2026 (19)
2025 (64)
2024 (69)
2023 (44)
2022 (70)
2021 (59)
2020 (57)
2019 (65)
2018 (61)
2017 (69)
2016 (64)
2015 (73)
2014 (117)
2013 (84)
2012 (96)
2011 (82)
2010 (95)
2009 (89)
2008 (123)
2007 (107)
2006 (115)
2005 (136)
2004 (178)
2003 (136)
2002 (136)
2001 (119)
2000 (84)
1999 (64)
1998 (49)
1997 (50)
1996 (48)
1995 (33)
1994 (41)
1993 (33)
1992 (34)
1991 (27)
1990 (25)
1989 (26)
1988 (26)
1987 (24)
1986 (23)
1985 (23)
1984 (28)
1983 (12)
1982 (13)
1981 (16)
1980 (14)
1979 (9)
1978 (10)
1977 (9)
1976 (10)
1975 (6)
1974 (7)
1973 (6)
4,500원
本稿では、結果表現、様態修飾表現として使われる「厚く」の成立について記述的な考察を行い、「厚く」の成立条件と意味を明らかにした。「厚く」はその成立に関して(1)と(2)のような対立を示す。(1) a. お肉を厚く切って煮込んだ。 b. 当時、ほとんどの女性たちがファンデーションを厚く塗り、細い眉を描いていた。(2) a.*布団を厚く敷いて(寝た方がいいですよ。)、b.*(時々せきをして寒気がしたため、)毛布を厚くかけて…。考察の結果、「厚く」はイベントの性質によって(3)のような二つの成立条件をもち、このような成立条件によって(2a,b)の不自然さを説明することができる。(3) a.「切る」系(「分離」型):本体から分離した結果できあがったものの厚みが普通より大きい。b.「塗る․積もる」系(「付着・堆積」型):複数、多量、大量の構成要素を集めたり、重ねたり (集まったり、重なったり)することによってできた状態の厚みが普通より大きい。つまり、(3b)の成立条件に従うと、「敷く」や「かける」の対象項になる要素は大量、多量に集められるか重ねられる要素でなければならないが、「布団」「毛布」という対象項の性質を考慮したイベントの性質上、(2a,b)はそのような条件と矛盾するため、不自然に感じられるということである。
4,300원
本稿は、明治20年代に『女学雑誌』に掲載された若松賎子訳『小公子』に見られる丁寧語表現形式である「です」「ます」「ござる」を中心にその実態調査を行い、そこに見られる意味․用法について分析したものである。明治期は、社会的変化の余波を受けつつも言文一致運動という<書き言葉>と<話し言葉>の接近が見られた時期であり、それまでの文語体から「です․ます調」の文末表現形式を採用した。しかし、その背後には多くの困難が伴われており、当時の作家を中心として様々な試行錯誤がおこなわれ、その結果として現代日本語でも使用されている<です․ます>で代表される緒形態の新文体が現れるに至ったという経緯がある。若松訳『小公子』は、このような混乱期に、文語体からの離脱、新文体の採用などの試みを積極的に図ろうとした若松の意図が随所に感じられる作品であると言える。そして、そこに見られる丁寧語表現․丁寧語化は、それまでの敬語形式から言文一致体という聞き手主体の敬語形式に移り変わろうとするこの時期の特徴を表していると言っても過言ではないだろう。「です․ます調」の使用は、それまでの漢文中心の小説とは異なり、現代日本語につながる大きな言語の変革と言える。ところが、ここ『小公子』では、基本的に素材敬語が必要とされない地の文では積極的に導入されてはいるものの、<敬意>の問題が介入される会話文においては、「です」表現形式の使用人物が限られているという点と、作品中に見られる過剰ともとれる不自然さを感じさせる尊敬語․謙譲語等の敬語表現形式使用が見られた。つまり、『小公子』が書かれた時期にあっては、依然として文末表現に関する敬語処理の面で未整理で確立されておらず、それまでの文語体表現を使用することにより会話における上下関係等を表現せざるを得ないジレンマを抱えていたということを表している。そして、これらが意味することは、明治期という歴史的にも言語学的にも特異な時期に現れた言文一致運動とその敬語処理の問題という二つの要素が絡み合う、まさに過度期て゛あったことを示しているということである。
4,300원
「べし」は文語の世界で口語のそれより多様な意味․用法を有していた。それが何らかの理由で変化し今日に至っているわけなので、文語での意味․用法のうち一部はその表現効果を残し、また一部はそれを逸したということになる。その変遷過程を探る目的で、本稿では、ヘボン․ブラウン訳『馬可伝』と米国聖書会社本や、文語訳、そして口語訳聖書との比較を試みた。『馬可伝』には「べし」の使用頻度が異様に高く、口語訳聖書では「べし」を引用文に限って用いることによって、古風な表現効果を産み出している。「べし」は独自の確固とした意味領域を有していたからこそ「現代語まで生き残」れたはずである。<聖書>は「法律用語とか規則」ではないが、一種の<権威>を保持しなければならない。そこで、「べし」などの文語体が多く使用されるようになったと考えられる。