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佛敎說話畵와 에토키(繪解き)의 日韓比較 - 「佛傳圖」의 경우 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.7-40
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「繪解き」とは、ストリ性を有する繪畵(說話畵)の繪相を口頭言語によって解說ㆍ說明するもので、繪畵(イメジ)による表現と口頭言語(音聲)による表現の接点ばかりか、屛風歌や歌謠・訓伽陀のような和歌ㆍ歌謠等の音樂的な表現との接点をも持つ文學・芸能である。廣義には、繪を伴う解說ㆍ圖解といった意味でも用いられるが、說敎・唱導を念頭に置いた文芸史ㆍ芸能史ㆍ文化史上のジャンルである狹義の繪解きは、「繪を解說ㆍ說明すること」だと定義出來るのである。 韓國には、從來「繪解き」に該する語彙がなかった。そればかりか、繪解き硏究という硏究領域も存在しなかった(日本でも繪解き硏究者は少ない)。そうした狀況の中で、筆者(林雅彦)は1987年3月から翌88年2月まで韓國に滯在、100を越える敎寺院を調査、その後も1991年8月までに延べ150余か寺を調査ㆍ硏究成果を發表してきたが、韓半島の繪解き硏究に先鞭を付けることが出來たのではないかと、いささか自負するところである。 本稿では、アジアを視野に入れつつ、「佛傳圖」について日韓の相違を考察した。卽ち、韓國では、「佛傳圖」の中でも「釋迦八相圖」がほとんどで、東鶴寺では簡略な繪解きがなされている。これに對して、日本では、「佛傳圖」の大半は「釋迦涅槃圖」と呼ばれる繪畵(1幅)で、旣に12世紀末には各地で繪解きされてきたのである。今後、この日韓「佛傳圖」における相違の意味付けが課題だと考える。
いわゆる「閔妃寫眞」の女性は何者か - Carlo Rosseti『Corea e Coreani』を中心として -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.41-56
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これまで「閔妃(明成皇后)」を寫したと言われる寫眞をめぐって多くの議論がなされてきた。本稿では Carlo Rosseti『Corea e Coreani』の中に收錄されている四枚の寫眞と、學習院大學東洋文化硏究所の所藏する二枚の寫眞を竝置することにより、敷物カテン背景などの点から、これらの寫眞が同じ場所、同じ時に撮影したものであることを論じた。また、これら一連の寫眞は何らかの形で、全て「宮廷/妓生」に關わるものであることからして、寫眞に寫っているこの女性も「官妓」の一人だったのではなかろうか、という結論に至った。
일본문학과 일본인의 성의식 고찰 - 역사적 변천과정을 중심으로 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.57-73
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この論文は歷史的觀点に基盤をおいて、性行爲に對する各種規制裝置の中で日本人の性意識がどのような樣相を帶びながら移り變わって來たのかに焦点を合わせて作成された。 初日本人は自由奔放な性意識と性行動を見せた。これは神道的な背景から始めたと考えられるが、古代國家が成立される頃、儒敎を受け入れた後にはそういう自由奔放な性意識は儒敎的規範によって徐に嚴格に變わって行った。儒敎の受け入れとともに佛敎も傳來したが、一般的な考えとは違い、日本での敎は性に對して非常に寬大な姿を見せた。 一度傳來された儒敎の影響は近世に至るまで力强く持續された。嚴格な儒敎的思考は中世と近世はもちろん上代や平安時代の文學作品にも强い影響を及ぼしている。特に中世と近世はその規範を貫徹させるために制度、法的裝置を通じて日本人の性意識と性實態を支配しようとした。 しかしそういう制度や法によって社會の構造的變化をもたらすことはできたが、意圖するところの通りに日本人の性意識や性實態を變えることはできなかった。規制にもかかわらず現實世界ではむしろ神道的、佛敎的快樂主義が蔓延していたのである。 このように傳統的に日本では、男女間の愛は肉體關係を含意することだったが, 近代に入ってキリスト敎が傳來されることにより、男女間の精神的交感が理想的な愛であると思われる新しい變化が現われた。しかし、これも近代日本の知識人の性に關する 意識に反映されたていたという意味であって一般人にまで全面的に浸透されたものではない。 冒頭で述べた通り、現代日本人たちの性意識や性實態が西歐資本主義の影響なのか、それとも日本の歷史の所産であったのかという問題は、このプロジェクトの一番重要な問題意識であった。現代の日本人が見せる快樂主義的、享樂主義的な性意識や性實態は歷史的な移りわり過程の中で、充分に說明できるという点を確認することができた。 ただし、同じ文化圈で生きて行く同時代の人間も、個人や階層によって性的な社會化過程は少しずつ異なる。このような面から日本人の性意識を一層深く客觀的に把握するためには通時的、巨視的考察とともに各時代別の階級間の性意識に細分して硏究するという必要性はこれからの課題として殘っているものである。
한일간 갈등의 문화적배경에 관한 고찰 - 지배층의 문학 관리와 그 수용양상을 중심으로 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.75-98
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6,100원
古來の韓日兩國の支配者階層は統治理念を文學に投影させ、それを積極的に管理してきたと判斷される。そのような意味で文學管理は支配理念の管理であり、政治的管理でもあったといえよう。古典文學の享受の影響がそれほど甚大であり、それで問題視しなければならない理由はそこにあると思われる。韓日間の葛藤の多くも、實は相手の國の傳統的理念がお互いに理解できないため起ったものがかなり多いと判斷される。 卽ち、東アジアの國際社會の一員であった朝鮮では、朱子學的な統治理念の下で孝や烈を扶植させるために、人間の心を惑わすような武力、好色、神話、呪術的要素を惡と規定し、抹殺しようとした。そのような敎育を受けた士大夫家の女性たちは壬辰倭亂中にも操を命よりも重視したので問題は少なかったが、朱子學の敎育を受けなかった賤民の管理には問題が多かった。戰亂後,朝鮮朝廷としては紀綱の建て直しが必要であったため、連座制でもって村の統制を圖ったこともある。そのような環境のなかで第一線で責任を負っていた時の官僚であった士大夫達が賤民敎育に乘り出したのであり、その際、孝や烈をテマとした好色性の强いハングル小說やパンソリが成立し、民衆の人氣を得た。