Earticle

현재 위치 Home

Issues

일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제65권 (47건)
No
1

相づちにおける話し手と聞き手との関わり方

郭末任

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.1-12

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,300원

本研究では、談話全体に分布している相づちに話し手と聞き手とがどのように関わっているかを探ることを目的とし、具体的には、(1)、これまでの研究で扱われてきた位置以外に相づちが存在しないか、(2)、(1)により相づちがさらに抽出できるならば、それを含めた相づちは談話全体にどのように分布しているか、(3)、(1)により、新たに抽出された相づちには、話し手と聞き手とがどのような形で関わっているのか、それらの相づちをHymes(1964)の「話し手と聞き手」の枠組みや水谷(1993)の「共話」で、捉えることは可能であるか、の3点に着目した。 分析の結果、(1)については、「ターンの途中」の相づちを新たに抽出することができた。また、出現位置はどちらとも分類できないものの、「相づちに相づちが続く形」があることを提示した。(2)については、「聞き手から送られた」位置、「ターンの冒頭」、「ターンの途中」、「相づちに相づちが続く形」の4つに分類することができた。頻度は、「聞き手から送られた」位置、「ターンの冒頭」、「ターンの途中」、「相づちに相づちが続く形」の順に少なくなることが明らかになった。(3)については、“共役”という新たな概念を用いて、「ターンの冒頭」や「ターンの途中」の相づちにおける、“1人が話し手と聞き手の2つの役割を同時に担っている”という、考え方を提案した。

2

가타가나어 지도 면에서 본 고등학교 교과서 『日本語Ⅱ』

金淑子

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.13-23

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,200원

The lexical system of Japanese is composed of five different kinds of letters. : Hiragana, Katakana, Chinese Character, Roman letters, and Arabic letters. For Korean learners of Japanese as well as teachers, Katakana is very difficult to learn and to teach. In this study, I have examined 6 volumes of the Korean high school textbooks 『JapaneseⅡ』. The purpose of my study is to analyze the phenomena of the usage of the foreign-borrowed words and examine how they are used in 『JapaneseⅡ』. For the source of my study, I have used six volumes of 「Japanese Ⅱ」which were published based on the educational objective of the 7th curriculum. The results of my analysis are as follows: 1) I have found that six volumes show some difference in using Katakana words in terms of their content of vocabulary. 2) I have made an observation about the frequency of「the basic Katakana words」that appear in six volumes. I have analyzed them according to the frequency of their usage. 3) Names of people, names of places, and the words that are related to Korean cultures are notated in Katakana. However it may not be appropriate to call those words Katakana. Instead, I would like to suggest to call them as 「Katakana transcribed words」. It may not be appropriate to put these words in the Katakana vocabulary index because it is necessary for the writers to be able to choose the more commonly-used Katakana words. This study would be useful to select more important and common Katakana words for Korean highschool students to learn. I hope my findings in this study would be considered and reflected for the selection of 「the basic Katakana words」for the 8th curriculum process.

3

4,300원

本稿では韓日両言語の軽動詞構文に現れる「하다」と「する」を対象に,動名詞の対格標示の問題に関する考察を通して,両言語の軽動詞構文に現れる「하다」と「する」の間にどのような違いが見られ,またその違いをどのように分析できるかを明らかにした。 本稿では,「韓国語の軽動詞構文においても非対格性が認められるのか」,「非対格性が認められるのなら対格標示にかかわる両言語の違いをどう説明できるのか」という二つの観点から議論を進め,まず韓日両言語の軽動詞構文にも非対格性が認められることと軽動詞構文における動名詞への対格の付与は「項転送」と「Burzioの一般化」をもって説明できることを見た。そして,原則的に対格標示ができないはずの非対格自動詞的な動名詞であるにもかかわらず,動名詞が対格標示される韓国語の軽動詞構文については次のように分析できることを主張した。 ア) 動名詞が対格標示される韓国語の軽動詞構文に現れる「하다」は軽動詞ではなく,一般動詞として働く。一方,日本語の軽動詞構文に現れる「する」は動名詞が対格で標示されるされないにかかわらず専ら軽動詞として働く。 イ) 動名詞が対格標示される韓国語の軽動詞構文に現れる「하다」が一般動詞として働くのは韓国語の「하다」が日本語の「する」より文法化が進んでいないためである。 ウ) 動名詞が対格標示される軽動詞構文において一般動詞として働く「하다」の概念構造は「그는 파란 눈을 하고 있다/파란 눈을 한 외국인」のような文に現れる「하다」と同様に[event x CONTROL [ .......]]のような概念構造を持つ。

4

4,600원

本稿では、江戸中期以後の上方語に現われる助動詞の一段化の傾向について、(さ)すると(ら)るる間の一段化の遅速差を中心にして宝暦~弘化期の上方語資料51種(上方洒落本類45種、上方歌舞伎脚本類3種、道話類2種、滑稽本類1種)の実態の分析結果に基づきながら、初期上方語及び中期上方語との比較を通して考察して見た。その結果、助動詞の内部間における遅速差を中心にして幾つかの特徴的事実が明らかにされたかのように思うが、これをまとめると、大略次のようである。①(さ)するの一段化は(ら)るるの一段化より早い。②「るる」と「らるる」の場合、音節数の多少による一段化の遅速差は見られない。③終止․連体形の一段化は已然形の一段化より早い。④文体的な面から見ると、会話文の一段化は地文の一段化より早い。⑤女性語の一段化は男性語の一段化より早い。⑥中期以後の上方語の一段化は初期上方語及び中期上方語の一段化より早い。 この中で、傾向③と④は初期上方語及び中期上方語と、⑤は中期上方語の傾向と一致すると言えようが、⑥は傾向を異にすると言えよう。特に、ここで注目を引くのは傾向①②である。従来、具体的な検討がなされていないと共に、江戸語の傾向とも大体一致するからである。

