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1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
Japanese Studies in Present Russia - achievements and problems -
한국일본학회 일본학보 제39권 1997.11 pp.33-36
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上代日本語の母音音素が八母音存在したという學說に同意しながら, すでに發表された拙論(「上代日本語形成に關する硏究一キ甲乙を中心として-」『日語日文學硏究』26輯,「上代日本語の母音音素に關して-オ甲乙を中心として-」『日本學報』37輯等)に次, 最後にェ甲乙を中心として考察した論文である. このェ甲乙に使われている漢字は他のイ乙とか, オ乙の母音を表すのにも使われており, この方面の硏究者を惑わしていかるが, 本論はその原因を中國音韻史にあることに氣づき考察してみたところ, 予想通りその事實を確認できたのである. 一方, へ甲に使われた漢字がケ乙, へ乙等と重なって使われたことは明らかにできなかったのであるが, このような事實を究明するには, いろいろな角度から考察すべきであることと, 當時の誤り等の原因も考慮に入れる必要があると思う. この論文の順序と材料を擧げると. 1. 序論(硏究の目標と方法)では, 主題に關する筆者なりの觀点をかたり, 硏究の材料とこれを持って論旨を展開する方法などを記述した. 2. 本論では ①ェ甲乙に使われている万葉假名一覽と漢字の切音韻の各韻 ②これらの漢字の上古音 ③これらの漢宇に該當する上古音を始め, 西漢, 東漢, 魏晋, 南北朝, 中古(切韻)に及ぶ音韻史の變化過程等を記述し, そこで把握された事實などを言及した. ④これらの漢字が近世朝鮮朝漢字音に反映された現實音などを調査し, ⑤純いて總合的檢討とともに音價を推定し ⑥結論として硏究內容を要約して, ⑦ェ甲の音價を-ei(a¨ji)「에」-として, エ乙の音價を aˇi( i)「이(애)」として暫定的に決定した.
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一船に中古音といえば, 隋·唐時代の漢字音を指す. この時代の漢字音は韻書及び韻圖を土台として中國各地方の方言, 韓國漢字音, 日本漢字音, そして越南漢字音などを資料として, 推定·再構される. 從って, この再構された中古音は韓國漢字音か日本漢字音とうまく對應されるが, 韻によってはそうではない場合もある. 代表的なのが齊韻の音であるが, 齊韻は4等專屬韻の-つで,「切韻」では直音であったが, 唐時代になって音韻變化が起こり拗音に變わったものである. この齊韻は大略-(i)eiのように推定されるが, 韓國漢字音の-y iや日本漢字音の漢音-eiとはよく對應する. しかしながら, 日本の吳音-aiとは合わたい形をしている. これは齊韻の古形の反映だと思ら. また上代日本語の万葉假名の用字例を見ると, 齊韻の字は比較的新しい層の文獻ではェ列甲類の表記に, より古い層ではェ列乙類の表記に使われた. ところで, ェ列乙類はa+iからできたもので, その表記に使われた万葉假名も主に-aiのような廣い母音を中心母音として持つ韻類の字であった. それなら齊韻の中古音は-せめて「切韻」での音としては-aiのようにその中心母音が廣母音であるものと推定·再構されるべきだと思う.