このように敎育や制度、文化を通じて儒敎理念に馴致されていた韓民族が急に日帝の統治に會わされた時の惑感は實に大きかったろうと判斷される。日帝の理念は朝鮮のそれとは正反對の方向で發現していたためである。卽 ち、東アジアの國際社會に編入していなかった日本では、神話ㆍ呪術、武力、好色的 要素を排除せず、これらの要素を積極的に利用して統治してきた。日本の支配者達は 神的な位置から民衆を徹底的に收奪し、管理したのであり、このような過程で産業が 組織的に發達するようになったと判斷される。さらに實權者達はライバルの政治的關心を分散させるために、好色ㆍ呪術的要素の活性化をも圖ってきたと見られる。卽 ち、上代は藤原氏が政治と宗敎の支配を確保した後、中古文化を好色性や呪術性の强 い方向へと導いた可能性があり、佛敎が古代及び中世文學の成立の場となっていて、日本人の死生觀や神佛觀に多大な影響をえたと判斷される。江戶幕府も寺院や 神社を通して民衆の統制を圖っていた。その結果、神佛に對しての恐怖感が强く、それに比例して神格化した支配者や國家に對しての恐怖感も强くて、民衆には上部構造 に對抗できるような力が存在しない。そのような影響は近代及び現代にも續いているなど、傳統理念からの影響はかなり大きいと判斷される。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.99-120
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5,800원
韓國國內に入っている日本のドラマㆍ映畵は主に男女のラブストリを描いた內容が多く、韓國國內での日本の大衆文化の受容者が主に20代であるという觀点から本稿では大學生を對象として、日本ドラマㆍ映畵のイメジの樣相に對して調べて見た。 文化的背景がお互いに違う韓國と日本との間において円滑な相互の文化受容がなされるためにはそれぞれの國における文化的背景の特徵に根差したそれぞれの文化と言語行動の樣相を洞察する必要がある。 韓日兩國の言語行動が最もよく理解でき兩國の文化を多くの人に一番短期間に知らせることのできる手段は大衆メディアである。 その中でも特に兩國の文化や言語行動を明確に把握できる大衆メディアはテレビドラマ․映畵であると言え、これは韓日兩國を知る上でとても良い資料であると言える。 本稿では、日本文化の中でも特に最も關心が持たれているドラマㆍ映畵において、日本訪問の經驗がある者と經驗がない者との交差分析を通して、日本ドラマㆍ映畵のイメジ、日本人のイメジとイメジの變化、日本人の言語行動のイメジ、日本ドラマ․映畵に對する欲求、今後の韓日關係に關して考察して見た。 この考察を通して全面的な日本文化の開放に備えてより正確な日本の文化及び日本人の言語行動について理解させることのできる方案を模索するのに必要な資料を提供することが本稿の目的である。 グロバル時代を迎えて日本の文化を受け入れなければならないのであれば、そして日本のドラマや映畵を通して日本に接しなければならないのであれば、日本日本人について正しく把握することで韓日兩國の文化やお互いの心の奧底にある內面的な考え方を理解するようになるであろうし、このことを通して韓日間の眞の相互の文化受容が成されるようになるであろう。
일본의 해외 PR 발전에 관한 연구 - 기업을 중심으로 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.121-142
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5,800원
Overseas Public Relations by a company may be defined as deliberate and systematic activities to establish reciprocal relationship with the public of other countries. Overseas PR activities by a company allow the public related to the company to understand the corporate identity and serve to construct a corporate image, contributing to good implementation of corporate activities in foreign countries. This study used articles on the developmental process of overseas PR by Japanese companies to examine development and changes of PR activities through the passage of time. It examined what PR activities the Japanese companies have developed in order to remove misunderstanding and friction occurring in foreign countries as they experienced an increase in the growth rate and the size with the advance into the foreign countries and what concrete PR activities were necessary to enable the relevant public to understand the corporate identity and to construct a corporate image. The results show that overseas PR activities by Japanese companies are changing from passive and defensive measures against criticism of the companies to active and preventive PR activities. In other words, as the PR activities changed from post-measures to prevention, companies came to pay more attention to the management of the relevant public than before and PR activities are expanding into very professional communication tasks including crisis management.
