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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제59권 (42건)
No
1

日本語「ン」發音의 音韻論的 考察

高秀晩

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.1-15

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4,800원

本稿は、日本語の音節末鼻音「ン」を取り上げ、その音声ㆍ音韻論的な性格と機能、そして「ン」のさまざまな異音について考察し、さらに韓国語との対照を通じて、韓国人における日本語「ン」の発音の誤謬について考察したものである。 「ン」は、後続する音によって、即ち逆行同化によって、さまざまな異音として現れる。その中には口音の破裂音と同じ組の鼻音もあれば、口音に相手のない鼻音もある。日本語の音韻体系において、口音の相手のない鼻音の出現は、日本語の音韻体系の大きな特徴の一つと言えよう。 口音に相手のない「ン」の異音としては、語末ㆍ文末に現れる口蓋垂鼻音と、母音ㆍ半母音ㆍ摩擦音などが後続するときの鼻母音が挙げられるが、これらの音の発音は外国人の日本語学習の大きなネックとなっている。またこれらの音は、韓国語においても現れることのない音であって、韓国人にとって非常に発音し難い、誤謬をおかしやすいものである。それに韓国語の発音習慣、モーラについての無認識などが絡み合って、韓国人の日本語発音の誤謬の中でも「ン」の発音の誤謬は高い割合を占めている。

2

場面転換の接続表現 ー「というわけで」を中心にー

權景姫

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.17-33

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5,100원

本稿では、文頭に現れる「というわけで」が話題転換の機能を獲得した経緯やその用法について考察を行った。 因果関係を表していた接続助詞としての「というわけで」が、助詞「と」を手がかりに文頭に來ることができ、順接や転換を表す接続詞としての機能を獲得するようになった。 転換の機能に焦点を絞り、考察を行った本稿で明らかになった「というわけで」の用法は、(1)話題を総括しながら転換をはかる場合、(2)相手の話を打ち切りながら転換をはかる場合、(3)番組や会議などの進行のために転換をはかる場合の三つの使い方が認められる。 転換の「というわけで」は、マスコミ用語として用いられ、流行りだした言葉である。既存の転換の接続詞が単に「話題転換」の機能を担っているとすれば、「というわけで」は「話題転換」とともに新たな場面への転換をはかる「場面転換」の機能をも担っており、また、既存の転換の接続詞に欠ている丁寧さが含まれているという二つの特徴を持っている。 接続詞としての「というわけで」は、男女年齢を問わず広く使われている。特に「というわけで」の中に内在している敬語表現のため、現代日本語の話し言葉においては非常に位相の高い接続表現として位置づけられて。

3

原因理由を表すホドニの史的変遷 ーカラとの関係を中心にー

金三順

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.35-45

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4,200원

さきに発表した拙稿(2003)において原刊本「捷解新語」を中心に原因理由を表す条件表現形式の史的変遷について検討した結果、室町末期より多様化された形式の出現により、それまで主流であった「已然形+バ」が近世中期に至っては衰退の傾向を見せると同時に、近世初期頃ではホドニが口語性の高いとされる「虎明本」と「捷解新語」の原刊本ㆍ改修本における原因理由の条件表現の主要形式となっている一方、近世末期の「浮世風呂」「浮世床」では、カラに依存する傾向がうかがわれた。本稿は、ホドニの衰退とカラの隆盛との推移について、上接語と後件との関係を中心に検討した結果、両形式は他の形式より自由に種々の語に下接し、後件における終止的な表現をとるなど、現代語のカラに対応する傾向は見られるものの、ホドニは、主観的な因果関係を表す性質を多く持っていたのに対して、カラは主観的な因果関係には積極的に関与しない傾向がうかがわれ、両形式の推移は、直接的には関係していないと判断される。中世末期から近世期にかけて衰退の兆候が見られる口語性の高いホドニが、近世初ㆍ中期頃の「虎明本」と「原刊本」と「改修本」における原因理由の主要形式として用いられているのは、口語性の高い資料であるがゆえ、他の形式に抑えられることなくその勢力を維持することができたからであり、近世末期の「浮世風呂」「浮世床」における原因理由の主要な形式のカラは、ノデの進出の趨勢がカラより遅れていることとも関係していると考えられる。両資料におけるノデの意味と近い「ものだ」「もんだ」に下接する用例が、全体の約10%の使用率を占める点から、当時のカラはノデの意味ㆍ用法にまで広がって用いられたことも考えられる。

4

第7次敎科課程の高校日本語敎科書に現れたカタカナ語の分析

金淑子

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.47-58

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4,300원

This study aims to make an overall analysis on Katakana words which are shown in newly published Japanese text books for Korean high school students. These are made according to the basic guideline which is proposed by the Korean Ministry of Education. Japanese language teaching belongs to the second foreign language as well as Chinese, French, German, Spanish, Russian and Arabian. In the most high school, students choose one foreign language selectively in junior year. However the second foreign language teaching is rather insufficient condition in present curriculum. Japanese words are consisted of ①Chinese words ②original Japanese words ③foreign borrowed words ④ combination of ① ② ③ which is called mixed word. In Japanese, the foreign borrowed words are usually transcribed in Katakana. Korean high school students will use new Japanese textbooks starting from March 2004 for the next six years . In this study I have made a survey on Foreign borrowed words and proper nouns which are transcribed in Katakana. Some findings of my analysis may be contributed to establish basic vocabularies for the 8th curriculum of Japanese for high school teaching.

