2026 (39)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,800원
本稿は、日本語の音節末鼻音「ン」を取り上げ、その音声ㆍ音韻論的な性格と機能、そして「ン」のさまざまな異音について考察し、さらに韓国語との対照を通じて、韓国人における日本語「ン」の発音の誤謬について考察したものである。 「ン」は、後続する音によって、即ち逆行同化によって、さまざまな異音として現れる。その中には口音の破裂音と同じ組の鼻音もあれば、口音に相手のない鼻音もある。日本語の音韻体系において、口音の相手のない鼻音の出現は、日本語の音韻体系の大きな特徴の一つと言えよう。 口音に相手のない「ン」の異音としては、語末ㆍ文末に現れる口蓋垂鼻音と、母音ㆍ半母音ㆍ摩擦音などが後続するときの鼻母音が挙げられるが、これらの音の発音は外国人の日本語学習の大きなネックとなっている。またこれらの音は、韓国語においても現れることのない音であって、韓国人にとって非常に発音し難い、誤謬をおかしやすいものである。それに韓国語の発音習慣、モーラについての無認識などが絡み合って、韓国人の日本語発音の誤謬の中でも「ン」の発音の誤謬は高い割合を占めている。
5,100원
本稿では、文頭に現れる「というわけで」が話題転換の機能を獲得した経緯やその用法について考察を行った。 因果関係を表していた接続助詞としての「というわけで」が、助詞「と」を手がかりに文頭に來ることができ、順接や転換を表す接続詞としての機能を獲得するようになった。 転換の機能に焦点を絞り、考察を行った本稿で明らかになった「というわけで」の用法は、(1)話題を総括しながら転換をはかる場合、(2)相手の話を打ち切りながら転換をはかる場合、(3)番組や会議などの進行のために転換をはかる場合の三つの使い方が認められる。 転換の「というわけで」は、マスコミ用語として用いられ、流行りだした言葉である。既存の転換の接続詞が単に「話題転換」の機能を担っているとすれば、「というわけで」は「話題転換」とともに新たな場面への転換をはかる「場面転換」の機能をも担っており、また、既存の転換の接続詞に欠ている丁寧さが含まれているという二つの特徴を持っている。 接続詞としての「というわけで」は、男女年齢を問わず広く使われている。特に「というわけで」の中に内在している敬語表現のため、現代日本語の話し言葉においては非常に位相の高い接続表現として位置づけられて。
4,200원
さきに発表した拙稿(2003)において原刊本「捷解新語」を中心に原因理由を表す条件表現形式の史的変遷について検討した結果、室町末期より多様化された形式の出現により、それまで主流であった「已然形+バ」が近世中期に至っては衰退の傾向を見せると同時に、近世初期頃ではホドニが口語性の高いとされる「虎明本」と「捷解新語」の原刊本ㆍ改修本における原因理由の条件表現の主要形式となっている一方、近世末期の「浮世風呂」「浮世床」では、カラに依存する傾向がうかがわれた。本稿は、ホドニの衰退とカラの隆盛との推移について、上接語と後件との関係を中心に検討した結果、両形式は他の形式より自由に種々の語に下接し、後件における終止的な表現をとるなど、現代語のカラに対応する傾向は見られるものの、ホドニは、主観的な因果関係を表す性質を多く持っていたのに対して、カラは主観的な因果関係には積極的に関与しない傾向がうかがわれ、両形式の推移は、直接的には関係していないと判断される。中世末期から近世期にかけて衰退の兆候が見られる口語性の高いホドニが、近世初ㆍ中期頃の「虎明本」と「原刊本」と「改修本」における原因理由の主要形式として用いられているのは、口語性の高い資料であるがゆえ、他の形式に抑えられることなくその勢力を維持することができたからであり、近世末期の「浮世風呂」「浮世床」における原因理由の主要な形式のカラは、ノデの進出の趨勢がカラより遅れていることとも関係していると考えられる。両資料におけるノデの意味と近い「ものだ」「もんだ」に下接する用例が、全体の約10%の使用率を占める点から、当時のカラはノデの意味ㆍ用法にまで広がって用いられたことも考えられる。
4,300원
This study aims to make an overall analysis on Katakana words which are shown in newly published Japanese text books for Korean high school students. These are made according to the basic guideline which is proposed by the Korean Ministry of Education. Japanese language teaching belongs to the second foreign language as well as Chinese, French, German, Spanish, Russian and Arabian. In the most high school, students choose one foreign language selectively in junior year. However the second foreign language teaching is rather insufficient condition in present curriculum. Japanese words are consisted of ①Chinese words ②original Japanese words ③foreign borrowed words ④ combination of ① ② ③ which is called mixed word. In Japanese, the foreign borrowed words are usually transcribed in Katakana. Korean high school students will use new Japanese textbooks starting from March 2004 for the next six years . In this study I have made a survey on Foreign borrowed words and proper nouns which are transcribed in Katakana. Some findings of my analysis may be contributed to establish basic vocabularies for the 8th curriculum of Japanese for high school teaching.
