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일본학연구 [The Journal of Japanese Studies]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) [Institute for Convergent Humanities in East Asia (ICHEA)]
  • pISSN
    1598-737X
  • eISSN
    2465-8448
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1997 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 730 DDC 492
제19집 (22건)
No

【심포지엄 특집논문】

1

4,600원

韓日兩國人の相互認識の共通的特性をあげると一ぎのようである。 第一は、「ひまわり性周邊文化の葛藤樣相」である。邊境文化意識のもう一つの特徵は、互いに相手の中心性を認めず亞流であると蔑視する傾向があるという点である。 第二は、相手に對する認識が優越感の中の劣等、劣等感の中の優越という分裂的樣相を帶びている点である。 第三は、「近親憎惡」現象である。韓國と日本は地理的に近いだけでなく、古代以來人種と文化的要素において共通する点が多い。長い期間の歷史的経驗と環境條件により異質な意識と価値觀を持つようになり、接触の過程で葛藤と對立が發生した。大局的にみると「大同小異」であるといえるが、兩國は「大同」よりは「小異」に執着しつずけながら相互蔑視觀を持っている。 第四は、自民族中心主義現象である。朝鮮後期に現われた「朝鮮中華主義」と「日本型華夷觀念」の對立樣相もそのいい例である。これは邊境文化意識から脫皮しようとする兩國それぞれの自意識からの試みであるが、獨善性と排他性を持っている点においては共通点がある。 有史以來長い歷史の中で、韓日關係は時には不自然な關係にあった。現在の相互認識は數千年にわたる集団的体驗の産物であり、歷史の堆積の結果である。從って簡單に変わったり、解決できる問題ではない。 21世紀の韓日兩國の望ましい關係はどんな姿であろうか。 韓日兩國もこのように相互依存的に共存しながらアジアでの共生秩序を作りあげる關係へと發展させなければならない。こうした新しい構造作りの爲には韓日兩國民の新しい認識と姿勢が要求される。 まず、韓國人は和解の精神と「反求諸己」の姿勢が必要であると思う。日本人にはより能動的で主体的な「結者解之」の姿勢と普遍的認識に基づいた「眞の國際化」を要求したい。 日本人の「結者解之」、韓國人の「反求諸己」、そして兩國民互に成熟した世界人として付き合う和而不同的共存。これが私の想像する21世紀の韓日關係の姿である。

【심포지엄 특집논문

2

7,600원

最近、韓國と日本兩政府は、歷史認識をめぐって極度の葛藤や對立關係を見せている。それは兩國國民の世論を反映した面もあろうが、基本的には廬武鉉大統領と小泉純一郞首相との正面對立からはじまったことと考えられるのだ。一方、兩國の歷史硏究者をはじめ歷史敎育者․市民運動家など、民間レベルにおいては多樣なチャンネルを通じて歷史問題に對する樣々な意見を交換している。これには中國․ヨーロッパ․アメリカの關係者たちも參加して、歷史對話の外延は東アジアはもちろん、世界へと擴張していく推移を見せている。同時に、歷史對話の廣さと深さ、內容と水準も飛躍的に向上している。今後、このような狀況が續けられると、兩國に宿命のごとく垂れかかっている歷史の暗い影をはらいのけることができるかも知れない。  しかし、韓國と日本の歷史認識に對する相互理解が、歷史對話を通じて一直線のように改善されるとは思わない。いまだに韓國と日本は相手の歷史認識を疑い、懸念している。場合によっては、兩國の政治勢力が歷史葛藤をおだてて、ナショナルリズムを强める道をたどるおそれもある。2005年以降の兩國政府の行步がその可能性をうらづけている。したがって、韓國と日本は歷史和解の道を步むというよりは、たかが'凝った負の遺産'をあえてふれないか、記憶から消してしまう方向へ進むと考えた方が正しいかも知らない。  このような狀況の下で、韓國と日本の歷史硏究者․歷史敎育者․市民運動家たちは、今までの歷史對話をより擴大し、共用の歷史敎材を共同で編纂し普及することによって、民間レベルの相互認識を促進しなければならない。一時、敵對關係にあった國家どうしの歷史認識を互いに理解して共有することは、おのずとそうなるものではない。兩國の關係を改善しなければならないという必要性を切におもう人たちが、これを先導し牽引しなければならない。韓國と日本は歷史對話を續けることによって、'歷史の傷跡'を'未來への共榮'へと変えていかなければならない。

