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1973 (6)
江戸洒落本에 보이는 助動詞 「ます」의 명령형 「ませ」와 「まし」에 관한 고찰― 「まし」의 정착을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.1-14
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4,600원
本稿は、近世後期の有力な江戸語資料である江戸洒落本を対象にして助動詞 「ます」の命令形 「ませ」と「まし」について考察したものである。特に明和~文化期(1764∼1817)の江戸洒落本88種の具体的な分析結果に基づいて「ませ」の減少と「まし」の増加、即ち「まし」の定着過程の中で見られる全体的傾向、つまり地域、資料(江戸洒落本と江戸噺本及び黄表紙)、位相(男性語と女性語)、時期(明和と安永)による遅速差とその原因を検討するとともに、定着の完了時期も推定してみた。その結果、幾つかの特徴的事実が指摘できたが、これをまとめると、大体次の通りである。①地域的な面から見ると、江戸語における「まし」の定着は上方語よりはやい。②資料的な面から見ると、江戸洒落本における「まし」の定着は江戸噺本及び黄表紙よりはやい。③位相的な面から見ると、女性語における「まし」の定着は男性語よりはやい。④明和期には「ませ」の優位が、安永期には「まし」の優位が認められ、明和期と安永期間において対立的な様相を見せる。⑤「まし」の定着の完了時期は天明期と推定される。要するに、このような考察を通して命令形「まし」の定着は地域、資料、位相によって遅速差を見せながら進んだということと、時期によって対立的な様相を見せながら進んだということ、更に定着の完了時期が分かるようになった。特に、このような事実は江戸洒落本の資料性、つまり口語資料としての評価が高いことを考慮に入れると当時の江戸語の一般的な様相を反映したものと思われる。
4,900원
本稿は、形容詞活用の成立について先行研究を踏まえて私見を述べたものである。主な結論は次の通りである。1) 形容詞は前(原始)日本語の段階において語幹の形で多様な用途に用いられたが、各用法に対する明確な表現形式の要望によって文法的機能を持つ語尾が付いて活用語として成立するようになる。2) シク活用の終止形シは、形状言をつくるため、安定性を与える要素として添加されたものなので、文を終止する文法的機能として用いられるク活用の語尾シとは異なるものと考えられる。3) シク活用の終止形にシが付かなかったのは、同じ音が連続したため一つになった(あるいは、脱落した)とみられ、「~シ」の形で成立していた語幹の末尾シが終止形語尾として機能を果たすようになったものと判断される。4) ク活用・シク活用意味の違いは、成立の時期のずれによる結果的な意義の相違と考えられる。5) 活用形は、連用形・連体形・終止形・未然形と已然形の順に成立し、①連用形クは動詞性・情態性の意味を持つ語に副詞的機能をたしかにするために添えられたものと 同等のもの、②連体形キは連用形クに名詞形語尾〈i〉が接続して前の母音が脱落して成立したもの、③終止形シは古代日本語において「状態を指示する意味」として多様に用いられたものとして、アリよりもさらに静止的・状態的な叙述形であったもの④未然形・已然形は、時制の区別が必要でない形容詞は一つの条件形として十分であったため、同じ形(ケ)であったと見られ、連体形キに被覆形aが付いて [ki+a→ke] 成立したもの、ケレは二段動詞の已然形の影響によるもの と考えられる。
4,200원
本稿は、朝鮮総督府官報に掲載されている「朝鮮訳文」の韓国語文と、当代の他資料との比較検討を通じて、日本語を韓国語に訳する際、日本製漢字語を多数取り入れたり、漢文体を採用するようになった背景等について考察したものである。漢文体に関しては、『独立新聞』のように、その採用に批判的な立場がある一方、池錫永と林圭のように違った観点を持っている人物もいた。要するに、漢字語を積極的に採用することによって、外国の文物を理解しようとする試みも一方にはあったのである。とりわけ、林圭の場合は『日文訳法』のなかで、朝鮮総督府官報に先立って日本語の文語体を韓国語に対訳する方法を提案しており、それがほとんど「朝鮮訳文」に受け継がれている。「朝鮮訳文」のもつ韓国における日本語教育史での意義の一つとして、日本語学習にたいする現実の必要に応じて司譯院で『捷解新語』のような日本語学習書が作られる時代から、民間主導の学習書製作の時代を経て、官、つまり朝鮮総督が強制する形に転換した時代に、初めて公にされた産物の一つであるということを挙げることができよう。このような流れのなかで、「朝鮮訳文」は後続研究を促す触媒としての役割も担っていたものと考えられる。
4,000원
In mainstream composition classes, students focus on translating and teachers correct them rather than the student being conscious of the reader. Recently, peer response has become a popular method of assessment; however, in Korea, there are many limitations. Utilizing Japanese readers who understand no Korean enables Korean students in that they cannot rely on their Korean abilities, and this motivates them to write better because they are more conscious of the reader. The knowledge that there will be a Japanese reader removes the limits of the peer response. In this study, Japanese students were remote tutors via Skype in a composition class. There were four benefits for the Korean students: freedom from translation, awareness of cultural differences, ability to internalize the writing process, and ability to write what they want to convey.
