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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제46권 (25건)
No
1

4,600원

本論文は一大單一言語國家であるといわれている韓國內で二つの言語接觸が起こる可能性を所持した日·韓國際結婚家庭を對象に.韓國內二言語倂用の特徵について調査したものである.今回の調査結果,まずアンケ-ト調査からは家庭內での使用言語が社會の言語の影響を受けながらほとんどの家庭で韓國語がより頻繁に使用されていることが分かった.そして.家庭內での使用言語を通じて子供を二言語倂用者に育てる環境として日本語母語話者が日本語を使用しない場合に子供が日本語を使用することがないという結果から日本語母語話者が子供に對して日本語を使用することは十分條件とは言えないにせよ.子供を二言語倂用者に育てるための少なくとも必要最低條件の-つと考えることができた.また錄音調査の結果からは子供の言語使用において二言語倂用者の言語運用の特徵といえる. 「言語切り變え」(Code-switching)と「言語混合」(Code-mixing)が現われた.その中でまず「言語切り變え」は二言語倂用者同士が話しをしている時に單一言語使用者である父が對話者として參人するにつれて使用言語が二つの言語(日本語と韓國語)から-つの言語(韓國語)のみで使用を轉じる場合に起るのがわかった.これは單一言語使用者である父の疎外感を省くための家族構成員の配慮であったと思われる.次は「言語混合」で.これは兩者間のアイデンティティの確認や修辭的目的など何らかの效果を與える目的として使用した場合と習得不足による混合とで分けて分析してみた.しかし,「言語混合」が現われた部分はきわめて少なかったし.その中で習得不足による混合は主に日本語の文中へ韓國語の名詞が揷入されたものにすぎなかった.今回の調査を通じて二言語倂用者になるためには當事者の意志ももちろん大切であるか.そのきっかけを作るものは環境であるということが分かった.

2

4,800원

日·韓語の受動表現においては.日本語の方が規則的であるのに對して.韓國語の方は比較的不規則であることが指摘されてきた.本稿の對象となる,いわゆる漢語動詞の受動表現においても韓語の不規則さが注目されてきたと言える.本稿では,受動文を形成する環境,すなわち他動詞性動名詞に結合する「される」と「되다」に限定し,兩者間の相似点と相違点を今一度明らかにすることを目的とする. 本稿の論議の足場となるのは,動名詞に結合する「되다」を,從來のように一般動詞や接尾辭と見なすのではなく,輕動詞(light verb)と見なすことである.この見解の根據になるのは,「되다」と先接する動名詞との關係が,一般動詞と動名詞との關係とも接尾辭と動名詞との關係とも一線を畵するという点である.すなわち,このときの「되다」が結合する動名詞は,連體修飾を受けられなかったり,關係節の標題語になれず,また高い生産性を持ちながら,統語論的な機能を遂行するという特性を持っているのである. 結局,動名詞に結合するときの「되다」を輕動詞と見なすことによって,今まで見えてこなかった,「される」と「되다」との共通点が見えてくるようになる.すなわち,「される」は輕動詞「する」ら助動詞「られる」の結合形態として,兩者は一種の屈折要素という銃語論的な手段であるのと同樣に,輕動詞「하다」「되다」の交替も銃語論的な手段なのである.これは,「되다」を一般動詞や接尾辭と規定し,その添加を語彙の添加や語彙形成の手段,すなわち形態論的な手段と解釋する從來の見解からは見えてこない共通点である.

3

6,000원

本 論文은 中世의 무로마찌(室町)時代에 口語用法으로 널리 使用된 否定中止法 接續助詞인 「いで」를 朝鮮資料 중, 당시 口語를 상당히 많이 反映하고 있는「捷解新語」(原刊本1676刊行. 改修本1747刊行. 重刊本1781刊行)의 原刊本·改修本·重刊本을 中心으로 해서 크리스탄 資料 및 日本國內資料등 當時의 資料를 結合的으로 檢討하고 分析하여 「いで」의 表記 및 發音과 用法을 두명하고자 했다. 그 結果,「いで」의 表記와 發音에 대해서는 原刊本의「いんて」의 かな表記 및 한글音注「인뎨」와 改修本과 重刊本의「いて」表記 및 한글音注「이뎨」는 당시의 「いで」의 發音을 反映한 것으로 推定된다. 그러나 原刊 本에 보이는「いんて」의 「ん」表記는 原刊本에 많아 보이는 다른 濁音前鼻音의 大部分의 用例, 예를 들면 「-ほど(흔도)」「-をから(낭가라)」등의 용례에서 보이는 바와 같이 濁音前鼻音의 發音을 文字로써 表記하지 않은 点으로 보아 富時의 濁音前鼻音은 文字化 되지 않은 것으로 생각된다. 따라서 原刊本에 보이는「いんて」의「ん」表記는 濁音前鼻音을 나타낸 表記가 아니고, 當時의「いで」의 濁音前鼻音이 撥音과 거의 類似한 發音이었다는 것으로 인해 같은 不定(打ち消し)의 意味를 가진 不定(打ち消し)助動詞「ん」을 類推하게 되어「いんて」로 잘못 表記된 것으로 推定했다. 「いで」의 用法에 대해서는 原刊本에 보이는「いで」의 前接語와 改修本· 重刊本에 보이는 前接語에 많은 差異를 보이고 있다. 즉 原刊本에서는 動詞의 未然形에 接續되는 것이 많고,「まるせいんて」와 같은「まるする」가 接續되는 用例가 3例밖에 보이지 않으나, 改修本·重刊本에서는 動詞의 未然形에 接續되는 用例는 減少하는 대신에「まする」「なさる」「ござる」등과 같은 尊敬語, 謙讓語, 鄭重語가 接續되는 用例가 많이 增加되는 것으로 보아改修本과 重刊本의 改修의 鄭重化를 상당히 反映하고 있다는 事實도 알 수 있었다. 「いで」의 한글 對譯에서는 原刊本의「아니+用言」의 形을 改修本·重刊本의 양쪽에, 또는 重刊本에서만「-디(지) 아니」의 形으로 改修하고 있다. 이것은「捷解新語」의 改修本과 重刊本에서의 日本語文 語順으로 對譯하여 對譯에 充實하려고 하는 改修方針을 엿볼 수 있다. 그리고 尊敬法과 謙讓法에 대한 한글의 對譯의 有無 등의 差異가 3本을 통해서 볼 수 있었다. 또한 原刊本의 한글 對譯을 改修本과 重刊本에서 口蓋音化된 表記 등이 많이 보여,전체적으로 당시의 韓國語의 變遷을 많이 反映하고 있다는 事實도 엿볼 수 있었다. 특히「捷解新語」의 原刊本과 改修本·重刊本의 3本을 통한 否定中止法 接續助調「いで」用法의 變遷은 日本語의原刊本의 俗語體系, 改修本과 重刊本에서의 敬語體系 등이 당시의 日本國內文獻文과 크리스탄 文獻과 比較해 본 結果, 당시의 日本語를 상당히 잘 反映하고 있고, 한글 對譯에서도 原刊本과 改修本·重刊本의 對譯을 比較해 본 結果, 改修本·重刊本에서의 口蓋音化 現象, 母音의 變化, 子音의 變化 등의 音韻體系와 文法 變化 등은 당시의 韓國語의 狀態와 變遷을 잘 나타내고 있는 것으로 생각된다.

