Earticle

현재 위치 Home

일본학연구 [The Journal of Japanese Studies]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) [Institute for Convergent Humanities in East Asia (ICHEA)]
  • pISSN
    1598-737X
  • eISSN
    2465-8448
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1997 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 730 DDC 492
제20집 (21건)
No

【日本文學】

1

5,100원

本稿は新古今集所收万葉歌を中心として新古今集の万葉集受容狀況を万葉集受容史的な觀点から檢討してみた。まず、新古今集当時に流布していた私家集や私撰集と万葉集と重複する歌は歌人名の異同をもって檢討してそれらが万葉集からの採錄でないことを明らかにし、それから󰡔校本万葉集󰡕より新古今集当時に流布していたと思われる万葉集古寫本の訓をしらべ、新古今集の歌本文との一致を根據として万葉集からの直接採錄を檢討してみた。また万葉集本文の切り方が現行万葉本文のそれと違う点に着眼して、筆者なりに新古今集所收万葉歌の万葉集からの直接採錄を証明しようとした。本稿の考察を通して新古今集当時の万葉集受容のありかたをわずかながら確認したといえよう。

2

6,400원

『聖德太子伝曆』における、殺生を避ける太子像の生まれてきた背景を探る。そこには、大きく三つの理由が考えられる。 第一は、先行するモデルの存在である。仏典や中國史書には、太子の原型になりうる人物があり、『伝曆』はこれによって、太子を權威づけようとしたと考えられる。具体的には、仏陀や中國皇帝に太子をなぞらえた可能性がある。 第二は、『伝曆』が理想とした爲政者が、殺生を避ける人物だったという点である。これは、『伝曆』が成立した十世紀頃の思想狀況を背景にしたもので、『伝曆』の太子像も、こうした時代背景と無關係ではないだろう。 第三は、慧思再誕說に見る殺生の問題である。『伝曆』には、太子が慧思の生まれ変わりであるという前提がある。この說は、『伝曆』成立以前に成立していたものであるが、そこでは、殺生の行われている日本の衆生を仏法に導くという契約を、慧思と達磨が交わしたとされていた。『七代記』等に記されたこの說話は、慧思が殺生を止めさせるために日本に生まれたという內容を持っている。この慧思再誕說を前提に編まれたのが『伝曆』であり、殺生を避ける太子像は、これに對する一つの回答であったように思われる。 本稿で特に重視するのは、第三点目である。『伝曆』が依據した『七代記』等には、日本が「無仏法處」であるとされ、そのイメージは、殺生が恒常的に行われている國、というものであった。こうしたイメージは、中國に存在していたものと考えられ、慧思再誕說を唱えた中國僧思託なども、こうした言說を自著に書き留めている。『伝曆』は、こうした言說を念頭におきつつ、「無仏法處」を克服した太子を描こうとしたのではないかと考えられる。

