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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제89권 (22건)
No
1

4,800원

本稿は近世の当時、口語資料としての評価が高い江戸洒落本における断定表現「だ」と「じゃ」について考察したものである。特に明和・安永期(1764∼1780)の江戸洒落本33種を対象にして、そこから得られた分析結果に基づいて先行研究と比べながら「じゃ」の滅少、言い換えれば「だ」の定着過程の中で現われる全体的傾向、即ち資料(江戸洒落本と江戸噺本)、位相(男性語と女性語)、活用形(終止・連体形と未然形及び連用形)による遅速差とその原因を検討すると同時に、更に定着の完了時期も推定してみた。その結果、幾つかの特徴的事実が指摘できたかのように思うが、これをまとめると、大略次の通りである。 ①資料面から見ると、江戸洒落本における「だ」の定着は江戸噺本よりはやい。 ②位相的な面から見ると、女性語における「だ」の定着は男性語よりはやい。 ③活用形から見ると、終止・連体形における「だ」の定着は未然形及び連用形よりはやい。 ④「だ」が、定着の完了した時期は安永期と推定される。特に、この中で①②③は従来の先行研究、つまり明和期の江戸洒落本の分析結果に基づいた指摘(①明和期の江戸洒落本における「だ」の使用頻度は江戸噺本より高い。②明和期の江戸洒落本における女性の場合、 「じゃ」の使用例は稀なようである。③明和期の江戸洒落本における未然形「だろ(う)」と連用形「だっ(た)」は階層的な面から見ると、狭者の世界にとどまっているようである)より積極的な見方を示したということから、更に④は本稿を通して新しく明らかにされたということから注目に値する。特にこのような考察結果は明和期はもちろんのこと、安永期にまで調査資料を拡大して得られた、信憑性の高いもので今後における断定表現の変化過程を体系的に考察する時、重要な研究基盤になるものと期待される。

2

5,200원

本稿では、類義の対をなしている内部空間名詞「うち」と「なか」の意味用法について、単語と単語との共起関係を表す連語構成を中心に、実際の言語場で使用された用例を集めたコーパスの言語資料を対象に分析を行い、その類義と相違を明らかにしようとした。考察の方法は、前項の連語である「ノ格の名詞」と後項の連語である「用言」の出現状況を調べた上、連語構成のなかで前項と後項の連語と中心語である「うち」と「なか」がどう関わっているのかを格助詞形別に分析した。その結果を見ると、第一に、「なか」の用例が「うち」に比べ3倍ほど多く現れ、意味領域も格段に広い。第二に、「うち」の先行名詞は非実体性名詞が71%で、<時間、範囲、心理・心情の抽象空間>との関連性が高く、<具体空間>を表す実体性名詞との共起はあまりないのに対し、「なか」の先行名詞は非実体性名詞が51%で、「うち」に比べ<場所や具体物、身体などの具体空間>との共起頻度が高い。第三に、先行名詞の実体性が高くなるほど「うち」と「なか」の意味用法上の重なりは減少し、その意味境界は離れていき、実体性が低くなるほど意味用法の重なりは密接になり、<心理・心情の抽象空間>と<範囲の限定>の意味領域では意味用法の重りが目立ち、両方容認あるいは混用の様子も見られる。第四に、「うち」は主に<抽象空間、時間、範囲>を表し、「なか」は<具体空間、抽象空間、範囲、状況>を表す。「うち」と「なか」は<心理・心情の抽象空間>と<範囲>の意味領域で意味境界の重なりを見せているが、共起する後項の連語の排他的分布から意味用法上の微細な違いを抽出することができる。「うち」は<より私的で内面的な抽象空間で、不可視性と閉鎖性>を表し、「なか」は<より概念的で具体化した抽象空間>を表す。

3

「みたいな」と「다는」に関する日韓対照研究

金廷珉

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.49-60

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4,300원

日本語と韓国語には他人の思考や発話の引用を表すための文法的手段が複数存在する。本研究では「引用」を広い意味で捉え、従来あまり議論されることのなかった引用形式の「連体形止め」の用法として日本語の「みたいな」と韓国語の「다는」の文末機能に着目し、日韓対照分析を行った。その結果、両形式は、本来は文中に置かれ、後続名詞を修飾する機能を果たしていたものから、後続名詞を伴わず文末において単独で生起することにより、話者の判断や驚き、肯定、否定的評価など様々な語用論的意味を獲得し、話者の主観性を表す「主観化(Traugott 2003)」へ機能的転用を起こしていることが分かった。ただし、その起こり方において現段階においては「みたいな」の場合は「話し言葉」やインフォーマルな「書き言葉」の両方において、「다는」はウェブを中心とする「書き言葉」を中心に、主観化が進行していることが観察できた。本研究を通して、既存の文法体系に見られなかった言語形式の出現に注目して、その機能的転用という観点から両言語の対照分析の可能性が示唆された。

