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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제79권 (26건)
No
1

4,500원

本稿では、自他交替する漢語動詞に対して対象項の性質の観点から自他交替の成立、および自動詞文の使役化の関係について考察を行い、対象項の性質に関して異なる「解体」類の動詞と「決定する」の存在を明らかにした。「解体」類の動詞(「解体する」、「解決する」、「分解する」、「分離する」など)は(2b)のように、対象項の性質上、動作主の含意が前提とされる場合、自動詞文が成立しないという自他交替の成立制限が見られる。 (1) a. 社長が労働組合を解体した。  b. 労働組合が解体した。 (2) a. 太郎が家を解体した。     b.*家が解体した。 一方、「決定する」は、対象項の性質上、動作主の含意が前提とされる場合も自動詞文が成立する点で「解体」類の動詞とは異なる。 (3) a. 委員長が投票日を決定した。  b. 投票日が決定した。 なお、このような対象項の性質の違いは自動詞文の使役化の成立に違いをもたらすが、「解体」類は(4b)のように自動詞文の使役化が成立するのに対して、「決定する」は自動詞文の使役文(5b)が成立しない。 (4) a. 労働組合が解体した。  b. 社長が労働組合を解体させた。 (5) a. 投票日が決定した。   b.*社長が投票日を決定させた(cf.委員長が部下に投票日を決定させた)   (4b)と(5b)の対立は対象項の性質の違いによって説明できる。つまり、(5b)において動作主の含意が前提とされるという対象項の性質は、被使役者が自発的な性質を持たない場合、使役文が成立しないという使役文の成立制限に抵触するため、使役文が成立しないということである。 このような分析は理論的にも新たな帰結をもたらすが、影山(1996)では、派生の接辞を持たないという形態的な特徴を持つ漢語動詞は自他交替の性質に関して均一であり、対象項の性質上、「動作主の含意が前提とされる」という特徴をもつ脱使役化による自他の派生関係は存在しないとしている。本稿で示した「決定する」の存在は、漢語動詞にも脱使役化によって派生される動詞が存在する可能性を示唆するものと考えられる。

2

4,300원

This paper examines syntactic properties of so-called multiple negative polarity item constructions (multiple NPI constructions) in Japanese. I argue that NPIs in Japanese such as shika ‘only’, 1-Classifier-mo (hitori-mo/hitotsu-mo, etc ‘even a person/ even a thing’), Indeterminate-mo (dare-mo/nani-mo/dokoni-mo ‘anyone/anything/anywhere’) and kessite ‘never’ have the following syntactic constraints in order to occur in the multiple NPI constructions: NPIs in Japaanese multiple NPI constructions should appear only in the adjunct position. A majority of recent literature suggests that on the one hand shika ‘only’ and 1-Classifier-mo cannot be allowed to appear in multiple NPI constructions, on the other hand Indeterminate-mo and kessite ‘never’ can be. However, the literature indicates only the phenomena, and none of them gives us any explanations as to (i) which factors bring about the phenomena, and (ii) what syntactic properties of the phenomena are. There have been no past studies to focus on the syntactic positions of the NPIs in multiple NPI constructions. In fact, it is partly true that shika ‘only’ and 1-Classifier-mo cannot be allowed to appear in multiple NPI constructions unlike Indeterminate-mo and kessite ‘never’ as what past studies indicate, however, this is not always true because shika ‘only’ and 1-Classifier-mo can be allowed to appear in multiple NPI constructions when they appear in the adjunct position. In other words, they can be allowed to appear in multiple NPI constructions when they are in the adjunct position, but they cannot be allowed to appear when they are in the argument position. This phenomenon is the same as Indeterminate-mo and kessite ‘never’, namely they only appear in the adjunct position in multiple NPI constructions. This shows us that syntactic positions of NPIs are one of the significant factors for the syntactic properties of Japanese multiple NPI constructions.

