2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,600원
名詞と形容動詞語幹の区別は、格助詞の接続と連体修飾形の「の」「な」、そして被修飾語が連体修飾を受けるか連用修飾を受けるかという用法による区別が広く用いられている。しかし、用法による名詞と形容動詞の区別は、多くの例外的な現象が見られており、これは形容動詞を否定する見解を生じるようにした。このような形容動詞をめぐる問題点に基づいて、本稿では名詞と形容動詞を区別する特徴を形態的な側面と意味的な側面に分けて考察を進める。そして、辞書での情態概念の語の品詞規定について調べてみる。また、名詞と形容動詞に跨っている語に、名詞的用法と形容動詞的用法はどのように現れているか、その比率はどうであるかを考察していく。 このような考察から次のようなことがわかる。つまり、①情態概念の漢語には、純粋な形容動詞より名詞と形容動詞に跨っている語が多い。②品詞が名詞と形容動詞に跨っているとしても、名詞的あるいは形容動詞的な用法をすべて備えているわけではない。③実体概念を表す語であっても文章によって情態概念の意を含む例が現れている。 このことについて、時代と社会の変化につれて語の意味と用法そして品詞なども変化していき、形容動詞もこのような変化を経て今日に至ったと解釈した。
4,300원
捷解新語は、 ひらがなによる本文が中心となって、 韓国語による音注と対訳が施されている。 対訳は、韓国語がベースになっているが、 漢字表記の固有日本語と日本慣用の漢字語も混じっている。 学習者が母国語によって内容を把握することが主たる目的であったはずの韓国語対訳文の中に、 如何にして日本慣用の漢字語が用いられるようになったか、 本稿では、 その目的と背景について考察してみた。 まず原刊本の韓国語対訳文からすべての日本語の単語を抜き出し、 そのなかで漢字語を対象に、 改修過程ではどのように変化していくのかを調べてみた。 その結果、 韓国語対訳文において、 ほとんどの漢字語が自然な韓国語表現があるにもかかわらず、 日本語の表現そのままで用いられており、 また改修・重刊本においても、 それらがそのまま用いられていることがわかった。 その理由は、 日本語の本文がひらがなで書かれているので、 学習者にその意味把握とともに漢字表記の提示といった観点から、 対訳文の中で用いられていたのではないかと考える。 すなわち、 学習的配慮によるものであったと考えるのである。
4,900원
本稿は、周辺的な条件表現であるニヨルト․ニヨレバとトイイ․バイイ․タライイ․ナライイの形式を取り上げ、これらの類似表現に「と」「ば」「たら」「なら」のどのような特徴が影響を及ぼしているのか考察をした。 ニヨルト․ニヨレバは形式化が進み、使い分けが明確になされているとは言いがたいが、前文で述べた内容の根拠となるものの出どころを表す場合にはニヨレバが用いられる。この時、「他でもないこれによれば」というように出どころを強調するが、これは「ば」の排他性が影響している。これに対しニヨルトは強調しないため、客観的なニュアンスを与える。 トイイ․バイイ․タライイ․ナライイでは「と」「ば」「たら」「なら」の特徴が明確に現れている。トイイは前件と後件が当然そのようになるという関係で結ばれる場合に用いられる。バイイは前者の内容が重要であるということを述べる。タライイは前件が仮定的に述べられる。ナライイは前件の事柄が真であると仮定して用いるため、他の形式と置き換えた場合、意味が異なってしまう。このように各形式の特徴が周辺的な条件表現にも現れており、その使用方法に影響を及ぼしている。
4,300원
本稿では、格助詞「で」の意味構造に焦点を当て、日本語学習者と日本語母語話者を対象に実証的な調査を実施し、それぞれがどのような意味構造を認識しているのか、また両者ではどのような違いがあるのかなどについて、認知言語学的な観点から、考察を行なった。調査方法には、「で」を用いた19の文を提示し、「で」の意味の類似性に基づき、任意の数の排他的なグループに分けてもらうという方法を採用し、得られたデータを多次元尺度法により分析した。その結果、学習者と母語話者が認識している「で」の意味構造が異なっていることが明らかになった。具体的には、母語話者のほうは、<場所>という意味をプロトタイプとし、それに加えて<道具>・<原因>が中心的な意味として、<時間>・<様態>という他の2つの意味が周辺的な意味としてのサブカテゴリーを確立しているのに対し、学習者のほうは、プロトタイプは<場所>用法で、その他に<道具>・<原因>・<時間>という用法があることを認識しているものの、それぞれの境界が明確に確立されておらず、カテゴリー化が十分に進んでいないと推察された。
4,600원
