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한일 유행가의 찬미를 나타내는 어휘고찰 - 1925년부터 1960년까지를 중심으로 -
한국일본근대학회 일본근대학연구 제20집 2008.05 pp.6-19
※ 원문제공기관과의 협약기간이 종료되어 열람이 제한될 수 있습니다.
本稿は1925年から1960年までの韓國と日本の流行歌の主題の中で、讚美を表わしている語彙の特徵と變化の樣相を比較考察して、兩國の流行歌に表れる語彙固有の特性を調べてみた。本稿で明らかにした韓日兩國の流行歌の中で讚美を表出する共通の語彙は「恋․自然物․人物․靑春」などで、本格的な西歐化前の1945年以前の語彙には自然と國土に対する讚美が多かったことが分かる。日本は韓國に比べて讚美を表わす流行歌の度數も高く、讚美の對象の種類もずっと多樣である。これにも止まらず表出の方法に置いても日本がより自由であった。 さらに、日本の側は讚美の對象の種類と数が韓國よりずっと多樣で、後期には本格的な西歐化に従って西歐の文物に対する禮讚と憧憬などが表出されている。特に、前期の15年間に渡り続けた戰爭の餘波で男性に対する高い依存度を見せていて、後期には敗戰で生活が窮乏した現實から離れた華やかな女性に対する禮讚が多かった。韓國の場合、日帝の强占で抑壓と統制、南北分斷の下で流行歌が歌われたので「청춘․봄」などに対する隱喩的な禮讚と渴望が多く表出されていることが分かる。これは時代による流行歌の語彙の變化樣相が植民地の宗主國である日本と被支配國である韓國の現實が流行歌に反映されたことを意味するのであろう。このように流行歌は當時の時代的な政況 と共に直接的で具體的に現實を反映していることが確認できる。 今後、1960年以後の後續の硏究とし、韓日兩國の流行歌の語彙の類似點と相異點をもっと具體的 に明らかにしたい。
한국어 ‘바리(bari)’와 일본어 ‘ぱり(pari)’에 대한 고찰
한국일본근대학회 일본근대학연구 제20집 2008.05 pp.19-34
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接尾語 ‘바리(bari)’は ‘악바리(acbari)’, ‘군바리(kunbari)’, ‘학바리(hakbari)’などの語彙を作っている。濟州の方言である‘비바리(bibari)’もこの範疇に属する。一方、日本語の中でも‘바리(bari)’ と音韻と意味が似ている‘ぱり(pari)’が接尾語として使われている。‘바리(bari)’はもとより人を表す普通名詞から派生して接尾語の機能を持つようになり、その意味としては‘虎’を意味する‘두루바리(turubari)’,魚の一種類である‘다금바리(takeumbari)’などとしてその意味領域を拡げて来ている。男寺黨(namsadang)の一員である‘삐리(piri)’はこれという技術を持っていない初心者の呼び名である。日本も同じく‘びり(biri)’は伝統劇である歌舞伎でろくな技を持っていない初心者を表す。このような類似性からも共通の語源として考えられる十分な理由があると思う。‘바리(bari)’に似ている語としては‘바치(bachi),‘바지(baji)’, ‘삐리(piri)’などがある。こういう言葉はすべて人の意味を持っている。日本でも‘ぱり(pari)’とにている‘はり(hari)’,‘ばり(bari)’も人の意味を持っている。名詞‘ひと(hito)’と動詞‘はる(haru)'も‘바리(bari)’, ‘ぱり(pari)’の共通語源である‘piri’から出たものと考えられる。
대학교양일본어 수업의 개선방향에 관한 연구 - 교재분석을 중심으로 -
한국일본근대학회 일본근대학연구 제20집 2008.05 pp.35-57
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本稿は韓国の大学における教養課程の初級日本語の授業の改善のため、一部の大学で用いられているテキスト分析を行ったものである。分析対象の中には日本で作られた教材と韓国人の著者により書かれたものが混じっている。学習環境の違う日本で作られたものは学習者に混乱を与える可能性がある反面、日本の日常生活を知ってもらうためには役立つ部分もあって、教える側の配慮が必要であると思われる。程度の差はあるが韓国人の書いた教材の場合全体的に教授内容が多いことがわかる。そのため語彙の数が多く、中には1、2級の語彙が23%も出ているのもあった。文型の提示順もまちまちで、一部の教材の場合、文型を提示しただけで何の練習もなく終わってしまう例もあった。これからは大学の教育課程にあわせた教材の開発が必要であると思われる。