5

「ありぬ」「ありつ」考

金平江

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.51-62

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,300원

助動詞「ぬ」と「つ」に関する研究には二つの流れが存在する。一つは、動詞との附き方に注目し、上接する動詞の意味の別を中心に「ぬ」「つ」の意味を究明しようとしたものであり、もう一つの流れは助動詞「ぬ」「つ」を話し手の認識態度を表したものと考える見解である。本稿では自動詞であり、無意志動詞である「あり」が「ぬ」「つ」の両方に接続することを説明した大野晋氏、井手至氏、鈴木泰氏の見解の矛盾点を指摘して、「ぬ」「つ」は動詞の意味別ではなく、話し手の認識態度の差によって使い分けられていたことを明らかにすることを目的とする。そして、その相違は「自然推移的認識(「ぬ」)」を、「自然推移的でない認識(「つ」)」であったことを明白にする。

6

일본어 담화의 정보구조에 있어서 초점

金惠林

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.63-75

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,500원

言語の基本的な機能が相互の意思疏通と情報を伝えることにあるといえば、我らが使用する言葉はそれ自体が持っている意味的な部分とその意味を規則に適うように体系化した形式と共に、実際言葉が使用される当時の具体的な状況が考えられなければ完全な意思疏通をなすことができない。  本論文では談話を情報伝達という観点から、聴者の知識に新しい情報になる要素を焦点として、そして聴者の知識に既に与えられた情報の要素を前提として見て、情報構造の構成要素である焦点を前提との関係を考察して、談話におけるその機能を明らかにすることが目的である。 情報構造の構成要素である焦点は一連の発話を構成し、情報を伝達する一つの手段として、与えられた文脈と状況で一番新しくて大切な情報を提供する情報要素の核心である。本論文で察した日本語の談話の情報構造における焦点に対する結果は次のようである。 一番目は情報をその状態によって分け、新しい情報要素である特性を焦点に付与して、情報を区分するのは妥当ではないことである。即ち、焦点と指示体に対する認知的な状態は互いに関連があるということは認められるが、そのような関係は必然的なものではないことである。  二番目は焦点が情報の伝達価値と関連があるとすると、日本語におけるその機能は‘が’のような助詞が担っているし、その表示機能は‘新しい情報の要素’という特性を付与していることだと言うより,それが持っている情報の価値は表現された命題の一つの要素として新しい情報を作る談話論的な関係から把握されるべきである。   三番目は情報を構造するのに聴者より話者の役割が大きいという事実が解った。  四番目は日本語の談話の情報構造において焦点表現は情報的焦点、排他的焦点、提示的焦点に分けることができた。

7

ヲ格連続について ―主節のヲ格と連用節のヲ格を中心に―

文智暎

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.77-86

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,000원

本稿は、従来、単文中の制約とされてきた「二重ヲ格制約」が本当に単文だけの制約なのかという疑問から出発している。まず、コーパス資料から単文か複文かという文の構造を考えないで、述部を挟まずにヲ格名詞句が二つ以上連続する例文を採集する。実例を分析した結果、①単文か複文かに関係なくヲ格連続は状況ヲ>場所ヲ>対象ヲという順序になる傾向がある。②複文であれば容易に出現できる対象ヲの連続は避けられる傾向にある。このことは、ヲ格の連続はただ文構造から分析するのではなく、情報構造から分析すべきであることを示す。③対象ヲの連続が避けられるのに対し、「場所ヲ対象ヲ」の組み合わせにヲ格連続は比較的許容されやすい。④状況ヲ、場所ヲは何らかの舞台設定を果たし、その舞台の上で対象への働きかけが生じるというような構造であるということを明らかにする。さらに、従来「二重ヲ格制約」の例外として扱われてきた「太郎が雨の中を子供を探す」という文は、実は「太郎は雨の中を子供を探して歩く」と同様の情報構造を持っているということを明らかにする。

8

日本語 敬語的一人稱의 表現樣相에 관한 一考察

白同善

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.87-100

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,600원

本稿は日本語における敬語的一人称の表現様相を考察したものである。敬語的一人称の表現様相を考察することは、現代日本語の敬語法が相対敬語法をその拠り所とするという点で重要である。本稿では明治時代から現代までの近現代の小説の会話を分析することによってその変化の流れを考察した。その結果、次のようなことが言えると考えられる。明治時代から日本語の敬語的一人称に関しては相対敬語的表現が根幹を成しているとは言えるものの、まだ絶対敬語的表現を呈する場面も少なからず現れる。このように明治時代には絶対敬語と相対敬語の過渡期的役割も観察されるが、身内敬語に関しては現代語に比べてそれが著しく多用されていたことも明らかである。1900年代の半ばあたりまで敬語的一人称の使い方において絶対敬語が現れるのは身分的上下関係が厳然たる形として存在していた頃の一つの特殊な状況を反映した表現であるとも言えようが、また一方では、それが一般人にも難なく受け入れられていたことをも表していると言えよう。時代が下がるにつれては身内敬語または絶対敬語的な表現が一つの品格保持のための要素として使われた様相を垣間見ることもできる。また身分的上下関係による敬語の使い方が時間の流れと共に社会的地位の上下関係へと移動する傾向は見られるが、敬語的一人称の使用においては皇室敬語や地域的特色を除いては相対敬語法の原則がより徹底に遵守されている現状を見ることができるのである。

9

明治後期の漢語の考察 ─ 明治20年代の廃語化を中心に ─

卜保境

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.101-118

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

5,200원

明治20年代に用いられていた漢語をもって廃語化現象を中心に調査することによって、明治後期の漢語の様相について考察を行った。まず、現代日本語において明治後期の漢語がどのように用いられているのか、その使用如何を中心に分類できた。その結果、明治20年代に用いられていた漢語の約86.5%は現代日本語においても使用されつづけているが、約7.8%の漢語は既になくなったか、なくなりつつあるということである。 また、廃語化現象と『時事新報』における全漢語の用い方との関係を考察するため、各類の使用度数と使用範囲の調査を行い、使用率の少なく、使用範囲が狭い漢語がより廃語化しやすいというデータ結果が得られた。 次に、「A類」と「B類」と「C類」の78語がどのような要因によって廃語化されたのか、その背景について考察した。その結果、明治後期の漢語の廃語化要因には「漢語体の崩壊による廃語化」が最も大きな要因であることが分かる。廃語化要因の分類結果を語数順に並べると、(6)漢語体の崩壊による廃語化>(5)同音の文字による置き換え>(3)類似漢語への統合による廃語化>(1)事物․概念の消滅による廃語化>(2)新語の生成による旧語の廃語化=(4)文字転倒による廃語化=(7)その他のようになる。