【심포지엄 특집논문】

3

6,600원

2005年春、日韓間に起きた「竹島(獨島)」「敎科書」「靖國參拝」を中心とする一連の紛糾は、國交正常化から40年を記念する「日韓友情の年」を暗轉させた。今回の日韓紛爭は「政治主導」であったことが特徵である。盧武鉉大統領と小泉純一郞首相の相互に配慮を欠ける外交姿勢が、混迷に拍車をかけた。日刊のメディアはこの事態に冷靜に對處しただろうか?答えは「ノー」というしかない。筆者は今こそ、日韓のメディアを相互檢証する「日韓メディア・ウオッチ」の設立が緊要であると提言したい。そのためには、日本新聞協會と韓國新聞放送編集人協會が1966年以來40年にわたって共催してきた「日韓編集幹部セミナー」の成果と問題点を檢証することが必要である。もっとも問題なのは、このセミナーの討議內容が、韓國側では冊子になって公開されているのに、日本側では公開されていないことである。1980年代と比べると、そこには①インターネットメディアの急成長②南北首腦會談の實現(00年6月15日)など南北關係の改善③日韓間における歷史認識問題の深刻化④「韓流」などによる日韓國民交流の活發化、など大きな環境変化が見られる。このような変化がマス・メディアにどのような影響を与え、さらに日韓兩國民の相互認識にどう關係があるのか。こういった問題が改めて問われる時点に來ているのではないか。日韓の相互報道を日常不斷にチェックする「日韓メディア・ウオッチ」設立の必要がある。マス・メディア關係者の問題提起―反論―再反論を通じて、日韓兩國が双方で派生する紛爭を上手に「管理」する道も開けるのではないだろうか。

4

4,000원

The Normalization processes between North Korea and Japan have been faced with various obstacles such as Japan's colonial compensation and repentance, North Korea's nuclear problem, and abduction issues. Although Prime Minister Koizumi desires normalization to be completed within his tenure, it seems improbable to be realized due to the difficulties of solutions to the problems of abduction and nuclear weapons. Japan has not formulated constructive North Korean policy due to worsening public opinions mainly caused by abduction of Japanese on the part of North Korea. Japan repeatedly stated that it would solve colonial compensation in the way it had done in the normalization treaty between South Korea and Japan. Treating colonial compensation as the issue of economic cooperation, Japan should tackle with sincerity such humanitarian issue as Japanese Army's comfort women. If Japan shows its maturity by trying to solve humanitarian problems, having not dealt with in the South Korea-Japan normalization treaty, it could be a starting point of sincere Korea-Japan rapprochement.

【日本文學】

5

6,900원

本論文では、日本における朝鮮通信使の問題を<メデイアイベント>と<地域の振興>という側面から考察した。具体的な方法としては朝鮮通信使がメデイアイベント化された時代的な背景と、朝鮮通信使の硏究が近世イベントから現代イベントとして変化していくなかで日本人が通信使の問題を自らの伝統文化ないし地域文化とどのように折衝しながら現在まで変化・發展してきたのかについて檢討した。特に岡山縣の牛窓町に伝われている唐子踊りと唐人行列、唐人人形を中心に、朝鮮通信使が近世イベントから現代イベントへ変化していく過程で現れた日本文化の一面を探ってみた。 その結果、朝鮮通信使の問題がメデイアイベント化された背景を三つあげることができた。つまり、歷史博物館・美術館と地域社會との係わりや、生涯學習と自治体講座の影響、そして1980年代から日本でおきた<地方化>・<町づくり>運動と關連した<朝鮮通信使緣地連絡協議會>の發足である。 また、唐子踊りと唐人行列は現在も日本の各地域で行われているが、これらは各地域の祭りや神社の祭礼形式に導入され神を喜ばせる機能と災害と病魔を追い出して平和に暮らそうとする民間信仰と融合しながら今まで演出・持續しているのである。つまり、他文化を自らの地域社會や神社を通じて民間信仰と關連させながら<異國文化>を日本の伝統文化の中に吸收し現在まで継承しているのである。 さて、近世日本における朝鮮通信使の行列は幕府と將軍の權威や武威を見せるため演出されたものであったが、一般の人々の間ではこの行列に中國風や南蛮風をまじえながら<異國的><異質的>なことをより强調し、自らの祭りをはるかに<民衆的><祝祭的>に<異化>しようとしたことが分かった。それが現代になって朝鮮通信使のイベント化問題は地域の文化事業と關連して、地域の文化遺跡地と關連した文化商品の開發や觀光開發を通じて地域の活性化や地方の開發化に利用されている。特に大都市より通信使が長期間に滯在していた對馬島・牛窓・室津のような地域にこのような現象は著しく、こうした地域に對するメデイアの好意的な報道も朝鮮通信使のイベント化を盛上げ地域の開發及び振興に共助している。 以上のように日本における朝鮮通信使の問題を現代のメデイアイベントという側面がら考察すると、これは韓日兩國民の民間交流がより深く活性化される触れ合いの場であり、東アジア全域の平和と安全を願う人々に示唆する点は多いと思う。

