと思われる。兼好の創作心理というのは、『徒然草』全体にわたって働く問題だからである。『徒然草』を随筆という枠から引き出して、典拠表現との関係のなかで考え直すと、だいぶ不自然で虚構性の強いところに直面するようになる。『徒然草』を随筆として捉える通念は、読み手にして作品の内容すべてを兼好が自ら体験した事実と思わせた。特に『徒然草』のなかで理解しにくく不自然なところについては、兼好の体験であるか否かに関する議論が多かった。しかし、より大切なのは、作者の創作心理はエクリチュール全体にかかわるものであるから、表現の虚構性を綿密に検討することであろう。 本稿では兼好の体験か架空かの議論がなされてきた王朝の物語的な段を中心に、典拠になる作品と『徒然草』の表現を対照してみた。これを通して、兼好が虚構に対してどういうスタンスをとったか、またどうして虚構が必要だったかを把握してみた。「場」を越えて、言葉と言葉の組合が基盤になり、想念や心情を醸し出す「トポス」という概念を借りて、語り手(あるいは書き手)と讀み手が互いに共通で持っていると思われる虚構の観念と背景について考察した。そして、朧化した表現が頻繁に出てくることと関連して、兼好にとって虚構がなぜ必要であったかまで察してみた。虚構は近代の概念ではあるが、虚構そのものを有効にみなした意図はすでに存在していた。本稿では『徒然草』の場合を分析し、ジャンルにこだわらない、新しい『徒然草』というエクリチュールの姿に近づいてみた。
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本稿の目的は、大衆文化の中で最も重要な役割を果たしている日本のアニメーションに含まれている思想を考察することにある。日本の漫画映画を指すアニメは日本の代表的な大衆文化として位置づけられ、多様な素材を取り扱いながら発展されてきた。これは現実と空想という二重世界を表現するなかで一定の思想をも表し、その価値を極めているし、現実性と未来性を同時に求める特徴がある。アニメはコンピューターグラフィックを通じる表現ができ、事実性を高めるという方向へと発展された。また、TV漫画映画から劇場映画まで存在し、大衆性と娯楽性をもつということで文化資本としても重要な役割を果たし、ウォールトディズニーの漫画映画と競争ができ世界漫画映画市場を席巻している。それはアニメの表現しているものと共感ができているし、娯楽性と芸術性が持続的に維持され、社会的․文化的․経済的市場などで優越性をもつようになったからでもある。また、アニメを作ってきた専門家あるいは集団, 市場を活性化させてきたアニメ消費者, 大企業による投資 などがアニメの発展を促したことためでもある。そのようなアニメは、時代状況を適切に加味した現実性、現実を超越した未来性、娯楽性 等に基づき, 一定の思想を表す特徴がある。結論からいうと, 1980年代アニメのなかで表われている思想は, 反権力主義, 性娯楽主義, 人間性重視主義, 女性中心主義, 新世界主義 などであるといえる。
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幕末維新という歴史の転換期に日本の知識人たちが果たした役割は、日本の文明史という観点から見れば、計り知れないほど大きかったといわざるを得ない。特に先進の文明と新知識を吸収し、それを社会中に伝播していく中で、国体保持・富国強兵・殖産興業の必要性を強力に主張し、さらに人心の改革と事物の改革に奔走した彼らの活躍と思想的影響は、歴史的な意味付けをするまでもなく、日本の近代社会成立期においては、時代が要請したもっとも重要な役目だったし、それを彼らはきちんと認識して実践したと思われる。そのため文明開化期における明六社の知識人達を含め、啓蒙思想家達に対する歴史的な評価が高いことについては、十分に理解できるところがある。だが、啓蒙思想に対する高い評価にもかかわらず、彼らの認識の中で共通的に刻み込まれていた「民衆観」の実状については、厳しく非難しなければならないところがある。啓蒙思想に対する筆者の歴史的評価は以上のようであるが、これを踏まえて本稿では、啓蒙思想家が展開した「富強文明」の論理展開の過程とその歴史的意義、「富強文明」の論理展開の中で形成される啓蒙的知識人達の主体的指導者意識の実体と、彼らによって形作られる日本人=国民像のあり方、そしてその過程の中で表に現れた民衆観の実態を具体的に分析し、文明開化期の啓蒙思想の歴史的功過を明らかにした。