5,200원
世界化時代の典型的な例として英語の世界的擴散がよくあげられる。英語の世界化 問題をめぐる英語優先主義者と英語帝國主義者との激しい論爭はいまだ止まらないが、最近一方的な英語浸透の深刻性についての自覺意識が一層高まって、英語による 言語の一元化(世界化)に對抗し、文化の多樣性が强調される多言語(多文化)主義がもう一つの流れとして位置づけられるに至った。しかし、このような流れとは相反する 動き、つまり英語公用語論が最近東アジアの日本で起こり始めており注目をひく。英語公用語論の背景に英語優先主義の論理が適用されているということは言うまでもない。勿論逆らいにくい世界化の波を克服するための一つの代案として持つ、英語公用語論の値までを否定することはできないであろう。しかし、これのみが唯一の代案であるかという問いにはやはり懷疑的である。本稿は世界化時代を生きていく方法として提示された日本の英語公用語論についての考察で、この問題と關連のある旣存の論議への檢討を土台にし、日本における英語 公用語論の根據、背景、究極的目的、英語公用語の制定がもたらしうる否定的側面な どに接近してみようとしたものである。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.163-186
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「蜻蛉日記」と「閑中錄」は時代とジャンル、作家の身分の差等にも關わらず、內容面 でも形式面でも多くの共通点を持っている。兩方とも回想形式で書かれ、告白的で、內面心理の描寫も優れている。また、主觀的感情の表現のためのいろいろな文學の技法を加え、作品の興味を高めている。日記文學は文學的で人の感情に訴えるもののた めに、時には事實を歪曲したり、潤色したりする。そのため、物語との境界が曖昧になることがよくある。閑中錄も小說、隨筆、日記といった、ジャンルについての 樣な意見があるが、兩作品とも自分の驗を敍述しているという点で、「一人小說」と呼べると思う。 「閑中錄」についての旣存の硏究は、主に悲劇の主人公である思悼世子と英祖にその關心が注がれ、精神分析學や心理學の面から「壬午禍變」の原因を究明するものが多かった。それが金用淑.、李金熙のような女性硏究者達に依って、作者の周人物への視角、自分の人生への反省のような作者の內面世界を照明する硏究がなされるようになった。「蜻蛉日記」もやはり男性硏究者によって歪曲された部分が多い。深澤三千男は道綱母の作品世界について、彼女が兼家に對して、ヒステリックな執着を持ってい ると評している。、また、彼女の心理狀態を月經の周期で分析したり、作者が不感症だったと主張している。しかし、これからでも女性作者の作品についての新たな評價が下されるべきである。 金燕淑は、'女性中心的な見方'について、「女性の立場に立って、女性の內面の欲求と日常體驗を重視する態度」と規定している。女性が自分を一人の獨立した人格として認識し、自分の樣な面貌をすことがまさに'女性中心的見方'であろう。「閑中錄」の場合は、男性社會の象徵である政治(党爭)に批評價を加えたことが高く評價されるべきである。「蜻蛉日記」の場合は、男性中心的婚姻制度を否定したところが特記すべきである。このように、「閑中錄」と「蜻蛉日記」は自分たちのことを事實的な作者精神に基づいて、加減なしに記錄しようとした点が高く評價されるべきである。彼女たちは作品を通 して'カタルシスとしての文學''ハン(恨み)の解消のための文學'を成し遂げたと思われる。この二人の女性作者は女性としてのアイデンティティがはっきりしていて、女性を抑壓する社會制や倫理にもはっきりした批判意識を持っていた人たちである。このような執筆目的の下で、二人は完成度の高い文學を誕生させたのであり、その'書く' という行爲によって、'自己救濟'、或は'自己淨化'の道に至ったと分析される。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.187-206
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901年正月、右大臣菅原道眞は、突然罪を問われて太宰權帥に左遷され都を追われ た。文人社會內部の分層化によって、886年の讚岐國への轉出を經驗した後のことである。二回の地方生活は、道眞自身の人生に何らかの影響をえており、また詩人としても大きく變貌する契機となる。特に、56歲にして都から遠く離れた大宰府で始められた謫居生活は、道眞の詩人本來の內向する精神世界を擴大させる人生最大の轉換期であった。都とは異なる鄙な自然環境、また中央官吏からは想像もできないのんびりした仕事、華麗な宴も催されない素朴な日常などが、道眞のすべてを變えたはずである。特に、晩年57歲で流された大宰府は、都から遠く離れた、まったく新しい所だった。最もそこには見慣れた類型的な自然はないからである。 しかし、道眞の漢詩において、大宰府における新しい自然の發見はあまり見られない。大宰府で新しく接した自然物が登場すること自體が少いし、それも都の自然物を呼び起こす媒介物として機能している。ある場合は、都の自然そのものが詩に吟じられることもある。それは、當然流謫の生活を余儀なくされた道眞の心境に起因するものであろう。大宰府の自然は道眞の挫折や孤獨を深化させる手段にほかならない。道眞の自然に關する詩は、大宰府謫居生活を經つつも、自然詩として發展できなかった のである。大宰府左遷は、不幸な境遇形成によって內面的な擴張をもたらし、道眞の詩の世界を抒情詩としては深化させたものの、それが自然の新しい發見には結び付かなかったと考えられる。そのような道眞の詩の性格は、白詩の場合と大きく異なる点でもある。
今樣における和歌利用の獨自性 - 藤原定家における本歌取り技法との比較を試みて -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.207-224
