2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,900원
本稿では、日本語の自他交替にいかなる語彙意味的要因がかかわっているかを影山(1996, 2001)を中心に考察した。影山(1996, 2001)は、動詞が主体動作客体変化動詞なのか、あるいは非能格動詞、非対格動詞なのかによって、前者では反使役化や脱使役化(自動化)が、後者では使役化(他動化)が起こるとしている。しかし、影山(1996, 2001)の分析は日本語の自他交替の全体的な傾向を示してはいるが、反使役化における「内在的コントロール」という概念の規定や反使役化自動詞と非対格動詞の区別と関連して十分に説明できないところがある。したがって、本稿では自他交替の類型別に動詞のリストを作成し、類型別に自他交替の特性を調べ、自他交替にかかわる語彙意味的要因をより詳しく考察した。考察の結果、<他動詞+-e-→自動詞>による類型①では、反使役化の前提になる「内在的コントロール」という概念を客観的に規定することが難しく、したがって反使役化を規定する要因は何かに関する考察が必要であることを述べた。<他動詞+-ar-→自動詞>による類型②③では動作主の抑制による脱使役化として分析できない自動化が起こることを提示し、これについては意味拡張の結果である可能性について言及した。<自動詞+-e-→他動詞>による類型④では、ほとんどの自他交替が非対格動詞の使役化によって行われるが、意味用法によっては異なる動詞クラスに属する動詞や意味的には自動化が予測されるが他動化が起こる動詞があることを見た。<自動詞+-as-/-os-→他動詞>による類型⑤~⑦では、類型④と同様にほとんどの自他交替が非対格動詞の使役化によって行われ、非能格動詞の使役化も起こるが、主に類型⑤に集中していることが特徴的であることを明らかにした。なお、類型④~⑦の使役化においては共通的に、反使役化自動詞と非対格動詞の区別が難しいことを意味・統語的に考察し、反使役化自動詞と非対格動詞とを区別する意味的特徴が何かについて更なる考察が必要であることを指摘した。最後に、両極化類型⑧⑨では自動詞と他動詞のうち、どちらが基本的であるかを形態的に判断するのは難しいが、動詞毎に語彙的意味によって自他交替の派生方向が決まっているということを見た。
4,200원
現代日本語における「名詞+で」句の中には(1a)のように場所や道具、材料、原因とは異なる性質を表すものがある。金(2009)では、このような「で」句を目的語の種類を表す要素と捉えた上で、その成立には、(1a)(1b)の対立で示すように、「で」句名詞の変化可能性が関与すると指摘している。(1) a. 太郎が鮭を塩焼で食べた。 b.* 太郎が鮭をチリ産で食べた。本稿では、「で」句の成立条件に関する金(2009)の結論を踏まえた上で、(1a)と(1b)の対立が生じる理由、および、そのような対立をもたらす「で」句の性質について状態記述二次述部(depictive secondary predicate:以下、DSP)の観点から考察を行う。DSPとは、主動詞の担う時制辞が指し示す時点において、その参与者が有する状態を表す要素のことであるが、一時的な性質を表す段階レベル(stage-level)の述語のみDSPに用いられ、恒常的な性質を表す個体レベル(individual-level)の述語は用いられないという意味制限がある((Rothstein(1983)、Rapoport(1991,1993))。このような意味制限からすると、「鮭」にとって変化可能な性質である(1a)の「塩焼」は段階レベルの性質であるのに対して、変化不可能な性質である(1b)の「チリ産」は個体レベルの性質であり、(1a)と(1b)の対立はDSPの意味制限に合致する。このような性質から(1a)の「で」句はDSPと捉えることができる。さらに、(1a)の「で」句がDSPであることはその機能からも確認することができる。DSPはイベント参与者の状態を叙述する要素であり、「で」句名詞と目的語の間には(2b)のような叙述関係が成立するが、(3b)のように叙述関係が成立する場合でも(3a)のようにDSPが成立しない現象が見られる。(2) a. 鮭を塩焼で食べた。 b.(昨日、鮭を食べたが、)その鮭は塩焼だった。(3) a.*鮭を塩をふって焼いたもので食べた。b.(昨日、鮭を食べたが、)その鮭は塩をふって焼いたものだった。(2a)に対して(3a)が成立しない理由は、(3a)の「で」句に使われた「もの」という名詞が明らかな指示性をもっており、イベント参与者の状態を「叙述する」というDSPの意味機能とは相容れないためであるが、本稿では、このような「で」句における「叙述」と「指示」という機能上の違いを措定文と指定文という二種類のコピュラ文の性質に基づいて示した。
4,600원