4

文末思考動詞「思う」のモリティ性について

劉美鎭

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.55-71

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5,100원

本稿では「思う」「考える」「氣がする」などのような文末思考動詞が一人稱主體で,かつ,基本形で用いられた場合,話し手の心的態度を表すモダリティ性を有するものであるということを明らかにするため,これらの文末思考動詞の中で,もっとも典型的なものである「思う」を取り上げて考察してみた. まず,「思う」の現實動詞的な用法との區別を試みた.そしてモダリティ性を有する「思う」を意味的には「思う」の前提になる`命題內容`の性質により,統語的には「恩う」の省略によって意味の違いが生じるかどうか,又,副詞及び副詞句の共起關係により,「不確實表示」「私的情報の明示」「婉曲主張」の三つに大別して考察してみた,.さらに,判斷のモダリティの代表的な形式である「だろう」との比較·對照を行い,その相違点と類似点を明らかにすることによって,「思う」の判斷のモダリティにおける位置づけを確認してみた.

5

明治시대의 ちゃう에 관한 고찰 話用論的 고찰

李德培

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.73-87

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4,800원

助動詞「ちゃう」の發生期である明治時代の口語においては「てしまう」と「ちまう」が-般的に使用され,「ちゃう」は「ちまう」より勢力が弱かった.本稿では明治時代に「てしまう」「ちまう」「ちゃう」が共存していたことに注目し,明治時代における「ちゃう」の語用論的意味を明らかにすることを目的とする.そのため,1891(明治24)年から1911(明治44)年のあいだに發表された小說23篇に使われた「ちゃう」の用例を檢討した.その結果,話者は 1)過去の危機狀況を回想するとき, 2)緊張が緩和されたとき, 3)決意や決斷を表わすとき, 4)期待がはずれたときなどの狀況において「ちゃう」を用いる傾向があることが明らかになった. 「てしまう」「ちまう」「ちゃう」は,統語的には同じ役割をしているが,話者の心理態度を表わすという点においては,それぞれ別の機能をもっていた.「てしまう」の變異形(variant)として「ちまう」「ちゃう」が共存したのは.話しことばにおける「ちまう」「ちゃう」の단う意味機能が異なっていたからである.特定の狀況において話者が「てしまう」「ちまう」「ちゃう」の단うちとれを選擇するかは,話者の位相やスタイル(style),話者の心理態度などの條件が複合的に作用して決められる. 明治時代以降の話しことばにおいて,「ちャう」は勢力が擴大していったが,「ちまう」は衰退の道をたどっていった.

6

수능 평가 문항의 출제 기준 및 분석

李德奉

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.89-106

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5,200원

韓國のセンタ一試驗とも言える大學修學能力試驗(CSAT)に初めて日本語が選擇科目として編入されるようになった.日本語科目が大學入試科目として復活したのは7年ぶりのことである.修學能力試驗は,從來のテストとは違って出題傾向に大きを變化が目立つ.まず,高等學校の學習指導要領の方針に從い,コミュニケ-ション能力中心の出題に徹底していることが擧げられる.言語の4技能の中でも話す能力の間接的なテストや聽く能力の間接的テストが大幅に取り入れられたのである.次に,言語文化關連の問題が取り入れられたことが擧げられる.本稿では,初めて實施された修學能力試驗日本語科の出題傾向や出題問題の意圖を具體的に分析することにより,テスト問題項目別目的や意圖を明らかにすることにより今後の日本語の指導やテストの方向定めのための資料として提示したい.

7

中國中古漢語와 日本漢字音

李敦柱

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.107-138

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7,300원

One of the projects of the administrative reform by the Hashimoto Cabinet is to affiliate and integrate the functions of security, crisis management and information control. In this paper, I focus on the aspect of "information control" because the project of the Cabinet Intelligence Bureau which assumes the role of collecting, analyzing and utilizing the information concerning security and crisis management draws our attention. In its initial project, the Cabinet planned to integrate the functions of the Cabinet Intelligence Investigation Bureau, the Public Security Investigation Agency, and the Ministry of Foreign Affairs International Intelligence Bureau into the Cabinet Intelligence Bureau. Here I would rather regard this integrating project of the Cabinet Intelligence Bureau as a revival project of the Cabinet Board of Information in prewar Japan than as a newly projected one. To show it is so, there is first of all, close similarity between the project by the Hashimoto Cabinet and the one in prewar Japan by which the Ministry of Foreign Affairs lnformation Bureau, the Army and Navy information organization, and the Home Office and the Communications related information affairs were integrated into the Cabinet Information Agency. Second, the Cabinet Information Agency projected by the Hashimoto Cabinet is expected to play a pivotal role in the internal and external propaganda policy just as the Agency in prewar Japan did. Though this integrating project was not completed by the Hashimoto Cabinet, it seems that the Cabinet Intelligence Bureau ultimately has taken the same steps as the Cabinet Information Agency did in prewar Japan. The systematization of the Cabinet Information Agency in the Japan of today with such a working hypothesis will be acknowledged, although we should not make a hasty judgement. Comparing with the prewar time, will enable us to more correctly comprehend the direction and the meaning of reconstructing the Cabinet Information Agency of Japan in the present time and in the future.

