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일본학연구 [The Journal of Japanese Studies]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) [Institute for Convergent Humanities in East Asia (ICHEA)]
  • pISSN
    1598-737X
  • eISSN
    2465-8448
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1997 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 730 DDC 492
제25집 (23건)
No

심포지엄 특집논문

1

5,400원

近年における日本の民俗学界において最も注目されている概念の一つにフォークロ リズムというものがある。フォークロリズムとは、日常卑近の生活事象が、その担い手自身により「民俗」(=伝統文化)として客体化・対象化して認識されているという「民俗」の現在におけるあり方を意味しているが、日本の民俗学界におけるフォークロリズムをめぐる議論は、観光現象をめぐる文化人類学的研究(観光人類学)の影響を強く受けつつ、主として観光現象をめぐる議論に焦点化して展開してきている。だが、日本民俗学におけるフォークロリズムをめぐる議論が観光現象にのみ焦点化するにとどまる限り、それは「現在」における「民俗」のあり方を「全体」的にとらえるための視角とはなりえない。フォークロリズムが「現在」における「民俗」のあり方を「全体」的にとらえるための視角となりうるためには、フォークロリズムという「民俗」の現在におけるあり方が、その「民俗」の「運用」のされ方に、どのような 変化をもたらしているのかといった点について検討しなければならないのである。

2

5,500원

遊びは人間を豊かにする条件であり、自由と喜びと楽しみの源泉である。遊びを考える時、それぞれの時代に遊びがいかなる機能をはたし、どのような様相で現れるのか、そして遊びに対する認識のありかたはどうであろうかを解明することが日本の遊びの歴史において、大切な問題である。 本考察は、このような認識のもとに、古代日本の遊びの文化についてテキストを中心に考察してみた。 日本古代において「あそび」は、神や霊魂を神楽のような歌舞音楽によって、より動かし、喜ばせ、その力を発動させることをも意味している。すなわち、古代の遊びとは鎮魂、すなわち、魂振りを目的とした呪術的な行動であり、それは神との交感を意味する「神あそび」として聖的な性質を備えている。 このような古代信仰を基にした〈聖の遊び〉は、晴の場である祭を生成していき、それはだんだん神事を離れた遊宴の遊びとして大されていく。従って、儀式や行事などの祝祭の時空という遊びの空間は、音楽とともに異世界を模倣し演出する機能を果たし、権力作用との関わりも見られる遊宴での遊びは、宮廷を中心とした〈雅〉の都市文化を生成していく。 一方、詩歌管弦を中心とした遊びとは異って、遊戯とは貴族のごく日常的な娯楽や勝負事、遊具の類などを指しており、近世の遊びの概念として定着していった遊芸は‘芸’をもとに、教養とか修養という意味合いも含まれている。それらは、日常生活を基にした〈俗の遊び〉として規定できる。 さらに、古代人が遊女を‘遊び’と称し、歌垣の場を‘遊びの場’として楽しんだように、そこには‘性’と係わる男女の遊戯的な遊びの機能を伴った、いわば〈俗の遊び〉の一面が現れている。 このような遊びの実態は、その時代を反映し、新たな文化を生成していく機能を果たしているのである。

3

7,300원

This paper seeks to investigate the significance of social change such as modernization, urbanization and industrialization in a Japanese local city along with focusing on the relationship with local culture, especially Japanese local shrine festival. It might be undeniable that there has been a strong tendency to separate between social and cultural studies, although it has been clearly recognized the relationship of social phenomena and culture is essentially crucial in all spheres of human research. Therefore it is worthwhile to examine historically changing locality and its effects on local culture. For this purpose of the paper, I deal with Ishioka city situated in the middle of Ibaraki prefecture and Hitachi-no-kuni Sōsha shrine’s main festival which has been transmitted over generations in Ishioka as a case. It is useful to devide before and after the Meiji period(1868〜1912) and look into each features of Ishioka to have a good grasp of its destiny, which means the process of losing centrality as a economic and transportation core in the vicinity of Ishioka. In other words, Ishioka had been flourished with a local brewing industry until the middle of the Meiji period. However this status and reputation as a rich business town went downhill under the influence of rapid social changes. During this period Hitachi-no-kuni Sōsha shrine’s main festival has been greatly transformed as well. As a matter of fact, Hitachi-no-kuni Sōsha shrine was not the very religious central facility of Ishioka's guardian deity before the Meiji period. It was Tennōsha(Gion shrine). Therefore it is assumed that there was no exact festival of Sōsha shrine but mainly a grave Shinto ritual during that period. However the policy of the Meiji Restoration to rank all shrines in the institutional hierarchy upgraded Sōsha shrine to a prefectural shrine contrasting to evaluating Tennōsha just nothing. This historical event enabled Hitachi-no-kuni Sōsha shrine’s main festival to be large scale and enjoyable. Since the end of World War Ⅱ, Ishioka city, especially old Ishioka since pre-modern times, has rapidly declined in terms of population and economy. However at the same time, it began to form a new residential and commercial core on the outskirts of Ishioka, which means there have been increasing newcomers. These unfamiliar newcomers actively tried to participate in Hitachi-no-kuni Sōsha shrine’s main festival to feel and argue their affiliation as a Ishioka citizen and provide good and precious memory of hometown for their children. This newcomers' participation made the festival open for all Ishioka citizens, old and new. Moreover Ishioka's tourism policy affected its spectacularization. As a result of this investigation, it should be pointed out that cultural forms and practices are co-related to social and historical context very closely. Additionally it is important to remember that the influence of social change such as modernization is different between metropolitan city like Tokyo and local city like Ishioka.

