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本稿は現代日本語でよく用いられる敬語表現「ございます」、即ち「ござります」→「ございます」の変化過程の中で現われる傾向とその変化の完了された時期を中心にして、用例が見え始める近世後期、特に明和~天保期(1764~1843)の江戸語に焦点を当てて考察したものである。特に、当時の江戸語資料160種(江戸洒落本類143種、黃表紙類10種、江戸咄本類4種、滑稽本類1種、人情本類2種)の分析結果に基づいて位相(男性語と女性語)による遲速差とその原因及び、最初の成立時期と変化の完了時期について考察してみた。それから、同種の敬語表現「なさります」→「なさいます」及び、「いらっしゃります」→「いらっしゃいます」の変化過程の中で現われる傾向と最初の成立時期及び変化の完了時期と比較しながら検討してみた。その結果、幾つか新しい事実が分かるようになったが、これをまとめると、大体次のようである。①位相的な面から見ると、女性語の「ござります」→「ございます」の変化は男性語よりはやい。②「ござります」→「ございます」の変化は同種の敬語表現「なさります」→「なさいます」より遅い。③「ござります」→「ございます」の変化は同種の敬語表現「いらっしゃります」→「いらっしゃいます」より遅い。④「ございます」の成立時期は安永期までで、「いらっしゃいます」の成立時期である安永期(本動詞)と同じであるが、「なさいます」の成立時期である明和期よりは遅い。⑤「ござります」→「ございます」の変化の完了時期は天保期で、「いらっしゃります」→「いらっしゃいます」の変化の完了時期(本動詞)である天保期と同じであるが、「なさります」→「なさいます」の完了時期である文化期よりは遅い。要するに、このような考察を通して「ござります」→「ございます」の変化は位相によって遅速差を見せながら進行されたということと、同種の敬語表現「なさります」→「なさいます」及び、「いらっしゃります」→「いらっしゃいます」の変化よりは遅いということ、それから最初の成立時期と変化の完了時期などが分かった。
나쓰메 소세키 작품 『夢十夜』 「第七夜」와 구로사와 아키라 영화 『夢』 「第六話・赤富士」 비교 연구
한국일본학회 일본학보 제88권 2011.08 pp.17-27
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First, Soseki creates an air of anxiety increasingly and maximized in the novel, 「The seventh night」. He describes the color change of sea and wave: from blue to violet, and the violet becomes black at the end. Kurosawa shows fear and anxiety and maximized these in the movie, 「Mount Fuji In Red」 through the color change description also. He vividly expresses the color change of flowing lava, from dark red to bright red, at the volcanic outburst process in Mount Fuji. This can be considered that the writer and the movie director have generated the ultimate in artistry because they successfully express emotion and notion(idea), which are hard to draw, through the color change description. Second, characters in 「The seventh night」 and 「Mount Fuji In Red」 share a similarity to attempt to suicide into the sea by feeling severe anxiety. Third, “I” in 「The seventh night」 feel anxiety because modern science civilization and western culture have been flowed in and the conversation with a foreigner on a shipboard is not serious, not even exciting. “He” in 「Mount Fuji In Red」 feels anxiety because he is too concerned and feared of cataclysm and a radiation exposure from the volcanic outburst in Mount Fuji after the explosion of six nuclear power plants. Fourth and last, there is a difference between these two works. Soseki's work, as a novel, 「The seventh night」 in 『Ten Nights of Dream』 represents the anxiety of modern science civilization and western culture in 1908, which is the time of modern civilization flowing into Japan from the West. Kurosawa's work, 「Mount Fuji In Red」 in 『Dream』 is made in 1990 instead, which is the time of Japan has become the greatest advanced in the world in the economy and technology by absorbing the modern science civilization from the West. Kurosawa gets further to make a film representing the anxiety of radiation releases through a 'dream' as a medium.