3

4,300원

従来から、授受表現に関する研究は多くなされており、例えば視点や人称関係、格助詞の問題、他の文法形式との関わり、敬語の問題など、実に様々である。 本稿はその中で、日本語の「-てあげる・くれる」文とそれに対応する韓国語の「-어/아 주다」文を比較し、その意味的・構文的特性を考察したものである。「-てあげる・くれる」文は、授受表現には欠かせない「視点」・「利益」・「格助詞と動詞の関係」などの問題と関わっているが、本稿では特に、「移動」と「ニ格助詞の生起可能性」がどのような関係にあるかということに着目し、その事実関係を考察した。本動詞の「あげる・くれる」文は、補助動詞「-てあげる・くれる」文になる際、物の移動は必ずしも含意せず、恩恵の意だけを表すようになる、いわゆる文法化の様子が見られる。一方、韓国語の「주다」文は補助動詞「-어/아 주다」文になっても、そのまま移動の概念を持っており、それほど文法化が進んでいるとは言えない。その事実関係を検証するために、本稿では、動詞のタイプを分け、動詞別の「ニ格名詞句」の生起可能性を調べている。その結果、日本語は作成動詞や一部の状態変化動詞・持ち主の受益表現にだけが「ニ格」助詞と生起可能であったが、韓国語の場合は、作成動詞や状態変化動詞、持ち主の受益表現など幅広い範囲で「에게格」が表示できるということがわかった。この結果に至るための、重要な手がかりこそが「移動」の概念であり、日・韓の違いは、まさにその「移動」の違いからきたものであると言える。

4

日本語と韓国語の音韻

孫在賢

한국일본학회 일본학보 제79권 2009.05 pp.39-49

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4,200원

This paper compares the pitch accent of the Tokyo dialect (the standard language) of Japanese and that of Pusan dialect in Korean. In the present paper, evidence for this interpretation will be given, along with the structure of the Pusan dialect accent and a comparison with it and that of Tokyo. Looking Tokyo dialect, it has two oppositions for one-mora words, three oppositions for two-mora words, and so on. It can be represented as Pn=n+1, where ‘Pn’ represent the number of Prosodemes for the accentual unit ‘n’. In the Tokyo accent type, there are n-kernel positions, plus a kernel less type (indicated with an = sign; the ⓪ sign indicates zero-accent), for a total of n+1. Pitch is regarded as ‘movement’, and this is what is indicated; this is quite different from the ‘stepped’ view of accents in which the ‘static condition’ resulting from movement is indicated. In addition, the rise after the initial mora of a phrase, shown by {○[○-} (‘[’ indicates pitch-rise), occurs only before a kernel; single-mora words and words with the kernel at the beginning appear as {[○-}. Also, in this paper, I will discuss on the details of Pusan dialect in Gyeongsangnam-do of Korea, and report on data obtained during field work there. The aim is to propose a phonological interpretation of the accentual system of Pusan dialect, from renewed angles and also provide a comprehensive analysis of previous literature on them based on the author's research. Conversely speaking, Pusan dialect has three oppositions for one-syllable words, four oppositions for two-syllable and three-syllable words, and so on. It can be represented as ‘n+1’ more than two syllable as same as Tokyo accent type. Lastly, in this paper, including accent type of Tokyo and Pusan dialects, will be explained in detail and various particle are described with special emphasis on the tonal patterns and the internal mechanisms.

5

言及領域によるポライトネスの表示 ー韓国語と日本語の対照ー

申媛善

한국일본학회 일본학보 제79권 2009.05 pp.51-61

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4,200원

本稿では相手に情報を求める発話、すなわち情報要求発話を中心に、日本語母語話者と韓国語母語話者が相手の領域に言及している様子を比較・分析した。 まず、実際の情報要求の内容を下位カテゴリー、それぞれの内容の共通項目を上位カテゴリーとし、相手に求める情報の範囲を調べた結果、上位カテゴリーの数は韓日でそれほど変わらない反面、下位カテゴリーの数は韓国語の方が幅広い範囲にわたっていることが示された。次に、鈴木(1997)の「聞き手領域の段階性」を援用し、相手領域への踏み込み度合いを調べた。その結果、韓国語母語話者が日本語母語話者に比べ、欲求、願望、能力、意志、感情、感覚など、相手の私的領域に積極的にふれていることが明らかになった。 以上のことから、韓国語母語話者は日本語母語話者に比べ相手の領域にふれるという手段によりポジティブ・ポライトネスを表示し心的距離の短縮を図る傾向があると主張した。

6

背景知識が読解中の予測に与える影響

渡邊芙裕美

한국일본학회 일본학보 제79권 2009.05 pp.63-73

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4,200원

This paper focused on the effect of readers' background knowledge on predictions during reading. Fifty four learners, who studied Japanese as a foreign language, participated in this study. In the experiment, it was investigated that whether they made predictions during reading by measuring reading time of each sentences. The results indicated that the background knowledge influenced on predictions generated during reading, and implied that giving the background knowledge related to the text encouraged Japanese learners to make predictions.

