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江戶中期 이후 上方語에 나타나는 ナ行變格活用動詞의 四段化現象에 관한 考察― 四段化의 傾向과 完了時期를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제63권 2005.05 pp.1-14
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4,600원
本稿では、江戸中期以後の上方語に現われるナ行変格活用動詞の四段化現象について、四段化の全体的傾向と完了時期を中心にして当時の上方語資料40種(上方洒落本類35種、上方歌舞伎脚本類3種、道話類1種、滑稽本類1種)の実態の分析結果に基づきながら、中期上方語との比較を通して考察して見た。その結果、幾つかの特徴的事実が明らかにされたかのように思う。まず、四段化の全体的傾向としては、①「去ぬ」の四段化は「死ぬ」の四段化より早い。②会話文の場合、已然形の四段化は終止・連体形の四段化より早い。③文体的な面から見ると、会話文の四段化は地文の四段化より早い。④位相的な面から見ると、男性語と女性語間による四段化の遅速差は見られない。⑤地域的な面から見ると、大阪語の四段化は京都語の四段化より早い。⑥中期以後上方語の四段化は中期上方語の四段化より早い、という事実が指摘できた。 一方、四段化の完了時期としては、⑦口頭語、つまり会話文の場合、文政~弘化期に完了したものと推定される、という事実が指摘できた。 殊に、このような事実の中で①②③④は中期上方語の傾向と大体一致すると言えようが、⑤は中期上方語はもちろんのこと、従来の論とも異なると言えよう。なお、⑦も従来の論より早い時期に当たるという点から注目される。
5,200원
日本の流行歌は,日帝強占時代を通じて韓国に流入されたが、韓国において成立する段階から、形式と内容における類似点と差異点とが、互いに対立し合い、影響を与え合っていた関係である事が分かっている。 日本の流行歌は,前期においては、東アジアの帝国主義化のための国民的な与論と兵士を確保し、国民を郷土愛と愛国心で武装させ、戦場へ煽動する役割を果たしていた。従って、流行歌は、単に政治的な目的によって愛国心を煽り、参戦を訴える煽動歌ではなく、当時の戦争に対し、正当性を与え、国民の支持を得るために「国土讃美․天皇に対する忠誠」などを説き、戦争に導く役割を果たしていると言える。後期においては、敗戦と米軍政に起因する悲しさ、及び苦しさ等を慰め、経済の跳躍のための活力と、希望などを、流行歌を通じて得る事ができると言える。 韓国の流行歌は、日帝強占時代の苛酷な抑圧と搾取による不満を鎮め、南北分断と6.25戦争に起因する悲しさ、辛さなどを慰めてくれる等、一定して社会的な機能を担当したと言える。 本稿では、1925年から1960年までの韓国と日本の流行歌の中で、愛憎を表す語彙の比較考察を通じて韓日流行歌の語彙の類似点と差異点を明らかにし、兩国の流行歌に反映されている社会相, 政治相, 文化相などを調査した。 本稿を通じ、今後の韓日兩国における流行歌の研究、または他の隣接する学問研究においても、基礎的な資料として活用できるだけではなく、流行歌に使われる語彙の言語的な考察を通じ、流行歌の歷史的、政治的,社会的, 文化的な研究においても、その発展の助力となれることを期待する。
4,900원
本稿は、明治26年に作成された『日韓通話』と明治時代に刊行された『交隣須知』の対訳日本語にみられる、①ハ行四段の動詞の音便形、②形容詞の連用形、③打消の助動詞、④指定の助動詞、⑤カ行変格活用の命令形、⑥原因・理由を表わす接続詞、⑦推量の助動詞「ダロウ」、⑧代名詞「私」「汝」、⑨受け身を表す動詞、助詞「は」と「が」の用法の10項目について言及したものである。『日韓通話』と『交隣須知』の対訳日本語について調査、検討した結果、『日韓通話』の対訳日本語は、明治14年、明治16年に刊行された『交隣須知』に比して新しい日本語の様相を呈していることがわかった。また、同じ『交隣須知』であっても、明治16年に作成された宝迫本『交隣須知』や明治37年本『交隣須知』の対訳日本語により近い、新しい日本語が付記されている部分が多々あることが明らかになった。
5,200원
本稿では、形容動詞語幹を作る接尾語ヤカとラカについて、ヤカとラカの形成素であるヤ․ラの語源とその派生語の時代的流れと作品のジャンルとの関係について考察してみた。 まず、接尾語ヤカとラカの形成素であるヤ․ラの語源についての諸説についてみると、ヤ․ラの語源を動詞の活用語尾や助動詞ユ․ル、あるいは間投助詞とする説があったが、動詞活用語尾からの派生ではないかと思われる。 次にヤカ型とラカ型の形容動詞は語彙史的消長の面からみると、上代及び平安極初期ではその使用頻度はほぼ同じくらいであった。しかし平安中期に入って急にヤカ型の語彙が増加し、平安時代以来その造語力を保持している反面、ラカ型の語彙は相対的に増加の速度が低下し、かなりはっきりした時代的傾向がみられた。 また、上代から室町時代までの文献をジャンル別に分析することによって接尾語ヤカとラカがどのような文体の作品に多く使われているのかを考察してみたところ、時代とは関係なく多少の出入りが認められた。