本稿では、近代韓国語の文章における日本語の影響の一例として、後置詞「-에 대하여」の生成における日本語の影響を検証してみた。現代韓国語の後置詞「-에 대하여」の意味用法は、現代日本語の後置詞「-に対して」と「-について」のそれと類似しており、筆者の調査によると、19世紀末から「-에 對야」の形で使われ始める。その意味用法は、動詞「對다」に近い「相手」用法のほか、「関連対象」、「内容表示」、「割合の基準」など、動詞にはない新しいものである。19世紀末以降、「割合の基準」の用法は次第に消滅し、現代のような意味用法をもつ「-에 대하여」へと定着していく。本稿では、後置詞「-에 對야」の生成過程を歷史的に考察した上で、三つの點において、その生成において日本語「-に対して」、「-について」が影響を与えたことを檢證してみた。先ずは(1)格助詞の取り方の変化、則ち対格助詞ではなく、處格助詞を取ること、また「人名詞」が来る場合、与格助詞「에게」ではなく、「에」をとること、次に(2)本動詞にはない新しい意味用法ー「関連対象」、「内容表示」、「割合の基準」などの表示用法をもつこと、最後に(3)後置詞「-에 對야」の用例が一部の文獻に集中してみられ、その文獻が日本関連のものであることをもって、日本語の影響を検証した。
4,000원
使役受益態とは使役動詞「させる」動詞に「もらう」動詞が結合して出来ている構文である。本稿ではどのようなタイプの使役動詞が受益態「もらう」動詞と結合し、どのような使役受益態構文を構成しているかという側面から使役受益態構文を考察した。その結果、動作対象(人)への働きかけ性をもっていない自動詞および物や事柄への働きかけの他動詞が使役動詞となって、人への働きかけの他動詞化して、受益態構文に參加していることが分かった。そのような使役動詞が受益態「もらう」動詞と結合して出来ている使役受益態の構文をみたら、ヲ格およびニ格の動作主体への働きかけの使役動詞に「もらう」動詞が結合すると「直接の使役受益態」を成しており、ノ格の動作主体の持ち物ヲ格およびニ格への働きかけの使役動詞文に「もらう」動詞が結合すると、「持ち主の使役受益態」を成していた。この二つのタイプの構文が使役受益態構文の中心であった。また「させてもらった」構文の中には使役主体が存在していないのに、話し手が自分の行動に対して謙遜して言ったり、あるいは誰かのお陰であるということを表すために「させてもらった」構文を用いている構文があった。すなわち使役受益態の構文は、使役動詞文でのヲ格、ニ格、ノ格の動作主体が使役受益態でガ格となる「直接の使役受益態」構文と「持ち主の使役受益態」が中心となる構文で、使役受益態の構文から外れた構文として、使役主体が存在していないが、話し手が自分の行動を謙遜または誰かのお陰であることを表すために用いている構文がその周辺にあった。
能格性(Ergativity)에 관한 韓日對照硏究―「VN하다」와 「VNする(suru)」를 中心으로―
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.79-90
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本稿では、現代日本語の「減少する」「実現する」「停止する」「一新する」 等のように、同じ形態で自他両用動詞として用いられる「VNする」と、これらの動詞に対応する韓国語の「VN하다(/되다)」の対応関係について考察し、その結果を2.3.節の図としてまとめた。 なお、能格性(韓国語と日本語のような対格言語に見られる能格性)という観点から「実現する」のような「自他両用動詞」について考慮してみると、日本語においては「減少する」「実現する」「停止する」「一新する」タイプが能格性と関連があり、韓国語では、「停止하다」タイプが能格性と関連がある、ということを明らかにした。
「上昇する」와 같은 類型의 「VNする」에 관한 考察―日.韓 對照를 中心으로―
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.91-102
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4,300원
今までの先行研究では「VN(Verbal Noun)する」の分類を、「自動詞として働くタイプ」、「他動詞として働くタイプ」、「自他両用動詞として働くタイプ」の三つのタイプに分けて説明している。 本稿では、対象の項を取る日本語の自動詞と自他両用動詞に属する「VNする」を対象とし、韓国語の「VN하다」「VN되다」と、どういう対応関係を持っているかを調査した。その結果、タイプⅠ~Ⅳの四つのタイプに分けられることが分かった。また、韓国語と日本語の自動詞に属するタイプⅠを中心として、韓国語の「하다」と「되다」の対応関係について分析を行い、次のように分類した。 ○タイプⅠに属する「VN하다/되다」の下位分類 A.「되다」形だけが存在する「VN」 B.「하다/되다」形が両方とも使われる「VN」 ⓐ「되다」形が多く用いられる「VN」 ⓑ「하다/되다」形が同様な割合で用いられる「VN」 ⓒ「하다」形が多く用いられる「VN」 以上のような結果から、タイプⅠの「VNする」は日本語では「する」という一つの形で使われるが、韓国語では「하다」と「되다」形の使用頻度によって、その下位分類が可能であることが確認できた。
