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日本思想 [일본사상]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본사상사학회 [Korean Association For Japanese Thought]
  • pISSN
    1229-9235
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1999 ~ 2025
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 철학
  • 십진분류
    KDC 153 DDC 181
제9호 (11건)
No
1

『古事記』王権の語りと歌謡

李権煕

한국일본사상사학회 日本思想 제9호 2005.10 pp.1-26

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6,400원

일본 최고의 사서 古事記(712)는 序文에서 밝히고 있는 바와 같이 『邦家의 経緯, 王化의 鴻基』를 이야기하는 데에 주된 목적이 있다. 왕권의 聖性을 시원에서부터 현재에 이르기까지 역사적 사실로써 보장 한다는 편판 의도를 본질로써 갖고 있다고 할 수 있다. 그럼에도 불구 하고 고사기가 일본문학의 원류로서 또는 고전문학의 보고로서 珍重되 어 온 까닭은 왕권과 문예성이라는 양면거울과도 같은 성격을 동시에 갖고 있기 때문일 것이다. 고사기의 계보를 제외한 이야기(모노가타 리) 부분은 당시에 구전되어지거나 혹은 문자로 기록되어 전해지고 있 던 전승을 취합 선택하여 재구성한 것이다. 고사기가 편찬될 당시 漢字를 사용하는 표기법은 다양하게 쓰이고 있었다. 종래의 문자자료에 대한 일종의 진화론적 견해에서 벗어나 다 양한 書記의 공시태적(共時態的) 공존을 생각해야 할 것이다. 새로이 출토되는 목관 등을 봐도 알 수 있듯이 한자를 가지고 日本語를 표기 하는 書記法에는 訓主体-交用-仮名主体등이 다양하게 쓰이고 있었 고, 고사기가 노래를 표기하는데 있어 散文과는 달리 一字一音式의 音 假名에 의한 표기로 되어 있는 것은 어디까지나 선택의 문제였다고 생 각해야 할 것이다. 고사기에 있어서 훈주체(訓主體)의 산문표현과는 달리 노래를 一字 一音式의 音仮名으로 표기하고 있는 의미는 고사기 내부의 문제로 파 악하여야 한다. 散文에 조사 등 음가명(音仮名)를 섞어 표기하는 예가 전혀 없었다고는 할 수 없지만 훈주체(訓主体) 표기를 중심으로 문을 엮어가는 가정에서 설명적 전달을 명확하게 하기 위해 최소한으로 사 용되고 있는 것에 불과하며 이러한 산문 표기는 意味性․説明性을 우선하기 위한 선택이었을 것이 다. 이에 비해 노래는 情意를 표현하기위 해 거의 처음부터 끝까지 철저히 음가명(音仮名)으로 ‘辞’의 표현을 지 향하고 있다. 거기에는 노래를 통해 직접적으로 마음을 표현할 수 있다 는 표현의식이 있다. 노래는 장면 장면에서 등장인물의 말을 대신해 외 측으로부터의 설명이 아닌 직접적인 방법으로 마음을 표현할 수가 있 고 그것은 ‘辞’의 표기를 철저히 함에 의해 가능해지는 것이다.

