2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,300원
従来の先行研究では、「数量詞+も」形が表す意味を、「強調」と「概数」の二通りに大別されるのが一般的であった。本稿では「数量詞+も」形が大量強調の意として解釈される場合「基準値+α」と「基準値を想定しにくい」場合があることを指摘した。前者は「普通より」「いつもより」「例年より」「一般より」という比較の気持ちを込めながら、表示値が基準値より大きい数量であり、後者は、基準値が特定しにくく、表示値が大量であるとの気持の表れであることを明らかにした。 概数についての従来の研究は、主に「数量詞+も+れば」形に焦点が当てられてきたが、確定条件文と一般条件文の中に「数量詞+も+と」形が用いられる場合にも概数の意を表すことを指摘した。「数量詞+も+れば」形の含みについては、先行研究の「表示値を含む表示値の前後」の他に「表示値よりやや少ない数量」が想定される場合があることを挙げ、後者のように解釈される「数量詞+れば」と「数量詞+も+れば」形が表す意味の相違点についての考察を試みた。考察の結果は以下の通りである。 Ⅰ.「数量詞+れば」形は、表示値は基準値を賄うことを意味する。 Ⅱ.「数量詞+れば」形の後件の可能表現、または「余裕」「十分」「何とか」などの充足の意を表す語が置かれることによって、表示値が基準値を賄うとの意味が強まる。 Ⅲ.「数量詞+れば」形に「も」が用いられることによって表示値が基準値を賄うとの意味が強まる。 Ⅳ.「数量詞+も+れば」形の後件には、可能表現、または「余裕」「十分」などの充足の意を表す語が用いられやすい。「何とか」又は「何とかセーフ」「何とか間に合う」のような意を表す語は「数量詞+れば」形に比べ、置かれにくい。
4,300원
I discuss Burden Degrees (Politeness strategies) and their correlation with First Markers. In doing so, I focus on the combination of participantssexes. The results of my Discourse role tests show: 1. The way in which Koreans and The Japanese decline the request has affected by The requester's sex. 2. Koreans change strategies depending on whether the requester has The same sax or The different sex. 3. The Japanese change strategies depending on whether the requester is Male or Female. 4. The Japanese and Korean men and women used The Reason Marker of Negative politeness. 5. Many from a Korean group used The Apology Marker of Off record.
5,200원
日韓バイリンガル環境で生まれ、英語を習得しつつある韓日英トライリンガル生徒の言語能力(優勢言語)と言語運用(言語間転移や思考言語)について、置かれた言語環境との関わりの中で考察した。本研究で明らかになったことは以下のような点である。 ①優勢言語について:Tの優勢言語は韓国語である。これは出生時の言語環境ではなく、成長時の家庭的、社会的、教育的言語環境の影響で決定されたものである。このことは社会的な言語環境が母語と異なる場合に、家庭的、教育的な言語環境を整えないと母語を喪失する危険性があることを示唆している。 ②母語である両語の言語運用について:言語間の誤用(転移)は思考言語と表出言語が異なる場合に起きやすく、思考言語から表出言語へ転移が起きやすい。常に優勢言語から非優勢言語に起きやすいのではない。 ③思考言語について:思考言語は置かれた言語環境の影響を受け、常に優勢言語と同じになるとは限らない。言語環境の影響が少ない場合には優勢言語が思考言語になる。またバイリンガルはモノリンガルに比べ、安定した一つの優勢言語を持っていないため、置かれた言語環境の影響を受けて思考言語が変化しやすい。
4,600원
本稿では、コミュニケーション不安に焦点を当て、韓国で日本語を学習している大学生計106名を対象に調査を実施した。調査には、McCroskey(1982)によって開発されたコミュニケーション不安測定用紙と日本語能力を測定するためのテストであるSPOTを用い、母語である韓国語でのコミュニケーション不安と日本語でのコミュニケーション不安との関連性、日本語でのコミュニケーション不安と日本語能力との関係、学習者の持つ属性とコミュニケーション不安の関係について調べた。その結果、母語である韓国語でのコミュニケーション不安と日本語でのコミュニケーション不安は関連性が強く、また日本語でのコミュニケーション不安と日本語能力との間にも関係があることが明らかになった。また、学習者の持つ属性のうち、社会経験のみにコミュニケーション不安との関係が見られたが、性別・日本語学習期間・日本滞在経験とコミュニケーション不安との間には、明らかな関係が見られなかった。そしてこれらの結果から、日本語授業の現場に対して、考慮すべき点を抽出した。その一例としては、教師自身がコミュニケーション不安の存在について意識化し、どのような状況によって学生はコミュニケーション不安を高めやすいのかといったことを見極め、学生のコミュニケーション不安を高めすぎず低めすぎないようにクラス活動を統制することが挙げられる。
