2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,600원
古代日本語においては, 母音の連接を嫌う傾向があった. そのため, 複語を作るときなど, やむを得ず母音が連接する時, それを回避するため, 母音の脫落, 他母音への轉成, または子音の揷入などの音韻現象が起こった. この中で, 母音の脫落のことは, 日本語音韻論の硏究のなかで, もっとも硏究の盛んな分野の-つである. しかし, 脫落の原因について, 從來の硏究は, 主に脫落現象のある語彙內部における各音間の關係においてのみ, 究明しようとした. そのため, 前項語の尾母音の脫落形と後項語の頭母音の脫落形が共存する場合に十分な說明ができなかった. 本硏究では, 主に尾母音脫落形と頭母音脫落形が共存する場合に重点をおき, 母音が連接するとき, 起こりうる音聲的變化について考察し, 尾母音脫落形と頭母音脫落形が共存する原因を明らかにしようとした. 考察の結果, 二つの母音が連接するとき, 二重母音に轉成する例がある類型と, 拗音になりやすい環境で, 尾母音脫落形と頭母音脫落形が共存することが確認できた.
5,200원
本稿では,『倭語類解』に記載されている日本漢字音の淸獨音を「韻鏡」の$lt;濁音字$gt;$lt;淸音字$gt;$lt;次淸音字$gt;$lt;淸濁音字$gt;に屬する漢字別に羅列して『倭語類解』に記載されている日本漢字音の淸濁音の傾向と讀書音の狀態を調査した. その結果,『韻鏡』の$lt;濁音字$gt;に屬する漢字は『倭語類解』に淸音(漢音)だけが記載されている漢字が多く見られる. また, 淸音(漢音)と濁音(吳音)が同時に記載されている漢字や濁音(吳音)だけが記載されている漢字も見られる. 淸音(漢音)讀みだけが記載されている漢字音は規範的な讀書音(漢文訓讀音)を示すものであり, 淸音(漢音)と濁音(吳音)が同時に記載されているものは讀書音と一般通用音を反映していると思われる. また, 濁音(吳音)だけが記載されているものは, 중촌척제の『小學示蒙句解』の訓讀文にも濁音形が見えることから, 當時の漢學の流派や漢學のレべルによって許容されたものと思われる. また,『韻鏡』の$lt;淸音字$gt;$lt;次淸音字$gt;に屬する漢字は淸音(漢音)だけが記載されている漢字が多く見られるが, 濁音(吳音)だけが記載されている漢字も見られる. 淸音(漢音)讀みだけが記載されている漢字音は當時, 規範的な讀書音は漢音であるから, 讀書音を示したものと推定される. 濁音(吳音)だけが記載されている「充」「鞭」「蒸」「喘」などの漢字音は, 太宰春台著の『倭讀要領』で, 當時濁音形も讀まれたという記錄や濁音形(吳音)は중촌척제著の『小學示蒙句解』の訓讀文に「滋(ジ)」「充(ジュウ)」「鞭(べン)」などが見られることから, 當時「韻鏡』の$lt;淸音字$gt;$lt;次淸音字)に屬する漢字の濁音形(吳音)も讀書音に許容されたのではないかと思われる.『韻鏡』の$lt;淸濁音字$gt;に屬する漢字の漢字音は淸音が吳音で, 濁音が漢音という字音の對應を成すのが一般的であるが,『韻鏡』の$lt;淸濁音字$gt;に屬する漢字は『倭語類解』では大部分濁音である漢音で示めされている.『韻鏡』の$lt;濁音字$gt;屬する漠字の漢字音は淸音が漢音, 濁音が吳音という對應を成すものとは反對であるが,『倭語類解』では, 濁音である漢音が多く示めされており,『韻鏡』の$lt;淸濁音字$gt;の漢字音が濁音であっても讀書音は漢音であることを强く反映しているものと推察される. さらに,『韻鏡』の$lt;濁音字$gt;$lt;淸音字$gt;$lt;次淸音字$gt;$lt;淸濁音字$gt;に屬する漢字の漢字音と『倭語類解』に記載されている日本漢字音の淸濁音の記載位置との關連も調べて見た. その結果,『韻鏡』の$lt;濁音字$gt;屬する漢字が『倭語類解』で漢音である淸音形と吳音である濁音形が單獨で施されている場合は「上の漢字音」に記載されている. 特に, 濁音形が「上の漢字音」の記載位置に施されている場合は, 當時の漢學で讀書音として吳音讀みされたという記錄から,「上の漢字音」の位置に施されている吳音(濁音形)も, 漢音である淸音形と供に讀書音を反映しているものと思われる. また, $lt;濁音字$gt;のうち, 淸音形と濁音形が同時に「上の漢字音」と「下の漢字音」に記載されているものは,「上の漢字音」には讀書音を,「下の漢字音」には一般通用音を示めしたものと思われる. しかし, $lt;濁音字$gt;のうち,「分」「純」「自」の一部の漢字は濁音形(吳音)が「上の漢字音」の位置に, 淸音形(漢音)が「下の漢字音」の位置に記載されている. これは, 중촌척제の『小學示蒙句解』の訓讀文にも濁音形が見られることから, 濁音形(吳音)は讀書音を, 淸音形(漢音)は一般通用音を示めしたものと思われる. これは當時の漢學の流派や漢學のレべルによって一部の吳音(濁音形)も讀書音として許容されたと推定される.『韻鏡』の$lt;淸音字$gt;$lt;次淸音字$gt;に屬する漢字の淸音(漢音)だけが記載されている漢字と濁音(吳音)だけが記載されている漢字の大部分は「との漢字音」の記載位置に施されている. これは, $lt;淸音字$gt;$lt;次淸音字$gt;の濁音形(吳音)が『小學示蒙句解』の訓讀文に見えることや,『倭讀要領』で讀書音として讀まれたという記錄から, 讀書音を反映しているものと推察される.『韻鏡』の$lt;淸濁音字$gt;に屬する漢字の大部分は, 濁音形である漢音が「上の漢字音」の記載位置に施されているため, 規範的な讀書音である漢音を反映したのではないかと思われる.
韓國語と日本語の疑問文イントネーションに関する音響音声学的対照研究 -Wh 疑問文とYes - no 疑問文を中心に -
한국일본학회 일본학보 제41권 1998.11 pp.33-50
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
5,200원
한·일 양언어의 통사 구조와 운율적 특징의 대응 관계를 밝히기 위한 기초적 연구로서, 한·일 양언어의 의문사 의문문과 예-아니오 의문문에 대해서 음향음성학적 분석을 실시하고, 그 결과를 토대로 작성한 합성 음성을 이용한 지각 실험을 실시하여 양언어의 공통점과 차이점을 밝혔다. 그 결과를 요약하면 다음과 같다. 첫째, 양언어에서 의문사 의문문의 경우에는 문장이 하나의 억양구로 통합되지만, 예-아니오 의문문에서는 문장이 두 개의 인토네이션구로 분리된다. 이것은 양언어의 공통점이다 둘째, 한국어에서 의문사 의문문과 예-아니오 의문문을 구별하는 가장 중요한 요소는 문장의 전반부인 의문사구내의 핏치의 변동폭인데 비해서, 일본어에서는 문장의 후반부인 술어의 악센트의 유무(억제되느냐 살아나느냐)이다. 이것은 양언어의 큰 차이점이다. 셋째, 음향음성학적 분석 결과, 의문사 의문문과 예-아니오 의문문에서 차이가 인정된 일본어 의문사의 Fo값(최고치)과 한국어 술어 시점의 Fo값은 두 의문문의 지각 판단에 아무런 영향을 미치지 않았다.