本稿は、ク活用の形容詞「多し」だけは、他の形容詞と違って(特に平安時代の和文において)本活用の「多し․多き․多けれ」を用いず、「多かり․多かる․多かれ」の形を用いたのかについて考察したのである。これについて先行研究では形容詞「おほし」が「多い」と「大きい」の両義を表すのは不都合であるため、前者の意の場合は「多かり」、後者の意の場合は「大きなり」にして区別したと説明されている。しかし、考察した結果、残された文献だけでは断定しにくいが、そのような説は穏当だとは思われない。確かに、古代日本語の「おほ」には[多][大]の二つの意味があったことは異論の余地のないところだと思うし、故に形容詞「多し」と「大き」は恐らく同じ語根から発生した語だと思われる。が、既に上代において両語はその使用用法からみて別の単語であったと判断される。つまり、「多し」は使われた用法からみて、十分に形容詞と認められ得るが、連体形(「大き」)のみで、しかも連体修飾の用法しかないものを形容詞(「大し」)とは認められまい。上代の「大き」は体言的な性格を持った語であったと見た方が妥当であろう。よって、後世に[静か․明らか]などと同じようにナリ活用の形容動詞に移行していったと考えるのが自然であろう。「多かり」は動詞「あり」と接続しやすい語彙的な特性を持っている「多し」が、その「多し」の表す数量が存在するという意味を強調するため、慣用的に使われたものが成長していったものと考える方が自然のように思われる。
정치적 용어에 대한 번역자의 개입 양상 연구― 언론사의 한-일 번역을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.43-54
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4,300원
ある文章を翻訳するうえで、ソーステクストに‘文化的要素’が多数登場する時、翻訳者は翻訳ストラテジーとして‘自国化(domestication)’と‘異国化(foreignization)’のどちらを選択すべきか、重要な決定をしなければならない。これは、Venuti(1995)の言うところの‘可視性(visibility)’と密接な関わりがあり、言い換えれば、翻訳者の‘介入’の問題でもある。このことは、文化的要素についてのみならず、政治的用語についても言えるものと判断され、本稿では、翻訳者の介入に焦点を合わせ、韓国のマスコミ機関の日本語サイトを対象に、政治的用語に関する翻訳ストラテジーの実際を考察した。その結果、聯合ニュースの日本語サイトが他社に比べて翻訳者の介入が多く、また、重要な政治的用語についても各社の日本語表現が統一されていない場合が多いことなどが明らかになった。
4,600원
本稿では、日本語の基本動詞である「言う」と「話す」が、韓国人日本語学習者にとって理解しがたい類義語の一つであることに着目し、日韓辞書においてどのように記述すれば、意味理解を促進できるのかに関して模索した。まず、既存の日韓辞書における2つ語の意味記述を取り上げ、その特徴を明らかにした後、どのような問題点があるのかを考察した。そして、先行研究と認知言語学の知見を援用しながら、辞書における新たな意味記述方法を導き出した。本稿で提示した意味記述案は、以下の3点に集約される。1.メニュー表示による語義一覧を提示し、中心的な意味から拡張的な意味へと、どのように拡張したのかを一目で分かるように示す。また語義も、使用者が認知しやすいように具体化して提示する2.類義語間の差異に関する記述など、トップダウン的なプロセスを促すための記述を取り入れる3.用例とともに具体的な場面を表示し、当該語をどのように使ったらいいのかをイメージしやすい用例にするこの3点は、プロトタイプやカテゴリー化などといった認知言語学的な観点を生かしたものである。これらをもとに、本稿では具体的な「言う」と「話す」の記述案を提示した。
4,200원
本稿は1984年に日本で作られた韓国語学習書『朝鮮語学独案内』の製作背景と資料的価値を考えてみようとしたものである。そのため、本稿では、本書と同時代に作られた他の韓国語学習書、『韓語入門』(1880), 『日韓英三国対話』(1892), 『日韓通話』(1893), 『日韓會話』(1894), 『實地應用 朝鮮語獨學書』(1986)などとの相互関連性を検討し、本書のもつ特徴を明らかにしようと試みた。調査の結果、本書は、日清戦争の最中に軍事と貿易上の目的で韓国語の必要性が切実になった時代的背景の中で作られたものであることが分かった。それは、本文の中に軍事色の強い内容が含まれていることからも説明できると思われる。本文の構成は、まず、ハングルの用字法と発音を理解し、次に韓国語の単語と会話を習得するという形で体系的な韓国語学習が考案されており、当時の独学用の学習書に見られる一般的な傾向と共通しているところが少くない。特に単語の部門配列は、明治期の『交隣須知』のような学習書を基に、本書の立場から再構成したものと考えられる。本書の日本語は、同時代の他の学習書に比べ、文法の面においては比較的規範性が働いていることが見受けられる。また、語彙面では近代の過渡期的な言語現実を反映したものが散見され、その資料的価値が認められるものと思われる。なお、韓国語の場合、近代語彙史研究に貴重な情報を提供し得る性質のものであることが確認できた。