『馬可伝』における「べし」の使用例を調べてみた結果、「推量>勧誘․命令(禁止を含む)>可能(不可能を含む)>適当>決意>当然․必然」の順で用例が多いことが分かった。そのうち、「禁止」の意味として用いられた「べからず」は漢文訓読文体であるため、文語訳ではそれを「まじ」か「な」に書き替えていた。一方、ヘボンは「推量」の意味としても、そして「決意」「禁止」の意味としても「べし」を使用しているが、そのほとんどが文語訳になると他の表現に書き替えられている。とりわけ「む」への書き替えが目につくが、その基本的な意味を考慮すると、「べし」と「む」には出来事にたいする<確信度>に違いがあり、文語訳ではこの違いを反映したものと見受けられる。なお、『馬可伝』に「べし」が多用されているのは、ヘボン․ブラウンの<聖書観>が深くかかわっている蓋然性がある。<確信>を表明し<権威>を保とうとした文献の性格も影響したであろう。
일본어 의사소통 기본 표현 반영 양상에 관한 연구― 중학교 『생활 일본어』의 듣기ㆍ말하기 영역을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.39-50
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4,300원
本稿は、2007年改訂版敎育課程の中で意思疏通基本表現が、中學校の『生活日本語』敎科書8種でどのように現れているかを「聞く․話す」分野を中心に考察したものである。本硏究では、先行研究の問題点をふまえ、2007年改訂版敎育課程に示している意思疏通基本表現の六つの項目(あいさつ․紹介․配慮および態度傳達․情報交換․行爲要求․對話進行)が各敎科書にどのように反映されているかについて考察した。その結果、次のことが明らかになった。(1)意思疏通基本表現の反映において、使用率の違いが見られた。「聞く․話す」分野の項目別の活用率をみると、「挨拶」が一番多い76.04%、「対話進行」が一番少ない42.50%であった。(2)その中で一番使用率のが高い表現は情報交換の「情報要求(55%)」と行為要求の「勧誘(64.86%)」であった。(3)意思疏通基本表現の90個の例示文の中で、用いられない表現は「なかむらさんならできますよ。」「たいへんですね。」「サッカーはできますが、スキーはできません。」「にほんごははなせますが、えいごははなせません。」4の例があった。(4)意思疏通基本表現としては用いられないが、教科書では使用されている表現は「いくらですか。」「いいえ、まだだめです。」「なにがしたいですか。」「あしたはちょっと...。」「まっすぐ行くとみぎにコンビニがあります。」5の例があった。各項目間の偏差を減らすように意思疎通基本表現の配列などを考慮する必要がある。今後の意思疎通基本表現の再編成では初級段階でたくさん使う表現を考慮して反映するべきたと考える。
4,300원
本論文では、日韓両言語における「~前(に)節」と「~기 前(에)節」をめぐって、特に「(述語의)否定形+前(まえ)/前(에)」の文法化過程について対照を行い、次のように主張している。 (1)「~前(に)節」と「~기 前(에)節」には、共通点がみられる。•「~前(に)節」と「~기 前(에)節」を構成する非修飾名詞の「前(まえ)」と「前(전)」が漢字語としての意味が同じである。 •「~前(に)節」と「~기 前(에)節」は通時的な文法化の過程が極めて類似している。(2)上記の(1)で述べた両言語にみられる共通点には、偶然の現象ではなく、必然的な理由が存在する。 •漢文体の「未…(いまだ…ず)」を翻訳する際に生じた不自然性を解消する方向に文法化が進んでいる。 •韓国語の「~기 前(에)節」の文法化をめぐっては、特に、「~하는 前(에)(日本語の「~する前(に)」に相当する形式)」という形式がなぜ存在しないのか、という問題にについて、テンス․アスペクトの全体的な体系を考慮し考える必要がある。
<ないでもらえる>계열의 의뢰표현― 각 형식의 사용실태 및 표현가치(정중도)를 중심으로 하여 ―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.63-83
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5,700원
本稿では<ないでもらえる>系列の依頼表現を①普通体の<ないでもらえる?․ないでもらえない?․ないでもらえるか․ないでもらえないか>、②丁重体の<ないでもらえますか․ないでもらえます?․ないでもらえませんか․ないでもらえません?>、③婉曲な質問形態を伴う<ないでもらえるでしょうか․ないでもらえないでしょうか․ないでもらえますでしょうか․ないでもらえませんでしょうか>のように、3種類に類型化し、[KOTONOHA「現代日本語書き言葉均衡コーパス」の[少納言]、オリジナル脚本配付サイト「はりこの虎の穴」、更に[Yahoo!ブログ][Yahoo!ウェブ]等の実例および作例を考察対象として、各タイプそれぞれの形式の使用実態を具体的に検討することによって、これらの形式が果して依頼表現として相応しい資格を備えているのか、また、これらの形式が表す表現価値(丁重度)は如何なるものかについて考察した。考察結果をまとめると以下の通りである。<ないでもらえる>系列の各形式を使用主体(発話主体)という観点から探ることにより、<ないでもらえるか>と<ないでもらえないか>は、<普通体+か>が持つ強い語感から、男性専用の言葉遣いとして一般的に女性は使用しないという点が確認された。