4,500원
본 논문에서는 金(1995)에서 실증된 韓國語 大邱方言의 音調特徵을 토대로, 言語學理論에 의해 韻律構造를 體系化하고 解釋한다. 根底의 이론으로는 Goldsmith(1976), Haraguchi(1977)등에 의해 제창된 Autosegmental Theory (自律分節音韻論) 의 기본이론과, 기본음조멜로디의 개념을 도입하며, 이들 논문에서 설명되어진 일본어의 東京方言과 大邱방언의 韻律構造와, 大卵方言을 비교검토한다. 지금까지의 연구결과로, 大邱方言과 東京/大阪 兩方言사이에는 音聲學的으로 유사한 音調特徵을 가지고 있다는 것이 관찰되었다. 본연구의 결과에 따라 言語學理論에 의한 악센트의 해석에 있어서도, 大邱方言은 이들 兩方言과의 類似点이 발견되나, 더 나아가 東京方言보다 大阪方言과의 類似性이 두드러짐을 알 수 있다. 이는 音響音聲學的인 측면에서의 관찰과 동일한 결과로 해석된다.
5,100원
日本語の固有語である 和語に對し, 漢語と洋語は借用語または外來語と呼ばれ, 日本語の語彙 系わはこの三つの語種とそれらが互いに結合して作り出されている混種語とで成り立っている. 日本語の 外來語には原語の語形とは違つた日本特有の「日本式外來語」または「和製外來語」という語彙がある. 日本語を母語とする人にとってはそれほど學習の負擔お伴なわないものかもしれないが, 外國人が日本語お學習する場合, これらの語彙に對する理解と習得は相當難解な項目にあたるということができる. 本硏究は『現代用語の基礎知識』(自由國民社1997年版)の外來語索引から和製外來語の用例を取り上げ, その特徵を考察したものである. 和製外來語の語源は, 一般の外來語のように多くが 英語からの借用である. 國立國語硏究所(1962)によれば, 2,964の外來語を分析した結果, その81%か英語からの借用であると報告されている. 筆者の調査においても, 英語と固有語, 英語と漢語などの結合例を除いた多くの用例が原語としていると現われた. 和製外來語の多くは複合語(合成語)の形で現われる. そのため語形が長くなっている場合が多い. 和製外來語の音節構造の特徵は 以下のように整理することができる. (1)開音節化:本稿の調査資料を各行から10語つずつ無作爲で油出し, 語末の音節を分析した. その結果, 83語の語末音節において, 開音節が70語(84.3%)で, そこには長母音の音節17語が含まれていた. また, CVN構造の閉音節は18語(15.7%)だった. このように英語の閉音節語を開音節語と受け入れる時, 母音が揷入または加えられる. (2)多音節化:語頭の子音と音節末の子音に一定の母音を加える過程で, 和製外來語の音節は原語の英語より音節が長くざるを得ない. その結果, 音節の短縮現象が現われる. 石野博史(1983)の硏究でわ, 和製外來語の音節の長さが平均5.95拍であると分析された. (3)音節の短縮:日本語語彙の外形相の大きな特徵は, 二字漢字語が多いという点だ. 國立國語硏究所(1966)の語彙調査でも, 外來語の3拍語と4拍語は全體の50%に及ばず, それ以上の多音節語として現われている. (4)新しい音節の普遍化:和製外來語の用例は, 日本語の固有語とは違って語頭の音節で有聲音現われ, 拗音節の增加現想を示しでいる. また, rと1で始まる單語が多くなっでおり, その他にも特殊音節が頻繁に現われている. 以上のような日本式外來語の特徵を理解することによって, 日本語の外來語に對するより正確な理解っを促し, 日本人の外來語指向についても抵抗なく受け入れることができると思われる.
일본어 조동사 ちゃう의 初出시기와 位相에 관한 연구 - 山田美妙의 례를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제41권 1998.11 pp.83-96
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
4,600원
助動詞「ちゃう」の初出時期についての日本語學界の見解は必ずしも一致していない. そのため,「ちゃう」は明治30年代にはいって東京の山の手の若者たちが使いはじめたと知られている.「ちゃう」の初出時期を定め, 當時における「ちゃう」の話者の位相を明らかにすることは,「ちゃう」の展開過程の正確な記述のため必要である.「安愚樂鍋」(明治4),「怪談牡丹燈籠」(明治17)などには,「ちゃう」が見あたらない. いまのところ「ちゃう」の初出作品は, 飛田良文(1992)の指摘どおり, 山田美妙の「白玉蘭」(明治24)のようである. 山田美妙の, 明治20年から32年までの作品を調べた結果, 明治24年以降の多くの作品に「ちゃう」がの用いられている. しかも, 下町ことぼ を用いる話者の會話に「ちゃう」が使われている例も少なくない. すなわち,「ちゃう」の話者は, 下町ことばを使う9歲の少年から60代の老人までにわたっているのである. 明治20年代に, 下町でも「ちゃう」が使われていたのである.「ちゃう」は, 明治30年代に, 山の手の若い層のことばに現れる前から下町で使われていたものと考えられる. 要するに,「ちゃう」は, 下町ことばで使われていたものが, 明治30年代には山の手にまで廣がったものと見られる.
學部編篡『日語讀本』의 漢字 考察 - 國定1期 『尋常小學讀本』과의 比較를 中心으로 -
한국일본학회 일본학보 제41권 1998.11 pp.97-109
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
4,500원
本硏究は韓國の開化期に使用された學部編纂『日語讀本』(全八冊)と日本で國定一期の敎科書として使用された文部省編纂『尋常小學讀本』(全八冊)とを漢字を中心に比較檢討したものである. 漢字が日本語の文章表記の上で果たす役割は文章の理解を助ける重要な동きをしていると言えるだろう. 特に『日語讀本』の場合, はじめから日本語の表記を「漢字」で導入している. これは韓國で昔から「書堂」というところで漢字を敎えていたので, 日本語の學習においても當時一般に使用されていた「カタカナ」から出發しなくて「漢字」から始めたのではないかと思われる. 『尋常小學讀本』では學年別漢字を配當し學習指導することになっている.『日語讀本』の場合は學年別配當漢字が見つからないので本稿で各卷別に漢字を調べたのである. 各卷別に漢字の配當は,「卷一 195字, 卷二 67字, 卷三 148字, 卷四 128字, 卷五 155字, 卷六 109字, 卷七 102字, 卷八 103字」のようになっている.『日語讀本』の漢字の總字種(異なり字種)は1007字である. 本硏究には日本の國立國語硏究所で日本語辭書の編纂のための準備作業として刊行した『國定讀本用語總覽』(CD-ROM版)を利用し「尋常小學讀本』の漢字を調べた. また,『日語讀本』と『尋常小學讀本』との漢字と文字を調査するために, 中野洋(1996.10)『パンコンによる日本語硏究法入門-語彙と文字』のプロダラムを利用した.
5,100원
本稿は, ロシア, 東方學硏究所サンクトぺテルブルグ支部に所藏されているアストン本『交隣須知』の資料性格を日本語史の立場から考えてみようとしたものである. 本稿で考察の對象にしているのは, $quot;Manual of korean$quot;の中に收錄されている增補本系『交隣須知』の卷1と卷4, そして$quot;交隣須知$quot;の書名を持つ古寫本系の卷1(一部)である. 調査の結果, 增補本系卷4は, 現存する諸本の中でンウル大本と最も近い關係にある傳本であることが分かった. しかし, 卷1の場合は, 對照し得る資料に制限があり, 對馬歷史民俗資料館に現存する白水本との對照のみではその傳本關係を明らかにすることは容易でないように思われる. なお, 古寫本系の卷1(一部)は, 京大本系統の傳本の流れを汲むものと見て大過ないだろう. 一方, 增補本系アストン本に內在する日本語には, 九州方言に屬する言葉の使用が確認され, 注目される. しかし, 文法面においては必ずしも九州方言的とは言い難い現象も見られ, その性格を俄かに斷定することは難しい. 恐らく, 本書の對譯日本語の成立には複數の人物が關わっており, したがってそこには言語の位相に關わる多樣な要素が混注しているように思われるが, この問題については今後引續き考えてみる必要があろう. なお, 古寫本系卷1の日本語は, 京大本のそれと大差はないが, 相對的に口頭語の要素が多少多く反映していることは指摘できそうである.
