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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제55권 (34건)
No
1

韓日両言語の主格付与の問題について

金榮敏

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.1-13

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4,500원

本稿では,韓日兩言語の主格付 の問題について考察し,まず兩言語において主格付 は時制を持つ〔+tense〕の時制辭によって付 されるということを明らかにする.そして,そのような兩言語の格付 の原理に例外であるかのよううに見える現像を取り上げ,それらの格付 問題も兩言語の格付 の原理に基づき說明できることを示す.例えば,「電氣をつけて部屋を明るくした」「전등을 켜서 방을 밝게 했다」と「窓を閉めて雨が入らなくした」「창문을 닫아 비가 들어오지 않게 했다」のような「∼くする」「∼게 하다」構文などにおいて,前者では埋め み節の主語の主格標示ができないのに對して,後者では可能である.本稿ではこのような違いが埋め み節の語的な違いによるものであることを主張する.卽ち,「く」「게」には,非時制形式の屈折素である活用語尾の「く」「게」と補文標識の「く」「게」とがあり,同じく「く」「게」で終わる埋め み節であっても,それが活用語尾の「く」「게」に導かれる非時制節である場合には主格が付 されないが,補文標識の「く」「게」に導かれる時制節である場合は主格が付 されるのである.このように分析することで,例外のように思われる主格付 の問題も,例外ではなく兩言語の主格付 の原理によって說明できることを示す.

2

5,700원

本稿では,江戶中期以後における上方語に現れる二段活用の一段化現像について,一段化の全體的傾向と完了時期を中心にして當時の上方語資料24類の一段化の實態の分析結果に基づきながら,,初·中期上方語との比較を通して考察して見た.その結果,歲つかの特徵的事實が明らかにされたかのように思うが,これをまとめると,大略次のようである.①全體として一段化率(76.2%)が非常に高く,特に初·中期上方語における一段化率との比較時,頭緖な優位が認められる.②動詞の一段化(81.2%)は助動詞(47.1%)より早く,上二段活用動詞の一段化は下二段活用動詞より早い.③動詞の場合,終止·運體形の一段化(84.1%)は己然體(26.9%)より早く,一音節動詞一段化(98.1%)は二音節動詞(82.4%)より,二音節動詞は三音節動詞(69.9%)より早く,又三音節ラ行動詞の一段化(59.3%)は三音節他行動詞(73.3%)より遲い.④文體的な面から見ると會話文の一段化(81.1%)は地文(71.0%)より早く,位相的な面から見ると女性語の一段化(85.7%)は男性語(78.6%)より早い.⑤動詞の場合,口頭語つまり會話文における一段かの完了時期は寶曆基までと推定され,地文における一段化の完了時期は會話文より遲い,明和∼安永期と推定される.⑥助動詞(「るる·らるる」)の場合,會話文における一段化の完了時期は天明∼寶政期と推定され,地文における一段化の完了時期は會話文より遲い,文政期と推定される. 特に,このような事實の中で②③④は初·中期上方語の傾向と大體一致すると言えようが,①は傾向を異にすると思われる.なお,⑤動詞の地文における一段化の完了時期が明和∼安永期と推定されるという事實は從來,具體的な言及がなされていない点から,⑥助動詞(「るる·らるる」)の會話文における一段化の完了時期が天明∼寶政期と推定されるという事實は從來の論と異なる点から注目される.

3

4,900원

本硏究は,韓·日の會話スタイルを作り出す兩言語それぞれの全體的構造を明らかにするために,調査で得たデ-タ內における全ての發話間の交替とその連鎖をturn-talkingの觀點で客觀的に記述し,比較·對照するものである.基本槪念となる"turn"は,會話參加者が話す權利を持ち續ける間に發せられる全ての發話であり,一人の話手が話し始めてから他者の發話やポ-ズで區切られ,話すのをやめるまでのひとまとまりの發話である."turn-taking"はturnの交替過程であり,どの話者がどんな發話を,いつどのように話すかの過程である.そして,turn-talkingとその連鎖の實態を把握するということは,これらが組み合わさって具現化する形を知ることであり,隣接するturnタイプの異なった混ざり具合によって生まれたturn-takingパタ-ンと,それが連なって成立する連鎖型の表れ方を把握することである. 本硏究は,分析1(turnタイプとturn-talkingタイプ),分析2(turn-talkingパタ-ンとその連鎖型), 分析3(turn-talkingの子期失敗と修復過程)を通して,今まで直觀的あるいは部分的にしか語られなかったことについて,客觀的な記述と分析を踏まえた實態の把握を目指したものであり,會話をやりとりを丹念に組解きながら級密に記述してきた實證作業として位置づけられる.

4

副詞「するする」「そうじて」小考

朴才煥

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.53-62

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4,000원

『捷解新語』に見られる「するする」「そうじて」が『改修捷解新語』ではそれぞれ「すらすら」や「もと」などに改められている.改訂された理由としては誤用または意味變化の可能性が擧げられる.當時の文獻の用例の分析により以下のような結論を得た. ①「すらすら」のほうは原刊以後松井氏の言う類推的段階の「物事が滯りなく行われるさま」の意味では用いられなくなり,改修本以後「すらすら」に改訂された可能性が高い. ②「そうじて」のほうは現代語の「一般的に」の意味として原刊本の書かれた江戶初期においても用いられていたが,ほがに「もともと·一體に」などの意味としても用いらていたことがわかった.それが,江戶初期以降「もともと」の意味としてはそれほど使用されなくなり,現代語のような意味用法のみとなった可能性が高い.特に,個人的な事柄について述べるときには「もともと」の意味で用いられていたと思われる.