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일본의 실학자 계보

한예원

한국일본사상사학회 日本思想 제9호 2005.10 pp.27-62

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7,900원

東アジア三國は、儒敎文化圈あるいは漢字文化圈という共通の分母をもってい るから、中世の解體期、即ち近代への歷史過程において、共に實學が登場され たという前提の下で、「韓ㆍ中ㆍ日の東アジア實學硏究會」を営んで共同硏究 を進めてきたのがもはや15年にもたった。 しかし3個國の實學は、各國の社會的․文化的な母盤の差異によって、實學 的な內容や特色などはそれぞれ独自的に展開された。だからもっと各國における實 學硏究の成果を交換し、綜合的に東アジアの實學を把握する必要性を感じる。 小考は韓國の實學についての研究立場から、日本の實學を眺めて分析したも のである。日本の硏究者たちは、実に實學というテーマについてあまり關心を持っ ていない。實學槪念についても統一した意見がまだ出来でいない状況でもある。 だから他者の觀點からの日本實學についての硏究は、日本自國の思想·文化を 新たに眺める際、新鮮な刺戟になることを期待する。 まず實學槪念である。現在の實學槪念についての韓國側の共通の認識は、 “形而上學的であり思辨的な學風によって、非生産的な論爭が慢性化されている か、ある理念と體制に縛られて時代の現實から離れていく際に、それを克服するた めに現實に卽し實際の事情に卽した科學的な把握によって問題の解決を追究しよう とした學問の方向”である。 韓国實學において克服の對象になったのは、朱子學的な思辨主義である。し かし朱子學は、韓·中·日の各國の歷史的な狀況において、相異なる役割を果た した。日本の場合は、中世の精神史を代辯する佛敎的な思惟を克服するための 起爆制の役割を擔當したので、むしろ實學的な思惟への萌しと見ることが出来 る。それで少考では、日本朱子學を實學形成期の中身として考察した。 このような見方は、確かに日本の近代の黎明期において、實學という槪念を天 下に通用させた福沢諭吉の「實際的に役に立つ學問」、即ち「實業學」として の實學槪念とは距離がある。 のみならず以後の福沢-丸山の實學槪念に贊同する科學史の分野での日本實 學の概念とも距離がある。 むしろ日本史および日本思想史の硏究分野で、丸山の「實學への轉回」と いう主張に反論を提起した源了園の儒學的な立場での實學槪念に近いと言える。 ただ少考と源了園の旣存の硏究との違いは、分析の基壇に朝鮮實學の展開の 樣相をおいて、比較的に考察するという点であろう。 まず小考では、日本實學の形成期から發展期に到る過政に属する實學者と、 その實學の內容を考察した。この中で境界人の役割を果たした者は、言うまでもな く荻生徂徠である。徂徠の緻密で文獻主義的な古學が形成されるまで、日本の 近世儒學は何回も熾熱に戦わなければならなかったのである。 實學の形成期は前·後に分けた。前期は朱子學を受容して人間的な眞實を追 究し、またその道德的な實踐に励んだ時期である。後期は合理主義的な古學が 形成された時期である。特に朱子の權威から抜け出して、孔子ㆍ孟子の根源を 求めていた古學が形成され發展された。 實學の發展期は、實證的な硏究方法である古文辭學を通じて古學を成し遂げ た時期である。これ以後、日本の實學は誠に多樣に展開された。その多樣さの 中でも、共通の土臺になったのは、徂徠の古學に到る批判的に学問の受容姿勢 であろう。 日本で新たに学問を受容する際に、日本人が日本という土地で生活し、日本 社會という現實の中で適用できる学問を選択し、又その中身を變容ㆍ修正ㆍ批 判する段階を経て、受容ㆍ展開ㆍ發展させていたということに注目する。仮に適 用に向いてない場合は、どんな學問的な權威も認められなく、如何なる扱いも受け なかったということである。このような姿勢は、徂徠以後、西洋の學問體系を受容 する際においても生かされ、實學的な批判の見方が堅持された。少考で取上げ なかった徂徠以後の「實學の轉換期」については、次回に回す。

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6,300원

本稿で考察する丁若鏞と太宰春臺の論語解釈における共通点と相違点を要 約・整理すると次の通りとなる。 (1)両者ともに、宋學の體用論と理氣說について非常に批判的であり、観 念性を止揚し具体的実現の方向に進もうという点で一致している。これは彼らが 「仁」を安民の側面から考えているところに強くあらわれている。 (2)従来、「士」に見られた隱遁的な傾向を批判し、「士」の積極的な 政治参与を主張している点で共通する。 (3)細部の訓詁において、古訓を多く参照している点で共通しており、丁若 鏞は細部の考証という面で太宰春臺から影響と刺激を受けている。 (4)両者ともに荀子の影響が見られる。 しかし、彼らには少なからず相違点も見られる。 (1)身分觀において、丁若鏞は基本的に身分制を比定しているのに対し て、太宰春臺はそれを肯定している。 (2)両者の身分観の違いは、彼らの人間観の違いと密接に絡まっている。 丁若鏞が基本的に性善論の立場(孟子と荀子の折衷)であるのに対し、太宰春 臺は性惡說をとっている。 (3)板本問題において、太宰春臺が全体的に皇本に従う立場であるのに 比べ、丁若鏞は皇本と邢本の折衷という立場である。 (4)具体的な訓詁に違いをみることができる。これは根本的に思想的な立場 の違いによる場合もある。 (5)義理と動機の問題よりは、外的な問題に太宰春臺の強調点があるのに 対し、丁若鏞は外的成就を強調しつつも、内的動機の純粋性を主張し、義理問 題についても無視していない。 (6)両者ともに宋學に対して批判的であるが、太宰春臺が一方的に宋學を 排斥するのに比べ、丁若鏞は宋學でも受容すべき点はしていこうという立場をとる。 丁若鏞とは異なり、太宰春臺は普遍的善への、そして人間性の潜在的可能性 および朱子学における理の先驗性を否定する。これは、人間開放の可能性を内 包するものであった。だが、極端に経験的な方向に進んでいったことで、彼は結 局、國家制度と禮義といった外的規範にのみ依存し、人間を律する個人ひとりひと りの道徳的自覚に対しては相対的に無視してしまう。こうしたことから、太宰春臺の 思想は身分制的な秩序を強く支持するとともに、当時の幕藩制封建秩序を擁護す る方向へと向かうこととなる。