原音聲調에 대한 異例的反映을 보이는 朝鮮字音聲調에 대하여 - 그 이유로서의 내적요인 및 외적요인을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제39권 1997.11 pp.91-101
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15~l6世紀の聲点文獻に反映されている朝鮮字音聲調の原音聲調は, 何よりも韻書平聲に對應する字が朝鮮字音聲調では低平調的な反映(0点表記)を現わすので, 唐代長安音系の聲調を受け入れたものと認定できる. また, 朝鮮文獻資料に反映されている聲点の中國原音聲調(調値)は, 上聲=高平調·去聲=上昇調として再構できる. これは, 隋唐代の日本に傳來された諸文獻資料を分析した結果としての金田一氏の說などによるものである. 從って, 中國原音に對する異例的な反映を見せる類型の理由に, 中國原昔聲調(調値)を, 上聲=上昇調·去聲=高平調として解釋して說明された朴炳采氏のご意見には, 以下の(a)~(d)のように多少の修正が要求される. (a)韻書上聲に對應している1点(去聲点)を例外的に見て, 內面的同一化現象として取り扱っておられる朴炳采氏のご意見には修正が要求される. これには, 朝鮮字音聲調の內的變化(類推ではない. 卽ち, 韻書上聲字の上昇調化)が予想されるが, 15世紀以前の聲調硏究が先行されるべきで, 具體的なことは將來の硏究を待つ点が多い. (b)韻書去聲には, 原音聲調(上昇調)を考慮して見る時, 朝鮮字音聲調は2点(上昇調)が原則である. ここに少數の例外としての1点(高平調)が認定されるが, これらはその大部分が原音聲調の上聲(高平調)字との諧聲聲符などのよる類推と關っていないようである. 從って, これらはその以前において, 內的變化の段階を經たものとして認定できる. (c)韻書平聲に對應している1点·2点表記の異例的反映を《諸聲聲符による類推》ということでは朴炳采氏と意見が一致するが, 《1点を韻書上聲字·2点を韻書去聲字の類推として認定》する本人の意見は朴炳采氏のそれとは相異なる. また, 韻書平聲に對應する2点表記には, 多數の內的類推として認定できるものがあり, これは朝鮮字音聲調において韻書の上去聲の合流結果が上昇調の調値に歸着されたことと關係深いと推定できる. (d)韻書上去聲の0点表記の例は, 原音聲調の諧聲聲符に對する外的類推及び一同一字こ對する朝鮮文獻資料の0点表記の內的類推として認定でき, これは朴炳采氏のご意見と一致する. 勿論, 朴炳采氏の《內面的同一聲調化現象よ外面的同一聲調化現象》槪念それ自體は, 本人の《內的要因及び外的要因》に對する槪念の發想とは異なる解釋で, 氏のご意見は尊重されるべきであると思われるが, 少なくとも朴炳采氏の原音聲調(調値)に對する理解は修正されるべきであると思い, 結論的に, これによる異例的反映字の再檢討を聲調變化における《內的要因及び外的要因》を中心に進めて, その結果を提示しようとした.
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本稿では, コリャ-ド著『懺悔錄』の濁音前鼻音を施したと思われるティルデのマ-クを中心に統計的な調査と形態的な分析を行った. その結果, 統計的な調査では,『懺悔錄』に記されているティルデのマ-クが, ロドリゲスの『日本大文典』の記述と異なり,「ガ」行.「ダ」行にもティルデのマ-クが示されてぃないものも見られ,「バ」行には, ティルデが付されているものと付されていないものがそれほど差が見られないことが分かった. また, ロドリゲスの『日本大文典』には觸れなかったが,「ザ」行の前にもキリシタン資料である『懺悔錄』を通して濁音前鼻音の存在を確認した. さらに,『懺悔錄』に見られるティルデのマ-クの有無がどのような基準で施されたかを知るために, 單語や連濁, 助詞·助動詞を語彙のしべルと形態的なしべルを同時に考慮しながら調査した. 單語や連濁の調査では, 特定語彙によって, ティルデのマ-クが付いていたり(「ほど」.「ただ」など), 付いてなかったり(「はじめ」.「及び」など)することから, ティルデのマ-クの有無は, 語によって決まるということを知ることができた. 助詞·助動詞の調査では, ティルデが常に付されるもの(接續助詞「いで」·接續助詞「が」, ティルデが常に付されていないもの(接續助詞「ながら」打消の助動詞「ず」), ティルデが付されているものと付かれていないもの混じているもの(格調詞「が」·格調詞「で」·接續助詞「ば」·比況の助動詞「ごとく」など)が存在することも知ることができた. これらは當時の濁音前鼻音の消滅が單語と同じように, 助詞·助動詞にも語によって, 濁音前鼻音を保存するものや, 濁音前鼻音すでになくなったまの, 消滅過程にあるものを示すものと思われる. また, 同じ語である單語や連濁形, 助詞·助動詞にもティルデのマ-クが付されているものもあれば, 付されていないものも見られる. これらは同じ語彙で, 同じ音環境のなかでもティルデの有無があることから,「ゆれ」があったことを示すものであり, 當時の濁音前鼻音の消滅過程を示すものと思われる. このようにコリャ-ド著『懺悔錄』のティルデのマ-クは, 全體としては, ティルデを有する語には時の濁音前鼻音の存在を反映しており, 有しない語にはすでに濁音前鼻音を消失した新しい發音を反映したものと思われる.