5

明治期における一人称代名詞「ボク」と「ワガハイ」

房極哲

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.63-77

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4,800원

本稿は,明治期における一人 代名詞「ボク」と「ワガハイ」を取り上げ,兩語の使用實態と變還過程について考察したものである.考察の方法としては,話して手の屬性(性別,年齡,社會階層など)を中心とした社會言語學的な視点を導入した. 考察の結果,明治期に一人 代名詞「ボク」と「ワガハイ」が,どのような社會階層の人にどのように使い分けられ,どのように變化して現代日本語まで至るようになった野かを明らかにした.具體的にみると,「ボク」は明治初年にその使用者は敎養層に使用され,使用人には用いていないことが分かった.明治20年代から明治30年代にかけて「學生」「書生」「若紳士」などを中心として知識人靑年に多用されるようになった.そして明治20年代の作品においては明治初年に比べて年少者にも「ボク」の使用がみられる.明治30年代半ばから「ボク」は使用者の年齡層はだんだん廣がっていくと共に敎科書にも登場することとなり,標準語として普及していく.このように明治30年代以降多くの使用者が「ボク」を用い,男性の一人 の代表的なものの一つとして定着していくようになって現代日本語まで繫がっていくのである. 一方,「ワガハイ」の場合は,明治10年代までは「書生階級」で主に使用されていた.そして次第に使用者の年齡層はだんだん高くなっており,明治30年代の半ば頃は「代議士」「新聞記者」のような社會的に公的な場に接する機械の多い高年層の上層階層にまで「ワガハイ」が多く使用されるようになったのである.しかし,「ワガハイ」は「ボク」とは異なっており,年齡層が高くなったとはいえ,使用の狀況は長く續かず,明治30年代の後半になっては「ワガハイ」の使用は衰退してしまい,現代日本語までには至たなかった.結局,「ワガハイ」は明治10年代後半までは「ボク」と同じく若い「書生階 」に使われていたものの,明治の終り頃は上層階層に使用の偏りがみえるようになり,衰退してしまったという点が「ボク」と對比される.

6

4,200원

本稿では,「お·ご-していただく(くださる)」構文の運用の實態を調べ,その使用擴大の要因をs探ると共に話し手の意識に基づく新たな解釋を試みた.この構文による表現は一般には誤用として扱われることが多いのであるが,その規範的な解釋と現實におかる話し手の意識との間には相當な隔たりが見られる.また その規範的な解釋が必ずしも妥當であるとも言い切れない場合がある. そこで本稿においては,この構文を話そ手の意識と照らし合わせて分析した.その結果,この構文に對する抵抗を「ていただく(くださる)」がほかしている點,「ていただく(くださる)」,だけでは物足りない聞き手に對する敬意を補うために接頭辭「お·ご」を添加してる點,「お·ご─していただく(くださる)」は,「お·ご─する」に「ていただく(くださる)」が添加されたのではなく,名詞形「お─·ご─」に「ていただく(くださる)」が添加されている形として受け入れられている點,また,「お·ご─していただく(くださる)」に用いられている用語は「お·ご─する」には用いられないものが多いことから,やはりこの構文は「お·ご─する」とは關連性が稀薄である點を取り上げて,話し手の意識を裏付けようとした. 敬語の誤用と指摘されるものは,そのほとんどが謙讓語に關係しているが,その中のいくつかの表現はもはや誤用ではなく正用になりつつある.ここて論じた「お·ご-そていただく」に關しても,やがては人 の認知を受け,正用法として受け入れられることになる可能性を十分に秘めているように思われる.場面と聞き手重視の敬語運用の發達がもたらした素材敬語の對者敬語化現像とも捉えられよう .

7

4,600원

本稿は過去の資料分析を通して一時期の語類の類出度は勿論,文末表現構造形態の變還的事實を通時的に觀察し,當時の言語形式を追求するところに目的がある. 資料としての『捷解新語』はその構成と內容を共にする諸本間において今から300余年前の原刊本(1676)とそれから100余年後に刊行された改修重刊本(1781)の兩資料を底本にして,文末部自立語を相互對照し,320余年後の今日の視角から見た過去の特性的な言語規則と語類においてその變化の內容を分析した. 結果として得られた內容は次のようである.1)量的には文末語は原刊本の全文の中の文末文節の自立語(これは文節と自立語の構成上文節數になる)類別は「換 なり」などのような若干の名詞文を外した大部分が動詞文99%であった.2)文末自立語類の頻度調査では5例を限定し抽出した語類が全體から見て名本が55.61%で過半數以上であり,類出度の低い5順位の例では名3,4%に過ぎない事實を見ても特定の文末語類が文型を代表すると言って過言ではない.その中,最も頻出度の高いのが「御座る」で動詞の形式動詞乃室は補助動詞的用法として機能し,原刊本では169語,重刊本では120語でそれぞれ全體の35,32%を占め,ともにその使用率が最も高い.3)語形と接續語の形態において,語類調査で高い頻度を見せた語形のうち基本型で終止する例は,原刊本での「ござる」だけであり,重刊本では「∼(り)まする」形に變り丁寧の助動詞が接續した構造を見せ,他の例でもほぼ語尾活用が待遇的附屬語の丁寧語と結ばれていた.丁寧の助動詞では原刊本の「申し(まるする)」,「存じ(まるする)」が重刊本では「ござり(まする)」,「申し(まする)」の如き「まする」語形だけが使われた. ここでの5例語は兩資料ともに敬意的用法としてその語類は大體現在に及んでいるが,その語形と接續語の形態が今日のとは異なる文法的側面を見せた.又,「さしらる」は室町時代語の影響の結果として原刊本にだけ見えた.原刊本の「す」を除しては兩資料が待遇的表現として,語類の意味分類のうちそれぞれ51,52%で過半數を占め,鎌倉末期からの傾向である丁寧表現擴大への現像がうかがわれ,また今日の多 化の時代語とは違う單純·集中的言語表現の時代であることが推察できた.