これらの形式を除いた他の形式、即ち普通体の<ないでもらえる?․ないでもらえない?>、丁重体の<ないでもらえますか․ないでもらえます?․ないでもらえませんか․ないでもらえます?>、更に文末に婉曲な質問を表す<でしょうか>を伴った<ないでもらえるでしょうか․ないでもらえないでしょうか․ないでもらえますでしょうか․ないでもらえませんでしょうか>は、男女共用の言葉遣いと規定される。<ないでもらえる>系列の各形式を丁重度という観点からまとめると以下のようになる。先ず、普通体のタイプでは、<ないでもらえる?><ないでもらえない?>は普通体の言葉遣いとして気兼ねのない間柄において目下や同等な関係の親しい相手に使用するために丁重度は低いが、<ないでもらえない?>は文末が否定形態を取っているという点から<ないでもらえる?>に比べて相対的に表現価値は高くなる。また、<ないでもらえるか><ないでもらえないか>は、気兼ねのない間柄において目下や同等な関係の親しい相手に使用するために丁重度が低く、且つ男性専用の言葉遣いであるという点から、男女共用の言葉遣いである<ないでもらえる?><ないでもらえない?>に比べて表現価値は更に低く現れる。丁重体のタイプでは、<ないでもらえますか><ないでもらえます?>は普通体の<ないでもらえる?><ないでもらえるか>に比べ、また、<ないでもらえませんか><ないでもらえません?>は普通体の<ないでもらえない?><ないでもらえないか>に比べ、各々丁重度が高い。更に、<ないでもらえませんか>と<ないでもらえません?>は、文末に否定形態を取っているという点において、同一タイプの<ないでもらえますか><ないでもらえます?>に比べ、相対的に表現価値は高くなる。従って、<ないでもらえる>系列の丁重体は、多少改まった場において同等もしくは目下の相手に使われる。また、文末に婉曲な質問を表す<でしょうか>を伴ったタイプの丁重度が、<ないでもらえる>系列の依頼表現の中で最も高いものとして現れた。<ないでもらえるでしょうか>は丁重体の<ないでもらえますか․ないでもらえます?>に比べ、<ないでもらえないでしょうか>は丁重体の<ないでもらえませんか․ないでもらえません?>に比べて丁重度が高いが、<ないでもらえる>系列は<ないでいただける>系列に比べて表現価値が低いために、<ないでもらえるでしょうか><ないでもらえないでしょうか>は改まった場において、同等もしくは目下の相手に使用される。<ないでもらえますでしょうか>は文末に丁重の<ます>に婉曲な質問を表す<でしょうか>といった二重丁重の形態を取っているために、丁重度においては文末が<ますか․ます?>で終る<ないでもらえますか․ないでもらえます?>や<でしょうか>で終る<ないでもらえるでしょうか>よりも高い。<ないでもらえませんでしょうか>は文末に丁重の<ません>と婉曲な質問を表す<でしょうか>という二重丁重の形態を取っているといった点から、丁重度においては文末が<ませんか․ません?>で終る<ないでもらえませんか․ないでもらえません?>や、<でしょうか>で終る<ないでもらえないでしょうか>よりも高い。なお、<ないでもらえますでしょうか><ないでもらえませんでしょうか>は、改まった場において同等もしくは目下の相手に使われる。一方、<ないでもらえませんでしょうか>は文末に二重丁重の形態が使われているといった点からは<ないでもらえますでしょうか>と同一であるが、前者が内部に否定の形態を取っているといった点から、後者に比べて相対的に丁重度が高くなる。文末の肯定形態に注目した場合、<ないでもらえる>系列の依頼表現は<ないでもらえる?><ないでもらえますか․ないでもらえます?><ないでもらえるでしょうか><ないでもらえますでしょうか>の順に丁重度が高くなり、文末の否定形態に注目した場合、<ないでもらえる>系列の依頼表現は<ないでもらえない?><ないでもらえませんか․ないでもらえません?><ないでもらえないでしょうか><ないでもらえませんでしょうか>の順に丁重度が高くなる。
4,600원
本稿は、塚本(2009)が指摘した日韓語の複合動詞の類似点について批判的な立場から検討を加えたものである。塚本(2009)は、両言語の複合動詞の類似点として、①複合動詞は一般に「連用形」と呼ばれる形態をとった動詞にまた別の動詞が後続してひとまとまりをなしている形式である、②複合動詞には「語彙的複合動詞」と「統語的複合動詞」の二種類がある、③「V-V」タイプの複合動詞を見出すことができる、④V1がV2の手段や方法を表すものを見出すことができる、という4点を指摘した。本稿では、この4点について批判的な立場から検討し、その結果として、①複合動詞はV1の形式を「動詞語幹」という概念を適用し、「動詞語幹+動詞」「動詞語幹+介在要素+動詞」のように分析することができる(但し、日本語の一部の場合において付加条件が必要)、②複合動詞には「介在要素無しタイプ」と「介在要素有りタイプ」の二種類がある、③「v-V」タイプの複合動詞が存在する、④所謂「並列」複合動詞と呼ばれるものが存在する、という4点を本稿における類似点として指摘する理由も述べながらそれぞれ提示した。
4,200원
