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2001 (12)
2000 (15)
1999 (15)
1998 (14)
1997 (5)
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.7-27
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本論文では、鄕歌の唱詠形態を、日本の和歌との比較によって考える。日本の和歌史において、記紀歌謠と万葉和歌の間には斷絶がある。記紀の歌謠は音樂的に歌われたものであるが、万葉集の定型和歌は歌われない歌、つまり讀まれる歌であった。音樂的に歌われる歌謠が音樂性を脫却させるにつれてことばのリズムだけで成り立つ定型和歌が成立したのである。このことは、中國の樂府詩においても言えることであり、“歌うことから讀むこと”への轉換は、定型抒情詩成立の普遍的な現象であるといえる。鄕歌のばあいはどうであろうか。 きわめて寡少な資料から結論を導き出すのは危險であるが、殘存二十五首の形式を四句體ㆍ八句體ㆍ十句體に類別したうえで見ると、均如が制作した十句體について言えば、文字に書いて讀まれるべきものであったことが伺われる。 しかし、四句體ㆍ八句體を主にしたと思われる初期の鄕歌をみると、たとえば四句體の『薯童謠』は地の文に『歌謠を作って子供達に歌わせた』といった說明が付けられていて、音樂的に唱歌するものとされている。同じく四句體の『獻花歌』も唱歌で、他の四句體『風謠』は勞働歌、僧月明が作って『樂の始め』とされている『兜率歌』も音樂的な唱詠形式をとる歌謠の起源とみなされていたのであろう。有名な『處容歌』(八句體)にしても舞踊歌であった。 これらの点からみて、鄕歌ははじめ四句體ㆍ八句體の舞踊歌ないし唱歌として民間に行われていた歌謠文學に屬するものであって、それが形式的に整えられて十句體に洗練されていったのではないかと考えられる。この變化は、歌舞音曲としての歌謠から言語芸術としての定型抒情詩はの變化であって、ひとくちに鄕歌の名で括られていてもその文學史的な段階は異なっていると見なければならない。いわば鄕歌の內的な發展なのであり、そしてまたその變化は、日本の和歌や中國の樂府詩などにも認められる定型抒情詩成立の普遍的な現象でもあったわけである。 こういった本質的な變化は歌體の面にも現れており、十句體『八句體ㆍ+二句體’』という二部形式をとるのも、定型抒情詩成立の問題として捉えなければならない。十句體の前半八句と後半二句の間には」『後句』『落句』といった語辭が揷入され、前後の區切りが示されている。前後の表現內容は、前半八句で事柄の敍述を行い、後半二句でそれを心情的に收斂させるかたちになっている。すなわち、前八句は“事”の敍述、後二句は“心”の表現となっており、当然、後二句が主情的內省的であり、作者の抒情を凝縮する部分になっている。 このような“事+心”の二部形式も和歌や樂府詩に見られる形であり、鄕歌もそういった普遍形式の一つに加えることができる。この形式の特徵は、心情表現が事象表現から分離し、抒情表現としてより純粹な形式になりえていることである。このような形式は歌われる歌、あるいは音樂的な舞踊歌には見られないものであり、歌謠が歌われなくなり言語表現として自律していく過程で心情表現が身體的な表現から分離し、言葉の表現として純化していくことで生み出される形式であろう。
고대일본사회의 점(占)에 관한 고찰 - 만요슈 분석을 중심으로 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.29-46
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占はその語意からは心の裏を神に訪ねてその神意をわかることである。日本の古代社會では頻繁に占を行った。本稿は古事記をはじめ、日本書紀万葉集風土記など、上代文學の範で取り扱う文獻を中心に据えて古代日本社會における占について檢討をおこなったものである。具的には文獻の精讀によって得られた資料を檢討し、それに注釋や私見を加えたかたちをとった。 提示した上代文獻の記述に追って日本の占を分類してみると、公的に行われた占と民間のレベルで私的に行われた占にわけることができる。まず、公的な占としては代表的なものとしてふとまにという、鹿の骨や龜の甲羅を以ておこなう占が目立つ。 これはは卜部という下級管理によって神意を問うかたちをとる。一方、私的に行われた占には、夕占足占石占苗占水占など、實に多樣なものがあることを確認できた。またこのような占は占の結果によって將來を予測するという次元ではなく、あらかじめ決めておいた結論に添う結果は吉兆であり、反する結果は凶兆であるという、單純な兩者擇一のようなものであることがわかった。
仲哀記の構想일본학연구 제16집2005년 4월 15일 47~69쪽仲哀記の構想 - 王權の描き方をめぐって -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.47-69
