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2025 (31)
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2021 (34)
2020 (33)
2019 (29)
2018 (58)
2017 (47)
2016 (49)
2015 (57)
2014 (56)
2013 (58)
2012 (62)
2011 (65)
2010 (63)
2009 (70)
2008 (64)
2007 (66)
2006 (46)
2005 (42)
2004 (19)
2003 (16)
2002 (18)
2001 (12)
2000 (15)
1999 (15)
1998 (14)
1997 (5)
5,800원
『万葉集』がいつ、だれによって成立されたかは確實ではない。奈良時代初期で歌が集められ整理された原型本があって、それを大伴家持が出を入れ 『万葉集』が編纂されたと言うのが定說になっている。 しかし、『万葉集』の原型が何冊であったかははっきりではないが大体10世紀初めに20卷の形態が完成されたと言われている。古代國家の組織が整備され、中國との國交と新羅との關係が再成立されるなど國際情勢の中で漢字を使用し國語表記が自由にできるようになった。『万葉集』はこのような時代的流れに影響を受けて成立された歌集である。『万葉集』は古代韓國と古代中國との關連例が多くみれれる。確實に 『万葉集』と古代韓國、そして古代中國との關係は說明できないぐらい密接な關係であった。そして多くの歌の中でその影響が現れている。『万葉集』には解釋できない歌、枕詞に關する解釋、用字の問題などいろいろな硏究の問題を內包している。このような問題点を幅廣く眺め、日本、韓國、中國が共同で 『万葉集』を考えなければならない。 21世紀は東アジアの時代であると言われている。韓國と日本が仲良く共同で新しい視野で 『万葉集』を考え、硏究する風土になってほしい。本稿では 『万葉集』の中の韓國、特に、東國中心に万葉の歌と背景、渡來人との關係を槪略的に調べてみた。東國は昔から古代韓國との關連が多くみられる。東歌、防人歌など特殊な歌群は渡來人どの關連が深い。東國は渡來人の集団居住地である。高麗郡、新羅郡が東國地方である。ここで詠まれたのが東歌であり、防人歌がである。今回はほんの少しだけふれたことに殘りはあるが次の機會にもっと幅廣く万葉の古代の關わりについてふれておきたいと思う。
『도노 모노가타리(遠野物語)』와 일본인의 이향관(異鄕觀)
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.27-50
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6,100원
日本の說話(神話、傳說、昔話)には、多種多樣の異鄕が語られている。天上の世界もあれば、地下の世界もある。また、山奧の世界や海の世界としてもイメージされる。說話に語られた異鄕とは、人間の日常世界から離れた所にあると信じられた想像上の世界である。また超自然的な存在が棲んでいる恐ろしい空間であり、人間社會に富をもたらすありがたい空間でもある。 本稿は、日本民俗學の出發を告げる作品と言われる柳田國男の 『遠野物語』における異鄕觀について論じたものである。『遠野物語』には、山奧の世界、水界、あの世など、さまざまな異鄕がなまなましく語られている。特に、山奧の世界が頻繁に語られている。山奧では人間と超自然的な存在(妖怪)がいろいろな形で交涉を行なっている。『遠野物語』における異鄕觀を分析してみると、遠野の人々の間では、異鄕が富の源泉として認識されていたことがわかる。『遠野物語』の第63話および第64話に語られているマヨイガ(隱れ里)は、その代表的な事例であろう。人々は偶然マヨイガ(隱れ里)に迷いこんだことによって長者になり、また慾望にかりたてられて自分のほうから積極的にマヨイガ(隱れ里)を求めることもある。 說話の世界において、異鄕が富の源泉として語られるということは、日本の說話に限らず、世界的に共通していると言える。それらは說話の比較硏究によって、もっと明らかになるであろう。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.51-69
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5,400원