4

「してみる」に使われる動詞の語彙的な意味の特徴

成知炫

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.61-74

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4,600원

本稿では、「してみる」に使われる動詞の語彙的な意味について、それが意志動詞であるか無意志動詞であるかという考察にとどまらず、実際にどのような動詞が現れているかを明らかにした。また、「してみる」に使われる動詞が何らかのことを「知る(認識する)」手段・方法、または、きっかけとなっていることを見出し、「してみる」に使われる動詞の共通の側面として「意志性」と「認識性」を指摘した。まず、「してみる」に使われる意志動詞には、「訊く」「話す」のような「言語活動を表す動詞」、「考える」「思いだす」のような「精神活動を表す動詞」、「行く」「来る」のような「移動動詞」、「(ドアを)開ける」「(板を)剥がす」のような「具体物に働きかけることを表す動詞」、「見る」「嗅ぐ」のような「知覚活動を表す動詞」、「探る」「捜す」のような「情報収集活動を表す動詞」が多く現れていることと、これらは何らかのことを知る(認識する)ための手段・方法として使われることが多いことを見出した。また、意志動詞のなかでも「いばる」「へりくだる」のような「態度を表す動詞」、「暮らす」「寝起きする」のように日常生活を捉える、スパンの長い動詞は認識に関わり難い動詞であり、「してみる」に使われ難いことを指摘した。次に、「してみる」に使われる無意志動詞には、「言われる」のような「有情主体の関係的な変化を表す動詞」、「気づく」のような「有情主体の生理的、認識的な変化を表す動詞」、「(失業の身に)なる」のような「有情主体の社会的な変化を表す動詞」、「達する」のような「有情主体の非意志的な位置変化を表す動詞」、「(冬に)なる」のような「非情主体の変化を表す動詞」が現れていることと、これらは何らかのことを知る(認識する)きっかけとして使われることが多いことを見出した。また、無意志動詞のなかでも「楽しむ」のような「有情主体の感情・心理を表す動詞」は「してみる」に使われ難いことを指摘した。

5

전문용어의 난해함에 대해 ― 물리학 용어를 중심으로 ―

송영빈

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.75-86

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4,300원

専門用語の理解において、一般辞書の担う役割は大きい。一般辞書には、中等教育で学ぶ専門用語や日常生活で接する基礎的専門用語が入っているためである。一般辞書の見出し語の数は約5万から7万語ぐらいであり、一般成人の理解語彙を反映している。その意味で一般辞書の範囲を越えた専門用語は一般成人にとって理解しにくいものである可能性が高い。しかし、一般辞書に出現しない専門用語でもそれを構成する各々の字音語基が一般辞書の見出し語の構成要素として活発に用いられ、その字音語基の一般辞書での意味を基に専門用語の表す概念が類推できるとすれば問題は別である。本稿は、専門用語の難解さの原因を調べるため、三つの分析段階を設け、物理学専門用語を二字漢語に分解し、サンプリングした189の用語を対象に分析を行った。これにより、難解さの在処を究明する手続きを確立しようとした。三つの分析段階とそれを適用した結果をまとめると以下の通りである。(1)、一般辞書に現れる物理学用語は、148語で、その全体に占める割合は78.3%である。これは解剖学用語の45.8%に比べ高いものであり、比較的やさしい用語が物理学で用いられていることが確認できた。(2)、148語のうち、一般辞書の意味記述に物理学用語の概念記述が見られないものは、16語である。(3)、(2)の分析結果、一般辞書に概念記述のなかった16語のうち、日常語(新聞出現用語)の二字漢語を構成するそれぞれの字音語基の意味の和から専門用語の概念化が不可能なものは11語であった。さらに、一般辞書に出現し語にない41語を対象に日常語との関連から意味の類推が可能なものと不可能なものに分け分析した結果、可能なものは21語、不可能なものは20語であった。意味の類推が不可能な計31語を分析した結果、これらは日常語での字音語基の出現如何に関係なく命名の段階で概念化が不可能な用語であることが判明した。これらの用語は、新たな造語が必要なもので、物理学用語の難解さの原因にもなっていることが判明した。