4,300원
母音の無声化とは、有声音の母音がその現れる環境によって声帯の振動が起こらない現状をいう。これは東京語の特徴の一つで、日本語学習者にとってこの無声化の習得は正確な日本語を発音するための重要なポイントとなる。そこで、韓国人日本語学習者において、この無声化の様相がどのように現れるかについて実験を通し調査してみた。その結果、韓国人日本語学習者の無声化の生起率は、予想通り日本人に比べ相当低い割合として現れた。そして初級学習者のグループが上級学習者のグループよりも無声化発生率の極めて低いことがわかった。また観察対象である狭母音の前後の子音別無声化の生起率において、韓国人と日本人では大きな違いが見られた。学習者の無声化に対する正確な理解と習得のためにはまず、日本語教育者が、母音の無声化についての教育の必要性を認識し、学習者の実態と問題点を把握して、效果的な教育を行うことが望まれる。
4,600원
本研究は、日本語と韓国語の「触覚」を表す擬態語のうち、「湿り気・水分」を表す擬態語の意味について、認知言語学におけるプロトタイプ理論をもとに考察を行ったものである。まず、語の意味の派生について見ていき、ウルマンの「共感覚現象」があてはまるかどうかについて考察した。その結果、「触覚」から「嗅覚」「視覚」「聴覚」へと「湿り気・水分」をあらわす擬態語も意味の拡張があることが確認できた。次に、名詞・動詞との共起関係、意味拡張、使用頻度数などをもとに、基本カテゴリーは何かを探る試みを行った。擬態語をカテゴリー化するのは容易ではないが、その中から最もプロトタイプ的な基本カテゴリーを絞り出した。
4,600원
本稿では、「動き(他動詞)動詞+テイル」のアスペクチュアルな意味が、一定の構文的条件の下で「主体の変化の結果の継続」を表す場合をめぐって、特に「位置変化の意味を表す動詞+テイル」を対象に、その成立条件について考察を行ない、次のことを明らかにした。 本論文で取りあげている「発生による変化(他)動詞文」の成立条件は、以下の通りである。 ①「ガ格名詞句」は、動作主ではない(「主体の動き」を想定できない。) 動作主主語構文ではないことから、再帰性も考えられない。 ② 「ガ格名詞句」は発生の場所を表す。 ③ 主体と客体の関係が間に「全体と部分」の関係が成立するだけではなく、対象物の状態変化が主体の 属性変化を引き起こす、との意味的な選択制限が必要である
4,600원
本稿は歴史言語学の観点から日本語の可能表現が形態・統語・意味的に変化しつつあることについて考察を行ったものである。周知のように、言語は不断に変化しつつある動的で複雑なシステムである。今日の言語変化の代表的なテーマとして日本語の可能表現が上げられる。そこで、本稿では、日本語の可能表現を取り上げて、具体的に、形態・統語・意味的な変化の在り方を調べてみた。その結果として、形態的には可能の助動詞「レル・ラレル」から「可能動詞」へ変化していることが明らかになった。ただし、「レル・ラレル」から「可能動詞」への推移過程で、両者はニュアンスの違いによって区別されたと推定される。なお、今日の「ら抜き言葉」は五段活用動詞の「-eru可能動詞」への推移・変化に引き続く一連の変化であることが分かった。また、統語的には目的語マーカーとしての「ヲ」格が増えつつあることが明らかになった。これは、構文的に<受身>と区別しようとする話し手(書き手)の心理的な面が作用したのではないかと考えられる。意味的には「可能+否定表現」から「可能+肯定表現」へ推移していることが明らかになった。これは、不可能の意味から可能の意味へ推移・変化していることを意味する。
4,600원
本稿では日本語の<依頼表現>を対象として、依頼表現についての現段階での研究水準や成果、そしてこれからの研究課題などについて考察してみた。 これまでの日本語文法研究の発展や展開のなかで、依頼表現に関してはその研究だけでなく実用的な面においても成果と言えるほどのものがほとんどないように見受けられる。その理由としては、まず、日本語内部の問題として、依頼表現専用の形式が存在しないこと、次に、依頼表現の特質から見て、地域差および個人差が大きいこと、最後に依頼表現は待遇表現と深い関わりがあること、などを挙げることができる。要するに、依頼表現を表す形式を一つの独立した文法範疇として認めるかどうかの問題が残されているのである。 本稿では、日本語には依頼だけを表す文法形式が欠けており、その空白を補うために授受表現や願望表現が一定の文法的・文脈的条件のもとに直接参与していること、そして意味的な関連を持つ一部の表現形式が付随的に関与しているということをまず明らかにしておかないと、形式と意味との間に不一致が生じる恐れがあるということを指摘した。 