3

6,400원

The fundamental stance of the anonymous author of Konjaku monogatari (a twelfth-century japanese setsuwasyu, or collection of tales) toward the concept of death and subsequent rebirth in the buddhist Pure Land (ojo) can be described as one of praise and confirmation. The appearance of such words as "worth" and "noble" (toutobubeki) in passages of authorial commentary renders clear evidence of an intention to praise. Equally, a desire for "confirmation" is discernible in the frequent use of such stock expressions as "all who witnessed the translation (ojo) were struck with wonder and admiration" and "without doubt this person was reborn in the Pure Land". Furthermore, the textual convention of the "transmitter", an individual who authorizes the sources of a given tale and makes clear its route of transmission, is employed to increase the historical credibility of various ojo tales. Details from the narrative text are taken up examined one by one in the authorial commentary, marshalled as evidence confirming the occurrence of a glorious rebirth. While "praise" is perhaps only a natural reaction to so happy an event as a soul's transmigration to amitabha's western paradise, this second notion of "confirmation", however, presents some problems. Viewed with a concern for "evidence" in mind, the success of an individual ojo legend comes to rest not so much on the religious lifestyle of the historical personage involved as on the question of whether or not there were any "signs" which might serve to confirm the truth of the evidence. Indeed, it would not be going too far to say that this focus on the "miracles" surrounding a rebirth is in itself the essence of the Konjaku ojo stories. Though themselves devout followers of the way, the compilers of such works as Gokurakuki and Kenki manage to avoid getting carried away by narrative interest, recording the details of various miracles in a simple and precise manner. The Konjaku author, on the other hand, seems caught up with the problems of evidence and "confirmation" to an extent which is all but obsessive. Why should this be? The problem, of course, is that transmigration to the Pure Land (ojo) is an extraordinary event, all but incredible in the context of ordinary, everyday life. Faced with presenting so unusual a phenomenon, the Konjaku text exhausts its expressive resources, citing various evidence in an attempt at rational explanation. Recognizing this authorial stance, whereby transmigration is seen as an "event", is an important key to understanding the Konjaku text's vision of Pure Land rebirth. It is within the context of this desire for explanation that the Konjaku text employs expressions which seem to problematize the "conditions" for rebirth; "this was no ordinary individual", "rare", "strange", and "doubtful". Given the trends is religious thought of the times, and the passion for Buddhist didactic narrative (bukkyo setsuwa) apparent in the text itself, it seems improbable that the compiler of Konjaku monogatari had any serious doubts about the concept of transmigration. What is called into question in the text, however, is the nature of the individual "miracles" which surround a rebirth in the Pure Land. While there appears to be no established standard involved, such expressions as "strange" and "doubtful" are employed less in the case of general "signs" than when extraordinary physical phenomena are described in detail. The attitude of the compiler towards this question of the supernatural is shown yet more clearly when, spurred on by sheer narrative interest, the authorial commentary leaves the theme of the main text entirely behind and pauses to reflect on the extraordinary, unexpected nature of an individual's rebirth. Ultimately, it is this interest in detail which seems to distinguish the Konjaku text. In contrast with the rather simple-minded faith, apparent in such works as Gokurakuki and Kenki, in which one can achieve rebirth in the Pure Land simply by accumulating karmic merit, the Konjaku text displays a detached attitude toward the phenomenon of ojo, examining the question of its "condition" objectively in the context of numerous individual tales. From these traces of detachment and objectivity, one perhaps can catch a glimpse of the character of the compiler of this great work.

4

6,100원

前回の拙論では、日本と韓國の宮廷文學というのは何であろうかという文學上における意味合いとそしてそこにみえる兩國の理想的女性像について考察してみた。今回は兩國の宮中文學を通し、そこに現れている王妃の生き方と葛藤構造について考えてみることにする。 <枕草子>は中宮定子と中宮彰子一家の攝關關白をめぐる藤原氏の權力爭いという歷史的事件のもとで描かれ、<仁顯王后傳>は仁顯王后と張嬉嬪という西人と南人という黨派爭いを背景にして書かれた伝記体小說である。そこには家門の沒落により、中宮の座から遠ざかったいた定子の姿と苦惱が隱れており、御子を生めなかった仁顯王后の宿命と苦惱が赤裸々に表れている。ところが、<仁顯王后傳>では仁顯王后と張嬉嬪という人物を<善>と<惡>という對決構図をもって極端的に描いているのに對して、<枕草子>はむしろそのような權力の暗鬪は無視したまま、もっぱら定子の華麗だった過去の榮華だけを殘している。それには葛藤關係にあった彰子に對して、嫉妬したり避難したりするような氣色は少しもない。 一方、仁顯王后は<孝>と<德>をもった第一の聖母像として讚えられており、定子は和歌や漢詩などを自由自在に驅使しつつ、優秀な文芸サロンを運營するリーダーとして描かれている。そこには朝鮮時代の儒敎的社會原理のもとで國母という王妃に求められていたものと、日本の平安時代に中宮という王妃にもっとも要求されていたものが違っていたことが分かるのである。