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平安末期の流行かである今樣は多くの人に愛された。後白河院やその側近の貴族のほかにも、時卑しめられていた遊女傀儡女白拍子によって今樣は作られ謠われてその命脈が承されていたのである。しかし、歌謠である今樣はどうしてこれほどまでに流行を浴びたのか。それはバリエションの豊富さによるのであろう。そのバリエションの一つとして、特に、貴族の詩歌である和歌を今樣の中に取り入れて創 作する方法を明らかにしてきた。その一環として、本論文では、創作方法としての和歌の利用を藤原定家の本歌取理論と比較して、和歌を利用して創作した今樣の獨自性を述べた。 本歌取理論は、中世に頻繁に行なわれていた和歌創作の一技法であった。定家は、第一、古歌の表現をそのまま使って新しい內容の歌を詠む、第二、本人麻呂などの先人の詠んだ歌の世界に自分を浸らせる、第三、七八十年內の歌人の詠んだ獨特な歌句は一句たりとも使ってはならない、第四、古歌を取り入れて新しい歌を作る際には內容の違ったものにする、など事細かに本歌取について理論づけている。しかし、これらの理論に今樣を照らしてみると、第一と第二の項目はてはまるが、第三の項目 以下はあっていない。かえって、絶對してはならない近代の人の歌をも今樣に取り入れている。これこそ今樣の特徵であろう。もちろん、和歌と今樣との比較は正しい方法ではないかもしれないが、技法として類似している本歌取との比較は今樣の獨自性を明らかにするのに役に立つであろう。 なぜ、今樣は和歌の本歌取技法において禁止している方法を利用して今樣にしたのであろうか。それは、『八雲御抄』の記述のように好きな歌であるから今樣にしたのであろう。堅苦しい和歌よりは歌謠の持つ卽興性という性格であるからこそ自由に「謠い替え」ることができ、このような破格ができるのではないだろうか。和歌の技法を熟知していた後白河院サロンの記錄たちにとって好きな和歌を好きな今樣にする、このような自由さがあって今樣が流行歌たり得た理由ではなかろうか。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.225-244
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『本朝二十不孝』は孝行談の逆發想という作者の戰略による創作であった。そしてこのような創作戰略と意圖は序文で具體的に表明される。先行古典に存在する至難の孝行は今の世の中では家業に勵んで金錢を獲得することによって可能になっているが、それにもかかわらずこれを行なえない不孝の者が多くあり、その罪科を代で受ける例を提示することで孝行の重要性を强調しようとするのが序文での作者の言說である。しかし實際の作品の世界では不孝の主人公たちの家業に勵まないで沒落する動機と原因が寫實的に描かれていないのは本稿で考察された通りである。17世紀半ば以降の日本の經濟現實のなかで家業に充實することだけでは富を獲得することが決して容易いことではなかったということはこの作者の致富談『日本永代藏』で多樣に描かれている。孝の重要性を言說し、その反面敎師的な例として不孝談が提示されるこの作品で家業に勵めない主人公たちの不孝の動機と原因が人間の根元的な不可解性および予測不可能な浮世の多樣な現實に存在するのであれば、『本朝二十不孝』の主題は孝の問題を越えて 佛の領域に擴張されざるを得ないことを意味する。作品の至るところで 佛と因果に關連する用語が數多く登場することもこの側面に關連する。『本朝二十不孝』の創作意圖と方法が單に孝の領域で把握できない所爲である。日本近世佛敎の世俗化の流れは信仰心の退潮を意味したのであり、これは人間實存の問題と本源的 に立ち向かうことを忌避する世俗的信仰の世態であった。作者は不孝談を通して孝の 問題を佛の領域に擴大することによって孝をめぐる代の人たちの世界觀が本源的不安と內在的矛盾のなかで多樣な形で現われていることを、作品中の數の佛の關連描寫のなかで提示しているのである。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.245-263
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舊韓末の李樹廷から始まる在日同胞文學の歷史は、留學生たちを中心に日本語の作品が發表された草創期と、1930年代以後に白鐵、金龍濟の詩と張赫宙、金史良の小說が發表された抵抗と轉向文學期を經て解放を迎えた。解放後は、金達壽と金石範が祖國の政治現實を描いた祖國現實の文學期、1960年代に李恢成と金鶴泳が同胞差別などを告發した社會告發の文學期を經て、80年代に梁石日、李良枝、柳美里などが多樣な在日論をテマにした主體性探索の文學期に至るまで多くの作家たちを輩出し、日本の文壇において大きな比重を占めるようになった。 この在日同胞文學は、日本文學と韓國文學という二つの文學的性格を持っているが、日本語で發表されたという理由のために韓國內では疎かにされてきた。これは文化の帝國主義的な發想から出たもので、わたしたちはこの屬文主義的な考え方を克服し、消滅の危機に立たされている在日同胞文學に對する硏究を實踐しなければならない。 現在、國內では在日同胞作家の作品論に對する硏究が發表されているが、ごく斷片的なものに過ぎず、本格的な文學史はもちろん、體系的な入門書すら存在しないのが實情である。日本側の硏究成果も、やはり微微たるものである。最近になり、ようやく若い硏究者たちによって活發に硏究が行われるようになったことが、せめてもの救いである。 在日同胞文學硏究には、解決すべき多くの課題が存在する。具體的には、硏究人員を確保して資料を蒐集することや、斷片的な作品硏究から同胞文學の全般にわたる綜合的な硏究へと硏究方向を轉換させること、また疎外された作家の硏究や親日文學の再評價作業など、在日同胞文學硏究の領域擴大問題などが擧げられる。そして、何よりも大事なのは、國文學への編入を摸索するため、在日同胞文學の正體性を確立すると共に、海外各地の同胞文學との連繫性をもつ體系的な硏究を急がなければならない ことであると考える。