8

日本語の意味的結合関係研究(2) -「動詞と名詞」の意味関係を中心に-

尹大根

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.105-115

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4,200원

ひとりひとりの人間が,それぞれの個性を持って存在しているように,一つ一つの語のそれぞれの意味なり性格なりを持って存在している.二人以上の人間が集まってなんらかの社會的な關係を結び付けていくように,二つあるいは二つ以上の語がなんらかの文法的な關係を持って結び付いているのである. 本稿では,動詞と名詞を中心に,結び付いていたとき生じる意味關係について述べつことにする.動詞がいくつかの名詞の格を支配するという現像は,動詞のもつ意味すなわち內容上の結合能力にもとづいている.たとえば,「たべる」という動詞は,內容上の結合能力として,動作主をあらわす主格の名詞と對象をあらわす對格の名詞があらわれる.ここでは,こうした,動詞がいくつかの名詞を必要とするという性質は,動詞の結合能力とよんでもようもので,この結合能力には,內容と形式の二つの側面が認められる.動詞は不安詞ともいうべきすがたであるけれども,動詞をを限定する名詞にはいくつかの文法的な形式がある.語結合にあらわれる名詞は格のかたちをもっていて,格調辭「-が,-を,-に,-と,と(助辭のつかない形式)」がそれである. ここでは,こうした日本語の動詞と名詞との結合關係を「動詞と名詞」の意味關係を中心に內容と形式の二つの側面から,重點的に硏究分析する.

9

韓國에 있어서의 日本語 硏究(2001~2002) - 전문학술지의 연구 동향 -

李康民

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.117-141

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6,300원

本稿는 2001∼2002년 사이에 이루어진 韓國에 있어서의 日本語 硏究의 主된 흐름을 全國規模의 專門學術誌에 揭載된 350편의 一般 投稿 論文을 통해서 살펴보고자 한 것이다. 이것은 1994年 以後에 進行되고 있는 韓國에 있어서의 日本語 硏究의 흐름을 把握하기 위한 作業의 일환으로서 1994∼2000年의 動向 分析의 후속편으로 준비된 것이다. 調査 結果, 2001∼2002年에 이루어진 350편의 日本語 硏究는 文法(134), 日本語史(83), 日本語敎育(58), 社會言語學(30), 語彙(29), 音聲·音韻(5), 기타(7), 文學·表記(4)의 順으로 硏究 活動이 進行되었으며, 전체적으로 볼 때 語彙 分野가 차지하는 硏究 比重이 社會言語學과 거의 차이가 없을 정도로 論文 數가 增加했다는 점에서 前時期와는 다른 樣相을 보이고 있다. 이 時期에 보이는 文法 硏究는 前時期와 마찬가지로 모달리티(modality)와 voice(使役·受動·自發), 그리고 文型 및 構文 硏究가 큰 비중을 차지하고 있음을 確認할 수 있었다. 하지만 동시에 새롭게 活用論的 硏究가 증가하는 傾向을 보이고 있는 것은 이 時期의 특징으로서 指摘할 수 있을 듯하다. 日本語史의 경우는 漢字音 硏究와 더불어 語學史的인 硏究가 상대적으로 활발히 進行되었다고 할 수 있을 것이다. 또한 日本語敎育 관련 硏究에 있어서는 1999∼2000年에 이어서 상대적으로 컴퓨터를 활용한 일본어 교육 프로그램의 개발이 활기를 띄고 있는 모습을 確認할 수 있었다. 分野別 硏究 項目에 있어서 他言語와의 對照 硏究가 차지하는 비율(對照 硏究/全體 硏究)은 御諱(20/29), 社會言語學(11/30), 日本語史(22/83), 문법(27/134), 日本語敎育(5/58)과 같은 順序를보인다. 日本語敎育에 있어서의 對照 硏究가 劣勢에 놓여져 있다는 점은 1994∼2000年에도 確認된 結果이나 社會言語學을 제치고 語彙 硏究가 그 만큼 한·일 對照的인 작업에 편리함을 의미하는 현상이기도 하겠으나, 특별히 이번 調査 期間에 있어서는 對譯辭典과 관련된 논의가 활발하게 진행되었다는 점과도 무관하지 않은 결과일 것이다. 반면에 文法 分野에 있어서의 對照 硏究는 voice(使役·受動·自發)와 構文 硏究를 중심으로 이루어지는 傾向을 보이며, 상대적으로 모달리티(modality)와 活用論的인 硏究에서 對照的인 시각을 찾압기란 容易하지 않다. 이 같은 現象 속에서도 類型化되어 가는 日本語 硏究의 흐름을 감지할 수 있지 않을까 생각된다.

10

自動詞の受動と「~てもらう」「~てくれる」について

李成圭

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.143-156

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4,600원

本稿は,『日本語基本動詞法辭書』において〔被害〕の意味を表すものとして揚げられている「自動詞の受動文」が,果たして必ずしも「被害」としてのみ解釋されるのかというについて吟味を行ってみたものである.具體的には「∼てもらう」「∼てくれる」との置き換え可能性と關連して議論を進めた. 本稿を通じて〔利益〕の意味を表すものとして提示されている例文の中には,場合によっては,おかしさ,ないし不自然さを感じるものがあるかもしれない.しかし,〔被害〕の意味として提示されている文の場合,ひたすら「困る」「迷惑だ」「∼てしまう」といったことばが文末に付きまとっているために「被害」として解釋されやすくなっているということも見逃してはならない,だからと言って,筆者が本稿で,從來の例文の捉え方に異識を唱えているわけではない.ただ,文脈によって〔被害〕の意味としても〔利益〕の意味としても,また〔中立〕の意味としても解釋される可能性があるということを指摘しおきたかったまでである.そしてそれは,自動詞の受動文は,現實世界において主語や話し手が介在し,それぞれの動詞のもつ意味的內容が割作用して具現化すると捉え,なおかつ〔被害〕〔利益〕といった意味は二次的なものであるという結論につながる.