【日本學】

6

7,000원

Japanese intellectual society inside Joseon was formed while Japanese colonizers were conducting a research on the cultural standard of Korean people as a colonization project which Japanese empire had planned as one of the efforts for occupying Joseon. The research was performed academically, which centered on several kinds of surveys for measuring Josean's society as modern statistical indexes including areas such as economy, education, and history etc, aswellastheenforcementsofeducationalpoliciesforthepurposeof thetransformationofKoreanpeople'sconsciousness.Inㅍ1930sthe Government-General of Korea boasted that so called 'the task of civilizing Joseon' had made considerable progress, as is also appeared in the discourses of 'Shin-Joseon(a new Joseon)' which were circulating in about 25th year of the Government-General.JoseonGugwanjedoJosaissuedbythe Government-General was also one example of such discourses, which were produced by Japanese intellectual society inside Joseon. These discourses are characterized as efforts to solve such questions as how Japanese intellectuals inside Joseon self-define themselves, in the process of the exploration of self-definitionoridentification.Thisprocessofself-definitionnecessarily demanded unique rhetorics mixing sophisticatedly both distance and closeness between Joseon and a self as well as Japan and a self. In addition, in this process they tried to relativize their present and future from their past. The 1930s was a period when these methodological approaches were prevalently adopted while their self-definition were rising to a turning point. To study the Japanese intellectual society inside Joseon during 1930s, It is essential to look through and examine closely the 'dialogues' between nations(languages) as well as the 'monologues' of a individual nation(language). Furthermore, we need to analyze the logics of 'assimilation' and 'exclusion' intermingled inside these dialogues especially to understand the aspects of the existence and relationships of such intellectual society. That's because Japanese inside Joseon identified 'we' through 'they(you)' or 'they' in the process of defining 'we'. Finally, we have to take into consideration the fact that these binary logics were also one of targets for major criticisms. However, this whole discourses including criticisms show us how they tried to fashion the selves which came to assimilate into Joseon land.

7

6,000원

本稿は、戰後の日本が長期にわたり享受してきた構造的安定性の変化が政治経濟構造に登場する政治行爲者の關係をどのように変化させたのかを明らかにしようとしたものである。  一般的に政治過程に登場する行爲者間の關係を中心に日本の政治を纏めれば、自民党の一党優位体制が持續すればするほど、官僚制や利益団体などの各行爲者はそれが搖るがないだろうという前提に立て行動することになり、ここで利益關係、影響力の關係のような構造が發生する。例えば、勞働者も社會党政權が期待できない以上、企業の業績を向上させ、そこからある程度の果實を得ることが戰術として効果的であるということを習得してきたといえる。しかし、90年代以降の日本においては、このような前提が崩壞したことによって、各政治行爲者は新たに關係設定をしなければいけない狀況におかれた。つまり、政治改革と政治の変動は、バブル経濟の崩壞とその影響による経濟成長の停滯、汚職スキャンダルの頻發、自民党の分裂、外交政策・對外關係の挫折などを背景とする政治․経濟情勢の流動化の中で、政治家、官僚制、財界、勞働組合など政治行爲者に關係再設定を强要したのである。  分析の結果を整理すれば、次のようになる。まず、一党優位政党システムについていうと、衆議院で壓倒的な多數を確保している小泉內閣においてさえ、自民․公明兩党による連立が維持されている理由は、參議院において公明党なしでは過半數を確保することができないからであること、そして强力な民主党の登場によって2大政党制が期待されていることから、このシステムは変容しているといえるだろう。  もう一つ、政官財連合を中心とする利益政治システムについていうと、このシステムの行爲者である政治家と官僚制の關係は政治優位または內閣優位へと変化しているがまだ完全に定着しているとは言いがたく、財界は経濟財政諮問會議への參加などにより政策決定に積極的に參与する方向へ轉換していると判斷される。  最後に、大企業勞使連合の協力システムの場合、コア行爲者である勞働組合は1990年代以前とは違い、組織勞働者を代弁できるような强力な全國組織が存在していないため、もう一つの行爲者である財界に比べ、その影響力が低下していると考えられる。

