2019 (69)
2018 (86)
2017 (94)
2016 (87)
2015 (93)
2014 (105)
2013 (93)
2012 (89)
2011 (84)
2010 (77)
2009 (54)
2008 (56)
2007 (61)
2006 (43)
2005 (33)
2004 (37)
2003 (38)
2002 (36)
本研究では、「紅涙」の意味用法について、近代を中心に考察した。この「紅涙」は、近世には主に読本に用いられ、用例も少ないのであるが、女性の流す涙という意味用法を持っている。近代、特に明治期には実に多くの「紅涙」の例が見られ、それ以前に比べ音読みの「紅涙」が大部分を占めている点が異なる。「紅涙」は種々のジャンルにわたっていて、近世よりは近代の方がはるかに広範囲に用いられている。まず、「繁昌記」は幕末から流行しているが、事実上の幕末の作品『繁昌後記』から見られるようになる。意味用法は、美しい芸妓が流す「紅涙」であるのが特徴である。明治初期の翻訳文学にもかなりの「紅涙」の例がある。政治的性格を持つ作品が多かったが、やはり実に美しい女性が流す涙であることが分かった。日本人による小説も翻訳作品と別段変りはなく、殆んどが美人の女性や普通の女性が流す涙であった。しかし、必ずしも女性専用のものではなく、特に戦争文学で痛切の思いを表わす涙として男性も「紅涙」を流している。また、少数ではあるが評論․感想文には男性․女性を問わない中立的な表現もあった。 男性の「紅涙」の使用は相対的に女性の使用に比べ少ないけれども、小島がいうような和習ではない中国風の使い方が定着したわけではないのである。小島の意見は、用例の少なさからきた誤解であったと思われる。この現象は、現代における使用状況からも裏付けられる。 現代の人は「紅涙」に馴染んでいないようでありながらも、色々な意味用法で用いている。まず依然として女性が流す涙として表現しているが、明治期に比べ、美しいという要素は弱く、平凡な女性の涙になっている。男性が流す「紅涙」は多くはないが、注目すべきは「日本人の紅涙」「国民の紅涙」のように、特に男女の区別をしない中立的な用法が大幅に増えていることである。また、「子女」「男女」のような共用的なものもあり、明治期の用法(幸田露伴)を引き継いでいるとも言えるが、大幅に増えていることが異っている点である。このように男女を問わない用法の多様化が進んでいる一方、「紅涙」とつながる述語は「しぼる」が大部分を占めていて画一化の様相もみられる。これは、ネットからの抽出であるので、明治期の文学と直接的に対比させるのは無理があるが、「紅涙」の使用の流れを把握することはある程度出来たと思われる。このように、「紅涙」はひっきりなしに変容していることが分かった。
本研究は、日本語の一字漢語動詞の意味的傾向をみるため、『分類語彙表』を用い、意味的傾向を分析したものである。さらに、二字漢語動詞との比較を通し、一字漢語動詞の意味別傾向をも探ったものである。 本研究の結果から、日本語の一字漢語動詞は意味分類の大別と細別により、上位の現われに違いがあることがわかった。とりわけ、細別により、「精神及び行為」の「待遇」の項目から二つも上位を占めていること、一字漢語動詞には、「自然現象―生命」の「死」を表すものが多いことから、日本語の一字漢語動詞が偏った現れ方を見せていることが明らかになった。 その他、一字漢語動詞には「抽象的関係-真偽․量」、「自然現象-身体」を表わす項目に一字漢語動詞が見られないことも明らかになった。 日本語の一字漢語動詞と二字漢語動詞の比較を通しては、大別では大きな差が見られなかったが、詳細な分類から見た結果、その現れに差が多少あることがわかった。
「のような/みたいな」の顕著性の一考察 ―「豚․相撲取りのような/みたいな」を中心に―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.47-61