4,200원
本稿は『西遊見聞』に使われた外國名の漢字表記の實態を調査し, これらの日本と中國との關連性について考察したものである. その結果, 次のようなことが分かった. 第一, 外國の地名の漢字表記は古くから中國で行われた方法で中國文化の影響を受けた日本と韓國でも使われた. 第二, 日本では外國の地名を表記する時, 江戶時期以前は主に中國の表記を受け入れたが, 江戶時期以後は日本語に合う獨自的な表記を考案していった. 韓國でも開港以前は中國の表記をそのまま受け入れたが, 開港以後日本との關係が密接になるにつれて日本の表記を受け入れはじめた. 第三,『西遊見聞』には漢字で表記された外國名が82個出ているが, この中で中國の表記と一致するものと日本の表記と一致するものが各各33個と12個と現われた. さらに『西遊見聞』に獨自的な表記も使われている.『西遊見聞』に使われた日本の表記と一致するものは12個ほどであまり多くないように見えるかも知れないが, 當時の韓國の外國地名の漢字表記が從來の中國式から日本式に變わり始めたという点で重要な意味を持つと言える. 第四,『西遊見聞』に使われた日本の表記と一致する12個の用例は兪吉濬の日本留學と密接な關連があるもので彼が日本の表記をそのまま借用した可能性が高いと思われる. 兪吉濬の『西遊見聞』は19C末以後, 韓國の外國地名の漢字表記が中國式から日本式にかわっていくことを示唆する重要な資料だと評價できるだろう. 本稿は漢字表記の外國名という特殊な語彙を對象にして近代韓, 日語彙交流の問題を考察してみたものである. 今後はこれらの外國地名の漢字表記がどのような通時的過程を經て成されたかを考察して近代韓國語における外國地名の漢字表記の成立を明らかにしてみたいと思う.
4,900원
周知하는 바와 같이, 일본어의 문말표현인「わけだ」는「상대에게 설명하기 위해 명제와 명제를 서로 관련시킨다」라는 의미로「설명의 모달리티」로 불리운다. 본고에서는「わけだ」를 대상으로, 연역적 추론을 도입해 고찰함으로서,「わけだ」의 기본적인 의미는「필연적인 결과」이며,「설명」이란 기능은 논리적인 표현이기 때문에 생기는 부수적인 의미 기능이라는 점을 주장했다. 구체적인 내용을 보면「わけだ」는 일반적인 사실에서 개별적인 사실을 끌어내는 연역적 추론의 결과를 표시하는 기능을 담당한다. 따라서「독립된 관찰이나 기억을 사용하지 않고, 전제로 부터 결론이 필연적으로 나온다」라는 의미기능을 갖는다고 정의할 수 있다. 즉「わけだ」의 기본적인 의미는「필연적인 결과」이다. 또 「わけだ」가「ことになる」와 교체 가능하거나,「つまり」와 공기하기 쉬운 사실로부터「결론속에 있는 정보나 내용은 이미 전제 속에 암암리에 내포되어 있다」라는 연역적추론의 특징을「わけだ」가 갖고 있음을 확인 했다. 이와 같은 현상으로 부터,「わけだ」의「필연적인 결과」를 나타내는 의미적 특성은 명사「わ け」가 갖는 <이유 또는 원인>이라는 어휘적인 의미에서 오는 것이 아니라「독립된 관찰이나 기억을 사용하지 않고, 전제로 부터 결론이 필연적으로 나온다」라는 연역적추론의 정의에 의해 생기는 것이라고 말하지 않을 수 없다. 마지막으로「Qわけだ」의 Q는 旣定, 旣知라는 설은 그다지 타당하다고는 볼 수 없다. 왜냐하면 어디까지나 추론이지 旣知가 아니며, 전제가 참이아닌 조건문인 경우도 있기 때문에 반드시 旣定 이라고는 말할 수 없기 때문이다.
4,500원
本稿は舊稿「[關係]を表す形容詞述語文の構造」(拙稿(1995)),「(感情)を表す形容詞述語文の構造」(拙稿(1997))に引き續き, 形容詞述語文全般についての文型論的硏究の一部としていわゆる「不在·非存在」を表す形容詞述語である「ない」文について文型論の觀点から硏究したものである. 本稿でいう文型論の觀点とは, 述語を軸として結合する名詞句と助詞の三者間の結びつきの構造とその構造を決定づける原因, 背景となる語の意味的な特徵との關係を文型の面から分析するという觀点である. 具體的な分析の內客及び目的としては,「ない」述語文のとる文型の把握, 各文型と名詞句や述語形容詞の意味特徵, 助詞の役割などとの關係の分析, 類似表現「いない」との接点の考察,「ない」述語文の主要文型の抽出と主要用法の把握及び文構造の特徵の把握, などが擧げられる. 分析の手順としては, まず「ない」述語文のとるあらゆる文型を抽出し, 分析の對象とする文型を選定する. 次に各文型を個別的に分析し, 各文型における「名詞句, 助詞, 述語形容詞」の三者の關係と他の文型との關係を考察する. 最後に「ない」述語文のとる主要文型と主要用法および「ない」述語文の文構造の特徵をまとめる, というような順序をとった. 本稿で投う文型としては0項目文,「N1は·が+形」,「N2は(が)+Nlが+形」,「N2に+Nlは·が+形」,「N2カら+Nlは·が+形」,「N2で+Nlは·が+形」,「N3は(が)+N2に+Nlが+形」,「N3は(が)+N2カら+Nlが+形」,「N3は(が)+N2で+Nlが+形」,「N3は(が)+N2と+Nlが+形」などの10種類を分析の對象にした. 分析の結果「ない」述語文の主要文型と主要用法として次のようなものが提示できる. 「N2は(が)+Nlが+形」:總括的用法 「N2に+Nlは·が+形」:單純·出處不在, 判斷を感じる主體 「N2カら+Nlは·が+形」:出處不在 「N2で+Nlは·が+形」:活動性單純不在 「N3は(が)+N2と+Nlが+形」:關係不在 また,「ない」述語文のその他の特徵として比較の助詞「より」をとらないこと, 助詞「と」は3項目表現にのみ使用され, なお項目の順序の交替もできないこと, 助詞「に·から·で」の2項目文型はすべて項目の順序の交替が可能なこと, などが擧げられる.