5,200원
「ものだ」・「ことだ」は他の文末のモダリティを表わす助動詞と同様、多様な用法を持っているものである。特に日本語の教育においてその使い分けが難しく、多くの誤用例が見られる。本稿ではまず「ものだ」・「ことだ」の意味・用法について考察し、次にアンケート調査による学習者たちの「ものだ」・「ことだ」の使用状況を調べる。 調査は2004年12月7日~9日に行われ、大学で日本語を専攻している日本語能力試験1級取得者13名と1級希望者29名、2級希望者45名をその対象にした。その結果、全体的には「ことだ」の方が「ものだ」より正解率が高く現われた。項目別に見ると、「ものだ」の本性・性質を表わす用法と「ことだ」の忠告・勧誘を表わす用法が最も高く、感嘆・感慨を表わす項目では「ものだ」・「ことだ」の混同が見られる。また正解率の高い項目は学習者たちのレベルが高くなるにつれ正解率も高くなるが、正解率の低い項目においてはレベルとはあまり関係のないことがわかった。その原因については更に分析する必要があるが、これらの用法の習得には韓国語との比較考察と意味・用法の違いの学習が行われるべきであろう。
『세켄 무스메 가타기(世間娘氣質)』의 성립 과정- 모티브에 대한 고찰을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.121-132
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4,300원
本稿は井原西鶴の『本朝二十不孝』と江島其磧の『世間子息気質』、『世間娘気質』の内容を序文、導入部、共通内容、共通文章を順に追って、『世間娘気質』の特徴と気質物の変容の一端を把握することを目的とする。まず、序論の比較により、『世間子息気質』より『世間娘気質』は教訓性を弱め、「遊戯性」を強化した性格を有すると言える。これは序文に引き続く導入部を比較することにより、より確実になった事実である。 次に『世間子息気質』と『世間娘気質』の内容を比べてみると、五つの内容が似通っていて『世間娘気質』が『世間子息気質』を意識して描かれたことには異存はないが、これもやはり「遊戯性」を強めたものと見取れる。しかし、結末部の文章を比較すると『世間娘気質』は『世間子息気質』より『本朝二十不孝』とより似通っているのである。つまり、『世間娘気質』は『世間子息気質』の後続作と性格を有すると共に、読者の期待に反して、また『本朝二十不孝』に近づくという構造上の反転の手法を用いるのである。これもまた、「読み物」としての「遊戯性」を強化する一端と取れる。 以上から、『世間娘気質』は『世間子息気質』の「教訓性」を脱し「遊戯性」を一層強めた作品を言えると同時に、後続する江戸後期の戯作に「遊戯性」という意味において影響を与えたとも考えられる。このような気質物の一連の流れは、江戸小説の流れの一端を窺わせ、其磧の気質物に対する執筆態度とも関連すると考えられる。
4,600원
本論文では、死生観を中心に『豊年虫』にみられる倫理的宗教的側面を明らかにしようとした。この作品の分析のため、三つの動物の死を描いている『城の崎にて』との比較を適宜行った。『豊年虫』は「俗世界」と「聖なる世界」の対比によって作品世界が展開しており、語り手「私」は「俗世界」に対してそれを眺めるだけというスタンスをとっている。『豊年虫』の中の蜉蝣は、自然の力を象徴すると同時に、自然の力の前で無力な生き物の限界を示している。そして、作品のクライマックスとも言うべき末尾の箇所にはまさに、死につつある姿の蜉蝣が登場している。この場面における蜉蝣は、『城の崎にて』での蜂と鼠と蠑螈という三つの動物の死を連想させる。しかし、両作品には相違点が存在する。『城の崎にて』の主人公「自分」は、「三つの動物の死」を凝視することによって、その動物の死を「自分」の場合と同一視するに至る。『城の崎にて』は、自然や宇宙の秩序に目覚めていく主人公「自分」の精神的成長の物語として要約することができる。これに対して、『豊年虫』の語り手「私」は、蜉蝣と距離を保ったまま、その死を凝視する。そこには、蜉蝣と語り手「私」との一体感はみられない。『豊年虫』には、「俗世界」と「聖なる世界」と言えそうな世界があらわれており、語り手「私」は「聖なる世界」に心を惹かれながらも、「俗世界」も拒絶せず、そのまま心の余裕をもって受け入れるというスタンスをとっている。
미야자와 겐지(宮澤賢治) 동화의 이계(異界) 고찰―「바람의 마타사부로(風の又三郞)」의 ‘이인(異人)’을 중심으로―
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.147-164