近松世話淨瑠璃、とりわけ、心中物は悲劇である。その悲劇とは、当時の人々の實生活と深く關わっていて、時代淨瑠璃とは一味違う感動を与えたとみられる。近松の作り出した悲劇は、單に片付けられない彼獨特の価値觀や世界觀、思想といったものに密接にまつわっていると思われる。そのような彼の世界觀を論じようとする時、仏敎拔きにその本質に近付くことは不可能である。近松の悲劇が唯の悲劇に終わるのではなく、救いもみられるということからも、明らかになってくるのであろう。仏敎の役割である救いは、近松個人の思想や世界觀などに基づいた彼なりの方法によって施されたものと考えられる。 近松思想の根本であるとも言える仏敎は、中世の仏敎とは相当違うものであった。中世において 後世救濟 を說敎の主旨としていた仏敎が、近世になって 現世利益 を說くようになったのは、享樂生活にこの世の樂しみを見出だそうとした近世の人々の意識から、後世よりもまず現實生活を重視し始めた故であろう。このような近世仏敎の影響を受けて、彼は大体の世話淨瑠璃(特に、心中物)において、現世肯定の立場を取っている。しかし、現世意識が大事にされていたとしても、仏敎本來の役割である來世に對する信念が失われていたのではない。來世とは、現世と完全に斷絶された世界ではなく、現世で叶えられなかったことを委ねる世界として認識されていたと思われる。 釋迦、弥陀、觀音の三尊を同一体化していた近世仏敎の思想は、近世庶民に廣く敎示されていたとみられる。近松の世話淨瑠璃においても、 現世成仏 の觀音の思想と 來世成仏 の淨土の思想が複合的に融合してあらわれいる。 このような思想を根本としている近松が考えていた來世とは、決して現世と同一でもなく、連續する存在でもない世界であって、現世の中に內在化されている世界であったと言える。これは近松によって作り出された、世俗から離れられない、極めて近世的な獨特の世界觀であると言うよう。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.71-90
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5,500원
秋成は『雨月物語』・『春雨物語』を書いた代表的な讀本作家として知られているのであるが、彼は現代的意味でいう小說家ではなかったのである。秋成の文學活動は創作と硏究の兩面に掛けて廣範囲に著作活動が行われていたことが見える。卽ち、創作する小說家としての側面と硏究する學者としての側面を共に持っていたということで秋成の特色があると言える。小說家としての秋成は優れた作家として近世小說史に一つの位置を占めている。彼の文學的な特性はその根底に純粹な性格が占められていて、このような生まれつきの天性の文學的な精神がまた違う力で表出され、小說家的な生活樣式や敎養に表わしているのである。また、國學者としての秋成の特色も人並みはずれた小說家的な生活によって貫徹されていることである。秋成が國學の大學者で主流である宣長に對して對立の角を立てるのもこうした小說家的な生活樣式によるものと見られる。また、束縛されない獨立性を主体にして、体系的知識よりも情意の自由さや自然を尊く思う秋成の文人的な生活樣式などが主觀性の强い宣長の學問態度に對する反發の重要な要因であったと思われる。卽ち秋成は當代の主な國學者らと比較してみると衒學性よりは眞實性を、排斥性よりは尊重性を重視した事實的な創造性を持った文人的な國學者であった。
미야자와 겐지와 장 지오노 작품 비교 -『켄쥬 공원숲』과『나무를 심은 사람』-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.91-109
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5,400원
1896年日本生まれの宮澤賢治と1895年フランスで生まれのJeanGionoは二人とも國を代表する作家であるが,一度も會ったことがなく,文學的な交流のどんな關わりも見い出せない東洋と西洋の作家である.しかしながら,賢治の童話{虔十公園林}とJeanGionoの小說{The Man Who Planted Trees}は,主人公が樹を植えるという行爲と,その植えた樹が成長して林になり,林を中心として回りの人々が幸せになるという話の展開が非常に似ている.兩作品は構成と內容においてかなりの共通点が見付かるのである. 基本的な內容で共通する作品でありながら,主人公が全く違うキャラクタ-で描かれ,話の中心を成している'一人の主人公が樹を植える同じ行爲'が計畵と無計畵の方向性として現われることが興味深く,作品全般にわたって現れるこの差は東洋と西洋の思想の差を示している. 本稿は,賢治とJeanGiono兩作家の比較を通じて,如何なる文學流派にも屬しないまま,自分の故鄕で生活していく中で自然を素材にして作品を書き,東洋と西洋という隔たりはあるものの,それを越えて同じく現れる人間と自然の關係を描こうとした,兩者の共通点に注目し,{虔十公園林}と{The Man Who Planted Trees}兩作品に現れる共通点と相違点の比較分析を通じて東西洋の思想に內在する幾つかの觀点の差を見つけてみたものである. 本稿は,いままで比較檢討の對象とされなかった賢治とJeanGiono兩作家を對象とする今後の活發な比較硏究のキッカケとなりうるもので,文化の交流が活發になっている現代の狀況で要求される,文學を通じて試みる文化比較硏究の一つではなかろうかと思われる.