例えば、全般的にヤカ型が優勢な中で鎌倉時代に一時的にラカ型語幹の形容動詞の使用頻度がやや高まっている。それはこの時代が武家政治の台頭期であり、男性的かつ事実の客観的描写と固い漢文訓読体で、文体に緊張感を与えるためであろう。らか型をジャンル別にみると、軍記→説話→日記․紀行→王朝物語→歴史→随筆の順に多くあらわれるが、これも作者の男女の別と素養や、文体による偏りが認められた。即ち表現主体が男性の場合は漢文体をはじめ和漢混交文で客観的叙述をする傾向があり、ラカ型の語彙を選好していることが分かった。女性の場合は主観的で語感が柔らかいヤカ型の語彙をより選好している。そこでヤカ型が優勢な作品をみると、源氏物語(36:17)、浜松中納言(23:12)、堤中納言(13:3)、寝の目覚(27:11)などで、ヤカ型が好まれる背景には、主観的、繊細な表現に使われる語彙が顕著であって、繊細な感情表現を好む日本人の美意識が働いていると思われる。 またラカ型だけの語幹の場合は、語基そのものが情態言「ーラ」であるもの、動詞化接尾語ルの未然形の「ーラ」に接尾語カが接続した「ーラ+カ」の形式が多く、下二段動詞の場合は「連用形+ラカ」であるという構成である。ヤカ型․ラカ型の両方がある場合には、ヤカ型の先行する語例がラカ型の先行する語例よりも多く、すべての語彙が両型をもっているのではない。
二言語環境下の教室における二言語の使い方の変容過程-来日まもない帰国児童の事例から-
한국일본학회 일본학보 제63권 2005.05 pp.67-77
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4,200원
本稿は、日本語がほとんど話せない状態で授業に参加し始めた1名の帰国児童(健二:仮名)の事例から、実際の教室の授業場面において二言語がどのように使われており、それが授業参加とどのように関連しているかを長期的な観察を基に明らかにしたものである。二言語の変容過程を明らかにするにあたり、まず二言語の能力の変化を二言語能力テストTOAMの結果から量的に分析し、それに伴う実際の授業場面での二言語の使われ方を参与観察を基に質的に分析した。分析の結果、二言語は共に、徐々にその使われ方が授業参加へとつながるようなものへと変化していることがわかった。また、授業への参加に際して日本語は「教師」や「メインストリーム」との関係構築、英語は「周囲の児童たち」との関係構築のための媒介言語として、二言語がそれぞれ異なる機能を持っており、授業参加にはそれぞれが必要であることが示唆された。
4,600원
開始の局面を表す「~始める」「~出す」形と同じく、開始の局面を表すとされるものに「~かける」形がある。この「~かける」形は、「開始の直前」「開始が実現し、途中で中止される場合」など、明らかに「~始める」「~出す」形にはない独特の意味内容を持っている。 この「~かける」形については、動作․作用が始まることを表す「始動態」と、寸前の状態に達することを表す「将現態」があるという見方、つまり多義的なとらえ方が定説になりつつあった。 しかし、最近では、「始動態」「将現態」という多義的なとらえ方ではなく、不完全な実現、あるいは、限界達成の(直前)などとすべてを実現まで、あるいは、限界達成までの一つの過程として、一元的にとらえ、開始の局面とは、別視する見解も現れた。 一方、「~かける」形には、「~始める」「~出す」形の開始の局面と同じように、「開始以後も継続され、中止の意味が現れない」場合がある。 本槁では、このように、「~かける」形が表す開始の局面には、「~始める」「~出す」形と似通った部分と違う部分とがあることに注目して、その同異点を明らかにすることによって、「~かける」形が持つ開始の局面の特徴をとらえるとともに、「~始める」「~出す」形との関連において、開始の局面を表す動詞として「~かける」形がどのような位置にあるのかを考えてみた。 本稿では,以上のような問題点を踏まえた上で、開始の局面からとらえた「~始める」「~出す」「~かける」形の開始の仕方の違いを「~かける」形を中心に分析を行った。
4,300원
本稿は「属性的関係の名詞」の語順について述べたものである。日本語の連体修飾語の語順は「非属性的修飾語はそれより属性的修飾語の前にきやすい」という構文的条件に支配されている。この構文的条件によれば、属性的に主名詞を修飾する名詞は最も属性的な修飾語である。それで、本稿では「属性的関係の名詞」を下位分類し、どんな修飾名詞が最も主名詞の直前にきやすいのかについて考察した。 「属性的関係の名詞」を「内容」「種類」「特徴」「数量的特徴」と分類し、他の連体修飾語との語順を調べた結果、「内容」を表す修飾名詞が最も主名詞の直前に来やすかった。次は「種類」を表す修飾名詞、「特徴」を表す修飾名詞、「数量的特徴」を表す修飾名詞の順であった。このうち、「数量的特徴」の場合は一定の語順の傾向が見られなかった。これらの現象を通して、主名詞の内容的質に関わる修飾語が最も属性的な修飾語であることについて考えた。
4,300원