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5,200원
日常生活の場所と時間の外側にある世界としての異界は、こちら側を想起させ、また境界を立ち上がらせる、境界の向こう側に広がっている世界である。したがって、異界をめぐる物語の多くは、この境界をめぐる物語でもある。この異界は異人研究とも密接である。 宮沢賢治の「風の又三郎」は、異人という物語であるとともに、村童たちの遊びの空間が、異界としてあらわれる物語でもある。また、その異界の中に、もう一つの異界が存在する物語である。本稿は、「風の又三郎」において、登場人物である異人としての高田三郎と、作品の舞台である異界としての遊びの時空を分析したものである。賢治童話の中で、異界への移動の時、重要なモチーフになるのは、音である。つまり音をめぐる物語である。「風の又三郎」における音も、異界と関わっているといえる。音とともに、異人が登場するし、立ち去るのである。賢治童話の中の異界のもう一つの特徴は、異界の中の異界を繰り返すことである。つまり、異界は、異界としての遊びの空間のなかに現れることがわかる。この時も、また音とともに現れる。賢治は、異界の中の異界を繰り返すことによって、どの世界が異界で、どの世界が現実の世界であるかを曖昧にしている。これによって、読者は賢治童話の中の異界を、現実のように感じることになる。
스토쿠인(崇德院) 원령담의 모노가타리적 전개-엔교본(延慶本)『헤이케모노가타리(平家物語)』를 중심으로-
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.165-176
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4,300원
本論文は延慶本『平家物語』のなかで崇德院怨霊譚がいかなる意味をもち、機能を果たしているかを分析したものである。全国での大規模の戦亂のさなか、人々は保元の亂の敗者たちの復活を意識し始めた。崇德院の復権をめざす人たちによってはじまった言説は治承․寿永内亂という混沌とした社会状況のなかでみずから拡大、再生産された。『平家物語』の諸本に見える崇德院怨霊譚もこのような言説を土臺にして形成されている。 公卿日記では戦亂が激しくなる寿永年間に崇德院怨霊が頻出するが、『平家物語』諸本の場合、淸盛の死後崇德院怨霊の活動はみあたらない。歴史と物語のこの差異は『平家物語』のなかでの崇德院怨霊譚の位相を象徴している。崇德院怨霊と清盛との関連性は〈蓮如の夢〉に明確な形で語られる。つまり、崇德院怨霊は淸盛の身に入れ替って亂世をつむぎだし、後白河院政を脅かす存在として登場する。天狗としての崇德院、淸盛との連携、そして日本国をめぐる後白河院との対立という三つの要素は延慶本をはじめ、『平家物語』諸本の崇德院怨霊譚を解釈するさい重要なキーワードとして機能しているといえる。
5,200원
この論文では木村理右衛門の著書『朝鮮物語』巻二の内容である朝鮮の役(壬辰倭乱)を考察してみた。日本側の立場から書かれた『朝鮮物語』巻二の内容を主に『朝鮮王朝実録』と比較して見ながら韓国側の視点ではどう書かれているか、韓国側の視点で比較ㆍ分析してみた。その結果本書巻き二は日本側の立場で日本中心主義の歴史を概観したことがわかる。戦うたびに日本軍の勝利と「清正の手へ討取首二千三百七十、其外諸将の手へうちとる首ハ何万といふかずをしらず。」のように日本軍の勇猛性を強調している。また『朝鮮物語』はもとは朝鮮に関しての紹介であるが、所々で日本が朝鮮より優越で、朝鮮を蔑視する記述が見える。17世紀中頃から壬辰倭乱のような軍記のなかでは日本意識を鼓舞する作品がつくられて、こういう傾向が作品世界に定着するようになることで、『朝鮮物語』巻二も同じであると思う。『朝鮮物語』は寛延3年(1750)の出版とされているが、その時代は江戸幕府時代で、朝鮮と戦争が無くて平和な時期であった。それにもかかわらず日本は朝鮮通信使によって高められた朝鮮への関心を利用して『朝鮮物語』の内容にも前から伝えられていた朝鮮観,つまり,朝鮮は日本の朝貢国であるという意識が見られる。
다카무라 고타로(高村光太郞)의 전쟁시 재고-『기록(記錄)』에 나타난 인도주의의 명암 -
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.195-216
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5,800원