4,600원
This thesis approached Korean-Japanese literature in modern and post-modern perspectives and post-modern imaginations in Korean-Japanese literature were studied in historical, political and cultural perspectives. First, the modern perspectives of Koran-Japanese literature were studied based on the diaspora, related to historical and ideological relationships of individuals-groups-nations that have been represented by nations and people under the modernism/post-modernism influences, politics and ideology, and development of cultural imperialism. In this study, the post-modern perspectives of Korean-Japanese literature suggested that it has not developed based on imperialism and modern nation-state's ideology, but has developed in multilateral ways. Especially, post-modern imagination was focused on post-colonialism acculturation (walk-on-the-wire kind of spirit of Bum-suk Kim, sorrow and joy from freedom, and social recognition of women in ‘Row the boat on the ground’), realism and identity of ‘living in Japan’ (criticism on confusional patriarchy in ‘Red fruit’ by Chang-seng Kim, relative imagery of usual places in Su-il Won's novels), imagination of diaspora based on extended meaning (‘internal others’ under hybrids in literature by Hwe-sung Lee, Gisa Sa, and Megumu), and open minded view of the world and post-nationalised communism (communism of Kim-ho Kim's books, historical books, historical novels by Jung-myung Kim, kids books by Shizca)Therefore, when Korean-Japanese literature's modern writings have represented imperialism, modern nationalism based on pure-blood and constraints in homogeneous myths, we can say that post-modern writing have focused on open-minded view of the world and it has linked to multilateral and realistic self, identity of ‘living in Japan’, and horizontal spirits and generality. Futhermore, Korean-Japanese literature's post-modern imagination is providing various information to Korean society where we can see a big change to multilateral society.
4,200원
『洋子物語(요코 이야기, So Far from the Bamboo Grove)』を通じて日本女性にとって ‘引揚げ’というのがいかに堪えがたいものであったかを,彼女が體驗した‘引揚げ體驗の斷面から考察した。ある日突然發生した家長の不在,その中で子供を連れて家長の役割を果たしながら日本まで帰る‘引揚げ’の旅程は彼女にとって堪え難いもう一つの戰爭であった。彼女が苦しい‘引揚げ’の道程で第一に重んじたのは何よりも家族の安全な帰郷であった。彼女は家族を無事に日本まで’引揚げ‘させるためにあらゆる苦労に堪えざるを得なかった。娘の身邊の安全を守るため男裝させ、戰死した軍人の軍服を剥がして着せることまでも躊躇しなかった。これらすべてが家族の安全のための必死な努力であった。しかし千辛萬苦の果てに帰った日本では歡迎されるどころか冷待されたりもした。結局日本という共同體の中で嫉視され、難民扱いされるまでになった。戰爭は人間の心を疲弊させるばかりでなく,人間性自體を變貌させた。特に女性たちが戰爭を起した 國家に対して批判的な態度をみせるのは當然なことかも知れない。これは戰爭を起した主體者である國家に對する批判というより国家よりも家族の安全を重要視する一面を見せていると思われる。
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本稿は村山知義が1938年から1973年までの長い期間、演劇、映画、オペラの形式で関わり続けた『春香伝』の中で彼が1939年に映画化を試みた『春香伝』の研究である。1938年に『春香伝』の演劇化に成功、引き続き映画化に進む経緯を辿ることを通じて村山にとって『春香伝』の映画化はいかかる意味を持つものであったのかを言語の問題と「京」の夢龍から明らかにした。村山の『春香伝』の映画化からは当時の『春香伝』をめぐる世界の動きは勿論、日本・朝鮮の映画界の現状までが読み取れる。また村山により再創作されたシナリオ『春香伝』は韓国の『春香伝』の伝統の中に新しい可能性を示した点は評価に値する。本稿では当時の表現である「朝鮮」、「朝鮮語」などはそのまま使うことにした。
4,800원
本論文は小林秀雄の戦時期大陸旅行記を主な考察対象とする。とりわけ中日戦争勃発の直後に行われた二回の朝鮮․中国旅行の旅行記を通して、小林が日本人としての中心性を獲得していく過程の内実を考察することが研究目的である。まず、小林は慶州の石窟庵を訪ねて強い印象を受ける。旅行記「慶州」では芸術品の普遍的美を前にして揺れる小林の不安的な主体と二律背反的な眼差しの共存が確認できた。しかし中国旅行記の中でそのような痕跡は見つけることができない。代わりにそこにあるのは、小林の揺れることのない日本人としての安定した中心性である。こうした旅行記の分析を通して植民地すなわち大陸訪問が、小林が日本人としての中心性を確立していく決定的契機になったことがわかる。それは帝国の周辺で中心を喚起し境界で主体を確認するナショナリズムの逆説的求心力を如実に証明する方法によるものであった。以前、文学者としての私と日本人としての私の間で苦悩した小林はもう文学と政治の差異を差異として認めない。実存的矛盾の狭間で苦悩した批評家小林はすでに存在しない。小林が批判されるべき地点はまさにここである。つまり、それは批評家としての思惟を止めたことである。近代日本を省察的に懐疑し自らを相対化し続けてきた自意識の批評家はもう存在しない。結局、大陸訪問による小林の日本人としての自己確認の本質は批評家としての自己否定であり、また自己消去であったといえる。