4,300원
本研究では、親友に会話の録音調査への協力を依頼する電話会話を資料とし、発話機能を中心に韓国語と日本語の「断り談話」における依頼する人と断る人の言語行動を考察した。韓国語の依頼者の発話からは「条件緩和」や「条件提示」の機能が、被依頼者の発話からは「代案提示」の機能が多く観察された。一方、日本語の依頼者の発話には「相手への同意」や「謝罪」、被依頼者の発話には「依頼者への配慮」や「冗談」の機能が目立っていた。このような結果から、韓国の依頼者の場合、断ろうとする、あるいは、既に依頼を断った相手に対し、その意志を確認しながら依頼内容を緩和して言ったり相手の興味を引きそうな新たな条件を提示したりすることで依頼を引き受けてもらうよう努めるストラテジーが用いられると推察した。日本の依頼者の場合は、断りの意向を表現した相手に対し、無理して相手に依頼を受けさせようとするより相手の意見に同意を表明したり突然の電話やお願い事について謝ることで、相手との今後の関係に重点を置いているように思われる。依頼を断る人は、韓国語の場合、直接的に断りの意思を表明する代わりにその理由を説明したり代案を提示したりすることで、相手との関係維持に努めていると判断される。日本語の場合、直接的に断りの意向を表現することは少なく、依頼者の困っている状況や大変さを心配したり、冗談を言い雰囲気を和ませることで以降、依頼者との円満な関係を維持しようとしているように考えられる。
4,500원
本研究は、日本人という集団に対するイメージが日本人との接触において先入観として作用しうる側面に注目し、先入観の実態を究明するためのツールを開発するものである。韓国人大学生の日本人イメージについて内容調査、構造調査、尺度抽出調査といった3段階の質問紙調査を実施し、25項目からなる内容中心の日本人イメージ尺度を導き出した。尺度は「侵略者・支配者」「気遣う原則主義者」「自己表現者」「非自己開示者」「働き者」の5つの下位尺度から成り立っており、これらの視点が韓国人大学生の日本人に対する先入観として存在することを確認した。次に、下位尺度の平均値を比較分析し、日本人イメージの強さを検討した。その結果より、韓国人大学生は日本人に対して「気遣う原則主義者」としての認識が最も強いことを明らかにした。「気遣う原則主義者」としての認識は、日本人との接触場面において、異文化知識として機能すれば相手の行動に対する理解を深める方向に働くが、先入観として作用すれば個性を考慮しない画一的な判断を促し、相手に対する正しい理解を妨げる方向に影響すると考えられる。最後に、日本人イメージと直接経験・日本語の学習経験との関連については、直接経験と日本語学習が韓国社会の日本人に対する偏見(「侵略者・支配者」としての認識)の低減に寄与する可能性を示した。
1960년대 일본문학 번역물과 한국― ‘호기심’과 ‘향수’를 둘러싼 독자의 풍속 ―
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.79-93
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4,800원
本稿では、1960年代の韓国において日本文学の翻訳物が登場し、ブームとなる状況を韓国社会の時代性と読者の立場から分析した。まず、1960年代に何がどれぐらい翻訳されたかを確認し、それに対する批評や読者の声を集め、人気の理由と韓国社会に及ぼした影響を解釈した。出版社の好み、翻訳者の意図、読者の要求などによって様々なジャンルの作品が日本から渡ってきた。中には日本の大衆文学を指して底レベルの文化として取り合う価値すらないという批判があったり、あるいは韓国の若い世代が「日本風」に染まることへの懸念も語られた。一方では懐かしい旧友と再会したかのように、感激に浸る文学者もいた。いずれにせよ、まだ不安定な政治性に行き詰まっていた韓国文学に対する渇きが、日本文学を一挙に吸収する内的動機となった。そのため、日本文学のブームを文学的な従属というより、韓国社会が要求した欲求として解釈した方がより妥当に思える。もしも日本文学が表出する暴力性とエロチシズムを頽廃だとするなら、そういった低級さこそ結果的には韓国の読者が味わいたがっていた欲望の本質だったということになる。
4,200원
本稿は19世紀後半のキリスト教文献を取り上げ、韓日近代語の成立と翻訳の関わり方を論じるものである。従来の研究では植民地時代以降の資料を中心に日本語の影響と受容の問題が論じられてきたが、韓日近代語の成立を明らかにするためには前近代と近代の変り目の資料に基づいて両国の近代語の特徴を探る必要があるのではないだろうか。そこで、本稿では19世紀後半東アジアで翻訳された『天路歴程』という宗教小説を取り上げ、日本語訳と韓国語訳を比較することを試みた。その結果、日本語訳は漢字語をそのまま表記した上で固有語の振り仮名をつけることによってキリスト教思想を分かりやすく翻訳したことが明らかになった。それに対して、韓国誤訳は漢字語をハングルで音読して表記したので、キリスト教思想を表す概念が効果的に伝わらず、むしろ難しい翻訳語、翻訳文体になったことがわかった。