This dissertation focuses on Takamura Kotaro whose colloquial form of free verse in spoken language revolutionized the fixed form of Japanese poetic society. A close analysis of the relationship between his poems and the time of their composition reveals a variation in his poetic ideas, affected by notable experiences and revelations throughout his life. In chapter the poetic image of 『Record』 implied humanitarianism, which was different from philanthropism shown in 『Fierce animal series』 and 『Chiekosho』. The image of 150 war-involved poems in 『Record』 is in contrast with Kotaro's previous behavior, writing a poem based on humanism and organizing ‘Roman Rolland Cafe’. Kotaro suggested an artist's role during war and appealed to all of the people for joining the war. About Kotaro's war-involved poems, people say, ‘He didn't write a poem like a poem’, ‘He was forced to write such a poem under war.’ but they were not persuasive. 『Record』 was a touching record written by a man who experienced the war. Reckless war tread down human's life but it was done without criticism about a man's weakness under regime of the country. Most of Japanese critics agreed that it came from absence of wife. But those days, as many authors such as Salito Mokichi did, it was only confined to peculiar politic ground.
『源氏物語』에 나타난 六条御息所 像의 고찰― 어머니로서의 모습을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.219-228
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4,000원
『源氏物語』の六条御息所は物の怪になるほどの極端な性格の持ち主である。しかし生霊や死霊のその<物の怪>という単なる怨霊としてのイメージに終わることなく、家の正体性と斎宮の母としての心に気づきながら、やがて娘の中宮の将来を導く<母>として成熟していく姿を見せる。 六条御息所は<車の所争い>を経ることで、光源氏の気ままな愛の在り方に疑問を抱き、<嫉妬>による<物の怪>となる。そしてその<物の怪>の姿を光源氏に知られ、漠然と伊勢下向を考えていた六条御息所はやむを得ず伊勢下向を決心するようになる。しかし<物の怪>による伊勢下向を不名誉に思うことが、それまで忘れられていた家の期待を思い出す契機となるのである。六条御息所の<物の怪>は光源氏に対する未練が原因であるため、その執念深い性格が問題視されてきた。しかしこの執念深い性格がかえって光源氏と繋がり、光源氏の心を動かす基にもなるのである。 伊勢から戻った六条御息所は出家を決行し、光源氏には前斎宮の母としての姿を見せる。つまり光源氏が前斎宮の後見人となってくれるように、自分の不幸を教訓にしながら頼むのである。 死後も六条御息所は、光源氏が紫上に自分の欠点を話したことに憤慨して死霊となって表れるように、以前の性格は変っていない。このように死霊になったのは確かに怨みによるのであるが、しかしその死霊は中宮の後見に対する感謝の気持と頼みの言葉を忘れない。直接には自分の成仏のための仏道供養を頼みながらも、六条御息所はその供養とともに自分の経験に基づいた、中宮が宮廷生活の中で守るべき心構えを伝えてくれるよう頼むのである。中宮に対する愛情と説得力を兼ね備えたこの母としての頼みは、六条御息所の死霊がもはや<物の怪>として苦しむ低次元の鬼ではなく、神のような高次元の霊へと昇華されつつあることを悟らす。このようにして六条御息所は、苦難と克服を克明に表わす『源氏物語』特有の人物像を演出するのである。この、六条御息所の母としての側面を顕にすることが本稿の狙いである。