6

『倭語類解』와 『日語類解』 (1) ―上卷의 대조분석을 중심으로―

李康民

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.87-102

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4,900원

本稿は、『倭語類解』(1783󰠏88年刊)と、それを1912年に改訂した『日語類解』を対照分析し、語彙史研究資料としての両本の持つ意味を考えてみようとしたものである。日本語語彙をハングルで記した『倭語類解』は、従来、日本語音韻史の資料として注目されてきた。しかし、『倭語類解』を改訂した『日語類解』の存在は、両本の持つ語彙史研究資料としての性格をより鮮明にしてくれるのではないかと思う。そのための一つの試みとして、本稿では、『倭語類解』と『日語類解』の上巻を対照分析し、その変化の様相を追跡してみることにした。対照分析の結果、両本の間に見える日本語の変化には、近代語の言語現実を反映しているものがあり、利用の仕方によっては、近代日本語の語彙史研究に様々な情報を提供し得るものであることが分かった。また、両本に語項目として登場する二字漢字語には、近代韓国語の語彙研究に活用できる事象が散見されており、今後のより細密な検討が必要であるように思われる。

7

4,600원

本稿では,方略的能力とコミュニケーション方略の用語上の混乱を避け,第二言語コミュニケーションにおけるコミュニケーション方略の役割を明らかにするために,コミュニケーション能力論における方略的能力について理論的考察を行った。第二言語コミュニケーションにおけるコミュニケーション方略の役割に関しては,コミュニケーション方略研究の背景にある,Canale & Swain(1980)のコミュニケーション能力(communicative competence)の概念に焦点を当て考察を行った。Canale & Swainの方略的能力は,①当時のコミュニケーション方略の概念をそのまま方略的能力と名付けており,それゆえ,コミュニケーション方略と方略的能力という用語を取り巻く混乱が生じたこと,②方略的能力と他の能力との関係については説明されていないことが問題点として指摘された。そこで,方略的能力がコミュニケーション上果たすメカニズムに関する詳細なモデルを提示したバックマン(1997)のcommunicative language abilityの概念を検討し,第二言語教育における方略的能力の概念,そして方略的能力とコミュニケーション方略との関係について考察を行った。そして,方略的能力は単なるコミュニケーション方略の別称でもなく,コミュニケーション方略の知識を含め,言語知識と知的構造を統合し,実際のコミュニケーションの場で適切に使用できる能力であることを示した。コミュニケーション方略は,方略的能力が心理生理的機能を通じて実際の状況と統合し具体化されたものとして位置づけた。以上の理論的考察を踏まえ,学習者が自分の言語能力の範囲内でコミュニケーション方略を用いながらコミュニケーション上の問題を克服し,コミュニケーションを成立させ維持することは,コミュニケーションそのものだけでなく,言語能力を駆使する能力である方略的能力の向上に役立つことを示した。

8

非情の受身と「によって」

韓静妍

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.117-128

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4,300원

本稿は、近代以降における非情の受身の発達と動作主表示「によって」の使用との相関関係および、「によって」は中立的・客観的な記述に用いられるという通説について検討することを目的とし、近代以降の日本文学作品および近代初期の翻訳文献を対象に非情の受身の用例の具体的な分析を行う。分析の結果、「によって」の使用が非情の受身の発達に影響を及ぼしたというよりは、自動詞的な文の一種としての非情の受身の発達に伴って「によって」の使用も活発になっていること、また、中立的・客観的といった文体的な理由で「によって」が選ばれているよりは、文の必須成分として動作主を必要としない自動詞的な構造の非情の受身に事柄の原因などを書き加えるために「によって」を用いるしかなかったような用例がほとんどであることを述べた。このような観察に基づいて考えれば、「によって」の使用は、文体的な特性によるというよりは、一つの文でできるだけ多くの情報を提供しようとする、「情報提供」とも言えるような目的に起因すると思われる。

9

나쓰메 소세키의 『문(門)』에 나타난 동거에 대한 고찰

申允珠

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.129-140

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4,300원

First, There are a lot of curiosities, and the first, yasui gives up a school with ambition as a man since risky width Cohabitation oyone marries with academic season familiar friend sosuke, and I leave for businesses to ManJu and Mongolia, and I go about various places. yaseul didn't appear concretely at point, the works which mentioned Cohabitation oyone that it is a younger sister from times to get introduction the first friend sosuke, but I extremely loved oyone that own Cohabitation gives up friend sosuke and the school which I was going to when I marry, and I leave to new spaces, and it was cohabitation to be slight of oyone by curiosities as a man, and is judged. Second, I am near, and the time modern girl can see it to points that the second, oyone solves an actual issue in the positions that equalled with a husband about cohabitation of historic yasui in point, homes that don't play regret at all, and I was going out. However, oyone is Subordination, always an adviser of a husband to wife of friend sosuke of the yasui which was the currently historic cohabitation south, and I am flashed to representative Japanese traditional women from times for a work to set to The middle section. Meet a fortune-teller, and ran, and oyone cannot keep historic own desperate struggle purity regarding cohabitation of historic yasui think that is atoning.