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江戸幕府は、米国のペリー來航を契機とする対外的及び日本国内における政治的․軍事的緊張に対処する一つの対策として、1857年1月江戸九段下に蕃書調所を設立した。 蕃書調所は洋書の翻訳と洋学教育を主要目標として、併せて、洋書と翻訳書の印刷․刊行、洋書検閲なども行なった。従って、その性格は高等教育機関というより、特定目的を持った幕府直轄の調査研究機関としてみるのが一般的である。 しかし、蕃書調所は、箕作阮甫․杉田成卿․川本幸民のように、当代の蘭学者が教授職を持っていた機関でもあった。そこで、幕府の影響を受けながらも、一方では彼らによって西洋に対する研究と翻訳、そして教育が行なわれた。 本稿では、このような性格を持つ蕃書調所において、翻訳と教育はどのような目標下で推進されたか、また実際の成果とその性格はどうであったかについて考察する。 それを通じ、以後開成所․東京大学へと拡大․発展する、いわゆる近代日本高等教育機関の前身の一断面および特徴をうかがい知ることができると思う。具体的には1857年から1862年までの6年余の期間を対象とする。 考察の結果、広く各国の学問と技術を開発するという蕃書調所の設立当初の趣旨には及ばなかったものの、翻訳の場合、語学(英語)․基礎科学(物理学․化学)․兵学などの分野において多数の成果を残こし、教育の場合、幕府が直接西洋に対する教育を試みたことや各藩の藩士にも門戸を開いたことなどが、実際の成果の特徴として挙げられる。 以上は、その背景に蕃書調所の学者の努力と能力、それから彼らを認め、積極的な支援を惜しまなかった幕府があったから可能であったと思う。要するに、人才的要素と制度的要素がバランスよく共存したからできたことである。 なお、1863年以後の開成所の観点からみると蕃書調所の以上の出来事は進行形という表現が適切であろう。
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中国の雷神が韓国、日本に伝来され、変遷されていく過程を考察してみた。韓国の雷神は羽があって大きい耳に鳥のくちばしをしているが、日本の雷神は仏教経典に描かれている守護神の顔をしている。しかし、韓国の雷神が鳥、日本の雷神が仏教の守護神の姿であることに注目して考察した。それで韓国の雷神が日本の妖怪である天狗と類似していることが分かる。天狗は神秘化された想像の存在で山を住まいとして、はじめは羽で飛行する鳥の姿の妖怪であった。これで中国の雷神が韓国を渡って日本の雷神及び天狗に変遷していたことがわかる。すなわち、天狗は中国の雷神、韓国の雷神の影響を受けて生成された妖怪だと考えられる。
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安部政権下における日韓関係は,彼の右派的な理念的性向のために楽観することが難しいが、逆に悲観的に予断する必要もないと思われる。安部は首相就任直後、中国、韓国を電撃的に訪問することによって,小泉政権期に悪化されていた近隣外交を復元するための動きに乗り出した。日本の保守外交の伝統からみた場合、外交政策決定における重要な要素は指導者の持つ理念や信条よりはむしろ現実主義的な状況判断であったと言える。韓国の立場から考える際、5年余ぶりに渡来した日本の政権交代は、戦略的な判断によっては、対日関係を改善させる好機として活用する余地が十分ある考えられる。2005年春以後における日韓関係を悪化させた原因を提供したのは日本側であるという点は否定できないが、韓国側の歴史原理主義的な対日過剰反応も両国関係悪化の大きな要素として作用したのも事実である。北朝鮮の核、ミサイル問題など緊迫に展開して朝鮮半島の国際政治情勢を考慮するとき、対北朝鮮政策をめぐる日韓の間の対話や意見の調整こそが今や最優先的な急務となっている。日韓関係において歴史問題は短期的な解決策が存在するとは言いきれない。歴史問題の短期解決が難しいとすれば、次善の策として重要なのは摩擦の管理である。歴史問題を効果的に管理するためには両国の指導者の間に信頼が最も重要である。
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本稿は日本の近代小説テキストの誕生を挿絵と活字の関係から考察したものである。これは、近代文化を築きあげた活字文字を相対化することで、より想像力ゆたかな小説テキストを指向するものでもある。このような問題意識のもとで、本稿は、明治12年に刊行された仮名垣魯文の高橋阿伝夜叉譚とその異本に注目した。高橋阿伝夜叉譚は近代の黎明期に大ヒットした大衆小説のひとつであるが、このテキストの異本が明治十年代後半にふたたび読者たちの注目をあびる。 ところで、明治12年版テキストと異本テキストとのあいだにはいくつかの変化が見られるが、そのうちもっとも著しいのは挿絵の減少および消滅である。これはいいかえれば活字文字が小説テキストを独占したということになるが、本稿はこのような変化に含まれている社会文化的な意味合いを考察したのである。 その結果、日本の近代出版資本の利益追求が挿絵の消滅と文字の独占をもたらした最も大きな原因であることがわかった。さらに、挿絵の消滅と文字の独占という視点は、日本の近代小説テキストの成立過程を相対化することはもちろん、小説テキストをめぐる様々な社会文化や日本の近代そのものを相対化できる視点であることがわかった。
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