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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제67권 (24건)
No
1

格重出構文に關する認知論的考察

金榮敏

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.1-12

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4,300원

本稿は韓日両言語の格重出構文について,格重出構文が認知的にどのように捉えられるか,また両言語の間に見られる違いをどのように説明できるかを認知論的な観点から考察したものである。 格重出構文の表す事態には二つの側面が含まれており,その二つの側面のどちらを焦点化して表すかによって格重出構文,あるいは非格重出構文になる。二重対格構文において,授与表現の二重対格構文は「ものの移動」と「所有関係の発生」という二つの側面のうち,「所有関係の発生」の側面を焦点化することによって成り立ち,また「全体-部分」の二重対格構文は「部分名詞句」にかかわる側面と「全体名詞句」にかかわる側面の二つの側面をともに焦点化することによって成り立つ。二重主格構文においては,「全体-部分」の二重主格構文は「全体-部分」の二重対格構文と同様に「部分名詞句」にかかわる側面と「全体名詞句」にかかわる側面の二つの側面をともに焦点化して表すことによって,また,「한국이 자원이 부족하다/日本が資源が少ない」のような一番目の主格名詞句が場所を表す二重主格構文は参与者にかかわる側面とセッティングにかかわる側面をともに焦点化することによって成立する。 なお,韓日両言語の格重出構文の分布上の違いには格重出構文が表す事態の性質の違いが一つの要因として働いていると考えられる。

2

終助詞「ね」とポライトネス

金玉任, 鄭好善

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.13-28

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4,900원

本稿は、ポライトネス(Politeness)の概念を導入して、終助詞「ね」の諸用法を統一的に説明しようとするものである。 まず、「一杯ぐらい平気でしょ?/いや、仕事が仕事ですからね」といった聞き手への強い拒絶(不同意)を表す「ね」をも「ね」の全体的な枠組みの中に取り入れる。 そして、「行為要求」では依頼によって相手にかける負担に対する配慮が「ね」によって表現されていて、「評価づけ」では相手の自尊心を傷つけるおそれのある発話を行う際に生じる摩擦を、「不同意」では相手の依頼を断ることによって生じる摩擦を、それぞれ緩和しようとする配慮を「ね」で表現していると指摘している。 最後に、「ね」は単に聞き手の情報を配慮する(「同意」「同意要求」「確認要求」)機能だけでなく、聞き手の気持ちを配慮する(「行為要求」「評価づけ」「不同意」)という、いわば「配慮表現」の働きをしていると主張している。

3

助動詞「らむ」의 意味

金平江

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.29-38

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4,000원

「推量」というのは、不確実なことを推測したり、想像したりすることを指す言葉である。古代の日本語は現代語に比べて推量を表わす助動詞が発達していて、多様性に富んでいた。その中でも、「む」はまだ実現していない事実について推量する(未来の推量)、「らむ」は現に起こっているが、直接には体験していない事実やその原因について推量する(現在の推量)、「けむ」は既に終っている事実、または、その原因について推量する(過去の推量)と言われている。このように一見明確な使い分け(時制)があったと説明されてきた「む」「らむ」「けむ」は、実際にはその使い分けが混乱している例があり、時を規準に「む」「らむ」「けむ」の使い方を理解すると説明できない例がある。本稿では現在推量の助動詞といわれている「らむ」を中心に、その意味を再検討して、「らむ」は「状態の持続に対する推量」を表していたことを主張したい。

4

「受身動詞+ている」の意味をめぐって

金熹成

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.39-50

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4,300원

本稿では、「受身動詞+ている」が表す基本的意味「動作継続」と「結果継続」を中心に、動詞のどのようなアスペクト的性質がこれらの意味と結び付いているかについて考察を行った。その結果、動詞に終了限界が意味的に内在されているか否かという動詞の終了限界性という意味的特徴が「受身動詞+ている」の意味と関連していることを明らかにした。つまり、非限界動詞の場合には「受身動詞+ている」が動作継続を表し、限界動詞の場合には「受身動詞+ている」が結果継続を表す。そして、非限界動詞と限界動詞の性質を併せ持つ場合には動作継続と結果継続の両方を表すことが可能であることを述べた。さらに、これには非限界動詞が持つ過程性と限界動詞が持つ結果性が関係していることを述べた。ただし、動詞の終了限界性というのは固定されているわけではなく、動詞がとる目的語によっても変動を起こす場合があることを指摘した。