10

4,600원

1920年代に発表された芥川龍之介の「素戔嗚尊」はナショナリズムの創出の根源地としての役割という側面から見ると英雄であると同時に征服者という素戔嗚の本来のイメージを欠いているテキストである。本稿は「素戔嗚尊」が当時の読者たちに伝えようとしたメッセ―ジは何であったのかという問いから始め、その典拠となる「古事記」と「日本書紀」を比較対象としてテキストの内的原理を窺うことで、それが伝えようとするメッセ―ジと同時代的な意義を考察したものである。初出(1920年)と加筆(1923年)「素戔嗚尊」を比較検討した結果、本来の素戔嗚神話の世界へ戻そうとする作者の意図を窺うことが出来た。しかしながらこうした加筆にも関わらず、英雄素戔嗚を造形化する側面に決定的な事件を欠いている本テキストは、1920年代当時の読者たちに帝国主義󰠏侵略主義󰠏というよりは全体主義に対する警鐘を鳴らすように読み取れる叙述構造を持っている。「素戔嗚尊」は素戔嗚の二回の殺人が匿名の群衆、即ち「大勢の若者たち」と「十六人の女たち」の「声援」と「声」の性格の転換(好意→嘲弄)によるものであると叙述されており、これは素戔嗚という一個人が集団により、如何に殺人へと追い込まれるかを如実に示していると言えるからである。

11

4,300원

当時大学生であった大江健三郎が、第二次世界大戦の有様を谷間の村に住んでいた少年の目で描いた『飼育』は大江の長い創作人生の第一期に当たる作品である。大江健三郎は自ら戦後文学の後継者と自任し、戦後のモラルの象徴である憲法九条の不戦の誓いを守る活動にも活発に参加している。大江の初期作品の中でも森とそこで敗戦を向かえた少年の話の『飼育』は非常に牧歌的な小説と知られている。地理的にも社会的にも孤立した谷間の村にアメリカの戦闘機一台が墜落し森に隠れていた一人のアメリカ黒人兵が村の大人たちの手に捕まって来る。谷間の村の子供たちは大変な好奇心で黒人兵の一挙手一投足を観察し、言葉の通じない状況であるにもかかわらず黒人兵との交わりを楽しんでいくうちに深い親しみを覚えるようになる。谷間の村の子供たちは黒人兵の出現によってたちまち、退屈だった日常から解放され、大変な昂揚と喜びに満ちた夏のひとときを送ることになる。本稿はこのような集団の昂揚を祝祭と捉え、この祝祭の生成と壊滅のことを観察したものである。集団のエクシタシーと生命力に溢れていた谷間の祝祭は大人たちの突然な介入で悲惨な形で幕を閉じることになってしまう。黒人兵は大人たちの手に殺され、指を叩きつぶされた少年は、自分はもう子供ではないという自覚を持つようになる。このような話の展開を通して作家の大江健三郎自身が述べた「監禁された壁のなかに生きる状態」で生じる祝祭とその解体過程を観察し、「共生」という大江文学のキーワードを考えてみたいと思う。

