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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제98권 (39건)
No
1

4,200원

教室に教師以外の日本語母語話者を招くビジターセッションを2009年から2012年まで7学期間にわたって行った。通常はビジターセッションというと学習者の日本語能力に焦点を当てた研究が多いが、本研究では学習者ではなくビジター側に焦点を当て、ボランティアとして参加するビジターはビジターセッションを通して何を得るかを明らかにすべく、授業後に依頼した授業アンケートを集計・分析した。さらにその中でも韓国人と結婚して韓国に定住している日本人配偶者のビジターのコメントに焦点を当て、得るものはあるのかを調べた。その結果、全体的には「韓国社会について」に関するコメントが多かったのに対し、韓国人を配偶者にもつビジターは「韓国人の学生の考え方や価値観」がもっとも多かった。その要因は、韓国人の配偶者として韓国で生活していて普段から韓国人や韓国文化に接する機会が多くても、韓国の大学生の考え方や価値観は知ることができないため、ビジターセッションを通して異なる視点から韓国を見られたからだと思われる。

2

4,300원

本稿は、『朝鮮総督府官報』に原文の日本語にたいする対訳文として掲げられている「朝鮮訳文」に注目し、その言語資料としての活用可能性について議論してみたものである。『官報』原文の「努む」にたいする対訳語を調べてみた結果、「朝鮮訳文」に使われている語彙をもって歴史的研究を試みようとする際は、資料の<重層性>を考慮しなければならないということが明らかになった。本稿では、『官報』の対訳に二つの原理が働いていると見受けられるということを<重層性>と称しているが、その一つは、逐語訳と日本漢字語の使用といった『官報』の基本方針を徹底して堅持した対訳法を採用することであり、もう一つは、当代韓国語を積極的に反映した「翻訳借用」を取り入れることである。このように捉えてこそ、膨大な量の『官報』を言語資料として活用する道が開かれるのではないかと考えている。

3

4,300원

「ほめ」は、コミュニケーションを順調に導くためのストラテジーの一つである。今までの研究では、韓国人と日本人それぞれの母語場面における「ほめ」行動の分析が多く、そこから韓国人または日本人の特徴が取り上げられてきた。ところが、コミュニケーションは相手によって可変的な面もあり、母語場面での特徴が接触場面でも同じように現れるとは限らない。特に、異文化コミュニケーションが日常的になってきたグローバル社会であるこの頃、接触場面で起こり得るミス․コミュニケーションが母語の影響なのか、それとも言語習得をめぐっての問題なのか等についても不明な点が多い。そこで、本研究では、いくつかの状況の中で若い韓国人女性が「ほめ」行動に対してどう思っているのかを調べ、コミュニケーションの場で生かすべく、ソウル所在の大学で日本語を習っている、韓国人女子大学生67名を対象にし、韓国人女性․男性、日本人女性․男性を相手に、韓国語․日本語で話をするときの「ほめ」に対する意識調査を行い、その結果を分析した。調査では「初対面の同じ年ごろの相手と20~30分間、日常的な会話をする」といった前提の下で、相手をほめる場合と相手からほめられた場合とに分け、前者の場合、ほめる理由と対象、そのときに使う表現は何か、また後者の場合、ほめられたときの気持ちとともにどう反応するかについて、選択肢の中から選ばせた。その結果、相手の母語別․性別、そして使用言語によって、「ほめ」に対する意識が変わってくることが分かった。このうち、韓国人同性同士は一番素直にやり取りができるといった結果になっている。その一方で、取り分け日本語を使う接触場面の場合は、自分の、また相手からの「ほめ」に対し、「表現上の習慣」とか「儀礼的」といった意識が強く現れており、「ほめ」戦略を使っていながらも心からの疎通にはつながっていないところが見られた。これは、「思いやり」の日本語表現の習得や日本人に対する何らかのイメージ等が「ほめ」の意識にも影響を及ぼした結果なのではないかと判断される。

4

4,500원

本稿では、「あの人は、実際の年より老けて見える。」のように、述語が「~て見(み)える」の形をとる構文を対象とし、意味的な特徵及び成立條件などについて考察を行った。考察の結果を簡略にまとめると以下のようになる。    <文の構造>:  伝達(命題) 内容 +て 見える「~て見える」を成立する文の伝達(命題)内容は、話者が発話現場で視覚等の知覚によって確認可能な事態(event)に限って成立する。なお、文全体的には話者が目(視覚による知覚能力)で確認可能な情報に基づいて、単に「そう見える(判断する)」という意味になる。したがって同じ類型に分類される述語であっても「命題内容に関する可視性․現場性」という条件の有無によって「~て見える」との共起與否が決まるということになる。さらに「~て見(み)える」構文は、視覚情報による話者の知覺內容を単に「そう見える(判断する)」と表現しているため、文脈によっては「(そう見えるが)実際にはそうではない」といった語感が含意される場合がある。その理由は話者が發話現場で視覺的な知覺によって捉えた內容をそのまま(見た通り)表現しているからであり、当然のことであるが、実際は知覺內容が真ではないこともあり得るからである。<文の構造>:  伝達(命題) 内容 +ように/そうに 見える最後に、「~て見(み)える」と「~ように/そうに見える」との違いについては、次のように主張した。「~ように/そうに見える」を成立する文の伝達(命題)内容は、話者の視覚情報だけではその真偽について判斷できない内容であり、様々な政況を鑑みて推定しなければならない内容であるという点で「~て見(み)える」と異なる。なお、「~ように/そうに見える」の表す意味は、「話者は様々な政況を鑑みて推定した結果、実際に傳達(命題)內容のように考えている(信じている)という意味になる。