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「豚のような/みたいな」と「相撲取りのような/みたいな」の顕著性をインターネットのWWWページを使い、調査․分析を行ったところ「豚」と「相撲取り」との間に共通して出現した語彙が確認できた。その語彙群の中で「顔」「体型」「声」に注目し分析を進めた結果、①「豚のような/みたいな顔」というメタファーは「鼻」のみに注目して作られている。また「豚」と「鼻」の結び付きは非常に強く、「鼻」さえ「豚のような/みたいな」ものであれば体型に関係なく「豚のような/みたいな顔」、つまり「あの人は豚だ」というメタファーまで作ることができる。これに対し「相撲取りのような/みたいな顔」は、ある特定の部位に注目して作られているわけではなく、全体的な雰囲気や輪郭が「太ってい」れば「相撲取りのような/みたいな顔」になる。②「豚のような/みたいな体型」とは「太ってい」れば作れるのに対し、「相撲取りのような/みたいな体型」は「太っている」だけでなく「(体が)大き」くなければならない。つまり太っていて普通以下の(体の)大きさなら「豚」、太っていて(体が)大きければ「相撲取り」になる。③日本語の母語話者には「豚及び相撲取りは太っているもの」という知識が存在するが、「声」には適用されず、「太っている声」という表現は存在しない。故に「豚のような/みたいな声」「相撲取りのような/みたいな声」とは、「太っている」ことと関係がなく、「ブーブー」のように豚の擬声語を発すれば「豚のような/みたいな声」、「低くて、がさがさの枯れている声」ならば「相撲取りのような/みたいな声」になるということが明らかになった。
한⋅중⋅일 3국의 의뢰과정에서의 해명에 대한 대조사회언어학적인 연구 ― 불만표명에 대한 해명을 중심으로 ―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.63-81
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本稿は, 韓․中․日3国の大学生を対象として、依頼をするとき、相手の不満表明にどのように解明するかについて考察したものである。調査から得られたデータを通じて、発話パターン․ムーブ数․発話機能別に分析を行い、言語的なストラテジーを、それぞれどのように運用しているかについて考察を行った。得られた知見を纏めると、次のようになる。 韓․中․日3国は、発話パターン․ムーブ数․発話機能および言語行動のストラテジーにおいて多くの相違点が見られた。その中でも、日本人は<謝罪部>+<依頼部>と<謝罪部>のパターンを、韓国人は<謝罪部>+<解明部>+<依頼部>と<謝罪部>+<依頼部>を、中国人は韓国人と日本人に比べて、多様なパターンを好んでいることがわかった。 そして、発話機能別からみると、韓․中․日3国共に依頼部を最も多く使うが、そのうち韓国人は「依頼部」を、中国人は「解明部」を、日本人は「謝罪部」をより多く使っていることが伺えた。 解明時のムーブ数は、韓国人は5つ、中国人は2つ、日本人は3つで、一人当たりの平均ムーブ数は、韓国人は4.6, 中国人は3.2, 日本人は2.9で、韓国人が中国人や日本人に比べてことばの数が多いということがわかる。
本稿では韓国内の大学の教養科目として扱われる初級日本語の教科書について、外来語及びカタカナ語の使用状況の調査を行った。13種の各教科書に使用されているカタカナ語を合算した総数は延べ語数で2421語、異なり語数は1208語であった。13種の教科書すべてに現われたカタカナ語は「コーヒー」「スポーツ」「テレビ」の3語であり、12種の教科書に共通に提出されていた語は8語で「ケーキ」「サッカー」「スキー」「ノート」「バス」「ピアノ」「ボールペン」「ホテル」であった。また、7種以上の教科書に共通に現れたカタカナ語はカタカナ語の全総数の約6%に満たないことが分かった。 ほとんどの教科書は文字と発音の導入時において、ひらがなで特殊拍までの発音の説明をしているため、カタカナは五十音図で文字が示されただけで終わっているものが多い。ひらがなの文字と発音練習のあと、カタカナの文字と発音練習を別の課でもうけている教科書は1種だけであった。ここから日本語教育の中において、未だカタカナは重視されていない現状が概観できるが、今後はカタカナ語が増加を辿る現在に対応できるよう、カタカナ教育に対してもっと積極的な扱いが必要である。韓国語をカタカナ表記した語も多く使用されており、カタカナ教育にこれらを進取的に利用していくことが望ましいと思われる。 次に、韓国の第7次教育課程における高校の基本語彙との比較では、高校の基本語彙の中のカタカナ語69語中、大学の初級の教科書と1種でも対応していた語は64語(92.8%)であった。その中でも大学の教科書13種(3語)、12種(8語)に共通に提出された語11語はすべて高校基本語彙のカタカナ語と対応している。 大学の教科書におけるカタカナ語の量的面の増加は教科書の出版年度に比例しているとは言えないが、比較的、近年出版の教科書が多くのカタカナ語の語例を挙げていること、新しいカタカナ語を取り入れていることから見て、まだまだ不十分ではあるが、従来の教科書よりは僅かずつ、カタカナ語に着目する傾向が見られつつあると言えよう。