8

韓日両語の動詞結合構成の体系及び統語性について対照研究

李美淑

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.139-153

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4,800원

韓日兩語は二つ以上の動詞が比較的簡單な手續きを通して多樣な結合關係を表し,一見酷似しているように見える(本稿ではこれらの動詞の結合を「動詞結合構成」と呼ぶ).從來,韓日兩語の「動詞結合構成」に關する硏究は結合關係により「動作の連續」や「複合動詞」,そして「補助動詞構成」の三つの領域に分け,その中で個別動詞結合構成間の意味對照にカを入れてきた.ところで,實例をもとに見てみると「動詞結合構成」は全體の體系はむろんのこと,三つの領域の間の連續性において大きな相違があることが分かる.その-例として拙稿(1999)を通して對應するものと見なされてきた日本語の「∼ておく」と韓國語の「-어 놓다(e-nohta)」との對照を試みた結果,これらが領域の間の「連續性」をめぐる體系及び統語性において大きな違いがあることが分かったのである.つまり,これに對する分析が意味對照に先立っての先決課題であるのである.よって,本稿ではこれに基づき,これを韓日兩語の「動詞結合構成」全體に擴大して領域の間の連續性に注目してその體系及び文中での統語性を對照しようとした. まず,韓日兩語の「動詞結合構成」の多樣な結合形態と領域間の連續性との關連を分析した.特に,最近森山(1989),影山(1993)等で議論されているいわゆる「ます」形の「統語的複合動詞」とは形態レべルの內部構造の問題で本稿で言う統語(文)のレべルの「統語性」とは區別すべきであることを說明した. 一方,韓日兩語においてこれまで對應形式とされてきた補助動詞構成を統語性に焦点を當てて對照を試みた.それぞれ20冊の韓日文學作品を對象として,すべての「動詞結合構成」の用例を採集し,これらを頻度順によりリストアップする一方,文中での結合關係に注目して分析した.その結果,韓國語の「補助動詞構成」は領域間の連續性が活發であるのに對し,日本語の方は連續性に制限が多いことが分かった.なお,「補助動詞構成」の間に補助動詞的意味においては對應しても統語性においては大きな違いがあるため.これに對しての分析が先決課題であることも指摘した.最後に「動詞結合構成」の中,形態化して「複合動詞」と見をされ,辭書に登錄されているものを取り上げ,計量的に對照した. これらの分析を通じて從來の意味對照に片寄った方法論の間違いや領域の間の連續性,これをめぐる韓日兩語の「補助動詞構成」の間の統語性の違いが指摘できたと思う.今回は全體的な體系を見るため,個別形式に對してのより綿密な硏究にまで手が回らなかった.なお,第5章の分析においては第3章での分析を基にしているものの筆者自身の言語意識によるところがあり,より客觀的なものさが必要であることが分かり,今後,これらを基に個別硏究に手を伸ばし,より理論的な根據に基づぃたテストフレ一ムを備えて檢證の機會を持ちたいと思う.

9

接尾語「的」攷 - 語構造と句構造を中心として -

李仁淳

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.155-163

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4,000원

本稿では「廣辭苑」(第四版)に收錄されている「的」の付く語例を扱い,語構造と「的」の上接する二字漢語の句構造を中心に考察した.その結果,まず語構造の面において「的」と結合する語は,漢語·外來語·和語が中心であり,混種語とか句,成語に付く例は全く見當たらない. 次に「的」の上接する二字漢語での句構造のパタンは多彩であるが,うち「名詞と用言」「名詞と名詞」「用言と用言」の組み合わせ型が約88%そ占めているので,こうした句構造のものが「的」と結合しやすいといえよう. 第三,句構造では「典型·破壞·便宜」のように,大抵同類義の語例のみで,そのパタンは「名1ト名2」「動1シ動2スル」「形1デ形2」のような同じ品詞同士の組合わせからなるものが一般的である. 第四,もっとも「功利」という漢語は「名1ト名2」のパタンに屬するが,同類義とはいえないので,異數の扱いにしたほうがよいだろう. 第五,同じ品詞同士の組合わせで,且つ同じ構造のパタンに屬する語例とはいえ,例えば「東西·增減· 貴賤」の如き對義のものは全く見られないのが,-つの特徵といえよう.

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일본어 希望ㆍ願望표현과 모달리티

鄭夏俊

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.165-182

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5,200원

일본어의 希望·願望표현형식은 「ほしい」「願う」「望む」「求める」「希望する」와 같이 단독으로 문의 구성요소가 될 수 있고, 그 말 자체에 希望·願望이라고 하는 의미가 존재하는 것(語彙的希望·願望表現形式)과,「たい」와 같이 항상 자립어에 부속되어 문법적인 역할을 하는 것(文法的希望·願望表現形式),「てほしい」「といい(なあ)」「ばいい(なあ)」「たらいい(なあ)」「ないか(なあ)」「ないものか(なあ)」「ように」둥과 같이 문말에 사용되어 助動詞나 終助詞와 같은 작용을 하는 것(復合辭的希望·願望表現形式),그 외(命令形의 希望·願望表現形式)로 나눌 수가 있다. 명제의 希望·願望표현형식인「ほしい」「願う」「望む」「求める」「希望する」등과 객체적 모달리티형식인「たい」「てほしい」「といい(なあ)」「ばいい(なあ)」「たらいい(なあ)」「ないか(なあ)「ないものか(なあ)」,주체적 모달리터형식인「ように」가 청자에 대한 발화로서 성립하는 데 대해 주체적 모달리티형식인「命令形」은 청자에 대한 발화로서는 성립하지 않는다. 모달리티성(性)의 정도(程度)에 있어서는「といい(なあ)」「ばいい(なあ)」「たらいい(なあ)」「ないか(なあ)」「ないものか(なあ)」「ように」「命令形」의 표현형식이 ①오로지 화자의 希望·願望밖에 나타내지 못한다 ②모달리티형식의 부정화가 성립되기 어렵다 ③모달리티형식의 과거화가 어렵다 ④연체수식절 안으로 들어가지 못한다, 등의 사실을 생각해볼 때,「たい」「てほしい」와 비교하여 모달리티성(性)의 정도(程度)가 높다고 할 수 있다.