本稿は1892年(明治25年)に日本で刊行された『日韓英三国対話』の言語資料としての性格を語学史的な観点から考えてみようとしたものである。『日韓英三国対話』は主に韓国語を学習するために作られたものではあるが、韓日両国において初めて刊行された3言語対照学習書であり、注目すべき資料的価値を有しているものと思われる。 本書が刊行された時点における韓国語学習書は外務省版として印刷した『交隣須知』と『隣語大方』を除けば『韓語入門』(1880年刊)と『善隣通語』(1880年刊)の存在が知られているぐらいで、本書はいわば草創期の韓国語学習書の一つとして数えられるものである。そこで本稿では、本書と同時期の他の韓国語学習書を比較対照し、そこから本書の特性を考えてみようと試みた。その結果、本書は明治刊本『交隣須知』の影響を受けながらも会話の機能を重視した新しいスタイルの学習書として位置づけることが出来るのではないかと思う。 なお、本書の日本語には、ハ行5段動詞の連用形や動詞「行く」の連用形において東京語とは異なる現象が見受けられ、本書の日本語には地域性の問題が介在しているように思われる。特に「行く」の連用形には、明治刊本『交隣須知』や『日韓通話』(1893年刊)のそれと同じ傾向が確認されているが、このような現象は当時の韓国語学習書の資料性を考える上で一つの手掛りを提供してくれるものと思う。
3次元仮想空間を利用した日本語の授業と教師の役割― 海外遠隔実験授業の実践報告 ―
한국일본학회 일본학보 제63권 2005.05 pp.117-128
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本稿は、3次元仮想空間を利用した「日本語」の海外遠隔授業が実際どのようにおこなわれ、このような授業において教師に何が 求められるのかを考察した実践報告である。 米国CRGが開発した「VXInteractive Distribited Learning Client」(以下、CRGと表す)は、3次元仮想空間内においてリアルタイムに音声を通じてコミュニケーションをはかることができるという利点がある。本稿では、日本のお茶の水女子大学と韓国の同徳女子大学を結び、CRGを最大限に生かせる授業を実験的に試み、そのなかで得られた知見、教師の役割について考察した。 3次元仮想空間を用いた授業では、従来の授業とは異り、国内外の遠隔地を結び、リアルタイムコミュニケーションによる学習が可能である。また、日本人学生を交えての学習を行うことにより文化的側面を考慮した実践的学習環境を提供することができる。その上、多様で豊富な学習機会を提供することにより、学習の動機づけ、向上をはかれる。また、日本語教育とコンピュータ․リテラシー能力の育成を同時におこなうことができる。こうした授業を実現するにあたっていくつかの課題が残されており、それを最小限にしていくために新たに教師に求められるものとして、次のようなものがあると考えられる。第一に、将来的に、遠隔授業による大学間の単位認定が望まれる。第二に、従来のシラバスを応用し適用、遠隔授業を重ねることにより教授法を確立する必要がある。第三に、学生の反応や外部からの評価を受けながら、どのように授業をおこなうか常に問い続ける必要がある。第四に、コンピュータやインターネットを使って指導できる教員の養成が望まれる。 CRGの開発により、3次元仮想空間を共有した国を超えての授業が可能となり、学習者の学習への動機づけ、向上が図れるようになった。しかし、同時にこうしたシステムを最大限に有効活用するにあたって、日本語教師には、今までにない様々なスキルが要求されるといえる。
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中世日本語の原因․理由を表す接続形式(以下、因由形式)には、ホドニ、トコロデ、アイダ、已然形バ、ニヨリテ、ニヨッテ、ユヘニなどの多様な形式がある。文の構造を階層という観点から説明する現代日本語の階層論の観点から、17世紀前半に成立した大蔵虎明本狂言集の諸因由形式を分類すると、ホドニ、トコロデ、アイダはC類、已然形バ、ニヨリテ、ニヨッテ、ユヘニはB類に分類される。しかし、この分類は、虎明本の因由形式の場合であり、その前後の時代の資料を観察すると、虎明本の因由形式とは異なる階層的特徴を見せるものがある。本稿ではその中で、ニヨッテに注目する。因由形式ニヨッテが中世の諸資料の中で、階層的にどのような変化を見せるのかを考察する。本稿の考察の結果、ニヨッテについて次のことが明らかになる。 (1) 15世紀初頭の抄物には、ニヨッテ句の述部にベシがくる例がみられる。ニヨッテ句の述部にベシのくる抄物には、ニヨッテ句がホドニ句を包含する例が見られる。 (2) キリシタン資料、虎明本には、ニヨッテ句の述部に推量の助動詞がくる例はみられない。包含関係においてもニヨッテ句がホドニ句を包含する例はみられない。 (3) 虎明本以降の18世紀後半成立の大蔵虎寛本狂言集にはニヨッテ句の述部に推量の助動詞のくる例がみられる。虎寛本ではニヨッテ句がホドニ句を包含する例がでてくる。 (4) ニヨッテ句の述部に推量の助動詞がくることと、ニヨッテ句がホドニ句を包含する例があるということとは一定の関係があると思われる。すなわち、推量の助動詞がニヨッテ句の述部にくる場合、ニヨッテ句がホドニ句を包含することができる。その助動詞が、ベシ、ウズなどのように不変化助動詞でない場合であっても同じことがいえる。 (5) 包含関係やニヨッテ句の述部からみると、ニヨッテは15世紀初頭から、 C類寄りのB類 → B類 → B類寄りのC類 に変化したとみえる。
4,200원