形式名詞「こと」「もの」「の」のそれぞれの意味․用法を調べ、類似点と相違点を分析・検討し、また、それらの機能を比較〮・対照して、混用できるか、できないかなどについて考察し、その使い方を明らかにして見ようとした。「こと」の意味・用法では、命題的な用法、実質名詞の代用法、体言化の用法、慣用的な用法、類似な接続助詞の用法である。そして「もの」の意味・用法では、実質名詞の代用法、体言化の用法、抽象的な概念の用法、類似な接続助詞の用法である。「の」の意味・用法では、「こと」「もの」の意味のだ代用法、「の」の独自な「の」、また、命題的な内容・具体的な内容の用法である。「こと」と「の」が混用できる場合には、真偽・可能性を表す述語が対象になる場合、評価・感情的な判断・品定めを表す述語が対象になる場合、思考を表す述語が対象になる場合、感情の意味を表す述語が対象になる場合、命題的な内容、文・句の体言化の機能に使われる場合などである。でも、「こと」しか使えないこともある。「AはBだ」の構文でB部分のように述語に使われる名詞節の場合や命令·要求などを表す述語が対象になる場合である。なお、「の」しか使えない場合には、直接的な概念を表す述語が対象になる場合と具体的、進行中の事柄を表す述語が対象になる場合である。「もの」と「の」の混用の関係には、実質名詞の代用法で「もの」と「の」が代用する実質名詞が「特定的」、「一定的」、「個別的」な場合と具体的な個体を表す時に混用できる。一般的なことは「もの」、選択的・個別的なことは「の」をもって使い分けられ。「こと」と「もの」の混用の関係は、「こと」と「もの」は系列的な意味関係として、混用できない固有な意味の領域を持っている。実質名詞の代用法で抽象的なことは「こと」、具体的なことは「もの」で使われる。また、体言化の用法で名詞は「もの」、他の先行要素は「こと」に体言化する。「~ということ」、「~というもの」の文型で、その意味するのが思考の対象な「こと」、具体的、感覚的な対象なら「もの」が使われる。 「こと」「もの」「の」が韓国語の「것」に対応し、母国語の干渉のため、発生する紛らわしさを指 摘·強調し、また、「こと」が漢字「事」,「もの」が「物」にあまりとらわれないのが重要であると思 われる。
日本語のやりもらい動詞の構造 - 元になる文との関係から -
한국일본근대학회 일본근대학연구 제20집 2008.05 pp.75-86
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本稿では今までの「やりもらい」研究が視点性に偏っていたのと研究方法を異にし、やりもらい文を構文的に考察することによって、やりもらい文の構造、授与態と受益態の構造を統一的に説明することに目的がある。まず元になる文がヲ格とニ格の動作対象への働きかけの他動詞構文に「やりもらい」動詞が結合すると、ガ格の動作主体が利益主体となり、ヲ格およびニ格の動作対象が利益対象となる構造となり、このタイプのやりもらい構文を「直接のやりもらい」構文に分類した。またノ格の動作対象のヲ格とニ格の部分への働きかけの他動詞構文にやりもらい動詞が結合すると、ガ格の動作主体が利益主体となり、ノ格の動作対象が利益対象となる構文を「持ち主のやりもらい」構文に入れた。さらに元になる文が自動詞文であったり、物や事柄への働きかけの他動詞構文で、動作対象を持たない構文がやりもらい動詞と結合して新たに利益対象が加わることになると「第三者のやりもらい」構文として分類した。「第三者のやりもらい」において新たに加わる利益対象は授与態では「ノタメニ」で示される人物で、受益態ではガ格で示されることになる。特に第三者の受益態でガ格で示される利益対象はニ格の動作対象に行動を指示する依頼主としての性格をも合わせ持っていることを明らかにした。
中世において多様な存在形態をなしていた女性の実態を妻‧母という限定された局面でのみ理解することになりやすい。というのは、家族に抱合され妻‧母としての地位をもった女性の研究から明らかになる女性像は中世女性の一部であって、すべてではないということを意味する。中世社会においてはさまざまな形で存在した家族‧世帯を形成しなかった、言わば中世女性史の周辺的部分を形成した女性の在り方を解明することは家族中心に行われてきた中世女性史の全体像を見直して見るということで、本稿では家族内的位置づけから排除された女性を考察の対象にしようとする。大きく尼僧․遊女․巫女などが挙げられるが、まずは尼について検討することにし、特に今回は尼は女性であり、女性と仏教という課題を取り上げる上で尼に対する第一の考察として「出家の諸形態」について検討してみる。女性出家の諸形態を大別してみると、女姓自身の老․病․死に関わる現世及び來世の救いのための延命․臨終出家、夫․子供․主君などの死者供養のための出家、職業的な比丘尼となるための幼年出家などがあり、離婚としての出家などもあった。此の他にも刑罰としての出家、勘当後の身の処し方としての出家など、多種多様な契機や事情があったわけである。このような出家原因の基本的枠組みは、古代と変わらないものが多いのも事実であるが、中世的な特徴をいくつか挙げてみると次のようである。 まず、中世では来世を考え仏教的な環境の中で晩年や最期を迎えることが古代以上に一般化していた。このために老若․貴賤を問わず、死を予感した人々は出家を志し、男は僧、僧は尼としての法名を豫め得る出家を遂げて死を迎えることが増加している。つぎに子の増加のため、出家と婚姻や家政とのかんけいが、古代ほど厳密に解決されなくなったことも特徴の一つである。そして、夫の菩提のために出家したり自分の延命のために出家した尼が、その後も家政に携わることが多くなっている。また婚姻関係においては、夫生存中の妻の自由出家は婚姻の解消となるが、夫死亡後の夫の菩提供養の出家は婚姻の解消とならず、妻の夫方への帰属を継続させることに繋がると考えられる。さらに、僧におけると同様に幼年出家が尼について増加し、職業的な尼の存在が家族や社会に一定の役割を果たすようになったことも、その特徴の一つであろう。