「セルフ內省」と「ピア內省」を組み合わせた「內省的活動」の可能性 ―日本語の話すㆍ聞くことを指導する授業実践の事例から―
한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.59-73
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4,800원
学習者が自身の日本語での話すㆍ聞く過程を意識化することは、聞き手の理解を含んだ話すㆍ聞くことに関する知識を構築していく上で重要なステップとなる。本研究では、日本語での話すㆍ聞く過程の意識化を促す方法の一つとして、「セルフ内省」と「ピア内省」を組み合わせた「内省的活動」を実施し、その可能性について検討した。具体的には、次の二つの課題を明らかにした。第一に、セルフとピアのそれぞれの活動において、学習者の意識化の表れに違いがあるのかを見るために、「セルフ内省」のコメントと「ピア内省」における発話を対象に、取り上げられた話題を分析した結果、両活動共に概ね同じ話題が言及された。話題の質的において、「セルフ内省」では断片的で漠然とした観点から言及したものが、「ピア内省」ではその背景や具体例が説明されており、同じ話題に対しても様々の観点で話題が拡張していることが分かった。第二に、話題の拡張が意識化にどう関わっているのかを見るために、学習者間の相互作用を調べた結果、大きく3つのパターンが抽出できた。このような結果から、次の点が示唆される。まず、「ピア内省」において、具体例がたくさん出されることによってもたらされる話題の拡張は、両者の話すㆍ聞く過程への理解を促す。また、学習者同士でスピーチに関する問題点や観点(内省の情報)を共有することにより、話すㆍ聞く過程に関して次なるメタレベルの観点が生じる。最後に、モノローグ型タスクのスピーチにおける、「セルフ内省」と「ピア内省」を組み合わせた「内省的活動」の意義と可能性について論じた。
9,100원
認知主体である人間は、外界を認知するにあたって、事態をプロセスとして動的に把握するか(プロセス的把握)、または非プロセスとして静的に把握するか(存在論的把握)のいずれかを選択している。 これら「プロセス的把握」、「存在論的把握」の双方に、認知主体の見え(perspective)との関わりの弱い「客観的把握」と、認知主体の見えが色濃く反映した「主観的把握」という把握の仕方が関与している。「移動の着点」、「存在の位置関係」の用法が「客観的把握」の用法であり、「移動の起点」、「経験の主体」用法が「主観的把握」となっている。 したがって「移動の着点」用法はプロセス的·客観的用法で、「移動の起点」用法はプロセス的·主観的用法であり、「存在の位置関係」用法は存在論的·客観的用法で、「経験の主体」用法は存在論的·主観的用法である。 このように格助詞ニの多義性には認知主体が事態をどのように把握するかということが関わっている。またニが着点·起点といった動的な用法と、単なる存在という静的な用法がある理由や、着点的な用法と起点的な用法とがある理由は、認知と言語との関係、すなわち人間の把握の仕方がどのように言語化に反映されるのかといった点からうまく説明することができる。
4,500원
反事実条件には過去の事実に反するものと、現在の事実に反するものがあるとされている。しかし、意味的に見てみると、まだ起こっていない事柄、言い換えれば未來の事柄ではあるが、それに反する条件文が存在する。そのため、これを単に仮定条件文とするのか、それとも、反事実条件文とするのかという問題が生じてくる。これは微妙な問題であり、一言ではどちらとも言えない問題である。先行研究の流れでは、この問題を直接扱うものはあまり見当たらないが、一般的に未來の事柄においては仮定条件として扱おうとしている。しかし、本稿では、その条件文が何を述べようとしているのか、何を伝えようとしているのかという意味の部分に注目をし、未來の事柄に反する条件の中にも意味的には反事実条件を表す場合があることを指摘した。つまり、従來は事実に反するかどうかという点を判断基準にしてきたので、未來に起こる事柄は事実とは認められないという立場をとり、仮定条件として捉えてきたが、本稿では表す意味の面から反事実条件と捉えようとするものである。 