4,600원
本稿は、戦前の昭和日本を象徴する作家・横光利一の後期代表作『旅愁』(一九三七四六)をめぐる、これまでの評価や批判において作用してきた、ある規範を突き崩すことを目的とする。その規範とは、小説『旅愁』を「美学」的に救済しようとする態度である。小説『旅愁』研究史において「チロル」は、イデオロギーとは無縁な、純粋な文学テクスト空間として特権的に読まれてきた。しかし本稿の分析から明らかになったのは、小説『旅愁』における「チロル」とは、社会進化論的な発展史観を相対化する視点を確保する場所であったと同時に「日本人」宣言を行うような、極めてイデオロギー的で両義的な空間として物語の中にとどめられていたということである。横光利一『旅愁』における「チロル」は、単なる「美しい」場所ではなかった。
5,200원
近代日本の帝国主義は、一般人の海外への「移動」が支えていた。先端に立っていたエリートのみならず、生まれた土地に留まることのできなかった貧しい農民や都市労働者たちが中心だったことは注目に値する。彼らは「人工過多」という言説に支えられる形でアジアへ移住していったのである。敗戦後彼らは「引揚げ」を余儀なくされるが、その過程で多くの犠牲を払っており、そこでの加害と被害の交錯は日本人同士にも及んでいた。特に帝国が終って顕在化した冷戦構造の中で、彼らは心理的に分断され、それは戦後における「引揚げの忘却」にもつながった。日本の「戦後」における「引揚げの忘却」は帝国主義の清算を妨害する要素ともなっており、特に近年注目されるようにもなった証言など、この問題への関心が望まれる。
4,300원
本論文は、乱歩と歌舞伎の関係、そして「人間豹」の原作と歌舞伎との関係を考察したものである。考察の結果、乱歩が深く歌舞伎と関わり合っていたことが分かった。それは、日本探偵作家クラブ(1947、現在の日本探偵小説協会)の文士劇(作家による演劇活動)でも、歌舞伎を上演するほどであった。本稿では、当時の時代的思潮における大衆文化と、乱歩自身の作品制作との関係を、雑誌『講談倶楽部』を通して考察した。また、「人間豹」の中で使われている歌舞伎的要素としてのレトリック、歌舞伎の伝統的な形態、歌舞伎の中に表われている専門的キャラクターの特徴などからも、幅広く検討している。以上の全体的な考察により、「人間豹」が歌舞伎的要素をふんだんに取り入れている作品であることを明らかにした。
일제강점기 제국일본 문학의 번안 양상― 1920년대 『매일신보』 연재소설 「汝等의 背後로셔」를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.151-165
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4,800원
本稿は日帝時代における帝国日本の文学の翻案様相をうかがう一端として、『汝等の背後より』と「汝等의背後로셔」を比較することで、翻案作品が民族の問題を如何に扱っていたのかを考察してみたものである。それは植民地文学では当然ながら現れる被支配者と支配者とのあいだに生ずる対立構図をあいまいに処理したり、敵対感情を弱めたりした。たとえ原テキストの意図が「人類解放の一つの戦線を支持する」ためであって、朝鮮(人)と日本(人)の対立構図がいらなかったし、また二重言語の状況が解消されたとしても、当時被植民地者であった朝鮮人の読者が、果たして自分たちを素材とした帝国日本の文学を読みながら民族の問題を排除することができるだろうか。この論議は原著者である中西伊之助の朝鮮にたいする認識を問題にしたり、「朝鮮に親しい同志」という中西伊之助にたいする認識を再考したりする作業ではない。彼は以降も朝鮮と日本のプロ文壇との連帯及び朝鮮文学を日本に知らせるために努めた。一つ確かなのは、原著者の朝鮮での体験いまにも朝鮮人に殺されるかもしれないという恐怖が再現する場面で、朝鮮人と日本人との対立構図と敵対感情が、翻案するなかで弱くなった点である。朝鮮プロ文壇と日本プロ文壇とのあいだの組織的な連帯という美名の下に、むしろ翻案作品が被植民地者である朝鮮人が認識すべきであった冷厳な現実認識にたいする機会を逃せる結果を招いたのかもしれない。
「3.11」동일본대지진과 柳宗悅의 民藝論― 사회개량·재건 사상으로서의 민예의 가능성 ―
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.167-178