10

4,500원

本稿では日韓両言語の「触覚」をあらわす擬態語の意味分析のうち、「やわらかさ・軽さ」に関するパラディ グマティックな考察を行った。使用頻度が高い擬態語をそれぞれ選出し、成分分析を行い、例文を通して語が持 つ微妙な意味の違いを検証した。  その結果、「やわらかさ」の意味を持つ擬態語の意味成分として最も示差的なのが、日本語では「軽さ」で あったのに対し、韓国語では「水分」だった。また、音韻形態的な見地から相対的意味の違いの考察を試み た。その結果、両言語を通して「やわらかさ」を示差するとされる子音(f/h/m)が多く見られ、韓国語では濃音・激 音の意味の強調はあまり見られなかった。

11

이해도의 관점에서 본 의학용어

송영빈

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.133-143

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,200원

日本語専門用語は、一般的に分かりにくい用語というイメージがある。実際、各言語の基本語と専門用語とのへだたり度を求めた研究結果によると日本語専門用語は、西洋の諸言語の専門用語に比べ基本語とのへだたりが激しいことが証明されている。専門用語は、専門分野の概念を表すためのもので、概念を正確に表すことさえできればそれが現在の日本語のように必ずしも難解である必要はない。本稿は、日本語の専門用語の中で特に難解であると言われている医学用語を対象に基本語とのへだたり度を求め、へだたりの激しさの原因がどこにあるのかを明らかにする。具体的分析方法として、単漢字、二字漢語ごとの基本語とのへだたりを調べ、さらに単漢字を訓に置き換え、それに基づく基本語とのへだたり度の検証、訓に置き換えたものの意味的理解可能性などを検証、分析する。結論として、訓の存在が必ずしも基本語とのへだたりを縮める役割を果たすものではないことを証明する。具体的には,常用漢字表の訓が漢字の多義性を十分反映するものではないこと,逆に日本語医学専門用語で用いられている漢字が日本語漢字の一般的用法を示した常用漢字表からはずれた用法が多いこと。さらに、日本語医学用語の場合、常用漢字表以外の漢字を多用しているところにへだたりの激しさの原因があることを証明する。

12

室町期儒学における漢字音研究 ―抄物『玉塵抄』を中心として―

李承英

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.157-166

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,000원

本論文は、室町時代の抄物、惟高妙安講述の『玉塵抄』を主資料として室町期禅宗では、漢字音の系統のことや清音と濁音のことをどのようにとらえていたのか、どのような漢字音をどこで使うべきだと考えていたのか、またどのようにして正しい漢字音を得ていたのか、などといった漢字音研究のあり方を検討したものである。その結果、妙安は、『玉塵抄』において、使用場所による漢字音の対立を講述したり、漢字音の系統を論じたり、清濁を注記したり、また反切から字音を決めたり、あるいは、自分の所属しているところの特別な漢字音を示したりなどした。そこには、当然仏教からの漢字音や漢字音研究と、儒者からのそれとが入り交っていた。すなわち、妙安、というより叢林は仏教と儒学と関わりながら、叢林独自の漢字音研究を行っていたのである。また、旧仏教あるいは博士家と深く関わり合いながら、それと対立する叢林独自の漢字音を使用することもあった。ただし、研究についてみると、『玉塵抄』のも含めてその当時の叢林における漢字音研究は、漢籍もしくは禅宗典籍の注釈の一環として行われていたにすぎなかった。『玉塵抄』には漢字音のことを真正面にすえ、それに関わるいろいろな情報を集めて論じた講述が数多く見られることから、室町期禅林の儒学においては、旧仏教の漢字音研究も取り入れた、呉音漢音の分類、清濁の注記、仮名反切など、それなりの漢字音研究が盛んに行われていたと考えられる。

13

5,200원

本研究でのend focusとは、ソウル方言話者の日本語の発話中に現れる特徴的なイントネーションのことである。このソウル方言話者のend focusに対する日本語母語話者の評価を以下の二つの側面から調べた。 一つは、日本語教育関係者による質的評価であり、もう一つは一般の日本人による量的評価である。 まず、日本語教育関係者の調査の方法として、被験者は15名を対象とした。この被験者15名は全員過去日本国内や海外で日本語を教えた経験のある且つ、現在外国人に日本語を教えている者である。調査の材料としては、ソウル方言話者女性1名の60分間の自然談話の中で最初の10分間の「自己紹介」の部分を抜粋したものである。評価用紙は、「自由記述」、「アンケート」、「内省報告」の三つである。手続きは、一人ずつ防音室で調査を行った。 その結果、自由記述とアンケートの発音の部分的な評価の7項目(単音、特殊拍、アクセント、プロミネンス、ポーズ、end focusイントネーション)の音声的要因の中で、end focusが最も直す必要がある項目として評価された。また、フォローアップインタビューの結果でも、end focusは聞き手に対して、感情的に不快な印象を与えてしまうという意見が多かったため、最も直すべき項目であると評価された。またend focusに対する質的評価の内容をまとめると、「音声面」、「文法面」「感情面」、「場面差」、「方言․なまり」の五つに分けることが出来て、この中でend focusは、感情面のマイナス的効果があるという指摘が多かったため、最も直すべき項目であると評価された。 次に、一般の日本人の調査の方法として、被験者は日本人の大学生60名を対象とした。この被験者60名は全員外国人に日本語を教えた経験のない者である。調査の材料としては、接続助詞「て」と「から」を入れた12個の実験文を用いた。この実験文を発音に注意して聞き、自然、不自然を評定してもらった。 その結果、1拍の助詞に現れる急激な「上昇下降調」のend focusが最も不自然であると評価されている。また、end focusの三つの型の中で、「上昇下降調」、「上昇調」が最も不自然で、その次に「長呼調」が不自然であると評価された。 以上の結果から、ソウル方言話者の日本語発音の不自然な音声的要因の中で、end focusが、その日本語発音の不自然さに大きく影響する要因の一つであるといえる。また、ソウル方言話者の日本語の音声教育において、感情的誤解を招く句末イントネーションである"end focus"の矯正指導の必要性が示唆された。