田中英光における戰中と戰後 - 「天馬」と『醉いどれ船』を中心に -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.265-286
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戰中、田中英光は二度にわたり朝鮮での生活をした經歷がある。その第一回目は一九三五年四月から三八年六月までであり、この時期の體驗を原型として書いた作品に「時刻」「愛と靑春と生活」等がある。第二回目は一九四○年一月から四二年十二月までである。この時期の驗を原型として戰後になって書いたのが、これから考察する、問題の『醉いどれ船』である。その他に朝鮮を舞台に書いた作品には「雲白く草靑し」、「碧空見えぬ」、「海洲港にて」がある。これらの作品の中で、特に『醉いど れ船』は、日帝の植民地下における朝鮮文壇の側面史をうかがうことのできる、資料的にも重要な作品である。 さて、『醉いどれ船』に對する私の關心は、過去の歷史卽ち韓ㆍ日關係の問題にあるのではない。混沌の時代下における田中英光という文學者の作品を通じて、戰中ㆍ戰後といった時代の意味を取り出して見たいというのが、この論の主な趣旨である。卽ち、『醉いどれ船』の主人公坂本享吉(戰中)と作者田中英光(戰後)の問題がそれである。日帝という時代は朝鮮と日本の文人にとって、耐え難い試練の時代であった。時の田中も、止むを得ずに國策文學、日帝の政策、政治に手を貸したのであろう。戰 時下という時代であっただけに、田中のそのような戰中の行動を我は十分理解できる。しかし、問いたいのは田中の戰後の行動である。卽ち坂本享吉を作りあげた田中英光の姿勢であり、いわば戰中の思想の屈折に對する自省ㆍ自己批判をしないで、自己辯護だけをるという作家的良心が欠如している問題である。 『醉いどれ船』は田中が作家的良心を打ち捨てることによって戰後に書いた、戰中の自己への僞瞞に滿ちた辯護であったのだ。坂本享吉は田中英光によって描かれた自畵像であるが、現實の田中は坂本享吉にはなれなかったのであり、またなることもできなかったのである。私は、このような坂本享吉、盧天心及び他の登場人物、そして彼らの戰中と戰後の姿勢と行動を見て、權力と迎合した文學と文學者を見ることができるのであり、また韓日近代文學が共通に抱えもつ悲劇的な矛盾の一つの象徵的な 形を見るものである。
토오송〔島崎藤村〕의『破戒』소론 - 부락민에 관한 차별표현을 중심으로 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.287-308
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This thesis is the study on Touson Shimazaki's 『Hakai-The Broken Commandments』, which is studied centering on the「Buraku-the discriminated village」described in it. The present situation of inequality was constantly succeeded, which was originated in the survival of the discriminated village. Touson reported widely the existence of the contemporary discriminated village. In those days of Touson, most of the severe discrimination had not been known to wide publicity. Japanese society is group society, which takes more priority over group community than an individual, and has such an intense fellow feeling as it would not join others in their group. Therefore, a man who is born of humble parentage in 「Buraku」-the discriminated village-cannot be free from the「Buraku」, and 「Seken-society, the world, the public」, which discriminates those who are born of humble parentage or village, is exclusive against the new comer. It is proved that among many characters, any character has no belief to make an equal society, and it is terrible that no character has clear recognition of human equalitarianism and dignity of human. Fortunately, what I found studying this novel『Hakai』, is what the word「Seken-socity」 has discriminatory meaning. I would like to set aside the subject of「Theory of seken-society」 as the new theory of discrimination.