일본문화 인식의 변화에 대해 ― 부산지역 대학생 조사를 중심으로 ―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.103-125
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この論文は、韓国釜山地域の大学生の日本認識調査を通じて、その変動を調べようとしたのである。日本語を習いはじめてから日本認識形成までの過程要因を調査した上、それを通時的な観点でみようとした。 大学生の日本文化への認識は、文化的な環境によって大きな変化をたどってきた。1998年の日本文化開放した以降、日本文化は若者たちの間でひとつのアイコンになっていた。韓国の若者たちにとっては漫画から始まる日本の文化要素に幼い時期から接してきた経験が内在しているのである。それから日本認識へ影響を与える諸分野での要因が形成された。論者は歴史、社会、経済などの環境によって日本認識の変化、その方向がどうであるかを背景要因としてみたのである。 先ず、社会的な要因としての文化開放が重要な転換になったのを言える。これをきっかけに日本文化への接触頻度と範囲または内容が多様性をもち始めた。調査時点での日本認識は過去の感情的な劣等感から冷静的な対等感、自信感からできている変化をみせた。次は、歴史的な要因としての歴史認識の特徴は過去と比べてあまり変わっていないものの、歴史問題を文化とは区別してみようとする文化意識がうかがえたのである。それから経済的な要因からの変化は、韓国の経済的な競争力からの自信感が文化認識まで影響されているのが特徴である。また両国未来関係においての認識内容はもっと積極的に変わっている。一方両国交流を拡大したい分野においては、文化分野よりも経済分野の交流を優先しているのがわかった。 結論として通時的に大学生の日本文化への関心が高まると共に、認識の方向は今よりも肯定的で且つ対等な認識へ流れてゆくと言える。といえるのは既成世帯の日本認識には劣等が存在しているのに反して、現世帯の日本認識には主体的な自信感が現れているからである。しかしその変化過程には韓国若者の日本認識の根底に重層性が位置しているのである。それは日本文化への内面的な好奇心と表面的な警戒心が相対的な対立をなしていることである。
韓日 漂泊詩人에 관한 硏究 ― 芭蕉와 金笠을 中心으로 ―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.127-146
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芭蕉と金笠は、その生を漂泊で始め、漂泊で終えたと言っても過言ではないくらい、漂泊的な生として一貫した。かれらは漂泊を通じて大自然を観照し、自然と融合した漂泊詩人であり、大自然の中の歌枕․古歌․故事と縁故がある地を直接訪ね、漂泊者の詩心を吟味したのである。また人生を旅人․百年過客であると歌いながら孤独な放浪者としてではなくて、漂泊者として自然を観照し、詩を詠ずる詩人であった。芭蕉と金笠は漂泊の中で生涯の後半を過ごして、漂泊の途中で、他郷で客死する点、そして漂泊を通じて幾多の秀歌を誕生させたという共通点がある。 この論文は、芭蕉と金笠は国籍、時代、文学の形態などは異なるが、以上のような共通点などを踏まえ、時代的な環境、漂泊と歌枕、漂泊と詩歌、そして漂泊の過程や背景、動機など、さまざまな観点から両者を比較、考察したものである。
鄭承博文学 硏究 ― 「쫓기는 나날(追われる日々)」을 중심으로 ―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.147-165
