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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제59권 (42건)
No
31

芥川龍之介におけるジャ―ナリズムの意味

林薰植

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.427-439

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4,500원

This thesis is a study of journalism in the point of view of Akutagawa Ryunosuke in his book 「Saihonohito」(The Westerner).Akutagawa called Jesus a 'Journalist in the ancient age' and His teachings (Bible) as 'Journalism', however, when one examines it closely, it is obvious that his illustrations point at Jesus' evangelical work as a mass-media to reach the people in His time through His teaching. Understanding Jesus who is depicted in his book is essentially a portrait of Akutagawa himself, the application of meaning of 'Journalism' is a reflection and employment of unique expression of his own work. Furthermore, Akutagawa was envious of the fact that the Bible was so popular and sold worldwide, and he was confident that his book would be appreciated as one of the highest work and considered as an everlasting masterpiece by the future generations.This could well mean he hoped his book would become a best-seller and bring him a fortune which would mean a success in the business sense as well.Ultimately, Akutagawa was trying to reflect his own idea of journalism with the characteristics of mass-media and commercialism onto the Jesus' life.

32

谷崎潤一郞「痴人の愛」の轉換 -ナオミズムと女性讀者像-

張榮順

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.441-455

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4,800원

本論では「痴人の愛」とその連載誌の読者層との関わりに焦点を合わせる。「痴人の愛」が『大阪朝日 新聞』から『女性』へと掲載誌が変更されたとき、それによる読者層の転換が「痴人の愛」の誕生に重要な役割を果たしたと思われるからである。『女性』で連載が再開された「痴人の愛」は、その掲載誌変更と同時に、物語上においてもある転換が起こっている。それは、譲治に「教育」されるべき対象であったナオミが、逆に優位な立場に立つという点である。『女性』に連載される「痴人の愛」の後半部をその前半部と比較して考察するとき、そういった逆転が起こるのは明らかに『女性』誌に入ってからである。こうした内容の変化の理由は、掲載誌である『女性』の主な読者であり、また文化的な担い手としても注目されていた女性たちの存在にこそ見出すべきであろう。 そこには掲載誌の主要読者、つまり女性婦人層を「読者諸君」の対象とした谷崎の独特な配慮が示されている。そしてそれが、当初構想されていた「痴人の愛」の全体的な枠組みに転換を促した要因ではないかと推測される。

33

4,200원

本論文は、李光洙の初期文学論の中でよく議論されている「朝鮮(民族)文学論」を,1890年代以降頻繁に刊行された<日本文学史>と関連づけて考察し、李光洙の「朝鮮(民族)文学論」の孕んでいる可能性と時代的限界を考察したものである。  これまで李光洙の文学論と日本文学をめぐる先行研究をみると、主に大作家や巨大作品(評論)を中心に、影響受容論が展開されてきた。しかし、李光洙文学論の骨子をなしている「知情意論」は勿論、彼の文學論の形成は日本の巨大作品の垂直的な影響と言うより、むしろ李光洙が位置していた文学環境に基づいていたといえる。本論文のテーマである「朝鮮(民族)文学論」の場合は、彼が日本の中学に在学していた頃から接していた<日本文學史>を相当意識し、また参考したものと言える。 『小說神髓』の刊行以降、日本で近代文學は芸術の一ジャンルとして「美」をその目的とするものとみなされてきた。しかし、<日本文學史>をみるかぎり、文學を「美」の領域に囲むより、國語という思想に基づき、民族の思想、感情を啓發し、國民に愛國心を鼓吹する役割が强調されてきた。 このような文學環境の中で、近代的文學觀念を形成した李光洙の「朝鮮(民族)文学論」の場合も、一見すると、文学に文化的ナショナリズムの尖兵的役割を担当させようとしたかのようにも見える。しかし、彼の朝鮮文学論は自国文化と外来文化の調和という認識の欠如は勿論、民族文学の偏狭さと論理の矛盾を孕みながら、伝統文学の断絶という方向へと進んで行ったといえる。 李光洙の「朝鮮(民族)文学論」は <日本文學史>の言說を中心とした日本發信の文化的ナショナリズムを受用し韓國文學に適用、展開させていく過程で導き出されたものである。したがって、李光洙の「朝鮮(民族)文学論」には、植民地空間の中で、幅広い自己認識を欠如したまま、近代化=(日本經由の)西歐化を推し進めようとした植民地知識人の偏狹さまで內在されていたと言えよう。