日本學

4

5,700원

本論文では、三品彰英の韓国神話研究を対象に、韓国神話研究の目的、研究方法論、主な研究内容はどのようなものであったかを、三品が韓国神話研究を始めた1930年代から40年代前半の時代像を念頭において検討を行い、三品の韓国神話研究の性格及びその実体を明らかにしようとしたものである。 そのためにまず、従来の‘植民史観’という定型化した枠組みから離れ、彼が実際に当時流行していた人類学、民俗学、神話学など、多方面の最先端の西欧理論を自分の研究に積極的に適用していた事実に着眼し、彼の韓国神話研究への再検討を試みた。特に三品の研究業績の中でも最も多く議論されてきた『神話と文化境域』所在の論文、「南方系神話要素」「南方系神話要素」「感精型神話」を中心に、三品の韓国神話研究の内容が具体的にどのようなものであったかを検討した。その結果、三品の韓国神 話研究はあくまでも日本神話と日本古代文化の理解のための一手段であり、他の歴史家とは異って当時の文化人類学的方法論を積極的に援用したものであったところにその特徴があることが分かった。 彼の韓国神話研究は、韓国と日本文化が系統的にまったく別の文化圏に属することを主張し、‘日鮮同祖論’を否定しただけでなく、‘大東亜共栄圈’の理論を提供した松本信広などの研究ともその性格を異にするものであった。結果的に韓国文化の‘原始性’と‘他律性’を主張しているので、彼の研究も例外なく日本の植民地支配への正当化論理の形成に一助してはいるものの、それは当時の文化人類学的研究方法論のもつ限界であり、普遍性でもあったという点に注目すべきであろう。この点で、三品の神話研究が 帝国主義時代の西欧の文化人類学のコードに従った文化研究の典型であったと批判すると同時に評価することもできると考える。とは言うものの、三品の研究が韓国史を歪曲するための目的の下、行われていたとの従来の植民史観に捕らわれていては彼の韓国神話研究の実体とその意味を究明することは不可能であることも併せて指摘しておきたい。

5

6,400원

日本の死者崇拜観念の発生契機に関して従来相反する二つの立場があったが、本稿では90年代に発表された形質人類学と宗教学の成果を援用し、両者を止揚した仮説の提示を試みたい。各地の考古学的遺物を根拠に死者崇拜観念の発生契機を複葬に求める複葬起源論と古代に死者崇拝観念は存在せずそれは中世の仏教を契機として形成されたとする仏教起源論は鋭く対立してきた。現在、後者が定説として定着しているが、それは次の点で時代的制約を受けていると言えよう。一つは単一民族イデオロギーの影響で古代日本に及ぼされた大陸の文化的影響が充分に考慮されていないという点であり、もう一つは死者儀礼の理解が不十分であったため未開宗敎․儒教․仏教間の関連性が把握できず、複葬と仏教死者儀礼を全く異なる次元から捉えていたという点である。しかし、90年代に発表された関連分野の学説はこれらの限界を解決する糸口を提供してくれる。「日本人の二重構造モデル」は古代に多くの北アジア系集団 が移住することで死体遺棄風俗が日本に流入し、縄文․弥生時代に隆盛した死者崇拜観念が衰退した背景を説明するのに有力な手がかりとなった。また、儒教の宗教性を照明する新説は、複葬と仏教の死者崇拝観念が同一の次元から考察できる道を開いた。筆者はこれらの学説を適用し日本の死者崇拜観念の歴史的経緯に関して次のような仮説を提示してみたい。第一に、縄文時代には南方系文化の影響の下に複葬風俗が発達しており、日本の死者崇拜観念の起源はここに見出すことができる。第二に、彌生時代に北アジア系集団の移住によって死体遺棄習俗が移入され日本本土では死者崇拜観念が後退し、その影響の少なかった沖繩では洗骨葬として複葬の伝統が保存された。第三に、中世の仏教死者儀礼に触発され潜在意識化していた死者崇拜観念が復活し、それは11世紀に支配層に遺骨崇拜を、15世紀に都市の民衆に石塔崇拜を流行させた。第四に、日本の死者崇拜観念は古代に隆盛しいったん衰退した後に中世に復活して今に至っているが、前者は複葬に来由し後者は仏教に来由しているため、大きく二つの外来文化の伝播によってもたらされたと言える。ところで、後者が前者を内在しているため日本の死者崇拜観念は同質文化の二重的な伝播によって発生し継承されてきたと言えよう。

