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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제94권 (18건)
No
1

4,000원

This study tries to find out, focusing on power, social distance and the strength of complaint, features and differences of Korea and Japan on “Responses to Complaints”. The results are as follows: (1) In Japan, when one listens to the other complain about something, he or she is affected by ‘the strength of complaint’ rather than ‘power & social distance’. On the contrary, in case of Korea, under the same situation, a respondent of discontent is affected by both the strength of complaint and the power & social distance. (2)When investigating a behavioral sense of the respondent, Japanese people focus on delivering their apologetical mind to the counterpart, but a Korean takes heed on ‘releasing the complaints of the counterpart.’ Then it makes a huge difference between Korea and Japan. (3) When examining the strategy and linguistic expression of the respondent, Japanese language expresses [sorriness] and [sorriness + compensation], regardless of power & social distance and the strength of complaint. On the contrary, Korean language shows different strategies and linguistic expressions depending on power & social distance and the strength of complaint. This study will be helpful to research on linguistic behaviour and contribute to deepen the mutual understanding between Korea and Japan.

2

5,200원

本研究は、韓国の大学にある外国語寮における日本語学習に関する研究である。HID(Hallym.International Domitory)では、日本語の他にも英語、中国語、ロシア語等の外国語をネイティブスピーカーである留学生と共に生活しながら日常的に用いることによって語学力を伸ばし、お互いの国の文化を理解し、グローバルな精神を身につけ、国際社会で活躍できる人材を育成しようという取り組みが行なわれている。具体的には、ネイティブの教員による会話の授業(必修科目)である「生活日本語」や、留学生がチューターとなって会話を学ぶ「チューター授業」等もある。本研究では、このような取り組みの中で、韓国の日本語寮生の日本語学習に関する学習認知、学習努力、学習興味、自信、および社会性などに関する意識が、彼らが共に生活する日本人留学生の増加によって変化がみられるかどうか、について調査した結果を報告するものである。調査の結果、日本人留学生の増加は韓国人大学生の意識に影響を及ぼしていることが明らかになった。日本人留学生が4人であった1学期より、9人に増加し、1室を除いた全ての寮室で韓国人学生と日本人学生が生活を共にすることになった2学期の方が、HID生の日本語に対する学習意欲が高まり、学習に自信をもつことができたという結果を得たのである。また、1学期に比べて2学期に統計的に有意差がみられた項目が増加したことも明らかになった。

3

無生物主語의「させる」構文의 特徴 ― 일본어교육의 관점에서 ―

안평호, 지호순

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.29-40

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4,300원

本稿では、無生物主語をとる「動詞+(さ)せる」構文を使役文の一つのタイプとして位置づけた上で、これらの構文について考察を加え、次のようなことを明らかにしている。(1) 日本語の使役文のうち、無生物主語をとる構文には少なくとも(1a)及び(4c)のような二つのタイプが存在すること、なお(4c)のタイプに関する区別が重要であることについて述べている。(2) 使役文と関連した先行研究においては、無生物主語の使役文をめぐって広い意味での「因果関係」という概念で説明するのが一般的である。しかし、本稿では「因果関係」の外延があまりにも広すぎて、韓国語を母語とする日本語学習者がこれらの構文を学習するのに、「因果関係」という概念はあまり役に立たないという問題について指摘している。(3) 無生物主語の使役文に対する成立条件だけでなく、使役文が成立しない条件についても<間接性>及び<自己制御性>という概念と関連づけて説明している。

4

言語資料로서의 『日韓清対話自在』

李康民

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.41-52

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4,300원

本稿は、1894年、日本で刊行された『日韓清対話自在』の具体的な内容を学界に紹介し、言語資料として本書の持つ意味を考えてみようとしたものである。本書『日韓清対話自在』は、その書名が示しているように、日本人に初歩的な韓国語と中国語を習得させるために作られたものであり、日清戦争のような緊迫した国際情勢が、このような多言語学習書の登場を導いた時代的背景になっていると思われる。調査の結果、本書の日本語は、全体的に明治期日本語の言語現実を反映しているものであり、部分的には文語的な要素も見受けられるものの、近代日本語の資料として資し得る性格のものであることが分かった。また、本書に見られる韓国語の仮名表記には、二重母音に関わる現象など、日本語と韓国語の音韻史研究に活用できる事象が散見されており、今後のより細密な検討が必要であるように思われる。なお、本書に収録されている韓国語は、近代韓国語の表現、或は語彙史的な側面から興味深い資料的情報を提供し得るものであることが確認できた。