本稿は日本語における動詞の名詞化(とりわけ動詞派生名詞)について考察したものである。日本語動詞の名詞化をめぐっては様々な知見からかねてより多くの研究がなされてきており、特に「動詞的名詞」や「連用形名詞」などのような名詞類を中心にその意味解釈上の特徴および構文内における文法的振る舞いがよく引き合いに出されている。本稿では西山(1993,2010)で議論された「飽和化(saturation)」という語用論的操作の問題を取り上げ、名詞を「飽和名詞」と「非飽和名詞」とに分類したうえで、「動詞的名詞」や「連用形名詞」などの動詞派生名詞を、構文要素との共起などのような「飽和化」が必要な「非飽和名詞」に属するものとして見なす。こうすることによって、連体修飾節での両者の文法的振る舞いの相違のほか、意味解釈上の特徴までをも明らかにすることができ、つまるところ、日本語の「動詞派生名詞」の諸相にせまることができると考えられる。とりわけ本研究の主眼は、日本語の動詞派生名詞が連体修飾節のような構文環境で示す「名詞としての不完全性」をいかに「飽和化」ないし「飽和性」と結び付けられるか、にこそあると言える。
한·일 근대소설을 소재로 활용한 관광스토리텔링 양상 비교 고찰 ― 부산과 마쓰야마를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.111-123
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4,500원
本研究は、韓日近代小説を素材として活用した観光ストーリーテリングの様相について考察した。論者がこれまで分析したものを要約すると次の通りである。まず、松山がその都市の価値を高め観光客を誘致できたのは、都市に潜んでいる小説や俳句に関する物語を観光商品化させたためである。松山は漱石や正岡子規らに縁故のある作家の作品や文学物語を観光ストーリーテリングして、約588万名の観光客が毎年松山を訪れるようにした。釜山は松山に比べ天恵の観光資源が不足しているわけではない。これまで釜山で文学関連観光ストーリーテリングが成功しなかった理由は、小説の中に埋もれている釜山やそれに関連した鉱石を見つけて、発掘した物語を練り直し、それを産業に活用して地域経済を活性化させようという知恵が足りなかったからだと判断される。第二に、松山の数百という商店では漱石の小説を素材に活用して、全世界の観光客を呼び寄せるだけでなく、漱石の文学作品に登場する団子․コーヒー․焼酒․ビ―ル等から坊っちゃん団子․漱石先生コーヒー․赤シャツ焼酎․坊っちゃんビ―ル等を作り上げ、観光商品として販売している。国際的な観光都市を標榜する釜山では小説の中から発掘した物語を文化コンテンツにするという初歩的作業もまだろくにできていないのが実情である。韓国近現代小説の中から釜山や釜山に関連した玉石を見つけ出し観光ストーリーテリングする作業と同時にそれを活用して釜山を代表する観光商品を作り出す作業も共に講究すべきであると考える。第三に、『万歳前』の主人公李寅華が釜山に初めて足を踏み入れた船倉は当時の釜山桟橋で、現在釜山港国際旅客ターミナルがある場所だ。故に、釜山北港に新しく建設される釜山港国際旅客ターミナルに廉想渉の銅像と『万歳前』に関する記念碑を設置することを提案したい。
4,800원
本論文は、戦後直後日本の思想及び言説に大きな影響をあたえたと評価されている雑誌『近代文学』において、「文学」という概念はどのように構成されるのかについて考察することを目的とする。戦後直後共産党の理念をもつ新日本文学会が文学界において大きな力を得るなか、それに対抗しようとした『近代文学』の同人は、「芸術至上主義」としての「文学」を提示したことでよく知られている。こうした理解に対し、本稿ではこの概念は、実は美学的なものではなく、「政治」的な「正義」よりは「いま․ここ」を重視すべきだという、倫理性に基づいた「文学」概念であるととらえる。こうした「文学」概念を主張することによって近代文学派は、新日本文学会の倫理的な優越性に基づいた「文学」に対抗することに成功するものの、戦争中の文学者たちの戦争責任といった重大な倫理的な問題を後日に回すこととなる。と同時に、近代文学派は、当時の時代的な用語である「民主主義文学」や「肉体文学」に対しても、距離をもっていたことが確かめられる。そこでは「民主主義」という用語が、新日本文学会をはじめとする共産主義側か、GHQの政策に無批判的に従う一部の作家たちによって先に使われたという理由による。1946年まで「文学」概念において具体的な内容をもっていなかった近代文学派は、1937年から戦時の知識人によって激しく批判された「近代」という概念を、西洋的な意味での「主体性」を意味するものとであると同時に、日本にまで定着していないものとして、新しく定義する。丸山真男とほぼ同じような時期、同じような形でなされたこのような行為によって、近代文学派の「文学」は、「近代の文学」という具体的な理念的な内容をもつことになる。こうして成立した近代文学派の「文学」概念は、戦争に対する認識に基づいていて、そのあと続く戦争にまつわる語りに大きな影響を与えることとなる。が、その一方で近代文学派の政治性は、今日日本における保守的な性向においても少なくない影響を与えたという点において、依然として問題的である。
5,200원
「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」という歌は、韓日併合を批判するものとして知られている。最近、近藤典彦がその句の入った歌群「九月の夜の不平」の歌の配列が大いに異なっていることを明らかにした。それによると、この歌群(原本でのB歌群)の歌の多くが、明に暗に日韓併合に対する批判である可能性が濃厚であると言える。今回本稿では、併合と同時になくなった「韓国」の代わりに、啄木が歌の中で「朝鮮国」と「国」の文字を敢て入れている点に着目し、啄木が「国」という文字に歌の中で拘って用いた理由とその意図について考察することを目的とした。啄木は、ポーランドの滅亡に深い同情を寄せていたこと、更に、伊藤博文を殺害した安重根に極刑がなされぬよう、「事に当たる者の其途を誤る勿らん事を望まずんば非ず」と出来得る限りの穏便な処置を願ったことが知られている。このような啄木が「朝鮮国」という文字を単なる七音の字数合わせとしてしか考えていなかったとは考えられず、この歌集の成立過程にも垣間見られる周到な注意と深い意図から、併合された韓国に対する哀悼を形で示したいという深い意味が潜んでいたと考えられる。