5

9,100원

認知主体である人間は、外界を認知するにあたって、事態をプロセスとして動的に把握するか(プロセス的把握)、または非プロセスとして静的に把握するか(存在論的把握)のいずれかを選択している。 これら「プロセス的把握」、「存在論的把握」の双方に、認知主体の見え(perspective)との関わりの弱い「客観的把握」と、認知主体の見えが色濃く反映した「主観的把握」という把握の仕方が関与している。「移動の着点」、「存在の位置関係」の用法が「客観的把握」の用法であり、「移動の起点」、「経験の主体」用法が「主観的把握」となっている。 したがって「移動の着点」用法はプロセス的·客観的用法で、「移動の起点」用法はプロセス的·主観的用法であり、「存在の位置関係」用法は存在論的·客観的用法で、「経験の主体」用法は存在論的·主観的用法である。 このように格助詞ニの多義性には認知主体が事態をどのように把握するかということが関わっている。またニが着点·起点といった動的な用法と、単なる存在という静的な用法がある理由や、着点的な用法と起点的な用法とがある理由は、認知と言語との関係、すなわち人間の把握の仕方がどのように言語化に反映されるのかといった点からうまく説明することができる。

6

4,800원

学習者が自身の日本語での話すㆍ聞く過程を意識化することは、聞き手の理解を含んだ話すㆍ聞くことに関する知識を構築していく上で重要なステップとなる。本研究では、日本語での話すㆍ聞く過程の意識化を促す方法の一つとして、「セルフ内省」と「ピア内省」を組み合わせた「内省的活動」を実施し、その可能性について検討した。具体的には、次の二つの課題を明らかにした。第一に、セルフとピアのそれぞれの活動において、学習者の意識化の表れに違いがあるのかを見るために、「セルフ内省」のコメントと「ピア内省」における発話を対象に、取り上げられた話題を分析した結果、両活動共に概ね同じ話題が言及された。話題の質的において、「セルフ内省」では断片的で漠然とした観点から言及したものが、「ピア内省」ではその背景や具体例が説明されており、同じ話題に対しても様々の観点で話題が拡張していることが分かった。第二に、話題の拡張が意識化にどう関わっているのかを見るために、学習者間の相互作用を調べた結果、大きく3つのパターンが抽出できた。このような結果から、次の点が示唆される。まず、「ピア内省」において、具体例がたくさん出されることによってもたらされる話題の拡張は、両者の話すㆍ聞く過程への理解を促す。また、学習者同士でスピーチに関する問題点や観点(内省の情報)を共有することにより、話すㆍ聞く過程に関して次なるメタレベルの観点が生じる。最後に、モノローグ型タスクのスピーチにおける、「セルフ内省」と「ピア内省」を組み合わせた「内省的活動」の意義と可能性について論じた。

7

反事實條件における「事實」の意味

森山新

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.75-87

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4,500원

反事実条件には過去の事実に反するものと、現在の事実に反するものがあるとされている。しかし、意味的に見てみると、まだ起こっていない事柄、言い換えれば未來の事柄ではあるが、それに反する条件文が存在する。そのため、これを単に仮定条件文とするのか、それとも、反事実条件文とするのかという問題が生じてくる。これは微妙な問題であり、一言ではどちらとも言えない問題である。先行研究の流れでは、この問題を直接扱うものはあまり見当たらないが、一般的に未來の事柄においては仮定条件として扱おうとしている。しかし、本稿では、その条件文が何を述べようとしているのか、何を伝えようとしているのかという意味の部分に注目をし、未來の事柄に反する条件の中にも意味的には反事実条件を表す場合があることを指摘した。つまり、従來は事実に反するかどうかという点を判断基準にしてきたので、未來に起こる事柄は事実とは認められないという立場をとり、仮定条件として捉えてきたが、本稿では表す意味の面から反事実条件と捉えようとするものである。 反事実条件の意味的特徴として2つの点を挙げた。一つは事実を婉曲的に述べるということであり、もう一つは話者の何らかの感情が含まれるということである。一方、仮定条件では事実に関して何も述べていないし、話者の感情も含まれてはいない。このような違いはまだ起こっていない事柄だけでなく、従來、反事実条件と認められてきた過去の事実に反する文と現在の事実に反する文にも当てはまる。 表す意味の面から、仮定条件と反事実条件を分類する場合、問題となるのは従來の判断基準となっていた事実をどのように捉えるかという問題である。本稿では先行研究に見られる話者の判断という観点から、事実というものを話者が事実だと思っている事柄へ範囲を広げた。

8

「時の表現」における「タ」形が表す意味について

牟世鍾

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.103-114

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4,300원

「時の表現」 はその表れ方からして状態の表現と動きの成立の表現という二種類に分けられる。いずれの表現においても「時の表現」は「ル」形と「タ」形という二つの対立する形式から捉えられる。「ル」形は事象によってその意味が異るが、「タ」形の意味も一定していない。つまり、状態の表現においても、動きの成立の表現においても、過去を表すとされる「タ」形が、過去を表さない場合があり、その意味を明らかにする必要がある。 事象によっては「タ」形が主に過去より現在を表す形式として用いられる場合がある。「タ」形は必ずしも過去を表すために用いられる形式ではないのである。「タ」形は、過去を表す場合もあれば、事象によっては現在の状況を表すために用いられる場合もあり、その意味が一定していない。本稿では、現在を表すのに現在を表す形式が用いられず、過去を表すとされる「タ」形が用いられる事象について考察する。 また、「タ」形が現在を表すのに用いられると、これらの動詞が過去を表す場合、どの形式が用いられるのかも疑問になってくる。これらの表現には過去の表現に「タ」形が用いられず、「テイタ」形が用いられるが、本稿では、過去を表すのに「タ」形が用いられず、「テイタ」形が用いられる理由と、さらに過去を表すのに「テイタ」が用いられる表現にはどのようなものがあるのかについてあわせて考察する。