5

各國漢字音의 輕脣音化에 대한 比較考察 ― 陽聲․入聲韻을 중심으로 ―

李京哲, 李相怡

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.53-65

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4,500원

本稿では、各国漢字音の比較分韻表を作成して、唐代の秦音で発生した輕脣音がどのように反映されているかについて考察した。その結果、次のような結論に至った。1) 吳音は、南北朝期の南方系字音を母胎にしているので、時期上、輕脣音を反映しない。2) 漢音は、日本語の音韻體系上、p系の重脣音とf系の輕脣音との區別が存在しないので、聲類においては輕脣音の反映が見られないが、韻類には輕脣音を明確に反映している。陽韻․元韻․鍾韻․東3韻․尤韻においては、牙喉音字と脣音字との字音形の相異から確認できるし、凡韻においては、吳音の字音形との比較から確認できる。3) 韓國漢字音は、聲母においては、輕脣音の反映が全然見られない。ただし、韻母においては、輕脣音を反映する層と輕脣音を反映しない層が混在しているが、輕脣音を反映しない層の比率がずっと高い。輕脣音の反映は、元韻の-an/l形と尤韻明母の-o形から確認できるし、文韻․凡韻․廢韻は輕脣音を全然反映していない。4) 越南漢字音は、聲母と韻母、両方とも輕脣音を反映している。まず、聲母においては、幇․竝母をbで、非․奉母をphで、そして、明母をmで、微母をvで弁別して受容していることから輕脣音を反映していることがわかる。しかし、聲類、韻類ともに、輕脣音化以前の層が混在いている。陽韻の-ɔŋ/k形、元韻の-an/t形、文韻の-ə:n/t形、鍾韻の-oŋ/k形と-ɔŋ/k形、凡韻の-am/p形、東韻の-uŋ/k形と-ɔŋ形は輕脣音化を反映している字音形であり、陽韻の-ɯəŋ/k形、元韻の-jən/t形と-on形、鍾韻の-uŋ形、凡韻の-jəm形は輕脣音化以前の層を母胎にしている字音形であると考えられる。5) チベット資料も、聲母と韻母、両方とも輕脣音を反映している。聲母においては、微母がo、u、wなどの母音で現れることから輕脣音を反映していることがわかる。しかし、聲類、韻類母ともに、輕脣音化以前の層が混在いている。元韻の-an/d(r)形は輕脣音化を反映している字音形であり、陽韻の-waŋ形、元韻の-wan/r形と-er形は輕脣音化以前の層を母胎にしている字音形であると考えられる。

6

4,300원

これまでのターン交替時の発話に注目した研究で、日本語母語話者間の会話では形式的分類「あいづち」、機能的分類「応答」の出現率が高いことが明らかになっている(磯野2010b,f)。本研究では形式的分類、機能的分類と個別に行った分析を踏まえ、形式的分類と機能的分類の対応関係について定量的な分析を行い、会話における日本語の語用論的特徴を明らかにした。この結果、あいづちやディスコースマーカーといった形式(形式的分類)、さらに「あー」(形式的分類:ディスコースマーカー(フィラー))といったひとつの表現形式が会話相手への相対的効果として様々な機能(機能的分類による)を有していることが分かり、機能の多様性と語用論的特徴が明らかになった。本研究によって、日本語母語話者間の会話ではひとつの表現形式が多様な機能で使い分けされていること、そして日本語教育․学習において「こう使えば良い」とステレオタイプ的に考えられている以上の語用論的特徴があることを明らかにした点は現実的、実用的な日本語の語用論的特徴を日本語教育へ取り入れていくにあたって、とりわけ会話教育の分野に寄与できる可能性が高い。