5

5,200원

九代目市川団十郞(1838-1903)は、幕末から明治初期における歌舞伎演出に新たな挑戰をした役者である。そこで、団十郞を通して、光線、故實、活歷のような演出が行われた意味、変革期の団十郞の歌舞伎劇に對する意識の特徵について考察してみた。 「活歷」は旧來の伝統的な歌舞伎創造上の樣式、約束事、技法を否定し、新しい樣式、演技、演出を創始しようとしたもので、それを意図的に行なったところに、それ以前の歌舞伎の「芝居づくり」と斷絶する点があったのである。單に衣裳・諸道具の改革のみに限られるのではなく、演技的表現の改革ヘ繫がっていく。 要するに、団十郞が始めた新たな「演出」は、旧來の型や約束事を排し、寫實的で地味な演出、長い弁舌、役柄から入るのではなく直接性格の分析や心理の追求から入る役作り、腹芸と呼ぶ表面的には動きの少ないしぐさ、衣裳・道具についての徹底した故實尊重などによって象徵されるのである。 このように、歌舞伎という「演劇」の創造に、これほどはっきりした「演出」の槪念を持ち込んだのは、明治の演劇改良運動における、団十郞の「活歷」が最初だったのである。 さらに、今までの歌舞伎の演出法から大きく離れた、光を利用し具体的に舞台を表現したり故實あるいは個性的な衣裳よる演出法は、從來の歌舞伎の「方法・理想」からかけ離れ、「舞台秩序の混亂」を招く恐れがあるために、抵抗感を抱いていたことに對する認識の轉換を意味することであった。結果的に、「否定的な価値」から「新たな可能性」へと直結することが出來たきっかけになったと言える。 以上のように、明治初期は、歌舞伎において大変革期であり、樣々な新しい試みがなされた時代でもあるが、その過程で入ってきた舞台裝置や照明、衣裳などをめぐる新しい技術と發想は、歌舞伎を高尙な舞台芸能へと脫皮させてゆく働きをした。その一つである九代目市川団十郞の演出と演劇運動に見られる特徵について、改めて考察してみたのである。

6

『麒麟』論

김용기, 김상원

단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제20집 2007.01 pp.117-133

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

5,100원

本稿では谷崎潤一郞の初期作品の一つである『麒麟』を考察してみた。彼は『麒麟』を明治43年12月に「新思潮」に發表するが、彼の處女作である『刺靑』が同年11月に同志に發表されたので、わずか一ヶ月ぶりの創作物である。 從って、『刺靑』が谷崎の作家活動の出發であり、彼の一貫的な文學の道への信号灯であったら、『麒麟』はその道へ踏み切った最初の一步であるといえよう。こういう觀点で、『麒麟』は彼の文學硏究において、だいぶ高く位置づけられていると思われる。そして『麒麟』で注目すべきものは、その登場人物である。『麒麟』では、歷史的な人物であり、世界の四大聖人の一人である孔子を主人公としているし、プロットも歷史的な事實をモトにしている。耽美作家である谷崎が儒敎の創始者である孔子を主人公にしていったい何を話したかったのか。そんな疑問点から出發して本論では三つの主題を持って考えてみた。 まず一つは、『麒麟』をフィクションとノンフィクションに分けて、フィクションの部分にみられるプロットや登場人物の間から生じる對話、あるいは心理描寫を中心に彼の初期文學にあらわれる特徵との關連性を考察してみた。 二つは、谷崎小說のパタンの一つである<敎育>について考えてみた。卽ち、男性から女性への<敎育>ではなく、女性から男性への<敎育>が意味するものは何かについて考察してみた。 最後に、『麒麟』は『源氏物語』とどのような關連性を持っているのかについても考察してみた。

7

5,700원

There are lots of comparative studies of Natsume Souseki and Luxun in Japan. At the same time in Korea, comparative studies of Lee Kwang-Su and Luxun are made frequently. But it's difficult to find a comparative study of Natsume Souseki and Lee Kwang-Su in Korea or Japan. In spite of the differences in modernization progress in their countries, being Japan, Korea and China, respectively, Natsume Souseki, Lee Kwang-Su and Luxun, have many common features at that time. They are all representative writers who were afflicted in their modern ages. For that reason, a comparative study between Natsume Souseki and Lee Kwang-Su is essential. Therefore this study pays attention to the progress of ‘civilization’ in the two countries, Japan and Korea, through“SOREKARA”(asequelof“SANSHIROU”)byNatsumeSouseki,and “JAE-SAENG”(a sequel of “MU-JEONG”)by Lee Kwang-Su.

8

5,100원

大正八年夏に書き、友人の靑木南八に送った「幽閉」は、大正十二年七月『世紀』の創刊號に發表され、後に昭和四年五月「山椒魚―童話―」という題で『文藝都市』に發表される。以後昭和五年四月に單行本『夜ふけと梅の花』に「山椒魚」の標題として收められるが、昭和六十年十月『井伏鱒二自選全集』(新潮社)で末尾の部分が削除され大きな話題になった。自選全集での末尾の削除の件は、井伏の晩年の文學と共に次回で論じることにし、本稿では「幽閉」から「山椒魚」への變化の意味を同時期に發表された「シグレ島敍景」と合わせて考え、井伏の執筆姿勢の變化とその意味を明らかにしようとした。 「山椒魚」は、「幽閉」と同じく山椒魚が岩屋から出られないという筋の作品であるが、自意識物語の「幽閉」と違って、「山椒魚」は他者認識が入った物語に變わっていく。それは、山椒魚の立ち合いが、「幽閉」での車えびは分身であるのに對して、「山椒魚」では小蝦が他者であることと、また「幽閉」にない山椒魚と蛙の世界も他者認識の芽生えのある物語として讀めるからである。「山椒魚」の結末の和解は、他者との共存的關係という井伏の希望的觀測として大事な主題でもあったであろう。これは「シグレ島敍景」でも描かれている。第三者同士の口論で作品を貫くが、互いを憎む口論ではなく、根底には互いを受け入れる共存關係を認める作品であった。