14

オノマトペにおける「促音」「撥音」の出現位置と機能

張鎭暎

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.213-223

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,200원

小稿は、「促音」「撥音」が現れる出現位置によって中世語と現代語における用例数に相違点が現れる現象に注目し、考察を行ったものである。まず、中世語と現代語の形態比較を通じて、「促音」と「撥音」による形態拡張パターンを比較・分析した。その結果、中世語と現代語の形態拡張パターンに変化が現れることが明らかになった。その中でも、注目される点は、同じ「促音」「撥音」を含む形態拡張パターンである「AっB型」と「ABっ型」、「AんB型」と「ABん型」の用例数の変化である。つまり、日本語のオノマトペの「AっB型」と「ABっ型」は、両方とも「促音」が付く形であるが、その機能においては相違があると言える。たとえば、「AっB型」の場合、「促音」が語中に挿入されることによって「AB型」を強調しているのに対して、「ABっ型」の場合は、「AB型」に代表される動作を一まとまりにしてその動作が一度だけ行われることを表す機能を「促音」が担っているのである。少なくとも「ABっ型」の場合は、「AB型」の強調形とは認められず、ある程度「音象徴」を表しているととらえられる。また、中世語には2音節目に挿入され、強調の意味を表した「AんB型」も現代語においては減少し、その代わりに、「余韻」「共鳴」を表す「ABん型」の用例数が増加している。 一方、現代語の「AっBり型」と「AんBり型」は「ABり型」との対応よりは、中世語の「AっB型」「AんB型」との対応がより緊密であることが明らかになった。すなわち、「促音」「撥音」が単なる強調の機能であった「AっB型」「AんB型」は安定感がないため消滅するが、現代語の場合、「り」が添加された形態である「AっBり型」「AんBり型」として安定した形態をなしている。これに対して、「促音」「撥音」による音象徴的な語感が表現される「ABっ型」「ABん型」の場合は、現代語においてその用例数が増加している。

15

使役受身文の意味的な特徵および下位タイプについて

丁意祥

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.225-239

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,800원

本稿は、日本語の使役受身を、意味の面から分類する際、どういったタイプの使役受身が設定できるのか、また設定される下位タイプはそれぞれどういった意味的な特徴を持つと同時にいかなる連続性を見せるか、さらにそれぞれの下位タイプはいかなる細部タイプを持つかなどを研究対象にして考察分析した。まず最初に日本語の使役受身を表面構造の違いから直接使役受身、持ち主の使役受身、間接使役受身という三つのタイプに分け、動詞の自․他別による使役受身文の下位タイプの表面構造について述べた。これら三つののタイプのうち、間接使役受身と持ち主の使役受身を中心に考察した。間接使役受身の場合は、動作主が人間であるか否かを基準に分類したうえ、「させられる」と前にくる名詞句の間に見られる結び付きについても分析を行なった。動作主が人間である場合は、典型的なものと周辺的なものに分かれ、前者は当該の出来事の端に存在する人間だけがその出来事から間接的な被害を受けるという特徴を持ち、後者は端にいる者だけではなく、動作主も被害の受け手になりうるため、持ち主の使役受身と連続性がみられる。つまり間接使役受身は被害の受け手が一人なのか、動作主を含む二人なのかによって典型度が変わってくる。また動作主が非情物の場合は、動物と非情物に分かれ、前者は話者が動物の立場に立って動物への同情および使役主への非難を表す機能を持つ。それに対して後者は非情物の持ち主などの間接的な被害感および非情物の属性を表す機能を持つ。また「させられる」と名詞句の間に見られる結び付きを分析し、間接使役受身文が一般的に複文の従属節で使われることが多いという使用条件などについても述べた。持ち主の使役受身は、ガ格とヲ格名詞が非分離的であるか否かという意味関係による基準から分類すると、直接的な被害の受け手が使役受身文のヲ格名詞であると同時にガ格名詞でもある典型的なタイプと、直接的な被害の受け手はヲ格名詞であり、それによってガ格名詞が間接的な作用や影響を受ける周辺的なタイプに分かれる。意味の面から見て、前者のようにガ格とヲ格名詞が非分離的な意味関係を持つタイプは直接使役受身に、後者のように両名詞句が分離可能な意味関係を持つタイプは間接使役受身に近いといえる。以上の考察分析を通じて、受身の場合と同様、使役受身も意味の面から細かく分析してみると、三つの下位タイプが独立した一つのタイプとして存在せず、お互いに連続性を見せるということが分かる。

16

4,300원

吳音は、中国六朝時代の中国東南部の字音が佛典などの傳來とともに受け容れられた字音と言われている。吳音は蟹攝1等咍韻がJ/-e/に反映されているなど、中国中古音とは乖離した字音が見られ、中国中古音を忠實に反映した「漢音」とも乖離していることから中古以前の漢字音の転寫と見られる。そして蟹攝1等咍韻は中期朝鮮漢字音を参考にすると、K/-ə-/に反映された例がかなり見え、これは呉音のJ/-e-/と同じ脈略で考えられる。なお、万葉仮名の「ゲ乙類」の音の転写に用いられたのは、「ゲ乙類」の母音がJ/-əi/のような二重母音であり、中期朝鮮漢字音への反映例からも分かるように、古代韓国漢字音でもその韻母はK/-əi/であって、日本語の「エ乙類」相当の音の表記にも当てはまるので、用いられたと考えられる。そこで、吳音は六朝時代の中国南部方言を祖系音とする漢字音でありながらも、古音に繫がる漢字音もあり、河野六郎の述べた通りに、その傳來時期․地域によって複層的な構造を持っていることは確かである。そして、吳音の中核層は六朝時代の方言音が祖系音になったと言っても、傳來經路から見ると、韓半島を經由したこともほぼ確かである。したがって、吳音の複層的な構造の中には韓国漢字音の影響がかなりあると見られる。