번역원전을 활용한 일본어복합동사표현의 연구― 어휘적복합동사 「こむ」의 다양성을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.81-98
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5,200원
日本語の複合動詞に関する研究は様々な方法で行われてきた。しかし、複合動詞の個別的な研究はそれほど多くないようである。中でも対訳本を活用した対照研究は少なく、イラストを活用したものはほぼ皆無と言える。よって本研究は複合動詞「~こむ」を対象に対訳本の考察を行い、イラストを活用して、日本語教育への一助とする。対応関係の対訳から導入し、次にイラストを活用して教えることで分かりやすく教える。まず、複合動詞「こむ」の対訳は以下の五つにまとめることができる。(1)日本語と韓国語が1:1で対応する。(2)日本語と韓国語が逆転して対応する。(3)漢字語と「하다」の組み合わせに対応する。(4)ひとまとまりにできない説明形に対応する。(5)まったく異なる第3の意味に対応する。使用された接続の形は「こむ」は「こんだ」の連体形(終止形を含む)が圧倒的に多かった。続いて多かったのは「こんで」形であった。「~こむ」の特徴として「巻き込まれる」のように固定化された受け身の形が多いことが挙げられる。意味が複雑な複合動詞や抽象的な意味と具体的な意味を合わせ持つ複合動詞などは、イラストを活用して教えるべきであろう。
「おっしゃる」와 「言われる」의 사용상의 기준― 신약성서(신공동역)의 4복음서를 대상으로 하여 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.99-110
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4,300원
4福音書における尊敬語形式の使用実態には、従来の敬語教育や日本語教育次元で言う規範意識上の敬語使用規則とは異なった様相が展開されている。これについて本稿では次のような立場を取っている。4福音書では複数の尊敬語形式を、規範意識上の敬意価値を反映し、これを単に等差的に表現するに留まらず、地文または対話文といった文体上の違い、聖書における伝統性・慣用性を反映するのにも積極的に使用しており、4福音書で一見複雑に展開されている尊敬語形式を正しく理解するためには、そこで如何なる使用上の基準が運用されているのかを的確に把握する必要があるという点を強調した。このような観点から日本語に飜訳された聖書本文を読者ができる限り誤読しないよう、尊敬語形式において4福音書なりの<剰余的選択性(optionality)>が積極的に活用されていると解釈した。このような点を確認するために、本稿では日本聖書協会で提供している新約聖書(新共同訳)の4福音書を対象として、「おっしゃる」と「言われる」の使用実態を分析することにより、複数の尊敬語形式が共存する場合、これらの形式が果して如何なる基準によって選択され、使用されているのかという使用上の基準を考察した。本稿で考察した内容を簡単に整理すると次の通りである。4福音書では「言う」の尊敬語形式である「おっしゃる」と「言われる」について、両者の敬意度の差を使用上の基準としているが、口語体でのそれとは異なり、<神>であるか<イエス>であるかという敬意対象の違いと、地文であるか対話文であるかという文体上の違いを設定することにより、本文を理解する上で積極的に活用していることが分かる。即ち「おっしゃる」は<神>を賛美したり、又は対話文で<イエス>を高めるのに使用しているのに対し、「言われる」は地文で<神>と関連した内容を引用し伝達する形式の地文や、<イエス>の発話内容を表す場合に使用される。このように<神>の発話行為に対しても、地文で「言われる」を使用する場合がある。これは4福音書で<神>と関連した内容の伝達においても、該当行為の規模が巨大で抽象度が高い事象であるという点で、敢えて逆らうことのできない神の絶対的な権能を認め、これを賛美する内容と、個別的かつ具体的な事件に対する内容を区分し、前者に対しては「おっしゃる」、後者に対しては「言われる」という使用上の基準が行われているということを意味する。地文では<神>と関連した内容を除くと、「言われる」は全て<イエス>を高めるのに使用される。一方、対話文で「言われる」は<イエス>の発話に対しても使用が可能であるが、「おっしゃる」より低い敬意度を反映する場合に限り使用される。