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The logic of the sovereignty that the posterity of AMATERASU, ruler of TAKAMA no HARA, governs the world permeates the entire work of KOJIKI as an underlying theorem. The most typical example can be found in Chuaiki from the second volume of KOJIKI. The theorem makes it seem natural for Emperor CHUAI, who must be a hero, to die suddenly at the beginning. It also smooths the transition to the next generation governed by a sacred king of a new dynasty, and thus the author of KOJIKI finds it easy to create the founding Emperor image as used in the field of history. In more create terms, all six elements constituting CHUAIKI can be divided into two chronological periods. The first begins with MIARE (The birth of OUJIN) after the sudden demise of emperor CHUAI and ends with repression of YAMATO's treason. The second deals with stories about MISOGI and renaming and those about the dedication of SAKAKURA-UTA, which highlight the growth of prince OUJIN. Both are embedded in the work to materialize the theorem mentioned above. In light of those observation, it can be concluded that KOJIKI is a literaly work district from NIHONSHOKI.
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.71-89
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日本の万葉集には4500全首の古代人の歌が收められている。この歌集は古代韓國どの關連性を持つ歌がかなり見られる。特に百濟の滅亡により大規模の渡來人が大和に入り、大和朝廷で活躍したことが確認できる。渡來した百濟人達は飛鳥あたりで定着し大和朝廷で使われた。中には鬼室集斯という人物もいる。百濟から渡來した朝廷で一番高い地位であった文部大臣で登用された人である。百濟から渡來した知識人をそのまま大和で使った波極的な人事であった。また、天智天皇の時には400余人の百濟人に食べ物と稅金を減免したことの記錄もある。勿論、齋明天皇の時に2万7千人の兵士等が齋明天皇と百濟救援に一緖に九州まで行ったこともある。兩國の關係は數えきれないほど澤山の記錄が殘されている。 このような關係から生まれたのが万葉集である。万葉集には渡來人の歌もかなり見られる。さらに渡來植物の歌を含む古代韓國とのつながりで歌われたものもある。とくにうめをよんだうたはかなりみえる。大伴旅人のまわりの渡來人のかつやくもみられる。 万葉集は日本だけのものではなく東アジアの文學として見直さなけばならない。韓國と中國そして日本の三國の共同硏究が行わなければならない。これが現在の万葉硏究の課題である。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.91-112
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『古事記』『日本書紀』兩書は、自分たちの世界を始原からはじめて全體として語る、律令國家の世界原理を確信し、その確信の上に天皇の世界を築き上げようとする根本的理念を本質としてもつ。まさに支配階層の政治的要請を動機として、支配者の强い政治的主張に貫かれている王權の書なのである。神の話を上卷に收めることによって、天下の成り立ちを神聖な神の働きによって說明すると同時に、それが、いかなる經緯によって天皇のものになるかという必然性を語る。大和を中心とする古代王權の確立を、神話的に確かめて保証することから始まる中卷は、國內の諸制度の整備と國內統一、統治組織の制定によって、大和を中心とする葦原中國の全國土が、天皇の世界として完成される過程を語る。そして、確立された天下のもとに繁榮する天皇の物語が下卷の大きなテーマである。このような、三卷三部構成になっている『古事記』における倭建命物語は、國內平定を通じて天皇の世界を確立するという、大きな主題を語ることに目的があり、それは敍事的語りによって語られるべき性格の物語であった。