9

「てもらう」構文における格(ニㆍカラ)の交替

朴用萬

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.115-126

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本稿は、様々な授受表現の内、特に「てもらう」表現を中心として、その構文の中で現 る現象の一つである「に」と「から」の交替についての考察である。その「に」と「から」の交替というものは「てもらう」構文にだけ現れる特有な特徴であり、その「てもらう」構文の中でもできる場合があれば、できない場合もあることが分かり、その理由は何であろうかについて考察した。特に、「名詞句」に影響を与える「動詞」の傾向性について調べたところ、次のような傾向性が見られた。まず、自動詞が「てもらう」構文で使われると、「から」への置き換えはできない。それから、他動詞でも「から」への置き換えができない場合が多い。その他動詞の中でも「てもらう」の動詞が利益の方向性を持っているかどうかによって「から」への置き換えの可否が決まる。しかし、動詞に利益の方向性があっても「手伝う」のような動詞が来た場合は、「から」への置き換えはそう簡には行われない。また、格の交替は見られるが別の意味になってしまう場合もある。

10

第7次教育課程の高校日本語教科書の親密体の分析

桜井恵子

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.127-140

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この研究の目的はコミュニケーション能力を重視するという第7次教育課程の目標に照らして高校の日本語教 科書をスピーチスタイル(話体)の面から分析しようとするものである。 日本語の話し言葉には特別丁寧体の「でございます体」と丁寧体の「ですます体」普通体の「だ体」があ る。普通体の「だ体」で、聞き手が目下や親しい人の場合に使うものを親密体と呼ぶ。外国人のための日本語教 育では失礼にならないように「ですます体」から先に教えているがこれは母語話者の習得順序とは逆になってい る。第7次教育課程の高校の教科書では親密体はどの段階でどのように導入されているのかを検討してみたい。 分析の結果をまとめると、第一に親密体の文章はまだその数がすくない。とくに1巻では11種のうち、6種の教 科書に親密体がほとんどか全くでていなかった。第二に親密体がたくさん出ている教科書では登場人物の表示や 練習問題などが多く使われており、親密体をたんに理解次元でなく、使えるようにすることをめざしている。親密 体の文の数が多い教科書ほど体系的に教えようとしている。親密体には状況設定が重要であるが、状況設定がな いものがかなりあり、そのような教科書は話体の選択に一貫性がない。第三に親密体の要素をみると6次の教科書 と比較してその種類、頻度ともに7次の教科書においては増加が見られる。しかし、より自然な親密体のためには もうすこし種類や頻度を増やす必要がある。 高校生の場合、同年齢の人とのコミュニケーションや習得順序や学びやすさを考慮すると、出来るだけ早い段 階で親密体を導入した方がよいと思われる。

11

倭名類聚抄における本草和名 ―河野(1983)の再考―

呉美寧

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.141-156

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4,900원

倭名類聚抄(以下、倭名抄)は、各見出しの下に、各種の書籍から漢文注記を引用している。項目によっ ては漢文注記の下に、音注や和名を記入しているものもある。その引用の中には、本草学関係書からの引用が 多く見られる。これについて、河野(1983)は、倭名抄の「本草」は、新修本草を指すものであり、その出典 が「本草云」「陶隠居本草注云」「蘇敬本草注云」と明記されたものは、本草和名からの「孫引き」であると された。本稿は、この河野(1983)の「孫引き」説に疑問を抱き、倭名抄において、「本草」「陶隠居」 「蘇敬」を出典とする漢文本文について、本草和名の本文と、新修本草の本文とを比較し、その拠り所を明確 にすることによって、倭名抄における本草和名の位置を確認したいと思う。これは、いわゆる「孫引き説」の再 検討であると同時に、日本最古の百科事典である倭名抄の成立事情の断面を窺う手がかりになるものである。  考察結果、倭名抄において「本草云」として引用されたものの中には、河野(1983)の指摘とは異って陶隠 居注や蘇敬注を記入したものも257例の中、31例見られる。また、引用の内容には、巻による相違が見られ、巻 四と巻七には新修本草を直接引用したと考えられる用例が多く、巻八には新修本草にはなく、本草和名にだけ 存する文の引用が目立つ。  考察対象用例363例の中、本草和名からの孫引きの形の引用を想定できるのは257例である。この中、確実 に新修本草から直接引用したと考えられるものも57例あり、新修本草や本草和名のどちらにも載っていないものも 11例ある。これに、その他の3例を合わせると71例になる。これは本草和名とは関係を持たないものである。57 例は新修本草を直接参照したことを示すものであり、後者の14例(11+3)は、ほかの本草書の介在を想定させ るものである。従って、河野(1983)のいわゆる「孫引き」説は成立しないことが本稿の考察をとおして証明され た。

12

4,800원

ヲ格(対格)名詞が文主語の部分にあたる場合のヴォイス体系を「部分のヴォイス表現」という一つの文法的カ テゴリーとしてとらえ、すなわち、この文法的カテゴリーは、従来の「ヴォイス体系の再帰性(再帰用法の他動詞 文、再帰動詞文)」よりも、より精度の高い特異性を抽出しようと試みた。日本語や韓国語では、西洋語に見ら れるような、はっきりとした再帰構文を把握するには、多少無理があるが、「部分のヴォイス表現」というカテゴ リーならば、日本語や韓国語にも有効な文法的カテゴリーになりえる。主語への「働きかける」(動作主中心(他 動、使役動詞(使役的他動)、使役の場合))という、または「働きかけられる」(被動作主中心(受身の場合))とい う「求心性」、主語と対格補語が全体・部分の関係にあるという「(部分的)含有性」を明確に把握する。特に、 従来の研究では、ヲ格の身体名詞、身体的部分としてのみ捉えられがちだった「部分性」をより詳細に、外面 的・内面的・側面的の3つの「部分」に下位分類した。ただし、例えば、部分の使役文「頭を悩ませる」のよう に、身体名詞である「頭」もここでは、精神的な意味を表し、必ずしも外面的(物理的)な身体ではないというよう な例が、「部分の受身」より「部分の使役」に多く感情動詞に近い場合が多いという、多少の傾向上の差があ る。 従来の「持ち主の受身(所有受動)」などに関連する「所有性」を「(部分的)含有性」「(所有権的)占有 性」「親族関係性」の3つに下位分類し、そのうちの「(部分的)含有性」のみだけに絞って「部分のヴォイス 表現」という文法的カテゴリーを確立しようと試みた。なぜならば、「(部分的)含有性」のみにおいて、表層上 の項の数と意味上の参与者(物)の数が一致せず(一減少)、「(所有権的)占有性」および「親族関係性」の場 合は表層上の項の数と意味上の参与者(物)の数が一致するからである。このことは、「(部分的)含有性」の場 合のみにおいて、二重同格文をつくりやすいことからもわかる。 基本文における「ノ格(所有格)」の下位分類は独自のものである。すなわち、「部分のノ格」「関係者のノ 格」「所有物のノ格」の3つに下位分類した。たしかに「誰々を母(妻)にもつ」「美しい顔をもつ」などのよう に、関係者や身体部分をまるで所有物のように比喩する表現があるが、厳密に違う意味として区別すべきであ る。「所有物のノ格」の場合は「まともの所有」とでも言え、それ以外は「擬似所有」とでも言えると思われ る。