4,600원
本稿では、テクストの空間の分析の尺度として、知覚主体である主人公の<身体>を原点とした空間論を試みた。主人公の身体の位置の移動によって変化し、時間とともに内と外へと流動し変換するテクストのなかの空間の内在的な意味に着目すると同時に、物語行為者である「語り手」の視点を通して主人公「江口老人」の体験する感覚世界を考察してみた。理論家たちの幾つかの空間の言説を踏まえたうえで作品「眠れる美女」の空間の問題を分析してみたが、まずボルノウのいう拡大した身体としての「住まい」すなわち、私である自分自身の空間を「内部空間」と見なし、もはや私に帰属しない、私には疎遠な別の空間を「外部空間」として規定した場合、テクストのなかの空間は江口老人の「外部空間」だけが描かれている特徴が見られた。また山口昌男の「内」と「外」という概念で分析した場合も、おのれを中心とした同心円、そのなかの「我々」、「この世界」というのが削除されており、むしろ境界を円周とした「彼」、「我々」に対する「彼ら」、「この世界」に対する「彼方の世界」という外で意識化される周円およびその彼方の部分が具体化されていることが確認できた。その周円の部分に現われる「彼ら」は、テクストの中では「眠れる美女」たちとして他者の原像を提供してくれる。しかし、江口老人が「秘密の家」(外部空間)を訪れるのは、「彼方」への移動、すなわち<未来>への転進であるはずだったが、実際に江口を待っていたのは<過去>への回帰であった。しかも「彼方から此方へ」と、「此方から彼方へ」の接近が周縁的現実としての「夢」や「幻想」に連なっていたことは、「眠れる美女」のテクストの、江口老人を中心とした独特な世界像を暗示していると言える。他者との出会いの場、すなわち幻の部屋で「眠れる美女」を通して、生の豊かさを取り戻したり「死」への誘いに揺らめいたりする「眠れる美女の家」の空間は、さまざまな意味とイメージが重層的に発生する境界の特性が抽出できる場所であるに違いない。それは、エロスと禁忌や、生と死、夜と光、また欲望と幻想や罪と悲しみ、など等の境界としての多義的なイメージの重なる場所として解読されなければならないであろう。
넷 커뮤니티의 등장과 미디어 믹스― 2채널과 『전차남(電車男)』을 통해서 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.125-137
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4,500원
本稿では、書籍、映画、ドラマなどさまざまな大衆文化のジャンルにおいて生産された『電車男』という文化物を、日本社会におけるオタクの現在の意味、新しいメディアとしてのネット・コミュニティ、メディア・ミックス現象を理解する上で格好の素材として見、分析を加えた。『電車男』を生み出した「2ch」の性格は無名性、排他性、親密性、関係性として整理できる。そしてそれはオタクの<繋がりの社会性>と「シンクロ」感覚を説明してくれる。また本稿は『電車男』を通じてオタク文化の主要な生産原理である「コピペ」を説明し、それと既成の大衆文化領域で発生する「OSMU」を比較検討した。その結果、『電車男』はオタク的なサブカルチャーと大衆文化の生産原理が妥協して生み出されたものであり、オタクの特徴を説明し温存しながらも、一般的なオタクについての社会的認識に寄りかかって作られたものとして説明した。このような現象はこれからの日本の大衆文化の生産原理を理解する上で一定の方向性を示してくれるものである。
아쿠타가와 류노스케(芥川龍之介)의 「야스키치의 수첩에서(保吉の手帳から)」에 관한 일고찰― 〈점심시간-어느 공상-(午休み-或空想-)〉을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.139-153
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4,800원
本稿ではゲーテのファウストの台詞を入り口として「保吉の手帳から」のうち〈午休み-或空想-〉に再解釈を加えた結果、一見超現実の世界を描いているかのように見えた本テキストが実は芥川龍之介が属していた当時の文壇状況と彼の文学観をありのままに具現していることが分かった。その過程で芥川龍之介が当時の文壇の閉鎖性を批判的に捉えていたことが分かったが、このような文壇批評は彼の文学観に因るところ大きい。一貫的に「文芸の形式と内容は不可分の関係にある」といった文学観を持っていた芥川龍之介にとって、文学の「本質-内容-」は問わず、その「形式-文芸思潮-」のみで派閥を形成し、お互いに批判していた当時の文壇は当然批判の対象になったのであろう。ストーリーの次元では超現実の世界を見せる〈午休み〉はディスクールの次元では「文学とは何か?」と云うような文学の本質を語っている。