しかし、『古事記』倭建命物語は、歌謠物語の體裁になっている。歌謠物語は、物語の展開の上に歌を取り込むことによって得られる樣々な效果を期待して、最初から物語の述作者によって意圖され試みられた、新しい物語の表現樣式である。倭建命の西征物語の主題は、大和の勇者としての倭建命の誕生と、力の原理に生きる忠實な皇族將軍としての倭建命の人物造形にあった。それはまさに『カタリ』をもって述べられるべき性格の物語なのであり、物語は歌の抒情性を必要としない。倭建命の物語には全部で十四首の歌が物語の展開に有效に機能しているが、西征の物語にたったの一首の歌しか收錄されていない理由がそこにある。これに比べて東征の物語は、試練と苦難の連續であり、予想されていた悲劇の物語である。悲劇の物語は、多くの歌によって悲壯感を增している。特に、一つの段落の終わりの部分を歌を据えることによって、抒情の廣がりを狙っている。歌をもって物語を締め括り、その歌によって抒情の廣がりを得るという方法は、和歌の世界で育まれた抒情の世界が前提になってからこそ可能になる、高度な文學的技法である。。天皇の世界の確立という大きなテ一マを、天皇自身の營みとして語る『日本書紀』がある一方で、倭建命の悲運の歌謠物語として語る『古事記』がある。ここに『古事記』完成者の文芸的趣向や、創作的意圖が强く感じられると同時に、これこそ『古事記』の目指した倭建命物語の方法であったと言えよう。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.113-133
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The folklore of godly war, which was born in south China and Indonesia, is distributed all around South-East Asia. In Japan, we can see it at Nikkou area. It is a story about a man who is a good arrow shot. He shot a arrow against a centipede to sport a serpent, they are gods. This story is famous by classic literature, "Konjaku- nogatarishu", "Taiheiki", "Story of Tawarano- tota". And we can see some similar stories in Korea. In this paper I tried to consider "Samkuk-yusa" Vol.2 'Kodachi', "Koryo-sa" Vol.1 'Jakjeikun', and some folklores of "The Collection of Korean Folklore" from a point of view to compare with Japanese folklore. In Japan, a man is a good arrow shot and a hero. He kill a centipede to help a serpent. In case of Korean, we can divide into 3 types. Type 1 is a folklore which a man is a good arrow shot. Type 2 is a folklore which describe a struggle of centipede and serpent. And type 3 is a folklore which a man is very poor and worthless. He helps a serpent, and a centipede dies. A man did not kill a centipede. He just did his duty to a woman whom a centipede turned itself into, and helped her to go to heaven. As a result of it, a serpent dies. Type 1 is the most similar to Japanese folklore, and seem to be the oldest folklore. As time goes by, type 1 changed to type 2 and 3, and a matter of concern turned to value-view of literary arts from value-view of military one.