6

6,300원

本稿は、日本の文学研究及び日本思想史研究という学際的視角に基づき、文学テキストに表れている「江戸」の表象を見いだし、それを通じて日本人の心象地理的文化基層を総説的にかつ実証的に分析することに主な目的がある。即ち、近世以来今日に到るまで日本を代表する最大の都市「江戸․東京」の表象を文化史的視座をもって把握すると同時に、その具体的な内容を文学テキストを通じて実証し、これをもって日本人の心象の形成過程とその推移を究明するものである。 江戸の空間․文芸発達のメカニズムを分析․把握するためには、従来の京都や大坂にあった文芸中心が江戸へと移行していく背景に関する考察が優先せねばなるまい。 近世時代における江戸の文化史的․文学史的意味をより明確に認識するためには、近世の三都と呼ばれた京都․大坂․江戶の都市機能や各々の文化の特色、文化の中心地が京都․大坂から江戸へと移り変わる歴史․政治․経済․文化的背景に関する考察もまた不可欠であろう。 「江戸は諸国の掃き溜め」という言葉がある。これは日本の各地から多彩多様な階層の人たちが江戸へ流れ込み、彼らによって作り上げられた江戸という都市の特色をよく表している。このような江戸の様子は色々な文学作品のなかに描かれている。江戸時代初期の文学の中心地は上方にあった。文運東漸以降にはじめて江戸を中心にする文芸が花咲く。江戸初期の文学作品は、概して上方などの外部から見た江戸の姿が描かれていた。中期以降になっては江戸人の目で凝視する江戸の表象が描かれるようになる。文化の中心地が京都․大坂から江戸へと移行していく実体の一端を、当時の文学テキストの分析を通じて総説的に実証してみた。これは「江戸․東京」という巨大都市のなかで育まれた日本人の心象と、そこを生きる日本人によって作り上げられた日本文化を理解する一前提となるはずである。

7

6,900원

近代という長いスパンからみて、大正の10年余りの期間は短すぎる。日本の近代において大正時代の印象が薄いと言われる所以でもある。天地開闢のごとき明治維新以降、文明開化や近代化に明け暮れた日々を送ってきた明治時代、第二次世界大戦以降、高度な経済成長を背にして平和な豊穣を謳歌した昭和時代、この両時代の板挟みになっている大正の15年の痕跡をさがすことは、確かに容易ではないだろう。しかし、大正時代がそれほど印象に残らない、これとて、特色のない時代だったかというと必ずしもそうではない。大正の東京は明治とも昭和とも違う, 大正だけの特性を見せる時代だったと言えよう。それは一言でいうと、「大都市への成長」と言える。 本稿はなるべくそういうところに焦点をあてて、大正の東京を特徴づけようと努めた。その一環として、大正時代を「今」といきていた人たち、なかんずく、主に文人たちを大正時代の記録者として択び、大正時代の東京表象の変化や、それを見つめる個人的体験や認識を通じて、変り行く東京とそこで生きていく人間像、同時代人たちの様々な心象を見いだそうとした。できるだけ多様な文学作品の中から、最大の公約數を引き出そうと努めたが、本稿で引用している作家たちの体験や認識が当時の人々を代表するとも、平均的な心象をあらわしているとも、確信をもって言えないのは心残りである。

日本文學

8

6,100원

平安文学は、主に日本の固有文字である仮名を用いた女流作者によって成立した点で、西欧では、早くから女性をめぐる言説のテキストとして位置づけられてきた。特に、その作者の女性達が男性上位の社会の下で様々な制約を受けていた事実は、近来フェミニズムブームとも相俟って多角的な研究の対象となっている。その平安時代の女性達の立場を考える上で、『蜻蛉日記』は、作者が唯一の宮仕え経験のない<家の女>であり、その不幸な結婚生活を書き綴った点で重要視される。アメリカにおける『蜻蛉日記』研究は、女性文学としての側面を中心に行われてきており、それは従来の日本における研究と はやや相異する。本稿は、アメリカにおける受容研究を通して、『蜻蛉日記』の女性文学としての側面を明らかにし、新しい研究方法を紹介․提案するものである。 まず、作者道綱母の苦悩の源泉として当時の女性の社会的な位置が探られ、平安時代は思想的な基盤であった儒教と仏教によって女性の地位が男性の下位に処せられていた事実が導かれる。しかし、反面、そのような社会的制度に誰も疑いを持たなかったことが疑問視され、『蜻蛉日記』は、自ずと当時の社会(結婚)制度に対する作者の意識の有無を問う方向から考えられるようになる。そして、政治的な事件への無関心、社会性の欠如、同じ立場にある女性ライバルへの没理解などは、『蜻蛉日記』をフェミニズム文学ではないことを決定付ける根拠となる。 その一方で、ジェンダー論からのアプローチは、当時の社会的な制度を、男女上下の問題ではなく、ジェンダー、すなわち男性性․女性性の問題として捉えるもので、使用文字をまず注目する。女手である仮名と当時の女性性形成との関係が究明され、仮名による和歌の役割などが論証される。そして、そこから仮名日記である女流日記文学が、男性の性的な対象としての存在に対抗して女性の欲望を表現した、女性性の結晶体であることが主張される。中で『蜻蛉日記』は、その先駆的な存在で、例えば、『蜻蛉日記』の中巻における鳴滝参籠事件は、作者の道綱母が独自的で印象的な自分のイメージを創るために感情の極限を描いたものであり、それは当時の女性性の限界を超越したものとする。そして、女性性発現の過程の上で虚構化は必然的で、そのため様々な修辞学的な戦略が用いられていることが考察される。結局、『蜻蛉日記』は、ジェンダー論からのアプローチによって、その複雑な作者の心境の推移が女性の視線から見直され、最も女性性の強烈な作品として新しく定義付けられるようになったのである。これは、世界女性文学史への正当な仲間入りという面だけでなく、従来の日本における研究史の再 構築という面においても大きな意義を有するものとして評価できよう。