一方、命令表現との関連のなかで、当該形式が使われる文脈的・状況的要因、表現内容、表現意図、そして話し手と聞き手の関係に至るまで、様々な要因が依頼表現と関わっていることを、依頼表現を研究する際には十分考慮に入れなければならないということを指摘した。 依頼表現に関わっている文法形式全体を体系的に規定し、なおかつ一般化する作業は当然ながら簡単ではない。文法形式だけでなく、各形式が取りうる形態が[普通体/丁寧体]、[肯定/否定]、[断定/推量]などと多岐にわたっており、これらの形式を二重三重と重ねて接続することが可能であるという点、そして待遇表現的な特質とも関連してその表現価値が一定しないという点などにおいて、文法形式の系列化だけでなくそれぞれの形態間の序列化というのも難題の一つであり、これからの課題でもある。
4,900원
本稿は、室町から江戸時代にかけて編纂された『御伽草子』を対象にし、「む」の特徴を考察したものである。まず『御伽草子』の用例を集めて分析し、「む」の表記上の特徴と意味用法を調べた。 表記上の特徴は、全体476の「む」の用例の中で「む」の例は一例しかなく他は全部「ん」が現れた。しかしながら、室町時代の他の口語資料に現れるとされる「う」の形態は現れなかった。これは、『御伽草子』が口語資料ではありながらも読むための短編小説であるという特徴が反映されたからであると考えられる。 意味用法は先行研究によると「推量」と「意志․決意․希望」が主な用法とされているが、本稿でも五つの意味用法のなかで「推量」と「意志․決意․希望」の意味が多く現れており、「推量」の意味が110例(23.1.%)、想像の意味が3例(0.9%)、「意志․決意․希望」が284例(59.7.%)、「勧誘․期待․命令」が13例(2.7%)、「婉曲․仮定」が67例(14.1%)であった。この結果の中で特に注目に値するものは、「む」の意味用法の中で「意志․決意․希望」が最も多く現れるということで、「む」の意味用法は主に「意志․決意․希望」だったのではないかと推測できる。これは「む」が語形変化した形態の「う」が近世江戸前期には「推量」と「意志」を表したが、後期には「意志」を表すことが多くなり、現代語の口語には「意志」の意味だけ残ったのと脈を同じくしていると考えられる。すなわち、室町時代の中期においてすでに「む」の意味用法は「意志」の用法がかなり高い比率を占めており、これが「う」の形態に変わっても、意味用法においては「む」の意味用法がそのまま受け継がれたと考えられる。しかしながら、このことを明らかにするためには中世から近世までの資料を収集して、時期別に調べる必要があると思うので今後の課題にしたい。 また,本稿では「む」の意味用法が使われる基準についても考察を行った。「む」の直前にくる助動詞との関係と意味用法を調べた結果、「推量」、「意志․決意․希望」の意味以外に「仮定․婉曲」の意味も現れるのが発見された。したがって、今後は意味用法を分類する際には「む」の直前にくる助動詞との関係も考慮に入れて調べる必要があると考える。 今後は「む」の意味用法の分類基準において、先行研究に現れた分類方法の問題点を修正し、足りないところを補いながら考察を行いたい。さらに、中世の他の口語資料に現れた「む」の様相及び各時期に成立した資料に現れた「う․よう」の意味を比較․分析して意味用法の変化様相を探ってみたい。
4,600원
『捷解新語』原刊本が書かれた17世紀初期というのは、日本語史から見ても、古代語から近代語に転じていく過渡期に当り、日本語において最もゆれの激しい時期であった。本稿では研究資料としてこうした17世紀初期の口語体資料である『捷解新語』を用い、他動詞と共起する助詞「於」及び対応する韓国語을/について日韓対照の観点から考察したものである。考察の結果、総用例251のうち、対象を表す「於」格の用例が230件も見られ、他動詞全体の約92%を占めており、現代日本語と殆ど一致する対応をみせている。 一定の文が論理的に完結するには、述語を核とし、述語が要求する一定の補足成分が要求されるわけであるが、これはあくまでも現代語の構文レベルの理屈であって、『捷解新語』においては、口語体資料だけに、動作主を表示する「が」格の他に、助詞「に」で表示される相手格または、場所格も文の表層には現れていない場合が多かった。また、李太永(1997)においては、韓国語の助詞「」について「」の誤記であるとしているが、筆者は誤記ではなく、当時の韓国語において、対格助詞の一つの異形態であることも論じた。さらに、「食びて」、「のみつきやる(飲みつきやる)」など、『捷解新語』には母音交替の現象([e]~[i])がかなり見られるが、このような逸脱形は地域性を反映した特徴の一つであると考えられる。また、「申す」、「召す」などは、「イ音便」を起こしていないことも確認することができる。更に日韓両言語における用言の語形成において、最も生産的な働きをする「する」と「하다」が『捷解新語』にも多数見られた。もっぱら文法的働きだけを担うとされる「する」と「하다」の数多い用例から、当時の「形式動詞」における日韓両言語の対応関係もほぼ一致していることが確認できた。
