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日本思想 [일본사상]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본사상사학회 [Korean Association For Japanese Thought]
  • pISSN
    1229-9235
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1999 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 철학
  • 십진분류
    KDC 153 DDC 181
제20호 (11건)
No
1

5,800원

1960年、フランスのガリマール(Gallimard)出版社が「世界の哲学者たち」を出版するに際してメルロー=ポンティに依頼した序文のタイトルは「どこにでもあり、どこにもない」であった。彼はそこで「哲学の中心はどこにでもあるが、その周辺はどこにもない」と述べ、東洋哲学をはじめとする哲学的地域性に対する自身の立場を表明した。つまり彼は、西洋哲学も原理的には西洋という一つの地域で展開された地方的思想の一つに過ぎないと見るのである。それにもかかわらず、今日多くの西洋人たちが東洋思想よりも西洋哲学が普遍性を持っていると考えるのは、それが他の文化と思想を評価する義務と権威を付与する普遍的真理という概念を発明したと信じているからである。また多くの人は、そのことによって西洋哲学が、特殊性や地方性から脱し、他の文化と思想を測定する基準計としての普遍性を持っているとも信じている。しかし、メルロー=ポンティの考えは異なる。なぜなら彼は、西洋哲学が東洋哲学の基準計としての普遍性を持ったという事実を、未だ客観的に証明し得なかったと考えるからである。西洋がそうするためには、何よりも自身の唯一絶対の意味を、事実に依拠して立証しなければならないというのである。彼は「哲学者というものは須らく、良心に恥じることなく自身の思考の絶対的根源性を誇示したり、世界的所有権や概念の厳密性を詐称したりしてはならない」と主張する。結局彼は、危機に直面した西洋の知性は、その克服の端緒を東洋思想に求めるべきであると忠告する。彼によれば「東洋の文明は西洋のように哲学的、経済的装備を持ってはいないが、少なくとも一種の教育的価値を持っている。かえってわれわれは、非常に遠く離れている多様な人間性から『実存の諸領域』を再び発見することになる。……東洋と西洋の関係は、決して無知/知、非哲学/哲学の関係ではない。それはもっと微妙な関係である。東洋の立場からいえば、そこには一切の予見(anticipations)、すなわち早熟(prématurations)があるかも知れない」というのである。実際、世界の哲学は、東西洋が互いに決して同一ではないという事実だけでも豊かになることができる。東西洋の哲学が互いを映す反射鏡(speculum)の役目をするだけでも、盲目と偏見を防ぐことができる。しかし、独断の世紀を超えて哲学にゆだねられた課題は、差異を認めることとか、尊重するとかいった消極的な和解ではない。真の和解のために必要なものは、差別性を認め、強調することではなく、それらの積極的な綜合と調和である。しかも、今日のように多元化した世界に迫りくる思想と哲学の新しい波(ニュー・ウェーブ)は、西洋の理性と東洋の直感が和合する「創造的総合」の波でなければならない。しかし、すでにデジタル・テクノロジーによって「距離の消滅」(disappearance of distance)がなされた未来の現実では、西洋の理性的優位を強調するための空間的二分法も無意味化するであろう。未来の生活世界は東西洋の空間的区分ではなく、アナログ世界とデジタル世界という二分法に置き換えられるかも知れない。そのために、未来の哲学者たちは東洋と西洋を問わず、今日の哲学者が、アナログ生活構造から強制的にデジタル生活構造へと追い立てられることでこうむっているような「デジタル移民者」(digital immigrants)としての過渡期的混沌を、そしてその克服の課題(対決・和解・綜合)を経験することはもはやできなくなるであろう。遠からず到来する「デジタル原住民」(digital natives)ばかりの世界においては、哲学者も中心・境界・構造の差異と差別を感じられない、無中心・無境界・無構造の哲学時代を迎えることだろう。