9

4,000원

現代におけるファンタジー小説の流行や幻想的なアニメーションの人気からもわかるように、日本文化では全体的に‘幻想性’が大変重要な位置を占めているといえる。しかし、そういう現象は現代にいきなり起きたのではなく、神話や説話、古典幻想文学、或いは近代の幻想文学という土壌の中に根を下ろしたものとみることができる。 したがって、現代の日本文化において重要な要素として再照明を受けている‘幻想性’を正しく理解するためには日本幻想文学の歴史的な流れを辿ってみる必要がある。 そういう必要性の自覚により、本稿では江戸時代の代表的な幻想小説『雨月物語』の作家上田秋成を始めとして、近代の代表的な幻想作家泉鏡花や宮沢賢治の作品を対象にして、幻想文学の中で重要な要素をなしている<異界>がどういうふうに表現されているのか、その特徴を探ってみた。 まず、『雨月物語』以前の伝統的な幻想文学と比較して、上田秋成の文学世界の最も大きな特徴は一定の距離を置いて徹底した計算の下で<異界>を表現しているということにある。そういう特徴は『雨月物語』にもすでに現れ始めたが、『春雨物語』その中でも特に「目ひとつの神」で著しくなる。そういう傾向は上田秋成の時代に現れた国学思想の特徴とも関連がある。なぜならば、国学思想では文学を通じて思想を具現しようとする傾向があったからである。 次に、初期作品を中心にして泉鏡花文学における<異界>の意味を辿ってみた結果、<異界>というのは人間の本性を探り、試験するための空間、言い換えれば現実世界では倫理や道徳などによって抑制してきた欲望を噴出させるための空間としての意味をもつといえる。 そして、宮沢賢治の作品の中では、鉄道または列車という空間の設定に焦点をあわせて検討してみた。その結果、伝統的な幻想文学に比べて最も注目すべき特徴は、宮沢賢治は<異界>を天上に設定し、その<異界>への移動手段として鉄道または列車を利用しているが、同時にそれは現実世界と<異界>との境界にある世界、つまり<中間界>のような意味をもっているといえる。

10

5,700원

萩原朔太郎の初期詩集である『月に吠える』と『青猫』には女性の身体をあしらった多数の詩が含まれていて、詩人の特別な傾倒ぶりを感じさせる。第一、春の官能的なイメージとしての身体である。生暖かい春の生理的な感覚の齎した艶かしい肉体への想像は春の官能性を呼び起こす。ただ、その基底には動物的な本能としての欲情ではない、蘇生の季節なる春ならではの生命感的な認識が働いている。第二は主に『青猫』を通して喚起される美的対象としての女性身体への憧れである。魚類や食べ物などに喩えられた様々な身体への凝視は特記すべきであり、味覚や嗅覚などの五官を刺激する、いかにも幼児のような純粋無垢の原始的な情感が描かれている。これこそ、同詩集での身体表現が単なる情欲の対象に止まらず、強い生命力のシンボルという意味合いを込めている証である。この他にも、『青猫』を貫いているテーマの「感覚的憂欝性」を読み取るうえても、女性身体は欠かせない詩的素材といえよう。最後に、本稿ではいわゆる朔太郎特有の病的な感覚という面で、『月に吠える』中の問題作である「恋を恋する人」に注目し、新しい解釈を試みてみた。この詩は男性の女性化への憧れという破格の趣向性を窺わせるもので、特に「異性装」、「服装倒錯症」といえる病理的現象が現れている。しかし、肝心なのはこのような病理的感覚が男女の性差の解体を試み、既存の服装認識の椊組みを破っている点である。換言すれば、男性性と女性性の境界を超越することにより、これまでの男性中心社会において周辺的で劣等の存在として位置づけられてきた女性身体に対する近代的な自覚が見受けられる。結局、朔太郎はこれまでの男性中心社会において、無条件的な支配と所有の対象と見做されてきた女性身体に対する暴力的な視線から脱皮し、詩的形象化を試みている点で、他の詩人たちとの差別性が認められよう。