5,100원
助動詞「ちゃう」は, 明治30年代に東京の山の手の若者のことばに登場し, 明治40年代から大正初期にかけて急速に勢力が伸び, 山の手ことばで廣く用いられたといわれるが, 當時における「ちまう」ゃ「ちゃう」の使用實態は必ずしも明らかにされているとはいえない. この論文では,「ちゃう」が使われはじめた時期の使用の實態を明らかにするため, 明治時代の言文一致作家の一人である廣津柳浪の作品をとりあげ,「ちまう」「ちゃう」の用例を檢討分析した. その結果, 次のようなことがわかった. 明治20年代の下町ことばにおいても「ちゃう」は使われていた. たとえば, 明治28年の「變目傳」には下町ことば使う20代の靑年が「ちまう」「ちゃう」を用いて話した例があり, 明治35年の「雨」には, 55歲の老婆が「ちゃう」を使っている. すなわち, 明治30年代の山の手ことばに登場したと知られていた「ちゃう」は, すでに, 明治20年代の下町ことばにおいても使われていたのである. 調べた範圍において,「ちまう」「ちゃう」は, 地の文には用例がなく, すべてが會話文に使われている. なお,「ちまう」は, 未然形を除くすべての活用形がそろっているが,「ちゃう」は, 連用形以外の用例は見あたらない. 同一話者が, 同じ場面において, 同じ前接語のあとに「てしまう」「ちまう」「ちゃう」を使った例があることから, 前接語より話者の心理狀態などの要因が「てしまう」「ちまう」「ちゃう」の選擇に關係があるようである.
4,900원
일반적으로 논리와는 무관하다고 알려져 있는「ものだ」를 대상으로, 귀납적 추론의 구조를 도입해 분석함으로서「わけだ」와 마찬가지로 논리적인 결과를 나타내는 용법이 있다는 것과, 설명이란 기능은 논리적인 표현이기 때문에 생기는 부수적인 의미 기능이라는 점을 주장했다. 그 내용을 보면「ものだ」는 개별적인 사실로부터 일반적인 사실을 끌어내는 귀납적 추론을 결과를 표시하는 기능을 담당한다. 따라서「경험적인 사례의 집적(集積)으로부터 그 일반적인 특징을 추론한다, 즉 일반화한다」라는 의미적 기능을 갖는다고 정의할 수 있다. 또 일반화한다는 것은 공통의 속성, 즉 본질을 나타낸다는 귀결에 이르므로 기본적인 의미기능으로서「본질」을 들고, 그 외에「당위」,「회상」,「감개」등을 파생적인 의미로서 분류한 후 가 용법간의 관련성에 대해서 고찰했다. 그 결과「ものだ」의 기본적인 의미는「본질」이며 환경에 따라서「당위」,「회상」,「감개」등의 의미적 특성을 표시하는데, 공통적으로 갖는 의미 특성으로서「일반화」를 추출할 수 있었다. 이상으로부터, 즉「ものだ」가 갖는「일반화」를 나타낸다는 의미기능으로부터, 왜「ものだ」가「일반적으로」라는 부사와 자연스런 공기(共起)현상을 이루는가, 라는 의문도 해결되었다.
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담화에서「だって」는, 선행하는 사실에 대하여, 부정의 이유를 나타내는 발화를 초래하는 마커로써 사용된다. 이와같은「だって」는, 담화마커로써 문법적인 기능을 넘어 담화적인 레벨에서 독자적인 기능을 가지고 있으므로, 이것을 충분히 설명하기 위해서는 새로운 이론이 필요하다. 본 논문에서는, 담화의 성립을 청자와 화자간에 이루어지는 face의 상호작용으로 보는 face행위 이론을 소개하고, 이 이론을 중심으로 하여 담화의 흐름속에서 pre-starts로써 사용되어지는「だって」를 분석하였다. 그리고, 의미적으로 유사한 담화마커「でも」와의 대조를 통해, 그 유사점과 유의점을 분석함으로써「だって」의 독자적인 기능을 고찰해 보았다. 그 결과,「だって」에 대해 다음과 같은 세가지 점이 밝혀졌다. 1.「だって」는, 상대방으로 부터의 발화내용에 존재하는 FTA(Face-Threatening Act)에 반발하는, anti-FTA마커이지만, 상대방에 대한 FTA 기능은 가지고 있지 않다. 2.「だって」는, 상대방의 발화내용에「불충분함」(insufficiency)이 내재한다는 것을 나타내기 위해 사용되고 있다. 그것은,「불충분함」의 이유가 발화자 자신의 책임, 혹은 자신의 face를 희생하는 담화내용을 유도하고 있는 점에서 알 수 있다. 3.「だって」를「でも」와 비교해 보면, 상대방에 대한 반발하는 이유의 사용법이 다르다. 즉,「だって」는 상대방의 face를 위협하는 기능을 가지고 있지 않지만,「でも」는 상대방의 face를 위협하는 기능을 가지고 있다. 이와 같은 face 행위에 관한 기능의 차이는 각 표현 앞에 생략되어 있는 전제와 그 뒤에 이어지는 상대방의 발화내용에서 파악할 수 있다. 이와 같은 결과는,「だって」와「でも」를 담화 레벨에서 취급하여, 청자와 화자 사이에서 사용되는 담화에서의 의미관계를 face행위에 준하여 분석함으로써 얻어진 것이다.「だって」나「でも」와 같은 담화마커는 담화에 있어서 중요한 역할을 행함므로, 그 기능과 의미를 명확히 파악하기 위해서는 종래의 문법적인 분석에서 벗어난 face 행위이론과 같은 담화 분석의 틀이 필요하다고 본다.