7

4,300원

本研究は日本語可能表現の代表的な意味特徴としてよく取り上げられている<状態性>に関する考察を行ったものである。先行研究を調べてみたところ、研究範囲が「可能の助動詞・可能動詞」に限られていることが分かった。また、日本語可能表現に関しては<状態性>だけではなく<事態性>についての指摘も見當たった。そこで本研究では、考察範囲を「可能の助動詞・可能動詞」だけではなく「デキル」「得ル」まで広げて、日本語可能表現(「可能の助動詞・可能動詞」「デキル」「得ル」)が如何なる形によって実現されており、「-タ」・「-テイル」が結び付いた形の意味をどう解釈すべきであるか、について検討してみた。その結果、日本語可能表現(「可能の助動詞・可能動詞」「デキル」「得ル」)は、‘可能な状態’はもちろん、それが‘実現した状態’、または‘実現した状態の持続’を表わし得るということが明らかにされた。いずれも状態の表現と捉えられる。よって、日本語可能表現は<状態性>の表現と言える。

8

4,600원

李成圭(2008c)では<てくださらないか>に関する李成圭(2007b)と李成圭(2007c)の不正確な記述を是正し、且つ問題を解決するために、時代物を対象として<てくださらないか>の使用上の条件及びその表現価値について新たな検討を試みた。 本稿では、このような検討結果がはたして説明的な妥当性を保証しうるのかを検証するため、現代物を対象として、<てくださらないか>がいかなる使用上の条件のもとで用いられ、いかなる表現価値を表しているのか、それからその使用範囲はどうなっているのかについて検討した。現代物における<てくださらないか>の使用上の条件と表現価値を見てみると、時代物を対象とした李成圭(2008c)の検討内容が妥当であるということを示している。 李成圭(2008c)の検討内容と本稿での検討結果を考え併せると、<てくださらないか>の使用に与る話し手は、女性の使用可能性を排除しきれないが、主に男性であること、<てくださらないか>は話し手と聞き手の[人間関係]が<話し手≧聞き手>のように、両者の関係は話し手が聞き手を同等、若しくは目下の者として扱っている場合であるという使用上の条件が認められる。 話体の基準(丁寧度․改まり度․真面目さ)から、<てくださらないか>の表現価値(表現内容)を検討した結果、その文法的な意味においては丁寧な言い方ではないが、その基本的な意味は[丁寧な感じ][改まった言い方][真面目な感じ]を表すためにあるということ、それから、<てくださらないか>が現実世界で用いられた場合には、[人間関係]、即ち話し手と聞き手の性別と年齢、または文の内容により、その表現価値は[丁寧な感じ/尊大な感じ]、[改まった言い方/くだけた言い方]、[真面目な感じ/ふざけた感じ]の其々の要因が絡み合いながら、場面に即した具体的な意味を実現するということが確認された。 <てくださらないか>は話し手が主に男性であること、話し手と聞き手における人間関係が<話し手≧聞き手>でなければならないという使用上の制約により、<てくださらないか>が<てくださる>系列の他の形式に比べ守備範囲が狭く、その分使用頻度は低い。しかしながら、<てくださらないか>は李成圭(2008b)で検討した<てくださるか>と同様に日本語の依頼表現の一つの形式をなしていることは否めないということを主張する。

9

평가모달리티에 관한 일한대조연구

장근수

한국일본학회 일본학보 제79권 2009.05 pp.101-112

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4,300원

本稿は、事態の実現に対する必要ㆍ当為などの意味を表す「評価のモダリティ」を対象に、日本語と韓国語の諸形式を比較考察したものである。これらの諸形式は「必要」「当為」「義務」など用語は異なるものの、モダリティを構成する表現形式であることは認められている。しかし、評価のモダリティが有するモダールな特徴な同質なものではない。 本稿では、このような評価のモダリティに関する記述として、内部の構成要素の叙法性の強弱(独立度の違い)を反映する5つのテストによる諸現象を指摘した。分析の結果、日本語形式に比べ韓国語形式がより語彙的で文法化の度合いが弱いということが確認できた。一方、両言語に見られる評価モダリティの共通的な特徴は以下の三点にまとめることができる。第一に、評価のモダリティ形式は、文法化の度合いがより高いものから低いものへと連続している。第二に、前部要素の否定形を取る形式が肯定形を取る形式に比べ、文法化の程度が高い。第三に、日韓両言語形式ともに、当為ㆍ必然性の程度の高い形式(せざるを得ない、するしかない、しなければならない、しなければいけない)が当為ㆍ必然性の程度の低い形式(してはならない、してはいけない、するほうがいい、してもいい)に比べ、文法化の程度が高い。