13

4,600원

真偽判断の副詞が疑問形式と共起しないという言語現象は真偽判断の副詞の重要な統語現象と知られてい る。しかし、小稿では真偽判断の副詞が「質問の疑問形式」「疑いの疑問形式」「確認要求の疑問形式」 「働きかけの疑問形式」と共起したりしなかったりする言語現象に注目し、なぜこのような言語現象が起らなけれ ばならないかという疑問に対する答えを提示した。すなわち、小稿では、[確実度]という概念にもとづいて、 これらの共起制約が起こる背景が説明できる以下のような[共起制約1~3]を提示し、それぞれの妥当性を論じて いる。 共起制約1:特定の真偽判断の副詞が疑問形式と共起しなければその真偽判断の副詞は[+確実度]であり、そ の疑問表現は[-確実度]である。 共起制約2:特定の真偽判断の副詞が疑問形式と共起すれば、その真偽判断の副詞は[+確実度]であり、疑 問表現も[+確実度]である。この際、疑問形式は真正疑問形式の用法(質問)から逸脱したもので ある。 共起制約3:特定の真偽判断の副詞が疑問形式と共起すれば、副詞は真偽判断の用法以外の用法を持つ。 疑問形式は[+確実度]である。

14

4,900원

This research is based upon the photos of 95 guide boards I have taken myself. The photographs are taken in April and September of 2002, given errors in translation for signboards could cause not only difficulty in communicating with Japanese tourists, but also damage to the national image, which, moreover, could be led to a huge obstacle to attracting tourists and advancing the tourism industry. As a result of this research, in order to better guide boards, I am offering three suggestions as follows ; 1) more thorough editing by Japanese native speakers, 2) training and generating professional translators equipped with knowledge of the Korean culture and history 3) consistent manual for traditional culture and history-related terms.

15

『海城発電』の典拠 ―「海城奇談」と日本赤十字社を中心に―

權美敬

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.203-213

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4,200원

「東京朝日新聞」『日清戦争実記』等を参考にしながら、『海城発電』の典拠になると思われる記事など を紹介してきた。「北国新聞」と「東京朝日新聞」からは海城県の状況とともに海城市民の様子、戦況,「哀 れなる物語」などを紹介し、「非戦闘員」の書き出し(4)(5)との類似点を指摘した。『日清戦争実記』の「海 城奇談」からは軍役夫の帰還談と神崎愛三郎の性格,尋問スタイルの小説という類似点を指摘した。そして『日 清戦争実記』で頻繁に載せられた日本赤十字社関連記事を検討し、神崎愛三郎の実存モデルだと思われる神 野勇三郎医員をも紹介した。これらの作業は書き手鏡花の創作の際の創作態度を垣間見せていると言えようが、 戦争中の情況や、海城という遠い異国の都市を背景とする物語を書こうとした時、鏡花は当事の新聞雑誌等のメ ディアから多くの情報を得、それらを物語化していったことが判った。

16

『枕草子』の文付枝(2) ─ 一三三段の「しろき木」をめぐって ―

金英

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.215-222

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4,000원

『枕草子』の中には八章段の中に11例の文付枝が現われている。特に、本論考では133段にみえる「白き木 に立て文をつけて、(中略)胡桃色といふ色紙の厚肥えたるを」に関して精密な考察を行い、白き木という文 付枝の正体を明かそうと努めた。つまり、「椎柴」の木は『枕草子』一三三段の中で、次のような条件が揃え られる。第一、歌の中に歌語として詠まれていること、第二、その情景が円融院崩御後、服喪の時期のことを描 いていること、第三、贈る側、即ち一条院と中宮定子のさしがねにより、巻数の様子を装った「白き木」の文付 枝であったことであろう。第四、その文が贈られた直後、返歌が作られたことである。このように、「椎柴」の木 は上記の四つの項目が当てはまる「文付枝」であることが明らかになるのである。

17

소설가와 번역

김춘미

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.223-237

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4,800원

本稿は、日本の近現代文学史において、小説家にとって翻訳行為が持った意味を概観し、また合わせて、 翻訳対象が近代期のヨーロッパ文学中心から最近のアメリカ文学中心へと移行した背景や意味についても考察し た。小説家が翻訳を行うには様々な理由がありうるが、最も大きな理由は、独自の文体創出のための努力の一 環であるということであろう。また、近代初期にはヨーロッパ文学中心に翻訳や受容が行われたのに比べて、 1945年の敗戦以降、アメリカ文学中心へと移り始めたのは、強大なアメリカという存在とアメリカ文化の世界的拡 大や普及が顕在化しながら起こった現象であるといえる。日本ではこの現象が1945年から1951年にいたるGHQ (連合軍総司令部)の統治時代から可視化し始めた。しかし、アメリカという存在に対する認識は、その後、劇 的な変化を見せることとなる。1958年に発表された大江健三郎の「人間の羊」や1965年に発表された小島信夫 の『抱擁家族』が、いまだアメリカに対するコンプレックスを持つ日本人を登場させたとするならば、村上春樹や 村上龍、田中康夫の世代にいたって、アメリカは完全に異なる様相で作品に登場することになる。アメリカはこれ 以上、二項対立的な概念とはなり得ない。ある特定の集団や概念として登場したりもしない。それは日常的な生 活の中に溶け込み、分離不可能となった存在としてそこにある。だから、これ以上、アメリカは日本文学の主題 となり得なくなったのである。そこで問題となるのは、アメリカ化した都市で何を取捨選択し、どのように生きていく かということだからである。