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현대일본의 회사종교 : 회사신사를 중심으로

박규태

한국일본사상사학회 日本思想 제20호 2011.06 pp.25-49

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6,300원

버스나 전철을 타고 도쿄라든가 오사카 시내의 도로 위를 달리다 보면 촘촘히 들어선 빌딩 옥상에 도리이(鳥居)와 조그만 신사가 서 있는 것을 쉽사리 목격할 수 있다. 이는 일본 회사의 ‘가미’(神)를 모시는 신사이다. 이처럼 일본의 수많은 회사들이 자기만의 신사를 세우고 정기적으로 회사 임원 및 종업원들과 함께 신에게 제사를 지내는 현상을 어떻게 이해하면 좋을까? 왜 일본 기업들은 그런 회사의 신사를 필요로 하는 것일까? 최대한의 경영 합리성을 추구하는 현대일본의 공공적 기업문화에 사적이고 주술적이며 종종 비합리적, 초현실적인 가미신앙이 모순 없이 결부되어 있는 현상에 접근하기 위해서는 어떤 관점이 필요할까?본고의 목적은 이런 물음들을 염두에 두면서 이른바 ‘회사종교’라 칭할 만한 현대일본사회에 특이한 현상을 분석하는 데에 있다. 즉 본고는 종교로써 회사문화를 설명하는 관점에서 특히 신사와 회사의 관계 유형 및 그 의의를 규명하고자 한다. 이를 위해 이하에서는 먼저 현대일본사회에 있어 고유한 시설 및 장치(조직체계), 성직자나 회사간부에 의해 거행되는 의식(의례체계)이라든가 창업과 회사발전을 이야기하는 고유의 창업자 신화 및 세계관(신념체계) 등을 갖추고 있다는 점에서 하나의 종교시스템이라 할 수 있는 회사종교론에 대해 살펴볼 것이다. 그런 다음 회사종교의 주축을 이루는 신사시설과 관련하여 특히 그 전형적인 사례라 할 수 있는 이나리(稲荷)신사를 비롯하여 다양한 사례들을 검토하겠다. 여기서 ‘회사신사’란 회사가 제사의 모체가 되는 신사를 가리키며, 그 제신은 ‘회사신’ 혹은 ‘기업신’으로 부를 수 있겠다. 끝으로 본고는 업자나 창업자가 신앙하는 신(家神)을 모신 경우, 회사나 공장이 위치하는 지역의 신(氏神)을 모신 경우, 상업신=이나리신처럼 업종과 관계가 밀접한 신(직능신)을 모신 경우, 아마테라스와 같이 국가제사와 결부된 신(국가신)을 모신 경우, 사람을 신(人神)으로 모신 경우 등으로 회사와 신사의 관계유형화를 시도하면서 현대일본사회에 있어 회사신사의 의의에 대해 전망해 보고자 한다.

本考察はいわゆる「會社宗敎」と稱されるべき、現代日本社會に特異な現象をどうとらえればいいかについて問っている。つまり本稿の目的は「宗敎」という概念で會社の文化を說明する觀點から、特に神社と會社との関わり方の類型およびその意義を糾明することにある。具體的に、本稿はまず現代日本社會において固有の施設や裝置(=組織體系)、聖職者とか會社の任員によって行われる儀式(=儀禮體系)、そして創業や會社の發展について語るような固有の創業者の神話および世界觀(=信念體系)などを具備している点において一つの宗敎システムといえる會社宗敎論を検討している。それから本稿はそのような會社宗敎の核心と言える會社神社とかかわり、特にその典型をみせる稲荷神社をはじめ、様々な事例について紹介する。ここで「會社神社」とは會社が祭祀を主管するような神社を意味し、そこに祭られる祭神は「會社神」あるいは「企業神」として呼ばれうる。このような概念的分析をふまえながら、本稿は創業者の信仰する神(=家神)が祀られる場合、會社とか工場の立地するところの神(=氏神)が祀られる場合、商業神である稲荷神のように業種に関連する神(=職能神)が祀られる場合、アマテラスのように國家祭祀と結び付いた神(=國家神)が祀られる場合、人を神として祀る人神信仰の場合など、會社と神社との関わり方の諸類型を參考としつつ、現代日本社會における會社神社の意義について展望していこうとするものである。