10

4,200원

漢字習得の研究において、第一言語習得の立場からの誤表記研究は数多くあるが、日本語学習者の誤表記に関する研究は少なく、その対象ものほとんどが初級学習者に限っている。また、中級学習者でも誤表記が多く見られること、韓国人学習者も漢字習得に困難を感じていることから、誤表記研究にも多角的なアプローチが要求される。そこで本研究では、誤表記における韓国人学習者の特徴を非漢字圏との比較において明らかにすることを目的として、韓国人と非漢字圏の初・中級学習者を対象に誤表記調査を行った。分析の結果、初級学習者は韓国人・非漢字圏とも字形の定着の弱さからの誤表記が、中級学習者では既習漢字の干渉からの誤表記がよく発生していることが明らかになった。さらに、同じ中級レベルでも学習者の母語の特徴によって、韓国人学習者は既習漢字の音、非漢字圏学習者は既習漢字の形からの干渉が強く作用することが分かった。

11

4,000원

本稿では、日韓両言語のアスペクト的意味の違いを生じさせる一つの要因として移動動詞の格パターンに注目している。移動格として起点・移動経路・着点の3分類をし、それぞれ両言語のアスペクト的意味の共通点と相違点を明らかにすることを目指す。日本語のアスペクト研究は動詞だけを中心とした動詞アスペクト論と、格や副詞などを含む動詞句アスペクト論とに分かれるが、本稿は後者の立場に立って論じていく。 まず、動作進行の解釈に関して、韓国語は起点あるいは着点の内部(領域内)での移動を捉えることができ、動作進行の解釈がされやすいが、日本語は起点あるいは着点を離れたかどうかが問題で領域内での移動が捉えられず、動作進行の解釈がされにくいようである。 また、結果解釈に関して、日本語は起点「から」格と「を」の間において若干許容度の違いが見られるが、韓国語は起点「에서」格と「를」格とが同様に捉えられる。 一方、韓国語の場合、起点「에서/를」格と共起する移動動詞の中には結果解釈がされにくいものがあるが、これは韓国語の「어 있다」にまだ存在動詞の影響が強く残っていることと関係しているものと見られる。   このような分析は動詞レベルではなく、動詞句レベルからアスペクト的意味を見ていくことにより捉えられる現象である。近年、このような動詞句レベルのアスペクトを捉えていく研究が増えていることも注目される。

12

4,500원

谷崎文学はその活動を開始した時点から外国作家の影響が見える。それと関連して究明されるべき多くの問題が残っていると思われる。谷崎の初期作品「刺青」「麒麟」には美の構築が芸術の目的であるというワイルドの芸術観及び、ワイルド流の堕落と快楽主義が見てとれる。さらに、谷崎の作品にはワイルドの名やワイルドの芸術論をそのまま引用しているところが見える。そこで、ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を取り上げて、「刺青」「麒麟」と比較してみた。谷崎にとって、芸術に必要なのは抽象的な美の感覚のみである。ワイルド、谷崎にとって抽象的な美は、精神の世界を徹底的に否定する「知性否定」と改造(教育)による人間の変貌や官能的な快楽の美である。しかし相違点もある。「ドリアン・グレイの肖像」(The picture of Dorian Gray, 1891)には女体美の悪の勝利はどこにもないが、谷崎の作品には男性を征服して、悪の勝利の凱歌を歌う悪魔的な女性を崇拝するという点がワイルドと谷崎との異っている点である。

13

5,100원

植村諦は生涯の最後の瞬間までアナキストに一貫した激情的な詩人で、特に植民地朝鮮でアナキズム思想によって民衆と供に日帝に対抗した詩人である。今は植村諦を憶えている人々はほとんどいなくなり、無名詩人に等しいと言えるだろう。しかし彼は1929年10月に朝鮮からアナキズム系列の同人誌『矛盾』に短歌「漂泊途上の歌」の発表以来、解放文化連盟の結成に参加して『解放文化』と第2次『弾道』をまた1933年8月には擴大再編した解放文化連盟の機関誌『文学通信』の発行などを通して日本の中心的なアナキスト詩人になった。 1935年11月には日本無政府共産黨の委員長として活動中、アナキズム運動に対する大弾圧によって日本無政府共産党及び解放文化連盟は壊滅、植村諦も7年におよぶ獄中生活を体験した。戦後にも自分の思想を曲げずに新日本文学会と日本未来派で詩作活動を展開中、1959年脳出血によって死亡するまで日本を代表するアナキスト詩人の一人としてアナキズム運動の中心的な役目を果たした人物であった。 特に植村諦に注目することは彼が朝鮮での民衆との体験を通じて民衆解放を志向するアナキストとして自覚し、詩を通じて日帝に抵抗したという点である。朝鮮で雑誌『朝鮮及満洲』の編集者に勤めながら野長瀬正夫、岡本潤などのアナキスト詩人たちとの交流を通じて植民地朝鮮の惨めな現実は強制的で破壊的な日帝の苛酷な収奪政策にその原因があることを分かるようになった。1930年5月朝鮮の独立運動家たちとの接触事実が警察に知られて逮捕の代りに朝鮮からの追放によって帰郷するようになった時、彼は徹底的なアナキズム思想による抵抗詩人に変わった。植村諦は植民地朝鮮民衆の苦痛を一緒に体験し、朝鮮民族の解放を固く信じ、詩を通して日帝に抵抗した代表的なアナキスト詩人であったのでる。