오오카 쇼헤이[大岡昇平]『들불(野火)』론-가능성으로서의 신-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.111-134
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「もし私の現在の偶然を必然と変える術ありとすれば、それはあの權力のために偶然を强制された生活と、現在の生活とを繫げることであろう。だから私はこの手記を書いているのである。」(37章「狂人日記」) 「野火」の主人公田村が明かしている手記執筆の意図である。戰場での自分の体驗の意味を發見したいという、この手記執筆の意図は、主題に直結する問題として批評家や硏究者に無批判的に受容され、そして、彼なりの意味、意味としての神を發見したと結論づけている論が多い。作品もまた一見そういう指摘を裏付けているようである。 しかし、本稿では、この執筆意図は出發点に問題を孕んでいること、また、体驗の解釋を進める過程においても葛藤が露見し、抑壓が働いていることを檢証し、最終章の結末に五回も繰り返されている「もし」は意味の發見のアポリアを露呈していることを論究した。 出發点の問題は、「あの權力のために偶然を强制された生活」であったのに、「あの權力」を問うことは排除し、權力を超える存在、つまり神の存在によって意味を發見しようとしたことである。この出發における矛盾が悲劇的な結末を予想させる。「權力」によって偶然を强制されたなら、その「權力」との精算によって現在以降の意味を追究すべきであった。しかし田村は過去の意味の發見なしには現在の自分の存在も意味がないと過去の意味に拘泥する。權力を超える意味の發見を欲望する田村は戰場での自我分裂の体驗を神の介入として解釋した。しかし、合理と快樂の世界の住人であった田村は神の介入ということに對する疑問も拂拭できなかった。意味への欲望は理性との葛藤、理性の抑壓によって進められていったのである。押し沈められていたものはついに水面に浮上する。人肉を食べなかったという自分の義を打出し、神のない意味の發見を欲するようになるのである。しかし、理性的な推論は他の理性的な推論を呼び起さざるを得ない。自分が銃をもって野火つまり人間のいる所を探しまわったのは人肉を食べたいという欲求が自分を動かしていたからではないのか、という推論である。また作品の中で田村は意識していないが、人肉を食べなかったのが自分の意志によるのなら、戰場に送られて以來自分の生活は任意、偶然であったという訴えとも矛盾が生じる。作家はこれに氣づいていた。結局、意味の發見のためには可能性としての神の存在に戻らざるを得ない。しかし、田村は神の告發と救いの前で「もし」を連發しているのである。
한국ㆍ일본의 소설과 ‘언문일치체’-근대적 시점과 서술양식의 형성과정-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.135-152
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5,200원
本論文は、二葉亭四迷の 浮雲 と李光洙の 無情 をテクストに、韓國と日本の近代小說成立期におけ、いわゆる「言文一致体」の形成過程と、翻譯文体の影響とのかかわりを解明しようとする試みである。また、比較文學的觀点から兩國の近代文体の內的關係を考察し、近代國民國家体制の成立と關連し、その意味を考えてみることにする。 近代小說における言文一致体の實質內容とは、地の文における文末表現に、<確定過去>の「-た」(日本語)と「-ㅆ다[tta]」(韓國語)を使うかどうかの問題として要約できる。二葉亭の 浮雲 と李光洙の 無情 とは、日本と韓國において、この<確定過去>の「-た」と「-ㅆ다」を使った最初の例で、近代言文一致体が成立する契機となった小說である。問題は 浮雲 の「-た」は、二葉亭がロシアの小說を翻譯する際、ロシア語の完了形過去の影響を受けて作られ、 無情 の「-ㅆ다」は、李光洙の日本留學の経驗を基にして、日本語言文一致体の小說の影響から生まれた一種の「發明品」である、ということだ。つまり、日本と韓國の近代言文一致体は「文」を「言」に一致した文体というより、近代の急変する環境のなかで國家單位で生き殘るために急造した、いかにも人工的な文体であった、ということである。 また、この「-た」と「-ㅆ다」は、語り手と作中世界との時間的距離感覺を喚起し、過去の出來事を枠のなかに閉じ込め、語りの空間と作中空間を切り放す役割もおこなっていることがわかった。そうなると、作中世界は透明で均質な空間と化し、ある固定した一点に視点がおかれ、中心化するようになる。これはまさに遠近法を軸とする西歐近代の繪畵空間のアナロジーである。その一点收斂の單一な原理、唯一の權力が支配する秩序ある空間から、複雜多岐な現實世界が豊富に再現表象できるか、ある意味でむしろ現實の重要な部分を見落としてしまう可能性はないのか、ということを本論文は問いかけている。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.155-175
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5,700원
近代文物が輸入され、自由戀愛の波が押し寄せている最中で登場した新しい女性の類型を、我々は'新しい女'と称する。当時、新しい女たちは'高等普通學校'または、それ以上の敎育課程を卒業した女性として定義されたため、本論考では 女子高等普通學校修身書 を通して近代女性の誕生を調べてみた。中等敎育は、女性社會に変化を起した。女性を、家父長制のもとで、妻の位置から夫の補助的存在とさせていた。 社會問題にされた、女性の貞操問題や結婚、そして夫婦の離婚問題、家庭の主人としての位置等々を 女子高等普通學校修身書 では、その愼重さをしっかりと敎育している。近代家族の形成として家庭の科學化が徐々に進行されていくのだった。たとえ少數の女性だけが敎育の惠澤を受けでが、たとしても植民地時代の近代性は、新しい女にも確然と表われていることが 女子高等普通學校修身書 を通じて、確實に知ることができた。
지역 활성화를 위한 일본 그린 투어리즘의 지역적 특성에 관한 연구-고치현(高知縣)의 지역 사례를 중심으로-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.177-215
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8,400원