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이토 히로부미의 문명론과 한국통치

이성환

한국일본사상사학회 日本思想 제20호 2011.06 pp.51-74

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6,100원

本論文は、伊藤博文の韓国とうち思想の一面を明らかにするものである。彼は統監として韓国統治に当たり、繰り返し韓国の文明化と日韓併合の不必要性を唱えた。最終的には日韓併合論に合流する彼が、こうした言説を繰り返していた理由は何であろうか。まず、韓国統治の効率性が考えられる。日露戦争に際して巨大な戦費を使った日本として財政的に逼迫化していた。そのため、費用のかからない合理的な統治方法が必要であった。そこで伊藤は、韓国の文明化を通じて韓国人民の自発的な協力を導こうとしたのである。言い換えれば、韓国人民に文明化の有難さを周知させ、韓国人民が自ら進んで統監府統治を支持するようにしたいというのが伊藤の構想であった。伊藤のこうした構想の根底には、彼なりの韓国観があった。彼は韓国の支配層に対してはかなり批判的であったが、韓国人民に対してはその潜在力を認めていた。そこで彼は、韓国を文明化すれば韓国人民は素直に統監府統治を支持すると考えていたのである。しかし、こうした彼の構想は、1907年の韓国民衆が中心になって行った国債報償運動により挫折する。国債報償運動は、伊藤が韓国の文明化のために借り入れた一千万円の国債を返済し、国の独立を維持しようとするものであった。伊藤のいう文明化が韓国のためのものではないことを悟った韓国民衆は、国債の報償を通じて伊藤の韓国文明化を真っ向から否定したのである。こうした伊藤の挫折には、韓国人を支配層と被支配層という二分法的に認識し、両者を分離統治しようとした根本的な誤りがあったのである。これに加え、民族を単位とした支配と被支配という統治構造、没価値的な文明化に対する理解不足なども挫折の原因として挙げられる。

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5,500원

In Japan, the thought that imperial authority did not lie in the emperor alone but was wielded by people is carrying more weight. In addition, many theorists point out that sovereignty may represent prestige and institution rather than emperor. In particular, Imperial woman(女帝) theory which proved to be quite fruitful in research achievement is drawing keen interest in that it realistically reflects status quo of Japanese royal family. What’s more, the study on imperial authority is being regarded as one of the most effective ways given that the Statute State runs from the mid 10th century to the 12th century, which falls upon the mid and late Heian Period. When definition of imperial politics reflects kinship-based politics, the theory on imperial authority may gain more grounds. Great Gen.Jungi(征夷) is sometimes cited in archives of ancient times. However, it more often is cited since Kamakura Age. Great Gen. Jungi ruled Shogun era and adopted placing offspring on the throne. Great Gen. Jungi formally acted as servant required to follow royal order. In practice, however, he exercised controlling power during ages of Muromachi and Edo. Externally the Gen. was also treated as Japan Emperor. Given this, Japan’s imperial authority during the pre-modern age may be seen as the sovereignty exclusively wielded by Japan’s emperor and Great Gen. Jungi. In particular, analysis of changes in historical meaning of “emperor” and “Great Gen. Jungi” may make it easier to understand civil power at the time. Just as Great Gen. Jungi had good reason to govern the country during the mid 9th century, the fact that it used political power to suppress civil power during the transition to medieval times stands in contrast with dissemination of the civil power.