『레벌루션 No 3(レウオリュション No 3)』『플라이 대디 플라이(FLY DADDY FLY)』의 주변인
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.309-331
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本稿は金城一紀の『レウオリュション No 3』と『FLY DADDY FLY』とを對象にして、主流社會と周邊人との關係について考えたものである。本稿では、金城一紀の『レウオリュション No 3』と『FLY DADDY FLY』との中で、日本の主流社會と主流社會から疎外された周邊人との關係がどのように表われているかを見てみた。 要するに、『レウオリュション No 3』から見れば、學歷社會の日本社會で三流高校は主流社會から疎外された周邊人である。しかし、三流高校の‘ザゾンビズ’のメンバは絶え間ない努力を通じて、主流社會の一流高校である聖和女高の學生との出會いに成功する。そして、こういう努力によって、始めて聖和女高の學生は彼らを受け入れるのである。卽ち、主流社會と周邊部世界との疎通の可能性が開かれるのである。そして『FLY DADDY FLY』の中で、主流社會の平凡な人である主人公の鈴木は、周邊部世界の少數集である在日朝鮮人の舜臣と‘ザゾンビズ’のメンバとの助けによって、自分の目的を成し遂げる。そして、彼は在日朝鮮人の朴舜臣を主流社會から守る決心をする。舜臣を通じて彼が化することになるのである。 このように、金城は自分の作品を通じて、主流社會と周部世界との疎通の可能性(關係回復の可能性)について話していると思われる。成績を最高の値にする學歷社會の日本社會はその間違った基準から歪んでいる社會である。ここに旣存の値系を意識しない周邊部世界の人の役割が要求される。主流社會と周邊部世界との疎通は周邊部世界の人だけでなく、主流社會のためにも、必要なことに違いない。金城は自分の作品を通じて、その可能性について話しかけているといえよう。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.335-356
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從來、日本の國語學界では、上代日本語におけるイㆍエㆍオ列に見られる特殊な仮名の用字法(上代特殊仮名遣い)について、それぞれを獨立した音素と見做し、上代日本語には母音音素が八つであったという「八母音體系」を想定し、これが一般には定說のようにされてきた。 しかし、いわゆる「八母音說」には無理な解釋による矛盾点が所に見られた。それで、近年になって、上代日本語の母音體系についての再檢討が行われ、新たに「五母音說」「六母音說」などが提唱されたが、どれも上代日本語の母音體系についての十分な說明にはならなっかた。 本稿では、特に問題にされているオ列乙類の音價に重点を置き、オ列全般の音價について考察した。漢字音の側面から見ると、甲類には、中心母音-o-を含むか、或はそれと推定できるような韻類の字が一般に用いられた。そのことから、また後世にオ列が統合し.o.に發達したことから、甲類の音價は.o.と推定できる。 乙類には、中心母音- -を含むか、或はそれと推定できるような韻類の字が一般に用いられた。漢字音の側面から、また、イ列乙類との關係などから、オ列乙類は、上代までは音素的には/ /であったと思われる。オ列乙の音とイ列乙に含まれている中舌的要素は、相補的分布をなす一音素の條件異音である。しかし、甲類との合體を考えると、實際の音價は. 、または、.のような後舌母音に變わっていたと思われる。 甲乙の區別のない一類において、オには乙類相當の韻類の字しか用いられていない。ヲには古事記では乙類相當の韻類の字が、書紀では甲類相當の韻類の字が多く使われた。唇音性の頭子音のホボモには甲類相當の韻類の字と乙類相當の韻類の字が混用されているが、量的には乙類相當の韻類の字の方が多い。 ヲの仮名として、漢字音.o.に當たる字が多く使われたことから、ヲの存在のためオ甲が發達しなかったと思われる。モが古事記においては使い分けされたことから、ホボも最初は使い分けされたと推測される。だが、ホボの頭子音が破裂音から摩擦音に變わり円唇性を帶びるにつれ、円唇對非円唇といった母音間の弁別性がなくなり、モに先立ってホボにおいては、甲乙の區別がなくなり、やがってはモにおいても區別がなくなったと思われる。
일본어와 gender - 『廣辭苑』의 표제어를 중심으로 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.357-378