The purpose of this research is to analyze the regionally unique characteristics of successful green tourism process in case of Kochi prefecture, Japan and suggest the appropriate direction for desirable green tourism development to Korean rural communities in the viewpoint of tourism-geograph ical approach. This research focus more attentions on the investigation of major roles and application methods of green tourism for local revitalization in case of Japanese local communities. This study adopts Hata gun and Takaoka gun in Kochi prefecture which have accumulated diversified experiences and know-how for several years as typical case models for benchmarking of green tourism to Korean farming villages. On the basis of results confirmed above, appropriate direction and effective methods for successful green tourism development in the Korean local scale are proposed. The results of this study are summarized as follows. Tsuno town has attempted to connect green tourism to famous ecological place assets like Tengu Plateau and Shimanto River to induce urban tourists to flow into the rural region. Morinosubako, Shimanto Gakusya and Kuroson mura are managed by local residents to accomplish the social and economical revitalization of the local community. Seaside Gallery in Ogata town has practiced green tourism in the sustainable method to pursue two objects; the protection of natural environment and the contribution to a local community. In conclusion, the ultimate goal of authentic green tourism in Japan is to induce urban dwellers to settle down in the rural region. Green tourism in Japan is carried out in his peculiar own way which is different from an European style. Locally diverse conditions of rural regions in Japan are reflected in the executive process of green tourism. There are many instructions for Korean rural communities to learn from experiences of regional cases in Japan.
일본 관객들의 한국 영화 수용에 관한 연구-영화 텍스트에 대한 해석과 의미화를 중심으로-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.217-244
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6,700원
This paper tries to think over the meaning of cultural communication among nations and people living in those countries. Recently, the new-made word, Hallyu(the korean wave), captures so many people including the government, culture industry, journalism and scholars. They are busy to make strategies to broaden Hallyu commodities, specially in Asia. However, this paper is interested in the audience of cultural texts and focused on inner experiences of those people. For this, this paper analyzed texts in which Japanese audience express their feeling and thinking after watching korean movies. Until now, many factors such as in-depth making, diverse genres and stories, familiar themes to asian, attractive stars, cultural proximity, etc., are mentioned as grounds for the success of Korean movies in Asia. But unfortunately, there have not been many researches or studies about the real audience in Japan. In this situation, those studies lack of questioning why Japanese like Korean movies, what they feel and think, how they evaluate Korean movies. We have to be serious in interpreting the fashion of popular culture. It is neither only a commodity nor a consumptional act to receive cultural texts. The cultural communication means the sharing of meanings, feelings, experiences, thoughts, moral values among people in so many different countries and areas. In this respect, this paper stresses on the self-signification of audience receiving cultural texts.