5

韓国人学習者の終助詞習得に関する縦断研究

吉田たか

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.51-64

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4,600원

正しい日本語よりコミュニケーションのための日本語が重要視される中、重要な役割を果たすものの一つに終助詞がある。話し手の態度を表す対人的モダリティである終助詞は、話し手の性別․年齢、相手との関係、情報の有無など、様々な要因を考慮しつつ使用しなければならないため、日本語を学習する学習者にとって習得が難しいものであるといえる。吉田(2011)において韓国人学習者の終助詞使用状況を学習レベル別に分析した結果、レベルが上がるに従って母語話者の使用形態に近づいていることがわかった。しかし、実際には上級レベルに到達しない学習者も多いことを考えると、すべての学習者が時間の経過とともに終助詞が上達するわけではない。また、上級学習者であっても特定の終助詞の過剰使用や誤用が見られることも少なくない。終助詞の使用は個人差が大きく、その誤用が化石化しやすいため、早い時期での正しい指導が重要になる。そこで本稿では、学習者がどのような過程を経て終助詞を習得するのかを調査するために3年間に渡る縦断データの分析を行った。まず、終助詞全体の使用状況を分析した後、最も多く使用される「ね」について機能別に詳しい分析を行った。その結果、次のようなことが明らかになった。①終助詞の使用は「ね」「よ」「な」「よね」の順に多く、「よね」の習得には「ね」「よ」の習得が先行する。②大部分1期では少数しか現れず、5期に最も多く使用され、その後誤用が減少する「未使用→汎用․過剰使用→正用」のパターンで習得される。③「よね」は未使用の段階から突然過剰使用として現れ、誤用も多い。また、「よね」が出現する時期に一時的に「ね」または「よ」に使用が減少する現象がみられた。④普通体に接続する間投詞の「ね」の過剰使用は、学習レベルが上がるに従い徐々に減少し、丁寧体に接続する形態が増加する。

6

『日淸韓三國對照會話』와『日韓清會話』

李康民

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.65-74

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4,000원

本稿は、1894年、日本で刊行された二つの多言語学習書『日清韓三国対照会話』と『日韓清会話』の内容を学界に紹介し、二つの学習書が持つ言語資料として性格を考えてみようとしたものである。これらの学習書は、日清戦争を契機に、日本社会に韓国語と中国語の需要が高まる中、大阪で作られたものであり、そこに見える日本語には、文法或は語彙面において大阪の地域性を反映した現象が見受けられる。これは、近代日本に生産された多様な言語資料の性格を規定する上で、一つの基準を提示できるものとして資料の活用度が注目される。また、本書に見られる韓国語の仮名表記には、二重母音に関わる現象など、韓国語の音韻史研究に活用できる事象が散見されており、今後のより細密な検討が必要であるように思われる。なお、本書に収録されている韓国語は、活用の仕方によっては、近代韓国語の語彙史的な側面から貴重な資料的情報を提供し得る性質のものであることを確認できた。

7

韓國漢字音 通攝韻의 母胎별 層位에 대하여 - 日本漢字音과의 比較를 中心으로 -

李京哲, 崔智淳

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.75-87

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4,500원

本稿では、通攝韻に於ける韓國漢字音の母胎別層位について、日本吳音及び漢音と比較․考察した。その結果をまとめると以下のようである。1)開口1等東韻は切韻音までの-ʌuŋ/-ʌukを反映しても、秦音の-ouŋ/-oukを反映しても、1音節化による音韻結合の形態である-oŋ/-ok形として現れるしかない。開口1等冬韻も、切韻音までの-ɑuŋ/-ɑukを反映しても、秦音の-ouŋ/-ouk形を反映しても、1音節化による音韻結合の形態である-oŋ/-ok形として現れるしかない。つまり今まで韓国語自体の音韻結合上の問題を見逃して、東韻と冬韻の合流上を通じて韓國漢字音の母胎を論じたのは誤った解釈で、東韻と冬韻の韓國漢字音-oŋ/-ok形は南北朝音、切韻音、秦音のどの層にも該当する可能性があると考えられる。2)開口3等東韻甲乙類は、漢音に於いては、甲乙類共に同じ-iu/-iku形で現れ、秦音に於いて已に乙類が甲類に吸収されていたのを意味するものと考えられる。韓國漢字音に漢音に於いては、乙類は-uŋ/-uk形で、甲類は-juŋ/-juk形で区別しているので、これは、秦音以前の層を母胎にしていると考えられる。3)合口3等鍾韻乙類の韓國漢字音-oŋ/-ok形は、漢音のような合口乙類介音の前舌化が反映されなかったという点で秦音以前の層を母胎にしているのが明確であり、-uoŋ/-uok形の代替形という点で吳音より後期的反映であると言えないので南北朝音と切韻音のどちらも母胎とするという可能性を持つ。甲類の韓國漢字音-joŋ/-jok形は形態上、漢音と同一の母胎の字音形と見られるが、吳音の様々な字音形の出現の背景を通じて、実際には-wioŋ/-wiok形の代替型に見られる。また、乙類では漢音と同じ乙類介音の前舌化傾向が現れないので、鍾韻乙類を-oŋ/-ok形で、甲類を-joŋ/-jok形と区別している韓國漢字音の体系は秦音以前に成立していたと考えられる。