11

5,100원

啄木ははじめて社会主義を消極的傍觀的な姿で見ていた。それが生活の実感から来る現実を見つめる視線によって急変する。啄木は国家を相対化し、国家權力について疑い始める。特に、言論弾圧や大逆事件によって、啄木は社会主義思想へ傾倒するようになった。 国家の問題は、大逆事件が決定的契機となって、「時代閉塞の現状―强権、純粋自然主義の最後及び明日の考察」が書かれたのである。当時の情況のなかで、これだけ「強権」の実状を「時代閉塞」として鮮明にとらえ、「明日の考察」を訴える啄木の思想的先駆性こそ、啄木文学の頂点といえる。 明治四十四年になると、啄木は大逆事件や社会主義についていっそうの関心を見せる。やがて啄木は「僕は長い間自分を社会主義者と呼ぶことを躊躇してゐたが、今ではもう躊躇しない、」と宣言し、実践を考える。その実践が『樹木と果実』を創刊して「『時代進展の思想を今後我々が或は又他の人かゞ唱へる時、それをすぐ受け入れることの出来るやうな青年を、百人でも二百人でも養って置く』」という計画であろう。そして、トルストイの「日露戦争論」や「A LETTER FROM PRISON」を写す。 しかし、表面的には啄木が社会主義へ先進的に足を踏み出していても、その背後に、権力に対する無力感や身辺的境遇による絶望感がその晩年を覆っていたと言うことである。その一つの表れがアナキスティックな思想表現となり、また詩集『呼子と口笛』の世界となったのであろう。 以上のように、啄木の晩年の世界には一方で評価すべき思想的先駆性が顯現するが、他方それとは裏腹に絶望的な弱い部分が交錯している。

12

5,500원

太平洋戦争直前の国家主義的な状況下、太宰治は、バフチンの言う‘生の能動性(主人公の生の世界)’と‘美的能動性(作者の見る眼の余裕)’の出会いを翻案という方法で試みた。古今東西の古典作品や他人の日記などを素材とし、太宰治なりの豊富な創造力と才能で一連の翻案小説を書き続けるたのである。 その中でも『走れメロス』は、明快な作品構成と人間の信頼と友情の美しさを主要なモチーフとするような教訓小説のイメージで高い評価が下され、義務教育の国語教科書などで扱われている。1940年『新潮』に発表された短編小説『走れメロス』は、その末尾に書き付けられているように古伝説とシラーの詩『人質 Die Bürgschaft』(1798)から素材を取ったものである。 原作『人質』は、主人公(protagonist)メロスと敵対者(antagonist)ディオニスの対立からはじまる。簡潔な対話と圧縮された描写で二人の気質をよく表現しており、またメロスとその友の古代青年の友情の純粋さ、真実が誠実に描かれている。このようなシラーの敍事詩を基本にして、太宰治は、新たな時間と空間、具体化された人物、主人公の葛藤と苦悩の心理描写などを加え、小説としての『走れメロス』を再構成している。いくつかの矛盾した内容も見られるが、それにも関わらず、作家自信の人間的 真実へのひたむきな追求が感じられる作品である。 太宰治がこの小説を通してもっとも伝えたかったメッセージは、ディオニスの口をかりていう‘信実とは決して空虚な妄想ではなかった。󰡑ということであろう。

13

5,200원

田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」は、1984年『月刊カドカワ』に掲載された短編小説である。2003年には映画化され、韓国でも話題になった。作品では、足の不自由な25才の村山クミコという女性が主人公として登場し、彼女の恋愛を中心にストーリーが展開される。 一般的に障害を持つ女性とは、男性中心の社会で二重の差別(Doble discrimination)を受ける存在だと理解されるが、本研究ではそのような障害女性が作品の中でどのように描かれているかについて検討した。 作品を検討した結果、まず、障害を持つ女性でもデートや恋愛に対する期待感と、性的な欲求を持っていることが理解できた。主人公のクミコは、相手の恒夫に自分の恋愛観や素直な気持を打ち明けるなど、主体的な態度を見せている。 また、現代社会では女性の身体における美しさに対して画一的基準を提示し、その基準から外れると魅力のない無能力な人のように扱いする。このような社会の中で、障害を持つ女性はもっと排除され、差別される存在になってしまう。しかし、作者はクミコの足が「人形のように細いが美しい」と描写することで、障害を持つ人間の体に対する新しい観点を与えてくれている。 上述したように「ジョゼと虎と魚たち」を通して、障害女性のセクシュアリティや、女性の身体を巡る新たな視線について考察することができた。そして、主人公のクミコが主体的で美しい女性として描かれた背景には、社会の通念に縛られない作者の自由な視線が基になっていたからだと思われる。