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『行人 』論 -〈心理學〉に關する考察-

鄭守嫄

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.469-482

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4,600원

漱石は生涯に亘って精神に關わる病氣に惱まされていた。『行人』は、作者自身の「神経衰弱」の症狀と、よく關連付けられて論じられている作品である。一九五〇年代までの『行人』論は、主に一郞の精神衰弱の原因を探る論が主流になっていると見られる。本論では、一郞の罹っている神経衰弱の原因を論じた諸論をふまえた上で、『行人』と「心理學」との關係を軸に『行人』論を展開した。精神に關わる病に對する「精神分析」及び、「精神療法」が、作品の中でどのように盛り込まれているのかをみていく。『行人』では<テレパシ―><心靈術>への実験や興味が見られる。人の心を知ることによって、自分の神経を鎭めようとした一郞の<テレパシーの硏究>は、無駄に終わってしまい、その次の段階として<フロイト心理分析>や<心理療法>が試される。 家庭內で自分の氣持ちが素直に表現できなかった一郞は、旅行という日常から離れた時空間の中で自由に自分の氣持ちを現すことができた。一郞とHさんとの關係は、まるで患者と精神医の關係を連想させる。話の引き出し役であり、精神医のような役割を果たすHさんは、一郞の精神を安定させる上で欠かせない存在である。 当時、畵期的だと注目されていたフロイト心理學の「心理療法學」における医師と患者との「特殊な人間關係」を、『行人』の中に見ることができよう。それに「カタルシス療法」という心理療法が使われている。一郞の流すこの淚は、自己の直面する<苦惱を表出>することによって、<コンプレックスを解消>するという、フロイト心理療法の<カタルシス療法>に類似したものに他ならない。『行人』の登場人物の言葉はフロイト心理學の影響を、受けているのかどうかについてははっきりわからない。いずれにしても『行人』が、「心理學」と關わりがあることだけは確かであろう。『行人』は<精神分析>と<心理療法>を試みた作品として讀むことができよう。

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일본영화의 형성과 전개 ―무성영화를 중심으로―

具見書

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.483-500

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5,200원

本稿は日本映画がどのように形成し、また展開されてきたのかという問いを無声映画の時代を通して体系化することに目的がある。日本映画は明治維新以後、近代化過程で西欧の映画器機と技術が流入され成立したし、他方では日本の伝統芸術から内容、形式等多い営養分を受けて成長した。そして、国家の成長する過程でイデオロギーを創出し、日本内と植民地にまでそれを伝播する役割をはたした特徴がある。しかしながら、伝統文化たる歌舞伎や能側から蔑視されたり無視される傾向があり、高級文化としてではなく子供や都市労動者らがたのしめむ庶民文化として定着した。無声映画の時代の日本映画は戦争映画、忍術映画、活弁映画、時代劇映画、現代劇映画、プロレタリアト映画等の性格をもち展開された。このような無声映画は国内統合、植民地獲得と支配のための道具として利用され有声映画に継承された。その中でも日本政府は明治初期から映画検閲しはじめ内容と表現を制限した。特に昭和前期において国家は映画を理念伝播のメディアとして認識し、国家と映画との流れを一致させる国策映画を生み出すようになった。このような視覚から見ると、無声映画は民族主義映画というものとなったし、1930年代にはいり本格的な国策映画としての機能を果した。