反事実条件の意味的特徴として2つの点を挙げた。一つは事実を婉曲的に述べるということであり、もう一つは話者の何らかの感情が含まれるということである。一方、仮定条件では事実に関して何も述べていないし、話者の感情も含まれてはいない。このような違いはまだ起こっていない事柄だけでなく、従來、反事実条件と認められてきた過去の事実に反する文と現在の事実に反する文にも当てはまる。 表す意味の面から、仮定条件と反事実条件を分類する場合、問題となるのは従來の判断基準となっていた事実をどのように捉えるかという問題である。本稿では先行研究に見られる話者の判断という観点から、事実というものを話者が事実だと思っている事柄へ範囲を広げた。
4,300원
「時の表現」 はその表れ方からして状態の表現と動きの成立の表現という二種類に分けられる。いずれの表現においても「時の表現」は「ル」形と「タ」形という二つの対立する形式から捉えられる。「ル」形は事象によってその意味が異るが、「タ」形の意味も一定していない。つまり、状態の表現においても、動きの成立の表現においても、過去を表すとされる「タ」形が、過去を表さない場合があり、その意味を明らかにする必要がある。 事象によっては「タ」形が主に過去より現在を表す形式として用いられる場合がある。「タ」形は必ずしも過去を表すために用いられる形式ではないのである。「タ」形は、過去を表す場合もあれば、事象によっては現在の状況を表すために用いられる場合もあり、その意味が一定していない。本稿では、現在を表すのに現在を表す形式が用いられず、過去を表すとされる「タ」形が用いられる事象について考察する。 また、「タ」形が現在を表すのに用いられると、これらの動詞が過去を表す場合、どの形式が用いられるのかも疑問になってくる。これらの表現には過去の表現に「タ」形が用いられず、「テイタ」形が用いられるが、本稿では、過去を表すのに「タ」形が用いられず、「テイタ」形が用いられる理由と、さらに過去を表すのに「テイタ」が用いられる表現にはどのようなものがあるのかについてあわせて考察する。
4,300원
本稿は、様々な授受表現の内、特に「てもらう」表現を中心として、その構文の中で現 る現象の一つである「に」と「から」の交替についての考察である。その「に」と「から」の交替というものは「てもらう」構文にだけ現れる特有な特徴であり、その「てもらう」構文の中でもできる場合があれば、できない場合もあることが分かり、その理由は何であろうかについて考察した。特に、「名詞句」に影響を与える「動詞」の傾向性について調べたところ、次のような傾向性が見られた。まず、自動詞が「てもらう」構文で使われると、「から」への置き換えはできない。それから、他動詞でも「から」への置き換えができない場合が多い。その他動詞の中でも「てもらう」の動詞が利益の方向性を持っているかどうかによって「から」への置き換えの可否が決まる。しかし、動詞に利益の方向性があっても「手伝う」のような動詞が来た場合は、「から」への置き換えはそう簡には行われない。また、格の交替は見られるが別の意味になってしまう場合もある。
4,300원
この研究の目的はコミュニケーション能力を重視するという第7次教育課程の目標に照らして高校の日本語教 科書をスピーチスタイル(話体)の面から分析しようとするものである。 日本語の話し言葉には特別丁寧体の「でございます体」と丁寧体の「ですます体」普通体の「だ体」があ る。普通体の「だ体」で、聞き手が目下や親しい人の場合に使うものを親密体と呼ぶ。外国人のための日本語教 育では失礼にならないように「ですます体」から先に教えているがこれは母語話者の習得順序とは逆になってい る。第7次教育課程の高校の教科書では親密体はどの段階でどのように導入されているのかを検討してみたい。 分析の結果をまとめると、第一に親密体の文章はまだその数がすくない。とくに1巻では11種のうち、6種の教 科書に親密体がほとんどか全くでていなかった。第二に親密体がたくさん出ている教科書では登場人物の表示や 練習問題などが多く使われており、親密体をたんに理解次元でなく、使えるようにすることをめざしている。親密 体の文の数が多い教科書ほど体系的に教えようとしている。親密体には状況設定が重要であるが、状況設定がな いものがかなりあり、そのような教科書は話体の選択に一貫性がない。第三に親密体の要素をみると6次の教科書 と比較してその種類、頻度ともに7次の教科書においては増加が見られる。しかし、より自然な親密体のためには もうすこし種類や頻度を増やす必要がある。 高校生の場合、同年齢の人とのコミュニケーションや習得順序や学びやすさを考慮すると、出来るだけ早い段 階で親密体を導入した方がよいと思われる。