11

現代日韓語彙の対照研究 -対訳コーパスを資料に-

張元哉

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.157-168

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4,300원

本稿は,現代日本語における語彙構成の一面を計量的な側面から考察したものである.その結果は次のとおりである. (1)高頻度語彙の日韓語彙量は,韓國語が日本語とり少ない語で全體をカバ-している傾向がある. (2)日韓における品詞の相違は,語種のそれに比べ大きくなく,非常に似ているといえる.一方,語種においては,品詞の場合より日韓相違点が大きく,日本語では固有語·外來語が,韓國語は漢語·混種語が多い.が,高頻度語彙では固有語と漢語の傾向が日韓反對であり,語彙量の分布の傾向と似た傾向を見せている. (3)品詞と語種とでは,相言類と混種語において日韓の大きな相違点がみられた.

12

訳語研究의 一方法 -訳語의 범위를 中心으로-

鄭英淑

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.171-186

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4,900원

本稿は津田眞道著作に使われた譯語を材料として,何を譯語と認めるかの基準について考察してみたものである. 第一,津田眞道の譯語の表記類型はルビ付き類型と註記付き類型に分けられる. 第二,ルビ付き類型には右側ルビ,左側ルビ,兩側ルビがあり,註記付き類型は原語を假名で示すものとアルファベットで示すものに分けられ,又,それらは譯語を單語のみで示すか文內における原語と譯語の關係で示すかによっていろんな類型に分けられる. 第三,ルビ付き類型はオランダ留學以前から使われて,註記付き類型はオランダ留學時點から使われる.原語をアルファベットで示す類型は留學前にしばらく使われ,以後は用例がない. 第四,註記付き類型は 譯作品に初めて登場して以後には論文などにも使われている. 以上,津田眞道の譯語はいろんな表記類型によって示され,その類型は時代や作品,さらに譯語によって違ってくることが分かる.

13

일본어에 있어서의 동사의 결과성에 관하여

蔡盛植

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.187-205

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5,400원

日本語は英語とは違って,動詞の持つ意味の中に,その動詞が記述する行爲により必然的に引き起こされる狀態變化あるいは結果狀態の意味が必ずしも含まれる必要がないということが,池上(1981)をはじめとする多數の硏究で指摘されている.しかし,日本語の動詞にも,英語と同じく,動詞の行爲による被動作主の狀態變化または結果狀態が義務的にその意味內に反映される場合しばしば觀察される.このような現像に關してこれまでの先行硏究では,主に動詞の語彙意味に着目し,動詞の先天的(內在內)な性質によって「動詞の記述する行爲が完結したか否か(動詞の結果姓)」が決定されるという意味が主流をなしてきたが,本稿では,先行硏究で探用された分析方法を採用する傍ら,旣存の分析方法との差別を圖るべく,動詞の語彙意味だけでなく話者および發話場面によって「日本語の動詞の記述できる意味範圍の限界」が大きく變化し得るという假定の上に,誤用論的な要因を積極的に分析に取り入れることで「日本語の動詞にみられる結果姓」に對して首尾一貫した說明を與えることを目標とする.

14

開化期 外来飜訳漢字語의 受容 ― 은세계 (1906)를 중심으로 ―

최경옥

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.207-222

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4,900원

本稿は韓國の開化期の飜譯漢語の成立において,日本及び中國の飜譯漢語の韓國への受容を考察するための基礎的硏究として實際,開化期の韓國で書かれた新小說の『銀世界』(1908)を通じ,日本及び中國の飜譯漢語の韓國への受容の過程を考察したものである. 本稿では『銀世界』で使用している漢語を抽出し,『大漢和辭典』,『日本國語大辭典』,『三國史記』,『三國遺事』,『高麗史』,『明心寶鑑』,『四遊見聞』,『西洋事情』,『世界國盡』,『漢語外來詞詞典』,『明治のことば辭書』,『韓國漢字語辭書』,15世紀から19世紀までの主な韓國資料など,韓中日の主要資料等から,その用例の有無を確めることに依り,韓國に入った外來飜譯漢語を確認し,韓國への受容の過程を明らかにした.硏究の結果は以下のようである. 1.『銀世界』で使用した漢語は全部で1,117語である. 2. 日本か中國でつくられた飜譯漢語として,開化期以前の韓國では,全く使用されたことのな い漢語は「時計」「日曜日」「演說」「電氣」「線路」等がある. 3. 日本か中國でつくられた飜譯漢語であるが,開化期以前の韓國で旣に,その形態が存在し, 使用されていた漢語は「經濟」「文明」「理學」等がある.