近代作品に現れた女性の自我 - 韓・日 女性作家の作品を通じて -
한국일본근대학회 일본근대학연구 제20집 2008.05 pp.103-116
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本稿では、韓・日の近代女性作家の作品を通じて女性の結婚がどのように作品の中で描かれたのか、そして描かれようとしたのかを二つに大別して調べた。 まず、『疑心の少女』のカヒの母、『ある少女の死』の明淑、『しろばら』の光子ら女主人公が自殺してしまう結末は、親の命ずるままに嫁がねばならなかった不合理な結婚制度と、女性にただ忍従を強いる世間への批判がここに表現されている。言い換えれば、自我を求めた女性は作家によって殺されるしかなかったのだとも言えよう。もう一つは、『瓊嬉』の瓊嬉と『伸子』の伸子のように自分が置かれた不合理な環境を拒んで抵抗する姿が見られるケースである。ここには女性自身が結婚の主体者であることを認め、自分が願うとき、自分が願う人との結婚を望む自由な結婚観を形象化した姿が見られる。つまり女性の自我意識の発露には、この様に作家によって殺される方法で表現するしかない限界を持ってた考え方と、現実をより客観的に把握しながら積極的に生きている主体的女性を描く考え方がある。そこには、女性問題を作品の中に積極的に取り込み、その事によって否定的な現実を告発し、改善しようとする意志と、作品のモチーフとして女性の存在を浮き彫りにしようという努力が読みとれる。
This research aims to examine the Japanese preference of pattern by analyzing characteristics of patterns having emerged in Ukiyo-e, a culture of cho-nin that has made a broad impact on art and culture in the Edo Era, in conjunction with social, cultural, and ideological backdrops of the then masses. The methodological approach to this research generally relies on referring to numerous domestic and international literatures on Ukiyo-e including books and periodicals, written and pictorial archives mainly from the National Diet Library in Japan, and reliable websites concerned with the Japanese culture. This research focuses on the Edo Era (1600~1868) and its subjects to be dealt with include drawings illustrating red-light districts and the masses in the early and mid-Edo Era, and Kabuki performers in the late. It looks into features of Kosode pattern by categorizing it into the natural, geometrical, theatrical pattern, and multiple one respectively. In addition to this, in order to grasp the applicability of these patterns to Ukiyo-e, this research examines the then trendy and preferential patterns by analyzing frequently-used patterns and ways of their composition as well as expression.