18

5,500원

京城帝国大学の「国文学」講座は、日本が「国民」の歷史として代表されてきた「国文学史=日本文学史」を植民地に、初めて移植するために設けた学科である。「国文学」講座そのものの権力性は、あらゆる「差異」さえも認める「空虚なる中心」のように、植民地の知識人の内面意識はもちろん彼らが構想した民族文学史を融合し同化する磁気場の役割を遂行した。それは戦後「国文学=日本文学」の再構築の過程における高木市之助の「懺悔」を通じてだけではなく、独立後の韓国における大学制度や「国文学史=韓国文学史」の形成過程に排他的なナショナリズムが深く働いた歷史を通じても確認できるのである。それゆえ、筆者は本稿を通じて京城帝国大学の「国文学」講座の歷史とかかわるポストコロリアルな問題の再解釈を提案している。

19

4,300원

『万葉集』巻二○には天平勝宝七歳(七五五)に制作されたとされる防人歌が八四首も残されている。先行研究者は防人歌の蒐集の意図、防人歌の詠作場所などについても考察してきたが、特に興味を示したのは防人歌の性格についてである。 現在防人歌は悲別歌として受け止められているが、それは戦後民主主義によってもたらされたものだと考えられる。しかし、「十五年戦争期」にはひとつの確固たる防人歌論を示している吉野裕によって、防人歌の「基本的な」性格は「言立て」と見なされた。こうした防人歌の「基本的な」性格を悲別の情を詠んだものと、あるいは「言立て」と見た見方には共通したものがあった。それは防人歌が持っている様々な性格を意識的に排除していることである。たとえば、防人歌には大和政権の強圧的な徴募を告発している歌、防人徴募に対する忌避の思想を詠んでいる歌、家族の実情を無視して徴召する現実を暴露している歌があるものの、そうした歌々について先行研究者はあまり注意を払っていない。 つまり、以上のような「差異」が防人歌の「基本的な」性格をめぐる議論には取り除かれている。その意味で、「今」悲別歌として認められている防人歌は、時代的状況さえ変れば、天皇への忠誠を誓う歌として再び創出される可能性が少なくないと考えられる、ということが本稿の結論である。

20

4,900원

本稿では、日本の近世前期の怪異小説の特色を解明するため、一段階として享保期に刊行された怪異小説の特徴を探ってみた。方法としては、享保期の怪談集の中で比較的に小説的な形を保つ『怪醜夜光魂』『御伽厚化粧』を中心に、素材、素材利用法(創作方法)、作者の編著意図を分析した。その結果は次のようになる。 第一に素材という点においては、『怪醜夜光魂』は日本の民話と古典、『御伽厚化粧』は日本及び中国の古典に依拠している。中国古典といっても先行怪異小説の使った資料範囲から大きく抜け出てはいない。第二に素材利用の方法においては、両作品の大部の話が一つの素材を利用して一篇を創作する単純な方法を取っている。このような方法は、元禄ㆍ宝永期の怪異小説が一篇内に複数の素材を組み合わせて新奇を狙う手法と異なり、むしろ仮名草子時代と浮世草子初頭の怪異小説に見られる方法に類似する。素材収集が先行怪異小説の利用した範囲内であるという点と、素材利用法が元禄ㆍ宝永以前の怪異小説の取った単純な受容方法に似通う現象は、享保頃を起点にして次第に素材と創作方法の模索において新鮮さを失って衰退の道を歩むことを顕わす。しかし、そうした素材と創作方法の模索の行き詰まりと違って、第三に作者の意図という点では、仏教的教化が残存する『怪醜夜光魂』に次いで『御伽厚化粧』では娯樂意図に一貫していて、『御伽厚化粧』に至って仏教性は後退し、代わりに怪談奇談が純粋な読み物として座を占めるようになった。換言すれば、『御伽厚化粧』にいたって近世前期の怪異小説は浮世草子の性格を十分に備えるようになったといえる。 このように『怪醜夜光魂』『御伽厚化粧』の考察を通して、元禄ㆍ宝永に盛況を見せた近世前期の怪異小説は素材と創作方法において享保期を堺に新たな模索の行き詰まりを見せて衰退の道に入る一方、内容面では小説的成長を遂げる事実が把握できた。