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2011年3月11日に起きた東日本大震災以来柳宗悦の民芸論の思想と哲学が再び関心を集めている。地域社会と市民の個人主義がもたらした人と人との関係性の問題が今回の大震災によってさらに明らかになった。柳宗悦が理想的な世界として主張した「正しい美」とは「正しい社会」を前提としている。正しい社会は産業資本主義によって失われた人間性と生活の様式を回復し、伝統的な日本の生活様式を守ろうとした社会改良運動の性格が強い。東日本大震災という世界最大級の揺れと凶悪な津波と福島原発の放射線汚染の大惨事を経験した日本は社会改良と再建のイデオロギーとして民芸が静かなブームになっている。産業化と都市化で伝統的な村という共同体が消滅され制限的で個別化された出会いが中心になる‘匿名性’の生活空間に対して疑問を抱き都市化、産業化で破壊された社会関係網の再生復元の作業と自然と人、人と人の間の関係を考える共同体の価値回復の運動として民芸が新たに注目されている。民芸が単なるモノの世界を語るものではなく、モノを介して生活を豊かにするという運動でもある。柳は具体的な民芸という概念をとおして機械文明によって断絶された生産者と使用者の関係性、そして道具を使用する人が喪失した人間性の問題、生死のような人間の本質的な問題までを哲学的、宗教的に考えている。このような柳の民芸論は道具と建築物、村、自然が有機的に関わる全体的な人生の指向性に対する問題意識でもある。それは「3. 11」以降、地域と人間関係を殆んど失われてしまった東日本地域の人々と私たちのこれから人生を考えるときの重要な問題を示唆している。
4,600원
従来、田山花袋の『田舎教師』は、主にモデル小説という見地から捉えられてきた。しかし、この作品は実在の人物がモデルとなってはいるが、決して事実の忠実な再現に重点が置かれているのではなく、随所に虚構を織り混ぜることによって読者に何かのメッセージを発信しようとしたと思う。本稿では、『田舎教師』を読み解く上で、主人公清三の自由の束縛と逸脱の行為、オルガンとピアノの音に象徴されるところの夢と現実の落差、清三の遺志を受け継ぐ存在として描かれている秀子という人物の造型、そして東武鉄道の開設などに注目して読解を試みることによって、この作品における<東京>と<地方>、<都会>と<田舎>という対比的な構造について探ってみたい。
전후 고도경제성장기의 도덕적 국민― 미시마 유키오(三島由紀夫) 「백만 엔 전병」(百万円煎餅)을 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.193-205
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三島由紀夫の「百万円煎餅」は『新潮』1960年9月号ㅎに発表された短編小説である。このテキストは、1960年代日本の高度経済成長期と大衆消費社会をその背景としている。本論文は「百万円煎餅」に表れている百貨店と遊園地の表象と、1960年代の大衆消費文化と国民道徳の問題などを考察したものである。そして、同じ時期に発表された「憂国」との比較をとおして、三島由紀夫の過去回帰の思想について考察した。1960年、池田内閣は所得倍増計画を立て、マスコミは競争的に冷蔵庫、テレビ、洗濯機などの耐久消費財を備えた幸福そうな家庭の様子を映した。それで、高度経済成長期には堅実に働いてお金を貯めれば誰もが裕福な家庭を築くことができるというイメージが形成された。「百万円煎餅」における健造と清子夫婦はこのイメージを追って堅実に生活している。しかし、実は彼らは自分の性行為をお客に見せて、お金を稼いでいる。そして、自らも幸福を感じていない。一方、「憂国」の武山中尉夫婦は、夫婦の性生活も含めて、全てが「教育勅語」の「夫婦相和シ」の訓えにかなっていたのである。最後には武山中尉夫婦は「至福」を感じながら死んでいく。両テキストの差は、1960年と1936年という時代背景の差、そして、「戦前」と「戦後」、「大衆消費文化」と「天皇イデオロギー」の差であるといえる。同じ1960年に書かれた「百万円煎餅」と「憂国」は、双子のようなテキストであり、1960年以後、三島由紀夫が日本伝統と天皇イデオロギーの回復を唱える時代錯誤的な思想に傾斜した契機が垣間見られるテキストであると考えられる。
근세기 일본 재판 소설(比事物) 『혼초 오인히지(本朝桜陰比事)』에 보이는 여성 인식 연구
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.207-221