『우키요도코(浮世床)』의 인물상(人物像)에 대한 고찰 - 『우키요부로』와의 비교를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제70권 2007.02 pp.155-170
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『浮世風呂』と『浮世床』の人物の比較により、両作品の人物造形の差異及びその意義を考察するところに本稿の目的がある。従来の研究は『浮世床』が『浮世風呂』の形式と人物造形を踏襲したとされるところにとどまっているが、本研究により『浮世床』の人物は前作の共通類型人物より類形性を脱し、周辺人物と融和していることが分かった。 第一、床屋の主人である鬢の性格は『浮世風呂』に登場するばんとうより積極的であった。鬢のこのような性格により他人との多角的な会話が可能になり、その様子は融和的だと云える。第二、『浮世床』の上方の人物作兵衛は『浮世風呂』に登場する上方の人物けちより理性的で融和的である。第三、知識人の類型に当てはまる『浮世床』の孔糞と土龍も知識人としての威厳は薄められ、他人との会話の中でより融和的な存在として描かれていた。第四、対立関係にある類型人物もやはり他人と融和的であり、目立った内面的個性を持っているとは言難い。 以上により『浮世床』の人物は『浮世風呂』の人物より一層融和的でその類形性を脱していたが、一方で個人としての目立った個性を持っているとも言難い。むしろ比較の対象になった『浮世床』の人物は期待される類型性は持たず、周辺人物と融和的ではあるが個性を持たない共通性を持っていると言えよう。したがって彼らは新しい類型人物として考えられる。これは、社会倫理に反したり問題をもたらした先行気質物の人物とは区別されるが、まだ個人としての自我を表出できない江戸後期の人物像を繁栄しているものと考えられる。
사토 아이코(佐藤愛子)와 朴婉緖 작품에 나타난 현대의 老人像 -사토 아이코『도쿄가족』, 박완서 『너무도 쓸쓸한 당신』을 중심으로-
한국일본학회 일본학보 제70권 2007.02 pp.171-182
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4,300원
80年代以降、韓国と日本の文学はイデオロギーを脱し、恋愛談を扱った私小説が主流をなしてきた。社会の中の個人ではなく私個人を語る告白小説が主な文学風土を造成した。その一方で時代と共に変化する家族内権力の拮抗関係、急速な高齢化による問題が文学作品を通じて描き出された。これまで社会的弱者、あるいは疏外された存在だった高齢者を主人公にしたという点で佐藤愛子(以下 佐藤)と朴婉緖の小説は80,90年代の他の作家たちと区別される。とくに『風の行方』(佐藤作、訳書『도쿄가족』),『あまりにも寂しいあなた』(朴婉緖作、原題『너무도 쓸쓸한 당신』)の二作品が、現代社会の中の高齢者問題を扱っている事に着目して、‘老年’を中心に研究を展開する。高齢者を時代遅れの落ちぶれたイメージで扱った小説が今までの主流だとしたら、二人はむしろ高齢者を人生の知恵と経験を積み重ねた存在として描いている。とくに佐藤の『風の行方』と朴婉緖の『あまりにも寂しいあなた』は、共に七十才を越えて書いた作品で、現代社会の家族制度、高齢者問題、性意識の変化などさまざまな問題を通じた世代の葛藤を提起した。 両作品が共に描き出しているのは、そのような葛藤における高齢者のアイデンティティ問題だといえるだろう。なかでも『風の行方』における戦争体験世代と戦後世代の国家観は、接点を見つけにくい程に掛け離れている。『あまりにも寂しいあなた』に登場する体制順応型人物は維新政権と軍事政権を経験した世代で、彼らは国家あるいは国家権力イデオロギーに自分の存在意味を重ねていたが、現実ではすでにその意味を失ってしまった。イデオロギーが無用の物になってしまったためにアイデンティティの混乱を経験する過程を描いている。さらに自分のアイデンティティを確認する媒介として夫たちは国家権力と家父長制への‘信念’を、妻たちはその対抗軸として現実的な‘財貨’を追い求める。 これまで‘高齢者’を対象にした文学作品の中で、高齢者はアウトサイダーとして描かれてきたが、現代の高齢者は社会で一定の領域を占めていることをこの二つの作品を通じて改めて確認することができる。また高齢者の性やイデオロギーを描くことによって、社会の一員としての高齢者、人格や個性を持った生活者としての高齢者、それゆえに葛藤する高齢者を浮き彫りにした。以上のような特徴が、自己探求を重視する日本の私小説文学や微視的観点の日常事を扱った韓国の女性小説とはっきり区別される点である。
4,300원
世阿弥の夢幻能作の一つである『檜垣』には、彼の作意によったものと見受けられる一つの脚色が見える。それは本説の世界に見えない「老境の舞」の話が彼によって創作され、作品構成のクライマックスのあたりに組み込まれていることをさす。作品の主人公たる檜垣嫗は、このところで彼女なりの至福を味わうわけであるが、これが他ならぬ作者の作意によるものであることが確認される。その作意の根幹をなすものは、能楽論書にも説かれている「変化」の工夫であり、これによって能『檜垣』における「老木の花」は見事に咲かされていると判断される。