12

4,300원

島崎藤村の『新生』は作家自身と自分の姪との背徳の関係を素材とした問題的小説である。本論文は『新生』に内在化された論理を<告白>と<母性>との相関関係の観点から考察した論考である。告白は、<告白による救済>という内在的変化を担保する論理的行為であった。それは告白者の罪を赦し、その人を罪から自由にするという<告白の論理>に符合するものであった。嫂に対する告白は、岸本が節子との背徳の関係を小説化し、その秘密を社会に公表することに心を決めるようになった動因であった。それは告白の論理に従い懺悔に至る通過儀礼の過程とも言える。岸本が他でもなく嫂に対してそこまで執拗に告白をこだわった理由は何であろうか。その理由を両者の関係性から見付けることができるだろう。告白者と告白相手としての岸本と嫂の間を媒介する存在は節子である。里子に出された自分たちの子供の存在を通して節子の母性が徐々に発現することを岸本は認知するようになる。そのような岸本に、不幸な自分の娘、節子を眺める嫂の母としての<母性>が意識されないわけがあるまい。つまり、<母性>は岸本の罪意識を目覚めさせる。同時に妻無き父という自分の実存的状況を激しく想起させる。母を亡くした子供たちを育てる立場の片親として、<母性>が根元的に欠如している自分の身の上を改めて自覚させるのが、嫂と節子の<母性>であるのだ。こうしてみると、岸本にとって<母性>とは、赦しを乞うべき<罪意識>の対象であると同時に、距離を置かなければならない<警戒>の対象でもある。すなわち、岸本にとって<母性>は両義的対象である。そのため、より一層<意識>されざるを得ない対象でもある。こうように『新生』は<告白>と<母性>とが内在的に緻密に連動するテクストであることが分析できた。

13

시마자키 도손의 「아들에게 보내는 편지(子に送る手紙)」론

임태균

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.179-190

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4,300원

島崎藤村の震災小説「子に送る手紙」は関東大震災という未曾有の大惨事を背景にした作品である。本稿では、まず人々の内面に芽生えた恐怖心と不安感の実体に注目し、日本の内面から飛び出した<幽霊>の存在、即ち震災当時の官憲と自警団による在日朝鮮人虐殺事件を通して表出した集団的<狂気>を見抜き、それを警戒する作家精神について探ってみた。そしてそうした不安感が感覚表現を通してどのように描かれているかについても触れた。またこの作品には<他者>に対する認識の転換がされているが、こうした<他者>への視線は後に<我々の時代>という次のテーマへと突き進むことになるという点で注目に値する。最後に廃虚と化した首都東京の復興と再生への希望が、長い<冬籠り>を終え、<春>の訪れを待ち望むという、自然の循環的秩序に託して表現されていることがわかった。いわゆる<新生事件>による人生の桎梏から逃れた作者が、関東大震災を契機にして他者への視線を獲得し、日本の再生に向けて希望のメッセージを見出していく過程を通して、「嵐」や『夜明け前』の世界へとつながるテーマを提示しているという点で、この作品の持つ意義は大きいと思われる。

14

메이지기 아동잡지 『소년세계』와 조선

조경숙

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.191-204

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4,600원

本稿は明治期の児童雑誌『少年世界』に見られる朝鮮に対して考察した論である。『少年世界』は日本帝国主義をそのまま標榜し時代に手早く対応している。朝鮮に関しても同じである。したがって本稿では『少年世界』が朝鮮をどのように標榜しているか次の三つの観点から考察する。まず、神功皇后の神話の史実化である。神功皇后の神話は征韓論の台頭するとき必ず歴史化となってうきぼりにする。『少年世界』の創刊号と1910年の韓日合邦のときに取り扱われた神功皇后の三韓征伐も同じであるのでこれについて考察する。二番目は挿画の比較を通じてみた朝鮮少年の変容について考察する。淸日·露日戦争そして韓日合邦のあった時期に朝鮮少年に対する『少年世界』の眼差しは当時の時代意識と同一なので挿画を中心に考察する。そして朝鮮は批判と非難の対象でありながら結局は日本の保護が必要で敎育すべき對象として変容されているのでこれも研究対象にする。そして最後に朝鮮の表象の虎に関するお伽話と虎狩に隠れた帝國的慾望の展開がどのように変わっているかを考察し、朝鮮に対する帝國的慾望が『少年世界』にどのように標榜されているかをあきらかにする。