5

受身動詞の「ている」形の解釈に影響する要因について

裵銀貞

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.51-64

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4,600원

本稿では、身体部分が用いられる持ち主の受身文の「ている」形を考察対象とし、動詞類及び語順の違い、原因、手段名詞の共起の有無、格の交替などの共起要素の違いにより、持ち主の受身文の「ている」形に結果解釈度の変化が生じる理由について考察した。分析の結果、これらのの共起要素はいずれも、「動作主の想定可能性」に変化をもたらす働きをしているものであり、これらの共起要素が何らかの形で、動作主の想定可能性を低めたり高めたりすることによって、当該受身文の「ている」形の結果解釈度に変化が生じていたことが確認できた。

6

4,900원

本稿は文明開化期(1880-1904)の日本で作られた6種の代表的な韓国語学習書を調査·分析し、これらの学習書がもつ言語資料としての性格を究明すると同時に、学習書としての成長性を考えてみようとしたものである。本稿での具体的な考察対象は、『韓語入門』(1880),『善隣通語』(1881),『日韓英三国対話』(1892),『日韓通話』(1893),『日韓會話』(1894),『韓語會話』(1904)の6種であるが、これらはいずれも各々の時期を代表できる実用的な学習書としての象徴性をもつものである。 調査の結果、これらの学習書が採択している意味分類による部門構成は従来の『交隣須知』のそれと類似した傾向を見せており、『交隣須知』は江戸時代だけではなく近代初期においても最も影響力のある韓国語学習書として位置づけることができると思われる。しかし、一方においては、これらの学習書にはハングルの音韻構造と発音に関する解説を収録し、韓国語本文に対しては片仮名でその発音を標示するなど、前近代期には見られなかった現象も少なからず見受けられる。相互対話式の実用的な韓国語本文を導入したのもこの時期の学習書の特徴として指摘できるであろう。また、対馬以外の地域の出身者も本格的に韓国語学習書を作るようになったことも注目を要する。開化期は対馬の韓国語独占権を解体していく時期でもあったのである。このような変化から近代期に入った韓国語学習書の成長性を垣間見ることができるのではないかと思う。 なお、これらの学習書に内在する日本語と韓国語は、各々近代の過渡期的な言語現実を反映したものであり、特に韓国語の場合、近代語彙史研究に貴重な情報を提供し得る性質のものであることが確認できた。

7

五山系抄物の清注記と文明本節用集の不濁点

李承英

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.81-90

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4,000원

本稿は、五山系抄物の中で、漢字音の「清」注記が比較的に多い抄物を取り上げ、それと『文明本節用集』における不濁点とを比較し、その意図において両者間にはどのような相違があるのか、またその意図と呉音・漢音とは直接関わりをもっていたのかなどを検討したのものである。さらに、「清」注記と「不濁点」が付されている漢字を日葡辞書とも比較し、それらは、当時の一般音とはどのような関係があるのかも検討した。その結果、①五山系抄物の「清」注記は、「にごって読んではならない」ということを示そうとする書写者の意志により加えられたものである。また、「清」注記は、濁音字に集中しているので、被注字が清音字・次清音字・濁音字であれ、主として漢籍の正統な読書音すなわち漢音系の字音を示すために加えられたものである。②『文明本節用集』の「不濁点」はにごって読んではならない仮名を識別するための符号として、漢籍の訓読文からの引用が多く、濁音字に集中していることから、その字音注は漢音系であると考えられる。つまり、「清」注記と「不濁点」は、表記上は違うが、両者とも読書音保持のために、「にごって読んではならない」漢字を積極的に示すため、「清」と注記していることが明らかになった。また、『文明本節用集』の「不濁点」と「清」注記が重なる漢字は『韻鏡』濁音字が多いことから、これらは呉音・漢音における清濁の対立を示すためであるという共通の意図を持って行なわれたと考えられる。また、それと『日葡辞書』の比較の結果、一般には濁音に読まれていた字に対して、「清」注記と「不濁点」が多く付されていたことが分かった。

8

4,300원

本稿は『捷解新語』の副詞の中で、「仮定條件要素と呼応する副詞」の語彙的特徴と呼応様相による統語的特徴について考察することを目的とした。 語彙的特徴としては、「仮定條件要素と呼応する副詞」の意味属性による改修様相を検討し、統語的特徴としては、「仮定條件要素と呼応する副詞」の呼応度、従属節と呼応副詞との関係、さらに呼応副詞と呼応する呼応要素の当時の意味用法についても検討する。 考察の結果、「仮定條件要素と呼応する副詞」は、異なり語数3語(なんぼう、例え、もし)、述べ語数8語しか現れないが、その中で改修される語彙は「なんぼう」一つである。原刊本において4用例現れる「なんぼう」は、改修・重刊本においてはその姿を消し、4用例の全てが他の語彙に変わってしまうが、それは「より改まった表現への改修」という理由に基づいた改修であると考えられる。また、改修される際、前後文脈に従い、もっとも適当な語彙が選ばれたことを確認した。 統語的考察においては、「仮定條件要素と呼応する副詞」は、その呼応要素が現れないと非文になるという構文的特徴を有しており、従って100%という高い呼応度を示す。また、他の呼応副詞とは異なり、常にB類の従属節に現れるが、このことからこれらの副詞は「文末呼応副詞」とは別に下位分類する必要があると考えられる。 最後に、「仮定條件要素と呼応する副詞」と呼応する文法要素である「とも」と「ても」については、『捷解新語』の改修・重刊本を通して「とも」の歴史的衰退現象が確認でき、原刊本の時代、「とも」は仮定条件の意味として、「ても」は逆接の仮定条件の意味として用いられた可能性について言及した。