5,100원
본고(本稿)는 이전 연구의 계속으로, 종조사「な」의 의미·용법을 분석한 것인데, 특히 종조사「な」와「ね」를 비교하면서 다시 조사·분석해서, 양자의 기능적 의미나 용법의 차이가 근본적으로 어디에 있는 것인가를 밝힌 것이다. 본고에서 새로 밝히게 된 것은, 이하의 네 가지 점이다. (1) 종조사「な」뿐만 아니라「ね」에도「聞き手めあての用法(청자를 대상으로 한 용법)」,「聞き手不めあて用法(청자를 대상으로 하지 않는 용법)」, 그리고 그 중간적인 용법이 있다. (2) 종조사「な」는 남성에게 많이 사용되고, 종조사「ね」는 여성에게 많이 사용되어지는 경향이 있지만, 양자의 용법의 근본적인 차이는 이러한 성차(性差)에 있는 게 아니고,「聞き手めあて」의 정도 차이에 의한 것이다. 본래「な」는「聞き手不めあて」,「ね」는「聞き手めあて」의 종조사이다. 양자의 용법의 성차는,「聞き手めあて」의 정도에 인해 2차적으로 파생된 것이라고 생각할 수 있다. (3)「な」는 본래「聞き手不めあて」의 종조사이기 때문에, 정중함(丁寧さ)을 가지고 있지 않지만,「ね」는 본래가「聞き手めあて」의 종조사이기 때문에, 정중함을 가지고 있다. 또한「聞き手めあて」의 정도와 정중함(丁寧さ)이나 화자의 배려(氣配り)와의 관계, 그리고 성차와의 관계는 다음과 같다.「聞き手めあて」의 정도에 대응하는 정중함이나 화자의 배려가 존재하는 경우(「な」의「聞き手不めあて」의 용법,「ね」의「聞き手めあて」의 용법)는 남녀 함께 사용되지만,「聞き手めあて」의 정도에 정중함이나 화자의 배려가 충분하지 않은 경우에는 男性語化하고 (「な」의 「聞き手めあて」의 용법), 반대로「聞き手めあて」의 정도가 넘치는 정중함이나 화자의 배려가 있는 경우에는 女性語化한다(「ね」의「聞き手不めあて」의 용법). (4)「な」의 중간적인 용법이라는 것은, 표현상은 독백처럼 말하지만, 화자의 내면에서는 청자를 대상으로 얘기하는 경우이다. 즉, 표현상은「聞き手不めあて」인데, 화자의 내면은「聞き手めあて」의 용법이다. 이 용법에서는「聞き手めあて」의「ね」이상의 배려가 청자에게 베풀어지고 있다 이것은 경어(敬語)에 있어서 친밀하지 않은 사람(ソトの人)에게 자주 사용되는 "격의의 용법(隔ての用法)"을 닮은 용법이다. 이러한「な」의 "격의의 용법"은 「聞き手めあて」의「ね」를 사용하는 것보다, 화자가 청자의 심적 세계에 간섭하지 않고 청자와의 거리를 유지함으로써, 청자에 대한 화자의 배려를 나타낸다. 이러한 표현의 수법은 G.N 리치(1983)의 "정중함의 원칙(丁寧さの原理)" 등에 따른 것이다. 본고가 쓰이게 된 본래 목적은 일본어 학습자에게 어떻게 종조사를 가르칠 것인가라는 교육적인 것이었다.「な」는 많이 사용되고 있음에도 불구하고 지금까지「な」에 관한 연구는 많지 않았고「ね」와의 차이도 명확하지 않았다.「な」와「ね」의 용법 차이에 있어서도 제일 중요한「聞き手めあて」의 차이보다는 성차가 강조될 경우가 많았고,「な」의「隔ての用法」에 대한 언급은 볼 수가 없었다. 이들은 외국인 일본어 학습자에게는 어려운 점이고, 본 연구가 그러한 연구의 출발점이 되었으면 한다.
文法的複合動詞[ーダス]의 意味用法의 一断面 - 本動詞와의 關聯을 中心으로 -
한국일본학회 일본학보 제41권 1998.11 pp.189-204
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
4,900원
現代日本語の複合動詞の硏究は複合動詞そのものに重きを置いて硏究が行われた. 從って, 本稿ではこのような点に注目し使用頻度が高い後項動詞「-dasujを硏究對象として複合動詞そのものと, その周邊問題と關連させて調査してみた. 特に本動詞「dasu」, 前項動詞「dasu」, 後項動詞「-dasu」との關連性を中心に考察を行った結果, 本動詞「dasu」と前項動詞「dasu」で具體的移動, 抽象的移動という点で關聯づけることが出來た. また, 本動詞「dasu」と後項動詞「-dasu」では具體的移動, 抽象的移動, 開始という点で關聯づけることが出來た. さらに,「-dasu」の文法的性質を明らかにするための一つの方法として「-dasu」と「-deru」の交換可能性を調査してみた結果, 交換の可能な場合と不可能な場合があることが分かった. その時の違いは主體の能動的な面, 意圖的な面, 切迫感の差異, 時間の幅などで區別することが出來た. このような差は「dasu」と「deru」の本質から深すことが出來た. すなわち,「-dasu」は主體の視点が中に置かれており,「-deru」は主體の視点が外に置かれているので, このような差異が生じていることが分かった. 倂せて, 本動詞「dasu」は他動性の動詞であるか, 後項動詞「-dasu」は自他兩用の可能な能格性の複合動詞であるという事實が分かった. または, 後項動詞「-dasu」の文法的機能は文法的要素の揷入の許容可能性, 動詞の連續性, 分離の可能性, aspect的意味の有無などのtest frameの手續きを通じて, 統語的機能をもつ文法的複合動詞であることが確認できた. 嚴密に言えば, 文法的複合動詞と語彙的複合動詞の性格を同時にもつ不完全文法的複合動詞としての機能を果たす複合動詞であると言える.
4,300원
간접수동은 일본어 수동문 분류의 하나로서 직접수동과 쌍을 이루는 개념으로 사용되고 있다. 본 논문에서는 자동사문에서 파생되는 간접수동문의 의미적 특징에 대해서 고찰했다 선행 연구에서는 이 종류의 간접수동문은 원칙적으로 피해의 의미를 나타낸다고 되어 있다. 그러나 왜 이런 종류의 수동문이 피해의 의미를 지니고 있는지에 대해서는 구체적인 설명이 결여되어 있다. 그러나 자동사문에서 파생되는 간접수동문은 `피해`의 의미뿐만 아니라 `중립`, `이익`을 나타내는 경우도 있다. 이런 사실에서 선행 연구에서 다루고 있는 고찰 범위는 자동사문에서 파생되는 간접수동문 전반에 관한 현상을 반영하고 있는 것이 아니라, 그 중 극히 일부의 경험적인 사실을 반영하고 있음에 지나지 않는다고 것을 보여준다. 선행 연구에서는 `피해`의 의미를 나타내지 않는 예들을 예외로 다루고 있는데 이들을 단순히 예외로서 취급할 수 없음이 본 논문의 고찰에서 증명되었다. 본 논문에서는 간접수동문이 나타내는 의미적 특징을 주어나 화자가 어떤 사건이나 사태의 영향을 간접적으로 받아, 해당 사건이나 사태에 대해 어떤 관련을 갖고 있는 것으로 규정했다. 이것이 현실 세계에서 실현될 경우, 해당 사건이나 사태에 대해 주어나 화자가 어떤 태도를 나타내는가에 따라 `피해`로도 또는 `이익`으로도 해석이 가능해진다. 이 때 구체적인 의미 결정에 관여하는 성분으로는 동사의 어휘적 의미나 문맥상의 의미를 들 수 있다. 이러한 사실은 일본인 화자가 직접수동문과 간접수동문 사이에 어떤 형식이든간에 공통점을 직감적으로 느끼고 있다는 것을 의미하며, 나아가서는 자·타의 구별을 하면서 수동문을 구별해서 사용하고 있는 것이 아니고 또한 피해의 개념을 전제로 해서 자동사문의 수동문을 사용하고 있지 않다는 것을 의미한다.
4,600원
본 論文은 現代日本語의 反語文을 對象으로 하여 그 意味·統語的 特徵에 대하여 考察한 것이다. 종래 반어문을 疑問表現의 한 範疇로 包含시킨다는 점에서는 硏究者들의 意見이 一致하면서도 그 자리메김에 대해서 具體的으로 論議한 연구는 全無했다. 본 연구는 이러한 事實을 注視하면서 共時的인 觀点에서 일본어반어문의 아래와 같은 사실들을 지적하고 고찰하였다. 1. 먼저 형태론적인 관점에서 반어문을 有標와 無標의 반어문으로 분류하였으며 의미론적인 관점에서 客體的主張을 나타내는 반어문과 主體的主張을 나타내는 반어 문으로 2분류하였다 또한 이러한 鈴類를 根據로 하여 無標反語文의 範團를 明確히 限定시켰다. 2. 반어문의 의미 ·통어적 특징으로는 1) 終助詞 ネ와 ヨ의 承接與否 2) 대부분의 반어문이 無題文의 形式을 취한다는 사실 3) 主格의 인칭제한문제 4) 時制의 分化여부문제 5) 반어문이 反事實的 條件文의 歸結節과 可能文에서 共起되기 쉬운 문제 6) 반어문이 부정술어보다는 긍정술어문에서 生成되기 쉬운 문제 등의 사실을 지적하고 이러한 현상들에 대한 적절한 설명을 하였다. 3. 반어문을 통하여 나타나는 화자의 주장과 판단의 성격을 소위 판단문과 화자의 확신을 나타내는 모달리티 형식과의 비교/검토하는 작업을 통하여 규명하였다. 즉 반어문에서 화자의 판단내용은 화자정보영역의 확신적인 정보에 국한된다는 사실을 지적하였다.