오에 겐자부로의 『짓밟히는 싹들(芽むしり仔撃ち)』일고찰― 멘토로서의 탈영병의 역할에 주목하여 ―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.159-173
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4,800원
『芽むしり仔撃ち』は大江が23歳になる1958年6月に発表した初めての長篇小説である。1950年代後半の日本は朝鮮戦争の特需ブームに支えられ、敗戦の社会․経済の破綻から奇跡的な復興を遂げた時期でもあった。戦争は無かったことのように思われ、同時代の日本社会は享楽的な大衆消費社会の大波に押し流されていた。この作品はまさにそういう社会の雰囲気に対抗して投げる、同時代に向けた大江の挑戦状と言える小説である。この小説のテーマは、小説の終わり部分に出る主人公の「僕」のセリフ「俺はそれを黙ってはいないぞ。俺たちがやられたこと、俺たちが見てきたことを全部しゃべってやる」に全部表現されていると言える。すなわち青年作家大江は、少年の口を借りて自分の決意を表現している。それは自分が少年時代に体験してきた戦争を忘れずに記憶し、必ず後世に証言するという絶叫であったに違いない。しかし、このような宣言は道徳的優越感を持った者の傲慢な宣言ではなく、限りなく不安で孤独な出発であったことを作品を通じて表現している。また、この作品は同年に発表された『飼育』と多くの共通点を持っているが、抵抗精神が具体的に現れる点で大きな違いを見せている。本稿はこのような抵抗精神が現れるようになる背景には脱走兵というメンター メントがいたことに注目した。超国家主義が高まっていた戦争末期に国家という巨大な共同体のイデオロギーにはめこまれず、「個人の尊厳」を悟らせてくれたメンターとしての脱走兵の存在は非常に重要であるといえる。大江は最近の講演で自分の文学の目的は「時代を記憶して、それを証言すること」と明らかにした。「日本の良心」「行動する知性」と呼ばれる大江が青年時代に表明した「時代の証人になる」という決意が浮き彫りにされている本作品『芽むしり仔撃ち』は大江を理解する出発点として不足のない作品だと思える。
러일전쟁 전후 한반도의 일본어잡지와 일본어 문학의 성립―『한국교통회지(韓國交通會誌)』(1902~03)와『한반도(韓半島)』(1903~06)의 문예물을 중심으로―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.175-194
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5,500원
本論文は1902年から1906年まで朝鮮半島で発行した在朝日本人による雑誌『韓国交通会誌』と『韓半島』における小説、短歌、俳句などの文芸物を通し、日露戦争を前後し朝鮮半島で創作された日本語文学を分析したものである。『韓国交通会誌』と『韓半島』における日本語文学は次のような特性があると見られる。まず、植民地文学の最もの特徴である朝鮮半島という空間性を強調し、現地の地名、人物、事件などを前景化させ、朝鮮的な歌枕を積極的に取り入れることにより、その後の日本語雑誌『朝鮮』の<文芸>欄、及び1910年代の日本語文学の中心課題である朝鮮現地の風物と在朝日本人の暮しをどのようにテーマ化するかという問題意識をいち早く具現しようとしたところである。次は、小説ジャンルでは1900~20年の在朝日本人や日本語文学をめぐる社会的・文化的・文学的な言説の主要な課題であった郭と在朝日本人の堕落の問題を作品の中心に位置づけている点である。それから、短歌や俳句などの伝統的な韻文ジャンルでは、植民地主義に照応し朝鮮(人)に対する差別的な目線と、大陸へ雄飛する日本人像が描かれているが、場合によっては朝鮮半島に移住した在朝日本人の不安と疎外意識と錯綜していることも少なくなかった。このような意味で、『韓国交通会誌』と『韓半島』の文学作品は、その後展開していく朝鮮半島における日本語文学の多様な言説と論点、そして作品のテーマ性を集約的に見せ、いわゆる朝鮮半島の現地化を通じ植民地文学への道を提示したと考えられる。
가게키요(景清) 전설 전개에 관한 소고(小考)― 중세·근세 시대 수필을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.195-207