9

Eメ-ルを活用した作文指導にともなう日本語學習者と日本人チュ-タ-のやり取り

岩井朝乃, 吉澤真由美, 倉田芳弥, 木村美希

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.103-114

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4,300원

本研究では、Eメールを活用した日本語の作文指導で、日本語学習者と学習者支援にあたった日本人チューター合わせて16組が交換したEメールの文面を分析した。その結果、プロジェクトに関する「説明」「指示」など作文支援に不可欠な「事務的」なやり取り以外に、「自分の情報提供」「相手への情報要求」など任意的でお互いの「関係作り」に影響を与えると考えられるやり取りが行われていた。最もやり取りが多かったペアと少なかったペアについて、やり取りの特徴を比較したところ、最多ペアは、「関係作り」が中心で、お互いが情報提供やコメントを出し合う双方向のやり取りが継続して行われていた。最少ペアは、情報提供やコメントに反応せずに終わる一方向の「関係作り」がほとんどで、その結果、「事務的」なやり取りの割合が高くなっていた。このような分析の蓄積は、各学習者に合ったEメール作文指導のために役立つと考える。

10

4,900원

本論文では「偸盗」の構成と主題、登場人物の性格の考察を通じてこの作品で女性表象と主題は密接に結びついていることが分かった。この作品の主題は、社会構造の不公正や天災地変、人間内部にある本能などのような人間(男性)の業(宿命)にあった。しかも作品(物語)の構造からすると、女性の存在は男性をそのような業(宿命)に駆り立てる<悪の根源>とされていた。しかし、そのような女性表象はすべて男性の視線を通してのものであって、女性自身の抗弁(語り)は認められない。だからこそ、太郎・次郎兄弟は自分たちの生の破綻の原因が沙金にあると思いこみ、爺はお婆にあると思いこんでいる。このような男性中心の物語世界の中で、必死に主体的な生を生きようとし、また弱者に対する思いやりのある女性の沙金は、<悪の根源>として惨たらしく殺害され、夫の悪行を忍耐するお婆は夫を救いながらも一人で寂しい最後を迎えることになる。それに反して、生まれつきの白痴ゆえに苦の生を生きる阿濃は<純真無垢>、あるいは<母性の具現>として闇の世界を救済する。 しかし考えてみれば、このような問題の解決は、人間(男)の運命に対する問題の根本的な解決ではなく、すでに言及しているように、同時代のイデオロギーに支えられた一時的で陳腐な解決の方法だと言える。というのは、問題の解決が男性たちの業(宿命)にだけ向けられ、肝心な沙金、阿濃、お婆など女性たちの地獄のような生は救済の対象となっていないし、死を迎える以外には何の解決もなされていないからである。 このような作品内の現実世界と作中人物の思念・行動のずれとして表れている「偸盗」の偏向的な叙述構造は、芥川の男性中心の世界観、あるいは女性観に基づいていて、それが彼独自の小説世界をもたらしているといえるのではなかろうか

11

미야모토 유리코의 『風知草』로 읽는 ‘戰後’

盧英姫

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.131-144

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4,600원

長い戦爭が敗戦で幕を下ろした時、数多い日本国民たちは大した衝撃に陥ったに違いない。彼らは続いて勝利しているという国家の戦況の消息を素直に信じていたからこそその衝撃はもっと大きかったろう。しかし、敗戦は一方では当時戦爭に批判的な態度を見せつつ、それのために監禁生活をやらざるを得なかった人たちと逼迫を受けざるを得なかった良心的な知識人たち、また社会で弱者であった女性たち、それに社会主義者たちには解放を持たせた一つの輝かしい光であったことを記憶すべきであろう。 『風知草』という小説は日本戦後の精神史を実によく伝えてくれる、‘小説で読む戦後史’ともいえる作品である。いわば戦爭とは全く関係のない職業を持っている作家ひろ子が戦爭が深まるにつれて強制的に強要された苦痛と犧牲、それに女性としての生まれつきの人間性さえ磨耗されつつ、がんばり続けながら生きたひろ子をはじめとする数多い戦爭未亡人たち, その戦爭中にも自分の線を守るため12年も監獄で服役せずにはいられなかった重吉の生涯。しかし敗戦で彼らを拘束した絆はすべてなくなった。彼らは自分たちが願い続けた‘話すことの出来る時代’が到来したことを喜びながら未来の希望で満ちた日を迎えている。結局、敗戦は彼らが希求してきた言論の自由と新しい希望を持たせる契機になったことを示している。この作品は作家宮本百合子の戦爭と敗戦に対する意識がよく現れている作品と評価できよう。 果と認知とが必ずしも一対一致しないという好例であり、そのギャップは脳の働きによるものだと考えられる。