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5,500원

The issue how the modern Japanese people regard China has decided the Japanese policy towards China. Over the past 2,000‐some years, the Japanese people’s understanding of China has experienced a course ranging from worshipping, looking forward to, holding in awe and veneration to insulting. When China or the Chinese culture was prosperous and China had strong strength, the Japanese people worshipped and look forward to Chinese culture. Some of them took a long trip to China to learn Chinese culture at the risk of their lives. Especially before the Meiji Restoration of Japan, Japan was filled with fear of the Qing Empire, always worrying about that it would offend the Qing rulers someday. Accordingly, Tokugawa Shogunate strictly prohibited the Japanese people from contacting with other countries. However, after the decline of China’s national strength and the stagnation of China’s cultural development, the Japanese people began to look down upon, or belittle and repel Chinese culture, and even took China as the object for them to tease and discriminate. After the Opium War, China’s big defeat in front of the rising British Empire came as a total surprise to the intellectual community of Japan; and the Western‐school intellectuals of Japan headed by Fukuzawa Yukita advocated the “inferior of the Chinese nation”, and maintained that the Western academy should be adopted and Japan should break with Chinese culture. After the Sino‐Japanese War of 1894‐1895, Japan began to look down upon and insult China, and finally made China as the object of aggression. All these changes were based on the internal changes of the social structure of Japan, the impulse of foreign culture and the renewal of the cultural structure of Japan. Its guiding ideology was pragmatism, and putting the national interest first was the main characteristic. In the 21st century today, along with the growth of the national comprehensive strength of China and the upgrade of China’s international position, Japan’s understanding of China is welcoming the fourth great change. We are waiting to see whether this change will break away from the above‐mentioned period and look for a new and objective view on China. Under the present situation, the Japanese publication community has launched an upsurge of publishing a great number of Chinese books. Yoshino Sakuzo and China which I would like to introduce is one of representative books. Through the description and analysis of Yoshino Sakuzo, a flagman of the people‐oriented movement, the author tries to look for the modern Japanese intellectuals’ understanding of China, or the self‐track.

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8,400원

丸山眞男は対国家的な個人の自由や主体性の確保のために「人民」の武装権を主張した。この時の「対」とは、国家によって侵されてはならない「自然権的」な性質の自己武装権を意味する。一方、丸山の論敵の清水幾太郎は19․20世紀的なイデオロギー․原理などに対する批判を通して、「日本」の主体性及び独自的な「歴史」を含む「経験」を解き放した。それは、1980年には戦後持続的にタブーにされてきた核についての言説の解放にもつながった。清水によって解放された核武装論は、冷戦及びバブル経済の崩壊によって加速化された日本社会の保守化への傾向によって増殖する。一見、決定的․具体的なきっかけは北朝鮮のミサイルや核の威嚇、中国の政治的․経済的な影響力の増大、韓国․中国․ロシアの領土紛争といえる。とりわけ北朝鮮の核は「直接的」な刺激(あるいは論理)として働く。その結果、2003年には多くの論客特に保守主義者によって日本の核武装が積極的に擁護されることになる。核武装についての保守主義の立場は、「日米同盟」を重視しまた国際政治学者が多数を占める親米派の「核武装反対論」の立場や, アメリカからの自立を求める反米保守主義の「核武装賛成論」が両軸をなしている。もちろん、日米同盟を維持しながら核武装を主張する親米保守主義の立場も見過ごすことはできない。両方とも「アメリカ」と日本の核武装及び「論」の関係を否認してはいないが、接近方法はそれほど近くない。しかしながら、共通的に日本の「意志」を表している。その意志は、清水の「経験」から生まれた日本の未来図であり、いわば「戦後」からの大きな逸脱を象徴する事件である。