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本稿では、1955年の第一版の出版以來1998年まで第五版が出た、總項目二十三万の岩波書店の『廣辭苑』五版を對象に、日本語のジェンダに對する基本認識と規範の一面を調べる。辭書というものが語彙目錄であるという特性を考慮し、見出し語をその硏究對象とし、分析範圍はジェンダの代表的な語である「男」と「女」のつく見出し語とする。收集した資料は「男」と「女」の位置により、「慣用句」「前方一致」「後方一致」と分類し、その意味分野および男女の對關係を中心に分析し、『廣辭苑』の ジェンダに對する認識を語彙的な側面から調べる。なお、見出し語の解說の方法および提示の方向をジェンダ論の側面から分析する。 「慣用句」「前方一致」「後方一致」と分類し分析した結果、『廣辭苑』における「男」と「女」のつく見出し語に見られるジェンダは單純語の見出し語「男」「女」のそれと同一であるということがわかる。意味範圍は、「男」は<成人男子、男性の特質を備えた男子、夫、情夫、出家せぬ男、下男、息子>等、「女」は<成人女子、女性の特質を備えた女子、妻、情婦、妾、賣春婦、下女>等がまとめられる。表現基準は、「男」は社會的な判斷、「女」は性的な特徵による傾向が見える。解說の記述方向 は、「男」は强ㆍプラス的な値、「女」は弱マイナス的な値という通常的なイメジの對關係が見られる。 このような意味で、辭書におけるジェンダ意識は見出し語「男」「女」が手がかりとなり、解說の方向の流れから時のジェンダに對する社會的な變化も槪觀できると言える。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.379-398
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日本語と韓國語の外來語化過程に見える音韻體系の變化から最も目立つ点は、第一に、母音の對方式である。英語の [æ a]は日本語では[a]に表記されるのである。こういう對方式から英語圈學習者の外來語表記の混亂は然予期される。韓國語では[애, 어, 아]の三つに區分され、韓國人學習者の日本語外來語表記の際にも注意を要する。第二に日本語には長音と單音の表記の區別が存在しているのに對し、韓 國語には長音の表記手段がないという差異である。「보트」と日本語の「 ボト」は音聲面で全く異なった感じがするのである。第三に子音の開音節化の差異である。殆んどの子音の場合は母音[u] を伴い開音節かするが、1)日本語の[t]と[d]は 母音[o]がつき[to]と[do]になり、韓國語では [트]と[드]になる点 2)英單語の語末の[r],たとえば「car」は 日本語では「 カ」になり、母音の長音化現象が起こるのに對し、韓國語では語末の[r]は省略され[카]になる点。3)[l]は、韓國語では 「ㄹ과 /ㄹㄹ」になる。「clean」は、日本語では「クリン」であるが、韓國語では「클린」で[ㄹ]添加現象が起こる点。韓國語の音韻の特徵がそのまま外來語の表記に現れている。4)子音の表記のなかで[b]と[v],[ ]とs],[z]と [ ],[r]と[l]が同じ子音に表記されることは韓日兩國語で同じ現象である。このような表記方法により、同音異義語が發生することもある。そして、日本語では [ ]と[z],韓國語では [ ]と[d]が同じ音價になり、それぞれ特色が見える。[f]の音が韓國語では [p]、日本語では[ ]に表記される点などそれぞれの差が見える。第四に日本語の促音入の現象である。韓國語では開音節化される環境で日本語では促音が入るのである。これは日本語の單語の伯と關連があるようである。 韓國人日本語學習者が日本語の外來語の正確な表記と發音をするためには、まず原語すなわち英語の發音を正確に把握することが先行されなければならない。もとの發音に基づいて日本語の外來語化規則に從わなければならないからである。基本的な母音と子音の體系が異なっていることを認識し、正しい日本語の表記を施さなければならないのであろう。
고등학교 『일본어Ⅰ』 의 발음 연습에 제시된 어휘에 대하여
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.399-415
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本稿では高校の敎科書の「日本語Ⅰ」 において、仮名の發音の練習のために提示された語彙について調べた。その主な結果は次のとおりである。(1)發音の練習のために、すべての文字に語彙を提示した敎科書はない。すべての敎科書は部分的に語彙を提示しているが、それには一定した基準も見られない。(2)「行」別に前の「行」で習った文字だけを使っている敎科書は一部しかない。(3)語彙は揷繪と共に提示されているが、繪だけでは語彙の意味を類推しがたいものが多い。(4)すべての敎科書に提示されている語彙は、本文で使われているものである。發音の練習のために、特別に使われている語彙は見られない。(5)敎科書(9種類)に共通した語彙は「いえ、ねこ、はな、みみ、ゆき、ろく、わたし、みず/かぜ、ぼうし、ぎゅうにゅう/びょういん、しんぶん/ でんわ、がっこう/ざっし/まっすぐ、おかあさん/おじいさん/おばあさん」等である。 一方、仮名の發音を率的に指導するためには、次の3種類の語彙が予想される。 (1)韓國語と日本語で使われている外來語の中で兩母語話者が理解できるもの、またその中で韓國語(韓國の高校生)でよく使われているもの。例えば、「アイスクリム、アナウンサ、テレビ、ラジオ、ドラマ、ニュス、プログラム、ガス、ジュス、カメラ」等である。(2)韓國語の中で使われている日本語(外來語)が多くあるが、その中で「うどん、おでん、とんかつ、滿タン、リモコン、パンク、チャンポン、チョッキ、ホチキス、スリッパ」等である。(3)韓國語と日本語で使われている漢語の中で、音讀みが同じであるか又は似ているもの。例えば、「安心、意味、家族、簡單、氣分、注意、無理、準備」等である。