東アジア植民地における日本宗教の「近代」 - 植民地朝鮮における 日本仏教(浄土宗)の社会事業を事例として -
한국일본근대학회 일본근대학연구 제20집 2008.05 pp.135-155
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本稿は、日本仏教の「近代性」を、植民地朝鮮という「場」において、日本仏教が行った「社会事 業」に焦点をあてて再検討する試みである。日本の仏教(とくに浄土宗)が植民地朝鮮においていかな る「社会事業」を行い、その活動の根底に見出される「近代性」に注目することである。従来の日本 仏教の「近代」をめぐる研究動向は、各宗派によって歴史的意味に差がある「近代」をめぐる多様な テーマを一般化し、ある一宗派に適用し分析することで日本仏教の「近代性」を論じてきた。このよ うな先行研究の限界を指摘し、まず日本仏教の「近代」を問う共通基盤として東アジア植民地という 「場」を提示した。そして、東アジア植民地を舞台とした日本仏教の活動から、日本仏教の「近代 性」を論じた。
本稿は、開化から植民地朝鮮に至るまで、朝鮮社会が認識していくネーション像を検討して、1920年代の「民族改良主義」の論理を論究している。とりわけ、「民族改良主義」の論究にあたり、独立運動を前提とする「民族主義」の視点ではなく、ネーション認識を根幹とするナショナリズムの視点から、その論理を把握しようといていることに一特徴がある。なお、1920年代に展開している「民族改良主義」の論理を検討するために、本稿では、時代を遡る逆行の方法を取り入れている。つまり、国家存亡の危機に瀕していた開化期から国家消滅の植民地朝鮮に至るまでの、時代認識を把握することによって、朝鮮社会の時代認識とネーション認識過程におけるメカニズムを検証しようとしたのである。その意味で、本稿は、植民地朝鮮社会におけるナショナリズムを解明してはいないものの、それを理解するための試論としての成果は挙げている。つまり、1920年代における朝鮮国内の思想体系を、独立運動を前提とする「民族主義」ではなく、ネーション認識を根幹とするナショナリズムとして把握していく方法論的転換は、植民地朝鮮社会を貫くナショナリズムを理解するための大きな一歩になったと思う。しかし、植民地という特殊状況の下で形成されているナショナリズムであるだけに、植民地状況を克服するために展開している論理の、全面的で且つ綿密な検討を要するものの、本稿では、そこまで至らなかったのである。なお、この課題は、朝鮮社会の植民地史の全体像と深く関連している点でもあるので、更なる考察を要する。これらについては、今後の研究課題としたい。
『오후데사키』와「코오키」의 질병치유 - 근대천리교질병치유의 전환점에 착목하여 -
한국일본근대학회 일본근대학연구 제20집 2008.05 pp.175-192
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明治七年を中心にして、天理教教祖中山みきが積極的に信者たちにひろげた「話一条」、すなわち神による人間と世界創造の話に対して、これまでは教義・教理の体系化過程という側面のみで捉えられてきたが、それは積極的な教義・教理の伝授のみをその目的としていたのではなく、「病気直し」の手段として創出されたものとして実際の「病気直し」現場でも広く用いられていた。そして「話一条」は近代権力による天理教に対する抑圧に対応する過程で、「病」に関する観念が前近代的な「病」観念から脱皮し、また、近代的「病」観念とも対峙する形態に転換される、近代民衆宗教の「病気直し」における質的変換という意味を持つ。 天理教の「話一条」が近代権力との関連で発見されたこと、そして近代の中で最もその影響力が発揮されたことは、それが「呪術的・前近代的」なものという眼差しで片付けられることのできないものであることを示唆する。その意味で近代民衆宗教の「病気直し」に対する詳細な検討が、今日の民衆宗教史研究に要求されている。
한⋅일 사생관 연구의 현황과 과제 - 인터넷 검색 자료의 조사⋅분석을 통하여 -
한국일본근대학회 일본근대학연구 제20집 2008.05 pp.193-213
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本稿では死観について(本来は死と生の問題であるが)、死の問題に重点を置き、どのような議論や硏究があるのか、また、今後の課題は何かを考察していきたいと思う。硏究方法としては、韓國での研究現況を考察するために、韓國敎育学術情報院(KERIS)の學術硏究情報サービス(RISS)に登錄されている死に関する、現在まで発表された様々な學術論文を調査⋅ 分析した。日本側の論文は、日本国立情報学研究所(NII)の学術コンテンツポータル(GeNii)での論文情報サイト(Cinii)と図書⋅雑誌情報サイト(Webcat Plus)に登録されている論文を検索し調査⋅ 分析を行った。 その結果は本文の中で表にまとめている。ここから筆者は日韓における死生學硏究の重要課題を三つに要約してみたい。1. 死生學という學問の早期定立、用語統一。2. 生と死の意義は何かという疑問から死生學は宗敎學と密接な關係があるので、宗敎の役割に関する再定立が必要であること。3. 教育系、宗教系、哲学系などが連携し正しい死生観のための教育システムの構築が必要。4. 学際的立場から死生學という學問に関する問題を解かなければならないこと。
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