자민-민주 양대 정당시스템의 특성 분석-정책대결구도와 유권자의 정당지지태도 분석을 중심으로-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.245-274
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7,000원
2000年代に入り、日本の政党システムは、自民ー民主中心の二大政党システムに收斂されてきている。國政選擧での兩党合計の支持率や議席占有率は上昇し、他の中小政党のそれらは減少している。特に革新系の政党の沈下が深刻である。このような自民ー民主中心の二大政党システムが登場した背景としては、1996年總選擧から小選擧區制度が導入されたことと、革新系の政治勢力が退潮されたことなどが取り上げられる。 本硏究の目的は、自民ー民主兩党の選擧公約の內容と有權者の兩党への政党支持態度を分析し、このような二大政党システムの特徵を解明することである。また、その特徵の解明から、二大政党システムに期待された、政党間政權交代、つまり民主党の政權獲得の可能性と責任のある政党政治の實現が起りやすいかどうかについて評価する。 2003年と2005年の總選擧における兩党の選擧公約を、國內政治・経濟政策・社會保障・敎育・外交安全保障といった5つの分野にわけ、保守ー進步の軸で分析すると、社會保障の分野を除き、4つの分野は、レベルの差はあるものの、保守的な性向をともに見せている。また兩党に對する有權者の政党支持態度を分析してみると、まず、無党派層の急增が目立つ。1990年代自民党の政党政治や非自民連立內閣の崩壞や統合新党の解体に失望した有權者が多かったことの結果であろう。しかし2001年小泉內閣期間から自民党支持率は、小泉人氣に助けられ上昇してきている。1996年結成された民主党は、2003年自由党の統合後、反自民政治勢力の中心となり、特に無党派層の壓倒的な支持を得て、戰後最大の野党にまで成長している。しかし、民主党の多數支持者は、民主党の政權担当能力を信用せず、政權党になることを支持しない。 このようなことを踏まえると、民主党は, 安定的な支持層を欠け、また、政策內容や性向においても自民党との違いを打ち出せないので、党のリーダーや主な政策へのよいイメージを構築していくのが政權交代の鍵になる。自民党は、小泉內閣以來、大衆媒体や多數有權者からの人氣の高い構造改革政策を主導することで、政党支持率が上がっており、政策能力をも高く評価されている。このような狀況からみると、現在の自民ー民主中心の二大政党システムでは、民主党による政權交代の可能性は低く、自民党政權の優位性は確固たるもののように見える。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.275-301
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6,600원
この硏究は、最近改正された日本の敎育基本法の內容を旧法と比較分析し、新敎育基本法に表現されている敎育觀と國家觀を檢討したものである。より具体的には、新法と旧法における「前文と敎育目的」、「義務敎育」、「學校敎育と敎員」、「家庭敎育」、「宗敎敎育」、「敎育行政」、「敎育振興基本計畵」等の項目を比較した。その結果、新敎育基本法に現れている最も著しい思想的特徵として「公共性」と「愛國心敎育」が擧げられ、これらに對し、批判的檢討を行った。 檢討の結果、次のような知見を得ることができた。まず、今回の敎育基本法の改正は、戰後、日本政府と文部科學省が推し進めてきた、一連の敎育改革プログラムに、法的根據を与えるものである。また、改正された內容を檢討した結果、今回の改正により「國家」、「傳統」、「愛國心」といった特定の価値が敎育法のなかに一層强く取り入られることになったことがわかった。これは、新敎育基本法の制定により、これからの日本の敎育現場にあリて「人權」や「個人の尊嚴」など、旧法のもとで重んじられてきたとされる敎育的価値が排除され、その代わり「ナショナリズム」や「排他主義」が培養されるのではないかという懸念をなす根據となっている。なあ、新敎育基本法は、國家や自治体に敎育施策の制定および實施の權限を幅廣く認めているなど、國家の敎育に對する權限を强化している。この点からみると、今回の改正は、國家による敎育統制に法的な正當性を与えたものと考えられる。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.305-330
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促音出現のメカニズムは語種別に大きな相違を見せている。借用語である漢語と外來語の場合は促音の出現が原語の音聲環境と密接な關わりを持っているが、固有語の場合は、多くの用例において、促音は複合的構成を持つ語彙の前項と後項の境界部に現れ、前項と後項との結合の緊密さを表す役割を果たしている。從って、原則的には、促音の出現が借用語の場合は音聲環境によって左右され、固有語の場合は機能的側面によって決定されると言えるだろう。しかし、漢語の場合でも三字漢語の場合は必ずしも音聲的な面によって促音の出現が決まるのではない。また固有語の場合でも促音がもっぱら機能的な面にだけ影響されるとはいえない。 小論では實際に辭典に現れている見出し語をデータベース化し、その中で促音が含まれている語を引き出し、それを語種別に分類し、語種別の促音の現れる分布について調べた。特に固有語を對象にして語構成的分析と品詞別分析を施し、複合的構成の中にも幾つかの違った原理によって促音が現れているという事實と、品詞別に促音の出現に大きな相違を見せているという事實を明らかにした。 また、漢語については三字以上から構成されている語を對象にして、促音の出現が構成要素の緊密さだけでなく、音聲的な面とも關わりを持っていることを說明している。そして、混種語の場合は異語種同士の結合であるということから構成要素の緊密さはそれほど高くなく、よって他語種と比べて促音の頻度も高くなく、その分布においても固有語と漢語からなる混種語に集中しているということを用例を以て明らかにした。