7

일본학 관련 대학 및 학과의 현황과 전망

朴眞秀

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.79-91

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4,500원

2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故以後、韓国内の日本学関係の大学の学部や学科は、日本学の将来について、これ以上発展の見込みがないというような、大きな危機意識を抱かざるを得なくなった。それは単なる一時的な現象ではなく、数年内に重ねられてきた不安が、3․11をきっかけにして爆発したことであろう。その不安感は大きく分けて、二つの問題から来ていると考えられる。一つは、大学の外の環境および教育条件の変化であり、もう一つは学界内における教師の需給のアンバランスである。本論文は大学の学部や学科の視点から、その不安なり危機意識を作り出している問題点を、具体的現状を中心に考察し、今後の対応策を模索することを目的とする。ちなみに、はたして韓国における日本学への実質的需要が減っているのかを調べたのである。調査方法は、次の三つのレベルから行われた。一、高校生、大学生、一般人の日本語学習熱、二、日本の大衆文化、日本小説など日本文学作品の本屋での売上げ、韓国からの日本への入国者数からみた日本への関心度、三、観光、貿易、政治軍事など現実的関係、である。その結果、韓国における日本学への期待やその必要性や関心、つまり「日本」への需要が減っているという、その確実な証拠は見当たらなかった。ただし、国家の政策面における配慮と学界内の努力が必要であることが判明した。

8

5,200원

本論文は1920年代から1940年代にかけて、朝鮮半島で刊行された短歌と俳句の専門雑誌や単行本を調査研究したものである。これら歌集と句集及び歌誌と俳誌の種類と特徴、主要な歌人と俳人、さらにこのような日本の伝統的な短詩型文学に関連する文献を朝鮮半島で刊行した目的と、その文献の主な内容など、このジャンルの全貌を捉えようとした。短歌の方は、日本から渡鮮してきた有力歌人たちによって、すでに1920年代にいくつかの歌集や『真人』という歌誌が発行されていた。1930代にはモダニズム系列の破格短歌まで登場し、多様な短歌が創作されたことと推測できる。俳句の方も1920年代から、ホトトギス派の俳誌は全国で発行されはじめ、1930年代には新興俳句派と石楠派も加わり、朝鮮の地方色を表わすために競合していたことがわかる。1930年代の歌壇と俳壇の活況ぶりは多様な性格をもつ歌集と句集の出現からも推察できるが、やがて日中戦争、太平洋戦争期に入り、半島の歌壇と俳壇もその影響をうけ、それぞれ国民詩歌連盟と朝鮮俳句作家協会に統合され活動も限られるようになった。本論文で調査したものは短歌雑誌4種、歌集22種、俳句雑誌3種、句集13種である。今まで植民地に於ける<日本語文学>研究、あるいは韓国作家のいわゆる<二重言語文学>研究は、小説ジャンルが断然と研究の中心に置かれていた。しかし、本論文の調査研究によると、日本の伝統的な詩歌ジャンルが朝鮮半島の中で最も幅広く一貫した形で存続しながら、時代の推移に伴い多様な内容性をも孕んでいることが確認できた。従って、本論文の調査研究は植民地<日本語文学>研究の新しい領域を開拓する可能性を含んでおり、小説分野に片寄っていた植民地文学の研究史を見直すことが出来る土台になることと期待する。