4,900원
倭名類聚抄(以下、倭名抄)は、各見出しの下に、各種の書籍から漢文注記を引用している。項目によっ ては漢文注記の下に、音注や和名を記入しているものもある。その引用の中には、本草学関係書からの引用が 多く見られる。これについて、河野(1983)は、倭名抄の「本草」は、新修本草を指すものであり、その出典 が「本草云」「陶隠居本草注云」「蘇敬本草注云」と明記されたものは、本草和名からの「孫引き」であると された。本稿は、この河野(1983)の「孫引き」説に疑問を抱き、倭名抄において、「本草」「陶隠居」 「蘇敬」を出典とする漢文本文について、本草和名の本文と、新修本草の本文とを比較し、その拠り所を明確 にすることによって、倭名抄における本草和名の位置を確認したいと思う。これは、いわゆる「孫引き説」の再 検討であると同時に、日本最古の百科事典である倭名抄の成立事情の断面を窺う手がかりになるものである。 考察結果、倭名抄において「本草云」として引用されたものの中には、河野(1983)の指摘とは異って陶隠 居注や蘇敬注を記入したものも257例の中、31例見られる。また、引用の内容には、巻による相違が見られ、巻 四と巻七には新修本草を直接引用したと考えられる用例が多く、巻八には新修本草にはなく、本草和名にだけ 存する文の引用が目立つ。 考察対象用例363例の中、本草和名からの孫引きの形の引用を想定できるのは257例である。この中、確実 に新修本草から直接引用したと考えられるものも57例あり、新修本草や本草和名のどちらにも載っていないものも 11例ある。これに、その他の3例を合わせると71例になる。これは本草和名とは関係を持たないものである。57 例は新修本草を直接参照したことを示すものであり、後者の14例(11+3)は、ほかの本草書の介在を想定させ るものである。従って、河野(1983)のいわゆる「孫引き」説は成立しないことが本稿の考察をとおして証明され た。
4,800원
ヲ格(対格)名詞が文主語の部分にあたる場合のヴォイス体系を「部分のヴォイス表現」という一つの文法的カ テゴリーとしてとらえ、すなわち、この文法的カテゴリーは、従来の「ヴォイス体系の再帰性(再帰用法の他動詞 文、再帰動詞文)」よりも、より精度の高い特異性を抽出しようと試みた。日本語や韓国語では、西洋語に見ら れるような、はっきりとした再帰構文を把握するには、多少無理があるが、「部分のヴォイス表現」というカテゴ リーならば、日本語や韓国語にも有効な文法的カテゴリーになりえる。主語への「働きかける」(動作主中心(他 動、使役動詞(使役的他動)、使役の場合))という、または「働きかけられる」(被動作主中心(受身の場合))とい う「求心性」、主語と対格補語が全体・部分の関係にあるという「(部分的)含有性」を明確に把握する。特に、 従来の研究では、ヲ格の身体名詞、身体的部分としてのみ捉えられがちだった「部分性」をより詳細に、外面 的・内面的・側面的の3つの「部分」に下位分類した。ただし、例えば、部分の使役文「頭を悩ませる」のよう に、身体名詞である「頭」もここでは、精神的な意味を表し、必ずしも外面的(物理的)な身体ではないというよう な例が、「部分の受身」より「部分の使役」に多く感情動詞に近い場合が多いという、多少の傾向上の差があ る。 従来の「持ち主の受身(所有受動)」などに関連する「所有性」を「(部分的)含有性」「(所有権的)占有 性」「親族関係性」の3つに下位分類し、そのうちの「(部分的)含有性」のみだけに絞って「部分のヴォイス 表現」という文法的カテゴリーを確立しようと試みた。なぜならば、「(部分的)含有性」のみにおいて、表層上 の項の数と意味上の参与者(物)の数が一致せず(一減少)、「(所有権的)占有性」および「親族関係性」の場 合は表層上の項の数と意味上の参与者(物)の数が一致するからである。