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동아시아고대학 [DONG ASIA KODAEHAK ; The East Asian Ancient Studies]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    동아시아고대학회 [The Association Of East Asian Ancient Studies]
  • pISSN
    1229-8298
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    2000 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 기타인문학
  • 십진분류
    KDC 910 DDC 950
제11집 (6건)
No

≪ 論 文 ≫

1

고구려 놀이문화의 유형과 특징

정형호

동아시아고대학회 동아시아고대학 제11집 2005.06 pp.5-53

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9,900원

The play culture of the Kogurye Period relates closely to work, religion, the New Year and the military arts and reflects the social, political and cultural characteristics of the time. The play culture consists of three kinds of plays. The first one is an individual contest play and is divided into both a hand to hand fight, which has features similar to Kagjo and Subak(wrestling), and training in the military arts such as Kisa(Masang Koongsool). The second is a group contest play and includes Sukjun(a fight with stones), Chookgook(traditional soccer) and Kyugku(traditional polo); it has an entertainment character and provides training in the military arts. The third is Jabhee, led by professional entertainers. The general feature of the play culture of the Kogurye Era is that the Kogurye had very good relations with neighboring countries, and it also had its own individual character. The play was used as a method of training in the military arts. Sometimes performers would have a fierce gang fight for victory when they played. Additionally, a horse-related play, which showed how to ride a horse, was performed having the characteristics of a contest. Professional wandering entertainers who were based in the region were active in the performances. Dividing the characters of the play according to gender, the males were largely fond of a fierce contest play while the females enjoyed a static play which was centered around singing and dancing. This play culture of the Kogurye Period formed a foundation for the Korean play culture of later ages.

2

7,200원

The discussion about Ki in Koryo-Dynasty is that the Ki of literature and Ki of philosophy is not entirely different. The meaning of literal Ki clings to the thing to decorate by force and rejects the lagiarism. The Ki of literature draws a distinction with other writer or work. It is a consolidation concept which calls the originality of a writer and work. Therefore to use Ki as complex meaning is acceptable. The personality of Ki is original. A part of thesis of the hitherto bisected and explained as apriority and posteriority. But it must be sublated. We can not get it by earning. It is not to point out the constancy of Ki but to emphasize the originality of literature. We must interpret to the originality of Ki. It is the effort to improve the literature natural features. The yanggiron was risen from the inside and discussed to the method. A method of Koryo critics is usually to strengthen the literary style through the reading. The literary theory of Goryo paid attention to the stage 'language > emotion, meaning > mind > Ki > original nature.

3

5,700원

過去中國用‘戎狄’一詞, 做爲中國西北遊牧民族的專稱, 他們是華夏民族深所懼怕的隣居. 遠從夏, 商, 周以降, 中原華夏與西北遊牧兩大民族之間, 時常會有衝突發生, 中原民族對於南下的西北異族, 有著非常不好的印象. 中國人稱西北民族爲 ‘戎狄’. 這個名稱是根據民族特徵所取的. ‘戎’指的是兵器, 意謂長於戰鬪的民族. ‘狄’則是根據狼(狗)圖騰的名稱而來, 而屬於戎部族之一的‘犬戎’名稱,也是古代中國人根據他們的狼(狗)圖騰而取的. 在中國前代的文獻上,記錄着有關西北民族的‘狼祖神話’.可見中國人對於外族神話有一定程度的瞭解. 到了隋、唐時期,中國人更將象徵統治權力的 ‘狼頭纛’圖騰旗, 贈予其所扶持之政權, 使其與原部族首領發生對立, 激化部族分裂, 進而坐收漁利, 中國西北遊牧民族認爲狼是‘始祖’, 也是‘守護神’. 然對中原民族而言, 狼只是殘暴的動物而已, 中國人甚至還用豺狼一詞來貶抑西北的一些民族.