9

6,300원

“One Declaration” is one of Arishima’s short essays published in the Journal “Kaizo” in January, 1922. In those days in Japan, influenced by the Russian Bolshevik Revolution, the socialist movements as well as labor movements were in full bloom. “One Declaration,” which debates the rule of intellectuals in the labor revolution and created a great sensation among his contemporaries, ranks among the indispensable texts through which one can understand the Arishima’s intellectual development. “One Declaration” comprehends the full demand for revolution through the awakening of the working class, and praises their independent deeds as the motive power that connects with social reform. “OneDeclaration” remonst rates against the leading rule of intellectuals in the labor movement and advocates the impossibility of class transference; it is a radical piece rebelling against the contemporary discourse that optimistically believes intellectuals can act on behalf of the working class. Arishima’s awareness of his own self-denial should be regarded as the conscientious enunciation that urges intellectuals to transcend the class conflicts and reform from within. In the present day, with the remarkable development of the economy, the problem proposed by Arishima of the conflicts between the intelligentsia and the working class has changed greatly. However, even now with the evelopment of globalization, the working environment has been changing and new labor problems are being created. On the other hand, the working class itself, which has been supporting industrial society, is approaching disorganization. In the knowledge-driven society brought on by the informati on technology revolution, the differential in every segment of society grows bigger; therefore, the class society, to put it mildly, has been replaced by a differential society. In returning to Arishima’s discourse on the conflicts between intellectuals and workers in the light of current affairs, the phenomen on of polarization becomes increasingly clear. This project, which proposes a discussion of intellectuals in a period of change, would urge the intellectuals of today to grasp the true nature of the age and reflect upon themselves in order to overcome the new contradictions. 1) Preface This part will define the role intellectuals in society, and mention the significance of re-examining “One Declaration” today, in terms of its content and methodology. 2) This segment will examine how Arishima’s discourse in the era of “One Declaration,” differs from others and will mention the historical perspectives of that time. 3) This section will discuss “One Declaration,” in terms of its principles on living, its ideology, and at the same time will introduce some important critiques of Arishima’s contemporary, as well as the liberation of his farm as a practice of ideology. 4) In examining the case of Fernand Pelloutier , this part will examine the intellectual’s social role through a comparison between Peltier as the leader of the French labor movement, and Arishima. 5) Conclusion This section will explore my claims for “One Declaration” as the essay of meta-intellectuals, and will get to the heart of the challenges posed for us by this important text.

【日本學】

10

5,500원

日本はヨーロッパ諸國を除くと、植民地の支配の経驗を持つ唯一の國家である。日本が統治した植民地は西歐列强が支配した植民地とは比べることの出來ないほど、歷史的・文化的にとても密接な地域であった。当時の韓國を例にあげると、経濟的な格差は否定できないと言えども、精神文化の側面では著しい質的な差は見出せない。地政學的な要素を含めたこのような要因が、韓國民衆の激烈な抵抗を呼び起こした事は言うまでもない。ところで、植民宗主國である日本人とその支配下にあった韓國人の、第三國での接触はどんなものであったのだろうか。当時、アメリカと歐州に留學していた韓國人は極めて少數であったが、西歐人に祖國の日本殖民地に對する不当性と獨立の正当性を体当たりで力說する一方、日本と日本人に對して强い語調で貶していた。ところが、一部の日本の知識人は韓國人の行動を祖國愛に基づく純粹なものとして見なし、帝國主義という現實を乘り越え、新しい視角で國際關係を眺めようとした。  ここで論議しようとする河合榮治郞も、誰よりも崇高たる國家觀と人間主義の上に立っていた優れた學者であった。彼は一九二三年、イギリスへ留學、そこで朝鮮の靑年獨立運動家であり、韓國獨立後、第四代大統領になる尹潽善と出會い、ある國際問題討論會で口論を交わす。後日、尹潽善と河合榮治郞は二人ともその口論をそれぞれ文章にまとめて書き殘しているが、そこには彼らの愛國觀、価値觀、考え方の違いによってその內容は相反しているようかに見える。  この論文は二人が殘した回顧文を中心に、その事實が互いにかけ離れているところを突き詰め、そこにあらわれている当時の知識人における日․韓の視角の差を捉えて、またそれを乘り越えることにおいて、日․韓の望ましい將來があることを信じ、彼らのイギリス留學先で起こったある出來事の眞相を辿ってみた。  とりわけ、河合は尹潽善との口論により、植民地認識は多少とも変化をもたらすことになる。それは、植民地放棄論者までには至らなかったものの、微かでありながら民族自決を念頭に置きつつ、人道主義に基づいた理想的な帝國主義者として変貌するのである。言うまでもなく、これが河合の思想の脆さでもあるが、大正期において一部の知識人を除いて、植民地への無關心と言った当時の狀況からみると、この人道主義的な植民論も望ましい日韓關係の爲にも硏究の視野に入れなければならないのである。