テキストは本質は同じけれども外形は異なる「悪魔と同僚」と「錬金術と応用化学」、そして「蝶と飛行機」を羅列することで「文芸の形式と内容の関係」を語っているのである。又二匹の毛蟲に自分-蝶-の世界の物差しで人間世界の飛行機を準えるようにし、1920年代の文壇批評は勿論、「文芸の形式と内容は不可分の関係にある」という文学観を表している。これは本テキストが芥川龍之介の実際の経験-1916年から1919年までの海軍機関学校の頃のこと-ではなく、彼の作者としての最大の関心事である文学がフィクションに化したことを意味する。このようにゲーテのファウストの台詞を通して現実とフィクションが繋がっているところに於いて、そしてそれが文学のディスクールの場として働いているところに於いて〈午休み〉はメタフィクションの兆候を表したテキストであると云えよう。
구로사와 아키라(黒澤 明)의 「속 스가타 산시로(姿三四郎)」考― 성장의 주제를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.155-173
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5,400원
黒沢明の第三作「續姿三四郎」(1945年5月3日封切)は、興行と批評でよい反響があった処女作 「姿三四郎」(1943年3月25日封切)の後を次ぐ作品である。広い意味で「續姿三四郎」は戦時体制下の国策に見合った映画である。しかし、黒沢が積極的に戰意昻揚のための国策映画を意図したかというと、それほどでもなかったようだ。当時の映画政策と検閲、他の国守的な映画の事、原作小説における政治的な要素の削除などを考慮に入れると、彼は、ひたすら映画の政策のために時代的な状況に逆らわなかったというように評価すべきであろう。「續姿三四郎」は商業映画であり、娯楽映画である。原作小説と比較して、映画は、三四郎の肉体的かつ精神的な成長を励まし促す周辺の人物、修道館の規則、その規則に背き武道人の意思を貫徹し敵と戦う三四郎とごく単純化され、圧縮されている。黒沢は一書生が三つの修道館の規則に背きながら、それによって苦悩する三四郎の内面と成長ぶりを執拗に追求している。
4,500원
莊子の思想世界での「逍遙遊」とは、無窮な宇宙の中で心が遊ぶことである。それは、精神的自由の神秘な体驗である。そこにはこだわりや障害物のようなものがなくて、落ち着きと余裕と樂しみとがあり、精神は巨大な自由と、幸福を味わえるのである。そして「逍遙遊」とは、高次の人間活動の總体であり、不斷の究極的な行爲である。莊子の精神的自由には、無何遊之鄕で逍遙遊を体驗するばかりではなく、道と天地万物と一緖になる神秘な体驗という意味がある。このような体驗は、莊子の精神生活の中心であり、莊子の生活でもっとも高い理想である。そして、逍遙して遊と一つになるというのは、すべてが精神の神秘的体驗と精神的な境地とを意味することであり、それこそが莊子の理想の自由世界である。このように、莊子は、逍遙遊して体得した神秘的体驗を精神的生活の中心とみなして、精神的自由こそ最高の生活の理想であると思っていたのである。そして莊子の思想世界での「天」とは、包括的に內在する大自然、いわゆる、造化の自然界であり、自ずから存在する狀況を意味しているのである。そして「天」の役割は、人生万物を決定する不可抗力的な作用であると多くの寓話を通して述べている。更に人間が人間である理由と、人間に形相があって模樣がある理由は、完全に天の決定作用と、大自然との調和の結果であると語っている。しかし莊子は、人間が自然に関与することを反對し、自然の大きな変化に素直に從うことと、造物者である造化の大自然と一体になることを述べ、人間が人爲を捨て、万物の自然的意味に素直に從うことによる、人間と「天」、つまり、人間と造化の大自然との調和と一致を主張しているのである。つまり莊子の思想の中での「天」とは、大自然を意味しており、「逍遙遊」とは、精神的自由を求める究極的な行為で無何遊之鄕で逍遙遊を意味しているのである。莊子の「天」と「逍遙遊」の思想は、数千年という時間を乗り越えて俳人芭蕉に伝えられたのであり、芭蕉には大自然との造化を求めながら自分の俳諧世界の開拓と発展を追求する紀行という形で現れるようにしたのではないかと思うのである。
4,600원
本研究は,日本の政党交付金制度の導入が政党政治へ与えた影響を分析するのが目的である.本論文では,制度導入の背景と経緯を考察した上で政党交付金制度の内容を調査し,実際の交付状況を分析した.また,政党の財政状況の特徴と政党交付金の政治的な影響を明らかにするため,各政党の収入構造を分析し,政党交付金が各政党に持っている意味合いと政党政治の変化を考察する試みを行った. 分析の結果をみる,日本の政党交付金は,自民党と民主党へ集中している傾向があるが,その理由は1994年選挙制度改革以後,2大政党制が進み議席と得票の集中が伴うからである.自民党と民主党の政党交付金へ依存比率が非常に高い.日本の政党交付金制度は,政治資金の透明化へ大きく寄与した. 政治的な影響と政党政治の変化に注目すると,1994年に行われた政治改革によって導入された政党交付金制度は,政党の派閥の影響力を低下させる代わりに総裁の権限を強化した.党代表の個別議員に対する統制力も強化された.政治家個人的なレベルでも政党に所属するのが政治資金の側面では有利に働くのが分析から明らかになった.
