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비교일본학 [Comparative Japanese Studies]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한양대학교 일본학국제비교연구소 [Global Center for Japanese Studies]
  • pISSN
    2092-5328
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1993 ~ 2025
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 309 DDC 300
제24집 (7건)
No
1

5,700원

This peper aims to explain how to find a clue about differences between men and women in colloquial language in Japanese. We will examine the definition between men and women in terms of different expressions based on the past studies, the suffixes being used by different genders, and people learning Japanese or native Japanese speakers’ awareness of recognizing different genders. We can find the current usage of suffixes by different genders is differ from the past studies, a reduction of language of different genders, and a reduction of female language in women. The current Japanese native speakers are more likely to share the same suffixes. The suffixes being used in textbooks are almost the same as the past studies which are traditional and stereotype. And the suffixes being used in TV drama and novels tend to have the both traditional and current usage of the suffixes. Yet, those suffixes being used in textbooks, TV drama, and novels are fairly different from an actual conversation. However, it is necessary to take attention to the meaning and function of the suffixes being used in TV drama and novels because these suffixes are actually being heard in real life.

2

4,500원

本稿では、独和軍隊用語辞典が先行する一般独和対訳辞典から受けた影響に ついて考察した。考察の結果をまとめると、以下のとおりである。 一般独和対訳辞典であるⓐ, ⓑの訳語と、独和軍隊用語辞典である①, ②, ③, ④の訳語が一致するのは42例あり、①を除いた②, ③, ④の訳語と一致するのは 30例が見える。これを通じて一般独和対訳辞典の訳語が独和軍隊用語辞典へ与え た影響が相当大きかったことが分かる。 また、独和軍隊用語辞典でⓐの訳語とは一致しないが、増補改訂版であるⓑ の訳語とは一致する場合が19例ある。新たに増補されたⓑの訳語を独和軍隊用語 辞典で取り入れていることに意味がある。一般独和対訳辞典のⓑが後続する独和 軍隊用語辞典へ与えた影響がけっして小さくなかったことがいえる。

3

5,200원

本研究は、近代日本語における性差研究の一貫として、とりわけ明治30年代小説の性 差について、役割語の観点から考察したものである。 現代日本語における性差表現の源流の姿を、明治30年代の女性の言葉づかい、いわ ゆる女学生ことばお嬢様ことばと男性語の重要な基盤の一つである書生語か ら見ることができる。そこで、本研究では、これらの言語表現の研究に好条件を備えた資 料である内田魯庵著社会百面相明治35年、東京博文館)を役割語という観点から考 察する。考察の結果、次のようなことが分かった。 役割語度の高い一人称代名詞には[我輩、おら、おいら、おい、わし、わっし、手 前、拙者]などがある。また、役割語度の高い文末表現形式の場合は、[ござる、でが す、でげす、でごはす、ござんす、まする]などがある。これらの形式は性差マーカーとし て男女によって、使い分けられており、使用領域が狭かったことが分かる。一方、役割語 度の低い[わたくし、わたし、ぼく、おれ]や[ぢゃ、です、ございます]などは使用領域が広 く、明治期の一人称代名詞や文末表現形式の根幹を形成し、現代日本語に続いている。 また、二人称代名詞の場合は、相手との上下関係、親疎関係などの人間関係と密接に関 連しており、役割語という観点からは説明することが難しい。 感動詞、終助詞などいわゆる情意表現は役割語度が低いものが多い。これらの役割語 度の低い語彙は現代日本語まで続いていたことが分かる。役割語度の高い感動詞として、 女性専用のおやああら、男性専用の「おい」「やあ」がある。終助詞「てよ」「こと」「のよ」などは「女学生ことば」「お嬢様ことば」の役割語として考えることができ る。一方、接頭辞「お、ご」と敬語動詞、敬語形式、漢語、外来語などは男性語、女 性語の役割語としての機能を果たしていない。 以上、明治30年代の小説「社会百面相」を役割語という観点から考察した結果、上層 階級(貴婦人、女学者)、学生、書生、老人(古物家、老俗吏)などは明らかな性差が確認 できた。そして日本語の人称代名詞の大きな変化の転換期は、明治30年代であったと言える。

4

5,400원

私小説1)は日本で生まれた小説の一形態である。その起源は自我について悩む 西洋の近代文学にある、或は自身の日常を記述する日本独特の日記文学にあると されてきたが、未だその決定的な理論は確定されていない。また今まで私小説は 日本文学か日本文壇にしか存在しないものとして認識されてきたのだが、これも 事実とは違う2)。本稿では日本ではない韓国に存在する私小説の具体的な類型と 内容を紹介し、韓国の私小説を通して韓国の近代文学史に位置するが、1945年の 独立の後、隠蔽されてきた文学た文学の現状について検証を試みる。

