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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제65권 (47건)
No
31

4,600원

もともとグロテスクとは、‘怪奇․不気味’と‘可笑しさ’という二つの性格を併せ持っている概念であるが、最近この概念は主に妖怪や鬼、物の怪などの超自然的な怪奇を指すものとして認識されているように見受けられる。が、文化、またはその文化を読み取る重要な指標である文学テキストに表れたグロテスク性を考察するとき、この二つの要素への均衡の取れた認識は必要であり、作品に表れた人物造型のグロテスク性に関する研究もまた、‘怪奇․不気味’と‘可笑しさ’という二つの性格を併せ持っているキャラクターに注目すべきであろう。 本稿は、『源氏物語』にこのようなグロテスク性を持っている人物がどのように造型(形象化)されており、さらにどのような機能を持っているのかを、末摘花物語を対象にして分析してみた論である。 日本の古典文学のテキストを分析したとき、人物造型のグロテスク性は異常出生、醜貌、異常行動という三つに分類できる。末摘花のグロテスク性は「なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖にふれけむ」(「末摘花」․1․373頁」)という和歌や「古代」と「古めかし」という表現から分かるように、鼻先が赤い彼女の醜い鼻に代表される末摘花の醜貌や田舎びた態度、垢抜けていない服装、時代遅れの和歌趣味などをもって形象化されている。そして読み手にこれらの要素がグロテスク性として受けられるようになったのは、「荒れたる宿の姫君に恋する通りがかりの男君の物語」という昔物語の構図とのずれもまた一要因になっているように思われる。 このような末摘花物語の作品内的な意味としては次のように三点が指摘できる。「長き心」を持っている男性であるという光源氏の理想性を浮き彫りにしている物語表層においての意味、石長比売・木花之佐久夜毘売姉妹物語という神話との関わりから読み取られるように、光源氏がグロテスク的な醜女である末摘花と結婚することによって安定した地位を得るようになるというテキスト深層に内在している意味、そして末摘花物語が光源氏を始めとしたその時代の貴族社会を相対化することによって貴族社会の矛盾を批判し、結果的に『源氏物語』の理想的で優美(みやび)な物語世界を再照明させるきっかけになっているという点などがそれである。

32

가오루(薰) 20세의 공백의 의미 ―「橋姫」巻의 「三年」를 始點으로 ―

李慧媛

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.501-516

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4,900원

「橋姫」巻には薫と八の宮とが交際を始めて三年が経ったという記述が見える。本稿ではその三年という言葉に注目しながら、その三年という時間のうちに薫の二十歳が空白になることからその意味について考察した。 まず、三年という期間が持っている意味と機能について論じた。『源氏物語』や『源氏物語』の以前の作品からその用例を探ってみたところ、三年という期間は三という数字が持っている神聖性と男女関係の変化様相可能の時間として機能することがわかった。それは単に文学作品の中でのみ見られることではなく、当時の法典の中でも見られることである。したがって、薫に与えられた三年も、彼が女君に関心を待たせる装置として機能していると言える。 次に、薫に与えられた三年のうちに薫の二十歳の物語が空白になることに注目した。それは光源氏の二十歳の空白と比較してみると、女君たちの後見になるという通過儀礼的な意味という共通性はあるものの、光源氏の二十歳の空白は政治権力と緊密につながれていることにたいして、薫の二十歳の空白は権力志向の意志が相変わらず胎生的問題で、なんでも行動に実行できず、留まっていることになる。 三年の経過も薫だけには薫が胎生的に抱えている根本的な問題は解決できないため、現在の時間を浸蝕させてしまうことになるし、同じく二十歳の空白も女君に対しても、出家にたいしても、行動に実践するきっかけとしては作用していない。これは何処にも属されない疎外された薫像を三年と二十歳の空白を通して逆に見せているといえよう。

33

시마자키 도손의 『집(家)』연구 ─소리의 기능을 중심으로─

임태균

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.517-530

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4,600원

島崎藤村は『家』の中で音や聴覚の要素を意図的に構成し、登場人物の内面を象徴的に表していると思われる。三吉やお雪を含む主要登場人物の描写と関わって、<屋内>を脅かす<屋外>の現実が象徴的に現れ、作品の中で絶えず緊張関係を保っている。自然の音や人工の音、それから新しい家の不成立等にかけて、聴覚のイメージがどう形象化していったのかを探ってみるのは、大変有意義なことと考えられる。 本稿では、『家』に現れている聴覚のイメージについて考察することによって、登場人物の葛藤構造や新しい家の不成立の様相を探って見るとともに、その背後に<近代>に対する視角がどう反映しているかを突き止めてみたい。