4,900원
戰前の日本アニメーションは、西歐アニメーションの輸入と受用, 製作 等によって進められたし、日本的な特徵をもった作品は少なかったにもかかわらず、そのような流れの中で、持續的に時代性と思想を表現し、またその過程を通じて発展した。大正期から戰爭期において、日本アニメーションを作る專門家らが出現し、人的, 物的, 技術的蓄積を促したのである。初期の日本アニメーションは時代性を表わしたものではなく、また資本性や藝術性というような次元で作られたのでもなく、娛樂性, 敎訓性等のように政府また機関の宣傳用として製作され廣告手段として利用されたのである。日本アニメーションが技術的また量的に發展した時期は戰爭が始まった1930年代以後である。この時期は日本の経験している時代性を反影するアニメーションが作られた特徵がある。特に、海軍省, 陸軍省, 文部省, 大藏省, 郵政省 等のような政府機關が各々の機關の宣傳用或は戰爭高揚用のため日本アニメーションを意圖的に作らせ日本アニメーション界を支配しながらもアニメーションの發展を促したのである。戰前期で作られた日本アニメーションの中で表現された思想というのは勸善懲惡主義, 啓蒙主義, 戰爭主義, 反戰主義 等であったと言える。
4,600원
本論文の目的は世界におけるエネルギー技術開発の現状․技術ロードマップ策定の状況を概観した上で、日本の環境分野における戦略及び対応を考察するものである。日本の環境分野における今後の動向は次の4つにまとめられる。①「低炭素社会づくり:制度や税制改正」、②「グリーン成長戦略:成長と環境を同時に指向」、③「代替․リサイクルエネルギー資源の開発」、④「持続可能な社会基盤設備環境の構築」である。 環境分野における日本の戦略分析と展望に基づいた韓国への脅威要因としては、エネルギー危機と食料や水の不足、気候変動、人口増加、資源の確保をめぐる地政学的な紛争など様々な要因が錯綜している現状からすると、これらの要素に柔軟に対応する「低炭素社会づくり」へ向けての社会構造の転換とグリーンIT成長戦略を模索しなければならない時点であろう。将来の国家競争力を左右する世界のグリーン市場をリードするにおいて、日本との競争者的な関係にある韓国としては、グリーンニューディール政策の相対的な期待効果についての不確実性こそが脅威要因として作用するものと見られる。一方、環境部分の機会要因としては、二酸化炭素削減技術などのグリーン成長に関する国際交流の拡大が挙げられる。グローバルな環境のトレンドは、技術の観点からも重要な意味を持つものと思われる。たとえば、21世紀に入ってから気候変動の問題は主要なグローバルなイシューになっている。気候変動の対応に代替․リサイクルエネルギー、環境にやさしい自動車、グリーンビルなどのGT(Green Technology)の役割は非常に重要なものと見なされている。
5,500원
The purpose of this thesis is to analyze how Japan's Pacific War reparations toward Asian nations, namely Indonesia and Philippines, were implemented and what their influences were like. The reparations were implemented for the purpose of Japan's reentry into the Asian market, which serves Japan as an important provider of business opportunities as well as natural resources. The method of service reparation was introduced by the US in order to minimize Japan's burden of war compensations against Asian victims. By introducing service reparation, Japan could maximize its business opportunities in these nations at the same time. In Japan's service reparation framework, only