12

5,500원

『徒然草』は、早くも江戸時代に至っては、「日本の論語」と称されるなど、正典すなわちカノンとして広く読まれるようになった。諸家によって数多くの古注釈書が登場し、詳しい内容の考証がなされてきた。にもかかわらず、『徒然草』の本質や統一的主題をどう捉えればいいかという問いに対しては、あまり語られたことがない。本稿では『徒然草』が『枕草子』の体制、及び手法などを念頭に置いたことを前提に、その約3世紀間の文学的な変貌を、いかに受け入れて描いたかを掴みたかった。作者兼好が書記行為に対してもった意識に接するために、その序段から察してみた。今まで『徒然草』の序段は、随筆という現代的で便宜的なジャンル意識にとらわれたまま論ぜられてきた。『徒然草』をカノン化するためのそうした努めは、かえってこの作品を文学史の中で孤立させた結果を生み出したと思われる。 こういう問題意識のもとで『徒然草』を再考するとき、『大納言経信集』の詞書は『徒然草』解釈に新しい糸口を提供してくれる。『経信集』をはじめ、平安私家集の場合を分析して、中世のユニークな書物としての『徒然草』の意味とその関連性について考察した。ことに『徒然草』序段と『経信集』の詞書に共通する「物狂おし(ほし)」が、文学作品の誕生とどう結び付けられるかを究明してみたいと思う。兼好とかなりの接点をもつ平安私家集は、主に院政期を前後したもので、物語性の多くなってくるその詞書から読み取れる意味は看過できない。 長い研究史を持つ『徒然草』の序段の中で、「物狂おしけれ」は大抵謙譲の意味に解釈された。ところが、平安時代の用例で「物狂おし」をとらえてみると、非日常に近付く心境、禁じられたものに進むこと、畏怖、書記行為などと深い関係を結んでいる述語であることがわかる。兼好に最初から『徒然草』という書物の体制に対する構想はあったものの、その内容を書き進めながら、今度は書く行為そのものから「物狂おし」が感じ取れたのではないかと推測できる。『経信集』などの院政期を前後した私家集の詞書と書記行為の結果物の「藻塩草」を媒介にした場合、平安中期以後の書物と『徒然草』というエクリチュールが一つの大きな流れで捉えられる可能性が読み取れる。

13

有島武朗の『凱旋』論 -反戦・反国家思想の表出-

奥村裕次

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.165-176

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4,300원

『凱旋』は今までほとんど研究の対象となっていないし、また注目を集める作品ではない。それは作品に思想的背景がなく、訴えるべきものが明確でないと見られてきたためだろう。そして、この小説は純客観描写の作品と評されてきた。しかし、有島自身は「私の主観の描写に過ぎない」と、それを否定している。本稿では『凱旋』の中に有島の反戦・反国家思想を見い出し、作品の再検討を試みた。そして、「あさひ」「戦勝記念碑・招魂碑」「恐ろしく惨らしい戦争といふ方向に否応なしに引ずつて行く痩馬」などの記述の中に、彼の思想が暗示的に示されていることを確認することができた。 また、その視点で見て初めて『凱旋』という題名の意味が理解されて来るように思われる。『凱旋』は老馬の名前であるが、それは同時に勝将軍として青島から凱旋した有島の義父・神尾将軍を連想させる。有島は老馬を凱旋と名付けることで、老馬と将軍を重ね合わせようとしているのではないか。作中、老馬は一貫として悲惨な姿として描かれ、同情を誘うが、老馬と将軍とを重ね合わせることで、将軍も「国家に利用された同情すべき存在」であることを暗示的に示している、と考えられる。『凱旋』は純客観的な描写が特徴の作品ではなく、有島の思想的な一面が示されていることを見逃してはならない。 言論の統制が厳しくなって行った当時の社会状況にあって、有島は<文学>作品に暗示的に自己を仮託する以外に道を見い出せなかった作家だった、と見ることができよう。