36

5,200원

本論文の目的は、最近施行された日本の兒童福祉法の改正の主要內容と特徵などを檢討し、その檢討された內容に基づいて旣存の日本の公立保育がどのような形態と方向で民營化、市場化へと進行されていたのかを調べ、整理し、また日本の乳·幼兒保育界の改革動向把握などを通して我々の乳·幼兒敎育と保育制度改革の方向設定に新しい示唆点を摸索してみることである。 まず兒童福祉法改正の主な趣旨とその背景には、少子化及び高齡化社會への急速な進行、一般國民の保育に對する多樣な要求とその要求に對する政府から提供する實質的な兒童福祉サービス內容とその質的水準とのギャップ(差異)、兒童の權利に對する國際的な次元からの强化とそれを承認する雰圍氣などが深く關われている。改正法案の主要內容と特徵は、改正が行われた年度別によって多少違いがあるものの大きく次のような3点で整理することが出きよう。1997年の改正內容の中には保育所に對する選擇方式が旣存の行政による措置から保護者選擇方式へと変更された点である。二番目に、2000年の一部改正においては旣存の措置制度が廢止された点が大きい変化とも言えよう。三番目に、2001年の改正では、認可外保育施設に對する規制と監督の强化、保育士資格に對する法律的な强化、保育供給を增大させる義務のような事案等をその主要な特徵として擧げられよう。 日本における公立保育所の民營化への動きは、1997年6月に施行された兒童福祉法の改正を契機に實際に急スピードをスタートし初めた。そしてその法律の改正をきっかけにして旣存の日本の保育制度の改革は「公立保育所優先原則の廢止→保育の多樣化→保育の民營化」という大きい方向へと展開されていた。日本における保育改革の進行は、結局のところ、兒童福祉法の改正を通して公的保育全般に對する改革が支持されることができたのでその進展により一層の速度が出せられるようになったと考えられる。

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축제의 생산과 소비를 통해 본 ‘마쓰리 투어리즘’의 가능성

김양주

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.519-534

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4,900원

This paper's purpose is on the understanding of production and consumption of Japanese Festival, Matsuri. Also, this is an attempt of ethnographic research's possibility of ‘Matsuri Tourism' that is now processing in Japanese society. The propagate and multiplication of 'Yosakoi', which has been getting popular for late 10 years, will be the main point of analysis. That is, we want to understand modern Matsuri 's one side of tour phenomenon through processing of production and processing of consumptions. So to speak, I tried to approach with tourism's productions and consumptions through the Matsuri. Now, Yosakoi is rooting in each region and becoming a community culture. Why all these are happening nowadays? To understand this, first of all, we need to understand present conditions of Matsuri. I will look into deeply not only Matsuri's effect on economic but also effect on tourism.

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伊勢神宮과 式年遷宮 ―그 종교적 의미를 중심으로―

朴奎泰

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.535-550

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三重県伊勢市の伊勢神宮は、日本全国の神社の総本山とされるような神社神道の至聖所であって、皇祖神天照大神を奉っている皇大神宮(内宮)と、豊受大神が祀られている豊受大神宮(外宮)とになっている。本考の目的はこの伊勢神宮にかかわる神話や歷史について検討し、そのうえで特に式年遷宮といわれる儀礼の宗教的意味を確認することにある。ここで式年遷宮とは一般に日本の神社で一定の年数を定めて新たに神殿を造営し、またそこに旧神殿の神体を移すことを指すが、およそ20年の週期で行われてきた伊勢神宮の事例こそその一番代表的なものといえる。この際、本考では20年という式年遷宮の週期に注目しつつ、それが神道における清浄観念および曆法にかかわる回帰観念と密接な関聯性があり、そこから混沌、浄化、再生、「永遠の現在」という宗教的な意味を読んでみようとする。式年遷宮とはその儀礼に参与するものたちを神代の時に戻らせ、しかも生命の根源としての神話的太古を「いま、ここに」再現することによって窮極的に生命の時間へと遡って生命そのものを再生させるものと観念される。一般に混沌と再生の契機は世界宗教史において普遍的に見い出されるが、日本の場合、それは「中今」という概念のなかで確認することができる。日本の宗教史が特徴的に見せてくれるように、日本人たちの強い現世中心的な価値観もこのような「中今」観念と密接なかかわりをもつかもしれない。要するに、本考は「中今」観念という日本的時間観とともに混沌、浄化、再生との三つの普遍的な宗教観念を中心として、伊勢神宮の式年遷宮における宗教的意味を明らかにするものである。週期性や反復性および「永遠の現在」という時間観念に基づいている式年遷宮の儀礼において、日本人の「原風景」あるいは日本人の「ココロの故郷」ともいわれるような伊勢神宮は、その日本的特殊性とともに時間の恐怖を乗り越えようとするような人間精神の普遍性を示唆してくれる。