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本論文は, 韓國人と日本人との言語行動を通じて表出される韓·日間の言語意識に對して, 社會言語學的な方法を援用して, 韓·日大學生の方言イメ-ジと方言意識を中心に科學·計量的に比較·考察したものである. まず, SD法による方言と標準語のイメ-ジに關する調査結果, 韓國は自分の地元のことばである方言より漂準語にプラス評價を下している. これに對し, 日本は標準語に對してはマイナス評價に近く, 地元のことばにプラス評價を下し, 好感と愛着をもっていることがわかる. 次に, 他人の方言使用や相手と場合によって標準語と方言とを使い分けることに對して, どのような意識をもっているかを調べてみた. その結果は, 韓國では方言を使うことに否定的であり, 使い分け意識に對しては肯定的な評價意識をもっている. これに對し, 日本では方言を使うことに肯定的な評價意識をもっているが, 場合や相手によって標準語と方言を適切に使い分けたほうが良いという意識をもっている. また, 方言傳承意識に關する項目に對しては, 韓國は方言に對する愛着感が弱いためか, 方言の傳承を積極的に望む人が少なく, 標準語と方言とを使い分ける複雜な體系を保つより, これからは標準語だけを使う單純な體系への移行が予想される. 一方, 日本は方言に對する愛着感が强いためか, 方言志向意識による傳統的方言の保護および復活が期待されると言えよう.
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本硏究では「動詞十テ」の誤答の分析と評價を調べた. 主な結果は次のようである. (1)誤答の類型は促音揷入型, 促音脫落型, 濁点脫落型, マス型, 例外動詞などの5種類に分けられる. (2)誤答の原因は, 特に促音揷入と脫落の誤答の原因は日本語の拍に對する認識不足と, 語中の破裂音の發音法の問題に起因する. (3)誤答の頻度は, 學習時間が少ない學習者は撥音便の動詞, 學習時間が多い學習者はイ音便の動詞の誤答率が高い. (4)誤答の評價では, マス型を非常に重大な誤答, 例外動詞と促音揷入型を重大な誤答, そして濁点と促音脫落型をささいな誤答という結果が出た.