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6,000원

Recently receiving the spotlight in the forum for East Asian discourses is the transnational approach in Anthropology which observes and investigates historical, philosophical, social, cultural and political phenomena, transcending the regional, national and geographical borders. To view diverse phenomena, not from the perspectives of a given nation or its citizens, from more object angle, is the objective of transnationalism. What is, then, transnationalism? Nationalism in East Asia has been dubbed statism, ethnocentrism. ultranationlism, patriotism and such in Chinese Characters, stressing the societal ideiologies of ethnic group or nation. That is the ism which seeks unity, independence and development, or the ism in pursuit of national unity and integrity. Contrary to nationalism, trans in transnationalism means ‘beyond, or transcend’, thus indicating that transnationalism refers to ‘ultra nationalism’ or ‘ultra ethnocentrism’, irrespective of one’s nation, race or domain. As one anthropological trend, ultra nationalism has only been theorized a few years ago but a number of persons whose grounds for thoughts which are ultranational and trans-regional have been many. This paper originated from such issue. This paper analyzed the adoption of Western thoughts in the middle of 19th century aforementioned in the preface, and elements of nationalistic thoughts in response to it. In addition, it discussed the possible of overcoming ‘nationalism of thoughts’, presented by Confucian scholar named Han Ki Choi in the late 19th century, the Joseon Dynasty and his ‘study of qi ’supported by eclecticism of the East and West. Next, if further analyzed ‘transnationalism of thoughts’ introduced as an antithesis to the nationalism of thoughts, while extrapolating on the 「Eclecticism of East and West」. A comparative analysis of eclectic trends, namely China’s [Jungchaesuhyongron] and Japan’s [Hwahonyangjaeron]. First it mentioned Jeosen’s [Dongdosuhgiron] of contemporary era, followed by the confician scholar named Ki Suhn Shin in the late Joseon Dynasty. He has a proponent of fusion of Western and Eastern thoughts, and it correlation with transnationailsm.

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동아동문회의 前史에 관한 연구

蔡數道

한국일본사상사학회 日本思想 제20호 2011.06 pp.179-209

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7,200원

本研究では、従来の主張と先行研究を考慮しつつ、東亜同文会の思想的系譜とも言える漢口楽善堂、日清貿易硏究所、そして 東亜会と同文会の活動を通じて、彼らの目的と性格などを考察してみた。漢口楽善堂は、荒尾精個人の意思と行動によって結成․運営されたのではなく、日本政府と参謀本部の軍事的な目的から結成された。こうした設立目的から、漢口楽善堂は中国内陸調査における支部を各地に設置することなど、全ての調査内容を参謀本部に報告するなどの軍事情報機関の小規模な偵察部隊として活動していた。特に漢口楽善堂を指揮した荒尾は、将来中国大陸で多方面に活躍できる専門家を養成するための学校作りを構想していた。その結果、荒尾本人の長い中国経験と政府の積極的な支援によって、日清貿易研究所が中国上海に設立された。日清貿易研究所は、軍事․諜報は勿論、商業貿易にも尽力することで、単純に軍事的な目的だけではなく、商業貿易と軍事的の両方の目的から設立․運営された。 そして、日清戦争後、小規模な時事研究団体に過ぎなかった東亜会と同文会は、中国問題を研究しながら、中国事情について演説するなど、国民に中国への関心を呼び起こす役割を果たした。こうした結果、上記の漢口楽善堂、日清貿易硏究所、東亜会、同文会の4団体の会員らが中心となり、1898年11月東亜同文会が結成されたことが新たに分かったのである。Trade Institute

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4,900원

『世間妾形気』は 『諸道聴耳世間猿』に次ぐ上田秋成の二番目の浮世草子である。本作品はこれまで浦島伝説との関連性を中心に研究が行われ、その他にも井原西鶴及び江島其磧などによる先行浮世草子、中国白話小説との関係も指摘されてきた。本稿で指摘したいのは、秋成は本作品で当代の風俗描写にも力を込めて描写しているにもかかわらず、それに関する研究はほとんど行われていなかったことである。このような状況を踏まえて、本稿では 『世間妾形気』巻1の第2話「ヤアラめでたや元日の拾ひ子が福力」を中心に、本話と風俗描写との関連性、本話における風俗描写の意味と役割について考察した。『世間妾形気』には主に話の冒頭部分に当代の風俗に関する描写が描かれており、本話も大晦日と節分が重なった当時の風俗が生々しく描かれている。大晦日と節分が重なった賑しい雰囲気は、妻と子供を失った寿斎の孤独な心情を際立たせ、このような心情は和歌と俳諧の表現技法を通して効果的に現われている。次に、本話の題名について検討してみると、「ヤアラめでたや」という言葉は節分の時に無病長寿を祈願しながら祝う厄払いの言葉で、浦島寿斎にとっては子孫を授かることに対する祝いの言葉としての象徴的な意味も含まれていることが分かる。本話では丹後地方の伝説と竜灯祭りについても詳しく描かれている。秋成がこの部分について詳しく描くことが出来た背景としては、先行研究の指摘通り秋成自身が丹後地方を直接訪問したことがあるからであり、それに加えて本稿では秋成が 『諸国里人談』の「橋立竜灯」と「野上竜灯」に現れた竜灯伝説も一緒に参照した可能性が高いことを指摘した。本稿では巻1の第2話を一例に、『世間妾形気』に現れた風俗描写の一端について考察した。今後は他の話に範囲を広げて検討する必要があり、また、秋成はなぜ風俗描写に重点を置いているかについても考察していきたいと思う。

