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国際秩序の変化と日本の文化外交の体制強化 - 文化外交の理念設定とグローバル体制強化の推移 -
한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.433-443
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4,200원
戦後日本は、60年代の高度経済成長を経て、オイル・ショックによる世界経済の混迷にも関わらず、強力な国際競争力確保と輸出促進政策による経済成長を成し遂げ、国際社会で経済大国として存在感を高めていった。その頃から日本の外交は「大国」として「世界へ貢献する日本」づくりを実現するため、「国際平和維持のための協力の強化」「開発途上国に対する政府開発援助の拡充・強化」「国際文化交流の強化」という三本柱を軸にした「国際協力構想」を実践するという方向性をとった。日本の「国際協力構想」に基づいた国際貢献への意志は、特に文化外交分野において輝いた。政治分野での一時的な苦戦とは裏腹に文化外交分野においては、国際文化交流の拡大が「世界に貢献する日本」づくりの一本柱になっていることからもわかるように、「国際国家」としての日本の地位向上に大きく貢献した。政策的な側面での磨きはさることながら、文化外交体制の再整備、交流の内容や規模の拡大、交流対象地域のグローバル化、草の根レベルでの外交的効果や地方の国際化等は、文化交流・外交政策の強化がもたらした成果として注目すべき現象である。以上を踏まえ本稿では、ポスト冷戦時代の文化外交の推移と特徴を把握するための時代的背景を分析した前編に続いて、ポスト冷戦時代の文化外交を推進するための理念設定、それを実践するための凡国家的体制整備とグローバル体制構築過程等をまず分析した後、次稿を通じて、文化交流の推移過程と成果(対アジア、対欧米)、課題など、90年代の日本の文化外交の全貌を明らかにしたい。
레이디스 코믹이 재현하는 여성의 일상 - 3.11 동일본대지진의 사례를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.445-460
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4,900원
「レディース・コミック」は、成人女性を主な読者層とする日本の漫画ジャンルである。この論文では、レディース・コミックの中から3.11東日本大震災をテーマにする漫画作品に焦点を当て、一般的にはメロドラマ的な典型性と通俗性を特徴とするレディース・コミックでなぜ3.11東日本大震災が持続的かつ集中的に再現されているかについて分析している。80年代のジャンルの誕生以降、90年代の性描写中心の「レディコミ」の分化にも関わらず、レディース・コミックは女性の日常と経験を主なテーマにしてきた。「3.11あの日を忘れない」シリーズなど、3.11東日本大震災を扱っている作品も、家族愛と感動を強調した、典型的な災害克服ストーリーがほとんどである。しかし、その例外として福島を背景にして、日常を破壊された悲しみと恐怖を正面から描いている作品も存在する。同じシリーズの中でもこのような相反する傾向が同時に存在する理由として1)福島原発の問題について母親たちだけが放射能の問題を提起してきたという日本社会のジェンダー秩序があること、2)大衆ジャンルーとしてレディース・コミックは、女性の日常と経験を写し出す鏡としての役割をしているということがあげられるだろう。
덴구(天狗)의 이미지 변천에 관한 연구 - 한국 석탑에 새겨진 가루라상(迦樓羅像)을 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.461-472
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4,300원
本研究は仏画の中に残っている雷神より時代が先立った韓国の石塔に浮彫された迦楼羅像に注目して、これについて深層的分析を試みて、鳥頭人身の形態として現れた天狗の原形を考察するのが目的である。韓国の雷神が現れている現存する幀画は高麗中期のものが一番早い。それで、文献に現れた天狗より時期的に遅い。そうだとすると、韓国では幀画以外の他の分野では鳥の形態の神が現れたのかについて考察してみた結果、統一新羅時代の石塔に迦楼羅像がたくさん浮彫されていることが確認された。本論文では中国、日本の石塔の浮彫像にはほとんどない八部衆像が韓国の石塔の浮彫像に残っていることに着眼して、その中で迦楼羅像が鳥頭人身の天狗とどうやって関連されているかについて考察した。日本の天狗は鷹のイメージとして表現されている。韓国の甘露幀画の中の雷神と大変近い。雷神以外に鳥の嘴を持っている迦楼羅像は平安時代以前に法隆寺、興福寺の八部衆像の中の一つとして日本に伝来された。結論として、中国の石窟から始まった迦楼羅像が韓国に伝来されて、石塔の浮彫像として流行して、新羅と密接の交流国である日本に影響を与えた。それで、韓国の迦楼羅像こそ、鳥頭人身の天狗が平安時代にいきなり登場したのではなく、もうインド·中国·韓国にその原形があることを裏付ける重要な根拠であると思われる。
4,900원
本稿は、日本の近代化と富国強兵を進めるために西洋の近代国家を「視察」したと評価される岩倉使節団を対象として、西洋の国民国家「体験」という観点からその歴史的意味を再検討したものである。 その結果、使節団は、西洋の国民国家システムを「視察」するうちに、当時において依然として造られていた国民国家間の儀礼と象徴空間を自然に「体験」することで「西洋」=文明という文明史的な認識を体得したのである。そして、こうした使節団の認識は、寄航しながら「体験」するアジアをオリエンタリズム的眼差で認識することになる。 しかし、まだこの段階では、西洋と比べて日本とアジアを同一化する眼差も存在したということに使節団の「オリエンタリズム」がもつ特徴があるのである。
‘8.15’를 통해서 본 일본의 전쟁관과 평화인식 - 『朝日新聞』·『毎日新聞』·『読売新聞』의 8월 기사를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.489-513