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本稿で取り上げる「景清」は、『平家物語』で平家の侍の一人として登場する。その後景清が主人公として登場する景清物、すなわち謠曲『景清』․『大仏供養』․『籠景清』、幸若舞曲『景清』、古浄瑠璃『かげきよ』、新浄瑠璃近松門左衛門『出世景清』を通して少しずつ景清のイメージが拡大して行く。中でも景清が平家の残党の集約体として、最も英雄らしく描かれている作品は中世劇芸術の幸若舞曲『景清』であると言える。景清はこの作品の中で、平家の復讐․源頼朝暗殺の試み、側近および情人の裏切り、牢破り、観音の身代り、源頼朝の赦免、景清の両眼抉り等、絶滅した平家残党のエピソードを統合した人物として登場している。このように、平家の一人の侍に始まり、後に平家残党の集約体を象徴する人物として登場する景清の描かれ方の変化がなぜ起こったのかという疑問は、景清に関する多くの研究を生み出した。これに関する日本での研究は、大きく二つの流れに分けることができる。民俗学的方法を通した景清の研究と『平家物語』に現れる景清の研究である。またこの他にも、景清伝説の拡大の背景には『三国志演義』と関連があると言及する北村伸明のような研究もある。ただし、ここで注目しなければならない点は景清伝説に関する問題である。景清伝説に対する記述は中世近世時代の書籍に見ることができる。その中でも近世の書籍は、ジャンルが随筆․啓蒙書․地誌․歴史書․戯作文学等と多岐にわたり、その数も膨大だ。しかし近世の書籍に記述された景清に関する日本での研究は、そのほとんどが劇文学に集中しており、仮に地誌․随筆に関して言及したとしても、大体が景清に関連する伝説の目録だけを羅列したり、地誌․随筆のうちの1、2冊を調べて記述するにとどまっている。これに対し論者は近世の随筆․啓蒙書․地誌の中での景清に関する記述を調査し、近世の書籍では景清に関する伝説がどのように描かれているかを調べる。ただし本稿で景清に関するすべてのジャンルを扱うのは難しいため、景清について言及している随筆․啓蒙書を中心に調べる。具体的に景清伝説について書かれている日記․随筆․啓蒙書を内容別に分類して、分類された内容を再び年度順で分類する。本稿で扱う景清伝説についての研究は景清伝説が事実如何の問題に焦点を当てるものではなく、日本全域に広まっている景清伝説が中世近世時代にどのような様相を見せているかを明らかにするものだ。このような研究は景清が平家残党の集約体として登場することになった背景を明らかにする糸口になると考えるとともに、景清の一面をさらに明確にするものであると考える。
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本稿で取り上げた問題は源氏物語の松風巻において明石の君が大堰山荘に移住する意義についてである。光源氏は澪標巻で明石姫君の誕生を知った時、明石の君を京に迎え入れるために二条東院を造り、彼女に上京を促す。しかし明石の君は「身のほど」意識による身分の格差を実感して、都の世界である二条東院に参入することを躊躇する。明石の君は苦悩の挙げ句、母祖父の「中務宮」伝来の大堰山荘に移り住むことになる。大堰の地は平安京近郊にある遊覧の地であった。物語がここに至ってわざわざ大堰山荘を想定した必然性について論議の対象となっている。明石の君が大堰に移住する意義について、「光源氏の誠意を確認するための期間」、「さすらいの忌み籠りの生活」、あるいは「禊としての鄙性を浄化」する場などの解釈がなされている。本稿はこのような論を受け入れながら、王権との関わりを多角面的に突き詰めて行くものである。「中務宮」は『紫明抄』等の古注釈書で一貫して兼明親王に準える人物として指摘されている。その兼明親王が作った祭文を五行説や神話を媒介にして検討し、物語における大堰の地への移住の意味を明石一族の繁栄と関連して明らかにする。次いで、本文における明石の君一行が大堰の地に移り住む際の場面描写やその時に詠んだ明石の君の歌から大堰の地の身の潔斎としての役割や祖霊、特に皇室の祖と繋がりのある地であることを明らかにする。
<赤穂事件>を扱った近世日本演劇の作劇法―『仮名手本忠臣蔵』と近松作品を中心に ―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.221-232
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On December 14th, 1702, 47 killers of Ako including Ooisikuranoske attacked the Kira mansion suddenly, and in February of the next year, they were ordered to commit suicide by disembowelment. And people call this incident as <Akojiken>. And in August, 1748, 47 years after that, Ningyojoruri [Kanadehonchusingura] was performed, and it is appreciated to have compiled the previous <Chusingura Series> taking <Akojiken> as their subject matter. There have been about 300 or more research achievements about [Kanadehonchusingura] or <Chusingura Series> so far; however, there has not been much comparison or analysis on Ningyojoruri <Chusingura Series> as a process of improvement/development