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<인종>과 <민족>의 경계와 <東亞民族>論

전성곤

한국일본사상사학회 日本思想 제20호 2011.06 pp.227-252

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6,400원

1870年代に登場したコロボックル琉とアイ論争は、日本の近代国民国家の形成期に於ける重要な論点の一つとして浮上した。それは欧米のモース、ミルン、バチェラー、シーボルトなどによる日本人種論の解釈と噛み合っている形で現れた。特に日本人種にかんする外部の視線による内部の解釈という問題点を自覚し、日本人自身による日本人種論の論理を構築しようとしたのである。そこで、登場した坪井と小金井は、日本の原住民の定義をめぐって、コロボックルとアイヌの論争を繰り広げることになった。このような時代のながれを汲むように、日本内部においては日本人種の解釈をめぐって、新しく解釈する方法が導入されたり、受容されていた。そのような過程の中で登場したのが、鳥居竜蔵の人種概念と民族概念であった。はじめは人種と民族を区分なしで混用して使いながら、石器時代の遺物、遺跡に関する調査と竪穴住居という生活様式を調査することで、「新」人種解釈論を打ち立てることを試みた。特に、鳥居はアイヌと非アイヌ、つまりコロボックルとアイヌの差異を生活様式から導き出した。それを鳥居は還元土俗と命名した。それから、原住民と住民という語彙から、「民」をとり、人種と人間という意味から種族を考え、そこから「族」を分離した。そこから民族概念を作り出し、そこに精神を注入しようとした。これは、アイヌは蝦夷とおなじであることから、古アジアにおける蝦夷の移動を説明した。そこで、日本には東北アジアから移動してきた、アイヌ、そして蝦夷になることで、日本民族が形成されたことを証明するようになった。そこで先ほどの「民族」概念に日本神話の天照大神を中心とする日本の精神世界を注入することで、民族と精神の一致を主張することができたのである。それは、東北アジアを包括する民族論であり、その中心は日本の天皇にあることを再構成したのである。鳥居はつまるところ、日本内部における解釈共同体を作り直すことに成功し、東アジア民族論を新しく構築したが、その民族の‘内属的(inherent)’限界を含まざるを得ない矛盾を抱えていたのであろう。

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6,900원

According to the figure provided by the Report of the Ministry of Foreign Affairs, during the Japanese War of Aggression Against China, to solve the problem of insufficient laborers domestically, Japan forcefully recruited 38,945 Chinese laborers in the two‐some years from March 1943 to May 1945 for the important Japanese enterprises to enslave. In recent years, the domestic and historical circles have paid great attention to the research into the Chinese laborers who were forcefully recruited to Japan. Great progress has been made as a whole and many achievements have been obtained. However, the case study of the enslavement of the Chinese laborers by Japanese enterprises is not profound enough, except for the fairly thorough study of the Kashima Hanaoka Minerals Institute. The US government pointed out when Japan was defeated: All the Japanese financial groups were the militarists and the largest war potentials of Japan. It is the existence of the Japanese financial groups that made Japan’s aggression and conquest become possible. Based on the study of the enslavement of the Chinese laborers by the Mitsubishi Minerals Society under the Mitsubishi Financial Group, this article mainly exposes the war crimes of the Japanese financial groups and denounces and refutes the lies told in the Report of the Ministry of Foreign Affairs of Japan.

 
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