11

6,900원

近年、社會の全領域において社會構成員である個人を規定する最も基本的な要因としてジェンダーに注目する社會認識のパラダイムの変換が促されるようになり、それに伴う新な政策の導入が進められている。 日本は歐米の先進國家に比して女性の社會的地位や參加が相對的に高くない國であると言われている。それで日本政府は1999年「男女共同參畵基本法」を制定し、男女共同參畵社會の實現を図る政策をうち立てるようになった。同法の目的は家族、勞働、敎育、福祉等社會の全領域に廣く關わっており、男女共同參畵社會の實現に向けての社會システムの構築という政策的志向の出現自体が意味深い変化のスタート点として評価できると見られる。 本稿は、日本における男女共同參畵政策の中で、性別役割の固定化を和らげる意図に基づいて計畵され推進されている、家庭と就業との兩立支援に焦点を当てて關連政策の性格や展開に關して檢討する試みである。2004年合計特殊出産率が1.29で、過去最低數値を記錄した以來、家庭と就業との兩立支援政策は少子化對策の中核施策として位置付けられた。項目別政策をみると、保育政策においては、一連のエンゼルプランを通じて多樣化された保育ニーズを政策的課題として受入れ、措置制度を廢止し、子育て支援對象の幅を廣げて保育サービスの提供を図っている。また、1991年に成立した育兒休業制度は2001年に「育兒ㆍ介護休業法」として擴大改正された。育兒ㆍ介護休業制度を通じて勞働者が家族的責任の法的權利性を確保するために、休業の取得を妨げる要因を取り除き、必要の時には休業の取得を勸める環境づくりや補完的施策が要請されている。就業環境の整備施策としては、企業側における雇用環境の改善や家族的責任のため退職した者の再就職の支援などが行われている。 以上をまとめてみると、男女共同參畵社會の政策が單なる宣言性の强い理念法に止まっているのが現狀であると見られる。個々人の實生活を次第に兩性平等的に変えていくには、社會システム轉換の一環として從來の「男性扶養型」システムから脫皮して、男女が家庭生活と就業生活とを兩立できるよう、兩性が社會保障の對象になる同時に、家庭責任の營みを支援してもらえる社會サービスの對象になる「兩立支援型」へという轉換が求められている。性別に問わず勞働者が勞働時間と家庭生活時間のバランスのとれた多樣な生活のあり方が選擇できるように支援する政策の充實化が今後の課題であると考えられる。

12

5,500원

本硏究は、日本の新聞1種(朝日新聞)と雜誌87種から、韓國大衆文化に關する連記事を1945年8月15日以後から2004年10月31日までの總930件の言論記事を收集し、日本での韓國大衆文化の受容現況を調査・分析したものである。 解放以後、日本での韓國大衆文化の受容は日本時代のなごりからきた朝鮮人に對する蔑視や輕視から出發した韓國ブームは大きく2回あった。一つは88オリンピックを前後にした「韓國ブーム」であり、もう一つは2002年の韓日ワールドカップ以後紹介された2003年韓國ドラマ󰡔冬のソナタ󰡕によって起きた「韓流」である。これら二つのブームは日本の商業文化やマスコミにそそのかされたブームであるとも言われるが、韓國大衆文化の目に見えない底力は結局日本で韓國語學習者の增加と共に普通の日本人が韓國に興味を持つ契機を与えた。 韓國大衆文化に關する記事はこの二つの韓國ブームと共に量的に急に多くなった。しかし、これらのムーブの表面的な現象の異面には言論によって歪曲・報道される場合も多く、これらは日本人に韓國および韓國人に對するイメージを否定的に持たせるなど、「嫌韓論」を扇るようなものも多かった。 最近、東アジアに起きている「韓流」のような現象は、すでに1980年代に東アジアで起きた「日流」と類似している。当時日本は「日流」により、海外での日本語敎育政策と留學生誘致政策に必死の力を注ぎ、現在日本語は國家競爭力第3位の所期の目的を達している。 今まで日本での韓國大衆文化の受容は質的な面よりは量的な面での交流であった。これからは韓國大衆文化から韓國文化全般にその領域を擴張したより質的な交流に変える時期であり、また韓國文化の結集である韓國語をより多くの人が學習できるように海外での韓國語敎育政策にも必死の力を注ぐ時であると考える。