34

4,900원

本論文は広津柳浪の『新思想?』における女主人公がいかに表象されているのかを、当時の時代的潮流の中で分析したものである。  この作品が書かれた明治30年代は、特に「明治民法」の公布がよく示しているように、戸主権、家督相続、男女不平等を中心とした「家」制度が国家法として登場した時期である。またこの国家法の制定に伴って、家父長的「家」の維持を中心とした家族教育制度も整備されていた時期である。そのような動きが「良妻賢母」教育の実践、家庭教育の強調であるが、このような教育界の動きは儒教的な家庭道徳を確立させようとした当時メディアのキャンペインとともに、この国家家族主義を社会の隅々まで拡散させていった。  しかし、『新思想?』の作品世界を見ると、ヒロインの「諸岡才子」は、家父長制や良妻賢母主義、女性の受動性や貞淑美といった当時の社会の一般的な原理に同意しない、かえってそれを全面的に否定する新しいタイプの女性として描かれている。それは、「家格」や「家産」の保存といった伝統的な「家」観念の否定、婦人の「氏」の独立・戸主及び父母の結婚承認権の否定といった「家」制度の否定がその事実をうかがわせている。「諸岡才子」の女性・家庭に対するこのような認識は、当時形成されつつあった(初期)社会主義的女性・家庭論に基づくものであった。  勿論、この作品のタイトル<新思想>に疑問符が付いていることや、ヒロインに対する語り手の皮肉な価値評価的な言葉を示唆しているように、この作品はヒロイン「諸岡才子」が持っている新思想や社会主義に対し強い疑問や批判が呈されているといえる。それにもかかわらず、その批判的眼差しの副産物として、日本の近代国民国家の形成過程で明治30年代に盛んに唱えられた「家族主義の戦略」を正面から拒否する新しい人物像が獲得されたといえる。 また、登場人物の実相を自立している形像として考察した結果、「新思想」に疑問符を付け加えるべき人物は「新思想」に共鳴していたかのように見せかけていた夫の「道彦」に他ならないといわざるを得ない。というのはこの物語の根底には、自分が信じる「主義」に土台し愛の実行・独立を図った一女性と、一時「新思想」のほうに傾いていたかのように見えたが、依然として旧来の因習・利害得失・世間の眼等に完全に切り抜けていない一男性との相容れない食い違いが潜んでいたからである。

35

芥川の中國旅行と女性像

曺紗玉

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.547-558

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4,300원

芥川龍之介は、一九二一(大正十)年三月下旬から七月中旬まで、大阪毎日新聞社の海外視察員として中国を回った。芥川の旅した四ヶ月間は、中国の激動期であった。各地を回り、文人や政治家に接し、社会意識を広め、実際皮膚で感じた排日的感情を通して日本帝国主義を直視するようになった。 一九二○年六月二十三日七月一日に発表した「南京の基督」の中で芥川は、ロマンカトリックの信者でありながらも親孝行のために娼婦になり、日本人とアメリカ人の混血児に騙されても彼をキリストと信じている無垢な金花という女性像を描いている。金花のような利己的でない情熱的な中国の女性たちにより、中国はいずれ再建出来る時が来るという未来を芥川は期待し、日本が帝国主義に走っていることへの憂慮を示していると読むことが出来る。 そして一九二一年には「母」を発表しているが、まず、あまりにも自分のことだけに集中して周りが見えない利己的な日本の女性を描いているのではないかと思われる。もう一つは、中国に赴任した夫について上海に行き、風邪から肺炎に移り赤児を亡くしている日本の母の気持ちを描くことにより、日本の膨張主義の犠牲になっている日本の民衆の痛みを描いていると言える。 その三年後の一九二四年二月、『文芸春秋』に「金将軍」を発表し、初めて朝鮮の民衆について小説を書いている。当時の話ではなく、豊臣秀吉が朝鮮侵略した時代を背景にしている。「将軍」で検閲を受けた芥川としては、四百年以上も前の話である『壬辰錄』という朝鮮の軍談小説を原典として使いながら脚色している。しかしこの作品で桂月香という「国を憂ふる心」を持っている朝鮮妓性の女性像を描くことにより、日本がそれ以上隣国を抑圧し苦しみを与えるなら、日本帝国主義の未来はどうなるのかを問い掛けていると思われる。 その後一九二六年一月発表した「湖南の扇」では、自ら経験した中国の長沙での排日的行為を書き、「負けぬ気の強いこと」や情熱を持っている玉蘭という中国の女性像を描いた。そうした中で中国の未来を見通しながら、日本帝国主義の終局への恐れを投げかけている。