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6,300원
本研究は、日本の主要な言論3社での戦争責任と加害責任に対する認識が戦後いかに展開されてきたかを、主に1955年から2010年までの8月の社説、コラムや読者の投書などを中心として検討したものである。これまで検討したところによれば、言論3社の8月記事のキーワードは「戦争」と「平和」である。特に、毎年繰り返される8月6日の「ヒロシマ原爆記念日」、8月9日の「ナガサキ原爆記念日」、そして8月15日の「終戦記念日」は過去の戦争に対する記憶を振り返り、これを基にして平和に対する誓いを改める貴重な機会になっている。したがって、毎年8月ごとに繰り返されている「平和に対する誓い」の内実を具体的に理解するためには、過去の戦争に対する戦争責任と加害責任に対する認識との相関関係のなかで検討する必要があると思うのである。まず、言論3社の戦争責任と加害責任と平和に関する認識の推移を整理すれば、1960年代までは被害者意識を背景として「一国平和主義」的な傾向が強く、1970年代以後には戦争責任、加害責任に対する自覚的な認識が少しずつ現われていたが、依然として不十分な状態に止まっていた。しかし、「戦後40年」になる1985年から1990年代にかけての戦争責任、加害責任に対する認識は、今日の状況に照らしてみても教訓になるような貴重な主張、論旨が少なくなかった。だが、1990年代後半から日本をめぐる内外情勢の変化とともに歴史認識は再び後退する気味を見せている。こうした変化については、冷戦体制以後の国内の政治と経済の変化、そして東アジアをめぐる世界情勢の変化などがいかなる影響を及ぼしたかという問題とともに検討する必要なあるだろう。読者の投書については、戦争体験と関連して実に多様な内容で溢れているが、やはりその核心的なキーワードは「戦争」と「平和」である。そのなかでももっとも多くの比重を占めているのは惨めな戦争体験を基にして平和の大事さを如何に次世代に語り継いでいくかという問題であった。また、戦争の悲劇と平和の大事さを重視する議論のなかには、自国中心的な被害者意識も伺われているが、一方では日本の侵略戦争や加害責任を直視し、謝罪と反省を促す意見も少なくなかった。こうした投書での多様な意見は、歴史認識の変化、または深化という次元で理解できるものではなく、戦争の反省と正当化、または被害者意識と加害者意識の混在というように、複雑で重層的な歴史認識として理解する必要があるだろう。
‘일본’ 소설과 ‘한국’ 독자의 상상의 공동성 - 오쿠다 히데오『남쪽으로 튀어!』를 중심으로 -
한국일본학회 일본학보 제98권 2014.02 pp.515-531
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5,100원
二〇〇〇年代、韓国の出版市場では、日本語文学の翻訳が大きな人気を博した。それに対して、なぜという問いが多く提起されたが、本稿では、多層的な「外部」にまたがるだけでなく、韓国内の読者たちからも高い人気を得た奥田英郎の『サウスバウンド』を読むことにより、従来とはやや異なる見方からそのブームを考察することを試みる。この小説は、日本語という出版言語で書かれ、翻訳をつうじて国-外へ移動した。また、小説の登場人物は、国民であることから逃れるために、「日本」の外部を求めつづける。その外部性を読む読者という次元は、小説は読むという実践がなければ意味をなさないにもかかわらず、今まで比較的に見えない領域に留まっていた、もうひとつに外部でもある。そして、小説を読むことは外部、ないものとされるユートピアを偏在させる行為である。翻訳された『サウスバウンド』の読者たちは、「南へ飛べ」という韓国語訳のタイトルが表しているように、自らが処されているなんらかの現実からの逃走、外部への欲望を小説に書き込む。筆者による『サウスバウンド』の読みでは、外部は地図上の場所に設定されるわけではなく、世界の内部に切り込む外部性としての「集まり」において形成されることを確認した。「日本人」か「外国人」かという区別自体が問われることはない「南」の共同性は、リゾート開発をめぐる同床異夢の集まりのように、分散された個人でもなければ統一性を確保した組織でもないばらばらの人たちの、それでも外部を確保しようとする戦いにおいて担保される。とりわけネットに横行する他国に対する憎悪の言説からも明らかなように、「日流」や「韓流」と呼ばれる「文化交流」は、日韓の間のさまざまな葛藤を解決するにはあまり役に立たなかった。それは、そもそも文化交流や共存などといった捉え方そのものに問題が内在していたためではなかっただろうか。日本文学ブームを、もとから交流すべき、または和解すべき主体としてのネイションを想定せず見ることにより、今までとは異なる共同性を想像しうる契機として取れ直すことが必要なのもそのためである。
4,600원
This paper makes an attempt to analyze Japan’s business-government relations by posing a case study of M & A between Nippon Steel Corporation and Sumitomo Metal Industries which was launched in October 1, 2012. Some scholars support the view that Japan’s soft authoritarianism has driven Japan’s economic development, especially indicating that the iron and steel industries have been restructured under the government’s control. However, this perspective ignores changes in the market circumstances, specifically, driven by globalization, that have challenged the state’s capacity, and