9

5,400원

敗戦後、日本社会において植民地支配の<記憶>は形骸化され、なお忘却の危機に直面していた。そしてそのプロセスには巧妙な論理が隠されていた。具体的には、朝鮮戦争を前後にして沸騰する「民族」をめぐる論議、そしてこれと相俟って浮上する「被圧迫民族」という屈折した自己認識などが取りあげられる。これらの論理には、冷戦空間における日本の「植民地化」という切迫した現実認識の下に出現したことを考慮するとしても、不可思議な点がある。それは、「植民地化」という<現在>は議論されても、かつての植民地支配の<記憶>は封印され、語られなかったことである。つまり集合的記憶としての植民地支配の<記憶>は、忘却を強いられたのである。このような社会的風潮のなかにあったからこそ、田宮虎彦「朝鮮ダリヤ」は注目に値する作品である。物語では、朝鮮人との交際が植民地支配の<記憶>と連動して想起され、なおその<記憶>の再認識不可避性を自覚していく。この点において「朝鮮ダリヤ」は、植民地支配の<記憶>をめぐる同時代の捉え方とは明らかに一線を画するものとして評価できる。また物語は、植民地支配の<記憶>を個の<記憶>から共同体の<記憶>として分有し、さらに共有していくことの重要性も物語る。そして植民地支配の<記憶>の分有と共有においては、世代による断絶を容認しない。そのため物語は、子供から大人へと移行する人物の「戦後責任」の問題を見事に漂わせる。「朝鮮ダリヤ」に表れた視点は、今なお植民地支配の<記憶>が葬られ、忘却される今日にも示唆に富む。

10

영화『겐지모노가타리-천년의 수수께끼-』論

김수희

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.131-144

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4,600원

2011年12月、もう一つの『源氏物語』の映画が公開された。東宝配給のお正月映画として邦画市場最大規模で公開された角川映画『源氏物語-千年の謎-』がそれである。出版と映画のメディアミックスで、もう一つの『源氏物語』の映画が世に出たのである。角川歴彦氏の製作総指揮によって角川グループから作られたこの作品は、「『源氏物語』の最大の謎は作者紫式部だ」という認識から出発している。角川歴彦氏は貴族社会から武家社会、町人文化から明治時代、そして現在まで、いつの時代でもベストセラーであった『源氏物語』こそ日本文学の金字塔という認識の上で、「紫式部こそが源氏物語の最大の謎である」と想いが至った時、『源氏物語』完全映画化の決断ができたと言っている。実際、映画の主なストーリーは『源氏物語』誕生秘話をベースに、<光源氏の華麗なる愛>と<作者紫式部の秘めた恋>が同時進行し、<物語>と<現実>の二つ世界が交錯する仕組みとなっている。一例として、<物語>の中の登場人物である御息所を<現実>の登場人物である陰陽師安倍晴明が退治したり、<物語>の主人公光源氏と<物語>の作者紫式部が出会ったりする。現実と虚構が交錯するこのような仕組みこそ、この映画のポイントの一つである。そして、<なぜ紫式部は『源氏物語』を書かねばならなかったのか>という問いに対し、この映画は天才女流作家紫式部の叶わぬ愛が、その物語を綴らせたと捉えている。ちなみに、この映画は、古典文学としての『源氏物語』そのものの映画化ではなく、角川書店で刊行された高山由紀子作の『源氏物語悲しみの皇女』の映画化であり、それなりに新感覚の『源氏物語』を標榜している。メガホンを取ったのは映画『愛の流刑地』で知られた鶴橋康夫監督で、光源氏役に『人間失格』でブレークした生田斗真、紫式部役に中谷美紀、藤原道長役に東山紀之、安倍晴明役に窪塚洋介などが出演した。豪快な出演陣、そして、実際に琵琶畔に建立された寝殿造りの壮大な本建築や有名デザイナー宮本まさ江氏による豪華な衣装などで、紫式部の生きた時代を再現するものとして大きく期待された。本稿ではこの映画が2001年の映画『千年の恋ひかる源氏物語』などのいままでの映画とどのような点で異なっているのかを、映画に関する様々な分析を通して明らかにし、『源氏物語』を加工した作品の一つとしてどのような意義を持っているのかを捉えようとしている。そして、この作品が『陰陽師』などの既存の平安文学関連のコンテンツを見事に取り込みながら、『源氏物語』関連の他のメディアの限界を克服する形でそれなりに成果をあげていることを分析した。例えば、時の権力者道長に光源氏のイメージを負わせることで、光源氏を<ひたすら恋にさまよう青年>として捉えながらも、作品全体に<王権論的な視点>を取り込ませることに成功している。少女漫画『あさきゆめみし』の問題点(王権論の不在)など克服する形として、高く評価することができると考えられる。