8

가고시마방언의 /r/ 탈락 - 최적성이론에 의한 분석 -

이병훈

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.89-103

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4,800원

本研究は鹿児島方言で起こる母音間の/r/の脱落を最適性理論の枠組みで分析したものである。鹿児島方言で母音間の/r/が脱落するのは音節頭の流音を禁じるOns/Liquid制約のためである。Ons/Liquid制約が分節音の脱落を禁じるMax制約を支配し、語中․語末のリ․ル․レで/r/が脱落する。/r/の脱落後、残った母音は渡り音[j]になり、先行母音と二重母音を形成するが、これは音節を境に母音が連接するのを禁じるNoHiatus制約を守るためである。語中․語末のリ․ル․レで/r/の脱落後、残った母音が先行母音と二重母音を形成し、Ons/Liquid制約とNoHiatus制約を同時に遵守するのである。語中․語末のリ․ル․レで/r/が脱落した後、二重母音化が起る時、ルの母音/u/は[w]ではなく[j]に変わるが、これはVw型二重母音がVj型二重母音より有慓的であるためである。Vw型二重母音を禁じるVw制約はVj型二重母音を禁じるVj制約や[back]素性の変化を禁じるIdent(back)制約を支配し、語中․語末のルは/r/の脱落後、[j]に変る。語中․語末のレでも/r/の脱落と二重母音化が起こり、レが[j]に変わるが、この変化から[high]素性の変化を禁じるIdent(high)制約がNoHiatus制約やOns/Liquid制約の下位制約であることが分かる。レでOns/Liquid制約を守るため、/r/が脱落した後、NoHiatus制約を守るためにIdent(high)制約の違反にも関わらず、残った/e/が渡り音[j]に変り、先行母音と二重母音を形成するわけである。ル․レとは異なり、ラ․ロでは/r/の脱落が起らないが、これはIdent(back)制約とIdent(high)制約を結ぶ局所的制約結合で説明できる。[back]素性の変化を禁じるIdent(back)制約や[high]素性の変化を禁じるIdent(high)制約は音節頭の流音を禁じるOns/Liquid制約より下位制約であるが、分節音で[back]素性と[high]素性が一緒に変わることをを禁じる[Id(bk)&Id(hi)]seg制約はOns/Liquid制約の上位制約なので、語中․語末のラ․ロではOns/Liquid制約の違反にも関わらず、[Id(bk)&Id(hi)]seg制約の違反をもたらすイ母音化が起らないのである。

9

불평 담화의 한·일 비교

이선희

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.105-119

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4,800원

本稿では第3者または外的要因に主な責任がある状況における韓国語母語話者と日本語母語話者の不満談話を比較した。その結果、次のことが分かった。1)不満表明において、日韓両言語話者共に、≪状況説明≫≪対人配慮≫≪行動の促し≫のようなコミュニケーション機能の使用が多いという点では共通している。しかし、韓国語母語話者は日本語母語話者より[(具体的な)解決策の提示][相手への関心表明]のような機能的要素の使用が多かった。一方、日本語母語話者は[相手への理解][対応策尋ね]「再訪問」のような機能的要素の使用が韓国語母語話者より多かった。2)不満表明に対する返答においては、日韓両言語話者共に、≪対人配慮≫≪行動に移す≫≪情報提供≫のようなコミュニケーション機能の使用が多かった。しかし、[合理化][賠償][相手への関心表明]のような機能的要素は韓国語母語話者の発話では見られたが、日本語母語話者の発話では見られなかった。3)不満談話の展開に違いが見られ、韓国語母語話者は日本語母語話者とは異なり、不満談話の開示や終了において[相手への関心表明]のような機能的要素を用いることがあった。

10

『聚分韻略』의 운서음과 『字鏡集』의 통속음 비교

李承英

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.121-132

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4,300원

本稿は、中世の代表的な韻書『聚分韻略』と当時の通俗漢和辞書である『字鏡集』とを比較し、漢籍をよむための韻書音と当時の識字層に広く用いられている一般音との関係を明らかにしているものである。その結果、両書は『聚分韻略』右音注と『字鏡集』左右音注は、摂によては直音と拗音の違い、呉音と漢音の違いによる不一致字も多数あり、『聚分韻略』の規範的な韻書音と『字鏡集』の通俗音とがある程度は異なっていたことがわかった。特に、不一致のものが多い宕摂の場合、陽韻3等開口音の直音と拗音の混同が多く、当時直拗音の混同が頻繁に現れていることがわかった。また、梗摂の場合、呉音と漢音の違いによる不一致が多く、この場合、『聚分韻略』では呉音、『字鏡集』では漢音が注記されていることが注目すべきである。さらに、梗摂の場合、『字鏡集』では喉内撥音字の音形では現れない特殊な音形が相当現れて、『字鏡集』の通俗音は慣用音が相当注記されていることがわかった。そのほか、不一致の理由としては開合の違い、直音と長拗音の違いなどの仮名遣いの違いが挙げられれるが、このようなことから当時の表記上の混同をも窺えることができた。

11

使役主体の特定できない使役文について

崔瑞暎

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.133-144

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4,300원

使役文のなかには「石油を燃焼させると、二酸化炭素が出ます」のように、使役主体が特定できなかったり特定性が問題にならない文が存在する。使役主体の特定できない使役文は、文構造の面でも、意味․機能の面でも、使役主体が特定できる使役文と大きく相違している。しかしこれまでの先行研究ではこのような使役文に関する考察が見逃されていたため、使役主体の特定できない使役文と使役主体の特定できる使役文が同一用法として扱われている場合も少なくない。このような研究背景を踏まえ本稿では、使役主体の特定できない使役文にはどのようなタイプがあるのかについて考察した。考察を通して使役主体の特定できない使役文には「事態叙述型(例:心理学を科学として成立させるには、誰が実験を行っても同じ成果を得られなければなりません)」「方法解説型(例:ぶりは、木べらと菜ばしで上下を返し、煮汁をからめて味をなじませる)」「特徴付け型(例:父は乱舞などさせると、背も高く容貌も舞台に映えてゆゆしきお顔だ)」のような三つのタイプが存在することが明らかにし、それぞれのタイプの構文、意味․機能的特徴を解明した。