14

4,300원

フランス有数の数学者であり、物理学者であったアンリ·ポアンカレは、ピカソとアインシュタイン双方に多大な影響を与えた人物である。ポアンカレは、それまでの物理学における絶対的な時間概念とユークリッド幾何学を基にした絶対的な空間概念に疑問を提起し、非ユークリッド幾何学を用いた四次元世界のモデルを提示することに成功した。この成果が、科学においてはアインシュタインによる現代物理学の開始と、芸術においてはピカソによる絵画の革新の双方に影響を与えていた。20世紀の芸術、特に西洋のモダニズムは、それまで絶対的だとされてきた物質の基本概念が一新したことによって、人間や社会など芸術の対象となる現実そのものも、もはや絶対的ではなくなり、芸術家自らが表現することによって、〈現実〉を創出させなければならない状況のなかで起こってきたのである。堀辰雄が西洋のモダニズム作家·絵画とともにポアンカレの科学思想にも目を向けていたのはある意味必然的だったのである。堀辰雄の文学的方法論の確立の背景にポアンカレの科学書があったという事実は、その文学を考える上で看過できない重要な問題である。 以上のことを踏まえ本論では、堀辰雄のポアンカレ受容を糸口に、ポアンカレの科学思想集が日本でどのように紹介、受容されてきたのか、明治末から昭和初期までのポアンカレ受容を辿ってみた。そして、その過程で堀辰雄がポアンカレを受容した背景と経緯を明らかにした。また、明治、大正、昭和と受容の変遷過程を概観することによって、堀辰雄が受容した昭和初期の時代的特性も浮彫りにすることを試みた。 考察の結果、明治·大正期のポアンカレ受容は、明治期以降の哲学界の主流であった新カント派の哲学者がポアンカレの認識論に共鳴し、その紹介に努めていたことと、田辺元の科学哲学書と『科学の価値』翻訳本が大流行したことを確認した。田辺元の翻訳書や著書の流行がポアンカレ思想集の出版を促し、昭和初期に至ってポアンカレ翻訳本の読書環境は整ってきたのである。そして、堀辰雄がポアンカレを受容するに至った背景と経緯としては、堀辰雄の第一高時代の数学教師、吉田洋一訳『科学と方法』の出版と、堀辰雄の習作期である1925(大14)年から1928(昭3)年に集中してポアンカレ思想集の翻訳本が出版されていた点を指摘できる。そのような過程を背景にポアンカレの科学思想は、当時新しい文学論を確立しようとした新鋭作家たちにも読まれ、彼らの文学論の樹立に影響を及ぼしていったのである。

15

『源氏物語』における「女の物語」の内実

李美淑

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.189-202

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4,600원

光源氏と薫を始めとする男性との恋愛関係にある女君·女宮たちの物語を指す『源氏物語』における「女の物語」は、女君·女宮という呼称自体が彼女たちの身分を反映している点からも分かるように、その時代·社会性に規定された共通的な要素を備えると共に、それぞれ置かれた境遇、すなわち存在基盤の相違によってその恋物語の内実は相異なる様相を呈している物語である。 本稿は、このような「女の物語」の定義のもと、『源氏物語』正篇·続篇における紫の上物語·空蝉物語·落葉の宮物語·大君物語·中の君物語·浮舟物語という六つの「女の物語」に焦点を合わせ、それぞれの物語における表現と方法などの考察から導き出された共通点に注目し、「女の物語」の内実について考えてみた論である。その共通点とは、女性たちがはかばかしき後見のない心細い境遇にあり、相手の男性の後見なしには生きていけない条件にあるということであり、そのような不遇の身の上であるゆえに、女性たちは男性との関係において常に「身」の意識に苛まれ、男性との関係における自分自身の位置や、「人わらへ」になることを畏れているということである。 なお、このような「女の物語」に注目したとき、「光源氏の物語」「薫の物語」という男性たちの物語と係わる形で物語に位置してはいるものの、女性を主な読み手とし女性の書き手によって著された『源氏物語』の性格から、女としての生きることの苦しみ、女の生き難さという女の生き方の問題を形象化している『源氏物語』の内実は一層鮮明に浮かび上がってくると思われる。