15

와카에 보이는 바람 - 만요슈를 중심으로 -

구정호

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.223-234

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詠歌素材になる「風」を含む萬葉歌を中心にその敍情性を考えた論文である.方法としてはまず,歌の表層にみえる風をイメ-ジ考察したうえに,その內面における深層的な美の詮索を試みた.具體的には萬葉集の基本分類方式にしたがって歌の檢討を行い,それぞれの部類における風の美的役割を考察した. 萬葉集において表?に見える風のイメ-ジは全般的に「?しい,寒い」という淨化されてない,あるがままのイメ-ジを表しているが,內面的には部類によって,それぞれの獨特な特徵を表していることが分かった. 萬葉集の主に雜歌部に?する望鄕歌の場合,風は故鄕に置いてきた妻と共有する風として存在し,挽歌における風は來るべき寒い時期を獨りで過ごさざるを得ない心境を表したり,また比喩歌で二人に戀愛の妨害物の象徵として詠まれたりする實に多樣な役割を果たしていることが分かる.結局,萬葉集の風は洗練されてないあるがままのイメ-ジとして存在するわけではあるが,そのようなイメ-ジが萬葉集の敍情性を增幅させる役割を단っている.

16

金玉均と明治政治小說

權美敬

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.235-246

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明治の政治小說を考える際,日本と密接な關係にあった朝鮮國との關わりをもっていたことはごく自然なことであったろうが,朝鮮開化派の先頭にたっていた金玉均と明治政治小說の關係も深いものであった.『小說東學堂』では,著者服部撤の金玉均評價と同じ亡命客としての連帶感と同情を讀むことができて,それは『胡砂吹く風』での金玉均の朝鮮國に對する忠誠心と政治的力量に對する評價としてほぼ同じ認識であったことがわかった.そして日淸戰爭日新戰爭以後書かれた『讀胡砂吹く風』では金玉均に對する失望感,反感などが描かれていることを指摘し,政治狀況の變化により變わっていく金玉均像も指摘した.金玉均と『こぼれ梅』の所では,小說家,文學者としての金玉均の姿を論じ,そのなかに色?く殘る朝鮮文學の面影をみてきたが,これらの金玉均に關わる文學の問題は文學と政治の密接な關係を如實に示していることであろう.

17

文付枝の全盛期-平安前期の物語を中心に

金英

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.247-256

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본 논고에서는 산문작품에 나타난 후미쯔께에다의 양상에 관해 고찰하여 헤이안시대에 전성기를 맞이한 후미쯔께에다의 성격과 각 작품에 있어서의 효용 및 성질에 관하여 밝히려 한다. 특히 이번에는 헤이안시대 전기의 모노가타리 「たけとり物語(타케토리 모노가타리)」「いせ物語(이세 모노가타리)」「やまと物語(야마토 모노가타리)」를 중심으로 그곳에 나타난 후이쯔께에다를 중점적으로 고찰하여, 일본 최초의 모노가타리인 「たけとり物語(타케토리 모노가타리)」와 우타모노가타리인 「いせ物語(이세 모노가타리)」「やまと物語(야마토 모노가타리)」를 통하여 모노가타리에 있어서의 후미쯔께에다의 원형적 양상과 우타와의 관련성에 관해 알아보고자 하였다. 그리고 헤이안시대에 후미쯔께에다가 이렇게 빈번히 증답되게 된 문학적 배경과 그 성립요인에 대해서도 고금직적 기반의식의 확립이라는 결론에 도달하였다.

18

夏目漱石의 『마음』에 나타난 K의 차남성

徐永植

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.257-269

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夏目漱石は演說「私の個人主義」で個人と個人の?究が避けられない,現代社會における各個人の指針として<道義上の個人主義 >を主張した.これは?底した自己本位の個人主義に立脚したもので,自分の個性を最大限に發揮しながら,同時に他人に對してもそれを認めるべきだというものであった.漱石の作品活動はこのような問題に對する方法的摸索とも言えるのだが,小說『こころ』は思想の深さや構成などの色んな面でその代表的な作品として評價されている. 作品で<道義上の個人主義>は<人道的立場>に言い換えられ,その具體的な對象或いは主體として母のイメ-ジが浮彫りにされている.次男のKがそんような境地に到達できたのは封建世代へのと<反撥>,<挑戰>と<報復>,それを乘り越えるための<過補償>と<挫折>,母の<不在>と<昇華>の結果である.ここで母は過去と現在,家庭と社會,そして東洋と西洋を超越的に繫ぐ,普遍的な存在である.家庭を初めとする組織の節?を越えるこのような發想は長男の先生としてはなかなか出來ないものだが,にも抱らず先生がそれを收容することができたのは,やはり封建性と近代性が混在していた明治時代を共に生きた同世代だったからである.

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「疾患」への回歸 - 朔太浪의 大島旅行硏究 -

徐載坤

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.271-284

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4,600원

1915年1月の白秋の前橋訪問を通じて,朔太郞は周りへの自己アピ-ルと自己誇示ができ,また白秋との間に文學的感應が行われた.そして白秋の歸京直後から「南の島」への旅行を企劃するようになるが,朔太郞の旅願望は詩「南の島へ行きます」によく現れており,その原型は詩「旅上」であった. 朔太郞の「南の島」への旅の目的は,白秋の小笠原移住に見倣い,日常生活と創作活動の兩方を一新刷ることであった.旅行を通じて,朔太郞は自分が人工世界,つまり都會志向を持っていることに氣づき,自己文學の方向性を自覺した.しかし,旅行直後は旅から何も得るものがなかったという無力感から自己崩壞と文學的自滅を恐れる時期もあった.大島旅行以前の詩世界に逆태し,「病氣」と基軸にして季節の中で一番好きであった「春」とを共役させ,<病氣詩>と<新生詩>を書くことで精神的バランスを取り태した.そしてスランプから脫出し,その 後は生命力に滿らた「春」の詩を發表し續けたのである.