【日本語學】

13

6,100원

韓日兩言語は文末の価値判斷体系および條件節の体系において相違点が認められる。韓國語は(1a)(2a)のような肯定の形も、(1b)(2b)のような否定の否定の形も兩方とも自由に運用できる柔軟な体系を有する。一方、日本語は(1b)(2b)に對応する否定の否定の形の(1c)(2c)だけが許され、(1a)(2a)に對応する肯定の形はそもそも存在しない。現行の大韓民國民法第78條の(3a)は日本民法第69條の(3b)から影響を受けているものと見られる。日本語の価値判斷体系および條件節の体系の典型的な形である「否定の否定」の形をそのまま受容したため、必要以上に文が長くなっている。(3c)のように韓國語に相応しい肯定文の形に修正すれば、分かりやすくて簡潔な文に改善されるものと思われる。 (3a) 제78조 사단법인은 총사원 4분의 3이상의 동의가 없으면 해산을 결의하지 못한다. (3b)第69條社団法人ハ總社員ノ4分ノ3以上ノ承諾アルニ非サレハ解散ノ決議ヲ爲スコトヲ得ス (3c)사단법인은 총사원 4분의 3이상의 동의가 있어야만 해산을 결의할 수 있다. 韓國民法は附則を含めて合計1,159條から構成されており、文章數に換算すれば合計2,145文に及ぶ。合計2,145文を綿密に分析し、日本語の影響を受けて「否定の否定」の形になっていると考えられるものを選び出し、アンケート調査を實施した。その結果、大多數の応答者が否定の否定の形より簡潔な肯定の形が分かりやすいと答えた。(3c)のような改善案が分かりにくいと答えたのはわずか8.1%にすぎず、分かりやすいと答えたのは64.9%にも及んだ。また、法理解釋上の問題について法律專門家から諮問を受けた結果、法理解釋に誤解を招くことなく「否定の否定」の形を簡潔な肯定文に改善できる可能性を認めてもらった。

14

6,300원

本論文では、まず第1に、日本語の樣態素「だろう、う(よう)、まい、ようだ、らしい、(し)そうだ」が時制制約の違いにより主觀的樣態素と客觀的樣態素に分類されるように、韓國語の樣態素も主觀的樣態素と客觀的樣態素に分けられること(しかし英語の樣態素はそうは分けられない)、第2に、主觀的樣態素とされる韓國語と英語の樣態素は客觀的樣態素とされる樣態素とは異なり、過去の意味をもたないこと、第3に、主觀的樣態素とされる樣態素が包んでいる命題內容はテンスを含んでいなくてはならないことを明らかにする。最後に、[接近可能性]と[現實性]という意味素性を考慮することによって、日本語、韓國語、英語の主觀的樣態素に同一の時制制約が適用される理由を說明できることをも明らかにする。