14

4,300원

永井荷風の『ひかげの花』は、多義性をもつ作品である。特にこの作品の視点人物の多様な変化は作品の多義性を増幅させているとみられる。登場人物の視点の変化によって、評価が分かれていて、その評価は互いに衝突する。この作品には複数の声、つまりポリフォニーが存在する。本稿では『ひかげの花』を視点の変化によるポリフォニーという側面に焦点を当て、作品の重要登場人物であるお千代と重吉の性格分析を試みた。二人はそれぞれ幸福を獲得したような結末になっているが、それを可能にするのは、お千代の先天的性格と重吉の後天的性格であった。お千代の性格は複数の視点人物によって提示され、またお千代自身の視点を通しても提示される。さらに、この作品の語り手は直接顔を出し、登場人物について評価したりもする。それら多様な「声」は他の「声」を補うと同時に衝突する。この小説には「ひかげの人生」に対する温かい視線と冷たい視線が共存する。人生問題に対して、特定の解決策を提示する人間というより、常に批判する人間としての荷風文学の特性が窺える。

15

4,600원

大岡昇平の『俘虜記』は1940年代、占領下時期の日本社会の実態を俘虜収容所の描写を通じて風刺的に批判した作品である。ここで大岡が批判の対象としている1940年代占領下時期の日本社会の実態、あるいは俘虜収容所の様子は、個人が国家という巨大な暴力組織に対してどのように立ち向かわなければならなかったのか、という問題に集約できる。占領下の日本社会とは、アメリカが施してくれる物質的な豊饒さと民主主義という恩寵を無批判的に受け入れ、過去の戦争への郷愁と未練、そして占領軍への諂いが満ちわたっていた時期である。このような雰囲気で、運命に対する個人の責任は隠蔽され、過去の戦争に対しても国家や軍部、天皇の責任だけが浮彫りになっていた。 しかし、大岡昇平は自分の意志に反して戦場に駆り出され、俘虜になって生還した自分の運命に対して、自分自信の責任を厳しく追究する。このような態度は上述した、自分自身の運命に対して、国家や軍部、天皇に責任を転嫁し、個人の意志や責任は隠蔽し被害者としての運命だけを語ろうとした、占領下社会への徹底的な反省と批判意識から來たと言える。このような大岡の問題意識と態度は、韓国をはじめとするアジア周辺国に対して日本が負うべき国際的責任や日本国民に対して日本政府が負うべき国内的責任だけ取り上げられて、日本人であろうとも韓国人であろうとも個人の責任は忘却し各々被害者としての立場しか語ろうとしない現在にもあいかわらず意義があると思う。 ただし、大岡が厳しく追究しようとした、運命への個人の責任は偶然性、人間の本能、神の摂理といった人間普遍の問題に帰する。過去の戦争への責任が人間普遍の問題に帰すると、自分の意志と関係なく戦争に参加した日本兵に戦争の加害者としての責任を問う根拠はなくなるであろう。その恐れは、大岡の作品が1990年代以後の日本の保守主義の言説に利用されることで現実となってしまった。もちろんそれは大岡の意図ではないにしても、今日の読者としては十分注意を払い、警戒しなければならない点だと思う。

16

4,600원

<二人組>とは、大江の小説の中で時には対立しあい時には協力しながら活躍する二人の登場人物を指し示す言葉として作者大江が自らの小説の中で使っている用語である。<二人組>は、近年大江健三郎の作品を読み解くキーワードの一つとして改めて注目されている。本稿は、大江の文学における<二人組>が、ストーリーの中で活躍する人物としてだけでなく、ストーリーの外でその事件やストーリーを伝達する過程においても奇妙な役割分担をし、小説というジャンルそのものについても注意を喚起する構図であることに注目した。単に情報提供者と記録者の関係として見えがちな両者は、見方によれば、むしろ情報提供者こそ創作者であり、記録者は読者あるいは聞き手となり得る関係に置換できる。そして、叙事をめぐる<二人組>の対立と協力は、当代の現実から出発した荒唐無稽な想像と連動しつつ、小説というジャンルの中に根深く内在している事実と虚構の両義性を想起し、その両者の拮抗作用に核心的な役割を担当している。