4,900원
종래 일본어의 수동에 관한 연구에 있어서 자동사에 의한 간접수동은 예외없이 다음과 같은 특징을 지니고 있다고 말하여져 왔다. 첫째, 구문적으로 수동문의 주어는 대응을 이루는 기본문에 있어서 사태의 성립에 전혀 관여하지 않으므로 격표시 형태를 취하고 기본문에 표층화 될 수 없으며, 그로인해 기본문에 비하여 필수 논항이 증가하며, 이때 기본문의 주어는 수동문에 있어서 ニ格 으로 표시된다고 하는 특징, 또한 의미적으로 수동문의 주어인 제3자는 원래부터 기본문의 구성요소가 아닌 까닭에, 기본문이 나타내는 사태로부터 간접적으로 피해를 입는다고 하는 특징을 지니는 독특한 형태의 수동으로 파악되어져 왔다. 둘째로는 三上(1953)의 所動詞이래, 비대격자동사로 일컬어지는, 무정물을 주어로 취하는 자동사는 수동을 형성할 수 없다고 하는 수동문 성립의 제약 조건에 관한 특징을 들 수 있다. 본고에서는 이와 같은 종래의 견해에 대해 문제점을 제기하고, 자동사에 의한 간접수동을 재고해 보았다. 그 결과는 다음과 같다. 첫째, 일본어의 자동사에 의한 간접수동도 다른 유형, 즉 직접수동이나 목적어 있는 수동문(이른바 持ち主の受身)과 같이, 전형적인 것에서부터 다른 유형과 유사성을 보이는 주변적인 것(예를 들면, 수동문의 주어가 [に對して(에 대하여)]와 같은 格助詞句의 형태로 기본문에 표면화될 수 있는 것, 또는 기본문의 주어가 수동문에서 ニ格뿐 아니라 カラ格으로도 표시되는 것, 의미적으로는 피해의 의미없이 쓰이는 것 등)까지 다양한 하위 타입이 존재한다. 따라서, 자동사에 의한 수동을 일률적으로 간접수동의 전형적인 것으로 취급할 수 없음을 밝혔다. 둘째, 비대격자동사는 수동문을 형성할 수 없다고 하는 종래의 견해와는 달리, 이러한 유형의 자동사에 의한 간접수동문이 실제 존재함을 밝히고, 기본문이 나타내는 사태의 비실현에 대한 제3자의 당위 판단과는 반대로, 사태가 실현됨에 따라, 수동문의 주어인 제3자가 그 사태의 실현으로 인해 간접적으로 피해를 입는다고 하는 사용 상황의 부여를, 이러한 유형의 간접수동문의 성립 조건의 하나로 들었다. 따라서, 종래의 견해와는 달리 수동문의 성부는 동사라고하는 어휘적 레벨의 문제만으로 결정되는 것이 아니라는 점을 명확히 했다.
4,900원
本稿では韓國人日本語學習者の用言の活用の誤用を分析し, その誤用に對する日本語母語話者の評價, すなわち誤用の重要度を調べてみた. その主な結果は次のとおりである. (1)調査Iでは, 活用形の種類別の誤用率は, 學習者A(1年生)は活用形9(動詞の命令形), 活用形2(「用言+(よ)う」(推量·意志)), 活用形8「用言+ば」( 定形)), 學習者B(2年生)は活用形6(「形容(動)詞+なる」(副詞法))が高い. 單語別の誤用率は學習者A ·Bが同じく動詞より形容(動)詞が高い. (2)調査IIでは, 活用形の種類による誤用の重要度は「活用形1(用言+ない)·7(連體形)·3(動詞+ます·形容(動)詞+です)·2(用言+(よ)う)」,「活用形8(用言+ば), 「活用形9(動詞の命令形)·6(形容(動)詞+なる)」,「活用形5(用言+た)」,「活用形4(動詞·形容詞+て, 形容動詞の中止法)」の順序で高い. 單語別の誤用の重要度は動詞より形容(動)詞が高い.
한국인과 일본인의 비언어행동의 대조연구 - 동작・접촉・공간학을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제41권 1998.11 pp.263-278
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
4,900원
「兩班傳」일본어역 텍스트 연구 - 조선한문 , 현대한글역과의 비교검토 -
한국일본학회 일본학보 제41권 1998.11 pp.279-297
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
5,400원
飜譯學は,西洋で發達してきたが,東洋ではこれからの課題がたくさん殘されている.小論が試みた,朝鮮漢文の原文とその現代ハングル譯および日本語譯とのヒ軟檢討などもその一つである.テクストは,高度な語學·文學的な含蓄性を有する燕巖朴趾源の「兩班傳」である.原テクストは,この作品がひろく讀まれる契機となった多山本(1932)である.8.15以後,この作品は南北でともに飜譯されて多くの讀者に親しまれてきた.が,現代語譯ごとに差異がかなりあり,ここに飜譯論を試みた. 樣?なハングル譯(金河明譯·林熒澤譯など)を參照したが,とりわけ北の洪起文譯と南の李家源譯を多くとりあげた.いっぽう日本語譯テクストには,およそ次のようなものがある. 譯者未詳,「兩班傳」,『新しい朝鮮』,1958.2./許南麒譯,「兩班傳」,『鷄林』(創刊號),1958.11./朴元俊譯,「兩班傳-18世紀」,『朝鮮文學」3,1969.8./今村與志雄譯,「兩班傳」,『熱河日記 1」, 平凡社,1978./黃浿江,「兩班傳硏究」,『朝鮮學報』92,1979.7/宇野秀彌譯,「兩班傳」,『朝鮮文學試譯-李朝漠文小說選』,自家製,1985(?).などである. このうち特にとりあげたのは,今村譯と字野譯であるが,許南麒譯·朴元俊譯·黃養浿江譯なども參照した.それらにみられる.さまざまな問題點を便宜上次のように類型化した.1)歷史的·固有的用語の問題,2)譯者の語彙選擇の問題,3)背景文化(漠字化·引喩法)の問題,4)原作者の言語遊織·個人語の問題,5)原文の難解性の問題.便宜的な類型化ではあるが,小論での有用性は確認きれた. 1)では,「耀」「乏軍興」「氈笠」「段」「叩齒彈胸 細漱嚥津」「拂鹿」「엄애」など,2)では,「무익현관적」「漱口無過」「長聲喚婢」「食母先羹」「乾沒」「中其卷」「掉頭」など,3)では,「東萊博議 誦如氷瓢」「擧毆兒女」「모리사노복」「吐舌」など,4)では,「兩班兩班不直一錢」「@」「細漱嚥津」など,5)では,「語不齒唾」「송인탑인착락성중엄애 斗縱參橫」「進士三十 乃筮初仕 猫爲名蔭 善事雄南 耳白率風 복파령고 室珥冶妓 庭穀鳴鶴」などについて,原文·ハングル譯日本語譯を比較しつつ,また典@ 關連資料などにも留意しつつ詳細に分析?檢討してみた. 各飜譯テクストの特徹をのべれば,文書部分での今村譯の獨特な訓讀調が印象的であるが,これに比べ宇野譯は,地の台詞?文書部分ともにすべて古文調で飜譯しているのが特徵的である.又今材譯は日本語譯が漢文をそのまま書き下せるという利點をいかして,原文の格調? 品格を巧みに再現しえていて妙である.ハングル譯のばあいは解釋をうまく現代語になおしている.しかし,今村譯は,直譯調のため@@?@@を免れていない.原テクストの意味多重性を分解 數衍して,寓意をも譯文に含みこむといった點は,文化的にもハングル譯が有利だった面がある.重譯は折衷案たりえたとしても,原文に十分あたり正しい折衷主義に基づかなければ短所をも反映してしまうだろう. 原文の深い讀みと現代·異文化に適した譯がテクストを通時·共時的相互性の中に放つのである.