本論文は、室町時代の抄物、特に『玉塵抄』を中心として、五山系抄物の中で漢字の字音の系統について説明しているところを取り上げ、そしてそれとその音注において<墨筆―呉音>と<朱筆―漢音>という表示わけのある『文明本節用集』との比較を通して、呉音漢音と明示されているそれぞれの字音がその当時の他書における呉音漢音とどのような関わりを持っていたのかを検討した。なお、当時その呉音漢音の分類には清濁がどう関わっていたのかも合わせて考察した。その結果、五山系抄物と『文明本節用集』における呉音漢音の分類の仕方には、共通の理解が多数見られる反面、その3分の1は何らかの点において異なっていることが明らかになった。この事実は、室町期、一口に呉音漢音といってもその内容は学派や人物などによって多かれ少なかれ異なっていたことを示していると考えられる。さらに、『玉塵抄』を中心とする五山系抄物は『韻鏡』濁音字、さらには清音字の一部などについても、抄物では素音注が同一のものについてはそれを清濁の別で呉音漢音に分類しているのが普通なのに対して、『文明本節用集』ではその場合両方とも漢音としていること、濁音は呉音、清音は漢音と、つまり清濁の違いに基づいて呉音漢音を分類していることがわかった。このことと『文明本節用集』の編者は五山禅僧と言われていることとを重ねると、五山の中には、字音の呉音漢音分類、そして、その方法について、相対立する二つのグループがあったのでないかと考えられる。
아쿠타가와 류노스케(芥川龍之介)의 문예와 계급 인식─「주유의 말(侏儒の言葉)」을 중심으로 ─
한국일본학회 일본학보 제63권 2005.05 pp.159-175
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芥川が『侏儒の言葉』で、文芸と国家、あるいは文芸と階級の関係を論じたのは、プロレタリア雑誌『種蒔く人』の創刊と有島武郎の「宣言一つ」等によって、文壇でも文芸と階級の問題が急浮上した状況であった。彼は当時の社会の現実に対して、軍国主義や帝国主義が虚偽的なイデオロギーを民衆の心に吹き込むことで、暴力で民衆を統制したり他の民族を侵略・支配していると認識した。このような現実に対する絶望は、関東大震災の際の自警団体験とそれに従う現実に対する徹底的な反省と認識から来たのだと思える。 しかし、芥川はこのような現実の状況の中で、イデオロギーの虚偽性や国家的暴力に対して、自分の文学で対抗しようとはしなかった。それよりも阿呆でも英雄でもない平凡な人間であることを選択し中庸を希求する。このような中庸への希求は国家・社会に対する透徹した認識の持主である芥川にとっては、美徳ではなく矛盾だらけの現実を生きていかなければならない<賢い処世術>に過ぎない。したがって、そのような自分に対する認識は、「わたしは良心を持ってゐない」という自責へとつながり、そのような自分の姿を軽蔑して<侏儒>と呼ばざるをえなかった。国家・社会の不条理に気づいていながら、実践には限界を感じ、逃避的ともいってよい中庸的生の態度を志向せざるをえない自分を嘲笑的自虐的に<侏儒>と規定したものであった。 芥川はそのような自分の文学と、現実においての限界との原因を中流階級という自身の所属階級に返した。彼はプロレタリアでもなく、ブルジョアでもない中流下層階級に属しているという自覚から、社会主義の思想に対して、同調とともに不安や責任を感じているが、なんらの実践にも踏み込めない以上、「僕等は時代を超越することは出来ない。のみならず階級を超越することも出来ない」と述べ階級的限界を吐露するしかなかった。 このように『侏儒の言葉』は、当時の日本社会の状況と関連して文学と階級の関係を述べるにおいて、自分が志向した文学が実践できなかった自分自身の自画像であると同時に、そのような自己への、まさに自己批判だったのである。
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伎楽の盛衰とその展開の歴史を追跡するうえで欠かすことのできない根本資料の一つに六国史がある。本論文は、ただ単に、百済人未摩之によって伎楽舞が日本列島に伝わったという『日本書紀』の記事に触発されて『日本書紀』をはじめとする六国史を調査し、伎楽の足跡を追跡するという、消極的な選択によるものではない。推古女帝の時代には、仏教を広めるために聖徳太子によって伎楽が奨励され、且つその後は雅楽寮にて管理・育成されるなど、民間の楽としてではなく、官の楽、朝廷の楽としての軌跡を示しているからである、という積極的な事実がある。所謂、「公式な公演記録」、あるいは伎楽関係の「公式な記録」とも言える六国史の記事を辿ることによって、伎楽の盛衰を見極める端緒を得ることができ、さらには朝廷におけるその他の芸能との相対的な位置関係を見極めることができるからである。もちろん、六国史に記されている伎楽の記事が該當時期の公式な公演の全てであるとは断言できず、また、當時の伎楽の在り様を総合しているということでも決してなかろうが、にも拘らず、六国史に伝わる伎楽の軌跡を確認することによって、古代の伎楽の在り様を追跡するうえで有効なモザイクの一片を確保できると確信する。
근대적 남녀관계론의 성립과 문명개화― 후쿠자와 유키치(福澤諭吉)의 「남녀교제론(男女交際論)」을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제63권 2005.05 pp.193-208