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この論文は鄭承博の文学における「追われる日々」を中心に彼の文学世界と文学的特徴について研究したものである。 1章では鄭承博の出生と主な作品の発表時期と「追われる日々」との関係について考察してみた。2章では彼の文学研究における最も基本的なことの故郷と渡日について考察してみた。3章では日本社会の中で朝鮮、朝鮮人というタイトルで日本社会での在日朝鮮人の位置と認識を主人公の体験を通じて調べて見た。面白いのは「富田川」と「追われる日々」に現れた在日朝鮮人の位置と認識が対照的である。4章では「松葉売り」、「富田川」、「追われる日々」の中の日本、日本人について考察してみた。その結果「富田川」では朝鮮人と日本人がとても友好的相互理解、配慮するいわば和合する関係として理想的な韓日関係の模型を作り出していることがわかる。 一方、「松葉売り」、「追われる日々」では<不信>、<弾圧>、<威圧>、<挫折>、<差別>の韓日関係を描き、韓日関係の矛盾を告発しているのである。いわば林浩治の評とは相違する鄭承博の文学の両面性を指摘したのである。このような鄭承博の文学の両面性についてはもっと多くの作品と多様な彼の作品世界の考察の上で触れることであり、またこれからの鄭承博の文学の研究の課題として残したいのである。
다무라 도시코의『단념(あきらめ)』론 ― 도미에에 있어서의 단념의 표상 ―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.167-182
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『あきらめ』は1910年、「大阪朝日新聞」の現象小説当選作で、田村俊子はそれを受けて後、経済的に自立した最初の職業女性作家となる。『あきらめ』は主人公の生野冨枝を中心に、姉都満子とその夫、妹の貴枝、冨枝との同性愛関係と見られる三輪初女と房田染子など、多層多義的な構成で描かれている。 冨枝の母は貴枝を産んですぐ、再婚した父も亡くなった。東京に住んでいた子のいない継母が、岐阜で暮している祖母の世話をしていることに対して、冨枝は道徳的な負い目を感じていた。さらに女性関係が派手な夫緑紫との関係だけを考える都満子と、養女に行った料理屋の環境に便乗して既成世代の真似をしている貴枝を見るのも辛かった。このような状況で、冨枝だけが家族の家長としていろいろと考えなければならなかった。 また、冨枝が心から愛している三輪は、貧しい環境から自分の出世のために男性の権力を利用する女性に変わってしまった。染子は冨枝に対して好意を持っており、周りから同性愛関係という話も聞く。こんなに冨枝を取り囲んだ女性たちの生き方が複雑な構図で設定され、多様な生を現わしている。 中心に立っている冨枝が、新聞脚本に応募したのが評価を得、演劇として上演されるが、大学からは「校の主義」を守らなくて「虚名に心を腐らせた」と戒められる。冨枝は大学との摩擦を逃れるため学校を辞した後、自分の仕事である作品を書くことはどこでも可能なので、いつも自分が協力しなければならないと思っていた岐阜に住んでいる家族のために「お婆さんが亡くなるまで」にという覚悟で岐阜行きを選ぶ。この冨枝の岐阜行きは、すべてのことを諦めた決定ではなく、改めて新しい挑戦のためだと思われる。なおここに、冨枝を通して自我啓発を重視しながらも因果関係で最善をつくそうと努力する新しい女の生き方を見ることができる。
岩野泡鳴의 「오부작」 론 ― 자타(自他)의 패러디화 ―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.183-199
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日本自然主義は田山花袋の『蒲団』の発表から私小説という形で方向が決まり、さらに実生活即小説の傾向を強める。しかし、岩野泡鳴は日本自然主義作家としては稀なことであるが、「五部作」のなかで自分の確固たる哲学を実行する哲理家を描いている。彼の自我中心の哲学と悲痛哲学は、人生そのものも刹那主義の観点から捉えているが、作品のなかでは精神と肉体の合致を主張し、強烈な活動こそ命であると熱く語っている。その思想の骨格ともいえる「神秘的半獣主義」(1907)は、霊肉合致の独自的な理論書として文壇では評判が高かったが、一般的には誤解を招いたのも事実である。それは『耽溺』と以後の樺太行きなどの行動によるのだが、実際はそれとは違って意外に着実で真撃であったことは、彼の伝記を調べればだれでも判る事実である。