4,300원
『源氏物語』の華麗さを浮彫りにさせる多様な儀礼の意味は常に歴史・文化など物語外部との関係の上で考察されてきた。本稿は『源氏物語』の儀礼が物語外部での意味をベースにしながら、物語深層の流れと有機的に関わることで物語内部で機能していることを鮮明にした。そのため今度は二部の始まり、若菜巻での最初の儀礼である女三宮の裳着と光源氏の四十賀に注目した。なぜなら、二部ではじめて登場する女三宮をめぐる物語は最初から矛盾を抱え込みながら叙述されるからである。 たとえば結婚を前提として行われるべき女三宮の裳着は結婚相手も決まらないまま異例的に行われ、六条院への降嫁と光源氏の四十賀と交差しながら語られる。しかも成人式としての意味を持つ裳着と長寿を祝う四十賀は通過儀礼としては同じく機能するものの、その本質的意味を追求すると、裳着が生産の開始を象徴するに対して、四十賀は生産の消滅を象徴することがわかる。全く正反対の意味を持つ儀礼を通して物語は早くも以後の二人の関係の矛盾を暗示しているのである。また裳着と四十賀が儀礼として同じ役割を担当しながら、微妙にずれるその意味の差による矛盾が二人の結婚を媒介に光源氏の本質的な矛盾へと連動していくことにも注意をはらうべきである。現在とは違って社会の長老としての役割が期待される四十賀を迎えた光源氏が依然と「若き源氏の君」であることの矛盾が女三宮と柏木の密通、いわば女三宮事件を媒介とした光源氏の老いという二部物語の主題へと繋がっていくのである。 要するに儀礼として物語外部での意味にとどまらず、裳着と四十賀の意味の差異が源氏の矛盾という物語深層の流れと緊密に関わり、物語の主題に連動していることは注目に値するであろう。
다자이 오사무(太宰治)의 『新釈諸国噺』 일고찰- 사이카쿠(西鶴) 수용양상을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.241-254
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太宰治は1944年1月『新潮』に井原西鶴の武家物を翻案した小説である「裸川」を発表してからつづいて西鶴の浮世草子から取った作品を翻案していく。そして彼が翻案した十二作を収録して1945年 1月に生活社で単行本に出版されたものが『新釈諸国噺』である。 本考察は、この翻案作を通じて太宰の西鶴の受容様相を見てみたものである。翻案作で登場人物らのお酒ずき、無気力な亭主、気の弱さ、けちなどの描写はすなわち、太宰自身に対する批評的なパロディーである。近代小説で興味の対象がより人間性を追求していくことに注目してみれば太宰の小説が読者に読ませる理由はすなわちこの点にあると思われる。 小説はおもしろくなければならないと太宰は言った。また芸術の美は所詮、市民への奉仕の美であると言った。そんな小説のおもしろさや芸術の美を当時落ちぶれた太宰が西鶴という文学的な対象を発見して具現したものが、『新釈諸国噺』であるといえよう。 したがって、太宰の西鶴の受容はまず十二作の中で最初の西鶴の武家物を翻案したが、これは当時、国策文学に対して小説が書かれる太宰の方向模索であり、戦時下の笑いを失った読者に対する太宰の思い遣りであった。そして<金銭>を主題にして西鶴の書いた元禄の町人のものは戦時下のつらい職業作家である太宰としては小説が書かれるいい題材であったと思われる。 日本のナショナルの古典の意味を持つ西鶴物の伝統的な美意識の再照明は1944年、憂鬱な戦時下の読者のコードとぴったりしたものであり、だから、太宰の生前に読者からのいちばん人気を得た作品になったと言えるだろう。
나쓰메 소세키의『양허집(漾虚集)』론─전체를 어떻게 하나로 묶어 읽을 것인가─
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.255-272
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5,200원
『漾虚集』は発表順によって七つの短編を収録した夏目漱石の処女短編集である。作家である以前英文学者であった漱石は、どの時代よりも多様な様式が共存していた18世紀英文学の諸ジャンルを強く意識しながら旺盛な創作活動を展開する。それで『漾虚集』には、今まで知られたように浪漫主義の詩やラファエル前派の絵ばかりではなく、ゴチック小説や印象派の絵など様々な芸術方法が文学方法として<実験的>に取り入れられている。また漱石は多様に素材を取り、いわば「自己本位」でもってパロディーをしながら、夢や幻想の世界を形象化した『漾虚集』の諸短編を、当時としては前衛芸術であったモダニズム系列の作品として作り上げている。これは幾分日本の自然主義文学者たちを意識した形での文学行為であったと思う。『漾虚集』は漱石文学の原型を探ることのできる作品集であると言えようが、筆者は七つの短編を二通りの「異郷訪問パターン」の物語として把握した。さらに七つの短編には共通的に<中世主義>的神秘感が漾っており、これを通して合理的であるゆえにむしろ散文的にならざるをえない20世紀の現代文明を強く批判していると思うのである。