17

『社會百面相』に見られる明治期のオノマトペ

黄圭三

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.263-278

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,900원

本稿は、明治時代の小説の一つである『社会百面相』(明治35年)を資料として、そこに見られるオノマトペ(擬音語․擬態語)について考察したものである。 本資料に見られるオノマトペは語例が658語に達するほど多く、多様な語音結合の型が現われており、詳細な会話表現と俗語․強調の表記など写実的な表現方式の一つとしてオノマトペがよく用いられている。他の資料では見られない仮名の上に傍点を打った独特の表記法と漢字当てのオノマトペ、様々な文法的用法に至るまであらゆる表現が『社会百面相』にぎっしりと詰め込まれている。明治期の漢字当ての表記の増加は、新語や翻訳語などの外国語の意味を表記するためには、表意文字である漢字の組合わせによって、その意味を容易く、忠実に表わすことができたからである。このように考案された漢字当ての表記がオノマトペにも大きな影響を及ぼし、独特な漢字当てのオノマトペが急に増えたと言える。 また、生産性が高い「オノマトペ+接尾語」の用言化現象もよく現われているが、この用法は日本語の中でも根強いものであり、この過程を経て造られた派生語は動詞や形容動詞が基本的な意味だけを表わし、細かく言い分けられない状態の表現部分はオノマトペが補うという点で便利な言葉である。 従って、本資料に見られるオノマトペの研究を通じて、明治期のオノマトペの語彙体系の確立は勿論、当時の各社会階層で用いられていた言語運用の実態を把握できたと言える。

18

나쓰메 소세키의 『夢十夜』 「第一夜」에 묘사된 여자의 죽음과 소생 고찰

權赫建, 李貞妍

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.279-290

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,300원

論者の考察を次の二点に要約する。 第一、「第一夜」の女の姿や言行を考慮すると、女が死ぬ原因は肺結核である可能性が非常に濃厚であることを明らかにした。 肺結核の症状である疲労感、体重減少、微熱、発熱、そして皮膚反応として現れる紅潮、肺結核を発病する年齢、女が仰向に寝ている点、女が 「死ぬんですもの、仕方がないわ」 と確信に満ちた口ぶりで自分は死ぬしかないことを明確に表現している点などが肺結核と関連があると判断される。 当時の文人は肺結核で死んでいく姿を美しく浪漫的なものだと考える人が多かった。それゆえ、韓国近代文学の代表的作家である李光洙も 有情という作品で肺結核にかかって苦労する南貞妊の姿を美しく神秘的な描写で表している。 第二に、「第一夜」で男が死んだ女を待ち続けた末に、女の霊魂の蘇生である真白な百合と出会う。石の下から青い茎が伸びてきて男の胸のあたりで留まりふらふらと動く一輪の蕾がその花びらを開くという、百合が開花した姿は女の蘇生を知らせるメッセージだと考えられる。 即ち、「第一夜」で「細長い一輪の蕾」と 「花は自分の重みでふらふらと動いた」 という柔らかく長い曲線のイメージが浮かぶこの表現は女の姿を比喩しているのである。そして 「真白な百合が花の先で骨に徹えるほど匂った」 という表現は真白な百合の香りが男に感動を与えていると見られる。それゆえ百合の花の揺れる姿と骨に徹えるほどに真白な百合が匂っているというのは、女の霊魂が蘇生し息づいていることを読者に暗示していると判断される。

19

5,500원

藤村の『新片町より』から晩年の作品である『桃の雫』に至るまでその内容においては「求心」から「遠心」に、すなわち作家の内的な心理を重視する視点から、読者を意識するほうへと深まりつつある点が注目される。これは作家である藤村が自分の思惟の世界から離れて、読者との共感帯を作ろうとする狙いも含まれているように見える。彼の感想集は過去の経験を単純に再生するよりは、さまざまな経験を分析、再配列、組合して、再生的な体験ではなく、創造的な経験を作り出している。藤村は自分の生を再照明して経験を昇華することによって、読者に感動と共感を与えると同時に未来のビジョンを提示しているが、ここでの題材が「自己の現実」であれば、主題は「自己の理想」であるといえよう。その意味からこの感想集の主題を言うなら『春を待ちつつ』のタイトルが示しているように「春」といえる。そして彼が求めた「春」は芸術と人生の永遠な循環を象徴する「生命」の表出であったと思う。近代人の母胎とも言うべきルソーは「すべての年齢はその年齢に活力を与える各々の春を持っている」と言ったが、これを藤村の人生にも当てはめてみると、彼の場合、青年時代には「情熱」的な理想の春を、中年時代には「抑制」された芸術の春を、老年時代には「歓び」のある人生の春を望んだと思われる。ここで言う春は出発、希望、郷愁、甦生、復活などの意味を持つが、このような文学的な情緒が人生を観照する創造の美学、すなわち藤村の感想集であったといえる。

20

『源氏物語』표현론 ―병풍가의 제작 태도와 그 의의―

김수희

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.311-322

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,300원

『源氏物語』における聴覚表現の研究としては、石田穣二氏の「源氏物語の聴覚的印象」がその嚆矢として 知られている。石田穣二氏は『源氏物語』と『夜の寝覚め』『枕草子』の聴覚的な場面を比較検討し、『源氏 物語』においては、距離感に関わる助動詞「なり」が、豊かな音声的再現能力を持つ点に注目し、現実的な距 離感が感覚的に再現される構造を『源氏物語』の文体の特質として捉えている。「声」が持つ肉体的な感覚 が、具体的な場面の臨場感として現れていることを、助動詞「なり」「べし」などの吟味を通して綿密に検討して いるのである。物語のリアリティの問題を感覚の共有に関連づけて提示した、極めて示唆的な指摘である。しか し、氏の指摘によって最も明らかになったのは、『源氏物語』という散文の文体が、「聴覚的印象」という視点を 通して具体的・立体的に臨場感溢れる視覚的世界を再現している点、そしてこのような場面描写が登場人物や作 者、読者それぞれの「感覚の共有」を通して具現されているという点である。これは単なる感覚論に止まらず、個 人の内面に関する問題、文学における個人と個人の感覚の共有の問題、ひいては個人と集団の問題に至るま で、その視点を拡大していったと思われる。そもそも、文学作品は基本的に言葉によっているが、その言葉によっ て具現されている世界は基本的に登場人物の固有の内面を表している。そして、登場人物の固有の内面と読者と の主な通路が、他ならぬ感覚と言えよう。作者と登場人物と読者がはじめて会える所、その通路が感覚の共有の 形になった時、文学作品の固有のリアリティは確に保証される。しかし、このような「感覚の共有」という表現的な 達成が『源氏物語』で有効に発揮できたのは、様々な文学史的な背景があったからである。すなわち、『源氏 物語』の表現的な達成は先行文学の表現的な達成によってこそできたと言えようが、本稿では、それを探る方法 の一つとして屏風歌の制作態度とその意義について検討してみた。というのは、屏風歌の場合、諸感覚が個別 的・有機的に表現されることによって歌の表現そのものが立体的な臨場感を獲得している用例が多く、絵画と歌が 織り成す時空に、創作する側も享受する側も参入してしまう,あるいは、少なくても参入を前提にするというところに まず特徴があるである。最も視覚的な世界に支えられているはずの屏風歌が、かえって視覚以外の感覚に頼って いる場合が多いことを考えると、屏風歌の制作態度が感覚の共有と緊密に関わっていることが分かる。また屏風歌 の先駆的な作品が多数収められている『古今集』の表現的な達成が何を意味するかも想像できる。『源氏物 語』では視覚的な世界に支えられている物語の世界に聴覚や他の感覚を加えて、具体的で臨場感溢れる場面を 表現する場合が多いが、その場合、登場人物と作者と読者はまるで同じ空間にいるように表現されているのであ る。感覚の共有という視点を媒介に、『源氏物語』の独特なリアリティが獲得され、固有の内面的な世界が表れ ていると言えようが、このような表現的な達成は『古今集』成立前後の時代に盛に詠まれ、和歌史上大きな役割 を果たした屏風歌の制作態度と緊密な関連性を持っている。