한국인 일본어 학습자와 일본어 모어화자가 쓴가타카나 자형의 비교 분석
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.331-356
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本稿では韓國人日本語學習者と日本語母語話者が書いた片仮名の字形を比べてみた。その主な違いによる片仮名書きの指導に對する注意点は、次のとおりである。 (1) 線の長さ : ア, イ, エ, キ, ケ, ト, ナ, ヌ, ハ, ヘ, マ, ミ, ム, メ, モ, ヤ, ユ, ラ, リ, ロ (2) 角 : ア, カ, コ, セ, フ, マ, ヨ, ル, ヲ (3) 方向(上下) : ウ, シ, ト, ニ, ネ, ノ, ヒ, ワ, ン (4) はね : オ, カ, ホ, ン (5) 線の結び : ア, ウ, チ, ネ (6) 斜線の長さ : ス, ソ, ワ, ヲ (7) 位置(上下, 左右) : オ, ヒ, ホ (8) 高さ : ク, タ, ワ (9) 曲がる程度 : サ, テ, リ (10)点の大きさ : シ, ツ (11)一定の空間 : ル, レ (12)線の種類(曲線, 直線) : ニ
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.357-391
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1。韓國語の發音に對するイメージについては、性別では統計的に有意な差は見られなかった。學生全体的には、‘發音しにくい’、‘やわらかい’、‘似ている’、‘波のような’、‘抑揚が高い’、‘早く聞こえる’、‘美しい'に近いイメージをもっている。 學習期間によっては、學習期間が長いほど‘發音しやすい’に近いイメージで(F= 3.659, p=0.037), 學習期間が長くなることにつれて‘柔らかい’ イメージに変わっていた(F=9.301, p=0.001). また 發音が似ている'と感じていた(F=4.600, p=0.016)。 2。韓國語の文字のイメージについては、性別では、統計的に有意な差は見られなかった。全体的には ‘恰好よい’ ‘ 區別しにくい’, ‘形がふしぎだ’, ‘美しい’, '數が多い’に近いイメージを持っている。學習期間が長くなることにつれて、‘區別しやすい’イメージにかわっていた(F=3.462, P=0.042). その他の項目には、統計的に有意な差は見られなかった。 3。韓國語の文法に對するイメージについては、男子學生は ‘習い難しい’イメージが强かった。反面女子學生は ‘習いやさしい’イメージをもっていて、統計的に有意な差が表れた(T=-2.15, p=0.045)。 4。韓國語の意味に對するイメージについては、統計的に有意な差は見られなかった。男女みな‘分かりにくい’、おもしろい’、‘解釋しにくい’、含蓄性がある’に近いイメージをもっていた。 學習期間が長くなることにつれて、’分かりやすい’に近いイメージの方に変わりつつある (F=3.391, P=0.046)。他の項目では、統計的に有意な差は見られなかった。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.375-391
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「は」「も」「こそ」「さえ」「だけ」「しか」「ばかり」「まで」などの一群の助詞は、伝統的な國語學の世界で係助詞・副助詞(山田1908)という名のもとで分類されたりしてきた。 しかし、現代語において、係助詞が文法カテゴリーとしての存在意義を失い、副助詞、係助詞の相違より相似を重視した一つの槪念が求められるようになる。このような必要性から新たな名を得るものの、時には機能面を重視した「取り立て助詞」(寺村1986など、益岡1991)、またその機能面を重視することをわざと避けた「とりたて詞」(沼田1986など)、さらに主觀性を浮き彫りにした「取り立て助辭」(鈴木1972、仁田1997)などと呼ばれ、その名称もいまだに確立していないが、このような用語の不一致・氾濫は取り立て詞の持つ多面性を物語ってくれる。 そのなか、本稿は、文中のみならず、文を越えた談話レベルにおいてまで自由な振る舞いをする取り立て詞の働きに注目し、今まではさほど目が向けられることがなかった取り立て詞の語用論的な意味と語意的意味との連續性を探る。このような硏究はまだ手薄な狀態であるが、取り立て詞の多義性硏究において避けて通れない問題であり、これからの活發な議論が待たれる。
言語変種の使用率と評価ㆍ受容態度との關係-「-レル」型可能表現を事例として-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.393-418