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4,900원
恋愛という男女の間の日常的な愛は人間の普遍的な観念でもあるが、一方では社会的関係を敏感に反映する時代的な産物ともいえよう。特に1880年後頃の男女交際は福沢諭吉の先駆的な提案と啓蒙によって新しく始まった人間関係の方式であったといえる。 福沢諭吉は文明には段階があり、それは野蛮から文明へと進歩することとして認識していた。このような進歩の意味の中には人間交際までもが文明化の方向へ行くという、改良の意味を含んでいる。特に彼は、男女関係を一国の独立を成す重要な要素として認識していた。日本の文明化を成し遂げるため、すなわち西洋と対等な国家になるためのひとつの条件として男女関係の新しい定立を摸索したのである。従って、福沢が主張した男女交際は文明/国家と密接な関連があるのである。 また彼は男女交際の理想像として「情感の交」を強調した。男女間の対等な精神的な交際がそれを「広く」「易しく」「永続的な」ものへと作り上げるのだと信じていたのである。また彼は、男女交際の自由・不自由を個人次元の問題だけではなく、「一身一家または社会一般に関する広大無邊」な課題として把握していたのである。明治20年という空間の中で始まった男女関係の新たな定立は、福沢のいわゆる<文明化>に対する認識を土台とした国家意識と密接に関係するのである。 かかる意味で現代社会における結婚の前提として、男女の間で行われている「恋愛」という概念は、それが近代的意味合いをもっている限り、国民․民族․国語․国文学等、近代国民国家の成立とともに派生した概念と全く同様に「国家文明のイデオロギ」と深い関わりをもっていたのである。
4,600원
作者漱石は『門』における話し手の解釈を通して宗助とお米の二人の存在を「一つの有機体」として結んでいるのだが、これは “仕合せな夫婦像”に基づいた作者自身の願望の産物に過ぎないことがわかる。過去の出来事に関する意識的な対話の回避は夫婦の精神的な断絶へと繋がり、結果的には其々が担っていくべき孤独感をうみだす。話し手はこの夫婦が共同の罪意識により共に苦しんでいるように解釈しているが、宗助とお米の苦しみは根本的には相異であるように見られる。お米のそれは、過去に対する罪意識より、むしろ死産への罪意識や対話の断絶からくる孤独感,希望を失った諦めの結果のほかにならない。結婚後、常に微笑むお米の行動が全てを受け入れるというプラス的な解釈をすることも可能であろうが、微笑みの内に隠れた無條件的收容と自己抑圧の中に、お米だけが抱えている諦めと虛脫感が內在されていることが確認できよう。
5,500원
This article will analyze the current state of East Asian regionalism and draw the Japanese strategy toward East Asian regional integration in general and bilateral FTAs in particular. This article provides an analytical framework to evaluate FTA partners, upon which the Japanese government can design a FTA strategy. The Japanese designed East Asian regionalism has been more realistic in recent years, particularly after the financial crisis of the late 1990s. However East Asia, composed of many countries at different levels of political and economical development, is still far away from becoming a single community or a free trade area. This article concludes that Japan will have many limits doing FTA among East Asian countries due to potential domestic disturbances to an acceptable level, as well as in securing proper implementation of it. This article also cautions that the Japan's FTA policy of East Asian with regional block, particularly dominated by potentially anti-Japanese due to previous history. Joining this kind of anti-Japanism may jeopardize Japan's relationship with the East Asia.