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『本朝桜陰比事』は日本初の比事物である。本作の位相、先行作品や典拠との影響関係に関する研究は多いものの西鶴の他作品に比して高く評価されているとは言難い。本稿では『本朝桜陰比事』に「裁判」を通じて社会の葛藤とそこから発生される弱者の疎外、不条理など、他の作品からは見受けられない社会像が反映されているという点に注目する。作品に登場する女性像の分析を通じて以下の事が分かった。まず、性差別と共に主従関係の問題が女性奉公人の描写によって明らかになった。第二に、未亡人(後家)に関する描写も作中頻繁に見受けられたが、息子がいて「生命維持」可能な類型とそうではない類型に分れて描かれていた。つまり息子のいない未亡人に限って相続と性に対する欲望を露にし、これは当時の未亡人の立場を反映するものと見受けられた。最後に未亡人を含む情欲を露にする女性を「浅まし」と見る男性の普遍的認識が目についた。このような女性認識が西鶴の認識であるとは言い難い。むしろ片寄った女性認識が西鶴の類型的な虛構化により、浮かび上がったと見て取れる。したがって、『本朝桜陰比事』に登場する女性像を通して、当代の女性奉公人に対する偏見、女性の情欲に関する批判的視点が自ずと描かれ、未亡人の節操は個人の問題であると同時に「生命維持」と蓋然性を有する社会問題であったことも露になったと言える。ここに『本朝桜陰比事』の女性は逸話上の必要性に応じて登場すると共に、当時の女性認識および社会像を反映する有用な道具でもあると言えよう。
4,300원
本稿は、家持がどのように和歌の形式と表現に漢詩文の世界を導入し独自的な詩世界を造成したのか、また、和歌に漢文序が結合する形態が単に外面的な形式の次元を越えて、どのように内的․創造的な文芸様式として認識され、新しく試みられたのかという問題を考察したものである。家持によって試みられた漢文序の特性は次のようにまとめられる。①家持の作品において、「漢文序+和歌」という形式は、表現の反復的な受容と変容によって主題が反芻され吟味される、いわば表意のプロセスを重視した様式として認識されていたといえよう。②漢文序という異質的な様式が、和歌の表現と世界に持続的に関与し、和歌と交渉することによって均等化される。③漢文序で提示された詩世界はそれだけで完結性を持たず、受け入れられる和歌を通じて明確な主題として認識される。つまり、序は漢詩文の形式であるが、和歌的原理に支配されている。④家持は先行歌人の漢文序の方法を受け継ぎながら、さらに押し進めて漢文序を和歌の世界に近づかせ、新しい表現手段としての様式を試みている。つまり、漢文序は、新しい様式性への意図と意欲によって成り立つものである。⑤家持は、和歌の中に漢文学の表現と方法を取り入れながら、自己の表現世界の空間を拡大し深化させていったが、それは単に語句の借用や表現の模倣にとどまるのではなく、「漢詩文」と「和歌」といった様式的な異質性を乗り越えて新しい様式の創造を試みたのである。その方法的試みの代表的な例が詩序形式を応用した「漢文序+和歌」という「歌序の様式」であるといえよう。
1970年代 初 韓國社會에 있어서 日本學會 創立의 意義와 그 特殊性에 관한 考察
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.235-244
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解放以後の韓国は、社会のほぼすべての分野で日本的なものへの拒否や抹消に一貫し、そのような雰囲気は、20年余りの長い断絶を後にしてようやく成し遂げられた1965年の国交正常化以後も、かなり長い間続いていた。当時の韓国は、いまだに癒えていない傷と国民感情とによって、日本に対する学問的な接近さえなかなか認めようとしない雰囲気が強かった。1970年代初めの状況もやはり、政治や経済の方面では既に相当な交流が行われていたにも係わらず、公的な場で日本を研究しますと堂々と言いにくい雰囲気は依然と続いていた。そのような厳しい環境のなかで、1973年2月1日、日本を学問的に研究するために誕生したのが韓国日本学会であった。学会創立初期は、日本に対する否定的な雰囲気が割と強かったため、他の国を研究する学会なら全く気にしなくてもいいことまで一々気を使わなければならなかった。にもかかわらず、会員数も少なく財政的にも劣悪な状況のなかで、定期的に研究発表会を開き、毎年学会誌を発刊し、日本の学界を代表する学者たちを相次いで招いて国際学術大会を開催し、日本研究叢書の発刊計画を樹立して着々と実行に移すなど、活発な学術活動を繰り広げながら、国内最初に本格的な日本研究の礎石を築いた。1980年代から急激に膨張し始めた日本研究ブームの発端とその中心には韓国日本学会があった。