36

4,600원

本稿は今なおも戦争の継続のなかにある沖縄の問題を文学作品から問い直してみたものである。沖縄戦の「真相」が沖縄人によって記録され、語りつがれる際に、「鉄の暴風」・「唯一の地上戦」というような言葉で代弁される沖縄の自画像は形成された。しかし、そこには占領者、支配者としてのアメリカや日本軍、そして被害者としての沖縄の悲惨な光景が浮彫りがちであった。つまり、沖縄戦の真っ直中に存在していた朝鮮人軍夫や、慰安婦の声は全くと言っていいほど聞こえていなかったのである。 本稿においては、以上のような問題を又吉栄喜の「ギンネム屋敷」を通して考察してみた。この作品は沖縄戦において、「沖縄人は戦争のないところに疎開」したが、「朝鮮人は激戦地にやってくる」しかなかったことや、戦争の犠牲者の象徴である「骨」は決して「朝鮮人」のそれを意味しなかったことを告発している。つまり、「唯一の地上戦」・「鉄の暴風」という言葉によって、今現在も被支配者、被害者として存在する沖縄を警戒・相対化し、また、沖縄が「朝鮮」をはじめ、アジア諸国に対して加害者たりえたことを、この作品は喚起させてくれる。 もちろん、沖縄戦をめぐる複雑な問題が、「他者」を認識し、加害者としての可能性を秘めた沖縄を認めることだけで解決されるわけではない。それについては「平和の礎」をめぐる「朝鮮」の言説を通して確認することができた。 しかし、日本とアジアの中間的な存在であると言える沖縄が提示できるのは、あるいは提示しなければならないのは、戦争体験を生かしてアジアという「他者」の声を反映し、また、戦争体験を通して日本のあり方を問い続ける視座であると思う。「戦後六十年」を迎えた今、本稿において試みた作業は、私たちのなかにはたして「他者」の声が聞こえているかと自問する契機となるであろう。

37

김여철(金如鐵), 일본명 와키타 나오카타(脇田直賢)에 대한 고찰

최관

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.573-582

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4,000원

壬辰倭乱における捕虜人の実態は、先行研究の蓄積にも関わらず、その全容が究明されているとは言えない。本論考では、捕虜人の総合的な考察のための試論として、金如鉄、日本名脇田直賢(わきたなおかた)という人物に焦点を当ててみた。幼いときに捕虜人として日本に連行された金如鉄は、加賀前田家の恩恵を受けることとなり、成長してからは脇田家の人と結婚して脇田氏を名乗るようになる。朝鮮人として差別を受けながらも藩主の信頼のある加賀藩士として活躍し、大阪夏の陣での武功がついに認められ、加賀藩の中心的な家臣となる。そして長い間金沢町奉行を歴任し、最後には朝鮮人に帰り、死を迎えたと思われる。彼の長男も金沢町奉行として役割を果たし、同時に文化的にも優れた痕跡を残している。このようなユニークな生涯を送った金如鉄という人物をめぐって、本論考では金如鉄の「家伝」や父親である金時省に関する国内記録の紹介を中心にして考察した。