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The Printed Haedong chegukki and Korean-Japanese Relations in the Early Sixteenth Century

Kenneth R. Robinson

한국일본사상사학회 日本思想 제9호 2005.10 pp.89-122

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7,600원

새로운 사료에 의하면 조선왕조는「正德七年二月十七日」(1512年)에 『海東諸國紀』를 부산진에 보낼 것을 명하였고, 동년 동경대학 사료편찬 소가 소장하고 있는 『海東諸國紀』가 인쇄되었다. 또한 같은 해 2월27일 에는 의정부 고관 등이 1510년 4월(正德5年)에 일어난 삼포왜란이후 처 음으로 조선에 들어온 일본인무역선(小貳氏-2隻, 對馬守護-8隻, 九州를 기반를 기반으로 하는 것으로 보이는 통행인-4隻)에 대응에 대하여 중 종에 건의해 그 대책이 시행되었다. 이러한 『海東諸國紀』의 인쇄과정의 배경으로서, 삼포왜란에 의한 부 산항의 손실, 1511년 조선과 일본의 외교재개, 그리고 1512년 2월 17일 까지 조선왕조가 정한 일본인 통행인과의 무역재개가 있었다. 그 후 1512년 8월에 조선왕조는 壬申條約을 對馬의 守護와 맺었고, 그 조약에 는 1509년과 1510년에 對馬守護에 전달하지 못했던 통행규칙의 변경도 포함되어 있었다. 이 壬申條約에 의거해 조선왕조는 일본인통행인의 圖 書사용을 조사하고 문제가 발견되었을 때는 통행권을 박탈하였다. 그 결과, 『海東諸國紀』에서 보이는 통행인의 대한 記述들이 주목되었고 조 선왕조 관리들의 『海東諸國紀』에 대한 사용법과 인식이 바뀌게 되었다.

新出の史料によると, 朝鮮王朝わ「正德七年二月十七日」(1512年)に『海 東諸國紀』を釜山鎭に送ることを命じた。同年, 東京大學史料編纂所所藏の『海東諸國紀』が印刷されたと思われている。同, 正德七年二月十七日に朝鮮 王朝議政府の高官などは、1510年4月(正德5年)に發表に三浦反亂以後, 初 めて來朝した日本人通交者の交易船(小弐氏-二隻, 對馬守護-八隻,と九州に 存在するとされた通行者の四隻)への對應について、中宗王に啓し、その方策が 施行された。 この『海東諸國紀』の印刷過程の背景として、三浦反亂による釜山浦での損 害, 1511年朝鮮と日本の外交の再開があった。その中にわ、朝鮮王朝が、1512 年2月17日までに朝鮮王朝が決めた日本人通行者との交易が再開があった。そ の後 1512年8月に、朝鮮王朝は壬申條約を對馬の守護と結んだ。その中に は、朝鮮王が1509年と 1510年に對馬守護に傳えることができなかった通行規 則の變更が含まれてえた。壬申條約によって、朝鮮王朝は日本人通行者の圖書 使用を調査し、問題がある場合, 通交權を剝奪した。その結果,『海東諸國紀』に見られる通交者の記述が注目され、朝鮮王朝の官吏による『海東諸國紀』の 使い方と讀み方は、1470年代に作成された時とは異なった來た。

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일본가족의 근대 ― 일본의 근대국민국가 형성과 가족 ―

임경택

한국일본사상사학회 日本思想 제9호 2005.10 pp.123-143

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5,700원

本研究は、日本の家族における近代性のあり方を考察するために、主として近 代国民国家の形成過程における家族の位置づけや明治初期における家族の変 化に注目し、制度上の家族・実態としての家族・理念としての家族という三つの 側面に焦点を当てて分析した。その結果、次のことが言えると思われる。第一 に、日本の近代家族は国家の基礎単位としての地位を獲得し(もしくは与えら れ),それ以前とは異なり、国家と家族が直接的な関係を結ぶようになった。その 関係を支え、さらに国家の根幹をなす存在として戸籍が発明されたことである。第 二に、近世の家族が持っていた公的な性格が消滅し、家族が私的な存在へ転 化したことである。第三に、家内領域と公共領域が切り離され、それぞれが女性 と男性の責任領域として観念化したことである。そして、家族が担ってきた教育機 能の一部を新しく登場した学校が担当することになり、家族と国家と学校という三者 間の関係が国民形成のために新しくつくられたことである。