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本稿は親密體も鄭重體や敬語と同じく高校の敎育課程の中で敎えるべきであるという前提に立って第6次敎育課程による高等學校敎料書10種20卷を分析し, 問題点を指摘し, 親密體の敎育のあり方を提案しようとするものである. まず親密體について用語を定義し, 先行硏究にあたり, 親密體の槪念特徵を整理した. その화조をもって, l0種20卷の敎料書から資料を抽出し, 量的質的に分析した. 分析した結果, 次のような結論がでた. 全體的にいうと, このくらいの內容では學習者に親密體というものを理解させるのはむずかしいと思われる. 1. 親密體についての說明がない敎科書が多いのが一番問題である. ④⑥敎科書は親密體の會話は量的にかなりでてきているが, 說明が全くなく, 學習者は親密體の理解がむずかしいと思われる. 2. 說明があるものとして分類された敎科書も說明が十分ではない. ①は說明はあるものの量的に少くな過ぎるし, ⑧は「きいてみましょう」に例文が幾つかあり, 詩の下に終助詞の說明が少しあるだけである. ⑨は量的にはずばぬけて多い. 學生どうしの普通對話體という場面設定はあるが, ていねい體き普通體とだけ說明し, 分析的に說明していない. ⑩は電話で對話する時のいろいろな話し方としてでているだけで, 說明とはいえない. 3. すくなくとも人稱代名詞, 終助詞, 感動詞に男女の差があること, 女性の場合, 名詞, な形容詞の$quot;だ$quot;がおること, 縮約形, 助詞の省略などはきちんと敎えるべきであると思われる. 4. 親密體は場面と直結して敎えることが重要であるが, 場面設定がなかったり不明であったり場面に適切でなかったり無原則に親密體とです·ます體を混用しているのでは學習者はどのような場合に親密體を使ったらよいのか混亂するだろうと思われる. 5. 不自然な感じのする親密體の會話がかなりみられたが, それは場面や登場人物や文脈に合わないため, また助詞の省略や縮約形を使っていないためだと思われる. この点についてはさらに今後, 親密體の會話の分析がすすめられる必要がある. 生き生きして自然な親密體の會話は面白く, 學習者をひきつけるものなので, そのような敎材をつくる努力をすべきであると思われる. 今後の課題としては, 親密體の槪念及びその特徵について, さらに硏究を深め, その指導法についても硏究を重ねる必要がある.
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본 연구에서는 한국 대학의 일본어 학습자를 대상으로 욕구분석을 실시하였다. 분석항목은 학습목적, 학습경험, 학습자의 자기평가, 학급수, 수업방식 등 일본어학습의 여러방면에 걸쳐 실시하였다. 분석 대상은 부산, 대전, 전주 등 417명의 대학생이다. 그 결과, 학습목적에 관해서는「일본어에 대한 막연한 흥미」와「취직에 이용」의 2가지를 선택한 학습자가 많았다. 그리고 언어의 4기능 중「말하기」기능의 중요성을 가장 강하게 인식하였으며,「통역」능력과「자연스러운 발음·인토네이션」의 필요성도 인식하고 있었다. 수업에 관해서는 학급의 인원수가 적고, 1주일에 15시간 내지 20시간 정도의 수업을 바라는 욕구가, 학습경험이 있는 학습자를 중심으로 많이 나타났다. 수업방식은 학습경험의 유무에 따라 크게 나뉘었는데, 학습경험이 없는 학습자는「문답형식」을, 학습경험이 있는 학습자는「토론형식」을 희망했다. 교육기재에 관해서는 비디오 사용이 강력하게 요구되었으며, 수업 중에 비디오를 사용할 수 있는 환경을 갖추는 일이 무엇보다 시급하다고 생각된다. 그밖에도 종래의 카세트테이프나 그림카드 교재를 효과적으로 이용한 수업, MD나 컴퓨터를 이용한 수업 등에 관한 검토연구가 필요한 것으로 생각된다. 이상과 같은 학습자의 욕구를 근거로, 실용적이고도 유창한 일본어능력의 습득을 목적으로 한 수업에 관한 연구가 필요하다 할 수 있겠다. 현재의 대학교육기관이 이러한 학습자의 욕구에 부응하기에는 어려운 상황에 있으므로 그 개선책이 요구된다. 이상과 같은 학습자의 욕구에 전부 부응한다는 것은 지금 현재로서는 물리적, 제도적으로 어렵겠지만 본 논문에서 명확하게 밝혀진 학습자의 욕구는 시대적 추세에 따른 당연한 것으로 생각된다. 앞으로 대학의 일본어 교육기관에서 양질의 일본어 화자를 양성하기 위해서는 조금씩이나마 이와같은 학습자의 욕구에 부응할만한 계속적인 노력이 필요하다고 생각한다. 그러한 가운데 더욱더 많은 일본어 학습자가 일본어를 학습할 수 있게 되고, 보다 규모있는 양질의 교육분야로 발전해나가리라 믿어의심치 않는다.