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『삼년고개』와 『산넨도게(三年とうげ)』 비교연구

심은정

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.285-301

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5,100원

敎科書はその時代を反映する鏡である,特にその中でも小學校の國語敎科書が待っている重要性は,子どもの發達過程においても,また文學體驗においてもとでも大切である.感受性が敏感な小學校時代に習った文學作品は一生忘れらげないんのである.その中でも,昔話はその民族の魂と國民精神をよく出しているもので,その國を代表できる文學として拳げられる. 1945年以後兩國の小學校國語敎科書に揭載されている昔話を調べる中,韓國の昔話が揭載されていることに注目し,その意義および傳來過程に伴う比較を試みることにした.日本の2000年度版の場合,4社にかけて總4篇の韓國の昔話が揭載されているが,本稿では「三年재」を中心に比較してみた.「三年재」が韓國に最初揭載された朝鮮總督府の發刊の1924年度版と日本に最初揭載された光村圖書の1992年度版の比較の結果,韓國の方は敎訓性に日本は話の面白さと敍情的な描寫に中点を置かれていることが分かった.また,昔話そのものとしで比較してみた結果, 韓國の場合はいろんな地方にわたって分布されていたが,その數は少ない.日本の場合は재ではなく三年坂としていろんな地方にわたって分布されて,その數も多くみられる.昔話としての日本でも「三年재」の樣子と,なぜ,日本の小學校國語敎科書に韓國のいろんな昔話の中で三年재が揭載されたかについでは,これからの硏究課題とする.

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有島武郞 『クララの出家』論 - その作意と構想をめぐって -

奧村裕次

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.303-315

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4,500원

「クララの出版」は硏究史の中で激し論爭された歷史を待っており,この作品を如何に解釋するかは,有島という作家をどのように捉えるかという作家論と直結した重要な問題であると言える.作品の解釋にあって,以前に書かれた『宣言』との比較檢討を試みることにした.その結果,この二つの作品には共通點が多く,どちらも本能的生(靈·肉一致)の表出を意圖していたことが分かる.そして,その意圖のもとで,有島はH·エリスの論理を應用しつつ,宗敎的行爲に潛む無意識の性衝動を明らかにし,人間の「性慾と神への志向」をみごとに表現していった. また,「クララの出版」が書かれた同年6月に,有島は初稿「惜しみなく愛は奪ふ」という評論を發表しいる.有島は禮幌獨立敎會を脫會し,白模に『二つの道』を發表して「相對界に彷徨する」い人間として生きることを宣言した後,「もう一度『二つの道』に就て」(1910),「ワルト·ホイトマンの一斷面」(1913),「莫の葉」(1913),「內部生活の現象」(1914)と統いた思索が,ここに一つの形を見たのである.この事實と「クララの出家」の創作とは無關係ではあるまい.有島にはキリスト敎に心頭していた時点で敬意の對象であったフランチェスコ·クララを,キリスト敎を離れた現時點での自らの思想(本能的生活·奪う愛)を中心に捉え直したいという意圖があり,それが「クララの出家」の構想の中心になったと考えられる.1917年(大正6年)以後,有島は多くの作品を發表し,作家としての全盛期を迎えていくわけだが,それは彼の中で思想が一つのまとまった形を現し,それが?を切ったような創作欲と?がっていったと考えられるとである.

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1930年代의 韓日近代詩 比較考察 - 실향의식을 중심으로 -

林容澤

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.317-332

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4,900원

1930年代における韓日近代詩の一特徵として新しい抒情詩への摸索が見受けられる.韓國の場合は「詩文學派」を中心とした純粹抒情詩運動のなかで,日本では『四季』『コギト』などの詩人による感性と知性を重視する昭和抒情詩の展開のなかで,それぞれ前代の主情的な傾向や技巧主義的詩を否定し,新しい抒情の方向性を打ち出している.そのような兩國の新しい抒情詩の一接点を本稿では故鄕喪失意識で探ってみたものである.まず韓國では詩人の生地へ向けた過去を回想する,いうなら「場所」的槪念に基づく映像の描寫が目立つ.その」際,植民地支配下という歷史的な背景は單なる生地への熱い思いから離れ,祖國や民族という含意を持ち得,その苦痛の現實を知識人の立場で嘆くワンパタン-な特徵を見せている.これに對し,日本の場合は,同じ喪失意識でも實體を待つ「場所」としての故鄕ではなく,近代知識人の普遍的性向なる脫中心的思考や他者意識が?した「離散狀況」(exile)に根付き,人間本然の情神の安住の地を探し求める傾向が著しい.いわゆる「空間」的槪念での故鄕喪失あるいは放浪意識とでも言うべきだろう.このような違いを念頭にいれ,本稿では兩國の30年代における故鄕詩をいくつか取り上げ,自然描寫などについても比較を試みでみた.特に日本の場合は30年代の詩人たちの喪失意識の一つの手がかりとして,萩原朔太郞の「日本へ回歸」を時代のモチ-フと着目し,彼が主張した「日本情神」「家鄕」という非在の空間なる故鄕の幻影と昭和10年代抒情詩人との?わりについても分析を試みる.