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日本學 授業에서의 컴퓨터 활용 방안

鄭孝雲

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.183-197

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4,800원

本橋는 최근 정보화 시대의 도래와 더불어 어학수업에서의 컴퓨터 활용이 높아지는 시점에 있어, 인문학적인 성격을 지닌 일본학의 수업에서도 컴퓨터가 활용될 수 있는 지에 중점을 두고 살펴보았다. 우선, 일본학의 개념에는 인문학과 사회과학을 포함하는 地域學(Japan Studies)적인 광의의 개념과 語文學을 제외한 협의의 것이 있으며, 前者는 일본에서 사용하는 일반적 개념이고 후자는 한국에서 일반적으로 이해하는 통념적 개념이 있다는 사실을 알았다. 또한 인문학적 성격이 강한 日本學에 있어 컴퓨터를 활용할 수 있는 방안으로서는 LAN을 이용하는 방법과 e-mail을 이용하는 방법, PC通信을 이용하는 방법, 인터넷을 이용하는 방법, 홈페이지를 이용하는 방법, CD-ROM타이틀을 이용하는 방법 등을 들 수가 있는데, 이와 같은 방법은 종래의 수업 보조매체를 종합적으로 활용할 수 있다는 장점을 가진다는 점을 지적하였다. 따라서 이러한 다양한 활용성을 가진 수업 매체를 어학분야 뿐만이 아니라 인문학적인 일본학 수업에도 활용한다면 교육의 효과를 높일 수가 있다는 사실을 알 수 있었다. 따라서 이를 검증하기 위해 본고에서는 상기의 컴퓨터를 이용한 수업방법 중 첫째, LAN을 이용한 방법과 둘째, e-mail을 이용한 방법, 셋째 인터넷을 이용한 방법을 1999학년도와 2000년도 본대학 일어일문학과 2, 3, 4학생을 대상으로 일본학 관련 수업(인터넷 일본사정, 일본문화론, 한일관계사)에 적극 활용하여 본 결과 강의에 효과적이라는 결과치를 얻을 수 있었고, 기존의 매체를 활용하여 수강생에게 내용을 전달하는 것보다 휠씬 효과적이라는 긍정적인 답변을 구할 수 있었다. 그러나 컴퓨터를 수업의 매체로서 활용한다는 점은 수업의 내용을 보다 효과적으로 전달하는 방법론적 수단이기 때문에 내용의 질적 향상을 동반하지는 않는다. 수업의 질적 향상은 교수자 개개인 능력과 노력여하에 있는 것으로 도구가 결정 지우는 것이 아니라는 점이다. 그러므로 인문학적인 성격의 일본학을 학생들에게 보다 쉽게 가르치는 방법, 즉 교수자의 학습자에 대한 교육적 서비스 제공이란 인식에서 접근할 필요성이 있다는 점을 지적하여 보았다.

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「はㆍ은/는」と「がㆍ이/가」の使い分け - 日・韓両国語の対照硏究 -

黃美玉

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.199-221

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6,000원

助詞「は」と「が」はその使い方が紛れて,日本語を學習する外國人にとって理解することが一番難しいと知られている. 異なる生活習慣をもつ民族はそれぞれ異なる槪念を構成するから,日本語の助詞「が·は」と韓國語の助詞 「이/가·은/는」とはまったく一致しないで相違のあるのは當然のことでありながら,初級の段階においてその相違点を說明すると,かえって學習者に混亂をもたらす結果になるであろう.韓國の小說が日本語に譯されているものには,「가」主語が日本語の「は」になっているもの,なお,「은」が日本語の「が」になっているものの例が頻緊に見られる.從って,韓國人と日本人の意識の面において「は·은/는」「が·이/가」の使い分けに差があるのではないかとも思われ,その片鱗をうかがいたいと思う. 從って,本稿では復文における「は·은/는」「が·이/가」の使い分けをS-P(主語·述語關係)がとのような語に係っていくか,S-Pを受けている語ごとに整理し,文型による使い分けと韓國語の多樣な動詞の活用語尾による主語の使い分けとを合わせて考察して見たいと思う.複文における從屬節としては,獨立節,連體修飾節,連用修飾節,形式副詞節條件節および引用節が考えられる. 文法槪念として「は,은/는」は大きく文にかかり,「が,이/가」は小さく條件句までとは裏腹に實際の言語の運用の面において韓國語「이/가」を大きく文にかかると認識している,という韓國語の特殊性があるのではないかと思われる. 日·韓兩國語には「は」と「が」り區別がおおかた平行する上に,その使用の仕方にも大體において平行性がある.韓國語と日本語はその構造上の顯著な一致をみせているので,お互いに學習しやすい言語ではあるか,より學習の效率を高めるためにはその言語のもつ特殊性を見出さなければならない.