泡鳴の「一元描写」というのは、作者と一重要人物の間が不即不離の関係であり、五部作では成功した方法の一つでもあったが、彼が求めていた暗喩的な表現、立体的な具体性は得られなかったのた。私小説は作者が写実描写によって実生活を書いたため、強い印象を与えるガゆえに虚構の世界を否定する特徴まで持っている。しかし、ありのままの事実の告白だけでは、読者に小説の展開の過程から齎す圧倒的な緊迫感と興味を呼び起こすことはできないだろう。私小説の中でも読者が判断できない程度の虚構が内在していることは事実である。それ故に、その主人公 は泡鳴自身でありながらも泡鳴自身でないと言えるであろう。また、「五部作」のなかで妻である千代子もお鳥も美化されなかったのは思想の実践上、相手を徹底的に相対化して描いたからである。泡鳴自身も含む対象のパロディー化は、実行哲理家である主人公の田村義雄を生き生きと活かしているが、これは主人公が泡鳴でありながら実質的には泡鳴ではないので可能だったろう。
論者は本稿通じて古代東アジア西部地域における古典の成立背景について考察し、その結果、次のように整理することができた。 まず、古代東アジア西部地域の古典は帝国主義の思想を基底にして形成してきて、古代西域のそれらも帝国主義の思想を基底にして出現したのである。 次に、東アジアの東部地域の古典『古事記』と『日本書紀』は西部地域の古典の思想である帝国主義思想としての儒教思想を基礎にして成立してきた。このような東部の古典は帝国主義思想としての儒教思想の主軸となる天帝思想を基底にして形成してきたのである。 第三に、東アジア西部地域の古典は漢帝国が自分の帝国主義政策を推進させて行くための手段であった。漢帝における古典の存在理由は儒教思想を基礎にする儒教社会を確立させて行くための手段であっただと思われる。 その儒教思想は天帝思想を主軸にして形成しており、漢帝は儒教思想を礎石にして帝国主義思想を実現させて行ったのである。こうして東アジア西部地域の儒教思想と天帝思想は漢帝の帝国主義政策が行われている過程の中で確立したと言えるとするならば、東部地域の場合では西部地域のそういう帝国主義思想をモデルにして神道思想が彼らの帝国主義思想の基底として形成してきたと言うことができるのである。
韓半島南東部の洛東江は地理的に日本と近い距離だ. それで先史時代から両国間の交流の核心的な役割を遂行した. 両国のこのような交渉で、 両国の人だちは豊かな経験を積んだ。特に海流の特性をよく把握して、 新石器と金冠伽揶ではこれを積極的に活用した。洛東江河口はそんな海上拠点の中心航路だった。 新羅と日本の交流に対する史料が断片的なので両国間の交流推移を立体的に分析することはできないが, たいてい国家が主導した交流を中心に比較的活発に展開されていた. 唐から日本までの航路は唐→蔚山→慶州→蔚山→北九州→難波[大阪]だった。7世紀まで日本は新羅の貿易船を利用したからほとんど新羅に寄りかからければならない。日本で新羅への航路を整理して見れば 大和→瀬戸 内海→大宰府→鴻廬官→博多港→壱岐→対馬島で大韓海峡を利用して洛東江河口に至った後蔚山に行った。 一方新羅の代表的な貿易港だった蔚山港に集中された人的物的資源の分散のためにも硫酸陣は補助港湾として役目を受けたはずだ. したがって洛東江と近い所の金海, 黄山津など地域には海上交流と係わる各種施設及び基盤,海上能力たちが集積されていた. 統一新羅の首都である競走で出発して蔚山→釜山→洛東江河口→巨済島→対馬島→大宰府→大和, または新羅内陸→洛東江河口→巨済島→対馬島→大宰府→大和で繋がれている. 洛東江下流は天恵の良港にしての条件を取り揃えた。また背後の梁山, 金海などの郡県とともに内陸水路と連結された河系網を発達した。古代に洛東江河口の立地的条件が非常に優秀だったことがわかる。