このことは、「(部分的)含有性」の場 合のみにおいて、二重同格文をつくりやすいことからもわかる。 基本文における「ノ格(所有格)」の下位分類は独自のものである。すなわち、「部分のノ格」「関係者のノ 格」「所有物のノ格」の3つに下位分類した。たしかに「誰々を母(妻)にもつ」「美しい顔をもつ」などのよう に、関係者や身体部分をまるで所有物のように比喩する表現があるが、厳密に違う意味として区別すべきであ る。「所有物のノ格」の場合は「まともの所有」とでも言え、それ以外は「擬似所有」とでも言えると思われ る。
真偽判断の副詞と疑問表現形式との共起制約 ー確認要求の意味用法を持つ疑問表現形式を中心にー
한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.173-186
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真偽判断の副詞が疑問形式と共起しないという言語現象は真偽判断の副詞の重要な統語現象と知られてい る。しかし、小稿では真偽判断の副詞が「質問の疑問形式」「疑いの疑問形式」「確認要求の疑問形式」 「働きかけの疑問形式」と共起したりしなかったりする言語現象に注目し、なぜこのような言語現象が起らなけれ ばならないかという疑問に対する答えを提示した。すなわち、小稿では、[確実度]という概念にもとづいて、 これらの共起制約が起こる背景が説明できる以下のような[共起制約1~3]を提示し、それぞれの妥当性を論じて いる。 共起制約1:特定の真偽判断の副詞が疑問形式と共起しなければその真偽判断の副詞は[+確実度]であり、そ の疑問表現は[-確実度]である。 共起制約2:特定の真偽判断の副詞が疑問形式と共起すれば、その真偽判断の副詞は[+確実度]であり、疑 問表現も[+確実度]である。この際、疑問形式は真正疑問形式の用法(質問)から逸脱したもので ある。 共起制約3:特定の真偽判断の副詞が疑問形式と共起すれば、副詞は真偽判断の用法以外の用法を持つ。 疑問形式は[+確実度]である。
고궁 길잡이시설 해설안내문의 일본어 번역문 연구 ―오류 실태 조사 및 문제점 분석―
한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.187-202
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This research is based upon the photos of 95 guide boards I have taken myself. The photographs are taken in April and September of 2002, given errors in translation for signboards could cause not only difficulty in communicating with Japanese tourists, but also damage to the national image, which, moreover, could be led to a huge obstacle to attracting tourists and advancing the tourism industry. As a result of this research, in order to better guide boards, I am offering three suggestions as follows ; 1) more thorough editing by Japanese native speakers, 2) training and generating professional translators equipped with knowledge of the Korean culture and history 3) consistent manual for traditional culture and history-related terms.