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漱石の文明觀と擬似植民地的恐怖

朴裕河

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.287-300

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漱石にとって「開化」とは集合意識の頂点を示すものだった。漱石は決して「開化」自体を否定してはおらず、むしろ「開化」のための競争は肯定的に捕らえられていた。そうでありながらもその場合「開化」を「外発的」「不自然」なものとのみ考えたのは、漱石が「開化」を西洋による「侵食」と考える認識を持っていたためである。そのような認識は西洋の開化こそが「自然」なものでその分強いとする思考に基づいていたが、そこには「開化」―「文明」なるものに対する漱石の誤解と過剰な主体意識があった。自己消失にたいする<擬似植民地的恐怖>は「空虚」という仮想のイモーションを呼びかけ、「神経衰弱」を当然視する。しかし、制度や日常における西洋の文化的「侵食」を恐れる漱石の恐怖は、異文化の受容のあり方に対する誤解から生じたものだった。 漱石がそこでとった戦略は週知のように「自己本位」で、それを支えたのは日本の「特殊性」をもってすれば太刀打ちできるという考えであった。漱石が日本における西洋風様式の定着に否定的だったのは師ケーベルの影響が大きいと考えられるが、ケーベルの憂慮は、充足されないオリエンタリズムを基盤にしている。そのような言説を受け入れさせたのは漱石のナショナリズムであり、そこにはオリエンタリズムとナショナリズムの共犯関係を見ることができる。漱石の「恐怖」は日露戦争の勝利をきっかけに「軽蔑」に変り、「誇り」への慾望となる。しかし、漱石が夢想した「日本」の固有性とは、日本という共同体がその構成員に強制し、結果として慣れさせた規範のことにすぎない。何よりもそこに見られる「純粋」信仰は、漱石という人物と文学自体が、英語と日本語で綴られたノートのあり様が語っているようにハイブリッドな存在だったことを隠蔽している。

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本論文は、『竹取物語』『源氏物語』の分析により、「日本叙事文」の成立と物語ジャンルとのかかわり方、特に「作中世界」の誕生との関連を考察しようとする試みである。平安時代の文学形態における画期的事件は、物語性を前面に標榜する物語が登場したのである。 『竹取物語』『源氏物語』の叙述様式には、それぞれ特色があるが、おしなべて「語り」という行為の自覚による、虚構の世界の堅実化が確認できる。ナラティーヴとしての物語の時間を「物語過去」と「物語現在」に分けて、物語の外枠の時間形式を考察すると、単に過去のことを語るのではなく、過去を現前させる方法において、断絶感より連続感の大きい、助動詞「けり」の性格に注目することができる。物語文体の特徴的文末語尾である「けり」は、過去ではなく、過去から現在へ、または過去からより近い過去へと向かっている時間の経緯を表わしている。作中空間においても、 同じことがいえる。「けり」により、現実世界の具体的場所ではなく、仮構の観念的スペースが作り出され、そのなかでさまざまな出来事が繰り広げられるようになった。つまり、平安時代の「物語」ジャンルを成立させた、「いまは昔」「いづれの御時にか」そして「けり」の「日本叙事文」は、作中世界の時間と空間を完全に理想化・虚構化した。本論文の考察によって、前代にはなかった新しいフィクションの時空間が誕生したことを確認することができる。

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『浮雲』は作品のスト-リ-、プロット、葛藤がお勢と文三、お勢と昇の男女關係を中心にして展開している。この男女關係は當時新聞·雜誌で流行していた男女交際のあり方を活寫している。すなわち、『浮雲』は明治初,文明開化という社會の流れの中で男女關係も改良の對象として捉え、肉體的關係から精神的關係へ進步するものと考えた當時の啓蒙家達の示した理想的な交際のあり方を提示している。 文三は近代的な愛の體現者として、男女が精神的に一體になるのが可能だと信じ、それをお勢との間で實現しようとしている。しかし、男女同權を前提としたとすれば、近代的な愛は矛盾といえる。なぜなら、一方が啓蒙し他方は啓蒙される中で男女同權の實現というのはあり得ないからである。文三は自分はいつも正しい「善」だから,お勢も自身と同樣に考えるのが當然と思い込み,お勢が自分の思い通り行動することを願う。從って、お勢が自分から離れようとした時、文三の持ついわゆる、啓蒙とは暴力性を表す。お勢を「惡」、「墮落」として捉えるのである。 お勢が<浮雲>のように浮動して文三から昇の方に移動したというのは間違いである。彼女は自分に對する文三の獨善的な態度を意識し、昇を選擇したことである。文三とお勢の戀愛が破綻に落ちいたのは、一方的に自分の論理だけを主張する文三の態度から起因している。明治20年の空間の中で近代的な知識を尊重し、また近代的な愛の實體があると確信してそれを實行しようとした所に文三とお勢の悲劇があるといえよう。

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この試論は、『奇妙な仕事』(1957)から『万延元年のフットボール』(1967)に至るまでの約十年間書かれた大江健三郎の初期小説群をその対象としている。これら複数の対象を共通のツールで接近していくため、先ず大江の初期短編小説に描かれた「監禁状態」を多方面で分析し、その結果「円環的な監禁状態」と「歴史を持つ監禁状態」という異質な二種類の監禁状態が大江の小説世界に存在することを提示した。「円環的な監禁状態」の中で主人公は、日常的な疲れが伴う現状の反復を生きざるを得ない。その反面「歴史を持つ監禁状態」を生きる主人公は、監禁状態の誕生から消滅に至るまでの過程を経験しながら、根本的な認識の断絶を味わうことになる。 初期大江の小説世界の中で「歴史を持つ監禁状態」が力強くその存在感を現すのは『飼育』·『芽むしり仔撃ち』(1958)と『万延元年のフットボール』であるが、これらの小説には興味深い共通点がある。この共通点は時間的特徴と空間的特徴に分けられる。時間的にこれらの小説は「過去」を重んじる。『飼育』や『芽むしり仔撃ち』にはひたすら過去だけが描かれているし、『万延元年のフットボール』では過去と現在がパラレルに語られていく。空間的には「円環的な監禁状態」では姿を見せない監禁状態の「外部」、または「外部への意志」が出現する だが、『飼育』·『芽むしり仔撃ち』と『万延元年のフットボール』との間には見逃せない違いがある。『飼育』·『芽むしり仔撃ち』は時間的には過去だけが、空間的には内部から外部への方向だけが強調されてい、その意味で単線的である。それに比して『万延元年のフットボール』では、時間的に過去の真実を知ろうとする現在と、真実を提示し現在の意味を変える過去が、共存している。空間的にも、外部から内部へ向うベクトルと、内部から外部へ向うベクトルが共存している。よって、『万延元年のフットボール』の世界は異質な物たちの相互作用の世界と言えよう。