21

4,300원

本論文では『太閤記』から『絵本太閤記』への変容について、特に、両作品において独自的な位置を占めながらも、考察されることのまれであった壬辰倭乱記事に焦点を当ててみた。『太閤記』の壬辰倭乱記事は、日本内で最初に七年戦争の全容を提示したのは画期的であったが、先行作品の乏しさや作者の政治的な立場による限界などが認められる。『絵本太閤記』第6・7篇の壬辰倭乱記事は、『太閤記』が提示した七年戦争の全容を継承しながらも、中国の作品の影響を受けた『豊臣秀吉譜』・『朝鮮征伐記』、そして韓国の『懲毖録』․『西厓先生文集』などの作品の叙述をも受け入れ、『太閤記』の壬辰倭乱記事を変容・拡張する。壬辰倭乱の当事国であった三国の作品が、17世紀末に日本内に全部そろって始めて、この戦争に関わる三国の作品が対照․綜合されるようになったのである。

22

4,900원

韓国と日本、両国の時間的、空間的差異が存在するにも関わらず、〈宮中文学〉という『枕草子』と『閑中録』とは当時の女性文学を代表する作品といえる。まず、朝鮮時代の〈宮中文学〉とは、〈宮廷〉という特殊な社会的背景と歴史的な事件を素材として描いている特殊階層の文学であり、日本の〈宮中文学〉は〈女房サロン〉という後宮文芸サロンを中心に摂関時代の支援のもとで形成された政治的文芸集団によって造られた文学である。したがって、平安朝の宮中文学は専門作家という中、下位の女性作家群による作品であれば、朝鮮時代の作品は歴史的事件をきっかけにして、創作者のある目的のもとで造られたものといえるだろう。また、『枕草子』は中宮定子の衰退と没落という歴史的事件を、『閑中録』は「壬午禍変」という悲劇を時代的背景としている。一方、執筆意図においても、『枕草子』は中宮定子一家の過去の栄光をふりかえってみようとする意図があるが、『閑中録』は惠慶宮洪氏、実家の無実を純祖に訴え、家門の栄光を取り戻そうとする意図がある。こういう目的意識の相違により、両国の宮中文学は違う道をたどるようになる。つまり、『枕草子』は中宮定子一家の過去の華麗であった時に焦点をあわせ、没落後の悲惨な気持や苦痛については一切の言及がない。ところが、『閑中録』はむしろ惠慶宮洪氏一家の没落とその衰退の過程、そしてその後の賛嘆さと悲惨な気持について正直に、なおさら生き生きとした筆致で描いているのである。

23

5,400원

本論文では「俊寛」「第四の夫から」「湖南の扇」といった、共通して日本の現実や文化を<外部>の世界から眺め、相対化した作品を中心に、東アジアにおける芥川龍之介の日本文化中心主義への批判意識と周縁文化の存在価値の主張を検討した。 「俊寛」で、芥川は以前の俊寛像、特に菊池寛の描く俊寛像を意識し、島での俊寛の生活描写を通して、中心と周縁の価値転換を試みている。俊寛は都の価値や論理で島のそれを判断しない。その代わりに、彼は、島の人、島の食べ物、生活全般をありのままに受け入れ、満足し安住しようとしている。これは数多くの作品を通じて新しく造型されたどの俊寛像とも違う、芥川のみの俊寛像といえる。また「第四の夫から」は日本の外部の世界から法、制度、秩序、道徳など、西欧化された日本の近代文明・文化の伝統文化からの断絶、それによる虚構性を批判し、世界の文化の多様性をチベットの民族生活に追い求めた作品であるといえる。このような文明・文化批判は『西蔵旅行記』の著者河口慧海に、作家芥川の姿を投影した<僕>の口を借りてなされている。最後に、「湖南の扇」では人血ビスケットのエピソードの野蛮な側面を、それが中国古典のロマン的世界に通じることから肯定していく。そこには西欧化された近代文化への激しい憎悪が裏打ちされているとした。これらの作品を通じて具現しようとした芥川の作家精神は、確かにその当時の時代よりは進んでいる芥川の独創だと言える。 しかし、これらの作品は成功作とは言えない。たとえば、「俊寛」の語り手は実際に現場を体験したリアリズムを背後に秘めるといった存在ではなくて、彼の語りにはいつも書斎にこもる作者芥川の声がだぶっていたり、あるいは「第四の夫から」の語り手である<僕>は死を賭して奥地を探検した結果を記録する河口慧海に比べて生命力に欠けた人物でしかない。また、「湖南の扇」の人血ビスケットのエピソードを伝える<僕>は、それを書籍の世界で想像した中国人に対するエキゾチシズムに満たされているために、中国の現実をオリエンタリズム的な眼差しでしか見つめようとしない後ろ向きの姿勢が認められる。 このような作品の生動感・生命力に欠けるという共通の欠点は、つねに現実から離れた書籍の世界の中で知的な操作によって架空の世界を作り出そうとする芥川の創作態度によるものである。彼は意欲としては現実の時代、あるいはその思潮と鋭く対決する作品が書きたかったが、結果的にはブッキッシュな創作態度がそれを妨げ、彼の作家精神の具現は失敗に終わったのである。文学作品としての致命的な欠陥が<相対化>する眼差しと脱中心化の方法による作家精神の具現を失敗に終わらせた。それがそのまま、晩年の失敗と挫折に連なり、以後彼は自分の文学精神とそれが実現できない現実との食い違いで葛藤するようになる。