17

4,500원

柳宗悦が中心となる民芸運動は、1924年の「朝鮮民族美術館」そして、1936年の「日本民藝館」という<場>の実現とともに、この<場>を中心に展開されていった。このような運動は、白樺派の美術館構想運動が原点となっていて、「朝鮮民族美術館」設立は、白樺美術館と民藝館の過渡期に位置していたといえる。ところが、柳を含め白樺派が願望していた「白樺美術館」は構想だけで終わり,「朝鮮民族美術館」と「日本民藝館」は、多くの人々の支持を得て実現できた。この理想を挫折と実現へ分岐させた力は、そのような空間が時代のイデオロギーを代弁し得たかという問題と関わっていた。 つまり「朝鮮民族美術館」と「日本民藝館」には、収蔵品が選定、配列されることで、何らかの歴史性が付与される。そこには、必然的に日本が主体となる支配の論理、或いは、植民や帝国主義を強化する論理の文脈にとりこまれてしまう要素が内包されていた。それだから、芸術をもって朝鮮や日本の民族意識や固有性を高らかに宣言する柳の意図が、時代と並行する形で実現したのである。 しかし「朝鮮民族美術館」の場合、そこに収蔵される物が被支配国のものであっただけに、より複雑な政治的問題を絡んでいた。そこには、日常必需品の用具とみなされていた李朝陶磁器から美を発見したような、個人の直観がものの価値を決める白樺派的な文脈と、それを美術品と認定し収蔵し陳列することで、朝鮮の美が秩序化され、帝国の歴史に収斂されてしまう帝国主義的文脈があった。したがって、その<場>には、美とイデオロギーの絡み合いと主体の交差が起こるなど、柳宗悦/朝鮮/総督府、それぞれが自分の文脈をもってせめぎあっていた。このような問題を孕みながら柳が熱望していた「朝鮮民族美術館」は、1924年に朝鮮の民族美術館として実現した。それは、柳の理想の実現であり、一方で、そこには、具体的な空間における収蔵の思想が、個人の直観による美の「発見」のダイナミズムを許されなくなる。また、朝鮮の知識人は、そのような空間を通して「民族」としての個別性を認めた柳に出会い、彼の文化活動を、自らの主体性を獲得していく<場>として流用していったのである。

18

4,500원

本稿は小島信夫の小説『抱擁家族』(1965)に表れた‘主婦’の表象を通じて、1960年代‘高度成長期’の日本を背景に変化していく日本とアメリカの関係を考察して見た。‘時子’という女性に焦点を合わせて、戦後日本の女性が消費を通じて主体化を成し、家族制度と日常生活様式においてアメリカナイゼイションを内面化していく過程を分析してみた。1章では近代家族制度の形成と主婦の大衆化がどのようにテクスト内で形象されているかを考察した。2章ではアメリカ式大衆文化の消費者としての‘主婦’が主体として立ち上がる姿について考察した。3章では癌の発病とアメリカ式住宅の欠陥で表れるアメリカ式生活様式を内面化した戦後日本人主体の混乱と動揺について考察した。4章では主婦の不在と主体の挫折を分析した。結論的に、このテクストは高度成長期の日本人がメディアと通じて流行するアメリカのイメージを消費し、積極的に日本の内部へ受け入れた抱擁の結果、むしろ、その日本人主体が危うくなっていく姿を鮮明に写し出していることを明らかにしてみた。したがって、このテクストは戦後日本とアメリカの共謀的な関係に対する批判的なテクストとして読むことができる。

19

미디어 담론에서 본 ‘자연주의’

오성숙

한국일본학회 일본학보 제79권 2009.05 pp.235-247

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4,500원

本論文は、メディアを中心に広がっていた「自然主義」言説を論じたものである。特に、西洋からの文芸思潮として受容された「自然主義」が日本文学史の議論を越えて、その時代を代表する言説として、社会現象や事件を規定する言葉としても用いられた、一連の過程をあきらかにしたものである。明治40年前後から、メディアのなかでは恋愛と性欲とが混沌されるなかで、青年男女の関係を意味する言葉として「自然主義」言説が入ってきたものの、『自然主義』は青年と深く結び付けられていた。しかし、田山花袋『蒲団』の発表をきっかけとして「自然主義」と性欲が結ばれ、社会的に流通していった。 その一方、実感を起こすおそれと事実、経験などという文学史上の「自然主義」のモットーは、実際の事件<煤煙事件>を規定する言葉として、「自然主義」が用いられるようになった。つまり、明治40年前後のメディアでは、「ラブ」=「性欲」=「自然主義」のパラダイムが形成されていて、明治四一年に起こった〈煤煙事件〉は、このパラダイムによってとらえられ、表象されたのであった。