15

末摘花物語における閨怨詩の受容と変異

金弘来

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.205-215

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4,200원

本稿は末摘花物語の独自性として閨怨詩の変異に注目したものである。『文華秀麗集』の「艶情」には、『玉台新詠集』の「草萋」「蓬門」「塵」といった空閨の情景が多く取り入れられている。また、平安朝和歌にも閨怨詩の荒廃した邸の情景が多く歌われており、平安貴族社会における閨怨詩の流行を垣間見せている。一方、荒廃した末摘花の邸を描写する場面において漢詩や和歌で類型的に歌われていた荒廃した邸の情景が重なっている。しかし、閨怨詩の影響は和歌だけに留まらず、先行物語の『うつほ物語』俊蔭巻や『大和物語』一七三段には「蓬」や雑草が生い茂る荒廃した邸に住む女を男が訪れる物語が大きな枠組みとなっている。また、散佚した『桂中納言物語』においても、貧女が几帳の帷子を衣に仕立てたとする内容と、貧しい生活を強いられる末摘花物語は類似している。貧しい生活を強いられる末摘花の荒廃した邸の情景は、和歌や物語を介して閨怨詩の影響を受けている。しかし一方で、末摘花物語において閨怨詩は変異している。閨怨詩では男の訪問が絶えてしまった「佳人」の邸が蓬や雑草に掩われていく情景を通して空閨の悲哀を歌っていた。これに対して末摘花の場合、閨怨詩の情景を踏まえているものの、末摘花本人はあくまで「醜女」として描かれている。末摘花物語は、時の寵児である光源氏が醜い末摘花と関係を持ってしまう烏滸物語として注目されてきた。しかし、閨怨詩の変異として末摘花物語を読んでいく時、荒廃した邸に住む「美女」が荒廃した邸に住む「醜女」に転倒する皮肉な文脈の横断は、末摘花物語を閨怨詩の「パロディ」に作り変えている。

16

겐지의 노화(光源氏の老い)― 가시와기 등장의 의미 ―

이애숙

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.217-228

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4,300원

『源氏物語』 2部で40歳を迎える光源氏はまだ少女である皇女、女三宮と結婚することで六条院世界に新しい変化をもたらす。‘若き老人’源氏の矛盾は紫の上との関係は勿論、六条院世界の崩壊へとつながっていくが、特に女三宮と柏木の密通は光源氏にかつての自分の罪に対する因果応報とともに‘老い’への自嘲へと追い込んでいく。その光源氏の老いに注目した。老齢化社会と言われる今現在‘老い’は人間のより根本的な問題として追求していくべきであり、『源氏物語』での源氏んの老いはまさによい研究対象になれる。というのは“「過ぐる齢にそへては、酔泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門督心とどめてほほ笑まるる、いと心恥づかしや、さりとも、いましばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老は、えのがれぬわざなり」とてうち見やりたまふに”という老衰をめぐる源氏の発話は若い妻を寝取られた老人の個人的なうっぷんを越えて、相手の柏木に対して人間にとっての‘老い’の普遍的な意味を説いているからである。逆にその点に女三宮関連の意味だけでない柏木の2部物語での登場の意味があるはずだ。したがって、源氏の老いと関わる所での柏木登場の意味を分析することで、最終的に光源氏の老いの意味を掘り下げていった。そのとき、まず六条院関連の儀礼である三つの儀礼、四十賀、蹴鞠、女楽の場での柏木登場の文脈を分析した。その結果、和琴を中心とした音楽的才能を元に柏木が次世代の主役として認められ、また源氏の言葉を通して父世代、源氏と頭中将から子世代、夕霧と柏木への世代交代が確認され、また柏木は次世代の主役として光源氏の老いへの認識と絡みながら語られている。そのことから源氏の老いの問題の本質がだだ年齢に基準にする生物学的な退化よりは世代交代による退く世代としてのイメージを表象していることがわかった。それを社会的意味として考察することで、父から子への父系継承の論理に拘る源氏の論理が琴伝授によって自ずと相対化され、無化されることや、‘昔’と対立する‘今’の可変性を指摘した。それによって、既存の研究では明らかにできなかった光源氏の老いの深層での意味が究明されたことは注目に値するであろう。