4

6,300원

私は「古代東アジアの表現世界」を硏究の對象としているが、本稿ではとりあえず󰡔万葉集󰡕の最終的な編者と推定される大伴家持(以下、家持)における二つの長歌作品を檢討することにした。家持は天平勝宝二年(七五○)四月三日には「越前判官大伴宿祢池主に贈る霍公鳥の歌、感旧の意に勝へずして懷を述ぶる歌」(卷⑲․四一七七~七九)という題詞を持つ作品を、また六日後には「水烏を越前判官大伴宿祢池主に贈る歌」(卷⑲․四一八九~九一)という歌をそれぞれ制作し、それらを越前にいる大伴池主(以下、池主)に送った。 二つの長歌作品は基本的には池主の孤獨感を慰めるために作られたと考えられるが、これらの長歌には目に付く表現がある。まず前者の長歌後半部の近くに出てくる「あやめぐさ 玉貫くまでに 鳴きとよめ 安眠寢しめず 君(=池主)を惱ませ」(卷⑲․四一七七)、その第二反歌の「我が背子を 安眠な寢しめ ゆめ心あれ」(卷⑲․四一七九)といったような表現がそれである。このような諧謔表現は後者にも見える。その第二反歌にある「取らさむ鮎の しが鰭は 我にかき向け 思ひし思はば」”(卷⑲․四一九一)といった語句がそれである。 本稿では二つの長歌作品を綿密に檢討した後、つきのような結論を出した。二つの長歌作品に戱れの表現が使われたことは池主に對する家持の配慮によるものだ。すなわち、歸京を間近に控えた家持は異鄕で孤獨な生活を余儀なくされた池主を慰めるために、作品に彼の笑いを誘う諧謔表現を積極的に用いた。

5

古事記 이야기와 歌謠의 利用 -'辭'의 표현을 중심으로 -

李權熙

동아시아고대학회 동아시아고대학 제11집 2005.06 pp.135-160

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6,400원

從來、文學テキストとして󰡔古事記󰡕と󰡔日本書紀󰡕の兩者を比較する場合、特に󰡔古事記󰡕の方に重点が置かれてきた。それは多くの歌謠を含む多彩な物語が、当時の日本語に充實した、いわゆる変体漢文によって含まれているからに違いない。歌謠物語は單に歌謠と物語の共存を表わす述語ではなく、物語と歌謠との結びつきが緊密であり、歌が物語の展開に不可分に機能している物語のことなのである。本稿は、ヤマトタケルの歌謠物語、その中でも特に弟橘比賣の入水物語を取り上げて、󰡔古事記󰡕における‘カタリ’と‘ウタ’という樣式の問題、それによって可能になる󰡔古事記󰡕の表現樣式としての歌謠物語の方法を考察することに目的がある。そもそも‘カタリ’によって表現される叙事性と、‘ウタ’の抒情性は相容れないものである。しかし、散文と韻文という異なる樣式によって構成されている歌謠物語は、‘カタリ’と‘ウタ’の、特に‘ウタ’のもつ含蓄性や、それによって期待される抒情の廣がりを目指して、最初から意図され試みられた新しい‘カタリ’の方法である。物語の中に歌を挿入することがただちに文學的効果を高めるとは言えない。ここに一字一音式の仮名で書き表した歌を、段落の綴じめ的な位置に据えることで一つの物語を締めくくるという、倭建命の歌謠物語の方法が問われるのである。‘辭’的表現に依存しないことによって、ことがらの叙述の積み重ねにおいて可能になる散文表現と、これとは逆に‘辭’的表現を徹底することによって達成される、歌という表現の意識化を󰡔古事記󰡕の表現、ひいては󰡔古事記󰡕の中の物語と歌という表現の問題として捉えなければならない。弟橘比賣の入水物語は、弟橘比賣の死によって段落づけられ、倭建命物語全体は倭建命の死によって括られている。󰡔古事記󰡕は物語の結末の部分を死をもって語ることによって、物語全体に重苦しい抒情性を漂わせている。弟橘比賣の歌は‘の’‘に’‘の’‘はも’などの‘辭’のことばの滑らかな連結によって、抒情詩的情趣を感じさせる情意が統一されており、しかも結句を‘ハモ’という助詞で結ぶことによって、强い哀惜の念に基づき過去を回想しつつ、離れて行かざるを得ない狀況を嘆く。この歌によって弟橘比賣の死に對する悲哀感は一層高められ、一つの物語はクライマックスを迎えるのである。ひとつの物語を歌によって締め括るという方法は、和歌の世界で育まれた抒情の世界が前提になってからこそ可能になる、高度な文學的技法である。天皇の世界の確立という大きなテーマを倭建命の悲運の歌謠物語として語る󰡔古事記󰡕がある。ここに󰡔古事記󰡕完成者の文芸的趣向や、創作的意図が强く感じられると同時に、これこそ󰡔古事記󰡕の目指した倭建命物語の方法であった。

≪ 附 錄 ≫

6

휘보 외

동아시아고대학회 동아시아고대학 제11집 2005.06 pp.161-171

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4,200원

 
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