Japanese companies could participate in business or project opportunities held in respective Asian nations; furthermore, payments were guaranteed and implemented directly by Japanese government. These meant that the size of Japan's war reparations was equal to the revenue of Japanese companies working in Asia. In short, Japan itself became the largest beneficiary of the reparations. This framework was quite similar to the Great East Asian Co-prosperity Sphere, in which each Asian nation play a role of natural resources provider and subordinated market. Japan did not rule the nations after the Pacific War; however, mutual economic relations between Japan and respective Asian nations virtually did not change. This can be understood as one of the side effects of Japan's service reparations. Another side effect was that many of reparation business opportunities became media of bribery between political leaders of Asian nations and Japanese businesses. As a result, it became difficult to say that Japan's war reparation certainly contributed to nation buildings of respective Asian nations.
5,200원
本稿は日本の株式会社制度の導入を近代日本の社会と企業の相互関係の中で理解することを目的とする。具体的な課題は三井の財閥形成の過程のなかでなぜ持ち株会社は無限責任の合名会社であり、その支配を受けている会社は有限責任の株式会社であるかを明らかにすることである。特に、有限責任を持つ株式会社の導入問題を中心に検討する。三井家の企業は基本的に同族結合による無限責任で経営されている。明治維新以後三井家の有限責任会社は、政府の干渉による企業の分離と有限責任の要求、企業経営において経済的な危険性の分散の必要性などの理由で登場した。また無限責任の会社は三井家の維持と企業の成長、政府からの干渉の排除、日本社会に対する信用の維持などの理由で強化された。三井家は近世的な同族結合の無限責任の企業支配構造を変更させずに、無限責任の持ち株会社とその配下に有限責任の株式会社をおく三井財閥を作った。
「日本の旅行文化」講義=討議の試み― 大学における研究と教育をつなぐオートポイエティックな実践 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.271-284
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본고는 참가자 상호가 자기의 능력(힘)을 잘 끌어내고, 또한 상호에게 서로 촉발되는 수업형태를「강의=토의」라 명명하고,「일본의 여행문화」라는 대학교육=연구의 구체적인 장의 민족지적 기술을 실시한다. 이러한 시도는, 일본어교육론의 인접영역이라고도 말할 수 있는 아직 많은 축적이 이루어지지 않은「일본(의 문화와 사회의)」교육론에 대해, 학사과정학생에게 있어 연구적인 지적 탐구의 오토포이에틱한 주체가 작동하는 것의 가능성을 제기한다. 오토포이에시스 시스템은 자기의 행동을 통해 자기를 산출하는 시스템으로, 시스템 자신의 시점에서 자기를 파악하고 기술하는 것이다. 개개의 학생이 보고와 레포트 테마를 스스로 설정하고 참가자와 함께 토의하며 서로 영향을 주고 받는 가운데, 한층 더 깊은 탐구를 향해 자기교육시스템이 움직이게 된다. 참가자의 생각과 구체적인 발화를 묘사하는 본 민족지는 그 자신이 하나의 오토포이에시스 시스템이 된다.