24

4,800원

「漂泊詩人金笠に就て」は1940年秋、2回目の朝鮮訪問を終えた三好が、『文学界』(1941年)に数回にわたって連載した文章である。三好は李応洙『金笠詩集』の分類に従って乞食編10編、人物編15編、詠物編6編の作品を紹介している。三好は31首の金笠詩を紹介しているが、この中で論評を書いているのは、18首位である。これらを分析してみると、幾つかの詩について三好は一定の評価をしている。ところが、このような肯定的なコメントは大勢ではない。むしろ全体的に見れば、金笠と金笠詩への批判の性格が強い。三好は五つの観点から金笠批評に臨んでいると考えられる。金笠批評の根底にあったと考えられる観点は「破格性」「諧謔性」「体制抵抗の民衆性」「自由奔放さ」「固定した朝鮮イメージ」である。三好の金笠批評の根底には詩人としての三好の純粋な詩観があったものと考えられる。しかし、金笠批評の根底には純粋な詩人としての価値判断以外に、帝国主義の論理に影響されていた部分もある。こういう点が「固定した朝鮮イメージ」の形で現れたのである。金笠批評の根底には、金笠の「自由奔放さ」に対する嫌悪と言う三好個人の主観が潜んでいたのではないかと考えられる。まさしくこの点が、「固定した朝鮮イメージ」に絡んでくる部分である。このように「漂泊詩人金笠に就て」は、三好が自分の詩観へのこだわりを見せてくれる半面、帝国日本の文学者としての政治的スタンスの影響も排除できないということを確認させてくれる。こうした政治的スタンスが戦争期の三好文学の本質の一側面であることは、見過ごすことの出来ない点であろう。

25

근대의 주박 ―「현대 일본의 개화」/「나의 개인주의」를 중심으로―

박유하

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.387-405

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

5,400원

漱石の「現代日本の開化」と「私の個人主義」は今まで文明批判と個人主義を標榜する評論として高く評価されてきたが、實は必ずしも文明を批判するテキストとは言いがたい。そこには西洋の侵食に対抗しようとして強者になろうとする漱石がおり、その成り行きとして国家主義も批判してはいなかった。言うならば、漱石の個人主義はあくまでも国家主義内での個人主義だったのである。個人主義とは漱石において一定の教育を受けた男性にのみ許されるものであり、そのような漱石は秩序維持のために人間の不平等をむしろ認めようとしていた。それもまた国家の秩序を志向した結果だったといえる。国家は一定のナショナリティを保つべきとした漱石の工夫ー思想は近代的限界を含むものだったと言わなければならない。

26

4,500원

現在、男女の間の愛の意味として使われる<恋愛>という言葉は近代のはじめとともに<作られた>概念であり、新語である。明治時代の啓蒙家達は男女関係も社会や制度のように、野蛮の状態から文明の段階へ向いて進歩すると思い、新しい理想的な男女関係の規範を模索したのである。その中、『女学雑誌』は「文明の時代」に行われる男女関係は「色(肉体的接触)」ではなく「愛(精神的な交際)の時代」と規定し、男女が「同等」かつ「精神的」に付き合う近代的な男女交際を目指したのであった。しかし、『女学雑誌』の指向した「愛」とは啓蒙する男性と啓蒙されるべき女性の区別をはっきりしているため、そもそも最初から男女平等の交際とは無縁であったと言える。 「男女交際」の必要性が活発に論議されるなか『女学雑誌』は自由に男女が交際することによって男女の「両性の美質」を発達させ得ると言った。また、相手の美質を確認することによって男性は女性を尊重するようになり、これが「女権」の伸長に繋がるのだと主張したのである。女性の美質の発見とは、女性性と女権の伸長を意味しそれはまた男女交際の主な利点であると把握していたのである。どころが、『女学雑誌』は女性性をもっとも発揮できる場として家庭を位置づけ、女権は家庭で妻と母としての役割を行うことによつて得られるものだと強調する。結局、『女学雑誌』の男女交際論は「和樂團欒」な家庭を作るためい、女性は家庭を守るべきであるという結論に帰着し、それは女性を家庭に縛り付ける新たな論理を作り出したと言えよう。 文明開花期に重要な役割を果たした『女学雑誌』によって展開された男女交際論は男女関係の新しい像を提示した当時としては画期的なものであったと言える。しかし、現在の視点から考えると、それは女性の社会的役割や主体的権利を度外視した女性不在の男女関係論に終わったと評価できよう。

27

4,800원

本稿では北原白秋の到達点を示すと見られる『海豹と雲』における古代へのアプローチに注目した。中でも、「日本古神道の精神を此の近代に新たに再造する」というもくろみが色濃く具現化された「古代新頌」「海豹と雲」「風を祭る」の諸篇を中心に考察を進めた。その際、北海道・樺太旅行によるアイヌや雄大な自然との邂逅、「祝詞」や『古事記』の題材の作品化等の様相を取り上げてみた。 北海道旅行で目にしたアイヌの人々の様子などは、白秋が理想とする「原始人」の生活を想起させたと考えられる。その視点は自然との紐帯を断ち切られつつある近代人が、神々や自然と共に生きる原始人への憧憬をよせたものであった。また、樺太の野生的な自然からも、「祝詞」や『古事記』などの自然と神々が共存する神話的な上代文学の世界の再現を思わせる作品が幾つも見られた。それらは、関東大震災後の急激な都市化の開発と裏返しに、古代の神々や自然への郷愁が表れたと考えられるだろう。 他方、「鋼鉄風景」などに見られるように、古代への傾斜は、近代的な要素の否定という型では表れていないことも確認できた。古代的な自然の内に見られた汎神論的な神々の拡散は、近代の機械文明を象徴する「鉄」などにも分散し、拡大していったのである。つまり、白秋は残された原始的風景や古典主義的な素材以外に目を閉ざしていたわけではなく、都市を彩る新しい素材にも好奇の視線を注いでいたのである。 もっとも、戦時中に行われたように、伝統的素材が政治的に国家主義などに悪用されることには十分警戒すべきであるし、アイヌの人々のうちに自民族の古代を幻想するあり方は植民地主義に陥る可能性があるということを決して忘れてはならないだろう。