このように国内最初の日本研究学会として結成され、この分野の研究の中心的な役割を果して来た韓国日本学会が、2013年2月、創立40周年を迎え<中年>になる。さて、残念にもその40周年を迎えようとする今、中国経済の急激な浮上とは対照的に日本経済の長期沈滞と大きな自然災害などが相次ぐなかで、若者たちの日本に対する関心が減り、修学能力試験科目から第二外国語の除外、人文学を粗末にする雰囲気などがかみ合って、日本教育研究分野の周辺与件が益々厳しくなりつつある。しかし、沈滞しているとはいえ日本は依然と世界3位の経済大国であり、ノーベル賞の受賞者をなんと19人も輩出した底力のある技術大国․文化大国であることは誰も否認できない事実である。それに日本という国は、韓国にとって単なる外国ではなく非常に特別な存在であることを見逃してはならない。地理的に隣接していて、いやでも応でも絶えず互いに相対しなければならない宿命的なライバル関係なのである。過去もそうであったし、現在も未来も例外ではない。日本が韓国を緻密に分析しているのに、韓国が日本研究を手放せば、益々日本の一方的な論理に振り回されやすくなることは自明である。韓国と日本とは色々な基本的な与件が似ていて、日本の様々の成功要因に関する分析から得られる教訓ほど、失敗要因の分析から得られる教訓も韓国にとって非常に有用な研究対象となり得る。韓日関係は、両国国民の感情を刺激する扇動に振り回されやすい傾向があるが、その多くの場合は、学問的․理性的な接近を通して相互理解を水準を高めれば、不必要な摩擦を起さないで済むことであり、それは両国国民の精神健康のためにも望ましいことであろう。韓国における日本研究の環境は、いま大きな転換点を迎えている。或は危機に直面している。しかし危機こそ更なる発展を図れる絶好の機会でもある。1973年創立以来、国内の日本研究を先導して来た韓国日本学会は、この変化の中心に立って、学会創立当時の先学たちの決然たる意志と確固たる志を改めて反芻してみながら、我々がなぜ何のために日本を研究するかを厳しく自問してみ、新しい時代の要求に相応しいビジョンと発展的な変化の方向を模索して行くべきであろう。
4,300원
『異素六帖』は唐詩選から漢詩の一部分と百人一首の下句をくっつけた江戸初期の洒落本である。内容は遊女や遊郭と関わるものをテーマに、パロディしたものである。パロディの方法としては四つに分類することができる。唐詩においては、戯注をつけ、元の意味とは違う内容を持たせるようにした。まずは、題材に合わせたものが挙げられる。題材は遊女と客の様々な在り方、遊郭の行事などから取ったもので、遊女に関するものが半分以上である。二番目は漢詩と百人一首の中に同一文字を利用したものである。この場合には、連想作用という修辞法によるもので、内容とは関わりがないのも多数ある。三番目は漢詩と百人一首の同一内容である。類似文句の使用、用語の対置などの手法が使われた。四番目は漢詩の内容を百人一首が受け継いだパタンである。特に漢詩の特定の単語と百人一首の一部分の文句を繋げて因果関係を図ったものである。『異素六帖』の表現の特色としては、パロディと言っても他の百人一首と比べ、内容の変更がないということである。ただ、漢詩の場合には、戯注という方法を利用するか、斷章取義というレトリックを使って意味の変化を狙い、遊郭の真面目を赤裸々に露したのである。これらの方法によって漢詩や百人一首の元の意味とは掛け離れた内容になったし、表面的な意味のみを用いて、同音の置換や遊里の言葉にすり替えるなど衒学的な遊びを見せたりする。このような流れはすでに『四書笑』『開巻一笑』のような書物にも現れているし、当時大流行の『唐詩選』を素材にした『唐詩笑』という本を出版するなど、儒学者の間に結構楽しまれた傾向が伺える。
物語文学における御霊信仰の様相―『日本霊異記』と『今昔物語集』の長屋親王説話の比較を中心に ―
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.257-264
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古代の人々にとって、御霊信仰はどのような存在だったのであろうか。特に、御霊信仰は物語文学の中でどのように描かれ、変貌していくのであろうか。 本稿の目的は、このような問題意識に着目し、従来あまり考えられてこなかった、御霊信仰が物語文学の中で具体的にどのように描写されているか、物語文学における御霊信仰の役割と位置はどのようなものかを、考察しようとしたものである。そこで、「物語文学における御霊信仰の変貌」についての研究の一環として、本稿は、『日本霊異記』『今昔物語集』に描かれている御霊信仰を、長屋親王説話の比較を中心に究明してみた。長屋親王説話は前半までは両書がほぼ同じ内容となっているが、讒言の内容において、『今昔物語集』は『日本霊異記』と違い、仏教による不善を行う者の解釈を加えている。また、長屋親王の骨灰を洛外に遠く放流したことについて、百姓は『日本霊異記』では「親王ノ気」によるものとして、『今昔物語集』では「悪心ノ気」によるものとして、長屋親王の死穢を忌み、その「怨霊」の祟りを恐れており、両書がともに御霊信仰を示していることが窺えるのである。