本研究は、国内で活動している日系宗教信者の集合意識とアイデンティティを究明することを目的とする。現在国内に進出して活動している日系宗教は、18教団(23教派)の約200万人の信者をもっているといわれている。これは、仏教、プロテスタント、カソリックに続き四番目に当たる規模である。それだけではなく、社会活動においても、日系宗教は平和、人権、環境のような現実指向的な社会問題に関心をもち、信者たちはそれらに関わる社会運動を積極的に展開している。信者たちのこのような一糸乱れない集団的行動を促す原因は何だろうか。それは、我々の既成宗教とは異なる日系宗教だけの集団結束のメカニズムが作動しているからであると考えられる。もう一つ、国内の日系宗教信者たちは、自分の宗教について、歴史的に形成されてきた「排他的他者としての日本」という対象的イメージと、他方自分の精神世界が依存している「信念体系」というイメージを内面的に共有しているか、あるいは両方の間で心理的に葛藤していると推測される。従って、本研究では、このような日系宗教信者の集合意識とアイデンティティという内面的状況を数量的に測定し分析するものである。
근대천황제 인식논리와 역사인식의 현재 ― 기억의 공동체로서의 천황제인식 ―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.279-295
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日本の近代天皇制は創出された制度である、という前提は、古来から存在していた天皇制と近代以降における天皇制の異質性を物語る。実際、近代天皇制は日本の歴史を大きく転換させ、今もその名残は根強く残っている。本稿では、そういう点に着目して日本の近代天皇制が創出されたという大前提から、まず、その制度の創出する意味を把握しようとした。その結果、戦前における近代天皇制は日本の近代を遂行していく論理として記憶の共同体を構成する役割を果たしていたことがわかった。また、大日本帝国憲法は、近代天皇制を制度として担保する役割を果たしていた。ゆえに、戦争と関連する歴史を含む事柄に関して天皇は自由でいられないのである。しかし、アメリカの主導する日本支配における必要性などにより、戦犯として処罰される筈だった天皇は免責処分になるうえで新たな記憶の共同体の役割を担う存在となる。 本稿は、日本の近代天皇制が日本のアイデンティティとして近代から現代へ移行していく歴史的なプロセスとそれを構成する論理のメカニズムを概観している。これによって、今までの韓日関係における独島問題をはじめに、日本の歴史認識の諸問題の根底に天皇制という政体としての制度ではなく、日本․日本人の意識を貫いているイデオロギが存在していることを明らかにしている。
本研究では在日済州人の企業家をより一層明確に捉える必要があるため、日本の社会でホテル業と遊技業を経営しながら済州地域の観光開発と教育発展、そして社会事業などに貢献した東泉金坪珍の経営精神と社会的貢献などを考察してきた。本研究の結果を要約すると、次のようである。 第一に、金坪珍は日本の社会で金海商事(株)などを経営しながら在日済州人の資本を形成し、企業の社会的貢献をした企業家である。第二に、金坪珍は済州道における最初の済州観光ホテルを初めとして西帰浦観光ホテル、ハネムーンハウスなどを建設して済州地域の観光開発に寄与してきた。第三に、金坪珍は経営難で廃校の危機に瀕していた済州女子学園の経営を引き受けて女子教育の発展に大きな役割を果たしてきた。第四に、一九七七年から二○○五年まで済州新聞社の会長に就任して近代的な施設を備えるなど済州道の言論分野の発展に寄与してきた。第五に、金坪珍は韓人経済の影響力を拡大しながらホテル業および遊技業に進出して莫大な資本を形成し、地域社会発展に大きな貢献をしてきた。第六に、金坪珍は初志貫徹, 時間嚴守, 信用第一主義などの経営精神に基づいて金海グループを経営してきた立志傳的な人物である。 以上のように、金坪珍は日本の社会でホテル業と遊技業などの経営活動を遂行しながら済州地域の観光․教育․言論など、多分野において済州地域の社会発展に多大な貢献をしてきた企業家といえる。
本研究の目的は、日本人の外食消費行動の特性を把握することにある。調査資料は、日本の福岡県内の成人を対象にして、2009年5月1日から6月30日までアンケートを実施した。分析に用いた資料は総341部である。統計分析はSPSS 12.0 WINプログラムを使い、関連変数については平均、標準偏差などを算出し、食生活習慣、消費者満足及び再訪問意図を調べるため、T-検定とF-検定を実施した。 研究結果を要約すると次の通りである。 1、一般的な外食行動の特性をみると、主に訪問する外食業體は伝統的な和食屋を訪問する応答者が多かった。外食のきっかけは家族とともに楽しい時間を過ごすための回答が一番多かった。外食の情報源は友達、家族、まわりの人々を通じてがもっとも多かった。