28

5,500원

『徒然草』の序段が持つ意味は作品全体にかかってくる。平安時代以来多くの作品から見られる序または跋には、書記行為に臨んだとき作家にもたれる意識が潜むからである。しかし今まで『徒然草』序段は現代的で便宜的な先入観によって誤解されてきた。『徒然草』をカノン(正典)化するための努力が、かえってこの作品を文学史の中で孤立させた結果を生み出したのではないかと思われる。院政期から鎌倉初期にわったて書かれた書物を管見したら、『徒然草』の序段は案外平凡なものだったのがわかる。だから、兼好が自己に直面して創作し始まったときの姿勢はその述語「物狂おしけれ」から読み取らなければならない。 本稿では兼好の書記意識と狂言綺語の思想を結び付けて、当時のジャンルという問題といっしょに察してみた。『和漢朗詠集』『古来風軆抄』『近代秀歌』『十訓抄』『古今著聞集』『沙石集』などを見たが、その結果、「狂」というのは、それが「物狂おし」であれ、「狂簡」であれ、または「そらごと」であれ、狂言綺語観によって謙退の意味を呈するのは習慣的で当たり前のことだったのがわかった。しかし果して兼好が狂言綺語の思想に裏打ちされて、文学を自ら卑下した発言したのかというと、そうではなかった。兼好はその狂言綺語の思想を借りて、自分の書物の位相を高めようとしたと推測することができる。 つまり、内典>外典>史書>詩>和歌>物語という文学の階層化・位階化が、『徒然草』の中では中国の古典>日本の古典へと似たような感じで再生産される。もっと深く立ち入ってみると、狂言綺語の思想との違い、則ち仏教的なるもの(公)と儒教的なるもの(私)とが『徒然草』では転倒されて、儒が一般論になり仏が具体的な実例になっている場合もあることが指摘できる。一方、説話と物語的な内容を伝えるときは、事実のように見せるために、虚構を加えたりしたのは、物語を史書の段階に引き上げようとした努力であったはすだ。 様々な素材を扱ったことでも有名な『徒然草』であるが、現代的なジャンル意識をもって作品に接する前に、兼好が書記行為に臨んだ姿勢と構想を先に捉えなければならない。そこで狂言綺語観、その中でも文学の階層化・位階化という側面からの接近が有効であると思われる。作品全体にわたる文学の位階を越えようとした書記行為を構想したのが、兼好にして『徒然草』序段で「物狂おしけれ」を発話させた一つの大きな原因ではなかったのだろうかと推し測る。

29

4,600원

本稿は三好達治(1900-1964)の詩集『艸千里』と『一点鍾』を中心として彼の詩に現れた存在と時間の思索に関して考察したものである。その結果、次のような結論を得ることができた。 まず、「艸千里浜」と「海3章」の四篇には現実の自我を取り囲む達治の孤独と喪失感がもっと深くなる姿を見せた。そのことは以前の達治の詩で見られた存在の孤独と喪失感がやはり有效であるというメッセージを波浪状の高原を通して提示した。また鴎の登場する作品に達治は自分の姿を現そうと鴎を借用した。それからこのような鴎を通して現実脱出の意志,あるいは希望を抱いているのも確認することができた。 また「涙」「家庭」「一点鍾二点鍾」は達治の詩における自分の子息と家内との現実的交感を扱ったという点で意義があった。「淚」は血縁のつながりと生命に対する永遠性を考える深遠な想像力を広げた秀作で, 「家庭」は憂欝な日常的表現を除いて一定したトンを維持しつつ身辺のことを述べたという点で既存作品との差別を見せた。「一点鍾二点鍾」は詩人の哀想感が時間を貫いて永遠さへ昇華されていた。 このように達治の詩における高原と海は自分の存在意識を込めて思索した空間であった。そういう海で暮している鴎は達治自分の心境を仮託した鳥類であった。 子息の涙と家族の構成員を通して時間に対した思索をした詩人は自分の子供の時とは違っている安らかな家長を志した存在であった。従って、日本の近現代詩史に達治の残した力作『艸千里』と『一点鍾』は時間と空間を出入りしたり詩人との一体化を通して自分の存在意識を形象化した重要な詩的成果であった。

30

시가 나오야[志賀直哉]의 초기문학

尹福姫

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.471-486

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

4,900원

本稿では、志賀直哉の初期文学について、特に志賀が残した膨大な周辺の資料を検討しながら考察してみた。考察に先立ってまずは、志賀文学における初期をどう定義するかという疑問から出発した。 これまで多くの研究者によって様々な分類の仕方がなされたが、本稿では周辺の資料を検討した結果、志賀直哉の作品活動期間中、最も多作の時期だった1904年頃から1912年頃までの期間を志賀の初期とみた。そして志賀の初期文学の代表作として、周辺の資料と最も関連の深かった『濁つた頭』と『大津順吉』をあげ、両作品の自伝的な側面に注目、相互の影響関係を実生活との関わりから考察した。 志賀文学の初期にあたる1912年頃まで、志賀は様々な事件を経験した。たとえば、一人の女性との結婚騒ぎ、その後の女性遍歴とそれをめぐる葛藤、内村鑑三及びキリスト教との出会いと別れ、複雑だった交友関係などをあげることができるだろう。これらの事件はここで検討した『濁つた頭』、『大津順吉』などの志賀直哉の初期作品はもちろん、中期の代表作『和解』、晩年の代表作『暗夜行路』にいたるまで影響をおよぼし、それらの作品の表面と裏面に何らかの形で作用したと思う。 したがって、志賀直哉の初期文学とその背景になる実生活についての正しい理解こそ、志賀文学全体を理解するための必須条件ではないかと指摘しておきたい。

 
1 2
페이지 저장