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遠藤周作の『スキャンダル』 論 ―人間の無意識の世界を中心に―

陸根和

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.339-354

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遠藤は、自分の文学を三期に区分している。第一期は、愛の神との出会いを描いた『沈黙』まで、第二期は、カトリックの日本での土着化を図った『侍』までであり、第三期の始まりは、今までとは別のテーマを取り上げた『スキャンダル』であると明かしている。 『スキャンダル』(1986年3月、新潮社)は、内容の焦点を神と人間との関係'ではなく'人間の無意識の世界'に合わせている。テーマにおいても、今までの'弱者の救済'ではなく、'悪の救済の可能性'を問いただすという新たな試みなのである。 しかし、作品『スキャンダル』での悪への接近とその概念、また解決方法と結果においても、評論家菊田義孝の言葉を借りていえば、'多愛なくちゃちなもの'という印象を消すことはできない。 何故なら、作品の中で遠藤の言う'悪'という概念は、人間の無意識の世界にうごめく性への情念と歪んだ妬みにほかならないもので、それは我々人間の残酷な戦争の歴史を考えると、悪の概念に入れないほどの弱いものであるからである。 なお、'悪の救済の可能性への問い'というテーマにおいても、はっきりした何ものも掴むことができない。それは悪の概念を標榜した「勝呂」の'スキャンダル'が、「勝呂」自身の救済への切実な祈りも解決のための積極的な行動もなく、単に他人の配慮のお金で解決できたことや、作品の終りまで'救われたという気持はまったく起らない、影の男はまだ無意識のなかで生きてうすら嗤いをうかべていたまま'であること、それに悪の本質を一番色濃くあらわした「成瀬夫人」は、その本質を持ったまま作品の中で急にどこかへ消えてしまっている。「小針」の卑劣な悪の行為も、彼自身心の呵責も後ろめたさも感じないまま一応お金でおさまっており、重要人物三人とも窮極的に救済という問題においては何の解決も見せず、作品はうやむやに幕を閉じている感じである。 ただ、遠藤文学における『スキャンダル』の意義をいうならば、遠藤が今まで書きえなかった'人間の無意識の世界における悪の問題'に初老のカトリック作家として取り組んだことであると言えよう。

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夏目漱石の『こころ』 ─Kの死と「心」の問題─

尹一

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.355-368

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『こころ』の先生は親友のkの自殺について「淋しくつて仕方がなくなつた結果」であったと語っていた。それは先生生前の最後の文章としてもっとも信憑性があるものとしてみるべきであろう。特に「淋しさ」という言葉はkと先生だけの問題ではなくて、作品の中心的語りである「私」との関係においてもよく使われていたもので作品の主題ともかかわるものであろう。 本稿ではkの死因の一つとしてあげられる「淋しさ」の具体的内容を確認するために先生によって用いられた、kを「人間らしく」する方法とのかわりにかついて調べてみたい。以上のような研究課題はkの自殺の原因を追究することにとどまらず、kの死によって発生し、それが作品の主題に与えた問題を探ることである。先生が下宿していた部屋はkの部屋を「通り抜け」て行くしかない空間の構造的問題を持っていた。すなわち、先生とkは「同じ孤独の境遇」を体験したにもかかわらず、二人の間には対話の断絶が行われており、それはkの部屋を自由に「通り抜ける」ことが出来た支配者としての先生と被支配者のKの問題であったと言える。さらに、死の直前まで対話を求めてkによって開かれる「襖」と、いつも先生によって「通り抜ける」ために開かれる「襖」に象徴されていた対立は、両者の自殺を招く原因の一つとして作用していたと見られる。ところで、先生とKの間では一度、お互いの「心」を開いて対話したことが゜あった。それは「学問の交際が基調を構成してゐる二人」が一緒に出た旅のなかで、「頭を使ふ込み入つた問題には触れ」なかった結果、二人は初めて「在来と異つた新しい関係に入る事が出来た」という。無論、二人の交友のなかでこの時期が一番充実した時間であったと言えよう。 友人の非「人間らしさ」を理由に連れてきたKと「心」の対話を拒絶した先生はその後、世の中と孤立した生活をしながら、それを「天罰」として受け止めていたのである。一方、「私」と先生の間は、kのように「頭」の問題の上で構築されたことではなく、「心臓」(心)によって結ばれた関係であった。すなわち、「何時か私の頭に影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷か過ぎるから、私は胸と直したい」ということが出来たのは、先生との交友が「胸」(心)による関係であったことを証明するものである。従って先生の奥さんである「静」にも知らせなかったkの死因の秘密を告白することが出来たのである。結局、Kの死がもたらしたものは先生の自殺と共に「心」の問題を悟らせたことである。作品の表題が『こころ』であったことは以上の問題に起因すると見られる。

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本稿は『源氏物語』続篇の「総角」巻において大君に用いられた「姫宮」という呼称に注目し、なぜその時点において大君の呼称が急に「姫君」「姉君」「女君」などの「~君」系の呼称から「姫宮」に変わったかを、大君の呼称の推移を指標として考察してみた論である。 従来、大君の呼称の変化に関しては、朝顔の姫君の例から親王の娘にも「~宮」系の呼称があり得るということ、呼称変化の境は八の宮の死であるということ、大君の「姫宮」からは八の宮に代わって「宇治の宮家を背負って立つ姫」というイメージが感じられるということなどが指摘されている。が、八の宮家の姫君たちに「~宮」系の呼称は絶対あり得ないとは断言できないまでもこの物語においてそれは異質な用いられ方であり、物語の文脈上呼称の変化が八の宮の死後から見え始めるのは事実であるが、実事はなかったにせよ薫と一夜を共にした直後から大君の呼称が「姫宮」に変わったということをも考えると、八の宮の死を境にして八の宮家を背負って生きるしかない大君像を形象するために、このような呼称の変化が起きたという従来の説明だけでは納得しがたい点が多いように思われる。 考察の結果、地の文において大君に起きた「~宮」系への呼称変化は、八の宮の死を契機として、薫といった京の世界の男と、出自はよいものの事実上没落した宇治の世界の女との恋物語を進展させるための、物語上の必然的な要求だったということが分かった。なお、薫との恋愛関係が本格化するなり、大君が急に「姫君」「姉君」「女君」などの「~君」系の呼称から彼女が亡くなるまで地の文において一貫して「姫宮」として語られたのには、もう一つの要因が秘められていると思われる。正篇において女一の宮と薫との恋の物語を描こうとした女一の宮物語の構想と照らして大君物語に用いられた「姫宮」の呼称を見てみると、それは女一の宮物語の残像とも言えよう。つまり、正真正銘の姫宮物語として構想されていた女一の宮物語に匹敵できる、新しい「姫宮」としての大君物語への作者の拘りが、語り手をして地の文において大君を「姫宮」に語らしめたのだと思われる。