4,300원
本論文は、韓国と日本、両国の女性によって創作された古典物語の比較研究の可能性を探ろうとしたものである。そのため、韓国の古典女性小説作品『玩月会盟宴(ワンウォルフェメンヨン)』を紹介し、『源氏物語』との比較研究の可能性を探ってみた。 両国の古典女性小説という存在を歴史的な立場から一対一で比較するのは不可能であろう。それで、本論文では両国の女性たちが自らの心情を逆らうことなく自然な形で表現できる自国だけの固有な表記手段を書きこなすことができた時点をその基準点にした。 まず、韓国の古典作品の中ではこの頃、活発な研究成果を基に、女性によって創作された長編小説として判明された『ワンウォルフェメンヨン』を女性的な文章書きの一つの見本として選ぶことができた。これに比肩できる日本の古典散文作品としては、同じように女性によって創作された『源氏物語』をあげることができる。 両作品とも共通的に女性によって創作された長編の作品であるかぎり、様々な生活相と儀礼を書き記すことにおいて細密で精緻極めた特徴を持っており、その描写の裏側には内面的な意味を婉曲に表現しようとする意識が潜んでいること、また、女性人物の苦痛と内面を理解できる記述であることがわかってきた。 つまり両作品には共通的に女性特有の文章書きの特徴が含めてあり、比較研究の可能性があることを究めることができた。今度の研究を初めの一歩として、もっと本格的な比較研究は次の機会を期したい。
4,600원
本稿は平安歌謡である催馬楽の深層構造を解読し、『源氏物語』の新たな読みを提示しようと試みた。特に催馬楽の「東屋」の深層を<人妻禁忌>を中心に分析し、老女と貴公子の逢瀬といわれる源典侍物語と連動していることを明らかにした。 しかも、従来の研究では指摘されていない夕顔、末摘花、朝顔それに朧月夜物語での「東屋」引用を明らかにし、それぞれの短編物語が表現類似などの言葉の次元をこえて、「東屋」の深層構造を媒介に光源氏の物語をつなぎとめている緊張的かつ動的な『源氏物語』の世界、仕組みを解明した。 まず、本稿は「東屋」での「門」の開閉のイメージ、古代の発想である<人妻タブー>、そして<葎宿>の<零落の女君>の類型に注目した。「東屋」引用が源典侍物語を原點とする、禁忌の恋に惹かれていく光源氏のありようを照らし出すことや、「東屋」引用の場に<葎宿>の<零落の女君>のイメージがあることを明確にした。 葎宿は光源氏にとって藤壷に代わる女君の居場所であり、葎宿の女君は藤壷への光源氏の思慕を呼び起こすものであった。言い換えれば、女君に葎宿のイメージが宿る限り、光源氏の藤壷への思慕は照らし出されるはずである。しかも、葎宿の女君のイメージは、「東屋」引用と照応して、禁忌の恋の逢瀬、それを志向している光源氏のありようを呼び起こす。その重層により、物語の深層では藤壷と光源氏の禁忌の恋の関係が常に呼び出されることになった。 このように禁忌の恋に絡まれていく光源氏のありようを照らし出す文脈の上で、夕顔․末摘花․源典侍․朧月夜․朝顔物語は連動している。従って、五人の女君の物語は「東屋」引用を媒介に相互関連しあいながら一回的な挿話的物語の域を越えて、光源氏の物語をつなぎとめていくのであった。「東屋」の深層構造は注目に値すると思われる。
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かつて、出雲神話といえば主として記紀神話における出雲とその周辺を舞台にして繰り広げられる神話に限って言いがちだが、その見方には大きな問題がある。また、「記紀神話」の出雲系神話のうち、最も重要視され、かつ出雲系神々の祖先と言われるスサノヲも高天原を初め出雲、紀伊、吉備さらに古代朝鮮半島(新羅)に至るまで空間的な観点から見ると、非常に広い範囲にわたって登場するのみならず、その神の役割と神格も外来神・異邦神とされているが、地域性の強い『風土記』や「出雲国造神賀詞」には記紀神話とは大きな差が見つかる。したがって本稿は上代出雲地域をめぐる神話を「記紀神話」及び『出雲国風土記』、それから「出雲国造神賀詞」に描かれた伝承を比較考察し、その記述の違いを中心にしてその特徴を見極めながら出雲神話の原型を探って見たい。まず、記紀神話における出雲系神話とは大和朝廷側の立場から当時天皇中心の国家観の確立と同時に氏族伝承の維持という目的を念頭に置き、潤色された神話という編纂意図の下で、天神との対立的な位相をもち、諸地域を統合する国神論理により設定された神話という性格が強い。それに比べ、『出雲国風土記』に載せられている神話は、朝廷との関連性や介入がほとんど見られず、政治的な意図や潤色が排除された、もともとの出雲地域の種族の間で伝承されたきた素朴な祭神説話がその基層にあり、いわゆる出雲神話の原象と言うことができる。「出雲国造神賀詞」に描かれている神話は中央朝廷との関係の中で出雲国造の観点から伝承されたものと認められ、当時中央朝廷と出雲勢力間の温度差が窺える重要な資料であることが浮彫りになっている。