12

일본 스포츠 기사에 나타난 문말 표현의 운용과 번역양상 분석

최소영

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.145-162

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5,200원

本稿は、新聞のスポーツニュースに見られる日韓の言語的特徴を文レベルで考察したものである。2012年9月25日から10月5日までの読売新聞、朝日新聞、朝鮮日報、東亜日報のスポーツニュース200本の文末におけるスピーチレベルシフトの分析をベースに、2012年9月28日付の連合ニューススポーツ記事を日本語学習者による翻訳文98本と比較分析し、述語文と体言止めで構成される文末の展開様式に注目した。その結果、読売新聞の71.4%、朝日新聞の61.6%のスポーツ記事文章が体言止めであることがわかった。それに比べ、朝鮮日報は3.2%、東亜日報は5%が体言止めで構成されていて対照的な結果となった。インタビューなどの引用文の場合、朝鮮日報の11.1%、東亜日報の8.5%が体言止めで、韓国記事での体言止めが比較的現れやすい環境となっていたが、引用文においても日本語記事の方が体言止めを多用している傾向が見られた。韓国語の場合、引用文における体言止めの使い方が多く、助詞「-(이)다」を省略し、文の可読性を高めるために体言止めが使われる傾向が見られた。こうした分析結果をベースに、体言止めが皆無の韓国の記事を元にして、98名の日本語学習者による翻訳文を分析した結果、体言止めの比率が2.5%まで増加するなど、日本語翻訳版の記事において、原文の韓国語記事にない体言止めが使われ、日本語学習者が日本の記事に多用される体言止めの使い方を意識していることが示唆された。

13

제2차 교육과정 일본어 교과서의 사용한자 분석

崔惠貞

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.163-174

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4,300원

1973年2月14日文教部令第310号の公布により第二次教育課程の部分改訂が行われ、日本語教育が高等学校(以下、高校)において始まった。これに伴い、高校で使用する初の日本語教科書「日本語読本(上․下巻)」が作られた。その後、2007年の改訂教育課程実施までの間、7回の教科書改訂がなされ現在に至っている。1973年から現在までの40余年の間、教育現場で使用された日本語教科書には、その時代の教育政策や教育目標、世相が反映されていると言える。日本語教科書は、日本語教育の変遷を反映した歴史的証拠物であり、これを分析することは、日本語教育史研究において非常に意味のある作業だと考えられる。そこで、第二次教育過程から現在の2007年改訂教育課程に至るまでの変遷を、教科書で使用された漢字を軸として調査を進める予定である。本稿では、第二次教育課程の日本語読本(上․下巻)で使用された漢字および漢字を使用した語彙(以下、漢字語彙)を調査した。その結果は、次の通りである。(1)日本語読本(上․下巻)で使用された漢字の異なり漢字数を調査した結果、上巻より下巻において70%ほど出現数が多いことがわかった。出現頻度が高い漢字は、上巻「日、国、一、本、二、十、三、課、第、形、大、生」、下巻「国、一、人、生、十、二、大、日、本、見、業、分、三、年」であった。また、漢字語彙を調査したところ、『韓国に関連した内容』を想起させる語が多く出現した。これは第二次教育課程における教育目標を反映しているものと思われる。(2)日本語読本(上․下巻)で使用された漢字は全体で1,348字である。その漢字と日本教育漢字(1,006字)との使用率を調査した結果、91%に該当する925字が使用されていた。また、漢字は日本の当用漢字の範囲内で使用することが定められているが、当用漢字1,850字のうち1,266字が使用されていた。当用漢字以外の漢字使用が86字あったが、これは地名や人名などの固有名詞で使われた文字である。(3)日本語読本(上․下巻)では、韓国の地名․人名․場所․時代背景を表す語彙が多く出現しており、漢字の使用もそれら語彙に多く含まれていたのが特徴である。漢字語彙のうち分類語彙表の「体の類(体言)」を基準として名詞のみを分析した結果、固有名詞、固有人名、固有地名、年代順、場所など韓国の近代化、産業化を象徴する年代から韓国に関連した語彙が多く出現しており、そこに漢字が含まれて使用されていることがわかった。

14

日本語「こそ」와 韓國語「야」「야말로」의 對照 硏究

韓奎安

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.175-194

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5,500원

本稿では、日本語の「こそ」とこれに対応する韓国語の「야」「야말로」の統辞的機能を究明し、また、「こそ」「야」「야말로」の文脈的環境に応じて分化された様々な意味の分析をもとに、これらが相互間に同一の統辞的機能を持つか、また同じ意味領域を持っているかに焦点を合わせて、三者の統辞的共通点․相違点および意味的共通点․相違点について考察した。考察の結果、「こそ」「야」「야말로」は沼田(1986)の挙げるとりたて辞の統辞的特徴としての「分布の自由性」「任意性」「連体文内性」「非名詞性」の特徴をすべて充足していることから、特立助辞であることが明らかになった。しかし、分布の自由性において、文中での現れ方に違いがある。つまり、「こそ」は、文頭の接続詞に接続するのをはじめ、文末でコピュラを伴って述語となり、名詞․格助辞․動詞․形容詞に自由に接続し、副詞․接続助辞․他特立助辞には限定的に接続する。一方、「야」は接続詞․コピュラ․主格助辞․目的格助辞には接続せず、他特立助辞には限定的に接続するが、その他、名詞․副詞格助辞․引用の格助辞․動詞․形容詞․副詞には自由に接続する。「야말로」は接続詞․コピュラ․主格助辞․目的格助辞․引用の格助辞․形容詞․他特立助辞には接続せず、動詞․副詞には限定的に接続するが、名詞と副詞格助辞には自由に接続する。3者の意味上の関係を整理すると、「こそ」と「야말로」の共通の意味には「特別․反論」、「こそ」と「야」の共通の意味は「譲歩․強調」、「こそ」と「야」「야말로」の共通の用法には「慣用的用法」、「야」のみの意味としては「当然․過小評価」があることが分かった。加えて、「야말로」は「야」 との関係において異形態の条件である相補的分布を示さないうえ、両者の意味領域もそれぞれ異なることから、「야」 の異形態ではないことも明らかになった。