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『伊勢物語』의 ‘미야비’ - '미야코(都)'와의 관계를 중심으로 -

高善允

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.223-234

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4,300원

왕조문학 작품의 미의식을 가장 잘 표현하는 키워드라고 할 수 있는 `미야비(雅び, 풍류)`는『伊勢物語』의 주인공인 남자를 통해서 관찰할 수 있다. 본논문에서는 `미야코(都, 도읍지)`와의 관계를 중심으로 `미야비`의 의미를 찾고자 한다. 어원상 `미야비`는 `미야코`에서 비롯된 것으로, 촌스러움을 의미하는 `히나비(鄙び)`나 `사토비(里び)`의 반대어로 사용된다. 그러나『伊勢物語』의 `미야비`는 `미야코`의 속된 욕심을 버리고 고아한 세계 즉 `미야코`가 아닌 세계에서 살고자 하는 것을 의미한다는 설이 있다. 이른바 `미야비`는 `미야코`에서 벗어나는 것에서 가능해진다는 것이다. 따라서 본논문에서는 그 배경이 `미야코`가 아닌 단을 중심으로 주인공의 삶에 대한 몸부림을 보고, 그 몸부림에서『伊勢物語」의 주제인 `미야비`의 의미를 찾겠다.『伊勢物語」의 주인공인 남자는 `미야코`에서 무가치한 세계에 눈을 돌리는 것으로 `미야비`를 더욱 강하게 실현하고 있다고 생각하기 때문이다. 옛 도읍지로 사냥을 떠난 남자는 세속적 질서에 구애받지 않고 정신적 자유를 누린다. 그러나 그의 마음을 움직인 아름다움은 `미야코`의 가치관에서 비롯된 것이고, 그가 흔들리는 마음을 표현한 방식도 `미야코`의 틀에서 벗어나지 못했다. 그 결과 `미야비`는 결코 `미야코`의 가치관에서 벗어나서는 존재할 수 없다는 사실에 도달했다. 한편 남자는 현실에서의 소외를 극복하고 진정한 `미야비`의 실현을 위해서 동쪽지방으로 떠나지만, 결국 `미야코`를 그리워하는 것으로 일관된다. `미야비`는 `미야코`를 벗어나는 그 자체만으로는 의미가 없음을 알 수 있다. 시골 여성과의 만남에서도 넓은 마음으로 여자의 애정을 받아들이지만, 여자의 촌스러움에 어처구니 없어 하면서 결국 `미야코`로 돌아간다. 남자는 `미야코`의 사람으로, 그의 삶의 터전은 역시 `미야코`의 현실 세계밖에 없음이 역으로 증명되었다. 이상으로『伊勢物語』의 `미야비`는 결코 `미야코`의 가치관에서 벗어나서는 존재할 수 없다는 사실에 도달했다.『伊勢物語」의 주인공인 남자의 `미야비`는 그 배경이 설사 `미야코`가 아니라 할지라도, `미야코`적 가치관을 토대로 실현되었음을 알 수 있다. 본논문에서는 `미야코`에서 벗어나고자 하는 몸부림과 결코 벗어날 수 없는 `미야코`의 가치관, 두 대립 속에서 `미야비`의 존재를 확인했다.

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芥川における東と西 - 「神々の微笑」を中心に -

金熙照

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.235-243

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15

『今昔物語集』本朝部의 관음영험담 고찰

文明載

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.245-256

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4,300원

12세기 전반에 성립된 일본 최고의 설화집「今昔物語集」(이하「今昔」로 약칭함)의 本朝(일본)部는 제16권의 40화 전체가 관음영험담으로 구성되어 있다. 16권 전체를 관음영험담으로 구성하고 보살영험담의 필두에 배치해 두었다는 외형적인 특징만 보더라도 당시 관음신앙의 성행과,「今昔」의 편자가 관음영험담에 둔 비중을 느낄 수 있다. 따라서 본고에서는 관음영험담을 구성하고 있는 요소와 그 배경에 대해 살펴봄으로써 작품의 특성을 규명하고, 설화집의 연구방법론을 제시하고자 하였다. 관음은 現世求福的 신앙의 대상으로서 일반 민중들이 특히 가깝게 느끼고 의지했던 보살이다. 「今昔」 에 나타난 구체적인 양상이 이를 증명해 주는데, 除災와 招福로 나누어 살펴 봄으로써 당시 민중들의 관음에 대한 기원, 그리고 그에 대한 관음영험의 다양함을 살펴 보았다. 그리고 관음영험의 사후 증명은 민중들의 경외심을 불러 일으키기에 충분했고, 綠起談的 요소를 가미함으로써 관음에 대한 신앙을 더욱 고취시키려는 의도를 읽을 수 있었다. 특히 관음과 법화경 영험이 함께 이야기되는 경우가 주목되는데, 양자의 밀접한 관련성은 관음영험이 「법화경제8권 관음보살보문품제25」에서 기원하고 있다는 점에 기인한다. 이러한 설화의 분석을 통해서는 현세 뿐만 아니라 冥界 또는 내세의 극락왕생과도 깊은 관련성을 지적할 수 있었는데, 이는 당시의 시대상황, 즉 말법사상의 유포와 정토신앙의 발달로 인한 내세구제의 성격이 설화 속에 반영된 것으로 볼 수 있을 것이다. 「今昔」의 관음영험담에는 당시 민중들의 정신세계와 더불어「今昔」편자의 구상에 의한 창의가 잘 발휘되어 있다. 일본문학사상 설화 또는 설화집의 창의성 내지 문학성에 대해서 의문시하는 견해가 지배적이었던 시기가 있었지만, 그 문학성에 대한 최근의 활발한 연구결과에 의해 설화문학이라는 독립된 장르로서 중요한 위치를 차지하기에 이르렀다. 그 선구적 역할을 한 작품이 바로「今昔」라고 할 수 있겠는데, 설화의 배경이 되는 시대상황과 편자의 구상에 의한 창의라는 두가지 측면이 함께 고려되었을 때「今昔」의 참모습에 접근할 수 있을 것이다.

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万葉集における「家」と「家族」 - 山上億良の表現の獨自性 -

裵正雄

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.257-269

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「家」の構成員を「家族」と呼んでいる.「家族」がなければ「家」というものは成り立たない.「家」は「家族」の存在そ前提にして成り立つわけである.そこで筆者は「万葉集」における「家」の語彙の用例を全部取り出して,そこから万葉人は「家」の家族構成員をどのように描いているかを論じる.「家族」といっても,集中には「家族」にぴったり當たる語彙はない.そこで래의の意味としての「家族」である「父·母·夫·妻·子」を中心に論を展開する.なぜかというと,集中の中で目立つのは憶良の作品であるが,憶良の作品には「親族とか兄弟姉妹」と關わる歌はないからである.集中の「家族」の樣相を明らかにしたうえ,山上憶良の作品における「家族」の描寫が他の歌人とはどのように違うか,憶良の表現の獨自性も視野に入れつつ論じる.