8

5,700원

本稿は文化世界化時代に向かい、日本がどのような文化論理で對応しているのか、日本の言語政策を中心にして考察したものである。考察結果、日本の言語政策は對外的には日本語の普及を主とした發信型であり、對內的には英語の積極的受容を志向する受信型である。一見、表面は矛盾しているが、このような矛盾は國益優先の政治・文化・経濟論理の徹底した適用による副産物にすぎない。國際社會向けの日本語普及努力は日本語の世界化をめざした布石なのであり、また英語の積極的受容も世界秩序における主導權確保のための一つの手段に過ぎないのである。結局、日本のこのような文化戰略的側面は多樣な人類文化の共生・共存を図るというよりは、寧ろ破壞的・侵略的な性格が强いのであり、もう一つのアメリカを連想させる。

【日本文學】

9

5,800원

自國中心の世界觀を持とうとするのは、國家の整備期において共通してあらわれる現象である。しかし、その思想は中國の周辺國が中國との冊封關係を通じて習得したもので、自國を秩序づける際に國內に導入し適用させたものである。  特に新羅智證王の時代は、それまで一定していなかった國名を、德業が日々新しいという「新」と四方を網羅するという「羅」を用いて「新羅」と定め、また國王という尊号をはじめて制定した時代でもあり、それだけ國內が整備され自國中心の世界觀が必要とされた時代であった。  于山國の征伐もその時代像を反映したもので、北方の高句麗・濊・靺鞨・樂浪、南方の加耶、西方の百濟、そして倭を天下から除外した結果、欠落した東方を補充する存在としての于山國、これらの國があってこそ新羅を中心とする四方が完成するのである。  つまり自國を中心とする天下を完成させることを目的としたのが于山國の征伐であり、新羅はそれを通じて自國の天下を實現させたことになる。于山國の征伐は天下觀の成立がかかった問題であった。  さらに「于山國」という國名は󰡔太宗實錄󰡕や󰡔朝鮮王朝實錄󰡕に「于山・武陵」と見え、「武陵」が今の鬱陵島を「于山」が今の獨島を意味すること、また󰡔高麗史󰡕の「鬱陵島は縣の東海の中にある。新羅の時代では于山國と呼ばれ、また武陵・羽陵・于山ともいう。武陵は本は二島である。互いに遠くなく風が吹く晴れた日に見ることができる」という記事から、「于山」は鬱陵島と獨島の兩方の称号として用いられていたことが分かる。  これらの事實から、鬱陵島と獨島は同じ區域として把握しされていた可能性もあり、それは󰡔新增東國輿地勝覽󰡕の「一說于山、鬱陵本一島」という記事によって裏付けられると思われ、日本が鬱陵島と獨島を分離し獨島を日本領に含めようとする試みは意味をなさないと判斷される。これについての論証は今後の課題としたい。

10

5,700원

『蜻蛉日記』は、日本文學史上女流日記文學の嚆矢として位置づけられている。內面の世界を時間の推移によって書き綴る日記文學というジャンルは、紀貫之の󰡔土佐日記󰡕によって始められたものの、女流日記文學という項目を別に置いて道綱母の『蜻蛉日記』を本格的な日記文學の嚆矢と稱しているのである。それは、まずは言うまでもなく、感情の自由な表現が可能な假名の主な使い手が女性であったことに起因するだろうが、それにもう一つ考えるべきことがある。女性固有の精神世界が日記文學形成に大きく作用している、という點である。女性固有の精神世界、それは日記文學を成り立たせる最も基盤たるものとして作品解析に重要なベクトールとなるはずである。 本稿では、『蜻蛉日記』において「內なるもの(內面世界、自己․自我、願望)」と「外なるもの(外部世界、夫、現實)」からなる二分法的構造について考察を行ない、今までは疎ろそかにされてきた女性的論理というものをより積極的な意味で考えてみた。すなわち、『蜻蛉日記』における女性的論理がいかに構築され、またそれがいかに作品の中で基盤を成しているか、その過程を摸索したのである。 『蜻蛉日記』において、「內」なる世界である道綱母の自我と「外」なる世界のすべてである兼家とは、ついに同一化されることがなかった。兩者は日記の最初から對立と敵對の關係で、最後まで合一化しない。勿論、兼家の病氣の際見舞いにわざわざ兼家の所を訪れるなど、一時的に二人の間に共感帶が作られる場合もある。しかし、それは道綱母の期待を大きくし、その後夫に對する感情を惡化させる機能をしている。『蜻蛉日記』において描かれている兼家の像は、言うまでもなく歷史的實在としての客觀的なものではない。あくまで道綱母の心をくぐりぬけて表現された、極めて主觀的な像である。兼家の人物像は、當時の結婚形態である一夫多妻制の下では、むしろ當り前のものとも言える。從って、『蜻蛉日記』における「內(自己、自我)」と「外(外部世界)」の對立構造は,作品形成の基本論理になっており、それは至極女性的な論理であったと考えられる。