16

이광수「사랑인가(愛か)」와 <소년애>

李承信

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.203-212

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4,000원

李光洙の「愛か」という小説は、彼の処女作として位置づけられているが、韓国で刊行された『李光洙全集』には収録されていない作品である。また、<外地>ではなく、<内地>である日本で創作された「日本語」文学であり、韓国人作家による日本語作品としては、もっとも早い時期のものである。つまり「愛か」は、李光洙が日本に留学している間に「日本語」で創作された小説であり、今までの研究に欠落している視点は、「愛か」が日本の読者を意識して書かれ、日本のメディアに発信されたという側面ではないだろうか。日本のコンテクストにおいて「愛か」を捉え直す作業が要請される所以である。 本稿では、作品に描かれている<愛>の様相を具体的に考察し、主人公「文吉」の操に対する感情が同性間に生まれた<少年愛>であると分析したうえで、李光洙の「愛か」を<少年愛>の観点から、近代日本におけるセクシュアリティの問題と関連させて同時代のコンテクストから考察した。また、「日本語」文学である「愛か」を、李光洙の文学のなかで如何に位置づけられるかについて検討しようとした。 その結果、作品のモチーフとしての<少年愛>が近代的<愛>の様式であり、「性欲の様式」としての「男色」とも、性的指向の自覚を抜きにしている面で「同性愛」とも質的に異なっていることを明らかにした。次に「愛か」のような美少年に対する憧憬や同性(少年)同士の恋は、明治期の少年たちにとって、異常な体験でも人目をはばかることではなかったこと、明治末期から大正初年にかけて<少年愛>を扱ったテクスト群が登場していたことを確認した。つまり、明治末期から大正期にかけて、いわゆる<少年愛>テクスト群が多く出現しており、明治期における男同士の恋の流行、とくに少年たちの間の男色流行を裏付ける証言も数多く残されていたのである。そのうえ、「愛か」が書かれた明治42年(1909)を前後し、「男色」をめぐって否定的な捉え方が登場しつつあった事を指摘し、「男色」から「同性愛」へという変遷には、欧米の性科学による認識論的な転換が介在していると捉え、このような性の新たな認識の枠組みのなかで、「愛か」を位置づける必要性を提示した。 最後に<少年愛>モチーフを作家李光洙の創作態度と関連して分析し、彼が日本の文壇を意識して創作した可能性を問い、「愛か」が時代的文脈から新たに解釈される可能性を提起した。

17

江戸時代の貸本屋について

李胤錫

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.213-226

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4,600원

The purpose of this research is to look into the process of how researches on lending library in Edo Period have developed and how lending library itself had been changed in Edo period. In the early days, the study on this subject was merely a part of public library research and later on, researchers of literature started to work on this field as a part of study on Yomihon. Many researchers did their study on lending library, especially to understand more about Yomihon. At present, it could be said that more people take growing interest in the field. Most researchers have been presuming that the lending library might have appeared before Genroku Period (1688-1704), but there is no clear evidence. Various kinds of documentary record about the lending library have emerged since the eighteenth century. At the time, function of the lending library was not only limited to lending books. They actually took a part in publication and even reached the stage of influencing the writers. The heyday of lending library is from the late eighteenth century to the mid-nineteenth century. At the end of the nineteenth century, demand of fundamental changes in literary contents and printing technology increased as new Western civilization came in. This led to the advent of new type of lending library.

18

『源氏物語』柏木의 죽음에 대하여 -자기외화(自己外化)를 視點으로-

李慧媛

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.227-240

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4,600원

柏木は『源氏物語』の登場人物の中にも悲劇的人物だと言われている。玉鬘に対しての懸想をはじめ、女三宮との密通、その死も自ら選択し死に至った人物だと言える。本稿では、その柏木の「死」の問題について「自己外化」という概念を導入して分析してみた。 まず、柏木の劣等コンプレックスと自我分裂について考察した。柏木は光源氏と自分とを比較したあまり、位や権力上昇の欲求が逆にそれらに対して劣等コンプレックスを招いた結果になったと言える。外的条件と内的必然との拮抗のなかで他者の視線で自分自信を判断して主体を孤立した結果だと思われる。 次に、他者の視線の中でも光源氏との関係に関して論じた。柏木と女三宮との密通直後、各々の心理状態を通して柏木はひたすら光ばかり意識していることが分かった。光に脅えるあまり、自ら自分の状態を死に向かって再配置していた。死に向かっていく柏木は光という呪縛から逃れられず、光に同一化していく。柏木が他者に同一化して自分自身を疎外する「自己外化」の傾向は、自分の魂が六条院にさまよい歩いていると言っていた告白や自分に対して「その人」と表現したところから確かめられるのであった。 柏木は社会的通念という外的条件から脱皮できず、彼に生じた劣等感は自我分裂に続き、自己疎外まで至って死を招いた。柏木の死のありさまは彼の息子である薫の権力志向に拡大再生産されること、そして大君や浮舟の死の様相にも繋がっていくところにその意味があるだろう。