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紫上は『源氏物語』の女主人公であるという華やかさの裏に、<親>、<子>、<夫>という普遍的なことにおいて、最も深い苦悩を抱えた人である。本稿では、その紫上の表面的な華やかさと、誰からも顧られることのなかった深い内面的苦悩という矛盾した両面に注目し、その関わりを解明しようとした。そしてここで浮彫りにされたのは、外的な美の裏に潜む内的苦悩の構造と、その超越・昇華・克服による真の人間的美の完成という紫上像の人物造形である。紫上は、物語の中においても、そして後の読者・評者によっても、最も美しい人とされながら同時に、誰よりも可愛そうな人としても認識されている。紫上は、いわば苦悩による美人なのである。もっと正確に言えば、苦悩あってこその美人、苦悩の昇華を通じて総合的に結実した人間的美人、が紫上なのである。紫上はもともと外面的美貌を備えた人として登場するが、やがて<継母のいる親>、<実子でない子>、<信頼しきれない夫>という人生の暗い構造の中に否応なく組み込まれながら、切実に<孤独>を知り苦悩するようになる。<親>、<子>、<夫>等から生じる、いわば人間的苦悩の典型がここにあるわけである。が、紫上はその苦悩によって崩れ落ちることなく、かえってそれを実に人間的な仕方で超越・昇華・克服することで真の人間的美を完成させていく。具体的に言うと、その苦悩は、<おおらかな態度>、<子孫への純粋な慈愛>、そして<徹底的に思いやる愛の真髄>を貫き通すことによって、ようやく<超越><昇華><克服>されていくのである。そうすることで紫上は、現世の最も美しい理想的な人間として皆の心に刻まれるようになるのである。つまり内的苦悩を乗り越える過程を通して、外的美の世界が熟し繰り広げられるという、普遍的でなおかつ深奥な人生論的メッセージがここにあるのである。そしてここに、美の完成者としての紫上の人物像の意味があると言える。

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近世前期の俳諧「歲時記」における年中行事 ―宗教の行事を中心に―

李炫瑛

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.401-414

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本研究は、近世時代に発生して500年の過ぎた現在までも日本の国民文学として広く愛されている俳句と、當時出版された歳時記及び季寄を通して近世を生きた日本人の生活を再証明しようとした考察である。 近世時代には出版文化の発達と補給によって文学でも目覚ましい変化を見せる。庶民文学として世に広まった俳諧は、歳時記と季寄などの作法書、そして俳諧作品集の出版によって一層流行していく。 それらの文献に収められている年中行事には、古くから伝わってきた宮廷の年中行事と武家の年中行事だけではなく、庶民の日常生活と密接な関係を持つ歳時風俗が網羅されている。特に、人事と宗教として分類される季語には半数以上が古来の行事と庶民の年中行事が織り混ぜられ、近世人の生活文化史を把握するによき資料となる。しかし、當時実際それらの諸年中行事が行われていたかどうかに関しては断定できず、さらなる追求が必要であろう。 また、當時の俳諧作品を通しては、それぞれの季語として使われていた年中行事の様子と意味を捉えることができた。しかし、作品として多く詠まれる季語は幾つかと限られていて、作品として詠まれていたとしてもその行事が行われていたかどうかについては判断しにくい嫌いがある。 さて、本研究は近世の文献だけではなく、以前のすべての歳時記資料を網羅した現代の歳時記を時候、天文、地理、人事、宗教、動物、植物別に分類し、季語と年中行事の関係を明らかにし、その分布を表として提示した。これらの分類は、これから近世時代の日本人の日常生活と年中行事、そして歳時風俗について研究するに広く活用できよう。しかし、実際作品集の分析においては限られた作品集に基づいているので、これから各時代別・作者別、もっと多くの俳諧作品集を調査・分析して総合的な結論を導くべきであろう。

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本考は、太宰の作家生活の出発になった短篇小説である『魚服記』を、着想のきっかけになった上田秋成の『雨月物語』巻二に収録された「夢応の鯉魚」と比較分析し、太宰の作家としての出発と古典との関りを究明してみようとしたものである。この二つの作品を見てみると、まず、太宰が「夢応の鯉魚」から得たものは鯉魚に化した興義が漁父文四の垂れた釣糸に捕えられ、まな板にのせられて切られる運命にあったところ、ここで太宰は自分の長兄である文冶を思い出したということである。そしてとうとう切られたと感じたところで夢が醒め、ずっと後年に、天寿を全うするまで興義の芸術の完成は彼の作家願望につながると思われる。このように長兄の文冶を認識した太宰は『魚服記』で義経と八郎物語を兄弟の愛に描いてスワの孤独感を表している。興義と同じくスワも鮒に変身して完全な解放感を味わうが、スワの二度の変身を通して現実に対する執着と未練が見られる。これは當時、太宰の津島家に対する愛着であると言えるだろう。

 
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