また、30代はファーストフードを求める人が多かった。既婚者の場合、主に家族と一緒に外食する人が多かった。 2. 食生活の習慣では一番高い点数をとった項目は味に拘るか栄養を考慮した食べ物、微細な味の差を感じること、ダイエットのための食生活をするなどである。性別による差異分析では女性の場合、栄養を顧慮した食生活、ダイエットをするための食生活をする応答者が多く、男性の場合、 朝食をパンにするか、ハンバーガを食べることが最も多かった。未婚者の場合、和食より洋食を好むか、ハンバーガを食べる人が多かった。 3. 消費者の満足については、食事後の正確な計算、冷暖房の提供、サービスの提供などの項目で一番点数が高く、飲食提供の時間、または飲食の味などについては点数が一番低かった。 4. 再訪問の意図を見ると、飲食の味が良いか、信頼できるか、または値段が安いの項目で点数が高かった。また、飲食の味に対する満足、従業員のサービスの良さによる項目については女性の場合、平均点数が最も高いに対して男性の場合、周辺の行く食堂がない項目において平均点数が最も高くなっている。 本研究の結果は、韓国で日本観光客を対象として外食業體が顧客が満足できるようなサービスの品質を開発した上での基礎資料として提供し、寄与することと考えられる。
日本型イノベーション戦略の探究 ― 持続可能な社会構築への科学政策 ―
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.359-375
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本論は、日本国の「科学政策の検証」に焦点を絞りつつ、日本国の新成長戦略である「環境․エネルギー分野:①「環境未来都市」への集中投資、②次世代自動車の普及促進」における試算市場規模50兆円超(2020年まで)への展開を踏まえながら、ベスト․プラクティス(best practice)としての米国ゼネラル․エレクトリック(GE)社の「リバース․イノベーション(reverse innovation)」戦略を基軸とするオープンイノベーションに論究するものである。
후쿠자와 유키치『장합지법』이 일본 근대복식부기 형성과정에 미친 영향
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.377-391
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この研究の目的は、日本の明治初期の近代化過程において、福澤諭吉により1873年に出版された『帳合之法』を検討し、その内容と意義、会計史的影響を明らかにすることにある。帳合之法は、Bryant and StrattonのCommon School Book-keeping (1871)を翻訳․出版した日本初の西洋式簿記書である。そして、これまで日本では会計の単なる技術的テキストよりも、複式簿記の導入に革命的な影響を与え、特に商家の経営に必要な記帳法を実学として啓蒙したという点で高く評価されてきた。この研究は帳合之法のもつ意義を多様な文献を通じて再検証し、韓国での具体的な紹介を図っている。またその研究の結果は、次のとおりである。 帳合之法は虛文空論な従来の学問を強く批判し、実学としての簿記の必要性とその内容を具体的に紹介したことはもちろん、その技法が日本の商家に容易に適用できるよう翻訳し、福澤自ら教育に携わって簿記の普及と啓蒙に全力を尽した点は確にその先駆的な役割を果す優れたものとして評価されるべきであろう。さらに明治初期と戦時にかけって大陸型会計思考の根幹をなす『銀行簿記精法』とともに、英米型の日本近代簿記制度が形成される出発点として作用するなど、会計史的側面からもつ意義は大きいと思われる。ただ、この評価があるにも拘らず、帳合之法に次のような問題点があったことは極めて残念であると言わざるを得ない。①誤訳の存在、②自ら苦労して作った翻訳用語のうち多くの部分が現在まで継承されず、③原著で最も重要なものとされた複式簿記部分を省略されている。