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明惠上人と夢

村松正明

단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제19집 2006.10 pp.237-257

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5,700원

本稿は、夢を宗敎的な体驗として位置づけ、それを明惠の仏道との關係から考察した。先ず弟子たちが殘した伝記類をもとに明惠の人生を夢を中心にして槪觀し、次に明惠が夢をどのように認識したのかについて考察し、最後に『明惠上人夢記󰡕に記された夢について考察した。  明惠は夢を生き續けた人物であり、その誕生から入滅に至るまで、現の生活と夢とが混じり合って人生繪卷を形成している。明惠の生涯は『高山寺明惠上人行狀』や『明惠上人神現伝記』、『栂尾明惠上人物語』や『栂尾明惠上人伝記』などで知ることができ、何れも多くの夢が記錄されており、彼の生涯は夢を拔きには語ることができない。  明惠は夢に關する経典を硏究し、その敎えを實踐して意図的に夢を求めた。更にそれらを記錄に殘して、周りの弟子たちとも共有した。それは單なる夢への好奇心や記錄への自己滿足からではなく、現の世を夢の如き消えやすいものと認識し、夢の中にこそ眞實の世界があると信じたからである。夢は明惠にとって仏道の成就如何を知らせてくれる鏡のような存在であった。ある時は煩惱の鏡となり、ある時は悟りの鏡となったのである。明惠は積極的に祈請して夢を求め、夢から煩惱を知らされるや更なる修行に勵み、悟りを知らされるや歡喜して泣いた。夢は仏道の師であり、菩提への案內役であり、華嚴思想を中心とした禪と一体となっていたのである。  『夢記』には130以上の夢想や好相が記錄されており、特に承久2年に多數の夢とその解釋が詳細に記錄されている。仏道成就を確認しようと夢を求めた明惠であったが、宗敎的な夢だけではなく、日常的又は性的な夢も多數記錄した。夢の意味は現との關係から知ることができるが、夢の內容だけが記されていることも多く、その意味を計り知れない場合が多い。

12

5,700원

仏敎の日本伝來以來、仏敎と神道が持ち合わせていた現世性は時代ごとに程度の差はあるが、その基調には超越性と否定性の裏腹に世俗への强い志向が働いていると言えよう。淺井了意は神仏の伝統的な基盤に立って近世期の憂世と浮世に象徵される宗敎と世俗のスタンースを保つ內容を『浮世物語』に盛っている。近世期以降の神仏の本格的な世俗化の實態は当代の思想家たちの直感的な著述よりは当時の現實を寫實的に扱っている文學テキストにこそよく現れている。了意が同作品で描き出している、近世前期の現實と神仏の關聯樣相についての分析は槪ね以下のように要約できよう。 1。近世前期の世俗は憂世から浮世への轉換期の樣相として描かれている。 2。中世的說話の仏敎談を受容されつつも近世の世俗的狀況を主人公の遍歷談のなかに捉えられている。 3。当代の浮世的現實が描かれつつも笑話的ポーズがとられており、作者が描いている神仏の像には憂世的要素が投影されている。 4。神仏とりわけ、仏の世界との關聯樣相には世俗への超越性と否定性を根幹とする先驗的宗敎觀が投影されている。 5。武士出身の作者と主人公が体驗する、あるいはできる当代の世俗は階級的に制限的であり、この点は後續の作家であり、商人出身の西鶴のそれとは區別される、等である。