17

4,200원

源義経は、その活躍の鮮烈さと不遇の晩年、悲劇的な最期から、古くから多くの人気を集め、日本史上最も有名な英雄の一人に挙げられている。しかし、悲運のヒーローとして美化され、愛されてきたその一生は今もまだ謎に包まれていて、特に義経の成長期と末年の状況を確認できる客観的な文献や記述は殆ど残されていない。しかもその存在を捉える期間は頼朝の幕下に参陣し平家追討の合戦に従軍した2年間だけで、平家を滅ぼした後、兄に疎まれ、非業の死へと追いやられていく詳細は書かれていない。義経に関係する伝説・伝承・口碑は各地に数多く残っている。その集録ともいえる『義経記』をはじめとして、中世の御伽草子、能・幸若舞などの芸能から、近世に入っての浄瑠璃や歌舞伎、戯作に至るまで、義経伝説は日本の文芸に様々な素材を提供した。特に頼朝との葛藤により勢力を失っている時期(失意時代)の危難を描いた作品群はその量的・質的な意味において「判官贔屓」の情緒を刺激する判官物の核といえる。その中でも能の台本である「謡曲」として多くの義経文学と伝説が劇化され、当代の観客を魅了し、新たな生命力と人気を得て、そしてまた新しい判官物や義経伝説を派生あるいは転生した。後世の文芸に与えた大きな影響と、日本の古典演劇の基本を確立し、現代にもなお発展し続けている能の生命力を考えると、能における判官物の研究は、義経文学全般の理解においても重要なポイントの一つではないかと考えられる。失意時代の義経伝説において最も注目すべきポイントは、義経の柔弱化・貴公子化と、それと反比例するような形で、家臣や愛妾など周辺人物の活躍が目立つようになっていくことである。頼朝に追われ吉野の山中に潜んでいた義経を山僧の来襲から逃がすため、忠信が自ら義経と称して奮戦したという、能〈忠信〉が原拠としている忠信身替伝説も同じ脈絡から理解できる。しかし、能〈忠信〉は、一般に広く知られている忠信身替伝説、もしくは同じく義経の困窮を素材とした他の伝説・文芸から見られる判官贔屓的感情とはかなり異なる趣向で描かれている。本来この伝説の意義は主君を守るために自分の命をかける家臣の「忠義」と考えるべきだろうが、『義経記』などの内容を比べてみると〈忠信〉にそういう君臣の絆のようなものはあまり強調されていないということがわかる。実際この曲の見所は忠信が吉野の衆徒と斬り合う視覚的な楽しさにある。むしろ重い感情をあえて絡ませず、あっさりと流していく、やや情味に乏しい淡白な印象を否めない。判官贔屓な所を刺激するように工夫された伝説を典拠にしている作品としては珍しい。そして一見単純そうに見えるこの曲には、一般的な「判官贔屓」の趣向の伝説や文芸とは別の視点から、失意時代の義経の人物像を強化、正当化しようとした試みが伺われる。その登場人物の配置と性格を探りながら、本曲の創作意図について考えてみたいと思う。

18

4,300원

古代の人々にとって、賀茂神はどのような存在だったのであろうか。特に、賀茂信仰は物語文学の中でどのように描かれ、変貌していくのであろうか。 本稿の目的は、このような問題意識に着目し、従来あまり考えられてこなかった、賀茂信仰が物語文学の中で具体的にどのように描写されているか、物語文学における賀茂信仰の役割と位置はどのようなものかを、考察しようとしたものである。そこで、「物語文学における賀茂信仰の変貌」についての研究の一環として、上代のテクストと『源氏物語』における賀茂信仰に続き、本稿は、『落窪物語』『うつほ物語』『狭衣物語』を中心に、各テクストに描かれている賀茂信仰を把握し、賀茂信仰が物語の構造や手法として、いかに取り入れられているかということを考察し、具体的にはどのように変貌していくかを明らかにしようとするものである。

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芭蕉의 후원자 杉風의 俳諧觀에 관한 고찰

許坤

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.253-266

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4,600원

杉風は芭蕉の新風開發の基礎を固め土台を築いた功勞者であった。芭蕉一人を扶養する位のことは意に介しなかった彼は、朴實な性質で、師弟の情のこまやかであった事は諸書に伝えるところ、芭蕉も深く彼を信じて、「去來は西三十三國、杉風は東三十三國の俳諧奉行」と、戱れに言った事がある。杉風と芭蕉とのつきあいは、芭蕉の遺書にもよくあらわれている。芭蕉の遺書は三通殘っているが、その三通とも、杉風の名が出ている。このような扱いを受けているのは、數多い門人のなかで杉風一人だけである。芭蕉愛書『俳諧新々式』という書物が、形見として杉風に与えられている。そして芭蕉が「杉風へ申候。久々厚志、死後乞難忘存候。不慮なる所に而相果、御暇乞不致段、互に存無是非事に存候。弥俳諧御勉候而、老後の御樂に可被成候。」と遺書を殘したことからも、芭蕉と杉風との睦まじさがうかがえるのである。芭蕉が江戶に下ってからの二十數年の間、篤實な弟子として芭蕉に仕えることに終始した。ある時には友人として、または相談者として経済的な援助をしながら常に芭蕉と俳諧の道をともに步いたのである。芭蕉の數多人の門人の中で率直に芭蕉が心を交えた數少ない門人の中での一人であったかも知れない。とにかく芭蕉とその門人たちとのつきあいを論ずるにおいて芭蕉の杉風との同行はだれよりも先に論ずるに価するのではないかと思うのである。