5

일본문학과 한단(邯鄲)고사 수용의 양상

김영철

한양대학교 일본학국제비교연구소 비교일본학 제24집 2011.06 pp.75-91

※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

5,100원

日本文学で邯鄲故事があらわれたのは太平記が最初であるが、文学の世界 に大きく影響を及ぼしたのは謡曲の邯鄲を待たないといけなかった。以後、 近世の平和な時代の庶民文化には、遊興の世界を憧れて邯鄲故事のような夢を見 る、近世的な遊興の悟りを表現する方法として、邯鄲故事の夢の構成が盛に使わ れる。もはや、近世の文学では夢の悟りが儚い栄華を悟らせる意味より、楽しい 遊興の世界に憧れる町人たちへの遊興への案内書のような表現として夢の中の 栄華な遊興が構成されるわけである。そして、近代以後の文学では教訓的な夢の 悟りを裏返しにした逆説的な行動をとる人物達があらわれることになる。

6

5,800원

本稿は1910年代から1940年代まで中国に出かけた木下杢太郎、芥川龍之介、小林 秀雄を取り上げ、彼らが中国の古跡をどのように表象したのかを明らかにすることを 目的としている。木下杢太郎は1916年9月から満州の南満医学堂の教授と奉天病院皮 膚科に就任し、1920年7月の辞任するまでおよそ4年間を満州の奉天に滞在しながら中 国各地を旅行した。芥川龍之介は1921年3月下旬から7月上旬まで大阪毎日新聞の 海外視察員として上海,江南,長江,廬山,武漢,洞庭湖,長沙,大同,天津,北京などを訪問し た。なお小林秀雄は1938年3月27日から4月28日まで文藝春秋社の特派員として中国戦 線に渡って上海、杭州、南京、蘇州を見回った。以後1944年まで6回も朝鮮、満州、 中国に出かけている。 この三者は中国の古跡や名勝地を見物しているものの、一方的な他者認識だけで 中国の古跡を見物しているわけではない。木下杢太郎は中国の文化遺産を眼の前にし てエキゾチックな眼差しを向けられていたが、岡倉天心のように日本文化を中心とす る東洋を再発見する姿勢に移る。芥川龍之介は現代中国に対して不潔さなど で嫌悪感をあらわし、古跡を訪ねては近代の文明批判に一貫した。その一方では、中 国の古代遺跡から詩的感興に浸れるが、それについてはスケッチ風の記録しか残って いない。小林秀雄は中国の名勝地にわざわざ足を運んでいるにもかかわらず、異国情 趣も詩的感興も覚えていない。日本の文化遺産より退廃したものとして中国古跡を捉 える。それを廃虚の場として表象し、そこから日本の古代文化を顧み伝統と歴史 を回復する道を辿っている。近代日本の文学者に映った中国古跡は日本を再認識 させられるものであったと言えよう。

7

5,200원

この論文は、舞踏会の中の火花の美学を通じ、芥川龍之介が追求し た美の具体的な属性と意味を確認することで、芥川に対する芸術至上主義(作家) 論へ一抹の補正を加えることを目的とする。芥川に対する芸術至上主義(作家)論 は、芥川が求めた美の具体的な属性に対する考察を欠いているがため、芥川文 学の思想性を否定する結果を招き、よって芥川文学の正当な価値を評価し得て いないと思われるからである。 舞踏会の火花の美学からは、芥川が文学を通じ追求した美が、人間の 自我の発現により存在の意味と価値が証明される瞬間の歓喜と感動の光であっ たことが確認できる。また、芥川はそれを真の幸せであり人生の価値であると 信じ、人生の有限の運命を超越して永遠に触れる神聖で美しい存在の輝きとし て表現しようとしたことが分かる。これは、芥川の芸術至上主義が、近代の自 我思想に基づいていることを意味する。 従って、芥川の芸術至上主義(作家)論におき、芥川が追求した美は空虚で無 意味なただの感覚的、形式的美ではないこと、むしろ芥川は人間の自我の発現 による存在証明を人生の唯一の価値と信じ、これを美的感動を以て伝えようと したことは改めて強調されねばならない。また、彼が超越しようとした善悪 は、社会の権力と秩序を維持するために人間の自我を抑圧し歪曲する差別的価 値体系としての道徳であったことも明確にせねばならない。さらには、芥川の 人生の敗北の原因を、人間性や倫理を無視したがための人格の崩壊からではな く、人間の自我を抑圧する社会的、時代的権威との戦いにおける敗北から、あ るいは、彼が信じた唯一の価値であった人間本来の自我への信念の瓦解から考 える視覚が求められると言える。

 
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