15

小杉未醒 「朝鮮を去るの歌」 論

金仙奇

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.195-210

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4,900원

本稿は、『陣中詩篇』の絶唱の一つで、日露戦争期の朝鮮を素材とした近代文学の作品の中で、朝鮮認識の深みと詩の芸術性、独特な作家的態度などで特別な文学的評価が期待される小杉未醒の「朝鮮を去るの歌」を、筆者が今までの未醒関連の研究成果を基にして深層的に分析したものである。研究の主要結果は次のようである。第一、「朝鮮を去るの歌」は未醒の日露戦争期、朝鮮での画報通信員活動と個人的な朝鮮体験及び詩人として当時の朝鮮を眺める心境を多様な次元で凝縮して示す詩篇であり、朝鮮を思う詩の語り手の切ない心が自然で素直に表われる未醒の代表作である。第二、この詩篇は日露戦争の本質的な性格と日露戦争期の朝鮮の情況についての深い洞察を基にして、当時の朝鮮を「秋の山の端に/消えて入る日」のイメージに、また朝鮮人の悲しみを彼らの日常的に着る「白衣」から連想する「喪服」のイメージで表現するなど、芸術性の高い詩語と深みのある朝鮮認識が注目される。第三、この詩篇は詩の語り手が危機に置かれている朝鮮を同情することで終わらずに、バイロンがギリシャの独立戦争に献身したことを振り返りながら自分の立場と比較してみるなど、朝鮮を助ける方法を省察してみたという点もまたきわめて注目すべきことであり、文学史的意義を持つものと考えられる。

16

국문학의 탄생과 국학 - 학제와 텍스트 선정을 중심으로 -

裵寛紋

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.211-223

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4,500원

本稿は、近代日本における「国文学」と「国学」の関係について考える研究の一端として、文学部の学制とテキストの問題に焦点をあてたものである。まず注目したのは、帝国大学の国文学科の成立過程において開設された古典講習科である。古典講習科の創設に力を入れていた小中村清矩の目標は早くも挫折したものの、国文学科は古典講習科との差異を自覚することによって自らの性格を明確にしていた。とりわけ国文学は、漢文のテキストを排除した形で、いわば「国語で書かれた文学」に研究対象を限定した。次に、国文学科の成立以降も国文学の対象と方法の規定に関する問題は続いていたため、それにかかわって、帝国大学の国文学とは別の路線を追求した岡崎義恵の言説をとりあげる。国文学の代わりに日本文芸学を提唱した岡崎の批判には国文学の発展や定着の過程に含まれた自己矛盾の一面があらわれている。ここにも国文学のテキストをいかに選定し、その価値をいかに新しく規定するかという課題が絡んである。美学的な価値、すなわち芸術としての国文学を求めることは、日本文芸学の研究成果を借りて国文学の中に取り込むことで、ある程度は成功した。それもなお、大学の国文学科という制度の中において果たされた成果であることは否めない。以上のように、古典講習科も日本文芸学も国文学と線引きをしようと努めていたが、結果的に国文学はこれらの面影までを抱え込んで今日に至っているといえる。

17

5,700원

本稿では、伊藤計劃の『虐殺器官』を論じる。伊藤はSFが社会とテクノロジーの相関関係を取り扱う唯一の小説ジャンルであるという前提の下で、『虐殺器官』においては、9․11以降のテクノロジーがどのように人間の生と意識に影響を及ぼすかを徹底的に追求する。それは9․11テロとそれに対する「テロとの戦争」がどのような情報テクノロジーの発達をもたらしたのか、またそれはいかにして脳科学と軍事テクノロジーと結びつくようになったのか、という徹底的に「現在」のテクノロジーの具現形態の上にSF的想像力を稼働するものであった。そしてその結果として現れる未来は、ユートピア的世界でもなく、サイバーパンク的な漠然とした黙示論的な世界でもない。それは生体認証を強化する情報テクノロジー、一定の世論を形成できるネットワーク理論、脳科学の発展などを通して人間の「リアリティ」感覚と「主体性」が深刻に操作、歪曲されうる世界の姿なのである。我々が向かっているそのような管理社会において「自由意思」をもつ人間の主体性はどこまで有効であるかを批判的に考察するのが伊藤の核心的な主題である。

18

韓国人の日本語探偵小説試論 - 金三圭「杭に立つたメス」 -

兪在眞

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.247-256

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4,000원

本稿は、韓国人による最初の日本語探偵小説「杭に立つたメス」の紹介を中心に、この作品と同時代の植民地朝鮮における韓国語․日本語探偵小説との比較考察を通して当作品の特徴と文学史的位置づけを試みる。「探偵小説 杭に立つたメス」は、1929年11月から1930年1月まで『朝鮮地方行政』という京城で発行された日本語雑誌に3回にわたって連載された。作者金三圭に関する確かな情報は、現在のところまだ把握できておらず、更なる調査が必要な状況であるが、1929年11月という発表年度は、従来韓国人が書いた最初の日本語探偵小説と言われてきた金来成の「楕円形の鏡」(『ぷろふいる』1935. 3) より約6年も早く、「杭に立つたメス」は、韓国人における最初の日本語探偵小説と言え、韓国における探偵小説史の見直しを促すに充分に値する資料だと思われる。この作品は、連続殺人事件の発生、謎のスペードのカード、医学知識を駆使した科学的推理、容疑者(警察は語り手である平石を容疑者だと疑う)から犯人(南見)へ、そして表と裏の二つ顔を持つ真犯人(牧田)による真相証しなど、探偵小説としての面白みを備えた作品であり、掲載誌『朝鮮地方行政』の異例且つ大々的な予告文からもその完成度と評価の程が伺える作品である。しかし、「杭に立つたメス」と同時代の韓国語探偵小説とを比較しするとそこには一種の間隙が存在していることが確認できる。朴炳好の「探偵小説 血袈裟」(『鷲山寶林』1920.7~9)から「杭に立つたメス」と同月に発表された丹頂鶴「合鍵」(『新民』1929.11~1931.6、未完)に至る韓国語創作探偵小説の流れと「杭に立つたメス」には明らかな隔たりを見せている。つまり、韓国語探偵小説の流れは、韓国における探偵小説の文法の取得と発展の過程を見せている反面、「民衆啓蒙」と民族的意識の高揚の手段としての探偵小説理解が継承されているが、一方の「杭に立つたメス」は、このような民族色は全く脱色され、単なる「遊戯」の対象としての読物でしかないのである。韓国語探偵小説と比較すると「杭に立つたメス」はその異質性が目立つが、当時の朝鮮における日本語探偵小説と比較するとそこには逆に同質性を見出すことができるのである。両者とも、その作品からは植民地のネイティブやローカル色は全く払拭され、「趣味」や「遊戯」の対象としての読物、探偵小説として書かれ享受されているのである。つまり、純然たる読物としての「杭に立つたメス」が如何にして韓国人によって書き得たのか、この作品を通して見えてくるものは何かといえば、それは一つには植民地朝鮮における「日本語文壇」つまり、在朝日本人の文学活動と朝鮮における日本語文学の享受という状況が浮かび上がり、また、確認することが出来た。1930年代植民地朝鮮で<探偵小説ブーム>が到来する。1929年末、韓国人作家金三圭が書いた「杭に立つたメス」は、30年代の<探偵小説ブーム>を予告するものであり、また、この作品の出現を可能にさせた要因は、1930年代の植民地朝鮮で「民衆啓蒙」や帝国主義に対する「抵抗」の文学としてではなく、探偵小説の「文法」を駆使した「遊戯」の文学としての探偵小説の創作と享受の到来を可能にさせたのだる。