4,200원
「東京朝日新聞」『日清戦争実記』等を参考にしながら、『海城発電』の典拠になると思われる記事など を紹介してきた。「北国新聞」と「東京朝日新聞」からは海城県の状況とともに海城市民の様子、戦況,「哀 れなる物語」などを紹介し、「非戦闘員」の書き出し(4)(5)との類似点を指摘した。『日清戦争実記』の「海 城奇談」からは軍役夫の帰還談と神崎愛三郎の性格,尋問スタイルの小説という類似点を指摘した。そして『日 清戦争実記』で頻繁に載せられた日本赤十字社関連記事を検討し、神崎愛三郎の実存モデルだと思われる神 野勇三郎医員をも紹介した。これらの作業は書き手鏡花の創作の際の創作態度を垣間見せていると言えようが、 戦争中の情況や、海城という遠い異国の都市を背景とする物語を書こうとした時、鏡花は当事の新聞雑誌等のメ ディアから多くの情報を得、それらを物語化していったことが判った。
4,000원
『枕草子』の中には八章段の中に11例の文付枝が現われている。特に、本論考では133段にみえる「白き木 に立て文をつけて、(中略)胡桃色といふ色紙の厚肥えたるを」に関して精密な考察を行い、白き木という文 付枝の正体を明かそうと努めた。つまり、「椎柴」の木は『枕草子』一三三段の中で、次のような条件が揃え られる。第一、歌の中に歌語として詠まれていること、第二、その情景が円融院崩御後、服喪の時期のことを描 いていること、第三、贈る側、即ち一条院と中宮定子のさしがねにより、巻数の様子を装った「白き木」の文付 枝であったことであろう。第四、その文が贈られた直後、返歌が作られたことである。このように、「椎柴」の木 は上記の四つの項目が当てはまる「文付枝」であることが明らかになるのである。
4,800원
本稿は、日本の近現代文学史において、小説家にとって翻訳行為が持った意味を概観し、また合わせて、 翻訳対象が近代期のヨーロッパ文学中心から最近のアメリカ文学中心へと移行した背景や意味についても考察し た。小説家が翻訳を行うには様々な理由がありうるが、最も大きな理由は、独自の文体創出のための努力の一 環であるということであろう。また、近代初期にはヨーロッパ文学中心に翻訳や受容が行われたのに比べて、 1945年の敗戦以降、アメリカ文学中心へと移り始めたのは、強大なアメリカという存在とアメリカ文化の世界的拡 大や普及が顕在化しながら起こった現象であるといえる。日本ではこの現象が1945年から1951年にいたるGHQ (連合軍総司令部)の統治時代から可視化し始めた。しかし、アメリカという存在に対する認識は、その後、劇 的な変化を見せることとなる。1958年に発表された大江健三郎の「人間の羊」や1965年に発表された小島信夫 の『抱擁家族』が、いまだアメリカに対するコンプレックスを持つ日本人を登場させたとするならば、村上春樹や 村上龍、田中康夫の世代にいたって、アメリカは完全に異なる様相で作品に登場することになる。アメリカはこれ 以上、二項対立的な概念とはなり得ない。ある特定の集団や概念として登場したりもしない。それは日常的な生 活の中に溶け込み、分離不可能となった存在としてそこにある。だから、これ以上、アメリカは日本文学の主題 となり得なくなったのである。そこで問題となるのは、アメリカ化した都市で何を取捨選択し、どのように生きていく かということだからである。
5,500원
京城帝国大学の「国文学」講座は、日本が「国民」の歷史として代表されてきた「国文学史=日本文学史」を植民地に、初めて移植するために設けた学科である。「国文学」講座そのものの権力性は、あらゆる「差異」さえも認める「空虚なる中心」のように、植民地の知識人の内面意識はもちろん彼らが構想した民族文学史を融合し同化する磁気場の役割を遂行した。それは戦後「国文学=日本文学」の再構築の過程における高木市之助の「懺悔」を通じてだけではなく、独立後の韓国における大学制度や「国文学史=韓国文学史」の形成過程に排他的なナショナリズムが深く働いた歷史を通じても確認できるのである。それゆえ、筆者は本稿を通じて京城帝国大学の「国文学」講座の歷史とかかわるポストコロリアルな問題の再解釈を提案している。