고킨와카로쿠죠의 萬葉歌 採錄에 관한 硏究 - 萬葉集에서의 직접채록의 미증 -
한국일본학회 일본학보 제39권 1997.11 pp.225-236
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入集總歌數の約1/4に當る1200余首の万葉歌を有する『古今和歌六帖』(以下,「六帖」)は万葉集の享受という觀点から重要視されてきた. 六帖內の万葉歌には當時卷間に傳わってきた「万葉傳承歌」が存在する一方, 當時存在した万集から直接撰歌し, 採錄した歌が混在するというのが現段階までの硏究成果である. しかし, 後者の万葉集からの直接採錄に關する究明はいまだものたりないと言わなければならない. そこで本稿では旣存の硏究とは別なる觀点から六帖万葉歌の, 万葉集からの直接採錄という面を究明してみた. 方法としては万葉集の古寫本の比較檢討を通して「古点·次点」の訓が本文の切り方によって「新点」と食い違いが生じる歌を中心に分析を試み, それらの歌が六帖にも存在し, しかも前述の「古点·次点」の訓と一致するという事實とともに, 他覺の注釋(仙覺抄)の記述などを參照して六帖万葉歌の万葉集からの直接採錄を證明してみた.
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俳諧の大衆化にともなう詩歌の變化として「雅俗」の變換をあげることができよう. 平安貴族社會以來, 和歌や連歌というのはその享有層の制限とともに, 詩材や詩想も「雅」の範疇を出ることができなかったが, 俳諧は「雅俗」の世界を自由に往來するようになり, 廣い階層の共感を呼ぶとができた. 本稿では, 蕉門俳諧において「雅俗」が一つの術語として定着していることに着眼し, 近世人による美意識の變化というものを천ってみた. その方法として蕉門の俳論に出てくる「雅俗」という用語を手掛りとして蕉門の美意識を分析した. 頻出する雅俗の用語からしてまず, 蕉門俳人たちによってその美意識の違いが確實に認識されていたことガわかる. 「俗」とは近世庶民階級の勃興による自由な作句活動を背景をにしたものであった. 貴族文學の唯美的かつ觀念的な性向と, 庶民たちの現實肯定的かつ感覺的な性向との違いからくる必然的な美意識の轉換であったのである. ところが初期俳諧における無分別な詩材と詩想の擴大は一回かぎりの笑いを誘發するだけの效果はあっても庶民の哀勸歡をくみあげることはできなかった. ここに芭蕉の「高悟歸俗」の精神が要求されたのである. 芭蕉の「高悟歸俗」, つまり`高く悟りて俗に歸る`というのは, 眞實なる感動すなわち「誠」をもって「俗」をとらえなおすべきという意味で, 芭蕉が俳諧を遊戱から脫皮させ, むしろ先行する傳統詩より發展する基盤をつくった. そして俳句が現實的な要素を深く反映しながら大衆的な傳統詩として受けつがれるようになる理論的な根據になったと言えよう. 「雅俗」というのは和歌と連歌では「雅」, 俳諧では「俗」というふうに二元論的に分類できるものではない. 詩想を解放し, それまで顧られなかった「俗」な現實から詩性を發見し, ついには「雅俗」の通念を越えて「誠」を追求することに俳諧の存在價値があるのである. そして俳諧において「雅」と「俗」というのは互いに對立する槪念ではなく,「誠」において根本は-つであったとことがわかる.
明治신문 저널리즘과 이시카와 타쿠보쿠(石川啄木 - 露日戰爭期를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제39권 1997.11 pp.253-264
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日露戰爭に際し, この戰爭に對する國民の關心をリ-ドしたのは新聞ジャ-ナリズムであったといえよう. その主な內容は, 日露戰爭は東洋の平和のための正義のための義戰であり, 聖戰であるから全國民が一致團結して戰わねばならぬという日本の當爲性を披瀝するようなものであった. このこのような主戰的な言說は當時のナツョナリズムの內容を具體化し言說化したのではないか. 言い換えれば, 新聞ジャ-ナリズムが示すナショナリステックな言說に一般讀者の思考が自由であったとはいえない. 明治37年1月20日の『報知新聞』の投稿欄に揭載された「我が老軀を血祭に」のような內容はそのよい例であろう. また, このような投稿欄の設けは讀者の關心を集めるための裝置であった. 日露戰爭に際しての石川啄木のナツョナリステックな言說はこういった新聞ジャ-ナリズムとの關わりのなかで形作られたものであった. 敷延すれば, 黑岩淚香のような人が作った中央新聞の言說に地方新聞は屬されねならなかったし, こういった화のなかに石川啄木の言說は縛られたのであろう. たとえ, 石川啄木の日露戰爭觀が反戰論的なものであったとしてもそれが新聞に揭載されるためには新聞ジャ-ナリズムという大きな화のなかに屬されねばならなかったのであろう. そして, 新聞ジャ-ナリズムのような視點で見るかき. 石川啄木の言說はより客觀化されるのではないだろうか.