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芭蕉と木因は1681年頃、季吟の門下生として出会い、俳諧を媒介とし約12年間交わったと伝わっている。つまりはじめから二人が師弟関係で出会ったのではなく、季吟の門下の同門の門弟として交わったのである。年は芭蕉が木因より二歳上で、はじめは二人の間に同門という意識が強く根付いていたに違いない。しかし芭蕉の俳諧能力は著しく発展し、のちには木因が芭蕉の蕉門の門下に入ることになり、同門関係から師弟関係にかわっていったのである。芭蕉と木因の書簡の内容からは,はじめは同門として俳諧に対する互いの意見の交流がうかがえるが、次第に日常生活の内容にかわっていく傾向がみられる。このような背景には、芭蕉と木因の二人がもっていた相手に対する認識の差が大きかったことが原因ではないかと考えられる。芭蕉は、木因に対して季吟の門下生の同門という意識よりは自分の門弟という意識をもっていたに違いない。それに比べて木因の意識の中には、芭蕉に対して蕉門の門人時代には師弟という関係になっていたが、一時は同じ季吟の門下で競争的に俳諧を修行してきた同門であるという意識も同時に潜在していたのである。このような二人がもっていた認識の差は書簡にそのまま反映されており、二人の窮極的な関係にも影響したのではないかと思われるのである。
에도(江戸)중후기의 하나시본(噺本)에 보이는 골계미와 삽화에 관한 일고(一考)― 수수께끼식 본문 성격을 띤 삽화를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.279-293
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本稿は、江戸時代中後期の噺本における挿画の意味をについて追究するものである。噺本のうち、検討の対象としたのは、文章の所々にその意味を推し量るしかないように工夫をした謎々の挿画を配した作品群と、文字と文章から成る本文の内容を反映した挿画を本文とは別の空間に配した作品群である。検討の結果、前者の作品群からは、読者が挿画の象徴するところを、前後の文章の意味を念頭において推し量ったり分かったりしながら作品を読んでいくうちに獲得することができる、面白さや滑稽味を目指したものであったことが分かった。また、後者の作品群からは、読者が本文の内容を熟知したうえでさらに想像力を加えて挿画を理解するように作者が工夫をしたものであり、謎解きの難易度もそれなりにあったことを究明した。なお、両方の作品群から作品の面白さを一層増すように工夫し配したのが挿画であったことをも明らかにした。そして、そうした挿画に潜んでいる難題に対しての読者の謎解きという趣向は、謎解きの性格を有する葦手․連歌․俳諧․浮世絵の中の判じ絵․歌舞伎俳優と関わる歌舞伎文様などを考察したとき、いずれのものにも適用することができる有触れたものであった。謎解きという社会の一般的な通念を、噺本の作者たちは作品を案じるに際して、拒否感なく受け入れ反映させ、作品を完成していったと考えられるのである。
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이 논문은 재외선거에 대한 여론조사를 통해 재외국민의 재외선거에 대한 인식과 참여태도를 분석하는 것이 목적이다. 미국, 일본 그리고 중국에 거주하는 재외국민의 재외선거에 대한 인식태도와 참여형태를 일본의 재외선거제도와 비교, 분석하였다. 재외국민의 정당활동에 대한 참여의사를 살펴보면, 일본지역과 중국지역 모두 과반수이상이 참여의사를 가지고 있는 것으로 나타났다. 참여하지 않는다는 비율은 중국이 41.9%로 높게 나타났는데 이는 중국사회가 외국인에 대한 정치참여를 허용하고 있지 않는 상황의 반영이라고 판단된다. 재외선거는 이를 계기로 교포사회가 자국의 정치문화와 뿌리에 대한 인식을 심는 좋은 기회가 되며, 후보자와 정당들이 현지인들의 상황에 대한 관심이 높아지게 될 것이라는 전망이 높다. 이러한 관심은 정책/공약으로 연결되는 선순환이 될 것이라는 기대도 상당히 높다. 실제로 재외국민은 재외선거가 교포사회에 부정적인 영향보다는 긍정적인 역할을 할 것으로 기대하고 있는 것으로 나타났다.