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「間人 (the contextual) 主義」는 일본인의 전형적인 문화적 가치·대인관계관의 명칭으로서 浜口惠俊 (하마구치에??) 에 의해 제창된 개념으로, 浜口는 "일본인에게 있어서의 인간존재는, 대인적인 意味關係內에서의 연관성 그 자체를 자기자신이라고 의식하는 것과 같은 主體시스템으로, 그러한 인간모델은「개인(the individual)」과 대비시켜「間人(the contextual)」이라고 할 수 있다" 고 설명한다. 이는 종래 대부분의 일본연구가 분석상의 範型에 있어서 이틱스 (etics ; 外在的 立場)적 방법론을 취하고 있음에 의문을 던진 浜口가「日本らしさ」를 명확히 하기 위해서는 이믹스 (emics ; 內在的 立場) 적 관점에서 일본론을 전개해야 한다고 제창한 것이다. 일본연구에 있어서 浜口의「間人주의」가 새로운 전개방법을 제시했다고 하는 사실은 높게 평가되어야 할 것이다. 그러나, 동시에「間人주의」에는 大別하여 세 가지의 방법론상의 문제점이 남아있는 것도 사실이다. 따라서, 본 논문은 그러한 문제점을 지적함으로써「間人주의」의 定義를 再考할 필요성이 있음을 인식함과 동시에「間人주의」의 방법론상의 문제점을 해결하기 위한 필자의 소견을 제시하는 것을 그 목적으로 하고자 한다.

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「連環記」は慶滋保胤と大江定基という性格の全く異なる人物を中心にして,露伴晩年の意識かもっとも明確に表れた作品である.そのうち本橋では,大江定基が中心となる「連環記」の第二部について考察するつもりである.定基についての話は,彼が寂心のもとで出家し,寂照となったところから始まる.家柄も良く,學問的にも優れていて,俗世を生きていくことに困難などあろうはずもなく,その性格も豪快で,出家など思いよるはずもないような定基であった.その彼の出家が愛妻の死によると,說話には書かれている.しかし,それを根據にしながらも,露伴は彼の內的世界か,常に向佛敎的であった保胤の精神世界に連なることを見出した.つまり世の常識を打ち拂い,愛妻を得て充滿していた定基の俗人としての心は,愛妻の死と,それに逆らうことで自分の人間としての限界を思い知らされることになり,やがて$lt;空虛$gt;となる.そしてかつての豪快であった自分を$lt;否定$gt;しながら,俗界の心が淨化され,ついに$lt;憐れみの心$gt;を施すようになるところから,露伴は定基の人間性の回復を見出した.さらに保胤のもとで出家し,保胤の精神世界に連なるようになった定基と保胤と因緣の世界は,時空そ越えて新しい因緣を生み出していくようになる.露伴は物質的なものを優先とする世界よりも,その精神的に連なる,內的因緣の世界を眞實の世界だと認識し,それを歷史の中の香りとして昇華させたのである.そしてこういった『連環記』の世界こそ,古今に至る歷史的な時間を,總合的に見ることのできる,晩年の露伴ならではの世界であったのである.

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上代日本の蛇 - 文獻資料を中心として -

田阪正則

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.297-309

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上代日本文獻中の「蛇」といえば,ヤマタノヲロチをはじめ,箸墓傳說や三輪山傳說で有名な大物主神,そしてヤマトタケルノミトを死に追いやった단취산の神などがよく知られるところである.これら蛇は,畏敬の對象としての,いわゆる蛇神である.蛇神傳承に關する硏究は,民俗學や神話學の立場から,すでにある程度の成果があかっている.よって上代日本において「蛇」といえば神話に描かれる神であるとのイメ-ジが强い.ところが,古事記,日本書紀.風土記が傳える蛇の話は23あるが,蛇を神とする話はそのうち6話である.特に古事記は蛇を神であるとは表記していない. 本稿では,上代日本においての蛇はすなわち神であるという從來の認識に疑問をもち,記紀神話の蛇神に限うず,8世紀の木簡をはじめ,雜集(正倉院文書),唐大和上東征傳,東大寺諷誦文稿などの佛敎書,そして万葉集,佛足石歌,日本後紀といった上代日本の文獻資料から,多樣な蛇の姿を考察することとした. これらの資料中,蛇の文字が見られる木簡資料が5点あり,九つの頭と-つの尾をもつ大蛇,蛇の文字をもつ藥劑名が記されていた.雜集,佛足石歌,唐大和上東征傳,東大寺諷誦文稿などの佛敎書には,漢譯佛典によくみられる記述や佛敎敎理を背景とした表記が多かったが,蛇の生態を記述したものもいくつかあった.古事記,日本書紀,風土記などにも,神としてではない蛇が多く描かれていた.さらに,「蛇」の文字は,必ずしも爬蟲類の蛇を意味する表記にのみ用いられるものではないこともわかった.「べミ」「ダ」の音の表記としても用いられており,「委蛇」「위사」という動詞として用いられる例のあることもわかった.

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芭蕉의 俳諧世界에 있어서의 「白色」의 意味

許坤

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.311-323

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本稿에서는 芭蕉의 색상에 관한 다양한 描寫중에서 특히 白色에 관한 描寫와 그 의미에 관해 考察해 봄으로 인해, 芭蕉에 있어서 白色이 가지는 의미를 밝혀 보았다. 芭蕉의 白色의 의미로는 `예쁘다` `곱다` `청순하다` `청결하다` `깨끗하다` `가난하다` `값이 싸다` `병들어 쇠약하다` `늙다`등으로 분류할 수 있으며, 그 외에 白色의 원래의 의미인 `희다` `하얗다` 등의 의미를 가지는 것은 물론이거니와 `환해지다` `밝아지다` `날이 새다` `어슴푸레한 여명` 등의 의미를 가지는 경우와 `춥다`라는 의미를 가지는 경우, `가을바람`을 가리키는 경우, 옳고 그름과 우열을 가릴 경우, 그리고 엇건 말(言い掛け)로 사용되어지는 경우가 있음을 볼 수 있다. 芭蕉는 위와 같이 白色이라는 단순하고 기본적인 色彩를 가지고, 마치 白色에도 그 농도에 따라 여러 종류가 있다는 것을 증명이라도 하듯이 다양한 표현으로 白色에 여러 의미를 부여한 것을 볼 수 있다. 특히 오리의 울음소리라는 청각적 요소를 엷은 白色을 상상케 하듯 描寫하고 있으며 겨울철의 차가운 추위를 하얀 파의 뿌리에 비유함으로 인해 피부로만이 느낄 수 있는 촉감적인 요소마저도 색상으로 描寫하고 있는 부분 등은 芭蕉만이 느낄 수 있는 詩的 感覺에서 온 표현들이라고 하지 않을 수 없다. 芭蕉는 이와 같이 단순히 보고, 느끼는 사실을 다양하게 표현함으로 인해, 평범한 소재 속에서 排諧의 독특한 표현의 변화를 추구하고 있다.