39

고대 일본의 다죠칸(太政官)의 외교기능에 대한 고찰

박석순

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.551-568

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5,200원

本硏究では、8世紀以後日本古代國家の令制上の行政總括機關である太政官の外交機能について、その全貌の姿を明らかにし、その性格を分析しようとした。まず、日本古代の對外使節派遣事業に關して令制では太政官の役割について何の明記も見あたらない。ところが正史上の事例硏究を通じて、太政官が對外使節派遣とその歸國の過程において大いに活發していたことがわかった。またさらに来日した外國使節に關しても太政官は、使節らの放還や入京の處分を下すのみならず、宴會や太政官牒の發行などといった、日本古代國家の儀式化した外交行事の場で、儀禮·行政的處理に關わっていたことが明らかになった。 つまり外交における太政官は、天皇が發揮する外交權の所持者としての象徵性とは異なる次元―主に儀式執行と身分證明書發給のような事務的な次元―での役割範圍をもつ外交機能の發揮者だったのである。

40

1930년대 한국에서 일본인 교사들의 초등역사교육 실천

李明熙

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.569-582

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4,600원

1930年代、朝鮮總督府の官僚たちは、敎育政策において、韓國人の同化敎育を基本的な方向として設定しており、日本人子弟との共學を理想として考えていたが、現實的な事情を理由に暫定的な別學を選擇していた。そして、敎育の目的を個人的能力の育成や人格の涵養などに置いたのではなく、社會的諸価値に對する正しい判斷と評価及び統制を得るところに置いた。このような全体主義的な敎育を通じて國家として代表される社會全體の価値や判斷を個人が內面化できるようにすることが敎育の本来的な使命として强調された。 このような學校敎育の一般的な事情を背景に、1920年代に入ってから、歷史敎育において强調され始めた國民的情操の涵養敎育が、1930年代に入るとより体系化された論理に基づいて歷史敎師たちによって實踐された。この時、ドイツ歷史主義哲學者たちの歷史論が、‘體認’あるいは‘理會’という槪念で學習の原理として援用された。このような歷史敎育の方法として敎師による說話や問答式が廣く使われた。そして、このような歷史敎育の方法を通じて兒童たちが具體的な人物の歷史的活動や事實を感激的に受け入れる歷史敎育の實踐が强調された。また、敎育の方向が日本國民への同化と國民的情操の育成にあっただけに、韓日關係史については何時も日本が優位的な立場に立っていたという內容が强調された。

41

4,900원

今までの先行研究では8世紀の中葉いらい、大宰府で新羅商人を中心とする私的なネットワークと商圏が形成され、780年になり新羅からの公的使節が中止されたと言われた。しかし本稿で考察したところによると次のようである。 まず8世紀中葉以後、大宰府では交易のための新羅人の人的ネットワークと商圏は構築されてなかった。完備されるのは820年代に入ってからである。8世紀の末は過渡期である。それで9世紀の初めの哀荘王朝に大宰府から新羅に使節が派遣されたのである。 一方新羅からの公的使節が中止されたのは日本側が執拗に新羅王の上表文を要求したことと、新羅国内の事情のためである。730年代から日本は執拗に新羅王の上表文を要求してきたし、779年の場合はこれ以後、上表文がなければ新羅からの公的使節は入国そのものができない状況であった。そして779年以後になると、新羅は混乱の継く国内の事情により、日本に使節を派遣する余裕がなかったと思われる。

42

일본의 소자화 문제에 대한 대책과 과제

玄正煥

한국일본학회 일본학보 제59권 2004.06 pp.599-612

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本研究は少子化の問題の解決のための日本政府の対策とその課題を探ることにより、わが国の少子化の問題の解決策を模索するのに参考となりうる資料を得ることが、その目的である。このことを達成するために、まず日本の少子化現象の背景を調べるとともに、この問題の解決のために力を注いでいる日本政府の対策とその間の実践の内容、そしてそれに対する評価、今後要求されうる課題などについて調べることにした。ことに日本政府が1999年12月に打ち出した打出した「重点的に推進すべき少子化の対策の具体的実施計画」、いわゆる新エンゼルプランは、わが国の少子化の問題の解決策を考える上で、大いに参考になると思われる。 ところで、少子化現象の背景には日本女性の結婚観ないし子ども観に関する意識の変化、それに子どもの養育及び教育に伴う財政的な問題なども、その重要な原因であると思われる。従って、少子化の問題の根本的な解決は、親たちが安心しながら子どもを産み、育てることができる環境条件を総体的及び具体的で現実的な対策を提示することが出来るかどうかにかかっていると考えられよう。同時に女性が「仕事を持つこと」と「母になること」を自分の中にどう統合していくことができるように如何に支援していくのかも重要であると思われる。

 
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