38

5,200원

本稿は、明治二十年代に書かれた最初の明治文学史を手がかりとして、日本近代文学発生の新たな状況を把握することを目的とした。具体的には、明治10年の西南戦争の直後に集中的に書かれ、多くの読者層を形成した「毒婦物」の内実と文学史的位相を明らかにすることである。これまで毒婦物を含む戯作は、前近代的作品として扱われ、それの衰退から日本近代文学の発生が語られてきた。本稿は、このような従来の評価とは違う視座から、毒婦物そのものから日本近代文学の発生を見いだそうとしたのである。 とくに注目したのは仮名垣魯文の『高橋阿伝夜叉譚』である。この作品は毒婦物の代表作で、現在まで繰り返し文学の素材として用いられている。『高橋阿伝夜叉譚』を分析するために、まず、作品のもとである連載記事をのせた小新聞『かなよみ』をその表現意識と紙面構成から分析した。それによって、『かなよみ』の紙面にある「官令」と「雑報」とが拮抗しており、そのような構図のなかには「官令」の指向する近代国民国家の矛盾をつく小新聞独特の表現意識が働いていることを明らかにした。つづいては、従来「勧善懲悪」主義と際物という視点から評価された仮名垣魯文の表現意識を再検討した。それで、魯文が明確な歴史認識をもっており、それに基づいた表現のもとで時代状況を相対化していたことを明らかにした。そして、『かなよみ』の紙面で用いた逆説的な方法が『高橋阿伝夜叉譚』では冒頭の判決文と終りの自供書という構図として現れていることを把握した。さらに、そのような構図をとおして、『高橋阿伝夜叉譚』は、阿伝に対する性急な糾弾ではなく、裁いた側の法律とそれによって推進されていた近代国民国家体制の含んでいる問題をうつしだしていることを明らかにした。「毒婦物」は決して低級な作品ではなく、尖鋭な時代認識と豊富な文学的表現意識をそなえた、それこそ日本近代文学発生の土壌であったのである。

39

芭蕉의 俳諧世界 속의 여성

許坤

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.601-615

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4,800원

芭蕉の俳諧文學が完成するまでは、芭蕉のまわりには芭蕉の生活と俳諧人生に大きな影響を与えた人々が多く存在していてことは否定できない。たとえば学問的な面では、常に芭蕉の尊敬の対象であった藤原定家・西行・宗祗のような先學たちがいたし、また芭蕉の俳諧の改革の主なメンバーであった蕉門の門下生たちは芭蕉の俳諧人生においては掛け替えのない大事な周辺の人物であったことは間違いのない事実である。本稿では芭蕉に学問的な面で影響を与えた人物の他に,主に芭蕉の作品の中に現れている女性たちの存在に関して考察した。その部類として、まずは、芭蕉が俳諧という文藝世界を媒介にして接した女性たちとその文芸世界の道を楽しんだ女性たちにし、二番目は、芭蕉が紀行中に接した女性たち、三番目は、芭蕉の生活の中での女性などに分類した。 芭蕉の作品に描かれている女性たちの姿からは、多くの悩みの中で近世俳壇の改革に力を注いでいる俳人としての芭蕉の姿がうかがえるし、また一方では、決して甘くない現実の中で自分が処している現実を明確に認識し、それを受け入れながら乗り越えて行こうとして努力している芭蕉の姿からは、俳人芭蕉の人生観と哲学がうかがえる。そして俳聖とも言われている芭蕉が俳諧とはまた異なる現実の世界の中で人間的な悩みによって煩悶している姿を通じては彼の俳諧文学が決して現実と掛け離れた文学ではなく、人間の生活そのものから生まれて完成した現実の中の文学であるというところに注目すべきであると思うのである。

40

일본식민지의 영화와 시대성 ―조선영화를 중심으로―

구견서

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.617-630

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4,600원

映画は近代芸術として日本に流入され、その過程の中で米国とフランスの映画技法と機器, 表現方法 等が受容され、日本的映画が作られることになった。その日本映画は植民地にそのまま日本人また日本に留学された留学生らによって伝授され定着した。本稿では日本植民地として朝鮮における映画の形成と展開を深りながら、太平洋戦争以前, 太平洋戦争前期, 太平洋戦争後期 等の映画を通じて現れた時代性を取り出すことにする。当時 朝鮮においては親日映画が進められると同時に民族主義と民族的自覚を促がす啓蒙映画が登場したのである。結論的にいえば、日本植民地映画に表れた時代性は、抵抗運動に関聯された民族主義、親日政策を支持する親日主義, カプ(KAPF)主義 等の性格を持ったのである。特に植民地と被植民地のあいだで映画を芸術として認識されながらまた宣伝媒体として認識され曖昧性を持つ境界主義も存在したのである。