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6,400원
本硏究では、日本語母語話者の話し言葉に浸透し、若い世代では書き言葉でも使われはじめている「-レル」型(「ら拔き言葉」)を取り上げ、日本語母語話者と日本語學習者を對象に、①「-レル」型の使用率、②「-レル」型に對する評価、③「-レル」型に對する受容態度の3点の調査を行い、三つの要因間の相關關係を調べた。その結果の分析に基づいて、「-レル」型の使用率と評価・受容態度との關係を明らかにすることを目的とした。 その結果、「-レル」型の使用率、評価、受容態度調査において日本語母語話者と日本語學習者の結果がほぼ一致していた。しかし、三つの要因間の相關關係を調べた結果、日本語母語話者は、①表現に對する評価と使用率の間、②表現に對する受容態度と使用率の間、③表現に對する評価と受容態度の間に明確な相關がみられたが、日本語學習者の結果からはそのような關係はみられなかった。このことは、日本語母語話者は「-レル」型に對する評価と態度が安定しているが、日本語學習者の方は評価と態度がまだ搖れている段階であることを示唆するものと思われる。
二葉亭四迷의 작품 속에 나타난 대우표현 고찰-등장인물의 대인관계를 중심으로-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.419-450
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7,300원
本稿では二葉亭四迷の作品を中心に對人關係による待遇表現の使用の實態を考察してみた。作品に現れている待遇表現を通じて近代人の待遇表現使用の實態の一面が分ると思って、一定の對人關係を設定し、待遇表現の表現形式などを調査してみた。對人關係の設定は家族關係、身分上の上下關係、親疎關係にして、また家族關係は、親子關係(母と娘․母と息子の關係)、夫婦關係、兄弟關係(姉と弟․姉と妹の關係)、親戚關係(從兄と從妹․從兄と從弟․叔母と甥․叔父と甥․丈母と婿の關係)に、身分上の上下關係は主人と下女の關係、貴族と新平民の關係に、親疎關係は同僚關係と戀人關係に分けて考察してみた。 まず親子關係を見ると、親は子に對して二人称代名詞「お前」を使用したり「名の省略形+さん」を使ったりしている。特に、明治20年の 浮雲 では「お+名の省略形」を使って「お勢」と呼んでいる場面が多いのに對して、明治40年の 其面影 にはこの形式の用例は現れていないのが注目される。明治40年の作品では、ただ「名の省略形」の「小夜」と呼んだり「名の省略形+さん」の形式を使っている。文末の表現は普通体と丁寧体の倂用であり、丁寧体の使用の場合はほとんど品位維持のためだから待遇度はあまり高くないと思われる。子の場合、親に對して親族名称の使い、文末の表現は娘の場合は普通体と丁寧体の倂用、息子の場合は普通体を使っている。 夫婦關係の場合、新世代の夫婦と旧世代の夫婦の待遇表現の使用が目立つ。旧世代の夫は妻に「お前」を使い、普通体で一貫しているのに對して、新世代の夫は妻に「お前さん」を使い、文末の表現も「です․ます体」を使って丁寧に待遇していることが分かる。 兄弟關係では、年齡上の上位者は下位者に「名」を呼んだり「お前」を使ったりしているが、下位者の場合はふつう親族名称を使っている。文末の表現は普通体の使用が一般的であるが、 其面影 での妹の場合は姉に對して丁寧体で一貫している。 其面影 での姉妹關係は異母間であるからお互いに心理的な距離感があると思われ、そのせいであるか姉は妹を輕蔑して卑しく待遇している。 親戚關係では、 平凡 で叔父が甥に使った待遇表現が印象的であるが、叔父の甥にたいする態度はまるで血緣關係ではなく身分關係での待遇表現を使っているようである。 身分上の上下關係では、身分上の下位者は上位者に對して年齡․性別と關係なく待遇度の高い待遇表現を使っていたことが分かる。 最後に男性どうしの同僚關係では「君きみ」․「僕」の使用が一般的であり、相手を呼ぶ時は「姓」とか「姓+君くん」を使う場合もある。文末の表現は普通体であり、皮肉․輕蔑の時、丁寧体の使用2の場合もある。戀人關係では男の待遇表現の使用が注目される。男は、戀人關係の少2女に對して下女扱いをしているが、これは、事實は從僕でありながら地主の旦那のよ2うにふるまう男の高慢な意識から出た待遇表現であると思われる。 一方、動作に關2係した待遇表現を見ると、明治20年代の作品で、現代語でほとんど使われていない「お2ーだ」形式の活發な使用が目立ち、使用者は主に登場人物の中で比較的旧人物で女性2である。これが明治40年になると「おーだ」形式だけでなく「おーです」形式もよく使わ2れていたことが分かる。比較的新形式であり2現代語で敬語の動詞表現の中心的な形式の「おーになる」は明治20年の作品ではその用2例がほとんど見られないが、明治40年の作品には9例も現れている。同樣に明治20年2の作品に現れていない「ーていただく」形式と「おーする」形式の發展も目立つところであ2る。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.451-468