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現在, 日本新派の生みの親とまで讚えられている川上音二郎(1864~1911)は, 少なくとも1888年までは, 單なる一人の「壯士」に過ぎなかった.「壯士」とは自由民權運動に參加した政治靑年を指す言葉で, 彼はこの運動に便乘し, 政治宣傳を目的とする「ぉっぺけぺ節」を流行きせることげよって, 初めて藝能界の表舞台に登場した. そしてそれには, 彼の藝能人としての奇拔な着想とそれに伴う積極的な實踐力に負うところが 多かった.「おっぺけぺ節」に落語の服裝を接ぎ木させたのを皮切りに, 彼は, 1891年には個人劇團(書生演劇)な創立し, その上演においてま博多の「人和加劇」的要素を導入し, 成功を收めた. なお, 1894年日淸戰爭が勃發すると, 彼のこのような傾向はいよいよ最高潮に達する. 早速この戰爭に素村を取った演劇「壯絶快絶日淸戰爭』を上演, テレビ, 映畵などの情報傳達手段のなかった當時の觀客たちに生生しい戰爭場面を提洪し, 好評を博した. そればかりか, 同じ年の10月22日から11월22日までの丸1ケ月の間, 激戰地である韓半島を訪問し, 軍服, 刀, 旗などの小道具を持ち歸り, 歸國報告演劇である『川上音二郞戰地見聞日記』を市村座を始め全國で上演,「戰爭報告劇(reportage演劇)」という新しいジャンルを開拓する傍ら, 當時新生劇であった「新派劇」を歌舞伎と對等なまのに位置づけさせた. このようにして, 川上の新派劇は成立したのであるが, その裏には, 川上と一緖に韓半島から日本に渡った韓國人丁無南(チャムナ)も一役を買った. 丁無南は, 川上の韓半島旅行の時, 彼の通譯兼案內役を勤めた人で, 日本に渡った後,『川上音二郞戰地見聞日記』に俳優として登場して「頻りと芝居を演」じ, それを「眼目として客を呼び」集めたという記錄が殘っているほど, 大事な役割を果たした. この論文は, 早稻田演劇博物館で筆者が近年新しく發見した『川上音二郞戰地見聞日記』の番付けを分析する中で, 韓國人丁無南の役割の多大さた注目し, それを川上新派劇の成立への影響という觀点から整理したものである.
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森鷗外の歷史小說「最後の-句」は$lt;歷史離れ$gt;の執筆方式によって制作された作品で, 作品の題目になった$lt;最後の-句$gt;は, 三日後斬罪に處せられることになっている父を救うために, 長女いちは願書を出す. この願書の眞意の問題で, いちの家族は取り調べられることになる. この尋問の課程において,「お上の事には間違はございますまいから」といういちの反抗の答えから「最後の-句」の題目は由來している. 「最後の-句」は, 斬罪に處せられることになっている父を救うために, いちが身代わりの願書を出している点においては原據と同じであり, このところに「獻身」が現れているのである. しかし, 原據におけるいちの行爲は, 父を救うための-念を持って願書を出す孝行娘の姿として描かれているのに對し,「最後の-句」のいちの行爲は, 理知的でかつ勇氣のある娘として描かれているのが目立っている. こういういちの思考と行爲は, 逃走した新七の代わりに父が斬罪に處せられることになったので, 自分たちも父の身代わりが可能であるという論理的な根據を投影していると言えよう. なお, 願書を書き, 尋問を受けながら町奉行の佐佐との對立する時のいちの行爲は單純な獻身ではなく, もっと理知的な行爲に違いないのである. 鷗外は, いちのこういう性格を浮き彫らせるため, 原據にはないいちの母の性格を「何-つ申し立てない」暗愚な女性として描いているのである. これは, 當時の生死與奪の權限を持っている權力に對抗するためには, 封建的な思考方式の旣成世代を排除し, 新しい性格の持ち主であるいちを作り出したのであると言えよう. このようないちをして「獻身の中に潛む反抗の모」と表現している權威に對抗しているのである. なお, いちの權威に對する反抗は, 鷗外の屬している陸軍に對する反抗であり, この反抗こそ, 鷗外の文學活動を白眼視していた人に對する反抗であると同時に, 封建的な思考方式で-貫している保守主義に對する反抗であり, 批判であると言えよう.