6

6,900원

本研究の対象になっているのは、岡田貢ぐが1928年出した􀀀日常生活上より見 たる內鮮融化の要諦􀀀である。岡田は1904年京城に渡って来て、1916年京城南 大門公立尋常小学校の導訓を経て、仁峴・校洞・孝昌などにあった朝鮮人の 公立普通学校の校長として勤めた。このような経歴からみても彼は当時の京城に 滞在していた朝鮮通であった。また、彼は緒文でこの本を書いた理由について、 朝鮮で生活し始めた頃は言語や習慣が異なったために相互に誤解が多かったこと から、そのような経験に基づき、内地人が朝鮮人と接触する際に起きうる誤解を減 らすためだったと述べている。 その本は、訪問と接客、表情と身体、言語の違い、吉凶慶弔、結論という五 つのテーマで構成されている。そして付録として朝鮮の民謡と民族性、童話伝説 にみられる朝鮮の特質、朝鮮の児童たちの礼儀作法などが加えられている。その なかで、「訪問と接客」のところで、朝鮮人の食事と関連した内容が出ている。 朝鮮人はお茶を飲まず、タバコを好む。朝鮮人の食事は万が一の毒殺を避けるた めに、共通の食器を使う。オンドルの上で生活しているため、客が来ると立ち上 がって迎える。鍮器でつくられた食器を使う。食事をするときには片膝を立て、目 上の人との同席を避ける。客は出された料理を残すべきである。残された食べ物 は下男や犬猫には与えない。また、杯を伏せない。魚は祭祀の時でなければ、 頭と尾を切って料理をする。果物は皮を剥いて出すが、そのように食べ物はすぐ食 べられる状態にして出すのが礼儀である。ご飯に水を入れて食べる。それに、宴 会で歌と踊りをするのはもっぱら妓生である。注がれた酒は一気のみをするなど、 多食主義と滿腹主義が一般化している。 岡田は朝鮮人の食事を内地人と西洋人の風俗と往々比較している。さらに、 朝鮮人の食事と内地人の食事が異なる理由を、植民地的史観、非衛生、非合 理的慣習、そして朝鮮王朝の性理学から求めている。これは、内鮮融合が相互 間の理解を通じて誤解を減らすためであると言うよりは、朝鮮人の短所を浮き彫りに して内地人の優秀性を強調するためであったことを意味する。とりわけ、多食主義 と滿腹主義は後進性の代表として象徴化する。 したがって、1920~1930年代に、日本帝国が強調した内鮮融合は、決して日 本と朝鮮の同等たる融合ではなかった。それは日本を中心に置き、朝鮮を抹殺し ようとした政策であった。朝鮮の食べ物も融合の対象というより、朝鮮人を劣る存在 として位置づけるための媒体に過ぎないのであった。しかしながら、朝鮮の食べ物 はその融合の過程のなかで、「朝鮮的な情緒」によって包まれ、消費されたので ある。その結果、内鮮融合に染まった朝鮮の知識人の一部は、朝鮮の食べ物が 自分たちの自負心を植え付けてくれるものと見做したりもしたが、それはあまりにもロ マンチックだったと言うしかない。1940年代になると、朝鮮の食べ物は、戦争を準 備するにはとても複雑な食べ物であると判断され、改良の対象になってしまうのであ る。