11

바쇼(芭蕉)와 에쓰진(越人)의 하이카이를 통한 교류에 관한 고찰

許坤

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.145-157

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4,500원

越人が芭蕉の門人となったのは、『俳諧七部集』の第一集『冬の日』興行の折であると伝えられている。そして蕉風作家として、華々しく俳壇に登場したのは、第二集『春の日』であり、引き續き第三集『曠野』時代である。蕉門俳諧の初期に芭蕉の俳諧改革に協力し大きな役割をした彼は、当時、江戸俳壇の中心になりつつあった蕉門俳諧が本格的に軌道に乗っていた時には、自分の俳諧に傾倒しすぎる傾向が見られ始めた。理智的で古典的だった越人の俳諧の傾向はますます深くなっていきながら道德的で敎訓的な性格に変わってしまったのである。結局当時自分の主な活動の舞台であった名古屋俳壇の保守性を克服することができなかった越人の俳諧は、回顧的で自慰的俳風の中に埋沒されるようになったのである。その後、蕉風に反する獨自の俳風を追求することによって、結局は大衆に愛される俳諧よりは自己陶醉の俳諧に終わるにすべなかったのであり、蕉門俳諧の發展に大事な役割を果たすべき立場から大きく退いてしまったのである。しかし師匠の芭蕉とは死ぬまで人間關係が終始変わらなかったのであり、蕉門に残した彼の足跡は決して侮ることはできないものといえる。運命に恵まれず非運な人生を生きていた越人であるが、芭蕉との俳諧と書簡文を通じて交わったつきあいは彼の人生の中の唯一の楽しみと慰めになったのではなかろうかと思うのである。

12

일본에 있어서 미군점령기의 문화정책

구견서

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.159-171

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4,500원

本稿の目的は米軍占領期の日本でGHQによって行われた文化政策の特徵について考察することにある。そのために日本の文化政策に大きな影響を及ぼした占領政策と実際に行われた文化政策の實態を把握することを行う。この作業によって、米軍占領期における日本文化政策の基本的な枠組みの特徵や限界を提示すると共に、それ以降の時期に日本が行った文化政策との連繫性を論ずる手掛かりを得ることもできる。結論として、戰後日本においてGHQによって行われた文化政策の特徵は次の通りである。一番目に、文化政策が文化的觀點や目的よりも政治的觀點や意圖によって遂行されたことである。文化政策は米国の支配概念である民主主義, 自由主義, 反共主義等を植え付ける目的の延長線で推進された。二番目に、米國文化を日本に強制的に移植させるとも言うべき文化移植政策の性格が色濃く現れている。三番目に、伝統的日本文化を排斥するという次元で推進された。西歐文化や米國文化の持つ肯定的な要素や眞正性が歪曲されたり、もしくは悪用されたりしたことで、その副作用もまた、多様な形で現れた。四番目に、GHQによる文化政策は日米講和條約以降、日本文化論や日本文化政策の基盤あるいは土臺となった。しかし、そのような文化政策がそれ以降の時期における日本文化論や日本文化政策にいかなる形で影響を及したのかという問題は、今後残された課題である。

13

4,500원

本研究では冷戦の終結後、北米の国際政治学における主流理論である合理主義の批判と反省から登場したコンストラクティヴィズムが、日本の国際政治学にはいかなる模様で現れたのかを明らかにした。その中で特に1990年代以降の日本の国際政治学における国際規範に関する研究動向を探ってみた。その分析対象は、日本国際政治学会が発行する学術誌『国際政治』に1990年93号から2011年の166号まで掲載された国際規範をテーマとする論文である。北米におけるコンストラクティヴィズムへの熱心が盛んになった時期とはギャップがあったものの、日本での国際規範や構成主義を研究テーマとする議論は、1990年代と2000年代を比較すると3倍以上の増加が見られる。2000年以降からは毎号に国際規範に関連するテーマの研究が掲載されつつある。そして主に扱うトッピクとしては、国際規範の属性․形成における動態やメカニズムに関する研究や、そのプロセスで現れるNGOの役割、国際規範による国際秩序と国内秩序の相関関係分析、国際規範が及ぶ政府政策への影響などがある。そして、構成主義理論自体に関する研究は少ないが、構成主義アプローチを用いたグローバル․ガバナンス、国際レジーム、国際機構に関する研究も多くあった。日本の国際関係論における理論研究は、北米の国際政治学に影響を受けた部分も少なくはないが、そもそも日本の政治学研究が理論研究を重視した点もあり、観念的研究方法を用いた既存の研究基盤に基づきながら、それに加えた複合的な実証研究への試みも多くあった。