to complete [Kanadehonchusingura]. Thereupon, this article compares and analyzes [Kanadehonchusingura] and its models of Chikamatsu’s works, [Kenkohousimonomiguruma] and [Gobantaiheiki], in order to analyze their correlation with advanced works and figure out the process of <Akojiken>’s dramatization that the proceeding Chikamatsu’s works lead up to [Kanadehonchusingura]. As a result, Chikamatsu’s dramatization on <Akojiken> is very significant in that it is the start of Sekai and Shuko. It is deemed that in Chikamatsu’s two works, the chief structure of [Kanadehonchusingura] including the human characters of [Taiheiki]’s Sekai and Yuranoske, the rake, Intention of the love, Tragedy of the [Yamasinahankyo], is already formed. Also, the tendencies of making Japanese plays dealing with <Akojiken> can be summarized as follows: 1. The world of Edo Shogunate and modern plays, 2. The original theme for Joruri drama (secular conflict), 3. The progression of dramatic taste. Based on what is written above, it can be established that [Kanadehonchusingura] is a classic work that moves the public audience beyond time.
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幕末から明治維新にかけての十数年間は、おそらく日本の歴史上もっとも変化が激しい時期であったといえる。社会全体が今までとはまったく異なる方向に転換し、それによって町の風景も人々の姿も変化していく中で、戯作者たちは自分たちもその変化の渦中にありながら、周囲の人間群像を表象しつつ、またそれによって自分の意見を提示していくのである。これまでの研究では、戯作は無思想な文学で、それに思想性を要求すること自体が無理であるとされてきたが、本稿では仮名垣魯文の『安愚楽鍋』や高畠藍泉の『怪化百物語』を中心に、文明開化という状況に対処する戯作者たちが作品を媒介にして表明した当時の社会に対する態度を分析した。その結果、 戯作者たちには文明開化による当時の社会変化の時流に乗って順応しようとした者と、それに逆らって激しい批判を繰り広げていた者が共存しており、彼らによって執筆された戯作作品は非政治的な扱いをされながらも、実は当時の社会に対して非常に政治的にも敏感な反応を見せていることがわかった。つまり、戯作者の中には文明開化に対する態度に温度差が存在しており、それは戯作界のみならず、当時の日本人の心底を代弁していたと言える。
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芭蕉において芭蕉庵をはじめとするあちこちでの庵子での生活は、彼の俳諧世界が当時の俳壇の矛盾するところを克復し、改革していくための跳躍のきっかけをつくる役割をしたと評価でき、それは芭蕉の俳人人生においても掛け替えのない大事な時間であると言わざるをえない。そして芭蕉には庵子での生活が經濟的には滿足できない環境であったにもかかわらず、自分が選択し、決定した庵子での生活に充実しながら自分の究極的目標を成し遂げるために邁進していく芭蕉のすがたを通して彼の俳諧にたいする情熱と努力がうかがえるのである。芭蕉において庵子での生活は庵子が単に彼の体の安息處で使われることに止まったのではなく自分の俳諧を改革したり、精製していく過程のの前哨基地として使われたり、場合によっては世に厭症を感じてそこから離れたい時には、彼岸するところとして使われたりもしたのである。このように芭蕉において庵子の役割は、自分の俳諧世界を改革し、発展させていく過程において見逃せない大事な役割を果たしたと評価できるのではないかと思われる。
동일본대지진 이후 일본에 있어서의 새로운 국가비전에 관한 논의와 일본정치의 변화
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.261-270