5,200원
日本映画史の中で1960年代は特別な意味がある。というのは、経済成長, 技術成長, 社会安定, 社会階層の多様化等により、低価文化の大量生産, 文化の商業化, 文化競争の激化, 文化需要者の多様化, 文化の専門化 等のきっかけになったからである。日本映画はこのような新しい変化に対応するための生存戦略を築かなければならなかった。特に技術成長で1953年NHKのTV放送が初めて行われたし、本格的なカラーTV放送時代に入ることで、1960年代を頂点とする日本映画は下向曲線を歩むことになった。本稿は1960年代さまざまな変化の中心で日本映画がどのように歩んできたのか、また新らしい時代性に応じ, どんな時代的思潮を生み出したのかなどを考察する目的がある. 1960年から1970年までの日本映画は芸術映画からピンク映画へ, 理性から感性への社会認識転換, 精神から物質への転換, 表現の自由, 映画産業の商業化, 文化産業戦略発達, 文化需要増加, TV文化拡散, 時代参与映画, 専門映画需要者, 映画技術の多様化, 映画監督の細分化等に応じなければならなかった。日本映画は時代性としてヌーベルバーグ主義, 性映画主義, アメリカンニズ, 英雄主義, 社会派映画主義 等の特徴を表わしたのである。
6,400원
Writers such as Johnson(1979) Rosenbluth(1989) Calder(1993) Katz(1998) who have investigated Japanese problems empathize that some kind of characters decribing so called Japanese Economic System(JES) and MITI's industrial policy could be listed the most powertful factors to explain Japan's high-level economic growth during last four decades. JES decribes the characteristic Japanese economy structure where bureaucrat in MITI and MOF and some politians representing industry and business' interests play a key role in planning and budget allocation, and are accustomed to use administrative interference, regulation /protection to urge compromise and yields of related business and industry for the purpose of pursuing living-together/minimizing drop-out strategy if necessary. Elite bureaucrat did not admit of winner-takes-all system that have prevailed in western world in Japan market. They have been educated to lay priority in equality and cooperation than efficiency and competition. Also they appreciate social-democratic compromise in decision making of hot conflict issues to accomplish Sozialstaat ideal. Of course many business conglomarates including old-chaibatz, Mitsubishi, Sumitomo could get competitiveness by virtue of high value added technology and R&D projects for semi-conductor, supercomputer, space and aviation technology. That projects have been coordinated by MITI and affiliated institutions for the purpose of catching up with western industry and surpassing them until 1980s. In this paper we insist that government-guided growth strategy namely JES could not function well in borderless global economy of these days even though it have accomplished to build comparative advantage of Japanee business and industry until 1980. Japanese bureaucrats wish to keep up with small government under increasing social security burdens, so that they can pursue no more living-together strategy that depend on budget expenditure for public works and public investment and loans. Also they have lost powerful policy tool like financial intervention since performances of financial institutions including big banks and securities have grown worse during last decade.
일본의 국가정보기구에 대한 소연구― 역사, 조직, 기능과 활동을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제63권 2005.05 pp.287-303
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Japan had been known as a country of long intelligence history dating back to the late 19th century. In particular, studies of Japanese intelligence in the period of the 2nd World War are plentiful. But it is a fact that only a few studies on Japanese intelligence in the postwar period have been published. There exist only small number of studies on Japanese intelligence post Cold War activities in either English or Korean. The goal of this analysis is to chase the changes of Japanese intelligence institutions, in particular, current ones. Japanese intelligence had been mainly focused on the economic matters. But since the end of the Cold War, the extensive scale changes have taken place in Japan's major intelligence institutions such as CIRO, DIH and MOFA. An examination of their recent reorganization and activities shows that Japan maintains a greater intelligence capability than commonly acknowledged. As Japan's international role has increased, its intelligence functions and operations have expanded to deal with additional demands. Moreover, given the changing security landscape of post 9/11 accident, Japan may play a greater intelligence role within the U.S.-Japan alliance.