41

戰後初期における國民體育大會の機能と特徵

權學俊

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.631-644

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4,600원

国体はGHQの「純粋なスポーツの復活」と「大衆化」方針によって、1946年誕生した全国的なスポーツ大会であるが国体開催には侵略戦争に協力した戦前神宮大会への郷愁と理念的・人的つながりがあった。戦前歴史の連続は、国体に「象徴天皇」と「日の丸・君が代」「天皇杯」などを登場させる。また、文部省が国体主催者に入ることによって、国体と日体協は国家体制に本格的に編入される結果となる。特に1950年第5回愛知大会は、冷戦の本格化、全面講和運動の昂揚、朝鮮戦争に対する平和運動など不安定な社会的環境の中で開催された。それゆえ、日本政府は愛知国体を通して現存の支配構造を強化し、国民国家再建を目指した。また、日本の独立に先駆けてナショナリズムの昂揚が図られたのである。さらに、戦後初期国体は日本スポーツ界が国際復帰することをきっかけに「競技力向上」という視点に政策が変化することによって、オリンピックをはじめとする各種国際競技大会に連動していった。その背景には敗戦によって分散していた伝統的ナショナリズムの喚起と統合をスポーツ大会、特に国体に担わせた政策目的があった。 この過程を経ながら戦後初期国体は国民感情昂揚に寄与しつつ、国力の再建・復興を目標に「戦後復興」と「民族再建」を集約的に表出し確認するイベントとして、またスポーツという平和の祭典を遂行する「新生日本」に対する国際的信用の回復を占う儀式・品評会として位置付けられた。

42

근대일본의 町村과 村政擔當者

南相虎

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.645-666

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5,800원

本稿では、群馬縣新田郡の綿打村や笠懸村を分析対象地域にして村政担当者の選出過程、小學校問題などの日本近代期の村政運営の実態を把握し、村政担当者に対する階層分析の結果との相互関連性を究明した。 その結果、町村制施行直後においても役職に自作․自小作以下層が登場してくること、さらに明治․大正期に中․下層の自作農や自小作以下が役職に登場することは外皮的現象にすぎないのではなく、實際の村政運營に彼らの影響力があったことも指摘した。町村制施行直後においても農村内の實態においては自作農․自小作農が地域有力者として活躍していたし、彼らの參与と協力なしには村政運營はうまく進行できなかった。つまり有力者は地主によって獨占されていなかったし、自作や自小作層も有力者としての影響力を持ち得る柔軟な村落秩序であり、その点においては明治期の農村支配構造=地主支配構造と言える強力的な地主支配について再檢討すべき地域は少なくなかった。このような村落運營秩序の延長線上のうえに立って、1930年代の農村内の支配構造も成り立ってきたと思われる。綿打村や笠懸村での村政担当者の階層分布から確認したように年ごとの小さい差はあるにしろ、町村制の施行直後の傾向は1930年代にも続いていた。いわゆるファシズム時代にみられる村落運營構造は、すでにそれ以前、町村制施行初期からみられる現象として、その延長線上におかれている点である。 今まで多くの研究が町村政の担当者の段階的な変化の側面を強調してきた。これに対し、筆者は明治初期から見られる連続的側面をみようとしたのである。資本主義の発展段階に伴う地主制の変貌という一般的命題を前提にし、村落運營の秩序というものも地主的支配秩序から変貌していくとするこれまでの多くの研究に対して反命題を提示したつもりである。

43

일본 학문승의 신라 유학에 관한 교육사적 고찰

박균섭

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.667-683

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5,100원

『日本書紀』と『続日本紀』によれば、7世紀後半から8世紀前半にかけて観常、靈観、智隆、明聡、観智、山田史御形、辨通、神叡、義法、義基、惣集、慈定、浄達などの日本の学問僧は新羅へ留学して仏教を勉強していた。彼らは長期留学を通じて仏教経典と文化を勉強した学問僧として、短期的な出張とか巡廻の性格を持っている請益僧および還学僧、そして仏道の実践を課業とする実践僧とは異なる。日本の学問僧の新羅へ留学したことに関する考察を通じて韓国の古代仏教の位相と意義を確認することができる。日本の学問僧の役割は、造仏工、造寺工、瓦博士、鑪盤博士、画工などとは違ったことからみて、日本仏教において中国仏教とは異なる韓国仏教の性格と歷史的な意味が詳しく現われる。特に日本仏教の現実とその必要によって行った写経と角筆の問題は新羅へ留学した日本の学問僧とどのような関わりを持っているのかについて検討する課題が残っている。‘中華’-‘蕃国’という中国的な思想を模倣した日本書紀と続日本紀の記述は、新羅を朝貢国・附庸国と見る日本支配層の‘八世紀史観’の産物にすぎない。日本書紀と続日本紀の史料上の形式論理を排除すると、この時期の兩国間の交流の主な内容は文物の伝播と受容である。日本の学問僧の存在は、古代韓国と日本の学術交流に関するまじめな姿をしめすことだと思う。