『出雲国風土記』と「出雲国造神賀詞」の神話が地域に密着した史料であることを認めると、これらに収められている神話こそ出雲神話と呼ぶのに適切であると言える。各文献に現れた出雲系神話の共通点は第一、カミムスヒをはじめ出雲の主要神々が共通的に登場していることと国土創生の主人公がすべてオオナムチということはいずれも一致している。しかし、スサノヲは文献別に相当な記述的な違いが見られており、記紀神話では、出雲における英雄神としてのイメージとともに高天原においては悪神という両面性を持っているが、『出雲国風土記』では平凡で素朴な地域祭神としてのイメージを持っており、「出雲国造神賀詞」では神名すら明らかにされていない神に取り扱われるなど、つまりその神の性格を探ることが文献の特徴や意図を窺える大切な手がかりになっていることがわかる。また、スサノヲの別称と言える熊野大神の地域的な分布から、出雲勢力の活動範囲が当時東日本にまで及んだのは出雲勢力の旺盛な活動性を示唆することと窺われる。
다자이 오사무(太宰治)의 『오토기조시(お伽草紙)』론 - 자아반영과 문단비판 -
한국일본학회 일본학보 제70권 2007.02 pp.237-250
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太宰治の『お伽草紙』は「前書き」「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の五部仕立てになっている。1945年三月に書きはじめて七月に完成し、敗戦直後の十月に筑摩書房から刊行された。 この作品は室町時代から江戸初期にかけて創作されたお伽草子という古典を典拠にしたものではない。太宰の自我反映の批評的形態の小説である。「瘤取り」では家庭のなかでのお爺さんの孤独の実相を表現し、「浦島さん」では、批評のない国にあこがれる浦島を描いた。そして、「カチカチ山」では、兎に対する愛のため惚れたが悪いかの一言を残し、ついに殺されてしまう狸、「舌切雀」では、女房のおかげで宰相の地位に昇るお爺さんの物語は他者との交感の欲望を表した太宰の現実に対する愛着であることを意味する。 太宰は自分だけの文学世界を古典とフォークロアのパロディーという形式で具現していく。こうした太宰の盛んな作家活動に対して当時の文壇では文学者としての資質に欠けていると評価する。これに取り組んで彼は「瘤取り」で鬼を隠喩で使って文壇を批判し、続けて「如是我聞」では志賀直哉を露骨に批判する。この状況からみると、「瘤取り」での鬼の述べは作品構成の重要な位置に置かれ、「瘤取り」が書かれた背景として当時の文壇と太宰との関係を考えざるをえないところを明らかにすることができた。これは以来に書いた「如是我聞」とも関わりのあるからである。
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本稿は、近時ますます有力化しつつある東歌․防人歌の地方豪族創作説について、主に万葉集巻二十の「天平勝宝七歳防人歌群」を分析することで、地方豪族創作説の限界を明らかにした上で、そのことの意味を、歌い手の主体性を疑わない万葉集作者層論の矛盾(ディレンマ)として位置づけたものである。 そもそも地方豪族創作説は、東歌の質の多様さ─中央の和歌とは異なる特徴を持ちつつなお一定の同質性も看取されることを、在地性を堅持しながら中央文化にも連なっていた地方豪族層の二重性で説明するために案出されたものであった。しかしながら、主に東歌に適用された地方豪族創作説は、それが作者未詳を特徴とする以上、仮説の域を出ないものといわざるを得ない。そのため、本稿では、東歌と類似した特徴を持ちながらも蒐集の主体․作歌及び成立事情などが相対的に推測可能な防人歌を取り上げ、そこに地方豪族創作説を当てはめてみた。その結果、必ずしも防人たちの階層の高低が中央の和歌との距離と比例していないことが明らかになった。左注の作歌事情から班田農民出身としか思えない防人たちの歌にも中央の和歌に類似した発想内容を持った作が少なからず含まれているという事実は、逆に作者未詳歌であるがゆえに有効に機能した、東歌における地方豪族創作説の限界をも露呈するものとなろう。 防人歌の作者層の分析を通じて明らかになったのは、彼らが無文字層から識字層にわたる身分的に多様な質を持っていることである。にもかかわらず、防人歌そのものが作者の階層差に関係なく均質であること─形式的には定型短歌を、内容的には家族との悲別の情を共有していることは、むしろ防人たち全員をその階層的秩序を問わずに均質に把握しようとする大伴家持を中心とした中央の側の視点を介在させることで解明の手掛かりを見いだすことができよう。 以上の考察に基づくなら、東歌․防人歌の作者層を近代以降の主体として自律した作者像と同一視してきた万葉集作者層論は再考されなければならないことになる。そこで、改めて問い直されなければならないのは、「民」の和歌であることをことさらに標榜する東歌や防人歌が万葉集に収載されていることの意味であろう。そのことの意味を、古代律令国家の人民支配のありかたとそれを支えた政治理念に注目して追及していくことが、本稿によって導き出された今後の課題である。