4,300원
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本稿では、日本の近代短歌と韓国の民謡詩を代表する詩人として、石川啄木と金素月の詩歌を愛を中心として比較考察した。皮肉にも二人の詩人を抑圧していたのは近代日本という国であり、日本国家に対する反抗が彼らの詩を熱情的により強烈にした。 啄木と素月は近代的な要求に目覚めた知的青年として、彼らの内面世界を詩に反映した。彼らはそれぞれ和歌を近代短歌として蘇生させ、一方は民謡を近代民謡詩として蘇生させた。 彼らの詩を愛を中心として比較したところ、素月の愛は水の性質だとしたら、啄木の愛は火の性質だと言える。そして愛に対する態度はほととぎずときつつきの姿に比喩される。愛は彼らの詩作の源泉であり、素月の場合、失った主権と関連していたとしたら、啄木の場合は抑圧された私を脱ぎ捨てた私、即ち人間解放との関連性を有している。
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芭蕉と莊子のかかわりについては、旣に先学が指摘しているところであり、周知の通り堀信夫․仁枝忠․広田二郎の三氏の他、多くの先学により諸説が提示されている。それらによれば、芭蕉にとって莊子との出会いは、芭蕉の文学に大きな転換點となったといえよう。芭蕉が貞門、談林調の俳諧を脱皮して、新しい俳風を作り出すまでには、西行․鴨長明․宗祇のような先人たちと、『萬葉集』․『古今和歌集』․『源氏物語』․『方丈記』․『徒然草』といった日本の古典を始めとし、『史記』․『白氏文集』․『唐詩選』․『江湖風月集』․『莊子』のごとき中国の漢詩文などの影響を受けたが、そのなかでも缺く事の出来ない役割の一端を成したのが、『莊子』である。特に『莊子』からの影響の中でもっとも大きかったのは、思想関係であったといえよう。自然を中心とする莊子の思想は、特に芭蕉が晩年に進めた俳諧を改革していく課程において欠かせない影響を与えたのである。それは芭蕉を覆っていた虛飾と形式を脱ぎ捨てさせ、自分の本然の姿に戾るように促したのである。つまり、芭蕉は今までの自分の生活から拔け出すために旅の道を選んで長い道のりを步み出したのであり、そこから始まった芭蕉の新しい人生は、すべてが新しい経験の連続であったのであり、そのような環境は芭蕉の俳諧にも変化をもたらしたのである。
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本稿は、2005年9月に行われた総選挙の結果を小選挙区比例代表並立制導入に伴う選挙政治の構造変化に注目して分析したのである。1994年に行われた日本の選挙制度改革は政党中心の選挙と政権交代可能な2大政党制の実現を目標として断行された。特に、小選挙区制度の導入は各政党の支持基盤と議席獲得構造の変化をもたらしている。従って、新しい選挙制度の導入がもたらしている日本政治の変化とその原因を分析するのが本稿の目的である。 分析の結果、与野党の支持・議席獲得構造に大きな変化が起こっている。従来自民党は農村地域から7割程度の議席を得てきたが、2005年総選挙では5割強まで減少した。民主党は逆に都市地域の議席が減り農村地域が大きく増加した。各政党の支持・議席分布の変化は小選挙区制の導入によって小政党の支持基盤が弱化し、巨大政党の脆弱候補者の支持基盤も変化した影響であろう。また新しい選挙制度の導入以後、2大政党制傾向が進み、2005年総選挙では全体有効政党数が2.3まで減少した。小選挙区だけをみると1.76まで減少し、各選挙区レベルで分析しても2大政党制は大きく進行している。選挙制度改革による選挙政治の構造的変化は小選挙制度の制度的効果と1990年代以後政治改革・行政改革の影響による政党政治の変化、内閣ー政党の関係変化、党首中心の選挙運動、それから小泉首相の政治的手法などがその原因であることが分析の結果明らかになった。
해외 한국어 및 한국학 강의 프로그램 현황과 개선에 관한 연구- 일본의 경우: 일본 대학에서의 한국어 교육을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.333-348