14

5,700원

本研究では、時と関連する「タラ」について考察を行った。多くの従来の研究で「タラ」表現は、文末が過去の場合を除いては条件表現として扱われてきた。ところで、「タラ」表現には、起る予定や必然的に起ることになっている事柄が前件になっているものがあり、これも見方によっては条件表現の範疇での扱いができないわけではないが、この場合の「タラ」がほんとうに表そうとしているのは、条件でなく、時なのである。 本研究では、まず、このような前件を持つ「タラ」を、条件ではない、時の表現と見るべきいくつかの根拠を提示した。それは、この「タラ」が、「どうしたら」より「いつ」で質問された方が自然なこと、この「タラ」文が過去になった場合に用いられる「カラ」が理由ではなく、状況を表すということ、そして多くの研究でこの「タラ」と同じ意味と言われている「テカラ」が実は条件とは何の関わりがないこと、である。 それから、他にも未来を表す表現があるにも関わらず、いわば時の「タラ」で未来の事態を表すのは何故か、つまり未来のときを、時の「タラ」を以て表した場合に得られる効果、意味合いについて考えた。ここで言えることは、日本語には未来の時のマーカがなく、時の「タラ」がその役割を果たし、未来の表現の一軸を担っている、ということである。この、時の「タラ」は、前後文脈によって前件か後件のどちらかに焦点が当たるようになるが、「いつ」で質問されたり前件と対比される事柄があったりする場合には前件に焦点が置かれ、文脈の流れからして話者と聴者の両方に前件が知られているような場合には後件に焦点が置かれるようになる。前件に焦点がある場合の「タラ」は、「未来のそのときとその後にかけて」という、はっきりしない、ときに幅をきかせた漠然とした時を強調しているのであり、後件に焦点のある場合の「タラ」は、そのはっきりしない時を後件の状況として、一種の前置きのような感じでさりげなく後件に添え、話者がほんとうに言いたがる、メインの後件を文脈の中で唐突でなくさせる形にしているのである。前件が未来の時として働き、しかもちょうどそのときと言えない漠然としたところに、時の「タラ」の特徴が伺えるわけである。  最後に、このような、時の「タラ」と同じ意味として言われている「テカラ」との対照を行ってみた。実は、時の「タラ」のうち、とりわけ前件に焦点が置かれる「タラ」が「テカラ」と意味的に近接するようではあるが、前件の時を強調する「タラ」と、もっぱら時間の前後関係に注目する「テカラ」は基本的なスタンスが異なる表現であることを否定することはできず、これらの表現間のギャップは埋まりそうにない。  以上の考察を通して、確実に起ることになっている未来の時の「タラ」の特徴と意味役割を明らかにすることができたと思われる。

日本語學

15

5,200원

本稿では、韓国語母語話者4名の日本語によるフォーマルな談話とカジュアルな談話を資料として、スタイル切換えの観点から逆接表現の切換え能力の習得および過剰な切換えの背景要因について考察を行った。その結果、次のようなことが考えられた。 まず、逆接表現形式の習得は、先に習得した形式を保持しつつ、新しい形式を習得していくという積み上げ式の習得である。 次に、学習者が切換え能力を習得する際に利用する手立てとして、次の2点を指摘した。すなわち、(1)言語内的な要因として、目標言語話者と同様に、前接形式の丁寧さの切換えを利用する。(2)言語外的な要因として、母語の社会言語的規範意識を活用する。 さらに、逆接表現形式のケレドモ・ケドの切換えと、前接形式の丁寧形式と普通形式の切換えとが連動したことによる逆接表現の過剰表出は、単なる母語の影響とは考えにくく、話し相手からの影響(話し相手へのアコモデーション)でもない。学習者が独自の体系を構築するなかで過剰般化を起こした結果である。

16

5,500원

本稿では、現在韓国で行われている日本語テストについて概観し、それぞれの内容および特徴についてまとめることにより、これからの日本語テストが目指すべき方向性を示すことを目的とした。 その結果に基づき、以下の提案を行う。 ①現在、韓国で試行されているテストのうち、JLPTとJPTを除いては、テストに関する情報の詳細が公表されていない場合がほとんどで、受験者としては十分な準備ができない。 ②レベル等級に関する明確な基準がなく、テストによって記述も全部ばらばらであることを考えると、共通した言語スタンダードの作成が急務である。 ③テスト内容をより専門化していく必要がある。つまり、学習者のどういう言語能力をどういう方法で測定すれば最も的確なテストになるのか、そのデザイン作りにより力を入れるべきである。 ④テストの公正力を高めるためには、まず聴解テストと読解テストにおいては十分な出題者プールを確保し、監修段階を増やすなどの過程を通して問題の質を上げていくことが考えられる。次に、口頭テストと作文テストにおいては、分析的評価法に基づいて、信頼できる査定基準を設け評定者間信頼度を高めていくことが考えられる。また、どういう基準で採点が行われているのかを受験者に公表し、採点基準を透明にすることも考えられる。 ⑤テストは実施前の過程も大事だが、事後管理も大事である。受験者のテスト結果を分析し、テストの難易度構成には問題がなかったのか、弁別度のある問題構成になったのかなど、次回のテストのための綿密な分析が行われるべきである。受験する時期によりテスト結果が異なったり、誰が受けてもいい点数が取れたりするような構成ではテストとしての信頼性は得られない。