4,900원
今まで「なぞの歌人」と言われている枾本人麻品の作家論において,人麻呂の誕生地·年齡と經歷·妻に關して考察して見た結果,次のような結論を得た. 人麻呂の誕生地としては,やはり大和內にある奈良縣北葛城郡新庄町枾本だと考えられる.それは『新撰姓氏錄』が枾本朝臣を大和國皇別に分類しているのみならす,枾本氏越源說を傳える敏達朝の宮廷も同じ奈良縣北葛城郡內にあるからである.また人麻呂歌集歌の中に卷向山·三室山のような大和地方に關する歌もあり,人麻呂の妻である依羅娘子との關係から見ても,奈良地方を 人麻呂の本貫ないし誕生地だと結論づけることができる.そして人麻呂の年齡から推定して見る時,人麻呂は天智朝を前後とした百濟からの亡命人ではなく,大和の百濟人材で生まれ.近江遷都の時.滋賀の韓埼あたりへ移住していて壬申の亂にあったものと思われる. 人麻呂の近江朝に對する印象ないし感傷を歌った作品として,人麻呂の生の秘密や經歷に關する問題とも容接な關係にある「近江荒都歌」(卷一,29-31)に於ける人麻呂の抒情的特性は,あくまでも失われたものを限りなく戀しがる抒情である.これは人麻呂と天智天皇の近江朝とが深い開係にあったことを意味するものと思われる.なお近江荒都歌の反歌二首(30·31)と「タ浪千鳥歌」(266)が歌われたと思われる滋賀の唐崎という所は[韓崎→幸崎→唐崎)の地名漠宇の變遷が示唆しているように,近江朝當時には百濟などから渡って行った人たちが集團を成して居注した可能性が非常に高い地域である.だからこここそ人麻呂が感受性の銳敏な靑少年時代を送ったところであり,壬申の亂當時には宮廷にも出仕していたものと思われる. 人麻呂の出身と官位は大陸の發達した漢文學的な知識を身に付けた点と皇子皇女に關した作品がおおい點から貴族出身として少なくとも五位以上の身分であり,おもに持統朝の宮廷歌人として活躍していて,奈良遷都(710년)以前に六十歲程度の年齡で死亡したものと推定きれる. そして人麻呂の妻である依羅娘子は河內國丹比郡の佐羅鄕あるいは攝津國住吉郡の大依羅を本貫とする渡倭人の娘,それも百濟人の血統を受け繼いだ女性であることがわかった.
5,200원
物忌와 穢는 아직도 많은 연구자들사이에 혼동되고 있는 문제이다. 平安 文學의 중요한 연구서나 주석서에는 物忌와 穢를 혼동한 설명이 많이 보인다. 본 고찰에서는 物忌와 穢 전반에 걸친 문제점을 지적하고, 物忌와 穢의 실체를 명확히 하는데 주안점을 두었다. 物忌는, 이제부터 일어날 수 있는 災難을 피하기 위한 予防行爲로, 物忌日에는 物忌라고 쓴 패를 대문 앞에 세우고, 외부인의 출입을 금한 채 집안에 칩거한다. 物忌는 그 前兆가 되는 怪〔사토시〕가 전제가 되는데, 평상시와는 다른 이상한 일이 발생하면, 陰陽師는 그「이상한 일」이 害를 끼치는 前兆가 되는지 어떤지를 판정한다 陰陽師의 판단에 의해「이상한 일」은 物忌를 예고하는 怪가 되기도 하고 그렇지 않기도 한다. 이 때 陰陽師는 남녀별 物忌를 해야하는 연령과 物忌日을 판정한다. 物忌日은 짝수로 정해지는 것이 원칙으로, 몇 달간 계속되기도 한다. 穢는 소위「不淨을 타는」것으로, 그 종류도 매우 다양하다. 사람의 死亡이나 出産, 六畜의 죽음과 産에 접한 경우에는 穢가 되며, 改葬, 姙娠, 落胎, 生理, 화재 등도 穢의 대상이 된다. 穢는 그 종류에 따라 일정한 日數 동안 勤憤하며 외부인과의 접촉을 삼간다. 이 때 穢임을 알리는 패를 대문에 세우게 된다. 대문에 패를 세우고 외부인과의 접촉을 삼가는 점에서는 穢와 物忌의 차이점이 없으나, 가장 두드러진 특징은, 物忌는 災難을 피하기 위한 予防行爲인 반면, 穢는 事後處理的이라는 점이다. 또 하나의 특징은, 物忌는 物忌 당사자와 접촉해도 아무런 害가 없으나 穢의 경우는 그 穢가 전염이 된다는 사실이다. 예를 들어, A라는 사람이 穢인 B의 집에 가서 着席하게 되면, B의 穢가 A에게 옮아 A는 일정한 기간동안 근신을 해야 한다. 이 때 穢는 甲乙丙丁의 단계를 거쳐 전파된다. 위에서 본 바와 같이 物忌와 穢는 본디 별개의 것이었으나, 대문에 패를 세우고 외부인과의 접촉을 피하는 등의 동일 요소에 의해 어느 사이에 혼동되어, 오늘날까지 그 오류가 수정되고 있지 않은 것이다.
5,100원
史上 최대의 규모인 歌合로써 당시의 대표적인 歌人들이 모두 참석하였다. 當時 10명의 歌人이 150수씩 평가를 하였는데 定家는 秋四와 冬一에 대한 노래를 평가하였다. 본 논문은 定家의 평가에 대해 기준및 價値觀에 대하여 고찰하고자 하였다. 또한 다른 歌合와 歌論書를 비교함으로써 그의 和歌觀에 대한 변천이나 일관성을 엿보고자 하였다. 우선 본 歌合에서 눈에 띄는 것은 시대 구분이다. 定家는 後拾遣集시대부터 시작된 노래를[近き世の歌])라고 규정하였다. 그의 歌論書에는 구체적으로 7, 80년 전이라고 정의하고 최근의 노래에 대한 부정적인 입장을 보여주었다. 우선 定家가 예로 들고 있는 것은 歌語이다. 기본적으로 三代集의 歌語에 기반을 두고 노래를 만들기를 권하고 있는 그로서는 최근 노래가 이 법칙에서 벗어나고 있다고 지적하고 있다. 이런 노래에 대한 그의 평가는[負]였다. 古語에 기반을 두는 방법으로서 本歌取가 사용되었고 이 방법이 채택된 노래에 대해서는 그 출처를 밝히기도 하고 좋은 평가(勝)를 내리기도 하였다. 또 한가지 定家의 관심은 언어의 조합 내지는 구성에 있다고 할 수 있다. 대표적인 評語로서「ききなれたる心」「はしめをはりかなふ」「理かなふ」등을 들 수 있다. 진부하고 정형화된 언어사용, 이미 고착화된 묘사등을 그대로 이용하고 있는 노래에 대하여「ききなれたる心」라는 평가를 내리고 있다. 반면 새로운 이미지의 창출이라든가 논리적이고 합당한 내용에 대해서는「はしめをはりかなふ」「理かなふ」라는 평가를 하였다. 定家의 창작 방법도 엿볼수가 있는데 初句를 맨 마지막에 만드는 방법이 그것이다. 初句를 마지막에 둠으로써 노래전체의 균형을 이를 수 있으며 내용의 일관성을 유지할 수 있었다. 이는 곧「はしめをはりかなふ」「理かなふ」라는 評語하고도 통하는 부분이다. 이러한 창작방법은 종래의 歌風과는 다른 형태의 노래를 만들게 하였고 전통적인 입장에 선 歌人들로 부터 비난을 받게 되는 계기가 되었다. 본 歌合에 나타난 定家의 사상은 그대로 歌論書에 반영되었다고 할 수 있다. 시대구분이라든가 本歌取의 구체적인 방법등이 발전된 형태로 歌論書에 나타났고 定家생애에 일관된 和歌觀으로 자리잡혀 있음을 볼 수 있다.