thus this viewpoint needs to be reconsidered. This paper demonstrates that market forces have provided an impetus for restructuring the iron and steel industry in response to overheated competition with foreign companies in the midst of globalization, and the government has endeavored to give them much support towards the shared common interests, e.g., the escape from long-term recession rather than intervention into company’s policy directions. It is important to note that prior to government support and the Fair Trade Committee(FTC)’s recognition, both Nippon Steel and Sumitomo made a strategic approach to reach a consensus among several market actors, specifically, among rivalries. As a consequence of their extensive efforts, they gained great momentum to obtain the support of the Ministry of Economy, Trade and Industry, and the recognition of the FTC.
5,500원
I had a special attention on the aspect of separation between production and consumption as the most fundamental feature of city. And from that point of view, I stated that the first city in Japanese isles should be Fujiwara-kyō established in the latter half of 7th century. Also explained was that the first capital city as a display of the status of royal power and a spatial political structure which implemented the governing system of a dynasty had the origin in Fujiwara-kyō. In the era before the latter half of 7th century, successive Tennos occasionally moved to new Miya whenever they were enthroned. I approached from the perspective that why Wa had not formed a capital city as seen in China or ancient Korea from earliest era. When considering the symbolic meaning of dominance that a capital city owns, belated capital city forming of Wa is directly linked to the issue on the status of sovereignty. And it was verified that the process from Miya to establishing capital city is in the same context with the growing process of Wa sovereignty. The most suitable period equipped with optimal condition for establishing capital city was Temmu Tenno period. Because he firmly established strong power of Tenno, he could start to build Fujiwara-kyō along with reorganizing governing system. Fujiwara-kyō was changed into Heijo-kyō right after reorganizing Daiho statute.
4,300원
1938年、国家総動員法を発布して戦時体制に突入した日本政府は1943年地方制度を改正した。この地方制度改正ではまず中央政府の統治を強化するための措置が見られる。地方議会の権限を縮小、削除をして首長の権限に移転した。日本政府は住民の意見を行政に反映するのを出来るだけ制限しようとしたのである。反面中央政府の強力な制度化に対する住民の反発を考慮して町内会と部落会に関する一方的な制度化は推進しなかった。資源動員の末端組織である団体に対する完璧な資源動員体制作りは資源動員に効率的であると考えられるが、日本政府は自然的に発生した集落の自然的な発展を障害する恐れがあるとして強力な制度化はしなかった。これは住民の自発的な協調がなければ資源動員が困難であることを日本政府が分かっていたことであろう。したがって1943年の地方制度改正は制度的には強力な統治強化を追求すると同時に住民の自発的な動員意志を妨害する措置は自制する水準で行われたと言える。
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