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『』『源氏物語』の書かれた平安時代なかごろの後宮の構成は、一人の皇后と何人かの女御、更衣、御息所からなっている。皇后はまた中宮とも呼ばれるが、皇后(天皇の嫡妻) 皇太后(天皇の母) 太皇太后(天皇の祖母)の三后の總でもある。他に『后(きさき)』ともいう。源氏物語の中で女御から皇太后までのぼりついた雄一の女性は弘徽殿女御だけである。 ところが、弘徽殿女御は中世の諸注釋書、近世の本居宣長に至るまで否定的な評をうけてきた。弘徽殿女御を<惡后>とすることに對して異論が出されたのは戰後である。今井源衛や淸水好子、林田孝和、增田繁夫らは弘徽殿女御の政治の場での活躍や母親としての面を肯定的に評しようとした。しかしながら、弘徽殿女御を<惡后>とするテクスト內部の時代背景や、物語が弘徽殿女御物語をどのように語っているか、などといった疑問は依然として殘っている。本稿はそのような疑問点を①テクスト內部の、時桐壺朝として想定されている時代的なイデオロギ、②光源氏中心ではなく一人の女性としての弘徽殿女御に焦点を合わせて、今までの注釋書や先行硏究とは異なった立場から考えてみるのを目論見とする。 弘徽殿女御物語は、單なる<惡后>の物語ではない。弘徽殿女御物語は男性中心の社會矛盾を驗した『女』が、それによって、內に凝縮してきた『怨み』を明石の君のように<泣き寢入り>態で自分の內部に沈殿させようとするのではなく、『男』中心の外在制度と規範を搖さぶり、またそれと格鬪してゆくエネルギへと移させてゆく物語なのである。『源氏物語』で唯一に男性社會と『格鬪する女の物語』としての弘徽殿女御物語というのがあるとすれば、それは光源氏ではな弘徽殿女御に視点を合わせた時こ そ見えてくるものであると思われる。
우에다 아키나리 문학에 나타난 노장사상 - 하루사메 모노가타리 를 중심으로 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.153-181
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儒敎に比べて老莊思想は本場の中國でも、そして韓國や日本でも主流をなしたことがない。しかし江戶時代に日本で老莊思想が大流行をするようになった。思想家はもちろんのこと、芭蕉や西鶴などの文學者たちも流行りのように老莊思想に關心を寄せた。特に眞淵を始めとする國學者は深い影響を受け、國學思想と老莊思想は不可分の關係にあると云えるくらいである。 そこで、この論文では上田秋成が老莊思想から受けた影響を彼の文學作品を通して探ってみることを目的にしている。彼の作品の中でも、<法>と<自然>との對立を主題にしている春雨物語の中の三編、すなわち『二世の緣』と『捨石丸』、『樊かい’』をとりあげてみた。この三編の共通点は人間を拘束している樣な<法>を取り除いた時の、<自然>な人間の姿が描かれているという点にある。 もう少し具的にいうと『二世の緣』では宗敎の問題が取り上げられている。往生への執着に囚われた入定の僧を通して、無欲を說く敎がかえって人間を欲望の奴隷にしてしまう矛盾を告發している。さらに秋成は敎批判に加えて、敎の奴隷になった入定の僧と對照させながら、敎から解放された人間の自由な生き方も描いている。そして、來世への欲望を捨てて自然に生き、欲望も未練もなく靜かに死ぬ姿を眞の悟りの姿として提示している。 人間の自由を束縛するもう一つの<法>として『捨石丸』には敵討ちという社會的 慣習が取り上げられている。本來武士の名分を守るために定められた敵討ちが、如何に罪のない人間を苦しめ、その生を抑壓するのかが暴かれている。そして、すべての欲望を捨てることによって、そういう不合理な制度を超越することができた時の人間の美しい姿も描かれている。<法>を超越して本然の姿を取りした時、人間はそれまでの無意味な生き方を捨てて偉業を果たすこともできるのである。 さらに、『樊かい』には一瞬の欲望によって父と兄を殺した凶惡犯が登場し、<妖魔>から< 心>にわるまでの過程が描かれている。そういう人間の悔悟には、神道とか敎の敎え、また儒敎の嚴格な規範などは全く役に立たない。本來の趣旨に相反して、より惡い道に導くだけである。だから、そのような人爲的な<法>を超越して、自由で自然な人間になった時、人間はむしろ自らの心を治めて< 心>になることができると秋成は主張している。
일본 鬼(오니)의 도상학(Ⅰ) -鬼面瓦에서 에마키(繪卷)까지-
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.183-208
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『』『日本書紀』崇峻天皇元年(587)の記錄によると百濟から瓦博士が來たとある。日本で鬼瓦は初期のものは蓮花紋が主であった。鬼面紋瓦は奈良時代に廣く使われるようになった。奈良時代藥師寺跡の鬼面紋瓦は鬼の全身姿を描いたという点からも意義のある瓦である。この鬼は膝をついて座り、兩手を脛の上に乘せている。口が大きく開かれ、兩端には犬齒が銳く下を向いている。丸い三段の鼻、勾玉のような目が怪しい雰氣を漂わせ、背後には波型の光背がある。百濟の『山景色塼』と比較してみると類似 したところが多い。これを見ても日本の鬼面瓦には百濟からの影響が見られる。 日本に角と見受けられる鬼面紋瓦が發達する八世紀末からは統一新羅時代の鬼面紋瓦の影響が見られる。それが大阪四天王寺から發掘された鬼瓦から角が一つある鬼面紋瓦があるが、これは朝鮮半島では見られない形態である。日本ではその時代の鬼の姿が鬼面紋瓦に反映されている。 出雲風土記には‘目一鬼’の記述がある。これが日本最初の鬼の姿に對する記錄であるが、鬼として描かれず、山童や目一つ小僧という妖怪になった。繪卷からは地獄の赤鬼、靑鬼や羅刹から影響を受けた鬼が描かれた。 餓鬼草子の羅刹からは虎の皮のフンドシ、牛頭鬼と馬頭鬼からは赤色皮膚と靑綠色の皮膚、また罪人を苦しめる鐵杖のような特徵が確立された。北野天神緣起では雷神と地獄の鬼の姿が見られる。これらは前の繪卷の鬼より多樣な姿が見られる。一角鬼から角二つの鬼など今日の鬼の要素がすべて抽出できる。この要素が江戶時代にデフォルメ、再構成によって今日の鬼になったのである。