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安部公房の〈仮説〉の設計 - 『砂の女』に見る科学的認識に関連して -

이선윤

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.257-267

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4,200원

〈仮説〉という用語は安部公房の文学的方法論における重要な概念の一つであり、文学やその歴史に対する安部の問いであったことは先行研究でも指摘されているものの、その論理構造の綿密な検討作業はまだ行われていない。科学と異常が結びつくことの多い安部公房の創作テクストでは、科学と空想は相補的なものとして互いに交流を見せる。安部公房が評価しようとしていたのは、科学的論理性に基づいた広義の〈サイエンス․フィクション〉、〈仮説の文学〉であった。それは理論的根拠をもった科学的表象、もしくは科学的論理によって裏打ちされている場面の描写及び展開であり、こうした科学に支えられた〈仮説〉こそが、安部にとって〈異化〉を可能にする重要な要素なのである。本論文では安部の小説『砂の女』を中心に、科学的論理性と問いを重視する〈仮説〉の設計方式の一例を検討した。非日常的出来事を描いているように映る安部公房の創作テクストは、同時代的科学的認識と自然科学的論理性に基づき構築されていると言えよう。そこには様々な認識の転換の問題が描かれている。その方法論を支えているひとつが〈仮説〉であり、安部公房が新しい表現手段としてSF小説に見出していた可能性の意味がそこにあったのである。

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4,800원

今まで一九二〇年代在朝日本人たちの日本語文学は朝鮮半島における植民地日本語文学の研究の中でもっとも等閑視された時期にあたる。それで、本論文は一九二〇年代『朝鮮及満州』の文芸欄に焦点を当て、一九二〇年代在朝日本人たちの日本語文学の特徴と方向性を考察したものである。雑誌『朝鮮及満州』とともに、朝鮮半島でもっとも長く刊行された日本語雑誌『朝鮮公論』の文芸言説をみると、そこには「内地」日本の「中央文壇」とは弁別される「朝鮮文壇」の形成に対する強い欲望が表われている。しかし、植民地朝鮮で「内地」日本の「中央文壇」とは異なる朝鮮の風物․生活に根差している独自的な「朝鮮文壇」を築き上げようとする試みは、『朝鮮及満州』の文芸言説をみるとすでに一九一〇年代によく議論された認識であった。したがって、本論文では一九二〇年代の日本語文学のもっとも大きな特徴は、そのような「朝鮮文壇」形成への熱意というよりも登場人物の広闊な空間移動․当時の歴史的な出来事に対する敏感な反応と作品化․大正デモクラシーといった雰囲気の反映にあると結論付けている。実際、一九二〇年代『朝鮮及満州』に掲載された小説を分析すると、当時第一次世界大戦、日本のシベリア出兵、三․一独立運動という歴史的出来事をいち早く作品の中に取り入れて、従来の満州․朝鮮․日本という空間の範疇を越えてロシアの様々な地域․シベリア․ホンコン․シンガポール、南洋という広範囲にわたる作品の空間舞台が登場する。また、当時大正デモクラシーやプロレタリア文学の影響もあり、資本と労働、あるいは地主と小作人の対立を見せる作品をも創作されることになる。このような意味で一九二〇年代前半期における『朝鮮及満州』の日本語文学の特徴は日本の帝国主義的移動にしたがって登場人物の舞台が広闊に広められており、また大正期デモクラシーの雰囲気やプロレタリア思想の影響を見せる作品の登場にその特徴があるといえる。

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버마에 관한 문학적 재현 - 다카미 준과 다케야마 미치오의 경우 -

조정민

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.285-299

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4,800원

本稿は高見順と竹山道雄の作品を中心に戦後日本におけるビルマ像形成について考察したものである。高見順は陸軍報道班員としてビルマに送られビルマ戦線を経験し、それを従軍記録として残している。一方、竹山道雄はビルマに関する直接的な経験は全くないが、『ビルマの竪琴』という作品を書き大きな反響を得た。ビルマを体験した高見順とそうではない竹山道雄の作品はフィクション・ノンフィクションという単純なジャンル区分で説明できないものがある。そして、作品がもつ現実的な効果、つまり南方言説に実定性を与えるという側面においても予想を脱するものがある。注目したいのは戦中、戦後に作られたこれらの南方言説は互いに影響し合いながら、現在も依然として南方言説の根幹を形成していることである。そして、このような南方言説形成には文学的な再現が深く介入していた。文学的表象において最も問題となるのは、「南方」あるいは「大東亜」という修辞が使われるなかでビルマが常に「対象」として消費されることである。このようなナラティブが繰り返されるなかでビルマに対する差別構造は定型化されていく。他者に対する暴力的なイメージ政治はこのような過程を通じて行われる。今も依然として「南方」は歴史の主体として登場していない。南方の現実を表象するのではなく、逆に現実の方が既成の表象様式に従っているためであろう。