4,500원
吉本ばななに對する評價は最近までかなり二極化している. 少女特有の感覺の微妙さを描きだす力量への共感が表明される. その一方`ばなな現象`などといってフェミニスト文學側からの嚴しい批判がある. その批判の典型というべきのは富岡多惠子と金井淑子の發言である. 本論稿ではフェミニスト文學側からの批判に疑問を持って,『キッチン」(1991)を中心として特にフェミニズムの傾向について考察した. フェミニズムは`女性もまた人間である`というごく簡單な叫びである. このような明瞭な事實を男性たちはこれまでよく知らなかった. `女は內をつかさどるものである`といいながら女は男の附屬物でわると考えられ, そのようにあっかわれてきた. 作者は今までの女性にたいする男性原理から脫却し, 新しい女性像を立てようとしている. しかしそれは`男性ぎらいのリブ`ではなかった. ただ新しい女性のリブのことばを獲得することにむけた努力がみえた. その結果になるのは女性という作られた`第二の性`の運命からの解放の道が性差よりも男女の相互協助の關係から指し示された.
5,100원
朔太郞の處女詩集「月に吠える」は,近代詩の歷史の中で一つの分水嶺を作った畵期的な詩集である.口語自由詩の確立という大きな反響を卷き起こしたこの詩集は.日本近代詩をより豊かに實らせた「變革の導火線」といえる.少なくともこのような評價についてはまず異論はないだろう.しかし,『月に吠える」が持つどのような特質が,そのような最高の評言をもたらしたのか.これについては樣樣な硏究がなされているが,そうした多樣な視角からの硏究が可能になったのは,實はそれぞれ微妙に異なるいくつかのレべルで複雜な詩的情緖を釀し出す,その內容的·形式的な特徵によるものである. 本論文では『月に吠える』の特徵をつかむ系口として,「春夜」に重點を置き,評釋や嚴密な文體分析を通じて朔太郞の詩的文學性を採ってみた.特に「春夜」に焦點を合わせたのは『月に吠える」全編に共通した情緖·技法·イメ-ジ·音樂性が, この作品にとりわけ象徵的でなおかつ含蓄的に秘められているからである.「春夜」はある事柄,內容を傳えるのではなく,直接的に吐露できない詩人の感情·心象を, 實際の意味からある程度距離を置く言語の使い方によって朦朧とした雰圍氣を漂わす詩である.最終行の「-です」という文體は,聞き手を要求した話法として,同時に語り手を浮き彫りにさせているが,それは異常な外部世界の描寫がほかならぬ語り手の內部世界であることを意味するのである.從ってそこから朔太郞の生存の悲衰.存在の重苦しさといった實存意識の一斷面が集約的に盛られているといってよかろう.ところで,朔太郞の口語感覺を露わにあらわす「ように」文體や,彼にとって「詩語の空洞化」の頂點ともいえる「でもなか」文體,そして詩的話者を浮き彫りにする文末の「です」體などは,すでに福士幸次郎,大手拓次などが用いかていた表現である.さらに朔太郞の代表的な詩的題材といえる$lt;吠える犬$gt;や$lt;靑猫$gt;のイメ-ジもこの二人の詩作品にあらわれており, これは朔太郞が彼等から少なくない影響を受けていたことを暗示する. 詩人としての朔太郞の詩語は決して豊富な方でなく,また多樣な詩想の持ち主でもない.『月に吠える」と『靑猫』に限って言えば,詩想にしろ,イメ-ジにしろ,詩的技法にしろ,朔太郞は他の詩人から受けた影響をより細分化し,徹底的に掘り下げて新しい詩的技法を探り,ねばねばとした詩想へ投入していくのである.そのよい例が「春夜」と「농めかしい墓場」からみてとれる「言葉の空洞化」による溶解·腐亂のイメ-ジであり, 一方では聞き手を想定した語り手の顯著化の手法である.
아리시마 타케오(有島武郞)의 『어떤여자(或る女)』에 나타난 '個性' 考察
한국일본학회 일본학보 제41권 1998.11 pp.383-395
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
4,500원
純粹な信仰生活から起こる性衝動と人權を押しつける社會によって苦惱してきた有島武郎(1877-1923)は.自我に自覺めた近代日本の文學者の一人として,當時の社會の不調和に氣づき,それに徹底的に對立した. 彼の作品中,『或る女』は,靈肉の葛藤と社會の抑庄に苦しんだ作家,有島と著しい關連を持ってして,彼の面影と思想が特によく現われている. 先行硏究によると,有島のこのような葛藤については背敎者として批判したり,或は,`靈と肉`の葛藤構造を論じたりすることに留まっている.それに,『或る女』についても葉子の悲劇的な結末の方にもっとも多い關心を集めて來た. 本稿では,有島が凄じい苦惱の中から取り出した思想の中で`個性`に注目して,『或る女』の葉子に投影されている個性を確認しようとした.このように有島の思想に基づいて作品を分析することによって,有島の提示する理想的な近代人の樣子を把むことに本稿の目的を置いている. その考察において,第1章では,個性を仰庄する外部世界,卽ち,經濟的狀況と男性に對する敵意とによって葉子が葛藤する所を採してみた.第2章では,葉子の感覺機關と幻聽·夢幻等の無意識の世界を通して,彼女が自分の强烈な個性を認識して行く過程を調べた.第3章では,經濟的な現實や男性に對する敵意を乘り越えることはもちろん.血肉を犧性にしてまで徹底的に個性に沒入する葉子の本能的な生活を確めてみた. 以上,有島の思想に葉子を代入した作品分析を通じて,葉子の悲劇的な運命は人間としての自覺に遲れた近代日本の悲劇であるという事が分った.有島は自分の期待してきた理想的な近代人を,本能的な生活に自己を燃やした葉子を通して語ろうとしたと見られる.このように『或る女』の葉子が個性に沒頭して本能的な生活を追求し,自由人を熱望したという點から考えてみると,當時,日本の習性的·知的生活の次元から近代的な意識を-ケタ提げるに寄與するとこる大であったと言える.
4,600원
幸田露伴은 擬古典文學의 巨匠으로 분류된채 近代作家중에서도 硏究가 가장 늦은 사람중의 하나이다. 그러나 이미 몇몇의 학자들에 의해 露伴硏究의 필요성이 강조되어 그 맥이 이어지고 있는 오늘날, 당시의 近代化·酉洋化의 물결속에서 露伴이 지켜온 東洋的 境地는 나름대로 再評價되어야 할 지점에 이르고 있다고 생각되어진다. 特히『五重塔』에는 封建杜會의 틀을 넘어서, 새롭게 <장인>의 존재를 세상에 인식시키는 것으로 끝나지 않고, 그 장인들이 결과적으로 이루어내는 <화합의 세계>를 통해서 장인정신의 궁극적 경지를 보여줌으로써 참된 장인을 키워주는 새로운 社會에 대한 露伴나름의 模索 및 期待가 나타나 있다. 즉 이 작품을 분석한 결과를 보면, 우선 이 작품의 바탕에는 上人이 뜻한 바와 같이 <화합>이 가장 중요하다는 의도가 있었다. 그러나 어느 한쪽만이 오층탑을 建立할 수 있다는 현실속에서는 그 화합이라는 말이 무색해질 수 밖에 없는 것도 또한 현실이다. 그러나 十兵衛는 철저한 <장인정신>의 探化및 表面化로 그것을 극복하고, 또한 源太도 十兵衛에 대한 분노를 억누르며 個人의 感情이 아닌 <세상의 의리>를 철저히 지키는 모습으로 자신의 마음을 극복하고 있다. 그리고 그 과정에서 이 두사람에게 공통적으로 나타난 것은 참다운 <장인>의 모습은 我執이나 慾心이 아닌 信念과 正義로움으로 자신들의 마음과 자세를 明確히 함으로서 얻어지는 성취의 세계였다고 할 수 있다. 그리고 露伴은 上人을 다시 등장시켜 각각의 참다운 <장인>들이 각각의 개인으로 끝나지 않고 참다운 <장인>들의 <화합>을 통해 <장인들의 세계>라고 하는 보다 나은 미래를 기대하게 하고 있다. 그런 의미에서『五重塔』는 露伴이 실제로 있는 탑을 보고 생각해 낸 작품일지는 모르지만 작품속의 오층탑은 현실의 탑을 초월하여, 단순한 장인들의 이야기로 끝나지 않고 그들이 결과적으로 이룩해낸 <화합의 세계>에 대한 象徵으로서 우뚝 서 있는 것이다. 따라서『五重塔』는 개인으로서의 <장인>이 이윽고 <화합>하면서 새로운 社會를 이루어 나간다고 하는 새로운 時代精神의 표현으로, 激動하는 近代日本社會가 나아가야 할 理想的인 方向을 제시한 作品이라고 할 수 있으며, 그렇기 때문에 또한 幸田露伴의『五重塔』는 <近代><反近代>의 次元을 넘어서 오늘날의 日本社會의 基礎를 생각할 때 큰 意義를 느끼게 하는 것이다.