17

5,800원

本稿では、日本最初の公認訳聖書である明治譯聖書の馬可福音に登場する名詞翻訳語のうち、漢字二字で表記されている754例を対象として、李樹廷訳마가젼언の翻訳語と比較․考察した。 表記の面では、明治譯聖書の約70%だけが漢字で表記されている。これは日本語と韓国語の漢字運用における相違に起因するものであろう。 語種の面では、全体用例のうち、357例、つまり47%が同じ語種で翻訳されている。(266例漢語․91例固有語)しかし、語種が同じでも同一語彙とは限らない。両方とも漢語である266例のうち、139例は同一語彙で、127例は異なる語彙であった。 마가젼언の句に対応する用例も75例確認された。これは分かりやすく翻訳しようとする翻訳態度のあらわれであると見ることもできるが、日本語と韓国語の造語法の相違や両聖書の文体の相違による結果である可能性も考えられる漢文聖書との関連の面では、마가젼언の方が相対的により強い影響を受けていることが分かった。明治譯聖書は、西洋宣教師が翻訳の中心であり、西洋諸語で翻訳された聖書を参考にして翻訳された。一方、李樹廷は日本語の習得後間もなく마가젼언を翻訳した。そこで明治譯聖書など日本語で翻訳された聖書を参照するのはさほど容易なことではなかったように思う。しかし、漢学には深い見識を有していたので、何よりも漢文聖書を重んじた可能性が高く、本稿の結果もその推定を裏付けるものである。 明治譯聖書と마가젼언の翻訳語を比較した結果、両聖書の明確な影響関係は見られない。これは、両言語における語彙の相違および両聖書の文体の相違によるものである可能性がある。あるいは翻訳者である李樹廷の日本語力が明治譯聖書を参考するまでには達していなかった可能性も考えられなくもない。

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5,800원

日本語における味覚表現の範囲および変化を『分類語彙表』の語彙項目を中心に概観し、1983年から連載が始まり日本でグルメブームを引き起こした雁屋哲の『美味しんぼ』を対象に味覚表現の使用実体を分析した結果、次のような内容がまとめられた。 『分類語彙表』の初版(1984)と改訂版(2004)における味覚表現に関わる項目を比較した結果、味覚に対する総体的な評価を表す語彙は初版のプラス 「おいしい․うまい․美味」マイナス「まずい」の評価構図に「後味」の追加という味覚評価の範囲の拡大が見られ、ワインという特定の味覚対象の追加および「塩味」「辛味」の強度増加、「辛味」「濃い味」「まろやか味」への好感増加、比喩表現・外来語・音象徴語のような味覚の表現手段の拡大等がわかる。 『美味しんぼ』から集めた味覚表現を「評価表現(味覚評価,一般評価)」「五感評価(素材表現,味覚表現,共感覚表現)」(延べ語数基準)に下位分類し分析した結果、計量的な側面で味覚表現の中心は64%の占有率を示している「五感表現」であり、「五感表現」の下位分類では「味覚表現」(18%)より「共感覚表現」(43%)の数値がはるかに高くて、味覚自体の表現より視覚․聴覚․嗅覚․触覚等の感覚を活用した多様な方法で味覚を表現していることが概観できる。「味覚表現」では<甘味>と<旨味>が63%、<辛味>が22%で、三つの味が85%を占めている。「共感覚表現」では<触覚>58%、<嗅覚>28%あわせて86%になり、「共感覚表現」のほとんどを占めている。<触覚>では「食感」に関わる「歯ごたえ」「歯触り」「舌触り」「硬軟」「粘性」「弾性」表現が中心であり、同じ意味範疇に属する多数の擬声語․擬態語の分布が確認できる。