19

4,300원

島崎藤村の『桜の実の熟する時』(1919)の中では、主人公捨吉の<成長>が統一的モチーフになっている が、その<成長>の中核にあるのは、性欲の問題である。恋愛において捨吉はプラトニック・ラブを夢見つつ、 自分の内面に芽生えてきた性欲と戦わなければならなかった。キリスト教の影響によって性欲を罪悪視していた捨 吉は、自分の<性質>を見出して<憂鬱>を感じ、絶えず煩悶するのであるが、本稿ではこれまで看過されてき た捨吉の<童貞>の苦悩に注目し研究を試みた。それと関わって捨吉の恋愛観の特徴を伝統的な恋愛観と近代 的な恋愛観の比較という観点から探ることによって、日本近代文学の中に新しく登場した<童貞>の意味を突き止 めようとした。さらに、捨吉の恋愛観の推移とともに性的場面で<赤面>する捨吉の姿を考察し、日本近代文学 に現れた恋愛観の一断面を見出そうとした。 捨吉の<憂鬱>は、近代的理想としてのプラトニック・ラブの成就を目指しつつ、一方では自分の内面にひそ む性欲との葛藤が解消できず交錯したところにその原因がある。その背後には、男女間の交際を近世の<色>の 観点から眺める他者の視線も加わっている。捨吉はこうした他者と社会の視線を乗り越えるとともに、自分の内面 の自己矛盾も乗り越えなければならないという、二重苦を背負っていた訳である

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4,600원

『HUMAN LOST』は、「芸術」が一つの大きな軸になっている。即ち、文芸史上の必然として新しい 作品方法が試みられた作品であると同時に、作品の内容においても、作家の芸術家として生きんとする意識が込 められた作品である。 主人公〈私〉は精神病院に入れられ、孤獨や絶望、怒りから再生の始動へ向かっていくのであるが、聖句が 大いに関わっている。即ち、たとえナルチシズムに陷り、自己中心的に聖句の引用をしたのではあっても、言葉 の威嚴によりかかり、その力によってまだ不安定なままの自己を何とか立て直していこうとする、日記を書いた〈私〉の姿、更には作品を書いた太宰の再生への意志が、聖書への憧憬と重ね表わされて表現されていると見 ることが出来る。その意味で、太宰において『HUMAN LOST』は、今までの自分の観念的文章を変え る、現状打破への強い覚悟が読み取れる作品であり、その意味で、太宰におけるターニングポイントとしての位 置付けができるであろう。 更に、作品と『聖書知識』の対応箇所を照合した結果、作品の〈私〉の再生への始動において『聖書知 識』の言葉が有効に働いていることが窺え、更に当時の太宰のキリスト教、『聖書知識』への関心の一端が強く 反映されていると見ることが出来よう。『HUMAN LOST』は、今までは指摘されることのなかった、作品 内における『聖書知識』の影響を積極的に見ていくことが出来る作品と位置づけることができると言えるだろう。

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도약기의 일본영화와 시대성 - 1970년부터 1980년까지 -

具見書

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.267-282

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4,900원

本稿は1970年代の日本映画に含まれている時代性を考察することに目的がある。1970年代を日本映画史の中から見ると、衰退期に相当すると言える。 しかし、日本映画界は時代性を反映しながら量的あるいは質的な向上のために不断に努力しつづけてきた。 特に, 社会参与を導びく参与映画ないし責任映画として新しい可能性を示めしたのである。 この時期の日本映画が含んでいる時代性はさまざまである。 第一は参与主義である。それは 映画は映画として存在するだけではなく社会参与を通じて一定な役割を担なわなければならないという認識によって現れた。 第二はロマンポルノ主義である。これは映画産業のいのちをかける転換であるにもかかわらず、性映画ないし性商品映画をめぐる芸術性と猥褻性との葛藤, せックスとは何か、 性産業の中心にある女性の生きかたをめぐる社会的是非等の問題を提起した。 第三は暴力主義である。それを表したやくざ映画は国際的に認められ、日本的映画のジャンルとして定着された。第四は伝統に基づいた郷愁主義である。これは現代社会の秩序化,強制的な自由返納に対する抵抗, 責任だけが存在する義務社会, 相対的に縮小されている位相, 組織社会の緊迫性 等を持た社会から解放されるために、伝統的道徳と倫理の意味を現代社会の中から探り出し、発展と合理化の速度を調節しようということの大事さを日本社会に投げる特徴がある。

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근대일본 청년단체의 정치활동과 그 대응 -宮城県을 중심으로-