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4,500원

本論文は,1882年小山正太郞と岡倉天心の間に行われた「畵ハ美術ナラズ」論爭を通して,近代日本の藝術槪念がどのようにして誕生したのかを考察したものである. 小山正太郞の「畵ハ美術ナラズ」という評論は,明治14年內國勸業博覽會で畵藝が「美術」の區域に含められていたことに異義を唱えることであった.だが,その意見の中には小山の「美術」觀が詳しく提示されている.そこに?まれている「美術」觀は「美術」が人心に「娛樂」「快樂」「慰め」を提供するということと風習の「敎化」「知識·學術の助」「輸出·事業の振起」とならということであった.この小山の主張に强く反發した岡倉は,「畵」が「前後の體勢を比し,各自の結構を考へ,以て人目を?しましめんと欲するの目的に至っては」「繪畵,音樂,詩歌,彫像圖畵,建築」などの「美術」と同一である反?する.とりわけ,この論で注目されるのは小山の提示した「美術」の道德的·經濟的效用性を岡倉が退けている点である.そのため,この論爭は「傳統主義」對「西洋主義」,「物質主義的功利主義」對「美術」の「自律的價値」の主張の對立として論じられてきた. しかし,小山·岡倉の位置していた明治10年代の美術界の環境をみると,兩方とも「文明開化」というスロ-ガンを軸にし社會一般に對して「美術」の道德的·經濟的·國家的效用性を積極的に唱えていたことが分かる.これは「美術」という用語が作られる過程,日本最初の美術學校「工部美術學校」の目的,フェノロサや國?的美術團體<龍池會>の會則,岡倉らが刊行した『大日本美術新報』の「美術論」を通して確かめることができる.したがって,1880年代の「美術」(藝術)槪念は藝術の自立性を强調しながらも,もう一方では「美術」の攻利的效用性を强く?んでいたといえる.この槪念こそ,藝術が自己の觀念·制度を構築して行く近代初期の基本的論理であったのだ. 一方,近代文學の成立に際してこの藝術という槪念は,<文學>が市民權を獲得するに欠かせない條件として見えなされてきた.しかし,『小說神?』を始めとる日本近代文學は,この美術界の「美術」槪念の影響によって,その實用性を自己の論理として內面化してゆくこととなる. この意味で,明治初期の<藝術>槪念,あるいは『小說神?』に付着している實用性·功利性はこれまでの評價のように文學藝術の近代性を損なう否定的な要素というより,むしろ文學藝術の自立性を構築する不可欠な要素と見るべきである.また,その功利的な要素は近代文學藝術が誕生する力動性そのものであり文學藝術の近代そのものであったわけだ.

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本稿は失野龍溪がかいた日本最初のコ-トピア作品『新社會』を取り扱っている.明治三十五年前後,高山?牛などによって主唱された『個人』主義に對する批判的地坪として本作品の『社會』主義を促え,?牛らによって發芽する日本自然主義に對する相對的基軸として『新社會』の可能性を考察してみた.明治十年代の政治小說から出發した龍溪の文學が保待してきた文學的ロマンスへの眞?な執着が,個人の日常生活のなかへ埋役していく自然主義文學の勃興に對して,新しい社會のビジョンを提示する文學として再び現れたのである. 龍溪の『新社會』は,當時,拮抗關係として考えられていた個人と社會との問題を現實の明治社會のなかで相互調和可能な關係として雪程し,近代的市民社會の構成員として各個人の主導的役割を求めている.個人の自發的活動や協調による社會的『公共性』その,今後の日本社會が目指すべき方向であると說いたのである.その遠景には,露日戰爭を目前とする,絶對的國家權力による閉?された明治社會があり,その社會をコ-トピアという反借定の文學を通して相對化しようとしたのである.まさに,この点こそ,『國家』を乘り越えることのできなかった日本近代文學に對して,近代的個人によって形成される『新社會』の可能性であり,本作品が日本近代文學史のなかで異彩を放つ所爲である.

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The Formation and Development of Nationalism in Japan - Focusing on the Early Meiji-nationalism -

Koo, Kyeon Seo

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.365-380

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This paper tried to examine the early Meiji nationalism which functioned as an ideology changing the 19th century that was a turning point of Japanese history. The early Meiji nationalism appeared as the movements making rich nation and strong military, constructing Tenno system, setting up imperialism, building an independent nation, adopting national Shinto, and invading other countries. But in addition to the movements, the Meiji leaden emphasized nationalism in order to strengthen national power, receive western civilization, and imitate the advanced technology of America or Europe. It was necessary to protect Japan h m the aggression by western countries. But internally, the early Meiji nationalism functioned as a good nationalism 1 in the meaning of protection, externally it was just a aggressive nationalism and a bad nationalism because of making an invasion and exploitation upon other countries. Japan have continued to use a nationalism to obtain national interests and development since the 19th century.

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동아시아에서의 도시,농촌 관계와 공동체 - 비교연구의 과제 -

北原淳

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.381-390

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日本の農村の構造的な特徵は,村落社會の?集性にある.とれは,日本の農村が「イエ」と「ムラ」を骨格として成り立って來たことと關係があろう. 東アジアの農村比較硏究はまだその途についたばかりであり,その課題は多い.まず,硏究のレベルでいえば,日本の傳統的なイエ·ムラ論の화組みは他の社會に對して必ずしも適用可能な槪念ではない.小論でもふれたが,イエ·ムラはその外部國家との獨特の關係に支えられている.そこで,まず,このような村落と都市(國家支配者の所在地)との關係を,もっと廣い視野から,他國との比較硏究をすべきである.歷史から現狀までその課題は多い.つぎに,村落內部の社會關係構造についても,イエ·ムラ的화組みは村落內部だけでほぼ完結する獨特の特徵を供えている.このために,同族という親族組織も,本來の父系親族組織である宗族や門中と異なって,その存在空間が村落內で完結する. またイエ·ムラはタイトな?集性をもっている.しかし,通常の東アジアの村落はもっとル-スであり,ムラ內部でもパトロン=クライアント的な二者關係が强く,集團性が弱い.またネットウ-ク的社會關係はムラ的空間を超えて,廣域に開かれている.