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本研究は日本における韓国学 及び韓国語教育の現状を考察したものである。4年制大学を中心に 日本で韓国学や韓国語の教育について専門教育を行っている大学は東京外国語大学、大阪外国語大学、九州大学、富山大学、天理大学、神田外語大学、熊本学園大学、等である。七つの大学の中でも大学院博士課程まである大学は東京外国語大学、大阪外国語大学、九州大学など三つの大学しかない。日本には630以上の四年制大学があるが、その内韓国学の専門学科を設置している大学は七つだけであると言うことは全体の1%に過ぎない。上記の大学以外に東京大学では「韓国朝鮮文化研究室」で韓国学を研究し、教養学部で韓国語教育を行っている。他の大学では外国語教育として韓国語教育を実施している。それも非常勤講師が教育を担当している大学が多い。日本において韓国語の科目名称が‘韓国語’、‘朝鮮語’、‘韓国。朝鮮語’、‘ハングル’、‘コリア語’など科目名称が複雑なのは日本と北朝鮮との関係があるからである。時間がたつにつれて韓国語の学習者は増えているが教員の人数がそれについて行けない状態である。 現在の教員も韓国人、在日韓国人、日本人の教員など文化的背景がそれぞれ違う教師が多いのが現状である。より効果的な韓国語の教育のためには教師の研修が必要である。いま現在の現状のままでは期間も短いし、いくつの大学や韓国国際交流財団等でばらばら行っているのであまり効果がない。より効果的な研修のためには韓国の政府機関で窓口を一つにまとめ、長期的に教師の研修制度を作ることが問題点として浮かび上がってくる。
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本稿の課題はアジア的論議体系がもつ現代的意義を検討し、アジア的価値の構成要素、すなわち、共同体、自己節制、相互協力などが新しい経済成長の重要な基盤となりうることを日本経済の分析のなかで確認することである。平成不況以降の日本経済の改革過程のなかで一つ念頭におくべきことはそのすべてが急速な断絶をもたらすことではなかったことである。変化のなかの連続、連続のなかの変化過程を通じて社会的な葛藤を治癒しながら競争力を強化していった。それに比べ1997年以後の韓国社会は極端的な断絶の連続であった。相互協力的な社会的合意形成の過程は非常に乏しく局段的な集団行動が蔓延している。重要なことは相互信頼のなかで共に生きるための相生の徳目を復活させていくことである。アジア的価値論議がもつ現代的意義は、国家、社会、会社、家族など我々を規定する同心円の構造が一つ共同の秩序を形成し、そのなかで自由な個人の権利を共同体の配慮が共に作動していく上で重要な思想的な基盤を与えてくれるからである。現在日本経済の回復過程をみながら強く感じることはそれがいわゆる競争原理の全面化、民営化および規制緩和などだけによるものではないということである。日本は既存の日本社会の価値体系に基づき、それを基盤にしながら新しいシステムを構築しており、それが競争力の強化につながっていると評価される。
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第二次世界大戦の後、文化的な価値を商品に結び付けて、いわゆる「文化帝国主義」を具現しようとした強大国の野望は、自国の政治․経済․軍事的な力を背負って絶えずに追求されてきた。そしてその代表的な成功事例がアメリカナイゼ-ションであったといえよう。アメリカナイゼ-ションは、一時期は世界の文化市場の中で唯一の力を発揮したりもしたが、その後世界の中で徐々に拡散された反米情緒の拡大や地域文化の台頭などによって、その威力もだんだん弱くなっていった。アメリカナイゼ-ション弱化は、その間国際社会から「顔の見えない国」として見なされていた日本にとっては、日本の文化を世界に拡大させる新しい機会となった。高度経済成長以後、日本の政府は文化大国化への目標を掲げて、汎国家的な次元で日本文化の海外への伝播に力を入れてきた。特に70年代の末頃から加速化されはじめた日本資本の国際化が、経済大国日本の地位を高めている中で、80年代の末頃ソニのコロンビア映画社の買収は、世界の文化市場でジャパナイゼーションの台頭を強力にアピルすることとなった。 文化的な側面での日本の国際社会に対する影響力の拡大は、過去経済大国として謳歌した影響力よりはるかに大きいというのが一般的な評価である。特に大衆文化を中心にアジアの諸国に拡大されている日本の文化的な影響力は、日本文化の世界化とともに、日本発アジア文化の創造を可能にせしめるほどである。このような現象は、下手をすればアジアの諸国が自国の文化的アイデンティティを失う羽目に陥るかも知れないので、必ずしも望ましい現象とはいえないだろう。これに対してはアジア各国の識者層から少なからずの批判も出されている。このような流れをふまえて本稿では、日本文化の世界化が実現可能性の段階にまで進んでいることを注視する一方、70年代代以後本格化され始めた日本の文化交流政策の推進過程、そしてその過程を通して確認できる日本の文化政策における文化民族主義の実態などを分析してみた。
김석범(金石範) 문학을 읽는 여러 가지 시각-그 역사적인 단계와 사회적 배경-
한국일본학회 일본학보 제66권 2006.02 pp.377-398
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