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本論文は「太宰治の罪の意識についての硏究」というテ-マとして, 太宰の罪の意識を究明した後, そういう太宰の罪の意識に聖書がどのような影響を與えたのかを論じたのである. 本文で前述したように太宰の罪の意識を大く三つに分けるこどができる. 一つは, 生家が周圍の農民を搾取によって大地主となったことから來る罪の意識. もう一つは, 罪の意識の根源である生家の罪を少しでも償おうとする一つの手段として共産主義の運動に參加して活動したが, 共産主義の運動から脫落する. そこから來る罪の意識. 終りに, 太宰が實生活面でおかすことは結果的に女を死なせて, またパビナ-ルを求めるために多いおい目を負って生家と友達, 先輩, その他, 多くの人人に罪をおかしたのである. ここに太宰の罪の意識があったのである. このような罪の意識をもっとも深くした背景には聖書の影響があったのである.『HUMAN LOST』の以後, 太宰の心の中にはいつもイエスのお敎えと聖書とのみ言葉が思索の軸として동いたのである. しかし太宰はイエスのお敎えを律法的に受け入れた. そこに太宰の矛盾があったのである. 言い返れば, 太宰は聖書を讀めば讀むほど自分の罪の意識は鮮明に表わしたのである. その結果, 太宰は自己破滅の道を步いて行ったのである.
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本硏究は, 韓國と日本の靑年の對人欲求の比較硏究である. 硏究方法は質問紙調査法で欲求調査表はH.A.Murrayの欲求-壓力假說に基づいて筆者らが獨自に作成した欲求行動調査表を用いた. 調査した對人欲求は, 筆者らの欲求分類圖式に基づき支配欲求, 援助欲求, 攻擊欲求, 親和欲求等12欲求群で, 各欲求群は各各4欲求が含まれ, 合計48欲求である. 評定尺度は-l~O~+3の5段階尺度法を用いた. 調査對象者は韓國大學生152名(男子76名, 女子76名), 日本大學生152名(男子76名, 女子76名)である. 結果は韓日學生共に親和欲求, 自由欲求, 愛情欲求が高く, 依存欲求, 服從欲求, 攻擊欲求が低かった. 韓日學生の欲求を比較すると, 韓國學生が男女共, 支配欲求, 援助欲求について日本學生よりも高く, 統計的にも有意な差がみられている. また日本學生の方が欲求と實際の行動との間のギャップが大きく, 韓國學生の方が欲求をストレ-トに行動に表わしていることが明らかにされている.
일본의 한 촌락사회의 민간신앙 - '神佛'의 사회적 기능과 제사단위의 地緣性을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제39권 1997.11 pp.329-343
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本稿は日本の村落社會における民間信仰のありかたを信仰の主體の地緣的結合に注目し, 先ず長期間の現地調査から得た資料を提示し, いくつかの觀點から分析を試みた. その結果, 次の3点が明らかになった. 一つ目は多樣な民間信仰に對する民族誌的な(ethnographical)記述が日本に對する實證的な調査や硏究がほとんど行われていない韓國における初めての試みであり, その成果は韓國の民間信仰の比較硏究のための資料として十分な價値があると思う. 二つ目は宗敎學的な觀点からみれば, どうしても「いいかげんな」原始的な俗神としてなかなか硏究の對象になることのない日本の民間信仰が, 地域住民の現實的な生活というコソテキストおいては非常に重要な意味と機能をもっていることが確認できた. 三つ目は神佛と人人とのコミュニケ-ショソのためのメディアとしての供物(offerings)の性格や人人の供物と祈願に對する神佛のご利益という神佛と人人との互酬的(reciprocal)なメカニズム, 祭祠單位の地緣性という分析の화조みは日本の民間信仰の硏究に新しい視点を提供したと思う. これは日本の民間信仰を重点的に硏究してきた日本民俗學が主に神佛の性格や地域的分布, 歷史的な前後關係, いいかえれば神佛に對する供物と供饌行爲について, 事實の分析よりも記述に, また現象の構造的な理解より歷史的な變化過程に注目してきたことに對する筆者の批判的視点によるものである. もちろん, このような問題意識と分析視点が日本の村落社會の民間信仰を理解するのに必ずしも絶對的案件であるとは言えない. けれども, 日本文化の基層部分を形成してきた民間信仰の位置を考えれば, 本論文で提示されたいくつかの視点は日本の他の地域の民間信仰をも說明するのに相當な說得力をもつと思われる.
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