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The purpose of this article is to discuss impacts of South Korea’s suffrage on Korean descendants in Japan. For Koreans in Japan, this rights obtained in 2007 has imposed a paradigm shift on their identities. The reasons are as follows. First, Koreans in Japan had not had any political rights neither in Korea nor in Japan. Second, South Korea's suffrage has endowed them a right to reveal their opinions toward Korean society. Third, Korean descendents in Japan must be conscious of consistency between their demands revealed in Korea and those in Japan. Fourth, they will gain opportunities to reflect how their legal and social status in Korea are. The Korean descendants' participations in South Korean politics mean that they have voluntary wills to involve in Korean society. In order for them to do so, it becomes necessary to understand how Korean society works. At the same time, it becomes inevitable for them to be conscious of their multiple attributes; ie, overseas residents and members of global Korean network as well as minorities of Japanese society. Findings of their participations in the election for members of South Korea’s nineteenth National Diet are as follows. First, the Korean descendents actively participated in South Korean politics in comparison with the other overseas residents, namely those in the US. Second, realities of the Koreans in Japan are virtually invisible in South Korean society. Their identities are simply perceived as either proSouth or proNorth although the largest population belongs neither. Third, they have started revealing their opinions on Korean administrative deeds. In doing such, their principle relying on is human rights on which they rely in Japan, as well. Fourth, South Korea's suffrage gives them human dignity. This can be found solely in Japan because they had possessed no political rights until 2007.
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Edo Castle symbolized the political power of Tokugawa shoguns for more than two and a half centuries. Its bloodless surrender on April 11, 1868, to the army of the new imperial government was the most important landmark in the Meiji Restoration. This event made it possible to avoid a nationwide civil war with consequent foreign intervention. It also prevented the extermination of the Tokugawa family by the army of the imperial government and a large loss of civilian life in Edo. The negotiation process between the former Bakufu and the new imperial government over the bloodless surrender of Edo Castle has been perceived as consisting of a single stage—the formal negotiations between the commandant of the Bakufu army, Katsu Kaishū, and staff officer to the imperial army’s commander in chief, Saigō Takamori, held on March 13-14, 1868 in Edo. This paper seeks to demonstrate that the negotiation consisted of two stages. And it was the first stage, that is, the negotiations between Yamaoka Tesshū and Saigō Takamori in the city of Sunpu on March 9, which made the bloodless surrender possible. The paper further explains that the neglect of the first stage in the historiography originates not in the lack of attention or primary material, but in what appears to be a deliberate disregard, rooted in a century-long “Meiji bias,” of a significant role of some Bakufu retainers in the Meiji Restoration.
일본사회 고령자의 죽음의 문화변용― 개인화하는 죽음 ‘고독사(孤獨死)’를 중심으로 ―
한국일본학회 일본학보 제93권 2012.11 pp.339-350
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2000年代の後半に入り、孤独死が高齢者の死の問題として大きく注目を集めている. 孤独死とは、一人暮らしをしていて、誰にも看取られずに自宅で亡くなり、時間が経って発見される死であり、身内のいない高齢者や貧困な単身者の問題だと考えられてきた。しかし最近、これまで孤独死とは無関係と思われてきた子どものいる人や、高齢者が生前に自分の死後の後片付けを業者に依賴(相談)するという新たな傾向が現れている。本稿は、ある遺品整理業者の会員のカードの調査から、子どもがいるにもかかわらず孤独死する人たちがいる原因を示して、高齢者の死および最期に関する意識がどのように変化しているのか, を明らかにすることを目的とした。その結果、次の二点を確認することができた。第一に、孤独死の典型例としてこれまで認識されていた、家族がいない高齢者の無縁死の場合と、家族から排除された高齢者や単身者の絶縁死の場合に加えて、日ごろから子どもと交流をもっている一人暮らしの高齢者の孤独死が増えている。すなわち、孤独死する人の家庭環境は多様なものになっている。第二に、孤独死増加の背景には家族構造の変化や血縁の崩壊、そして現代日本の長期的不況などの環境的な要因とともに高齢者の死生観の変化という要因がある。本稿では、日本の高齢者の孤独死の実態と最期に関する意識の変容が明らかになった。このことは、韓国との比較研究のための資料の提供としても役立つものと思われる。
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日露戦争時期、韓国に対する日本の外交目的は単純に利権を拡大する次元を越えて韓国を日本の保護国とすることにあった。こうした外交目標はロシアとの戦争を通してその達成時期が急速に短縮されたばかりではなく、終戦の時には韓国を日本の規定するところまで進展した。特に過程において講和協商を仲裁した米国は日本の立場を積極的に支持した。こうした国際的な世論を背景にして日本はポーツマス講和会談においてロシアを強く押し立てることが出来た。ロシアの協商代表ビーテは韓国の主権を保証する装置を挿入しようと努めたが、小村代表の強い反発に当たって結局韓国に関した条項は日本の主張が主に反映されるようになった。
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