일본어와 한국어 주관적 양태소의 통사적 특질에 관한 연구
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.417-442
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本論文では日本語の主觀的樣態素(主觀的助動詞)の統語的特質,すなわち主觀的樣態素が否定,過去,疑問,條件,文代用形の作用域に含まれないという制約が韓國語の主觀的 樣態素にも適用され得ることを檢証した.それから[接近可能性]という槪念を導入すると,日本語と韓國語の主觀的樣態素の統語的制約が生ずる理由を說明できるという事實を述べた.このことから,[接近可能性]は日本語のみならず韓國語にも適用できる普遍性の高い槪念であることが確認できた.最後に,日本語と韓國語の主觀的樣態素の統語的制約は[主觀的樣態素]+[否定形式,過去時制形式,疑問形式]の語順に適用され,その逆の語順には適用されないこと,[主觀的樣態素]+[否定形式,過去時制形式,疑問形式]の語順をとっても副詞を揷入するとすべて非文になってしまうことによってさまざまな反例を說明できることを主張した.この事實は韓國語の樣態素を統語的に區別するのに「主觀」と「客觀」という槪念を導入することが妥であること,ひいては本論文で行った分析が韓國語の主觀的樣態素の意味特徵を明らかにするのに有用であるという事實を示 唆する.
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.443-460
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現代日本語の指示詞「コㆍソㆍア」の指示用法は「現場指示(用法)」と「文脈指示(用法)」に大きく分けられる。本稿では, そのうち、現場指示における指示詞「コチラㆍソチラアチラ」、「コッチㆍソッチㆍアッチ」(以下、これらをあわせて、「コチラ」類と呼ぶ)が指す對象を範疇別に分類し、その各範疇內でも意識の場の二タイプ、「對立型」と「融合型」がいているかについて考察した。 その結果、「コチラ」類の指示對象の各範疇內(「場所」,「人(ひと)」,「もの」,「方向」(「方角」))でも「對立型」と「融合型」の指示の場がいていることがわかった。 そして、その各範疇のうち、「人(ひと)」という範疇を指示表現する際の「コチラ」類と、人代名詞との指示機能の相違点についても調査してみた。 それによって、人代名詞が人直示にのみ用いられるのに對し、「人(ひと)」範疇を指示表現する際の「コチラ」類は、方向直示のメトニミ化(換喩化)による人直示としても使われる、という相違点が確認できた。
やりもらいからモダリティ形式への派生 - 「~てやる/てくれる」から派生したモダリティ表現を中心に -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.461-479
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やりもらい構文とは文の內部に利益主體と利益對象、利益行爲という三つの要素がそろってこそ成立する。やりもらいの根幹を成しているその三つの要素の中どちらかが欠けるとその構文はもうやりもらい性を失うことになる。本稿ではやりもらいの構造を考察した上で、やりもらいから派生したモダリティ性について考察した。 その結果「~てやる」構文が表すモダルな意味は構文に利益主體と利益對象がどちらかを欠くと「話し手の意志」を表すモダルな構造に變わっていたり、話し手が聞き手に對してある人物へある行爲をするように依賴したり命令したりする「きかけ」のモダルな構造に移行していた。 また「~てくれる」構文から派生したモダルな意味には、まず「評價のモダリティ」がある。「評價のモダリティ」は利益主體と利益對象が構文に存在していないが、話し手がある出來事―動作主體の動作、存在、自然現象―等に對して評價する構文である。同じく利益主體と利益對象が構文に存在しておらず、話し手が聞き手へある行爲を依賴したり、命令したりする構文ではきかけのモダル構造に移行していることになる。さらに聞き手がその場に存在しなかったり、自然現象であったり、現實と反することであったりすると、話し手の願望を表すモダルな意味合いになっていた。
學會彙報 (1995.12.15 ~ 2005.10.15) 외
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제17집 2005.10 pp.481-504
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