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江戶時代의 茶道批判論과 煎茶道

朴銓烈

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.267-281

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4,800원

江戸時代の中期、政治的社会的に安定期に入ると武士社会を中心に享受された茶道(茶の湯)は町人の間にも流行るようになり、以前の仏教的な 求道精神は弱まり始めた。また家元制度の発生と町人の世俗的欲望が茶道に反映され、茶人は以前とは違い、豪奢を追い求める傾向が強化された。その結果、茶道に対する多方面の強い批判とともに、本来の姿で回帰しようという主張が台頭した。しかし、茶道は消極的な改革を試みるだけで、以前と同様批判の対象になり、積極的な批判論者は新しい喫茶方式である煎茶道を考案することに至る。この過程は時代的に中国仏教の黄檗宗が日本に伝来されて、明と清の文人趣味が流入された時期と重なり、煎茶道は文人趣味という文化的意味に認識されて、世俗を超越した文士の優雅な文化活動という評価を受けて定着し始まる。当然の論理だが、文化は肯定的な評価を受けながら発達の過程を経ているうちに、これに対する弊害や反対論理が提示されて変化に強いられるさらされ、新しい文化が台頭するのが常の現象である。このような文化の発展過程は茶道の場合でも例外ではない。茶道の急激な発展の結果、派生されたさまざまな弊害が批判の対象になり、遂に新しい様式の煎茶道が形成され、広く受け入れられるという事例が歴史の過程を確認してくれる。煎茶道が流行ったが、茶道は相変らず重要な伝統文化の領域を占めている。茶道は批判されながらも、日本文化として根を深く下ろしている。他の時角で見れば、茶道と煎茶道の共存はむしろ日本文化の多様性を強化する肯定的な意味を持つと評価できると思われる。

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아이덴티티 변용의 측면에서 본 재일코리안

이진원

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.283-294

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在日コリアンのアイデンティティーの変化は一般的な少数者が経験するそれとは異なる。その理由の一つは、在日コリアンは韓半島が植民地支配を受けていた状況の下、日本よって直接もしくは間接的に連行されて以来、特殊な状況に置かれ続けてきたことによって、在日コリアンの歴史的経験が一般的なものではないことによるのである。韓半島の解放後においても日本政府からの補償を受けるどころか、むしろ日本社会における監視と管理の対象とされ続け、国際化の影響によって日本社会が多文化共生を提唱している現状においても、依然として他の少数者とは異なる立場に置かれている。在日コリアンのこのような特殊な立場はそのアイデンティティーの形成と変化にも影響を及ぼしている。依然として変わぬ日本社会において、在日コリアンは抵抗性を持続的に持ち続けているのであるが、アイデンティティーの性格と表現方法においては変化が見受けられる。初期の在日コリアンは自らの存在理由を確認し生活を維持するため、韓民族の文化、伝統、生活習慣などを守る民族文化共同体への属性を強調し、それを維持することに努めた。しかし、日本文化もしくは社会に慣れた後期の在日コリアンは自らの属する共同体の性格を変化させた。彼らは少数者としての利益を代弁することのできる政治的共同体に関心を持とち始め、アイデンティティーを活用した政治活動に力を入れるようになったのである。

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일본의 고령자 노후소득과 정년연장에 관한 연구

전영수

한국일본학회 일본학보 제89권 2011.11 pp.295-313

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Aging is a significant variable affected the entire national economy as well as one of the key issues surrounding household in terms of the quality of life. Because it can not help but increase a additional funding which is required according to the need the prolonged life expectancy and duration of life. At this time, the prime way is to secure enough funds through steady earned income. Especially it feels keenly the necessity of earned income in case of under middle󰠏class having fewer accumulated assets. Actually a large number of aged household being poverty and necessary earned income is increasing at rapid rate. In addition, the Japanese government extended pension's receiving time from 60 to 65 in terms of financial stability. This result caused inevitable vacuum until pension receiving year. Because it is generally 60th years(mandatory retirement system) retirement in Japan. At that reason, it is unavoidable a significant impact of aged household who entirely depend on pension income. Therefore Japan government makes it mandatory for company to keep the continued employment until 65 after amending the raw. Nevertheless the reality is somewhat anomalous. Almost every firm in Japan choose the simple rehired labor system aiming at fewer candidates in stead of deferring retirement system. There are lots of other problem to review such as distinction of age and wage structure. The bigger problems, however, are just beginning. Because it is widely expending a anxiety of money shortage for the aged, joining the subsequent generation called economic refugee reserve as well as aged household's gap between the rich and poor. For these reasons, the securement of earned income which is the long-term and stable through deferring retirement system might be the only solution to a great many older people being in a financial difficulty.

 
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