20

4,500원

It's possible to divide HARUKI literature among the 1st period and the 2nd period based on 1995. The key word separated in two kinds of time is ‘conversion'. Haruki spoke himself ‘I have converted from detachment to commitment since 1995'. The ‘family image' which comes out in his three kinds work ‘family affair’, ‘honey pie’, and ‘Kafka on the shore' was studied to know whether HARUKI literature changed really. After three works were studied, I knew that main characters of a work of HARUKI recognized others' existence. But they couldn't combat with the ‘huge violence' which intimidates a relation between itself and others. Have to conquer ‘huge violence' to live with others. But main characters are not conquered and are removed. When they can receive others' help and conquer ‘huge violence' perfectly, true conversion of HARUKI literature would consist.

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<記憶>と<忘却>の衝突―「遙拝隊長」の戦後表象―

黃益九

한국일본학회 일본학보 제79권 2009.05 pp.263-278

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4,900원

アジア・太平洋戦争直後の日本で、一般大衆は戦争責任問題をどのように受け入れたのか。また敗戦という現実に直面した一般大衆は、戦時中の記憶をどのように再編しようとしていたのか。本論は、このような敗戦をめぐる記憶のメカニズムを、井伏鱒二「遥拝隊長」(一九五〇年二月)を通して考察する試みである。 「遥拝隊長」において、戦後の村落共同体は、どのように戦争を捉え、敗戦をどう引き受けたのか。この物語には、共同体自身の責任を巧みに回避する忘却の論理が秘められている。本論は、これを論証するために、まず戦時中の共同体の欺瞞に着目し、その欺瞞がどのように表現されているのか、そしてそれが記憶の再編によって隠されていく様子を探求する。 「遥拝隊長」には、戦時中に一人の青年岡崎悠一が村落共同体の自己顕示のために戦場に送られ、共同体の記憶を構築する原材料となった様子が描かれている。しかし、敗戦後になると、岡崎悠一に対する「臆説」や「噂」などを作り出すという村落共同体の理屈が描かれていくことになる。このような村落共同体の変貌には、過去の記憶を再編しようとする欲望が絡んであったのである。こうした村落共同体の欲望と、帰還兵が語る〈証言〉の語り(オーラル・ヒストリー)は、物語において衝突していく。「遥拝隊長」が表象するのは、共同体における記憶と忘却の衝突であり、それは戦後日本における記憶をめぐるもう一つの戦場と言えるものである。

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노(能)에서의 요시쓰네상(義経像)

金忠永

한국일본학회 일본학보 제79권 2009.05 pp.279-291

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源義経が登場するいくつかの能作品を対象にしてまずその人物像の推移を辿ってみた。分析の対象としたのは、『鞍馬天狗』『八島』『正尊』『船弁慶』『安宅』などである。これらの作品の順番は、義経の人生歴程における時間的な順序に拠った。その分析の結果明らかになったのは、これらの作品の中における義経像の人物像造形の推移にはある意図的な流れが読み取れるということである。それは義経の人物像を必要以上に矮小化しようとする方向性である。これはいわゆる「判官贔屓」の情緒にあわせた脚色方向というのは言うまでもなかろう。ただ、ここで見逃せないと思うのは、こうした人物像造形における方向性と合わせて、弁慶という人物の急浮上の痕跡である。これを私は当時の民衆の補償心理に合わせようとした結果に他ならないと思う。つまり、時の英雄たる義経という人物を失った民衆の喪失感を補ってあげようとした作者たちの意図の産物が他ならぬ弁慶という人物像であるということである。