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歌人が登場する作品には、まず典拠があり、それに付け加えられた作者の想像力と意図によって主人公の性格と役割が決められる。中世の有名な歌人である定家を現代のストーカーのように設定したのも「忍恋」を描くための作者の想像力の産物である。「蟻通」は、貫之という歌人を通して作者の信念を描き出した作品で、和歌の効用をテーマにしている。和泉式部を主人公にした「誓願寺」は、『誓願寺縁起』の内容を新たに構成したものだが、式部を極楽の歌舞菩薩に描くことで阿弥陀菩薩の支配する極楽と和歌とを成仏の因縁として取り上げている。これは和歌と仏道の一体化を図る試みであろう。 作品のテーマによって、登場する歌人の様子は実際とは異なる様子として展開される場合もあるが、これは劇作法によることである。『三道』では「種」に関する説明の中で「その態をなす人体にして、舞歌のため大用なる事を知るべし。そもそも遊楽体とは舞歌なり」と言っているが、これは主人公の歌舞への影響が大きいことを意味する。同時に詩劇という観点から考察すると、詩的な文章と連歌的なレトリックは、音楽とともに演技される能ににおいては欠かせない要素である。なお、歌語引用や和歌説話、歌人の登場は詩的な世界を一層浮き彫りにする手段であるとの認識があったので、歌人の登場は欠くことのできないことであったろう。
아쿠타가와류노스케(芥川龍之介)의 사회의식 -「현학산방(玄鶴山房)」을 중심으로-
한국일본학회 일본학보 제70권 2007.02 pp.279-292
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1927年1月と2月の『中央公論』に掲載された「玄鶴山房」にリープクネヒトを読む「大学生」の登場をめぐって今まで盛んに論議されてきた。特に、芥川は青野末吉宛の書簡に「山房以外の世界」を「暗示」「新時代」をも書きたかったと書き残っているのでその「新時代」の意味合いについての論議が多かったのは当然である。それだけに第六章で唐突に登場する「大学生」を「山房以外の世界」「新時代」と関連させ、特に当時社会主義との関連性を視野に入れ論議したのである。しかしながら、いまなお問題になっているのが、玄鶴山房の下女であり、玄鶴の妾であったお芳という存在と、玄鶴の死後、彼女の未来を唯一に心配してくれるこの「大学生」との関係である。従って、本稿ではお芳と「大学生」との関係に焦点を合わせつつ、「新時代」とどういう関連があるかを照射した上で、それを芥川の社会意識と関連づけ論じることをこころみた論である。
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大江健三郎の『万延元年のフットボール』は、「万延元年(1860)」から「安保闘争(1960)」に至るまでの時間的な背景を持っている作品であり、神話的な構造を持つ歴史小説として評価されている。この作品は主人公である「根所密三郎」と「根所鷹四」の二人の兄弟における葛藤と対立が主な内容を成しているが、そのためか、先行研究の多くが、二人の男性に重点を置いていた。しかし、脇役でありながらも、作品の中に登場する女たちの役割は見逃せないと思われる。その意味で本研究は既存の研究の視点から離れ、作品における女性たちの在り方を明らかにすることにその目的がある。中でも、作品の全体にわたって重要な位置を示す密三郎の妻「菜採子」や、「ジン」という二人の女性を中心に作品分析を行った。その結果、「菜採子」は密三郎と鷹四との間に居ながら、対立する彼らを和解の道へと導く役割をしていたことが分かる。また「ジン」は、絶対的な存在と村共同体の間に居ながら贖罪羊(スケープ・ゴート)として犠牲になる象徴的な人物である。このように作品における女性は、対立する人間の間で、あるいは絶対的な存在と人間共同体との間で仲介者として存在しながら、和解や共生、期待へと導く役を担当していたと言えよう。本研究を通して作品における仲介者としての女性像を明らかにすることは、作者大江の女性観を知る上にも意義があると思われる。
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今日、「座の文学」と呼ばれている俳諧。しかし、「座」を考えた上で、作品に検討を加えたものはさほどはない。その点においては、俳聖と評価されている芭蕉の俳諧作品といっても例外ではない。 本稿は、芭蕉の俳文のなかで、「幻住庵記」とともに名文としてその名を列ねている「芭蕉を移す詞」(元禄五年(一六九二)秋、成立)を、「座」のことを考えつつ、当該作を收める『芭蕉庵三ケ月日記』全体の中からその意味を読み取ろうとしたものである。 検討の結果、大別して、(一)「芭蕉を移す詞」は、月見を兼ねて芭蕉庵再建祝いに訪ねてきて、芭蕉の勧誘を受けて喜んで「月」の句を寄せてくれた諸家の配慮に応える、挨拶性の文章であること、(二)「芭蕉を移す詞」に続けて配されている濁子の「ばせを葉の窓をさゝせぬ月夜哉」の句は、「芭蕉を移す詞」の主な趣旨である「無能」「無才」を反映して詠み、「座」の一員として、芭蕉の人生観に共感を示したために、芭蕉の「芭蕉葉を柱にかけん庵の月」の句に代わって入れられたものであり、本来、俳文と一対の意識のもとで配された可能性があること、(三)素堂․芭蕉の交流という側面から見たとき、「芭蕉を移す詞」は、『芭蕉庵三ケ月日記』の交流を呼び掛けてくれた親友素堂の「蓑虫説」の構成․内容を踏まえた上で、それに対応する意識で作った可能性が高いものであること、を導きだすことができた。