最近、企業社会では企業の否倫理的な行動に関する関心が高まっている。これまでの社会では、人間の倫理的な行動には関心が高かったが、企業の否倫理的な行動にはあまり関心がなかった。しかし、今日、企業は資本主義経済の重要な経済主体者である。したがって、企業に関する研究は多方面の視点で行われる必要がある。企業倫理の研究が最初に始まったのはアメリカのロッキード事件からである。アメリカでは、この事件をきっかけに1976年“海外不敗行為に関する(ForeignCorruptionPracticeAct)”が制定され、また、1999年2月15日には、OECDによる“国際取引において海外公務員収賄防止協定”が制定された。 一方、この時期、ロッキード事件の舞台となった日本においては企業倫理に関する関心はあまりなかった。日本において企業倫理に関する関心が高くなったのは1990年バブル崩壊以後である。バブル崩壊以後、日本の銀行及び証券業界による否倫理的な問題が社会問題になり、これをきかっけに日本では企業の否倫理的な行動に関する関心が高まったのである。 これまで、日本企業の目的は経済的な達成が第1次の目的であった。結局、目的の達成のためには否倫理的な行動を行ったとしても批判するよりむしろ経済的な評価が多かったのである。つまり、経済的な目的を達成するためには否比倫的な行動であっても、企業が社会のための徳目であると認識していたのである。しかし、最近ではこの問題に対する社会的な見解が異なっている。例えば、1993年商法改正には、企業のために行った行動であっても、否倫理的な問題に対しては個人にその責任を問うこととなった。 本研究では、企業の倫理的な観点から日本企業の事例を中心に、問題点を探ってみることにする。
日本統治時代의 朝鮮殖産銀行과 朝鮮金融組合連合会에 관한 연구
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.405-433
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日本の植民地統治時代に植民地統治手段として、朝鮮殖産銀行と朝鮮金融組合連合会を設立するようになる。そして、日本資本主義は、この両金融機関を国策遂行機関として大いに活用するようになった。当時、日本資本主義が朝鮮から中国大陸へ膨張するために、朝鮮における大陸前進兵站基地を構築するようになるが、それに焦点をあわせて、両 金融機関を最大限に利用していたのである。従って、本稿の目的は、日本資本主義が朝鮮殖産銀行と朝鮮金融組合連合会を、日本の国策遂行のために、いかなる過程と方法で動員され、国策遂行の役割を果たしていたか、などを考察することである。そして、日本植民地統治の展開過程における政策面と実際面を分析して植民地統治の性格と形態を究明するようになる。
국내 보험사의 신성장 동력 확보 방안 ― 일본 보험사의 상품 및 부가서비스 전략을 중심으로 -
한국일본근대학회 일본근대학연구 제30집 2010.11 pp.435-456
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最近国民の生活水準が大いに向上され, 顧客のニーズも次第に多様化·高度化して過去のような安易な商品開発の姿勢では顧客の保険商品及び付加サービスに対するニーズを満足させることができなくなる. 特に世界で最も急速な高齢化が進んでいる韓国においては今後老後の疾病を保証する健康保険商品に対するニーズが持続的に拡大される見込みである. 従って最近韓国の保険業界にとってはこうした多様な顧客のニーズを十分に反映できる差別化された新商品の開発の必要性か強調されている. 最近日本の保険会社は高齢化の進展, リスクの大型化·多様化, 顧客ニーズの変化等に対応するために, 新商品及び付加サービスを積極的に開発し, 提供している. 保険と金融融合型の商品, リスクに応じた自動車保険商品, 既往症の顧客向けの健康保険商品等を提供している. また差別化された健康管理及び医療サービスを提供することにより, 既存の顧客の満足度向上と潜在顧客の誘因を図っている. 本研究では, 最近日本の保険会社が開発している商品及びサービスの開発動向を分析し, これをもとに韓国の保険会社の商品開発の現況及び問題点を検討し, 新しい成長の動力を探るための方案を提示した, 今後韓国の保険会社は顧客ニーズの変化を迅速で明確に把握して, 多様な商品と付加サービスを積極的に開発すべきである. このためには危険率統計の蓄積, 専門人力の拡充等を積極的に図るべきである.
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