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한일 양국의 문화정책과 일본에서의 한류 붐 고찰

호사카 유지

한국일본사상사학회 日本思想 제9호 2005.10 pp.173-191

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5,400원

韓国の文化政策は質の高い大衆文化を生み出して、それをアジアや世界市場 に出し、高い収益を上げるという方向性を持っている。2005年の韓国の文化観光 部の政策目標を見ても、いわゆる韓流を世界的に拡散するという目標のために以 下にすべきかが盛り込まれている。2005年は<韓日友情年>とされたが、独島問 題と歴史教科書問題が2月、3月に起きたため、韓国側は<韓日友情年>という よりは<光復60年記念>という意識を国民たちが持つように方向を転換した。 日本の文化政策は外務省の外交政策の一環として、日本のイメージを向上さ せ、将来日本の良き理解者になる外国の人材を養成し、日本の伝統文化や日 本語の海外普及に努めている。大衆文化は、民間の自主的な開発に任されてい る。 日本内の韓流ブームは、直接的には2000年代に入って映画と音楽を含めた韓 国大衆文化が日本に輸出されつつ、本格化された。それが2003年にドラマ<冬 のソナタ>が放送されることによって、日本で爆発的なブームを作り出した。いわゆ るこの<冬ソナ>効果は、CDアルバム・ノヴェルライズ・<冬ソナ>関連商品など の売り上げの向上を伴い、韓国への観光旅行が増加したりする現象となって現わ れた。<冬ソナ>の主人公役である俳優ペ・ヨンジュン氏が日本で<ヨン様>と呼 ばれ、日本の2004年のヒット商品4位に<ヨン様>がランキングされたりした。 しかし日本での韓流は、<冬のソナタ>の人気だけにたよっているという否定的 な見解もあるが、2005年度半ばからは韓流ドラマ<チャングムの願い>が日本の 男性ファンをも獲得し始め、そのような見解を無力化させ始めている。 日本の韓流ブームを長続きさせるためには、<冬ソナ>や<チャングムの願い> の成功要因に対する徹底的な分析が必要である。また、韓国の大衆音楽は、 80年代のチョ・ヨンピル、2000年代のBoAの大成功の後を、現在、シン・スンフン やピなどの韓国歌手たちが日本のファンを着実に獲得し始めている。かれらの成 功要因に関しても、深い分析が必要である。 映画界ではいわゆる四天王(ペ・ヨンジュン、イ・ビョンホン、チャン・ドンゴン、 ウォン・ビン)とチェ・ジウ、チョン・ジヒョン、イ・ヨンエなどが登場する映画であるなら ば、日本で未だに多くの観客を動員する力を持っている。2005年9月に封切られ たペ・ヨンジュン主演の<四月の雪>は、封切り第1日目で15万人を動員し、最 終的には日本で上映された韓国映画の最高収益を獲得する見込みである。ただ し、映画界でも四天王たちの後を継ぐ新しいスターたちの登場が至急の課題であ ろう。 日本での韓流ブームは、韓国の文化政策が実を結んだ結果でもあるが、これ を長続きさせて発展させるためには、上で指摘された点に対する研究が必須であ り、そのような研究を進めれば日本の韓流ブームは長い寿命を維持するものと見ら れる。

8

한일간 문화콘텐츠 교류의 현단계와 전망

신광철

한국일본사상사학회 日本思想 제9호 2005.10 pp.193-216

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6,100원

本論の目的は、韓日間文化コンテンツの現段階を省察する一方、その省察を 通して得た情報を基礎として、兩國間文化コンテンツ交流の今後の方向性を展望 することにある。このような作業は、今日その重要性を増している文化現象である “韓流(Han-Ryu; Korean Wave)”に対する省察の地平を広げるのに寄與するも のと考える。さらには、兩國間の文化交流の未來像を描き出すのにも役立つものと 思われる。 “韓流熱風”や“ヨン様熱風”などと言われる日本內の韓國大衆文化ブームの頂 点には、映畵とドラマを中心とした文化コンテンツがある。韓流熱風やヨン様熱風 は、單純な一時的流行に止まらない。それは、絶え間ない文化交流の影響を受 けたものでもある。兩國間の積極的な文化交流の努力が存在しなかったら、今日 の韓流ブームもまた存在しなかったであろう。最近、活性化している韓日間文化コ ンテンツ交流は、日本社會において持續的に形成されてきた韓國大衆文化に対 する關心があったがゆえに可能だったのである。 韓日間の文化コンテンツ交流と関連して、在日韓国人たちが兩國を結ぶ重要 な役割を果たしているという点もまた注目に値する一方で、韓國內の文化コンテンツ 交流において、架橋の役割を果たす專門家グループが不在であるという点は、 今後の課題であると思われる。 文化コンテンツ交流は、單純な商品交易とは異なる脈絡を持っている。文化コ ンテンツ交流は、窮極的には文化交流を指向するものであり、‘我々’に対する理 解と同様に、‘他者’に対する理解が重要である。そして、このような理解の過程に おいて重要なことは、ネットワークと連帶である。この点と関連して、最近韓日間 相互テキスト受容と文化コンテンツ合作が强化されている点が注目される。現段階 の日本国内における韓流現象もまた、文化コンテンツ交流の産物という点を認識す ることが重要である。文化コンテンツ交流において重要なことは、交流が連帶を生 み、文化革新の體驗として擴散されなければならないということである。そうなってこそ、韓流 が東アジア文化連帶の契機となっているという事實の重要性が、一層増 大するのである。

[서평]

9

4,000원

휘보

11

한국일본사상사학회 회칙 외

한국일본사상사학회

한국일본사상사학회 日本思想 제9호 2005.10 pp.229-243

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4,800원

 
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