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東北亞 經濟統合을 위한 韓日의 役割

金都亨

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.391-413

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地域貿易協定の世界的な流れの中,韓中日3國による地域貿易協定の內外的要因,これまでのそれぞれの國における地域政策と思惑などを探る.しかしながら韓日ともにWTO加入後の中國の將來について半信半疑のもとでの中國?威論流行する.ここでは兩國はまず韓日FTAを先決し,中國の國際ル-ルに對する熟れなどをも考え,3國FTAの時期を待つとする.その間 中國に對し三位一體的經濟協力,國際産業調整,産業競爭力强化策を構じることの經濟的意味や韓日FTA先決の條件,3國それぞれの經濟統合へ向けての課題も明らかにする.互いに東アジアと自國との連携,製造,サ-ビス,ITビュウジョン,市長と技術とのフィドバックが肝要であることを論じる.

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源氏将軍家の継承と摂家将軍家

金永

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.415-429

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鎌倉幕府の將軍家の繼承の問題を,源氏將軍家と?家將軍家の「家」の展開を檢討することによって考えてみた.まず,源賴朝による幕府草創以來の源氏將軍家の繼承に注目してみると,三代までは賴朝との血緣關係によって行われているのがわかる.つまり,賴朝の息子の賴家·實朝が2代·3代將軍となるのである.しかし,賴朝の後家であり,賴家·實朝の母親である正子が源氏將軍家の「家」の展開に重要な役割を果たしているのも見逃せない.つまり,正子は賴朝の拳兵の段階から賴朝と北條氏を强く結びつける役割をしていたが,賴朝の死後は幕府の實權を握って實質の將軍の立場に立ち,源氏將軍家を繼承する妻像を見せている. そのような正子の死後,源氏將軍を繼ぎ,將軍となるのは?關家出身臟原賴經である.?家將軍と呼ばれる人物である.賴經は竹御所という源氏將軍家の女性を御台所とすることによって一時,源氏將軍家との連續性をみせる.しかし,竹御所死後,?家將軍家から源氏將軍家の記憶は次第に薄れていき,兩者はまったく分利されていくことになる.つまり,賴經が源氏將軍家の佛事とかかわりをもたたくなるのである.そして?家將軍家は,獨自の信仰體系のなかに,血緣關係を中心として新しい「家」を成立させていく.以後,源氏將軍家の佛事は?家將軍家から離れ,北條氏によって管黨されていくことになる. 從來,北條氏による將軍權力の形骸化のイメ-ジが强かった?家將軍家であるが,その「家」の展開によいて獨自の發展樣相をみせていることが解明できた.

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露日戰爭後의 靑年政策 - 文部省을 中心으로 -

김종식

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.431-446

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露日戰爭は軍人だけではなく,日本國內國民も共に戰った總力戰であった.この戰爭において靑年たちか見せた活動,すなわち銃後活動は一回的な性格をもつものであった.日本政府は戰爭で見せた靑年と靑年團體の力を持續的に活用するための政策を具體化しようとした. 文部省は小學校育の延長機關としての靑年團體の活用しようとした.しかし靑年團體に對する指導權を內務省が握っているから,文部省の靑年團體政策は,靑年に對する實業敎育中心の實業補習學校の奬勵に限定された.補習敎育奬勵は,農會などの實業團體に依存せさるを得ない限界性をもっていたのである.また靑年團體との關係も,實業補習學校の就學奬勵に限ったのである.しかし文部省は,實業補習學校の敎育內容に「國民市町村民の心得」,すなわち公民敎育を取り入れることで,內務省の靑年團體指導における問題の解決策として提示された公民敎育の必要性と步み寄る可能性を見出していた.このような實業補習學校の公民敎育は,日本における本格的な公民敎育のはじまりでもあった.文部省の實業補習敎育奬勵は,靑年·靑年團體政策,または公民敎育導入において重要な役割をはたした.

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『神皇正統記』의 歷史敍述의 性格

南基鶴

한국일본학회 일본학보 제55권 2003.06 pp.447-463

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北??親房の神皇正統記は, 慈門の愚管抄と共に, 日本中世の代表約な史論書である. 本稿は, 從來硏究の手薄だった, 正統記の歷史敍述としての側面一敍述の形式·內容及び特徵を具體的に捉えようするものである. 正統記は年代記的敍述をぶまえた史論書で, 神代史と人皇の時代に大別される. 神代史の前半にあたる序論は全體の敍述の意圖と方向を讀者に明確に示すという重要な役割を果たしており, 神代は簡潔で首尾一貫した著者の神道論の集約として, 心血を注いで記述されている. 讀者は正統記の序論と神代を讀んで, 日本の國家の本來の姿はいかなるものであり, 日本の歷史がどのように展開してゆくかを予想しながら, 人皇の時代を通じてそれを確認する立場に置かれるようになる. 正統(正理)論·神器論といった正統記の歷史理論は, 歷史そのものを論じるより, 現實の政治的必要から歷史を意圖的に再構成したものといえる. ここに, 著者の歷史解釋と歷史事實との乖離·矛盾が生じたりする. また, 正統記は, 儒敎という特定の理念を??所として現實の政治を見つめ, 探るべき指針を歷史に??託して提示している. こうした歷史上の爲政者に對する道德的批判, すなわち `褒貶` を中心とした歷史敍述と關係して, 史實自體の追求を??いていることも指摘しなければならない. 正統記の歷史敍述において見落とせない特徵の一つは, `比較`の方法である. 正統記は日本と中國,あるいは日本とインドとの比較される歷史事象を論点別に說明し, その差異や共通を明らかにしている. 最後に, 正統記の文章表現は簡潔明瞭で論理整然としている主知的な敍述を基調とするが, 後醍??天皇の死などの事件について, 極めて主情的に敍述された部分も見當たる.

 
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