일본 지역정보화의 운영구조와 로컬 거버넌스의 모색 ― 橫須賀市의 사례를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제63권 2005.05 pp.305-324
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5,500원
最近各国では社会問題を解決するためにガバナンスという新しい統治運営が注目されている。ガバナンスとは問題解決のために政府のみによる統治ではなく、市民や市場との共同運営による相互協力的な運営方式をいう。この際に、ガバナンス理論を地域に適用するローカル·ガバナンスが議論されている。ローカル·ガバナンスは地域を中心とした地域運営及び問題解決のための市民、政府、企業の協力と參加を強調する。従って、ローカル·ガバナンスは地域構成員による直接民主主義の実現が可能であり、さらに、地域活性化の効果があるという側面で意義がもたされる。そこで、ローカル·ガバナンスを実現する手段として地域情報化に注目したい。地域情報化は社會資本として地域の重要な発展基盤になり、ローカル·ガバナンスを効率的に行う要素として取りあげられる。 本稿の目的は、日本の自治体が地域情報化を通してどのようにローカル·ガバナンスを果たすかを考察することである。具体的には、その運営構造の特徴を明らかにし、韓国地方政府へローカル·ガバナンス運営に対する示唆を提示する。そのために、横須賀市における「情報フロンティア·プラン」を事例としてとりあげ、地域情報化をめぐるローカル·ガバナンスの運営特徴に関する分析を行う。 本稿の分析結果から、横須賀市は地域情報化の遂行を行政主導的なローカル·ガバナンスの運営方式で行っていることが明らかになった。具体的には、橫須賀市の情報フロンティア·プランは表面的には地域情報化を基盤とした市民(橫須賀市IT戰略會議)、政府(電子市役所)、企業(YRP)による水平的でかつ協力的なローカル·ガバナンスを強調した。しかし、実際の運営構造は、戦略会議と電子市役所による運営戦略の実行と予算の配分が行われていた。そして企業がこの二つ主体らの計画に協力し、行政から財政的及び運営上の支援を受け取ることが分かった。この結果からは、行政役割が規制者から地域発展者へ変化していることがうかがわれる。つまり、行政は地域問題を解決するために、一方的な指示を行う規制者の態度から、総合的な観点から地域社会と協力を取り組む地域発展者の役割へ変化したといえる。 さらに、本稿では横須賀市の事例から、地方分権の徹底した実行、地方政府の地域戦略のビジョン、地域構成員の自治体精神の向上を韓国地方政府への示唆として提示する。
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The recovery of Japanese Economy continues to maintain the expansion phase for 25 consecutive months from 2002. One feature of Japanese economic recovery is that Japan companies show creative idea and competitive strength in information and communication technology(ICT) related goods such as digital home appliances.It results from IT policies including the e-Japan Strategy that maintain and expand IT infrastructure for IT industry.Japan presently tries to connect this stream of economic recovery to "New, Japan-Inspired IT Society". Information electronic appliances play an important role in "New, Japan-Inspired IT Society" and embody ubiquitous networking. The basic concepts of ubiquitous networking correspond to the diffusion conditions of information electronic appliances, if the price problems are sorted out.Improving information electronic appliances needs some core technologies such as "security". In present, IT industry of Japan has competitive power in IT technology such as IPv6. The standardization of different IT technology is on progress e.g., the standard for the information electronic appliances. Consequently, in Japan, information electronic appliances industry will be success in the future, ubiquitous society.
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本稿は、「と思う」と「だろう」の意味的な共通点と相違点について調べたものである。その結果、「と思う」と「だろう」は、事態が未確認のものであるという点で共通しながら、両者間の微妙な差異があることが分かった。 「と思う」と「だろう」の使用状況を調べた結果、まず、「だろう」は専門家の発話に用いられるのに対して、「と思う」は「非専門家」の発話に用いられ、その点で異なっていると主張した。 次に、「だろう」が「あるいは」とは共起し難いのに対して、「と思う」は可能性が低い表現とも共起しやすいことなどが確認できた。 さらに、なぜそのような使い分けがあるのかについては、「だろう」は外部から入ってくる情報を論理として理解し、処理(推論)する時、使われるのに対して、「と思う」は論証の道を経ず、話者の直感によって得た勘などで処理する時、使われる傾向があるからだと結論づけた。