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国家競争力の確保の次元で教育の競争力は重要な変因になっている. この客観的な指標として学力に関する論議と学力観の変化が日本は戦後幾度があった. 1998年から2003年までの間に活溌に展開された学力低下の論争の中心変因として新学力観への転換と追求, 余裕教育の追求, 総合的学習の時間の設定, 活動主義教育への偏向などをあげられる. これは基礎学力の推進より余裕教育の推進に重みを置くながれで整理して見ることができる. 余裕教育の推進に従う学力低下の論争は肯定論と否定論に区分して見ることができる. 学力低下を肯定する側は基礎学力とか知識の軽視, 余裕教育及び総合学習の実施, 劃一的な平等主義の指向, 学習意慾の低下及び学習回避などを原因に指摘する. 反面, 学力低下を否定する側は学力低下の現状を多様な要因が複合的に作用して現われた結果と見ている. しかしこのような学力論争は国内外の学力調査,特に国際学力比較調査であるPISAとかTIMSSに,日本学生だちの学力低下の現状が現実化になって概してこれを受容する方向に転換された. 文部科学省も従前とは異に2003年度以後から学力低下の現状を一定部分で肯定する方向に旋回している. 2004年以後文部科学省と中央教育審議会は学力低下の現状を診断して学力向上のための対策準備に浮心しながら確実な学力の育成のための方案を用意している. ここでは習得形の学習と探究形の学習を対立的または両者択一的に認識することではなく綜合的な側面で学力を育成しなければならない立場を明らかにしている. 日本の学力論争と学力低下に従う教育改革の方向は劃一的な平等観, 活動主義及び構成主義教
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2002年5月にサッカーワールドカップが韓日で共催されたが、その前後では相互認識に肯定的な変化がみられた。その後、冬ソナブームをきっかけに韓流ブームがおこり、日本人の韓国への関心は急速に高まった。下降していた日本人の韓国に対する親近感は、韓流ブームにより回復し、ソウルは日本人旅行者にとってアジアでもっとも人気の高い観光都市となった。研究1では、このような状況下における日本人の韓国と韓国人イメージを、日本人大学生101名、成人137名を対象に韓国と韓国人イメージを自由記述させ、検討を行った。その結果、大学生の韓国・韓国人イメージは単純でステレオタイプ的だったが、成人は最近の韓国社会や経済と連関したイメージを報告した。中高年女性を中心に「冬ソナブーム」がおこった(林, 2005; 毛利, 2004; Tokita, 2000)が研究1では、ブームが成人の韓国・韓国人イメージにわずかしか反映していなかった。そこで研究2では、成人群を対象にして、韓国が関与した大きなイベントであるサッカーワールドカップ共催、ソウル五輪と韓流ブームと韓国イメージの変化を比較し、韓国ドラマが韓国への関心の変化に与えた影響などを実証的に検討した。テレビで放映する韓流ドラマは、成人、とくにドラマ視聴者の韓国に対する関心を喚起し、韓国のイメージの変化に関与した。この韓流ブームは、日本人の韓国および韓国人イメージ形成に関与していた。
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本稿は、秀吉の朝鮮侵略勃発前(1586ー592)における韓日関係の推移を、朝鮮通信使(1590)派遣をめぐる交渉、朝鮮通信使に対する両国の認識、通信使以後の両国情勢などを中心に検討したものである。1590年の朝鮮通信使は、秀吉より、朝鮮出兵を保留する代わりに朝鮮国王の入貢を命じられた宗氏が、朝鮮に秀吉の日本統一を祝賀する使節派遣を要請することによって実現した。したがって通信使をみる両国の認識には、大きな懸隔があり、朝鮮は伝統的な交隣の証として派遣した反面、日本では秀吉への服属使節として宣伝され、また理解された。通信使の日本行以後、秀吉の対朝鮮政策が「朝鮮侵略」から「明征服への協力」へと変わったものの、これも現実問題として朝鮮側の同意を得られない極めて一方的なものであった。一方の朝鮮は、通信使派遣をきっかけに、倭冦に協力した朝鮮人と日本に拉致された多くの朝鮮人を送還させることができたので、この点では外交的に実利ある成果をおさめたといえる。ところが朝鮮は、秀吉に大陸侵略の意思があるとのことを直接通告されたにも関わらず、国内の政治事情や対外的な情報不足もあって、日本側のあまりにも急な動きに適切な対応、または備えをとることができなかった。のみならず日本に服属して明征服に協力しようとしているという対外的な誤解までを背負うことになってしまった。
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