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4,500원

3.11東日本大震災は天災と人災が入り乱れた複合的災害として日本社会全般に莫大な影響を及ぼした大事件だった。3.11を基点に多いことが急激な変化を経験し、文学もやはり目の前に降りかかってきた圧倒的な現実をどのように作品中に表わすのか、3.11以後文学が進むべき方向とは何かを悩むようになった。そうした状況下で発表された作品が川上弘美の『神様2011』である。川上弘美は1993年に発表した短編小説「神様」の内容に修正を加えて2011年6月『神様2011』というタイトルで発表した。二つの小説の大きいあらすじは同じであるが『神様2011』の場合、細部的な内容、および設定を通じて3.11以後の変わった日常を描写したという点から大きな注目を集めた。「神様」と『神様2011』の間隙、対比は3.11以前と以後の日常がどう変わったのかを明らかに見せているだけではなく、その変わった日常を生きていくしかない私たち共同体(日本社会)の未来にもあるメッセージを発信している。3.11以降、私的領域(個人)は圧倒的な現実に、また'頑張れ日本'というプレーズに犯された。『神様2011』という短編小説がメッセージをいかに読み取れるべきなのか。本稿は『神様2011』を通じて3.11以後の日本文学界の現住所を探ってみる一方、文学作品が3.11という現実とどのように交差しているかを考察している。

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4,000원

本稿は日本古典文学と関連して流布している現代の読みの一部を「豊かな誤読」として捉え、それがstorytellingとどのように関わっているかを検討し、誤読に関する研究が日本古典文学の研究方法論として有効であるかどうかを模索してみた論である。従来、「誤読」とは間違って正しくない読み方をすることで、ややもすれば否定的に捉えられがちであったが、本稿では「誤読」にも様々なメカニズムがあるという先行論文を踏まえながら、その意義を積極的に問うことにした。但し、本研究では「豊かな誤読」を肯定する立場でも、否定する立場でもない。「豊かな誤読」という視点があり得るという観点に特に注目すしているからだ。要するに、「豊かな誤読」という観点が成り立つとしたら、それが古典文学のstorytelling、ひいては古典文学の加工とどのように関わっているかに注目したのである。そして、「豊かな誤読」の研究方法論の一例として、『万葉集』と『源氏物語』の例を挙げて、その有効性について考えてみた。そうすることによって、日本古典文学の加工化の側面で新たな視点が得られたと思われ、「誤読」に着目することが日本古典文学の研究方法論として決して無用でないことが明らかになったと思われる。

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4,200원

今までアメノヒボコ物語(以下ヒボコ物語と略称)は民俗․伝説․歴史の側からは多くの研究がなされてきたが、テキスト論に基づいて、なぜ『古事記』『日本書紀』(以下『記』『紀』と略称)のヒボコ物語に様々な相違があるのかその答えを提示した論著は管見の所見当たらない。本稿は『記』『紀』の本質的な相違がどこから由来し、それがいかに『紀』とは異なる『記』のヒボコ物語をつくったのかを明らかにした。『紀』は漢代以後の世界観、夷賊に対する征伐と帰化を語る天下観に基づいてヒボコ物語を蕃国の王子の朝貢物語として示し出している。それに対して、『記』は漢代以前の世界観、即ち、血縁で結ばれて「礼」で規範づけられている氏族社会、夷賊を含まない世界としての「天下」を標榜しているため、婚姻と血縁のヒボコ物語をつくっている。また、そのような結合、即ち、海を渡ってきた人․物(神)と在来人․在来神の結合は『記』の中で神の関与の不要な整った時代が完成されたという意味で応神記に置かれることになる。このようにして根本的に異なる世界像の上に成り立つ『記』『紀』のヒボコ物語は『紀』では朝貢物語、『記』では婚姻と血縁の物語というそれぞれ異なる物語として表われるのである。

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『도칸키코(東関紀行)』 小考

李英敬

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.337-348

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4,300원

本稿は、従来、流麗な和漢混淆文と見なされつつも、類型的であると低く評価されてきた紀行文である『東関紀行』の記述について、形容詞「心ぼそし」と歌枕の表現に注目することを端緒として、そうした理解や評価の見直しを試みた。『東関紀行』における「心ぼそし」は、旅の不安やつらさを切実に語る場面に現れる類型表現であるが、作者は、この「心ぼそし」という切実な感情をもとにして、切実な思いの込もった古人の歌や詩や故事を想起し、古人との強い交感を意識するに至っている。また『東関紀行』は、歌枕について詳しく記述しているが、それは、表面的な伝統の踏襲ではなく、歌枕の地に昔の「跡」を見出し、その「跡」を媒として、自身と古人とのつながりを感じ取り、自らの「跡」を未来の人々に残そうという営みであった。本論文では、こうした『東関紀行』の旅とその記述の起点に、「心ぼそし」という切実な感情と歌枕の跡が働いていたことを明らかにした。

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5,200원

慶安事件の首謀者であった由比正雪は近世初期の江戸で有名な兵法者であり、実録体小説『慶安太平記』では楠正成の嫡子であることを自称した謀判人として描かれ、以後実録や講談の主人公として様々な文芸ジャンルにおいて興味深い素材として登場することになる。この由比正雪の反乱事件を素材とした一連の文芸作品を「慶安太平記物」といい、この「慶安太平記物」において社会の底辺で暗躍するアウトローとしての正成伝説と結合することになる由比正雪の物語は、時代浄瑠璃『太平記菊水之巻』においては先行する浄瑠璃作品『南北軍問答』や時代物浮世草子『契情太平記』という正成伝説を主題とした作品の趣向を積極的に取り入れながら、楠家の遺臣たちの南朝復興の物語と融合される。その結果、この作品では南朝復興のシンボルとしての正成伝説のイメージと、幕府転覆という反逆の色彩を持つ由比正雪のイメージが結合することになり、江戸幕府の転覆を図る人々の想像力を刺激していくことになる。