14

‘일기일회’와 ‘독좌관념’을 통해본 일본다도의 수양적 성격

朴銓烈

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.189-199

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4,200원

江戸末期、鎖国から開港に向かい国家体制が激変する時期の政治家である井伊直弼は茶人としても重要な業績を残した。彼は当時の遊興的な要素が強調された茶道界を批判し、精神性を強調する茶道を追い求めた。彼の茶道観は「茶湯一会集」前書きの「一期一會」の論と結論の「独坐観念」という用語に集約することができる。領主の息子として成長する過程で心身の修練方式の一つで茶道を習い、茶道は単純な道楽ではなく高度の精神世界を修める手段でなければならないと思った。彼は茶道修養過程をまるで自分との熾烈な闘い過程であるかのように思った。彼は厳肅で非常に真剣に茶道に没入し、茶道は政治の道(政道)に役に立たなければならないと考えた。実はお茶を飲む時、楽な心で主人と客が交われば十分なのに、一般人としては高揚された精神性を維持することは現実ではかなり無理なことである。一期一會の茶道は一種の精神的な理想郷であり、虚構の世界と言える。今日、日本文化の各方面で「一期一會」という単語が頻繁に用いられ、茶道専門用語に限定されないで、真剣に取り組む人間関係、人と接する時の真面目な姿勢など意味するようになっている。一期一會は日本の井伊直弼によって造語された言葉であるが、韓国でも広まていることが注目される。井伊直弼は真剣ながらも熾烈な自己省察的な姿勢で望むは茶道の世界のためにで「独坐観念」という概念を主唱した。今日、日本の茶人の間では覚えるべきの概念として定着している。井伊直弼の茶道は単に茶を飲む行為の洗練さを求めることに留まらず、高揚された精神世界を追い求める修養の方式としての茶道であった。窮極的には政治家として一瞬一瞬を真剣に考えなければならないという修行者の姿勢をもっての茶道を追い求めながら、一期一會と独坐観念という新しい造語で概念を表現し、新しい茶道の世界を開拓したのことに歴史的意義があると考えられる。

15

4,600원

This thesis attempts to analyze the Japan’s restructuring of the iron and steel industry which gave birth of Nippon Steel Corporation(1970) in response to the internationalization during the late 1960s, emphasizing market initiatives over government leadership. As it was exposed to internationalization in a state of its over-heated competition and small size, the Fuji steel company posed an initiative of M&A to make an end of it with the support of several steel companies and sub-government more than government. The government just showed a collaborative attitude towards him as a member of sub-government, since the denial of M&A by the Fair Trade Committee (FTC). However, he did not resort to the government measure because the market consensus has been powerful enough for him to push an initiative against the FTC. It proves that the government role has been changed due to the impact of internationalization. Taking it into much consideration, market initiatives must be taken more important than government leadership in analyzing the restructuring of Japan’s iron and steel industry.