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『』忠臣藏は『日本人論』の恰好の素材として、日本國內外から注目されてきた。しかしその多くは依然として四十七士を『義士』として賞贊するものであり、學問的批判に耐えうるものではない。近世近代社會において、忠臣藏は著名であるがゆえに、多くの言說が付され、さまざまに讀まれてきた。 忠臣藏がどのように讀まれてきたかは、忠臣藏がその時代と社會を映し出す鏡であり、こうした視角からの忠臣藏の硏究は今後さらに必要であろうと思うので、今度の考察は『忠臣藏で日本を讀む』というテマにして進めた。日本人にとっての最も人氣の高い芝居の忠臣藏、この國民劇にスポットをあてると、多方面にわたる日本、日本社會、日本人の姿が現れてくると思う。 切腹直後から名手本忠臣藏以前は彈壓の時代である。元祿十二年に幕府は實際の事件をモデルにした芝居などの上演を禁じている。赤穗事件は多くの人びとの同情と共感を得たようだが、切腹十二日後から上演された芝居は三日で打切り。それでも四十年間に二十本以上のモデル芝居が上演されてはいた。そして傑作がついに登場したのである。<忠臣藏>の決定打の名手本忠臣藏である。幕府に遠慮して、時代は南北朝時代に移されてはいるものの、絶大な支持を集めた。この作品があまりにもよくできていたせいで、この事件は今にえられる。<忠臣藏>という言葉もこの時に初出して今に至っている。 傑作登場後、美談が形成する。明治に入ってから、講談、浪曲で<忠臣藏>のエピソドは美談として形成されていく。講談では一龍齋貞山、浪曲では桃中軒雲右衛門。雲右衛門は自らを“武士道鼓吹者”と呼び、自作の義士銘で大ヒットをとばした。この熱狂の中で、明治の近代化はすすんでいった。明治以降、政府は『忠君愛國』を國民道德として揭げ、<忠臣藏>はかっこうの題材となってしまった。この時期に、忠臣藏は、精神論を軸にした、一種のにおいを强く持つようにもなっていった。第二次大戰直後、GHQによって<忠臣藏>は民主化に對する危險思想とされた。明治末からは映畵も續とつくられた。 終戰直後には『民主化にとっての危險思想』として一時GHQに上演禁止とされた忠臣藏も無事復活した。高度成長期、高度成長期、サラリマンは<忠臣藏>に自分たちの會社生活を重ねあわせて觀た。組織のなかでの人間模樣として、それぞれの人物の眞情にスポットがあてられていく。堺屋太一原作の『峠の群像』も組織論として讀める。つか版忠臣藏はこのアンチである。精神論組織論を全くはなれた池宮版( 『四十七人の刺客’』九十四年刊)は四十七士をテロリストとしてとらえた。その翌年、堺屋 版( 『俯き加減の男の肖像』)は、元祿後の不況を現代に重ねた、<不義士>物語。バブル以降の忠臣藏である。 以上のように、各時代を代表する忠臣藏はいつも登場してきた。社會の現實の世相に立ち向かって發言した、その絶えざる作品の系譜は<忠臣藏で日本を讀む>文化財産であると思われる。
야마모토 유조(山本有三)문학의 장르전환에 관한 고찰 - 희곡에서 소설로 -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.237-256
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昭和時代の出發と共に山本有三が戱曲より小說を書き始めたということは彼の生と文學において大きな變身と言わざるを得ない。それで本稿では有三文學における戱曲から小說へのジャンル轉換の持つ意味と一連の過程について檢討してみた。そしてジャンル轉換の內外的な實質的要因と作家的苦惱を檢討し、そういう過程から有三だけの文學的獨創性、卽ち現實主義的ヒュマニズムについて考察してみた。それらを整理してみると、先ずジャンル轉換の動機として困難な經濟的理由が上げられる。そして同僚作家たちの文壇內での活潑な活動と成功という變身を側で見守りながら劇作家としての相對的貧困感ないし虛脫感を考えられる。また當時の社會的な環境と關聯した小說に對する作家的苦惱、卽ちプロレタリア文學と作家的可能性に對する苦惱である。ところが、有三の戱曲から小說へのジャンル轉換とともに、もっと重要なのは有三文學の一貫した主題、卽ち眞實、正義、向日性に對する作家の通時的視覺が戱曲と小說に貫通しているという点である。特に敎養主義的思考の强調と人間主義的側面の文學的昇華は有三文學の現實主義的ヒュマニズムの性格を更に明らかにする根幹とも言える。有三の代表作品、卽ち戱曲『生命の冠』、『津村敎授』、『同士の人』、小說『眞實一路』、『路傍の石』、そして作家晩年の作品『米百俵』と『無事の人』からはそういう有三文學の人間主義をもとにした文學性が明らかに現れる。