15

5,500원

韓日兩國語のもっとも基本的な動詞の一つである「ハダ」と「する」とは、それぞれ多樣な用法を有りしており、互いに類似している性質を持っているだけに、韓日兩國語の對照硏究の分野においても、このような「ハダ」と「する」の對照硏究はとり上げられやすいテーマの一つである。先行硏究ではいくつかのパターンに分類することができる。まず、「ハダ」と「する」の用法の硏究、次に「ハダ」と「する」との對応關係における硏究、次に態(Voice)の對照觀点から「ハダ」と「する」との對応關係を扱っている硏究、などである。 これまでの「ハダ」と「する」の硏究は表面的な對応關係の對照に止まっており、本硏究では「ハダ」と「する」との樣々な用法の中で、形態論的․統辭論的な見地から三つで分類した。まず、分包的な特性から見た「ハダ」と「する」は獨立的なものと非獨立的なものに分ける。獨立的な「ハダ」は‘主述語’‘代動詞’などで、「する」は‘代動詞’‘~がする’‘にする’の場合である。非獨立的な場合の「ハダ」と「する」は先行要素としてVPが要る。また、先行要素がNPである場合は漢語、固有語、外來語に分けられる。「する」はそれだけでなく、複合動詞の連用形や連用形要素同士もの、連用形要素に形容詞の語幹や動詞の連用形成分に接頭辭「お」が前接した形をしている連用形名詞もある。 技能的な分類では‘主述語’ ‘補助述語’ ‘輕述語’に分けられる。 形態論的な面での「ハダ」は‘單語’ ‘接語’ ‘接辭’となり、「する」は‘單語’ ‘接辭’に分類した。

16

6,000원

本稿は現代日本語のとりたて表現(「とりたて詞」と「とりたて副詞」)に關する文法的特徵を論じたものである。現代日本語の文法記述において「とりたて」表現に關する硏究は比較的に最近注目を浴びた硏究領域で、今まで、「とりたて詞」または「とりたて副詞」という個別的な立場から多樣な硏究者によって、樣々な觀点から記述が行われていた。そこで、本稿では同じく「とりたて」という特徵を共有している兩立場から、文法術語として「とりたて」とは何かを探ってみたものである。  その結果、とりたて詞およびとりたて副詞の立場で使用される「とりたて」とは、「とりたてる要素(自者)ととりたてられる要素(他者)との對比」という機能として捉えられる。そして、その意味記述は、とりたて詞およびとりたて副詞がとりたてる要素に關する命題と、(形式上での存在はともかく)それに對比されるとりたてられる要素(他者)に關する命題がどのような關係にあるのかを捉えるもので、兩者は範列的(paradigmatic)關係にあるということが判明される。また、それぞれの意味記述において当該とりたて詞およびとりたて副詞が實際文中のどの要素をとりたてているのかを論じるために「とりたての焦点」という槪念を導入していること、それらが文中で意味的に作用を及ぼしうる範囲を示すために「とりたての作用域」という槪念を用いているということが分かった。よって、日本語文法硏究において「とりたて」とは、品詞論的な觀点からとりたて詞・とりたて副詞という別のカテゴリーで使用されているものの、その意味的な特徵およびそれを記述するための槪念は同樣であることが言える。

17

6,000원

日本語と韓國語の形容詞は、兩方とも類犧牲と多義的な性格を持ち、多樣な意味と文法的な機能があると言える。 本稿は日·韓兩國語の觸覺形容詞を中心に文の上での轉移用法の樣相に關して考察したものである。 觸覺形容詞は表面感覺․痛覺․溫度感覺․有機感覺の四つに分け、それぞれの下位類の形容詞が構文上どんな意味․用法の轉移樣相を表わしているかを分析․考察した。 表面觸覺語の轉移の意味․用法では、他の感覺語に比べて感情的な轉移用法があまり見えない特徵があるといえる。特に、ある事柄の屬性の轉移用法である韓國語「살림이 단단하다」のような例文は日本語には對應できない特徵的な例文である。 痛覺語は、日本語の「痛い」が感情的な意味と用法の轉移で使われる例文がたくさんある。韓國語は「따끔한맛」「가슴이찌릿하다」のような特徵的な例文も見られる。痛覺語の用法では人、事柄、行爲などに關する屬性的な轉移はあまり多くないといえよう。 溫度感覺語は、特に「冷たい」「차다」「暖かい」「따뜻하다」などの形容詞の轉移用法が日․韓兩國語の例文で共通點があるのが分かった。一方、形容詞「쌀쌀하다」が態度․行動․性格などの冷淡さを表わす意味、用法で使われるのは韓國語の特徵である。 有機感覺語は觸覺形容詞の類型の中で轉移される用法の例文が少なく、特に日本語の方が轉移の抽象度が低いといえるだろう。反面、韓國語は「배부르다」「배고프다」「메스껍다」などの形容詞が比喩的に使われる轉移樣相がよく見られる。