13

5,800원

『やみ夜』の主要な登場人物であるお蘭と直次郞が共通点を持つ存在であることは、これまでの先行硏究の中で樣々な角度から述べられてきた。本稿ではそのような先行硏究を踏まえたうえで、家制度と立身出世の面においても二人が共通点を持っている存在であることを明らかにし、この二人を中心に『やみ夜』を考察してみた。 「汽車」によって外部地域とのより活發な交流が始まった時代狀況と對照的に、外部との接点が途絶えた空間である松川屋敷に住んでいるお蘭と直次郞は、家制度と立身出世の面において共通点を持っている。女戶主であるお蘭と<私生子>である直次郞は、家制度から見ると二人とも例外的なケースであった。また、お蘭は父親の死による家の沒落のため、直次郞は「丸うな」れない自分の性質のため、それぞれの立身出世と緣遠い立場にあった。 家制度や立身出世において共通点が認められる二人は、同じ方向に向かって変貌していく。波崎への戀を諦めて彼に「首尾よく」復讐することを決心したお蘭は、家制度や出世に背かれる方向に変貌していったと言える。医者になることを斷念してお蘭のために生きていくことを決めた直次郞もやはり、立身出世から離れる方向に向かって変貌していったのである。 二人はこのような変貌によって浮上した共通の仇である波崎の暗殺を試みる。波崎暗殺の試みは、彼らの共通の仇に恨みを晴らす行爲であると同時に、文明開化の新しい時代に向かって再編成されていく思潮や制度から外れた者同士が企てた反逆でもあったと言えよう。

【日本語學】

14

6,900원

日本國栃木縣足利市の鑁阿寺(덧말:ばんなじ)に所藏される重要文化財『足利本仮名書き法華経』八軸(1330年に句讀点の加筆作業完了)を對象に、その日本語の歷史的資料としての価値を探るために、語彙・語法・音韻・表記の各面について、他の音義書・辭書類の記事と比較しながら、本資料の日本語史上の位置付けを試みる。またそれらと倂せて、言語使用や仮名表記などに關して特定の軸に偏りが見られることを指摘しながら、本資料の文獻學的問題にも言及する。

15

5,200원

本論文の目的は韓國人日本語學習者に日本語の音素/t/に關する發音させ、硏究者本人の聽覺的な觀點から分析ㆍ定型化することである。實驗對象の音素は日本語の/t/である。硏究の分析結果、語頭では[d]、非語頭と音聲資質別と性別の分析の環境ではすべて[tt]で分析された。また韓國人日本語學習者が日本語の/t/を發音すろ時、語頭の以外の分析の環境では氣息化の現狀が一番少ないことが分かった。

16

5,400원

『韓語會話』は、明治37年(1904年)に、村上三男によって書かれた韓國語學習書である。本書は、韓國において鐵道に從事する人と、一般の人々が簡單に韓國語が學習できるように作られている。また、韓國語の基礎についても、會話についても書かれているため、当時のいきいきした日本語と韓國語の狀況を知ることのできる言語資料でもある。そこで、本稿では、『韓語會話』の構成について触れた後、日本語と韓國語について調査し、本書の日本語と韓國語の狀況を理解しようとした。また、江戶時代から明治期にかけて日本で最も廣く用いられた『交隣須知』との關係についても明らかにしようとした。まず日本語の調査項目として、人称代名詞、動詞の連用形、命令形、形容詞の連用形、原因․理由を表す接續助詞、歸着を表す助詞、打ち消し、斷定、推量等を表す助動詞等をあげたが、これらは上方語から江戶語、東京語へと移り変わっていく言語の諸相がよくわかると思われる項目である。また、韓國語については、『韓語會話』と『交隣須知』との例文の類似性について述べた後、二つの資料の韓國語表記について考察した。そして、『韓語會話』の「鐵道用語」に見られる、現在はあまり使われない韓國語の語彙についても言及した。最後に「-に乘る」の韓國語について述べた。これらの調査を通して、日本語については、まさに現代語が生まれつつある時代の混沌とした言語の樣相が見られる中で、「です」「だろう」「から」のような、比較的新しい語彙が確實に用いられていることがわかった。また、韓國語の例文の類似性から、『韓語會話』を作成した時に『交隣須知』のような資料を參考にしたであろうことが予測されるが、韓國語の表記を見ると、明治14年本『交隣須知』のそれとは異っているものが多く見られ、明治14年本『交隣須知』のような資料を參考にしたとしても、韓國語をそのまま書寫したのではないであろうことが明らかになった。また、『韓語會話』の「鐵道用語」にある韓國語の語彙の中に、現在はあまり使われないものがいくつかあり、それらを讀む場合に、はじめは漢字を韓國語式に讀んだのを、後で英語式に言うように変えた語彙が見られたことは注目に値すると思われる。いずれにせよ、『韓語會話』における日本語と韓國語は、明治後期という時代を反映した過渡期の言語であることが明らかにされたと思われる。