44

4,800원

The purpose of this paper was to identify the giftedness for the gifted in Korea, and to draw an implication for the gifted education in Japan. The characteristics of the gifted from the elementary school to the high school periods were collected by the diverse ways. Average students group and the gifted students were compared. Then, the three groups of the gifted who were in literature, science and art were analyzed. The results showed that the gifted were superior to their cognitive variable, such as intelligence, aptitude in the records from the elementary school to the high school periods. And their affective variables, such as the satisfaction of all school life and the relationship among the friends, and success experience were excellent level on the statistical significant level. These giftedness were based on the cognitive, affective, and success experience during school days. These results were supported by preceding studies. This study has an educational important implication that the gifted are manifested the special educational service printed in the ministry of education in Korea and Japan.

45

4,500원

世界化、情報化を始め世界的な環境の変化は企業において新たな経営政策の必要性を考えるようになった。企業はコーポレート․ガバナンスを基にした新たな経営のモデルを念頭におき、それを実現するための制度的な装置を構築しようとしている。韓国と中国そして日本の企業もこのような流れから例外ではない。この論文ではこのような状況に直面している韓国、中国、日本の企業のコーポレート․ガバナンスの可能性を中心に三国の企業の発展の可能性を比較して見た。 その結果、従業員主権型コーポレート․ガバナンスの可能性がもっとも高い国家は韓国であり中国と日本は韓国に比べて可能性が低い。韓国は特に年齢が若くなればなるほど中国、日本に比べて可能性が高いという調査結果になった。日本の場合、従業員の会社に対する一体感と所属感に対する調査で韓国と中国に比べて低い比率を見せ、今まで日本の会社の従業員は会社に対する一体感と所属感が高いという認識と異なる内容である。また企業の経営に対する参加意識の面でも韓国に比べて日本の従業員が低い意識を持っており、経済的にもっとも発展し企業の文化も進んでいる日本のコーポレート․ガバナンス発展の可能性が韓国比較して低いと言えるだろう。

46

竹越與三郞의 식민사상 ―저코스트 식민론의 원형―

정애영

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.715-730

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4,900원

本稿は竹越与三郞という明治期の歷史家で、ジャーナリスト政治家として有名な人物を取り上げ、近代日本の帝國主義化過程で現れた対外思想の斷面を明らかにしたものである。特に日露戰爭後の朝鮮の保護国化に対する彼の「保護統治論」に焦点を合わせ、明治期の植民思想の側面から植民論の潮流を究明し、これが以後の「南進論」の基底になっていくのを論証した。日露戦後朝鮮の保護国に対する当時の保護国に関する議論を紹介し、そこから竹越の保護植民論のもつ歴史的評価を試みた。すなわち、植民地領有には積極的に賛成するが、武断的でコストのかかる併合には反対で、植民経営の立場から「保護国」体制を主張する植民論の潮流の形成を確認することができた。これは明治期から大正期に至る日本近代の対外思想の流れを確認する作業であるとともに、従来究明されてこなかった「保護國」議論の新しい側面を歷史的に位置づけすることになると思われる。また、これらの植民論が大正期の「南進」思想として形成される過程を「底コスト的植民論」の潮流として歴史的に位置づけし、近代日本の植民思想の特色を浮彫りにした。

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한일 재계의 정책 영향력 비교 ―기업의 국제경쟁력과 정책 지향―

최태욱

한국일본학회 일본학보 제65권 2005.11 pp.731-746

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4,900원

The Korean big business has been evaluated as a mere private-interest seeker. In contrast to the Korean case, the policy inclination of the Japanese is much more public-interest oriented. The Japanese big business has a strong tendency to take care of such issues as the social integration, welfare, environment, and even international stability and peace. What makes the Korean big business differ from the Japanese? The purpose of this study is to explain this difference between the two. A hypothetical explanation to this question is proposed as follows: The higher is the international competitiveness of the big business, the stronger is its public interest inclination. This hypothesis is evaluated through the following three methods: comparison of the spacial difference between the two countries during the same period, comparison of the periodical difference of the attitudes of the big business within the same country, and comparison of the spacial difference among several countries during the same period. The result of this study tells us that the rent-seeking behavior of the Korean big business comes at least in part from its low level of international competitiveness.

 
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