19

5,200원

本考は日本中世キリシタン文献と現代聖書にあらわれる「自由」を対象としてその語義変化について考察したものである。鎌倉室町時代の語彙を考察するにあたって、その時代の言語を知る上で特別に重要な文献はキリシタン関係の資料である。キリシタン資料は十六世紀後半から十七世紀前半にかけて來日したカトリック宣教師たちが、キリスト教の布教のため作成したもので、そのなかには日本語をローマ字で記した文献がある。その中には天草版『イソポ物語』『平家物語』『金句集』等をはじめとして、当時のキリシタン文学の代表的である『ぎやどぺかどる』『こんてむつすむん地』等の宗教書がある。これらの資料は当時の日本語を知る為の貴重な資料である。 本考ではキリシタン語彙の中で、キリシタンの教えにとって重要である「自由」を対象として、その意味と特質、語義変化を歴史的に考察した。多様な語彙変化の中で、現代と違う意味で使われている語彙、「自由」について考察した。又、キリシタン用語の「自由」の意味の変遷にはその類義語である「自在」との関係もあって、その系譜についても考察した。 意味用法、そして語彙の変化をまとめてみると、「自由」は室町時代頃から用いられるようになり、「自在」によってかわるようになる。 意味面においては「自由」は「自在、勝手」といった元の意味から、現在のような「解放」「自律的自由」「解脱」「神」といった意味にかわってきた。それには「自在」の意味が大きく関係していて、室町時代頃から意味の変化が進み、「自在、勝手」「解放」「自律的自由」「解脱」「神」へと意味が変化し、プラスとかマイナスの評価的の意味に変化する語義変化の一例である。以上、その意味変化についてまとめてみると、「自由」は元、日本語に藤原朝時代からあったことばで、近代思想とともに訳 語として意味が変って高い理念の言葉で語義への変化する例であると思われる。 本稿ではキリシタン資料の中で特殊な意味用法に使われた用語の「自由」についてその語義変化をキリシタン資料と現代聖書を中心に考察して明らかにした。教育の場においては語義変化を大系的にまとめて語彙史の研究と日本語の教育に利用すれば効果をあげると思われる。しかし、まだ体係的研究には残された課題が多くて今後も引き続き研究して行く考えである。

20

6,000원

本稿での主な関心は日本語の再帰構文の文法的特性を明らかにすることにある。その結果内容をまとめると次のようになる。 まず、再帰構文は語彙的なものと文法的なものとに分類でき、それがヴォイス性を有するためには対立する基本文の成立を前提とする。文法的再帰構文とヴォイス的に対立する自動詞文との間には[ Xが Yを V-saseru ↔ Xの Yが V-suru ]という対応関係が認められる。すなわち意味役割においての行為主体であると同時に対象の所有者であるXとその身体部分や属性などを表す対象のYとの格の移動と述語 形態の交替が関わっているのである。この際、接詞[(s)aseru]は再帰化素として働く。 なお語彙的再帰構文の場合、他動形の再帰用法動詞と自動詞との対応によってヴォイスの対立関係を表すことができる。また行為主体から分離できない身体部分を対象とする再帰用法構文は身体部分の状態変化があり、再帰用法動詞と対応する自動詞のペアがあるとき、ヴォイス性とともに結果相を示すことができる。

21

5,800원

本稿では、日本語の[Vてやる]文と韓国語の[Veo-juda]文に再構造化現象が現れるという事実を経験的に明示した。このような議論のために、本稿ではNPIとNegの呼応現象、[そうす(る)]と[geureoha(da)]による代用表現現象、単一語(一語)化現象を通して、日本語の[Vてやる]文と韓国語の[Veo-juda]文が複文構造であることを示すと共に、NPIとNegの呼応現象、[だけ]とNegのスコープ現象、[man]とNegのスコープ現象を通して、[Vてやる]文と[Veo-juda]文が単文構造であることを示した。このような主張は一見矛盾しているようにみえるが、初期構造において複文である文が表面構造においては単文のように機能するという、いわゆる再構造化現象として呼ばれている現象として説明される。また、議論の際には、議論の証拠として提示した[NPI-Neg]同一節内制約、代用表現現象、単一語化現象、[だけ、man]とNegのスコープ現象という文法操作がどのようなものなのか、そしてどのような現象をもって再構造化現象と呼ぶことができるのかについても具体的に示した。 日本語の[Vてやる]文と韓国語の[Veo-juda]文が示しているこのような再構造化現象は日本語と韓国語という個別言語の特殊性によるものではなく、イタリア語(Rizzi(1982))、ドイツ語((Wurmbrand(2001))、などの多くの言語において既に観察されている自然言語一般に現れる普遍的な現象の一つである。

22

5,800원

本研究は、「ヴォイス(Voice)」の観点から日本語可能の位置づけを試みようとすることに目的がある。具体的には、伝統的な英文法とギリシャ語文法、そしてヨーロッパ言語での「ヴォイス(Voice)」の定義を検討し、その定義を踏まえながら、日本語に照らし合わせて「ヴォイス(Voice)」の定義を試みた。そこで得られた「ヴォイス(Voice)」の定義に基づいて、なお、今現在、変化の過渡期にある日本語可能を考慮した上で、「ヴォイス(Voice)」の中での位置づけを試みた。その結果をまとめると次のようになる。 まず、伝統的な英文法などでの「ヴォイス(Voice)」の概念規定を踏まえながら、日本語にあける「ヴォイス(Voice)」の定義を試みた。その結果、本研究では「ヴォイス(Voice)」という文法範疇を<文法関係の交替が動詞述語の形態および(文法的な)意味と相関関係にある>ものと規定した。 また、本研究では、「ヴォイス(Voice)」においての動詞述語の形態的な対立を、「レル・ラレル」「セル・サセル」に限っており、具体的に、変化の過渡期にある<可能>を、「ヴォイス(Voice)」の観点から、どう位置づけるべきなのか、について探ってみた。その結果、日本語の可能は「ヴォイス(Voice)」からの解放、すなわち、離れつつある過程にあるということが明らかになった。

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5,400원

 
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