17

5,400원

ここにおいては、先行文脈指示で用いられる「コノ」と「ソノ」の使い分けの原理を究明しようとした庵の說について、またいわゆる文脈指示の「アノ」が、指示詞の用法・機能の面において、文脈指示の「コノ・ソノ」と違うかどうかについても檢討した。 その結果、前者の庵說には、「コノ・ソノ」ともテキストのトピックとの關連性が高い名詞句へのテキスト的意味の付与をマークする機能を持ち、そのなかでも「コノ」には、先行詞と定情報名詞句の間に「言い換え」が行なわれる際、固有名詞から普通名詞へというカテゴリーの轉換を誘導する機能もある、ということを新しく付加することができた。 そして後者に對しては、いわゆる文脈指示のアノはすべて記憶指示のアノであり、このアノには知識・長期記憶の中にある具体的な心的イメージへの(指示・)提示・照応のマーカーとしての機能があるということで、文脈指示の「コノ・ソノ」の指示用法・機能とは對照をなすと考えられる。さらにいわゆる文脈指示のアノは(共有知識への指示機能以外に)、「アノ+名詞句」が使われた時点で話し手と聞き手がすでにその指示對象を觀念的に了解しているか否かによって、兩者にとってすでに觀念的に了解された對象への(指示․)照応のマーカーとしての機能を担われたり、または聞き手にとって觀念的にまだ了解されていない對象への(指示․)提示のマーカーとしての機能を担われたりすることがわかった。

18

6,100원

從來、助詞についての誤用硏究の多くは、日本語を學習する韓國人だけを對象として行われてきたが、本稿では、韓國語を學習する日本人も對象としたことによって、兩言語學習者の誤用の實態を明らかにしょうとした。特に韓國人が間違いやすい自․他動詞と關わった助詞「に」についての誤用の傾向と原因を分析し、相互言語學習時の負担を輕くするための資料を提示するのが本稿の目的である。 調査の結果、韓國語を學習する日本人學生には、慣用的表現や無意識的動作また心理を表す敍述語である場合、助詞の誤用が多く見られる。それは助詞それ自体よりも構文上の問題に起因するのではないかと思われる。また日本語を學習する韓國人學生の場合も日本人學生と同樣に慣用的表現や無意識的動作、心理を表す敍述語に誤用が多く見られたが、特に漢字から來る文語表現に間違いが多かった。なお、韓國人にとっては日本語の自動詞が難しいらしく、日本人學生に比べてこれについての間違いが非常に多かった。韓國人に多く見られた「に→を」の誤用は、やはり母語の干涉に起因するようであり、逆の場合、日本人學習者にもやや母語の干涉が見られたが、韓國人學習者より少なかった。  このような調査硏究を通して、やはり助詞の誤用は、助詞の問題だけではなく他の品詞やアスペクト、補助動詞など、構文と關わる問題までふくめての總合的な硏究が要求されることを實感した。

19

5,500원

本稿では、江戶中期以後、特に延享~天保期の上方語に現われるサ変複合動詞の上一段化現象について考察して見た。特に、当時の上方語資料32種(上方洒落本類20種、淨瑠璃類6種、上方歌舞伎脚本類3種、道話類2種、滑稽本類1種)の上一段化の實態の分析結果に基づき、全体的傾向を江戶語と比較しながら考察し、また遲速差の原因についても檢討して見た。なお、二段活用動詞の一段化の傾向とも比較して見た。その結果、幾つかの特徵的事實が明らかにされたが、上一段化の全体的傾向を中心にまとめると、大略次のようである。 ①漢語複合動詞の上一段化は和語複合動詞の上一段化より、漢語複合動詞の場合、ザ行系動詞の上一段化はサ行系動詞の上一段化より早い。 ②漢語複合動詞の場合、語幹末尾音が撥音の動詞の上一段化は長音の動詞の上一段化より、長音の動詞は促音の動詞の上一段化より早い。 ③終止․連体形の上一段化は已然形の上一段化より早く、サ変複合動詞の上一段化は二段活用動詞の一段化より遲い。 ④文体的な面から見ると、會話文の上一段化は地文の上一段化より、位相的な面から見ると、女性語の上一段化は男性語の上一段化より早い。 ⑤地域的な面から見ると、上方語の上一段化は江戶語の上一段化より遲い。 要するに、このような考察を通してサ変複合動詞の上一段化の場合、漢語複合動詞と和語複合動詞、ザ行系動詞とサ行系動詞、語幹末尾音、活用形、文体、位相によって樣々な遲速差が現われるという文法史的事實が確認できた。さらに、二段活用動詞の一段化傾向との共通点と相違点及び、上方語と江戶語間における上一段化の遲速差が見られるという方言史的事實も確認できた。