천황에 충성을 다짐하는 병사(防人)의 노래ー그 전통의 창출과 폐기, 그리고 재창출의 가능성ー
한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.259-270
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『万葉集』巻二○には天平勝宝七歳(七五五)に制作されたとされる防人歌が八四首も残されている。先行研究者は防人歌の蒐集の意図、防人歌の詠作場所などについても考察してきたが、特に興味を示したのは防人歌の性格についてである。 現在防人歌は悲別歌として受け止められているが、それは戦後民主主義によってもたらされたものだと考えられる。しかし、「十五年戦争期」にはひとつの確固たる防人歌論を示している吉野裕によって、防人歌の「基本的な」性格は「言立て」と見なされた。こうした防人歌の「基本的な」性格を悲別の情を詠んだものと、あるいは「言立て」と見た見方には共通したものがあった。それは防人歌が持っている様々な性格を意識的に排除していることである。たとえば、防人歌には大和政権の強圧的な徴募を告発している歌、防人徴募に対する忌避の思想を詠んでいる歌、家族の実情を無視して徴召する現実を暴露している歌があるものの、そうした歌々について先行研究者はあまり注意を払っていない。 つまり、以上のような「差異」が防人歌の「基本的な」性格をめぐる議論には取り除かれている。その意味で、「今」悲別歌として認められている防人歌は、時代的状況さえ変れば、天皇への忠誠を誓う歌として再び創出される可能性が少なくないと考えられる、ということが本稿の結論である。
4,900원
本稿では、日本の近世前期の怪異小説の特色を解明するため、一段階として享保期に刊行された怪異小説の特徴を探ってみた。方法としては、享保期の怪談集の中で比較的に小説的な形を保つ『怪醜夜光魂』『御伽厚化粧』を中心に、素材、素材利用法(創作方法)、作者の編著意図を分析した。その結果は次のようになる。 第一に素材という点においては、『怪醜夜光魂』は日本の民話と古典、『御伽厚化粧』は日本及び中国の古典に依拠している。中国古典といっても先行怪異小説の使った資料範囲から大きく抜け出てはいない。第二に素材利用の方法においては、両作品の大部の話が一つの素材を利用して一篇を創作する単純な方法を取っている。このような方法は、元禄ㆍ宝永期の怪異小説が一篇内に複数の素材を組み合わせて新奇を狙う手法と異なり、むしろ仮名草子時代と浮世草子初頭の怪異小説に見られる方法に類似する。素材収集が先行怪異小説の利用した範囲内であるという点と、素材利用法が元禄ㆍ宝永以前の怪異小説の取った単純な受容方法に似通う現象は、享保頃を起点にして次第に素材と創作方法の模索において新鮮さを失って衰退の道を歩むことを顕わす。しかし、そうした素材と創作方法の模索の行き詰まりと違って、第三に作者の意図という点では、仏教的教化が残存する『怪醜夜光魂』に次いで『御伽厚化粧』では娯樂意図に一貫していて、『御伽厚化粧』に至って仏教性は後退し、代わりに怪談奇談が純粋な読み物として座を占めるようになった。換言すれば、『御伽厚化粧』にいたって近世前期の怪異小説は浮世草子の性格を十分に備えるようになったといえる。 このように『怪醜夜光魂』『御伽厚化粧』の考察を通して、元禄ㆍ宝永に盛況を見せた近世前期の怪異小説は素材と創作方法において享保期を堺に新たな模索の行き詰まりを見せて衰退の道に入る一方、内容面では小説的成長を遂げる事実が把握できた。
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