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미야자와 켄지(宮澤賢治)의 동화 고찰 - 감각표현을 통해서 본 향토애 -

홍은예

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.325-339

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미야자와 켄지(宮澤賢治) 동화의 무대가 된 동북지방 이와테현은 1905년, 1920년, 1931년에 냉해와 가뭄, 또는 대홍수로 인한 대흉작으로 몇 차례의 기근이 잇달았다. 이런 기아풍토(飢餓風土)는 이와 테현의 많은 사람들을 절망과 죽음으로 몰아넣었다. 그런데 켄지 동화는 동북지방의 암울한 기아풍토에도 불구하고 오히려 밝고 환상적이다. 그 이유는 척박한 기아풍토의 어두운 현실을 감각적 표현을 이용해서 밝고 아름다운 이이하토오부(イ-ハト-ブ), 즉 드림랜드로 바꾸고자 한 켄지의 소망과 신념의 반영이기 때문이다. 그래서 켄지 동화는 이와테현의 자연과 풍토를 떠나서는 생각할 수 없다. 본고는 다음과 같이 논리상 1, 2, 3장으로 나누어 고찰해 보았다. 1장의 이이하토오부는 이와테현의 또 다른 표현임과 동시에 켄지의 심상속에 실재하고 있는 이상향, 즉- 냉해, 가뭄, 대홍수 등이 잦은 암울한 기아풍토를 모든 것이 가능하며 풍요롭고 아름다운 드림랜드로 가꾸어 가고자 한 켄지의 이이하토오부 의식- 드림랜드로서의 일본 이와테현 건설이라는 이중적인 의미를 갖는 개념이다. 2장의 켄지 동화의 특징 중의 하나는 회화적이며 청각적인 리듬이 빼어나 상황 묘사가 아주 선명하다는 점이다. 이 시각과 청각을 이용한 감각적 표현은 켄지 동화의 환상적인 이미지를 만들어내는데 아주 중요한 역할을 한다. 이 환상적인 장치는 현실에서 이공간(異空間)으로 이행해가기 위한 하나의 다리 역할을 한다. 이렇게 감각표현을 통한 이공간 의식도 역시 암울한 이와테현의 현실에 모든 것이 가능한 이상향으로서의 이이하토오부 건설이라는 켄지의 간절한 소망의 표현이었다. 3장에서는 켄지 동화가 이와테현의 자연을 소재로 감각적 표현을 통해 향토애를 그리고 있음을 살펴보았다. 따라서 이와테현의 모든 자연물을 소재로 하여 감각표현을 통한 이상향, 드림랜드로서의 이이하토오부 건설이라는 동화세계 구현의 원동력은 켄지의 이와테현에 대한 특별한 애착 즉, 향토애였던 것이다. 그래서 많은 평론가들은 그런 켄지를 향토시인이라고 부른다.

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戰間期 日本도항 조선인의 특질

金廣烈

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.341-355

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この論文は,現在の在日朝鮮人の原型が形成されたと考えられる1920,30年代すなわち戰間期を對象に,當時日本に渡航した朝鮮人の特質を明らかにしようとするものである.渡日朝鮮人の特質を糾明することによって,戰前朝鮮から日本へ膨大な數の朝鮮人が移動したことは何を意味するのかを改めて考えたい. 植民地期の朝鮮では日本への安定的な米穀供給つため,植民地農業政策が展開されていた.しかし朝鮮農家の營農收支は惡化して,階層の下向分解が進んでいたし,大部分の農家が苦しい生活に落ちいていた.その過程で離農者が增大し,中には渡日を選擇する人も多かった.朝鮮人の渡日は,南部朝鮮の生活難を改善しようとする農民たちが,すでに日本に渡っていた親戚および知己をつてにした形態が多かった. 彼らの渡航前のもとの職業は,意外と自作農出身も少なくなかった.また,渡日時の經濟狀態を旅費以外の所持金額の程度から檢討すると,まったく余裕の所持金の無い者よりもかなりいたが,有る者も全體の半分くらいほど多かった.中には驚くほどの大金を所持していた者も少數見られた.この所持金額の意味を當時朝鮮農家の經濟狀況から照らしてみると,またそのうえ日本邊の渡航費用も合わせて考えてみると,けっして彼ら渡日者は朝鮮の最下層出身とは思えない.本來ならば,地域社會の發展のために活躍するはずの朝鮮農村の中間層たちが,植民地支配體制のもとでは到底農業をやっていける希望を持てず,新たな求職の機會をもとめて日本に渡ったのである.