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6,700원

本稿はインターネットで配信される朝鮮日報社の日本語版社說記事に見られる不自然な日本語表現についての考察である。檢討した記事には語の意味用法や語彙の取り違え、理解は出來るがニュアンスが違うもの、前後の文脈との關係がうまくいっていないもの、文法上また語の用法上に誤りはないが言い回しが不自然で日本語らしさに欠ける表現が多く見られる。また、時には話し言葉と書き言葉の混用さえ見受けられる。本稿ではこれらの表現に對してなぜそれらが誤用であるのかを分析しその訂正案を試みた。さらにその誤用が生み出される背景を探るために韓國語の原文と比較してみると、その原因の大部分は韓國語の直譯、韓國語的な言い回しと韓國語的表現をそのまま日本語に取り入れたために起きた誤用であることがわかる。日本語と韓國語は同一漢字語を多數共有し、文法が極めてよく似ているという類似性がある。このことが却って安易に不自然な日本語表現が生み出される原因の一つではないだろうか。言語生活ではただ單に言葉を理解するだけではなく、樣々な場面や文面、文脈に則して語を運用する必要があり、またその能力が求められる。

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6,000원

本硏究では、我々の普段の生活の中で實際起こりうる現實的な日常を素材にして作られた韓國と日本のTVドラマの會話を資料とし、話者がどのように交替するか、また話し手と聞き手の役割がどのように行われているかという分析を通し、兩國人の會話行動の樣相とその特徵について解明しようとした。 ターン取得のきっかけを「他者選擇」と「自己選擇」に大別し、「自己選擇」を、「重なりがある場合」と「重なりがない場合」に分けた。また、「重なりがある場合」は「終了見なし」、「割り込み」、「同時發話」の三つに分類し、さらに「終了見なし」と「割り込み」は「協力型」と「强制型」に細分した。この分類をもとに、兩國人のターン取得や、話し手の發話と發話量、あいづちがどのように關わっているかについて比較して分析を行った。 話者交替において、韓國人は、發話の主導權を握り積極的に發言しようとする傾向が强いので、一人当たりの發話保持時間が長く、發話量が多かった。それに對し、日本人は互いの發話に協力しようとして、話者が頻繁に交替し發話量が少なかった。そして韓國人は日本人に比べ話し手としての働き掛けを積極的に行い、實質的な發話が多く、あいづちが少ない反面、日本人は韓國人に比べ聞き手の役割を積極的に担い、あいづちは多く、實質的な發話が少ない。ターン取得のきっかけの內容を見ると、兩國ともに「他者選擇」より「自己選擇」の割合が高い。その中で、韓國人は日本人に比べ質問ー応答による話者交替の比率が高いのに對し、日本人は韓國人に比べ次の話者になる聞き手が先行發話に積極的に關わり自主的にターンをとる割合が高い。そして「自己選擇」の場合、兩國ともに「重なりがない」話者交替が多いが、そのような傾向は韓國人の方が强い。他方、日本人は韓國人に比べ先行發話が終わる前に次の話者が發話を早めに始め、ターンをとる「重なりがある」話者交替の比率が高い。また「重なりがある」ターン取得は、兩國ともに、「終了見なし」が約80%を占め、一番多く、「割り込み」、「同時發話」の順に少なくなっている。兩國ともに先行發話の途中よりは發話の終了が予測できる發話の末尾で後續發話を早めに開始し、重なることが多かったのである。ところが、日本人は相手の發話內容を補ったり、相手の發話と關連する情報を提供したりしてターンをとる「協力型」の割合が高いのに對し、韓國人は、話題を自分の興味のあるものに変えたり相手の意見と對立する意見を述べたりする「强制型」を相對的に多用していた。 本稿の考察を通して、韓國人は、話し手としての働き掛けを積極的に行い、自分の發言內容や意見を相手に明確に示すことが多く、話し手と聞き手の立場の違いを明確にし、一人で發話を完成しようとする傾向が强かった。それに對し、日本人は、聞き手としての役割を積極的に果たし、相手の發話を盛上げようとすることが多く、會話參加者同士が互いの發話に協力し、共同で發話を進めようとするのが明らかになった。

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6,900원

 
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