에지마 기세키(江島其磧)의 축재(蓄財) 인식에 관한 소고(小考)― 쇼토쿠기(正徳期) 작품을 중심으로
한국일본학회 일본학보 제88권 2011.08 pp.81-92
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江島其磧(1666-1735)の初の町人物『商人軍配団』(1712)と後続する『渡世商軍談』(1713)には蓄財に関わる多様な町人の姿が描かれる。本稿では『商人軍配団』、『渡世商軍談』に反映された蓄財認識がどのようなものか、二作品が踏襲したとされる『日本永代蔵』(1688)との比較を試みた。考察の結果、『商人軍配団』、『渡世商軍談』は『日本永代蔵』の発想と素材を踏襲しながらも、蓄財を運命と考える諦めの姿勢、蓄財の結果だけを重んずる認識、富の継承への負担感がより強調された作品であった。つまり、『商人軍配団』、『渡世商軍談』には人力で倫理的に蓄財できるという教化的蓄財認識よりは、蓄財を運命として考える諦めの認識がより強調され、運命に左右される蓄財の方法及び過程に対する倫理意識は自ずと弱まっていた。そして、蓄財と再起に成功したかどうかに重みを置こうとする作者其磧の認識から、「富の継承への負担感」も作品の素材となったと見受けられる。このような傾向は其磧が育ってきた過去とは違う1712-1713年現在の経済的、個人的現実が濃厚に反映されていると思われる。つまり、『商人軍配団』、『渡世商軍談』を息子の出版社である江島屋から出版した正徳期当時、家業である餅屋もうまく行かず、書誌八文字屋とも不和のただ中であったので、其磧が蓄財に関して前向きであったとは考え難い。このような圧迫された其磧の心理は作中の蓄財認識と無関係ではないだろう。また、『日本永代蔵』が出版された時期に比して一段と強まった貧富の差による社会的挫折感、危機感のため、著者其磧は作中に、もはや教訓を盛り込もうとは思わなかったであろう。その流れで、後続する『世間子息気質』(1715) でも主人公の息子達は必ずしも零落せず、彼らには必ずしも倫理的判断が下されない。その息子達は他でもない其磧本人とその息子である可能性があったからである。このような教訓の形骸は其磧と読者が感じる経済的挫折感、及び個人的危機感を美化しようとした結果であり、その結果『世間子息気質』は既存の町人物より教訓性の薄い作品となったと考えられる。
4,600원
本稿では蕉門の代表的な門人といえる去来と其角の俳諧に関して考察しようとしている。まず、師匠である芭蕉の俳諧を継承発展させ、蕉門の衰退を防ごうと走り回った去來の努力は、蕉門の発展には大きく影響したと言わざるを得ない。しかし去來の溫和で、保守的な性格により当時足早に変わりつつあった江戸俳壇の流れに間に合わせるための対応が遅かったため、結局は蕉門俳諧が当時の江戸俳壇の変化と流れに遅れをとるようになる要因を提供したといえるのである。それに比べて其角は、蕉門の最高の実力者で脚光を浴びながら当時の江戸俳壇から相当な関心を集めた人物である。其角は自分独特の俳諧といえる寫生論を中心として新しい俳諧の改革に歩み出したのである。しかし急激すぎた其角の新しい挑戦は江戸俳壇には旋風を巻き起こしながら大きな刺激剤にはなったものの、蕉門俳諧には大きな後遺症を与え、のちには其角自身が蕉門俳諧から脱退して、結局蕉門俳諧を分裂させる原因になったと言えるのである。
전후 일본의 아시아시장 재진출에 관한 연구― 일본공영(日本工營)을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제88권 2011.08 pp.107-123
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The purposes of this paper are to discuss that Nippon Kouei, Japan's first and largest engineer consulting company, has a historical continuity on its business between before and after the Second World War and to discuss that Nippon Kouei's progress were brought by its participation in so-called ‘reparation business in Asia.’ In order to understand the process of Japan's reentry into the Asian market after the Second War, analyzing the case of Nippon Kouei will be beneficial, since it is one of the largest beneficiaries of the reparation business. Reasons why Nippon Kouei could involve in most of the reparation business in 1950s and 1960s are summarized as follows. Firstly, the company's human resources were consisted by a number of electrical, river control and civil engineers. Their knowledge was demanded by both Japanese and Asian recipient nations because bureaucrats and politicians mostly do not have such knowledge. Secondly, many of Nippon Kouei's engineers had already had experiences in directing large-scaled infrastructure projects in Korea and Japan's occupying territories before 1945. Thirdly, Nippon Kouei's technical background gave it bargaining powers not only in negotiations in business contracts on respective projects but also in governmental negotiations between Japan and the recipient nations. Besides these reasons, the Cold War system gave Japanese government advantageous effects on its postwar reparations. Japan was exempted from giving cash to the recipient nations, and so-called service reparation was introduced, instead. This allowed Japanese companies to be free from competitions with foreign competitors. Furthermore, payments for participating Japanese companies were implemented directly by the Japanese government. This method was the most secured condition for the participants.