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日本の論壇においては東日本大震災が持っている象徴性に大きな意味を付与し、この大災害を契機に新しい国家ビジョンに基づいた日本を作り上げるべきであるという議論が盛んに行われている。しかし政界においてはそのような認識が薄い。そしてそのような政界の認識はあらゆる部門における閉塞状況から新しい突破口を熱望している日本国民の意識からかなりずれている。この認識の差を反映しているのが史上類例のない無党派層の増加である。このような状況の中で多くの新しい政治勢力が新しい国家ビジョンを掲げて登場している。その中で現在もっとも注目されているのが橋本徹大阪市長が率いている大阪維新の会である。ただ橋本が率いている政治勢力が今後衆議院選挙において多くの議席を確保し、民主党と自民党との間でキャスティングボートを握るほどの勢力に成長するならば、日本政治はさらに流動化し、頻繁な政権交代が行われるようになるであろう。
동일본대지진 보도와 대일이미지의 구성― 조선일보와 한겨레신문의 대일보도 비교분석 ―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.271-289
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東日本大震災以後、韓国のマスコミは日本に対する膨大な量の記事を量産した。本研究は、当時の1ヶ月間の国内新聞の対日報道の内容分析を通じ、韓国の新聞が日本をどのように表象し、どのようなイメージを醸し出していたのかを、国際報道の観点から探ってみたものである。とりわけ3月11日の東日本大震災以後の対日報道は、3月30日に獨島(竹島)領有権を主張する内容を掲載した日本教科書の検定結果が発表されることを機にその論調や対日イメージ構成に変化が現れている。本稿では長い間日韓両国の葛藤要因としてあり続けた教科書問題と領土問題が再点火することで、対日報道の論調やイメージにどのような変化が起こり、またそれが韓国の代表的保守紙である朝鮮日報と進歩紙を代表するハンギョレ新聞の間でどのような差を見せているのかを比較分析した。結果、両新聞は共に、災害に対処する個人としての日本市民に対しては交流や協力の対象としての肯定的かつ友好的イメージを描いていたが、震災や原発事故の対処に無能かつ無責任な集団としての日本社会システムや日本政府․支配層に対しては否定的かつ批判的イメージを描いていることが分かった。また教科書問題の登場は、日本人に対するイメージも逆転させ、秩序ある成熟した市民から無批判で無力な国民へと変化させていった。日韓の葛藤局面が浮上される度に繰り返される国内新聞の自文化中心的かつ国家主義的報道論調および対日イメージをみる限り、正確かつ客観的な国際報道や日韓関係の改善という観点から新聞の役割とは何かを改めて再考する必要があると言える。
1910년대 식민지제국일본의 전염병 방역대책― 조선전염병예방령을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제92권 2012.08 pp.291-307
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韓国統監府と朝鮮総督府は1907年に発生したコレラと1911年に満洲で流行したペストに対して、軍․憲兵․警察官を中心とする水際対策によりその防御に成功した。軍(憲兵)と衛生警察が中心となった防疫対策を通じて植民当局は、朝鮮民衆の日常生活に武断的且つ暴力的に介入し、民衆を自警団や衛生組合へと組織した。寺内総督の医学教育に関する関心の低さもあり、以後朝鮮総督府の衛生政策は医学教育機関の拡張よりも、憲兵と衛生警察による伝染病予防対策に力を注ぐようになった。朝鮮総督府は第一次世界大戦の勃発と共進会の準備をきっかけに伝染病予防令を制定した。1915年6月に発布された伝染病予防令は、衛生行政における衛生警察の主導権を承認した法令であり、これに対しては内務部が猛反発している。それは警務部長は同令をもって衛生組合の設置․組合費․役員及び評議員に関する事項․規約違反者の制裁に関する事項など規約全般への関与及び変更が可能だったからである。台湾伝染病予防令施行規則にもないこれらの項目が設けられることによって、衛生組合は地方自治団体の協力機関ではなく、警務部長の指揮․監督を受ける一種の防疫自衛団化していったのだった。
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葛井寺は西国三十三観音霊場の第五番札所として知られる名刹で、本尊の乾漆千手観音菩薩坐像は天平時代を代表する優作として国宝に指定されている。本稿は、この千手観音像の制作時期や造像背景について考察したものである。まず、制作時期については、先行研究の検討によって、葛井寺像が様式的には天平十九年(747)を下限とする法華堂不空羂索観音像にもっとも近く、その制作時期は鑑真来日の天平勝宝六年(754)以降につくられたことを明らかにした。また、造像背景については、葛井連広成とその室県犬養八重夫妻の聖武天皇との関係を考察し、とくに天平十四年の皇后宮における宴および天平二十年の聖武の広成宅への行幸にともなう昇叙に注目した。この二回の破格的な出来事により、広成夫妻は末端ながら貴族の班列に入ることができ、広成夫妻と聖武との関係は格別であったと考えられる。聖武は天平勝宝八年に河内を経て難波宮への最後の行幸をおこなったが、葛井寺像はこの際に葛井氏によって発願がなされ、朝廷の援助によってつくられたと推論した。
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