18

5,200원

先行硏究では「-レル」型の受容ㆍ普及の要因として、「文法の單純化」「意味の明晰化」「發音の省力化」を擧げている。これは動詞全体を對象とした場合の說明である。しかし、「-レル」型は動詞によってよく用いられる語と用いられない語がある。このことは、上記の3つの要因だけでは說明しきれない。どういう要因によって、早く変化を受け入れる語と最後まで変化しない語が決まるのかを探る必要がある。 そこで本硏究では、動詞の違いによる「-レル」型の使用實態を調査し、使用率に影響する要因を分析することによって、「-レル」型の受容・普及の要因の再檢討を試みた。その結果、「發音の省力化」と「表現の馴染度」が個々の動詞の「-レル」型の使用率に關係していることを確認することができた。このうち、「發音の省力化」は、全ての動詞に適用できる要因であると同時に、個々の動詞の「-レル」型の使用率に影響する要因としても考えられる。 形態論の觀点からみた「文法の單純化」。意味論の觀点からみた「意味の明晰化」。音聲/音韻論の觀点からみた「發音の省力化」。語彙論の觀点からみた「表現の馴染度」。この4つの要因は、「言葉の合理化」としてまとめられる。

19

5,800원

韓國語と日本語の敬語を論じる際、韓國語は絶對敬語で日本語は相對敬語といわれる。そしてその最も大きな違いとして、韓國語は話し手が自身の兩親を素材敬語により高めることができるのに對し、日本語ではそれができないという点、あるいは、韓國語では客や取引先との會話で自社の社長を高めることができるのに對し、日本語ではできないという点である。  本稿では韓國語の敬語運用の中でも特に相對敬語的な性格を持つ壓尊法と日本語の敬語抑制を中心に韓國語と日本語の敬語運用規則について考察、その結果、導き出された兩國の敬語運用規則は次のとおりである。 1.日本語では、敬語上のⅠ人称(話し手自身、もしくは話し手側)の人物を高めてはならないが、韓國語では敬語上のⅠ人称の人物も高める。 2.日本語では聞き手と異なる社會集団に屬する敬語上のⅢ人称(話し手、聞き手のどちら側でもない)人物中、聞き手から見て高めるに値すると思えない人物を高めるのは聞き手にとって失礼になる。しかし、韓國語ではそうした敬語上のⅢ人称に對する素材敬語の使用は話し手が任意に決定できることであり、話し手よりも話題の人物が目上である場合は通常高める。 3.日本語では話題の人物が聞き手から見て同等以下でも、話し手がその人物を高めることにより、結果的に聞き手を高めることになる場合は、話題の人物を高めてもよい。特に話し手、聞き手、話題の人物が同一の社會集団に屬する場合、通常高める。韓國語でもそうした話題の人物を高めることが可能であるが、話し手、聞き手、話題の人物が同一の社會集団に屬する場合は高めてはならない。 また、絶對敬語、相對敬語という觀点からすると、韓國語も日本語も素材敬語の使用が聞き手や場面の影響を大きく受けるようになったという点では相對敬語化したといえるが、話し手、聞き手、話題の人物といった會話の登場人物間の高低の把握という点では、韓國語では20世紀中盤よりも單純化する傾向があるようである。日本語もこれからそのように変わる可能性がある。  授受表現についても高低の把握を重視する韓國語と「ウチ」と「ソト」の把握を重視する日本語という性格が、特に目上に對して使う韓國語の授受表現の虛構的用法と日本語の授受表現の使用抑制によく現れている。

20

5,500원

近世日本の資料である『朝鮮物語』『繪入異國旅硯』『和漢三才圖會』にみられる朝鮮語と日本語の仮名表記の對応關係を調べてみながら朝鮮語の單母音及び二重母音の表記について考察してみた。そして日本の資料でみた朝鮮語の音韻、文法、語彙に關して檢討してみた。考察した結果『朝鮮物語』では母音「ㆍ」を[a]または[o],[u]で 表記していることがわかる。朝鮮語の「ㅓ」を同一語音の仮名のお,ほ,をで、對応して表記した。「ㅗ」も仮名お、を、ほで表記していることがわかる。母音「ㅕ」の表記をみれば朝鮮語の母音「ㅕ」に「e」を對応した例が多いし、「yo」の例も見られる。また「156帶(덧말:をひ)をすて: , 」,「110 男(덧말:をとこ)を そんなへ:나, 나희, 나히」のように二重母音の單母音化を確認する情報を提供している。これは日本人たちが「」を「he」という音で聞いて記錄したとおもわれる。單母音化した‘ㅣ’は‘i’で表記しないで‘e’で表記したとおもう。この三つの資料で仮名で表記した朝鮮語の表記を通じて部分的であるが近代國語の姿を窺うことができるという点で意義があると思う。

21

5,400원

 
페이지 저장