4,900원
本硏究の目的は我が國の大學入試風土と制度的な面においてとても類似している日本の大學入試の現狀とその改善方向を分析,檢討して整理しようとしたことである.このような作業の意義は數年內に實施される予定にある國內の大學無入試典型制度か成功的に定着されるようにわれらより先行しその制度を施行している日本の大學入試制度を點檢してみることによって予想可能な長短點と問題點を事前に診斷して對處できるという點にあるだろう. 現在,日本で進行されている大學入試改善の基本方向は大きく2つに要約することができる.-つは,學生選擇方法の多樣化と評價尺度の多元化であり,もう一つは受驗機會の擴大である.前者はこれから施行される予定にある國內の無試驗典型制度導入と運營の事前にかならず點檢して準備すべき課題中の-つであると考える.すなわち,現在の高等學校學生らの實質的な能力を多樣と正確に評價できる客觀的かつ公正な評價基準と評價方法を摸索しなければならないということであろう.そのうえに二年前に導入きれた學校生活記錄簿が一部の學校で試驗問題をあまりにもやさしく出題してそれが社會問題になってその制度の信賴度が墜落されたように.すなわち良い制度があってもその運營と運營者につねに問題が指摘されてきたそのような非敎育的大學入試風士と信賴をうけられない入試選拔文化が優先的に改善されなければならないだろう.そして日本の大學入試改善方向は高校學習指導要領の改訂にしたがって行なわれている高校敎育課程の變化と連續して新らしい變化と發展を摸索しているという點をいつも念頭におかなければならないだろう.
일본 촌락사회에 있어서 집단을 모체로 하는 사회관계의 특징 - '이에(家)' 연합형 친족조직을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제41권 1998.11 pp.427-442
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
4,900원
本稿で明らかになったのは.`イエ`という日本の獨特な社會單位が同族や親類のような`家連合型`集團はもちろんのこと,特殊な職業集團內の個人レべルの擬制的な親族關係にいたるまで日本社會の編成原理や社會關係の性格を決定する重要な媒介變數になっていることである. このような視點で村落社會,特に生活共同體としてのムラ社會で機能する同族は,次の五っにまとめられよう.初めに本家の分家に對すると土地分與や本家の經濟力集中による分家統制が可能な`同族組織`は現實的に存在しないこと.二つ自は儀禮的役割や機能を媒介とした主從開係や一方的な依存關係を伴わない平等な親和的な關係で相手を規定していること.三つ目は住居の近接注による地線的紐帶と結合を基盤とした生活しべルの交際開係が中心になっていること四っ目は地域によっては村落の自治的な運營のために個人を組織し,緣戚を與える傳統があったこと.五つ目は現在日本のムラ社會は都市化と産業化の進展で地緣と血緣緯の傳統的な連帶意識は多樣な`職緣(職場緣)`の擴大によって弱くなり,解體して行く過程にあり,これによって家やムラや心の非選@的であり,拘東的な社會關係から任意的で個人の自由意思による`任意結社(voluntaly association)`が急に增加していることである. 以上であげた五つの結論は,考えてみれば急速な社會變化によって`タテ原理`を基盤とした同族制材落の發展的な解體過程を分析的で動態的にとらえたことにすきず,これから次の段階で展開が予想される多樣な任意結社の出現について,共同體の弱化や崩壞を補强するための文化適應的特性やメカニズムに注目して,現地調査を通じた記述や分析作業を急がなければならないとう思う.
5,200원
古田松陰の朝鮮侵略論を,單なる妄言と見る見解は,今でも强い.そして松陰の主張は明治新政府の對韓政策と,直接の開係はないという.また關係があるという主張も具體的に立證してはいない.この論文は後者の立場でそれを立證するために書かれた. まず松陰の家門が7代續いた兵學の師範代であり,松陰自身が「孫子評註」という書物を殘した孫子の兵法の繼承者であるという事實は,あまり知られていない.つまり松陰の思考の根底を成す考え方は,兵學から來るものであった.さらに彼の洋學の師匠である佐久間象山も,當時の日本の對西洋政策を孫子の兵法から考えていた.孫子の兵法の鐵則である$quot;知敵$quot;を松陰は主張し.西洋を排庶するだけでなく西洋の兵學を硏究し面洋を$quot;知る$quot;ことを,弟子たちに促している.また松陰は,神功皇后の三韓征伐を硏究する中から,朝鮮侵略の具體的戰略を考案する.それは全面戰ではなく,名分を立てた軍事的示威による위혁작전で,戰わずに朝鮮を屈服させる戰略である.松陰の竹島攻略も,木戶孝允の釜山武力開港作戰も,このような戰略から主張されている.神話に過ぎない神功皇后の三韓征伐も,現實的に孫子の兵法と-致する內客を持っているため,皇國思想が現實世界にその姿を現す役割をする.すなわち松陰の侵略論が他の皇國思想と異なる点は,それが兵學と神功皇后の三韓征伐神話を通じて結びついたところにある.さらに松陰は,征韓の口實を朝鮮が日本に對して行うべき朝貢の義務を怠っている點に求めた.すなわち朝貢の義務を怒っている朝鮮を攻め,再び朝貢をさせなければならないと主張した.朝鮮に對して明確に有罪を宣言した皇國思想家は松陰だけである. 松陰の征韓論を彼の弟子である木戶孝允がより具體化した.皇國思想にり日本を朝鮮のと上國と考えていた木戶にとって,長い間朝貢使を送らず,新政府が發足した後も對馬藩との關係だけに固執する朝鮮は,征韓の對象として充分に$quot;無禮な$quot;存在であった.そのため木戶は,對馬藩を通さないで明治新政府の皇使を直接朝鮮に파고することを何度も提索している.すなわちか戶は皇國思想にのっとり,無禮な朝鮮に對して,はじめから武力征韓論の立場だった.木戶は書契問題が起こる前から,松陰と同じ理由で征韓を考えていた.しかしやはり松陰と同樣に全面戰ではなく,名分を立てた軍事的示威による위혁작전で朝鮮を屈服させることを考えていた. 木戶の,朝鮮を無禮な國として征韓すべきだという認識は,書契問題とは關係なく,當時の新政時指導者たちの平均的な見解であった.結局,明治新政府は松陰の征韓シナリオどおり,軍事的示威による위혁작전に出,江華島事件という武力的征韓を實行するに至る.皇國思想と兵學を融合させた松陰の征韓論は.他の皇國思想とは異なり,木戶を通して明治新政府の初期征韓政策を主導した.
0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.
선택하신 파일을 압축중입니다.
잠시만 기다려 주십시오.