漱石の『開化』論と春園の『改造』論 - 講演記錄や評論などを題材に -
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.257-283
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漱石はイギリス留學を通して、日本の近代化の矛盾などを客觀視する力が養成され、日本の『開化』の弊害を暴いていくが、その視線はすでに帝國大學の在學中からあったと言える。漱石は『中學改良策』(1892年)の中で日本の近代化の矛盾を指摘しており、このような視点は漱石の日本の『開化』に對する總括とも言える1911年の『現代日本の開化』までわることなく、繫がっていくのである。漱石は不自然で、形式的 な日本の『開化』の矛盾を、堅實な敎育の土台なしに、つまり、內在的な基盤なしに西 洋文明を吸收したため齎された結果であると指摘している。漱石は專ら西洋化していく日本の近代化を批判し、近代化の結果として生まれた華族と金持ちなどを中心とする黃金万能主義及び彼等による歪んだ近代化を否定する。漱石はこのような歪んだ近代化が生み出した日本の『開化』の弊害を指摘し、それに對する對案の模索のため苦心する。しかし、いくら神衰弱になるほど惱んでも名案がないと述べ、日本が『內發的な開化』をしていくしかないと結論を出す。一方、春園は日本留學を通して近代文明に接し、朝鮮の近代化の遲れを指摘する。そのため、春園は朝鮮の前近代的な慣習である結婚制度、階級制度などを破壞し、近代化することが何より急務であると主張する。それは日本のような文明國を建設し得なかったため植民地になってしまったと考え、植民地から獨立するためには朝鮮も他 の文明國のように『改造』していかなければならないと考えたからである。春園は日本を手本とし、日本のような物質的『改造』を主張するが、1919年3月1日の獨立運動(『三ㆍ一運動’』)の失敗後、それだけでは朝鮮の獨立には無理があることを悟るようになる。その結果として、春園の打ち出した理論が『民族改造論』(1922)である。これは、いくら物質的な近代化が進んでも朝鮮の個人が進步しない限り朝鮮の解放は達成されないという考え方から打ち出された理論であり、朝鮮の個人の『道德的改造』を指向することである。また、このような『改造』は朝鮮の8割を占めている農民を『改造』するための一つの手段でもあったのである。すなわち、『民族改造論』は兩班階級及び知識階級を『改造』し、この『改造』された彼等を通して農民を『改造』していくことを目指すものである。これにより、朝鮮の獨立という目標が達成できると主張するものである。これが春園の出した『改造』の結論であると言える。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.285-315
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現代日本の出版狀況はきわめて危機的である。一つには出版社の經營狀況が大變嚴しく、賣上げの減少やメディアの多樣化によって、『出版大崩壞』といわれるような事態に陷っている。もう一方、出版ジャ一ナリズムという面から見ると、2004年には深刻な事件が相次いだ。プライバシ一問題をめぐっての週刊誌の出版差し止め判決や、イラク戰爭への報道のあり方など、言論の機關としての出版の意味が問われたのである。 こうした出版界の危機を招來したものは何か。その大きな原因として、編集者の役割が低下していることがあげられる。憲法によって保障されている言論出版の自由を守り、表現の自由を確保していくのは編集者の大きな仕事である。表現の自由と人權の關係を探る。 こうした觀点から、岩波新書を創刊した二人の出版人、岩波茂雄と吉野源三郞の志を振り返る。1930年代後半、戰時體制が强化される中で、彼らが出版を通じて時代に訴えていたことを、今あらためて問い直すことで、出版に置ける編集者の役割を明確にする。 さらに編集者の具的な仕事を確認しながら、文化の多樣性を形づくる編集者の位置付けをする。その反例として、編集者が介在しないインタネット上の百科事典を取り上げ、その問題点を探る。 最後に、日本における編集者論の必要性を訴え、デジタル時代の出版の行方を槪觀する。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.319-336