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物語において一人称の語り手の役割を担っていると認められている‘自分’については從來詳しい議論がなされていない。同じく一人称である「私」や「僕」の議論において、追加的な說明が加えられていることが多かった。しかし、志賀直哉においての‘自分’は‘私’とはその性格が異なるのではないかということで分析されたことがある。しかし、有意義さは認められず、ただ印象のみがのべられている。 そこで、「私」との對比ではなく、より‘自分’側からその特徵を探ってみたいと思った。そのためまず、‘自分’のもつ一人称主語としての側面と再歸代名詞としての側面がどのぐらい表出されているか調べてみることからはじめて、文章の中での自分の分布を詳しく考察した。考察對象にしたのは「網走まで」と「城の崎にて」などである。それから‘自分’の役割について主に「彼」との對比をとおしていろんな角度から分析してみた。 その結果、自分は一人称の登場人物としての役割を担うと同時に、語り手としての役割を果すためにさまざまな工夫がなされていることがわかった。一人称であるにも關わらず文章における省略が少なかったことも一つの特徵として取り上げられよう。今回は志賀直哉の作品においてのみの分析であったが、他の作家の作品においても同じ特徵を見ることができるのかは今後の課題としたい。
韓國のろう學校における日本語敎科に關する實態について -日本語指導敎師及び高等部生徒に對する意識調査をもとに-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.469-493
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韓國のろう學校における日本語敎科の敎育環境を調べるために、本硏究ではまず全國18のろう學校のうち、日本語敎科を設けているS校とG校の2ヶ所のろう學校を對象に實態調査を行った。主な調査內容としては、まず日本語の指導敎師に對するインタビュー調査を行い、各學校別に實踐されている日本語授業の運營實態と日本語敎育に對する敎師の意識を調べた。また、日本語を學習している高等部2~3年生の生徒たちに對して、合計22項目で構成された設問紙調査を行い、その意識を調べた。 日本語指導敎師たちは、効果的な授業進行のための敎科書や學習資料及び指導方法について、今後改善が必要であると認識していた。生徒たちも最も希望する敎科書の形態として「說明が詳しく出ていて、一人でも理解しやすい本」を擧げている。このように敎師と生徒たちの日本語の敎科書に對するニーズの面においては相通じる部分があり、このような敎育の現實をよく把握し、聽覺障害の特性を考慮した敎科書及び敎材開發が徐々になされる必要があると思われる。 今回の調査結果においては、ろう學校の生徒たちの日本文化に對する關心度や日本のろう者との交流、日本の手話に對する關心度が高いことがわかった。しかし、このような日本文化及び日本の手話學習の必要性とその評価に對して、敎師たちは授業時數の不足と學習資料の不足などの問題点を抱えていた。 今後、このようなリソースが外國語學習にも効果的に活用され得る方案を整えて行くためにも、交流の効果をどのように活用していけるのか、その点について韓日のろう學校の間で活發な議論や硏究がもっとなされる必要があるだろう。 さらに學習者のニーズを理解し、日本語の學習に反映していこうとする努力が必要である。そのような敎育環境を作っていくためには、敎師たちが隨時學生たちのニーズを把握しようとする試みと共に、日本文化や日本の手話、交流などのリソースを活用し、適切な學習資料及び敎授法の開發や硏究に努めることも必要であろう。 本硏究では、ろう學校において日本語を學んでいる生徒たちの日本語學習に對する意識の頻度分析を通じて、計量的に明らかにすることに重点をおいたが、實態調査に留まってしまった。今回の基礎的な實態調査の結果をふまえ、今後聽覺障害者を對象とした日本語敎育において、効果的な敎育方法を提示できるように引き續き硏究を行っていきたい。
社會的ファクターにおける敬語表現の一考察 - 話題の人物を中心に -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제21집 2007.05 pp.495-514
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本稿では、敬語の役割を考える際、特に社會的ファクターの中の話し手․聞き手․話題の人物との人間關係に關わる內部關係の変數として作用する諸ファクターの上下․立場(恩惠授受/强弱)․內外․親疎關係と切り放して考えることができないことに着目して、話し手と聞き手․話題の人物のそれぞれの關係を社會的ファクターの中で考察した。 話し手は聞き手に對して常に身分や上下關係を意識して待遇表現を行わなければならなかった。聞き手を認識して位置づけ身分の序列や上下關係のファクターに応じて敬語表現を使い分けていた。話し手は聞き手に對して立場關係や親疎關係を優先する傾向が强くなった。 會社の上下關係で大いに影響されるのは、職の肩書であるが、內關係では年齡の上下が何よりも優先されことから考えると、會社の同じ部署の話し手と聞き手は「身內關係」になるため、身內關係の血緣關係でもっとも優先される年齡の上下ファクターが重視されている。 外關係ファクターでは、年齡や地位の上下關係よりも、立場(恩惠授受․强弱)關係․親疎關係ファクターに優先される傾向を見せる。立場(恩惠授受․强弱)關係ファクターは以前も今後も持續されると思う。 社會的ファクターから相違はみられるが、話し手の發話が、「聞き手側待遇」と「話題者側待遇」とに二分化した場合、現代の敬語体系は「聞き手側待遇」の配慮が優先されるとみられる。
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