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本論文では、日本語の「完了を表す形式(「たり」「り」)」や「真偽判断に関する文末形式(認識的モダリティ形式)の一部(「らしい」「ようだ」「みたいだ」「そうだ」「という」)」を論ずる際に問題になる「Evidentiality(証拠性)」や「メノマエ性」という文法範疇について、先行研究の内容を概観したうえで、特に「完了」を表す形式をめぐって(具体的には、現代の日韓両言語の確定条件を表す「たら(「たり」の未然形)」と「었」)、韓国語との対照を試みた。その結果、以下のような結果を得ることができた。 「Evidentiality」や「メノマエ性」という文法範疇を認めること―例えば、鈴木(1996b)のように、「ツ」「ヌ」「タリ」「リ」に関する使い分けを「Evidentiality」や「メノマエ性」という観点から説明しようとする試み、など―によって、言語現象を説明する際に新しい視点が生まれてくる可能性がある。 確定条件を表す「たら」と「했더니」をめぐって、「Evidentiality」や「メノマエ性」という観点から対照してみると、極めて類似していると指摘した。このような類似点は偶然ではなく、特に「タリ」と「었」という「存在型アスペクト形式」から文法化する過程で成立した形式が重要な役割を果たしている―これらの形式の「パーフェクト性」のタクシス機能として説明する「時間的後退性」「理由の説明性」と関連している―ことを明らかにした。
行為的モダリティと共起する副詞―「ぜひ」「できれば」「なるべく」「できるだけ」の例から ―
한국일본학회 일본학보 제63권 2005.05 pp.385-400
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本稿は、行為的モダリティと共起する副詞の中、「ぜひ/できれば/なるべく/できるだけ」を対象に、個々の副詞がどのような表現形式と共起可能なのか、個々の副詞の叙法性(modality)に違いは見られるかなどの問題を分析し、副詞が持つ叙法性と文末のモダリティが持つ叙法性の違いについて考察したものである。 これらの副詞の特徴に関する先行研究では、主に辞書レベルでの副詞の意味記述が見られるのみで、これらの副詞がモダリティ副詞の中でもどういう性質を持つものなのかという点においてはそれほど注目されてこなかった。そこで、本稿では、願望や当為を表すという同じカテゴリーの副詞の比較作業を通して、行為的なモダリティに関わる副詞群の意味․用法、構文的な特徴をより明らかにした。 本稿の結論は以下の三点にまとめられる。第一に、「ぜひ/できれば/なるべく/できるだけ」は、有情主体の行為選択を表す副詞群としてカテゴリー化することができる。事態実現に対する必要性・行為選択の度合いを表すという点で行為的なモダリティと共起関係にある。第二に、個々の副詞と依頼․願望․意志․必要など種々の用法との関係は、同じレベルの意味的な呼応ではなく、行為文という構文的特徴から生じた二次的なものである。第三に、副詞が持つ程度限定性と、副次叙法性(quasi-modality)の強弱は比例関係にある。「ぜひ/できれば/なるべく/できるだけ」の方向に行くにつれ、程度限定性が強くなり、副次叙法性は高くなる。
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本稿は日本語学の代表的ないつくかのモダリティ定義と一般言語学的の伝統的で代表的なモダリティ定義とを対照しながら、その相似点と相違点を検討し、日本語学におけるモダリティ定義の普遍性と個別性について考察しようとするものである。 考察の結果、両者の類似点としては命題内容について発話時における、話し手の心的態度を表現するものをモダリティとして捉えている、という点であるのに対し、相違点としては日本語学の方ではモダリティの下位タイプとして<判断のモダリティ>と<伝達․発話モダリティ>を認めているが、一般言語学の方では類型論的な研究成果のためか、モダリティを<現実>と<非現実>との対立として考えている、という点であることが分かった。 さらに、モダリティ定義上、特に問題になると思われるいつくかの用語と概念についても考察した。第一点はムードとモダリティという用語を区別する立場から、前者を形態論的なものとし、後者を意味․機能論的なものと考えるのが妥当であることを確認した。第二点は話し手がどのように現実事態を文中に反映するのか、という問題について考察し、平叙文、疑問文、命令文、表出文など文タイプによってその反映の仕方が異なることを検討した。最後に第三点としてはテンスを命題かモダリティか、という問題はあまり生産的でない議論であると思われるものの、結果として本稿の立場からはテンスがすべての言語において<文の陳述性>を担うものの一つとして考えた。
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日本語には話し手が第三者から聞いた言語情報を聞き手に伝える「らしい」、「そうだ」、「という」、「といわれている」、「ということだ」、「とのことだ」、「ということ」、「とのこと」、「って」、「んだって」、「だって」、「と」、「とか」、「とやら」、「よし」、「と聞く」、「と聞いている」、「と耳にする」、「と耳にしている」などの伝聞と呼ばれる表現がある。小論では各各の伝聞表現形式の意味と用法について概観し、伝聞というモダリティの意味と各伝聞表現形式のモダリティ性の度合いについて各表現形式の否定化、過去化、疑問化、連体修飾化、「ではないか(じゃないか)」との結び付き、などを通して調べてみた。その結果は次のようである。モダリティ性の度合いが、言い換えれば、話し手の主体的な心的態度が文法化した度合いが一番強いのは「んだって」、「だって」、「と」、「とやら」、(「とか」)、「よし」などであり、一番弱いのは「といわれている」であると言える。
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