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The aim of this article is to propose a strategy to detect factors of a sound change by interpreting written texts. In the area of research in Japanese sound changes, written documents have been mainly used in order to inquire what sound changes occurred and when they occurred. A large number of scholars are liable to conceive that there are few issues that should be examined by written texts in this field. However, the scrutiny of well-known documents provides us with valuable sources that enable us to develop a new approach to dynamic aspects of a sound change. In this article, we deal mainly with Ken-syuku-ryou-ko syuu and Wazi syouran syou We discuss issues of the denasalizing process of prenasalized consonants in the 17th century. It is worth while to note that a phenomenon concerning this denasalizing was perceived in different manners by different documents. Some scholars may be apt to ask which document is better for us to access accurate information. However, such question is not adequate to our study. Interestingly, each document reflects each different aspect of the same linguistic phenomenon. This fact enables us to analyze aspects of the denasalizing process from diversified viewpoints. For this reason, it is significant for us to investigate into background of each document. That investigation reveals some factors of the denasalizing process.
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.337-351
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平安時代の和文では、現代日本語とは違って、さまざまな種類の接續詞が高い頻度で現れるということはなく、ほんの數種類の接續詞がまれにみられるだけである。そしてわずかに現れる接續詞は、どれも積極的に兩文の論理的關係を明示するというものではない。現代日本語と平安和文との間のこの違いは、兩時代間の言語變化の結果というわけではなく、次の2点がその原因であると考える。 ①.平安和文の發信者が想定したコミュニケションの場は、現代日本の書記言語の發信者が想定するそれとは大きく違っていて、むしろ口頭言語でのやりとりの場面と共通するものであったこと ②.平安和文が依據するような文體では、文同士の明確に切れている關係と節同士の明確につながっている關係の他に、それらの中間に位置付けられるようなつながり方が連續的に存在していて、文という單位の認識が現代ほど明確ではなかったと思われること
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.353-382
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本稿では、「局面」を、話し手の主觀的な時間構成において捉えられた、特定の運動の內的過程の一部分とする。ここで、話し手による主觀的な時間構成といったのは、このような特定の運動の特定の局面がとりたてられる背景には、話し手の現實の世界の出來事に對する時間構成、出來事と出來事との時間關係に對する主觀的な見解が土台となっているからである。つまり、內的過程のどの部分に焦点が當てられ、またどの部分がとりだされるかは、結局、話し手が何を言いたいかという主觀的な問題と密接な關わりがあると考えられる。 現實の世界で絶え間なく發生し、消滅していく無數の出來事のうち特定の運動の特定の部分だけが局面動詞という形式を借りてとりたてられているとすれば、そこには、話し手が話の展開の中で局面動詞を用いてそのような局面を特徵づける必要性、つまり局面動詞を使わなければならなかった理由があるはずである。そこで、文脈の中で局面動詞の果たす役割とは何かという疑問が生じる。 ここでは、とりあえず、これまで考察してきた意味考察を足がかりに、「時間」と「變化」という、二つの觀点から考察を試みた。 