金宗植

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.283-300

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5,200원

官僚を含めた権力により作られた日本近代の青年団体像は大正四年訓令により青年を被教育者とする修養と教育団体であった。近代に入って近世的な若者組は風紀紊乱などの弊害と、その機能が公的機関によって奪われ存在感を喪失した。露日戦争を前後にして青年団体は戦争に積極的に協力し、その後地方改良運動を通じて政府の後援と支援の下に地方社会の活動と事業の主体に成長した。1910年を前後した時期に地方自治と政党政治の発展による国民の政治参加が広がっている状況で、各種事業を通じて勢力化された青年団体は政治参加、選挙運動に能動的、または受動的に参加した。内務省を中心にする官僚は青年団体と青年個人に対する政党を含む政治勢力の影響力を排除するために既存若者組の教化策の延長線上で青年団体に対する風紀取り締まりと教化次元の政治活動対策を模索した。しかし問題は構造的なのであった。政府の支援によって育成された青年団体は勢力化され政治的な活動で進むようになったのである。これに対する解決策で政党側では青年団体と青年を分離して青年の自由な政治参加を要求した。内務省を中心にする官僚たちは青年団体の性格を事業から教育と修養に転換させながら青年に対する掌握力を維持しようと考えた。これの結果として近代日本の青年団体像を形成する大正四年訓令が作られた。

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민중봉기의 조직과정에 있어서「동원강제」의 의미

金弼東

한국일본학회 일본학보 제67권 2006.05 pp.301-312

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4,300원

自由の世界を実現するために、下吉田村の椋神社を起点として、日野沢、石間、小鹿野町へ、東は風布、西は三山、日尾村、南は薄村、小森村、北は矢納村、金沢村の辺りに至るまで、東西約十里、南北五十六里にわたる地域で猛威を振るった秩父民衆の戦いも、金尾戦闘での惨めな惨敗によってほぼ敗北が決まってしまった。しかし、四日間七、八割りまで地域を占領するくらいの勢いを見せていた秩父困民軍は、そのまま屈服せず拡戦を目指してさらなる一歩を踏み出した。この過程のなかで、困民軍は戦闘を拡大するたびに各地域で多くの人足動員を行った。この人足動員は、いわゆる強制動員として前近代時代から日本の民衆運動においては伝統的な行動様式であった。 強制動員は普通は村単位で行われており、参加の形は必ず一戸あたり一人ずつ(15才から60才までの男)という規則があった。しかし、強制動員が行われると、参加者たちは予想外の活動力を発揮(意識高揚)しながら集団の組織性と戦闘力をいっそう強化させていった。これは、民衆運動の結集様式がたとえ強制動員の形をとっているとしても、その運動の意識形態が民衆たちの共感帯を確保しているという事実と無関ではないということに、隠された大きな意味がある。要するに、社会の歪曲された諸現象に対して民衆たちの自発的な抵抗が難しい中で、強制動員は民衆たちに新しい可能意識の世界を開ける機会を与えるばかりでなく、当該の社会の構造的な矛盾を解決できる重要な動機付けになるということである。これをふまえ本稿では、民衆運動の内的過程の分析において重要な部分をしめている人足動員=動員強制の伝統が、実際日本の近代社会形成期の民衆運動においてどういう形で行われたのか、その実態を具体的に分析した後、そのような動員様式が日本の民衆運動史においていかなる歴史的意味を持っているかを詳しく検討してみた。

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4,800원

‘民芸’という用語の創始者として広く知られている柳宗悦は、若い時には白樺派の一員として西欧近代美術を高く評価しながら天才的な芸術家に憧れた美術批評家であった。しかし約1919年を堺に東洋の芸術、それも近代絵画ではなく民衆の道具である‘民芸’の美に強く引かれ、‘無心の職人’を理想的な芸術人相として提示することになる。本論文は、このような柳の思想変化の動因を考察することによって、柳の民芸論とブレイク(William Blake)の思想との影響関係を明らかにしようとするのものである。要するに、中年以後の柳は単純で素朴な原始性が目立つ作品を高く評価しながら、近代的天才ではなく、逆に自我を可能な限り否定する凡人、‘前近代の民衆’と彼らの民芸の間に芸術と生活の本質的関係をみいだした。そしてブレイクもやはり人間の完全な状態というのは、そもそも'理性が個性と個性との分離、神と人間との隔絶をもたらす以前の原始的状態、言い換えれば無垢で無心な人間'であると考えた。実際柳は1914年大著『ヰリアム・ブレーク』を完成し、日本で最初にブレイクを研究した英文学者としても評価されているが、ブレイクを研究した以後の柳の文章では、対立して存在するすべてのもの、即ち生命と物質、主観と客観、美と醜などを肯定的に認められ、‘自己’を‘寂滅’し、個性と個性が融和することや神性と人性が一致することが強調されている。それに柳の朝鮮美術に対する興味が深くなったのもそれ以後であって、彼の思想の発展的な変化においてブレイク思想、特に‘Self-annihilation(自己寂滅)’の思想への傾倒が決定的な役割をしたことは確かであり、このような意味でブレイクの研究が柳の民芸美学において持つ意味は決して小さくないと考えられる。

 
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