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本稿で取り上げた問題は源氏物語の須磨巻における光源氏の上巳の祓である。光源氏は父桐壺院の死後、政争に敗れて須磨に退去したが、一年後の春三月朔日に上巳の祓をした。祓の最中源氏が無実を訴える歌を詠むと、突然暴風雨が襲い、嵐は二週間近く荒れ狂った。この場面にはさまざまな問題が論じられてきた。古注釈はこの嵐を周公旦の故事によって説明し、源氏の夢に現れた桐壺院については醍醐天皇堕地獄説話を指摘した。近年では源氏は上巳の祓によって故桐壺院の霊を呼び、住吉神の神意を受ける機会を得たと解されている。また暴風雨についても「無反省な源氏への神の怒り」、「無実の源氏に対する天の感応」、「源氏の罪を洗い流す禊」など多義的な解釈がおこなわれてきた。そういう中でこの暴風雨の表現に大嘗祭の大祓詞との類似性を指摘し、嵐を源氏の王権形成の場であるとする論がある。本稿はこの論を継承する。光源氏は七歳の時に「帝王の相」があると予言され、その後も天皇の父になるという夢占いがあった。源氏物語はそういう光源氏の王権物語の構造を持っている。本稿は須磨の嵐をその文脈において読み解くものである。そのためにまず上巳の祓について『河海抄』の注を手がかりに分析し、次いでこれまで明解を得なかった「三月朔日」と「十三日」という日付の問題を韓国の上巳の祓をめぐる神話を媒介にして検討し、上巳の祓と日付の問題に光源氏が王の資格を獲得する意味構造があることを明らかにする。

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日本文学に於ける『莊子』の受容に關する考察

許坤

한국일본학회 일본학보 제79권 2009.05 pp.307-323

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日本文学に於ける『荘子』の受容は、近世以前と以降ははっきりと区別される。『荘子』が日本に伝わって間もない時期は、『荘子』を接することが出来る階層も限定されていたし、また『荘子』を読む人も『荘子』を文学の書として接したというよりは、単なる教養書籍として読んだだけである。そのような訳で『荘子』に関する分析と読み方は限界あったに違いない。しかし近世以前は『荘子』はその伝來の当初より排斥される批判があったにもかかわらず教養書として広く流布し、知識人の必読書ともなったのである。 近世は儒教一尊の時代であったのて日本人は老荘の徒と呼ばれることを好まなかったのであるが、学者にしてこの書を読まなかった者はないであろう。また、『荘子』は、甚だ多くの注釈書も書かれているのである。特に俳文学では積極的に摂取せられ、『荘子』の一種傍観的な姿勢や、奇抜な寓言寓意の表現や、すぐれた文章や、思想は言うまでもなく、文学的にも鑑賞されたのである。日本文学に注目すべき影響を与えたことは、人間生活の理想を自然の精神に求めようとした日本人の思想傾向や、恬淡洒脱にして者に拘泥しない国民性の要求に応えてくれたこと、そしてその文章の無碍自在なるところに魅せられたためであったと思われるのである。

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敗戦後の日本はアメリカ占領軍の支配下におかれていたので、日本の外交も基本的にはアメリカの対外政策を支持・反映する以外に選択の余地はなかった。その日本の外交が、名実共に自主独立国家としての道を歩み始めるようになったのは、アメリカの対日占領政策の変化と韓半島の戦争、サンフランシスコ平和条約の締結などが実現されてからである。この頃から、戦後日本の安全保障と戦後復興、そして高度経済成長による経済大国化への道が開かれるようになった。 この経緯を踏まえ本稿(後編・上)では、とりあえず1950年代を中心に、戦後日本の「国家像」造り、戦後外交における「文化外交」の重要性認識の背景、文化外交の実態及びその時代的意味等を概略した「前編」に続いて、戦後復興を通じた日本の「対外経済協力構想」の持っている時代的意味を「文化外交」との関連性の中で検討した後、次稿(後編・下)では、これと結び付いたアジア・欧米文化外交の実態(推移と特徴)を具体的に分析することによって、1950年代における日本の文化外交の全容を明らかにしようとする。

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In the year 1868, the Edo-bakufu government which was ruled by feudalism had turned over its political power to the Meiji Administration. It was a new era open for the Meiji Administration and Japan was about to face huge movement of modernization. Meiji Administration formed its central power toward "Teno" with allied forces. Meiji Administration was exactly the counter-force of that of Edo. Although Meiji Administration had usurped political power from Edo, their military and the educational systems were very unstable. On the contrary, Bakufu government had already settled its system in many ways, especially Bakufu's military and education systems were far more exceeding than Meiji's. Numazu-heigakko, which was open in 1869, is the good example which clearly shows how Edo had already established advanced system in military and education. By no surprise, this military school had possessed well organized systems as well as human resources. Eventually, one can clearly say that Edo was the successor to pass every advanced systems to Meiji's. Upon Edo's solid foundation, Meiji Administration started to flourish and trained many instructors, students, weapons and books. In the aspect of educational curriculums, Meiji focused on general studies and gave priority to people who had capabilities. This was distinct feature of how Meiji Administration made their principles to train not only soldiers but human resources as well. Therefore, it would be not too exaggerate to say that the process of Japan's modernization in education have its solid foundation on Bakufu's military system.

 
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