일본의 경관시민운동의 성격에 관한 일고찰― 세키씨의 숲(関さんの森)의 사례를 통해 본 갈등적 측면 ―
한국일본학회 일본학보 제88권 2011.08 pp.125-139
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本稿では日本における景観市民運動に関してその葛藤的な側面を紹介し新しい社会運動の観点から考察する。日本では1970年代頃から景観に対する関心が高まり、景観市民運動が展開されてきた。その流れの中で、景観法や景観条例など法的整備も行われてきた。景観市民運動は景観の保護、整備などを巡り、市民と行政(あるいは開発業者)が対立することもある。運動の参加者は景観侵害、景観破壊などを理由にマンションや道路の建設などに反対する。しかし、その裏側には生活の利便性を求め、建設に賛成する人も存在する。筆者は、このように景観市民運動に内在する利害関係を巡る対立が果たして新しい社会運動の理念と合致するのかに問題を提起する。そこで、景観市民運動の事例を通してそこにある利害関係の一面を紹介することによって景観市民運動の葛藤的な側面を提示し、景観市民運動がこのような利害関係をどのように克服して展開されるべきかを考える。
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本稿は茶道を生活芸術という観点から、具体的な例として夜咄の茶事を通じて侘び茶の姿を見ようとした。亭主と客はまるで役者のように自分の役割を点前する。茶事は定めた約束の中で知ってる人同士で感じる楽しみがある。夜咄は視覚より聴覚や嗅覚が敏感な夜に行われる茶事であるので、昼間に行われる茶事より主客の間の交感が密接になる。ゆらめく灯火の中で、茶席の風情も特別である。それで一番作意が必要な茶事かもしれない。寒さに対する配慮、夜にふさわしい雰囲気を作り出している間、昼間には味わえない楽しさがある。時を忘れてゆっくり行われる夜咄は多忙で孤独な現代において取り戻したい心の余裕、心の贅沢とも言える。陰の時間に陽の火で均衡を保ち、主客の間はお互いに配慮し合い、要らない飾りは果敢に省略し、寒い冬、心を慰める暖かいお茶をもてなす事によって、主客の間の交感を大事にする茶事である。茶の湯の点前には禅宗や儒教の教えに基づいて、様々な文化․美術․工芸を摂取しながら、亭主の高度な演出が伴う。また日常から切り離した茶室という非日常の空間の中で、その演出によって亭主と客の心の交流ができる。普通侘びは不完全の美といわれるが、夜咄の茶事から探ってみた侘びは果敢に省略と主客の間の配慮と節制、融通性ある作法にあると言える。また元々侘びは高価の唐物に対する反対の概念であったが、現代での侘びは別の意味の贅沢の価値であり、芸術のテーマである。
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日本の自動車産業は、完成車企業-部品企業間の緊密な協力関係、承認図方式に基づいた部品開発、JIT(just in time)生産方式を採択するなど、欧米とは異なる自動車生産システ厶で2008年からアメリカのビック3を抜いて世界一の座に君臨し続けている。しかしながら、現地に進出した日本の自動車会社は、費用削減を強いられる上、進出国政府が強く打ち出す部品の現地調達政策により、地元および海外メーカーと価額․品質をめぐって激しい競争をせざる得なくなっている。一方、韓国の場合、政府の強力な支援策や先進国からの技術導入、ピラミッド型の専属構造など、日本とほぼ同じ発展軌道を辿ってきた。しかしながら、90年末の通貨危機により、大々的な構造再編の波が押し寄せた。このような大規模な再編․合併は、従来のピラミッド型専属構造に少なからず変化をもたらしつつある。なお、通貨危機以後、完成車企業の財閥的な体質が弱まり、完成車-部品企業間の強い専属関係が弱体化されたため、部品企業の取引先の多様化現象も顕著になっている。
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