16

전후 일본의 외국인 정책의 흐름

이진원

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.215-230

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4,900원

1945年以降、日本は旧植民地から移住してきた外国人․外国文化を日本の外部のものと見なし、このような現象は日本政府が国際交流に関する指針を発表する1987年まで続いた。その後、高度経済成長や国際化の流れの中で外国人との交流を行っていかねばならないとの認識を持ち始めた。このような認識を先に政策レベルに引き上げたのは、中央政府ではなく、地方公共団体である。しかし、当時の交流は字面通りのものに留まっていたのであって、社会の中に外国を受け入れることではなかった。つまり、外国人はいつか国に帰る者として見なされていたのである。しかし、外国人が生活者として日本に定住することで、日本政府は彼らとの共存を考えざるを得なくなった。このような日本の外国人政策は一般的な説明である差別(排除)モデル、同化モデル、多文化主義政策とは異なる特殊性を持っており、これは単一民族神話に根差した強い閉鎖性を反映したものである。言い換えるなら、日本にとって外国を受け入れる、もしくは理解するということは、時代の流れや国際情勢の変化に伴って、積極的にではなく、消極的に対処した結果によるものなのである。

17

일본의 가족주의 경영과 고용안정의 정합성 ― 자유주의적 접근 ―

전영수

한국일본학회 일본학보 제94권 2013.02 pp.231-247

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5,100원

市場万能が市場失敗を引き起こした結果、新自由主義の歩みにブレーキがかかった。格差拡大の中に福祉需要が増えながら中産層以下に脱落する階層が急増したからである。特に賃金下落とリストラなど職場を取り囲んだ雇用不安が拡がっている。この結果、故障した資本主義を克復する新たな代案モデルに対する関心が高まっている。福祉役割の相当部分を企業部門に任せた日本の場合には新自由主義の導入以後に雇用不安と福祉需要が急増したから特に代案モデルの必要性が高い。政府福祉が稀薄な状況で企業福祉の弱化に比例しながら増加した雇用弱者の生活水準が急激に悪くなった結果からである。この中で老舗企業と京都企業で確認されるように伝統の家族主義的な経営哲学が有力なヒントに浮び上がっている。いわば‘イエ(家)’制度として総称される集団主義及び共同体主義などが独特の経営システムに連結された日本の家族主義的な経営システムが最近の市場失敗と政府失敗を同時に乗り越えることができると思う。特に 1990年代以後の危機状況でさえ労使の共存共存のモデルを固守して来た家族主義な経営企業が高成果を得ている点もその説得力を高める。これは新自由主義の以後に新しく浮上している進歩的な自由主義という代案システムとも繋がれる。最初に自由主義が警告した市場失敗とその解法として提示された弱者保護及び相互扶助の価値の再照明が日本の家族主義の見直しと相当の交集合を持つからである。それで本稿は日本の家族主義的な経営哲学が雇用安定に整合性を持つという点を企業福祉の変化を通じて西欧の自由主義的な観点から分析しようとした。

18

5,700원

2000年安山故郷の村にサハリン朝鮮が永住帰国したことを契機にサハリン研究が活発化したことを韓国における学術論文や単行本発行の検索から証明し、研究者の関心の範囲やサハリン研究の位置を明らかにした。とりわけ帰国者の年齢が高齢化したことをふまえて、口述や経験語りにより帰国後の適応、サハリンでの生活、経験について研究が進行する必要があることも力説した。同時にサハリンという空間に注目し、いつから朝鮮人がサハリンに移住したのかを南サハリンと北サハリンを区別して人口の移動と移住について調査した。史料が限定しているのでロシア側の史料と樺太庁の史料を批判的かつ分析的視点をもちつつ活用し表にした。人口の増大が1910年から1940年代に飛躍的になされたことを確認した上で43、000人説については否定的な意見を提示した。なによりも差別的な状況にあったのは劣悪な環境と賃金の格差であったことを史料を利用して提示し、'労働移民型''家族移民型'の移住であったため、さらに日本人としての国籍を維持していたため帰路が準備されず、契約期間が終わっても帰国することが不可能であったことがサハリンでの韓国人の人口増加につながったことを確認した。さらにサハリンの朝鮮人が独立運動とは無関係であったと今までの研究で指摘されたことに対して樺太庁警察史料を利用して、反論を提起した。また無政府主義者や協賛主義者として特高警察より監視されたことを明らかにしてサハリンでの状況についても視野を広げた。研究資料が公開され始めた今こそサハリンの資料に注目し、今後ロシア側の史料と日本の樺太庁史料を利用して一次史料に立脚した研究が進められるべきであると提唱した。

 
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