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조선총독 宇垣一成의 조선관과 교육정책에 관한 고찰

박균섭

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.357-372

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자신의 총독시절을 평화적·민주적인 목민관이었다고 자처했던 우가키는 지배자의 눈으로 조선관을 정립하고 이에 따라 식민교육정책을 추구했다. 우가키는 농촌진흥운동을 표제어로 내걸고 이를 구현하는 방안으로 직업과(職業科)와 간이학교(簡易學校)를 통한 교육을 시도했다. "교육 즉 생활, 생활 즉 근로"주의를 표방했던 우가키는 그 구현 방안을 직업과와 간이학교에서 찾았는데, 이는 듀이(Dewey)와 케르센슈타이너(Kerschensteiner)의 교육이론을 교육실제에 동원한 것이었다. 내선융화를 강조했던 우가키는 독서교육의 병폐를 이유로 조선인의 사회적 상승이동의 통로를 차단함으로써, 그 스스로 내선융화는 편파적·허구적인 구호에 불과하다는 것을 입증했다. 직업과나 간이학교는 교육과 작업의 동질화를 꾀한다는 논리에 따른 것인데, 이는 학생들에게 학업태만을 조장하는 결과를 초래했고, 교육과 훈련의 개념적 혼동 속에서 학생노동이 미화되는 관행을 만들어냈다. 이는 우가키의 교육정책이 듀이와 케르센슈타이너의 교육이론에 대한 식민지적 변형과정을 통해 전개되었음을 말해준다. 우가키는 조선인의 교육열을 연소시키는 데 실패했고, 결과적으로 직업과나 간이학교는 우가키의 식민정책을 상징하는 역사적 형해(形骸)로 남을 뿐이었다.

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「天皇」を保障した 『古事記』

朴正義

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.373-387

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中華思想の基に秩序が保たれた冊封體制の傘から拔けた出た後,日本は制度として律令制度をとりいれ,國王の稱號として「天皇』號を使用し,ちらに,周邊諸國を朝貢國とすることによって,日本を中心とした世界の完成を目指した.これを保障したのが「古事記』である.しかし,中國と全く同じ帝國を描ききれなかった.「古事記』においても現れるのは,「天皇の德』を慕って朝貢する「朝貢國(化外慕禮國)』だけで,ここには「外臣』が存在していない.つまり「天皇』はその「德』だけでもって,周邊諸國に君臨したことになる. 「古事記』に描かれた「天皇』は,はじめから「天皇』で,それこそ「天地初發時』から續いている「万世一系』の氏族である.さらに「天皇』號の意味は天つまり宇宙の中心であると考えられていた北極星に通じるもので,この「天皇』號を使用することによって,「天皇』を頂点とする世界の秩序が自然·宇宙の秩序に根據づけられたのである.「古事記』では,冒頭に北極星を意味する天之御中神を根元神として登場させることによって,これを保障している. 「皇帝が德を失うと,天命が變更され(革命),王朝支配者が變わる(易姓=王朝の「姓』が「易わる』)』という王朝交替思想すなわち天命思想(易姓革命)があるが,これは日本に導入されなかったことになっている.しかし,「天命』を「天皇の命』と考えた場合,「天皇よりあたえられた德を失うと,天皇の命が變更され,權力者が交替する』となる. 「天皇の命』により,革命やク-デタ-を起こし,「天皇の德』でもって政治を行い,その德を失うと,また新しい氏族が政權につくのである.天(天皇)は存續し續けたが,實際の政治權力を特つ姓(氏族)は,律令體制以後,藤原氏→平氏→源氏→足利氏→豊臣氏→德川氏と目まぐるしく交替しているのである. ここに,「古事記』が理想とした「天皇』の姿「聞し召す天皇』,つまり政治を超越した「天皇』が存在するのである.中國の「皇帝』のように强力な力を特ち合わせていなかったが,「天地初發時』から世界の不動の中心として受け繼がれてきた「天皇』が,その「德』だけで以て世界の秩序の中心となり得たのである.これを保障し續けてきたのが「古事記』であり,日本の政治體制としての「天皇』を理論化したと言えるであろう.卽ち,「古事記』の成立を以て「天皇』號が完成するのである.

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福地桜痴의 演劇改良論과 『相馬平氏二代譚』

李京愛

한국일본학회 일본학보 제46권 2001.03 pp.389-409

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明治時期의 저명한 저널리스트였던 福地櫻痴는 明治政府가 皇國思想과 忠孝를 敎化普及하는 과정에서 演劇을 활용하려 하자 이에 호응하여 정부의 의도에 충실한 演劇論을 펼치면서 그에 걸맞는 作劇 활동을 하였다. 그는「東京日日新聞」의 社說을 통하여 近松門左衛門의 完本을 최상의 문예로 인정하고 진흥시킬 것, 황당무계하고 천박한 내용을 담은 完本을 改良할 것, 狂言 작자의 지위를 높일것, 지식인이 직접 붓을 들어 각본의 저작에 나설 것, 歌舞技를 改良할 수 있을 정도로 일본 전통의 完本에 정통할 것 등을 역설하였다. 그가 社說을 통해 펼쳤던 演劇改良論은 전통과 인습을 고집하던 演劇界에 改良의 기운을 촉진하는 역할을 하였다. 그는 近松의 작품을 그대로 상연하기에는 적합하지 않은 만큼 改作해야 한다면서 近松의 時代淨琉璃 작품 4편을 活歷의 소재로 삼아 직접 改作했는데 忠臣, 孝行, 烈婦, 義士 등을 다룬 것이었다. 近松의 작품「關八州繫馬」의 凉作인「相馬平氏二代譚」에서 福地櫻痴는 주인공 平良門의 입을 빌어 일본 外史의 勤王論을 역설하였다. 原作의 구성이 인간적인 情에 얽매이는 것인데 비해 改作物은 忠臣을 갈등 해결의 모티프로 삼았다. 그 과정에서 原作의 낭만적인 분위기가 엷어지고 세련미가 부족하게 되었으며 이렇다 할 갈등이 없는 무미건조한 작품이 되고 말았다. 그는 또한 作劇에서 史實主義를 제창하였는데 平將門가 關東地方의 國分化를 지향하여 병사를 일으킨 것을 改作物에서는 조정을 위해 藤原一家의 횡포를 저지하기 위해 싸운 것으로 고쳤고, 결말도 源氏一家가 平良門를 멸망시킨 것이 아니라 조정의 평화를 위해 두 家門이 힘을 합세하여 藤原氏를 타도하기로 했다는 식으로 史實과 다르게 바꾸었다. 勤皇意識을 드러낸 改作이었던 것이다. 그의 活歷劇은 狂言작자가 만든 舊時代物과 새로운 局外 문학자의 史劇 내지 희곡활동을 연결하는 과도적인 作品群으로 이해할수 있다.

 
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