27

4,600원

俳諧文学を構成する大事な要素の一つは“座の文學”であり、それは俳諧師として一生を生きてきた芭蕉が自分の俳諧世界を成立させ、発展させていくにおいても大事な役割を果たしてきたと言えるのである。芭蕉において多くの人々との交流は、芭蕉が俳諧師としての人生の道を選択して歩んだ以上は、運命的に随伴するしかなかった必然的な要素であったのである。芭蕉は“‘紀行”という手段を通して自分の俳諧世界を浄化し、深め、発展させるために大事な手段として活用している。‘紀行’はそれを遂行していく過程の中で、多くの人々との交流が自然に発生するしかないのである。だから芭蕉の俳諧の改革に決定的な役割をしたと伝えられている‘紀行’の一連の過程の中で成り立った人間関係は、彼の俳諧の変化に決定的な役割を果たしたと言わざるを得ない。芭蕉は自分が俳諧師として経験せざるをえなかった複雑な環境の変化に適応し、乗り越えていくために、その折々に、自分が信頼出来る人々との同行を選択したのである。そのような人々との同行は芭蕉の人生と俳諧世界に大きな意味をもたらすようになったのである。それが芭蕉の作品の中では“同行二人”という形で表れているのである。“同行二人”とは、偶然に成り立った人間関係とは異なり、芭蕉の強い意志が反映された同行であっただけに芭蕉の俳諧文学の中でそれがもつ意味は特別なものであると言えるのであり、芭蕉の人生と俳諧世界の成立と発展に至大な影響を及ぼしたと言わざるを得ないと思うのである。

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일본에 있어서 지역문화정책의 기본방향

구견서

한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.381-393

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4,500원

日本においての地域文化政策は地域文化を特化するだけではなく、地域文化の交流や地域住民の文化生活を豊かにすることを目指している。それに加えて長期的には未來型地域福祉となりうることに價値があると言える。日本で行われている地域文化政策は、基本的に地方時代に伴う地域發展や地域文化の活性化を求める基本哲學として地域文化振興主義, 地域發展主義, 地域共同體主義 などに基づいている。そのような地域文化政策は、文化的には傳統文化保全と活性化、地域文化の創造と振興, 地域觀光開發, 文化藝術擴大 などとして実現されているし、政治的には地域共同體作り, 地域共同體活性化, 地域ブランド化, 地方公共團體の各種行政サービス强化 などとして現れている。また經濟的には地域經濟活性化, 地域商業活性化, 地域文化産業活性化, 地域住民所得向上, 文化資本蓄積 などを求めているし、そして社會的には地域空洞化防止, 地域人材育成と流出防止, 地域住民生活の質向上, 地域文化生活化誘導などを求めているという特徴がある。しかしながら、そのような価値を作り出している地域文化政策の基本方向については体系化されていないのである。従って、本稿では地域文化政策關聯法制と文化藝術振興基本方針を通じて地域文化政策の基本方向について考察し体系化したい。

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5,700원

This study aims to inquire into the transformation of Japan’s structural reform, which has been crucial in the friction of Japan-the U.S. trade relation, focusing on the outcome of a year of Abenomics. I begin from considering how the negotiating process of the trade affected Japan’s economic structure and policy. First of all, the unfolding stages of the trade are divided as follows: The primary stage as 1960s after the World War II, the secondary stage as the middle 1970s and 80s, the tertiary stage as the middle 1980s to 1994, the quarternary stage as after the establishment of World Trade Organization (1995) and lastly, the fifth stage as the Great East Japan Earthquake (2011). Especially, I examined the three case study. First of all, the process of Structural Impediments Initiative (1989-1991) and the U.S.-Japan Framework Talks on Bilateral Trade (1993-1996) will be given attention. The structural reformation of Japan to the correction request from the U.S. will be considered. Then I will analyze the planing of Abenomics (Dec. 2012~), in relation to policy intervention from the U.S., along with Japan’s structural reformation with the former two cases. As a result, through the comparative analysis of the process and mechanism of Japan’s structural reformation, the study attempts to suggest the path of Abenomics, reflecting on the meaning of the policy’s reformation and continuity.

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4,900원

The purposes of this thesis is to discuss Japan's recent anti-Korean movement led by Zaitokukai and to discuss its impacts on Koreans in Japan. Zaitokukai, a growing chauvinism group, claims that there exist ‘special privileges for Koreans in Japan,’ and Koreans in Japan can enjoy more social welfares than Japanese nationals. Although these are no more than discriminatively seditious rumors, many of Japanese people believe that these certainly exist. Zaitokukai's movement is unique in that it aggressively uses web medias, such as Nikoniko Doga, YouTube and Twitter. Zaitokukai's emergence is sensational in that it broke a moral hazard of speaking out derogatory words against not only Koreans but also other Japan’s minority groups in public. Particularly, human rights of ethnic Koreans are seriously being threatened by Zaitokukai and its followers although they have settled in Japan for almost one century. Since Zaitokukai’s activities become more and more drastic, not only verbal abuse but also physical violence are mobilized by their anti-Korean parades held in Shin-Okubo and Tsuruhashi where a large number of Korean population do business and live in. Although Zaitokukai identify itself as a right wing group, it should be regarded more a chauvinistic one because of its hatred and derogatory activities. In other words, Zaitokukai can be characterized more a chauvinistic group than a nationalist one. Not only the other right wings but also the former colleague groups, are eager to differentiate themselves as true right wings saying the right wings never spread hate against the weak. Meanwhile, Zaitokukai is severely criticizing their activities saying it is the very group successfully mobilizing ordinal people.

 
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