まず、「時」という觀点からは、1)始動の局面をとりだすことによって、特定の運動の開始時間が具化されることが多いこと、2)特定の運動の始動の局面は、時間の流れの中で隣接するほかの出來事の時間と密接な關わりを持っていることに注目し、それぞれ「開始時間」と時間關係が强調されることを考察した。 次に、「變化」という觀点からは、始動を表す「~はじめる」が全として「變化動詞」であることに注目し、「開始」と「開始する運動」そのものが强調されることを考察した。 結論的に言えば、始動を表す局面動詞「~はじめる」は、文脈、特にほかの出來事との「時間關係」において、前項動詞の表す運動そのものをとりたてることによって、開始される動作や化や狀態がこれまでの狀況において、あるいはこれからの展開において、ほかの出來事と密接な關連性を持っている。 これは、話し手の、特定の運動の出現に對する意味づけでもある。すなわち、現實の世界で起こり消滅していく無數の出來事のうち一つだけが選ばれ、しかもその出來事の特定の局面がとりだされるということは、新しい運動の出現に注目させて、開始及び開始する運動そのものに焦点を置く結果になる。ここで、聞き手の注意を新しい運動の出現に向けさせながら、ほかの出來事、特に次の場面への關連性を强く暗示するという局面動詞~はじめるの機能、役割が生じてくるのである。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.383-403
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本稿では、テストの類型による語彙の誤用について調べた。その主な結果は次のとおりである。 (1)テストの類型による語彙の誤用においては、誤用の訂正テストⅢ、譯テストⅠ、誤用の認定と訂正テストⅡの順で正答率が高い。その差はテストⅡとⅢ で一番大きい。 (2)語彙の誤用の16種類においては、「補助動詞」はテストⅠとⅢ、ⅡとⅢ、「形容詞」「形容動詞」「副詞」「數量詞」「表現」はテストⅠとⅡ、ⅢとⅡ、「ダ」はテストⅠ とⅢ、「名詞」「コソア」「熟語」はテストⅡとⅢ、「接續詞」はテストⅠとⅡ等で正答率の差が大きい。 (3)各の問題においては、問5、 31、 34、 35、 37、 39、 76、 93、 10、109、111はテストⅠと Ⅱ、 問4、 5、 21、 37、 39、 78、 62はテストⅠと Ⅲ、問15、 21、 31、 62、 93、 111はテストⅡとⅢで正答率の差が大きい。 (4)語彙テストと文法テストの正答率は同じく誤用の訂正テスト、譯テスト、 誤用の認定と訂正 テストの順で高い。
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.405-431
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聞き手に對する話し手の直接な敬意表現である聞き手敬語は、話し手と聞き手との 關係だけを考えればよい。しかし、話の素材である第三者への待遇表現は話し手が自分と第三者の關係だけでなく、聞き手と第三者の關係、さらに話し手と聞き手との關係まで考えなければならない。そのため、待遇表現に關する人物關係が複雜である。それだけでなく、ウチㆍソト關係や性別ㆍ上下ㆍ親疎關係、場の改まりなど考慮すべき要因が複雜である。 小論ではこのように複雜な要因が絡み合っている現代日本語の第三者に對する待遇 表現が實際の言語生活の中でどのように使われており、どういう要因がいているか、また待遇表現に關している重要さの度合いはどうなっているかなどをテレビドラマ台本やシナリオを145編を資料にして分析ㆍ解明してみた。 考察した結果をまとめると以下のようである。 父ㆍ母が息子ㆍ娘を家族內部の人物に言及する場合は息子ㆍ娘の年齡とは關係なく主として固有名「名前」が用いられている。しかし、家族外部の人物に言及する場合は聞き手や第三者との親疎關係により違ってくる。すなわち初對面關係か職場關係など改まって言う場合では「息子」「娘」など親 族名が使われているが、親しい關係では家族內部での呼稱である固有名「名前」の方が使われている。親しい關係では家族內部での呼稱が使われているといえよう。 また、聞き手側の息子ㆍ娘のことを話題にする場合は聞き手との親疎關係による違いが見られる。すなわち、初對面關係か職場關係など改まって言う場合には、主として息子には「息子さん」「お子さん」、娘には「お孃さん」「娘さん」など敬稱の親族名が使われている。しかし、親しい關係でくだけて言う場合は「名前+さん」「名前+君」「愛稱+ちゃん」など固有名が使われているが、息子」娘を家族內部の人物に言及する場合や親しい關係の家族外部の人物に言及する場合とは違って名前に敬の呼接尾語をつけて呼稱している。 小論での結果は小論の資料となった145編のテレビドラマの台本やシナリオの中からの結果であり、それが現代日本語の息子ㆍ娘に對する他稱詞の全體的な樣相を表わしているとは言えない。一つの資料として參考されることを願う次第である。
學會彙報 (1995.12.15 ~ 2005.4.15) 외
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제16집 2005.04 pp.435-456
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