덴구(天狗)의 원형(原形)에 관한 연구― 동아시아 요괴문화와의 관련을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.285-296
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天狗は神秘化された想像の存在であって、時代によって形態と性格が違う。平安時代以前までは山で聞こえる怪音とか流星が天狗として思われた。天狗は平安時代の『今昔物語集』でそのイメージが具体化されて、羽で飛行する鳥の形態の妖怪であって仏法の妨害者として表現された。本論文では一定の形態がなかった天狗がいきなり平安時代に鳥頭人身の形態として現れた点に重点をおいて天狗の原形について考察してみた。すなわち、日本の固有の妖怪として思われている天狗の原形をインドのインドラ神、中国の敦煌の莫高窟の雷神、韓国の甘露幀画の雷神にそのイメージの原形があると仮定して調べてみた。また、『山海経』の影響を受けていろいろな怪鳥が収録された『怪奇鳥獣図巻』が日本で出版されたのである。これはもう日本の古代人たちが鳥の形態の妖怪に関する観念を持っていたのであろうかと思われる。しかも、鳥頭人身の形態の韓国の雷神図像は中国の雷神図像の影響を受けた韓国的形態ということが分かったのである。このように天狗の原形をインド、中国、韓国、日本の雷神、中国の『山海経』の影響を受けた『怪奇鳥獣図巻』など、東アジアの妖怪文化と関連して考察したのが本論文の研究成果と言える。
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国益の規模を決める国際交渉の大切さは強調する必要さえないことである。国際交渉は主に他の文化圏に属する交渉担当者との双方向コミュニケーションである。したがって、交渉力を高めるためには交渉相対国の文化と、その基盤に存在する各種の性向․気質․慣習などの事前認知と活用戦略が必ず必要である。特に日本の場合、その文化的な特殊性に起因する独特の交渉文化のために注目を引いている。文化圏が完全に異なっているアメリカなど西欧の視覚ではもちろん、韓国․中国などのアジア圏で見ても日本文化はよほど異質的なこととして評価できる。近代化の過程を含めて日本の伝統及び文化基盤がそれほど特徴的であるからである。日本の多様な交渉文化もこれによって大きく影響を受けっている。日本文化の大きな特徴の一つである集団主義が代表的で、これは国際交渉の過程でも様々な形で反映されている。同時に、日本的な交渉文化のもとに存在する集団主義は具体的な交渉過程で、四つの方法論的で実践的な派生文化として規定することができる。調整主義、閉鎖主義、実用主義、手続き主義などがそうである。すなわち、日本特有の集団主義の交渉文化は円滑な合意導出のための打ち合せ(調整主義)を強化する一方、交渉パートナーに対しては曖昧で差別的(閉鎖主義)な立場を見せるし、この時の戦略目的は最終的な集団利益の最大化を追求(実用主義)するから、長くて明らかな内部組織の手続きを踏んで推進(手続き主義)するのが一般的である。
‘요시츠네 북행전설’의 발생과 유포의 구조― ‘북국표왜’에 관련된 기록의 발견 ―
한국일본학회 일본학보 제82권 2010.02 pp.317-329
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義経の北行伝説とは彼の死が事実ではなく、大陸に生き延びたというものである.日本にいくつか存在する英雄不死伝説の中でも、西郷隆盛伝説と義経伝説は類似している。本稿では、とりわけ西郷伝説との比較をとおして英雄伝説の発生と流布のメカニズムを究明することを一次的な目標とした。このメカニズムのなかには明治期において政府や普通の人々が感じるロシアに対する脅威や明治政府が大陸への膨張を鼓舞しようとする意図などが見えかくれしている。さらに本稿では義経伝説が江戸時代に多く流布していることが重要な意味をもつと考える。義経がまだ生存せていて蝦夷地に逃れたということをはじめての記録したもとして知られている『続本朝通鑑』よりも早い段階において、韃靼に漂着し朝鮮を経由して日本に戻ってきた漂流民の言説が新井白石によって伝播されているのである。それを資料を検討してつきとめたことに研究の意義があると思う。この漂流民は朝鮮の記録である『邊例集要』では「北国漂倭」と表記されている。「北国漂倭」の言説が新井白石によって知られるようになる経緯を調査しその後の義経伝説にどのように反映されているかを明らかにした。「北国漂倭」である彼らの言説が『朝鮮物語』として公刊されるのは1750年であるが、それ以前からすでに彼らの言説が流布されていることや何らかの形で義経伝説に影響力を持つようになったことを明らかにした。
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